○青柳委員 改正の主たる眼目が、情勢の変化に敏速に適応するように合理化するんだという点については、基本的には反対する必要はまずないし、反対する方が正しくないと思われるし、したがって、それだけだったら、四回も出されて審議未了になるなどということは考えられないのですね。与党である自由民主党の議席が半数を優に超えている、いわゆる保革伯仲ではない、極端なことを言えば、強行採決をもってしても通過させることは決して不可能ではない数を持っておられる。にもかかわらず四回ともこれは廃案になるというのには、与党側の自由民主党としても、これはごり押しをするのには正しくない内容を持っているのじゃないか。単に、政治は妥協だから、合理的なものではあるけれ
ども、反対するやからが理不尽ながら反対するからトラブルを避けるんだと、そんな単純なものではないと私は思うんですね。四回も通らないのにはそれだけの理由があると思うんですよ。だから、これは立案をする側の
役所の人たちとしてみれば、
新聞論調などを見ても、また反対運動をやっている人たち、また野党側の言っているところが、単に誤解であるとかあるいは杞憂のようなものを持っている、要するに一口に言うと愚民であるというような考え方、つまり、
役所は非常に緻密な研究の結果、非常に合理的な考え方で、合理的なものとして提出をしている、ところが一般国民というのはわからず屋であって、そして何か杞憂ばかり抱いてこれに反対をする、また野党側もそのしり馬に乗ってわいわいと反対をする、自由民主党までが勢いに辟易して後退をする、そんなように、いわゆる官僚独善の考え方でこういうものの立案準備に当たるとすれば、これはよほどどうかしているんですよ。時代感覚が私は全くない態度だと思うのです。
新聞論調や、その他比較的中立的な立場で物を見ている人たちの言動を見ましても、これが緊急に必要な、時代にマッチした簡素化、合理化という事務的な手続であるならば問題はないけれ
ども、そこにきわめて問題を呼ぶところの治安的な条項、つまり、政治にぴんぴん響いてくる思想や言論、表現あるいは政治活動、そういったものに対する規制が、外国人ということを
一つの理由にして、国内人には認められているけれ
ども外国人にはそういう言動は許されないといったようなことで取り締まりの条項を設ける。そしてこれを禁圧するためには一定の制裁を行う。処罰もするし、排除措置もとる、こういうようなのが一番問題になるのじゃないか。これがもし許されると、外国人について適用されたものが自国人について適用されないというのはおかしいのじゃないかということにだんだんなっていくわけですね。かつて戦時中には、私
ども日本共産党は、日本人でありながら考え方が何か外国思想にかぶれているんだ、だから戦争に反対したり天皇制に反対したり、よからぬ言動をなす、これは日本人ではあるけれ
ども、その体の中を流れているものは外国人の血と変わらない、いわゆる非国民だ、国賊だというようなところまでエスカレートして、自国人でない外国人なら殺してしまって構わないんだ、獅子身中の虫みたいなものだと、こういう発想になるわけですね。
だから、外国人を差別するというようなことは一見合理的なようであります。参政権もないのだし、そしてまた日本の役人になる資格も持っておらぬのだから、外国人は政治活動などはやっちゃいかぬのだ、内政干渉になるのだと言えば、一見人聞きはいいんですけれ
ども、それでまず政治活動や思想や言論活動を統制していくこれが突破口。外国にもそういう例があるんだから構わないだろう。しかし、外国に例があって、それがいい例になっているのか悪い例になっているのか。立法例があるというだけで、それを無反省に模倣する必要はないどころか、してはいけない。日本には日本の行き方があるべきだ。私
どもはやはり平和を求め、中立的な立場で、いかなる国際紛争にも一方に加担しないというようなのが一番理想だと思っているし、また憲法の要請ではないかと思うんですね。そういう場合に特定の国の人たちを敵視するというようなことがあっていいだろうか。
たとえば、朝鮮半島に例をとってみますけれ
ども、朝鮮は不幸にして二つの国に分かれた形になっております。大韓民国の南朝鮮の方の部分とは友好
関係は続けるけれ
ども、北半分の方の朝鮮民主主義人民共和国の方とは国交も樹立しないし、また出入国についても特殊な扱いをする、こういうようなことが当然のような形になっております。なぜ国交を樹立しないのかということになれば、これは、朝鮮の安全は日本の安全に緊要なものであって、そして南は自由陣営であるけれ
ども、北の方はいわゆる社会主義陣営、共産陣営であって、日本の国の
方向と相入れないというようなことが
一つの理由になる。もちろんソ連や中国、東欧諸国とも国交は回復しているわけでありますから、決してそれだけが原因だとは言わないにしても、何か朝鮮の人たちから見れば敵視しているんじゃないか。そういうものに対して、この出入国法の改正案というものはそのままずばり敵視政策を露骨にあらわしているもので、これは杞憂だとか思い過ごしだというようなことではないと思うのですね。国際情勢の変化に応じてどういうような機能をその条項が発揮してくるかということは、これは予断を許さない。だからこの人たちが先頭に立って反対するのもよく私
どもには理解できるし、また、単にこれは北の人たちだけではなくて、南から来ている民団
関係の人たちも反対をしているというような状況、もちろん諸外国の、日本と友好
関係を持とうと思っている国の人ちからも危惧の念を持って見られるというところにあるわけですね。これは考えたことないのかどうか。
二月十日付の読売
新聞の報道の最後のところを見ると、「出入国法を制定する場合、あくまで手続き簡略化と政治活動規制を抱き合わせてやるか、分離するかの選択にかかっているともいえるが、最小限の規制は必要だとの
意見はいぜん省内にも強い。」と書いてある。これは
一つの観測記事です。しかしどうも、抱き合わせというのは昔から非常に不公正なやり方だというふうにとられております、どんな法案でも。ねらいがどこにあるのかは知りませんけれ
ども、いいものと反対されるようなものとを抱き合わせにして、そして反対するようなものも賛成をせざるを得ないようなものと抱き合わせしておけば一緒くたに通される、こういう非常に不公正なやり方があるわけだ。私は、抱き合わせをしないで、そういう問題のあるものは留保して、それはもっともっと世論をよく見て、時期が熟したところで出せばいい。しかもいいものとして出す。緊急なものは緊急なものとして出せばいい。これは一番常識のあるやり方だ。与党の自民党の人たちの中でもそういう
意見を持っておられる人は、私の知っている限りでもそんなに少なくはないのです。
緊急性があると言うのなら
緊急性のある方を、問題のない方を切り離して出せないわけではないだろう、技術的に、こう言うのです。いかがですか、この点について。