○
西参考人 私は
ドイツ文学を専攻といたしておりますので、
法律には弱く、
評論活動もしておりますけれ
ども、こういう
法律問題を扱ったことがございませんので、有識者であるかどうかもみずから疑問に思っておりますが、いろいろ、
にわか勉強でありますが、
勉強させていただきました。しかし時日がございませんので、相変わらず全く
素人じみた
意見でございますかもしれませんが、少々しゃべらせていただきたいと思います。
法案は、私の拝見した限りでは大きく三つの
部分に分かれておりまして、
一つは
補償金額の
引き上げでございますが、これには私はそれ自体特に異議はございません。しかし、どれくらい上げたらいいのかということになりますと、双方とも、つまり
法務省側の
基準もそれからもう
一つの方の
算定基準も、ちゃんと
基準ははっきりしているんですけれ
ども、にもかかわらず非常に差が開いておる。これは私
たち素人にはいよいよ判断しかねるということになります。それで、過去にもこういう
引き上げがあったと思うのですけれ
ども、そのときどういう計算を
もとにしたのか存じませんけれ
ども、私がここで申し上げられることは、そういう過去の問題も
参考にいたしまして
十分国会で御討議願えたらという
程度にとどめたいと思います。
第二の
問題点は、いわゆる非
拘禁の
期間についても
補償しろというものだと理解いたしております。この
提案理由の文面に即して
考えてみましたが、ここには、「現在の法制及び日本の
一般の
社会の
取り扱いにおいて、
国民は
拘束、非
拘束にかかわらず、汚名を着せられる、信用を失墜する、それから
身分上
不利益の
取り扱いを受けているのが
実情だ」というのが
理由に挙がっております。それから第二に、「
裁判に要した
費用も
一般国民の
平均的収入から見れば決して少ないものではないので、かかる
精神的、
物質的損害ははかり知れないから、そのためにその人の人生の大半が失われる場合も決して少なくない」ということによって
提案理由が根拠づけられております。しかし、私はこれをさらっと読んだときにまずひっかかりましたのは、
拘禁、非
拘禁にかかわらずという一節がまずひっかかりました。私は全く
素人なので、本当にかかわりないのか、
身分上の
不利益の
取り扱いを受けているのが
実情なのか、これは
実情を知らない者が軽々しく言えませんけれ
ども、これが
実情であるという根拠も示されていないのでちょっとためらった次第でございます。
私の申し上げたいのは、第一に、
実情だと断定されるような納得できる根拠が、もっと数字とか統計などで示していただければ、私たち大多数の
素人である
国民も納得するんじゃないかということであります。私は、この
実情という断定を前にして困惑いたしますのは、
素人でも、刑事訴追を受ける
ケースが非常に多様であるということを承知しているからでございまして、これを簡単に
一つにくくって、すべての人が
身分上の
不利益を受けているのか、あるいは信用を失墜したのか、あるいは犯罪者として汚名を受けているのかという問題でためらってしまうわけであります。私たちの文学の分野では、このごろはやりの言葉で言いますと、総論でなくて各論が非常に重大なんでありますが、ここでは非常に総論が言ってあるような感じがいたします。私が新聞などで承知している限りにおきましては、非
拘束の問題の方で一向
社会的に
身分上の
不利益を受けてなくて、市長さんになったなんて方もいらっしゃいますし、非常にわからない
ケースがたくさんございます。もちろん全部が全部そうであるとは私も思っておりません。汚名を受けたり信用を失墜したりという
ケース、
身分上の
不利益の
取り扱いを受ける
ケースがないなんということはこれは断言できないと思います。そうしますと、私が知っているのが例外だ、
不利益を受けてない
ケースが例外だと言うこともできるわけであります。しかし、いろいろ読んでみますと、ひどく
身分上の
不利益を受けた例を出されても、これがどのくらいのパーセンテージを示しているのか、このデータがよくわからないので、これもまた特殊な例外かなというような疑いも持ってしまうわけであります。
この一律性が
補償額にもあらわれておりまして、
無罪の非
拘禁者には一律に、しかも
最高六千円の半分というのが出ているように思われます。
法律に限らず、
一般政策でも、私は
素人なりに、全部いいことが結果として起こるとは思わない、デメリットというのもあるわけなんで、いわば、ある
意味においてすべてのものはもろ刃の剣のようなところがあると思います。これは大学の行政においても同じでございますが。私は、このようにもし
改正されるならば予想できる、あるいは、起こってはならないことなんですけれ
ども、最大のデメリットは何だろうかと思いまして友人の刑法学者に聞きましたところが、そういうように一律にやった場合に、ほかの、これはちょっと、というようなものもみんな便乗さしてしまうきらいがあるのじゃないか。そのことはつまり大ざっぱであるということでありますが、非常に大ざっぱで便乗的な印象を与えるということ、つまり、法の安定性ということがよく言われますが、それについて
国民の信頼性が失われる最悪のことが起こるかもしれない、起こらなければ幸いなんですけれ
ども、起こるかもしれないということを言っておりました。そういう予測については私はみずからできる
立場にございませんが、これが
提案理由の文面に即して私が
考えた感想であります。
しかし、
提案理由には直接あらわれてない、隠れたと申しますか、潜在的な根拠もあるのじゃないかという点について私が勝手に推測をたくましくいたしましたことを申し述べます。これは当たっているかどうかは自信がございません。私の推測ですが、これはきっと、非
拘束で
無罪になった方へ
補償しようという
考え方は、
裁判の
ケースの中に非常に長引くものがあるのじゃないか。そして、長引くと
裁判費用が非常に高くつくということがあって非常に気の毒である、救済しなければならないということもあるのじゃなかろうかなということを、私、勝手に推測をいたしました。
裁判が早く済めば、つまり
無罪確定が早かったわけでありまして、さほどの
損害はないと推測されるからであります。
ところが、
憲法第三十七条に、「すべて刑事
事件においては、
被告人は、公平な
裁判所の迅速な公開
裁判を受ける権利を有する。」とございます。つまり、
裁判が長引くということは、この条項がたてまえだけになっていて、守られてないということになってくるのじゃないかと思います。守られてないために
裁判が長引き、そして非
拘禁の方で
無罪の方をどうしようというような
考え方が出てくるのじゃないかと思います。つまり、
もとが乱れているのにこれを不問に付しておいて姿勢を正すというのではないのだろうか。
憲法でうたわれた人権が守られていないので、それから派生する不都合な事態にばんそうこうを張るというやり方じゃないのだろうかなんということも推測いたしました。
刑事補償法というのは、私の理解する限りでは、
憲法条項にのっとってこれを補強するものでありますのが本筋だと思いますが、違憲がどうしようもない既定事実だとして、これを取りつくろうのじゃなかろうかという感じを持ちました。ですから、この三十七条がなぜあってなきがごとき
状況なのか、その論議はもっとあっていいんじゃないかと思います。つまり、非
拘禁者補償というのがこの三十八条の空洞化にさらに拍車をかけるようなことがあってはならないんじゃないか。ぼくの友人の刑法学者が言うのですけれ
ども、これでは安心して
裁判を引き延ばせるということになったら大変だ。そうしますと、現場の
警察や
検察官もそういう予想をしますと訴追意欲を失ってしまうのじゃないか。むずかしそうな予感をする
事件には傍観者的態度をとることになりはしないか。結果として犯罪がふえることになりはしないか。少なくとも現在ある
法律が空洞化してしまう危険がないであろうかというような感じを持ったわけでございます。こういうことはあってはならないのですけれ
ども、
国民にそういうような、げすの勘ぐりと言ったらおかしいかもしれませんが、そういう勘ぐりを起こさせるようなことがないような慎重な配慮が望ましいのじゃないかというふうに思われます。
被疑者補償につきましても大体同じような、余りに一律的で、しかもこれを法にした場合に、その一律性のゆえに法の安定性が揺らぐんじゃないかというような危惧を持ちますが、これは私
ども素人で、一層話がむずかしくてわからないので、感想はこの
程度にとどめたいと思います。