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1975-04-15 第75回国会 衆議院 法務委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年四月十五日(火曜日)     午前十時四分開議  出席委員    委員長 小宮山重四郎君    理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君    理事 田中伊三次君 理事 田中  覚君    理事 保岡 興治君 理事 稲葉 誠一君    理事 横山 利秋君 理事 青柳 盛雄君       小澤 太郎君    木村 俊夫君       小坂徳三郎君    小平 久雄君       濱野 清吾君    福永 健司君     早稲田柳右ェ門君    中澤 茂一君       八百板 正君    諫山  博君       沖本 泰幸君  出席国務大臣         法 務 大 臣 稻葉  修君  出席政府委員         法務大臣官房長 香川 保一君         法務省刑事局長 安原 美穂君  委員外出席者         警察庁刑事局参         事官      森永正比古君         最高裁判所事務         総局刑事局長  千葉 和郎君         参  考  人         (中央大学教授下村 康正君         参  考  人         (弁護士)   柳沼 八郎君         参  考  人         (東京大学教         授)      西  義之君         法務委員会調査         室長      家弓 吉己君     ――――――――――――― 四月三日  大阪能勢町の登記所存続に関する請願(村上  弘君紹介)(第一九〇五号) 同月十四日  大阪能勢町の登記所存続に関する請願(近江  巳記夫君紹介)(第二二九七号)  検察審査会法改正に関する請願沖本泰幸君  紹介)(第二三一五号)  法務局、更生保護官署及び地方入国管理官署職  員の増員等に関する請願鈴切康雄紹介)(  第二三三六号)  同(日野吉夫紹介)(第二四四八号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  刑事補償法の一部を改正する法律案内閣提出  第四八号)  刑事補償法及び刑事訴訟法の一部を改正する法  律案横山利秋君外六名提出衆法第二号)      ――――◇―――――
  2. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 これより会議を開きます。  内閣提出刑事補償法の一部を改正する法律案並び横山利秋君外六名提出刑事補償法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として中央大学教授下村康正君、弁護士柳沼八郎君、東京大学教授西義之君、以上三名の方に御出席を願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の皆様には、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。  当委員会におきましては両案につき慎重な審査を行っているのでありますが、本日参考人各位の御意見を承りますことは、本委員会審査に多大の参考になることと存じております。参考人におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  それでは、まず参考人からお一人十分程度意見をお述べいただき、その後に委員の御質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、質疑応答の際には、その都度委員長許可を得て御発言をお願いいたします。  それではまず、下村参考人にお願いいたします。
  3. 下村康正

    下村参考人 ただいま御紹介いただきました参考人下村でございます。  十分という一応時間の限定がございますので、ごくかいつまみまして、一応政府案並びに議員提出法律案について自分の考え方を述べさせてもらいたいと思います。  大体、論点は四つあるようでございまして、一つ補償金額の問題、第二番目には非拘禁補償の問題、第三番目には被疑者補償の問題、第四番目に費用補償の問題、こういう四つに分かれているようでございますので、その一項目ずつにつき、大体結論的な部分を簡単に御案内しておきたいと思います。  まず、この補償金額引き上げの点についてでございますが、一応政府案とそれから議員提出法律案との間に開きがあるようでございます。実は私は、こういうような手続において、精神的な損害といいますか、あるいは苦痛をこうむった者に対する補償の問題について、日ごろから講義その他でも非常に関心を持っている者の一人でございまして、もちろん適正に真に補償さるべき者が補償されるべきであるという点については何ら異論はございません。ただ、これは後の問題にも関連いたしますが、この補償金額の具体的な額になりますと、私どもでは、果たしてどれが絶対的に適当な額であるかという点については必ずしも明瞭でないところがあります。三千二百円、最高額がこのように政府案では改正されるようになっておりますが、議員提出法案によりまするとこれよりはるかに高額ということになっております。  精神的な損害という点は金額に見積もり得るものかどうかという絶対的な問題を出しますと、これは見積もり得ないと答えざるを得ないのでありますが、たとえば刑事事件等被害者片腕を切断された、これは幾ら金額で賠償しましても切り落とされた片腕がまたもとに返るわけではございませんので、絶対的な補償という点はこの点では不可能であります。結局相対的に何らかの基準を設けて額を決定せざるを得ないということになるわけであります。そうなりますと、一つ考えとしては、多ければ多いほどよろしい、あるいは考えられる最高限を取り上げるということも一つ意見であると思いまするし、この点、議員提出法律案の方にはさような配慮が十分働いているのではないかと思います。他面、それではこの政府案金額が不適当であるか、こう考えますると、私ども詳しい経緯はよく存じませんが、従来この点についても当委員会でかなり議論があったようでございます。その結果、現行法が二千二百円でございます。これに見合う、そしてかなり、他のさまざまな費用手当等との比較の上で三千二百円という額が決定されているようでございますので、私個人としましては、これが決して十全なものであり、十分なものであるとは考えておりませんが、やむを得ない額ではなかろうか、相対的な基準に立ってかように考える次第でございます。  さて、第二点の非拘禁補償でございますが、これについても、御案内いただきましたこれまでの委員会議事録を拝見しますと、かなり論点が出尽くされているようでございます。ただ私は冒頭に、憲法のいわゆる補償意味を越えて、非拘禁のいわゆる無罪判決を受けた者に対しても補償すべきであるという議員提出法律案趣旨には賛成でございます。ただ、その趣旨をいかに生かすべきかという問題になりますると、現行法体系もとで果たして合理的な案が得られるかどうか、この点について幾つか疑問を有しておりまして、現段階ではさらに検討を要するものがあるのではないか、一気に賛成できないという感じに到達するのであります。  その具体的な点だけを一つ取り上げてみますと、たとえば、無罪という場合に、真に補償を受け得べき者だけが無罪という判決を受けるという制度になっていれば格別でございますが、現行刑事訴訟法はその三百三十六条におきまして、「被告事件が罪とならないとき」または「犯罪の証明がないとき」に無罪判決を言い渡すということになっております。この「被告事件が罪とならないとき」この場合が一番典型的な無罪の場合ではないかと思います。ただ、学問的に考えますと、この「罪とならない」ということにはさまざまな意味がありまして、たとえば、専門用語で恐縮ですが、条文に当たる行為すらなかったという意味行為性あるいは構成要件該当性がない。あるいは、殺人行為はあったけれども正当防衛違法性がない。あるいはまた、違法ではあるけれども行為者が刑法三十九条、この適用を受けまして、一項ですが、心神喪失のゆえでこれを罰しないという規定適用を受ける場合と考えてみますと、すでに私自身もかつて、ある心神喪失状態殺人を犯した医師が拘禁されまして、その後で無罪判決を言い渡され、刑事補償を受けたというケースに関して、あるテレビ局に招かれまして、さまざまな意見の上で参考意見を述べてくれという事態に遭遇したことがございます。私はどうも、責任無能力状態でたとえば殺人罪を犯したという場合に補償の必要があるだろうかということについては、当時から現行刑事補償法についても多少疑問を持っております。違法行為すらなかったというのであれば格別でありますが、違法行為を行った、しかしそれにもかかわらず責任能力を欠いたために無罪となったという場合のごときは刑事補償の対象とする必要があるのだろうか。当日集まった三十人前後の一般の方の全意見は反対でございました。あたかも私がその法律をつくったかのごとき非難を集中されまして、はなはだ閉口した記憶がありますが、こういう場合を含めて無罪ということを考えると、一体一律に、無罪の場合で非拘禁の場合に補償すべきであるという見解に一気に到達できるかどうか。  なお具体例幾つか調べてみますと、強姦未遂で犯人を逮捕した。強姦罪は御存じのとおり親告罪でありますから、告訴権者告訴がなければ検察官起訴できません。そこで、持っていた、たとえば短刀を問題にいたしまして銃砲刀剣等不法所持でこれを起訴する。ところが事後において、この事案では携帯許可証を持っていたということが判明しますと、これは無罪ということになってまいります。その他、窃盗容疑で逮捕、そして起訴したところが、共犯者が窃取したものを単に運搬しているにすぎないという、贓物運搬というケースもあります。この場合に、贓物運搬について罰すべきほどの理由がないということになりますと、これは恐らく無罪ということにならざるを得ないと思いますが、かような幾つかのケースを取り上げてみますと、無罪ということで非拘禁者保護という問題を取り出しますと、補償制度の真のねらいであると思いますが、補償すべき者、つまり真に補償すべき者に補償するという筋が多少歪曲されてくるのではないかという疑問がございますので、この点、一気に賛成できないという理由一つとして御案内しておきたいと思います。  次に、被疑者補償に関しましては、時間の関係もありますので簡略にいたしますが、これは、いわゆる公訴権検察官が独占するという制度と果たして矛盾しないだろうか。特に公訴提起をしない場合には大きく分けて二種類ありまして、二百四十八条に基づく起訴猶予の場合、これは、証拠は十分あって証明もできるけれども、刑の目的を達成するのにふさわしくないという観点から検察官公訴を提起しない場合、他方、狭義の不起訴処分の中には、嫌疑のない場合と証拠不十分という場合があります。この嫌疑のないという場合が最も被疑者補償という問題に直結するのであると思いますが、この証拠不十分の場合を含めましてすべて被疑者補償するという問題が起きますと、検察官は、そういうことは私はないと思いますが、起訴猶予を渋って公訴提起に持ち込むという可能性は出てこないだろうか。  また、もし被疑者補償というものを中心に考えますと、恐らくは被疑者補償請求権を認めるという論法にならなければ筋が徹底しないと思いますが、そのときに、この請求訴訟について裁定をする者は一体検察官であるか裁判官であるか。仮に検察官であるとしても、現行刑事訴訟法上、司法警察職員とそれから検察官とは協力関係ということで、別個の体系にはなっておりますが、しかし俗に検察一家あるいは警察一家と言われますように、外部から見る限りは一体のものであるという判断を受けやすい立場にありますから、当然に裁判官という第三者による、この処分の妥当であったかどうかという吟味が必要になると思います。そうすると、刑訴二百四十七条の「公訴は、検察官がこれを行う。」という規定との矛盾を一体どう解決すべきなのであるかという点に思い至りますと、なおこれに関連する細かい問題点はございますが、被疑者補償ということもどうも私は一気に肯定することができないのではないか。  むしろ、私はこういう刑事訴訟法等講義をしておりながら大変不勉強で申しわけないと思ったのでございますが、被疑者補償規程というのが存在するそうでございます。これはいままでにもこの委員会で、実は知らなかった、そういうものがあったのかという御発言があったようでございますが、私も実はこれはよく知りません。ある機会に初めてこれを知ったのでありますが、この制度をもう少し活用して、現行規程よりもさらに広くその適用を図るという方法で積極的に前向きの考え方が構成できないのだろうか。その点で何とか、いま議員提出法案との折衷ということが考えられないかということを考えております。  なお、最後の費用賠償の問題に関しましては、私は原則として費用賠償をしてやった方がいいと思うわけですが、ただ問題は、どの程度までの費用補償すべきであるか。特に、被告人が失った利益というものを固定できるのならば別でございますが、その点、細かい技術的な点に関しましては、私、弁護士等のいわゆる経歴がありませんのでよくわかりませんので、確定できるものならばしてやってもいいのではないか。ただ、若干事情を調べてみますと、確定しにくいという要素があるようでございますから、この点、疑問をとどめつつ、なお、確定できるかどうかという点についてのまた確実な資料等ございましたならば、さらに続けて考えを述べさしていただきたいと思います。  時間の制約がありまして、ちょっと延びたようでありますが、一応この程度で私の意見陳述を終わりたいと思います。
  4. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 ありがとうございました。  次に、柳沼参考人にお願いいたします。
  5. 柳沼八郎

    柳沼参考人 御紹介弁護士柳沼でございます。  日弁連がこの改正案に対しましては、特に議員提出の案につきましては、すでに昭和四十年の理事会決議をもちまして、運用実情等にかんがみましてぜひ推進すべきであるという決議をいたしまして、それが動機、縁由となりまして具体的案ができて、すでに四十三年、四十八年、そうして今回と、三回の提案となっているように思われます。したがいまして、公式には日弁連としてはぜひこの議員提案の実現、成立、公布の日の早いことを祈念いたしますけれども、本日申し上げます私の意見は、これらの日弁連公式見解を踏まえまして、私個人見解であるということをあらかじめお断りしたいと思います。  政府案のまず補償額基準引き上げでありますけれども政府案議員提案、ともに物価のスライドないしはその他の経済事情の変化に伴う引き上げということで、その方向としましては私ども全く異存はございません。  問題は、上限が片方が六千円、それに対して三千二百円というふうになっている点でありますけれども、この点は、裁判所適用した実例にかんがみますと、上限がかなり高くとも、裁判所としては高きに過ぎるという決定を出していることはございません。というのは、幾つかの例を見ましても、裁判所はほとんど無条件に、現行の二千二百円の場合に二千二百円を認めております。というのは、むしろいかに上限が低いかということの実例かと思います。下限につきまして現行の六百円が少ないことは、法務省提出されている資料その他によって十分であります。問題は、八百円に対しまして千五百円という、そこにかなりの差がありますけれども、この問題は、先ほど下村先生も御指摘のように、同じ無罪にもいろいろな種類があるということも関連いたしまして、下限をかなり低く抑えておいて、いわゆるノミナルダメージというか、心神喪失理由とする無罪のような場合であっても、ともかく拘束をされたという事実に対して補償する。もし警察官の方なりあるいは検察官が、親族、本人の言い分を十分に聞いて十分な捜査を遂げておったら、心神喪失者のその違法行為に対する起訴はなかったのではないかというような場合も考えられますので、現行のところ、下限を低く抑えて運用を合理的にするという方法でよろしいのではないか、こういうふうに考えます。いずれにしましても、拘禁期間中の補償引き上げについてはそのように考えます。  それから死刑執行の場合について、政府案が一千万円なのに対して、たしか議員提案の方は千五百万円となっております。参考となるのは、自賠法の施行令二条に規定する保険金額、死亡の場合の上限でありますけれども改正されまして現行一千万円。しかしこれも、人命の尊重、尊貴なことを考えますと、一体交通事故と同じように考えていいだろうか。少なくとも訴訟手続を経て、国家の統治作用の一環としての司法が人を誤って殺したという結果になったわけであります。そういう場合に、交通事故のように市民間の不法行為というものと同様で一体いいだろうかということを考えますと、一千万円に対しては、やはりその五割増しぐらいの千五百万円という数字は決して高きに過ぎるものではない、こういうふうに考え議員提案の方に私どもは賛成したいと思います。  次に、問題の、拘禁者補償にとどまらず非拘禁期間中の損失についての議員提案でございます。私は率直に言って、憲法論の問題は何ら障害にはならないということが一つ。と申しますのは、憲法四〇条が規定している補償要件としての抑留、拘禁というものは、ぜひ立法をして、その場合に補償をしなければならない、かかる立法をしなければならないということを義務づけておりますけれども、その具体的の補償の仕方につきましては、適用の範囲をどうするか、基準額をどうするかということは、まさに国会の皆さんがその時代の人権感覚、そして社会情勢その他の事情を考慮して、憲法精神を敷衍する形で、発展させる形で規定すればよいのであって、運用実情がまことに現行刑事補償法では不十分だということが認識されるならば、恐らく問題はなかろうと思うのです。  というのは、ここに一例を申し上げますけれども、ある会社社長さんが昭和三十九年に業務上横領と商法違反及び詐欺で起訴されました。ところが、九年五カ月を要してようやく一、二審無罪になりました。一審は一部無罪でありましたが、二審では全部無罪になりました。そして受けた損害補償は、規定の満額ではありましたけれども、わずかに九万四千六百円でありました。ところが本人は、これは二部上場の会社社長さんですけれども技術屋で、発明家でもありましたが、特許その他を失い、株を失い、かつ会社がつぶれました。残ったものは数億の保証債務であります。この人の場合は技術屋でありましたので、ようやく十年後には何とか小さい会社を立てることができましたけれども、この事件の発端を考えてみますと、何としても企業間の乗っ取り争いに警察検察権力の方が利用されたという結末であります。失われた十何年の実業家としての生命はもとより、家族や周辺の者の精神的損害、それから物質的損害、特に費用等は莫大なものであります。裁判所に申請した証人は弁護側だけで二十名くらい、地方に出張したことが十日以上というようなことで、費用は少なくとも百万以上の実費がかかっているかと思います。そのような状況の中で彼が得たものは何と、先ほど申し上げましたように九万何がしであります。この場合には法二十四条の公示の申し立てをいたしましたところ、裁判所はそれを認めましたが、最高裁判所に予算の関係上あらかじめ打診したところ、三紙という法律規定はあるけれども一紙にしてくれないかという申し入れもあった。しかし裁判長がやはりこれは三紙に出すべきであるということで交渉の結果三紙になりましたが、そのうちの一紙は地方版にとどめてほしいというような状況であります。これが運用の実際であります。  いまのは民間人でありますけれども、これが公務員や公共企業体職員であった場合には、すでに四十三年、四十八年の改正案のときに本委員会において同僚の大野弁護士田邨弁護士等が述べているとおりであります。つまり、六割の給与を受けられるのが起訴期間中の最高のものであって、むしろゼロのところもあるという状況であります。民間会社も同様であります。  そうだとしますと、憲法論議障害がないとするならば、立法府においてぜひ憲法精神を敷衍する形で、決して拡大するのではなくて、合理化する、補正する、補完するという形において立法せられるのが相当であろうと考えます。  時間もありませんので、被疑者補償規程に関しては簡単に述べておきたいと思います。  被疑者補償規程問題点は、何と言っても利用度がきわめて少ないという実績です。法務省から提出された資料によりますと昨今はほとんどゼロであります。四十三年に六名、四十四年に二名、四十五年に三名、四十六年に五名、四十七年にやや多くて四十五名、四十八年に六名、四十九年に一名の受理に対しまして、結局認められたのは、いまの順序で申し上げますと二、二、一、ゼロ、二十七と十七、二、そして四十九年はゼロということになっております。大変に少ないのであります。起訴猶予の件数からいたしますとまことに九牛の一毛にもならないという状況であります。これがどういう原因に基づくものか等々については、また後ほど考えるところを述べたいと思います。  それでは時間になりましたので、質疑のときにさらに追って補足いたしたいと思います。
  6. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 ありがとうございました。  次に、西参考人にお願いいたします。
  7. 西義之

    西参考人 私はドイツ文学を専攻といたしておりますので、法律には弱く、評論活動もしておりますけれども、こういう法律問題を扱ったことがございませんので、有識者であるかどうかもみずから疑問に思っておりますが、いろいろ、にわか勉強でありますが、勉強させていただきました。しかし時日がございませんので、相変わらず全く素人じみた意見でございますかもしれませんが、少々しゃべらせていただきたいと思います。  法案は、私の拝見した限りでは大きく三つの部分に分かれておりまして、一つ補償金額引き上げでございますが、これには私はそれ自体特に異議はございません。しかし、どれくらい上げたらいいのかということになりますと、双方とも、つまり法務省側基準もそれからもう一つの方の算定基準も、ちゃんと基準ははっきりしているんですけれども、にもかかわらず非常に差が開いておる。これは私たち素人にはいよいよ判断しかねるということになります。それで、過去にもこういう引き上げがあったと思うのですけれども、そのときどういう計算をもとにしたのか存じませんけれども、私がここで申し上げられることは、そういう過去の問題も参考にいたしまして十分国会で御討議願えたらという程度にとどめたいと思います。  第二の問題点は、いわゆる非拘禁期間についても補償しろというものだと理解いたしております。この提案理由の文面に即して考えてみましたが、ここには、「現在の法制及び日本の一般社会取り扱いにおいて、国民拘束、非拘束にかかわらず、汚名を着せられる、信用を失墜する、それから身分不利益取り扱いを受けているのが実情だ」というのが理由に挙がっております。それから第二に、「裁判に要した費用一般国民平均的収入から見れば決して少ないものではないので、かかる精神的、物質的損害ははかり知れないから、そのためにその人の人生の大半が失われる場合も決して少なくない」ということによって提案理由が根拠づけられております。しかし、私はこれをさらっと読んだときにまずひっかかりましたのは、拘禁、非拘禁にかかわらずという一節がまずひっかかりました。私は全く素人なので、本当にかかわりないのか、身分上の不利益取り扱いを受けているのが実情なのか、これは実情を知らない者が軽々しく言えませんけれども、これが実情であるという根拠も示されていないのでちょっとためらった次第でございます。  私の申し上げたいのは、第一に、実情だと断定されるような納得できる根拠が、もっと数字とか統計などで示していただければ、私たち大多数の素人である国民も納得するんじゃないかということであります。私は、この実情という断定を前にして困惑いたしますのは、素人でも、刑事訴追を受けるケースが非常に多様であるということを承知しているからでございまして、これを簡単に一つにくくって、すべての人が身分上の不利益を受けているのか、あるいは信用を失墜したのか、あるいは犯罪者として汚名を受けているのかという問題でためらってしまうわけであります。私たちの文学の分野では、このごろはやりの言葉で言いますと、総論でなくて各論が非常に重大なんでありますが、ここでは非常に総論が言ってあるような感じがいたします。私が新聞などで承知している限りにおきましては、非拘束の問題の方で一向社会的に身分上の不利益を受けてなくて、市長さんになったなんて方もいらっしゃいますし、非常にわからないケースがたくさんございます。もちろん全部が全部そうであるとは私も思っておりません。汚名を受けたり信用を失墜したりというケース身分上の不利益取り扱いを受けるケースがないなんということはこれは断言できないと思います。そうしますと、私が知っているのが例外だ、不利益を受けてないケースが例外だと言うこともできるわけであります。しかし、いろいろ読んでみますと、ひどく身分上の不利益を受けた例を出されても、これがどのくらいのパーセンテージを示しているのか、このデータがよくわからないので、これもまた特殊な例外かなというような疑いも持ってしまうわけであります。  この一律性が補償額にもあらわれておりまして、無罪の非拘禁者には一律に、しかも最高六千円の半分というのが出ているように思われます。法律に限らず、一般政策でも、私は素人なりに、全部いいことが結果として起こるとは思わない、デメリットというのもあるわけなんで、いわば、ある意味においてすべてのものはもろ刃の剣のようなところがあると思います。これは大学の行政においても同じでございますが。私は、このようにもし改正されるならば予想できる、あるいは、起こってはならないことなんですけれども、最大のデメリットは何だろうかと思いまして友人の刑法学者に聞きましたところが、そういうように一律にやった場合に、ほかの、これはちょっと、というようなものもみんな便乗さしてしまうきらいがあるのじゃないか。そのことはつまり大ざっぱであるということでありますが、非常に大ざっぱで便乗的な印象を与えるということ、つまり、法の安定性ということがよく言われますが、それについて国民の信頼性が失われる最悪のことが起こるかもしれない、起こらなければ幸いなんですけれども、起こるかもしれないということを言っておりました。そういう予測については私はみずからできる立場にございませんが、これが提案理由の文面に即して私が考えた感想であります。  しかし、提案理由には直接あらわれてない、隠れたと申しますか、潜在的な根拠もあるのじゃないかという点について私が勝手に推測をたくましくいたしましたことを申し述べます。これは当たっているかどうかは自信がございません。私の推測ですが、これはきっと、非拘束無罪になった方へ補償しようという考え方は、裁判ケースの中に非常に長引くものがあるのじゃないか。そして、長引くと裁判費用が非常に高くつくということがあって非常に気の毒である、救済しなければならないということもあるのじゃなかろうかなということを、私、勝手に推測をいたしました。裁判が早く済めば、つまり無罪確定が早かったわけでありまして、さほどの損害はないと推測されるからであります。  ところが、憲法第三十七条に、「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」とございます。つまり、裁判が長引くということは、この条項がたてまえだけになっていて、守られてないということになってくるのじゃないかと思います。守られてないために裁判が長引き、そして非拘禁の方で無罪の方をどうしようというような考え方が出てくるのじゃないかと思います。つまり、もとが乱れているのにこれを不問に付しておいて姿勢を正すというのではないのだろうか。憲法でうたわれた人権が守られていないので、それから派生する不都合な事態にばんそうこうを張るというやり方じゃないのだろうかなんということも推測いたしました。  刑事補償法というのは、私の理解する限りでは、憲法条項にのっとってこれを補強するものでありますのが本筋だと思いますが、違憲がどうしようもない既定事実だとして、これを取りつくろうのじゃなかろうかという感じを持ちました。ですから、この三十七条がなぜあってなきがごとき状況なのか、その論議はもっとあっていいんじゃないかと思います。つまり、非拘禁者補償というのがこの三十八条の空洞化にさらに拍車をかけるようなことがあってはならないんじゃないか。ぼくの友人の刑法学者が言うのですけれども、これでは安心して裁判を引き延ばせるということになったら大変だ。そうしますと、現場の警察検察官もそういう予想をしますと訴追意欲を失ってしまうのじゃないか。むずかしそうな予感をする事件には傍観者的態度をとることになりはしないか。結果として犯罪がふえることになりはしないか。少なくとも現在ある法律が空洞化してしまう危険がないであろうかというような感じを持ったわけでございます。こういうことはあってはならないのですけれども国民にそういうような、げすの勘ぐりと言ったらおかしいかもしれませんが、そういう勘ぐりを起こさせるようなことがないような慎重な配慮が望ましいのじゃないかというふうに思われます。  被疑者補償につきましても大体同じような、余りに一律的で、しかもこれを法にした場合に、その一律性のゆえに法の安定性が揺らぐんじゃないかというような危惧を持ちますが、これは私ども素人で、一層話がむずかしくてわからないので、感想はこの程度にとどめたいと思います。
  8. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 ありがとうございました。  これにて参考人意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  9. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 引き続き質疑に入ります。申し出がありますので、順次これを許します。大竹太郎君。
  10. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは下村参考人にお聞きをいたしたいと思います。  被疑者補償制度について、これの裁定を検察官にやらせるか裁判官にやらせるかも疑問があるということをおっしゃったようでありますが、先生としてはどちらにやらした方がいいとお考えになるかということが一点。  いま一点は、この補償規程というものの運用によって、もう少しうまくやれるんじゃないかという趣旨のお話があったと思いますが、先生のお考えで二、三点、こういうところを気をつけるべきだという点を教えていただきたいと思います。
  11. 下村康正

    下村参考人 ではお答えいたします。  二点のうちの、第一点の裁定機関の問題でありますが、私はやはり終局的には裁判所への出訴を認めるということにしなければ公平さが期し得ないのではないか、こう考えます。そこで先ほどの、いわゆる「公訴は、検察官がこれを行う」という起訴独占主義との関係が抵触する問題として登場するのではないかということを述べたんでございますが、この点は、もし行うとするならばやはり裁判所が裁定機関たるべきである。  それから第二点の被疑者補償規程、いわゆる条文の規定の「定」ではありませんで、程度の「程」の字を使う大臣の訓令のことでございますが、これについては恐らく法務省の方でも、議員提出法案等の基本的な骨子というものにはある程度賛意を示されて何かお考えがあるのではないかと思いますが、私は、たとえば身柄を拘束した場合、罪とならない、嫌疑がないという場合に、すべて被疑者補償事件として一応立件しまして、その実際に裁定に当たった検事ではなくて、むしろ多少公平さを期し得るという意味でも、その事件に関与した以外の、かなり上司に当たるような検察官にでも、すべてこういう事件については立件した上で検討してもらうということにしてみたらばどうか。こうなりますと、どうも一般にも余り知られておりませんし、一気に請求権として具体化するというのには困難かもしれませんが、かなり運用の上でこの規程を生かして、議員提出法案の方で御心配になっている点を救済できるのではないか。ただ、これもあくまでも活発に利用していただきたいという希望を申し添えて、特にそういう一つの具体的方法考えられないだろうかということでお答えしておきます。
  12. 大竹太郎

    ○大竹委員 次に柳沼参考人にお聞きしたいのでありますが、先ほど具体的な例を一つお挙げになって、損害は全体としてはおっしゃらなかった、非常に莫大もない損害を受けた、しかし現実に受けた補償は九万何がしであったとおっしゃったわけでありますが、その九万幾らは恐らく拘禁の一日二千幾らで支払われたのだろうと思うのであります。そういたしますと、先生の御意見は、拘禁も非拘禁も区別をしないで今度の六千円なら六千円を、それでも足らない場合もあるかもしれませんけれども、そういうようなお考えですか。その点をお聞きしておきたいと思います。
  13. 柳沼八郎

    柳沼参考人 お答えいたします。  先ほどの実例では、申すまでもなく四十八年の改正法の適用を受けまして、そして九万何がしだ、拘禁期間が四十三日という、それだけでありました。しかし問題はそれにとどまらない。したがって、論者は恐らく、いやそれは国家賠償法があるではないか、ですから、弁護士料を含む、その他の得べかりし利益の損失はもちろん、裁判費用等も、すべてその間に生じた損失として国家に賠償を求めればいいではないかということなんですけれども、これがまた、国家賠償法と補償との関係は、法律規定してありますように、賠償法であるいはその他の法律補償された分は補償に入らない、あるいは補償で受ければ賠償の方は引かれるということでございます。したがって、国家賠償法でできればよろしい。したがって弁護人の方は依頼があればやる。ところがこれまた大変な手数と費用を要します。しかも、国家賠償法で認められる例中、裁判に関するものというのはどちらかというときわめて率が低うございます。認容例は少ないのであります。それは何といっても捜査段階における無理なこと、この場合では、検察官起訴、不起訴の点についても、アリバイの問題等も含んでおったかと思いますが、主として取り調べの警察官の違法行為に基づく虚偽の自白の採用というか、偏重による誤った起訴ということが非常に多い。それから、実際どうしてその虚偽の自白がなされたかを実証するのには、先ほど西参考人が言われましたように、裁判が長引くじゃないかと言われますけれども、およそ警察検察官が有罪の判決が得られると期待して集めた証拠、これを覆すということになりますと、大変な手数、費用、そうして労力が必要なんであります。したがって、弁護人の方は決して、被告人も含めまして、長きを好むなどということはおよそあり得ないことで、やむを得ず、無罪を争う事件においては長引くということにならざるを得ない。したがってこの場合の費用は、担当の弁護人から私聞いたところでは、少なくとも三百万以下ということはないということでございました。ただ私は、そういう期間に対しては、法案のように、提案のように、拘禁者とは区別しまして、その二分の一ぐらいの補償はすべきである。そういたしましても、いまの補償額が決して多過ぎはしませんから、計算いたしますと恐らく年間に二、三十万ないし四、五十万というぐらいであります。恐らく、その実際の労苦に報いるどころではなくて、実費がようやくという状況じゃなかろうかと思います。  以上でございます。
  14. 大竹太郎

    ○大竹委員 結構です。
  15. 小宮山重四郎

  16. 横山利秋

    横山委員 余り時間もございませんから、三人の参考人の皆さんにまず次の文章について読み上げまして、それからお答えを願いたいと存じます。   国家の刑罰権を確保し、刑事司法の適正な運営を期するためには、被疑者被告人の身体を拘束して捜査や裁判を行う必要があることは、あらためていうまでもないところである。そして、これらの拘束は、まだ犯人であることが確定されない者を対象として行われるのであるから、時に無実の者に対して行われることがあるのは当然に予想されるところであり、罪を犯した疑のあることその他刑事訴訟法に定められた要件に合致する以上、たまたま無実の者が拘束されることとなっても、その拘束を違法とするわけにはゆかない。しかも、訴訟法上適法とされるだけでなく、刑法上においても、法令による行為として逮捕監禁罪の成立を阻却し、また、これに対する反抗は公務執行妨害罪を構成する。しかし、無実の者に対する自由の拘束が完全に適法な行為であるとしても、これによって無実の者が受けた損害をそのままに放置し、刑罰権の実現およびこれによる治安の維持という国家目的の達成に伴うやむをえない害悪として顧慮しないでおくかどうかは、また別の問題である。ちょっと真ん中を省略しまして、   同じように、無実の者が犯罪の嫌疑を受けて自由を拘束された場合において、天災としてこれらを諦らめ、忍従を強いられることは、少くとも現代における一般の正義感情と矛盾する。刑事補償は、この正義感情を基礎とし、現代における正義と衡平の要求に応えようとするものである。これを単なる国家の恩恵と解するのは、このような現実を無視するものであり、国家の法的義務とこれに対応する国民の権利としてこれを把握しない以上、その本質を見誤まることになろう。この文章は、実は現在法務省の刑事局におられる人の、被疑者補償ができました際の文章なんであります。こちらに役所の人がいらっしゃるのですが、皮肉で言うんじゃなくて、非常に名文だと思う。全く私も同感なんであります。  要するに、私ども国民は、人殺しがあった、どろぼうがあった、それで警察の人が一生懸命に捜査に努力をする、そういう捜査に対して協力し、あるいは場合によっては自分がそのための調査を受けることについて受忍する国民的義務がある。それは私どももそのとおりだと思う。ある意味では、違法なことはいかぬけれども、とにかくあなたもがまんしてひとつ捜査に協力して、という点については受忍する義務がある。しかしながら、だからといって、無実の人が犯人と間違われてやられたことについて、ああ済まなんだなあ、あなた、違っておったから、さよなら、というわけにはこれはいかぬのではないか。その区分をはっきりしたらどうか、こういうことを言うておるわけであります。  その点につきまして西参考人に伺いたいのは、いささか意外なお話がございました。憲法上の人権が保障されていないからというてこういう非拘禁補償の措置なり何なりをつくることは、そういう憲法上の保障がされていないこと、そういう憲法上の問題の空洞化に拍車をかける可能性がある、あるいはまた、こういう措置があれば安心して裁判を引き延ばす可能性があるという趣旨のお話がございまして、率直に言って、私も御存じのように提案者でございますが、まことに大変意外に感ずるわけであります。政府案と私どもの案は、イデオロギー的に対決しているわけではありません。共通点がございます。共通点があり、政府の方は私どもの案まではまだちょっと至らぬけれども、それを絶対悪いこと、いけないこととして否定されているわけではありません。いまお三人の方のお話を聞いておりましても、否定はしないけれども、その具体案としてどこで合理性を見出すかがむずかしいから、しばらくもう少し検討したらどうかというような趣旨のお話が多いように思うのであります。ただ、西参考人の場合は、全く論理上逆のような御意見でございますのでいささか意外に感ずるわけでありますが、ちょっと抽象的な御質問で悪いんでございますけれども、改めてもう一遍いまのお考えを伺いたいと思います。
  17. 西義之

    西参考人 最初に申し上げましたように、どういう法律に限らず、どういう政策におきましても、これはもろ刃の剣というような感じを私は個人として持っております。それで、つくった人がいかに善意でつくっても、思いがけない結果あるいは思いがけない、痛くもない腹を探られると言われるような印象を相手に起こさせることは、これはもう法律に限らず、日常においてもよくあることだろうと思います。私はそういう意味において、いま全く意外なということをおっしゃいましたけれども、そういう意外というようなこともひょっとして起こり得ると考える人がなきにしもあらずという意味で申し上げたわけで、しかも、正確に私のさっきの言葉を繰り返しますと、「私の友人の刑法学者は」と申しましたわけで、私もそれを聞いたとき、はあ……ぼくは急にはそう思いませんでしたけれども、学者の間ではそういう予期せざることまで考えている人がいるんだなあと思って引用したわけであります。
  18. 横山利秋

    横山委員 西さんはどうお考えでございますか。つまり、私の聞いておりますことは、先ほど引用をいたしましたように、犯人を捜すことについて国民は受忍義務がある、協力しなければなるまい。行き過ぎはいかぬけれども、少なくとも調査を受けたら拒否してはいかぬよ。だけれども被疑者は自分が犯人と間違われて調査を受けるのは仕方がないけれども、間違えられた者に対してはきちんと補償してやりなさいよ、簡単に言えばそういうことなんです。西さんのお話は少し堂々めぐりがあり過ぎるようでございますけれども、人権を尊重する上で右にするか左にするか、どちらか――デメリットはどちらでもある場合においては、人権を守ることの方につかなければおかしいではないか。そういう立場で議論をしなければいかぬのではないか。西さんのお話を聞きますと、憲法上の人権が保障されていないからといってこういう措置をつくるとかえって空洞化に拍車をかける、またこういう措置をつくると安心して裁判を引き延ばすおそれがある。そういうことが皆無であるかどうかとなれば、私も西さんと同じように皆無とは言いません。しかし、九百九十九回がそうでなくて一回の場合には前をとる。また、五百対五百でありましょうとも、人権を守る立場において問題は処理すべきではないかというのが私の意見なんであります。あなたの御意見はどうなんでしょうか。
  19. 西義之

    西参考人 人権を守るということに対しては全く同様でありますが、ぼくが言いましたのは、三十七条がすでに人権を守ることをうたっているわけでございます。迅速なる裁判を公平なる裁判所において受ける権利がある、このことを不問に付していらっしゃるのじゃなかろうか。不問に付していないならば結構でございますが、不問に付していらっしゃるのじゃないかという危惧から申し上げただけでございます。
  20. 横山利秋

    横山委員 私ども、いま当面しております具体的な事実、現実というものは、無実であった者、無罪であった者、誤って起訴された者、そういう者をどう処遇をするかというその一点に立って議論をしておるのでありますから、その以前の問題は別な次元でわれわれは議論をする。きょう私どもが、ここで政府案と私どもの案が対決をし――対決という言葉は適当じゃないかもしれぬが、少なくとも二つ並べて議論をいたしますその議論の焦点は、無実であった者、誤ってつかまえられた者、犯人扱いされた者、それに対する弁償をどうするか。それはこうした方がいい、こうした方がいいというのに、あなたは、そうすると裁判はかえって長引くよ、やらぬ方がいいじゃないかと言わんばかりのお話でございますから、私はちょっと、私が提案者であるものですから、申しわけないのですけれども異議を呈しておるわけであります。  それから下村参考人にお伺いをいたしたいのでありますが、被疑者補償規程につきましてあなたも知らなかったけれども、これを活用したらどうかという最終的な御意見でございます。事実、政府側も、私が指摘をいたしました点に対しましてずいぶん御検討をされた模様でございまして、補償規程改正を政府も約束はされています。いまその改正の内容を申し上げる時間はございませんが、要するに、結局恩恵的態度であることは言うまでもないわけでありますね、国家賠償法と違いまして。おまえは間違っておった、えらい悪かったな、これ、銭やるで帰っていってくれということなんです。そういうことについて、なるほど憲法の解釈から言うと、ここまで憲法被疑者補償について明示はいたしていないけれども、同時にそのことは憲法が否定しているわけではございませんし、精神的にも当然これは合憲でございます。したがって私は、これを恩恵的態度じゃなくして、国家賠償法と同様に被疑者補償でも当然の措置をとれと言っておるわけであります。  そうしますと一つ問題がございますのは、これは私なりの言い方でございますけれども、検事さんが、自分が調べた被疑者に対して、自分が間違っておったことに対して銭をやる、自分のまずいことを二重に裏づける結果になるから、とてもそんなことは運用はうまくいくはずがない。同じ穴のムジナが、自分がやったことに対して二重にまずさを裏づけするようなことはとてもだめだ、運用ができるはずがないというのが私の根本的な主張なんであります。しかも、裁判所で決めるということになりますと、裁判所が検察の調査、取り調べの内容にまで介入をする、それだけは体裁が悪いので勘弁してくれ、いやらしいことをやってくれるな、検察陣の内部へ裁判が介入して、どうやって調べたか、調査したかというようなことはひとつ勘弁してくれ、こういうことのようなんであります。  それに対して私が申し上げておるのは、たとえば私が間違えられて被疑者になった場合、そして検事から補償の金をくれたが、このくらいでは少ない、おれはどうなるという主張を訴えるところは裁判所しかないではないか。それはもう法律だとかいろんなものを抜きにして、国民が常識上、お巡りさんがやったこと、検事さんがやったことに対して、自分が恐れながらと訴え出るところは裁判所しかないではないか。したがって、いやらしいと思われるかどうかわからぬけれども、それはそれ、これはこれ、私が言うように、調べることは調べなさい、しかし間違っておった場合にはその人の補償を十分してやりなさい、こういうことが、私が被疑者補償規程を法制化しなさいという理由なんです。  それからもう一つ論点は、これは先生の専門外かもしれませんけれども、私ども税金を出しておるのに、被疑者補償規程法律に根拠を持たざる歳出である。これはまあ私の論理でございますから、政府側としてはいや違法ではございませんという論理は持っていますけれども、本来、税金というものを取る以上はもちろん法律によって取り、そして国家の歳出をいたします場合においても必ず法律をもって歳出をする、そういうことが適当であって、勝手にわれわれの税金を使われては困る、そういうことを言うておるわけであります。  この二点について御意見を伺いたい。
  21. 下村康正

    下村参考人 お答えいたします。  この問題が議員立法の形で提起されて以来、私は陰ながら、横山さんのお名前を伺いまして、非常に御熱心にやられている点に常日ごろ敬意を表しておりました。実はどういうような基礎的な理論でこういう御主張があるのかという点についてはいままでまだお聞きしたことがございませんでしたので、改めていまお聞きして大変参考になったわけでございます。  私はいま出た問題の中で、例の抑留あるいは拘禁された者にだけ刑事補償するという規定から、果たして被疑者補償、非拘禁補償という問題が出てくるかどうかという問題については、全く同意見でございます。これは、憲法は抑留、拘禁された場合に限るという趣旨ではありませんで、その規定の基本の趣旨からいけば、被疑者あるいは被告人をさらに厚く保護しあるいは補償するということはたてまえとしては当然でしょうから、その点については、私拝見した議事録の中には、憲法ではこう規定しているからこれ以上のことはできないのだという趣旨発言があるいはあったようにも見受けましたが、この点は私はむしろ反対でございまして、横山さんの御意見に賛成でございます。  ただ具体的な問題として、しからば一体、いま直接出ました被疑者補償の問題で、これを法律として権利を認めるかどうかという問題になりますると、それが、現行刑事訴訟法のたてまえである検察官起訴独占主義というものを変えて、刑事訴訟法の基本的な制度自体を変更して行えという御発言であるならば、また新たな考え方立法という方法で解決可能かと思いますが、現行制度に基づく限りは、いま御説明になりましたようなことは、趣旨としては賛成でございますけれども、やはり裁判所とそれから検察官制との矛盾、抵触、対立という点から、にわかに賛成することができないのではないか。  なお後段の、いわゆる税金云々の問題に関しましては、やはりわれわれとしても考えなければいけない点でございます。ただ、いまの点は、支出とは申しまするが、払うべきでない者に払えというのならばこれはかなり問題があるかもしれません。現行制度もとでとりあえず一つの打開策として、もしそれが被疑者にとって利益になるならば、被疑者補償をしようという考えであるとするならば、これもまた一理ある考えだと思います。まあ税金の点については深く考えませんが、ただ、これが払うべきでない者に払うというとかなり問題が大きくなると思いますが、当然払うべき者に対して支払うということになりますと、法制化することから生ずるマイナス面と、それからいまの規程に従ってやった場合に生ずるマイナス面を比較してみますると、必ずしも違法とまでは言えないのではないかというふうな感じがいたします。  正確なお答えになったかどうか知りませんが、お答えといたします。
  22. 横山利秋

    横山委員 これはもう御三人の方にお答えいただくまでもないのでありますが、御三人の方から、最初の補償金の金額の問題について、政府案と私どもの案に対しましていろいろ御意見をいただきました。この点について、多々ますます弁ず的な御意見やら、あるいは確定した基準がないというような御意見がございましたので申しますと、御存じかと思いますが、私どもの案は、千五百円は昨年度の失業対策事業における最低賃金日額、六千円は昨年度の労働省月別勤労統計による平均月間給与額、千五百万円は自動車損害賠償保障法の死亡の場合における賠償金額改正予定額でございます。私は提案者としまして、この金額、この金額の水準のとり方というのは決して高過ぎることはないし、最も合理的に考えておる次第でございますから、ひとつお含みおきを願いたい。  それから柳沼参考人にお伺いをいたしたいと存じます。  本来、この案は、柳沼さんも御存じのように、日弁連決議をなさった、ここに源を発しておるわけであります。私のような法曹に何の縁もゆかりもない人間でございますが、一、二の関係がこの種の問題でございまして、日弁連決議を数年前非常に興味深く見まして、なるほどそういうことは自分の体験の一つにもある、そう痛感をして、長年この種の問題に取り組んできたわけでありますが、最初決定をされた日弁連が、この問題について決定をしたほど熱意のある国民的な運動、宣伝、PRに不十分ではないか。私からこんなことを言うてはなんでございますけれども、もう少し全国的に御協力を願える方法があるのではないか。一番この種の問題に、この種の関係者に日常接触をしてよく御存じの人たちである。しかも最近「捜査と人権」というりっぱなものをお出しになりまして、そしてこの中にもこの種の問題が枚挙にいとまがないくらいございますが、こういう点について、数年前決議をなさってそれから大分になるのでありますけれども、いま少し日弁連として運動、努力をしていただきたいものだ。これはもう日弁連と私の案とそう径庭もございませんので、むしろ、なぜ一体、決議をしたこの種の問題に日弁連が全力を挙げて運動をなさらないのであろうか。逆な、妙な質問でございますけれども、御意見と、これからの御努力についても伺いたい。
  23. 柳沼八郎

    柳沼参考人 横山議員を初めとする提案者の御熱意には心から敬服の意を表するものでありますし、私どもも決して何もしないどころか、重大な関心を払い続けております。たとえば昨年の日弁連の第十七回人権擁護大会は、シンポジウムにおいてこの問題を取り上げました。メーンテーマは「捜査と人権」ということでございましたが、その中で、なぜ誤判が生まれるのかという問題を、その一年前にやったものを受けまして、誤判の原因は、検察官の善意にもかかわらず、あるいは裁判所の善意にもかかわらず、どこにあるのか、あるいは善意がない場合もまれにはないわけではないが、司法過誤というべき冤罪者がどうして出るのかということにかんがみまして、やはり捜査段階の無理に問題があるのではなかろうか。たとえば、国選弁護人の選任は起訴後、公判請求あった後にしか認められておりません。それがもし被疑者時代にも国選弁護人が認められるならば、恐らく、先ほど申し上げましたような心神耗弱の問題とか、あるいは酔っぱらいで、自分は酩酊しておって申しわけない、しかし事実はこういうことであるというようなことや、その他先ほどの親告罪の問題、強姦の問題とかいう場合の親告罪としての告訴取り扱いの問題等について、何も検察庁の誤った起訴処分を受けるまでもなく、それ以前に防止できるのではないかということなども含めまして検討いたしました。  結局、結論といたしましては、人権侵害申し立て事件が、日弁連の創設以来、事件として取り扱ったものは五、六百件、単なる相談的なものを加えれば二千を超えるという状況の中で、本人申し立てによれば、捜査官憲の違法行為あるいは不当な行為と思われる事件というものはそのうちの三〇%を占めておる。これが裁判になりますと恐らく誤判の一つの原因につながってはいないだろうかというようなことにかんがみまして、私どもはその予防措置としては、刑事訴訟法起訴前の手続憲法規定どおり、あるいはこれをもっと進展する形で、弁護人と被疑者との接見交通の妨害などをしないというような点や、それから違法な証拠を収集しないというようなことや、一般的に令状で何でもかんでもという不当な押収、捜索をしない、したような場合には、裁判所はどんどん違法証拠として採用を拒否するというような形において、誤判の防止をあらかじめ捜査段階においてしていただきたい。裁判においては自白の偏重による誤判が多いので、この点もぜひ改めてほしい。これは御承知のとおり有名な事件、菅生事件にしろ松川事件にしろ、辰野事件にしろ青梅事件にしろ、また八海事件を含めまして、大きな事件無罪事件最高裁へ行って無罪、あるいは高裁で無罪というような事件はもう一〇〇%と言ってもいいほど自白の任意性の問題であります。無理な自白を偏重して、それが裁判の証拠になって後で覆されるということ、被疑者時代に弁護人がついておりましたならばこれはかなりに救えるだろうというようなことがあります。  そして、結論といたしましては、そういう事前の過誤のないようにというのとうらはらに、もし司法過誤が起こった場合にはフランクに、決して個々の公務員、警察、検察庁が故意に罪に陥れようとしてやったという場合でなくとも、国家としては司法過誤であるという認識に立って、ぜひ、このような、裁判費用の問題を含め、そして非拘禁者損害補償実情に即して改善、改良してほしいということをシンポジウムの結論といたしまして大会に報告し、それをこのたび、いま横山委員がおっしゃったような「捜査と人権」という公刊物にいたしまして国民の皆さんに訴える。そしてさらに、国会の方におきましてこの法案が出るということになりますと、小委員会を開きまして問題点を整理してアピールをする。今後も恐らく続けてこの法案の行方をわれわれは重大な関心を持って見届けたいと思います。憲法四十条の精神と、憲法十三条や十一条の個人の尊厳、生命、身体の自由中、少なくとも身体の拘束、人身の自由というものはもう政党政派を問わず、われわれのこの現代社会における最大の基本的権利自身であります。あとの権利はそれに付随する、それを実現するための保障規定かと私は思います。そういう意味において、決して日弁連は、決議をいたしまして能事足れりとして横山委員初めにおんぶしておるわけではありませんので、今後も十分に努力して、ともどもこの案の成立、実現に微力を尽くしたい、こういうふうに考えております。  きょうは事務総長も事務次長も傍聴に参っております。私は現在日弁連の役員ではございません。捜査官憲による人権侵犯事件審査の部会を担当する第二部会長でありますけれども、恐らく理事者の方でもきょうの横山委員発言を十分理解してくださるもの、このように期待してお答えといたします。
  24. 横山利秋

    横山委員 ありがとうございました。
  25. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 青柳盛雄君。
  26. 青柳盛雄

    ○青柳委員 下村先生にお尋ねしたいのですが、刑事補償法金額を決める基本的な原理といいますか、これは私どもよくわからないと言えばわからないようなものですが、つまり、過失の有無にかかわりなく、損害というものが起こっている以上その損害補償してやろうという制度だと思うのです。ですから、国家賠償法で過失の有無が十分審査される、それから損害の額も十分審査される、これは当然のことでありますけれども、それがあるから金額は適当なところへ決めておけばいいのだ。つまり、一律に決めるわけでありますから、ケース・バイ・ケースで、実際にどのくらいな損害を受けているのかというようなことは事件ごとに決める、裁判官の判断にかかっていく。この点は損害賠償、国家賠償の場合も当然の前提でありますし、それから刑事補償法に基づく決定の場合も同じ。そうだとすれば、ただ手続が違うだけなんですね。国家賠償の方は口頭弁論審理で、双方対等に主張、立証を尽くして、裁判所にデータを全部提供する。ところが刑事補償の場合には書面審理が大体の原則、だから、審理のやり方が違うから、余りオーバーな金額を法定しておくと、裁判官によっては大した証拠もないのに最高限を払ってしまうかもしれない、だからこれはほどほどにしておいた方がいい。人によっては一日一万円の損害になる場合もあるだろう。それは国家賠償の方で、故意、過失があり、事実一万円の損害になるときにはそれを払ってもらえるわけだから、それはそれでいいのだけれども刑事補償法の方で一万円にしておくと、実際は千円くらいの損なのに裁判所が過って一万円にしてしまう。そういうことを防止するためにはなるべく低くしておいた方がいいのだというような考え方が果たして妥当かどうか。私はやはり、現在の国家賠償にしなければ不満でしょうがないというような事案が具体的にはあるわけですから、刑事補償だけではがまんできないということで、あえて手数をかけても、時間をかけても国家賠償でもらおうという犠牲者があるわけですから、そんなことのないように幅をうんと広げておいた方がいいのじゃないか。だから、多いほどいいと言っても、ただむやみと多いというのがいいんじゃなくて、やはり議員立法のような、六千円なら六千円というぐらいにやっておいた方がいいのじゃないか。下限の点につきましては、これはまたいろいろ考え方がありましょうけれども上限の方は現在の政府原案では低いのじゃないかと思うのですが、これについてちょっと御見解を承りたいと思います。
  27. 下村康正

    下村参考人 お答えいたします。  ただいまのお話の中で、高限を余り上に引き上げておきますと、裁判官が、それほど出さなくてもいい場合に高額を裁定するのじゃないかというおそれが、上限を低く抑さえるということにつながるのではなかろうかという御趣旨の御発言があったようでございますが、私は別にそう考えないので、むしろこの三千二百円という金額は――たとえば刑法の方の条文で申しましても、一体なぜ窃盗罪で懲役十年というのがあるのか、学生からよく質問が参りますと答えに窮することがあります。これは条文にそう書いてあるのだからしようがないのだ式の笑い話になることもあるのですが、これはやはり殺人罪を頂点としまして、さまざま基準を相対的に用いて、窃盗罪については、高過ぎると私は思いますが、基準ができてきているのではないかと思います。  先ほどほかの参考人の方からも御意見がありましたが、現実に六千円がいいか三千二百円がいいか。私なんかは、もしそれに合理性があるならば高ければ高い方がいい。高くと言っても幾らでもいいというわけにいきませんから、ひとつ具体的に案が出ておるならば、六千円ということでも必ずしも異論はないのでございますけれども、ただ従来の経過をずっと見てみますと、それがどういう根拠に基づいてか、当初五円でございましたか、昭和二十五年でございますね、だんだんに引き上げられまして二千二百円、今度三千二百円と来たことの中の合理性というものもそう無理に無視することはできないので、恐らくこれもそれ相応の幾つかのデータに基づいて、議員立法の方の法律案にありますのと同じように何らか基準があるのではなかろうか。積極的にそれをひっくり返して六千円と持っていくほどのことでなくて、私自身の気持ちよりもむしろ少ないとは思いますが、この程度でやむを得ないという意味での三千二百円という額を、先ほどいたし方ないのではなかろうかと申し上げた次第でございまして、裁判官が、高過ぎるとそれを裁定しがちだということについてはちょっと私異論がございますので、大体感じたままを申し上げてお答えといたします。
  28. 青柳盛雄

    ○青柳委員 下村先生にお尋ねしたいのですが、非拘禁状態補償ですが、これは刑事補償制度そのもののあり方から考えてここまで広げることに疑問のお考えのように私は承ったのですけれども憲法上それは必要とされているというか、義務づけられておることのないことは当然でありますけれども、やはり国家の行為で特定の国民損害をこうむったという場合に、それはもうがまんせい、不公平かもしれないけれども、だれでも一生のうちには一遍くらいそういう目に遭うことはあるのだからお互いさまだと言って済ませるべきかどうかということなんですね。これは過失の有無にかかわりないわけです。要するに過失がなくともそういう損害を加えられるということがあるわけですから。それをいまの拘禁されたときの一日幾らというような計算にするかどうかという点は技術的に非常にむずかしい問題で、裁判期間中は拘禁されないでいるという期間の方が概して多いわけですね。だから、裁判が終わるまでの間の非拘禁期間を全部基準にしていくということになると、被告、弁護人の都合で延びた場合なんか一体どういうことになるのだというような議論だって出てきますから、私は、技術的な問題はあるとしても、非拘禁に対して何らかの刑事補償を与えるということは検討していいんじゃないかと思うのですが、この点はいかがでしょうか。
  29. 下村康正

    下村参考人 先ほどの発言の中であるいは私の言葉が足りなかったかもしれませんが、必ずしも私は非拘禁補償について全面的に消極であるというのではございませんで、ただどういう場合に真に補償すべき者であると判定できるか。やはり補償である以上は、国民の税金にもつながりますので、真実補償すべき者に補償すべきだというたてまえが貫き得るならばこれは補償すべきであるという考えにやぶさかでありませんが、どうも現行刑事訴訟法規定から申しますと、議員立法法律案にあります無罪ということにかなり幅がございまして、特に、もう申し上げるまでもございませんが、前の刑事訴訟法の時代と違いまして、いまは有罪判決をとるのに証拠法上非常にさまざまな制約がございまして、証拠能力の面でも、また証明力の点でも刑事訴訟法にかなり厳格な規定がございます。したがって、その過程を経て結果として無罪になったという場合に、果たして真に補償すべき無罪というだけのものが取り残されるなら格別でございますが、前回の委員会等にも出ていたようでございますが、案外証拠不十分というふうな形での無罪、言葉は非常に悪いのでございますが、新聞等が使う用語を仮に借用しますと、シロでもなければクロでもない。実はそういう裁判はあってはいけないので、イン・デュビオ・プロ・レオの原則もございますから、疑わしい場合には被告人の利益にというので、必ずシロと言い切らなければならないことに制度上なっておりますけれども、実際の社会感情としますと、真っ白と言える事件とそうでない事件との二つの部類が考えられる場合、これを一律に同視して補償という問題を考えることになりますと、どうも公平という観点から考えた場合に――その公平という観点にも一つ疑問があるかもしれませんが、ごく常識的に考えた場合に、やはり一律にいまの制度もと補償するという考え方にはなお検討の余地があるのではないかということを申し上げましたので、改めてお答えといたします。
  30. 青柳盛雄

    ○青柳委員 下村先生と議論するつもりは毛頭ありません。しかし、いまのお話を聞いておりますと、これは非拘禁にかかわりなく、むしろ拘禁に対する刑事補償、つまり現行法についても問題点があるのだ、疑問があるのだという御議論の延長線上にこの非拘禁が出てきているような感じがするので、私も実はこの法案の審議の過程で前回質疑もしたわけですけれども、俗っぽい言葉で灰色無罪、要するに検察官が立証に失敗をしたために、スポーツで言えばへたくそだったために犯人を逃しちゃったのだ、その上、どろぼうに追い銭じゃないけれども、金まで払ってやるというような、そんなべらぼうな話があるか、こういう議論が、どうも俗っぽくなってくるわけですけれども、あるのです。そうなると、そもそも疑わしきは罰せずという証拠法の原則、民主主義の原則がばかばかしい話だ、スポーツとなぞらえてしまいますとね、だからもっとしっかりせいということで、そのしわ寄せを国民に負わせるのじゃたまったものじゃない。そういうことになるとこれは捜査官憲や検察官憲に対して大変なハッパをかけたことになるんですね。だからその結果として、国民は無実であるにもかかわらずひどい目に遭わなければならぬということを甘受せざるを得ない。私ども民主主義の社会に住んでいる以上は、百人怪しげな人間を逃してやっても一人の冤罪をも出さないということなんだから、それで無罪にさえなればいいのであって、もうあとはがまんせい、おまえはおそらくたった一人だろうから賠償してやるんで、もう九十九人までは賠償せぬでもいいのだという考え方になってしまいますと、これは果たして民主主義が守れることになるだろうか。だから首尾一貫するためには、いわゆる灰色無罪には賠償すべきではないなんという議論はむしろしてはいけないのじゃないか。良識ある者はしてはいけないのじゃないか。もちろん責任無能力の場合などのことをわれわれとやかく言うわけではない。それから俗に言うルンペンが起訴されて無罪になったばっかりにもうかっちゃったということもおかしい。私どもはやはり灰色無罪考え方というのをこの際払拭して、そして非拘禁の場合にまで広げていくという前向きの議論はどうなんだろうかと思うのですけれども、いかがでしょう。
  31. 下村康正

    下村参考人 お答えいたします。  青柳先生の御趣旨には全く私は異論ございません。ただ、灰色無罪という言葉を実は私余り使いたくないのでございますけれども、われわれが理想的にそう考えても、さっき申し上げましたあれは責任無能力の例でございましたけれども社会一般の感情というものがその線にまで到達するように啓蒙した上で法案としてお考えになるのでありますと無理がないと思うのでございますが、どうも私個人の感じとしましては、まだその段階まで行ってないような気がいたしました。なお、われわれもまた自分のあるべき立場でそういうことについての関心を喚起するように努力してみたいとは思いますけれども、現段階では先生のお考えまでは私まだちょっと至ってないということだけを申し上げておきたいと思います。
  32. 青柳盛雄

    ○青柳委員 もう一点だけ下村先生にお尋ねいたします。  刑事費用補償の問題でございますけれども、何か、実務家からお聞きになると確定が果たして可能かどうか、ちょっと疑問があるので、専門家じゃないから条件つきで賛成のようなお話でしたけれども、具体的にはどういうことでございましたでしょうか。
  33. 下村康正

    下村参考人 お答えいたします。  たとえば、具体的に聞いたところによりますると、家族が刑務所にいる受刑者に面会に来たような場合の費用は一体どうなるのか、あるいはまた弁護人が非常に多数の場合、その全部に補償すべきであるかどうか、あるいは家族の面会補償ということはひいては弁護人の面会補償という問題にもまた関連を持ってくるのではないか等々考えてみますと、気にすぱっと額が算定できるという目安が、ちょっと私ども細かい点わかりませんので、できないという趣旨の答えでございました。
  34. 青柳盛雄

    ○青柳委員 よくわかりました。  柳沼先生にちょっとお尋ねいたします。  日弁連ではもう七、八年も前から決議をせられておることも存じ上げておりますが、きょうの参考人の方々のお話を承って柳沼さんもお感じになったと思いますけれども、どうもお二人の先生の方は慎重論といいますか、どちらかというと日弁連考え方とは必ずしも方向が同じでもないような面があるのですが、日弁連とすれば具体的にはいまの制度の欠陥というのはどういうところにあるという観点から決議をしておられるのか。余り具体的なお話でなくて、むしろ項目的にお話ができたらお聞きしたいのですが。
  35. 柳沼八郎

    柳沼参考人 お答えします。  問題はやはり非拘禁者、というよりは非拘禁期間補償に拡大するかという問題点だろうと思いますね。この点は、私ども日弁連決議をした経過がございまして、決して日弁連が頭の中で考えたことではございません。三十八年に九弁連、九州弁護士会の連合会がまず費用の問題について提起をいたしました。三十九年に私の所属します第二東京弁護士会が、この問題中、費用と額と、それから非拘禁者の問題を取り上げました。これはいずれも会員が具体的事例を取り扱っている中で、これは重大だ、刑事補償法精神は貫かれていない、実質的補償になっていない、一方国家賠償の方はきわめて認容率が低い、そういう状況の中では刑事補償法適用範囲を合理化する、補正するということが最も重要であるというふうに考えたわけであります。そういう根拠は、何といっても実例を体験した弁護士の、無罪となった被告からの具体的訴えであります。かかった費用についてもおおよそ見当がついておる、しかしながら補償は先ほど言ったようなものであるという中で、どうしてもこれは両面の合理化、補正というか、改正が必要であるというふうになって理事会に上がってきて、決議を得たというようなことになろうと思います。  したがって、非拘禁者の問題については、これは青柳先生も御指摘のように、果たして拘禁と同じように期間掛ける一定の額が適当であるかどうか。これは具体的ケースによるというふうに私個人考えます。しかし、これはあくまで申し立てと裁判所の決定との関係でございまして、先ほど冒頭に私が申し上げた事例では、裁判所はわずか十日の間に決定を出しております。公示も認めております。というように、事案の内容、そして有罪が無罪になった経過を一番知っていらっしゃる、つまり誤判をした――一審が一部有罪ですから、誤判をした理由を一番裁判所が知っていらっしゃる、一体、被告人に責任があったのか、捜査官憲に責任があったのか、一審裁判官に責任があったのかをよく御存じの高等裁判所裁判長が、合議の上でわずか十日の間に決定を出しております。その場合ももちろん最高限であります。最高限が二千二百円ですから申し上げたような金額にしかならない。これではどうにもならないというのが実情であります。そうだといたしますと、運用の実態からして刑事補償法は空洞化どころではない、ほとんど実を備えていない運用にしかなっていない現状を、ぜひ実情に合うように改正をしていただきたい。それがためには根拠が必要なので、立法府にこれをお願いした、こう考えております。  なお、補償規程の方については、これは私ども考えてみまするに、検察官が御自分からやはり警察の検挙そのものを大体批判されて、検察官の方は、「嫌疑なし」「罪とならず」に当たる者である、つまり犯罪を犯さなかったと認めるに十分の理由がある、ですから無罪の積極的理由がある場合ですね、裁判になった場合、これを検察官が自発的に認める、これはもう言うまでもないことなんですけれども、何しろこれは権利として認められていない、つまり申し立て制度、当事者性を欠いておりますので、全くこれはお任せということになっております。しかし検察官の方でも運用実情がこうではという反省もありましてか、法務省の方で、もう少し運用を実態に即したような、もっと幅を広げた、国民の救済として十分な方向で検討しようじゃないかということをお考えのようでありますので……。私はこんなふうに考えています。  立法化の方向、これは正しいのでありますけれども、学者も指摘しておるように、かなり幾つかの問題があろうと思います。起訴独占主義との関係もあろうと思います。準起訴手続が十分に活用されていない現在では、それをさらに被疑者の「嫌疑不十分」ないしは「罪とならず」あたりまで拡大して、検察官自身に任せるということも一つ方法ですが、実際の実例からするとそれがだめだとすれば、当事者性を認めるか、権利として認めるかということになると、私はその暫定的な試行として、代理人から実情を聞く及び被疑者から実情を聞く聴聞制度を検察庁内部でぜひ一度やってみて、そして、果たして自分たちが考えた不起訴理由が、被疑者考えている、手持ちの反対証拠等等照合いたしまして、補償に値するものかどうかをもう一度検討するようにしたらどうだろうか。上司の判断を仰ぐと同時に、私はぜひ聴聞制度的なものを設けて、これは私見ですけれども、代理人もしくは本人が出頭して、自分が嫌疑なしになったかあるいは罪とならずか等を知らせられると同時に、その根拠ですね、これはこうして私は裁判に行ったら無罪と同じような証拠を持っているのだ、あるいはもっとお調べいただけばこういう点がわかるのだということを主張させる。そういう機会がないところに、補償規程がせっかく設けられても、大臣訓令でありますので拘束力がないばかりか、国民の権利としては全く有名無実の状況であるという現状を改善する方法はそういう方法しかいまのところないのじゃないか。やがて立法化に向かってさらに検討しなければならない問題であろう、そういうふうに考えております。
  36. 青柳盛雄

    ○青柳委員 もう一点だけ柳沼さんにお聞きいたしますが、弁護士会でも、それからあなた御自身でも、ほとんど問題ないと思うのは訴訟費用の弁償の問題ですね。その費用の額に、先ほど下村先生が疑問にされたいわゆる面会の費用まで入れるか入れないか、これは別問題ですけれども現行で、検察官控訴-無罪というような場合にはもう実施されておりますですね。だからそれをもう一審からあの枠の中で払ってやるというようなことについては問題ないと、私が先に結論みたいなことを申しましたけれども、どうなんでしょうか。
  37. 柳沼八郎

    柳沼参考人 簡単にお答えしますが、刑事費用の負担については、有罪判決の場合に被告にちゃんと言い渡しますから、したがってそれの計算は書記官でもできるように基準がございます。たとえば国選弁護人の場合には国選弁護費用が決められております。日弁連は盛んに値上げを提案しておりますけれどもなかなか認められませんが、少なくとも国選弁護の費用ぐらいはすぐに算出できる根拠があるということになります。それから、訴訟に必要な費用のうち、謄写記録の費用が相当の量に上りますけれども、これも裁判所提出した書面というのはもう明らかであります。それから、裁判所が審理の過程でつくられた記録も明らかであります。これは一葉幾ら、一枚幾らということで、これも決まっております。したがって、少なくとも国が補償する額の基準に困るということはございません。あるのは、特別に私どもがやはり国家賠償等で立証をしなければならないその他の、その準備のための会合の費用、打ち合わせの費用、下調べの必要からくるもの等々のものであって、少なくとも補償の対象になるべき費用の算定には現行法を活用して全く欠くるところがない、こういうふうに考えます。
  38. 青柳盛雄

    ○青柳委員 終わります。
  39. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  参考人各位には、長時間にわたりまことに御苦労さまでございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  この際、暫時休憩いたします。     午前十一時四十八分休憩      ――――◇―――――     午後零時四十六分開議
  40. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  両案について質疑を続行いたします。稲葉誠一君。
  41. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 この法案に関連して被疑者補償の問題がいろいろ問題になっているわけですが、それに関連するというか、ちょっとお聞きをしたいのは、たとえば不起訴処分ですね。不起訴処分というのはいろいろあるわけですが、この「不起訴処分」というのは法律的にはどういうふうな性質のものなんでしょうか。質問の意味がよくわからないと思うのですが、結局不起訴にするでしょう。不起訴にしたことについて、たとえば不起訴の内容がありますね。「嫌疑なし」あるいは「罪とならず」それから「嫌疑不十分」いろいろあるわけでしょう。それについて、それが違うんだということで、その処分を受けた人が、内容が違う。内容というか、セクションを分けるでしょう。分けた分け方が違うということで、その人が不服の申し立て方法があるかということですよ。もっと端的に言えば、それに伴って行政訴訟が起こせるかということです。
  42. 安原美穂

    ○安原政府委員 結論から申しますと、不起訴処分理由につきましての不服申し立ての制度はございません。行政不服審査法でも検察官の不起訴処分は不服審査の対象になっておりません。
  43. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 たとえば起訴猶予にしますね。起訴猶予にされた。自分は起訴猶予ではない。起訴猶予というのは、事実を認めて、そして情状によって、便宜主義で起訴猶予にしたわけでしょう。検察官が事実を認めたわけですからね。いや、自分は違うのだ、争っているのだ、その事実はないのだ。だから、罪とならずはまあこれは法律上の問題だから別として、嫌疑なしとか嫌疑不十分なんだという形で、その不起訴処分自身が間違っているのだという形の行政訴訟というか、そういうふうなものは行えないのですか。仮に行えないとすれば、それはどういうふうなことから行えないことになるのかな。
  44. 安原美穂

    ○安原政府委員 不起訴処分理由によりまして特別に、その処分を受けた者に法律上の不利益、利益というものの差異はございませんので、不起訴処分ということで一律にその理由によって利益、不利益を及ぼさない関係で、そういうものが不服申し立ての制度の対象になってないものだ、こういうように考えます。
  45. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、この不起訴処分というものも、一般の場合の、行政事件特例法なら特例法で言うところの、いろいろ行政処分とか、一つ行為といいますか、そういうふうなものであることはあるのですか。そこはどうなっているの。
  46. 安原美穂

    ○安原政府委員 検察権の行使も行政権の行使の一部でございますから、広い意味では不起訴処分も行政処分ではございましょうけれども、先ほど申し上げましたように、そのことによって特別に不利益を課するというような意味において権利義務というようなものに影響を及ぼす処分ではないということだろうと思います。
  47. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 だって、本人は絶対やっていないと言ってやっているわけでしょう。それを、いや、やっているんだ、やっているんだけれども勘弁してやるんだというような形になれば、本人の権利関係身分の問題とかいろんな問題に大きな影響が出てくるのじゃないですか。だって、行政処分なら、それは不服の申し立ての対象にならなくちゃおかしいんじゃないですか。
  48. 安原美穂

    ○安原政府委員 起訴猶予というのは、いわゆる刑事訴訟法二百四十八条による起訴便宜主義に基づく一つ検察官処分でございますけれども、いずれにいたしましてもそれは不起訴ということであって、あと、嫌疑なしとかいうようなことは全部検察官の内部における処分の内訳にすぎないので、そのこと自体でいかなる拘束力も生ずるというものでもなく、また確定力を持つものでもないわけでございますから、いわゆる行政処分のような確定力を持つものではない。いわば、その段階における一つの判断が不起訴処分という形でなされるというものにすぎないものだというふうに理解しております。
  49. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、確定力がない、だから、行政処分ではあるけれども、いわゆる行政処分ではないという意味ですか。そこがちょっとはっきりしないんだけれども。そうすると、本人起訴猶予では不服だ、だから犯罪の嫌疑なしなりあるいは嫌疑不十分――「嫌疑なし」と「嫌疑不十分」ということで被疑者補償規程適用が違ってくるわけでしょう。そういうことも絡んで、自分としては犯罪の嫌疑がなしなんだということでがんばって、ところが検察官の方では起訴猶予だ、というときには、それを受ける方としては何らの救済の手だてというか、そういうようなものはないのですか。
  50. 安原美穂

    ○安原政府委員 先ほど来申し上げておりましたのは、権利としてはないということでありまするが、いま申し上げましたように、現実の制度として被疑者補償規程というものが大臣の訓令で実施されることになっており、それの励行をしなければならない検察官の義務がありますとともに、そのことは官報をもって公示しておる制度でもございますので、したがいまして、被疑者の方から被疑者補償を受けられないかという申し立てが不起訴処分理由に絡んでありますならば、それについては、そのことが起訴猶予であって嫌疑なしではないということの説明は当然検察官としてはすべきものと思います。
  51. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 もとは「嫌疑なし」というのと「嫌疑不十分」というのは分けなかったでしょう。たしか一本でしたよね、いつごろまでだか忘れましたけれども。それを二つに分けたでしょう。どういう経過でこれを二つに分けたのですか。
  52. 安原美穂

    ○安原政府委員 日時は明確ではございませんが、昭和三十年ごろに従来の「嫌疑不十分」というものを、「嫌疑なし」、つまり「被疑事実につき、被疑者がその行為者でないことが明白なとき又は犯罪の成否を認定すべき証拠のないことが明白なとき」を「嫌疑なし」とし、「被疑事実につき、犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分なとき」を「嫌疑不十分」とするように分けた方が、不起訴処分の内容、つまり処分の正確性を期するという意味において適当であるという大臣のお考えで、事件事務規程の中にさような規定を設けた次第でございます。
  53. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 具体的に、「嫌疑なし」と「嫌疑不十分」とはどこがどういうふうに違うのですか。具体的な例を挙げて説明をしていただきたいと思うのです。これは被疑者補償規程にも絡んでくるから聞くわけで、きわめて恣意的なんですよ。
  54. 安原美穂

    ○安原政府委員 一番顕著な「嫌疑なし」というのは、つまり人違いというようなことがその一つの典型的な事例であろうと思います。
  55. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いやいや、ぼくが聞いているのは、「嫌疑なし」と「嫌疑不十分」とは具体的にどう違うのかというのを例を挙げて説明してくださいと言っているんですけどね。これはちょっと悪いかもわからぬけれども。それで、いまあなたの言われたのは「嫌疑なし」ですか。それは「罪とならず」じゃないんですか。人違いだというんなら、それは片っ方の人は「罪とならず」じゃないんですか。だから、「罪とならず」とか「嫌疑なし」「嫌疑不十分」と言ったって、これは各人の判断によってわからないんですよ。
  56. 安原美穂

    ○安原政府委員 「罪とならず」というのは、当該行為をやった者とその属性としての人物とが一致しておるが、その行為がその人間がやったと……(「もっとわかりやすく言ってくれぬかな」と呼ぶ者あり)たとえばAという人間がどろぼうをしたということで送致を受けて逮捕されたが、Aという人間はどろぼうをしていない、Bという人間であるらしいというようなときには、Aは人違いである。それは、Aという者については、罪を犯してない、嫌疑がないということが明白なときだということになる。ところが、Aが犯したことが、たとえば窃盗ということで送致を受けてきたけれども、それは窃盗ではなくて、本来それは本人の――いや、違います。たとえば、先ほどの例にありましたように、Aが刀剣を無免許で所持しておるという疑いで送られてきた。そうするとそのAについて、刀剣を持っておったことは事実である。しかしそれは免許証があったのだというときは、それは持っているということ自体についてAとの結びつきがあるけれども、免許証があるわけだから罪とならずだ、こういうことでおわかりいただけるものと確信をいたしております。
  57. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 「罪とならず」と「嫌疑なし」というのはわかりましたけれども、そうすると身がわりがはっきり出てきたときはどうなるのか。身がわりの人がはっきり出てきてそれが確定しちゃったら、今度は片っ方の人はどうなるのか。
  58. 安原美穂

    ○安原政府委員 身がわりがはっきり出てきたときですか。
  59. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 身がわりだというのがはっきりわかったときは片っ方はどうなるのか。
  60. 安原美穂

    ○安原政府委員 片っ方――片っ方と言いますと……。
  61. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 前に出てきた人。
  62. 安原美穂

    ○安原政府委員 それは「嫌疑なし」ということになろうかと思います。
  63. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、「嫌疑なし」と「嫌疑不十分」とはどう違うのか。だからその例を聞いているんです。「嫌疑なし」と「嫌疑不十分」とは具体的にどう違うのですか、こう聞いておるわけだ。なぜ聞くかというと、「嫌疑なし」の場合には被疑者補償規程適用があるわけでしょう。「嫌疑不十分」の場合にはないわけでしょう。そこではっきりとしたものがないじゃないか。だからそのときのぐあいで検事の方としても、率直に言えばこれは警察との関係ですよね。これは嫌疑なしだとかなんとかとすると、どうも警察の方から余りおもしろく言われないし、あの検事は腰が弱いとかなんとか言われるからというわけで、事件としては起訴猶予にしたり、そういう傾向があるんじゃないですか。それがあるから聞くわけだ。
  64. 安原美穂

    ○安原政府委員 その辺になりますと法律家としての検察官の心証の問題でございまして、心証というものは、これは心証でございますから言葉であらわすこと自体が非常にむずかしい問題でございます。結局、言葉で言えば、その人間が罪を犯してないという心証を受ける場合が「嫌疑なし」でありますし、犯してないとまでは確信しがたいというところが「嫌疑不十分」ということになるのではないかと思います。
  65. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、被疑者の場合に、嫌疑なしまたは罪とならず、それから起訴猶予にしろ嫌疑不十分にしろ、いろいろありますわね。それは、今度補償規程を整備することになるとそれを一々その人に通知するんですか。
  66. 安原美穂

    ○安原政府委員 刑事訴訟法告訴、告発をした者の不起訴のときはお知らせをいたします。そのほかはお知らせをするという法律のたてまえになっておりませんから、被疑者補償規程におきましても、今度大いに活用を図ろうとする活用の仕方といたしましては、先ほど来御質問を受けております「嫌疑なし」あるいは「罪とならず」という不起訴裁定をしたときは必ず補償事件として立件して、そして補償するかどうかを判断する。それから、先ほど申しましたように、本人から、おれは起訴猶予ではない、嫌疑不十分ではない、十分にシロであるということで補償してもらいたいという申し出があったときは、それを立件するというたてまえで運用してまいろう、こういうことでございます。
  67. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 前の方のはわかるのですが、後の方、申し出があったときに立件すると言ったって、本人に通知が行かなくちゃ本人がわからないのじゃないの。そこはどうなっているの。それはすぐそこで調べて検事が結論を出して本人に言うならばいいけれども、それは言わないでしょう、普通の場合。
  68. 安原美穂

    ○安原政府委員 起訴猶予いたしますときには、大抵検察官は、稲葉先生御案内のとおり、訓戒を施して、二度と来るなよと言って帰すわけでございますし、それから、逮捕いたしましてそれを釈放するときにおきましても、そういうことは言うのが実際上の慣例になっておりますから、本人が知るという機会は十分にあるものと期待しております。あくまでも権利として認めるというたてまえではございませんので、告知しなければならないということにも一応してないわけでありますが、十分にそういうことを承知し得る機会はあるものと考えております。
  69. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 起訴猶予にするときは検事は訓戒しますよ。訓戒するときは、気持ちがいいから優越感に浸ってするのだから――そうでもないけれども。だけど、仮に抑留、拘禁を受けた者を釈放するときに、本人に、あなたは嫌疑なしだとか、嫌疑不十分だとか、罪とならずだとか、そんな段階を分けて説明なんかしないでしょう。ただ適当に、帰っていいと言うか、その程度のことでしょう。分けて説明するわけじゃないからそんなこと本人は知らないじゃないですかと言うわけです。本人は知らないから、自分としては嫌疑なしだと思っているものが嫌疑不十分になっていたときなんか、そのままずっとわからなくて済んじゃうのじゃないですかと聞いているのです。
  70. 安原美穂

    ○安原政府委員 不起訴になった処分の内容を知るか知らぬかということについて、知らせる機会を与えるかどうかということになりますと、刑事訴訟法上そういうことにはなっていないわけでございますから、知らせる義務もないわけであります。問題はしたがって、被疑者補償規程適用の問題ということになりますと、これは被疑者補償規程で、「罪とならず」あるいは「嫌疑なし」として、罪を犯してないことが十分に認められるものについて補償することについて、検察官がきわめて公正かつ客観的にやるかどうかの信頼の問題ということになるわけでございます。そういう意味において、今後は客観的に公正にその運用を図っていこうというたてまえで通達を変え、あるいは規程を変えるわけでありますから、その検察官の良識に御信頼をいただいて、本人が内容を知らぬからやれなくなるということは、本来権利でもありませんから、検察官の良識に期待する制度としてその活用を図ることに御信頼をいただきたい、かように思います。
  71. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 本来権利でないということが盛んに出てくるのですが、本来権利でないと言ったって、権利的な色彩を含めるというので今度この規程改正しようということじゃないのですか。だから、規程の二条で、「抑留又は拘禁による補償をすることができる。」というのを「抑留又は拘禁による補償をするものとする。」というふうに改めるというのだから、これは権利的な色彩を非常に加味してきて改めるという意味じゃないの。何か大分話が違うな。どうなんですか、これは。
  72. 安原美穂

    ○安原政府委員 「するものとする」というのは、原則としてやるのだというたてまえを強くあらわすために「するものとする」としたのでありますが、法律論として言いますと権利を認めたものではない。権利性に近いものとして運用を図っていくということであって、運用を図るが、運用がうまくいくかどうか、かかって検察官の良識にあるということでございまして、申し出がなければ活用が図れないという前提で、申し出をする機会が少ないからこれはだめじゃないかとおっしゃるのはやや本来転倒ではないか、かように思います。
  73. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 だけど、「被疑者補償規程改正について」というようなことで法務省の出した文書を見ると、「補償に関する事件として立件しなければならない。」という中に、「本人から補償の申出があったとき」というのがあるでしょう。だから、本人がわからなくちゃ申し出もできないんじゃないですか、こう聞いているのです。
  74. 安原美穂

    ○安原政府委員 訴訟法上、その申し出をさせるような機会を与えるということをしなければならないということにはなっておりませんけれども、いま申しましたように、活用を図るという意味において、まず検察官が良識をもって判断する。その最後に「本人から補償の申出があったとき」という規定を置いておることは御指摘のとおりでありますので、申し出ができるような機会を与えるということについては運用上配慮すべきであろうとは思います。
  75. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いや、すぐそこで、本人がいるときに結論を出すのならいいと言うんですよ。なるほど次席検事のところへ行って決裁をもらってきて釈放しますよね。釈放するときに検事は内容を言わないでしょうよ。裁定やなんかはためておいて後から書くのが多いんだから、したがって言わないから、「本人から補償の申出があったとき」と言ったって、本人がわからないんじゃないか、こう言うのですがね。よくわからないな。これはどうして第三が出てくるのですか。この第三は例外的な規定でしょうけどね、通知するの、しないの。どういうふうにするのですか。告発や告訴の場合はわかりますよ。これは通知しなければならない義務が訴訟法にあるけれども……。
  76. 安原美穂

    ○安原政府委員 これは規定というよりも、「申出があったとき」という規定を置いておきまして、それをいかに運用していくかという問題でございますから、稲葉先生せっかくの御指摘でもございますので、そういう、逮捕して釈放したがその後に処分が決まったというような者につきましては申し出の機会を与えるように、あなたは嫌疑不十分あるいは不起訴になったということを知らせることは、運用上は考慮していきたいと考えます。
  77. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いま言ったように、「不起訴」になったことを知らせるのですか、「嫌疑なし」ないし「罪とならず」になった場合だけを知らせるのですか、どっちを知らせるのですか。まずそれがはっきりしてないと話がわからなくなっちゃいますよ。
  78. 安原美穂

    ○安原政府委員 先ほど来たびたび申し上げておりますように、「嫌疑なし」「罪とならず」のとき必ず立件するわけでございますから、そういうことを知らせる必要もないわけで、むしろそうでない場合の不起訴について知らせるということをして、そして被疑者一つの主張というものをそこでさせる機会を与えるということは十分考慮していい。したがって、「罪とならず」「嫌疑なし」ではなくて、その他の不起訴処分のときに、不起訴になったことを適宜の機会をつかまえて知らせる。釈放するときに知らせられるものは知らせるし、釈放した後に不起訴処分になったものはその不起訴処分になったことを知らせるという運用を図っていくべきものと考えます。
  79. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 運用の問題ですから今後いろいろ問題は出てくると思うのですが、ただ私の考えるというか、心配というと語弊がありますが、これは警察との問題ですよね。実際問題として、余り嫌疑なしなんかたくさん出すと検察庁としては警察当局との関係がまずくなるでしょう。まあそんなものはまずくなったって構わないといえば構わないのですけれども、実際は余り嫌疑なしと出すと警察の方で事件の捜査に熱を入れなくなっちゃうのです。あの検事は腰が弱いとかなんとか言ってやられるわけです。だから、嫌疑なしというのをいやがって嫌疑不十分という形にしたり、それから多少何かあるというと起訴猶予にしたりなんかしてやっていくというのが実際の運用じゃないかと思うのです。まあこのごろ変わったかもわかりませんけれども。  そこで不起訴の記録ですが、ちょっとくどいですけれども、不起訴になる、それで当事者が、自分は起訴猶予ではないのだ、嫌疑なしが本当なんだ、こういうふうなことを言ってきたときに、その不起訴の記録というのは本人にはいま見せないたてまえですわね。その見せないたてまえになっている根拠というか、理由。それから、この被疑者補償規程ができれば、新しい角度から、本人から申し出があればその不起訴記録というものを見せてもいいのじゃないですか。そこら辺のところはどういうふうに考えるわけですか。
  80. 安原美穂

    ○安原政府委員 不起訴記録については見せないというのが原則でございます。
  81. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 不起訴記録を見せないのはわかっているんですが、それはどこにどういう根拠があって、どういう理由づけから見せないのか、こういうわけですよ。それは本人の名誉とかなんとかということもあるんでしょうけれども
  82. 安原美穂

    ○安原政府委員 裁判公開の原則から、訴訟記録につきましては刑事訴訟法の第五十三条で、「何人も、被告事件の終結後、訴訟記録を閲覧することができる。」という規定がございます。そして四十七条で、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。」公益上の理由がある場合は別だ、こういう規定もございまして、その反対解釈といたしまして、捜査記録については公開をする義務はない。本人の名誉、それはいま、本人本人でございますから問題はないといたしましても、捜査上の秘密というようなことにわたる場合もございますので、公益上の理由ということでない限りは見せないということでよいという解釈をとっておるわけであります。
  83. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いまの訴訟法の四十何条か、これは起訴状一本主義の規定ですか、それから片方のは判決が確定した後の記録の閲覧の問題でしょう。だから、不起訴の記録というものが結局――それはだれでもかれでも行ってそんなもの見せろと言ってもこれは無理な話で、そんなわからないことは言いませんよ。ただ、私が言うのは、被疑者として抑留または拘禁を受けた者が、検察官処分が不服だと言ったところで、それに対する行政訴訟の方法もない。それで結局記録も見なくちゃ納得いかないというときに、検察審査会の制度は別として、検察官の不起訴処分というものが結局ベールの中に包まれていって、当事者本人ですら全くわからないという状態で行われているではないか。このこと自身が今後、あるいは将来というのか、いろいろ問題になってくるのじゃないか、私はこういうふうに思うわけなんです。なぜそういうことを言うかというと、いま言ったように、嫌疑なしとか嫌疑不十分とか言ったって、これは率直に言って本当にわからないんですよ。そこで片っ方のあれは補償規程でもらえる、片っ方のはもらえない、それが検察官の判断だけで決まってしまうということになってきて、その判断については法的な一つの不服申し立てとか何なりの方法がないということになるんですから。それだけ検事が起訴についての権限を持っているんだから重要だということはわかりますが、いずれにしてもそういうことなんです。  だけれども、不起訴記録だっていま見せている場合があるのじゃないですか。見せるでしょう。たとえば交通事故の場合の不起訴記録なんか、裁判所から要求があれば見せたり、問い合わせに応じているわけでしょう。それはどういう場合ですか、いまの場合は。
  84. 安原美穂

    ○安原政府委員 交通事故の民事訴訟などで、結局実況見分というようなものは、そのとき、その直後でなければ再現不能なことであり、他に立証の方法がないという場合には、一種の公益上の必要性ということから、その裁判に協力するという意味で不起訴記録を出すというたてまえにしておりますが、本件の場合はあくまでも、いま御心配のように、検察官運用よろしきを得なければ画餅に帰する制度であるということも間違いのないところでございますので、たびたび申し上げますように、検察官が活用を図る方法をいま考えて通達をしようとしているわけでございますし、なお、警察の顔を立てるとか申されますけれども、いやしくも検察官法律家でありますとともに、被疑者補償をする理由が罪を犯してないと認めるに足る十分な理由のあるときというときでございますので、そう警察の顔を立てるとか立てぬと言うべく余りにも明白な場合ということがあるわけでございますから、警察の顔を立てるために明白な場合を灰色にしてしまうというようなことは、これまた絶対にあることではないと思うし、あり得べからざることだというふうに考えておる次第でございます。
  85. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それから、いまの場合、不起訴記録の中でも実況見分だけでしょう。その見ていた参考人というか証人というか、目撃者なんかいますね。そういう人の供述調書なんかあるわけですね。そういうようなものですら、民事訴訟のときに検察庁に提出してくれと言ってもいまは出さないことになっているのか、どういうふうになっているのですか。非常に閉鎖的なんですね。こういう供述調書があるのだということを特定して要求すれば出すたてまえをとっているのか。それは公益の必要から言えば、実況見分調書だけでなくて、そういう場合だって必要になってくるのじゃないですか。
  86. 安原美穂

    ○安原政府委員 先ほど申しましたように、代替性のないものについて協力する。できるだけ捜査記録というものは公の法廷に出さないというたてまえを貫くとすれば、最小限再現不可能なものについては出すということで足りるのではないかという運用にしておるわけでございます。しかし問題は、あくまでも公益性の要求が捜査の秘密あるいは個人の名誉を守るということの利益とのバランスの問題として、その裁判に協力するということの公益性が大であるというような場合かどうかという具体的なケースの判断の問題として、場合によって出してはいかぬということはないと思います。出してもいい場合もあろう、かように考えます。
  87. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 これはいま直接これに関係ないからこの点はよしますけれども、それは交通事故の場合なんか、実況見分調書だけでなくて、目撃者の調書なんか、内容の吟味は別ですよ、出せば早く民事裁判なんか片づく場合が多いわけですね。そういうこともあって、それは何も不起訴記録だから出さないようにするという形だけでなくて、協力すべきものは協力していいのだ、こう思うのですよ。これはここのいまの問題ではありませんが。  この補償に関する事件、立件しますね。立件するというのはよくわからないのですが、立件というのはどういう意味になるかよくわかりませんが、立件をしたり裁定したときに「速やかに法務大臣、検事総長及び検事長に報告しなければならない。」検事総長と検事長に報告しなければならないというのは、これはわからないことはないのです。法務大臣にというのは、一体何でこんなこと――こんなことと言っては悪いのですけれども、これは報告しなければならないのですか。法務大臣は、捜査に対する指揮権は検事総長だけでしょう。各下の方の者に対してまでないのじゃないですか。それをなぜ法務大臣に報告しなければいけないのですか。
  88. 安原美穂

    ○安原政府委員 具体的な事件処分そのものではなく、それに付随する一種の行政処分でございますし、そもそも大臣が規程という訓令を出して励行を求めておる訓令の運用の問題でもございますので、法務大臣が訓令の運用がうまくいっているかどうかを監督するという意味においてその報告を徴したい、こういう考えでございます。
  89. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、たとえば選挙違反だとか涜職事件だとかありますね。逮捕する、勾留する、起訴するというときに、ぼくは出先の検察庁が検事長や検事総長へ報告するのはこれはいいと思うのですよ。法務省へ一体なぜ報告しなければいけないのですか。大臣、どういうふうに考えるのですか。これはどうして大臣のところに報告しなければいけないのですか。大臣がそれで何か握っていて、情勢をにらんでいて適宜にあんばいするわけでもないでしょう。何でこんなことまで大臣に報告しなければならないのですか。
  90. 安原美穂

    ○安原政府委員 およそ検察権の行使につきましては、法務大臣をトップといたしまして、内閣はその検察権の行使について連帯して国会に責任を負う行政権の行使の一部でございますから、その主管の大臣である法務大臣が、検察権の行使としての選挙違反の検察がどうなっておるかを承知しておくこと、そのことは決して悪いことではなく、むしろ知っておくべきである、かように考えております。
  91. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 私はちょっとそれについてはおかしいと思うのだ。検事総長に対するのはあたりまえだけれども法務省までそんな報告をする必要はないのじゃないか、こう思います。  それから、立件したもので「補償の要否又は補償金額を裁定する場合には、あらかじめ検事長に内議しなければならない。」この程度のことで一々検事長まで内議をしなければいけないのですか。これは恐らく、管内でA地検、B地検、C地検とあって、それが金額がばらばらになって決まってはいかぬということかもわかりませんけれども、この程度のことなら地検なら地検へ任しておいていいんじゃないですかね。
  92. 安原美穂

    ○安原政府委員 趣旨はいま稲葉委員御指摘のとおりのことで、バランスをとる、公平を期するということのほかに、しばしば当該検察庁の主任検事にこういうことをやらせるということは、けさほどの横山先生の言葉をあえて借用するならば、同じ穴のムジナが何とかおっしゃいましたが、要するにやりにくかろうということで、できるだけ違う上席の検察官をしてこの事件補償の要否を判定させるということにしておりますが、なお、同じ検察庁でございますので、さらに上級検察庁の、つまり検事長の監督のもとにおいて運用の適正と活用を図ろうということにねらいがあるわけであります。そういう意味においては歴史的な沿革のある理由でございます。
  93. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そこで、被疑者補償規程、これを今度整備するのか、または通達を出すのか、改正するのですか、そうしたときに予算関係は一体どういうふうにするのですか。いままで年間二十万ぐらいだったのでしょう。大体おおよそどのくらいのことを考えているわけですか。
  94. 安原美穂

    ○安原政府委員 予算上は、検察活動に必要な経費としての検察費の中の刑事補償金として、従来の実績にかんがみまして二十万円という金額を計上しておりますけれども、これはいわゆる補充費系統と申しまして、検察費自体がそうでございますが、足らざるものは必ず補充するというたてまえの費用でございますので、今後大いに活用を図るとすれば二十万円ということがあるいは不足するかもしれないという事態は考えられますけれども、それは予算上十分に賄い得ることに大蔵財務当局とも約束ができておりますし、また性質上当然に補充されるものでございます。
  95. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、この全体の趣旨国民は知らないですよ。被疑者補償規程があること自身を知らないですよ。だって、年間二十万しか予算がないのでは、あなた、知りっこないわね。これを知らせるのにどうするのです。あなたの内部で通達を出す、それだけの話で、一般国民には別に知らせることはしない、それほどの必要性もない、こういうことですか。
  96. 安原美穂

    ○安原政府委員 もちろん訓令の改正は官報によって公示いたしますので、法令の公示と一緒の手続をとるわけでございますし、なお、幸いなことに六法全書の大きいものには必ず載せていただいておりますので、そういう意味で公示が図れるものと考えております。
  97. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、官報というのは一体どのくらい出ているのですか。国民の何割ぐらい、何%ぐらいが官報を見ているのよ、あなた。六法全書というのは国民のうち何人ぐらいの人が持っているのよ。国民に知らせるというのに、あなたはそれで知らせるのに十分だと言うから、じゃどの程度の割合の人がそれで知っているのかということを聞くわけだけれどもね。いやな質問というか、変な質問だけれどもね、これは。まあ愚問だけれどもね。
  98. 安原美穂

    ○安原政府委員 法律というようなものでも官報で公示するわけですから、それ以下のもの、以上では絶対ないこの訓令でございますので、官報で十分とは申しませんけれども、必要最小限のことはしたということになるのではないか。なお、あくまでも、こういう規程の徹底を図るために、機会あるごとに検察官としては関係人にわかるような方法を講じていきたい、かように思います。
  99. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 検察庁としてはこういうようなのは、国民に余り大っぴらにこういう点を改正したというふうなことを知らせるということは、率直に言って余りやりたくないことでしょうね。余り自分の方の名誉に関することでもないし、そう思うのですがね。本当に知らせるというなら、一一検事の取り調べ室の後ろへ紙に書いて張っておくのよ。これはあたりまえの話です、国民に対してやるならば。嫌疑なし、罪とならずとなったときには被疑者補償規程でこれだけの金は取れますよ、だから国民の各位は遠慮なく――遠慮なくというかどうか、とにかく申請してくださいというのを紙に書いて、検事の取り調べ室の後ろへ張っておかないといかぬ。それが一番国民に対する親切だよね。そんなこと、あなた、とてもやりっこないわ。そこら辺のところはどうもはっきりしませんがね。こういう規程を設けるなら、立法化するしないは別として、もっと国民に知らせるようにしなければいかぬと思うのですよね。警察なり検察庁へ参考人として出頭した人が日当をもらえるということだって、みんなちっとも知らないですよ。現実にもらう人もあるかもわからないが。それは法律的に、参考人だから来なくたっていいのだから、来なくたっていいのに来たのだからやる必要ないのだという議論でしょう。それならみんな来ないですよ。それはそうでしょう。それならそんなの行かないですよ。それなら、参考人として呼ばれたときには行かなくてもいいのですよということを宣伝する以外にないわ、こっちも。そういう点が全体としてきわめて官僚的なんですよ。そういう点はやはり、国民法務省というか検察庁というかだから、十分考慮する必要があるんじゃないかと私は思います。これは私の意見です。検事にしたって、調べる事件が罪とならずとか嫌疑なしになることを予定して、後ろへ紙をはっておいて調べるというわけにいかないでしょうからね。それじゃどうも調子が悪いということになるだろうから、それはわかりますがね。  そこで、これはこれとして、刑事補償法の中で附帯決議の案というものがあるわけなんですが、これは恐らくあした横山委員からお聞きになるのじゃないかと思うのですが、よくわかりませんが、無罪の確定裁判を受けた被告人に対し、その被告人または弁護人が各審級における公判期日等に出頭するに要した旅費、日当及び宿泊料並びに弁護人報酬を補償する制度の採用について早急に検討すべきだということが附帯決議として出るらしいのですが、これは現在はまずどういうふうになっておるわけですか。
  100. 安原美穂

    ○安原政府委員 現在、刑事訴訟法では、検察官のみが上訴した場合の上訴が棄却になった場合のいま御指摘のような費用につきましては補償するということになっておることは御承知のとおりでありまするが、これを上訴のみならず、無罪になった被告人のために、その裁判が確定いたしました場合には、その本人並びに弁護人が出頭に要した旅費、日当あるいは弁護士に対しての報酬というものにつきまして、一定額の範囲におきまして補償してはどうかという考えに法務事務当局では立ち至りましたので、目下その当否につきまして法制審議会に大臣から諮問をしていただいておりまして、目下審議中でございます。
  101. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 検事控訴が棄却になった場合は、一つは法定通算の制度がありますね。これは決まっておりますね。それといま言った点が出てくるわけですね。そうすると、そのままの状態でいて、今度は被告人が控訴した場合も含めるように改正をしたいということのようなんですが、そうらしいですが、それはどうしていまごろになってそういうことを言い出したのですか。いまごろになってどうして言い出したのかというのはいやな質問だけれども、どうして最初からそういうことをあなた方でちゃんと言うようにしていかないの。どうしていまごろこういうふうなことを言い出してきたの。
  102. 安原美穂

    ○安原政府委員 無罪になった者の費用補償につきましてはかねてから国会で論議がございまして、すでに社会党の方では前国会におきましてもそういう刑事訴訟法改正をすべきだという議論がございましたが、かねがね事務当局といたしましては、要するに裁判において被告人となる者がある程度費用を負担するということは、刑事司法制度を遂行していく上において国民の受忍すべき範囲に属するのではないかという考えもあるので早急には賛成はいたしがたいけれども、要はどの程度国民の負担としどの程度を当該被告人の負担とするかという公平の原則のあんばいの問題であるから、これは絶対不動のものではない。時代あるいは財政の状態あるいは国民の感情の推移というようなものから相対的な流動的なものであるはずだということで、検討はいたしますということは前国会からも申し上げておったわけでありますが、いろいろ検討を重ねました結果、この際においてそういう限度において補償することは公平の原則にかなうことであるという判断に達しましたので、法制審議会に諮問をいたしたということでございます。
  103. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 この法案を出すときに当初から刑事訴訟法の一部改正として出すのが筋道だった、こう思うのですけれども、附帯決議として中へ入れたいということは、これは政府は関係してないかもしれませんけれども、院の決議になるらしいから政府は関係ないと言えば関係ないのですが。そうすると法制審議会にもう諮問したのですか。よくわかりませんが、諮問したとして、どういうふうな結論がいつごろどう出るのか。審議会だから、結論がどう出るということはこっちが決めることはできませんけれども、どういうふうになっているのでしょうか。そうすると条文のどこがどういうふうに変わるのですか。
  104. 安原美穂

    ○安原政府委員 三月三十一日に法制審議会の委員のお集まりをいただきまして、そこで諮問事項を御説明申し上げて第一回の審議を終わりましたが、続きまして、これは専門的な問題でございますので、法制審議会にございます、諮問事項を専門的に審議するための刑事法部会というものがございまして、刑事法部会で四月二十五日に第一回の部会を開いて審議をするということになっております。どういう法案かは、ちょっと手元に法案要綱を持ってまいりませんでしたが、要するに先ほど申し上げたような趣旨のことを内容として、そして問題は、どの範囲で、どういう場合にはしないことができるかというようなことも一応考え法案になっております。
  105. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると今国会に、今国会の会期は五月二十五日までなのか、あるいはどの程度延長になるのかどうかわかりませんが、提案できるのですか、どうなんですか。
  106. 安原美穂

    ○安原政府委員 われわれといたしましては、部会の審議を終わり、総会の御答申を得て立法作業に入るということに手続としてはなるわけでありまして、部会の審議がどれぐらいで終わるかは、部会のなさることでございますのでちょっと見通しはつきませんが、決してゆっくりしておってよい法案でもございませんので、間に合うものなら提出するつもりでございます。
  107. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 本会議もありますし、代議士会もあるものですから、本会議が終わってから今度大臣にいろいろお聞きしたいと思うのですが、お聞きしたい趣旨は、無罪の場合に刑事補償するわけでしょう。なぜ日本の裁判無罪が出るのだろうかということ、日本の場合は外国と比べてそれは無罪が少ないと言えば少ないかもわかりませんけれども、そういうようなこととか、どこに原因があるのだろうかということです。それと、今度アメリカで判決が出ましたね。例のミランダ判決というのがありますね。あれの内容がなかなかよくわかりにくい内容です。あれは五対四の判決ですからどうなるかわかりませんけれども、それが日本の今後の刑事裁判、特に無罪の出る一番最初の段階は捜査の段階ですから、捜査の段階における人権の保障との関係で、自白の偏重から無罪が起きる場合が多いわけですから、それとの関連で今後どういうふうに理解するかというふうな問題、これは本会議が終わってから私は質問してみたい、こういうふうに考えるわけです。
  108. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 本会議散会後再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後一時三十五分休憩      ――――◇―――――     午後三時二十分開議
  109. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  両案について質疑を続行いたします。稲葉君。
  110. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 先刻の質問の残りですけれども被疑者補償規程補償する場合に、本人の方から刑事補償と同じように新聞に公告してほしいというような要求があったときには、それはどういうふうになるわけですか。
  111. 安原美穂

    ○安原政府委員 現在の被疑者補償規程の第八条によりまして、「補償金の交付を受けた者が、交付の日から三十日以内に補償公示の申立をしたときは、官報及び適当と認める新聞紙一紙又はそのいずれかに、補償裁定の要旨を掲載して公示しなければならない。」と、申し入れに基づきまして公示することとなっております。
  112. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いままでそういう例はありますか。
  113. 安原美穂

    ○安原政府委員 そういうことはないようであります。理由は、先走って恐縮でございますが、申し出がないからであります。
  114. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 だから、被疑者補償規程というものが国民に全然知らされてないわけですよね。そういう規定があったって活用されていないというのは、知らされていないからなんです。恐らく、補償金を出すときだって、新聞に公告できるなんて言わないでしょうから。そういう点は権利じゃないからと言えばそうかもわかりませんけれども、そういうふうな規定があるならば、もっと国民に知らせるように骨折るべきじゃないかと私は思うわけです。  そこで、刑事補償というのはもちろん無罪のときですが、実際問題として無罪はいろいろ出てくる。そのことについて法務省なり何なりではいろいろ分析をしているんだ、こう思うのですが、どこで、どういうふうな理由というか、根拠といいますか、原因というか、そういうもので無罪が出てくるのか。たとえば捜査の段階に自白を強要したとかいう場合もあるでしょうし、それから法の解釈を誤ったとか、いろいろな問題があると思うのですが、また全部の統計といっても、あらわれてくるのが別な形であらわれてくる場合もあるので、実際問題としては統計はとりにくいのが事実なんですが、大半はやはり自白、供述調書の任意性がないということ、あるいは任意性があったとしても信用性がない、こういうふうなことが中心になるのが多いのではないでしょうか。
  115. 安原美穂

    ○安原政府委員 幸い最高裁の千葉刑事局長もおいででございますので、詳しくは、あるいは足らざるところは千葉刑事局長から補充をしていただきたいと思いますけれども、私どもの手元にございます「通常第一審事件無罪人員」という統計を見ますと、昭和四十八年度におきまして、判決人員七万四千五百三人のうち無罪人員は四百九人でございますが、その理由を大別いたしますと、われわれの承知しておるところでは、いま稲葉委員御指摘のように、憲法、法令の解釈上、公訴された事実そのものが罪とならないというものや、証明が不十分であるというもの、あるいは構成要件には該当するが違法性を阻却する事由、正当性とかその他の阻却事由の認められるもの、あるいは責任の阻却事由の認められるもの、あるいは最近たびたび無罪判決のございます、違法ではあるが可罰的違法性がないものというふうに大別できるのではないかと思います。そして、いま申し上げました証明不十分の中には、御指摘のように被告人の自白に任意性がなく、他に犯罪事実を認定するに足る証拠が十分でないというもの、あるいは被告人の自白に任意性があっても信憑性がなく、他に犯罪事実を認定する証拠が十分でないというようなものが証明不十分の中にあるということも事実でございます。  なお足らざるところは千葉局長から補充していただきます。
  116. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 問題は、自白の任意性がない、あるいは仮に任意性があったとしても信用性がないというか、そうしたものが捜査の段階で起きるわけですね。これはいままでそういうふうなことが一番大きな問題になってきているわけです。  そこで、私もよくわからないのですが、一九六六年の六月十三日にアメリカの連邦最高裁判所ですか、いわゆるミランダ事件判決と称するものを出しておるわけですね。これはいろいろあるようですが、そうすると、アメリカの刑事裁判の実際において、まずこの判決は一体どれだけの権威といいますか、あるいは価値といいますか、それを持っているものとして見ていいわけですか。
  117. 安原美穂

    ○安原政府委員 まずもって、外国の判決でございますので、もちろん重大な関心を持って調査はしておりますが、決して十分ではないと思いますことを御了承願いたいと思います。  ミランダ判決というものの特徴は、もう御案内だと思いますけれども、一九六六年六月十三日、アメリカ合衆国最高裁判所が、捜査段階におきます自白を証拠能力があるものとして許容するものについての基準を示した意味において、捜査機関側には従来にない厳格な内容の判断を示したところに特徴があるわけであります。  すなわち、判決の内容は、自白が証拠として許容されるためには、身柄拘束中の被疑者の取り調べに当たって、黙秘権のあることと弁護人選任権のあることを告知することを絶対的な前提条件として要求いたしますとともに、取り調べ中におきます弁護人の立会権を認め、さらに貧困な被疑者には取り調べの段階においても無料で弁護人を付さなければならないということでございまして、要するに黙秘権、選任権の告知のほかに、立会権と、貧困な者の国選弁護人の捜査段階における選任をしてもらう権利というものを告知して、それを求めるかどうかについての選択をさせなければならない。そういうものをしなければ、その一つでも欠ければ、その自白というものは証拠として許容できないというところの厳しい内容を持った判決でございます。  それは、調べたところによりますと、一九六四年の、それに先立つエスコビート事件という判決においては、この捜査中における弁護人の接見交通権を認めなかったということをもって自白の許容性がないという判断をしたエスコビート事件の発展の途上にあって、さらにそれを厳格にして、被疑者の取り調べの立会権、さらに、捜査段階における国選弁護人の選任権まで発展したというところに意味があるようであります。それまでのエスコビート事件までにおきましては、一般に自白の許容性については、個々のそういう条件の一つでも欠ければ許容性がないとはいたしませんで、ケース・バイ・ケースで、その自白をしたときの状況の全体から、当該被疑者に対して警察官の圧力に抵抗する能力があったかどうかというような観点を、英語で言うとトータリティー・オブ・サーカムスタンシスを考慮するということでございまして、またボランタリネス・テスト、任意性テストということで、全体的に総合考覈して判断したということで自白の許容性を認めておったのを、このミランダ判決に至って、一定の状況が存在すればそれ自体で他の状況を考慮することなく自白の許容性はないとするところにこの判決の画期的意義があるというふうに言われておるわけであります。  なお、先走るようですが、いま、権威はどれだけあるかというお尋ねでもございますので申し上げますと、この判決は、実は最高裁判所の五対四という、少数意見が四で多数意見が五ということで認められた判決でございまして、少数意見は依然として、先ほど私が申し上げましたボランタリネス・テスト、任意性テストを支持し、多数意見被疑者の人権擁護に偏り過ぎて社会公共の安全の要請を軽視していると反論しておる少数意見が四人おるわけでございます。さらにその後、この判決の直後におきまして、一九六八年には連邦議会におきまして、あたかもこのミランダ判決の許容性に挑戦するごとく、総合的犯罪撲滅及び街路安全法という法律が制定されておりますが、連邦議会で成立したこの法律におきましては、いま私が申し上げましたミランダ判決の多数意見考え方を否定いたしまして、この自白の許容性については再び、先ほど来申しております任意性テストを採用して、自白の許容性を大幅に認めるように改めているというようなこともございます。さらに最高裁自体も、ミランダ判決以後におきましては、若干同判決趣旨を後退させるような判決、たとえば一九七一年のハリス対ニューヨーク事件では、黙秘権等の告知等を欠いた場合の自白であっても、事実認定をするための証拠としては使用できないが、インピーチメントと申しますけれども、相手方の証拠の証明力を争う弾劾証拠としてそういうものが使えるのだということで、このミランダ判決もウォーレン・コートからバーガー・コートに変化してきておるのですが、そういうふうに若干後退しておるというようなことでございまして、いわばミランダ判決は画期的ではございましたけれども、連邦議会の制定法あるいはその後における最高裁の弾劾証拠として使えるというような判決を見ますと、必ずしもこのミランダ判決見解というものがアメリカ合衆国において定着したものではないということはうかがえるのではないかというふうに思われます。
  118. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、日本の刑事訴訟法と、仮にミランダ判決の中の多少の変化というか、そういうふうなものがあったとして、よくわかりませんけれども、あなた方はあなた方に有利なやつだけを調べているに違いないので何ともわかりませんが、どこがどういうふうに違うわけですか。
  119. 安原美穂

    ○安原政府委員 先ほども申しましたように、ミランダ判決では、自白を証拠として許容する前提条件といたしまして、身柄拘束中の被疑者については、黙秘権のみならず、弁護人の取り調べ立会権、さらには被疑者の国選弁護人選任権を告知しなければならないということになっておる、これらの権利を侵害した自白については証拠能力を否定するということになっておるわけでありますが、わが国の刑事訴訟法あるいは憲法その他全体の法制におきましては、被疑者の黙秘権なり弁護人選任権の告知につきましては、すでに昭和二十三年、西暦で合わせますと一九四八年に制定されました刑事訴訟法におきまして、ミランダ判決のように身柄拘束中の被疑者だけでなく、拘束されていない被疑者に対しても「あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。」と規定しております。刑事訴訟法百九十八条二項でございますが、そういう意味では、アメリカ合衆国よりも早い時期にこの告知義務を認めておるわけであります。  それに対しまして、被疑者の弁護人選任の告知につきましては、逮捕直後の被疑者に対しまして弁護人を選任することができる旨を告げなければならないと規定しておりますものの、被疑者の取り調べに弁護人立ち会い等の権利、あるいは被疑者段階における国選弁護人の選任権については、これを認める法制にはなっておりません。  なお、被疑者の捜査段階の自白の証拠能力につきましては、わが国の法制では当該自白の任意性に疑いのある場合に限定をして証拠能力を否定することとなっておりますが、ミランダ判決のように黙秘権とか弁護人選任の告知を欠いた事実だけで自白の証拠能力が当然否定されるということでなくて、いわば全体性、トータリティーで判断するということに解釈もなっておるわけであります。  以上の点が違う点でございます。
  120. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 弁護人が警察における四十八時間の段階でまず面会を求めるでしょうね。そうすると、あらゆる場合と言っていいくらいこれを拒否しますね。拒否という言葉が悪いのかどうか、いま調べ中だからということで拒否する。しかし大体の場合、四十八時間の中で会わせる場合もあるわけですけれども、これは四十八時間の警察の持ち時間の範囲の中の場合には、弁護人が被疑者と面会をする権利というものは権利として確立しておるわけですか。なぜこういうことを聞くかというと、刑事裁判無罪というのはほとんど最初の段階が多いのですよ。ここでの自白で、これが冤罪だということになって無罪になる場合が実際多いわけですよ。だから聞くわけですけれども、最初の四十八時間の段階には弁護人は被疑者と面会する権利というものははっきりあるわけですか、あるいは制限された権利としてあるわけですか。
  121. 安原美穂

    ○安原政府委員 権利としてあるわけでありますとともに、制限された場合があるということでございます。
  122. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それは具体的にどういうことですか。
  123. 安原美穂

    ○安原政府委員 刑事訴訟法の三十九条の三項の「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、捜査のため必要があるときは、公訴の提起前に限り、第一項の接見又は授受」というのは被疑者と弁護人との接見行為でありますが、「に関し、その日時、場所及び時間を指定することができる。」つまり、捜査のため必要があるときは時間、日時、場所を指定することができる。「但し、その指定は、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限するようなものであってはならない。」この規定に基づく制限でございます。
  124. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 だから、主としていま実際行われておる指定書や何かは検事の段階に移ってからの場合が多いでしょう。警察の四十八時間の場合には指定書とか何とか、そういうことを抜きにして面会をするかしないか決められているわけですよ、実際問題としては。そうすると、実際に調べていない場合であっても、弁護人が四十八時間の範囲内で会うのを非常にいやがって、そうして会わせないのが多いのじゃないですか。それは捜査の必要性というものにウエートがあるのか、あるいは被疑者の方の人権というものを中心としてウエートがあるのか。そこでいま調べ中だったら別ですよ、いま調べ中でやっているときなら別だけれども、そうでないときでも、休んでいるときでも弁護人に面会をさせないというような例が非常に多いわけですね。それは考えれば、弁護人に会うと自白しなくなってしまう、だから弁護人に会わせない。自白調書をとらなければならないというので、それで一生懸命やって会わせない。調べている段階でなくて、房に入って休んでいるときでも弁護士に会わせないというような形が実際に行われているのじゃないか。そこから変な自白の危険性というものも生まれてくる。これが現在の無罪裁判となる大きな原因をなしているのだと私は思うのですが……。
  125. 安原美穂

    ○安原政府委員 「捜査のため必要なとき」ということにつきましては、下級裁の判例によりまして、必ずしも物理的に取り調べをしておって時間がかち合うからというふうに制限的に解釈しなくてもよろしい。つまり、証拠隠滅のおそれがあるというような場合にも「捜査のため」ということに入るのだという、検察、警察意見をサポートする判決もございますし、捜査というのは取り調べを含めて広い意味だ。取り調べのため必要のあるときでなくて、「捜査のため」とあるのはそういう場合も含むからであろうという解釈を私どもはとっておるわけでございまして、そういう意味において、現実に物理的に面接が不可能な場合のみではないというふうに解釈しております。そしてまたそういう解釈でやっておるわけでございますが、そのために虚偽の、あるいは任意でない自白が得られるという点につきましては、必ずしもそれに同意いたしがたいのでございます。
  126. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それは、四十八時間内に弁護人が面会に行っても会わせないから、そこで虚偽の自白が行われるということに直ちに結びつくと思うわけではありませんが、そういうふうな場合が非常に多いのと、それから警察自身は、弁護士が最初に行った場合に合わせるのを非常にいやがるわけですね。ことに、いろんな事案がありますから一概にそれは言えないが、結果として、選挙違反なんかのときに弁護士を頼まれて行って会おうとしても、何をしゃべったのかということを聞きに行くだけの、そういう弁護士はいないだろうけれども、まあそれに近い人はいないから、遠い人はいるかもしれませんが、いずれにしましてもいやがるのは事実であります。  そこで、このごろ考えられてくるのは、検察官が勾留請求するときに、非常に多くの場合に接見禁止しますね。ちょっとした事件で接見禁止をする。その接見禁止は、どこからどういう要請があって検事の方で裁判所に接見禁止の申請をするわけですか。そういうことでしょう。警察の方で、つかまった人がしゃべらない、黙否権を行使している、だから、証拠隠滅のおそれがあるから接見禁止をしてくれということを検事のところに言ってきて、それは正式に文書で行くのか、あるいは付せんをつけて行くのかわかりませんよ、そこで検事はそのまま裁判所へ請求する。裁判所は接見禁止の請求についてはほとんどと言ってもいいくらい認めているわけでしょう。ただ多少内容を変えるのはあるけれども、ほとんど認めちゃっているという形が多いんじゃないのですか。それから共犯者の数が多いという場合もあるかもしれませんが、そういうところで被疑者の人権というものが非常に損なわれて、そしてともかく自白をとろうということで取り調べが行われるという形になってきておるのじゃないですか。どうして接見禁止の申請がこのごろ多いのですか。
  127. 安原美穂

    ○安原政府委員 稲葉委員が弁護人におなりになるような事件に多いというのでおっしゃっているのかもしれませんけれども、私ども統計で把握しておる限りでは、勾留しておる事件の七%しか接見禁止はついておらぬというふうに統計的には出ておるわけでございます。  それから、警察に頼まれてやるというよりも、やはり捜査段階においては検警一体となって捜査をいたすわけでございますから、それまでの警察の取り調べにおける意見というものを尊重するため、それを聞いて、そして検察官としてもちろん自主的に、これは接見禁止をお願いすべきかどうかということを、捜査のために必要があるかという観点から判断しておるわけでございまして、警察から頼まれたからやるというような自主性のないことは検察官はいたしておりません。またそういうことでは裁判所のお認めもいただけないものと思っております。
  128. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 警察から頼まれてやるというのは言葉は悪いかもわかりませんが、送検するときには実際には付せんか何かつけて来るんじゃないのですか。黙否権がちゃんと認められている。ところが黙否権を行使するとイコール証拠隠滅のおそれがあるというような形で実際みんなやっていますよ。みんなかどうかは別として、それで検事はそのまま接見禁止の申請をするわけですよ。そういうのは実際に相当ありますよ。それが非常に多いのと、それから七%と言うけれども、もちろん選挙違反だとか涜職だとか、それから公安事件なんかでやる場合が実際ですけれども、そうでない普通の事件でもすぐ接見禁止しますよ。これはあなた、幾らでも例がありますから。いま私のやっているのなんていうのは、黙秘権を行使したということで逮捕したというんだな。黙秘権を行使しなければ逮捕しなかったなんていう例もあるし、いろいろな例があるから何とも言えぬけれどもね。  そこで、いま言ったミランダ判決がその後どういうあれを受けているかはわかりませんが、日本でも、アメリカ人の被疑者の場合には、いいですか、現実に被疑者の段階ですよ、その場合でも、そのアメリカ人の被疑者が弁護人の立ち会いを求めるとかいうふうなことを言うと、弁護人に連絡をしている場合なんかも実際にはあるんじゃないか。それからよく入管で、アメリカ人なんかが入ってきたという場合、弁護士が来なければしゃべらないと言うでしょう。アメリカ人は権利意識が非常に発達しているから、弁護士が来なければしゃべらないと言うんで、それでしょうがないから、しゃべらないから、入管で弁護士を呼ぶでしょう。そして、しゃべっていいか悪いか一々弁護士に聞いて、弁護士がいいと言うとそこで初めてしゃべる。こういう形に外国人の場合、特にアメリカ人の場合はなっていることが実際問題としてあるわけですよ。日本の場合、訴訟法のたてまえはそこまでいってないかもしれぬけれども。  そこで、いま言ったように被疑者の間でも弁護人の選任を受けられるという形にすること、このことについては法務省当局としては一体どういうふうに考えておられるのかということですね。これはミランダ判決の少数意見にもありますわね。そうすると警察庁のお雇い弁護士ができるんだなんていう意味のことが書いてありますがね。これは弁護士の数が足りないからなかなかそうもいかぬかもわかりませんけれども、そういうふうなことも十分考えられていいんじゃないか、こういうふうに思うわけですね。これについては法務省当局としてはどういうふうな考え方をしておるわけですか。
  129. 安原美穂

    ○安原政府委員 何よりもアメリカのいわゆる徹底した当事者主義による刑事訴訟法における捜査構造と、それから実体的真実の発見ということを至上目的として、そこで人権と調和させていこうというわが国の捜査構造とでは、被疑者の防御権をどの程度認めるかについても、バックグラウンドにおいても相当違うものがあるわけでもありますので、ミランダ判決のとおりにやることにはとうていまいらないと思います。  ただ、いま御指摘の弁護人の問題につきましては、いわゆる私費で、私選で捜査段階でも弁護人を選任することができるわけでありますし、その選任したことを前提にして弁護人との立会人なしの接見交通を認めるたてまえになっておりまするから、たとえば貧困のゆえに弁護人が選任できないというような者にとっては、その点で扱いの上で結果的には不平等になっておるということは言えるわけでございますので、一概につけるべきではないというふうに言い切ることには問題があろうかと思いますけれども、基本的には、刑事訴訟法が捜査段階の国選弁護人を認めていないのは、憲法三十七条が刑事被告人に限って国選弁護人制度規定しておりますことと、先ほどの捜査構造あるいは公判の構造から言いまして、捜査段階はその期間も比較的に短くて、その後の公判段階で弁護人を付すれば十分な防御が可能になるということが考えられたのではないかとも考えられるわけでございます。  いま申しましたように、捜査段階で国選弁護人を付することは被疑者の権利の保護に役立つとは考えられますけれども、捜査の対象となっております被疑者が果たして公訴を提起されるかどうかもわからないのでございますし、国の費用で弁護人を付する必要性は公訴提起後の被告人に比べて小さいとも言えるのでございまして、その点なども十分に考慮いたしまして、今後捜査段階における国選弁護人の要否ということを検討していきたいというふうに考えておりますが、身柄の拘束を受ける者が、勾留において何しろ年間十万人ということになりますと、その十万人に国選弁護人を付するというようなことが、その必要性あるいは財政の負担というのを考えて、一概に簡単にいくことかどうか、そういうことも含めて全般的な検討を必要とするのではないかというふうに考えております。
  130. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 被疑者の段階の国選弁護人の制度、それは財政の問題とかいろいろな問題があると言うけれども、その枠の中からその問題を考えるのじゃなくて、国民の人権というか、金があれば捜査の段階で弁護士をつけられる、金がなければ弁護士をつけられない、そこで差ができてきて、しかもその捜査の段階での調べが裁判の中で一番大きなウエートを現実に占めているわけですから、そこで問題が、法の前の不平等と言えるかどうかは別として、出てくるわけですよ。この点について、確かに十万件あるのに全部つけろと言ったって、弁護士はそんなにいるわけじゃありませんから大変な騒ぎになるのはわかりますが、被疑者から申し出があった場合には何らかの形で考慮するというところまで人権の保護というか、それが進んでいかないと、民主国家としてはいけないのじゃないか、私はこう思うわけです。しかし、それは余り望みが大き過ぎるのだ、とてもそこまで日本の国家としては無理だ。その前提には、警察につかまったり検事のところへ来るのは悪いことをしたやつだという前提があるわけです。無罪の推定というのは理論的にあったって、事実上そうじゃなくて、悪いことをしたやつなんだから、無罪になるのはほんのわずかなんだから、そんなところまでとてもできないのだという考え方になってきているのじゃないですか。  それからもう一つは、ここにもありまする、取り調べが行われる間弁護人の立ち会いを求める権利がある、こういうふうに言っていますね。率直に言うと、私は前にもある裁判官なんかとある事件でお話ししたことがあるのです。これは非公式な話で、ここで申し上げるのはまずいかもわかりませんけれども、このミランダ判決のように、取り調べが行われる間は絶えず弁護人の立ち会いを求める権利があるのでは、これは実際問題として捜査がなかなか進まないですよ。だからこれは私は無理だと思うのですけれども、少なくとも調書をとる段階での弁護人の立会権を被疑者に認めることができれば、人権の擁護もできるし、それから無罪の者も、自白の偏重からくる無罪が少なくなってくるのではないか、こういうふうに私は考えるわけです。  そこで、いま言った二つの点について法務大臣の考え方を聞くわけですが、被疑者の段階で弁護人の立ち会いを求める権利、それから貧困な場合の国選弁護人の選任権の問題、こうしたことについて大臣としてはどういうふうにお考えになっておられるのか、こういうことをお聞きしたいと思うわけです。
  131. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 被疑者の人権擁護というたてまえから、貧困なるがゆえに四十八時間の被疑者段階の取り調べ中は弁護人をつけられないという点……(稲葉(誠)委員「四十八時間だけじゃないんだ、二十三日もあるんだから」と呼ぶ)検察当局へ送ってからも二十三日間、それは立ち会いのことですね。(稲葉(誠)委員「両方」と呼ぶ)少なくとも調書をとる段階では弁護人の立ち会いを認めてはどうかとか、それから……(稲葉(誠)委員「全体の国選です」と呼ぶ)国選弁護人を被疑者の段階でもつけたらどうか。後の方は、憲法三十七条を窮屈に読むか広く読むかという問題にもかかってまいりまして、検討を要すべき問題でございます。きわめて専門的なことでございますから、刑事局長にひとつ……(稲葉(誠)委員「刑事局長はいま答えたのです。答えたからあなたの方に」と呼ぶ)刑事局長がお答えしたようなことになるのではないかというふうに私も存じます。
  132. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それはいいのですが、いまあなたの言うのは国選弁護の問題だけでしょう。そうじゃなくて、弁護人の立会権の問題はどうですか。それについてはどういうふうにお考えでしょうか。これは別に憲法とは関係ないんじゃないですか。
  133. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 それは関係ない。先生のおっしゃるのは、しょっちゅうでなくて、少なくとも調書をとる段階にきたら、そこで弁護人の立会制度を採用したらどうかという点でございますが、これはいいような悪いような、プラス、マイナス、いろいろあろうかと思います。私自身個人的にといえば、なるべく人権は尊重した方がいいように思いますね。
  134. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 あなたのお口から出てくるのも、なるべく人権を尊重した方がいいという言葉でしょう。「なるべく」という言葉が出てきたのはどういう意味か知りませんけれども、そこら辺がちょっと感覚的に……。だから、警察なりどこかへつかまったのは悪いことをしたやつなんだ、悪いことをしたやつなんだから、それが処罰を受けるのはあたりまえなんだという前提で言っておられるのじゃないかとぼくは思うんですよ。だからなるべく人権を尊重した方がいいということになってくるんでしょう。「なるべく」じゃないんじゃないですか。人権尊重というものは「なるべく」でいいのかな。それはそんなものですか。
  135. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 刑事被告人の人権と、捜査のしやすいやり方というか、それは公益上必要なことですから、その兼ね合いが必要だから「なるべく」と、こう言ったのです。
  136. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それはぼくは話がおかしいと思いますよ。ここで議論してもしようがないですけれどもね。基本的人権というものが先にあって、それが公共の福祉によって制限されるという考え方なのか、公共の福祉というものがあって、その枠の中に基本的人権というものがあるという考え方、二つの考え方のどっちをとるかということですよ。いまのあなたの考え方は、公共の福祉の枠の中に基本的人権があるというふうな考え方らしい。刑事訴訟法一条には、「公共の福祉」が上に書いてあるわけですよ。そう書いてあるでしょう。これは原案のときはそうじゃなかったはずですよ。「基本的人権」が先に書いてあったんですよ。それが途中でひっくり返っちゃったんです。私もそれを調べたことがあって、これはおかしいなと思ったことがあるのですけれども、いずれにしても、人権を保障するという大原則をちゃんと掲げて、その枠の中での公共の福祉による制限という考え方でなければ、国民は危なっかしくてしようがないじゃないですか。私はそういうふうに思いますよ。ここで抽象的な議論をしてもしようがないですけれども、そう私は思います。何かおありになれば……。
  137. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 基本的人権の枠内の公共の福祉とか、公共の福祉の枠内の基本的人権とか、そういう決め方には私賛成しかねるのです。つまり、人間個人の自由とか独立性とかいうことと公共の福祉という、この関連をどう考えるかは、私は、こっちの方が先でこっちの方が後、こっちの方が先でこっちの方が後、つまり、人間個人は公共の部分だとか、それから公共は個人目的達成のための手段だとか、そういうようにきめつける個人観、社会観、そういうことでは困ると思っておるものですからね。どうでしょう。
  138. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 それは話は別ですけれども、ここでそういう議論をしていても抽象的な議論ですから意味はないのですから……。  そこで、私がまた疑問に思いますのは、刑事補償法補償を受けますね。受けた人であって国家賠償を請求して国家賠償を受ける人というのはどの程度あるのですか。これは統計にあるわけですが、それが一つと、その場合に金額としては国賠の方が――これはもちろん賠償を両方からもらえるわけじゃありませんから、片っ方もらってそれは引くのだと思うのですけれどもね。そうすると、国賠の場合には刑事補償金額と比べて金額にどの程度の差があるのですか。多く出るわけでしょう。国賠の方がたくさんもらえるわけでしょう。どういうふうになっていますか。
  139. 安原美穂

    ○安原政府委員 無罪になった者から提起されまた国家賠償請求事件のうちで、昭和三十五年以降に裁判が確定いたしたものは十四件ございまして、このうち被告である国が敗訴いたしたものは五件で、その余の九件はいずれも請求が棄却されておりますので、その五件につきまして刑事補償との関係を見てまいりますと、鳥取地方裁判所米子支部でなされました殺人傷害の被告人に対する刑事補償はトータル十九万円でございますが、それが国家賠償におきましては認容金額が百六十万ということになっておりまするから、十九万の刑事補償とは違って、相当違う金額の高い裁定がなされておるわけであります。  それから例の有名な松川事件におきましては、第一次控訴分と、それから第二次の上告審と二つのグループに分かれておりまするが、刑事補償におきましては一日当たり三百円で三名の者がトータル九十七万五千六百円でございましたが、この人たちと、それから別のグループの一日当たり四百円の方が十七名分ございますが、これは全部で千五百十二万九千六百円でございまして、トータルいたしまして刑事補償額は千六百十万五千二百円でございましたが、その後東京地裁、東京高裁に国家賠償事件が係属いたしまして、結論といたしまして、認容金額は国家賠償においてはトータル七千六百二十五万九千八百三十三円でございまして、これは先ほどの刑事補償金額を差し引いておりますので、これをトータルいたしますと約九千万円の国家賠償相当額の認容がなされたということになるわけでございます。  さらに、神戸地方裁判所の尼崎支部でなされました詐欺事件無罪犯人につきましては、刑事補償は一日当たり四百円で十一万四百円でございましたが、国家賠償におきましては百三十八万九千六百円という認定がなされておりまして、十倍以上の認定でございます。なおこれもいま申し上げました刑事補償金額を除いておりますので、これを加えますと約百五十万円の認定がなされたということに相なるわけでございます。  その他の国家賠償の認められた二件につきましては不拘束でございましたので、国家賠償と刑事補償は比較できないわけでございます。
  140. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いまの敗訴になったという例の中にもいろんな例があると思うのです。すでに金額としては出てきているけれども刑事補償で十分だからというので敗訴になったのもあるのじゃないかと思うのですけれども、それは余り細かいことですからいいのですけれども、松川の事件は特殊な事件として別の問題として、一般的な事件として見たときに、刑事補償金額と国賠でやったときの金額と非常に差がありますね。この差があるのはどこから出てくるわけですか。これは具体的にどこから出てきたのですか。
  141. 安原美穂

    ○安原政府委員 概観的に申しますれば、刑事補償においては過失の有無を問わないという意味において、過失があったかどうかということが金額の裁定においては重要なウエートを占めておらないが、国家賠償においては故意、過失ということが認定の前提になるわけで、そういう意味において賠償額も多かるべきだという判断が裁判所でなされているのではないかと思われます。
  142. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いや、故意、過失があろうとなかろうとこちらの方の損害の発生でしょうが。損害の発生によってそれは認定されるわけなんだから。これはおかしいぞ。損害額がどうしてそんなに多くなるのかということ。故意、過失があったとかなかったとかということによって損害額が多くなるのじゃないもの。現実に損害が発生しているから多くなっているのだから、どうしてそう違うのだろうかということです。
  143. 安原美穂

    ○安原政府委員 御指摘のとおりでございまして、それを故意、過失があるからと、こう申し上げたのは、やや迂遠な筋道の説明で恐縮でございますが、要するに、片一方の方は損害の全額を補償する制度であり、片一方は過失の有無にかかわらず定額的に補償する刑事補償制度からきて、必ずしも全損害を補てんするものではないということからくる差異であろう、かように考えます。
  144. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 どうもそこら辺のところが……。ただ、具体的な例が少ないものですから、もっとたくさんあれば、率直に言ってぼくももっと強く言って、刑事補償金額というものをもっと上げなければいかぬという強いあれはできると思うのですけれども、例がわりあい少ないものですからあれなんですけれども、いまの話を聞いてみても、現実に発生した損害というものは非常に大きいわけですよね。これは各人によって違うからと言えば違うかもわかりませんけれども刑事補償金額と非常に違うのですね。それを何とかもっと接近させなければ、国民の常識というものと何か合わなくなってくるのじゃないですか、定型的だ、定型的だと言ったところで。現実のいまの尼崎にしろ、あと鳥取ですか米子ですか、いろいろありましたが、そういうように非常に金額が違うのです。それから見るといかにも刑事補償金額は少ないという印象を与えるのですよ。だからこの刑事補償金額というものはもっとふやすべきだというふうにぼくは思うわけです。国家の権力によってあれされて、そうして無罪になってきたということですからね。恐らく立案者なり何なりの頭の中には、無罪になったのだけれども、それは本当の無罪じゃないのだ、灰色なんだ、どこかあれがあるのだ、起訴した以上全面的な一〇〇%のシロなんてないのだ、どこか灰色なんだけれども、疑わしきは罰せずで無罪になったのだが、何となく割り切れないという気持ちがあるわけですよ。あるから余り上がった金額が出てこないのですよ、率直な話としては。だからこれはもっと上げなければいけませんね。  そこで大臣、将来、――いまのところではもう法案が出ていますからこれはこれとして、今後もそういうふうなことを十分考えて、この補償金額に対してどういうふうに考えていくのかということですね。これは大臣としてどういうふうにお考えでしょうか。
  145. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 刑事補償金額のいままでの例をそのまま、ああいう金額でよろしいとは申し上げないのであります。これは引き上げるべきだと思います。国家権力による人権侵害の償いをすべきものだ。それは金銭による以外にないものですから。ほかにあれば別ですが、金銭による以外にないとして、金銭で賠償する場合はもう少し上げていった方がいいな、こういうふうに思いますね。
  146. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いま議員の方でも立法考えておる被害者補償、それから法務省の方でも被害者補償考えて、どの程度進んでいるか。いろいろあちこち調べているわけでしょう。そうすると被害者補償の場合はどうするのですか。これはやはり定型化するのですか。そういう考え方に立つの。あるいは定型化しない考え方に立つの。これはどうなんですか。
  147. 安原美穂

    ○安原政府委員 被害者補償につきましては、たびたび申し上げておりますように、まだ、実態調査をする、あるいは外国の運用の実態を見るというような状況でございますので、どういう形の補償にするか、つまり補償金額をどういうスタンダードに持っていくか自体も決まっておりませんけれども一つの型としては、いま稲葉委員御指摘のような一種の定額的な補償という制度が相当数の国家においてとられておりますし、あるいはいわゆる生活保護型というような型もございますし、全損害補償型というのもございますので、どういう型をとるかはこれから真剣に考えなければならない問題だと考えております。
  148. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 そうすると、被害者補償で定額化ということを考えられたときに、この刑事補償金額との関連はどういうふうになるのですか。片一方は被害者でしょう。片一方は被害者じゃないのだけれども、中へ入っていって結局やっと無罪になった人ですね。その均衡ということも十分考えなければならないわけですから、なかなかぼくはむずかしいと思うのですけれども、そこの金額、たとえばいまの被害者補償の場合の定額化したときに、この刑事補償の場合の金額が一応の標準になるのかならないのか、あるいは参考になるというのか、あるいは全く関係ないというのか、そこら辺のところはどうなのかということ。逆に、被害者補償の方の定額化が仮に、どういう金額が出てくるのかわかりませんが、出てきたときに、それと刑事補償金額とは全く無関係なのか、ある程度それをしんしゃくするのか、標準にするのか。そういう点はどうなるのですかね。
  149. 安原美穂

    ○安原政府委員 直接結びつくものではないように思いますけれども、やはり広い意味での一つの公平の観点からくる補償制度でございますから、もちろん被害者補償制度金額考えるに当たってはいわゆる刑事補償金額というものもにらみながら、適当な、しかし同じ位置づけでないが、そういうふうにいろんな理由考えながら、それを無視しないで、それも考えながら適当な位置づけを発見すべきであるというふうに考えております。
  150. 稲葉誠一

    ○稲葉(誠)委員 いろいろありますけれども、一応私の質問はこれで終わります。
  151. 小宮山重四郎

  152. 横山利秋

    横山委員 先般来いろいろと御質問いたしましたが、簡潔に、最後的に政府のお考えをただしたいと存じます。  まず、法務大臣は過ぐる法務委員会で私に、被疑者補償規程の法制化を検討する、そうおっしゃいましたが、議事録に残っておるわけでありますが、そのことに間違いございませんね。
  153. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 この間お答えしたことを実行に移さなければ申しわけないと思いまして――被疑者補償規程についてはその運用が十分でないというあなたの御指摘があり、御批判がありましたので、これに答えてあのような答弁をいたしましたから、早速その日から事務当局に検討を命じましたところ、改正案がまとまりましたので、近くこの規程改正し、その運用について万全を期するよう配慮する所存でございます。
  154. 横山利秋

    横山委員 御答弁が違うのであります。知っておってとぼけられるのか、知らぬでとぼけておるのか。私がお伺いしておりますのは、被疑者補償規程の法制化について、検討するとおっしゃったのであります。
  155. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 大変失礼しました。あなたのは国会の議決を経た法律にしてという意味での立法化、いまのは実質的意味における立法化。被疑者補償規程、訓令を改正する、これも一つ立法化でございますね。(横山委員「違います」と呼ぶ)しかし広い意味における、実質的な意味における立法化でございますね。(横山委員「いや、違います」と呼ぶ)しかし、あなたのおっしゃいますのは形式的意味における立法化、つまり国会で議決した法律にせいと、こういうことを立法化とおっしゃるのでしょう。その、被疑者補償のその意味における立法化につきましては検討をいたしました。その結果、刑事訴訟法のたてまえと矛盾するなど、困難な多くの問題点がありますので、現段階においては遺憾ながら立法化を図るという結論には達しませんで、見合わせるということであります。
  156. 横山利秋

    横山委員 大臣ともなれば、綸言汗のごとしという言葉がございます。しかも、これはきょうに始まったことではなくて、あの際にも申しましたように、ここにも一人元大臣がいらっしゃるのですが、歴代の大臣に私がこの点は主張しておるところでありまして、懸案の問題でございます。そういう懸案の問題を、少なくとも整理もされ、事前に検討も法律についてされておられて、なおかつ立法化について検討をするとおっしゃって、あれから半月かそこらしかたっておらないはずであります。それが、検討したけれどもやっぱりだめだというのでは、これは理屈に合いません。それはさきの答弁を取り消されるか、あるいは少なくとも、半月であってもまじめにやったのだけれどもだめだったのだと、そうおっしゃりたいとは思いますけれども、それはいまに始まった問題ではないのでありますから、数年間の問題でありますから、やっぱり言ったことにもう少し誠意を持って責任をとってもらわなければ困るのであります。
  157. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 私は、申しましたように、今日、あなたがそういう質問をされるから、現段階においては立法化を図るという結論には達していないと、こう申し上げたわけであります。
  158. 横山利秋

    横山委員 ああなるほど。ああそうですか。わかりました。よくわかりました。現段階においては立法化はできない、引き続き立法化については将来検討すると、こういう意味でございましたか。
  159. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 あれ以来一月ぐらいたちます。一月も検討した結果、現段階においては立法化を図る考えはありませんと、こういうことでございます。また将来は別……。
  160. 横山利秋

    横山委員 まあ、何か言葉のやりとりだけでは余り感心しないのでございますけれどもね。  もう一遍それではお伺いしますが、大臣としてはもうこの被疑者補償規程立法化については断念をされたのか。それとも将来――私は矛盾はないと思っておるのですよ。決して矛盾はない。お役所が何と言ったか知りませんが、私は矛盾はないと確信しており、すでにもう過ぐる二十年前に法律案がこの国会に出たことがあるのですよ。法律技術上もできるのですよ。観点が違うから、それは適当でないという考え方、適当であるという考え方がある。私は適当であるという考え方なのです。だから、いまの段階ではもう間に合わないし、この段階ではもう勘弁してくれ、しかし、綸言汗のごとし、男が一たん言ったことに変わりはない、将来に対して法制化については検討をする、こういうことならさっぱりとそれで私は引き下がりますよ。現段階とおっしゃる以上は、いまはいかぬけれども将来は考えるということならそれで結構です。
  161. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 あれ以来検討をいたし、それから――これは要するに目的は、被疑者というものはいろいろ迷惑している、それを助けてやろう、多少とも償おう、こういうことですね。そういう目的なんです。そこで検討をさした結果、それからなるべく立法化も考えたらいいじゃないか。あなたのおっしゃる意味立法化ですよ。そうしたところが、被疑者補償規程を十分に検討をし直して、そうしてこれで最初の本来の目的――目的は被疑者を助けてやろうというのですから、それを達成できる、これで行こう。したがって、現在の段階においては、国会の議決を経た法律にまでも高めていく必要は、まだ時期尚早ではないか。これをやってなお不十分な場合、将来検討に値するかもしらぬけれども、現在の段階においてはあなたのおっしゃる意味の形式的立法化を図る考えはない、こういうことを申し上げているわけですから、御了承願いたいと思います。
  162. 横山利秋

    横山委員 大臣、余りくどく言いませんけれども、大臣が善意で立法化を検討しようとお約束されたことについて、わずか半月かそこらで、一月でも同じようなものですよ、できませなんだと言うことは少し軽率ですよ。私の言うのは簡単に言うとそういうことなんです。あの当時でも、できぬ、できぬと言う人がたくさんおった。私はできる、できると言っておった。矛盾はないと思っている。私はいまでも本当に立法化について確信を持っているのです。やらぬだけです。それはこの間もいろいろ言うたのですけれども、そういう理由というものはない。私は立法化していいんだと思っているのですよ。あなたが部下に真剣にやれと言って御命令なすった、部下が検討してみた、だめだったというその報告を御了承なすったということだけであって、あなたが全面的に手に取り、自分が政治家として具体的にそれがいいとか悪いとかという判断をなすったわけではなくて、部下を御信頼なすっての結論だろうと私は思うのです。部下を信頼されて、部下が法制化は今回できませなんだという報告を了承なすったのでしょうと言うている。そうでしょう。あなたが自分で検討なすったわけではないでしょう。
  163. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 そうではないのですね。そうではなくて、大臣訓令たるこの被疑者補償規程によってこれだけのことをやれば、最終目的たる被疑者に対する被害の償いはできるんじゃなかろうか。それをさらにそのまま立法化することは、改正された被疑者補償規程の内容そのものをそのまま立法化することについては、刑事訴訟法との関係もこれあり、いろいろ支障があるということを聞いて、それもあるかなと思っているけれども、それについての反論をいま考えて、私は事務当局のそういう理屈をまた覆すような理論があれば立法化できるじゃないかということを考えて考慮中でありますから、現在の段階ではそこまで行っておりませんからあなたにはっきりした答えはできない、こう言っているのです。違うでしょう。あなたは私のことを想像して、いろいろなことをそんたくしておっしゃるけれども、私は違うでしょう。
  164. 横山利秋

    横山委員 大臣、ここに昭和三十一年四月十五日の刑事補償法の一部を改正する法律案というのがあるのです。法律化はできているのです。この法律案に対していいとか悪いとかという批判はあると思うのですよ。私もいま直ちに、いま政府から出されております法律案、あした採決というところなんですが、そのときに一緒にこの被疑者補償規程立法化しろと言っているわけじゃないのですよ。それは法律技術上にもいろいろあるだろうし、役所にいろいろな手続もあるだろうから、とにかく立法化の道をたどれと言うておるのですよ。ですから、いま直ちにやれと言っているわけではないのです。そこのところは余り言うと、これから大臣も誠意を持ってお答えにならぬ、逃げ口上になっちまうのでこれ以上言いませんけれども、しかし綸言汗のごとし、一たん議事録へ残したお話というものが半月や一月で無造作に変わるようなことのないように私はしてもらいたいと思いますがね。
  165. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 私は無造作にくるっと変わっているんじゃないんです。とにかく目的を、さっき言った終局目的を大臣訓令たるこれによって運用してみて達せば、立法化を必ずしもする必要はないのではないか。ただ、大臣訓令と国会の議決を経た法律とでは重みが違う、あるいは周知徹底の仕方が違うとかということでの差異はあろうかと思うのでございます。それだから、立法化する場合はそれではどういう不都合があるのかということについては、刑事訴訟法との関係上いろいろ矛盾を生ずるという理屈が出てきました。その矛盾が出て、こういう矛盾がある、こういう矛盾があるという理屈に対して、これを反論するだけの私に力がないものですから。しかし力がないと言ったって無能力じゃないのだから、これからは一生懸命にやって、事務当局をぴしっと言わしてやろうかなということで検討しているのでございまして、決して、くるっと変わって、やらないことにした、あきらめたなんというものじゃないのです。私はしつこいのですから……。
  166. 横山利秋

    横山委員 まあいいです。  それではその次に、いまの、大臣の話がございました被疑者補償規程改正について質問をいたしますが、時間の関係上先ほど理事会で政府側から一応の説明がございました。この説明の中で私が二、三ただしておきたいと思いますのは、先ほどもちょっと触れたわけでありますが、この「補償に関する事件の立件手続」のうち、三項、「本人から補償の申出があったとき」それから「裁定の場合の留意事項」の一、「補償金裁定の基準に関する事実関係について本人意見を徴すること。」等、「本人」が出てまいります。この被疑者補償規程改正は、やってもやらなくてもどちらでもいいのではなくて、少なくとも、該当する場合は「補償するものとする」というふうに改正されるならば、本人に対して、補償の要求をするか否やの申し出を本人が事前にできるように通告をし、本人の意向を事前に聞く内容が規程の中に入るのであるかどうかを確認しておきたいと思います。
  167. 安原美穂

    ○安原政府委員 被疑者補償規程の原則はあくまでも、検察官が不起訴処分の裁定をいたしました場合の「嫌疑なし」または「罪とならず」というときには必ず補償するかどうかを立件するということによって活用を図るわけでございます。なお、御指摘の「本人から補償の申出があったとき」も立件するということになっておりますから、本人からも補償の申し出ができるように配慮することを運用上は考えなければなりませんので、不起訴になりました場合におきましては本人にそのことを知らせるという配慮は運用上なすべきものと考えております。
  168. 横山利秋

    横山委員 それから、この立件ということなんですが、あなた方は専門家ですからおわかりだと思うのですが、「立件」ということの意味をひとつ正確に言うてもらいたいと思う。私が理解するところ、こういうことでございますか。立案という役所の内部の言葉と違いまして、さらに意味が強くて、部内において公式な手続が始まり、それは結果としてイエスかノーか、公式に内部において結論が明白になる、そういう意味であると理解してよろしいのでしょうか。
  169. 安原美穂

    ○安原政府委員 おっしゃるとおりで、正確な御指摘でございます。
  170. 横山利秋

    横山委員 それから、「通達の骨子」を拝見いたしましたが、その「運用の基本的方針について」の中で、「抑留又は拘禁によって生じた損害検察官の健全な裁量により、進んでこれを補償しようとするものである」という、その「健全な裁量」とは一体いかなる意味ですか。
  171. 安原美穂

    ○安原政府委員 私情におぼれず、公益の代表者として人権保障の観念に徹した裁量ということでございます。
  172. 横山利秋

    横山委員 きれいに言うとそういう言葉ですが、私流に解釈すれば、自分の間違ったことを隠さずに、それは済まなんだという気持ちでまじめにやれと、こういうふうに理解してよろしいのでしょうか。
  173. 安原美穂

    ○安原政府委員 そのとおりでございますが、間違ったというよりも、結果的に間違っておるというのは気の毒であるということでございます。
  174. 横山利秋

    横山委員 わかりました。  次に、大臣に伺います。理事会で附帯決議につきましていろいろ相談をいたしておるわけでありますが、私どもは、補償金額の問題につきまして、死刑執行による補償額を自動車損害賠償保障法の死亡の場合における賠償額の改正予定額、つまり一千五百万円以上の額にせよという主張をしておるのであります。これに対しまして政府側から、自賠責のやつは少し死刑執行の場合と内容が違うという意見はございます。それはよくわかりました。わかりましたが、自動車事故で死んで千五百万、国が裁判を間違えて人を殺して一千万、何ともこれは理屈に合わぬ話でございます。私はそういう意味で常識的に、自賠責の死亡の場合改正予定額が一千五百万であれば少なくとも千五百万以上にしろと言うのですね。この点について与党並びに政府側も御好意を持ったお話ではございました。  それから、抑留、拘禁等による補償最高日額ですが、どうもきょうの参考人の皆さんも、多々ますます弁ずで、政府案がいいか野党案がいいか、それは議論はいろいろありますというようなお話です。しかし、私は言うたのでありますが、補償最高日額を労働省の月別勤労統計による平均月間金額の日額、日割り額と同額とせよという意味も、最高額でございますから、そんなもの最高額でなければ別でございますが、非常に科学的な判断だと思います。そこで、本来ならば政府案改正いたしたいところでありますが、それはいま間に合わないとするならば、次期国会かあるいは来年度予算案か、ともかくこの私どもの主張の精神で改善がしてもらえるものかどうか、伺いたいと思います。
  175. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 日額の引き上げにつきましても、それから死刑の場合の補償額につきましても、これが引き上げに大いに努力する所存でございます。
  176. 横山利秋

    横山委員 綸言汗のごとしでございますから、よろしくお願いいたします。  それから、私どもの主張の一番ポイントになりましたのが、無罪裁判が確定した場合、その被告人であった者に対して非拘束期間についても補償するよう検討すべきであると主張し、かつ、私ども法律案には、非拘束期間についても補償するようになっておるわけであります。もちろんこの審議を通じまして、世界に例がないとか、あるいはまた、それは結構なことだけれどもなかなかどこで筋を引くか問題があるとかという議論はございましたが、絶対にそれはあかんという議論では必ずしもなかったようであります。きょうの参考人もそうであります。おまえはどろぼうだろう、おまえは人殺しだろうというふうに言われて社会生活を送る。拘束されていなくても家じゅうが隣近所からも親戚からもそれこそ村八分にされて長い年月の社会生活を終わったときには、そのために会社から首を切られる者もあるだろう、そして一家路頭に迷っている人もあるだろう。そういう非拘束の場合、おまえは監獄へ入っておらぬので補償せぬでもいいじゃないかということは私は理屈が合わぬと思います。それは非拘束だから、いつでもだれでも出すというんじゃなくて、金額的にもあるいは条件的にも多少の制限がございましょうとも、これは間違っておりましたということでは済まぬ問題でありますから、非拘束期間についても何らかの補償を政府側としても検討すべきではないか。これはずいぶんここでも理事会でもやり合った問題なんで、私は、いよいよ審議の最終段階で、少しはもう大臣としても御検討、御勘案をさるべきではないかと思いますが、いかがですか。
  177. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 いろいろ苦悩し、考えましたが、まあ現段階ではそこまで行くわけにはまいらぬが、十分検討、努力に値することであるということでございます。
  178. 横山利秋

    横山委員 私どもが積年主張いたしております幾つかの大黒柱のうちで、これはきわめて重要な大黒柱の一つなんであります。したがいまして、これは決して私どもはあきらめません。今回は適当な人がなかったわけでありますが、いまのお約束に基づきまして次回に恐らくまたこの法律案がかかると思うので、そのときには一遍本当に該当者に来てもらって、その人生体験なり何なりをここでぼくは聞きたいと思っているのですよ。おまえはどろぼうだ、人殺しだと、長い間、監獄にあり、あるいは非拘束のままではあるけれども社会の非難を浴びながら生活をした人が、どんな精神的、財産的被害を受けたか。これを考えてみますと、それはあなた、それは無理だよという、そんなわけにもいきますまい。ですから――そんなにそちらの方で相談しなさんな。大体その人たちはあなたに悪い知恵ばかりつけていかぬですよ。――ですから、私はもう何回でも何回でもこの非拘束期間について補償がされるように主張します。大臣はいま、現段階ではいかぬとおっしゃった、将来は別らしいのだけれども、ぜひあなたも私の意見に賛成してもらいたいのです。
  179. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 横山さんの御意見はずうっと聞いておりまして、全部傾聴に値するのです。非常に同感な点がたくさんあるのですよ。ただ、おまえはどろぼうだ、人殺しだと言われるような犯罪は、あなた、非拘束ということはないのですよ。いまの御質問は非拘束の場合のあれを言われているのですから、非拘束の場合はもっと軽いやつじゃないでしょうかね。そしてその程度のことは受忍義務であれするのか……、また世間も、ああ、非拘束なんだからあれは警察の間違いだろうと思うような社会になってほしい点もありますね。何か警察や検察庁と関係あるとすぐ、お上には全然間違いはないのだから、あいつは悪いやつだ、こういう社会風潮も、そっちの方も直して、人間だから警察や検察庁といえども間違いはあるさという世間の常識になれば、非拘束の場合は余り被害は受けないのじゃないでしょうか。そういうこともありましたり、いろいろして、現在の段階においてはそこまで補償というわけにはちょっと行きかねます。しかし、あなたの御意見は常に傾聴しておって、もうそっちの方へのめり込むように引っ張られてしまうのですけれども、そこのところを、公的な責任ある立場にある者として、ちょっと待てよ、こういうこともあるわけです。
  180. 横山利秋

    横山委員 大臣、だから私が、裁判無罪になった、あるいは被疑者で不起訴になった経験のある人を二、三人ここへ並ばして、おまえさん、どういうふうでそうなったかと一遍聞いてみたいと言うのです。最高裁まで争って無罪になったという人が、非拘束期間が全くなかったか。そんなことないですよ。それをお考えくださって、いかにこれが重要な問題であるかということを認識してもらいたい。答弁はいいです、また次の機会もその次の機会も、一生涯これはやりますので。  それから、警察に伺います。  警察に対しましては、いろいろな事例を挙げてただしましたが、まあ大きく言って二つありました。一つは故意、過失の認められる事案のうちの賠償問題、一つ被疑者補償の問題について、その二つについて警察が御検討の最終的な意見を伺いたいと思います。
  181. 森永正比古

    ○森永説明員 種々検討いたしました結果、被疑者に対する補償につきましては、被疑者補償規程適用が必要と認められる場合には検察庁とよく連絡をいたしまして、被疑者補償規程適用されるよう措置してまいりたいと考えております。  問題は、故意、過失によって誤認逮捕した場合の損害賠償ということになりますが、各都道府県警察においてはこの種事案の発生の絶無を期するよう努力しているところであり、当庁においても今後さらに指導、教養を徹底してまいりたい、このように考えておるのでございます。しかし、不幸にしてこの種事案が発生した場合の対策といたしましては、賠償が迅速かつ適切に行われるよう次の点について各都道府県警察を指導してまいりたいと考えております。  まず第一は、訴訟によることなく損害賠償賠償をすることが適当と認められるものにつきましては、相手方の心情を考慮いたしまして、示談等によりましてできる限り速かに賠償が行われるようにすること。  第二は、賠償の迅速化を図るため、損害賠償について知事の専決処分としていない府県にあっては、専決処分についての議会の議決を得るよう知事部局に依頼するなど、損害賠償ができる限り速やかに行われるように努力することであります。  以上の諸点につきましては、その趣旨を徹底させるため、文書により指示するとともに、全国会議等を通じて指導いたしてまいりたい、このように考えております。
  182. 横山利秋

    横山委員 被疑者補償規程適用がされるようにしたいという点については、警察庁としての気持ちはわかるのでありますが、私が非常に危惧をいたしておりますのは、警察段階において起こったことを、ちょっとまずかったな、人違いだったな、そういうチョンボを一々地検へ報告をして、済みませんがえらいチョンボをやりましたので被疑者補償規程適用してちょうだい、というふうにさっぱりと、先ほどの健全な精神でおやりになるだろうかという疑問が一つ。それからそれを一体どういうふうに適用をなさるか。  それから二つ目は、いまお話がございました内容はどういう方法で各県警察へ御徹底をなさるか。  それから三つ目は、専決処分についての議会の議決を得るようというお話でございますが、専決処分権限を議会から付与してもらえ、こういう意味でございましょうね。
  183. 森永正比古

    ○森永説明員 第一点につきましては、被疑者補償規程につきましては、今回の法務省の同規程改正にあわせ各都道府県警察に通達を発し、同規程趣旨にのっとり、適用が必要と認められるものについては漏れのないようにするとともに、速やかにその適用が受けられるような措置をすることを徹底いたしたいと考えております。  第二点につきましては、先ほど御答弁申し上げましたように、まず文書による徹底を図ってまいりたい。しかしながらそれだけでは徹底をいたしませんので、全国会議等を利用して、具体的に被疑者補償規程趣旨、措置要領等について指導、教養をやってまいりたい、このように考えておるのでございます。  それから専決処分につきましては、国家賠償法の事案につきましては都道府県議会の議決事項になっておりますが、例外的に地方自治法によりまして軽微な事案等については知事の専決事項にすることができるようになっております。これは、専決事項にするためには議会によって議決することになっておりますので、そのような取り扱いをしてもらうように知事部局に折衝するように指示したい、こういう趣旨でございます。
  184. 横山利秋

    横山委員 そうしますと、被疑者補償規程改正はいつごろ終わって、いつごろこの規程が通達されますか。
  185. 安原美穂

    ○安原政府委員 この規程改正は、でき得れば、この法案国会を通過さしていただきました成立の段階において直ちに金額引き上げとともに改正を試みたいと思いますが、現段階におきましてもこの規程改正精神にのっとりまして現地を極力指導いたしておる次第でございます。
  186. 横山利秋

    横山委員 いろいろと御質問をいたしましたり、御意見も伺いました。私は、この被疑者補償規程改正によって被疑者の問題を解決することについて、基本的には賛成はできません。やはりあくまでそれは立法化さるべきであること等を私の基本的な精神にいたしておるわけであります。また、非拘束の問題も問題が残りました。しかしながら、さは言いますものの、今回この法案を審議するに際しまして、かなり政府が善意をもって検討されたことについては敬意を表します。しかし、その善意というもの、努力というものが、被疑者補償規程ができました当時も、やはり政府側としてはこの規程をつくられたことに固執をされておるのであります。こういうものができたからというふうに、議会側に恐らくいまと同じような雰囲気で言われたに違いない。そういう立場でありました。いまここに、そういう被疑者補償規程ではだめなんだという私どもの主張に対して、ここまで改善をするからまあしばらく見ておってくれとのことのようであります。この点については、しからばひとつ来年の国会まで、どこまでそれが実績が上がるものやら――これは結局、結果としてすぐわかりますからね。来年恐らくこの法案が、やはり金額の改善の法案が出てくると思いますから、そのときまでひとつ結果を見たいと思うのであります。その結果が十分でないと、そういうふうな仕組みをつくってもうまくいかぬのだということであれば、先ほど大臣おっしゃるように、もう部下を抑えて、これはやはり横山の言うとおりじゃないか、これはやはり根本的に立法化をせにゃいかぬぞというふうにツルの一声をひとつ出してもらうときがあろうかと思います。そういうときには大臣の御裁断、決断を要望したいと思いますが、いかがですか。
  187. 稻葉修

    ○稻葉国務大臣 御趣旨を体しまして、先ほども答弁申し上げましたように、事務当局の言いなりほうだいになってロボットみたいに動いているわけじゃありませんから、目的達成のために十分検討、努力を続けたいと思っております。
  188. 小宮山重四郎

    小宮山委員長 これにて、内閣提出刑事補償法の一部を改正する法律案に対する質疑は終了いたしました。  次回は、明十六日水曜日、午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時五十三分散会