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1975-03-04 第75回国会 衆議院 法務委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年三月四日(火曜日)     午前十時十二分開議  出席委員    委員長 小宮山重四郎君    理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君    理事 田中  覚君 理事 保岡 興治君    理事 稲葉 誠一君 理事 横山 利秋君    理事 青柳 盛雄君       小澤 太郎君    小平 久雄君       福永 健司君  早稻田柳右エ門君       中澤 茂一君    諫山  博君       沖本 泰幸君  出席政府委員         法務大臣官房長 香川 保一君         法務省保護局長 古川健次郎君  委員外出席者         参  考  人         (中央更生保護         審査会委員長) 柳川 眞文君         参  考  人         (東京保護司会         連盟理事         世田谷保護区保         護司会会長)  山本 門重君         参  考  人         (専修大学教授平出  禾君         法務委員会調査         室長      家弓 吉己君     ————————————— 三月一日  刑事補償法及び刑事訴訟法の一部を改正する法  律案横山利秋君外六名提出衆法第二号) 同日  熊本地方法務局免田出張所存置に関する請願  (瀬野栄次郎紹介)(第一〇一三号)  法務局更生保護官署及び地方入国管理官署職  員の増員等に関する請願東中光雄紹介)  (第一〇一四号)  同外一件(中澤茂一紹介)(第一〇九〇号)  借地、借家の買取りに関する請願堀昌雄君紹  介)(第一〇八八号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案(内  閣提出第一二号)      ————◇—————
  2. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長 これより会議を開きます。  内閣提出犯罪者予防更生法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として、中央更生保護審査会委員長柳川眞文君、東京保護司会連盟理事世田谷保護保護司会会長山本門重君、専修大学教授平出禾君、以上三名の方に御出席を願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人皆様方には、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。  本日は、主として犯罪者更生保護並びに恩赦制度等の実情につきまして、参考人各位の忌憚のない御意見を承り、もって本案審査参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  なお、御意見の開陳は、委員質疑お答えをいただくこととして、御発言の際には、その都度委員長の許可を得てお願いいたしたいと存じます。  それでは、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横山君。
  3. 横山利秋

    横山委員 参考人皆さんには御多忙のところありがとうございました。しばらく皆さんに簡潔にいろいろ、御意見伺いたいとと存じます。  平出先生にまず伺いたいと思いますが、いまになって「恩赦」という言葉がどうも私はひっかかるわけでありますが、「恩赦」という語源というものはどういうことなんでしょう。恩赦法、その「恩」という字がどういうことから使われておるとお考えでございましょうか。途方もない質問から始まるのですけれども
  4. 平出禾

    平出参考人 御質問でございますが、どうもそういう語源的なことまで詳しく研究しておるわけじゃありませんけども、恐らく東洋法制中国法制から来ていることと存じます。ただ、中国法制の中にも、ただ単に「赦」というようなこと、「赦免」というような言葉はよく見かけますが、「恩赦」という言葉中国のどういう文献に出ているかまでは詳しく存じません。御存じのように、いわゆる恩赦といま申しますが、恩赦のことは何分にも日本では主として皇室慶弔の問題を契機として一般に行われた経過がございますので、その「恩赦」という言葉が適切であった、私はそう考えております。
  5. 横山利秋

    横山委員 まさしく私もそういう感じを持ったわけであります。「恩赦」という言葉が、その一番基本的な語源皇室の、何といいますか、そういうところから出ておるということであるならば、一体いまこの恩赦によって罪を軽減されるということが、いかなる角度から罪を軽減され、また許されるか。これは柳川さんにお伺いしたいのでありますが、どういう理由から罪を軽減される、どういう物差しによって軽減される、そういうことが恩赦の「恩」、つまり皇室とどういう関係があるか。この罪を許すということが、非常に本人がまじめである、努力をしておる、あるいは気の毒である、国家的行事がある、いろいろな理由があろうと思うのですが、どうも私はその「恩」という字が、いまの柳川さんのなさっていらっしゃる仕事関係ないとは言わぬけれども、それがそもそも始まりということは、感覚的にはもう違っているんではないかという気がいたしますが、どうでありましょう。
  6. 柳川眞文

    柳川参考人 いま先生のおっしゃるとおり、私も、「恩赦」というのがいまの時代に果たして適当であるかどうか、いささか疑問を持っております。ただ、長い間「恩赦」という言葉が使われており、いまの法律恩赦法というのが基本法になっておりますので、そのまま恩赦恩赦と言っておりまするけれども恩赦効果として一番私ども考えているのは、通常、恩赦につきましては、その対象者、つまり犯罪者が、この恩赦という作用によって今後二度と悪いことをしないというかたい決心を持つ機会が非常に多いということを私たちは確認しておりますので、「恩赦」というのはそういう意味で、もしほかの適当な言葉がありますなら改めても一向差し支えないと存じます。
  7. 横山利秋

    横山委員 平出先生伺いますが、私どもの党はさきに、死刑確定判決を受けた者に対する再審臨時特例に関する法律というのを提案したことがございます。これは再審制度に対するすべてを網羅したものではないのですけれども、要するにいまの再審制度のとびらが非常に狭い、したがってこの際、再審制度について見直すとっかかりになるために、この法律は、昭和二十年九月二日から昭和二十七年四月二十八日まで、つまり講和条約効果を発するまでの占領期間というもの、日本においてあらゆる状態が必ずしも尋常でなかったときの死刑判決に対する再審制度、そうでありますが、この法案をいろいろつくります過程におきまして私ども考えましたことは、この再審制度恩赦との関係なのであります。再審制度が非常に門が狭いので恩赦に期待をする。ある刑に服しておる人のところへ行っていろいろ私も相談に乗ったわけでありますが、有識者も、とてもじゃないが、再審というよりも恩赦の方が道が早いということなのであります。自分が、罪ではない、自分は無罪であると言っておる人も、再審がとても門が狭いから恩赦でやろう。また、その点は柳川さんにもお伺いしたいのですが、あなたが審査をなさっておるときに、本来これは再審の問題ではないか、恩赦の問題ではないのではないかということがあるのではないかとも思います。そういう点で、この恩赦再審、両方別々な運用ではございますけれども恩赦にこれほどの努力、これほどの機構、これほどのいろいろな経過があるならば、わが国においては再審制度についてもう少し間口を広げてもいいのではないかということを考えるのでありますが、両先生から御意見伺いたいと思います。
  8. 平出禾

    平出参考人 いわゆる恩赦機能に関する問題にもう入っていると思いますが、恩赦とは何かとか、恩赦は何のためにするのかということにつきまして、日本だけでなく、ほとんど世界各国で行われているわけですが、私も世界各国をよく存じているわけではございませんけれども、知っている限りで申しますれば、イギリスでもキングの特典と申しますか、フランスでも王様権限、いまでは大統領の権限というふうになっておりますが、それはいわば行政面から、確定しておる司法裁判についてレビューと申しますか、再吟味をするという役割りを果たしておるわけであります。これを司法部内で申しますと再審ということになるわけです。裁判所が、裁判所のした判決自分で直すということが再審になるわけでございます。もともと、恩赦が諸外国で発達をした経過の中には、立法が厳し過ぎるということから恩赦をするということと、それからもう一つ裁判誤りがあるから恩赦をするということと、両々あると考えられます。余り意識して書いてある書物などはございませんけれども、いつも並べて書いてあります。そこで、恩赦には再審的な役割りがあるということ、少なくとも潜在しているということは考えていいのだと思います。  ただ、この再審制度というものは、恩赦制度に比べますと後に発達してきた制度でございますので、その再審が順調に発達してくる程度に応じて、恩赦の方は、つまり裁判誤りを正すという意味での恩赦というのは後退してきていると思います。もっぱら、先ほども申します日本皇室というばかりでなく、どこの国でも、国の慶弔ということからして一般的な恩赦をする、あるいは個別的な恩赦をするというようなことが行われているようであります。中国の昔などではしきりに恩赦が行われたように、たとえば王様がかわれば恩赦をするとか、激しい時期になりますと天災地変があると恩赦をするとかというようなことまであったように物の本には書いてございますが、これというのも、国民がみんな気持ち一つにして新しい事態に当たろうというような機運をこの恩赦によって期待している、そういう面があったのだと思います。そういう意味では、言葉が過ぎるかもしれませんけれども、余り理屈どおりにばかりいっているわけではないと思います。恩赦というものは、かなり、計らいであるとか裁量であるとか、また理屈で詰めていくとどうか、賛成する人もあるが反対する人もあるというようなところまでいくような性格を持っていると考えます。  再審の問題につきましても、最近といいますか、近ごろの考え方では、なるほどその再審的なことを恩赦に持たせるが、それはほかの方法、いわゆる司法的な方法では解決のできない問題について恩赦働きを求める、そういうような考え方のようであります。したがいまして、係属中の被告事件のようなものは上訴の手段で争うべきである、確定してしまったものについては再審で争うべきである。ところが再審で争う道のない、たとえば法律が変わって——裁判の途中で法律が変わった場合には、法の変更ということで被告人に利益に変更されてまいりますけれども、確定してしまってから後でありますと、裁判に誤判があったわけではないわけですが、その後の事情で軽くなる、あるいは罪でなくなるというような場合が起きてくる。そういうような場合になると、直接再審には当たらないような場合も考えられる。判例が変更されるというようなことも一つであろうと思います。後にも問題になるかもしれませんけれども、刑法二百条に関する最高裁判所の大法廷の判決によりますと、それ以前にすでに確定しております者に対する問題は、いろいろな方法考えられますが、何とか是正しなければなるまいということは常識的にも考えられることですし、正しい考え方だと思いますが、そういう場合にもどうも再審には当たらない。そういう場合には恩赦機能を発揮するというようなことが考えられると思います。もちろん、この恩赦には、その恩赦を受けるべき人の個人的な事情によりまして、本人がもうすでに改心しているとか、あるいは復権の必要性が特に強いとか、そういうような種類の働きもあると思います。  私は、いま申したことをちょっとまとめてみますと、国の仁慈と恩恵といったような面の問題があり、それからほかの被告人あるいは受刑者などとのアンバランスをなくさなければならないという場合と、それからいわゆる刑事政策的に考え本人のために恩赦をする、こういう三つの働きがあるのだと考えておるわけでございます。
  9. 柳川眞文

    柳川参考人 御承知のとおり、日本国憲法三権分立ということを根本思想にしておるのであります。お互いに三権に対しては干渉しないということが認められておると私は思っております。それで、刑事事件裁判所が念入りに三審制度をもって事実を確定し、刑を盛るということはまさしくこの司法権権限であります。しかし、それでは時間の経過によって多少事情が変わってくる場合もありますし、画一的な裁判に陥ることもある。そういうようないろいろな欠点がありますので、そういうものを恩赦によって救うということはあり得るわけであります。三権分立と申しましても、絶対的にその権限の中にくちばしを入れてはいけないというのではなくて、そこはチェック・アンド・バランスと申しますか、ある程度はほかの、たとえば行政権司法権に若干くちばしを入れるといいますか、修正をするというようなことはやむを得ないことだ、また相当ではないかと思っております。  恩赦制度というものもそういう観点から、裁判固定性とか画一性とかいうような点を何とか修正することができるようにという行政作用、これが認められておりますので、この恩赦存在ということは私は必要だと確信しておりますが、ただ、考えなければならないのは、犯罪事実の認定というような点についてはあくまでも司法権を尊敬して、裁判所の判断に敬意を表する必要がある、こう考えます。以上です。
  10. 横山利秋

    横山委員 柳川さんにお伺いするのですけれども、先般来当委員会におきまして、恩赦の従来の経緯、結果について質疑応答がされております。その中で一、二意見が出ておりますのは、私ども政治家に対する選挙違反に関する恩赦が少し緩過ぎるのではないか。政治家だけが得をし過ぎているというのですかね、そういうことがあるのではないか。これは私ども自身のことであるから、よけいに私どもとしては気になることであります。それが時の権力によって、つまり政府・与党によって少し乱用されているのではないかということの意見がございましたが、それをどうお考えになりますかということが一つ。  それから、恩赦というのは恩赦法及び施行規則というわりあいに簡単な法律で、しかも少ない人数で、大変大きな、広範な仕事をしていらっしゃる。今度この法律を改正するゆえんもそこにあるわけですけれども、少ない人数で大変な仕事をしていらっしゃる。そういうことについて、どういう基準で、どういう裁量でやっておられるのか。かなり広範な権限があなた方に信託されておると思いますが、この恩赦基準というものは一体どういうものなのかということが私どもの議論の焦点になりました。  私の言わんとするところはおわかりでございましょうか。——この二点についてお答えを願いたい。
  11. 柳川眞文

    柳川参考人 いま委員の方からのお尋ね、そういうような声を私も多少聞いております。しかし、私並びに私と一緒に仕事をしておる委員は、中正、公正を誤るような仕事を絶対しないつもりでございます。いろいろな雑音といいますか、あるいは陳情と申しますか、そういうものも参るようでありますが、審査会としては、私を初め各委員は直接そういう問題にはタッチしておりません。仮に陳情者がございましても、私が直接陳情者に会ってあれこれと問答するようなことはしておりません。さっき申し上げましたとおり、審査会裁判修正をするというようなきわめて重大な責任を負うておるものでありますから、その審査会委員が何か政治的に物を考えたりして、公正に行うべき聖職と申しますか、大事な仕事を汚すようなことはいたしておらぬ覚悟でございますから、どうぞ御了承願います。
  12. 横山利秋

    横山委員 お気持ちはよくわかるわけであります。審査会仕事が、短い法律で、しかも重大な権限が付与されておる。裁量権にゆだねられる場合が非常に多い。しかも、私が指摘いたしましたように、恩赦法という法律が、われわれ国民が容喙し、それに対して意見を言い、それに対していろいろなことをするという雰囲気の別の世界にある。それで、審査会というものも民主的かつ公正な運営というものが確保されていませんと、何かの関係でそれが、いまあると言っているわけではありません、何か万一そこの信頼感が失われる、国民的信頼感が失われるようなことが一つでもあったといたしますと、これはもう重大なことになると思います。法に対する、恩赦制度に対する重大な問題になると思います。いまそういう事実があったと言っているわけでは決してございませんから、誤解なさらないようにお願いしたいと思うのでございますが、ぜひその運用について遺憾のないようにしていただきたいと思います。  山本さんにお伺いをいたしたいと思います。  この間の委員会で、私は、大臣並びに保護局長にくどく、いまの保護司制度現状につきましていろいろな角度からお伺いをしたわけであります。時間の関係上、要約して私の質問の趣旨を申し上げますと、いまの保護司制度というものは、該当者が少なくなっている。つまり更生保護を受ける該当者が少なくなっている。更生保護会はそれによって財政的にも危機に立ち至っておる。それから保護司の選出についてもいろいろ私の意見を申し上げました。少なくとも、世界的にも日本のこの保護司制度というものは非常に評判のよろしいものではあるけれども犯罪者更生保護の現場を担当していらっしゃる保護司皆さんのあるべき姿、あり方についてもう一遍いま考え直すときになっているのではないか。また法律的にも、更生緊急保護法とそれから犯罪者予防更生法執行猶予者保護観察法と三法あるけれども、この三法が存在しなければならぬような理由はないのであって、これを統合して一本にすべきではないかとか、いろいろの問題を提起をいたしたわけであります。また、去年調停委員の一日のお手当がたしか七、八千円ぐらいになりました。しかるに保護司の報酬といいますか、今度上がって一カ月でBクラスが一人千三百円、Aの方が二千六百円、Cが千百円ですか、これはまことに少な過ぎるではないか。もちろん銭金の問題で仕事をなさっていらっしゃる人はないにしても、調停委員保護司と比べてまことにひど過ぎるではないか。保護司に対する物の見方をどう考えておるのか等々の質問をいたしまして、それぞれ大臣並びに局長から、大体においては趣旨もっともである、改善をしたいという答弁がございました。  短い時間で山本さんにそういうようなお答えをいただくのもさはさりながら、あなたがきょう別に全国保護司を代表してというような立場でお伺いするわけではありませんが、一人の保護司として、今日の保護司を取り巻く環境現状について、日ごろ考えておられる点をひとつ自由に御意見を開陳していただきたい、こう思います。
  13. 山本門重

    山本参考人 大変保護司の問題に注意を向けていただいたことを非常にありがたく存じます。  いま御質問保護司会の財政的な問題、それから保護司に対する弁償金の問題、低きに過ぎるのじゃないかというような御認識でございますが、われわれはその点を痛切に感じておるわけでございます。おっしゃいましたように、われわれは奉仕の精神から出発しておりますので、金銭的、時間的な犠牲はもちろん覚悟の上であり、そういうことは余り口に出したり、あるいは問いに上せたりすることを潔しとしない気持ちもあり、そういう立場でもあるわけでございますが、保護司弁償費というものがやはり社会常識的に考えて、これをほかの福祉の仕事をしておる方々と比較してみたりいたしまして、確かに非常に低いということをわれわれは痛感をいたしております。やはりある程度の償いはありませんと、現在やっておる保護司が将来ともずっとやるわけでございませんし、特に老齢化しておるこの現状を改善していかなければならない、若い人をどんどん吸収していかなければならないという場合に、いまの、価値観が変わったといいますか、どうしても若い人にはやはりある程度それに対する報償といいますか、裏づけがないと魅力がない。仕事自体が、恩恵的な仕事をやる民生委員などと違いまして、そういう右から左への恩恵的なことはないわけで、しかも犯罪防止立場からは、いろいろ家庭の環境あるいは社会環境に対して、あるいは本人に対して余り耳ざわりのいいことばかりは言っておれないというようなことで、仕事自体が非常に秘密の問題もありますし、陰に隠れた仕事であるというような、ちょっと一般ボランティアとしてやるには少し手ごわくて、むずかしくて、繁雑でという点などがございまして、やはり同じ奉仕にいたしましても、いろいろなボランティア仕事があるわけですけれども更生保護保護司仕事というものは、特殊ないろいろな広範な任務を背負っております関係で、やはりある程度裏づけがないと人材を確保していくことが非常にむずかしいということでございます。もちろん、保護司という肩書きが欲しいというような、非常に単純な動機の方々は幾らでもあるわけでございまして、数をそろえることには別にそれほど苦労はないと思いますけれども、この重大な仕事を担っていく、ことに今日のように保護観察官が少ないから、どうしても保護司仕事がおぶさってくる、非常に重要な任務を一人でおぶっていかなければならぬということになってまいりますと、やはりある程度社会通念上この程度のことはという線があるだろうと思うのでございます。そういう線から見まして余りに低きに過ぎるんじゃないかという感想を持ち、そういう声が仲間から出てまいるわけでございます。  それから、保護観察をするだけでなくて、やはりそこに付随してまいります保護司会運営という問題が出てまいるわけでございます。この保護司会というのは、法的な団体ではありませんけれども、どうしても横の関係をつけたり、いろいろ研修をしたり研究をしたり、あるいは報告ものがいろいろございまして、活動に対する報告があり、保護司会経費というものは非常にかかるのでございます。その保護司会に対する経費というものは、ほとんど保護司自身の会費と、それに地方自治体から若干の助成金をお願いをいたしまして、それで運営しておるというような状況でございますので、このケースの担当とともに、この保護司会運営という問題が常に関連して出てまいります。  これは犯罪予防活動をする上においても、どうしても保護司会存在が必要であるということになってまいります。保護観察所任務である保護観察と、それから犯罪予防活動の二つの任務を、観察官が足りないために保護司会がほとんどおんぶして、経済的にも時間的にもやっておるというようなことでございます。しかも、この犯罪予防活動のためにできております更生保護婦人会であるとかBBSだとかいうような、そういう団体を、まだまだこれは揺籃時代でございまして、育成しなければならぬというようなこともあったりいたしまして、かなり時間的にも経済的にも負担が大きくかかってきておる。  この問題についてぜひひとつ関心を寄せていただきまして、せっかくこの更生保護という、社会内で処遇していく、これは人道上から考えても、私は大いに強化していかなければならぬ問題だと思うのです。やはり、施設の中で処遇していくということが本道ではなかろう、結局は社会に復帰させることが目的ではないかということを考えた場合に、できるだけ早く社会に復帰させて、社会内において処遇していくということが、最も進歩した行き方ではなかろうかというふうに私は考えておりますために、保護司会活動がいま少し円滑にできるように、保護司自身対象者との取り組みが、もう少し力を入れていけるような裏づけがあれば大変結構になるのではないか。それを全国保護司は非常に期待しておるということは、大会や何かの折によく声が出てまいります。  簡単に申し上げますとそういうような状況でございますが、その辺でよろしゅうございましょうか。
  14. 横山利秋

    横山委員 いまの山本さんのお話、まことに率直なお話でございまして、たとえば、保護司の定数をそろえるのはそうむずかしいことではないけれども、実際にやってくださる人を選出するというのはなかなか容易でない。全く私も同感に思っております。私がこの間行きました名古屋の保護観察所観察官が二十九名、保護司が二千八十名。対象者が三千五百八十名でございますから、山本さんならずとも、もう保護司が大体の仕事をしておるということはよくわかるわけであります。  そこで、いまお話しのように、この間も私も言いたくないことをずばっと言ったわけでありますが、名前だけが欲しいためにやってくださる人は幾らでもあると思われる。表彰規定があることもそういうことにも関連をする。しかし、本当に新しい時代にふさわしい、価値観の変わったこの時代にふさわしい実務をまじめにやってくださる保護司さん、しかもそれは単にその保護司さん自身でなくて、保護司の御家庭の皆さんの御協力が得られる、そういう保護司さんを探すにはどうやって選任をするのか。第一義的にその候補者を選ぶ人は一体だれなのかというところから始まりまして、いろいろ問いただしたのですが、十分な答えにはなりませんでした。どうしたらりっぱな保護司さんが頼めるか。いまの手続のどこを改善し、あるいはいまお話の出ましたような報酬を改善し、いろいろなことをしなければならぬと思うが、どうしたらりっぱな保護司さんをもっともっと現実に委嘱できるかという具体的な点につきまして、ひとつずばり遠慮なく意見を御開陳願いたいと思います。
  15. 山本門重

    山本参考人 素人の立場でございますのでむずかしいことはよくわかりませんが、現在、私ども保護司会で人員をふやしていく場合には、大体地域社会で働いておる人が多うございますので、まず保護司の間で地域社会の中の適任者を出してもらうとか、あるいは警察であるとか区役所であるとかいう方面の理解のある人々の御推薦を受けるとかいうようなことで、大体保護司会で検討いたしまして観察所へ候補者を出す。それを観察所の方にある選考会の方で選考されて、任命される者は任命されるという順序を私の方ではとっておるのでございます。民生委員などのやり方を見ておりますと、町内会関係からだんだん上げてくるように聞いておりますが、これを町内会関係から吸い上げてくるということは私は若干問題があるのじゃないかというふうに考えておりますし、これは現在まだとられておりませんけれども、公募するという方法もあるのじゃなかろうか。しかし、公募をするということになった場合に、ある特定の政党といいますか、政治勢力といいますか、あるいは宗教団体といいますか、意図的に更生保護世界をひとつ掌握しようというような試みがもしあったといたします場合に、よほどこれは選考会の方がしっかりしていないと偏向するおそれも出てくるのではなかろうか。しかしこれはやってみなければわからぬ問題でありますけれども。  いろいろ考えるのでございますが、どうもいまの段階ではいまの行き方より仕方がないのじゃなかろうかというふうに見ておるわけでございますが、いずれにいたしましても、保護司という仕事の魅力が出てまいりませんと、これは幾ら宣伝いたしましても、話の内容を聞いてみて、そんなことはいやだ、そんな悪いやつはめんどうを見ることはないじゃないかというような極端な意見も出てきますし、ことに対象者には、少年なら少年ばかりといえばそれに向く人もありますけれども、これには暴力団だとかなんとかいうものも入ってくるわけでございます。そういう人を扱うには、やはり少年向きの保護司、成人向きの保護司、特に暴力団的なものを押えていける保護司という、いろいろなタイプが私は必要だろうと思うのです。いまそういうように専門化してはおりませんけれども、私はだんだん保護司も専門化していく必要があるのではないかということを感じておるわけでございます。しかし選考してくる過程を、どういう過程を踏んだらいいかということについて、私も実はなかなか結論が出てこないのでございます。まあまあ、いまの制度で当分やっていくより仕方ないのではなかろうかというふうに考えております。何といってもやはり前提条件になるものが整いませんと、ことに現在、長い間の高度経済成長とかなんとかでもって、物質というもの、金というものを非常に尊重する、そういう社会風潮のできておる中で保護司をやろうなんという人は、よほど変わり者か、好きか何かでないとちょっと人はない。それを、いまの社会風潮にもある程度マッチするような方策を幾らかでも——実費弁償にも限度がありますので、少なくとも実費くらいは弁償できるくらいな線まで持っていけば、まだまだかなり拾っていけるのではなかろうかというような感じを持っております。
  16. 横山利秋

    横山委員 ありがとうございました。先ほど申しましたように、犯罪者の予防更生関係につきまして、新たなる角度で検討に入る時期になっております。これらの問題で一番現場で中核的な活動をしておられる保護司さんでございます。ぜひ今後とも自発的に、かくあるべきであるという提言などなさいまして、ひとつこの種の問題が新しい時代に適応するようにお骨折りをもまたお願いしたいと思います。  最後に、柳川さん、平出さんにもう一つだけ簡潔にお伺いして質問を終わりたいと思うのでありますが、死刑という問題でございます。本委員会におきましても何回も従来から死刑の問題について議論をしたことがございます。簡潔に申しますと、死刑廃止論についてでございます。なかなかそう容易なことでもございませんので、せめて、先ほど申しましたように、死刑確定判決を受けた者についての再審制度を開いてみようではないかということで法案を提起し、その傍ら、死刑囚で一部、恩赦を受けた者があったということなんでありますが、いまはまた御存じのように平沢被告の問題が社会のいろいろな注目を浴びております。根本的に死刑というものを廃止することはわが国になじむものであるかどうか。民族的なもの、歴史的なもの等がございますし、また世界の風潮など申しましても、いろいろ努力をしてようやく死刑廃止をかち取ったイギリスにおきましてもまた若干の問題があることも承知をいたしております。しかし、いろいろ再審制度が議論されますのも、判決もすべて、神ならぬ身の間違いが全然ないとは言い得ないからでございまして、世界の歴史を見ましても、誤審、誤判によって死刑にされた一、二の例があります。その数が仮に少なくても、間違った裁判で人の命を殺したのは取り返しのつかないものでありますし、いわんや、人間が果たして本当に人間を裁判することが一体できるのであろうかどうか、神ならぬ身でそういうことができるものかどうかという疑問というものは、最後までやはり裁判でも離れることができないと思います。私は、この死刑という問題をわが国において将来にわたって廃止をしたいと思う一人ではございますけれども柳川さん及び平出さんの死刑に関する御意見を伺って、私の質問を終わりたいと思います。
  17. 柳川眞文

    柳川参考人 御承知のとおり、最近と申しますか、かなり前から、わが国においても死刑を廃止したらどうかという声はございます。またそれが漸次高まっているように私たちも聞いております。しかし一面、国民感情から申しまして、果たして死刑を全廃するということがいいかどうか、これは非常に疑問でございます。私、個人的な意見では、まだその時期ではないというように感じております。ただし、死刑というのは、お話のとおり取り返しのつかない結果を招来するというようなこともあり得るのでありますから、われわれとしては、死刑裁判があったからすぐに執行するということでなくて、もし再審なり恩赦なりの方法が講じられた場合は、それに対して慎重に考慮して処理するという考え方を持っておるのでございます。
  18. 平出禾

    平出参考人 死刑の問題は、刑事政策の面から申しましても常に大問題になっておることでございます。結論的に申しまして、いわゆる科学的な立場から考える場合には、自分意見というものを出す前に、社会的な現象としての死刑に対する取り上げ方というものを客観的に観測いたしまして、その観察に基づいて結論を出すというようなやり方をするのが、いわば科学的な方法として正しいと考えておるわけであります。したがいまして、社会的に死刑というものについてどう考えるかということ、特に裁判を通じて裁判所死刑の言い渡しをするという事情のある、その事件につきまして十分な検討を加える。いわゆる、だれが考えてもこれは死刑は仕方がないというような事件があるのかないのかということであります。最近、ここ一、二年の間にもずいぶん残虐な事件がございまして、あの犯人は死刑は仕方がないのではないかという声がやはりございますので、そういう実態を冷静に判断いたしますと、なかなか死刑廃止というふうには踏み切れないと思います。私も死刑存置を支持するものではございませんけれども、この際一気に廃止すべきであるという意見には、いわば合理的な裏づけを必要とすると思います。  なお、恩赦死刑関係につきまして、先ほどの用語の点で申し上げた方がよかったのかもしれませんけれども、イギリスのキングの恩赦というのはマーシーというようなことでありますし、フランスでもグラースというように、恩恵的なという意味言葉を用いておるようであります。アムネスティーというかたい言葉を使いますが、あれはどうも忘れるということの意味のようでございます。これはもう過去のことだから忘れようじゃないかということのようでございます。イギリスにおいては、死刑についてかなり多く恩赦が行われております。殺人はすべて死刑である、あるいは正当防衛のような形、事情があっても死刑であるというようなことがかなり、そんなに古いことではございませんが、十六、七世紀ごろまでと思いますが、ありましたので、そういう場合には恩赦が働く、マーシーが働く、そういうことが死刑恩赦とを結びつけておることと考えられます。なお、フランスでは、死刑の言い渡しがあっても、執行する前に特赦、これがアムネスティーと言われるものなのでありますが、特赦が拒否された後でなければ死刑の言い渡しは執行しないという規定が刑事訴訟法の七百十三条にございますので、訴訟手続的に申しますとそういうことも考えられるわけであります。死刑の執行について慎重であるべきだというのには、そういう一応恩赦のルートを経て、そこでその事情をしんしゃくするということになるのかと思いますが、余りフランスの実情、手続の点まではわかりませんけれども、そういう規定がございます。また、中国でも、猶予といいますか、執行を猶予する、一年であるか二年であるか、猶予する、執行までに期間を設けるというようなこともあるように聞いております。日本でもそういう点では配慮はされてはおりますけれども、なおもしそれで十分でないというお考えがありますれば、またいろいろなことが考えられると思います。  先ほどの死刑の問題は、これは時代とともにかなり推移があるのじゃないかと思います。具体的な事件を申し上げてどうかと思いますけれども、埼玉県でありました強盗殺人事件につきまして、一審では死刑、控訴審では事実そのまま認めながら無期懲役というのをお聞き及びと思いますが、一審と二審との間に十年間という歳月を経ておるわけであります。浦和の地方裁判所が三十九年に言い渡して、東京の高等裁判所が四十九年の秋に言い渡しておる。この十年の経過というものをどういうふうに考えるか。これは軽々には申せないと思いますけれども一つには、死刑に対する一般考え方、それを煮詰めた裁判所意見というものが反映しておるのではないだろうか。もちろん十年間という被告人の苦労というものも考慮されているのかとも思いますけれども、われわれから見ますと、その間における死刑というものに対する考え方、いずれにしてもこれは被害者が一人である、いろいろな偶然の重なりがだんだんと雪だるま式に本人に悪い事態にまで発展させてしまったのだ、そういうようなことが、死刑ではなく、無期懲役でいいのだという判断を裁判所がする、そういうような時代的な動きというものがあるのじゃないかと観察しているわけなので、恐らく死刑というものは今後ずっと減っていくと思います。統計から申しましても、十年ぐらい前までは十件、二十件という数であったのが、もう二件、三件、五件ぐらいのことになっておるようですが、先ほども申しますように、いよいよどうにもならないという人間、そういう事情の事件がなくならない限り、やはりどうも存続、やむを得ないのだと思います。
  19. 横山利秋

    横山委員 ありがとうございました。
  20. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長 大竹太郎君。
  21. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは各参考人に一件ずつお聞きしたいと思います。  いまほど横山さんの方からは、犯罪者予防更生法の今度改正する部分についての御質問が大してなかったので、改正する部分についてお聞きをいたしたいと思うのでありますが、まず柳川参考人にお聞きをいたしたいのであります。  御承知のように、いままで委員長さんが常勤でいらしたのでありますが、ほかに四人いらっしゃる委員皆さん非常勤ということになっておったわけであります。今度の法律の改正で、そのうちお二人を常勤にするという改正になっております。承りますと、いままで審査会のやり方は、四人とも非常勤でいらっしゃるから、事件を、はっきり四つに割ったというようなことではないかもしれませんけれども、大体四人に配分をされて、なった方が割り当てられた事件をお調べになって、そうして今度は委員長さん以下お集まりになって御審議になるということであったようでありますが、今度は二人が常勤、二人が非常勤ということでありますので、事件をどういうふうにしてお分けになるのか。この常勤、非常勤という制度は、会社の取締役なんかにもあるわけでありますが、会社あたりでは、社長以下常勤の人々が集まって原案をつくる、そして今度は非常勤の方も集まっていただいてその原案を検討するというのが普通のようでありますが、この審査会におかれてはどういうような運営をされるのか、それをお聞きしておきたいと思います。
  22. 柳川眞文

    柳川参考人 お答えいたします。  恩赦を上申してくる役所は、検察庁、刑務所、保護観察所のそれぞれの長から、資料をきちんとそろえまして、そうしてわれわれの審査会の方に送ってくるわけであります。審査会としましては、その事件が私ども審査会の方に回ってきますと、いまお話しのように主査委員を私が決めます。というのは、委員長は、各委員の忙しさ、ほかでどういうような仕事をなさっているか、非常勤ですからほかの仕事もいろいろ持っておられるので、そういう点をよく見ておりまして、そして適当な事件を適当な委員に主任としてやってくれと言うてお願いをしているわけであります。しかし結局は、主査委員がいろいろと細かく審査してくださるわけですけれども、最後は五人の委員が集まりまして、そこでいろいろと議論をし合います。その上で、簡単に結論が出るのもありますれば、どうしても話が一致しないというので、委員長が多数決にすることを主張しまして、決をとります。そして、恩赦で言いますと、恩赦相当か不相当か、もし相当であればどういう種類の恩赦が相当であるか、出願者の希望どおりの恩赦の種類にしていいか、あるいは出願者の方にもう一ぺん話し合ってみて、たとえば特赦でなくても復権で結構であるというようなことであると、またそれについてこちらで考えまして、われわれとしてこれならば恩赦として適当であろうという線に落ちつかせるわけでございます。それで、審査会として意見が決まりますと、それを法務大臣に申し出ます。というのは、これは法務大臣恩赦を決める責任者じゃございませんで、内閣でございます。法務大臣にはただ閣議にかけてほしいということで、一件書類を法務大臣の方に回しまして、法務大臣が閣議にかける手続をしてくださるわけでございます。大体恩赦の方の関係はそういうような手続になっております。
  23. 大竹太郎

    ○大竹委員 それは従来のやり方でございまして、今度は常勤と非常勤の委員があるわけでございますから、むしろその方をお聞きをいたしたいのであります。
  24. 柳川眞文

    柳川参考人 今度皆さまの御配慮によって常勤委員が二人ふえますと、一番うれしいことは、とにかくほかにいろいろの御用を持っておられる方が主としてこの審査会の方に力を注いでいただけるという点であります。先ほども申し上げたとおり、恩赦に対しては重大な責任がありますので、できるだけ資料を集め、できるだけ資料を読み、そして各人が十分に議論し合って結論をつけなければなりません。そういう意味では、常勤の委員がふえるということは非常に効果的であり能率的であると考える次第でございます。
  25. 大竹太郎

    ○大竹委員 それでは、時間もございませんから、次に山本参考人にお聞きいたしたいと思います。  これは直接この法律関係はないのでありますが、恩赦によって復権をしたり出獄をしたりする人が出るわけでありまして、こういう方も保護司としてお取り扱いになるのだと思いますが、いわゆる恩赦によってそういう刑を終わった人と、恩赦によらないで刑を完全に消化したと申しますか、そういう人と、再犯とかそういう面において差異がございますか。これは全国的な問題についてはお役所の方に何かの機会にお聞きしたいと思いますが、山本参考人御自身の経験を通して、どういうことになっておりますか、お伺いをいたしたいと思います。
  26. 山本門重

    山本参考人 刑を終わった後、一体どうなっていくかという追跡調査の方法が非常にむずかしい問題でございまして、また調査ということになりますと、非常に人権にもかかわってきますし、その対象者立場の問題がいろいろございまして、全体的にどうなっておるかということについては、これはおそらくそういうはっきりした統計も出ないだろうと思います。  ただ、私ども保護司といたしましてこれにかかわってくるのは個別恩赦の方でございますので、個別恩赦の方ですと、本人からの申し出がある場合がございます。たとえて言えば、私の担当したもので言いますと、暴力団で麻薬を売っておったというのが刑務所に入って、出てきた。それで仮出獄期間を終わりまして、そうしてあとキリスト教の牧師になろうということを考えまして、学校に入る段階になったときに、何か前にそういうことがないかどうかということで、やはり宗教家になるのですから、良心的に、隠していくというようなことは本人としてはできないということで、何とかこれをなくする方法がないものだろうかという相談を受けて、そして恩赦にしていただいて、いまりっぱにある教会を預かって牧師になっておる。暴力団出身者でそういうのが実はあるのでございますが、これなどは非常に恩赦というもののありがたさを感じた、一つ効果のあった例だろうと思います。  もう一つは、御承知のように観察所の方で期間をちゃんと調べておりまして、そうして、こういう人間が恩赦に該当する時期が来ておるがどんな状況かという問い合わせがあって、それを調査する場合に、いろいろともう事情は変わっておりまして、むずかしい困難なところにぶつかるのでございますけれども、そういう場合がありまして、いずれにいたしましても恩赦の証書を、観察所が呼びまして、保護司も立ち会って、係官のおるところで渡すわけでございますが、このときに、ただ渡すだけではなくて、恩赦の意義というものを克明に説明がありまして、それを受ける側は非常に感激して、将来の一層の更生を誓っていくというような事例はたくさんあるわけでございます。ということでありまして、その恩赦を受けなかった者がどうなったかということについては、ほとんどわからないでおります。
  27. 大竹太郎

    ○大竹委員 次に、平出参考人にお聞きいたしたいと思います。今度の改正によりまして、御承知のようにいままでは委員長さんだけが政治活動をしてはならないということになっておりましたが、今度は変わりまして、常勤の委員さんも非常勤の委員さんも全部政治活動をしてはならないという改正をしようとするわけであります。多少この審査会は特別な性格を持っておるかもしれませんけれども、ほかのいろいろな委員なんかにもやはり関係があることだろうと思います。一口に言えば、最近の民主主義的なものの考え方からしますと、多少逆行している物の考え方じゃないかというような気もするわけでありますが、先生のお考えをお聞きいたしておきたいと思います。
  28. 平出禾

    平出参考人 これは一般に公務員の性格に関してくることだと思います。ことに常勤ということになりますと、純然たる公務員とほぼ変わりないことになりますので、全体の奉仕者という、そういう考え方から来る帰結であろうと思います。そこで、この中央更生保護審査会委員方を全員常勤の委員にするということでありますと、私は行き過ぎじゃないかと思います。やはり非常勤の方のお知恵を拝借して——こう申すとなんですけれども、常勤で政治活動もできないということになりますと、それなりの狭い枠の中に入るという危険性がございますので、非常勤の先生方も残しておいた方が私はいいと思います。片や行政的な事務効率という問題を考えますと、まあ、この四人の委員の半々がいいところじゃないかと、私は賛成いたします。
  29. 大竹太郎

    ○大竹委員 終わります。
  30. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長 青柳盛雄君。
  31. 青柳盛雄

    ○青柳委員 私の方では諫山委員質問をされることになっておりますので、私は重複はもちろん避けたいし、あまり長い時間をとりたくないと思っております。  恩赦制度というものについていろいろお話がございましたが、私の直観で言いいますと、刑罰というものが必要悪であるという考え方、だからなるべくならば刑罰のないような状況が理想である。したがって、一たん刑罰が科せられていても、いろいろの機会にこれを緩和していくということが必要ではないか。これが社会の進展をスムーズにしていく上で、刑罰も必要悪であれば、恩赦はそれを緩和する意味においていいものであるということで、国民からももちろん歓迎されてしかるべきものだと思いますが、ただ、公平にこれが行われるかどうかということが一番問題になるわけでございます。公平に行われるという保証はどこで得られるかということになれば、これは、個別恩赦の場合は、それが審査をきれて内閣が結論を出す、その過程において決して特定の者に偏重するようなことがないということが望ましいわけでありまして、どうも恩赦制度について社会的に大きな批判の的になりますのは、政治的な犯罪と言われているものに対する時の政府の姿勢の問題ということのようであります。  政治的な犯罪と言えばいろいろありましょうけれども、一番典型的なのは選挙違反事件でございます。戦前には、選挙違反以外のいろいろの政治的な治安立法がございまして、それ自体、政治犯としての性格が非常にはっきりしておったわけでありますけれども、そういう治安立法は戦後大分少なくなりましたので、ケース・バイ・ケースでそれが政治的なものであるかないかの判定というものもむずかしいことになりましたけれども選挙違反はもうその罪名そのものずばり、政治的な犯罪ということになる。ところが、選挙違反も、政治的な犯罪だけれども、どうも一般国民の感情から言うと、破廉恥罪並みに扱ってもいいのじゃないか。単純な形式犯とかいうのは別といたしまして、買収とか供応とかいうのは、政治にからむから政治犯だというような単純な見方でなしに、やはり強盗や殺人並みに扱って厳罰に処してしかるべきものであり、また恩赦もその場合、一般の反社会的な破廉恥罪と区別すべきではないのじゃないか、こういう厳しい批判になって出てくるわけでございますので、個別恩赦の場合でも、そういう政治的な案件についてどういう姿勢で臨むのか、まず柳川さんにお尋ねをいたしたいと思います。
  32. 柳川眞文

    柳川参考人 審査会といたしましては、いやしくも恩赦の事件を審理するときに、絶対に与党とか野党とかいうような点を考えずに、公正にかつ妥当に審理をしなくちゃいけないということは、委員いずれもかたく守っておる次第でございます。しかし、いま先生のおっしゃるように、どうも政治的に流れているようなきらいがあるようなお言葉でございました。それであればこそ、この委員は判事や検事と同じように、本当に公正、中立にやらなければならないということで、お互いに戒め合って仕事をしておる次第でございますので、時の与党におもねるとか、政府におもねるとかいうようなことはいたしておらないつもりでございます。また、われわれに対しても、われわれは法務省の付属機関ではありまするけれども仕事の面については大臣とかその他幹部の人から何ら制肘を受けておりません。これだけははっきり申し上げておきます。
  33. 青柳盛雄

    ○青柳委員 機構的に指揮権発動みたいなものはあり得ないということでございましょうから、そしてまた委員各位におかれても非常に誠心誠意、公平、厳正を旨として事に処するということで努力しておられるということでございますから、それはそれなりにわれわれも信用しなければならないと思いますが、基準の問題がございます。ですから、基準というものがある以上、それを無視して幾ら厳正、公正と言いましてもそういうわけにはいかない。基準には従わなければいけないので、その基準をだれが一体決めるのかという問題がありますが、これは諫山委員の方から質問してもらうことにいたしまして、私は別な問題をお尋ねいたしたいと思います。  先ほど死刑囚と恩赦の問題についてはいろいろ御質問がありましたから、これは重複を避けて、いたしませんが、老人と恩赦という、ちょっと奇矯なテーマのような形で質問いたしたいと思います。具体的な例を一つ申し上げますと、帝銀事件の平沢貞通氏はすでに八十二歳何カ月という非常な老齢でございます。昨年秋から暮れにかけて一時東北大学の付属病院に移監されるというようなことで、生命に対する危険もあったようでございます。いまは小康を得ているようでありますけれども、これは一つの例であります。刑事訴訟法や何かを見ましても七十歳以上の方に対して特別な配慮というようなものがありますし、日本の古い伝統から言いましても、穂積陳重先生などの御研究によれば、隠居制度というものがある。だから年とった者に対しては社会的にそれなりの待遇というものがあるわけであります。したがって、老人に対する恩赦というものはそれにふさわしいような配慮があっていいのではないかというふうに考えるのでありますが、この点についてお三方から一言ずつ御意見をいただきたいと思います。
  34. 柳川眞文

    柳川参考人 いま平沢の名前が出ましたけれども、私ども法律に準拠して仕事をしておる身といたしましては、年長者だから恩赦にかけろというようなことを簡単にお引き受けできないのであります。刑訴法には七十歳以上の老人その他云々というような規定はございますけれども、これは必要なときに刑の執行の停止をするということでありますけれども、八十歳になったらもう恩赦にかけろとか、九十歳になったら恩赦にかけろというような根拠は見出すことができないのでございます。もしそういうことが必要であれば、これは法律をもって規制していただくよりやむを得ないと思います。それは私どもの担当でございませんで、立法者の方のお考えによって、そういうことが必要ならばそういうようにしていただくよりいたし方ないと思います。ただ、具体的に申し上げますと、平沢のように非常に年寄りでもあり、病気もあり、刑務所内で困っているのだということになりますれば、これは担当の矯正局が適当な病院を探して、その病院を一つの拘置監として本人を入れておくということは適当なことだと思っておる次第でございます。
  35. 山本門重

    山本参考人 平沢事件については私よくわかりませんが、一般論といたしまして、やはりずっと高齢者に対しては特別措置があってしかるべきだというふうに考えております。
  36. 平出禾

    平出参考人 先ほどもお話がありましたように、刑事訴訟法の中では自由刑の執行について、年齢七十歳以上の者は特別に執行を停止するという規定がございますし、また死刑の執行の停止につきましても、たとえば懐胎の婦女のようなものは執行しないというような規定がございますが、現在の法律考え方は、先ほど柳川委員長も申されたように、死刑の執行について、高齢者であるから執行を停止するという規定にはなっていないことは御承知のとおりであります。  それでは何か配慮をするべきではないかというお話でございますが、ごもっともだと思います。ただ、高齢であるがゆえにという意味でなしに、いろいろな事情をしんしゃくいたしまして、恩赦相当ということになりますれば恩赦でございましょうし、当面は行刑当局が預かっておる身体でありますから、行刑当局の方で適当な措置がとれるような道を考えるということは、十分考慮していいことだと考えます。
  37. 青柳盛雄

    ○青柳委員 もう一点だけお尋ねをしたいと思いますが、個別恩赦制度はあくまでも具体的なケースを対象にいたしておりますので、複雑ないろいろの要素を勘案されて恩赦にすべきか否かを決定されるわけでございますが、主に平出先生にお尋ねしたいと思うのでございますけれども、この刑の執行を指揮していく責任を負う役所が、日本では法務省でございますけれども、国によっては裁判所であったりするようであります。裁判所が刑の執行を指揮し、監督するにしても、刑事訴訟法裁判手続を行う過程のような、口頭弁論主義が採用されているようでもないので、結局は司法行政の中の一つということになろうかと思いますから、それが法務省であれ裁判所であれ、どれだけの違いがあるかは存じませんけれども、冒頭に私が問題を提起しました、公正に行われるというためにどういうような制度が望ましいのか。いまのままでもう十分だということであるのか、それとももっと公正が担保されるような機構的な改良が必要であるのか。もし御意見がありましたら、特に平出先生と限りませんけれども皆さんから御意見をいただきたいと思います。
  38. 平出禾

    平出参考人 刑の執行の点でございますが、裁判所裁判をする、その結果出てきた執行すべき刑がありますれば、その執行の指揮は検察官がするということになっております。検察官が忠実にその判決の結果を執行機関の方に渡すということで、その間に裁量の余地はございませんのが日本の現在の状況でございます。したがいまして、その間に特別にうまい考えというものも思いつきません。  いま刑事政策の学問の上、ことに行刑学において問題になっているのは、その刑の執行に関する処遇の問題になるわけですが、そういう問題について裁判官がもっと関与すべきではないか。日本現状においては、裁判官の関与というのがほとんどないと言っていいと思いますが、裁判官が関与すべきではないかという意見は出ております。ことにフランスでは、刑の執行に関するその部門を担当する裁判官というのを特に置いて、これはわりあいに最近、一九七二年だったと思いますが、その改正のときに出てきて、刑の執行をする段階で裁判官の関与というものは行われておるようであります。  ただ、司法制度というものは一つのセットのようにして行われているので、片一方が機能を発揮すると片一方は遠慮してもいいし、片一方が機能が悪くなればほかのものが補うというような、相補っていくような関係がございます。日本では検察官が刑の執行を指揮するということで、行刑の内容にまで関与しない。これは終戦前においては、かなり行刑の内容にまで関心を持ったものでございますが、終戦後は検察官は行刑の実態からかなり後退して、行刑まかせというような形が見られるように思います。そういう点から申しまして、司法機関が、同じく司法機関の中でも行刑という行政面を持っておるものとの間に密接な関係を持っていったほうがいいという考え方は、刑事訴訟法の学者、あるいは刑事政策の学者の中には出ております。  あまり適切なお答えでないかと思いますけれども……。
  39. 青柳盛雄

    ○青柳委員 ちょっと私の質問が不徹底だった関係で、もっぱら刑の執行の問題として御理解いただいてしまったようでございますが、私は、実は恩赦というのは、政令恩赦のような一般的な恩赦の場合はこれはもっと別な配慮から出ていると思いますけれども、個別恩赦に関しては、原則として具体的なケース、具体的な犯人の更生問題、それはひいては一般犯罪予防のような面も起こると思いますけれども、もっぱら再犯をしたりしないで更生できる、そういう観点で取り組まれている。そうなると、それは刑の執行そのものではないけれども、刑の執行に密接な関係を持った、刑の執行のやり方の問題ではなくて、刑の執行途中で変更するといいますか、中断するという意味で、不定期刑なんかの場合だったら裁判官がタッチすることの意味から、裁判所自分で、何年から何年の間という刑を言い渡しておいて、それを期間中に短縮したり、あるいはその期間いっぱいというところまで延ばす、延ばすというわけじゃありませんが、執行させるというようなことがありますけれども、不定期刑でなくても、恩赦という制度はそれなりにあるわけですから、変更するわけですから、これが公正妥当に行われれば、本人の更生のために、また再犯を防ぐためにも非常にいい効果を上げるわけでございます。それが公正妥当に行われるための機構としていまのままでもいいのかどうか。今度常勤の審査委員の方をふやされるということはその意味も含まれていると思うのでありますけれども、私がちょっと思いつくのは、何かもっと強力な——強力なというのは強いという意味ではなくて、もっと広く意見を聞くような機構があったらどうだろうか。もちろん主査の方やそれを援助する方がいろいろ関係者の意見も聞いたり、動向も察知されるわけでありますけれども、機構的にもっと充実されることはないだろうかという点での質問であったわけです。
  40. 柳川眞文

    柳川参考人 いま先生がおっしゃるとおり、確かに恩赦としてもっと努力しなければならない点はあろうかと思います。それで、常勤委員をふやしていただく法案を出したのもそこがねらいでございます。恩赦によって減刑されたりあるいは復権したり、そういう処分を受けた者は、私たちが予想をする以上に非常に喜ぶのでございます。恩赦状をそれぞれの上申者から本人に渡すのでありますが、涙を流して更生を誓う人もたくさんおります。中には上申者の前で土下座をして喜ぶというような人もあります。単にその場限りだけの喜びでなくて、私の聞いておるところでは、恩赦を受けた人の再犯率というものが非常に少ない。いま私は数字をよく存じておりませんが、非常に少ない。これは恩赦によって再犯防止というものが相当効果をもたらしているのじゃないかと存ずる次第でございます。
  41. 平出禾

    平出参考人 先ほどの御質問にちょっと外れておったことが指摘されましたが、これも先ほど申し上げましたように、いろいろな制度が絡み合って全体として機能していくということでございまして、もしこの問題を自由刑の受刑者に限って申しますれば、その問題は主として仮釈放の問題になってくるわけであります。もともと、この制度が発達しない場合には仮釈放というようなものは考えられなかったので、そういう場合には恩赦というものが働いておりました。しかし、日本のように仮釈放という制度ができますと、恩赦はその方から後退するということになると思います。ただ、仮釈放の制度が本当に理想的に機能しているかどうかということはまた問題だと思いますし、さらに法制的に申しますと、仮釈放の期間は保護観察を付することができるわけであります。刑務所から出ましても、めんどうを見て相談に乗ってやるというそういう裏づけがございます。  ところが、恩赦、特赦になりますとそういうことができなくなるという法制になっていると私は理解しておるわけでございます。犯罪者予防更生法には、特赦があった日以後には保護観察を付してはいけないというふうにわざわざ断ってあるわけでございます。どうもこの規定は一種の、進駐軍最高司令官当時のニュアンスが感じられるのですが、もし特赦についても、つまり受刑者が刑務所を出てから後にも保護観察が付せられるということになりますと一つの心配がとれるのじゃないかと思います。満期釈放者についても保護観察はしてはならないと、やはり犯罪者予防更生法の三十三条に出ておるわけでございます。ですから、もう満期釈放の者には何も手を伸べることができないことになります。ただ、現象としてあらわれていますのは、再犯は出獄してからまず六カ月、一年、二年、その辺に集中するわけでございます。それが過ぎますとずっと再犯は少なくなるわけであります。その期間、やはり補導、援護の手を伸べるという用意が望ましいということを、刑事政策の学問の上では申す説がかなりございます。そういう点をもお考えになりますとまた、特赦についても、仮釈放で賄えないが、そうかといって野放しにするわけではないというような意味で、適応が広がり得るのではないかというふうに考えます。
  42. 青柳盛雄

    ○青柳委員 終わります。
  43. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長 諫山君。
  44. 諫山博

    ○諫山委員 柳川参考人にお聞きします。  この委員会で、恩赦が党利党略的に利用されているのではないか、特に選挙違反事件の恩赦に問題があるのではないかということが長年にわたって論議されております。そして、いままでのこの委員会の論議を見ると、いわば総論的な論議がずっと続けられたように思うわけです。しかし、個々の事件がどういう経過恩赦になったのか、どういう実情があったから恩赦になったのか、こういう問題にほとんど触れられておりません。私は総論的な議論も大切だと思ったのですが、同時に、この問題を本当に正しく処理するためには、一つ一つの事件の中身に入って、どういう手順、どういう根拠、どういう判断で恩赦がされているかをつかむことが大切だと思いました。そこで、きのう私は、最近の選挙違反関係恩赦事件である自民党の副田直司氏の恩赦事件を調査しようと思って法務省にお伺いしました。ところがなかなか実態が調査できないわけです。法務省当局からも総理府からも余り積極的な協力を得られませんでした。私はこれから副田さんの問題を中心にお伺いしようと思いますが、これは私の個人的な興味とかそういう立場からお伺いするのではなくて、恩赦というのが具体的にどのように処理されているのか、その生きた事例を通じて恩赦のあり方を考えてみたいという立場からお伺いいたします。  そこで、私がきょうの法務委員会で論議するために必要な資料として、副田直司さんの恩赦の記録を見せてもらいたいとお願いしたわけですが、結局議決書を見せていただいただけで、それ以上のものは見ることができませんでした。最後に、主な資料は総理府に回っているから総理府で調べてもらいたいということでしたから、総理府に閲覧許可願というような書類を出しました。ところが総理府からは、法務省と話し合いをした結果、見せないことにした。それは個人の名誉及び人権にもかかわるからだ。さらに見せた前例がないからという説明を受けました。これはきのうのことです。  ところが、犯罪者予防更生法の第五十八条を読んでみますと、審査会は「政令の定めるところにより、その記録を保存しなければならない。」「前項の記録は、閲覧を求める者があるときは、その閲覧に供さなければならない。但し、本人の更生を妨げ、又は関係人の名誉を傷つける虞があるときは、閲覧を拒むことができる。」こうなっております。つまり、恩赦関係の記録というのは、法務委員である私でなくても、日本国民であれば原則として閲覧する権利がある。審査会は閲覧に供さなければならない。ただ、例外的に閲覧を拒むことができる、こういう趣旨になっているのです。一般国民に公開するというたてまえをとっているのは、裁判の公開と同じように、恩赦が公正適切に行われていることを担保するための民主的な規定だろうと思います。ところが、法務委員である私が法務委員会の審議に必要だから見せてくれと言っても、この記録を見せていただけなかった。しかも、これを見た人がかつてだれ一人いなかったということはきわめて重大だと思いました。これは審査会だけではなくて、法務省の問題でもあると思うわけですが、これに関連してもう一つ私が驚いたのは、記録の保存は政令の定めるところによってしなければならないとなっているのに、どうもこの政令が制定されていないようだということを聞いたのですが、そのとおりでしょうか。
  45. 柳川眞文

    柳川参考人 私も、昨日先生がわざわざ役所にお見えになって、副島それがしの記録を見せてほしいというお話があったということを法務局の連中から聞きました。それに対して私は、役所で保管している記録で、いま先生の御指摘の第二項に掲げてある事由の点で心配がないならばお見せしたらどうかというように指示したのであります。いま役所に保管しておる書類というのは議決書一通だけであります。これをお見せすることは差し支えないという意味で私は指示したのであります。ところがそれだけではいかぬというお話なので、それではほかの付属書類などもお見せするかどうかについて考慮したいということで、それならまず保管者である総理府の官房に了承を、官房からお見せするかどうかを判断してもらうよりしようがないじゃないかということで、そのように先生お話ししたと思います。その後どういうようなことで総理府の官房が先生にお見せすることを拒絶したかどうか、そこまで私は実は聞いておりません。もし法務省としての考え方ということであれば、また別に政府委員もいますから、そういう人にお尋ねいただければありがたいと思います。
  46. 古川健次郎

    ○古川政府委員 ただいま犯罪者予防更生法の五十八条について御質疑がございまして、その中で政令が定められておらぬではないかという御指摘、まさに政令はまだ定めておりません。そこで扱いといたしましては、恩赦関係の記録については大臣訓令が出ておりまして、これは法務省文書保存規程がございますが、その中で、恩赦関係の記録は永久保存ということに相なっております。またこの五十八条は、恩赦関係以外に地方更生保護委員会の仮釈放関係のもございますが、これにつきましては地方更生保護委員会及び保護観察所文書保存規程、これも大臣訓令でございます、これがございまして、これは二十年間の保存、こういうふうに相なっております。
  47. 諫山博

    ○諫山委員 法務省当局には私いつでも質問できますから、柳川先生にもう少しお聞きします。  法律では、審査会は「政令の定めるところにより、その記録を保存しなければならない。」となっているのです。これは審査会国民に負わされた義務だと思います。ところがいまの法務省当局の説明によれば、肝心の政令が決められていない。これは大変なことだと思います。審査会法律で義務づけられていることを行っていない。審査会の方にこう言うのはまことに失礼で、本当は法務省の怠慢だと思います。しかしそれでも表面上の責任者は審査会ですから……。「政令の定めるところにより、記録を保存しなければならない。」となって、その記録を「閲覧に供さなければならない。」という仕組みになっているのに、政令自体さえつくられていない。そうすると、適正な記録が保存されているだろうかということさえ疑わざるを得なくなるわけです。ですから、ここで押し問答してもしようがないのですが、これは法務省にももちろん私は具体的に問題提起します。しかし審査会として、政令を定める、そして法律どおりに記録を保存するということは緊急の課題だと思うのですが、いかがでしょうか。
  48. 柳川眞文

    柳川参考人 私も、五十八条で「政令の定めるところにより、」ということが書いてあるにかかわらず、政令がまだつくられていないというのははなはだ遺憾に思うのでございます。私の方としても法務省当局に対して、その点について十分な考慮を払うように要請したいと思います。
  49. 諫山博

    ○諫山委員 それから、記録の閲覧の問題です。記録の閲覧が、刑事裁判などでしばしば検察官と弁護人、被告人の間で論争されることは御承知のとおりです。犯罪者予防更生法ではこの記録を「閲覧に供さなければならない。」となっているのに、いままでだれ一人閲覧した人がいなかった。しかも、法務委員である私が、委員会活動に必要だから見せてくれと言っても結局断られた。これも大変なことだと思うのです。繰り返すようですが、記録の閲覧ということを義務づけているのは、やはり公平あるいは民主制を担保するためだと思うのです。ぜひ今後、法務委員である私だけではなくて、一般国民も閲覧できるように、緊急に措置をしていただきたいと思うのですが、いかがでしょう。
  50. 柳川眞文

    柳川参考人 政令は、この規定上、法務省で立案して政府で決めることだと思います。その決め方については審査会としてかれこれ言うべきことではなく、政令作成権者が考えることでございますけれども、五十八条の二項で「但し、本人の更生を妨げ、又は関係人の名誉を傷つける虞があるときは、閲覧を拒むことができる。」という規定がありますので、もし政令をつくるということであれば、政府はそういう点をよく考えてつくってほしいと思う次第でございます。
  51. 諫山博

    ○諫山委員 私がお伺いしたかったのは、法務委員である私でさえ記録を見れなかった、この状態は法律に反すると思うから改めていただきたいということなんですが、その点はいかがでしょう。
  52. 柳川眞文

    柳川参考人 その問題につきましては、私、委員長ではありますけれども、合議機関である審査会としていますぐにどうしろ、こうしろというようにお答えはちょっとできかねます。
  53. 諫山博

    ○諫山委員 私、参考人と押し問答することは好まないのですが、しかし、法律では「閲覧に供さなければならない。」と書いてあるから、審査会の責任者としては、この法律の趣旨が生かされるように改善するという立場をとってはいただけないのでしょうか。
  54. 柳川眞文

    柳川参考人 いま先生のおっしゃるような立場について、私は異存ございません。
  55. 諫山博

    ○諫山委員 さらに、閲覧に供することが原則であり、例外的に閲覧を拒むことができる、こういう規定になっているのです。この原則と例外という関係をきちんとしておかなければ間違うと思うのです。私がきのう閲覧を拒否された理由一つは、本人の名誉に関するからだということです。しかしこれは閲覧を拒否する理由にはなっておりません。法律は「本人の更生を妨げ、又は関係人の名誉を傷つける」と、この二つです。本人については名誉ということは出てこないわけです。本人については更生を妨げるかどうかだけです。ですから、法務省というのは法律の番人であるはずですが、法務省でこんなに明白に法律どおりのことが行われないというのは重大なことだと思ったわけです。さっき柳川参考人からこういう例外のことを非常に強調して言われたのですが、閲覧を拒むことができるのはあくまでも例外だという点をきちんと押さえながら、今後処理していただきたいと思います。私もこれからしばしば記録を閲覧に行こうと思いますから、ぜひ窓口でごたごたしないように。もう一回お願いいたします。
  56. 柳川眞文

    柳川参考人 先生のお言葉、よく了承しました。
  57. 諫山博

    ○諫山委員 私は、自民党の県会議員であった人、そして、かつて文部大臣であり、現在自民党の参議院議員である人の選挙運動をして、公職選挙法違反で有罪判決を受け、そして、私が前回この席で恩赦選挙違反のために党利党略的に利用されているじゃないか、こういう議論をしたその日に恩赦になった人のことを調べてみました。その議決書を見ると、買収事件ですが、「供与金額も十六万円で比較的少額である。犯行の態様も必ずしも悪質でないと認められる」こう書いてあります。私、実はこれを見て驚いたのです。これは福岡県の参議院選挙地方区に絡む選挙違反事件です。剱木さんが立候補したときです。そして福岡市の人が数十名、あるいは百名を超していたかもしれませんが、多数の人が買収事件で処罰されました。その総元締めだったのが副田直司さんです。ですから、これが選挙違反事件で比較的軽微だとか悪質でないというようなことを言われると、福岡の人たちはびっくりするだろうと思うのです。この事件は、そういう多数の買収事件の総元締めとして有罪判決を受けた人だったはずですが、それは違うのでしょうか。
  58. 柳川眞文

    柳川参考人 その具体的な事件の内容等、どうしてそういうことになったかというような問題はここでお答えすることを御容赦願います。私一人でやっておることではございません。合議体でやっておるのでございます。
  59. 諫山博

    ○諫山委員 私の一方的な議論にならざるを得ないわけですが、とにかく選挙違反事件の恩赦というのは国民が注視しているのです。そうして選挙違反というのは、たとえば一千円の買収とか二千円の買収でも処罰されております。ところが十六万円の買収というのは、私の経験から見れば相当大がかりな選挙違反だと思うわけですが、これは別としまして、もう一つ、「副田さんが公判で起訴事実を争わなかった。第一審判決後直ちに服罪した」これが議決書の中に記載されております。公判で争わなかったから恩赦になるのだとか、控訴の申し立てをしなかったから恩赦になるのだという思想が審査会の中にあるとすれば、私はきわめて重大だと思いました。公訴事実を認めるか否認するかということは、後悔しているかいないかということと関係ないはずです。一審判決に不服で、権利として控訴の申し立てをするかしないかということは、その人が将来、たとえば再犯のおそれがあるとかないとかいうような問題とは関係ないはずです。逆に、公訴事実を認めているから恩赦になりやすい、控訴の申し立てをしなかったから恩赦になりやすいということが行われたら、国民裁判を受ける権利はどうなるだろうか、控訴を申し立てる権利はどうなるのか、こういう疑問を持ったけですが、いま私が言ったように、公判で争わなかったとか、控訴の申し立てをしなかったということは、一般的に恩赦にかける場合の基準として用いられているのでしょうか。
  60. 柳川眞文

    柳川参考人 上訴しなかったから恩赦相当ということの基準というものはございません。大体、審査会の方は、余談になりますけれども、処理について基準というものを一切つくらぬことにしております。それはなぜかと申しますと、ケース・バイ・ケースで事件ごとに詳しく調べてみないと結論が出ないので、一応の基準をつくってそれでどんどん片づけていくというような浅い考えは持っておりません。ただ、そこにもし、争わなかったから云々ということがあるとしますれば、私ちょっと記憶しておりませんが、それは本人が恐縮して、まずいことをしたから、これからは一切そういうことをいたしませんという意味であるとすれば、それは改悛の情ありということになり、改悛の情があると認められれば、これは刑事訴訟法にも起訴猶予処分というような場合に改悛の情のこともうたってあると思いますが、これはやはり恩赦を相当とするかしないかの、これだけで決めるのではありませんけれども、それも一つの要素かと考えます。
  61. 諫山博

    ○諫山委員 柳川参考人は長い間刑事裁判の実務を担当されているわけだし、私も弁護人としてずいぶん長い間刑事裁判をやってきました。その場合に、裁判で公訴事実を否認したから改悛の情がない、情状が悪いというような見方をしてはいけないんだということは、われわれ法律家の常識だろうと思います。一審の判決に承服せずに控訴、上告の申し立てをした、だからこの男は反省していないんだ、だからこの男は情状が悪いんだというような見方をしてはいけないというのも、法律家の常識だろうと思います。ところが、いまの御説明を聞いておりますと、どうも否認してないことが改悛の情の一つのあらわれのように承りました。そういう立場恩赦が行われるとすればこれは大変だと私は思ったのですが、いま言われたような立場ですべての事件に恩赦がやられておりますか。言葉をかえて言いますと、否認したか認めたか、これだけではもちろんないでしょうけれども、公訴事実を否認している人、たとえば白鳥事件の村上被告のような人、こういう人たちは反省していない一つの証拠として審査会では考えているのかということです。
  62. 柳川眞文

    柳川参考人 いま先生がおっしゃったように、否認したからどう、けしからぬ、恩赦にしないというような考え方を持ってやっているわけではございません。ただ、上申者あたりから意見書がついてきますが、それに、非常に改悛しているというようなことが書いてある。そうすると、その改悛している理由として、本当に自分がまずいことをした、謝る、だから潔く刑に服するということを考えるのも、これは常識的に当然だと思うのでございますが、いかがでしょうか。
  63. 諫山博

    ○諫山委員 私、もう押し問答はやめようと思いますが、公訴事実を否認したから改悛していないんだとか、控訴、上告、再審の申し立てまでしたから改悛していないんだというような見方をしてはいけない、これは刑事裁判で厳格に言われていることなんです。ところが、すでに刑が確定して恩赦の段階になると、そういう間違った常識論がまかり通るとすればこれは事重大だと思うのです。ぜひ御検討いただきたいと思います。  それから、副田さんの問題に戻りますと、副田さんは、柳川参考人も御承知のように、大きな買収事件のピラミッドの頂点におった人です。そこで福岡地方裁判所は、副田さんは一定の期間公民権の行使を停止すべきだ、議員活動なんかしない方がいい、議員活動はしてはいけない、こういう判決をしております。ところが、いよいよ県会議員選挙の直前だというときになって恩赦になる。そしてこの副田さんは、すでに恩赦の翌々日ぐらいだったと思いますが、自民党公認として発表されました。こういうことが恩赦で許されていいのだろうかということを私は疑わざるを得ません。裁判所は、副田さんはこんなひどい選挙違反をやったのだから、一定の期間県会議員選挙には出るな、こう言っているのです。ところが審査会では、いやよろしいという措置をとったわけですが、そういう点はどのように考えられたのか。たとえば、議決書の中には、「県会議員等の公職を辞して行状を慎んでいる」ということが書いてあるのです。私は、県会議員の公職を辞して行状を慎んでいるのではないと思います。県会議員をしようにもやれないのです、公民権停止をされているのだから。そういうことがわかり切っているのに、「県会議員等の公職を辞して行状を慎しみ」という評価がどうして出てくるのか。私はこういう問題で納得のいく説明がされない限り、とてもいまの恩赦が党利党略でないというふうに考えることができないのです。この選挙違反で公民権を停止されている人を、恩赦で公民権停止を解除して、あなたは選挙に立候補してよろしいですよという措置をとることを、どういうふうに審査会長としてはお考えになっているのか、お聞かせください。
  64. 柳川眞文

    柳川参考人 先ほども申し上げましたとおり、この事件をどういうように審査会として考え、受けとめ、そして判断したかということについては、ここで申し上げることを御容赦願いたいと存じます。
  65. 諫山博

    ○諫山委員 私は質問を終わりますが、とにかく恩赦関係の事件の記録は一般国民の閲覧に供さなければならないことになっておりますから、私も日本国民の一人として、さらに法務委員として、これから大いに恩赦関係の記録を見せていただこうと思います。そして、恩赦が本当に、世間で言われているように党利党略的に利用されていることがないのかどうか、ぜひ私としては見守っていきたいと思います。こういう批判が当委員会でもしばしば論議されている、国民からもそういう疑惑が投げかけられているということをぜひ気にとめていただくことをお願いしまして、終わります。
  66. 小宮山重四郎

    ○小宮山委員長 これにて、参考人に対する質疑は終わりました。  参考人各位には、長時間にわたり、まことに御苦労さまでございました。厚く御礼申し上げます。  次回は、明五日水曜日、午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十九分散会