○青柳
委員 いまの
お話のように、司法研修所規程の四条というのを読んでみますと、二項のただし書きに、「研修の企画その他の重要な事項を定めるには、教官
会議の議を経なければならない。」そして四項には、「司法研修所長は、司法研修所規則第三条の規定により
嘱託を受けた者を教官
会議に参加させることができる。」これで弁護教官はいわゆる
嘱託された教官、非常勤の教官としていまの
お話のように発言権があるわけなんですね。責任もあるわけです。こういうことが果たしてどの
程度に機能を果たしているのか、実際私にもよくわからない。案外と教官
会議というのは形骸化されて、上席
会議とかいうのがあったりして、結局は所長さんの一方的なやり方といいますか、それを追認するというか、
報告を受けて了承するという
程度の機能しか果たさない。こういう点で、管理運営についてはむしろ抜本的に
考え直して、たとえば法曹三者及び国民代表を構成員とする管理運営
委員会というようなものを創設してやるべきではないかという、積極的な改革案もあるわけなんです。それはそれなりに推進すべきものがあると私は思うのですけれども、それはいまの問題ではありませんから後回しにいたしまして、現行の中でもこういう
制度があるわけですね。
そうだとすると、この弁護教官というのは法曹三者の中の弁護士会を代表して、修習について、また研修所の運営について在野法曹の意向を反映する、そういう任務もあるのじゃないか。ただ技術的な面で修習生に弁護の技術を教えるとか、あるいは在野法曹としての人権感覚を修習生に与えるとか、もちろんそのことは重要であります。決して私はその重要性を少しも過小評価するものじゃありませんが、しかしまた、それと同時に、それと無関係ではない弁護士会の修習
制度に対する
要求、意向というものを反映する立場の人間ではないか。別に、選ばれてチャンピオンとしてそこに送り込まれるというようなものではないにしても、そういう性格が全然ないということにはならないと思うのですね。やはり弁護士会の権威をもそこに代表してもらうという含みもあると思うのです。だから、人格、識見に秀でている人であり、
憲法や人権に関する感覚がすぐれておる、法技術にも精通しているというような、そういう者が選ばれていくわけですから、この根本的な
考え方ですね、やはり三者で協力し合ってこの司法修習
制度を運用していくという
考え方が基本にあれば、私は、先ほど
お話がありましたような、何か人事については、あるいは管理運営については
最高裁が権限があるんだからといったような形式論でなしに——もちろんそういう権限があるという形式をわれわれは否定するものじゃないのですけれども、それを何か金科玉条のようにして、だから
裁判所の方では人事について自主性を持つために、下請じゃないんだから、
向こうが決めたのを全部のまなきゃならぬみたいな形はまずいといったようなことはすべきじゃないと思う。ただし、弁護士会が責任持って推薦してきたといっても、それぞれ立場の違いがあり、見解の相違というものはあるんだから、最高
裁判所として
考えてみると、弁護士会では最良と言われるのかもしれないけれども、われわれの方ではそうも思えないというようなこともあり得るとは思うのです。
しかし、そこをどう調整するかの問題は別といたしまして、何かもう、
最後の断は自分の方で下すから、その調整なんということは必要ない。おまえの方で複数で出してくればいいんだ、倍数で出してくればいいんだ。それから順序だって狂わせるよ、割り当ても狂わせるよ。割り当てといったって別に
法律で決まっているわけじゃありませんけれども、大体東京弁護士会から何名、一弁、二弁それぞれ何名といったような実績もあるわけです。会員の数からいっても、いろいろの
意味からいっても、多少その人員の差異というようなものもあると思うのですね。そういうことを全然頭から除いてしまって、好きなようにやっていいんだということは、どうも何かそこに底意があるのじゃないか。今度私どもも資料としてもらいました最高
裁判所あての東京弁護士会、第二弁護士会、それから日弁連の抗議文書、これ、いずれを見ましても、今度の措置は「思想、信条を問題としたものと推測される」ということが全部言われていますね、この三者とも。これはどうですか。この点何か弁明の余地、ありますか。