○諫山
委員 最高裁判所に質問します。
判事、検事の人事交流が最近非常にふえた。このことが法曹界で新しい重大な問題になっています。そして当
委員会でもこのことがいろいろ論議されたわけですが、最高裁当局は、
裁判官や検察官がいろいろ経験を積むのは悪いことではない、あるいは法曹一元化の具体化だというような
立場を説明してこられました。しかし、これが
現実にどのくらい奇妙な事態になっているのかということを、私は
一つの事例を引いて指摘してみたいと思います。
東京高等
裁判所民事第九部で、控訴人、宮公、被控訴人、国、老齢福祉年金
請求控訴事件というのがあります。争点は、老齢福祉年金の受給者が公的年金給付を受けることができるときは老齢福祉年金の支給を停止する旨を定めた
国民年金法の
規定が、憲法第十四条、第二十五条に
違反して無効であるのかどうか、これが
中心的な争点になっています。
憲法第二十五条をどう理解すべきかについては、いろいろ
立場の相違があることは御
承知のとおりです。憲法三十五条というのは、個々の
国民に対して具体的、
現実的な
請求権を与えたものか、それともプログラム的な
規定にすぎないのか、あるいは「健康で文化的な最低限度の生活」というのはどのような水準のものでなければならないのか、さらに国の福祉政策は憲法二十五条との関連でどうあらなければならないのか、こういういろいろな見解の対立があることはわれわれの常識です。そしてこのような食い違いというのは、
解釈する人のイデオロギーあるいは思想、信条によって当然
結論が異なってくる、これも当然のことであります。その
意味で、憲法二十五条の
解釈、適用というのは、たとえば階級間の対立と余り
関係のないような市
民法の条文の
解釈とは幾らか性質が違います。
ところで、この宮
訴訟に非常に類似しているのが有名な朝日
訴訟です。東京地方
裁判所は、厚生
大臣が定めた
保護基準の
内容を逐一検討して、
保護基準が憲法にいう最低生活を下回るものだと断定いたしました。ところがこの事件が東京高等
裁判所に回って
結論がひっくり返った。そのときの
東京高裁における国側の代理人に小林定人検事がおられました。小林定人検事は朝日
訴訟の第二審で次のような主張をしています。「
保護基準は、国の財政能力とのつり合いを考慮することの必要なことはもちろん、国政全般にわたる配慮をも無視することのできない政治的、行政的
判断の問題である」さらに「末高証人の言うボーダーライン層の生活が人間に値する生活でないと見ることはできない。
保護基準を引き上げると、自力で生活を維持してきた者にも
保護を与えなければならなくなり、
保護人口の増加を来すおそれがある」こうして控訴人の主張、原告の主張に真っ向から反対をしたわけです。
さらに、この事件が上告審に回ると、小林定人検事は上告審の答弁書の中で次のような主張をしました。「
保護基準を引き上げることは、関連社会保障費や賃金等の引き上げを招来するので、膨大な財政上の裏づけを要するから引き上げられない」こういう、生活
保護者にとってはがまんのできないような主張を
東京高裁、最高裁の答弁書で繰り返しておられるのであります。
さらに、朝日
訴訟あるいは宮
訴訟に共通しているのは、いわゆる社会保障
裁判で司法権はどのようにあるべきか、これが争点になりました。そして朝日
訴訟では、小林定人検事は国側の代理人として、「社会保障の基準は専門的、技術的
判断と財政その他国政全般への配慮のもとに行われる政治的
判断に基づくもので、司法審査は慎重でなければならない、自己抑制されなければならない、一定の限度があってしかるべきである」こういう主張をしました。朝日
訴訟の上告審の答弁書でも同じような主張がされています。
これは確かに
一つの見解です。しかし、朝日
訴訟の原告、宮
訴訟の原告から見たらがまんのできない見解であります。そして自民党政府の
立場を最も忠実に代弁した見解であります。私は、小林定人検事が国の代理人としてこういう主張をしたことには別に文句を言うつもりはありません。しかし、この小林定人検事が、現在検事ではなくて
裁判官になった。いま私が読み上げたような点が根本的な争点になっている宮
訴訟で、その
裁判を担当する
裁判官として地位を占めている。これはどう考えてもおかしいし、あってはならない事態だと思っております。
私は、小林
裁判官には次のような態度があり得ると思います。
一つは、朝日
訴訟で国側の代理人として主張してきたことは、小林さんが
法律家である限り自分の信念に基づく
立場でやったはずです。ですからこの
立場で宮
訴訟に臨む。そうすると、宮
裁判で小林
裁判官がどういう
立場をとるかというのはもう判決を聞かなくても明白です。これが
一つの
立場です。もう
一つの
立場は、あれは国側の代理人として述べただけだ、自分の本意ではない、きのうはきのう、きょうはきょう、こういう
立場で、朝日
訴訟の国側代理人という
立場と全く無
関係に
裁判に臨むということもあり得ると思います。しかし、これは人間としては下劣な態度です。
法律家としても許されない態度だと思います。私は、小林
裁判官にはこの二つの
立場しかあり得ないと思います。
こういう経歴を経てきた人が宮
訴訟の
裁判官としてとどまることが適当だろうかどうだろうかという問題が提起されたのは当然だと思います。これは控訴代理人の方から小林
裁判官に対して現に回避の勧告がなされております。現に
裁判中の問題です。ですから、この
委員会でずばりその
裁判を左右するような論争は私は避けた方がいいのではないかと思います。しかし、法曹界で問題になっている判検事の人事交流というのが、最高裁は経験を積んだ方がいいとか法曹一元化というようなことを言っているけれ
ども、
現実的にはこういう問題を生み出してきているんだ。これでもやはり問題はないと考えているのか。私は
一般的な
議論としてではなくて、小林定人
裁判官が現に果たしている問題に即して、最高裁当局の見解を聞きたいと思います。