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国務大臣(
宮澤喜一君) ただいまの
亘委員の
田委員に対する御
質問は、主としてこの
法律案の第四条及び第五条に関するものであったわけでございますが、忌憚なく私の
考えを申し上げさせていただきますと、この
法律案を拝見した限りでは、やはり第四条、第五条あたりの構想、物の
考え方という点で、
経済協力というのはやはり
一つの
交渉であるということについての、はなはだ失礼でございますけれ
ども、御認識において私
どもと異なっておるのではないかというふうに
考えるわけでございます。
もとより
経済協力というのは、こちら側の
善意と
好意に基づいていたすものでございますけれ
ども、やはり
わが国自身の財力、資源に限りがある。そうして
協力を受けたい国が多数ある。その
要求額も非常に膨大であるということでございますから、どうしても
話そのものは
交渉という
性格を帯びることが否定ができません。そういたしますと、これは
委員各位に対してまことに卑近な例を引きまして失礼かもしれませんが、やはり
交渉というのは、こちらはできるだけ低くまとめたい、
先方はできるだけ有利な、高いところでまとめたいというような
意味におきましては、
一種の
賃金交渉のようなものと
性格が、
交渉でございますから、本質的に似ておるところがございまして、しかも、せんだってもちょっとこれは失礼な
意味でなく申し上げたつもりでありますが、
政府としてはこの
法律の結果、
一種の
当事者能力を持たない形に非常になりやすいわけでございます。のみならず、実は
交渉する
立場というのは、こちらの最終的な腹をこちらも示さない、
向こうも示さない、そうして
お互いやはり遠いところから話を始めまして、最終的にまとまったときには
両方ともある程度不満であるという状態においてしかまとまらないという場合が、いわゆる
交渉というものは私はそういうものだと思う。互譲というのは、裏から言えばそういうことであろうと思うのでございます。
そこで、先ほど
亘委員と
田委員との
お話の中で、たとえば
ダムの話が出ておりました。
ダムでも橋でもよろしいのでございますが、これなんかは
経済協力の
交渉の中で一番単純な
ケースでございます。恐らくこの
法案の
提案者がお
考えになりましたことは、ここに橋をかけるというようなことは、橋の
コストというのは客観的に幾らかということはわかるはずである。したがって
協力が必要なことであれば、その
協力に要する
予算というものは客観的に算術でもってわかるはずであるから、それを出してきたらいいではないかというふうにお
考えだと思いますけれ
ども、仮にその橋をかける
コストが客観的にわかるといたしましても、私
ども経済協力をいたします態様で申しますと、それならば橋について、これは
資材の
部分については
輸出入銀行がどれだけファイナンスをするか、あるいは、橋はしかしこれは実はインフラストラクチュアに関するものであるから、むしろ
協力基金においてもっと
金利の安い金を出すべきではないかという
先方の主張がある。そういたしますと、
輸銀の
条件と
協力基金の
条件は当然のことながら違ってまいりますから、それをどういう比率においてやるかというようなことは、これはどうしてもやはり
交渉の
対象にならざるを得ない。
先方は安い
金利、長い金というものを当然要求いたします。
わが国はそうばかりはいかないという
立場になります。
それからまた、こういうのは主として
発展途上国でございますから、橋をかけるためにその国の人々をやはり雇用する。これは大変大事な
目的でございますから、
政府としてなるべくその国の人人に仕事をさせてやりたい。またその事業に、ある
意味では
労働力としても参加をしてもらいたい。しかし、その国には実は自分の国の
国民に支払う賃金なり、分担いたします
資材費なりがないということはしばしばございます。そういたしますと、私
どもはその
部分について、場合によりましてはそれではその
国民生活に必要な
肥料を、あるいは鉄材にしても
消費物資にしてもよろしゅうございますが、これを
協力であげますから、あるいは長期でお貸ししますから、あなたは
肥料なり
消費財を売って、
政府がその
売り上げ代金で
国民をお雇いなさいと。いわゆる
ローカルコストとよく私
ども申します。それの
部分についても
経済協力が当然かかってくる。
発展途上国のおくれた方の国では、やはりそうしてあげることが親切でございます。そういう
ローカルコスト分をどれだけこっちが見るかというようなことも、これもどうしても
ネゴシエーションの
対象にせざるを得ない。
つまり、私の申し上げておりますのは、橋をかけるというような最も簡単な種類の
経済協力でありましても、いま申しましたように、こっちが
輸銀であるとか
基金であるとか、それをどういう割合にするとか、
ローカルコストをどういう
条件で
協力の
対象にするとか、これはもうそんな簡単な
ケースでも、幾つか実はネゴシエートしなければならない
部分がございます。これは一番簡単な
ケースについて申し上げました。したがって、この
経済協力交渉が
ネゴシエーションであるということは、どうしても否定できないことであろうと思います。そういたしますと、
ネゴシエーションに伴う先ほどのいろんな問題が出てまいります。
そこで、
普通ネゴシエーションの場合、
両方がぎりぎり詰めまして、
お互いの
立場もある、ここでもう不満足だが妥結しましょうということで私
どもやってまいっておりますが、この
法律案によりますと、今度私
どもそれを
国会に持ってあがらなければならない。原
計画と同じであれば問題はないわけでございますけれ
ども、そうでない場合には持ってあがらなければならないという
立場にあります。そういたしますと、
交渉いたしますときにいわゆるこれは
当事者能力を欠く
交渉をするわけであって、これを
国会に持って伺う。否決をされた場合には、
相手国との間でぎりぎりまとめました
最後のところの話はもう一遍やり直さなければなりません。しかし、本当にこれは
両方精いっぱいやった話の結果でございますから、
国会がだめでしたからやり直してくださいというようなことは、それは言えとおっしゃれば申しますけれ
ども、
向こうがどうしたって何でおまえはそんなへまな話をしたのだ、全部話は初めからもとへ戻ってやり返さなきゃならない。しかも、
わが国はこういう民主的な国でございますから、それが
国会で減額されたとかいうようなことは、もう
相手国にはすぐわかるわけでございます。
そうしますと、いっぱいいっぱい誠意をもって努力したのに、
日本の
国会でけられてしまったということになれば、
向こうの
交渉当事者というのは
国内でこれはもう合わせる顔はないわけでございますし、また、そういうことがわかっておりますと、先ほど
亘委員がいみじくもおっしゃいましたように、うんと高い値でかけておけ、
国会が二割減額するのならそこへ落ちるようにというような、これは普通でしたら、やはり
交渉のタクティックスとしてはそれは当然
考えるわけでございます。私
どもにすれば、今度はまた同じような心理が働き得るので、これは
国会でもしかしたら減額をおっしゃるかもしれない、そうすればそれも
考えておかなければならぬかなと、よくないことでございますかもしれませんが、やはりそうせざるを得ないということになります。
それからまた、
政府としてはこの額がもう、ぎりぎりいっぱいであると
考えた。
向こうも仕方がないということで
政府のレベルでは話がついたが、
国会がそれを減額なさるということは、恐らく
相手の
政府にとりましては、
日本の
国会が何かそこへ
一つ価値判断を交えたということにやはりならざるを得ないかと思うのでございます。つまり、これは
条約と違いますところは、
条約でございますと、
国会においてはっきり御
承認を得ることができるか、あるいははっきり御
承認を得られないかということでございますから、
事柄はかなり明瞭になりますけれ
ども、あの国に橋をかけてやるということは大変悪いことだと思って
国会が全部否決してしまわれれば、これは
一つのお
立場ですけれ
ども、悪いことじゃないが、そんなに金を出す必要はないではないかという
お話になりますと、勢いこの第五条における
国会の御
承認というのは、まるまる
承認でなければ、減額してこの程度ならいいという
お話にやはりなるのであろうか。そうした場合に非常に
相手国とはむずかしい問題を起こす。
るる申し上げましたが、実務をいたします者としてはそういう
感じがいたすわけでございます。