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川村清一君 それははなはだ私は言い逃れだと思うんです。そんなことはないです。大体アメリカにしろ、カナダにしろ、
ソ連にしろ、あるいはもうラテンアメリカの国々はなおさらのこと、三海里なんという国が一体ありますか、この漁業先進国で。全然ないでしょう。二百海里あるいは三百海里なんと言って宣言している国もあります。みんな勝手にやっているでしょう。大体国連海洋法
会議というのは一九五八年、一九六〇年、二回やっても決まらなかったじゃないですか。その後一体アメリカはどうしました。ソビエトはどうしました。カナダはどうしました。みんな勝手にやったじゃありませんか。勝手に宣言しているじゃありませんか。
日本だけそんなことを言っているんじゃありませんか。そんなことは
大臣通らないです。
もう話している時間がありませんからやめますが、まだ墓参の問題、
日本人の帰還の問題、たとえば未帰還邦人の帰国問題について
話し合いましたと言う、ならば未帰還の邦人が何人ほどいるか、どこにいるか、そしてどんな生活をされておるか、こういうことを一体
調査されているのかどうかというような問題があるわけです。墓参の問題でもそうであります。いろいろ申し上げたいんですが、時間がありませんのでやめます。
しかし、最後に一点だけ申し上げて、
大臣のお
考えを聞きたいんでありますが、この
北方領土返還の問題は、これは大変な問題でございます。
沖繩は
日本人が住んでおったから何とか問題が
解決いたしました。
返還の国論というものが
沖繩を中心にして全国的に盛り上がった、それを背景にして
政府は
交渉して実現した。だが、この北方の
領土には
日本人が一人もいない。全部強制的に立ち退かされまして一人もいない。したがいまして、島の中から運動が起きてこないという、そうしてまた、北辺の地でありますから、全国的にも
国民の
関心は
余りない。世論が盛り上がってこない。したがって、強力に
ソ連と折衝するいわゆるバックの力が弱いということ、これはやはり実現を困難にしている大きな理由だと思うわけであります。
歴代の
外務大臣はこの北方視察に一度も行っていらっしゃらない。ですからせめて
宮澤外務大臣、一度根室へ行って納沙布岬の先から北方の島々をひとつ見ていただきたい。そのことによって、これはどうしても
返還を実現しなければならないという気持ちが大きくあなたの胸の中に生まれてくると思うわけであります。佐藤元
総理大臣が、
沖繩が返らなければ戦後は終わらないという名文句を吐かれましたが、
宮澤外務大臣も一度北方へ行かれて何か名文句を吐かれて、そして国論が盛り上がる、その口火をひとつつくっていただきたい、このことを私は強く要望したいんです。
それからもう一点、それは
北方領土が
ソ連の手に入ってからすでに三十年、当時一歳の子供もすでに三十歳、どれだけの人がいるかわかりません。私は三年ほど前サハリンに行きまして、昔の真岡、私の住んでおったところですが、真岡、本斗、野田、豊原、いまユジノサハリンスクといいますが、そこへ行ってみました。もちろんみんな
ソ連の人たちが、子供、若者たくさんいるんですよ。あそこで生まれた人がたくさんいるわけだ。それはその人たちにとってはもうすでに故郷になっている、ふるさとになっている。いかに
ソ連が社会主義の国といいながら、やはり民意を尊重しないで勝手に返すとか返さないとかということもなかなかむずかしいと思うわけであります。あの土地に生まれ、あの土地をふるさとにしておる
ソ連の住民がもうたくさんいるということ、この人たちは潔く
日本に返すことを恐らく賛成はしないんではないかと思うわけであります。でありますから、この問題は長引けば長引くほど私はむずかしくなると思う。できるだけ早期に
解決するように一段の御努力を願いたいと思う。
以上、申し上げまして、簡単に
所信一言だけ述べていただきたいと存じます。