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青柳委員 いまの
答弁を積極的にと言いますか、要するに納得のいくように聞く方で
理解をするとすれば、当初の考えていた最高裁の
要求というものにも一理あるんだけれ
ども、よく話し合ってみると、結局は、諸般の
事情を勘案すればその都度減ってくるんだ、決して
はったりでも何でもないんだ、こういうことになりそうなんですけれ
ども、どうも無理が通れば
道理が引っ込むと言いますか、
人員を余りふやしたくないんだという
基本方針がありまして、特に
削減をするなどという時世のときに
増員をするなどということは、これはもう傾向が逆であるというようなことで、結局はその方が強くなって折れざるを得ない。だから決して
はったりではない。むしろ理想的なものを求めるが、
現実は
理想どおりにはいかぬのだというような、いまの御
答弁を積極的に受けとめればそういう
理解になると思うのですが、それにしてもどこかにこの
しわが寄っていると思うのです。
私
どもは全
司法労働組合あたりからいろいろの苦情を聞くわけです。
国会でもひとつ事実
関係をよく認識してもらいたい、そして国政の中で
自分たちの苦しい
立場、切実な
要求を実現するように、反映するように
努力してもらいたい。これは野党だから言ってくるのじゃなくて、与党の
委員の
先生方のところへも陳情はしているようでありまして、これは私
どもも
部外者として聞いても
道理に合っている
要求ではないか。つまり、
労働が非常に強化される、したがって
職業病も続出している、しかし
労災認定はなかなかしてもらえない、それは当然
国民に対するサービスにはね返っていって、
国民の権利を守るという点で非常に不十分なものになる。いずれにしても結局否定的な現象が生まれているんだ、そういう
しわが寄ってきているんだということでございます。したがって、私
たちはこういう
現実を見るために、毎年一回は
法務委員会として
現地視察を五日間にわたって行いますし、また同時に、
議員個人としても現場に行って切実な声を聞くように
努力をしているわけです。
私も最近、
東京地方裁判所を訪問いたしまして、所長以下
裁判官並びに
労働組合の
人たち、つまり
職員の
人たちの声も聞いてまいったわけでありまして、わずかな時間ですから十分なことはもちろん見聞できませんでしたが、やはりある
程度の印象を受けて帰ってきたわけです。その全部をここで申し上げるわけにはいきませんけれ
ども、たとえば
書記官の
人たちの
仕事ぶりですけれ
ども、従来は
書記官が
自分で聞いたり見たりして、それを手書きでもって記録にとどめる。私
どもがまだ弁護士になったばかりの戦前の時代のことを言うのもおかしいのですが、あの時分には、
書記官は
裁判官が口授するのをそのまま書いていくというような時期もありました。これも一つの方法ですけれ
ども、時間的には非常に能率の上がらない手工業的な
やり方であります。しかし、もう戦後はそんな、
裁判官が一々聞き取って、
自分の
理解を口授して、
書記官がそれを浄書するような形で
調書ができるというようなことは絶対なくなりまして、全く
書記官の
責任において、また能力においてつくり上げるということがもう常態化している。これが
書記官の本来の職務だろうと思いますけれ
ども、これで
独立性もあるわけで、
裁判官の
下働き機関というわけでもないわけです。
ところが
速記官というのが入るようになりまして、そして
当事者が証人あるいは
本人尋問をやる。
裁判官はそれを黙って聞いておって、補充的に聞くという
程度であります。
速記官が入って、
当事者が聞くものですから、くどい聞き方はしないわけですね。ある
質問をし、ある答えが出れば、それをもう一遍念を入れて聞いて、また同じような回答を取ってというようなことをしない。どんどん先へ進んでいく。これは、
速記官がいる場合にはそれで済むわけですね。
速記官のいない場合、
書記官が今度はそれと同様のことをやらなければならない。そこで
録音機を使うというようなことが
一般化しているようであります。この
録音機を使うということも、近代的な兵器でありますから決して悪いことではないと私は思うのですが、今度は
録音機を頼りにして
調書をつくるということになりますと、大変な時間がかかるわけですね。これはもうやってみればすぐわかることでありますけれ
ども、録音された時間の何倍となくかかるわけです。したがって、法廷が終わってから
自分の部屋に帰って机の前でそれをやるということもできるわけでありますが、雑音といいますか、周りがやかましくてなかなか聞き取れないというような場合もあるし、何しろ時間がかかるからどうしても家へ持って帰って、そして徹夜してでもつくらなければならぬというようなことになって、持って帰るという
実情がわかりました。しかも、この
録音機たるや、一台では間に合わないから、二台ぐらい要る。それで二台のうち一台ぐらいは
裁判所の方で買ってくれるのかと言いましたら、いやそうじゃないのだ、これは私物なのだ、一台安くても二万円以上かかるのだけれ
ども、それを買って家の方へ置いたり、持ってきたりしているのだということなんですね。こういうようなことで一体いいのか。私は、
録音機使用そのものを問題にするというよりも、余りにも
書記官が
過労になる。そして、家へ持って帰ったのは何か手当にでもなるかというと、それはならないというのですね。ですから、それだけ無給で働かされておるわけです。そういうことが重なっていきますと非常に神経質になってまいりまして、結局は
職業病にかかるというような
状況になる。
速記官についても同様のことがあるということでございまして、速記してきたものをどういうふうにまた翻訳するかということも大変な作業のようであります。だから
速記官の中で
職業病にかかっておる方の数も非常に多いし、また
婦人の
速記官が多いわけでありますから、いわゆる
婦人に特有の
職業病、あるいは出産、育児というような問題もありまして、そういう二重三重の負担のために
病気になっている方が非常に多い。産前産後の休養もとれないし、流産をしたり
異常妊娠をする人も非常に多い。一々ここで統計などは申しませんけれ
ども、アンケートその他の
調査によって、決してこれは誇大な宣伝ではないということでございました。
一々それを公務上の疾病として申請をするかと言いましたら、やるけれ
どもほとんど認められない例が多いので、もういわゆる上申はしないという例が非常に出ている。まことに不合理なことだと思います。決して好きこのんで無理な
労働をしているわけでもないし、また
病気になっているわけでもないわけですね。そして、余り
仕事熱心過ぎるからそういうことになるんだから、少し怠けていればいいんじゃないかなどと言ったって、日本人が非常に勤勉だということは世界に有名なんでありますけれ
ども、
裁判所の
職員を含め、
国家公務員の方、いわゆる
地方公務員もそうですけれ
ども、決して
世間で言われる、
民間と違って
親方日の丸で怠けているんだというようなものではなくて、本能的に
仕事をする性質を持っている。だから、
交通ゼネストなんかのときには、
民間の
労働者も自転車を使ったりトラックに乗ったり、非常に苦労して職場へ行くようにしている、あるいは泊まり込む、そういうことは
国家公務員の場合
裁判所職員の場合でも例外ではないのですね。だから、もう非常に勤勉なわけです。だから無理してでも
病気になるまで働くということになるわけです。こういうことを考えると、
親方日の丸だから
余り数をふやして
人件費を使うのはむだである、
合理化をせぬことには
世間に申
しわけないといったようなものではないわけなんですね。こういう点は、やはり
人事を扱う
立場、もっと高い
立場からものを見る場合には当然
増員ということを考えてやらなければならないと思います。
先ほどの
お話の中に、
書記官の
増員要求というのは本年度はしたのでしょうか、しなかったのでしょうか。