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1975-06-13 第75回国会 衆議院 文教委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年六月十三日(金曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 藤波 孝生君    理事 三塚  博君 理事 木島喜兵衞君    理事 嶋崎  譲君 理事 山原健二郎君       臼井 莊一君    久野 忠治君       床次 徳二君    楢橋  進君       羽生田 進君    深谷 隆司君       森  喜朗君    山崎  拓君       小林 信一君    長谷川正三君       有島 重武君    高橋  繁君       安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 永井 道雄君  出席政府委員         文部政務次官  山崎平八郎君         文部大臣官房長 清水 成之君         文部省大学局長 井内慶次郎君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 六月十三日  辞任         補欠選任   山口 鶴男君     山田 芳治君 同日  辞任         補欠選任   山田 芳治君     山口 鶴男君     ――――――――――――― 六月十二日  学校図書館法の一部改正に関する請願中村茂  君紹介)(第三六三九号)  同(山田芳治紹介)(第三七二五号)  国立大学学費値上げ反対等に関する請願(阿  部昭吾紹介)(第三六四〇号)  同(辻原弘市君紹介)(第三六四一号)  私学に対する公費助成増額等に関する請願(長  谷川正三紹介)(第三六四二号)  公立学校女子事務職員産休補助職員確保に関  する請願辻原弘市君紹介)(第三六六八号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第五一号)      ――――◇―――――
  2. 久保田円次

    久保田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。有島重武君
  3. 有島重武

    有島委員 先日の質問に続けてまた質問させていただくわけでございます。その間に一日、参考人方々に来ていただいて私たちもいろいろな愚見を聞いたわけでございます。そのことにつきましては、また後でもってその参考人の意見に基づいた質疑は各党からもおありになるのじゃないかと思います。  私は、先日、この大学院制度についての改正を含む学校教育法の一部改正案、この法律改正をしないとどんなデメリットがあるのでしょうかということをお尋ねいたしました。そのときのお答えの中に非常に尽くせぬことがあるように思うわけでありまして、これは大学局長の方から、大学院に対する多様な要請が昔と違って出ておる、こんなことがございました。それに対していろいろな構想がいま各方面でもって検討されておる、これに対して、法改正をしないとその構想が十分進むことができなくなる、その可能性が閉ざされるというようなお話しがあった。もし本当にそうであるならばこれはゆゆしきことであるんだろうと思うのですけれども、それがそんなに差し迫った要請になっておるかどうか、これは一刻を争うようなものであるのか、あるいは半年一年おくらしても、その方がむしろいいのではないかというようなことを少し議論してまいりたいと思うわけであります。  まず初めに、大学院に対する多様な要請がどの方面から、またどういう要請が出ておるのかということについて、従来は大学院といえば研究者を養成していく、これは現在でも研究者を養成していくということが第一番であると思うのです。ところが最近は、特に工学関係については、研究者というよりもそれに相対して実務者と申しますか、そういったところでもってマスターコースを踏んでくるのはもう普通になってきつつある。各大企業なんかの人事課の方に聞いてみますと、やはりそのマスターコース方々は一味違うというような表現をなさるようでございますけれども、そういったような要請がある。これはこの多様な要請一つであろうかと思うのでありますけれども、これを一つ取り上げまして考えてみますが、私は大学多様性高等教育機構多様化ということについては、基本的には賛成しているわけですけれども、こうした場合に、大学を出た方々勉強しているのだからこれは大学院という名前でなければならぬということはないように思うのですね。そうじゃなくてもいい。だから、大学出方々勉強する大学があっても構わない。あえて大学院と名づけるゆえんのものは、恐らく学位の授与ということにかかわるのではなかろうか、学位という一つ社会的な資格というものが一番中心課題になるのであろうかと思わざるを得ないわけですね。それでは、大学院というのは一体どういうものなのであるかということをもう一遍ここでもって考えなければならないのじゃないかという気がするわけです。私としては、いろいろな高等教育機関の中で、大学教授だけが集まっていかれるようなそういう高等教育機関といいますか研究機関、こういう大学があっても構わないし、それからもっと社会的な再教育、終身ないしは生涯教育、そういうための市民大学もあってもいいんだし、それにとにかく大学出が来るんだから大学院という名前をつけなければいけないんだということは必ずしもないのではないか、そういうふうに私たちは思うのですけれども、大臣その辺いかがでございましょう。大学を出た人が集まるならばこれを大学院としなければならない、そんなような考え方に閉じこもることにまさか大臣が固執はなさらぬと私は思いたいのだけれども、その辺どう考えていらっしゃるんだろうか、大臣にお伺いしたいと思います。
  4. 永井道雄

    永井国務大臣 有島先生は慶応の御出身でございますから、非常に福沢精神といいますか、そういう精神を伺っているように思うのでございます。確かに、余り学位とか課程にこだわるということはよろしくないことで、人間は本当に学習をして、そしてそれが自分にも世の中のためにもよろしいというのが私は理想だと思います。特に生涯教育というような角度から申しますと、社会に出た人がまた自由に勉強ができるような個所がある、それをあえて大学院という必要はないではないか、それはまことにそのとおりと思っております。  ただ問題は、そこで職種と申しますか、あるいは研究分野といいますか、そういうものによりましては、やはり課程をしっかり置きまして、そして課程が大体何年であるということを決め、そして科目を決め、そしてまた資格当該大学で認定していくということが非常に重要な分野があろうかと思います。  具体的に申しますと、実は東京工業大学理工系長津田計画がありましたのは私がまだ東京工大にいたころなんですけれども、いろいろ困ったことがあったのです。どういうことか具体的に申し上げますと、当時から環境問題それから日本都市開発というふうなことにつきまして、どうも大学レベルではできないし、かといっていままでのような大学院やり方でもできないのではないかという問題が幾つかございました。  例を都市開発にとりますと、日本都市がこうなりましたのは、これは経済態様などもございましょうが、一つ都市開発あるいは都市計画専門家というものがしっかりと養成されていなかったことも関係があるのではないか、実はそういう議論をいたしました。都市計画の場合に、たとえば土木工学をやります。これは従来の大学の中にあるわけです。ところが土木工学の人だけが都市計画に参加いたしますと、とにかく道路をつくればよろしいということになるのですけれども、しかし実は社会科学、とりわけ経済学ないしは行政学というようなものも知っておって、そこでこれからの都市の見通しを立てまして、道路がただむやみやたらにふえていくというようなことではなくて、そこの住民住居条件というものがよくなっていかなければいけないし、また経済の側面から言いますと、工場立地というようなこととそれから住宅建設というようなことがなかなか両立しない、むしろこれを分離していった方が望ましい。そのことがまた経済的にどういうふうなことを意味するか。これは、もちろんいままでの土木工学専門家勉強していないわけです。経済の方の人は学部でそれを勉強しているわけです。そうすると、学部段階では、両方にまたがりまして都市計画勉強していく人はちょっと出てき得ないのがいままでの姿ですし、恐らくこれからも、かなり土木もわかっており経済もわかるという人間学部段階でつくりにくい。そうすると、大学院のところへ持っていって、たとえば土木出身の人に引き続き土木勉強してもらうけれども、都市開発という角度から経済の問題や行政の問題も考えてもらう、こういう研究、さらにまたその研究に基づく勉強をして、そうしたものの専門家になってもらうということが必要ではないか。  ところが、当時そういう制度がなかったものでございますから、最後に一種の妥協をいたしまして、東京工業大学社会工学科というのを学部レベルでつくることになってしまいました。学部レベルで、いまも先生方は一生懸命にやっていますが、しかしながら実情を申しますと、今度は、社会工学科というのは非常に総合的なんですけれども、具体的に図面に落としていくというような問題のときになってまいりますと、やはり土木の人におくれをとるのです。そこで今度はそれの後に、現在ではついに理工系大学院というところにまいりました。  そこで、その中に社会開発コースというのも含まれておりますから、これはその職種につきましては、研究教育もかなりきちんとできるというところにくるかと思います。こうした種類のものは、都市住民というものが、今後いろいろ日本都市の姿が変わっていく中で、非常に安心して、楽しんで住める、そういうものをつくっていかなければならないわけでございますから、私はやはり相当専門家だと思います。そうしますと、しっかりとカリキュラムをつくりまして、年数を考え、また資格を認定してやっていくというふうにいたしませんと、いつでも戻ってこられる他の種類の生涯教育機関のようにはつくりにくい。したがいまして、先生がおっしゃる思想の根本は私は非常に大事だと思いますし、またいろいろな分野では先生がおっしゃったようなやり方というものがふえていくことも大事だと考えておりますが、いま私が一例を挙げましたようなものにつきましては、やはり大学院というものをつくって、そして社会的責任がございますから、そして市民というものも、この場合にはそうでないと安心して都市開発者に任していくわけにいかないわけでございますので、こういう場合にはきちんとした大学院、そのまた大学院のいままでのあり方が、非常にこれは学部に乗った程度のものでございましたから、きちんとつくり上げていくということが必要であるし、私の理解いたしますところでは、諸外国でも同じ問題を生じておりますので、そういうふうに大学院を建設して進んできているというふうに考えております。
  5. 有島重武

    有島委員 ただいまの大臣お話し都市開発という問題についての大変具体的な体験的なお話しなんで、ぼくはよくわかりますけれども、その前段として大学出が行くんだから、それを大学院と称さなければならないというようなことはない、それは何かお認めになっていらっしゃるのか、それは有島君特有の考えである、福沢精神であるというようなことをおっしゃいましたけれども、そういうものでもって、それは余り一般的な話ではないというのか、わりと一般的な話なのだというふうにおっしゃっているのか、その辺はどういうことでございましょうか。私はいろいろなものがあっちこっちできてくるべきであるというふうに思っているわけなんですよ。それをどれもこれも大学よりかレベルが上なんだから、それは大学院という名前を付していく道を開くということでいいんだろうかどうか、そういうことが一番最初の問題です。  それから都市開発の問題については、またちょっと後でもって伺います。
  6. 永井道雄

    永井国務大臣 私が申し上げましたのは、分野の別があるということでございます。なるべく具体的に申し上げるとよろしいと思いますから、具体的に申し上げますが、たとえばいま朝日カルチャーセンターというのがございまして、これも私の前の仕事に関連がございますから、比較的具体的に知っておりますが、たとえばそういうところで、いま世界が非常に変わっている、そうすると、アジア事情というようなコースがございます。そこでアジア事情を知らなければいけない人は、これは別に経済とか政治に携わっている人だけではなくて、わが国は民主社会でございますから、時間を持っている家庭の主婦とかどんな人でもやはり知っていかなければいけない。これは決して学校教育法によりますところの学校ではなくて、朝日カルチャーセンターというのが実は押すな押すなの盛況であるようですが、いろいろそういう勉強をいたしております。  こういう場合に、私、先生がおっしゃいますように、あえてこういうものを大学院にして整備して、そして課程を決めて資格を与える、そういうことは必要ないと思います。  それでそのほかに今度は企業自分企業の都合で、いまでは相当中身の充実いたしました企業内教育をやっております。聖蹟桜ヶ丘に東京電力の企業内学園がございますが、これなどはずいぶんカリキュラムもしっかりやりまして、これはやはり主として電力会社立場というものに比較的近い立場で、しかしいろいろなことが変わってきておりますから、勉強していくということでやっています。これも各種学校的なものでございまして、大学院ではございません。  そういうものが本当にいろいろなところにありますし、そんなものをすべて律して大学院というものにしなければいけないとは私は思いませんし、むしろ自由なる社会でございますから、これは柔軟な方がよろしいんだと考えております。  ただ、先ほど申し上げましたのは一例でございますが、実はそのほかに幾らでもそういう職がございますので、もう一つ例を申し上げますと、たとえば教育建築というのがございます。これは従来建築学人たちがやっていたのでございますが、教育建築という場合、たとえば小学生の教育建築の場合に、小学校教育の方法ですね、あるいは児童の要求、それからカリキュラムと自然の関係、こういうふうなことを勉強しないと、単なる建築の大家ということだけでは済まない。そういうことで教育建築というふうな領域を開拓しつつある人が千葉大中心に育ってきておりましたけれども、今日までのところそういう専門家がまだ育っていないというのが実情でございます。  そこでいままでは、ですから非常に奇特な、自分専門以外のことをいろいろな形で夜勉強したり何かするそういう方で何とかカバーをしてきたのでございますが、これからのことを考えますと、いま二つだけ都市開発教育建築を申し上げましたが、いままでの社会科学人文科学、それから理工学というのに偏りませんで考えていかなければならない研究領域専門家、これはどうしても必要でございまして、しかもそれが社会的責任を非常に持っている重要な職でございますから、そういう人たちをきちんと養成していく、そしてまた、その分野研究というものを深めていくことは、これは私はどうしても必要である。ですから先生のお考えは、ある分野では全くお考えどおりでございましょうが、他の分野では必ずしも先生のお考えのような形だけではこれからの研究教育ということを考えにくいので、やはり大学院の整備ということを考えなければいけない、こういうふうに私は申し上げた次第でございます。
  7. 有島重武

    有島委員 よくわかりました。  そこで、先ほどの都市開発の問題、それからいまお挙げになりました教育建築のような、そういった一つの新しい社会的要請によって生まれてきた学問分野といいますか、そういうものについて、これ今度のこの学校教育法改正がないとそういうものが本当にうまく進まないのだろうかどうか。たとえばこれは都市開発のための専門大学院をつくるということよりも、東工大に行くと東工大一つ独自性といいますか特徴というか、東工大都市開発大学院世界的にすごいのだ、それから教育建築のことは千葉大だというようになっていく方が私はむしろ自然ではなかろうか。それができない、どうしてもそれを独立させていかなければならないという、何か必然性がどうしてもあるのかどうか。いままで伺っているのだと、それはいままで学部というものがなかなか閉鎖的になっているから、それを延長した形の大学院ではそれが行われにくいなということが第一の理由であったように思うのですけれども、いま文部大臣おっしゃいましたように、東工大の場合には、学部段階でまずその歩み寄りの試みがあった、そうして今度は大学院レベルというものがそういったようにできてくる、こういう形がぼくは一番望ましいのじゃなかろうかと思うわけであります。それだから今度それをさらに独立大学院にしていかなければならないのだという必然性がどうしてもあるのかどうか。これは東工大がそんなふうな歩みでもって都市開発に対してのプロジェクトについて、研究とそれから後継者の養成、教育というようなことに非常にうまくいった、だからといってそのでき上がった形だけをこっちに持ってきた方がそれはうまくいくということにはならないと私は思う。その方をむしろ憂えるというか心配であるように思うわけであります。ですから、いまいろんな高等教育機関大学院大学、それから市民大学といいますか各種学校的なものも含めていろいろあってもいいんだけれども、それが非常に個性的に、あそこに行けばこうだ、あそこに行けばこれだというような個性を持つということが非常に望ましいことであるのであって、だから、いまの二つ例をお挙げになったことがこの法案とどうしても結びつくのか、あるいは必ずしも結びつかなくても可能なのか、その辺はどうでございますか。
  8. 永井道雄

    永井国務大臣 東京工業大学の例を申し上げましたから、もう少しそれに即して申し上げますと、社会工学に関する最初提案をやりましたのは昭和三十五年ころだったと思います。それをやはり大学院的なものにすべきではないかという議論をしたのです。ところが、いままでの構造がありますからなかなかできないというので、当時いろいろ学校教育法の中で考えまして、文部省とも話し、学内でも議論し、そして結局社会工学科ができましたのは十年くらい前になります。それから、どうもそれじゃうまくないということになって、総合理工学研究科ということで長津田の方に新しい形のものが出てきたのが、これまたごく最近でございます。ですから、合計いたしますと十五年くらいかかっているわけです。十五年かかっても、大学の場合にはなるべく外から干渉いたしませんで、そして大学自体が自制的にそういうふうに動いていけでよろしいのですけれども、東京工業大学のように比較的小さくて、そしてまとまりのいい大学の場合でも実は十五年かかったというのは偽らざる実情でございますから、さて、そうなりますと、今後それと同じようなことを期待していっていいかどうかということがどうしても起こると思うのです。といいますのは、社会はどんどん動いておりますから、大学というのは安定していた方がいいのですけれども、同時に社会のいろいろな要請が出てまいりますから、そういう要請にこたえていかなければいけない。そうすると、たとえばどういうことが起こってくるかというと、テレコミュニケーション研究というようなのを今度例に挙げさせていただきます。そういたしますと、これは電電公社付置研究所大学でいろいろな研究が進めないものですから、そこでもってどんどんと進めていくという形になってしまいました。そして、むしろ大学の方の人が電電公社付置研究所に行くとたまげている。大体研究室が一研究室十人くらいで百ございますから、千人ぐらいの規模のものでございますが、大学外側にあるということになってしまっているのが実情でございます。そうしますと、やはりいままでの学部態様から離れた形の大学院というものがつくれるんですよということをはっきりさせていくことがどうも望ましいのではないだろうか。そしてまた、連合大学院、これも前にお話しいたしましたから、きょうは繰り返しませんが、そういうふうに大学を越えまして、そして新制大学で地方で頭打ちになっているところが頭打ちにならずに相当上の方までいい大学院を持って伸びていく、そういうことから考えると迎合大学院は必要と思いますが、この場合には、今度は大学自体にさえ当然乗れませんから、やはり独立でなければいけないということになってまいります。そういうわけで、もちろんこうした事柄については国会の諸先生方の十分な御理解というもの、さらに大学先生方の御理解というものもなければいけないことでございますが、私どもの考えといたしましては、そういう御理解を得られますならば――いまの大学のようにかたまってきますと何か外側の方にばかりいってしまう。いまの電電公社研究所は一例でございますが、そんなふうになってしまいますと、本当に大学が学術の研究教育中心になっていくという重要な使命が失われるということもございますので、その点から考えますと、やはり現段階におきまして独立大学院の方向を考えていくということが非常に必要である、こう考えているわけでございます。
  9. 有島重武

    有島委員 非常におもしろいお話しだと思うのです。いまの電電公社テレコミュニケーションという問題がございますね。これをどうして大学院という名前にしなければいけないのか、これが私には理解できないわけなんです。  それで、いまのお話し、ちょっと皮肉な言い方になるかもしれないけれども、大学の方はそうした対応性がいま鈍くなっているから、なかなかそういう社会要請に追っかけていかれない、こちらは大体企業ぺースといいますかその要請に非常に責められているからどんどんそれが進んでいく、お金もある、そういうものがあると、文部省はそれを自分の領分まで引っ張ってくるために、うまくいっているところを何かこっちへ持ってくる、そんなふうにも見えるわけだ。でも、そういった必要性が本当にあるのかどうか。それには、いまおっしゃったように、社会一般それから学者の方々の十分な理解があればということでございましたね。それで、いまの電電公社の例一つとっても、これを大学院にしなければどうしても困るのかどうか、それはどういうことですか。
  10. 永井道雄

    永井国務大臣 電電公社テレコミュニケーション研究所、非常にすぐれたものでございますが、電電公社の場合は公共性を持ったものですから、そんなに私的な企業利益というものを考え研究所をやっているわけではないのでございます。しかしながら、電電公社年間研究費が大体七百億円程度でございますから、大学より相当大きい。これは昨年度か一昨年度ですから、本年度はもっと大きいかもしれません。ところが、やはり研究の上で幾つか弱点が出てきているということも指摘されております。どういうことでございますかというと、テレコミュニケーションが発達いたしますと、国じゅうないしは世界、これがどんどん連絡がとれるというのはよろしいのですけれども、コミュニティー崩壊現象ということが起こってまいります。ところが、人間コミュニティーというところでお互いにはだを接し、よく話し合いながら生きていくということは非常に大事である。そうすると、電電公社研究所もそういうことをやった方がいいのではないかという提案がここ数年行われておりますが、しかしながら、まだ十分その段階にいかないで、いまもその提案についての審議が続いているというふうに私は理解しております。これは研究会があるのでございます。  そこで、それをすぐ大学院にしたらどうかというのに疑問が生じますのは、大学院というものは、あるいは大学というものは、これはこの前からも議論がありましたように、やはり企業とかあるいは政府から独立をいたしまして、そして学問の自由というか自治と申しますか、そういうもので本当にバランスのとれた角度勉強し、研究し、教育をしていかなければいけないということでございますから、やはり電電公社のように非常に公共的な研究所の場合にも、それをすぐ大学院でいいでしょうということになりますと多分問題はございますし、いわんや私的企業の場合、企業研究所の場合にもずいぶん進んだものがございますが、この場合には公社などと違いまして、やはりもっと自分の会社の営業目的と申しますかそういうものとの関連において、これは研究内容から言いますと非常に進んではおりますが、やはりそちらに傾くということになりますから、それを大学院そのままに名前で言わないでそうしたらいいでしょうというふうに言いますと、私はやはり疑問があるので、実はアメリカ合衆国が比較的そういう方法をとったのでございますね、そのことが企業の発展ということには役に立ったと思います。それでどんどん技術革新、経済成長というのにはよかったかもしれませんが、どうもそういうような方向ですと、本当に公共的な利益を重んじる社会というものをつくっていくのには、不適切なのではないかというふうに私は考えます。ですから、そういう場合には、この伝統的な大学精神と申しますか、そういう学問の自由、自治、そして本当に国民、人類のことを考えるという基本的なものでなければなりませんから、私的企業でよほど進んだ研究所があります場合にも、まあそれがあるからいいじゃないかという方法をとりますと、結果においては、社会にある種のひずみが生じてくるというおそれがあることは、どうもいままでの例から申しましても明らかなように私は考えております。
  11. 有島重武

    有島委員 どうもいま大臣がおっしゃいましたように、たとえば公害なら公害の研究所というのがある。これは、地方自治体の中にもかなり進んだものができてくる、あるいは自動車工業なんかにもできてくるということがありますね。そういうものを直ちに大学院にするのは不適当であろう、これは産学協同の拡大のようなことになっていくわけでございますね。それじゃその電電公社の話に戻りますけれども、電電公社に似たようなもの、テレコミュニケーションとそれからその発達をまたもう一つチェックしなければならない、今度は何ですか、社会学といいますか、そのコミュニティーを形成していくというようなことですね、これはまた都市の問題と非常に関係が起こってくるのかと思いますけれども、そういうものはそういうもので、やはりある大学が進んでそういったプロジェクトを取り上げて、そこの学部なり大学院の中にそういったものをつくっていくなり、そういったことをやればいいんじゃないだろうか。やはりこれも独立大学院をつくらなければならないということには必ずしも結びつかぬ話だと思うのですね。  それから、先ほど東工大の場合に、大変時間がかかった、御苦労なさった。これはいろいろな面があろうと思うので、その学者の方々が、進歩的と言いますか、どんどん進んでいこうという方々と、それからわりあいといままでの保守的な方々と言っては悪いかもしれないけれども、そういった方々がいらっしゃったという、人の面でもあるでしょうけれども、なかなかそのための研究費がなかったということにかかわること、これは大変大きな要素ではないかと思うのですね。するとそれは、それこそが学者の方々要請文部省が柔軟に応じることができなかったというだけの話でありまして――じゃないかと私は思うのです。それさえうまくいけば、もう少しいまの体制のままでもってもっと進むことができるのではないかと私は思うのですけれども、その辺いかがでございましょうか。
  12. 永井道雄

    永井国務大臣 私は、いままで大学教授の方がもちろん文部大臣よりかずっと長いのですから、そのときの記憶の方がずっと心の中に積み重なっております。確かに研究費が足りなかったり、あるいは文部省大学考えていることに速やかに対応しないというようなことから起こる支障もございます。ただ、公平に見まして、今度は、世の中の方がいろいろ大学に期待しているんだけれども、大学の方のそれに対する対応がどうもおくれているというようなこともございます。一番世の中の人が最近ではほとんどだれでもそうだなと思いますようになりましたのは、大学の入学試験問題のつくり方ですね、これはもう少し高校以下の教育考えた方がいいじゃないかというのが、これはもう社会の一般的常識でございまして、その社会の常識というものも大学に反映いたしまして、やっとと言うと変な言い方ですけれども、国立大学協会でいまでは大変御苦労になって、大学もひとつ入試制度の改善というところにいこうということになりましたけれども、これについて社会の方が大学側に要求しておりましたのは、特に高校、中学ですね、いろいろ要求しておりましたが、もう十何年にわたっていたわけなんですが、大学の方が比較的反応が鈍かった、これは一例でございます。  そういうようなわけで、私は、この文部省の対応がおくれたために大学が発展しにくい、そういうこともありますが、他方において、それじゃ大学の方が常に何事もお見通しの全能の人たちの集まりかといいますと、そうもまいりませんので、やはり大学社会の要求にこたえていかなければいけないということもあるかと思います。  さて、いま議題となっております大学院の問題について申しますと、これは私先般、予算委員会に出ておりましたために、参考人先生方がおいでになったときにこちらに参れませんでしたけれども、私の理解いたしますところでは、大学先生方の中にも、大学院制度というものをひとつ変えてもらわないと今後の大学院というものの充実は図りにくいという要求を持っている人たちの数も相当多いというのが実情であろうかと思います。ただその場合に、先生がおっしゃいますように、制度だけつくればいいというんじゃなくて、やはりそれに伴う財政的裏づけというものがなければいけないというふうに大学人たちが思っている、これはもう間違いのないことでございますが、しかし、制度につきまして、これは決して文部省の方だけ考えているというのではなくして、相当数の大学先生方が、大学院の新しい形をつくっていくということが日本研究教育が次の段階に進んでいく上で不可欠であるというふうにお考えになっている。もちろんそうでないお立場から御批判になっている方もおいでになりますが、しかし、これはまあ統計は簡単にとれませんけれども、相当数の方々がいまそのことを御要求になっているというふうに理解いたしております。
  13. 有島重武

    有島委員 二つの問題があるように思います。  一つは、大学が従来の行き方から考えると、社会要請に柔軟に応じることがなかなかむずかしいという要素がいままでは確かにあったのですね。それは、大学紛争以前と以後とではその様子が大分変わってきているんじゃないかというふうに私は見ております。これも統計的にきちんと言えないから何ということはできませんけれども……。  それで、いまのお話しを、これも少し極端な言い回しで言いますと、大学はどうも鈍いから、それはもう相手にしてはおられぬから、だから新しい制度もつくらなければいけないんだというふうにも聞えてくるんですよ。それはぼくは、大学そのものの問題を何かすりかえて、すりかえると言っては悪いけれども、大学そのものの問題をもう少し突っ込んでいくのだ。あるいは、坂田文部大臣のときに、開かれた大学というようなことをスローガンになさいました。名前としては大変いいのだけれども、その開かれた大学という言葉の内容の意味そのものについての議論が本当になされたかどうかということは、私は非常に問題だと思います。開かれた大学と言って、結果としては、大管法じゃなかったですか、大学を規制する法律が一つ通ってしまったというだけのことでありまして、何となく欺かれたというような苦い記憶が残っているわけです。  それで、大学の問題は大学の問題として、もう少し社会に対応でき得るように、そういった社会にも対応していこう、どんどん進んでいこうという新しい芽が大学の内部に非常に出ているわけでありますし、それから大衆化された大学とますますグルントが広く深くなければならなくなってきたという要請とがいま非常に錯綜しているときではないかと思うのですけれども、そういうことに対して、じゃどういうふうにこれを変革していくか。形の上で変革に応じてどれだけの処置をとればそれがよりうまくいくのだろうかというようなことが、もっとぼくは真剣に考えられなければならないし、そういった措置と並行して大学院もということならば、これは私は非常によくわかるわけなんですよ。いまのお話しを聞いていると、大学はどうにも動きが鈍いから、こっちは見切りをつけてこっちに風穴をあけましょう、そんなふうに聞こえてきます。それが一つ心配だと思うのです。  それからもう一つは、この間参考人方々がいらっしゃった。相当の賛成者がいるとおっしゃいましたけれども、私が伺いましたところ、何と言いますか、みんな賛成はするけれども、非常に消極的賛成という形ではないかと私は承ったわけなんです。ここに記録が出てくるともっと正確にわかると思うのですけれども、確かにこういうものができるということは悪いことではない、ただし、こういった点が心配であるというふうに言っていらっしゃるのが多い。それから反対の立場の方もいらっしゃるけれども、それもきわめて消極的反対ということなんですね。われわれとしても、そういったような賛否を本当に決定しかねているというような気持ちでいまこう御質問をしているわけなんです。  それで、相当部分の方々がというような御認識ですけれども、私の認識では、私はそんなに数は多くありませんけれども、七、八人の方々に問い合わせたわけです。学者の方々大学院のある大学方々が主でありましたけれども、その方々学校教育法の一部改正がこのたび国会で問題になっておりますがと言っても、それを御存じない場合があるわけだな。二日ばかり時間をかしてください、そしてお答えが返ってくる。余り十分尽くせませんけれどもというようなお話しでもってお答えが返ってくる。そのお答えは、大体この間参考人お話しの範囲内であったと思います。それから、特に今度は私立大学の方の方々はまだいろいろな疑惑をたくさん持っていらっしゃるようだ、私はそういう認識を持っているわけです。文部大臣相当大学人が大学院問題について一つの注目をし、反応を示しておるという御認識を持っていらっしゃるのかどうかですね。私はいま、私の感触では非常にまだPRが足りないと申しますか、非常に大切な問題だと思うのだけれども、そのわりあいに反応が非常に弱い、いまだ機が熟しておらぬ、これは一夏越えた方がいいのではないかというぐらいに思うわけなんですけれども、二つのことを御質問いたします。
  14. 永井道雄

    永井国務大臣 私、まず第一点の方で、大学を開かれた大学にするというような問題との関連でこれをどう脅えているかというお話しですが、その前にちょっと先ほど申し上げたことから誤解を生じるといけませんから、一言申し上げておきたいことがございます。  と言いますのは、私は大学先生方が鈍いということを申し上げたのではないのでございます。そうではなくて、やはり大学というところはなるべく静かで安定をしておりませんと、ちゃんとした研究教育ができないのです。大学先生方が毎日制度をどうやって変えるか、あれを変える、これを変えるというような議論をやり始めますと、そういうこともやり、また御研究も進むというような方の場合もありますが、一般的に申しますと、むしろそんな形になるよりは安心して研究教育ができるという方がいいのでございますから、そういう意味において、大学の中からそれほど改革案が目が回るように出てこないというのは、私は決して悪いことと思っているのではなく、したがって鈍いというようなことを申し上げているのではないのであります。  次に、開かれた大学というような考え方とこれとどうかとおっしゃいますが、私はたとえば総合連合大学院というようなものこそ開かれた大学という方向を開いていくものではなかろうかと思います。先ほど例で申し上げましたが、新設の地方大学、こういうふうなものも、前に幾つ大学局長が詳しく御説明申し上げましたが、四国は四国、あるいは宮崎県で農科関係連合大学院をつくりたいというような案がございますが、こういうふうなことになりますと、いままでの新制大学がばらばらで上に伸びていかないというのがそうでなくなりまして、それぞれの大学が割拠主義ではなくて、連合していくということが起こります。一つの開かれる方向と思います。  また、現在の既成のいわゆる有名な大学でございますね、これは先生の御出身の慶応も含めまして総合大学と言っておりますけれども、本当は連立大学と言うのだろうと思います。たとえば信濃町と小金井と三田と日吉とどういう関係になっているのかということになりますと、実はいま慶応の場合でも、全学の学生大会というのを開くのもなかなかむずかしいそうです。ですから、ばらばらになっている。学部もばらばらである。慶応の人が一番よく集まってみんなで一体になるのはいつかというと、早慶戦の応援のときだそうです。それも結構でございますけれども、やはりそれですと名目だけ総合大学ですから困ると思いますし、国立の方も同じことでございまして、七学部、八学部あったりいたしますけれども、お互いに実は他の学部先生方の顔も知らないというような状況で、本当は学際的研究が進むべきなんですが、連立大学になっているということがございますから、その点におきましても、大学の中で開かれた関係というものがつくられていく上でもよろしいのではないかと思っております。  それから次に、まあそう急がないでもよかろうじゃないかということでございますが、これについて私、それはなるほど広報活動といいましょうか、そういうものはより活発であることにこしたことはないと思います。より活発であることにこしたことはないのですが、しかし、やはり大学先生方相当数にこの御要求があるというときに、国会で十分こういうことを御討議願う、これがそれこそ一番正当な広報活動と私は思います。各党の御理解を願うということが非常に大事であり、私たち文部省としてもこれをできるだけ新聞その他マスコミを通して御説明する。これをどのぐらいやれば本当に満足のいく広報かというのはなかなかはかりにくいことでございますけれども、大学というものが安定して動いていかなければならないものであるだけに、国会ないしは政府というものは大学のひそかな要望というものを生かすために、制度をよくしていくために、私たちこそが働きまた広報しなければならないのではないかと私は思っております。  なお、これとの関連で申しますと、たとえば独立大学院という構想が非常に珍しいように思われておりますが、ソビエトの例をとらしていただきますと、ソビエトは全国のアカデミーを持っております。これは大学院的なものでございますが、これはそれぞれの大学から完全に独立をいたしております。そして、大学院ということで全体計画で進んでいるということから、やはりその国家の独立のりっぱな研究ができるんだと思います。またアメリカ合衆国について申しますと、日本でハーバード大学とかあるいはコロンビア大学などと申しますが、実態を見ますと、実はハーバード大学院あるいはコロンビア大学院でございまして、そこに大変小さな付属学部があるだけでございます。ハーバード大学の場合ですと、学部の方はせいぜい一学年が四百人ぐらいしかとっていない、四百人足らずだと思います。コロンビア大学も全くそうでございますが、そういうわけで、日本で知られているああいう著名な大学は、ハーバード大学院であり、コロンビア大学院であり、エール大学院であるわけです。わが国がなぜいままでそれがなくてしのげてきたかと申しますと、わが国は経済発展の過程におきまして非常に外国、とりわけアメリカのパテントに依存してまいりました。そこで、パテント依存ということから、企業が外国のパテントの工業化という形で産業を推進してまいりましたから、こういう形でしのげたんだと思います。しかしいまや、これはだれの目にも明らかでございますが、わが国も自立をしていかなければいけないと思います。それは学問の上でも自立をし、わが国の福祉並びに人類の福祉というものを考えるような国になっていかなければならない。してみますと、アメリカなりソ連なり、そういうふうなほかの国に依存できない国でやっていることを見ますと、それこそ独立大学院というような形で大きな大学院をつくり、そこで研究教育というものを深めてきたのでございますから、一日にしてわが国がそういうふうな状況になれるとは思いませんけれども、こういう方向に踏み切りますのが早過ぎるということはない。これは今日から日本の将来を考えますと、そうなるのではなかろうか、こう考えております。
  15. 有島重武

    有島委員 最初の方の話ですが、私も大学先生が鈍いというような言い方をしたかどうか知らないけれども、反応が鈍いように見える、そういうことだと思います。  それで、何でも進んでいくことが結構なことであり、それから進むには早い方が結構であり、能率主義がよろしいのだというような風潮は、必ずしもいいとは限らないし、特に大学の特徴として、いろいろな要素でもってそれが非常に緩慢な動き方、成長の仕方をしていくということは、ぼくはむしろ好ましいことではないかと思うのです。トウモロコシは一夏で育つのでありますけれども、大木になるシイの木、カシの木なんというのはそんなに急成長はしない。それはいいと思うのですね。  ただ、ここで、その後でおっしゃいました、大学だって連立大学のようになってしまっているじゃないかということですね。まさにその問題こそ、じゃ、それをそのように追い立ててしまったのは一体何であるか、それをもう少し総合大学なら総合大学らしく、あるいは狭い日本都市の中に大学はひしめいておりますけれども、たくさんの大学があるが、これは一つの学園都市のように考えてしまって、うんとその間の相互乗り入れといいますか、互換制がもっと自由にできるような――これは制度の上では単位の互換制ということがいま許されておりますけれども、そういった方向をとりやすくするためには一体どうしたらいいのか、そういうようなことがもっと具体案が進んでいる中でもってこの独立大学院連合大学院というものが考えられていくというなら、私は非常にわかるわけです。ところが、いまのお話しを聞いていても、大学はまるで連立大学じゃないか、だからせめてもう少し総合的な新しい領域、学際領域でもどんどんできるようなものを早くつくって――それは結構なんですよ。結構なんですけれども、同時並行して口をあけていくということが大切なんじゃないか。さもなければ、それに非常に固執したいわけです。ですから、この前の質問のときでも冒頭に私が申し上げたのは、いまの大学そのものの、特に卒業制度ということについて、いろいろな方法があるだろうけれども、これからすぐにでもそういったことを審議していくということに踏み切られる御用意があるのかどうかということを御質問申し上げたわけです。それは、ぼくはずいぶん譲歩したつもりなんですよ。まだ考えてはいないけれどもそういうことを考えていきましょうというので、大学院に対しての審議会も四月からおつくりになった。これも、ぼくはいささか、この法案が出てからそんなものをおつくりになって、ちょっと何だかおそいというのか、どろなわ式な感じがしないでもなかった。だから、そんなにお急ぎにならぬ方がいいのじゃなかろうか。私も十年も待てなんということは全然言っておりませんので、一夏ぐらいは待ってもう少しPRが及んでいく時間をお与えいただいた方が親切なんじゃなかろうかということを言ったまでです。  それで、その並行していくということでなしに、いまのお話しだと、どうしても大学の中で開いていくのはむずかしいから、大学院でそういうようなことをすればそれが下に及んでいくだろう、私もその点はわからないじゃないです。ただ、心配な点は、いま大学がどうしてもわりあいと割拠的になりがちである。一人一人の学者の方々に聞いていくと、いろいろな意欲はお持ちである。それで、その辺をずっと詰めていくと、どうしても文部省からのいろいろな、まあ主に財政的な制限――文部省としてもお金が足りないから、それを公平に配分していくのには苦慮をしていらっしゃるのだろうと思うけれども、大学側から言わせれば、文部省の方が苦慮していらっしゃるのを、財政によっていろいろコントロールをしているがごとくに見える、そういうように受け取られる場合が多いというのも事実だろうと思うのですね。そういうことをもう少し進める、それが非常に大切な問題じゃなかろうかということを言いたいわけなんですよ。それをお答えいただきたい。  それからあとソ連とアメリカの独立大学院大学の例が出ました。これは私も不勉強でまだもっとよく調べなければならぬと思いますけれども、その成り立ちが大分違うように思うのですね。それから国情も大分違うように思います。  それからもう一つは、その理由としてお挙げになった、いままでは外国依存型ですね。これは特許に限らず、大体欧米追随型で万事来てしまった。それが、これから本当に日本としての自前のものをつくっていかなければならない。この態度は大学問題に限らず全般的なものだと思いますけれども、そういうことと、だからといってすぐこの法律のところにそれが直ちに結びつくかどうかということはどうも何か飛躍があるような、無理があるような、そういう気がするわけであります。いかがでございますか。
  16. 永井道雄

    永井国務大臣 まず先生がいろいろ現在の大学、私、連立というような言葉を使いましたが、そういう問題があるのに、大学院という形で解決をするのもわかるが、しかし問題があるならいまの学部の方をいろいろ工夫したらどうかという御意見でございます。これは私は全くそうだと思います。先生のおっしゃるとおりだと思います。しかしその場合に資格とか学位をなくしたらどうかという、これは先生の年来の御主張と理解いたしておりますが、現在そこに踏み切るという考えはございません。しかしながら、たとえば一般教養というのが専門課程に進む前にあるのですが、これが本当のところなかなかうまくいってない。これはどこの大学でも認めて大いに悩んでいるところです。ですから、大学院というところだけではなく、一般教養のところでもう少し広く、専門に片寄らない教育がどうやったらできるものか、これを私たちは工夫しなければならないと思っております。文部省も東京の八王子の大学セミナーハウスに現在は補助をいたしておりますし、この十月には関西の有馬温泉に関西の大学大学セミナーハウスもできまして、これはいろいろな大学人たちがお互いに参りまして、先生と寝食をともにして勉強をする、そういう意味での教養を進めることになっております。これについても補助をいたしております。やはりこういうのはたった二つしか例がなくて残念でございますから、これは大学局などでもいま盛んに、どういうふうにしたら大学と協力をして一般教養を強めていくかということを工夫いたしております。これは必要がございましたら、大学局長が御説明申し上げます。  ですから、大学院をつくることによって、それだけでいまの大学の問題を解決しようというようなことではいけない、その点は全く先生に賛成でございまして、確かに学部に問題があるのであれば学部のいろいろな問題というものに着実に取り組んだらどうか、それは私たちも全くそういう考えで進み、さらにそれと並行して大学院考えよう、こういうことでございます。  なおまた、そう急がなくてもいいではないか、とくにアメリカやソ連の例を私が挙げましたが、それは見方によると思います。私は、いまでも日本では、これはちょっと数字を持ち合わせておりませんが、実はとても企業研究に依存している国でございます。大変これはそうなんです。どうしてそうなるかというと、先ほどのパテントの事情がございます。  でございますから、やはり私は、今後の日本の自主路線というものを考えてまいりますと、どうもそういう方向だけによって来たのでは、また行くのでは、まずいのではないか。そういう点につきましては、やはりまん中に大学院というものがきちんとありまして、そこで本当にりっぱな研究、そして教育、それから専門家の養成というものができて、本当に公共的な立場というものが強まっていくことが、今後の日本考えます場合にどうしても必要である、この点は繰り返し申し上げさしていただきますが、そう考えております。
  17. 有島重武

    有島委員 資格の問題、最初にちょっと誤解があるのではないかと思いますから申し上げます。  私は、資格学位をなくせと申し上げているわけでもないし、それがなくなってしまうことが理想であるとも思っているわけではないのです。  それで、資格の目的ですが、何か資格を取ることが目的のように現在なっておる。そのことを放置しておくと、それが受験地獄ということに非常につながっているのではないか。それからこれは、何か本当の学問を進めていくのにむしろそれがマイナス要因になっているのではないかという認識から出発したことでありまして、私がこの前の委員会で少し申し上げましたのは、大学なら大学に行ったその資格の内容をもう少し明らかにした方がいいのではなかろうかということなんですね。大ざっぱに大学卒ということであるよりも、一つには単位の累次加算ということを明確に記載していくというようなことですか、卒業免状にかわるものですね。その単位の累次加算といっても、それは百二十四単位一々に全部克明に書き込めなんということではない、幾つかのクラスターのようなものがあって構わないと思うのです。それからもう一つは、受講の形態をやはり記載していくべきではないのだろうか。  ですから、さっき電電公社の例がありました。たとえばそういったところに教員の方なりあるいは大学生が出向して勉強してきた、それだけでぼくは、学問ということに結びつく場合もあるだろうし、それが何か技能的なものになってしまう場合もあるでしょうし、これはちょっと判別がつきかねますけれども、私なら私がそういった立場になったとして、かなりの力をそこに注ぎあるいは時間も注ぎということが資格の中に評価されていくという手段はいまのところないわけであります。もしぼくが一つ学校に籍を置いて、それでそこに行ってやっていたとすると、それはやはり記載の方法、テクニックによるとも思いますけれども、どういう形態でもってこれだけのことを習得したと、履歴的なことですね。それで大学において言うならば、何年度のだれだれ教授のもとにおけるどういう科目についてはこれを教授会が認定する、これは五人以内のゼミ方式であったとか、あるいはマッシブなものでこれを受けた者であるとか、そういうことを記載していくという、これはそれほどむずかしいことではなくて、いまの大学設置基準をちょっと手直しすればそれでよろしいことで、これは法律にかかわることではないわけだろうと思うのですね。  それで、そういうことが前提にないと、連合大学をつくったときに、どういう人たちがそこに来るかなんということを、そこの教員側が人選するのが非常にむずかしいことでありますし、結局自分大学の息のかかった弟子たち、これは一番安心できるわけですから、そこから持ってくるという以外に手がなくなるわけですね。もう少し中身がはっきりしてくれば、これはどこどこの大学の何年度の教授会においてこれだけのものをマスターした、そういった承認が来ているというような、わりと公平な人選の基準といいますか、そういうことがもう少しできるんじゃないんだろうか。これは学生のみならず、今度は教員を募集していく場合にも、どうしたっていまのシステムでいきますと、本当に自分の手塩にかけた方々、これが一番いいということで、どうしても学閥というのですか、これは悪気でなしにそういったことが避けられないことが非常に多いと思うのですね。そういうことからどうしても単位累次加算の明記と、それからその受講形態の明記、それから何年度のどこの大学の教授会というような、そういうような認定責任ですね、それをはっきりしておく。そういうことがしつかりしないと、せっかくの互換性の問題も余り進まないのじゃなかろうか。そういうことさえあれば、それは万が一力が不足であった、どうのこうのと言ったら、それを認定した教授会の方にむしろ責任が行くわけでありまして、したがって、教授会の方でも本当に責任を持ってそこでやっていかなければならない。これは大変手間がかかるみたいだけれども、その中には、これは時代の趨勢なんですから、その受講形態の中に、それはどんなマス教室でやったものであっても構わない。それから、ちょっとこの間も大学局長の方からお話しもありましたけれども、放送大学みたいなもので受けたということがあっても構わない、外国の大学でということがあっても構わない、そういうものをずっと評価して、それでいわゆる学士号でも与えるのは、もう少し厳しい学士号の与え方をしていくということも可能であろう。そうすれば、中途退学なんという言葉の意味が余りなくなって、それから学卒、学卒という意味もなくなって――なくなってというか、それがもう少し資格に実質的な意味を持たしてあげることができるんじゃないんだろうかということを私は御提案したつもりです。ですから、資格を全廃してしまえというようなことではありません。  それから大臣は、大学の改革について、改革というと何か抵抗がある方面があるかもしれないけれども、大学を本当に大学らしくしていくということを並行してやっていくつもりだとおっしゃった。そうおっしゃるなら、並行してやっていくというあかしが欲しいわけだな。どういうことについてはこういうふうに踏み切っていきますというようなことですね、本当に並行の姿がはっきり出てくれば、私は非常に喜ばしいことである。それで、この法案の審議についても非常に具体的といいますか、有機的な実りある審議になってくるんじゃないんだろうかと思うわけであります。これは今国会に御提出された、このことについては私は十分意義があったと思うのです。ここでもってかなりゆっくり審議をさしていただいたということは、これは必ず波紋を広げていくことであろうと思うのです。審議をしたということ、それですぐ決着をつけるという話はこれは別なのでありまして、審議をし、出した波紋が広がっていく、そうした過程を一つ経て、それで決着をつけていくということがより親切な――この種の大学問題というのはさっきもおっしゃったように、余り急にやってもついていかれない。確かに窓を開いておいてあげるということはいいことに違いないけれども、もう開く可能性がこのようにあるんだというようなことでも、これはずいぶん大きな効果を持つんではないかというふうに私は思うわけであります。それで、この間の大学局長お話しだと、これが通らぬとせっかくの構想がみんな意気消沈してしまうというような、私はそんなことはないと思うのです。こういうことがないにもかかわらず、農工大それから各大学の農学部お話しをこの間承りましたけれども、それは孜々としてその方向をたどって考えていらっしゃることですし、あの場合のお話しは、むしろこうした法案がないという前提のもとにいろいろな工夫をしていらっしゃって、それでこれが通ったとしても――それじゃこれが通ったら考えを全部やり直さなければならないんじゃないかと思われるような節もいろいろある。これももう少し詰めていかないとわからないことです。私が承った範囲ではそういうふうに受け取ったわけであります。  それで、時間もちょうど十二時になったから私はこれでもって一けりつけたいと思いますけれども、大学の問題、大学院の問題、これを並行して進めていくというお話しだけれども、このあかしをはっきりとしていただけるかどうか、それはいかがでございますか。
  18. 永井道雄

    永井国務大臣 まず、あかしの前に、先生資格の問題について御発言になっておられましたのを、私は若干先生のお考えを誤解していたようなところがありますから、その点はおわびを申し上げます。むしろ先生がおっしゃっているのは、大学院に入ってくるときに資格というものをちゃんとしておけばむしろ公平に選べるのじゃないかということですね。確かに昔の大学院の場合には自分学部時代の子飼いの人を大学院に引っ張るという傾向がございました。これは改めなければならないと思います。今度考えております大学院につきましては、それこそ独立大学院という方向も開くわけですから、前のような形の子飼いの人を引っ張るということは前よりむずかしくなると思います。そのほかに当然試験をいたしますから、したがって、放送大学についてどういう姿になるであろうかはまだ決っておりませんし、必要な点は大学局長から御答弁さしていただきますが、そうした種類のところを出た人でも、公平な試験によって当然独立大学院に入っていくように配慮すべきものと考えております。  それからもう一つ、あかしの点でございますが、私はあかしの一番大事なことは私立大学の方の強化ということではなかろうかと思います。と言いますのは、独立大学院をつくって連合大学院を強化するという場合に、国立だけの問題ではなくて、やはり将来は私立の大学卒業の方々も連合して加わってくるということでございますから、そういう点では私立の大学を強化しなければいけませんが、そのことには財源の許す限り骨を折っているつもりでございます。  さらにまた私立大学の中でも特別なことをやっております大学、私は先般上智大学に参りまして、特別な補助をすることにいたしましたが、これは時間がかかりますから省きますけれども、非常に特色のあることをやっておられるわけであります。  さらに国立大学につきまして、それじゃどういうことをやっているかということでございますが、そのあかしの第一は入学試験制度の改善、これは五十三年度を目指していま進んでいるということでございます。  第二に、一般教養というものを少し変える方向で工夫してはどうか。これは事務局長などの会議大学局長がいろいろとこの問題について懇談を重ねてきておりますから、これについては大学局長から御答弁申し上げることにいたします。  なおまた専門課程のあり方、こういうふうなものについては各大学でいろいろ御検討でございますが、これはどちらかと言えば、検討課題と私は思っておりますが、そうしたことの詳細については大学局長に御答弁させていただければ幸いでございます。  つまりあかしは、いま申し上げましたように、大変御満足のいくありとあらゆる場面にわたるあかしかというと、なかなかそうは言えません。しかし、実は相当数、幾つかのものは進んできている。  もう一つあかしで、これも大学局長から申し上げた方がいいと思いますのは、国立地方大学の充実、これは学部レベルにおいてもそれを進めているということでございますし、来年度はぜひともその方向で進みたいと考えております。  私はいわばちょっと総論的なことだけを申し上げて、あと大学局長から詳細にあかしの点を申し上げることにいたします。
  19. 有島重武

    有島委員 それじゃあかしの点は大学局長から承ることにいたします。もう時間がないからこの席でなくてまたやっていただいても結構なんですけれども……。  さっきの資格の中身の問題でございますけれども、大学院入学というのは一例でございまして、必ずしもそれだけじゃなくて、社会に出ていく、就職していく場合にも同じことが言えるというふうに私は思っているわけです。それで学卒というこの問題をしっかりしないと、入試の問題をいろいろやっても、それはうまくいかないのじゃないかというふうに私は思っているのですね。これは主観の相違だからそれは後回しだと言われればそうだろうけれども……。私が御提案申し上げたのはほんの部分的なことであると思いますけれども、いまの前段のお話しだと、ちょっとまた話がずれちゃうと困るから、それだけ訂正しておきます。  時間がありませんから、一般教養それから専門課程のあり方、それから国立地方大学構想につきましては、ぼくは委員会の席でまた時間をいただければそのときに承るし、そうでなかったならば御説明いただいてもよろしいだろうと思います。  あと技術科学大学院をめぐってもう少し詰めておきたいことがあるのですけれども、委員長にお願いしたいのですけれども、私はここでもって高橋繁さんにバトンタッチして、関連してその問題を高橋さんからやっていただきたいと思いますので、お許しいただきたいと思います。
  20. 久保田円次

    久保田委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。高橋繁君。
  21. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 技術科学大学院につきまして、若干時間をいただいて質問をしたいと思いますが、この大学院につきましてまだ固まったものはないかもしれませんが、将来的な構想として幾つぐらいの大学院をつくる予定なのか、そこら辺からまず聞いていきたいと思います。
  22. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 昨年度に引き続いて本年度仮称技術科学大学院ということで調査をし準備をしておりますのは二校でございます。一校につきまして大体三百人程度の入学定員としてみたらどうかということで、ただいま二校につきまして調査をし、準備を進めております。
  23. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 現在二校予定しておりますが、将来にわたってそれを四校なり五校なりふやすという考え方は持っておりませんか。
  24. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 いろいろな論議がございますが、文部省といたしましては、何と申しましても新しい構想に基づくものでございますし、現在の工業高専の卒業者の大学編入ということで、さらに進学の道をたどっておりまする子供たちの実績、それを志望しておる子供たちの数とか、こういったもの等もにらみ合わせながら、二校で準備をし、ここでどういう形で実際にこれが具体化し得るかということに目下専念したらどうか。これの将来にわたる何校程度どういう形で拡充していくか、こういった問題についてはいま直ちに考えないで、二校がどういう形で具体化し得るかということを全力で考えていく、いまはこういう考え方でございます。
  25. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 将来の高専の卒業者の進学状況なりを見てやるということでありますが、確かにある面から行けば、この技術科学大学院というものができますと、高専の卒業生というものはかなり希望して進学をするのでないかという感じもしないでもない。そうして二校ができた場合に大変狭き門になって、かえって高専の卒業生が押しかけて希望が満たされないという場合も考えられる。あるいは今度は四校なり五校こうした技術科学大学院というものができると、ある面からいけば大変視野の狭い大学院というものができるような感じも私はいたします。その辺の心配はありませんか。
  26. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 ただいま検討をしておるところでも、先生から御指摘の点がやはり非常に大きな問題でございまして、工業高専の卒業者を主たる対象として構想していったらどうかということになっておりますが、高専を卒業した子供たちに工学部等に編入の道は開いてありまして、その道もできるだけ今後も開いていくという努力を一方でやはりした方がいいであろう。しかし、高専における五カ年間を一貫しました一般教育と技術を尊重した専門教育、高専の教育というものが生かされてくるような形における創造的な技術開発等を重視して、さらに進学をして勉強をしていく組織を、既設の大学院の修士課程と別個なものとして考えるのがいいのか、あるいは大業院レベルのところでやはり大学院制度の中でこなす方がいいのかというところに一つ議論がありますが、私どもの考えとしましては大学院の修士課程制度の中でこなしたところで、高専の卒業生でその道に進もうとするものを受け入れてやったらどうであろうか。そうなりますと、大学院修士課程の基本的性格というものの中であくまでもこなしていくということを基本に持つべきでございまして、高度の専門的な創造的な技術開発を非常に尊重し、従前の工学の修士課程にない特色を新しい修士課程で発揮するということを目標といたしますけれども、大学院修士課程という研究教育の水準というものはあくまでも確保するということと、そこのところ二つ両立させて実現していくことの方が望ましいであろう。こういうことで、大学院の修士課程として共通に要請されておる学閥研究水準というものを一方で確実に確保しながら、特色のある大学院修士課程というものをつくり上げることができないであろうか、こういうことで検討いたしておるところでございます。
  27. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 いろいろなあれから言われると思うのですけれども、たとえば商船大学の卒業生が必ずしもいま海運業に就職しているわけでもないし、社会的要請というものはきわめて広くなってきておる。今後も社会の変化によってどういうようになっていくかわからない。そうしたときに高専の卒業生だけ入れる大学院というものがつくられて、先ほどから申し上げているように大変視野の狭い大学院になるのじゃないか。それよりも高専の卒業生に大学編入の道を開いてあげて、それからいまいろいろ論議されておるりっぱな大学院をつくって、そしてその卒業生を大学院教育するという方向に行った方が、私は、将来ともにわたって高専の卒業生を救う意味からいっても、そうした大学の道を開く――たとえばいまの都立工業高専なんかも、大学の編入ということは開かれておりますが、ある特定の大学しか行かれないということであるわけなんです。だから、そういう方向に行った方がいいんではないか。ただここで二校だけつくってみたところで、それが果たしてりっぱな大学になるかということは、いまの段階で大変心配されるような感じもいたします。  そこで、そういう大学院をつくられるに当たって、商船大学あるいは高等商船学校の修業年限が、高等商船の場合は五年六カ月、商船大学の場合は四年六カ月、半端な期間になっておる。これが大学院に進むのに大変支障を来しておる。あるいは就職にも支障を来しておる。そこら辺から整備をした上で、いろいろな大学院の――もちろん並行していかなければならないようなことも考えられると思います。そこら辺の一つの例でありますが、商船大学なり同等商船の修業年限の問題については改革を考えておりますか。
  28. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 商船大学の現在の検討しておる状況をお答えしたいと思います。  商船大学の修業年限は、いま先生から御指摘のように、他の学部と異なりまして四年半ということに相なっております。学部の修業年限四年半の教育の中で一年間が乗船実習ということになっておりまして、最後の半年の乗船実習が最終年度の四年から始まるというのが現状でございます。で、この問題につきまして、過般商船大学にも大学院修士課程を設置いたしましたが、大学院修士課程への入学時点が、通常の大学院と同様に四月である、こういう問題が一つある。こういったこと等から、いま両商船大学等とも意見を徴し、私どもも検討いたしておりますのは、御指摘のように商船大学の航海科、機関科、二つの科から相なっておりますが、航海科、機関科両方を通じまして、卒業して進んでいく具体的な就職の場というものが――要するに船の自動化のこともあろうと存じますけれども、船に乗るという形で就職をしていくパーセンテージがこの数年非常に落ちてまいりました。商船大学で学んだ知識、経験を陸上において生かすいわゆる産業分野と申しましょうか、保険関係もございますし、いろいろな分野があるわけでございますが、商船大学教育経験を生かした陸上での勤務の場所の方がむしろウエートがかかってくるという傾向に現在なっております。かような状況のもとにおきまして、学部の修業年限をむしろ四年半を四年にして、陸上に勤務したりそういった諸君は、他の学部の卒業生の卒業時期、就職時期と一致さしてやったらどうか。大学院入学もその方が便利ではないか。で、商船大学の学生、卒業者の中で、船に乗るという就職の場へ自分はどうしても進むんだという者につきましては、四年の学部修了後乗船実習に必要な期間を専攻生なりそういった形で、それを希望する者についてのみ最後の半年の乗船実習をやらして海技免許状を取らしたらどうか。その方が現状に即応するのではないだろうかというような意見が、商船大学関係者等からも私どもの方に届いております。最近の就職動向でございますとか、あるいは学部教育の実態でございますとか、あるいは航海実習の実態でございますとか、この辺を総合的にいま大学関係者と私ども取りまとめまして、関係省庁とも相談をしよう、いまそういう状況でございます。この点を御報告しておきます。
  29. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 技術科学大学院の設置の要請については、高専の父兄なり生徒なりというものは確かに希望があったと思うのです。その希望は二年か三年前の希望で、いわゆる高度経済成長華やかなりしころの希望であって、いまの高専に通っておる生徒並びに父兄の希望は、大学の編入をもっと拡大してほしいというような希望に変わっているように私は思うのです。その辺のことから考えて、この技術科学大学院についてはなお将来にわたって、経済的な投資という面から言っても、りっぱな大学院をつくるための方向に考えをそちらに持っていって、こういう視野の狭い、幅の狭い技術科学大学院をつくることが果たして将来にわたっていいかどうかということを私は考えておりますが、その辺、局長なり大臣どういうお考えでありますか。
  30. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいま先住御指摘の点は非常に重要であるかと思います。しかし、一般に大学の方が視野が広い、そして高専の方が狭いという考え方があるのでございますが、もちろん大学の工学部の方が広い場合もあります。ところが高専の方が広い場合もあります。これは私ぜひ御理解を願いたい点だと思いますから、少し詳しく説明させていただきます。  先般も高専の校長先生方といろいろ話をいたしました。いままでの工学者の教育の方法というのは実習という角度がわりに弱いわけなんです。実習という角度が弱いと専門のことはやりますけれども、実習をいたしますといろいろなものをやはりどうしても学習しなければいけませんから、そういうことから視野が広くなるばかりでなく創造的になっていくということがございます。ただし、これはそれこそあかしを持って御説明しなければならないと思います。  わが国で工業研究で最も創造的な活動をいたしましたのは戦前の理化学コンツェルンでございます。この場合には真ん中に研究所がございましたが、周辺にたくさんパイロットプラントがありました。そこでいろいろ工場実験をやりました。中心は大河内正敏先生であります。大河内正敏先生考え方は、要するに実習というものを通す形でいきますと非常に研究的な創造的なものが出る。理化学研究所から非常に創造的な研究が出ましたことはもう周知のことでございまして、これがなかったらわが国の工業研究史というものは非常に力の弱いものになります。もう一例といたしまして、戦後の日本の電機メーカーのリーダーをちょっとお考え願いたいのでございます。まず日立製作所は倉田主税氏でありますが、これは東北の高等工業学校の御卒業。それから東芝は土光敏夫氏でありますが、これは現在の東京工大ですが、東京高等工業学校の御卒業。それからナショナルは松下氏でありまして、これはむしろ低学歴で自力でいろいろ実習を重ねられた人であります。次にソニーは井深さんでありまして、この方は早稲田大学ですけれども、早稲田大学理工学部が計画的に国立の工学部より実習中心でやったということは、これは明治四十年代でございますが、建学以来の方法でございます。その先生方一つの不満は、国立の工学部出身研究者は視野が狭い。そこで、そのやり方ではなかなか日本の電機メーカーの問題は解決しないのではないかという御意見があるのですが、実は企業側の意見だけではなくて高専の校長先生方に、これはかつて京大だとか横浜大学の学長の中村先生なんかもいらっしゃいますが、御意見がございます。この点は比較的世の中に知られていない点でありますから、ぜひ国会で御討議を願いたいと思って私は提案をしているのです。実は大学の方が工業高専より視野が狭い場合があるのでございます。そこで、必ず工業高専の方が広いと私は申し上げているわけではございません。ですから、もちろんこれはいいリーダーを得なければいけませんが、どうしても日本大学の場合に、ほかの学問も比較的その傾向がございますが、実習が弱い。実習が弱いということは、本を読んでその領域のことはわかる。実習をやりますとなかなかそればかりでいかなくなってくるということから視野が広くなるのと、創造的になってくるという面がございますので、よいリーダーを得なければいけないというのは事実です。しかしそれが必ずしも狭いということはない。そこで技術科学大学院の場合も、私はこれはいままでのような大学の工学部大学院のようになったらまずいと思います。そうではなくてむしろ高専型、これを継続していくという方向に行って、そして相当実習を重んじていく。この形でやりませんと、私は必ずしも、常に、あらゆる場合にいままでの大学学部の人が視野が狭いと言っておるわけではないですけれども、せっかくもう一つの違うやり方でやってきている研究教育の中にひそんでいる可能性というものがしぼんでしまう。先ほどから申し上げたのは電機メーカーの場合でございますが、ほかの場合にもいろいろありますが、少なくも電機メーカーの場合大手を見ますといまのようなことに事実なっているわけでございまして、この点は私は今後の日本教育の場合に非常に重視しなければいけない問題の一つであると思いますので、ぜひつけ加えさしていただきたい。ですから技術科学大学院というのはある意味ではよき意味における工業高専的性格というものをむしろ生かす方向というのが私は望ましいと思いますし、現在川上先生がこの問題について――川上先生は東京の高等工業系の伝統を継いで、そしてこの方は電気でございまして、現在は東京工大の学長でありますが、やはりお考え方としてはそういう実習を非常に重んじるような方向で考えなければいけないということを言っていらっしゃいますが、私はこれを軽々に変えない方がいいんじゃないかというふうに考えております。もちろん先生が御指摘の点、また社会からのいろいろ御要望の点というものは十分に配慮いたさなければいけませんことは重々承知いたしておりますし、またどんな考えにしても押しつけというものは人の納得を得ませんから、それも避けなければいけないことでございますが、しかし国会で御討議願いたいことの一つは、こうした教育可能性、これはいろいろ過去の実績を見てもそうでございますので、この点はぜひお考え願いたいことでございます。
  31. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 前から問題になっておりますいわゆる大学院に入る前の二年の課程ですね。そうした問題やらのことについて大学院問題懇談会ですか、そこで結論を出すのか、出すとすれば大体いつごろその構想の結論が出るのか。それと先ほどの関連で商船大学の四年にするということはいつからやるのか、それから高等商船については四年六カ月を短縮するということは考えてないのか、それをもう一度お聞きします。
  32. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 技術科学大学院構想につきましては、昨年の三月に調査会から報告書をもらってそれを制度的にどういうふうにこなしてきたらよろしいかということで目下検討いたしておるわけですが、最終的には大学設置審議会における議を十分に経なければならぬと思っております。ただいまの段階では大学設置審議会の方では修士課程に入ってまいりますための前期課程と申しましょうか、進学課程と申しましょうか、その部分を学校教育法上の明確な位置づけをするとするならば一体どういうことに相なるかとか、いろいろな比較考量で検討を願っておるわけでございますが、現時点においては、その点はむしろ大学院の修士課程に接続をするそのための特別の課程という位置づけがまずは一番ベターではないかというような御意見になっておるわけなんですけれども、この点はいろいろな角度からいろいろな御意見が出ておりますし、私どももさらに引き続きわれわれ内部で検討すると同時に、最終的には設置審議会の方の議を経たいと思っております。手順はどうなるかということでございますが、一つのめどは、五十一年概算要求時点までにどういうふうな具体的な案に取りまとめることができるかというのが一つのめどかと存じます。  それから商船大学の修業年限の問題につきましては、昨年来、両商船大学といろいろな協議をとり進めておりまして、この件もできれば五十年中に何らかの方向を取りまとめることができればと私ども考えております。商船高専の修業年限の問題につきましては、具体の問題としては私どもまだ具体の検討に入っておりません。商船大学の問題につきましてまずは具体の検討に入り、できれば本年中に結論を得たい、大体そういう手順でございます。
  33. 高橋繁

    ○高橋(繁)委員 終わります。
  34. 久保田円次

  35. 安里積千代

    ○安里委員 大臣、政府委員の方にはどうも休憩なしで引き続いてお気の毒でございますが、私の質問はきわめて簡単でございますので、どうぞごしんぼう願いたいと思います。  大臣法律案提案理由の中には、文部省としましては、大学設置審議会の答申を受けて、昨年の六月に大学設置基準の制定を行った、こういうことであり、その答申に基づいて法の改正を必要とする事項があるのでこの提案をしたということになっております。  そこで初めに承りたいのは、大学院の設置基準というのが昨年制定された。それまでは一体何の基準によってなされておりましたか。
  36. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 大学院の問題につきましては、大学院の目的でありますとかこういった点は学校教育法に規定がございまして、これを法的根拠といたしたわけですが、具体の大学院の基準につきましては、先般嶋崎先生のお尋ねにもお答えしたところですが、昭和二十四年に大学基準協会という団体がございまして、これは大学人より構成されておる団体でございますが、大学基準協会が決定いたしました大学院基準を基礎とし、大学設置審議会が大学院基準をもとといたしましての審査の基本事項を取りまとめておりまして、この二つをもとといたしまして、大学院の設置等を図ってまいったわけでございます。  それからもう一点、大学院の基準に非常にかかわりがありますのが、修士という学位あるいは博士という学位を授与するということに相なっておりますが、これは学校教育法の規定を受けまして文部大臣大学設置審議会に諮問をし、その意見をもらって学位に関する文部省令の学位規則というものを定めております。現実には昨年の六月の大学院設置基準が制定されますまでの間は、ただいま申しましたように学校教育法の基本的な規定を踏まえ、大学基準協会が決定した大学院基準を根拠とし、大学設置審議会の審査の要綱をもととして認可等の際の審査を行って認可をし、本質的に非常に関連のあるものとして、修士の学位あるいは博士の学位を授与する基準というものを学位規則の文部省令ということで定めておって、その二つを動かしながら昨年の六月までやってきた。制度としてきわめて不完全であったじゃないかという御指摘があろうかと存じますが、そのようなこともございましたので、大学院制度を今後本格的に整備してまいるためにはどうしても国の基準を明確にすべきだということで、おおむね四年間を要しまして、大学設置審議会での議論を経まして大学院設置基準を昨年六月に定めさせていただいた、かような経緯でございます。
  37. 安里積千代

    ○安里委員 大学基準の方は大学院を含むということになっておったのですが、大学院の基準として大学基準協会が決定をしたものがいまの省令で定められた。まあ基準にかわると言ってはおかしいけれども、その前身であるということになるかと思うのです。この点は私疑問に思いますが、学校教育法のそれぞれの条項の中で、監督官庁の認可あるいはその定めが大きく規定をされておるわけで、それを受けて当然に大学院が設けられた場合において、それらの法に基づく設置基準というものは省令で定められておるべきではなかろうか。大学についてはあるはずであります。大学院についてそれがなくて、そして監督官庁でもない大学基準協会の決定に基づいてなされておったという点についてはちょっと納得いかないのですけれども、そこらの点に文部省とされましては何らかの疑問もなかったでしょうか。
  38. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 戦後の大学制度を振り返りましたときに、いま先生御指摘の、法令に基づいて国がその設置基準を法令で明確に定めて、それに基づいて認可が行われるという基本的なたてまえを早く樹立すべきであったという点は、私どもも全くさように存じます。  事情といたしましては、大学の認可の際の大学設置基準は省令で相当早く定められたのですが、大学院と短期大学につきましては国の省令をもってこれを定めるというたてまえがとられずして、具体には法律の規定と大学設置審議会がどのような審査を行うかということを大学設置審議会みずからが決定する。その際に大学院につきましては、大学基準協会が定めたものを大学設置審議会も尊重しながらやってまいる、こういうことで長い間推移したわけでございまして、これは私ども思いまするに、恐らく新しい大学制度が発足いたしました際に、大学の認可というものについて大学設置審議会が非常な権威を持ち、大学設置審議会がオートノミーを持って審査をしていくのだということが非常に強く打ち出され、またそういうたてまえで今日まで参った関係もそこにあったのではないかと思います。この点はさようではございますけれども、やはり諸般の施策をとり進めてまいるに当たりまして、国として当然つくるべき国の法令による設置基準を何とか早くつくらなければならぬということで、非常に恐縮でございましたが、大学院の設置基準も、短期大学の設置基準も一年前くらいにどちらも具体的になってまいった。そうして大学院については昨年の六月、短期大学につきましてもようやく省令をつくるということになった、こういうことでございます。
  39. 安里積千代

    ○安里委員 現実の面においてちっとも運営の面において差し支えなかったと思うのですが、実は私、法令集を見ておりまして、実は何だか変な気持ちになったわけなんです。  新しく大学院の設置基準が設けられた。これが省令による初めての大学院ができてから相当になります。そして官庁でもない大学基準協会の決定というものが大学院の基準として堂々と法令集に載っておる。そうしてそれによって修士課程においてはこういうことをやる、博士課程においてはこういうことをやる、こういうことがこの協会の決定の基準としてなされておるのです。もし大学院というのがそれほど非常に重要な役割りを持つ教育上大事な機関でありますならば、こういう別に官庁でもないでしょう、あるいはまた、何ですか、大学基準協会というのがどういう性格のものかわかりませんけれども、いままでその協会で決定したものが大事な大学院の設置の基準になっておった。そうして修士課程においてはこう、博士課程においてはこうというようなこともそこで決められたものでなされておったということは、大変当局が、大学院に対する軽視と言っては語弊があるかもしれませんけれども、むしろ大学そのものが基準があった、大学院はさっぱりない、軽く見たというのか、重く見過ぎて慎重になって今日までなったのかわかりませんけれども、その点法令集を見る限りにおきましてなかなか納得いかない。そこでお聞きしたわけです。そういう手落ちがあったのかどうかわかりませんけれども、何となく割り切れないものがあるので、まず確かめておいたわけでございます。  そこでその前に定められておりました大学院の設置基準と、今度の場合正式に答申に基づきましてなされました基準、ことに修士課程においてはこう、博士課程においてはこうというふうに分けられておりますが、端的に申し上げまして、前に定められたものと、今度の基準とその過程におきまして、一言で申し上げましてどういうふうに違っておりましょうか。
  40. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 先ほどの御質問で、大学院の設置基準が省令で定められることが遅かったことにつきましてお答えを申し上げたわけでございますが、いろいろな事情が正直あったと思うのですけれども、戦後の新しい大学院制度は戦前のわが国の大学制度における大学院制度相当制度的な立て方を異にいたしておったわけでございまして、大正七年の大學令によりましては、大学というのは学部により成るのだ、学部にはすべて研究科を置くんだ、数個の研究科がある場合に連合して、連合といいますか、これを大学院として組織することができるのだというのが大正七年の大學令の規定でございまして、要するに博士の学位授与権を持っていない学部というのは存在しないというたてまえで大学というものが大正七年の大學令以来新しい戦後の大学制度まで参ったわけでございます。  したがいまして、大学院制度というものが学部制度というものと密着をして運用されてきておった、そういう実態が背景にあり、新しい戦後の大学院制度というものを法律で打ち出したのでございますが、この間学部大学院との相関というのがやはり制度と現実との間にいろいろな問題をそこに生んでおったのではないか、かように思うのでございます。  それで大学設置審議会等におきまする数年間にわたる検討の結果、昨年の三月に設置審議会からの答申をいただいたわけでございますが、これに基づいて六月二十日付で大学院設置基準の制定をいたしました。  これは従前の大学院の扱いと比較いたしますと、次のような点におきまして変わっております。  第一点は、目的、性格を現実も踏まえ明確にしていくということが一点でございました。すなわち、修士課程の目的のうち、高度の専門職業教育等も含み得るということを明らかにしたということ。博士の水準を研究者として自立し得る能力水準としたこと。そうしていわゆる課程制博士の趣旨を明らかにしたということ。さらに博士課程につきましては、修業年限を五年を標準とし、最短三年、学位論文の完成時期についての学生の個人差等も考慮できるように単位制度による制約を緩和しまして、五十単位を三十単位とした、こういった点が目的、性格の面におきまして今回明らかにし、あるいは変わった点でございます。  第二は、組織の問題でございますが、特定の学部に依存する従来の研究組織のほか、広く学内の学部研究所等と連携し、または専任教員、専用施設による独立の組織を設けることもできるように組織につきましての従前の学部に依存する形以外の組織の仕方も可能ならしめたこと。かつ博士課程の編成を二年と三年の課程に区分しておくことも、五年一貫の課程としておくこともできるようにしたこと。以上が組織に関しましての変わった点でございます。  第三点としまして、他大学院との連携として、他の大学院等で授業または研究費等の一部を受けることができるようにし、他の大学院等の教典に学位論文審査の協力が依頼できること等、他大学院との連携を可能ならしめるようにしたということ。  以上、おおむね三点が今回の省令における大学院設置基準におきまして従前と変わった点でございます。
  41. 安里積千代

    ○安里委員 私がお聞きしましたのは、詳しいいまの組織の問題よりも、修士課程、博士課程の目的というものが前とどう違うかという点を実はお聞きしたかったわけであります。  いまのお答えの中にもございましたが、端的に申し上げまして、博士課程というものが研究者養成の場になり、修士課程というものが研究能力の育成、特定の分野における職業人の養成、言えば社会人に対する高度な教育の場、なお言いますならば、二面、教育研究者養成の場所と職業的な面の高度の能力の付与、このことが前に定められておった大学院の基準に示された修士、博士両課程におきまする目的に加えられたというように読み取れますが、そのとおりでしょうか。
  42. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 修士課程の目的につきまして、先般、この点も嶋崎先生からお尋ねいただいた点でございますが、学校教育法に定めておる大学院の目的が、「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与すること」とされておるわけですが、学校教育法の規定を受けまして修士課程並びに博士課程の目的を設置基準で明らかにしたわけでございます。  修士課程の問題につきましては、法で定めておりまする理論及び応用の教授研究というところを受け、いろいろな今日のわが国の修士課程に対しまする諸要請等を勘案いたしまして、この点は、従前からの修士課程の運用におきまして、理論にウエートを置くもの、あるいは応用にウェートを置くもの、理論、応用両面にある程度バランスをとってウエートを置くもの等、現実の運用もいろいろとあったのでございますが、今回修士課程の目的を明らかにするに当たりまして、いわゆる研究能力にウェートを置くものも、それから高度の専門職業に必要な能力を育成する方にウエートを置くものも可能なように、その意味では、目的を広げ明らかにした。しかし、このことは、今日までのわが国の修士課程の歩んでまいりました現実で芽生えており、ある意味では成長をしておる学術の応用にウエートを置くという方向を、むしろこの際、その点では明確にした方がよろしいであろうという大学設置審議会等の御意見をもとといたしまして、さようにいたしたわけでございます。
  43. 安里積千代

    ○安里委員 私がちょっとお聞きしたかったのは、そういうふうに課程におきまする目的が前とは違ってつけ加えられたものがある、そのことが、学校教育法における大学院の目的の範囲内に入るか。なお申しますならば、基本法である学校教育法大学院の目的、この定められた目的、そして今度は、その目的から発しまして、修士課程にはこれを目的とする、それから博士課程においてはこれを目的とする、こうありますので、この二つ学校教育法に定められた大学院の目的の範囲内に入るのか、もし広げるとするならば、学校教育法のいまの大学院の目的そのものにも、書きかえるというか、書き加えるというか、その基本法が変えられる必要までは、今度の基準設定においてあらわれてこないかということを実はお聞きしたかったわけであります。いまの御説明から言いますと、拡大されたような、あるいは研究、それから実施の能力、応用の面の拡大、だから、教育法に定められた範囲内のものであるというふうに私は承ったのでございますが、もしその点について何か御意見がありましたら、つけ加えていただきたいと思います。
  44. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 先ほど来お答えいたしましたのも、学校教育法に定める大学院の目的の範囲内のこととして今回の修士課程の目的を定めさせていただきました。また、範囲内のこととして今後の運用も図ってまいりたい、かように考えております。
  45. 安里積千代

    ○安里委員 そこで、どうも学のないところでわからぬですけれども、前にありました大学院基準、今度の基準も、修士課程におきまして、「広い視野に立つて精深な学識を授け」という言葉があるので、私は、この「精深な学識」という「精深」という言葉が耳なれないので、どういう意味を持っておるのか、これが定着した一つ言葉になっておるかどうか承りたいと思うのです。
  46. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 大学関係の目的を規定いたしました現行法の条文等の相関でちょっと御説明させていただきたいと思いますが、先生御案内のように、学校教育法の第五十二条で大学の目的というのをまずはその基本に置いております。学校教育法五十二条で定めまする大学の規定を見ますと、ただいまお尋ねの点に関連いたしまする用語といたしましては、「広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し」という用語を用いております。その「広く知識を授け」の「広く」ということと「深く」ということを、大学の基本でございまする学部に相なるわけですが、大学の目的としてここに一つ掲げておるわけでございますが、まことに恐縮ですが、学校教育法五十七条の第一項におきまして、大学には専攻科というのが置けることになっております。専攻科というのは大体一年のものが多うございますが、専攻科は一体どういうことをするのだということを学校教育法で規定いたしておるわけですが、専攻科の目的といたしまして「大学を卒業した者又は監督庁の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者に対して、精深な程度において、特別の事項を教授し」云々という用例をここで用いておるわけです。ですから、文理だけで申しますと、くわしく深くということでございますが、私どもの理解といたしましては、五十二条に掲げまする大学の目的に広く、深くということがあり、それを今度は、学部を卒業した者が入る専攻科については、そういう学部におきまする教育というものを基盤に踏まえながら、より精深な、よりくわしく、あるいはより深くという意味で「精深な程度において」という用例を用いてまいったのではないだろうか、先ほどお答え申しました大学院の基準あるいは従前の学位関係でございますとか、その際におきましても「精深」という用例をその意味で用いさせていただいておる、こういうことでございます。  ですから、私どもの理解といたしましては、大学の目的を定めておる五十二条の規定が一番根っこにあって、そして専攻科というものが一年以上ということでありまして、そして大学院というものがある、大学院の修士課程の目的を掲げます際に、今回も、大学院設置基準で使わしていただきました「精深」という意味は、そのような学部、専攻科等との相関におきましても御理解賜れば幸いだ、かように存じます。
  47. 安里積千代

    ○安里委員 確かに学校教育法の五十七条にも「精深」ということばが使われております。字にこだわるわけではありませんけれども、「精」は精密の精であろうというふうに思いまするし、「深」は深い、この二つの字を並べますれば、いまのようなあれがしますが、ただ、字引を引きましても「精深」という言葉がないのですよ。だから、大事な学校教育法の中に、あるいは大学院の修士課程の目的の中にこういう一般には耳なれない、聞きなれない言葉が入ってくるので、大学というものがより高いところで、一般が余りわからぬ言葉を使っても差し支えなければ別でございますけれども、どうも精深という言葉というのが精密の精と深く入るという深の二つをくっつけてそういう言葉をつくったんじゃないかという気がするのでお聞きしたわけでございます。それとともに博士課程におきましては今度は「豊かな学識」ということになっておるわけなんです。修士課程の場合と違った言葉を、同じ学識でございましても「精深な学識」、これは修士課程、博士課程におきましては「豊かな学識」こういうふうに使い分けがあるので、変に言葉にとらわれるようでございますけれども、何かしらそこに特別な意味というものを持たされておるかどうかということを実はお聞きしたかったわけです。  ついでにお聞きしたいのですが、これも言葉でございますけれども専門部門、専攻部門という言葉が使い分けされております。これについても、もし解明でさましたら御説明願いたいと思うのです。
  48. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 ちょっとお尋ねの趣旨があれでございますが、私ども専門分野と言った場合と専攻分野と言った場合、専攻という方を狭く使っております。大学院で申しますと、大学院の組織として研究科というのが基本の組織である。研究科の中にたとえば文学なら文学の研究科があって、その文学の研究科の中に国史専攻であるとか、そういうふうな専攻が立ってまいる。専門分野と言う場合と専攻と言う場合は、専攻の方を一応狭く使っております。それで今度学生の側から申しますと、大学院の場合、主として専攻するものを主専攻と称して、そしてそれだけでは足りませんのでやはり広がりのある勉強もするという方を副専攻、こういう言葉を使っております。
  49. 安里積千代

    ○安里委員 何だか細かく聞き過ぎるかもしれませんけれども、私、このことをあえてしますのは、これまでの大学院基準、昭和二十四年に決められたものには、修士課程におきましては多分専門という言葉が使われておると思います。博士課程には専攻という言葉が使われております。今度の改正ではどっちも専攻という言葉が使われております。それから、改正の基本になりました大学設置審議会からの答申によりますと、修士課程専門的な、こういう言葉が使われております。それを受けて、修士課程は今度は専攻という言葉が使われております。おっしゃるとおり広い意味における、あるいは狭い意味における使い分けがあると思うのでございますけれども、何でもないようなことであるかもしれませんけれども、この言葉の使い分けというのが、言葉にはそれぞれの深い意味があると思うので、皆さん方のこれに対する区分された明確な基本があるかということを実はお聞きしたかったわけであります。
  50. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 ただいま御指摘のように、昭和二十四年の大学基準協会が決定しました大学院基準におきましては、修士の学位を与える課程、修士課程の規定の仕方といたしまして、「専門的教養の基礎の上に、広い視野に立って、精深な学識を修め、専門分野における理論と応用の研究能力」という表現を用い、博士の学位につきましては「専攻分野に関し研究を指導する能力を養うことを目的とする。」こういうふうな規定と相なっておりました。今回、昨年三月に大学設置審議会からの答申をいただいたわけでございますが、博士課程につきましては「研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」という目的が示されまして、ただいま先生御指摘になりましたような専門、専攻という用例が従前の大学院基準とは若干変わったわけですけれども、この点は、修士の目的、博士の目的を今回明示いたしたことに伴いまして、従来からの基準と、従前の基準のもとにおける実際にわが国の修士課程、博士課程がたどってまいりました現実と、今後修士課程、博士課程をどのように整備、充実していくかという観点と、その辺を総合的に考えまして、設置審議会の御答申をもととし今回のような用例にさしていただいた次第でございます。
  51. 安里積千代

    ○安里委員 私が言うのは、設置審議会の今度の答申の修士課程におきましては専門的なという言葉も使われておるのであわせてお聞きしたかったわけです。結構です、その点は。余り字にこだわっているとあれでございますから。  そこで、この法が成立しますというと真っ先に皆さんの方で計画されておりまするのは、すでに予算に調査費も組まれておりまする技術科学大学院だと思いまするが、ほかの大学院につきましても直ちにというか早急に手をつけられるところのものがございますか。それとも、さしあたってこの法に基づいて大学院を設置するのは技術科学大学院、これだと思いまするが、そのとおり間違いございませんか。
  52. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 私どもとしましては、この法改正によりまして独立大学院なりあるいは後期三年の課程大学院なりの道が開かれますれば、直ちに大学設置審議会に対しまして、今度はこの独立大学院なりあるいは後期三年の博士課程なりの大学院の具体の基準の作成に入っていただくことにいたしております。その際、過日の参考人方々の御意見にもあったわけでございますが、独立大学院構想なり、特に連合大学院構想なり、具体の構想がいろいろなところで検討されておるわけでございまして、そういう具体的な構想がどのように展開しておるかという現実の推移と、設置審議会で定めまする基準の作業、これをやはりうまくマッチさしていかなければならないであろう、かように考えております。  技術科学大学院の問題につきましては、いま御指摘のように昨年の三月にある調査会からの答申をもらい、その後調査、準備等を進めておるわけでございまして、この点は他の構想と比較いたしますと検討がより進んでおるということは申せようかと思います。  いずれにいたしましても、今回の法改正により開かれてまいりまする幾つかの道につきましてこれを具体化してまいるに当たりましては、まずは大学設置審議会における基準の作成、検討が入ってくる、そしてそれとの並行において、具体的な案を御検討いただいておる向きにおきましても、さらにそれをより具体化していく御論議が進んでまいるものだと思います。
  53. 安里積千代

    ○安里委員 この法はもちろん一つの道を開く法でございまするので、これに基づいて具体的な構想が生まれてきまするならば、そのときに十分論じられるべきものだ、こう思います。が、もうすでに調査の予算も組まれておるこの技術科学大学院についてちょっとお聞きしたいと存じますが、これまでの御説明の中でも高等専門学校卒業者が主たる対象になっておる、こう考えるわけですが、高等専門学校昭和三十七年の発足当時には大変国民の評価が高く、入学倍率も十七倍、非常に大きかったと思うのです。最近になりますと、入学率は二倍そこそことなっておりまして、評価を非常に低くしておる状況でございます。そこでこの原因はどこにあるだろうというふうに文部省としてはお考えでございますか。発足当時は十七倍、現在は二倍……。
  54. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 高等専門学校に対しまする入学志願率と申しましょうか、倍率と申しましょうかの推移を見ますと、御指摘のように、高専制度発足当初、三十七年、八年十倍以上でございました。その後の推移を見ますと、これがかなり落ちてきて昭和四十八年に二倍になりまして、四十九年、五十年と二・二、二・三というふうに少し入学志願率が上がってきておりますが、この問題につきましては、高等学校入学段階で見た場合の高等学校に対する入学志願率との相関で見ますというと、高専が決して低いわけではございません。高専発足から今日までの間のいろいろな経済事情もございましょうし、また高専制度発足当初、ある意味におきましては先生もいま言われましたようにあるブームがあったかと思いますが、それが非常に鎮静してきたということが一つ、これは当然あろうかと思います。それから中学校における進路指導の結果、高専に進んでいく子供に対する指導というものが、ある意味では定着をしてきたということもあろうかと存じます。一方、高専の卒業者に対しまする求人件数と申しましょうか、求人倍率というものは、しからば一体どうなっておるのか。高専の入り口のところと出口のところの両面を見ますと、求人倍率は、四十一年に最初の卒業生が出たわけでございますが、当初大体倍率七倍でございました。この点につきましては、四十八年、四十九年が大体求人倍率は十五倍ということになっておるわけでございまして、高専の卒業生に対しまする評価と申しましょうか、実社会からの要請というものは、率だけで見ますと、第一回の卒業生の出た時点よりも高くなっておる、こういう側面もございます。私どもも高専の制度につきましては、先般もお答えしたところでございますが、その教育内容の面でございますとか、高専がねらいました目的を十分に発揮してまいるためにいろいろな改善を加えるべき点をいま関係者の意見も徴しまして真剣に検討をしておるところでございます。
  55. 安里積千代

    ○安里委員 高専に学んでおる方々が、この教育課程の相違やいろいろな点から教育上非常に中途半ぱなものになってしまった。会社に勤めましても、大学理工学部卒業生や工業高校の卒業生との間にはさまれて非常に身分的にも不安定な状態に置かされた実態であると思うのです。これは明らかにちょうど三十七年、つまり高度成長の担い手として中堅技術者の養成を目的として高専制度ができたわけでありますが、今日になって見ますれば、それは失敗であった。極端に申し上げますればそういう感じもするのでございまして、このような背景から技術科学大学院制度的に失敗した高専の救済策と申しますか、それを何とかしなければならないという考えが底にあるのじゃないかという感じもいたしますが、いかがでしょうか。
  56. 永井道雄

    永井国務大臣 高度経済成長の過程において工業高専ができたという先生の御指摘はまさにそうだと思います。まさにそういう時期でございまして、そういうときにできてきた。そこで救済策という形で技術科学院を考えているのではないかということでございますが、それはいまの社会大学卒がいる、それから高専卒がいるというような形で雇用条件に格差が出てくるという問題があります。ただこれにつきましても一言申し上げたいのは、ちょうどもう三週くらい前になると思いますが、労働省と文部省と連絡会議をいたしまして、学歴によります雇用条件の差というのはなるべく減らしていかなければいけない。われわれは教育の方を考えますが、労働者の方は労働条件の方を考える。その点について合意をいたしまして、そうしたらこれは観念論ではいけませんので、一体雇用条件がどのように動いてきたかということでございますが、先週の初めと思いましたが、労働省から調査報告が発表されました。それによりますと、学歴による賃金差というものは縮小の傾向にあるということでございます。私は今後も一層そういう方向に向かっていくことが望ましいと思いますし、余り学歴を中心とした事大主義というのはよくないんだと思います。しかしながら、他方高専を出られた方が仮に雇用条件の上でいま申し上げましたような変化を生じてきたといたしましても、しかし高専で勉強してきたようなこと、それで職場に入る、それだけでは満足しないで、大学院にも行こうじゃないかというそういう要求を持たれる方が生まれてくるということは当然のことだと思います。ですから、必ずしも救済策という角度だけから考えては決していいものはできない。先ほど申し上げましたように、私は、エンジニアの養成というものを考えていきます場合に、格差というよりは多様化という方向を目指さなければいけないと思っております。私が理解いたしますところでは、調査会の先生方のお考えもそういう角度というものを持っているのでございまして、私は、事実上現在の日本において学歴別による雇用条件の違いがございますから、そういう意味においては先生が御指摘のようなその不利を解消しようという側面もあるということを否定はいたしませんけれども、しかし積極的に将来制度をつくっていきます場合に、その角度だけにとらわれるのではせっかくの新しい大学院を生かし得ないばかりか、いままでの日本大学院に対して本当に学問的な意味で刺激をしていくということもできないのではないかと思います。ですから、目標といたしましては積極的な意味で本当にいい大学院をつくっていくという考えで私たちは臨んでおります。
  57. 安里積千代

    ○安里委員 時間がありませんので、私はもう詳しくお聞きしませんが、ただ今回の改正では独立大学院連合大学院などが設置できるということが要点でございますが、このような大学院は財政上の負担におきましても、また教授陣の陣容からいたしましても、国公立大学には可能であっても私立大学にはなかなかむげかしい問題があるのではないか、こういうように考えるわけでございます。したがって、独立大学院構想には、現在でも私立と国公立との大きな差がある段階におきましては、これが実際実施されますとますます格差が大きくなるというようなことは心配なかろうか。それを防ぐにはどうするかと言えば、結局連合大業院としては国公立と私立とを共同した連合大学をつくるというようなことも考えられるでしょうし、あるいはまた私立大学独自で独立大学院を設ける場合にも、必要な財政援助というものが考慮されなければならない、こういうような考えるわけでございますが、これに対する御意見を承りたい。
  58. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 ただいま御指摘のように、独立大学院なりあるいは後期三年の博士課程制度なり、連合大学院の道が開かれましたときに、これが国公私立大学における教育研究のいずれにも寄与するように今後どのような工夫をしたらよろしいか、かつ、既設の大学院の充実に資する方向でこういう道が開かれていかなければならないという点を私どもも十分念頭に置きまして、かつ、大学設置審議会におきましても、この辺につきましては私どももいろいろ御注意をいただいておりますし、ただいま先生から御指摘の趣旨をどう生かしたらよろしいかということを今後引き続き検討させていただきたい、かように考えております。
  59. 安里積千代

    ○安里委員 技術大学院をつくる、独立大半院をつくる、連合大学院をつくる、こういうような大学院制度をつくることはまことに結構なことだと私は思っておりますが、肝心な大学院教育に携わるにふさわしいところの教授をたやすく確保できるかどうか。これは計画的に確保できる対策があるのかということが一つの心配であります。  もう一つは、現在の大学院研究しておる、学んでおる学生の皆さん方の声を聞きましても、私は法の求めておる大学院の目的であるところの学問の研究というものが安心してできるかという不安を持たされるのであります。当然、できますならば、実験室なり、あらゆる施設が完備しなければなりませんし、それに相応する十分な研究費というのが満たされなければ、いかに組織をつくりましても、制度をつくりましても、これは形だけであって、体裁だけでありまして、中身のないものになると思うのでございます。  そこで、現在の院生の皆さん方が切実に訴えておる問題を当局は把握していらっしゃるのであるか、それに対し積極的に取り組んでいらっしゃるのであるか、現在でさえも十分でない。ただ制度を大きくすればいい、つくればいいという問題では、私は何にもならぬと思うわけでございますが、それらの教授陣の確保の問題、安心して研究のできる体制、こういったものに対するお考え、また、これから対処しようとする現実の問題に対するお考えをお聞きしたいと思います。
  60. 井内慶次郎

    ○井内政府委員 大学院の整備の問題につきまして、いろいろと新しい道を開いていくということを考えましても、最も肝要な点は、すぐれた大学院担当の教官をいかにして確保するかということかと存じます。  この点につきましては、先ほども申し上げました新しい構想による大学院の設置ということで、いろいろな向きで検討が行われておりますが、具体の構想に即しまして、個別にこの点は配慮する以外にないわけでございますが、従前、大学院の教官は、学部等の教官が兼務するということを常例としてまいりました。先般の大学院設置基準を契機といたしまして、大学院をもっぱら担当する大学院専用講座の設置ということも問題と相なってまいりまして、国立大学について申しますと、大学院専用講座の設置も若干スタートを切りまして、いま必要な分野大学院の専任の教官の設置ということも始めたわけでございますが、それぞれの分野における具体の構想の進展に応じまして、大学院の教官の確保の面につきましては、いろいろな工夫をし、大学院の新しい方向が真に生かされるための教官の確保に努力をしてまいりたいと存じております。  現在の大学院につきまして、どのような、たとえば予算的な配慮であるとか条件の整備等が行われておるのか、きわめて不十分ではないか、今後どのような方向に努力してまいるかというお尋ねでございますが、学部研究教育大学院研究教育とをやはり一体として行ってきておる関係もございまして、大学院のみの予算措置等をどうするかということは、切り離せない共通な部分の整備という問題もありますので、なかなかむずかしい点があるのでございますが、一つは、大学院の学生を教育するに必要な経費を一人当たりで積算しますいわゆる学生経費というものがございますが、この点につきまして、従前から大学院の重要性にかんがみまして、博士課程、修士課程ごとにそれぞれの増額の努力をいたしておるわけでございますが、五十年度で申しますと、博士課程二五%、修士課程一五%の積算校費のアップを行いました。また教官の研究費につきましても、大学院博士講座あるいは修士課程担当者に対しまする研究費の増額等も行っておるのでございますが、大学院自体のための事務機構の整備でございますとかあるいは大学院プロパーの教育研究用の設備というものについても何らかの特別の予算措置をすべきであろうということで、本年度、設備としては約三億五千万円の計上をいたしておりますが、これは四十九年までわずか一億しかなかったというような状況でございます。学部大学院に共通する諸経費の増額というものを図っていくという基本を踏まえながら、大学院プロパーの経費も何とか増額の努力を今後もしてまいりたい。  特に大学院学生に対しまするいろいろな諸条件の整備の点で幾つかの問題がただいま具体の論議と相なっておりますが、一つの問題は旅費をどうするかという問題がございますが、この点につきましては、大学院学生が、教育研究専門的職業とする教官とは基本的に立場が異なっておりますので、大学院学生に教官に準じた一律の研究旅費の支給という問題にはいろいろと問題がありまして、私どもまだ成案を得ておりません。これはやはり慎重に検討しなければならないと存じます。  大学院学生の研究生活条件等の改善につきましては、研究者の養成確保という観点とか人材の確保という観点等から申しましても、これに対しまする奨学金の制度をどう拡充するかという緊急の問題がございます。この点につきましては、四十九年、五十年引き続き貸与月額の増額、貸与人員の増員等を図っておるところでございますが、博士課程につきましては、大体八割から九割の間、修士課程は大体五割前後がただいまその対象と相なっております。  この点につきまして、さらに一つの問題が、これも先般お尋ねをいただいた点でございますが、いわゆるオーバードクターという名前で呼ばれておる研究者の方、大学院を出た人たちのオーバードクター問題という問題がある。この問題に対しましては、日本学術振興会におきまして、奨励研究員ということで七万円強の貸与をいたしておりますが、これの人数がいま二百人強でございまして、大学院学生に対する奨学制度、オーバードクターに対する奨学金の給与、こういったところを今後一体どういうふうに拡充してまいるか。一つの問題は、ただいま私ども検討いたしておりますのは、先般山原先生からも御指摘いただいた点ですが、大学院学生のときに育英会から貸与を受ける。それを教官とか一定の研究機関に就職をいたしましたときには、返還が免除になるわけなんですが、そこに就職するまでの間、特定のところへ就職すれば免除になっていく。その際に、就職先の研究機関を実態に即して拡大するという問題が一つと、それから大学院を終了して就職するまでの間――判定のところに就職すれば返還免除になるのですが、出て特定のところに就職するまでの間あきますと、大体猶余期間が一年なら一年ということで、それまでの間に特定の研究機関に就職をしないと返還しなければならぬというたてまえに相なっております。この点でも、現状から申しますと、やはり実情を少し具体に検討して、返還の猶余期間を拡張し得るケースを具体に即して拡大する必要はないかという問題が提起されておりますが、この問題につきましても、私どもといたしましては、実情を把握しながら積極的に検討しなければならない課題かと存じます。  それからもう一点、大学院学生、これは学部学生もそうでございますが、教育研究災害という問題がございます。これは、管理者の責めに帰し得ないような、まさに不慮の事故によって、教育研究やっております際に災害にかかるという際におきます具体の措置というものを一体どうしたらよろしいかということで、国公私立大学関係者の方々の参集を求めまして、この問題に対する実態調査の問題でありますとか、またこれに対する対応策をどうしたらよろしいかということで、学生の教育研究災害の補償制度を学生相互の互助共済制度として整備することができないであろうかということがただいまある案がまとまりまして、いまそれを各大学に提示しまして、もしできまするならば、この件につきましては五十一年度から何か具体のスタートが切れないかということで、こういった問題等を検討いたしておるところでございます。  大学院の修士課程なり博士課程に進学する者の年齢でございますとか、いろいろなことを考えますと、今日の経済情勢下におきまして、この学生の人たちに対する奨学の問題、こういった問題につきましては、私どもも積極的に検討をぜひさしていただきたい、かように考えております。
  61. 安里積千代

    ○安里委員 私が一つずつお聞きしたいと思ったこと全部まとめてお答え願えましたので、私の質問はこれで終わります。  特に、私が確かめておきたかったのは、もちろんこれまでの御答弁の中にもございましたし、本日のいまの私の問いに対しまするお答えにもございまするが、いわゆる院生の方々がいろいろな学会に出るあるいはその他のいろいろな研究のために出かける。もちろん教官ではございませんけれども、この負担というものは大変大きな問題。これがあるために出かけることもできないというような、これでは本当に研究の成果を上げることができないと思うのです。そのまま準用することができないことはわかりまするけれども、何らかの道をやはり講ずる必要がある、私はこう思います。  それと災害補償の問題、ことに職業面のいろいろな部面というのが目的の中にも入っております。普通の働いておる間に施設その他の不備からくる問題は当然責任はございましょうけれども、その他の面におきまして、これは場合によりましては一生を棒に振るような結果を――せっかく大学院へ行ったけれども、実験の途中において本人の過失の場合でもよろしゅうございますが、極端に言えば失明をするあるいは後遺症を残すというようなことになりますと、これは大変なことだと思うのです。この災害の補償に関係しても、これは共済組合意識というようなことも言われるのですけれども、それとは異なったものだと思うのです。労災補償とも異なるわけなんですから、何かひとつ、具体的な道を御検討されて、これを確立するということが、いろいろな制度ができますとともに、その内容において安心して学問研究に従事できるという、こういう実の伴ったところのものであってこそ初めてこの制度の拡大、制度の改革も意義をなすのだ、こう私は思うわけであります。  その点につきまして強く御要望申し上げまして、私の質問を終わります。
  62. 久保田円次

    久保田委員長 この際、休憩いたします。     午後一時三十六分休憩      ――――◇―――――