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説明員(黒田真君) お答えいたします。
まず、生産の
状況につきましては、いわゆる本場
大島つむぎというものは
奄美大島とそれから
鹿児島本土、その双方の地区で主として生産されておりますが、昨年のその双方合わせました
大島つむぎの同産地における検査数量、これを一応生産数量と推定しておりますが約八十三万反、これは四十八年の数字でございます。四十九年七十八万五千反
程度ということで、四十八年に比べますと五・四%ほど落ちた数字であるというふうに私ども把握をしておるわけでございます。なお、ちなみに十年ほど前の
昭和四十年当時は、約四十万反生産でございましたから、その後いろいろな着物の普及、着物が見直されてきたというような過程で、
大島つむぎの生産は順調に伸びてきたわけでございますが、ここのところへきて少し頭を打った。しかも特に総需要抑制下におきまして非常な節約ムードから、本場
大島つむぎのようなものが
相当な打撃、ヒットをされて、生産が落ち込んだものというふうに考えられるわけでございます。
次に、輸入の問題でございますが、これも四十五年当時から韓国に対しまして一部の業者が織りを委託しておるというような動きが起こりまして、その後逐次拡大をしておる。しかも、後で申し上げますが、表示の問題がごまかされておるというようなことから大変に問題になってきたわけでございますが、この輸入量の把握につきましては、大変申しわけないわけでございますが、なかなか本場
大島つむぎ類似の織物が韓国から何ほど輸入されておるかということにつきましては私ども的確に把握し得ない状態にございます。これは通関段階等で、非常に類似の着物の中でどれを本場系統とみなすかというようなことになりますと、たとえば村山
大島つむぎというようなものは、一見いたしましたところ素人ではなかなか見分けがつかない、むしろ製法の差というようなこともあるようでございまして、的確な数字を税関の輸入の段階で把握できない状態でございます。
したがいまして、私どもといたしましては、いろいろな扱っておる商社等の聞き込みを行いまして、一応の推定といたしまして三万反
程度、あるいはそれを若干上回る
程度ではないかというような推定もいたしてみたわけでございますが、現地ではそれでは少な過ぎる、通常の輸入量のほかに観光客の持ち帰り品でございますとか、郵便等による郵送品というようなものを足せば十万反ぐらいはあるのではないかというようなことを言っておられるということも承知しております。したがいまして、私ども現在のところでは、それが幾ばくであるかという、八十万反の生産に対して輸入が幾ばくあるかということについてはっきりした数字を申し上げる立場にはないわけでございます。しかし、さらにその辺の正確な実態を把握いたしますために、せんだって二月の半ばごろに通産省の
大臣官房審議官が訪韓いたしましていろいろ話をしたわけでございますが、その際に先方に対しまして、韓国側からもデータを出してほしいと、どの
程度生産され——その大部分は日本に輸出されておるわけでございますが、その内容について照会をいたしておりまして、目下その回答を待っておるという
状況にあるわけでございます。
どういう対策をとるかという第三の点につきましては幾つかの問題がございます。どうもこの問題は、発端が一部の業者が韓国に織りを委託して、それを日本に持ち帰ったときに、どうも本場産であるという偽りの表示をして日本の国内で売っているという表示問題というものがまず第一の問題として出てまいったわけでございます。この点につきましては、
公正取引委員会あるいは大蔵省の税関というところの協力を得まして、できるだけ不当表示というようなものを抑えていくためにいろいろな手が次々に打たれておりまして、昨日、一昨日あたり不当景品類及び不当表示防止法に基づく違反容疑として何件かの強制捜査が行われるところまで来ておるわけでございます。私どもも韓国に対しましては、やはり韓国つむぎというものは韓国産である旨をはっきり表示して、そして売られるべきであるということを先般訪韓いたしました際に申しまして、先方もそのとおりであると、従来は日本側の
要望もあって、あえて無表示のものをつくったという経緯はあったけれども、今後はそういうことはしないつもりだということをはっきり申しておりまして、その旨の措置をとったものと了解しております。ただ、これには従来の仕掛かり品等もございますので、向こうの約束した翌日からすべてのものに表示があるというわけにはいかない面もございますので、若干の時間をかしながら見守る必要があろうかと思っております。
それからもう一つは、現地の非常な不安の大きな
原因は、韓国が農村における非常に有力な現金収入商品としてこういったものを大いに
振興しているのではないか、特にいわゆるセマウル運動と言われております中の有力な
振興対象としているのではないか、もしそうであれば、行く行くは産地は壊滅してしまうというかっこうでの将来に対する非常な不安がございました。この点につきましては、せんだって参りました際にはっきりと先方は、セマウル運動の目玉にはしないと、それから七五年以降当分の間絹織物の織機の増設を認めないこととするという話を、確約を向こうがした次第でございます。
さらに、輸出の問題につきましても全般的な繊維の貿易問題がいろいろございますが、その中でも特にこの
大島つむぎの問題は、
離島性と申しますか、あるいは主要な
奄美の産物である、容易に他に転換する余地もないという非常な特殊性ということを先方にもよく説明をいたしまして、その点は先方も十分理解をして、今後は秩序立った輸出ということで、急激な増加による産地への打撃をやわらげるということで話をし、今後さらに具体的に煮詰めていきたい。
以上でございます。