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平出参考人 死刑の問題は、刑事政策の面から申しましても常に大問題になっておることでございます。結論的に申しまして、いわゆる科学的な
立場から
考える場合には、
自分の
意見というものを出す前に、
社会的な現象としての
死刑に対する取り上げ方というものを客観的に観測いたしまして、その観察に基づいて結論を出すというようなやり方をするのが、いわば科学的な
方法として正しいと
考えておるわけであります。したがいまして、
社会的に
死刑というものについてどう
考えるかということ、特に
裁判を通じて
裁判所が
死刑の言い渡しをするという
事情のある、その事件につきまして十分な検討を加える。いわゆる、だれが
考えてもこれは
死刑は仕方がないというような事件があるのかないのかということであります。最近、ここ一、二年の間にもずいぶん残虐な事件がございまして、あの犯人は
死刑は仕方がないのではないかという声がやはりございますので、そういう実態を冷静に判断いたしますと、なかなか
死刑廃止というふうには踏み切れないと思います。私も
死刑存置を支持するものではございませんけれ
ども、この際一気に廃止すべきであるという
意見には、いわば合理的な
裏づけを必要とすると思います。
なお、
恩赦と
死刑の
関係につきまして、先ほどの用語の点で申し上げた方がよかったのかもしれませんけれ
ども、イギリスのキングの
恩赦というのはマーシーというようなことでありますし、フランスでもグラースというように、恩恵的なという
意味の
言葉を用いておるようであります。アムネスティーというかたい
言葉を使いますが、あれはどうも忘れるということの
意味のようでございます。これはもう過去のことだから忘れようじゃないかということのようでございます。イギリスにおいては、
死刑についてかなり多く
恩赦が行われております。殺人はすべて
死刑である、あるいは正当防衛のような形、
事情があっても
死刑であるというようなことがかなり、そんなに古いことではございませんが、十六、七世紀ごろまでと思いますが、ありましたので、そういう場合には
恩赦が働く、マーシーが働く、そういうことが
死刑と
恩赦とを結びつけておることと
考えられます。なお、フランスでは、
死刑の言い渡しがあっても、執行する前に特赦、これがアムネスティーと言われるものなのでありますが、特赦が拒否された後でなければ
死刑の言い渡しは執行しないという規定が
刑事訴訟法の七百十三条にございますので、訴訟手続的に申しますとそういうことも
考えられるわけであります。
死刑の執行について慎重であるべきだというのには、そういう一応
恩赦のルートを経て、そこでその
事情をしんしゃくするということになるのかと思いますが、余りフランスの実情、手続の点まではわかりませんけれ
ども、そういう規定がございます。また、
中国でも、猶予といいますか、執行を猶予する、一年であるか二年であるか、猶予する、執行までに期間を設けるというようなこともあるように聞いております。
日本でもそういう点では配慮はされてはおりますけれ
ども、なおもしそれで十分でないというお
考えがありますれば、またいろいろなことが
考えられると思います。
先ほどの
死刑の問題は、これは
時代とともにかなり推移があるのじゃないかと思います。具体的な事件を申し上げてどうかと思いますけれ
ども、埼玉県でありました強盗殺人事件につきまして、一審では
死刑、控訴審では事実そのまま認めながら無期懲役というのをお聞き及びと思いますが、一審と二審との間に十年間という歳月を経ておるわけであります。浦和の地方
裁判所が三十九年に言い渡して、東京の高等
裁判所が四十九年の秋に言い渡しておる。この十年の
経過というものをどういうふうに
考えるか。これは軽々には申せないと思いますけれ
ども、
一つには、
死刑に対する
一般の
考え方、それを煮詰めた
裁判所の
意見というものが反映しておるのではないだろうか。もちろん十年間という
被告人の苦労というものも考慮されているのかとも思いますけれ
ども、われわれから見ますと、その間における
死刑というものに対する
考え方、いずれにしてもこれは被害者が一人である、いろいろな偶然の重なりがだんだんと雪だるま式に
本人に悪い事態にまで発展させてしまったのだ、そういうようなことが、
死刑ではなく、無期懲役でいいのだという判断を
裁判所がする、そういうような
時代的な動きというものがあるのじゃないかと観察しているわけなので、恐らく
死刑というものは今後ずっと減っていくと思います。統計から申しましても、十年ぐらい前までは十件、二十件という数であったのが、もう二件、三件、五件ぐらいのことになっておるようですが、先ほ
ども申しますように、いよいよどうにもならないという人間、そういう
事情の事件がなくならない限り、やはりどうも存続、やむを得ないのだと思います。