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参考人(
島田喜仁君) 小柳先生からいろいろな御質問をいただきましたが、まず最初に、千数百億の金を投資したその投資効果という点でございますが、これをどういうふうに解釈いたしますか、実は、投資した金は戻ってはきておりません。投資した
対象プロジェクトの中で、大体成功して
日本に入ってくると予想された
原油は、ラウンドで大体二千万キロと予想されます。ただこれにつきましては、御
承知のように、
日本は
国内の景気の状況等によりまして買えなかったりする面がございますから、実際には、この五十年度で千八百万キロぐらいでございますが、要するに、大体その
程度のものをわずかながら
確保いたしたという面を、どういうふうにお
考えいただくかということであります。
全体といたしましては、すでに、最初に
日本として
海外石油の
開発に成功したのはアラビアでありました。アラビア
石油を含めまして、
開発原油は大体
国内輸入量の一〇%
程度になっております。実はまだアラビア
石油には融資をしておりませんが、その他の企業は、
開発段階に入りましてまだ期間はわずかしかたっておりませんので、
公団に配当等として返ってくる
段階にはなっておりません。ただ、国際的によく言われるのでありますが、
石油の
油田を
発見する確率は、大ざっぱに言いまして、これは別に統計的なものではございませんけれ
ども、大体二割ぐらいが限度であると言われておりましたが、ここ十年間の
世界の当たる確率は下がっております。だんだん
リスクが大きくなったり、自然的
条件が厳しくなったり、なかなか
石油を掘り当てることが実は困難になってきておると思います。
なお、振り返ってみますというと、私
ども公団が発足いたしましたのは、いまお話しの約七年半の前の
昭和四十二年の十月であったと思いますが、
公団の職員は私を含めまして約五十人で発足をいたしました。八年近くなります現
段階で、この
探鉱投融資の
事業並びに民間に対する
技術協力の職員は、女性も含めまして百五十人であります。私は、設立当初からその職員といたしまして
公団に奉職をいたしております。振り返りますと言うと、力足らずということでございまして、非力のために当たる確率も悪かった、あるいはその成果を上げ得なかったことを反省はいたしておりますが、現在もその百五十人が一緒になりまして、
大陸だなの
開発並びに
海外の
開発に全力投球をしておるつもりであります。
ただ、ここでひとつお
考えをいただきたい点は、
公団の発足いたしましたときは、いままで
石油というのは、実は要するに、
メジャーから金を出して買うという体制でございまして、わずかに
一つの例外が、いま
考えてみますというと大変な偉大な功績だったと思いますが、アラビア
石油が
海外で
開発した以外は、
海外の
開発というのは行われなかった。代金を払って他の企業が
開発した油を買うのだという実は体制であったわけでございますが、やはり自主
開発の
原油を持つべきだという機運が民間並びに
政府にできまして、そうして、民間の企業が
リスクに挑戦する場合に、民間と
石油開発公団とが一緒の船に乗る。原則的には五〇%・五〇%で、この
開発に挑戦をするわけでございますが、それは民間主導でございまして、
公団が主導的に
海外の利権
交渉をするような体制にはなかったのであります。恐らく当初の三年ぐらいの間は、あるいは四年ぐらいと申しますか
——ここ二、三年になって初めて私
どもは
海外の
交渉に専念をし、そうして先ほどのお話の、事前の、
産油国あるいは
石油会社との
交渉をいたしてまいったのであります。
したがいまして、振り返ってみますというと、民間主導でありましたために、当時はまだ
リスクマネーというものは民間として非常に少ない、しかも御
承知のように、
日本はこの
リスクに挑戦する国際的な
石油企業というのはございませんので、小さな
プロジェクト、言いかえれば、金の余りかからない
プロジェクトが中心であったわけでありまして、
大型プロジェクトに民間が積極的に
参加するという体制ではなかったのであります。
特に、この
石油の利権、言葉がちょっと悪いのですけれ
ども、お許しをいただきまして、俗にそう言っておりますから利権と言いますが、利権はいま
参加国にはないわけですけれ
ども、簡単に要約して仮に利権という言葉を使わしていただきますというと、そういう利権というのは、
参加する側が積極的にコンタクトしなければ、
資源国、
産油国の方からこういう利権があるからどうだという体制では原則的にないわけであります。それがだんだん厳しくなりまして、
資源主権の確立とともに
産油国が強くなってきた。
それで、実は
大型プロジェクト等については
リスクも大きいし、金もかかるし、それから
技術的にも先ほど
参考人の他の方からありましたように、
日本は
海外で
開発する
技術、活動をするその
経験と策がありませんので、私
どものところでは、
国内からわずかながら国際活動のできる素質のある人たちを説得し、そうしてだんだんに集めてきたのが現状であります。そういう
技術陣を動員をいたしまして
海外活動に専念をしていったわけであります。したがいまして、振り返ってみますというと、すでに
公団のできる前後において、
海外の
リスクに挑戦をして自主
開発をしようとする時期が実は非常におくれておった。その当時も、すでに有望な利権というものは
メジャーズその他に押さえられておった。それからその後は、
産油国はいい
鉱区と有望な
鉱区と思われるものは抱きかかえて、やはり次のゼネレーションまで温存していこうという、そういう体制に入りつつあったわけであります。
現在も、御
承知のように、
参加国に
石油の
開発をさせないで、みずからが
資源主権を持っている。みずからが自分の
リスクにおいて
開発をしていこうという体制が、着々としてできてきているわけであります。したがいまして、振り返ってみますというと、そういう面で
日本の
海外開発をする民間の体制が弱体であった。それから同時に、当時はやはり億という金というものは、
リスクの金というものを国が出すということは大変なことでありまして、金のむだ遣いになるのではないかという
考え方が
政府等にも強くありまして、なかなかこれを思い切って出そうとしてもらえなかったということを、率直に申し上げざるを得ないのであります。
ところが、私
どもがスタートした当時は、もし
石油の
開発をいたしまして成功すれば、その油というのは一〇〇%
日本に持って帰ることもできれば、あるいはどこか自由に売ろうとすれば売ることができたわけでありまして、その処分権というものは
開発側にあったわけであります。ところが、一九七二年だったと思いますが、リヤド協定によって
産油国が二五%の資本
参加をするということが予想に反して、予想に反してというのは、
世界がまだそこまで
考えておらなかったのに、二五%の
参加というのは決まったわけでありまして、七二年から五年間の間に五一%に
事業参加、経営
参加をふやしていく、こういう方向で決まったのでありますが、現在まだその五年間の終期にならない間に、御
承知のように六〇%の資本
参加がすでに
決定をする、あるいは一〇〇%の資本
参加がもう時間の問題だというふうに、
世界の
情勢が全く急激に変化をするような事態になったわけであります。そういう意味で、
日本の
石油開発の体制なり、これに対する対策なりというものが
世界の
情勢に追いつかなくなってきたというのが、私は偽らざる実感だと存じます。
実は、
公団ができまして以来八年に相なります。私はその間いろいろな対応策を、
——公団のできたときにはまだまだ私
どものところでも何にもわからなかった、
海外開発については無知識であったわけでありますが、明けても暮れても毎日こういうことにタッチをしておりますというと、幾らかは
世界の
情勢を知らざるを得ないわけでありまして、先を見ましていろいろな提案をいたしましたけれ
ども、私の説得力が足りなかった、その点は深く反省いたしますけれ
ども、具体的な
石油開発公団に関する法律の
改正は、今度が実質的には初めてであります。
中東戦争が終わってからもう二年になりますけれ
ども、今度初めての
改正でございまして、この
改正につきましては、先ほど冒頭で
お礼を申し上げましたけれ
ども、実は法律
改正のほかに、いまのような
世界の
情勢、言いかえれば
条件が非常に厳しくなってまいりまして、
税金も八〇%を払わなきゃならぬ、
ロイアルティーも二〇%払わなければならぬ、いまのように
事業参加もありますから、コスト
原油がそれだけ減ってしまうといういろんな
条件の厳しい問題が出ておるほかに、やはり
日本の
石油会社というのは
プロジェクトが決まりますというと、そこで、いろいろな
石油に直接タッチしていない
会社というものが資本を出し合って
会社をつくるわけでありますから、全くの素人の人たちが集まるわけであります。
その意味では、僭越ではございますが、私
どもの
公団も及ばずながらその御
協力は申し上げておるわけでございますが、
世界は、御
承知のように、
アメリカはもちろん国際的な
石油企業でありますが、
欧州でもフランス、イギリス、イタリアは皆
国策会社というものを持っております。一社もしくは二社という形になっております。ドイツだけが
国策会社ではございませんけれ
ども、DEMINEXという一社を中心に
海外開発をしておるわけであります。
手前どものところの
投融資対象になっております
会社というのは三十、
プロジェクトが四十、この八年間にその
海外開発に
参加をしたわけでございますが、
日本は民間の体制も当然問題がございますが、今度は
公団の
立場から見ますというと、
公団は
探鉱部分の
資金供与しかできないわけであります。
日本にはインテグレーションという、いわゆる
アップストリームから
ダウンストリームに一貫した操業
会社というものは、ただいま申し上げました欧米と違いましてないわけでありますが、せめてその
アップストリームぐらいは、実は
公団が一元的に
投融資できることになりませんと、
探鉱というものは一部分でありまして、幸いに成功いたしますというと、ここにも民間の
社長さん方がおいでになりますけれ
ども、
開発段階に入ったときの方がはるかに金が多くかかるのであります。はなはだここに
社長さんがおって、まことに失礼と存じますけれ
ども、
杉本副
社長の
アブダビ石油も最初に
技術力をお持ちになっておったし、運もよかったわけでございますから、掘るたびに実は当たったのであります。
そこで、
開発段階に移行したわけでございますが、ただいま二万五千
バーレルとおっしゃっておりますが、その当時は私
どもの
技術陣も全部、まず少なくとも現在の三倍
程度のものは出るであろう、場合によったら四倍ぐらいのものが出るであろうと
考えておったわけでございますが、
開発段階に至ってから当たる率が少なくなりまして、実は二万五千
バーレルということになったわけであります。その間非常に苦労をされたと思いますが、私はやはり
石油事業というのは、
探鉱から
開発、最後に
石油を取り終わるまでは非常にリスキーであるほかに、
産油国の
条件というものがその過程においてどんどん厳しくなるという、こういう問題に対処していかなければならぬわけであります。
時間の関係から、たくさん過去を振り返りまして申し上げなければならぬ点がございますが、もう
一つの問題は、ただいまのような株主が出合ってつくり上げていく
会社というのが幾つかの
プロジェクトに
参加をしておりますが、最近のこの不況の関係で、なかなか現在、
探鉱を継続しております増資に応じ得ないという企業が実は出てきておるのであります。失権をする企業が出てきておるのであります。それから同時に、七、八年たってみますというと、あるいは三、四年たって実際に実施してみますというと、やはり国際的に言われたように、
石油の
開発というのは、
探鉱というのは当たる確率が少ない。私のところで、すでに七社から十社
程度が率直に申し上げて失敗をしておるわけです。成功をしない企業があるわけであります。
そういうような事態と、それから、ますます
産油国の
条件が厳しくなるという問題を踏まえますというと、なかなか民間
資金の動員というのは困難になってまいります。民間がこの
探鉱開発に
参加をしないということになりますというと、あとは国でやるか、あるいは国がやれなければこの
探鉱開発にはなかなか
参加ができない、民間の意欲というものは恐らくこれからしばらくの間は鈍ってまいることは当然だ、こういうふうに
考えておるわけでありまして、こういう
内外の
情勢に対処いたしまして、先ほどからもいろいろお話がありましたが、
公団の
投融資の制度なり、これに対する助成策というものを
考えていただく必要があろうかと思います。
具体的な問題はまたここで省略をさせていただきまして、
一言、お答えになったかどうかしれませんが、これで……。