運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1975-06-06 第75回国会 衆議院 文教委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年六月六日(金曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 西岡 武夫君    理事 藤波 孝生君 理事 三塚  博君    理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君    理事 山原健二郎君       上田 茂行君    臼井 莊一君       床次 徳二君    楢橋  進君       西村 英一君    羽生田 進君       深谷 隆司君    小林 信一君       辻原 弘市君    長谷川正三君       山口 鶴男君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君  出席国務大臣         文 部 大 臣 永井 道雄君  出席政府委員         文部政務次官  山崎平八郎君         文部大臣官房長 清水 成之君         文部省大学局長 井内慶次郎君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 六月五日  辞任         補欠選任   安里積千代君     池田 禎治君 同日  辞任         補欠選任   池田 禎治君     安里積千代君     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第五一号)      ————◇—————
  2. 久保田円次

    ○久保田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。有島重武君。
  3. 有島重武

    有島委員 学校教育法の一部を改正する法律案大学院制度についての改革も含んだ法律が提出されておるわけでございますけれども、これに先立ちまして先月の末に文部大臣が、大学のいままでいろいろ累積している問題を片づける一つの端緒という意味であろうかと思いますが、東京大学京都大学の偏重を是正するということについて御構想をお持ちになり、これをかなり詰めてひとつ具体的な措置をなさるというようなお話が報道されておりましたけれども、その点についての御真意のほどを最初に承っておきたいと存じます。
  4. 永井道雄

    永井国務大臣 東京大学京都大学の問題ですが、それを今後も財政的に役所としてどんどんてこ入れをして大きくしていくというようなことは妥当性を欠くのではないかという議論は、別に私が初めて申したのではなく、かなり多数の方々がいままで議論をされてきたことだと私は理解しております。  そこで、何といいましても、明治から今日まで東京大学京都大学日本学術研究のために貢献してきた業績というものは非常に高く評価すべきものであると私は思います。それからまた、そこで研究しておられる先生方、今日もずっと熱心な努力を続けておられますし、そういう方々を十分に生かさなければ、今後の日本学術研究ないしはそれに基づく教育発展は期しがたいというふうに考えておりますから、そういう点を尊重するということについては私は人後に落ちないつもりでございまして、決して単純な解体論というようなことを考えているのではないのでございます。  しかしながら、わが国大学全体の発展考えます場合には、やはり明治から百年を経ました今日においては、さらに次の百年を望まなければいけないと私は思います。ですから、いろいろな方々にも東大京大の問題を議論されているのだと思いますが、さて、そうなりますと、この二中心だけでいくというのではなく、やはり国立につきましてもほかにいろいろ中心ができていく必要があるのではないか、あるいはまた、国立に限りませず、公立私立大学につきましても、これまでもなかなかいい仕事も生まれてきておりますが、文部省といたしましては、そういういろいろな場に中心ができ、さらにまた特色というものも生まれてくるというふうになりますことが、わが国高等教育発展の上に非常に重要なことである、そういうのが私の趣旨でございます。
  5. 有島重武

    有島委員 いま明治以来のお話が出たわけでございますけれども、東京大学その他国立大学戦前大学でございますね、こうしたものは、当時、国としてもあるいは学問教育世界としても、目的が非常に明らかであった時代にできているんじゃないかと思うのですね。  それで、戦後の大学目的も明らかだといえば明らかのようだけれども、何のためにこういう大学をつくっていくのだというようなことで、現在それを非常に模索をしておる、悩んでおるというような状況の中にいるんじゃなかろうかと思うのですけれども、次の百年ということをいま言われましたから、文部大臣としては、それではいま百年の出発点に当たって、どの辺にねらいを定めて、今後の高等教育というものをそこにつくっていくかというようなことについて承っておきたいというふうに思います。
  6. 永井道雄

    永井国務大臣 非常に全般的な広範にわたる御質問でございますので、詳細にわたって私の考えを申し上げることもできにくいように思いますが、要点を一、二申し上げますならば、まず、これは大学だけでなく、わが国において、非常に急速な大都市への人口集中化現象、さらに都市化現象というものが戦後起こったと思っております。  そういう結果といたしまして、わが国大都市におきまして、人口二〇%のところに、高等教育人口ということから申しますと四〇%程度というようなアンバランスも生じているのではないかと思います。そこで、新学園都市というような考えもございましたが、私は、今日の段階におきまして、本当に新しいところにすぐに大学をつくるというようなことを、全部断念するのはどうかとは思いますけれども、直ちにそういうことを実現していくというようなことはなかなかむずかしい、また現実性を持たないというふうに思います。  そういたしますと、大学だけではなく、他のいろいろな面におきましても、いままでの急速な大都市集中化現象というものをとどめていきたいということ、これは国民的な要求であろうかと思います。そういたしますと、やはり地方の大学というようなものを強化していくということが一つ趨勢ではないだろうか、これがまず第一点でございます。  また、先生自身慶応の御出身でございますが、伝染病研究というようなことにつきましては、慶応大学の医学部というのは、これは国立大学も及ばない非常に重要な業続をこれまでにも残してこられたわけでございますし、また経済学研究あるいは三田大学というようなものも、非常に重要な、わが国文化史上逸することができない貢献があったと思います。そうしたものが、何かにつけて東大京大画一現象といいましょうか、画一化というところから、私は、おのずから格差という言葉も出てくるのだと思います。     〔委員長退席三塚委員長代理着席〕 いま慶応のことを申し上げましたが、画一でなく、そういうふうに、他の私立大学におきましても、やはり特色を持って、わが国文化を興しますために教育研究に力を入れてこられたところもあるわけでございますから、そうしたものをもう一回尊重いたしまして、そうしてできる限りそういう私立などの大学を、公立も私は例外としておりませんが、伸びるだけ伸びやすいようにしていくということが、今後百年と非常に長い時間のことを申し上げましたが、これからの方針でなければならない。  またそのほかには、たとえば国連大学というようなのに象徴されておりますように、いままでの日本では、どちらかと言えば、わが国の中での文化発展という点に力が注がれてきたかと思いますが、これからはわが国自身発展というものを、国際世界の人類の共通の未来というものと切り離し得ない時代になってきておりますから、そういう時代におきましては、やはり当然国連大学に象徴されておりますような、国際性というものが大学の他の場所におきましてもだんだん活用されていくようにならなければならない。  以上、三点申し上げましたが、そういうふうなことが、私が考えておりますことの一端でございます。
  7. 有島重武

    有島委員 いま三点おっしゃった中で、画一性を避けていきたいということでございますけれども、これは確かにわかるような気もいたしますけれども、従来の画一性ということについては、具体的にどういうものを指していらっしゃるのか、それに対してどのような御反省がおありになってのお話なのか、もう少し詳しく承っておきたいと思います。
  8. 永井道雄

    永井国務大臣 実を申しますと、戦前の方が場合によっては画一性がいまよりもなかった面もあったような気もします。たとえて申しますと、山口経済専門学校という学校がございましたが、そういうところではアジア経済研究というふうな問題については他にひけをとらないりっぱな仕事が行われていたわけでございまして、むしろ京都大学経済学部がこれから益を得ていたというようなところもあったと思います。  戦後現象では、大学の急速な拡張ということが起こりました。そこでいろいろ特色を持っておりましたところも、そういう拡張現象の中で、やはりたくさん学部をつくる、総合大学になる。さてそうなりますと、ひな形がどこにあるかというと、一番わかりやすいひな形東大にあり、京大にありということになります。  それからもう一つの問題といたしましては、非常に大学進学者人口というものがふえてまいりますと、国費が届かなかったということもあって、私立大学が急膨張をいたしました。急膨張いたします過程におきましては、先ほど慶応のことを申し上げましたが、慶応先生方ともお話しいたしますが、おそらく有島先生がご在学中の慶応と今日の慶応はかなり変わった。どこが変わったかというと、非常に大きくなった。大きくなったところでやはり特色というものが薄められてくる。ですから、国公立私立を問わず、大学の急膨張という状況の中で、どうしてもわりにわかりやすいひな形というものに基づいて大学の設計が行われたということが、私が申し上げている画一化現象ということでございます。  さて、ここまで参りますと、量の方は大変結構なんでございますが、質の点から言いましてどうかということになりますと、これはもう大学関係者、当事者の方々を含めまして、いまもう非常に大きな問題になってきております。そうしますと、やはり潜在的にはいろいろな大学自分考えている考えを生かしまして、そうしてたとえばアジア経済研究なら自分のところへ来いとかあるいは伝染病関係の医学の研究なら自分のところへ来いというような、そういうことが可能なわけでございますから、それをもう一回生かす、そういうところに来ているのではないであろうか。  また、ここでただいま御審議をいただいております大学院の問題に関連して申しますと、大学学問というのは高度に専門化されまして、そうして専門化されたところで、非常に狭隘の専門領域においていろいろりっぱな研究が出てきておりますけたども、しかしながら、いま学問それ自体の要求から申しましても、学際研究ということが常に言われております。一例を申し上げますれば、たとえば合成化学工学というようなことになりますというと、化学も必要ですし、工学も必要でございますし、電子工学的なアプローチというものがやはり重なり合わなければ今日の合成化学工学の問題というようなものは考えていきにくいというようなところから、いままでの専門領域とは違うもっと学際的なものになっていかなければいけないのではないか。しかしこれは理工系にとどまりませず、たとえば都市計画というような問題になってまいりますと、これは工学系の土木の協力というものが当然必要でございますが、他方において経済学行政学社会学あるいは政治学あるいは教育学、そういうふうなものも含めまして、いままでの人文社会、それから理工、その枠を越えた研究というものをやりませんと、都市開発、再開発都市計画というようなものも考えにくいというようなところにきまして、学者方々も従来の専門別がございますが、どうもそこにはとどまり得ないのではないかということで、国際的趨勢もそうでございますが、わが国のように非常に社会が活発なところにおきましては、そういう議論が日々に盛んになっていくという状況であろうかと私は思っております。そうなりますと、やはりそれだけの要求というものを生かす器が必要になってくるのではないであろうか。それをいままでの大学院というような姿で生かし得るかというと、これは審議会でもうずいぶん長い間御検討願ってきていることでございますが、ちょっと生かしにくいのではないか、やはり新しい制度大学院について考えていかないというと、そういう、これからまた今日の学問要求にこたえて、そして非常に特色のあるそういう大学院をいろいろな場に生み出していくということはできにくい、こういうふうなことも私がこの次の段階を目指して考えていかなければならないことの一つとして思っていることでございます。  もう一つつけ加えさしていただきたいことは、わが国の諸外国に対する研究依存の問題でございます。昭和三十五年ぐらいの統計を見ますと、わが国経済発展というものは顕著でございましたが、外国からのパテント輸入に対する依存度はきわめて高かったわけでございます。中でもアメリカ合衆国のパテントに対する依存が非常に高かった。したがってパテント輸入というものに支払いました金額というものはきわめて大きなものでございまして、わが国のつくり出しましたパテント海外に輸出することから得ました収入というものと比較をいたしますと、当時四十分の一程度でございました。それから十年ほど経まして、四十分の一から十分の一というぐらいにある程度自立はいたしてまいりましたが、それにしてもいまでもGNPは大きいとかあるいは経済大国というような言葉も出てはおりますけれども、研究の面におきまして海外への依存度が余りにも高い。当然わが国として、学問文化の面において次第に自立していくということは、これはまた国民の望むところでもあり、また世界趨勢でもあると考えますから、さて、そうなりますと、そういう自立的研究いかようにして可能であるかということを考えますと、ただ大学拡張しただけでは問題は解くことができない。やはり大学において基礎的研究というものが進行いたしまして、そして非常に有能な基礎的研究者というものを育て上げていくということが、わが国の本当に実のある自立性というものを生み出していく上で非常に必要である。そういう意味合いからも、私は、大学院というものをどうしていったらいいか。これは学者方々の間にもそうした要求が非常に強いものと理解しておりまして、こういう点も諸先生方にぜひ御審議をいただきたいことの一つとして、われわれは今回の法案を先生方によって御検討をお願いしているわけでございます。
  9. 有島重武

    有島委員 画一的ということについての一番最初お話は、戦前よりも主に戦後における急膨張、それに伴う画一的なことということも一つお挙げになりましたね。これは見かけの多様さにもかかわらず非常に画一的である。これは文明論的なお話につながっていくことだと思うのですけれども、これは高等教育の中にも戦後の非常に市民教養的な高等教育、それから高度な専門領域というようなことでの、これは二つ相関連はしておりますけれども、やはり組み入れて考えていくことかと存じますけれども、それから二番目にお挙げになった、確かに細分化され専門化されていく。だけれども、今度はそれをいま画一的ということの中にお含めになっていらっしゃるわけですね。今度はそれの学際領域的なことがやりにくくなっている。これをどうにか解決していかなければいけないというようなことでございますね。それから三番目のパテントの問題はさておきまして、専門化されてきてしまった学際的な領域制度としてここに固定化していくというような行き方が確かにあると思うんですね。いま例を幾つかお挙げになりましたけれども、という行き方と、もう一つは今度は学ぶ方の側が選択するのに、一つ学際領域なら学際領域という、そういった教室をつくった、その中に入るという行き方一つあるでしょう。けれども、一人の学生幾つかの学科にわたって交流——交流というのは学校の方から言った立場ですけれども、選択幅をもっと広げていくというような方向、このことも考えていかなければならないんじゃないか。それで先年単位の取り方、これは互換を許すということが、文部省の方としてはそういうふうに踏み切られた。にもかかわらず、これはなかなか現実に早急には行われておらないようでございますけれども、こういうこと。それからどうしてそれが行われないのか、行われにくいのか、この問題もどうお考えになっていらっしゃるか、単位互換性について。もう一つは、昔の大学戦前ないしはもっと古い大学、私は話としてしか聞いていないのでございますけれども、人数が非常に少なかった時代大学教育と、それから人数が非常に多くなってきた現在の大学の中で、膨大に広がった中における画一性を解消していくもう一つ行き方として、授業を受ける形態をもう少し考えたらばよろしいのではないかというようなことですね。私たち受講形態現実多様化されているのだけれども、もう少しそれを整理すべきではないかというような問題を提起したこともございますけれども、そういうことについてどうお考えになっておるか。  それからもう一つは、学位につきましてもいろいろな学位があるようでございますけれども、修士にしても博士号にしても種類が非常にたくさん出ておりますけれども、こうしたものを将来とも多様化ということで、たとえば人間学博士だとか情報博士だとか、そんなようなものが今後も続々として出てくる方向に行くのか、あるいは多様化というよりもこれはさらに単純化と申しますか、もう少し出発点に戻った方がいいのではないかというような議論も出ておるようでございますけれども、そういった点をどのようにお考えになっていらっしゃるか、これも基本的なことですけれども、承っておきたい。  と申しますのは、私は非常に気になっておりますのは、とかくお役所のお仕事ですと、多様化をしていくのだと言いながら箱をつくってしまう。それは確かにお役所の上では多様化なんですけれども、学ぶ側あるいは研究者にとってはそれが狭い部屋になってしまう。そういう意味画一化ということですね、私はこれが問題じゃないかというふうに思っているわけなんですね。そういうことについて大臣の御意見を承っておきたいわけでございます。
  10. 井内慶次郎

    井内政府委員 大臣からお答えいただきます前に、二点、私からお答えさせていただきます。  第一点の単位互換制度でございますとか、現在の大学基準弾力化をいたしまして各大学創意工夫によりましていろいろな改善措置ができるような制度の一部改正をいたしたわけですが、これにつきましては、まず一つ単位互換大学相互間で認めることができるような措置をいたしまして、これについては北海道大学など四十二大学でそういうことができるような学内規定措置を現在講じました。北大経済学部小樽商科大学商学部との間、あるいは東大工学系研究科と東京工業大学理工学研究科との間、京都大学工学研究科と大阪大学工学研究科基礎工学研究科の間、こういった学部並びに大学院段階単位互換ということを現に幾つかの大学で始めております。この傾向は、それぞれの大学におきましてそういうことがなし得るような学内規定整備等は相当大学で行っておりまして、各大学相互間の御相談がまとまっていくに伴いまして逐次拡大されていく方向に向かうのではないだろうか、かように思います。  そのほか、一般教育の各分野におきます履修のさせ方におきまして人文、自然、社会の三分野にまたがる総合コース開設考えるということも、各大学の方でいまいろいろと具体の開設等が進んでおるところでございます。先ほど大臣からもお答えいたしましたように、新しい大学制度において、基準がある意味画一的であった関係もありまして、単位の授与の仕方でありますとか、あるいは授業科目の立て方等におきましていろいろと問題があり、これを弾力化して各大学あるいは各大学相互間の創意工夫が生きるような、そういう広がりのある大学の展開ができるようにということで、ただいま各大学におきましてもじみちに相談が進んでおり、逐次こういう新しい面が開かれていくのではないであろうか、かように私ども考えております。  それから博士種類の問題並びに数の問題についてのお尋ねがございましたが、学位名称を個々の研究内容に合わせようとしますと、その数が際限なく広がっていく可能性が正直あるわけでございます。そこで、博士学位学問分野のいかんにかかわらず一定の水準を示すという性格を有するものでもございまするので、その種類はむしろ簡素化することが望ましいのではないかという御意見もあるのでございます。それで、博士課程においては特定の専攻分野についての高度の研究能力を涵養いたしますとともに、その基盤となる豊かな学識をも重視することが望ましいことなども考慮いたしまして、先般の学位規則改正によりまして、新たに現行の博士と同水準学術博士というものを設けることといたしました。関係者等の御意見大学審議会設置等で私どもいただいておるところでございますけれども、今後博士学位名称をふやしていくという方向ではなくて、現在ありまするものに対して学術博士という博士名称を認めることとし、学術博士と従前からの学位名称とどちらをどのように運用し、授与していくかということは、各大学院、各研究科の判断にゆだねた方がよろしいのではないか、そういうふうに一応制度を変えまして、各大学の方におきましても今後の問題に対応するに当たりましてはいたずらに学位名称をふやしていくという方向でなくて、学術博士という称号を活用していくという方向に今後向かうのではないかと私ども考えております。  以上二点、初めに私からお答えをいたしておきます。
  11. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいま大学局長から申し上げました点の補足として、一、二のことだけ申し上げます。  教え方の問題に関連いたしまして、学生の数も多くなってきているからいろいろ考えるべきではないか、そういうことはやはり大変大事なことだと思います。一番はっきりした形でそうした問題を説こうといたしておりますのが放送大学でございます。放送大学というのは、申し上げるまでもありませんが、新しいテレコミュニケーション方法を通して授業をしていく。しかし、それだけですとやはり学習者の方が受け手一方になってしまいますから、それを一つ使うのですけれども、しかし、同時にテキストも使い、それから学習者との間のセミナー的と申しましょうか、学習グループをつくり上げていく、これはいままでなかった方法だと思いますが、そういうものを考えていく。これは一番はっきりした形であらわれてきている今日の市民教育といいましょうか、そういうふうなもののあらわれだと思います。  あとは、既存の大学の中でもいろいろな教育工学的方法というようなものを工夫していっております。たとえばテレビを大きな教室の中に幾つも置きまして、実験を教壇でやりますと、大ぜいですと実験が見えませんから、その実験自分に近いところのテレビに非常にはっきり映ってくるというような形、そういう形で多数の学生に対して実験というものの学習指導を行っていくというようなこともやっております。こういう方法はそれぞれの学校においていろいろ御研究になっておりますが、文部省としても教育工学的方法というものはどういうふうに開発していくべきか、これは一例でございますが考えております。  他方、どうもいままでのように大学の中だけに閉じこもってしまって、そうして自分大学人たちだけとつき合っているというのはおかしいんじゃないかということから、たとえば八王子には大学セミナーハウスというようなものができて、先生方学生が一緒に自然の中で寝起きをする。寝起きをするところで討論をしていくという方法も東京では起こってきておりますし、この十月でしたか、関西では有馬温泉に新しくそういうものが開設されるところまで来ております。こうした方法というのが、やはりそれは先生方、私などもそうでございますが、大学に行っておりましたころは、わりに先生学生とが接触がしやすかった、数も少なかった。しかし、いまそれがなかなかむずかしくなってきているところで、やはり昔からのよい関係というものを何とかして復活しなければいけないということのあらわれであるか思います。  第二点といたしまして、選択を、それぞれの大学の中で科目をなるべくふやしていく。そうしないと、多様化といっても学習者の方の立場から見るとおかしいではないかという先生の御指摘でございますが、これも全くごもっともでありまして、各大学がまず御努力になっていることでありますが、私たちとしても配慮すべきことであると考えております。  そのほか、いまの大学をこれからよくしていくという上でいろいろな問題があると思いますがそうした新しい方法というものをでき得る限り開発することにおいて、言葉だけの多様化でなくなるようにしなければいけない。  最後に先生が言われましたのは、文部省がいろいろな法律をつくって、そして形の上で多様化といっても、そのまた多様化という法律の枠の中で画一化ということが起こるんではないかというような、そういう御指摘でございますが、そういう御心配の向きが、下手に運営をいたしますと必ず起こると思います。でございますからやはり、もちろん法律だけで学校がよくなったりするということはございませんから、これは当該の大学の自主性、自治、これを重んじる角度で、大学院の場合も、従前の大学のときと同じように私たち法律をつくっていかなければいけない。その法律というものが足かせ手かせになってしまうというようなことではなくて、その法律を生かして、そして運営の上において本当に自主的に多様化の実を上げていただける、そういうふうに法案をつくり、御検討願い、また法律をつくっていくというふうにすることが私たちが眼目としていることでございます。
  12. 有島重武

    有島委員 大体わかりましたけれども、いま放送大学の話が出てしまったから一言言いますけれども、放送大学についても、放送大学というものを、かたい構造のものをつくってしまって、そこで市民教育をやって、そこで単位を認定していくというような方向にどうも行きやすいんじゃなかろうか。現にそのように進んでいらっしゃるらしいのですね。イギリスなんかでもその方向でやっておる。相当苦労はして、ある程度の業績は上げているけれども、大体放送というものの本質が、あれは非常にオープンなものなのであって、それはむしろ、放送大学というような、集約して、しかもそれを広く訴えることができるというようなものの扱い方、これは技術論みたいになるけれども、各大学放送大学はサービスする機関であるというふうなもの、これは放送そのものの持っている特性ではないかと思うのですね。ところがお役人の考えといいますか、放送大学という枠をつくってそこの卒業生というようなことをどうしてもお考えになりやすいのではないか。せっかく多様化のためのいろいろな技術、工夫がございますけれども、それを本当に——最後に大臣十分に注意なさるとおっしゃったけれども、これはいま言ったような非常にふわふわしたような詰めのない議論でございますが、そういうことはぼくは今後非常に注意しなければいけない、心配な点ではないかと思うわけなんです。  それで、いままでの議論の結論といたしまして、今後の大学の卒業の要件、これはいままでのでこれでいいか。昔は大学卒は学士様と言われたそうです。これはまことに古い時代の話でございましょう。いまは学士なんという者は余り価値を認められないようになっているのじゃないかと思うのですけれども、こうしたことで、これはいい面もあればちょっとさびしい面もあるのかどうか知りませんけれども、この大学の卒業という要件をいまのままでずっと将来も放置していってよろしいものか。一考しなければいけないものであるか。極端に申しますと、大学卒なんという免状を出すのはやめようではないかというような議論もありますし、それから私どもは、むしろこれは単位の累次加算を承認していけばよろしいのであって、何々学部卒業——卒業といってもこれはピンからキリまであるのではないか。どういう内容であるかこれはわからない。ますますこれから多様化していけば、それはますますあいまいな概念になってくるであろうということでございますから、むしろどういう学問をどういう授業形態のもとで行った者であるか、そういうような証明の方が社会においても有効ではないかというような意見も私たちは持っているわけであります。その大学卒業の要件、このことについてどういうふうに考えていらっしゃるか承っておきたいと思います。
  13. 井内慶次郎

    井内政府委員 現在大学の卒業要件は、大学全般を通じまして大学の設置基準に卒業の要件を一応定めておるところでございます。現在の大学教育内容等つきまして、また教育の成果等つきましていろいろな議論が存し、学歴を得るということ、卒業という形式的な要件に余りにも流れ過ぎておる点はないかという御批判が非常にございます。こういった点につきましては、専門教育並びに一般教育を通じて、大学教育内容それ自体を大学教育という観点から工夫、改善、充実さしていく必要性がいろいろとあろうかと存じます。文部省といたしましては卒業の要件それ自体を制度上直ちにどうするということではなくて、それぞれの専攻分野に応じまして、教育の内容それ自体がより濃密になり、より教育的に、効果的なものになるように各大学の一層の御努力をお願いいたしたい。そのためには、文部省としまして各大学で現に行われておる卒業の認定の仕方でありますとか、あるいは授業の展開の仕方等につきまして、具体に即して実態をもう少し把握したり、これに必要な助言を行う等のことがやはり必要になってまいりますので、文部省としまして、現在ございます各専門分野別の視学委員制度等も活用を図りまして、そういった努力を促進いたしてまいりたい、かように考えておるところでございます。
  14. 永井道雄

    永井国務大臣 大学卒という考え方、これもいま大学局長から申し上げましたように、文部省はいま申し上げた線で考えておりますが、他方、恐らく先生がお考えになっておりますことは、大学を出て、そして社会で働く。また、その社会で働く人がもう一度大学に帰ってくるというような形で、大学学位だけ取ればそれで済むという時代は終わったのじゃないかという御疑問もあると思います。それは全く私もさように考えます。ですから、この大学院というものが今後できていきます過程におきましては、これはまたいろいろそういう工夫が出てくると思いますが、特に科学技術などの領域におきましては変化が激しゅうございますから、実習というふうな形で社会に出ていく人がまた大学に戻ってきて勉強する。そういうふうな形、それを生涯教育というようなことを言っておりますが、ですからいままでのような形で、卒業直ちに終点、もうあとは社会に出て普通に社会生活をすればいいというような考え方はやはり変わっていくでございましょうし、その方向というものを促進していくことは妥当ではなかろうかというふうに思っております。
  15. 有島重武

    有島委員 これはその方向が大切だというような議論段階から具体的に踏み切らなければならないようなときが来ているのじゃないかと私は思うわけです。それで、大学院に行って博士を取った。それで、これはその専門領域のことについてやったということになるでしょう。それから、いまの大学に余りいろいろな学際領域をどんどんつくるということも直ちにはできないし、幾らつくってもそれは間に合わないことであるし、勢い理学部なんだか工学部なんだかわからぬ。あるいは文学部でいながら医学部の講義をかなりたくさん取るような方も出ていらっしゃるでょうし、現にそういった方がいらっしゃるわけですけれどもね。そういう傾向は今後も強くなるであろうし、むしろ奨励すべきことであろうか思うわけですけれども、まだ当分の間、やはり現在の大学設置基準の卒業というか修了といいますか、こうしたことを放置しておくか。大学院設置基準というものが去年できたわけでございますけれども、ここでもって大学設置基準ないしは学校教育法をやはりそのあたりからむしろ改正していくということをお考えになる用意はないか、御検討なさらないか。いかがでございますか。
  16. 井内慶次郎

    井内政府委員 大学において行われる研究活動なり教育活動つきましては、各大学学部あるいは大学院におきまして、その研究教育の内容を当該大学みずからが決定し、みずからこれを行っていくという基本、プリンシプルと申しますか、これはあくまでも尊重していくべきでございます。ただ、そのことのために今度学生の側に立った場合の教授の仕方であるとか、あるいは学生が勉強していく場合の条件整備のことであるとか、そういった面についての努力と申しますか、工夫、改善と申しますか、こういった点について各大学の方に一層努力をしてもらわなければならない点がいろいろあるわけでございまして、そういった点につきましての努力を文部省としてもやっていくべきであろう。  先ほど御指摘のございました、ただいま放送大学の問題つきましてのいろいろな諸準備を進めておるわけですが、従前ややもしますと、どういう番組をつくればいいのかということで、いろいろ工夫をして番組を試作し、それを一定のエリアに出していくということで、番組制作の仕方の方が主として研究対象でございました。これではやはり放送大学の問題を今後取り進めていくについては重要な二面が落ちておるのではないかということで、ことし、五十年の仕事としましてどういうことをやろうとしておるかと申しますと、具体的に神奈川と千葉で何人かの人に依頼をいたしまして、テレビならテレビ、ラジオならラジオの番組を一定期間視聴もしてもらう。そしてスクーリングのような形で集まっていただいてそれに対する勉学もする、通信による指導もやってみるということで、よい番組をつくっていくという努力と同時に、それを今度は受けとめ、それをこなしていく学生の側の履修のやり方であるとか、そういった方面についてどこにどういう問題があるのか、どういうふうにすれば教育効果が上がってくるのか、そういった観点の研究を五十年度精力的にやってまいろうではないか、そういったことかいま放送大学の問題についても言われておるわけでございます。  なお、先ほど先生から御注意ございましたけれども、放送大学の問題も、既設の大学のいろいろこれから工夫、改善、努力をされていく場合に放送大学が何か機能し得ないかという問題がやはりあるわけでして、特に長い間、経済的にも非常に苦しい基盤の上で、幾つかの大学で通信教育の課程というのをいまやっていただいておるわけですけれども、放送大学の問題が既設の通信教育の課程というものに対してどういう意味合いを持つのであろうか。できるならば、放送大学の発足によって通信教育の課程そのものが受益するように考えるすべはないか、こういった問題等もいま私ども検討課題としておるところでございます。  かつ、これもただいま御指摘のあった点ですけれども、単位の分割授与というもの百二十四単位大学は卒業できる。百二十四という単位がまとまらないと意味をなさないということなんでございますけれども、現在のいろいろと多様な社会的要請等にこたえてまいりますために、一定の大学における教育を受けた、その教育効果も上がっておるということが大学において確認できるならば、単位の分割授与というものもひとつ積極的に考えていったらどうであろうか。単位の分割授与という問題は、先ほど御指摘のあった、一定の単位が累積されていくという可能性を持つわけでございまして、その辺の問題等も、私どもとしましては放送大学の問題をいま検討するに当たりまして、やはり本格的に検討すべき課題であろう、かように考えておる次第でございます。
  17. 有島重武

    有島委員 今度の大学院の問題にいたしましても、短大卒、高専卒、大卒、これをどうにかしなければならないということがこの法案の中にも含められておるようでございますけれども、こうしたことについても、どういう学科については、どこの学校でどういう授業形態でもってこういうふうにやってきたというようなことでもって整理をしていかなないと、どこまでも高専卒である、あるいは短大卒である。この間も高専卒のために特別な大学院大学をつくる、そのためには大学院のための予備校のような形のものをまたつくらなければならないというような、いささかちょっと、制度だけできてかえってそれが窮屈なことになるというようなおそれが多分にあるように承っておったわけでございますけれども、大学院の改革ないしは拡張充実というようなことの前段として、どうしても高等教育ないしはいま言われております後期中等教育も含めて、これはもう少し資格のつけ方といいますか、これをそれこそ画一的なものではなしにもっと単位で割ったものとしてやっていかないと、どうにも始末がつけられないのじゃないか。そういうときにいまもう来ているのじゃないだろうかというふうに私は思うわけなんですよ。大臣いかがでございますか。これは相当急いで仕事をしなければならないのじゃないかというように、私は思いますが、いかがでございますか。
  18. 永井道雄

    永井国務大臣 ただいまの先生の御質疑は二点に分かれるかと思います。まず第一の問題は、大学なり高専なりそういうところで卒業資格ないしは学位、そういうようなものを与えているが、しかし非常に学問もいろいろ変化をしてきているからいままでのような学位ということに拘泥しないで、非常にはっきり言えば学位なし、単位を計算すればそれでよろしいというような考え方、そこに踏み切ってはどうかというような御趣旨と思います。  私の理解いたしますところでは、たとえばイギリスなどでいま先生がおっしゃいましたのと非常に類似の議論が一部に出ているようでございます。ただ、それではイギリスはそれに踏み切ったかというとまだ踏み切っておりません。なぜかというと、確かに御趣旨のようなことはあるのですが、いろいろ専門的な職業を考えますと、たとえば医師あるいは建築士あるいは行政に当たる行政あるいはまた都市計画に当たるような人、そういう場合にやはり非常にきちんとした履修課程というものがあり、そしてまた資格、学位というものがありませんとかなりあやふやになってきて、社会的責任を果たしていくという上で妥当性を欠くという問題も起こり得るわけです。ですからいま申し上げましたような職業つきましては、簡単に学位をなくすというわけにもいかないのじゃないかという反論が出てくるわけです。     〔三塚委員長代理退席、委員長着席〕 そうすると、それでは学位をなくし得る職業はどうなのかというような話が出てまいりまして、もっと細かく考えていかなければいけないというような議論が、いま展開されているようでございます。わが国は現段階においてどうかということで申しますと、いまイギリスで展開しているようなそういう議論にまで進んでいくというのではなくて、やはり学位、そうしたものはいままでどおり尊重していく。ただ学歴偏重主義に流れないようにするということは考えてまいりますが、いまのようなことは十分勘案いたしますが、現段階においてはそれを考えていないということでございます。  次に高専のお話が出まして、それは第二点と思いますが、そういうものと関連した技術科学大学院というふうなことになるとこれまた何か違うもう一つのルートができて、そこにもう一つの資格というふうなことになるんではないかという意味の御質疑があったと思います。この問題は見る角度が二つあると思うのです。それはいままでのような大学、それから大学院、これの方が形が整ったものであって高次であるというふうに考えますと、高専とか技術科学大学院というのは低次であるという上下関係になると思います。それから事実上いままでの雇用関係で見ますと、たとえば大学工学部を出ている人の方が高専の人より有利なんでございますから、やはりその点でも上下の関係があったと思います。しかし工学者の間で起こってきております議論一つに次のようなことがございます。それは工学研究教育というようなものをやってまいります場合に、従来の大学でやってきたのはどちらかといいますと、やはり大学の中の教科書研究、そうしたものが中心になっている。ところがこれに対しまして実習実験というふうなものをもっと加味した形で、そしてもちろん教科書も勉強するわけですが、そういうもの、つまり新しい学習研究方法というものが大事なのではないかという考え方があるわけです。日本の伝統で申しますと理化学研究所、戦前でございますが、大河内正敏先生がこれはつくられたというよりは発展を図られたものでありまして、本来は大正の初期に高峰譲吉先生がやはり東大のやり方というようなもの以外のものを起こそうというお考えから理化学研究所をあえて東大を離れてつくられたものでありますが、ここではいろいろなパイロットプラントをやった。ところが実を言うと研究の面でも大学よりはるかにりっぱな研究が出たということが戦前にあったわけでございます。そこでその議論工学者の中に今日もございまして、やはり理研的なやり方ということは実習実験あるいはパイロットプラント的なものを含めまして、そして研究あるいは教育をやっていくという方向、こういうふうなものも考えていかなければいけないのではないか。この形で脅えます場合には、従来の大学とそれから高専的なものそれから技術科学大学院のやり方、これは非常に今後慎重に考えなければいけないとは思いますが、これは必ずしも上下関係ということでとらえるのではなくて、違う二つの道筋で考えるという角度が十分にあるのでございまして、私は今後の方向といたしましては、いま申し上げたような積極的な意味合いにおいて工学関係研究教育を強化していく、そういう意味一つの道筋でなく二つの道筋を上下でなくつくり上げていくという方向でなければならない、こう考えております。
  19. 有島重武

    有島委員 いまの最後におっしゃった上下でなくつくっていきたい、こう思っていらっしゃる。思っていらっしゃるけれども、いまいろいろな学者方々がこの法案について心配なさっているのは、まさにまた新たな差別が出るであろうということをみんなおっしゃいますですね。これは長い歴史的な経験を持っているから、そうであろう、そうならざるを得ないと言うわけですね。そうでないように心がけるということでございますけれども、心がけだけじゃどうにもいかないほど、きっと同じ修士にしてもあれは高専出の修士だ、こっちは大学出の修士だというようなことは——大ざっぱに見たときにはそれは同じだというふうになるかもしれませんが、実際的には何人か競争の台に立たされる、書類審査されるというようなときにいろいろ差別も出てくるであろう、これは十々考えられるところですね。それでこういったことは雇用者側といいますか、あるいは学者をどんどん抜てきをしていく側の心がけの問題も一つあるわけでございますけれども、実態的に言っても高専に行って一体何をしていたのか、それから短大で一体何をしておったのか、大学で何をしておったのか、そういうことを一番問題にできるような制度にいまなっていない。これはどうしても実質主義と申しますか、こうした形態のもとにこれだけのものをマスターしましたというようなことがないと、上の、これから大学院のような構造を今度また拡充していくというときには、ますます競争が激しくなる。それがまた受験地獄状況をあおるということにつながっていくおそれは十分にあるわけですね。それが一番最初に話題にいたしました東京大学京都大学のことについても、受験地獄をどうにか解消していかなければならないというような心も含められての措置ではないかと思いますけれども、事志と違ってそっちの方に駆り立てられるという素地がいまのところ十分にあるわけでございますから、その歯どめを何かひとっここのところでもってやっておかなければならぬのじゃなかろうか。その歯どめの一つとして単位の累次加算方式ということを検討なさらなければいけないのじゃなかろうかと私は思うわけなんです。さっき大臣最初にお答えになりました、イギリスで議論されている学位なんかなくしてしまえ、そこまで極論にはなっていないようでございますけれども、そういうこととはちょっと違うわけです。おわかりになるでしょうか。そういうことを早く御検討なさるべきではないか、着手なさるべきではないかと思うのですけれども、その点は本当のところいかがでございますか。
  20. 永井道雄

    永井国務大臣 先ほどイギリスのことを申し上げましたのは、先生の御指摘の単位累次加算方式ということと関連しているのではないかと思って申し上げたのです。ですから、イギリスの場合は全部じゃございません、一部に学位をやめてはという議論もあったのです。いまも検討は続いていると理解いたしております。しかしながらそこまでは踏み切らない。先生単位との関連について申しますと、こういうふうな問題があるんじゃないでしょうか。つまり選択科目というものをもう少しふやすように工夫してみたらどうであろうか、それから大学学部について申しますと、専門関係の科目と一般教養関係の科目がかなり截然と分かれておりまして、ここまでは一般教養、ここまでは専門教育というふうになっているのが普通でございます。しかしながら専門でもあり一般教養でもあるようなそういう科目というものも事実はあるわけでございます。そういうふうな点における柔軟性を持たしてはどうだろうか、こういうふうなことも先生の御質疑の中に含まれているように感じますが、私たち文部省の立場といたしましては、仮に先生のこの単位の検討ということが、選択の問題、それからいま申しましたような一般と専門とをうまくかみ合わせていくような単位の配分の仕方という意味合いでございますならば、私たちもまことにさように考えて、いまこれからの大学の構造というのは全般的にはそうした方向に向くべきものと考えているわけでございます。
  21. 有島重武

    有島委員 そういったお考えは持っていらっしゃるけれども、ではそれを具体的に何か踏み切っていくときが——ぼくなんかでも認識しますと、今度大学院に関するこうした学校教育法改正をお出しになったけれども、それに先立ってそういうような措置がされていなければならないのではないかというぐらいに思うわけです。そういうふうに考えております。これは大変結構なことでございますけれども、何らかの踏み出し、これをなさる御用意はないか。
  22. 井内慶次郎

    井内政府委員 全般的な方向につきましてはただいま大臣からお答えいただいたとおりでございますが、具体の検討といたしましては、先ほど私からお答えいたしましたように、特に放送大学、通信教育、この辺のところに関連いたしましてただいま先生の御提案の問題を、具体にはただいまそこからまず検討さしていただいておる、これが現状でございます。
  23. 有島重武

    有島委員 そうすると、私としてはきわめて不満足な感じがいたします。この放送大学についてはまた機会を改めまして少し議論さしていただきたいと思います。  それでは、今度の法改正でございますけれども、この法改正をしないとどういうデメリットが出てくるのであろうか。これはどうしても差し迫って急いでやらなければならないことなのであるか。ややこれと相関連する単位の累次加算のようなことを私はいま提議いたしましたけれども、他にも幾つか、連動してこういった措置をしておかないと、これはちょっと無理なんじゃなかろうかと思われる節が幾つかあるわけでございます。それで大臣としては、これは通らなければ困る、だから出したんだとおっしゃるだろうと思うのですけれども、これはもう少しおくれるとすると、これはどういったところにどういうデメリットが生じてくるのか、そのことを教えていただきたい。
  24. 井内慶次郎

    井内政府委員 本法案に対しまする御質疑のお答えの中でも申し上げておりますように、この法案は具体の形は大学設置審議会における審議という形をとってまいりましたが、大学設置審議会の三年余にわたる検討の結果の昨年の御答申を踏まえまして、この構想を実現していくために必要な法改正を御提案申し上げておるところでございます。大学院の整備充実を総合的に推進していく上におきまして、今回の改正で開こうとする新しい道をぜひこの際開かせていただきたい、こういうことでお願いをいたしている次第であります。  ただいまのお尋ねが、この法案の成立に関連してのお尋ねでございましたが、大学院に対しまする多様ないろいろな要請というものがございます。いろいろのお尋ねに対するお答えで申し上げておるところでございますが、独立大学院の構想あるいは修士課程まで有します大学が相互に協力をし、連合大学院的な構想が実現できないか。さらにこれは一つ考え方でございますが、先ほどの有島先生の御質問にも関連いたそうかと思いますけれども、従前の、たとえば国立大学で申しますと、東大とか京大とか旧帝大を中心として展開されてきておりまする学術研究あるいは特に博士課程の充実という問題に対しまして、他大学あるいは旧帝大以外の分野でやはり高い山並みをつくっていくことができるような大学院というものも創設を可能ならしめたらどうか。これは広い意味でのわが国大学の今後の全体の整備充実にとって非常に大きな意味を持っておると私ども思うのでございまして、こういった構想が真剣に検討され、意義あるものとして具体の形でまとめられていく可能性をぜひこの際開かせていただきたい。関係者の間でこういった方面につきましての検討がいまいろいろと行われておるのでございますが、この検討をインカレッジ、そこで検討をなされておる構想がまとまることを私どもはやはり一日も早く期待をしたい、こういうことで、そのための道をぜひこの際開かせていただきたい、これが私どもの気持ちでございます。  大学院大学学部相互間の協力提携を深めながら、独自の立場で充実発展することがわが国教育発展の上できわめて大きな意義を有するものである、かように私ども考えておるところでございます。従前、ややもしますと個々の大学が自給自足的な形で研究教育を余りにも行い過ぎておったのではないか。その意味で、既設の大学院相互間の交流も促進をしたい。また、つくられていく今後の新しい大学院の中に、大学相互間の協力によってつくり得る大学院の道も開きたい、こういうことで、この法案につきましては十分な御審議の上、その成立をぜひお願いをいたしたい、こういうことでございます。
  25. 有島重武

    有島委員 もしこの法案が通らないと、いま大学改革における構想がいろいろ出ているけれども、その道が閉ざされてしまうということになるのでしょうか。それからもう一つは、大学院がいま学部の上にあって自給自足的な状態にある。だけれども、その一方、現実には自分の出身校とは違う学校大学院に行っている例はいまたくさんあるわけでございまして、その交流の道を閉ざされてしまうというようなお話でございましょうか。どうもちょっとぼくはうまくわからないのだけれども、いま二つおっしゃいましたですね。
  26. 井内慶次郎

    井内政府委員 今後の大学院の総合的な整備を推進していく上におきまして、今回御提案申し上げておりますような道をぜひ開いていただきたい、こういうことでございます。それで、先ほど自給自足的という表現を用いましたが、全般的な現在のわが国大学院状況を、この問題に関連しましてちょっと御説明させていただきたいと思います。  学部を出て大学院に進学し、あるいは修士課程から博士課程に進学するときには入学者の選抜を厳に行いまして、できるだけ広い範囲から適格者を修士課程に入れたり博士課程に入学させるというのがたてまえでございますが、実際の現実の姿がどういうふうになっておるかということをちょっと御報告申し上げますと、四十九年三月に博士課程を終了したその年齢層の人たちが、博士課程の五年——学部が四年ですから、四十四年三月の学部卒が進行しまして四十九年三月に博士課程を終了した層になるわけですが、そこからどういうふうな進行をとったかを見てみますと、四十四年三月に学部を卒業した人たちで、修士課程への入学を志願いたしました人たちが約二万五千名ぐらいおったわけですが、そのうち、当該大学出身者が修士課程への入学を志願いたしましたのが五七・六%、それから他大学出身の人が志願いたしましたのが四一%、そういう志願の状況でございまして、それでは、その人たちが現に修士課程に入学したのはどういうパーセンテージになっておるかと申しますと、当該大学出身者が七八・一%、他大学出身者が二〇・四%。で、その修士課程に四十四年四月に入った人たちが、今度は修士課程を終了いたしまして博士課程に入学を志願したのがどのくらいかということを、一応ストレートに二年間という想定をして数字を取ってみますと、四十六年四月の博士課程の入学志願者は、当該大学出身が八八・五%、それから他大学出身が一〇・五%。これが博士課程の入学者と申しましょうか、二年の課程と三年の課程と分ければ後期の課程でございますが、八八・五%と一〇・五%。それで今度は、四十六年四月に博士課程に入学を許可されて現に入学した者のパーセンテージで見ますと、当該大学出身者が九三・三%で、他大学出身者が五・七%。その他というものがあるものですから若干端数が出てずれておりますが、全体傾向といたしましては、ただいま申しましたように修士課程の段階においては、入学志願者というのは当該大学学部卒と他大学卒が大体五、五あるいは六、四ぐらいの比率で、実際に入学をするのが八、二ぐらいの比率になっておる。これが博士課程にまいりますと、最終博士課程に入学しておる者は、国、公、私立大学全体を通じてみますと、当該大学出身者が九三・三%ということが現実の姿でございます。  それで、大学関係の問題というのは制度のたてまえと現実の姿がいろいろなところで、ずれと言ったら恐縮ですけれども、現実現実で走っているところが正直多いわけでございます。ですからこの辺は制度のたてまえだけを幾ら強調してもなかなか、そう動かないところがあるわけでございまして、その意味で、私どもとしましては昨年六月に制定いたしました大学院の設置基準においても、大学院段階でも単位互換制度考えていく。そして学生を他の大学院へやって勉強させたり、そういうふうなことも考えようということで、そういうことを可能ならしめるような基準の制定もいたしたわけです。  それで、これからのいろいろな問題を考えてまいります際に、全般傾向としまして現実の姿は、日本大学の場合に個々の大学が何となく学部も修士課程も博士課程も、特に学部学科の専攻の上にずっと修士課程の専攻が立ち、博士課程の専攻が立つというのが基本形でいままでまいっておりますので、この現実というものについてもう少し広がりのあるものも可能ならしめたい。また、こういった傾向に対して、幾つかの大学方々が相互に協力、連合することによって連合大学院的なものをもしつくるという道が開かれるならば、たとえばいま申し上げました当該大学出身者の占めるパーセンテージ云々というような問題も、この面においては非常に流動性の出てくる可能性が正直あるわけでございまして、こういった問題も私どもの今回の御提案の中の一つの要素になっておる。またこの点は、大学設置審議会の御審議の際におきましても、教官なり学生なり相互にもう少し大学院レベルで流動性を持って大学院が組織され、運営されていくような工夫、改善をすべきではないかという議論も非常にあった点でございます。さような意味で、ややもすると今日のわが国大学院は、何となく自給自足的な現実が余りにも多過ぎないであろうかという表現をいたした次第でございます。
  27. 有島重武

    有島委員 いまの御説明は第二番目の理由の詳しい御説明のように承りましたけれども、これは制度現実と違う。だから、自分大学の卒業生の方を大学院に優先する、これはあたりまえといえばあたりまえのようでございますけれども、その中でも他大学方々を二〇%、五人に一人とっている。これは国立大学何校というふうなことでございますか。私立は含んでないお話であると思うのです。この基礎数字が何であるか、いま余り時間がないから後でもう少し詳しく承りたいと思います。  これはいま井内大学局長がおっしゃったように制度だけ広げたってこの傾向は直るか、これはちょっとまた別の話じゃないのでしょうか。大学先生に伺ってみますとお金のせいだ、そういうことがあるわけですね。そっちの方が大きいのじゃないですかね。いまの制度のままでも財政的な措置があればもっと枠も広げたいし充実もしていきたいということを大学当局では望んでいるようであります。  それからこれは学部といいますか、工学系統の場合と医学系統の場合でもずいぶん違うのですね。文科系の場合も違う。いま出された数字は非常に興味がございますから、いま出された基礎数字を御提出いただきたいのです。それの議論をいまやっていると長くなりますから後にいたしましょう。  それで、この法律が通らないと、どういうデメリットが直ちに起こってくるのか、このことがいまのお答えではまだ全然納得できないわけです。だからもう少しゆっくり検討してもよろしいのではなかろうかという印象を私はまだぬぐい切れないですね。大臣いかがでございますか、これがまかり通らないということになるとどういうことになるのか、大変なことになるのだということがあれば、私はそうかと思ってびっくりして考えを改めなければならないと思うのですけれども。
  28. 永井道雄

    永井国務大臣 現行の制度の中でも、予算をふやしたりあるいはそれぞれの大学で御努力になるということによりまして大学院がより充実していくということはあると思います。たとえば東京工業大学におきまして理工学研究科というような姿のものが事実生まれておりますから、それは先生の御趣旨に基づいた議論というものが十分成立し得る一つの証拠ではあろうと思います。  そこで、それでは東京工業大学理工学研究科がどうしてできたか、こう考えてみますと、実は東京工業大学は戦後単科大学として発足いたしました。これは理学部工学部というふうに分けませんで、やはり理工を通してやっていかないとよくないのではないかという考え方から発足したわけでございます。ところが、いまから六、七年前と思いますが、大学が非常に大きくなりましたところでやはり理学部工学部と分けてしまおうという形になりまして、せっかくの理工学の双方からの学際的なやり方というものを放棄せざるを得ない状況になりました。そこで今度は理学部工学部の中が大きくなりまして、またそれぞれの専門ができたわけです。そこで今度はせめて大学院のレベルで戦後理工の学際的なやり方をしていたのをぜひ復活しようではないかという、実は東京工大の場合には、戦後に和田小六先生という方が中心になられましてそういう新しいやり方をしようという下敷きがございましたために、それは非常に重要な原因と思いますが、理工総合研究科ができたわけでございます。  そこで、そのことを考えますと、これは公平に申して私はそうだと思うのですが、既存の大学の中で学際的に大学院の構造をつくり上げていくということは不可能とは申しませんけれども非常にむずかしいというのが実情だと思います。学者方々の御意見は、これは審議会などで御検討願い、またいまは大学院問題懇談会で御検討願っておりますが、それではやっぱりまずい、そこで何とかして学際的な方向というものをつくり上げていかなければいけないが、さてそうなりますと、従来方式の学部の上に乗っている大学院というのではとてもそれができないから、そこで日本学問の進展の上からいって望ましくない、こういう御意見があるわけです。私はそれはかなり実情に即したものと考えざるを得ません。  次に、わが国大学が戦後たくさんでさました。そのそれぞれのところで学部の上の大学院を充実していけるかということになりますと、これは御承知のように大学院という形のものはできてきておりますし、数も相当多いのでございますが、どの程度に充実しているかというと、かなりその点は問題でございまして、実は国立と私学の格差というようなことを申します場合に、格差が非常に明瞭になってきつつありますのは学部の方よりもむしろ私は大学院の方だと思います。さらにまた国立大学の場合におきましても、学部の方よりも大学院の方で格差が明瞭になってきていると思います。  そこで、具体的にそういう格差というものはやはりだんだんなくして、一日も早くなくして、そして新しい地方国立大学に入って卒業しました場合にも、修士課程まではできているが博士課程ができていない、ある場合には修士課程さえないということがございますが、そういう大学の卒業の方も、ほかの大学と協力をしながらでき上がっていく大学院というものがございますれば、決していわゆる地方駅弁大学というふうな形に最後まで甘んじなければならないということはないわけです。  さてその場合に、それでは既存の東大とかあるいは京大、九大というところに集中して大学院を強化してしまえばどういうことになるかというと、そこに集まるということでございますれば、実は既存の大学をさらに高い峰に築き上げることになります。いま出ております議論、一例を申しますと、たとえば宮崎を中心にいたしまして農業関係の連合大学をつくろう、あるいは四国にも類似の議論がございますが、こういう考え方というのは、既存の旧帝大の大学院中心にしてそして新設の地方大学の卒業生をそれに吸収するという形で既存の旧帝大を強化するというのではない、それはこれからの方向に反するから、そうではなくて、新設の大学あるいは既存の大学を出た人たちいずれにつきましても、連合大学院というものに進んでいきますと、学部時代のいわゆる格差というものはうんと小さくなりまして、そして大学院のレベルでは全く対等の姿で勉強ができますし、またそこはいままでとは違う独立大学院でございますから、そこを卒業した人は、またそこで博士になり修士になった人は、社会に出た場合に、いままでのいわゆる学閥と申しましょうか、あるいは学校社会的勢力、明治以来非常に強くなったものでございますが、それとは違ういわば新興勢力、と言うと変でございますが、そういう姿で社会に活動していただくことができるようになるのではないだろうか。でございますから、今回の法改正、法案の提出というのは、私たち考えておりますのは、以上申し上げましたように具体的問題というものがあるわけでございます。  そこでその具体的問題の解決を図らなければいけない。それを図ります場合に、従来の法だけでは解くことができない問題が含まれているという判断に基づきまして、この法案を御提案申し上げて御検討願っているわけでございまして、どうも制度いじりをやりましょうというのではないのでございます。
  29. 有島重武

    有島委員 東工大の例、これはたびたびこの委員会でも承っておりますけれども、東工大の理工学の何といいますか、合流した形の研究所、ここでの先生方がやはり嘆いていらっしゃることがあるわけてすね。必ずしもこれは——確かに学際領域のためにそういうことをやっていくその試みはいいのだけれども、そこにすでにいろいろな矛盾といいますか困った点も起こっているのじゃないのですか。そういうことを御承知でいれば、実はどういった点が困っているのだということもあると思うのです。これはこの法改正がなければ困るというのではなくて、逆に法改正をしようとも、現場としてやや困っておるということが幾つかあるのじゃないかと思いますけれども、お聞きになっていらっしゃいますか。
  30. 井内慶次郎

    井内政府委員 東京工業大学の総合理工学研究科、ことしから発足をいたしまして、嶋崎先生のお尋ねにもお答えしたところでございますが、その立て方は、総合理工学研究科大学院の専用の講座と、これに協力をしてまいりまする学部あるいは研究所の講座と両方からなっております。  私ども東工大の長津田地区にいま総合理工学研究科の施設設備の整備も取り進めておるところでございますが、従前なかった形でございますので、いろいろ具体の問題におきましては解決していかなければならない問題が出ていようかと存じますけれども、関係先生方の間に、この構想なりあるいはここでいまこれから成長させていこうとする総合理工学研究科それ自体につきまして特別問題があるというふうに私どもは承っておりません。ただ、その基幹講座と協力講座との相関を実際にどういうふうにしてまいるかとか、そういったことで、新しい経験でございますので、この総合理工学研究科が発足をして、今後成長してまいります過程におきましてはいろいろ具体に解決をしていかなければならない問題がいろいろあることは確かかと思います。個々具体の問題としていま御相談を受けたりしておる点は私どものところいまございませんので、私ども、あるいは状況把握等不十分なところがあれば一層努めたいと思います。
  31. 有島重武

    有島委員 後時間が余りないので、これは委員長にお願いして、もしここまでまとまりがつきませんでしたら、後また次のチャンスを与えていただければありがたいと思いますけれども……。  いまの問題で、これは基本的なことが含まれるのじゃないかと思うのですけれども、俗に言うと手足がないというようなことができてくるわけですね。それで、これは名前は挙げられませんけれども、ある先生がそうおっしゃっている。それからこれはほかの慶応や早稲田の工学部の先生の話、理学部先生の話なんか伺って——私は実際に大学院に行った経験がないからはっきりしたことは言えないわけですけれども、大体大学院でもって一つのテーマを決める、それに対してはやはり社会的にもかなり納得のいく、あるいは社会的というよりも学界の中で特徴のある一つの業績をつくらなければならないわけですね。そうすると、そのテーマの選び方、その角度を決めるのにいろいろと御研究なさるわけでございますけれども、そういう過程の中にあって、従来は大学の三年、四年の学生諸君と接触するということがあるわけですね。それでやはり卒論なんかを一緒に指導してみたりなんかもする、あるいは先輩と後輩と一緒に仕事をしていく中でいろいろなヒントが得られてくるし、それから構想もまとまってくるというふうなものだ。これは私もそうであろうと思うのです。大学院大学的なものであるとすれば、そこにいらっしゃる専任の教授という方々ないしはその院生になっていらっしゃる方々も、何か後輩との接触ということの道をやはり自分たちで開かなければならないのじゃないかと思いますね。さっき理研の話が出ました。理研の先生方も、大部分の方々がやはりほかの大学の講師なんかをなさりながら——余り多くては困るのだけれども、やはり全然ないと困るという状態でいらしたのじゃないかと思います。せんだってやはりこの委員会での議論の中に、学者方々と、とかく研究者であるという方を望まれるのであって教育者というのは少々うっとうしい、なければ講義なんかない方がいいというふうなことが話されておったのじゃないかと思いますけれども、それは極論でありまして、どんな学究的な方々であってもほとんど例外なしに、余り授業をたくさん持たせられちゃうと良心的に世話を見切れないから困っているのであって、後輩の指導ということを抜かすと、やはり孤立してしまった中からは生き生きしたものが出てこない、そういうことはあると思うのですね。そういった配慮が抜けてしまうと、せっかく大学院大学をつくったけれども、実際にはなかなか、アイデア的にもそれから実験的にも、本ばかり集めているというような場所であっても、それは非常にむずかしいのじゃなかろうか。それで、大学を充実してその上に大学院が乗っかっている。それは一つは窮屈であるという面もありますけれども、またそういうふうな窮屈な状態でなければならない一面というものを、やはり相当現場からもよくその状態をお聞きにならなければならないのじゃないだろうかと思うわけです。これはいままでですと、大学学部に縛りつけられているその窮屈さを解放してもらいたいという意見はずいぶん出ていたわけですね。これは私もいろんなところでもって従来とも承っておりました。それで東京大学工学部なんかでもそういったことは言っていらっしゃったようでございますけれども、いざそれじゃこれが大学院大学というようなことになってしまう、それはそれでいいのかというと、やはりそれでは困るということが、まだいろいろあるわけですよ。高等学校の開放なんという言葉はおかしいかもしれないけれども、大学学部から切り離してしまった方がいいのではないかということでいままで推し進めてこられた先生方は、いまさら実はなんてということはちょっと言いにくいこともあるから黙っていらっしゃる面もあるんではないかと思うのですけれども、そこら辺もう少し親切に、本当にこれでいいのだろうかというようなことをお聞きにならなければいけないんじゃないかと思うわけであります。それで、いま大臣が葬式にいらっしゃるそうなんで、一応私これで打ち切りますけれども、この大学院の問題、これはもう少しせっかちでなしに練り上げられるべきではないかという、いままでの質問の範囲ではそんなふうな私の結論であることを申し上げて、一応いまの質疑はこれでもって打ち切らせていただきます。  どうもありがとうございました。
  32. 久保田円次

    ○久保田委員長 午後二時に再開することとし、この際休憩いたします。     午後零時二十二分休憩      ————◇—————     午後二時十分開議
  33. 久保田円次

    ○久保田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。山原健二郎君。
  34. 山原健二郎

    ○山原委員 一昨日の質問に引き続いて、学校教育法の一部改正についての質問をいたしますが、最初に、この間の質問で、教員養成大学の問題について、私が、この法律とは関係ないということで、ではどこが新構想と名づけられる部分か、こう聞きますと、たしか、一つ教育のやり方ですかね、学部の中身を変えるということと、もう一つは管理運営等についてというお話がありましたね。  それで、もう一つ伺っておきたいのですが、そうしますと、いま教員の免許法に基づく教育の中身があるわけですね。免許法の施行規則にずいぶん細かく書かれているわけですが、これはどうなるのですか。現在の教員養成大学と、今度予想されておる教員養成大学ですね。免許法との関係で細かく施行規則が決められているわけですが、それがどうなるのかということですね。それを最初にちょっと伺っておきたいです。
  35. 井内慶次郎

    井内政府委員 仮称教員大学院大学につきましては、昨年の三月に調査会から報告を受けまして、これをどのようにこなしてくるかということで、ただいまいろいろと検討をいたしておるところですが、教員の免許に必要な免許の基準の問題につきましては、ただいま検討しておる時点では、免許の基準そのものには手をつけなくてもいいのではなかろうか。この辺もなお目下検討中のことでございますから、ただいま検討しておりますところでは、現在の教員免許の基準の範囲内においていろいろな創意工夫をすればどういうことまでできるか、こういう点を検討いたしております。
  36. 山原健二郎

    ○山原委員 そうすると、免許法施行規則の方は変えなくてもいいんじゃないかというようなお考えですね。  それじゃ次に移ります。これも大学院目的について御質問しましたが、もうちょっと詳しくお聞きしたいのです。と申しますのは、先日もこの点で少し申し上げたわけですけれども、ちょうどあのとき、私は三つの点から申し上げたわけですね。学校教育法の六十五条の大学院目的というのが一つと、それから基準協会のものと、それからもう一つは、昨年決めた内容ですね。特に修士の場合ですね。もう一回申し上げますと、六十五条は申し上げませんが、法律はそこで存在をしておる。そして大学基準協会の方の修士については、「修士の学位を与える課程は学部における一般的並びに専門的教養の基礎の上に、広い視野に立って、精深な学識を修め、専門分野における理論と応用の研究能力を養うことを目的とする。」こうなっているわけですね。ところが大学設置基準の第三条は修士課程の目的をどういっているかといいますと、これは繰り返しになりますけれども「修士課程は広い視野に立って精深な学識を修め、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度な能力を養うことを目的とする。」こうふうになっているわけです。ここのところがやはり私はどうしてもひっかかるわけです。これは大学基準協会のものとも違いますしね。そして「研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養う」と定めますと、「又は」という言葉が入ってくるわけですね。そうしますと、研究能力の養成というこの一本の筋と、または職業に必要な能力を養成するというこの二つが出てくるわけですね。こうなりますと、このことは、ある修士課程の大学院の場合にはいわゆる職業人の養成を目的とする、また、ある大学院の修士課程は研究者の養成を目的とする、こういうふうに分かれてくるわけですね、並列して書かれていますから。そういう大学院の違いというものが出てくる。この「又は」というのはこういうふうに考えるべきだと思うのです。これはどういうふうに解釈されていますか。
  37. 井内慶次郎

    井内政府委員 前回お答えで触れなかったので恐縮でございましたが、昭和二十四年に大学基準協会が大学院基準というものをつくっておりました。で、昭和二十四年に大学院基準大学基準協会が一応決定をいたしました際に、その大学院基準の解説というものを大学基準協会でやはり取り決めておるわけでございます。この大学院基準をもととしながら、過般まで大学の設置認可の基本があったわけですが、前回もお答え申しましたように、昨年三月に大学設置審議会から御答申があり、これを受けまして、今回の大学院設置基準を定めさせていただいた。で、昭和二十四年の大学基準協会の大学院基準を定めましたときの解説によりますと、ただいま御指摘になりました点でございますけれども、修士課程の段階の理論と応用の研究という点につきまして、次のような解説をいたしております。すなわち「「理論と応用の研究能力を養う」とあるのは、この課程においては単に研究者・教授者たるべき能力の養成を目的とするばかりでなく、実社会において指導的役割を果たすために要する能力の養成をも目的としているのである。このような目的をもつ修士課程においては、主として理論の面を対象とする教育、理論の面と応用の面を合せて対象とする教育、主として応用の面を対象とする教育等を行いうることになる。」このような解説を昭和二十四年に大学基準協会も一応出しております。  今回、この点につきましては、いろいろな研究教育の要請でございますとか、社会的な要請でございますとか、そういう多様な要請にこたえてまいりますために、修士課程というものの目的をどのように定めるのが適当であろうかということで、大学設置審議会におきましても、大学基準協会の定めてこられました大学院基準等ももととしながらいろいろ御検討の結果、前回お答えしましたような答申を私どもいただきまして、それを省令化させていただいた。大学設置審議会の答申におきましても、「修士課程は広い視野に立って精深な学識を修め、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度な能力を養うことを目的とする。」この場合の「又は」は通常の「又は」でありまして、アンド、オアの意味でございます。ですから、学校教育法に定めておりまする大学院目的というものの理論と応用というところのとり方と申しましょうか、これを私どもは受けまして大学院設置基準を制定させていただいたわけでございます。
  38. 山原健二郎

    ○山原委員 学校教育法大学院には、理論及び応用というものはもちろんありますね。それから先ほど言われました大学院基準協会の二十四年のこれに規対する理論と応用の解釈ももちろんあると思います。だから私はこう言うわけです。修士課程を済んだ方がさらに博士課程へ進んで研究者になるということももちろんあります。それからそこで職業につかれる方もあるというのはこれは当然のことなんです。ですけれども、それは大学院の性格としてその中におのずから生まれてくるものであるわけですね。実態もそうだろうと思います。けれども、それを目的としてこれは別個のものをつくるという、たとえばある大学院は職業の人をつくる大学院だ、ある大学院はこれは研究者を養成する大学院である、こういうふうにおのずからそういうことが出てくるということじゃなくて、目的を持って大学院が設立されるということになってくると、大変な違いなんですね。そのことを言っているわけです。いまのこの「又は」というのは、単に理論及び応用を教授研究しというそのものからさらに一歩踏み出して、理論及び応用というものが併存しながら、そこで修士課程で終わってそして職業につく人もおる、また博士課程に行って研究者となる人もおる、そういうことは当然考えられますけれども、それを今度はそれが目的となって、そして研究者をつくる大学院、それから職業人をつくる大学院、こういうものがこの言い分からするならば生まれるわけです。  さらに、大学設置審議会の答申によりますとこういうふうに書いていますね。この前いただきました青い表紙のあれのたしか三ページから四ページにかけまして「各大学院の方針により、高度の専門職業教育社会人に対する高度の教育等に重点を置く修士課程も設置できるようにする」こうなってきますと、結局二通りの大学院ができるということなんですね。おわかりでしょうか。研究者を養成する大学院、職業人を養成する大学院、これはいままでの目的とは理論と応用という面で解釈をされますけれども、その中に併存してそういうことは自然に行われてきたわけですね。それを目的で、初めからこれは研究者を養成する大学院、これは職業人を養成する大学院、こうなるわけですよ。そうじゃないのですか。
  39. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまのお尋ねのいわゆる研究者あるいは大学の教授等の養成を図っていくというところにウエートを置くものと、高度の専門性を有する者を養成していこうという方にウエートを置くところと、その点は改正前の目的に比較いたしますと、いま御指摘のようにそこのところを今回明らかにしておると思いますが、修士課程そのものとしては広い視野に立って精深な学識を修めるということが共通のやはり基本のことでございますので、その広い視野に立って精深な学識を修めていくということが共通のことであって、その際に大学の教授なり研究者としての研究能力の方にウエートを置いていくのと、実社会に出ていろんな職業分野において精深な学識を修めることによって高度の能力が発揮できる方向にウエートを置くものと、この点を修士課程の目的としてはやはり明らかにした方がよろしいだろう、こういう御意見に基づいて今回の大学院の設置基準の制定を行われたもの、かように考えます。
  40. 山原健二郎

    ○山原委員 そうするとウエート論ですね。たとえばある大学はその大学院の方針に基づいて研究者を養成することを主たる目的とする。同時にその大学院の中には職業人を養成するものも入っておる。ある大学においては職業人を養成することを主眼とする。そしてその中に一定の部分研究者を養成するものが混在しておる、こういうかっこうですか。
  41. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまどちらの方にウエートを置いているかということをお答えいたしましたが、「高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力」というその「能力」の中には、やはり広い視野に立った精深な学識を修めることによって得られる研究的な力というものを排除しておるわけではないと存ずるのでございます。ですから専攻分野におきまして、要するに研究能力の方にウエートを置くものと、それから、もちろん研究が背景になりますけれども、職業等に必要な高度の能力を養うものと、このように御理解いただければと存じます。
  42. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、今後設立を皆さんが予想しておる大学院の方針によってそういうふうになる。しかしその中には、多少重点の置き方は違っても、いわゆる両方が併存しているということですね。ところがこの大学設置審議会の先ほど言いました答申の中には、「各大学院の方針により、高度の専門職業教育社会人に対する高度の教育等に重点を置く修士課程も設置できるようにする」という答申ですね。この答申によりますと明らかに職業に重点を置く修士課程の大学院ができる。その重点を置くというところが問題なので、それはそっちへ重点を置く、また別に研究者に重点を置く、こういういずれにしてもその二つの目的、この目的を持ったものができるんじゃなくして、研究者あるいは職業人を養成するものは常に併存しておる、こういうふうに理解していいわけですか、この一連の答申並びにこの問題は。
  43. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまのお尋ねの点につきましては、私どももいろいろなパターンのものが現実にあるのじゃないか。たとえば専攻分野によりまして、文学関係のたとえば大学院なり理学関係大学院といったものと、工学関係大学院というようなもの、専攻分野によりましてもただいま先生御指摘のいわゆる研究能力の方にウエートをかけたものと、それから高度の職業の専門性の方にウエートをかけたものと出てくるのではないかと思うのでございまして、専攻分野によってもそこの色合いは非常に違うことになってくるのではないだろうか、かように考えております。
  44. 山原健二郎

    ○山原委員 まだちょっとわかりにくいのですけれども、重点という言い方が正しいかどうかわかりませんが、ともかく修士課程というものを学生の将来の進路を中心にして分けていく、こういう初めから大学院の性格を別個のものをつくるということではないわけですね。別個の目的を持ったものをつくるというわけではないというお答えなんでしょうかね。またそういうやり方を押しつけるものではない、こういうお考えですか。どっちですか。
  45. 井内慶次郎

    井内政府委員 文部省の方でこれからいろいろな大学院の拡充整備の仕事をしますときに、文部省の方であるパターンを想定して押しつける性格のものでは一切ございません。先ほどもお答えしましたように、専攻分野によりましては、いわゆるピュアーサイエンスと言われる分野と、わりあい応用的な側面の強い学問分野もあるわけでございまして、そういった点は専攻分野により、かつそれぞれの大学院のお考えによりいろいろな色合いがあるだろう。しかも、それが大学院として共通な研究教育水準を確保し得るかどうかという点がやはり非常に大きな問題でございまして、この辺等につきましては大学設置審議会における審査を経てでなければ大学院は置かないわけでございますので、私どもの方であらかじめあるパターンをつくって、それを行政的に先行して押しつけるということでないことだけはひとつ明確にお答えいたしておきたいと思います。
  46. 山原健二郎

    ○山原委員 行政的に押しつけるものではないけれども、そこから先はわからぬと言われるのですが、職業人養成の大学院研究者養成の大学院、こういう目的を異にした大学院ができる可能性があるんですか。
  47. 井内慶次郎

    井内政府委員 今回の大学院設置基準博士課程目的として掲げておるものと修士課程の目的として掲げておるものとを比較考量いたしますと、ただいま先生御指摘の点が、博士課程目的ではまさに一つのものになっておりますが、修士課程のところでは、高度の専門職業人の能力を養成していく、今回、目的としてそちらに重点を置くものもあり得るということを明らかにしたわけでございますので、その辺は先ほども申しましたように、色合いはいろいろな専攻分野等によっても異なると思いますが、博士課程との比較において言うならば、そういったものが構想される場合には、これは許容されるということになろうかと存じます。
  48. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、修士課程の大学院の場合には、職業人の養成と研究者の養成に分離できるわけですね。いまの話ですと、それを許容するというわけですから、これはできるのですね。
  49. 井内慶次郎

    井内政府委員 その点でございますが、先ほど来お答えしておりますように、大学院修士課程レベルで考えました際には、どちらに目的として重点をかけておるかという色合いの問題ではないだろうか。要するに、研究面の能力と高度の専門性を有する職業に必要な高度の能力というもの、しかもそれを貫いておりますのは、広い視野に立って精深な学識を修めていくんだということでございますので、そこのところはやはり重点がどちらにかかっておるかという色合いの問題として御理解いただければ幸いでございます。
  50. 山原健二郎

    ○山原委員 この色合いが問題なんですよね。ここでお互いに考えておかなければならぬわけですが、その場合には、六十五条の「大学院目的」のところへ返って、一体大学院とは何か、それは「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」というこのこと、そして昨年六月二十日の大学院設置基準の変更です。この大学院設置基準の変更で修士課程の目的というのが、「研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力」、そこから色合いというかっこうになってまいりますと、全く目的を異にしたものが二つできるということではないにしても、その色合いによってはもうほとんど職業人養成の大学院ができるという可能性だって存在してくるわけですね。  この色合いという問題は大変ややこしい問題ですけれども、そこまでくるとやはりいままでの学校教育法六十五条の精神からの逸脱があるんじゃないか。なぜそういうことを言うかといいますと、いままで、たとえば職業学校と普通高校の問題があったわけで、次元は違いますが、しかし、その問題でいま教育上の問題がもう次から次へ派生していますね。それがまたここで、失敗と言い切るのはどうかと思いますけれども、そこで起こっておる問題をどう解決しているかというもう一つ深いところでの検討なしに、その上に今度は大学院まで、研究者を養成する大学院、職業人を養成する大学院ということで、日本学校教育制度の中でもう一段と矛盾を深めていくという結果になりはしないか、こういう気がするわけです。  そこまで来ると、その心配に対しては、大学関係者を含めて相当緻密な論議をしておかないと、矛盾の上に矛盾が拡大されてくる。たとえば後で申し上げる技術科学大学院の場合でも、初めは人は飛びつくかもしれません。袋小路が少し破れた、青空が見えましたということで学生たちは飛びつくかもしれません。ところが、何年かたつうちにこの矛盾がまた存在してくる。矛盾というよりも大学院そのものの格差がここで初めから位置づけられてきたということになってくると、いま私たちがここでお互いに論議をして、ここで決定をする、この責任は私たちは逃れるわけにはいかぬのですから、その点ではここで十分討議をしておく必要があるのではないかと思うわけです。だから、私はその点で後で高専の例を申し上げてみたいと思うのですが、その辺の心配をなくすということが必要じゃないか。  大臣がいらっしゃいましたからもう一回申し上げますけれども、いま、大学院考えましたときに、それはもちろん研究をしながら職業についていく人もおりますね。それから博士課程までいって研究者になる人もおる。それは当然あることであります。現実にそれは存在しているわけです。この事実を私たち否定するわけでも何でもありませんが、だからといってほぼ目的の違う二つの大学院ができる可能性があるということになってくると、かなり慎重な態度をとらなければいかぬのではないかということを申し上げているわけです。大臣、またお出かけになるそうですが、そのことを心配していま私は申し上げているわけです。その点、大臣のお考えはいかがでしょうか。特に大臣は、先ほどの答弁でも格差をなくすということをしばしば言っておられるわけでございますから、それが大臣の言っておることと違った結果になってしまえば、ここでせっかく決めても余りにも拙速過ぎるというそしりを免れないと思うのです。
  51. 永井道雄

    永井国務大臣 山原先生の御提起になっています問題は非常に重要なことだと思います。そこで、ちょっと私の答弁、時間がかかるかもしれませんが、考えていることを申し上げます。  まず、高校の課程における普通科と職業科から生じてきている大きな問題があると思います。それは二つぐらいの要因があるのではないかと思います。  一つは、社会に出てからの待遇という面で事実上格差がある。普通科の人の上級学校学者である。職業科の人はすぐ社会に出てくる。そういう意味で明らかに格差がある。それから、職業科の内容がともすれば非常に狭い意味の職業人養成に傾いてしまって、産業構造もだんだん変わっていくという中で、産業界あるいは社会全般のことを見ながら仕事をしていく、そういう職業人の養成にも適さない面がある。この二つの点が一番重要な問題点であって、これを是正していかなければならないと思います。  そこで、大学院にそれと同じような問題が生まれてくるのではないか、とりわけ修士課程にそういうことが起こるのではないかということでございますが、この問題を考えます前に、もう一回学部段階に戻って考える必要があると思うのでございます。と言いますのは、大体大学考えるときに、伝統的には文学部と理学部というところですね。そこは研究中心になったものです。その文学部と理学部というものを中心にした大学のイメージというものは、やはりかなり定着してある。  ところが、現在の法律規定規定として、実態はどうなっているかというふうに考えますと、現在大きくなっている大学の中には少なくとも三つないし四つの専門家養成学部があると思います。一つは医学部がそうでございます。それから工学部、それから教員養成学部、それから法学部、これはサラリーマン養成もやっていますが、大体においては弁護士とか司法官。実は大学のレベルにおいても、いままで学校教育法規定がありますが、実態を見ますと、文学部、理学部のように非常に研究的な方に傾斜しておりますのと、いま申し上げました四学部のような形の専門家養成学部的なものがあるわけです。ところが、この実態をよく考え大学のことを考えていきませんと、高校で起こるのと同じような、つまり非常に狭い専門家養成というものに傾斜してしまうおそれがあるし、また事実そういう問題が起こっていると私は思います。  そこで、大学の場合、それをどうやって是正するかということで、一般教養というのを設けることに法制上も決まっていて、そこで専門家養成学部というものも狭い意味の専門人にならないように一種の歯どめがかかっているわけです。これはみんな議論していることですけれども、それじゃ一般教養がうまくいっているかというと、なかなかうまくいってないので、この解決策が見つからないというところに一つのいまの大学の問題があると思います。  そこで、今度は大学院の修士課程のことですが、修士課程の場合、専門家養成的なものが一方にあり、片方に研究的なものがあるというのは、実態論から言いますと、実は決して新しいことではなくて、現在の学部段階にすでに存在していることがそこにあらわれてきているんだと思うのでございます。  そこで、問題は、そういうふうな形の区分というものを全部なくす姿で大学院なり大学なり、そういうものを構成できるかということになると思うのです。これは私はイデオロギーを越えた問題と思っておりますが、アメリカだとかイギリスなどの場合にはそういう専門家養成学部をプロフェッショナルスクールというふうなことを言って、他の学部から区別しております。ソ連邦の場合も私は専門家養成というものに相当力を入れているというふうに理解をしております。現在の社会は高度工業社会でございますから、そこで学部段階でもそれから大学院段階でもやはり専門家の養成というものはやらざるを得ない。やらざるを得ないというか、またもっと積極的な言い方をすると、質のいい専門家というのは養成しなければいけないのだと私は思います。そういう意味で、大学院の修士課程のところに突然この問題が出てきたというのではなくて、現在の大学でもそうでございますが、大学院でもそうである、そういう要請がいわば文言の上でかなりはっきり出てきたということだと思います。  ですから、それじゃ積極的につくるべきだというくらいはつきり申した方が私は実態に沿っていると思うのですけれども、問題はその次だと思うのです。つまり先生が言われたそういうことにすると、いま高校で起こっているような問題が起こらないかということですね。それは先ほど申し上げた、高校段階のところでは非常に狭い専門的になってしまって教養的なものが欠けてくるようになるし、それから将来ともに自分考えながら伸びていくような人間がつくりにくいような姿で一つの問題が提起されてきた、そういうことはあると思います。ですから、私はこれは、これから大学院をつくっていきます場合に基準などの問題それから審査の場合に非常に考えていかなければいけないことだと思いますし、それから大学も、私の理解しているところでは、学部ではずいぶんこの種の問題をどうしたらいいかということで御苦労になっているところもありますから、私たちはこの問題に相当注目をいたしまして、そうして狭い意味の専門家養成、非常にいやな言葉ですが専門ばかというような言葉がありますけれども、そういうふうな人たち学部でつくられ大学院でつくられるのを避けるようにしなければいけない、ただし専門家はつくらなくてはならない、そういう問題だと思っております。  もう一つの、格差の方ですが、これは私は、高校段階においても社会に出ていかれる人、それを大学卒業生との間の格差、これをやはりなくしていく方向にしていくのには、二つぐらいの配慮が必要だと思っついるのは、一つは、社会で賃金格差がございますね、学歴の。これをできる限り変えるようにしてもらうことと、それから卒業後のいろいろな形での実力の評価というものを設け、それからまた研修のチャンスというものを設けて、何と言うか人生の勝負が、高校を卒業して進学するか、それとも高校卒だけで出るかという、一回勝負で決まらないように、だんだん——これは労働省とこの間話し合った問題もそこなんですが、この点、決して私はやさしいことだと思って申し上げているわけではなくて、国会の場でございますから、私が問題であると思っていることも申し上げて、先生方にも御検討を願うべきことであると思いますから、ちょっと時間をいただいて申し上げているわけです。  そして、もう一つ、この格差という問題をどうしていくかという場合には、やはり、職業課程卒業の人が大学に進学していくときに、進学しやすいように大学の入試の構造というようなものも考えていく、こういう形で是正していくべきものだと思っております。  以上、私は、ちょっと時間をいただいて申し上げたいと思っておりましたのは、どうしても何かいままでの大学はともかくそう職業家養成をしなかったのだというような感じが一方にあって、どうも今度の大学院のところはするのではないかということが仮にあるとしますと、私はそうではないので、そして今後の社会考えていく場合に、どうしても専門家養成というものを避けて通るわけにはいかない、問題はそれをどういうふうにやるかというふうなところにあると考えましたので、あえて少し時間をいただいて、私がこの問題についてどう考えているか、また行政のどういう点にポイントを置くべきか、思っておりますことを申し上げたわけでございます。
  52. 山原健二郎

    ○山原委員 この法案そのものが目の前に具体的なものがない法案ですから、いろいろお互いに質疑応答をいたしましても、なかなかかみ合わない部分もあると思います。しかしそれはそれなりにまた意義もあると思うわけです。  いまお話しになったように、実態の問題は私もわかります。それは研究者も生まれれば職業人も生まれるというのは当然ですし、それも実態だと思うのです。ただ、そこのところから一歩進んで、これが一的化されてこのものができるとかあるいはそれは色合いによって違いが生ずるとかいうようなことになっている面もあるわけですね。そうしますと、その辺は、確かに大学設置審議会で答申は出されていますけれども、すべての大学関係する大学関係者の意向が、かなり意見が集中されたものであるとは私はまだよう思いません。そういう点での慎重性といいますか、そういうことはもっと大学人の中でも論議をすべき問題ではなかろうか、こういうふうに思います、その点はそれでおきたいと思います。  そこで私は、この法案を見まして、たとえば学部なき大学院、こういう問題から、いまの目的の問題等から考えますと、たとえば私がいま考えられるのは何かと言いますと、連合大学院の問題が出ていますね。これは一定のそういう要請もあるというお話も先ほどございましたし、学術会議の中からも出てきておるという問題もあります。そしてたとえばそういう独立した大学院をつくる場合にしても、大学あるいは学部というものを離れて設置される場合があっても、やはり数個の大学を基礎にしていくのがいいのではないか。そしてその管理運営等についても、それぞれの数個の大学と密接な連絡をとり合いながら行われていくというぐらいなら私もよくわかるのですけれども、これがばっと飛び離れてしまう。言うなれば、学部とか教授会とかいうものに対する一定の認識があるわけですね。私どもいまの学部、教授会というものがすべて大変うまくいっているとは思いませんけれども、これを何とか切り離していこうとする一方の考え方もあるわけですね。その辺の問題とも関連をしてまいりますので、そこらの限界をこの法律審議に当たってどう考えるべきかということになってくると、もし私がここで申し上げるなら、数個の大学を基礎にした連合大学院ならまだ話がわかります。だから、管理運営についても、その意向が綿密な連絡のもとに反映をしていくということにするのが、いまの段階では一致できる部面ではないか、そういう感じがするわけですね。というのは、政府だっていつまでも同じ政府があるわけではありませんし、だからいわば糸の切れたたこが存在をして、それに対しては、その背景となるべき力というものは非常に弱くなってきていますから、いわば国家統制なんというものも考えれば、テーマの設定に当たってもかなり国家の力がこれに入っていく可能性が出てくるということなども、当然大学大学院の場合は考えておかなければならぬのじゃないかというふうにも思うわけです。その程度意見を申し上げて、この問題はおきたいと思います。  もう一つの問題は、技術科学大学院という問題です。先日も申し上げましたように、井内局長の方から出されましたこの法律によって一番手近に構想されるものは技術科学大学院だろうと思うわけです。というのは、質問の中でも、博士課程の独立した大学院、これは学部とは切り離れて存在をする。それからもう一つは、五年間一貫した大学院、それからもう一つは、いままでのように積み重ね方式で修士課程から博士課程に行く大学院、それから修士課程の大学院、それからもう一つは、これとはまた異質の修士課程の大学院、これが技術科学大学院。今度はその下には、高専を卒業した学生が二年間、いまの学校教育法の中では何とも規定できない、たとえば予科的というお言葉もありましたし、それから進学とか言いますね、そういう妙にわからないものの存在する大学院というふうに幾つか出てくるわけです。その中で本当に現実に可能なもの、実際に現在の大学の体系の中でどれができるのだというと、どうも最後に私が言いました技術科学大学院が一番手近な可能性を持っておる、こういうふうに思うわけです。そうすると、その問題について論議をする必要があるわけです。  そこで、まず第一番に、高専というのはいまどうなっているのだろうか。最初できましたときは、私の近所の子供たちも行っているわけですが、非常に優秀な子供が行っているんですね。中学校を卒業して、非常にすぐれた子供たちが行っております。しかし同時にこの子供たち、非常にすぐれておるので、将来性というものは持っておるわけですね。ところが中学を卒業するときに、もうすでに自分の進路というものはほぼ決まるわけですね。ここにも問題があると思うのです。いま高等学学を卒業しても、それではこれから先の進路、大学の何科を受けようかという点では皆迷っているわけですね。それが中学校を卒業したところですでに決定していくわけですから、まかり間違えば、大変すぐれた子供たち可能性というものがここで一定の枠の中に入れられていくという問題も存在するわけです。  そうして、この高専ができましたときには、入学希望者と入学者の率というものは二十倍という状態だったのですね。それがだんだん低下して、文部省の発表でも本年は二倍となったというのですけれども、あの当時の国民の期待、子供たちの期待といいますか、そういうものの熱がぐっとこの十三年間にさめてきた。これは一体何なのかという点ですね。この点はやはりここでお互いに話し合っておく必要があると思うのです。  だから最初に、この入学率がいまどうなっておるかという問題と、それからもう一つは、高専に入りましてから退学などがかなり多いんですね。就職率はいまでも大変いいわけでございますけれども、しかし国民の熱が一方でさめてきておる。それから子供たちは、せっかく高専に入ったので、優秀な頭脳を持った子供たちが入ったけれども、魅力を失うというか、途中でやめていくという問題ですから、その辺ちょっと統計的に伺っておきたいのです。
  53. 井内慶次郎

    井内政府委員 高専制度が三十七年に発足をいたしましたが、まず入学志願者の状況の推移を計数的に見ますと、当初三十七年、三十八年は、ただいまお話しございましたように、三十七年が十一・五倍、三十八年が十・五倍と十倍を超えておりました。三十九年以降七倍、五倍というふうにダウンしてまいりまして、昭和四十六年以降二倍ということになりました。この数年間の経緯を見ますと、昭和四十八年の入学志願者の倍率が二倍で、その後四十九年、五十年と若干ずつ上がってまいりまして、この春が二・三倍となっておるというのが入学志願者の状況でございます。この点につきましては、高等学校に対しまする入学志願者の状況というものを一方でにらんでまいりますと、全国の国公私立の高等学校への入学志願者の倍率は、大体一・六ないし一・八ぐらいでございまして、中卒段階における進学志願の競争率は、大体その辺になってきておるのではないだろうか、かように思います。  それから第二点のお尋ねの、高専からの転退学者状況はどうなっておるかということでございますが、個々具体に当たりまして悉皆の把握というものは若干困難な点もありますので、国立高専で申し上げてみますと、高専発足以来、昭和四十年度入学から今日までの推移をずっと見てまいりますと、大局的に見ますと、大体人学者の八%ないし九%が転退学者という計数になっております。八%ないし九%の転退学者が出ておりますが、これは高専に入学をして五カ年間に、入学時の入学者が大体八%ないし九%転退学をしておる。その要因を見ますと、第一は、高専を退学をして大学受験をするというタイプと、高等学校へ転学するというタイプと、就職をするというタイプと、あとは徴戒または病気等によってやめておる、こういうことでございます。
  54. 山原健二郎

    ○山原委員 いまのような現状にあるわけです。  そこで、高専をもう一問振り返ってみますと、一つは私は六・三・三・四の学校体系というものを、いわゆる六・三・五というものを並行させた複線型としたというところにあると思います。これは御承知のように、六一年、三十八国会で成立をした法律で、一九六二年に発足をして、いま十三年目を迎えているわけですが、現在六十三の高専があるわけですね。  ところで、この設立までのいきさつをちょっと調べてみますと、当時の荒木文部大臣はこういうふうに言っているわけです。「複線型の方がより多く青少年に教育の場を与えることにもなるし、」と国会で答弁をいたしております。さらに「複線型をこの際創設することがより教育目的にかなう」こういうふうにも言っております。これに対しまして、いろいろな意見が国会でも出ているわけですが、その意見を少し申し上げてみますと、一つは「六・三・三という学校全体系がいいかどうかということを、基本的に再検討してみる必要がある」、また「そういうことを全然触れないでおいて、先の方だけを局部的に拙速的にいじくることはちょっと問題ではないか」という意見も出ております。その他の意見を申し上げてみますと、「産業需要を教育計画の基本としている」のではないかという質問も出ています。また「一般教育を軽視したつめ込み主義教育」になりはしないかという意見も出ています。それから「教育の袋小路になりはせぬか」というのも出ているわけですね。それから「その場かぎりか、あるいは短期しか役立たない技能者の養成に終る恐れ」はありはしないか。さらに「全人間的な人間形成においてかけるものがあるのではないか」、こういった疑問があるわけです。今日の高専の現状を見ましたときに、これらの疑問というものが必ずしも不当な疑問ではないということも言えると思いますね。  それから、産業界の、要請の問題について、こういうふうな疑問が出されております。「産業界の要請」に即応するものではないかという指摘が国会でなされておりますが、これに対して当時の荒木文部大臣は、「産業界の要請なんというものは第二義的結果論であって、」こう言っています。しかし、その次の答弁で荒木文部大臣は、「ルンペンを養うために学校を作るべきでないことも当然のことである」と言っております。そして引き続いて、「需要面からのみ言えば、露骨に言って、いささか安きについたように見えはしましても、本来国がなすべき教育目的の重大なポイントである、」と述べております。そして次に、「その」、「その」というのは、産業界のという意味ですが、「その要請に応じ得ることそれ自体が教育目的を達することにもなる。」と述べているわけです。  この一連の質疑、そして荒木文部大臣のこの高専設立当時の法案審議に当たってのやりとりを見てみますと、結局荒木文部大臣は、つづめて言えば、教育を労働力の需給政策の一環として位置づけておる側面を持っておるわけです。それからさらに、産業界の要請にこたえるのが、いろいろ、第二義的だというお話がありますけれども、話の経過を時間を追ってだんだんたどってみますと、産業界の要請に応じるのが第一義であるということを漏らしているわけです。そして、こういう言葉も出てまいります。「東海道だけでは不十分だ、現在の交通量はまかないきれない、もう一本二級国道的なものを考えねばならぬという意味合いでございまして」と、こういう答弁が出てくるわけですね。そうしますと、この「二級国道的な意味合いでございまして」という言葉は、大変重要だと思います。これは明らかに複線型、そして差別、選別体制づくりではないかと指摘されるのは、この言葉からするならば当然だろうと思うのです。  こういう過程を踏みましてこの法律は成立をして、この高専が生まれるわけなのであります。  ところで、当時、御承知のように専科大学の問題も出ておりましたが、つまり高専というかっこうになりました。これは結局袋小路をつくるということがもうこのときから大体わかっているわけですね。そして現在はどうなっておるかといいますと、これはいろいろな問題が出ておりまして、私もここで高知高専の実態を取り上げたことがあるわけですが、教員数にいたしましても、非常に兼務者が多くなっております。それから、いわゆる袋小路、これも出てまいります。それから、非常に非民主的な学校運営というものもあるわけです。なぜなら、ここには教授会はもちろんありませんし、そうして校長さんがほぼ絶対的な権限を持っているわけです。そして、私が取り上げたのですけれども、たとえば全寮制にしましても、退寮したいという場合には退学願を出さなければ退寮ができないという、こういう状態、あるいは主事室制度というので主事などという者が非常に力を持っているというような、いわば大変異質なものが存在して、もっと端的に言えば、密室の中の教育というふうな、そうい 呼び方ができるようなものもあるのではないかと思うわけです。こういう形で十三年間続いてまいりました。この高専をどう見るかという問題です。  私、幾つかの資料を見てみますと、この子供たちが、袋小路でなくて、もっと大学へ行きたいと思っているのは当然ですね。これは何とかしてあげなければならぬという、これはお互い一致すると思います。その袋小路を解決するために、いま出ておるところの技術科大学院という修士課程の大学院を設置することがいいのかどうかは分れますけれども、とにかくこの子供たちのすぐれた可能性というものを、本当にこの希望に従って伸ばしてやるというのは当然のことなんです。ところが、これはこの間から答弁にもありますように、確かに大学進学の道は開かれているけれども、実態はどうかと言いますと、たとえば「実質は袋小路といってよい」という、これはある方の資料でございますけれども、「文部省の調査で七〇年度の卒業者のうち、進学希望者は二三一人とあり、実際に進学できたのは一三三人で、「そのほとんどが私立大学か地方の国立大。東北大を除く旧帝大は高専の編入学をシャットアウトしているのが現状」となっている。なお、七二年度から東工大が三年編入募集にふみきった。法的には三年への編入が可能だが、国立ではほとんど不可能で、二年編入が主であり、それも実際にはなかなか編入できず、全国から受験者が集まっても、国立への合格は毎年数名あるかないかといった狭き門となっている。」こういうことが出されているわけですね。  そこで、これをどうするかという問題は、これは安易な道を考えるのではなくして——文部大臣いらっしゃるときには言いたいことを全部言っておきますから。この袋小路をどう解決するかということは、本当にこれは考えなければならぬ、私はこういう方法だってあると思うのです。大学三年へ編入できるような教育内容を高専の子供たちに与えていくという方法はないのかという問題ですね。それからもう一つは、高専をもって大学にする。これは子供たちの希望を見てみますと、本当に大学へ入りたいというのが希望ですから、そういう点で高専をむしろ改組して大学にしていく。この高専に二年をくっつけて、下の三年は付属高校としたっていいんじゃないかという考えもあるわけです。何とかそういう点で考えれば、そこから余り無理をしないで修士課程に、大学に対しても子供たちが行くことができるわけですね。ところが今度の場合はかなり無理をしなければならぬという、その二年間の予科的なものを存在をさしていくというこの不明な部分ですね。これが果たして、こういう私が言いましたような教育を受けてきた子供たち、こういう学生がここで一体どうなるのかというような問題を含めて検討しなければならぬのではないかというふうに思うわけてす。  しかも、これ以上演説をやっても——それで、こういう調査も出ているわけですね。大学への希望者の統計が出されておりますが、それを見生すと、何と文科系を希望する学生が多いのですね、四四%。理科系が三六%、工科系が二一%という数字が出ておりまして、これは大学進学の希望者であります。それから合格率を見てみますと、入学率ですね。文科系が八〇%に達している。そして理科系が一〇%、工科系が一〇%。こうなりますと、国立高専を卒業した学生たち、これが多くが文科系へ入っているという状態ですね。だから、じゃ、この学生たちはむしろ高専教育には不適格な学生ではなかったのか。十五歳のときに進路を決定をされて、そして高専に入ります。入りますが、多くは文科系を志望しておるという事態が出ておるわけですね。そうしますと、高専教育に対して適格な人が多いんだろうかという疑問も出てくるわけですね。ここらの問題を考えますと、高専教育というものについては相当綿密な検討が加えられなければならぬというふうに思うわけです。これを袋小路をなくするからと言って、何となく一段とまた質が低いと言ってはいけませんけれども、また何か職業人を養成するような大学院をつくっていく、こうなってくると、何と言いますか、格差とか差別とかいうようなものは依然として抜け切らない、いわば肩身の狭い者がここで、しかもかなり無理をしてできるのではないか。この学生たちの袋小路をなくしていかなければならぬけれども、またまた矛盾の上に矛盾が積み重ねられるのではないかという疑問が生じてくるわけです。  えらい長く申し上げましたけれども、この私の疑問に対してひとつ答えていただきたいと思います。
  55. 井内慶次郎

    井内政府委員 高等専門学校昭和三十七年に創設されまして今日まで経過いたしました。今日、高専の実態を把握しましたときに、幾つかの改善を要する点があります点は、特に次のような数点において私どもいま問題を取り上げております。  教育課程の問題でございますが、教育課程の問題につきましては、高等専門学校教育課程の基準を国の方で定めておりまして、これによりましての教育を行っておるのでございますが、昭和四十七年度に基準改正を一部行いまして、授業総時数を専門科目について七十時間減時、一般科目について七十時間ふやす、七十時間専門を減らして一般科目をふやすという改正を四十七年に行い、今日引き続きまして教育課程全般につきましての見直しのための調査会を設けて検討いたしており、五十年中に結論を得たいと考えております。現在問題と相なっております点は、次のような点でございます。  第一点は、今後の高等専門学校の質的な充実発展を期してまいりますためには、各高等専門学校教育内容に独自の創意と工夫を生かし得るような、そういう基準の弾力性と申しますか許容度をある程度入れてくる必要があるということが一点。  第二点は、現行設置基準による授業時間数について生徒を教室内に拘束する時間がやや多いので、この点についてもう少し余裕を与えることを検討したらどうであろうか。ただいまのところ、週当り平均二時間程の授業時間数の減少を図るべきであろう。なおその際、総時間数を減らすのは専門科目の時間を減らすことが適当であろう。  第三点として、現在高専の教育は全科目必修ということになっております。各学校においてどういう科目を必修にするかという各学校ごとの選定の幅はございますが、学生にとりましては全科目必修が原則となっておりますが、学生の自主的な勉学態度をより培いますために、カリキュラムに対する学生の過密感をやわらげるため選択制を導入し得るようにしたらどうかということ、こういった点がただいま教育課程の問題として五十年度中に結論を得たいと考えておる諸点でございます。  また、ただいま山原先生から高専の生徒の進学の問題についてお触れになりましたが、私どもの把握しておる数値で申しますと、高専卒業生で大学編入学の志願者の数はパーセンテージで申しますと、四十一年、四十二年、四十三年と大体七%、五%、四%といった数でございました。これが特に四十六年、七年、八年、九年と五%、六%、七%、九%というふうに漸増の傾向にございます。四十九年で具体数値で申しますと、大学編入学志願者数は七百二十八、九%、実際に大学編入学で受け入れ大学に参りました生徒の数が三%に当たります二百四十八人というのが四十九年の数値であり、二百四十八人の内訳は、国立大学百八十七、私立大学六十一ということに相なっております。  先ほど文科系あるいは理工系、大掌編入学の際の進んでおる学部についてのお話もございましたが、高専を卒業して大学へ編入されておる者につきましては、私どもその大部分は工学系統と存じております。文部省としましては、国立大学工学部に高専の卒業生を編入する道を拡大をいたしたいという考え方をもちまして、既存の大学工学部の定員の範囲内において措置し得る大学措置してもらっておりまするが、特に大学工学部の方で計画的に高専卒業者を一定数学部に編入させようという計画を工学部自体があらかじめつくってくれるところについては、そのための特別の入学定員を当該大学工学部に設定するという方法も最近開いておりまして、現在のところは三大学、八十名の編入学の特別定員を持っておる次第でございます。  高専の問題につきましては、ただいま申しましたように今日の状況下におきましてその教育内郷等につきましてもいろいろと改善を要すべき点があり、そのための具体的な案も五十年中に成案を得て実施に入りたいと思っておりますし、昭和三十七年創設以来逐次拡大を続けてまいりまして、卒業生に対する社会的な求人の状況等から見ましても大きな期待と評価を受けてまいっておるわけでございますが、しかし高専の教育内容というものを質的にどう充実していくか、弾力性を与えるべき点はどう与えてまいるか、またその卒業生等の大学への編入学の道、こういった点等につきましては、いろいろな点を私どもも工夫、改善してまりたい、ただいまかように考えておるところでございます。  高専の問題に即しましてのお答え以上でございます。
  56. 山原健二郎

    ○山原委員 四十九年の国立の百八十七名の入学者は大部分工学系統と言われましたが、これは何年生に編人しているのでしょうか。
  57. 井内慶次郎

    井内政府委員 国立に行っております者はほとんどが工学部でありまして、理の系統が若干入っておるようでございます。これは場合によりましては後ほど資料でごらん願っても結構でございます。
  58. 山原健二郎

    ○山原委員 いや、私の質問は編入は何年生でしたかということです。
  59. 井内慶次郎

    井内政府委員 第三年次に編入されました者が国立百六、第二年次に編入されました者が六十四でございます。
  60. 山原健二郎

    ○山原委員 いまおっしゃいましたようにこの高専設立当時は賛否両論がありまして、結局これが多数で成立をしたわけですね。そしてそのときさっき言いましたような疑問が出まして、その疑問か現実のものになってくるという状態の中で、文部省としてももちろんいろいろ努力はされておるわけです。教育課程の問題にしましても、一般教養をふやすとかいうような努力もされておりますし、改善されておることは事実だと思います。けれども、高専の体質からいって変えることのできない部分もあるわけですね。それから進路の問題にしましても、いまおっしゃったようにかなり改善されておるということで、私の資料が古いかもしれません。それでいま言われたように少しずつ大学学者もふえるし、また三年生に編入していくという数もふえていくということは、それはもちろん好ましいことで、それをもっとふやしていく、もっとそれができるような状態をつくり出していくということに力を注ぐことが必要じゃないかと思うのですね。だからそういう努力は一層進めていかなければならぬわけですが、それと今度皆さんが予想しております技術科学大学院の問題ですね。たとえばこれは先日も話がありましたが、この大学院の下へくっつく二年間というものは学校教育法にないわけで、そうすると、これはどうなるのか、どういうふうに位置づけるのかということはもう一回聞いておきたいのです。たとえばその二年間で卒業してもいいのか、あるいはそれはもうとにかく何の資格もないのだ、あるいは予科卒というふうになるのかどうかわかりませんが、進学のための二年間だということになると、この二年間でもし学生がここでやめて就職したいというようなことになってくると、この二年というものは一体何なのかという問題ですね。それらは検討されておるのでしょうか。またそういうことが学校教育体系を著しくとは言いませんが、やはり乱すことになるのではないかという心配もあるわけですが、そこらはどういうふうにお考えでしょうか。
  61. 井内慶次郎

    井内政府委員 技術科学大学院という仮称でいま検討しております状況を御説明申します。  これも昨年の三月に技術科学大学院の構想につきましての調査会からの報告をいただきまして、これをもととしながらただいまいろいろ検討を取り進めておるところでございますが、その際の考え方といたしまして、技術科学大学院でねらっていく大学院修士課程レベルの具体的な研究教育の内容を一体どういうふうなものとするかという観点が一つございます。これにつきましては、現在の工学部の修士課程の場合を考えますと、普通高校三年と大学の教養課程を経て初めて専門に入ってきてその専門を終わった人たち工学部を卒業して大学院修士課程に入ってくるという、大体そういった教育内容の積み重ねで来る学生が多うございますので、それを想定した、それを一応前提とした研究指導あるいは教育のカリキュラム等が組まれておるわけでございますが、技術科学のいろいろな面を考えました際に、技術というものに触れる機会がわりあい早くて、技術というものを具体に身につけるという教育経験を尊重しておる工業高専の教育で培われてきたもの、そういったものを一応想定をいたしました際に、今日のわが国のこういった技術科学、こういった面の研究教育を深めていく上からいって、技術の経験を尊重しながらこれを高度の理念にまで発展させ、先ほど来お話しになっておりました工学教育一つ分野といたしまして、技術を非常に重視した、実験実習等を非常に重視した大学院レベルの研究教育の機関というものを何とか考え出す必要があるのではないであろうかというそちらの側面からの要請もございました。  先ほど来山原先生から御指摘のように、高専の卒業生あるいは高専の在学生人たちが中途退学をして工学部へ行く。いま幾つかの大学で高専から、高専の卒業生を受け入れた場合の特別のカリキュラムを工学部で考えてくれて、そのための入学定員もあらかじめ持っているという大学が、いま国立で三大学出ているわけでありますけれども、大部分の工学部の場合は、それはやはり全体の工学部の学生の中からいいますと、一応工学部が前提としているものとは違った教育を受けてきているということで、しかしその中で高専卒業生で学部へ進学いたしました者は、たとえば東工大の場合は進学した者、工学部に編入された者ほとんど全員が修士課程に現に進学いたしております。そのような状況考えましたときに、日本の技術科学と申しましょうか、工学教育という面からいって、大学院レベルの教育として技術開発にもう少しウエートをかけた大学院の必要性があるのではないかという問題提起が一方に正直あるわけでございます。ですから、そういったものをぜひつくったらどうかという学界方面の要請もありまして、そのようなものをつくり出していくとしたときに、工業高専を卒業して数年現場に出る人もあるでしょうし、工業高専における教育経験というものがむしろ貴重に光ってくるような大学院レベルの研究教育というものが考えられないのであろうかというのが一つの観点に今日相なっておるかと存じます。  それで昨年三月に調査会からいただきました報告も、大学院レベルにおいて何かこの問題が考えられないか。高専の問題を考えましても、むしろ五カ年間の教育で一般課目と専門課目を全部くさび型にする。高専一年生のときから一般課目もあり、専門課目もある。それが五カ年聞くさび型で教育を行っておるわけでございますが、そういった教育内容と申しましょうか、そういうものをそういうところで育ってきた人たちに本当にふさわしい大学院レベルの研究教育という分野をこの際開拓できないかということで構想が打ち立てられてまいりまして、そうしますと、高専の卒業生を一応の主たる対象と考えますと、修業年限から言うならばやはり四年ということにしないと修士レベルに到達をしない。そうすると、その四カ年というものを現在の学校教育法の体系で全然別体系の四カ年とするということの可否という議論がありました。これについては、そうであってはならないだろう、むしろそういうふうなものを構想する際には、大学院制度のところにおいてはやはり現在の大学院の修士課程なり博士課程というところで一元化を図った方がよろしいのではないか、そのような水準のものをつくるべきであろうということになったわけであります。で、四カ年のうち大学院修士課程分を二カ年にしますとあと二年、その二年というものをどうすべきか、どうすればよろしいのかということで学部後期二年の課程というものを学校制度として新たに生み出すかどうかという議論もなされました。今日の課程においてもなされたのでございますけれども、それはおよそ高専教育というものが五カ年一貫の教育においてほぼ学部レベルに近いものを培うんだということでカリキュラム等も組んでおるわけでございますし、学部後期二年のところの制度だけを抜き出すという点については、それは非常に問題があるだろう。ですから、カリキュラムについては大学院修士課程のところの研究教育の内容というものをまず固める。そして高専を卒業してストレートでそこへ入ったとするならば、修業年限からいっても内容面からいっても二年間がプラスされるべきだから、その間の四年を一貫した教育カリキュラムをつくり上げようということで、その作業もいまやっておるわけでございます。  さらに高専を卒業した人あるいは短大を卒業した人で、現場に出て貴重な実務経験をしておるという際に、二年の進学の課程といいましょうか、前期の課程を必ず二年間やらなければならないとするか、あるいはそこは一年でよいとするか、こういった点等については引き続き検討しよう、こういうことに相なっているわけでございます。  それで、今回御提案申し上げております大学院制度に新しい道を開いていくということでお願いをいたしておるわけですが、そのこととの関連で考えるならば、学部を有しない大学院という修士課程レベルの問題としてこの問題をとらまえて、それに進学するための前期の課程と申しましょうか、予備課程と申しましょうか、まだ名前は特別に固まっておるわけではございませんが、二年の修士課程と、これに進学するための特別の課程なんだということでただいま申し上げましたような実体をこなしていったらどうであろうかというのが、ただいまの時点における私どもが調査会等開いて、調査会等でいただいておる意見の大体の意見はただいま申し上げたようなことでございます。しかしこの問題もなお私どもはどういう制度が最もよろしいのか、引き続き検討を深めてまいりたい、これが率直な現状でございます。
  62. 山原健二郎

    ○山原委員 お話を聞きましても、かなりいろいろな意見が出ておるということで、一方では技術科学大学院というものの創設の準備もなされつつあるという状態です。そうしますと、これはいわば高専というのは、当初申しましたように提案をされたときから中堅技術者を養成するというもので出発をしておるこの目的、これをここで何とかしようとするならば、そこに無理が生ずることはわかりますけれども、しかしそのことによって学校の体系というのがいろいろな形でここで変化していくということになると、それはすべて悪いというのじゃありませんが、これはかなり検討しなければならぬ問題じゃないかと思うのです。そこらのところがちょっとイメージが私どもわきませんので、たとえば私が言いましたように、じゃ予備的といいますか、予備的の二年間やってみまして、そしてそれはそこを卒業ということはないわけですね。やめる人もおるわけでしょうし、それはいやになってやめるのだ、そして予備的でやめるのだから一体どうなるのかという、その資格上の問題とかいろいろなものも考えられますし、異質の上に異質が出てくる、矛盾の上に矛盾がまた積み重ねられるという、いま局長の答弁を聞きながらもやはりその辺がちょっとのみ込めないのです。そういうこと、これは幾ら聞いてもそういうことで進まないと思いますけれども、何かそういういわば便宜的なものを考えるためにいろいろ無理をしてみなければいかぬというような感じですね。たとえば一芸に秀でた者は非常にすぐれた人格を持つ、こう言われますけれども、それは学校教育の面で言うべきことではないわけでして、そういう点では、その辺の問題は当然考えておかなければならぬわけですね。学校教育法の五十二条に照らしてみましても、ちょっとこれは検討しなければならぬ内容だなというふうに感じるわけです。どうでしょうか。そういうことまでやってもこれは必要だというふうに腹を決められて、いま準備を進めておられるのでしょうか。
  63. 井内慶次郎

    井内政府委員 仮称技術科学大学院の問題につきましては、先ほどお答えいたしましたように、昨年の三月にある一定の構想につきましての調査会からの報告を受けまして、これをどう消化するかということでただいま検討しておる、ただいまの時点の大体の考え方を申し上げたわけでございまして、このことにつきましては、なおいろいろな角度から本格的な検討をして、文部省としての案がまとまった段階でまたいろいろと御論議を賜りたい、かように考えております。
  64. 山原健二郎

    ○山原委員 私もこの法案について気持ちよくああそうでございますかと言えないところは、ここに一つの原因があるわけですね。  それから、卒業とか中途でやめるとかいうようなことが出ましたが、もう一つ聞いておきますけれども、五年制一貫の大学院ができる。いままでは、修士課程が済んで、そこでそのまま仕事につかれる人もおるでしょうし、それからそこで論文審査等をして、今度はまた大学院に入って積み上げていったわけですね。今度の場合は、一貫した五年間というものを、途中前期の二年でやめる人は、修士の資格を得て卒業——卒業ですか、これもちょっと卒業とは言えない、一貫した研究体制の中で勉強されるわけですからね。そうすると、この二年を済んで出ていく人がおるとすれば、これは卒業じゃなくて、これもやめたということになるのですか。いやになってやめたんだろう、もともと五年間やらなければならぬのが、途中で放棄した、こういうかっこうになるのか、その辺もちょっと聞いておきたいのですよ。
  65. 井内慶次郎

    井内政府委員 五年一貫の課程と申しますのは、昨年六月に制定しました大学院設置基準で五年一貫の課程が可能になったわけでございます。それで国立大学で申しますと、ことしからたとえば名古屋大学で分子生物学の専攻というのができまして、これが五年一貫の課程として設けられました。専門分野によりまして、やはり五カ年間博士課程学生として研究指導も行っていくんだというそういう特定の分野につきまして五年一貫ということがいま始まったわけです。その際に、しからばその二年のところでもう一応大学院よしたいという者が出たときはどう扱うかという問題が生じますが、そのときは当該大学院研究科の判断により修士の学位を与えるに必要な諸条件が二年の段階で整っておると判定したときには、修士の学位も出し得る、しかし、それが整っていないというときは完全に中退ということになってしまう、こういうふうなことかと存じます。
  66. 山原健二郎

    ○山原委員 もう時間も大分参りましたので、これでおきたいと思いますが、いままで質問しました項目を追ってみますと、やはりかなり疑問もまだ残っているわけです。全部が全部これはわからぬというわけではありませんし、また要請等もあるわけですけれども、結局先ほど申しましたように、数個の大学を背景にした連合大学というようなことであれば、まだ話はわかるのですが、どうもその他の部分になってくるとちょっと理解しにくい面もありますので、また参考人の方もいらっしゃるそうですからその中でもう少し深めていきたいと思います。要するに、まだかなり検討しなければならぬ問題が残っておるということ、それはよくわかりました。  終わります。
  67. 三塚博

    三塚委員長代理 次回は、来る十一日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時四十五分散会