運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1975-06-04 第75回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年六月四日(水曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 塩崎  潤君    理事 西岡 武夫君 理事 藤波 孝生君    理事 三塚  博君 理事 木島喜兵衞君    理事 嶋崎  譲君 理事 山原健二郎君       臼井 莊一君    床次 徳二君       楢橋  進君    西村 英一君       羽生田 進君    深谷 隆司君       森  喜朗君    小林 信一君       辻原 弘市君    長谷川正三君       山口 鶴男君    栗田  翠君       有島 重武君    高橋  繁君  出席国務大臣         文 部 大 臣 永井 道雄君  出席政府委員         人事院事務総局         給与局長    茨木  広君         文部政務次官  山崎平八郎君         文部大臣官房長 清水 成之君         文部省大学局長 井内慶次郎君         文部省学術国際         局長      木田  宏君  委員外出席者         警察庁警備局公         安第三課長   柴田 善憲君         行政管理庁行政         管理局管理官  向坂  浩君         文部省大学局大         学課長     大崎  仁君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 六月三日  辞任         補欠選任   楢橋  進君     粕谷  茂君 同日  辞任         補欠選任   粕谷  茂君     楢橋  進君 同月四日  辞任         補欠選任   高橋  繁君     林  孝矩君 同日  辞任         補欠選任   林  孝矩君     高橋  繁君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第五一号)      ――――◇―――――
  2. 久保田円次

    久保田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。嶋崎譲君。
  3. 嶋崎譲

    嶋崎委員 今回の学校教育法の一部改正に関連して、実態の伴わない、何か教育政策の立法的な性格を持っているような気がいたしまして、いままでの法の枠の中で考えてみても、なかなかイメージがわかないところもありますし、幾つ質問をさしていただきたいと思います。  条文に即していきますが、まず最初に大臣提案理由の中で第一番目に言っている大学院研究科設置廃止認可事項とするという第四条の問題から質問さしていただきます。  「大学院設置廃止認可事項とされておりますが、研究科学部にのみ依存することなく、独自に組織編成できるようにされたこととも関連し、大学院基本となる組織である研究科設置廃止についても、大学における学部設置廃止及び短期大学における学科設置廃止の場合と同様、これを認可事項としようとするものであります。」こういう趣旨説明に基づいて第四条を見ますと、新しく入った「大学院及び大学院研究科」という点が改正に際しての問題だと思いますが、これは公私立学校の場合に主に問題になると思うのですけれども大学院というものを大学学部と同じように認可対象にするという趣旨でございますね。
  4. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまお話ございましたように、従来大学院は充実した学部基礎の上に設置するものとされ、研究科はおおむね特定の学部基礎とし、これに対応して設置されるものとして運用をされてまいりました。学部設置廃止認可事項とされながら、研究科学部に相当する大学院基本組織でありますのに、その設置廃止認可事項とされていなかったことは、このこととの関連によるものと思われるわけですが、このたびの改正により、学部段階組織を全く有しない独立大学院設置を可能としようとすること、また、先般の大学院設置基準制定により研究科独自性が強まったことに対応して、この際このような改正を行い、大学院基本組織でございます研究科認可対象としようとするものであります。
  5. 嶋崎譲

    嶋崎委員 問題を少し整理してお聞きしますが、この場合に、国立の場合にはここの第四条の初めに「国立学校及びこの法律によって設置義務を負う者の設置する学校のほか、」と書いてあります。しかし、いままでの場合で、国立の場合ですと、大学学部法律で明示しましたですね。大学院政令でもって、事実上学部の上に大学院設置するということが、大学の方で方針を決めて、そしてそれを申請をして、設置基準に合わせて行政措置的に処理していく、ある意味ではやはり同じ認可でしょうけれども、そういう形をとってきたと思います。今度の場合に重要なのは、大学院研究科認可事項になるわけですね。そうすると、この大学院は、研究科幾つか集まって一つ大学院を構成するという場合もあれば、研究科一つ大学院を構成するという場合もある。その場合の研究科というものを特に認可対象としていくという考え方になるわけですか。
  6. 井内慶次郎

    井内政府委員 お説のとおりでございまして、従前公私立大学につきましては、当該大学大学院そのもの設置するときに認可に係らしめまして認可をする。そして、ある、たとえば工学部基礎として工学研究科認可された、大学院そのもの設置認可されたという大学で、今度は他の分野法学研究科設置したいというときは、従前の扱いはやはり文部省の方に申請を出していただきまして、認可でなくて、協議に応ずるという形で大学設置審議会諮問をし、実際の運用におきましては認可の場合とほぼ同様な運用を行ってオーケーを出す、こういう形で研究科増設を図ってまいったわけでございます。したがいまして、当該大学に初めて大学院設置するときは認可であって、すでに大学院認可された後において、工学に続いてたとえば法学研究科を置くというときは、意見伺いということで設置審議会諮問をし、審査をする、こういう運用でまいったわけですが、逐次、大学院研究科学部との関係が、大学院研究科がその組織の仕方において、学部以外の者も中へ入れてくるとか、あるいは東工大のような独立研究科という問題も出てくる状況に至りましたので、文部省としまして、特に公私立大学関係者の方にも意見を徴し、この際、大学院を整備していく上から申しましても、基本組織である研究科そのものを今後は認可事項にしようではないか、こういうことで意見を求めまして、一応関係団体等の了承もとれましたので、今回の改正をお願いしている次第でございます。
  7. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうしますと、従来の運用では学部基礎になっておりましたから、学部前提にして、そして、一定大学院をつくる基準に合っているというふうに判断すれば――大学院をまず設置することは、いままでの運用と、今度の新しい認可という、この監督庁認可を受けなければならないということとの間にはどういう違いが生まれたのですか。
  8. 井内慶次郎

    井内政府委員 嶋崎先生案内のように、現在の公私立大学研究科増設等運用は、先ほどお答え申し上げたとおりでございますが、これは大学院そのもの設置認可の際に、その後の研究科増設については協議を受けなければならないという条件と申しましょうか、そういうことにしておきまして、協議を受けた件については、大学設置審議会意見伺いということで意見を伺って、判定をお願いしてまいりました。  研究科設置廃止認可事項にということで今回の改正をお願いしておるところでございますが、研究科設置廃止認可事項とされますると、運用面がどういうことになってくるかということでございますが、研究科設置手続実態そのものは、意見伺いということで従前やっておりましたものと大きく変わることは実際ないだろうと思います。しかし、制度の整備に伴い、現地視察であるとか、従来よりも慎重な審査が行われるようになろうかと存じます。  なお、ただいまのお尋ねの中に、しからば、認可に相なった後においてその審査をいたしまする場合の基準そのものは一体どうするのだというお尋ねもございましたが、学校教育法なり大学院設置基準等の諸規定が適用されることは当然でございます。また、大学設置審議会の内規として審査基準が定められておるところでございまするが、現在のやり方と申しますか、いままでの運用におきましては、施設でありますとか設備でございますとか図書でございますとか校地、校舎の問題等学部との共用ということが実態でございましたので、従来、有資格教員の質、量という点が厳密な主たる審査対象になってまいっておりました。大学院研究科認可対象とし、学部から相対的に独立をしていく独立大学院であるとか、こういったものも制度の道を開こうということで御提案申し上げておるわけでございますので、従前学部との共用を原則としてやっておりました関係で、有資格教員の数のほかは、施設とか設備とか図書とか、こういったものにつきまして特に計量化した基準を持っていなかったわけでございます。実際のやり方といたしましては、大学設置審議会の方で現地視察等も行われるわけでございますけれども、そのときの審査具体観点は、学部そのものの充実の度合いが大学設置基準に照らしどこまで整備しておるか、大学院認可し、大学院研究指導等を行うに足りるだけの施設なり設備なり図書等があるかないかを実地に見ていただいて総合的に御判断を願っておった、具体に即して個別の判断にゆだねておったというのが従来のやり方でございます。したがいまして、今回の法改正に伴い、独立研究科あるいは独立大学院等の問題が出てまいりまするので、大学院としての自主的な水準を確保し、これを前進させまするためには、どうしても先生指摘のように有資格教員の数以外の分野につきましても、必要なものにつきまして計量化数量化をする基準作成を要すると私どもも考えております。
  9. 嶋崎譲

    嶋崎委員 局長は少し先走って回答しているようですが、まだそっちへ入ってなかったのですけれども、それじゃその問題に合わせていきますと、大学の場合には大学設置基準というものがございます。大学設置基準は、ここにありますように、大学設置に当たって数量的な基準をかなり細かに決めてございます。そういう意味では客観的な判断が可能であったわけであります。ですから、いままでの学校教育法で言う大学という場合には、もういままでの長い経験の中から、ここの大学設置基準で言っているような数量化が可能であったわけであります。ところが、昨年の六月につくられましたこの大学院設置基準というのは、これは大学設置基準に比べまして、これ自身にも私問題をたくさん感じますが、大学院というものの大まかな組織を決めただけであって、いわゆる設置基準に相当するような、内容に相当するものはありません。ところが、いまおっしゃいましたように、いままでは学部中心にしてその上に大学院をつくる、そういうたてまえで大学院というものを考えてきましたから、しかも大学院というのは研究科委員会であって、組織としては教授会ではなかったわけですから、つまり学部研究教育に必要な条件基準というものをきちっと決めておけば、それを前提にすればほぼ大学院は行けるという判断に立って、大学院というのは特別に認可というような考え方をとらなくても、ある意味では協議でもって事を処理していくことが可能であったと思うのです。  ところが今度は、学部を持たない大学という六十八条の新しい大学院大学構想というものを一方で含みながら、大学院というものを多様化しようという立法政策上の意図が一方にありますから、そうなりますと、その大学院というもののいわば設置基準、もう少し数量化された基準というものを持っていないと、いまおっしゃるように協議から認可事項にして、よりその条件についてシビアな検討をやらざるを得ないでしょうということになるとすると、認可権だけが前に出ていて、そして認可をするに当たっての客観的基準というものができていないということになりますと、文部省サイドないしは大学設置基準の中でその大学院のつくり方についての客観的基準がないために、いままである意味では政治家が仲に入ってできた大学院もあれば、そういうことはチェックしようという意図かもしれませんけれども、しかしその客観的基準のないところで、いまから協議認可にするというような変え方をすると、逆に認可権の方が強化されていって、それを判断する客観的基準というものがないという場合に、この大学院設置認可というものに問題点を起こしはしないか。仮に大学内部で自主的に判断をして、もううちでは博士課程はよろしいとか、新しい大学院構想をつくることができると一方で判断しても、それに対しての客観的基準というものがないまま行って、認可権だけが前に出たときに、大学の自治だとか学問研究の自由だとかいう問題にかかわり合いを持ってこないだろうかということを私大変不安に思うわけであります。  そういう意味で、ここで言っている大学院及び大学院研究科というものを監督庁認可対象とするというこの考え方の中には、もっと全国の今日の大学院というものを検討してみて、現に学部の上に大学院のある大学国公私立を含めていっぱいあるわけですから、そういう観点からした場合には、一定大学設置基準に相当するような大学院設置基準について、いまの段階で少なくとも客観的な数量化一定程度可能ではなかろうかと思います。その点どう思いますか。
  10. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま御指摘のございました大学院につきましての基準の問題につきましては、大学院設置基準の中におきましても、ただいま御指摘のように、現在の大学院設置基準の二十二条では「大学院は、教育研究上支障を生じない場合には、学部大学附置研究所等施設及び設備共用することができる。」という規定があり、具体的な数量化された基準というのが、御指摘のように、大学学部設置いたします場合の基準と比較いたしますと全部抽象的な規定になっておって、第二十二条で共用というものを認めておる。そして、現に今日ございます国公私立大学大学院は、大部分と申しますか、ほとんど全部が学部との共用ということで設置審議会審査も受けて、いままで認可もされてきておる、これが現状でございます。  この点につきまして、ただいま御指摘のように独立大学院制度学部から相対的に独立をした研究科の問題でありますとか、こういった道を開く以上は、研究科そのもの制度的に認可事項にかかわらしめるべきであろうという考え方に立ちまして、いま御提案申し上げておるわけですが、この道を開くことに伴いまして、ただいま御指摘のように、しからば従前学部共用ということを基本的な現実としながら認可され運用されてきた大学院が、学部から相対的に独立制度的にもし得るようになる以上は、そういう場合の認可基準については計量化し、数量化すべき分野が相当出てくると私どもは考えております。  この点につきましては、ただいまお話しございましたように、新しい大学院制度発足以来大学設置審議会現実判断をし、認可もいままでやってきていただいたわけでございますが、御案内のように大学設置審議会には、基準制定します基準分科会と、その基準を使って認可をいたします設置分科会とから成っております。私どもといたしましては、学部から相対的な独立性を強めていく研究科あるいは学部が存在しない大学院問題等につきましては、この制度の道が開かれると同時に、大学設置審議会に対しまして、この辺を計量化する基準検討作成方を正式に諮問いたしたい、かように考えておるところでございます。
  11. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いままでの学部設置基準のときは、あれはぼくは基準協会みたいに思っておりましたが、あれは独立しておりませんでしたか。設置審議会の中の一分科会でしたか。いずれにせよその組織一つお聞きします。  それを前提にして、少なくとも設置審議会とそれからその基準をつくるものとの間に十分な協議が行われて、客観的な基準というものがっくられて、大学に対して大学設置基準というものを設けてきたと思うのです。ところがいままでの大学院の場合は、いわば設置審議会申し合わせみたいな程度のものなんじゃないかとぼくは思うのですが、そういうものを前提にしているから、現在ある大学院が高いとか低いとか申し上げませんけれども申し合わせ程度のようなもので認可はしておるけれども、実際には協議的内容のものであったから、ある意味ではどんどん大学院ができたわけであります。そういう大学院を一方でつくっておいて、今度から大学院というものを認可事項にして、そして今度から厳しく対処していくというような側面が前に出てまいりますと、いままでつくった大学院と、これから新たに創設しようとして動き出したところの大学院に対しまして、片一方申し合わせ的なもので、ある意味では、ルーズと言っては悪いけれども、できていたにもかかわらず、今度は厳しくやりますと、すでに存在しているものの中に、質が悪いと言ってはいかぬけれども、仮にそういうものがあり得るわけです。そういうものを片一方で認めておいて、今度から出てくるものについては非常に厳しい対処をしていくということが運用上行われることがありはしないかという点が危惧されるわけであります。この点どういうふうに判断されているのか。  この問題の質問はこれでやめますが、第三番目に、しからば大学院設置基準というものを少なくとも学部設置基準と同じように一定数量化した基準に持っていくというのをいつごろまでに考え、そして諮問してどういう時期くらいまでに一定数量化をやり遂げながら、その認可客観点基準を設けようとされておるのか、その点についての判断を三番目にお聞きします。  初めは組織ですね。そして二番目は、いままでの申し合わせ的な認可の仕方、協議に基づいて認可してきたやり方と、今度の新しい認可という問題について、運用上、内部矛盾が起きないか、大学内部に不満が起きないか。それから学術研究という観点からして、今度からは厳しくなるかどうかは別として、実際上の運用は当分は申し合わせですから、いままでどおりでしょう。しかし基準が次第にその中でつくられていくようになってまいりますと、その基準に伴って大学院のつくり方というものがいままでと違った運用になってくる可能性を含む場合に、公私立大学における大学院の格差の問題に関連して問題点が出てきやしないか。そして最後に、その基準をどういうふうに判断して、いつごろの見通しでそういうものを考えておられるのか、それをお聞きしたいと思います。
  12. 井内慶次郎

    井内政府委員 従前大学院基準等の問題につきましては、昨年六月に大学院設置基準制定されるまでの間は、先生指摘のように、大学基準協会が決定しておりました大学院基準というものが一つございまして、その大学院基準というものを一つ基礎とし、もととしながら大学設置審議会大学設置分科会が決定いたしました大学院設置審査基準要項という審査具体的なあり方、これをもととして従前大学院審査等が行われてまいっておったわけでございます。昨年六月に大学院設置基準省令制定をされました。この大学院設置基準制定するに当たりましては、数年にわたり関係者協議を経、大学設置審議会基準分科会において取りまとめ、中間発表もし、意見をお取りまとめいただきまして、それをもとといたしまして文部省省令制定をして今日に参っておるわけでございます。したがいまして昨年の六月、大学院設置基準制定した後におきましては、大学院設置基準大学院設置審査基準要項と両方が根拠となりまして審査仕事等具体におきまして行われてまいっております。  第二の問題として御指摘のございました、従前認可されておりました大学院と今後学部から相対的に独立性を強めてくる研究科でありますとか独立大学院でありますとか、その辺の基準が、従前学部のものを共用するというやり方でやっておったものと、新たに定数化すべき要素も出てきた、それによって認可されるものとの間の質的な差と申しますか、審査基準の緩急の問題であるとか、こういった問題についてはどうかというお尋ねでございましたが、私どもといたしましては、今後大学院設置認可申請が出てくるに当たりましては、学部基礎とし、充実した学部の上に大学院設置してまいりました従来の経緯というのは、大学院設置する場合のきわめて自然な大学院設置一つの仕方であろうと存じております。したがいまして、学部から相対的に独立した独立研究科的なものに今後新たなる問題として取り組むわけでございますが、その際むしろ私どもとしましては、大学設置審議会の方にその基準等諮問をいたすわけですけれども、その基準を考えるに当たりましては、現在までにありまする大学院学問研究水準とか学位審査の際の基準水準であるとか、こういったものを下げるようなことになってはならない、その点はまず明確にしておく必要があろう、そして従前大学院組織の仕方でありますとかそういう点において、どちらかと申しますと、従前大学院学部学科に対応した専攻基礎とする研究科ということでやっておったわけですけれども学問進歩発達に伴い、また高度の研究指導という観点に立ちました際に、学部学科に対応した専攻よりなる研究科という従前やり方だけではカバーできない分野がいろいろな面で出てきておる。そういった面について真に従前学部学科基礎とした大学院ではどうしても研究面促進なり研究指導促進なりにおいて十分の効果の上げ得ないような分野につき、教育研究上、相当厳密な検討を経たものについて学部学科から独立した大学院という道も開いていったらどうかというのが、大学設置審議会から私ども意見をいただきましたときの大学設置審議会等の御意見の大本でございます。その意味で、従前大学院学部から相対的に独立した大学院の質的な問題につきましては、どちらが上、どちらが下ということではなくて、従前大学院水準はあくまでも確保し得るような場合、その必要性のある場合に限りそういったものを慎重に基準をつくり、審査もしていただくということでやってまいるべきではないか、私どもとしてはかように考えております。  なお、しからば制度の道を開いた際にそういった基準の問題はいつごろまでにどうするかということでございますが、今回御提案申し上げております学校教育法の一部改正附則第一項におきまして、「この法律は、公布の日から起算して三月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。」という条項を置いておりますが、独立大学院なり後期三年の博士課程なりの道をお開きいただきましたら、公布の日から起算して三月を超えない範囲内において政令で定める日からこの一部改正法施行になりますので、直ちに大学設置審議会基準諮問をし、そしてこの法律施行の日までには今回の法改正に伴いまする基準の必要なものにつきましては制定をさしていただきたい、かように考えております。
  13. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いまの回答で二つ問題がありますが、一つは、大学院というものの基準を考えるときに、いままで大学設置基準学部数量化された基準前提にして大学院を考えてきたんですね。それ以下にしてはならぬというのはあたりまえのこと。問題は、いままでの学部中心にしてきたその大学設置基準大学院というものが充足されているんだろうか、この点をまずお聞きしたいですね。  それが一つと、それからもう一つは、いまの話でこの附則に基づいていきますと、非常に短い期間に一定の客観的な判断を出してこなければなりませんね。それは可能なんですか。
  14. 井内慶次郎

    井内政府委員 先ほど申しました学部から相対的に独立した独立研究科なりあるいは独立大学院なりを考えます際に、現在の大学院具体的な水準を下げてはならぬぞというのが大学設置審議会の御意見でありまして、その水準という意味学部水準という意味ではなくて申し上げたつもりでおります。  それから現在の大学院がその研究促進研究指導を行うに当たって、現状はこれに十分な諸条件が整っておるかどうか、あるいは従前認可の際の審査が十分であったかどうか、こういった点のお尋ねもあったかと存じますが、この点につきましては、わが国の大学全体の今後の整備充実の方向におきまして、既設の大学院というものをどのように整備充実していくかということが重要な課題だと私ども心得ております。現状で決して十分なものとは考えておりません。  それから第二に、大学設置審議会諮問をしてそう短期間に一体基準ができるのかというお尋ねでございました。この点につきましては、今回の法改正が、昨年の三月に大学設置審議会の方からめ答申に基づいて省令制定を行い、今回の法改正を御提案申し上げておる次第でございます。今回の法改正を国会に御提案するに当たりまして、さらに大学基準分科会の御意見を徴したわけでございます。その際に大学基準分科会では次のような御意見をいただきました。「本基準分科会は、昭和四十九年三月三十日付けで行った本審議会の答申のうち法律改正を要する事項について提示された試案に即して検討を行つた。その結果、別紙の方向で」と申しますのは、ただいま御提案申し上げておる内容のものでございますが、その方向で「法律改正を行うことについては先に答申した趣旨を実現するものであり異論はないが、新たな制度の導入であり、影響するところも大きいため、その実現を図るにあたっては、特に下記の諸点に留意する必要があると考える。」ということで、この新しい制度の道を開くに当たりまして大学設置審議会基準分科会におきましても、実は数点すでに問題意識を持っておっていただきまして、この点につきましては、大学院問題について具体の議論をフリーにやっていただく必要もございますので、大学院問題懇談会におきましても、ただいま並行していろんな議論をしていただいておりますが、私どもとしましては、この新たな創設をお願いしております制度自体が大学基準分科会大学設置審議会からの御意見に基づくことでございますし、かっこの法案を提案するに当たりまして、基準分科会ですでに具体において次の数点は特に留意しなければいかぬということを御指摘もいただいておりますので、私どもとしましては、省令制定から法律改正に至る一連の問題として設置審議会でも問題を御検討願っておりますので、新しい制度創設の基準制定と申しますか、あるいは現在の大学院設置基準につきましてどう特例を設けるかということにもなろうかと思いますが、この点につきましては、ただいま申しました大体三カ月ぐらいの日程でこなしていただけるもの、そのような意味で考えておるわけでございます。
  15. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いまこの第一の四条に関連しては、いま言ったような問題点を残して個別に入りますけれども、要するに第四条で今度大学院研究科というものを設置認可対象にしていく、この考え方といままでの運用との間に変化が起きてくるとすれば、この認可権が一方で強化されてきているのにそれに伴う客観的基準というものが非常に不明確なまま法改正の提案が行われている。そういう意味で、この監督庁認可権が強化されるということに伴う大学との間のトラブルや問題が起きはしないかという点を疑問に残して、そして次の質問に移っていきます。個別に連合大学院や何かをやった中でまた最後に返ります。  それでいまの問題でもちょっと気になるのは、設置基準を考えるときに、国立大学指導型、つまり現実国立大学を頭に置いて、それで国立大学でいままで行われてきた大学院実態に合わせて、そこに今度一つ基準みたいなものが出てきて、そしてそれに私学や公立が合わされるというようなことになる点も心配なわけです。というのは、私学の大学院は私学の持っている伝統的な特性がありますから、それに応じたオリジナルな大学院というものを構想し得るわけですから、だからそういう意味で、私学、公立のいわば大学院の問題を考えるときに、何か国立大学指導型の印象を受けないような考え方をどこかに出しておくことが必要だと思うのです。特に私学の方は今度の法改正に伴って監督庁認可権が強化されてくると、いままで協議的に処理できたものがかなり強く、シビアにコントロールされはしないか、そういうことからくる批判や不満みたいなものがぼくはあるように思いますので、その点について特に留意しながら検討していただきたいということをちょっとつけ加えておきたいと思います。これは回答要りません。  さて、二番目の問題に移りますが、二番目は、四十九年の六月の大学院設置基準という省令と今回の法改正との関連でございます。最初一般的にお聞きしますが、四十九年六月二十日ですか、ここに出された文部省省令、これは施行は、後を見ますと五十年四月一日から施行するわけですから、四月以降の施行でございます。去年の六月にこれが出されているわけでありますが、この大学院設置基準というものをつくってみて、そして今度新たに法律改正をやらなければならないという、この省令法改正との関連の一般的な考え方をまず聞きたいと思います。
  16. 井内慶次郎

    井内政府委員 昭和四十七年以来、大学設置審議会大学院基準につきましての検討をいろいろ行っていただきまして、大学院制度の改善につきましての答申を昨年の三月にいただいたわけでございますが、その大学設置審議会からの御意見は、わが国の大学院の構成の仕方、それから修士課程並びに博士課程の目的、性格を明示すること、それから履修方法のこと、入学資格のこと、組織編成、それから教員組織等、こういった各般にわたる今後のわが国の大学院制度の整備の方向につきましての御意見をいただいたわけでございます。  昨年三月のこの答申に基づきまして、大学院制度の整備に文部省としても取りかかったのでございますが、この御答申の中で、省令をもって措置し得るものは昨年六月に省令をもって措置し、法律をもって措置しなければならないものは今回法改正ということで御提案を申し上げておる次第でございまして、その意味では昨年六月の省令制定並びに今回の法改正、これがやはり一連のものとしまして、大学設置審議会からの御答申を具体化していくこととして私どもやらしていただいておるわけでございます。その意味におきましては、昨年の六月に大学院設置基準制定いたしまして、五十年から新たにスタートした大学院につきましては、新しい基準認可をされたということになります。で、五十年四月からスタートを切っておる。そのことと、この法改正による新しい問題との相関はどうかというお尋ねでございますが、これはただいま申しましたように、省令制定並びに法改正、これが一連の設置審議会のわが国の今日の大学院制度整備についての方向である、このように御理解賜りたいと思います。
  17. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうしますと、昨年の六月のこの大学院設置基準というのは、いままでの大学院で新しい方向を持っていても処理できるものはこれでまず処理をして、処理できないものについて法律改正をしょう、こういうことになるわけですね。まずこれをちょっと伺って、次へすぐ入りますから……。
  18. 井内慶次郎

    井内政府委員 設置審議会の御答申の中で、省令で措置し得るものと法律をもって措置しなければならないものとがございましたので、省令で措置すべきものは省令で措置し、法律を要しますものは今回法改正を御提案申し上げておる、こういうことでございます。
  19. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そこで、きのう課長にも申し上げておきましたが、この省令が出てからことしの三月までの間にそれぞれの大学で学則改正をやった大学幾つで、幾つのタイプに――きのうは資料をもらえませんでしたから、幾つのタイプにそれが分けられるか、その資料をちょっと提出願いたいと思います。
  20. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま私どもが一応把握しておりますところでは、大学院の学則と学位規定と両面にわたる点がございますが、大学院の学則につきましては、国立十六、私立二十五、計四十一大学におきまして改正をすでにやっているようでございます。それから学位規定につきましては、国立十三、私立十二、計二十五が改正を行っておるようでございます。このことにつきましては、一応把握している限りにおきましては、お尋ねがございますれば私どもお答えしたいと思います。
  21. 嶋崎譲

    嶋崎委員 去年の六月に文部省設置基準ができて、施行は今年の四月一日以降ですね。その間においてそれぞれの大学で学則の改正と学位の規則の改正が行われるに当たって、文部省はこの基準を示していろいろサゼスチョンをしてきたんでしょう。いかがですか。
  22. 井内慶次郎

    井内政府委員 大学設置審議会からの答申をいただきました段階で、これも各大学等にも示しましたが、大学院設置基準を昨年六月に制定した後におきまして、その新しい大学院設置基準の説明会でございますとか、そういう二とも行い、関係資料等も作成配布いたしまして、この新しい大学院設置基準につきましての理解を、各大学関係者の方に私どもいろいろ努力して深めておるところでございます。
  23. 嶋崎譲

    嶋崎委員 その学則改正に当たって、それぞれの大学から――国立が十六。ぼくのデータは十七とあるんだが、どうして一つ狂っているのか、それを見ないとわかりませんがね。それから私立は二十五。ぼくのところは二十七だけれども幾つですか。二十五ですか。おかしいな。
  24. 井内慶次郎

    井内政府委員 いま大学課の方で把握しておりますのは二十五でありますが、後ほど調整します。
  25. 嶋崎譲

    嶋崎委員 まあいいわ。  それで、その学則改正をやるときに、大学側から文部省に問い合わせが幾つかあったと思いますが、その問い合わせに当たっての問題点はどうつかんでおりますか。
  26. 井内慶次郎

    井内政府委員 大学院設置基準制定等に伴いまして、各大学大学院に関します学則あるいは学位規定改正に当たって、各大学の方から文部省の方に事前の御相談等もいろいろございます。その際、修士課程あるいは博士課程の目的を今回の大学院設置基準で明示いたしました関係もありまして、課程の目的をどのように明確にしていくかといった問題についての御相談、それから特に博士課程につきまして、この点が従前大学院制度と実際の運用との一つ問題点であったわけですが、今回一部改正でお願いをいたしておりまする大学院に入学し得る者の資格の規定というところから、後期三年の博士課程改正をお願いいたしているわけですけれども制度的には修士課程と博士課程という二つの制度で新しい戦後の大学院制度が発足をいたしました。発足をいたしましたが、実際の運用において、いわゆる積み上げ方式ということで呼ばれておりますように、修士課程の上に三年の博士課程を実際は積み上げておるがごとき運用が現には相当行われてまいっておったということが一つあろうかと思います。しかし制度的には、そこに修士課程があるか博士課程があるかだ。博士課程を前期二年の課程と後期三年の課程に制度的にやはり明確に割る場合は、割るとしたらどうであろうかといったこと等がやはり関係者の間で一つ問題でございました。今回の大学院設置基準制定に当たりまして、博士課程のつくり方について、これは修業年限を一応五年とする。前期二年、後期三年の課程と分けて、前期、後期というふうにつくってもよろしいんだ。そして、各大学あるいは大学院の方針によりましては、区分を設けないで五年一貫の課程として博士課程を設けてもよろしいんだ。二年の課程で社会へ出る者、これについては、そこのところは修士課程として扱ってよろしい、こういうふうに一応、制度運用との面について、博士課程に明確に二年の課程と三年の課程を区分し得るのだということを明らかに今回の大学院設置基準でいたしたわけですが、この点等につきましては、現実運用が二年の修士課程と三年の博士課程のような運用がなされておった関係等もあって、各大学における大学院博士課程の区分の仕方を、従前やり方と新しいたてまえとの間を具体運用においてどのように矛盾なく、従前やり方を生かしながらやってまいるか、こういった点等につきましては特に御相談等が各大学からもあったように聞いております。  その他、修了要件に関するもの、それから博士課程の修業年限は標準五年ということにしましたが、いろいろな事情により、またその学生の研究能力でありますとかあるいは論文作成の状況でございますとか、こういうものによっては最短三年ということも認めたらどうかというふうなこと等にもいたじましたので、博士課程の修業年限標準五年の点、それから他大学院等への研究指導の委託をどのようにするか、それから他大学大学院学生の研究指導を逆に引き受ける場合とか、こういうふうな場合の規定をどのように入れてこようかとか、こういった点等が主として協議、相談等があった点のように報告を聞いております。
  27. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いまの報告の中で二つの問題点中心に議論しますが、設置基準によりますと、第三条で「修士課程は、広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」こう今度変えたわけですね。前の大学設置基準では、マスター、ドクターというようなことについては非常に簡単な規定でございました。御承知のとおりであります。法律では、学校教育法の中では、大学院というのは非常に簡単な規定でございます。ちなみに学校教育法でいきますと、学校教育法の六十五条は「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」そして「大学院には、数個の研究科を置く」と読んただけであります、法律では。つまりこの学校教育法で考えてきた大学院と今度の省令で言っている三条の大学院の中の修士課程というものの考え方の中に、いままでのやつも含んではいるが、新しいものも意図しているという解釈が私はできるのではないかと思うのです。前段を読みますと「専攻分野における研究能力」深い学識を持っていて専攻分野における研究能力というものをつけるのは当然だ。これはいままでの大学院考え方学部の上に出てきたものだと思います。ところが「又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」という、今度はマスターに専門的職業人の能力というのが三条に入っているわけであります。これはどういうことを念頭に置いて、たとえば具体的にどういう大学大学院を頭に置いて、この二つを並列して、「又は」という後の部分が出てきたのですか。
  28. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまのお尋ねの点は、昨年六月の大学院設置基準におきまして修士課程の目的それから博士課程の目的を一応明確にいたしたわけでございますが、そのことは従前大学院の目的あるいは学校教育法に定める大学院の目的との相関において問題がないかというお尋ねかと思いますが、学校教育法の第六十五条において「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」というのが学校教育法規定する大学院の目的でございますが、大学院設置基準制定等もこの学校教育法第六十五条の法の趣旨の中における基準制定ということになるのが当然であろうかと思います。  そこで「学術の理論及び応用を教授研究」するというその表現の中からどこまでのことを一体読み取れるんだということになろうかと存じます。この点につきましては、先ほども申し上げました大学設置審議会の昨年三月の御答申におきまして、特に修士課程の点でございますけれども、修士課程の問題につきましては、科学技術のいろいろな発展であるとか、社会が複雑化し高度化していくことに伴いまして、各分野において高度の知識、能力を有する人材の必要性が非常に増大しておる。このような状況のもとにおいて社会人がさらに高度の教育を受ける必要性も高まってきておるけれども、修士課程についてはそういったいろいろな要請にもこたえ、多様な役割りを果たすことが期待されていいのではないか。このような事情を考慮し、修士課程は基本的には特定の専攻分野における研究能力の涵養を目指すものではありますが、各大学院の方針により、高度の専門職業教育あるいは社会人に対する高度の教育等に重点を置く修士課程も設置できるようにする必要があるのではなかろうか、こういった御答申をいただいたわけでございます。  そこで文部省としましては、このような趣旨をどのように表現してまいるかということでいろいろな検討も重ねたわけでございますが、先ほども申し上げましたように従前大学院設置基準制定されていなくて、大学基準協会の方の大学院基準がございました。その大学院基準におきましては、修士につきましては次のようなこととしてございました。「修士の学位を与える課程は学部における一般的並びに専門的教養の基礎の上に、広い視野に立って、精深な学識を修め、専門分野における理論と応用の研究能力を養うことを目的とする。」というのが大学院基準規定でございました。これも受けまして、省令の学位規則におきまして修士の学位につきましては省令においては次のような規定をいたしておりました。「修士の学位は、広い視野に立って、専攻学問分野について、精深な学識と精深な研究をする能力とを有する者に授与するものとする。」これが従前の学位規則でございました。これに対しまして、先ほど申しましたような大学設置審議会の御答申の趣旨もととしながら昨年六月に制定をいたしました大学院設置基準におきましては、基本的な構え方といたしまして学校教育法に定める大学院の目的を具現するという基本観点の上に、修士課程につきましては「修士課程は、広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」というふうに大学院設置基準第三条で修士課程の目標を明らかにし、かつ学位規則の改正も行いまして、「修士の学位は、広い視野に立って精深な学識を修め、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を有する者に授与するものとする。」かように改めさせていただいたわけでございます。  それで、あくまでも大学院学校教育法に定める大学院の目的を具現することでございますから、いわゆるある職業を行うに必要な研修所的なものに堕するというようなことは許されるわけでもございませんし、あくまでも学校教育法に定める大学院の目的を具現する具現の仕方として修士課程については先ほど申し上げましたような規定を置き、今後修士課程が機能する分野がいろいろな要請にもこたえ、大学院基本を堅持しながらやはり拡大をしていくという方向に向かってしかるべきではないだろうか、こういう考え方に基づくものであります。
  29. 嶋崎譲

    嶋崎委員 具体的に言いますと、いまのこの三条で、たとえば法学部関係、ほかのはちょっとわかりませんが、ほかにもいろんな分野が出てきますが、たとえば法学部大学院のマスターで司法官試験を受けるというのは、これはある意味で高度の専門性を要する職業への能力の問題になるわけであります。そうしますと、いままでの大学院のマスターというのは、つまり司法官試験とか外交官試験とかそういう特殊な専門性のある職業を前提としたようにカリキュラムは組んでありません。学部前提にしてここに言うかなり高度な専門的な総合的な知識を前提にし、そして研究者として一定水準を確保できるところにすべてのカリキュラムが組まれているのが大体常識だと思います。  そうしますと、この三条をこういうふうに省令で一般的に言いますと、大学の中で常に問題になるのは、たとえば法学部の修士の場合に、なぜ司法官試験を頭に置いたカリキュラムの組み方や指導が行われないのかというのが院生との間の一つの争点でございます。対立点でございます。ですから大学ではこれをめぐって長い間非常に苦慮してきました。ですから大学院のマスターというのはそうじゃありませんよ、いわば司法官試験の階段ではないのですよ、そういう意味でマスターというものはそういうところに焦点を合わせたカリキュラムや指導は、それは特殊に個人的に教授がやる場合はあっても、そういうふうにはやっていないのがたてまえであります。だからこういう問題が出てまいりますと、恐らく当然大学の中で、いままで公にはなっていない問題、大学院教授会研究科委員会と院生との間でいつも討論の対象になっていたような問題が、この三条ならば、当然司法官試験を受ける学生諸君についてのあり方というものを検討すべきではないかという問題点が必ずいわば全国の大学のマスターの中で今後問題になってくるであろうという点がございます。それは既存の大学大学院の場合ですけれども、それと同じように今度はそうでない大学で職業的な、たとえば社会に一回出ていって、そうして帰ってきて専門的な職業を身につける、たとえば筑波のマスターの教育の課程みたいなものだとか、それから今後の問題になる技術科学大学院における大学院の位置づけとかそういう場合には、この後段が問題になってくると思います。しかしいままでの学校教育法で言う大学院というのは、そういうつまり専門性の高い職業教育というものを前提にした制度ではないというところにいわば新しい道を開くことになると判断するわけであります。  そうしますと、これは学位というものの内容にも関係してくるのですが、マスターというものの論文は、御承知のように、何も事業目的や職業目的で書かれるものではありません。これは後の共同利用を前提にした場合や技術科学大学院や一切の問題に関連してきますから、ここでちょっとサゼスチョンして、後でまたもう一遍やりますけれども。  だから、いままでの法律で言われてきた大学院制度のあり方に対して、この省令では、少なくともいままでの大学院のあり方とは違ったカリキュラムのつくり方やマスターの与え方というようなものが、制度的に道が開かれる性質の改正であるというふうに判断せざるを得ないのではないかと私は思うのです。  そうしますと、これは省令事項でやれる問題なのか、国の、つまり新しい大学院制度というようなものを今後考えていくときの学位のあり方という根本に触れる問題に関連するから、簡単に省令の三条でその基準としてこういうものをつくっていいのかどうかという疑問点が出てくるわけであります。この点について、後でまた御回答を願います。――それを先にやってもらいますか。
  30. 井内慶次郎

    井内政府委員 修士課程につきまして、先生指摘のように、高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養う、目的の中にこう入れてきたと申しましょうか、修士課程の目的につきまして、その面を大学院設置基準で出してきたわけでございますけれども、しかし、先ほどもお答えしましたように、それはあくまでも学校教育法第六十五条の、学術の理論及び応用を教授研究するんだという、大学院の法で定める規定範囲内の問題ということがやはり基本かと思います。  したがいまして、ただいま先生から御指摘のございました、たとえば司法試験との関連における問題でありますとか、あるいは医師法による、医学部を出て臨床研修ということを現にやっておりますが、ここのところが、医学の大学院制度との相関というのが非常に問題があって、これにつきましては、いま関係者の間でもいろいろ議論は願っておるのですけれども現実はそう単純に割り切れる問題ではないわけでございます。したがいまして、その辺は、大学院が堅持すべき、大学院の法で定める目的というものを基本のプリンシプルに押さえながら、現実に起こってきておる具体の要請というものをどのように調和させていくかという問題が、やはり非常にむずかしいこれからの取り組まなければならない課題と私どもは心得ております。その際に、たとえば司法試験の関連であるとか、あるいは医師養成との関連であるとか、こういった他の諸制度が特にあるもの等につきましては、ここのところは十分慎重に対処しなければなるまい、かように考えております。
  31. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そこが一つ問題点。  今度は第四条にいきます。  先ほどの局長の話だと、国立大学で十六校、それから私立大学で二十五校ですか、学則の改正をやっているようですが、その学則改正に当たって大学の中で問題になっている点というのは、第四条、ここで言っている「博士課程の標準修業年限は、五年とする。」とまず五年をうたって――これは確かに政令においても、大学を明示して、五年、二年、こう書いてありますね。そしてその後に、「博士課程は、これを前期二年及び後期三年の課程に区分し、又はこの区分を設けないものとする。」、こうなっていますね。  そうしますと、修業年限は五年という博士課程があって、それで前期二年があって後期三年があって、ここでは連続しているわけですね、ちょっとこの解釈で言うと。私は旧制の特研を出ましたけれども、旧制の特研なんかの場合には、前期二年、後期三年なんですね。これはいまの奨学金制度ではありませんから違うけれども、形だけは同じなんです。  ところが、戦後の新しい大学院博士課程の場合は、二年の修士が終わると、そこで論文があって、一回修士の学位をもらうわけです。そしてその上でもう一遍試験をやって、そして新たな学位としてのドクターの三年の制度を設けるという意味で、形の上では連続だが、制度としては質的には非連続の制度なんです。そうしますと、ここで言っている「前期二年及び後期三年の課程に区分し、」と省令で言って、さっきの局長の答弁だと、大学側の問い合わせに対して、「博士課程の標準修業年限は、五年とする。」とまず言っておいて、そして前期二年、後期三年として使ってもよいという指導をされたように言われました。  そうしますと、大学では大変混乱が起きるのです。どうしてかというと、修士というのは学生定員は多いわけです。ドクターは学生定員が少ないのです。なぜ少ないかというと、修士で一遍切って、そして再度試験をやって、その上でドクターのコースを選ぶという意味では、普通常識的にドクターの定員は少ないわけであります。  そういうのに対していままで大学院の中で大変問題になっている院生と研究科委員会の争点は何かというと、大学卒で大学院に入れるという資格になっている。そして五年やろうが、二年でマスターをやろうが、おれは研究者になるという意味で、そこでさっきの第三条と関係してくるのですが、マスターをやるという前提の中には、当然ドクターにも行くという前提でマスターまでがんばるわけです。だからマスター二年という制度は、二年でやめて職業人になるというような者は、これはむしろ異例なんであって、本来ならば二年のマスターというものを学者としての基礎的な研究にして、そしてそこで一遍試験を受けてセレクトされて、ドクター三年をやる、そういう制度なんだというふうにいままでの大学運用は行われてきたと思います。  ところが、これが前期二年、後期三年という考え方になりますと、院生の中ではどう言い出すかというと、いままでの制度は大体本来二段階だったのに、大学卒で大学院に入ったら、これはもうマスターで終わる研究者なのか、ドクターまで行く者なのかということを最初からセレクトされるわけです、そこから始まって。そして今度は、連中は、おれは最初から何も職業人として二年でやめて民間に行く意思はありません、研究者になりたいんですというので、五年間を希望しているわけです。ところが二年で試験を受けておっこっちゃうものだから、やむを得ず外に行かざるを得ないという姿をとっているわけです。ただでさえオーバードクターが出ておる時代にですね。ですから、それだけに学生定員と学生の研究条件というものを考えると、二年、三年というのは前期、後期の考え方ではなくて、二年はマスター、マスターの上にドクターがあるという非連続の制度なんです。  それを大学院の諸君はどういうふうに研究科委員会で問題にし出すかというと、おれはマスターだけでやめるつもりで入ったんじゃなくて、五年まで、ドクターまで行きたいのです、したがって二年終わって、マスターの論文は出すけれども、ドクターは試験なしに当然進学できるんだ、こういう議論が出てくるわけであります。だからいままでの制度というのは、学校教育法で言う大学院考え方は、マスターとドクターというものについて、ここで言う二年でやめて職業につくというような道を開くよりも、むしろ研究者としての、つまりドクターまで行く人間の前提としてのマスターという制度考え方であります。ですからここで五年として、前期二年、後期三年という書き方をしますと、どこの大学の院生も、これならばもう大学院に入ったら二年の修士、マスターを終わった人間はもう試験を受けなくったって当然にドクターに進学できるのだということで、試験なしの進学要求というものが実際には出てきているわけです。その問題で、この省令が出たために、いま大学内部では大変いろいろな混乱が現実に起きております。  だからここで言っている前期二年及び後期三年、この使い方、基準の取り方は正確じゃないと思うのです。そして「これを前期二年及び後期三年の課程に区分し、又はこの区分を設けない」、筑波のような場合には五年ドクターが一本ありますから、これは新しいタイプになりますね。これからどういうタイプを――技術科学大学院はいまのところマスターでしょうけれども、将来どうなるかわからぬけれども、そのドクターコースみたいな通し一本のドクターのものも今後出てくるんでしょう。そうしますと、ここのいままでの制度で言っている前期、後期でない、マスターとドクターという、そこに非連続の制度というものと通しで行くという考え方との運用上の問題点が――文部省の方から考えれば、いままでやっているように二年、三年でいいですよ、学則をそうして運用しなさい、こう言うでしょう。しかしそうでない運用だってできるわけですから、区分を設けない場合だってあっていいのですから、そうしますと、たとえば大学卒業生、学部卒業生の中から、最初からおまえはドクターコース専攻研究者、おまえはマスターコース専攻研究者というふうにセレクトをして試験をやるというようなことも、これでも可能になるわけですね。そういう運用もできます。それからまた、マスターを終わってから試験をやってドクターにいくというような形の、いままでの運用もできます。それから今度は試験なしに、マスターからドクターまで古い制度を使って一本でいくという院生の要求を認めざるを得ないような解釈も成り立つ。そういう意味で、この基準の第四条でいっている修業年限は、五年とする、前期二年、後期三年の課程に区分しという、こういう使い方は不正確ではないか、そういう意味でもっと政策的に明確になるような運用がしやすいように変える必要がないかとぼくは思うのです。  それはなぜかというと、今度は法律で見ますと、六十七条の規定を今度新たに設けたのは独立大学院やなんかを想定しているんだと思いますけれども大学院入学の資格というものは学部卒とマスター卒とこうなっているわけですね。そうしますと、六十七条の法改正趣旨は、大学を卒業してマスターにいくのも大学院資格、今度はマスターを卒業した人がマスターという学位を持ってドクターにいくという受験資格ないしは資格ですね、これが法律的に明確になっている。そうしますと六十七条の法の改正趣旨は、いままでの古い大学院制度前提にして、二段階前提にした法改正趣旨になるわけです、法律の上では。そうですね。もちろんこの中に、六十七条の前段の中には、そうじゃないんだよ、学部卒できたって大学院までひゅうっと行く資格は当然中に含んでいるんだから、それは運用上できるのですよというふうに運用はできます。そう解釈もできます。しかしわざわざ法改正して、「大学院に入学することのできる者は、」という資格要件として、片一方大学卒、片一方大学院のマスター卒というふうに、こういうふうに六十七条で法の改正をしたんだとすれば、それ以前に決めた省令としての第四条では、この六十七条の法改正という制度に合わせてこの省令というものを運用していくような書き方を明示しておく必要があるはずだと思うのです。それはどうしてそうなっていないかというと、去年の六月にまず省令をこしらえておいて、それでことしの四月一日からこれを施行すると言ってまず省令が先行しておいて、そしてその省令でもって各大学に学則の改正を事実上迫っていく。迫っていきますと、大学の中では実際に院生と大学院の間に問題があっても、省令で指導されるのならそういうふうに変えていきましょうという学則改正が行われている。ところが今日出てくるところの法の改正は、二段階考え方で六十七条改正となってあらわれる。こうなりますと、どうも六十七条の法改正と、この省令で提起された第四条の博士課程、マスター課程との間に制度上の混乱がある。ぼくは立法上政策的な少し混乱がありはしないか。何もかも一緒くたにして、筑波方式みたいなタイプのやつ、それからまたこれからの技術科学大学院みたいなタイプのやつ、そのいろんなタイプを想定して、何もかも、水と油みたいなものを一緒にしようとするような、水と油と言うと悪いけれども、そういう省令的な指導というものをやることがここにうかがえるんじゃないかという、これは一方的な判断でございます。そういう意味で、前期二年、後期三年の課程に区分しという使い方は正確ではない。同時に、文部省が指導した前期二年、後期三年として使ってもよいというような指導の内容は、大学内部の自主的な判断やいままでの伝統的な大学院考え方に混乱をもたらしているという意味において、この省令考え方はわからぬことはないけれども、使い方としてはもう少し正確なものにしておく必要はないか、こういうことです。
  32. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま大学院設置基準の第四条につきまして詳細なお尋ねがあったわけでございますが、博士課程の編成の仕方におきまして、従前博士課程が、先生指摘のように現実に二年とそれから後の三年のところであるチェックも行われ、そこでどういう者をさらに上に入れていくかということで運用が行われておったのが現実でございます。そのような現実も踏まえ、そのような現実にも対応し、かつ、五年間の博士課程を要請する面も一部出てきておりますので、五年一貫の課程という運用と、それから二年の課程、三年の課程に課程を区分してやっておった従来のやり方制度的にもある程度クリアにしてくるという要請と、この二つを大学院設置基準制定の際に考えたわけでございます。  そこで、先ほどの私のお答えも少し不明確な点もあり、言葉も適当でなくて誤解を与えたかと存じますけれども、第四条第四項で、「前期二年及び後期三年の課程に区分する博士課程においては、その前期二年の課程は、これを修士課程として取り扱うものとする。」という従前現にやっておりますやり方を、まあ三項だけではそこのところがいま先生指摘のように非常な問題が出てきますので、四項におきまして前期二年、後期三年の課程に区分する博士課程の場合は前期二年の課程は修士課程として扱いますよということをここで明示するということによりまして、従前の扱いを明確化するということを一つ考えたわけでございます。  それで各大学の方で博士課程組織の仕方につきましての学則をいろいろいま検討もし、改正もされている大学が先ほど申し上げたようにあるわけでございますが、五年一貫の課程はむしろ非常に新しい問題として特定の分野に出てきておりますけれども、ほとんど大部分の博士課程の編成の仕方は、従前からの運用の実績も踏まえ前期二年、後期三年の課程に区分し、前期二年の課程は修士課程として取り扱うということでやはり学則を定めておられるところが多いようでございます。  なお、先生から御指摘のございました、大学院への入学資格の今回の法改正との関連でございますが、後期三年の課程のみを博士課程として制度として置き得るかどうかという問題で、その観点から今回の法改正をお願いいたしておるわけでございます。これは独立大学院の問題についてのいろいろな要望であるとか、あるいは構想であるとか、そういったものとの相関を考えましたり、あるいは連合大学院的な構想等もいろいろな方面から私ども承っておるのでございますが、こういった今後の新しい大学院の道をできれば開いてほしいということでいろいろな要望なり御意見をいま承っておりますると、そのような要望を具体化していくための道を開こうとするならば、学部との相関における独立大学院、かつ、博士課程における後期三年のみの課程というものも置き得るようにしないといろいろな要請に対応できないという判断から、私どもはこの後期の三年のみの博士課程研究科設置という問題を取り上げた次第でございます。  なお、これを現在の学校教育の立て方から法律的に表現してまいります際に、大学院への入学資格という観点から規定せざるを得ないという点がありましたので、ただいま御提案申し上げておるような案文となっておる次第でございますので、その点はひとつさように御理解賜りたいと思います。
  33. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうしますと、法律論、省令を離れて実態論を考えますと、この省令をつくりましたね、そして各大学博士課程――学則改正のタイプはぼくの見たところ三つの学則改正のタイプが行われておると思うのですよ。一つは、当初博士課程五年というふうにこれをうたって、前期二年、後期三年、マスター、ドクターというふうに言っているやつと、それから混合型がありますね。金沢大学みたいに、医学部は博士だけれども片一方はマスターだ、こういうマスターと博士の混合型の場合の学則改正、それに対応した学則改正をやるか、やらないかということ。それからもう一つ懸念しているのは、ぼくは十七というふうに計算しましたが、十七という報告がぼくの調査では出ているのだが、その中に広島大学が入っていますか、十六になっていませんか。広島大学入っていないから十六になっているんじゃないですか。
  34. 大崎仁

    ○大崎説明員 広島大学からは大学院関係の学則の改正案がまだ私どもの方に参っておりません。
  35. 嶋崎譲

    嶋崎委員 それはわかりました。そうすると、広島大学が抜けているのです。  私の推測するには、その学則改正はいま討議中ですけれども、どういうタイプかというと、これは、現に博士がないけれども将来博士課程五年というものができることを想定して、それが運用できるような学則改正をやろうとしている動きがあります。いまこう言いましたからチェックしてそうならなくなるでしょうけれどもね。だから学則改正の中に、いままでの大学でも五年制博士を持った大学、混合型博士の学則改正のタイプ、それからないのに将来あることを想定して運用的にする学則改正と言われる三つのタイプの学則改正が行われていると私は判断をするわけであります。  なぜこれを問題にするかというと、永井文部大臣が言うように、大学格差というものをなくさなければ今日の大学問題というのは解決できないわけです。そのときに、もうすでにドクターというものが上にできている場合、田制帝大プラスアルファですね。それから今度はそうでない、私立大学の中にもそういうタイプのものがあります。それからマスターとドクター混合型の地方大学があります。それから広島大学のように地方大学の中で特別に格上げされようとしている大学がある。広島大学格上げといって、中身がよければいいのですが、そのこと自身は省令に基づいて学則改正を誘導している中に大学格差というものを固定化してしまうという現状をつくり出すということになりはしないかということであります。だからいま日本の大学で問題になっている大学問題の一つの大きな問題は入試地獄だと大臣がおっしゃるとおりであります。だとすると、すでに大学の格差というものを同定化し、そしてそれを再編成していくという大学政策が一方にとられていって、その一環として省令が問題になり、そしてまた法改正とが関連してくるということになると、いま国民が一番困っている、教育に関する一番大きな大学の受験問題というものが解決されない方向にむしろいっているじゃないですか、激化する方向に事態が進行しているじゃないですかという、つまり文部省主導型の、実はいわば危険な格差を再編成を組織していくということにつながりはしないかということを恐れるわけであります。  だからそういう意味一つお聞きしますが、では地方のいまマスター、ドクター混合型の大学に、マスターの上にドクターをつくるということについて、文部省はどう考えていますか。
  36. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま特に地方の国立大学における具体の問題を端的にお尋ねいただいたわけですが、そのような点につきましては、文部省でただいますでにあるプログラムと申しましょうか、それを持っておるということではございません。  ただいまいろいろ御指摘ございましたが、各大学で定めます学則というのは、当該大学大学院なら大学院学部なら学部実態があくまでも基礎であって、その実態を表現するものが学則と心得ます。省令改正によりまして、大学院に関します学則で各大学改正をやっておられるわけですけれども、これは省令改正によって実態とずれた学則を改正するということではなくて、問題はあくまでも実態そのものである。実態そのものが、学則において表現する場合に、今回の省令改正によって表現がより的確になるという観点からの学則改正を今日願っておる、こういうことかと存じます。  なお、しからば大学院の個々の今後の整備充実を一体どう図っていくか、新しい大学院設置基準なりあるいは今回御提案申し上げております法改正に基づく新しい道に基づく整備充実をどうしていくのか、これはやはり具体の、別個の問題として、それ自体として今後検討もしていかなければならない問題である、かように考えます。
  37. 嶋崎譲

    嶋崎委員 非常にわからぬ説明なんで、ぼくの聞いているのは、いま地方の大学に、博士課程片一方にあるコースは持っている、そうしてマスターしか持ってないのがある。そういう中で、ドクターコースを持って大学自身の研究やいい大学にしようという努力が片一方で行われている。そういうものに対して、ドクターコースというようなものを将来つくっていくということを一方でおさえながら、格差みたいなものが少しでもなくなる一つの要件になりますね。地方の大学にも、東京にある私立の大きな大学だとか東京大学その他ドクターを持っている大学と同じような大学ができるということは、その大学自身に対して国民がより積極的に行こうという空気をつくり出していきますから、いわゆる学術文化の中心としての地方大学のあり方というものが完成していく方向が一つあると思うのですね。だからそういう方向に向かって今後の大学政策というものをとっていくということであれば、学則は確かに実態に合わせて改正するものなんですよ、ところが学則改正省令によって行った過程で、やはり文部省の側や全国から見れば、これはドクターコースを持った旧制帝大プラスアルファ大学、私立の場合ならいい大学、それから混合型の大学はセカンドクラスと言うては悪いけれども、そういう大学であるかのように、そして今後は地方にはマスターをつくる大学すらもつくれないような大学片一方にあるという、いわゆるいまの大学院というものは、これは国民の側からいいますとみんな大学院へ行くのじゃないけれども、日本はヨーロッパに比べて大学院への進学率はまだ低いと思います。だからまだまだそっちの要望がこれから大きくなってくる。そうしますと、その大学院というものをどういうふうに設置するかという問題は、大学格差という問題と密接不可分なわけです。だから大学格差と密接不可分なときに、五年ドクター、前期、後期のタイプ、それから混合型、それからマスターだけと言われるような、そういう大学格差というようなものをむしろなくするにはどうするかという観点で今後の大学政策というものを考えなければならぬときに、それを固定化していくという機能を果たしはしないかという点を恐れるのです。ましてや、これはまた昼からの議論にしますけれども、四条の改正認可権が一方に強化されてまいりますと、そういうこととも絡まってこの大学格差というものをむしろ促進しやしないかということを恐れるわけであります。  ですからそういう意味制度的にも――もう昼飯になりましたから午前中はこれでやめますが、この省令の中の問題点は、三条のマスターの位置づけ方が、いままでの大学院のマスターのあり方から見て、違ったタイプのマスターコースというものをつくり出す誘導的性格を持っていやしないか。確かに法律の上で、あれは抽象的に言っているのですから枠の中ですと言えば、それはそれで成り立ちますよ。しかし実態論としてはそういうタイプのマスターコースが出てくる。これは技術科学大学院を昼から質問しますけれども、そういうのが出てくるのですね。そういう意味で、省令の三条で言っているような形で大学改革を誘導するというようなことは、この省令の枠を越えていやしないかという点を問題点として一つ出しておきます。  それからドクターコースとマスターコースの関連は、いままでの大学院のあり方はマスターとドタクーなんで、筑波大学のような通しのものは、これはいままでで言えばアブノーマルなんです、これから新しいタイプのものが出てくるでしょうけれども。だからそういう意味で、アブノーマルなタイプを、今後は学際領域の問題とかなんとかと言いながら次々とつくられる道を開くことに、この前期、後期の考え方はなりはしないかということを恐れるのです。したがいまして、この省令法律改正の間に、私は立法政策上の混乱が少しありはしないか、もう少し条文を整理する必要はないかと思いますが、そういう問題点指摘しておいて、いまの第二番目の質問を終わります。  大臣にひとつお聞きしますが、いまの問題に関連して、大臣はこういうふうに博士課程、マスターというようなものを考えてみて、地方大学により充実した大学院というものをつくっていく、これから昼から連合大学院独立大学院の問題に入りますけれども、いままでの地方の大学により充実した大学院をつくっていく、そういう形で格差是正していく基本政策をやろうとされていると思うけれども、それと大学院の今度のこういう三つぐらいのタイプの実態に合わせて学則改正しながら再編成していく危険性を私は感ずるが、その点について大臣はいまの議論を聞いていていかがお考えでしょうか。
  38. 永井道雄

    ○永井国務大臣 嶋崎先生の御質疑を承っておりまして、大変有益でありました。  そこで、三年、二年を前期、後期あるいは修士、博士というふうに分けるという考え方あるいはまた区分をしないという考え方、これと格差がつながっていくんではないかということでございますが、私はこれは今後の運営の方法だと思います。と言いますのは、二年と三年を分けるあるいは分けないというのは、これからの大学院のあり方のタイプだと思います。そこで固定してしまいますればそれは格差になるだろうと思うのです。しかしながら、それはそういうタイプの問題であって、次に実際にこれから大学院をどうつくっていくか。現状を見ますと、御指摘のように中央の古くからの旧帝大のところは非常に大きいし、それからまた大学院のところにも人間もたくさんいるわけなんですが、そこで現状を表現するところにこのタイプを使って、そこで固定するということになってしまえば格差になるだろうと思います。しかし、この考え方はいわば類型化にすぎない、こういうとり方をいたしまして、そしてこれからの運営を考えていく。運営を考えていくというのは、先ほどから金沢とか広島のお話が出ましたが、必ずしも私はその大学に、もうここでそこにいたしますというふうに約束するわけではないですけれども、しかしながら、考え方といたしましては、そういう地方の重要な大学がどんどん発展して大学院を伸ばしていくというところを文部省が大いに応援をしていく。また独立大学院というような考え方もありまして、従来の大学学部にはとらわれない形でつくり上げていく。こういう今後の政策の展開というものとの関連で今度はタイプを生かしてまいりますれば、タイプそのことから格差というふうにはいかないのではなかろうか。  ですからもう一度要約いたしますと、現状とそれからタイプというものを結びつけて、もうそのことによって現状は変えないというふうになれば先生のおっしゃるとおりの結論に導かれると思いますが、そこは一応二つ分けまして、タイプ論あるいは類型論、それから今後の政策論、これは別のものと考えていきますと、むしろこの類型論をうまく活用して、そして特色のある大学院というようなものを地方につくり上げていく、そういうものとして私たちはこの考え方を生かし得るのではないか、こう考えている次第でございます。
  39. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いまの問題はまた午後の問題に関連して質問します。      ――――◇―――――
  40. 久保田円次

    久保田委員長 この際、参考人出頭要求の件についてお諮りいたします。  すなわち、内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案審査の参考に資するため、参考人の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
  41. 久保田円次

    久保田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、参考人の人選、出席日時、その他所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
  42. 久保田円次

    久保田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  午後一時に再開することとし、この際休憩いたします。     午後零時十四分休憩      ――――◇―――――     午後一時十二分開議
  43. 三塚博

    ○三塚委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  委員長所用のため、その指名により、委員長がお見えになるまで私が委員長の職務を行います。  内閣提出学校教育法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。嶋崎譲君。
  44. 嶋崎譲

    嶋崎委員 学校教育法の一部を改正する法律案提案理由の中で大臣は、法律案内容の説明として第二番目に「後期三年のみの博士課程研究科設置を可能とすることであります。」と言って、「もっぱら博士課程の後期課程の研究指導を行うことが大学間の交流や特定分野研究者の養成等に資する場合があると考えられますので、このような研究科設置することが可能となるよう、教育研究上必要がある場合においては、当該研究科に係る入学資格を修士の学位を有する者とすることもできることとしようとするものであります。」、こう提案の理由を述べておられますが、ここで言っている「後期三年のみの博士課程研究科」とは、その構想はいかがなものですか。
  45. 井内慶次郎

    井内政府委員 後期三年のみの博士課程設置を可能ならしめるために、入学資格につきましての改正を提案しておるわけでございますが、このような研究科を考えましたゆえんは、一つは、高度の学際領域に関する教育研究を行う場合や、修士課程のみを置く幾つかの大学が相互に密接な連携、協力をしながら、後期三年の博士課程のみを設置する構想についてのいろいろな検討等も進んでおることにかんがみまして、修士課程終了者を入学させ、もっぱら博士課程の後期課程の研究指導を行うことが、当該研究科における教育研究にとって、その発展に資するものであり、また、学生、教官の交流の促進や特定分野研究者の養成に資するという積極的な意義を、後期三年の博士課程設置し得るということで実現していく道も開いたらどうであろうか、かような考え方に基づくものであります。  なおまた、現在ございます大学の共同利用の研究所でございますとか、あるいは大学付置の研究所等も母体の一つとして大学院構想したらという要望等もあるわけでございますけれども、この場合も、いま承っておるところでは、後期三年の博士課程を要請する声が相当強いのではないか、かように考えております。
  46. 嶋崎譲

    嶋崎委員 この設置審議会の答申だと、ここでは大学院の形として、独立大学院というやつの中に、学部段階組織を置かず大学院のみを設置するいわゆる独立大学院設置が可能となるように考慮せよというタイプ、これはいわゆる独立大学院構想と言われるやつのサゼスチョンだと思いますが、そしてその下に今度は二番目として、いわゆる連合大学院については、その設置形態等についてなお検討を要する点も多いが、大学大学院間の交流と協力を重視して大学院の整備を図るという趣旨の実現が可能となるように考慮する、こう言って、それで、説明の一は独立大学院の場合、二はいわゆる連合大学院構想と、独立大学院の形態の関連も述べておりますが、そういう答申がございます。  そうしますと、大目が提案理由で言っている第二の「後期三年のみの博士課程研究科設置」の道というのは、この連合大学院――「第三は、独立大学院制度の創設であります。」と言っているから、第二は連合大学院的なものを前提にして説明されていると判断してよろしいのでしょうか。
  47. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま先生、お手元に大学設置審議会の答申がおありかと存じますが、ただいま先生の御指摘になりました独立大学院の項におきましては、いま御指摘のような表現をとっておるわけですが、もう一カ所、ページで申しますと七ページでございますが、ここで「博士課程の編成方法等」ということの「④ 修士課程終了着を入学させる博士課程の後期の課程のみを置く大学院設置も考慮する。」これの説明といたしまして、八ページの上の方の「④ 学術研究必要性あるいは研究者養成の観点から、特定の専門分野については、大学研究所等を実質的な母体として、修士課程終了者を入学させる博士課程の後期課程のみを置く大学院設置する必要性も予想されること。また、修士課程のみを置く幾つかの大学との密接な連携の下に博士課程の後期課程を設置することも考えられることなどから、博士課程の後期課程のみを置く大学院設置も考慮する必要がある。」したがいまして、後期三年の課程の問題と独立大学院の問題、それから連合大学院の問題、この辺が、制度といたしましてはお互いに絡み合ったようなことになってまいるかと存じます。
  48. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうしますと、わからないのは、ちょっと教えてほしいんだが、いままでの大学院学部を持たない学際領域の特殊なコースの大学院の中にドクターだけを置くというようなタイプの大学院もある、こういうのがあるのかどうかですね。それから、いままでのドクターを持っている大学が、学際領域を頭に置いて、そこのスタッフを頭に置きながら、連合して一つ博士課程のみの大学院というものを置くような大学というような場合もあるのか。それから、今度は地方にあるマスターというものを持っている大学の上に、地方的な意味で連合大学院博士課程のみを置くというタイプの大学院大学もあるのか。それからいま一つは、共同利用研究所みたいなものの上に乗っかかる博士課程のみの大学院大学というものができるのか。ここで言っている二、三一緒にして実は質問しますが、大臣趣旨説明の第二と第三を一緒くたにまずして、大ざっぱにどういうタイプの博士課程大学院というものが構想されているのか。いままでいろんな審議会や何かで、ないしは高等教育懇談会やいろんなところで議論されていてどんなことが構想されつつあるのか。その幾つかの、いま申し上げたような四つぐらいのタイプを想定しますがどういうタイプなんですか。
  49. 井内慶次郎

    井内政府委員 後期三年のみの課程を設置し得るといういま法改正をお願いしておるわけですが、その際に具体的にどういうふうな構想が考え得るのか、また現在どういうふうな構想検討されつつあるのかということでございますが、ただいま先生幾つかのタイプを一応お挙げになったわけですけれども、いわゆる連合大学院ということで検討されておる多くのものを見ますと、修士課程までを設置しておる幾つかの大学が何か相互に連絡をし、共同で後期三年の博士課程の連合大学院設置できないであろうかという構想一つございます。  それから、特定の大学に付置されておりまする研究所の場合は、当該大学設置してある大学院研究科に自主的に参加するという形で組み込まれていく道があるわけでございます。そう形はもう相当とられておるわけですが、特定大学に付置されていない、いわゆる分子科学研究所のような共同利用研究所の場合に、一体どのような形でその大学院との関連を持っていくか、これも既設の大学院が、大学院みずからの判断で自分の学生を共同利用研究所に一定期間預けて勉強させるとか、既設の大学院判断で協力を求めるといいますか、そういう関係はいまでもあり得るわけですが、共同利用研等を母体としながら自主的に大学院を構成する主要な単位となると申しましょうか、ということができないであろうかという構想一つございます。共同利用研究所等を母体とするということが一つございます。  それから、特定の、すでに大学院のある大学におきまして、当該大学学部に対応しない独立研究科をつくっていく、それに既設の研究科の講座等が協力講座という形で協力はしていくという形のものがございます。これは昨年六月に制定しました大学院設置基準でこれが可能になりましたので、東工大等でそこまでのものがすでにできておる。現在いろいろ構想されておるものとしましてはそういったもの等でございますけれども幾つかある大学院を持っておる大学が、それぞれの分野等について相談をされて、それぞれ教官等も出し合って全く新しい独立大学院大学といいますか、その場合は必ずしも後期三年の博士課定のみに限定されるのか、いわゆる修士まで含むのか、こういったところがまだこれからでございますけれども学部のない独立大学院一つ大学としてつくり上げていくという構想構想としてはございます。このような点につきましては、従前それぞれの立場で、またそれぞれの専攻分野によりましても非常に問題提起の状況が違うようでございます。  そこで、先ほど来もお答えしました大学院問題懇談会で、一遍その辺を総ざらい、議論を目下始めていただいておるところでございまして、その方向等いろいろな問題を考えてまいります際に、どの構想が一番先に成熟するか、どの辺から実際に手がけていくことに相なるか。この辺も私どもとしましてはいろいろな関係者の方々の御意見を承りながら、今後具体には弾力的に考えてまいりたい、かように考えております。
  50. 嶋崎譲

    嶋崎委員 大変漠然としたものですね。いろんなタイプはあるが、どういうタイプでどういうものができるか、いまのところさっぱりわからぬですね。そういう幾つかのタイプはわかりましたよ。既存の大学にある大学付置研究所を母体にして、大学院研究科独立する場合、それから今度は学部の上にある大学院現実にあるけれども、学際領域に関連して、学部を持たない学内で大学院というものもできる場合もある。これは既存の大学の場合ですね。ところが既存の大学の中にあって外にあるような共同利用研究所が、大学の中と結びついてできる場合もあれば、外だけでできる場合もあるんですね、そうですね。それからいま言ったいわば東京工大型というのは、いま言った大学の中で独自なやつですね。それから東京大学型というのは、これは大変総合的に新しいマスターからドクターまで含むんじゃないかと思うけれども、大変壮大な総合大学院構想がありますね、学部を持たない。だからいま言ったやつでも幾つかのタイプ、ちょっとこのタイプを類型化するのにむずかしいけれども、整理すれば三つか四つのタイプに類型ができるのではなかろうかと思うけれども、それで今度は既存の大学の外にマスターをバックにして連合大学院的な大学院大学というものも構想されているわけですね。だからこういう法律案を提案するとき、少し無責任じゃないかとぼくは言うのですよ。というのは、永井大臣大臣になられて、それでいまここに言っているように大学院問題の懇談会をつくられて、まだ一回しか会合をやっていませんね。新聞では二回やりましたかな。新聞に載ったのは一回ぐらいですね。一回目の会合は四月何日かに開かれていましたよね。それからたびたび開かれているのかもしれませんがね。そもそも日本の大学院というものの大学のあり方について、いままで学校教育法やそれから政令で取り扱ってきたりしたそういう大学院のタイプと違った非常に多様な形のものをどんなふうに、それは類型化すれば幾つかのタイプになるでしょうけれども、そういうものをつくる、つまりそういう大学院大学の形態をつくるということを急いでおられるが、法改正で道を開けるようにしているけれども、どんなタイプの大学院大学をつくることが、いまの日本の科学技術や学術体制というものを考えたときに最も効果があって、しかもいい道なのか。そういう点の中身の議論が、いまのところ形態の質問をしていますからでしょうけれども、さっぱりそういう、要するに国家計画というものがわからぬわけですね。だからいままでの社会通念でいけば、ぼくらその懇談会に出ているんじゃないですから、立法府で議論するときにはデータを出してくだすって、行政の方でいままで諮問してみた、こういうタイプの大学、こういうタイプの大学、こういうようないろんな大学院大学がいま構想されつつあるが、こういう問題を処理するにはこういう法改正が必要になっているというふうに問題が出されれば立法府は議論しやすいですね。ところがいまちょっと聞いただけでも、これから大学院問題でその内容が煮詰まってくるとか、それからタイプを聞いても、どういうタイプが類型として一番妥当なタイプなのか、そういうやつについてもいまのところ非常に漠然としていますね。そうするとそういう材料のないままで立法府では議論しなければならぬわけですね。だから何とはなしに漠然とは理解できますよ。しかし漠然とは理解できるが、それで本当に日本の学術体制というものを、研究教育を頭において学術体制を充実させていくという方向がうまいこといくのかどうか、大変疑問なわけですよ。だからこの法律改正をやるに当たって大変無責任な問題の出し方をしているようにぼくは思うのです。立法府で議論せいと言って法改正を出してくるには、データが何もないわけです。いま私のところに来ているのは、高等教育問題懇談会のものだとか設置審議会の答申とか、それから学術何とか審議会ですか、あそこで出された答申とか、そういう抽象的な一般的なものはあるけれども、じゃ、それに基づいていよいよ法改正して学部を持たない新しい大学院をつくるのだという一般的な法改正をやるのに、どんな材料があってどうしなければならないから法改正になるのだという点がはっきりしないですよ。たとえば省令でもって処理できる――東京工大型というのは省令で処理できたわけでしょう。そうしますと、今度はたとえば大学の中の付置研究所を独立大学院として興す、これは省令でみんな処理できますね、いままでのものだって。できませんか、木田さん首を振っていらっしゃるけれども。だから、そういういままでの省令でできないはみ出し部分にどういうタイプの大学院大学構想されているのか、それの具体的な材料をもうちょっと出していただけませんか。いまタイプを幾つかおっしゃられたが、当面、たとえば文部省が来年技術科学大学院をつくらなければならぬということに関連しての問題点はわかりますよ。これは後で質問しますが、それ以外には何がいまの省令で支障を来しますか。ちょっと具体的に説明してください。
  51. 井内慶次郎

    井内政府委員 独立大学院なりあるいは後期三年の課程なりの問題につきまして、大学院を整備していく際の道をぜひ今回開いていただきたいということで御提案申し上げておるわけですが、これに関連いたしまして、各界において、いろいろな分野でいろいろな検討がなされておるわけですけれども、いまその主たるものを、ちょっと件名だけ申し上げてみますと、国大協第一常置委員会において国立大学院。宮崎大学で九州農水産学研究院。日本学術会議学術体制委員研究構想検討委員会で研究院。それから工学系統で中国・四国国立大学連合大学院。それから愛媛大学学部等で中国・四国地区国立大学連合大学院博士課程、これは農の系統でございます。それから関東周辺地区国立大学連合大学院農林水産系博士課程構想、こういったもの等が連合大学院的なものとして出ておるところでございます。  それと、先ほどお話ございましたが、現在、研究分野から申しまして新しい学際領域とか新しい構想で、すなわち従前学部学科専攻に対応しない形で大学院の問題として開拓をしなければならないのではないかということで特に指摘をされておりまする分野は、先ほど先生からも御指摘がありましたが、たとえば東京大学検討しておる総合大学院構想を見ますと、おおむねこれを四つの分野として指摘しておるようでございます。物質科学、生命科学、人間科学、情報科学、こういった四つの系を設けて既存の学部学科専攻にとらわれないで新しい学問適応性に応じて総合的な研究教育の領域を編成したらどうかといった問題提起がなされているところであります。  私ども法律案を提案するに当たりましていろいろな検討をいたしたわけでございますが、独立大学院の問題なり連合大学院の問題なりあるいは研究所を実質的母体とする大学院の問題なり、これにつきましては、それぞれの構想をこなしてまいりますためには、午前中もお答えしましたように、大学院基準そのもの大学設置審議会の態様そのものもこれから具体に詰めてまいらなければならないわけでございますし、そういった問題について具体の問題を相当煮詰めて、それから法案の形で国会の審議をいただくというのも一つやり方かと存じますけれども、いずれにいたしましても、大学院のこういった問題は、研究者あるいは大学関係者等の継続的な議論を積み重ね、それぞれの要請に応じてつくり上げられていく事柄でございますし、文部省としましては、大学設置審議会の昨年三月の御答申の中に出てまいりました関係者の方々の御意見の線に沿って、制度的に道を開く点はやはりこの際開いたらどうか。それを受けて大学設置審議会でも具体基準検討をし、かつ、ただいま申し上げましたようないろいろと構想が出ておる構想自体も、法の改正あるいは基準作成等と並行しながら具体に煮詰めていただけばよろしいのではないか。そして煮詰まったものを大学設置審議会の中へ持ってきていただいて大学設置審議会の判定を仰ぐ、そういう行政のベースから申しますと、今後実際に大学院の問題でございますので、研究あるいは研究指導の第一線におられるそれぞれの専門分野の方々の総括的な一つの御意向が大学設置審議会の答申となって私どもにあらわれたと思っているのでございまして、その意味で、できればこの際道を開かしていただくことによりまして、いまいろいろと申し上げましたような構想具体にこなされてき得るのではないか。そこのところがどちらが先かという議論にもなりますけれども、私どもとしましてはただいま申し上げましたようなことでお願いをいたしたい、こういうことでございます。
  52. 嶋崎譲

    嶋崎委員 どうもよくぼくはつかめないのだけれども、じゃ、そのタイプの中の幾つかを例にとって大学院大学の問題を考えてみますが、既存の大学にすでに博士課程が一方にある。マスターもある。そして付置研究所を持っているというような場合は、付置研究所のスタッフというのは事実上全部大学院担当ですから、それで事実上学部の上にできてきたいままでの大学院と深いつながりを持っておりますね。たとえば東京工大みたいな理工科の大学院独立した学部のないタイプの場合に、それが大学の中の場合ですと、いままでの共同利用研究所みたいなものを母体にして出てくる場合もあれば、それからいままでの大学院研究科を横に結んで、学際領域で考えて独自に興してくるという場合もありますね。だから、学内での場合は比較的問題が考えやすいわけです。それでも恐らく文部省の方でも困っているのではないかなと思っているのは、学部を持たないいままでの既存の大学の中にある大学院をつくるときに、定員をどういうふうに考えるかということがあるわけですよ。たとえばライフサイエンスならライフサイエンスみたいなものに関連する独自の大学院をつくりたいとしましょうね。そうしますと、それに関連した専門の、それに専従できるプロフェッサーは一人か二人だったとしましょう。ところが、そのライフサイエンスの独自の大学院を興そうとしますと、医学部の教授たちと全部兼任しなければならない。また、他の薬学の教授と兼任しなければならないというようなことがありますね。そうしますと、独立大学院を学内で興すという場合でも、そういう大学院というものが大学院の名に値する研究科たり得るかというときに、その研究者の数、それから定員、それから研究条件研究に必要ないろいろな研究実験の道具に至るまで、それから図書、そういうものを含めて大変なお金もかかるし、大変な問題点が出てきそうな気がするのです。だから、そういうのをたとえば大学の方で当面する社会的学問や科学技術の要求の中でこういうものが要るのですというふうに考えて、学部のない大学院を自主的に構想したといった場合に、それを今度は文部省の側が設置基準判断するときに、これもまた何を基準にして決めるのか、ぼくにはさっぱりわからないのです。設置基準に参加している人たちは専門家が多いのですから、ぼくの知らないことで決められるでしょうけれども、客観的な判断というのはどういうところから来るのか、よくわからないのですね。それにしても、学内の場合には比較的問題は描けやすいのですよ。ここで言っているタイプの中の、たとえばいま言った学内での学部学科関係なしに独立して出てくる大学院の場合はわかりいいですね。ところが、連合大学院と言われる場合に、連合大学院というのはどこでだれが使い始めて、どうしてこういうふうに定着をしてきたのか、この言葉の概念、カテゴリー自身が大変あいまいなものだと私は思うのですが、連合大学院という言葉が答申の中にも出てきているが、この連合大学院はおっしゃる幾つかのタイプがやはりあるわけですね。それで、仮に各大学のマスターを前提にして、たとえばいま九州で追求されようとしたり、中国、四国なんかでやろうとしたり、関東なんかでも何かそんなタイプのいろいろな大学院大学構想しつつあるような動きを伝え聞いていますけれども、つまりそういう大学院大学というのは、学部を持たないけれども、既存の大学前提にして出てくるわけですね。そういうタイプの連合大学院というのはあるでしょう。それはかなり重視されている大学院一つのタイプですか。
  53. 井内慶次郎

    井内政府委員 現在、連合大学院構想として具体的に検討がなされておるものの大部分の姿は、ただいま先生からお話がありましたように、既設の修士課程までを有する大学のそれぞれの専攻分野の方々が相互に協力をして、博士課程大学院を共同して持つことができないかという構想が大部分のようでございます。この点、連合大学院という名前でどういうふうな内容のものを今後考えていくのが手順として最も自然であり、また最もベターなのかという議論といたしましては、いろいろな角度から今後やはり検討してまいらなければならぬことかと思います。  特に、先ほどお話のありました点でちょっと補足いたしますと、たとえば現行制度で、現行の大学院設置基準で一番新しい形のものをつくり上げたのが、東京工業大学の総合理工学研究科でございます。この場合の具体のそれぞれの専攻の構成の仕方は大体どのように相なっておるかと申しますと、総合理工学研究科というのを独立研究科として東京工業大学の中に設けた。そしてその中で、たとえば社会開発工学という専攻一つございますが、社会開発工学という専攻で見ますと、大学院の社会開発工学専攻のための専用の基幹講座として、地震工学、物理環境工学、地盤工学という三つの講座がここに置かれる。そしてさらにこれに対しまして、東京工業大学の社会工学科の地域計画、建築学科の建築計画、土木工学科の都市工学、建築学科の建築構造第二、こういった四講座が協力講座ということで、基幹講座三講座に参加をいたしまして、社会開発工学専攻をつくり上げてスタートを切ったというふうな形に現に相なっておるわけでございます。したがいまして、東京工業大学の場合は総合理工学研究科でございますが、今度独立した大学院大学あるいは連合大学院等を考えてまいる際に、東京工大でこういうところまできておるわけでございますが、基幹講座として一体どの程度のものをどういう分野には要求しなければいけないのか、あるいは協力講座としてどのように考えてまいるかとか、こういった問題をそれぞれの専攻分野の実情に応じて、先ほど申しましたように、大学院問題懇談会でのフリーな議論も経、大学設置審議会における基準の設定等もそれぞれの分野に応じて今後やってまいらなければならぬだろう。その際、独立専攻なり独立研究科をいままでつくってまいりましたそのつくり方というものも十分参考にしながらやってまいらなければならぬのじゃないだろうか、かように考えておる次第であります。
  54. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうすると、いま言っている研究所や大学の中で問題になっている、独立した大学院でマスターをバックにして連合大学院的なものを構想しているのが多いわけですね。それは、マスターを終わった、そしてドクター三年の連合大学院ですね。そういうタイプがある。研究所の場合もありましょうが。もし、そっちの、マスターの上に出てくる博士課程の連合独立大学院を考えたときに、そういうものが地域にできてくることと、既存の大学のマスターだけで終わっている大学の将来とはどのような関係になるだろうかという点が、午前中の最後に大臣質問したことと関係があるような気がするのです。  この場合でも、ぼくの頭で混乱するのは、たとえば九州地区であれ四国地区でも、マスターを前提にした連合大学院大学博士課程というものを考えるとしますね。そのときに既存の大学の中に博士課程のある大学があるわけですね、たとえば九州大学だとかその他に。そうすると、その博士課程や何かあるけれども、今日の学問の発展から学際領域等々考えると、それとは違ったタイプの総合的な研究やスタッフを養成するという意味で、独立した連合大学院大学というものをつくらなければならぬから、マスターを卒業してからその上のドクターに行かずに、既存の大学のマスターから上に行かずに、マスターから連合大学院のドクターに行く、片一方もと大学のマスターを終わって上の大学院ドクターコースに行くというあらわれ方をすることになるわけですね。そこをちょっと確認してみます。いかがですか、その考え方は。
  55. 井内慶次郎

    井内政府委員 その点は、いま先生のお話のようなことかと思います。  なお、ただいまのお尋ねに関連して、考え方といたしまして、学部が充実してきたときに、その学部基礎として修士課程を設置するということを新しい大学制度発足以来いろいろやってまいったわけです。現行制度のままでまいりますと、やはり学術研究における進歩があり、大学が前進を遂げてまいりますためには、幾つかの大学は修士課程でもうそれから先は考えないんだというふうなことは、行政としてもあるべきではないだろうと思います。そうしますと、現行制度のままでまいりますと、充実した学部の上に修士課程をつくってきた、修士課程も充実したところにそれぞれに博士課程を必要なものはつくっていくという方法論がある自然な方法論としてあろうかと思います。しかし、ただいま御提案申し上げておりますように、わが国の大学院の今後の整備を考えてまいります際に、専攻分野により、あるいは当該大学の諸状況により、と申しますのは、ただいま先生も御指摘のように、当該大学にはすでに博士課程を持っておる研究科もあるし、修士課程を持っておるものもある。当該大学としてのまとまりにおける前進を考えてまいる際に、やはり修士課程を充実したら博士課程設置した方がベターな大学もあろうかと思います。しかし、学部が充実したところに修士課程を置き、修士課程が充実したら博士課程に延ばしていくという道行きだけでなくて、修士課程まで充実してきたときに幾つかの修士課程を持つところの大学が相互に協力、共同をして博士課程を連合的に持つ方が、いろいろな意味学問研究促進の上からもベターであるというふうな構想もいまいろいろと検討が行われておるようでございますから、その道も今後の大学院整備の方向として開いておけないものであろうかということで、個々具体の問題といたしますと、それぞれの専攻分野により当該地域の事情、当該大学の事情等を勘案して柔軟に多様な方法を用いながら今後わが国の大学院の整備を図っていったらどうであろうか、そういう気持ちで対したらどうか、私どもさように考えておるところでございます。
  56. 嶋崎譲

    嶋崎委員 少し問題がわかってきたのですが、そうすると、今度はその連合大学院大学の学則は、国民の立場から見て、連合大学院大学に行く道はどの大学を選んでどのマスターを終わったらそこの連合大学院に行けるという、受験するときからそういうきちっとしたものがある方がいいわけですね。そうすると、いまの場合に、たとえばブロックで考えるのか、ナショナルに考えるのかという問題もありますね。たとえば広島の方の大学を出て東京の方の連合大学院に行くという、学際領域の特殊な研究や勉強をしたいというので行くのもあれば、それから地域の方に行く場合もありますね。そうしたときに連合大学院というものは、既存の大学博士課程に行ってもいいんだが、途中で自分の研究の興味が変わってきて新しいものをやりたくなったときに行けるようにという道でもあるし、同時に今度研究者の側から言えば、新しい学問や科学技術の要請にこたえて深く研究できるような大学院をこしらえておこうというのに対応していくことにもなるんでしょうね。そうしますと、普通いままでの大学の場合ですと、学則の中で大学院に行くコースが決まっていますね、大学院研究科の中で。そうすると今度は、新しい大学院、連合大学院の中で、そういう学則でもって進学の道筋みたいなものを当然決めなければならない、こういうことなんかも一緒に考慮して連合大学院構想というものはいま動いているのですか。まだ全然漠然としたもの……。
  57. 永井道雄

    ○永井国務大臣 まず一番最初に嶋崎先生が、具体的な問題というものがはっきりしないのに法案をつくって、法案のこの点がああだこうだと言っても、これはなかなか議論がしにくいということを言われました。非常にもっともだと思うのです。特に国会は国民の代表の機関でありますから、具体的な問題というものが実はあって、そしてその具体的な問題の解決のためにいろいろ法律もつくるわけなんですから、具体的な問題の方を考える必要が非常にあると思います。連合大学院の問題あるいは独立大学院の問題、つまり今度の法案に盛り込まれている考え方なんですが、私はこれを理解していきます場合に、これからつくっていく問題を考える前に、現在の日本の大学にありますデメリットといいましょうか弱点になっている点、その点の方をまず申し上げておくと非常に話が具体的になるんじゃないかと思います。それは現在でも、たとえば東京工業大学のように、――実は東京工業大学は現在二学部でございます。理学部と工学部があるわけでございます。ところが大学院のレベルでは理学部、工学部の上へ乗せませんで、それを総合するいわゆる学際的な方向で理工学研究科というものができました。先ほど大学局長申し上げましたように、その中で社会開発というようなものを考えていくコースもあって、いろいろなものをまとめ上げていくということが出てきたわけですが、これは私は実は例外的だと思います。大体日本の大学の場合には、総合大学と言っていますが、学部の場合にもみんなばらばらになっていて、学部の連立大学みたいになっているというのが普通でありまして、学部間の交流というふうなものも余りない。そこへ大学院をつくっていくとどういうことになるかというと、いままでの大学院考え方は、学部の上に乗りますから、東京工業大学のような姿でいろいろ学際的な研究が非常に必要であるのにそういうものができてくるかというと、できてくる可能性がかなり薄いというふうに見るのが常識的だろうと思います。東京工大の場合なぜできたかといいますと、いま二学部でございますけれども、実は六、七年前と思いますが、六、七年前まではあそこの大学は単科だったわけです。いままでの工学部というやり方ではいけないということを戦争直後和田小六先生が言われまして、そこで理工単科という形の大学でやっていこう。しかしこの五、六年前に学部段階では二つに分かれてしまった。やはり大学院段階のところで和田先生のときの伝統を生かして総合的にいこうじゃないかということがあの新しいやり方の下敷になったと思うのです。ところがそういうことが方々の大学で可能かというと、これは先生大学においでになりましたから熟知しておられると思いますけれども、どうも学際的な形でもって大学院が既存の大学の中ででき上がっていく可能性というものはかなり乏しい、絶対にそういうことがないとは申しませんけれども、相当骨を折らないとできないという事情があるだろうと私は思います。ところが学問の趨勢から申しますと、たとえばわが国の場合、工学博士、法学博士、理学博士と、こう言っているわけなんですけれども、アメリカなどの場合はドクター・オブ・フィロソフィ、こう言っている。ということは何であるかというと、やはり博士課程段階というのはそういう狭い意味の専門家だけにとどまらないで、相当基礎的な学問を知っていなければいけない。だからハーバード大学あたりでは、ついこの間まで理学、工学の人もシェークスピアの試験を必ずやるということをやっておるわけなんですね。そういうことをやれるようになるかというと、これはなかなかできないかもしれない。それが一つです。  それからもう一つ、わが国のいままでの勢いをほっておけばどういうことになるかというと、東大とか京大とかあるいは東大とか早稲田とかあるいは九州大学と広島大学でも結構でございますが、そういうところは大学同士人事交流をいたしまして、そして学問の上で協力していくということは、これも相当の手をかけませんと起こらないというのが普通なわけです。そうすると、私いつも申しておりますように、わが国の大学のこれからのあり方を考えますと、学問の発達の上で人事の交流、学問の交流が起こることも大事でございますが、他方いままでのような形の大学の階層秩序というものを固定化することは非常にうまくないのじゃないかというふうに思うわけです。午前中にも先生は、下手にすると今度のやり方で格差の固定化が起こるのじゃないかということをおっしゃいました。それは下手にするとそういうことは起こると思います。しかし、ねらいはどこにあるかといいますと、むしろその逆の方向というものを考えていけないかということがこの考えの背後にあると思います。つまり、いままでですと修士ぐらいまでしか置けないだろうと言われている大学幾つかある。しかし独立大学院あるいは独立連合大学院という姿で幾つかの大学が協力する。そこに、仮にいままで相当力を持っていたと言われている大きい大学も加わってくれるというような事態が生じますと、従来のような形の大学中心というのではなくて、もう少しいままでとは違う大学中心というものの可能性が開かれることになるわけです。そうすると、いままでの形の重要な大学中心にいたします社会的勢力分布といいましょうか、そういうものも変えていけるのではないだろうか。  以上二つの面を申し上げましたが、私が理解いたしておりますところでは、大学院問題懇談会などにお集まりの先生方、またその他の方もそうでございますが、かなりこういう問題について深刻に受けとめておられまして、そこで今度大学院をつくっていく過程において、いままでのような形の学内割拠主義、それを打破していく。それからいままでのようなそれぞれの大学の閉鎖性と権威的秩序と言いましょうか、そういうものをやはり変えていかなければいけない。ですから、具体的に申しますと、いまのような問題解決ということがやはり頭にありましてそしてこの法案があるというふうに私は考えておりますし、さよう御理解願いまして大局的には方向として間違っていないのではないか、こう思っております。
  58. 嶋崎譲

    嶋崎委員 大臣がおっしゃったいまの場合でも、既存の大学のデメリットを学部間の割拠主議と大学の閉鎖性という二つの面でおっしゃいましたが、それは大学教官の側にあるのか文部省にあるのかという問題があるのですよ。つまり財政の問題であり、講座の予算の問題であり、予算のつけ方の問題等々があるわけです。だから既存の学部の中でも、学際を超えた新しい科目や学科をつくろうとか、それから学部を超えた共同研究所みたいなものを、大学並みに応用力学研究所みたいなものだとか産業労働科学研究所だとか、そういうタイプのものをつくろうという動きは既存の大学の中にもないわけじゃないのですよ。現に長い間あったのになかなかできなかったのは、大学内部の閉鎖性だけではなくて、実際に既存の大学のあり方に対応した予算の仕組みや財政誘導の仕組みがそうなっているから、それが隘路になってできなかったという面もぼくはあると思うのです。だからこの閉鎖性だけ強調してデメリットだと言って、いままでの学部というものはそれならばもう解体すべきだという議論に発展したらぼくはいけないと思うのです。  そういう意味で、おっしゃる一面はわかりますが、その一面を議論するときにはやはり大学行政のあり方、それに関連して財政のあり方というものを――大学の財政というのは、予算それからその予算のつけ方、配分の仕方、そういう問題についてもいままでの発想や対応の仕方だったらできにくいという側面が非常に重要なんだと思うのです。大学自治と言ってみたって人事と何かで、肝心の問題についてはちっとも自治はなかったのですから。そういう意味でいままで財政誘導でもって大学改革が行われた節もありますし、そういう側面もぼくは重視しておかなければならぬと思うのです。だからおっしゃる一面は確かにわかるのです。  そうしますと、たとえば大学院大学のドクターをつくるときには、ぼくはこれまた基準と関連してきやせぬかと思います。たとえば、いままでですと一つ研究科委員会の中の専攻というものをつくるときには、必ずその専任教授がおって、研究科の中の専攻というものを事実上認める形で協議して決めてきたと思うのです。ところが実際に学際領域を頭に置いて新しい連合大学院大学をつくるときに、いままで研究科をつくるに当たって学部前提にしてつくってきた大学の中でこの東京工大のような総合理工学研究科みたいなものはつくりやすいと思うのです、スタッフがいっぱいいますから。ところが連合大学院みたいなものをつくっていくときの研究科のスタッフは、定員がどうあって、いままでの講座的な考え方で言えば講座はどうあって、それに関連して学生定員はどうなりということについての具体的なものが客観的な基準としてないと、ただ連合大学院大学というものはいまの社会の要請に必要なんだという一般的なことだけでは、どんなものが出てくるかつくってみてやってみなければわからぬという話に――そんなことにはならぬと思うけれども、やはりここで基準一つ問題になるとぼくは思うのです。だからそういう意味で第四条の改正に伴って、これは私立の場合であっても非常に重視されますから、私立大学幾つか連合してつくる場合だってありましょうし、今度は私立と国立とが連合する場合もあり得るわけですね。その場合でも、具体化していませんからよく議論ができないけれども、私立大学というものはそもそもいまの学校教育法、私立学校法の中で、教育の機関としてはかなり大きな地位を占め現実に役割りを果たしている、ところが研究という観点、日本の学術体制という観点からして、私立大学はどう位置づけられているのかというような問題は大変あいまいもことしております。そうしますと、いまの私立大学の中の幾つか大きな大学にいい大学院があって、いいスタッフがいるというようなところと国立とでそういう連合大学みたいなものをつくることもあり得るわけですから、そういうふうにできる場合もありますが、私立大学の学術体制の中で占めている位置というものが何か大変あいまいな現状だと思うのです。それが今度学校教育法の五条の設置者負担主義みたいなところまでいくと思うのです。私立大学というのは国の思い切った援助とかそういうこともないために最近の私学助成のような応急措置みたいな話がどうしても一方に出てきていると思うのです。だから連合大学院というような大学院を今後つくる道を開くと同時に、そういう大学院のいわば設置基準というものについて一定の数量的な基準を考えて、あわせていかなければならぬのではないかという気が私はするわけです。  そういう意味で、午前中の問題とあわせてそういう点の検討をして、もうちょっと具体的にわれわれが議論できるようにしてもらいたい。国立の場合だったら今度はどうなりますか。いままで学部の場合にはどこどこ大学の何々学部法律でみんな起こしてきましたね。大学院の場合はいままで政令でしたけれども大学院大学という場合は今度は法律で起こすのですか。
  59. 井内慶次郎

    井内政府委員 学部のない大学院のみをもって大学とすることができるという趣旨法改正をお願いしているわけですから、国立で申しますと、大学院のみを有する国立大学設置ということになり、具体構想と申しますか、これにつきましては国立独立した大学院大学をつくる場合は国立学校設置法の一部改正という形で国会に御提案をし御審議をいただくようになろうと存じます。
  60. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そういうわけで、国立大学の場合にはここではかなり目に見えて具体的な議論ができると思います。私立の場合、公立の場合、新しい学部のない大学院構想したりそういう道も開けてくるわけでしょうが、そういう際に、午前中問題にしたような基準というものについて相当早急に煮詰めて、いままで認可してきたやり方と今後との間に問題が起こらないような対処の仕方をぜひやっていただきたいと思うのです。  もう一つこれに関連してお聞きしますが、この中の共同利用研究所の上に大学院という場合ですが、共同利用研究所をバックにして独立大学院大学というようなものをつくるそのつくり方の範囲というのはどこまで考えておられますか。具体的に言うと、共同利用研究所というのはいままでは大学とするというので国立学校設置法の中に繰り込んでいますね。ところが政府直轄の研究所があります、たとえば放医研とか。この放医研なんかは、私は科学技術と関係がありますから見ていますと、大学では非常に基礎的な研究が足りませんからスタッフが養成できていません。そして実際には放射能の数値の計算や何かの仕事ばかり負わされています。しかしそこにいるスタッフは非常に水準の高い研究者ですから、その専門家たちは大学の講師を兼ねています。そうしますと、いま国立学校設置法で言っている共同利用研はわかるのですが、それ以外に政府直轄の通産省、科学技術庁その他の研究所の中に、大学の講師を兼任しているそういう人たちのいるかなり高い水準研究所がございます。そういうものの上に新たに大学院大学というものが構想されるところまで範囲は広がるのか。さらに情報科学なんかとってみますと、民間の法人でかなりすぐれたスタッフが集まっていて、かつて大学博士課程担当の教授なんかが定年後つくっているようなタイプのものがございます。そういうものも情勢に応じてあるときには大学院大学に繰り込まれていく可能性、極端な場合ずっと広げていく。そういうふうに大学院大学という独立大学院構想をいまの学校教育法国立学校設置法を前提にして考えたときに、私立学校法も含めて考えたときに、独立大学院大学構想範囲いかんという点について疑問を感じていますが、その辺はどういういままでの審議の経過になっていますか。
  61. 井内慶次郎

    井内政府委員 独立大学院はあくまでも大学の一形態としてこれを認め、設置するという基本線を今回も堅持しております。したがいまして、独立大学院設置者は要するに大学設置者であるということを基本に踏まえて考えるべきであろうかと存じますが、この法律案を御提案する過程におきまして、大学設置審議会等でいろいろな御注意も承ったのでございますが、そのときに一つ問題点は、特に独立大学院博士課程設置いたします場合、博士という学位を授与するということに相なります。ということは、学位の水準を決め得る能力というものをやはり重視すべきであろう。研究活動においてどういう研究能力を持っておるかということと、研究指導能力がどのようであるかということと、学位の水準を決め、学位審査に耐え得るだけの学問基礎と申しますか、広がりと申しますか、こういったものをやはり重視しなければならないであろう。こういう点が特に私ども御注意をいただいておる点でございまして、独立大学院がその運営の仕方において、あるいはその設置のされ方において、あくまでも大学として、学術の中心として、高度の教育研究を行い得る諸条件というものはやはり具備しなければならないであろう。特定の企業等の研究所等がそのままの形でと申しますか、企業それ自体がたとえば大学院を持つとかということは、その意味においては一切考えられないであろう。あくまでも大学の一形態として独立大学院は考えるべきである。このような態度で対処してまいりたいと思っております。
  62. 嶋崎譲

    嶋崎委員 そうしますと、政府直轄研究所の上に乗っかかるなんということはありっこないですね。そこはまずそう押さえておいて、そこで、ではお聞きしますが、共同利用研究所を母体にして、たとえば大学院大学をつくるという場合に、そこでの学位というものを授与する。研究の問題で、共同利用研究所の持っているいままでの考え方と、それからそれを大学院大学基礎にするとどういう形になるのか、それもよくわからないのですが、共同利用研究所を母体にしてその上に大学院大学というのもあるかもしれぬし、共同利用研究所というのは研究所として付置研究所みたいに置いておいて、そしてそこのスタッフが大学院大学というものをつくる場合もあるんじゃないかというような気もするのです。だから、たとえば共同利用研究所を母体にしてつくる大学院大学というのはどういうタイプの大学院大学を考えておられるのでしょうか。
  63. 井内慶次郎

    井内政府委員 この点も、大学の共同利用研究所にもいろいろなものがございますから、個々具体判断具体になさなければならないのでございますが、特定の専門分野について、具体のプロジェクトについて深く研究を行うという研究所の基本性格がございます。その深く特定の研究を行うという研究所の性格にかんがみて、学位の審査とか、あるいは先ほど申しました学位の水準を確保するとか、そういった観点から見ると、特定の大学に付置されない大学の共同利用研究所を実質の母体とする大学院設置構想についても、他の大学院との連携等の問題を積極的に配慮する必要があるのではないかというのが大学設置審議会の私どもいただいておる御指摘でございます。この辺は、そういった点も念頭に置きながら、今後いろいろな検討をしなければならないわけですが、大学の共同利用研究所を実質母体とする独立大学院のあり方につきましても、先ほど来申し上げておりますように、大学設置審議会の方で基準検討を願うわけですけれども、ただいま申し上げました点は基本に置かれる観点かと存じます。
  64. 嶋崎譲

    嶋崎委員 共同利用研究所というのは、共同利用が目的なんですね。もちろん学術ですよ。日本の国立大学と書いてありますけれども国立大学の学術発展に資するためと目的が書いてありますが、共同利用研究所というのは共同利用ということが重視されます。ところが、大学院大学になりますと、ドクターの学生を置いて、そしてドクター論文を指導するという内容が加味されてくるわけであります。そうした場合に、研究所の共同の事業目的とでも言いましょうか、研究所の事業目的と、それからそれが母体になってできる大学院大学が問題にされる学位というものを発付するに当たりまして相矛盾した問題が起きはしないかということを懸念するのです。  たとえばまず第一点から聞きますと、共同利用研究所というのは共同利用だと思う。共同利用という考え方でできてきている研究所にそれらのスタッフを使って大学院という大学をこしらえると、共同利用の事業目的の方が抜けてしまって――いまでさえ共同利用はうまくいってないのですから、私学との関係なんかを見たって午前質問したとおりですから。そのところへ持ってきて、このスタッフを使って大学院大学をつくって、今度はドクターの指導をしなければならないわけであります。そうしますと、本来共同利用という観点の事業目的でつくられた研究所が大学という役割りを果たすということになってまいりますと、その点が事業目的と大学の目的とがダブる面と違う面と持っていますが、この辺について共同利用を前提にしたときの大学院というのはどう考えるのか、これをまずひとつ聞きます。
  65. 木田宏

    ○木田政府委員 最近つくられております共同利用研究所は、学問の最も先端的な領域を総合的に取り扱っておる研究所でございます。個々の大学自体ではそれにふさわしい研究体制を整えることが困難であるゆえをもって、共同で先端的な研究をやろうということであります。その研究がやはり後継者の養成に役立つような意味大学院の活動をするということはまことに願わしいことだというふうに考えております。また、それはやはり研究所としても考えておくべきことであろう。したがって、現在の共同利用研究所は大学院の教育に協力することができるというふうにしてございます。  しかし、もう一歩進めて考えますならば、現在の共同利用研究所は、それぞれもと大学が学生を送るという意思がなければ使われないのでございます。学生がいかに希望しておりましても、それぞれの大学が共同利用の研究所に学生を託するということがなければ、その先端的な研究中心にして教育を受けるということができない。学問領域によることでございますけれども、相当程度に充実した大きな共同研究の体制というものがありました場合、それを主体として、そこに大学院そのものの実体というものを大学として考えることができますならば、研究所自体がやはり責任を持って積極的に大学院学生の教育にも当たり得ることになろうというふうに考えております。現状から見ますならば、すでにある程度の実体があることでございますが、それを積極的なものとして一歩前へ出たい、こういうことでございます。
  66. 嶋崎譲

    嶋崎委員 木田さんは学術国際局ですね。大学局長がいますね。その行政の担当で、大学院大学というのは大学局長なんですか。学術局長なんですか。どっちが担当するのです。
  67. 井内慶次郎

    井内政府委員 独立大学院大学の一形態としてという考え方大学でございますので、私の所管でございます。
  68. 嶋崎譲

    嶋崎委員 木田さんが何で出てきたのか。まあいいわ。共同利用研究所の関係がありますから、それはわかるのです。  そうしますと、いままでの共同利用研究所というのは、共同利用でもってすぐれたチームをつくって先進的な研究をやるための研究所だったわけですね。しかし、その研究大学の中にちゃんと還流できるためにそれぞれ大学の非常勤講師を兼ねたり教授を兼ねたりして、そして大学のドクター論文の事実上の指導をやっている教授が現実には一ぱいいるわけです。そういうふうに分けて共同利用研究所を位置づけた意味は、何も共同利用研究所というところに学生を持ってこなければ、共同利用研究所のスタッフがドクター論文の審査ができないんじゃなくて、実際には大学の中のドクターコースの中でそれは可能であったわけです。なぜそういうふうにしてきたかというと、ドクター論文というのは特殊、専門的な、深く鋭いかもしれないけれども基礎のない、グルンドのないドクター論文なんというのはドクターじゃないわけですよ。ぼくもドクター論文をたくさん審査してきましたけれども、ぼくはドクターを持っていませんけれども……。ですから、共同利用研というのは、そういう共同利用研究所のスタッフが学部と結びついて、その大学院の中のスタッフとして位置づけられて、そこの中で学位を出していく役割りを果たしてきたのです。なぜそうしてきたかというと、共同利用研というものは、やはり共同利用研なんであって、これは大学院大学と言われる、やはり大学の外にはみ出ている性質を持っていたからだと思います。  したがいまして、一歩進めるというか、いまの段階でさえも、私がいっか質問したように、共同利用研の機能が、日本の学術研究という観点からは、国立大学中心であって、私立大学現実に排除されている。そういう仕組みを持っているこの大学院大学が、それを母体にして、今度はまた共同利用研究所でまた大学院大学をつくるというのでしょう。一歩進んでいるように見えるが、いまの共同利用研の問題点も整理できないうちに、さらに進んだ制度ばかりこしらえていくという、そういう感を免れないわけですよ。私が言いたいのは、そういう意味で、共同利用研というのは、なぜいままで教育というものを重視しなかったかというと、教育というものを重視してないのではなくて、あの国立学校設置法の二項には、大学にみんな関連を持つということをちゃんとうたっているし、そして大体みんな大学に関連を持っていったわけです。だから、進んだ学際領域に関係のある問題点について、大学でドクター論文を書くときには、そこの共同利用研のメンバーがちゃんと主査になって論文審査をやったに違いないと思います。その主査になる理由は、共同利用研にいろから、共同利用研で進んだものを審査するだけでなくて、ほかの大学のスタッフとの関連において、博士論文というものの持っている性格の大きな背後的性格を頭に置いて、学問のグルンドを頭に置いて博士論文というものを出していく制度的な仕組みだったとぼくは思います。  だから、そういうふうに考えてみますと、簡単に独立大学院構想独立大学院構想と言いますけれども、進んだ学問に確かに接しなければならない学生、研究者を養成しなければなりませんが、それがいままでできなかったということではないはずですよ。そんなふうに割り切ってしまったら、いままでの制度は全部何もかもやり直さなければならないことになってくるので、いままでの制度の中で、共同利用研というものの持っている意味は、何も進んだ研究大学に環流できないという性質のものではなかったはずだ。そこが一つポイントだと思うのです。  もう一つは、やはり共同利用研究所というものは、すぐれた学際領域を頭に置いて先進的な研究をするのでしょうが、なぜ学位論文を審査しなかったかという制度的な根拠をやはり詰めておかなければいかぬと思うのです。共同利用研で学生を置いてドクター論文を出してないのですから……。今度は共同利用研のスタッフでもってドクター論文を出す大学院大学をつくるとすると、いままで大学に環流させながらドクターとしていたドクターというものと、共同利用研のスタッフでもって共同利用研の中でできてくる大学院大学でのドクターというものについて、進んでいればみんなドクター論文、博士をやればいいというふうに割り切って処理できない問題が起きはしないか。たとえば事業目的と研究というのは非常に深い関係があるので、共同利用研究所でやっている研究スタッフで、そこに大学院ができますと、そこで各大学のいわば学位論文というのはおのずとテーマが制限されてきます。それから、おのずとそのテーマに即して出てくる論文が狭い――狭いというか、鋭いけれども、先進的ではあっても、あるところでは非常にすぐれているが、どこかで欠けているところがあるかもしれないと思うのです。私は自然科学の方はよくわからぬけれども……。  ですから、いままでの共同利用研がなぜ教育というものを片手にやる大学という形をとらなかったかという制度的根拠から考えて、そのスタッフはすぐれているから、新しい研究をやるから、大学院大学というものをそれにくっつければいいというふうには簡単には考えられない面がありはしないか。さっきの範囲は、いまのところ共同利用研にとどまっていますけれども、事業目的というものが、共同利用研は共同利用研という研究所の持っている事業の目的があるし、大学には、教育研究を頭に置いた一つの事業の目的が実際に学校では行われていると思いますね。そうしますと、学問研究の自由という観点からしますと、そういうつまり事業目的的な枠にはめられたテーマの設定でドクター論文を書くということが問題になってまいります。そういうことがあり得ると思うのです。ですから、それが例の産学協同問題で、企業と教授が結びついているために、大学院の学生諸君がドクター論文を書こうとすると、教授の関心のない論文を書くのに対してチェックしていくということが現実にあっていると同じようなことが、共同利用研の場合にはそういう企業じゃありませんけれども、事業目的という枠の中でのティーテル、つまり博士論文の位置づけ方ということに関連をして今後問題を起こしそうな気がするわけであります。だから、共同利用研というようなものは、確かに進んでいる学際領域を頭に置いた新しい先進的な科学研究をやっているんだということだけでもって、そこに学生を入れて大学院をつくればいいスタッフができるであろうというふうに、イージーと言うと悪いけれども、ただ独立大学院をそこに構想していくというようなことでいいかどうか、この点は私は大変疑問なわけであります。まあ木田さんには木田さんの答弁がありましょうから、どうぞ……。
  69. 木田宏

    ○木田政府委員 もともと先生案内のように、大学院学部中心として構想されて運営されてきておりますから、歴史的には、私の理解いたしますところでは、研究所や研究施設というのも教育にはかかわりないという形で発足をいたしました。しかし、学問の進展と、それを後継者に伝えるという教育の課題から、研究所の研究部門が大学院に協力するという形で、できるだけ大学院を、学部専攻のみならず、幅広く含めていくという流れをたどってきておると考えるのでございます。  共同利用研究所、ことし分子科学研究所を岡崎につくっていただきました。物理と化学とそれぞれ別の領域で扱っていたのではぐあいが悪いということから、分子を物理的な手法で幅広く考えていこう、そこに将来はもっと基礎的な生物、生理といったような問題も考えられるならば検討してみようというような、そういう状態にあるわけでございます。  こうした総合的な基礎科学の研究体制というもを、従来であるならば、それらしい学部をつくったかもしれません。しかし、学部という形で事態に対応するよりは、やはり研究所として先端的なテーマを総合的に取り扱っていくという分子科学研究所を設置していただいておるわけなんでございまして、そういう分子科学研究という面から大学院の教育内容というものを組織づけてみるということも考えてしかるべき課題であろう。それは、大学局長も申しましたように、大学院の教育内容としてそれ自体が十分な大きさを持ち得るかどうかというのは、もっと別の観点からも考えなければならぬところでございます。しかし、長津田のあのキャンパスに東京工大が研究所と特定の専門領域を含めた、学部とは違った大学院構想をつくっている。あれがやはり、それをキャンパスが別でございますし、仮に組織的に別の組織といたしますならば、研究所にそうした大学院が置かれるということになってくるんだろうと思います。ですから、実体的には私は、長津田で考えられておりますこととそう大きな違いはない。この際、大学院というものを中心にしながら、研究と教育のあり方を一体的に考えてみるということが、研究所に足場を置いて大学院というものがどこまで考えられるか、こういう課題になってきておるものというふうに思います。
  70. 嶋崎譲

    嶋崎委員 具体的に問題にならないですからね。まだいまの段階ではそういう構想段階であって、具体的な問題になりませんから、抽象的な議論でお互いに立法政策上いいと言っているだけで、ぼくは少し慎重に取り扱いなさいと言っているだけで、つぶせと言っているわけではないから。だけれども、問題がそういうところにあることを常に考えていかないと、私は、大変大学というもののただ機能的な対応ばかりが考えられてきて、そうして大学の持っている本来の、いままでの伝統的な大学の中に貫いていた大学組織や管理や、そういう研究、教育というものから出てくる――要請に応じて機能的にばかり対応して新しいものは出てくるけれども、肝心のものが形骸化しているのに対して何ら手が打たれないということに走りがちな、勇み足を非常に感ずるのですよ。新しがり屋というと悪いけれども、古いものの中に非常にいいものがあるんであって、そのよさの中から発展させる議論じゃなくて、何か新しいものの要請が出てくるとそれに飛びついてしまうという傾向が最近特に感ずるのですよ。筑波大学はその典型だとぼくはいまだに思っています。だからそういう意味で、いまの共同利用研を前提にした博士課程だけの大学院というものについても、相当いろんな専門家の意見も聞き、特に私学の人たちの意見を聞いて、この問題の発足に当たっては対処していただきたいということでございます。  そこで今度は、独立大学院に関連して技術科学大学院なるものが来年くらいどうも具体化しそうだと報道され、伝えられておりますが、技術科学大学院というのは大学なんですか、大学院なんですか。
  71. 井内慶次郎

    井内政府委員 技術科学大学院につきましては、これからの工業教育において現実的な課題に対し適切に対応し得る実践的、創造的な能力を身につけた指導的な技術者の養成を図るという趣旨で、高等専門学校の卒業者あるいは短大の卒業者等を主とし受け入れるという機関として技術科学の大学院構想したらどうかということで問題提起がなされ、今日このような要請を受けましてその具体構想につきましての検討が進められておるところでございますが、現時点、その制度上の位置づけ、教育研究組織のあり方につきましては、学部を有しない大学院、修士課程だけの大学とし、これに高等専門学校等とのつながりを持たせるため二年の特別の課程を置くこととするのが適当ではないであろうか、かようにいま考えておるところでございます。  この問題につきましては具体の候補地に即しましていろいろな準備も現在進んでおるのでございまするが、制度的な位置づけの問題につきましては、ただい玄申しましたように学部を持たない大学院、修士課程の大学として位置づけ、これに進学をするための二年の特別な課程を置くという構想が適当ではないであろうか、かような考え方検討を受けております。
  72. 嶋崎譲

    嶋崎委員 大学の中には大学院大学を含むというのが学校教育法の一条との関連で一般的だけれども、いま一応区別しまして、いままでの伝統的な大学大学院、こういうふうに分けて考えたら、技術科学大学院大学院なんですか、大学ですかと聞いているのです。
  73. 井内慶次郎

    井内政府委員 独立大学院という大学として構想を立てたらどうかという考え方でございます。
  74. 嶋崎譲

    嶋崎委員 大学院ですね。独立大学院ですね。
  75. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいまお答えしましたように、修士課程レベルの大学院より成る大学、それは、ただいまの学校教育法改正で御提案申し上げておりまする学部を有しない、大学院のみの大学としてつけたらどうか、こういう考え方でございます。
  76. 嶋崎譲

    嶋崎委員 はい、わかりました。そうしますと範疇は大学院ですね。  そうしますと、高専というのは大学じゃないですね。
  77. 井内慶次郎

    井内政府委員 高専は、高等専門学校という学校制度に基づく大学でない学校制度であります。
  78. 嶋崎譲

    嶋崎委員 だから、学校教育法の一条には「大学、高等専門学校」というように、高専というのは別に規定しましたね。そうしますと、大学でない高専の上に、マスターだけであれ大学院を置く、そういう独立大学院構想は、いまの法の体系の中でできるでしょうか。
  79. 井内慶次郎

    井内政府委員 考え方といたしましては、学部を有しない独立大学院として修士課程レベルの独立大学院を置くということでありまして、これにどういうふうな形で入学者を意識するかとか、どの辺を主たる入学者とするかという問題を考えましたときに、現在のわが国の高等教育制度の中で大学院に入学し得る者というのは学部卒、それに今回の改正で、修士課程卒も入学資格とし得る後期三年の博士課程設置し得るようにという改正をお願いいたしておるわけです。     〔三塚委員長代理退席、委員長着席〕 そうしますと、高等教育の現在の期間の中で、高等専門学校卒あるいは短大卒という人たちが大学院へ入学していくための資格がいまないわけでございますが、そういったこと等も考えたときに、高等専門学校卒あるいは短大卒の人たちにも大学院への道を開いたらどうであろうか、技術科学大学院構想は修士課程レベルの独立大学院をそこに構想し、これに学部卒が入学できるのは当然でございますが、学部卒でなくてもこの大学院に進学し得るように、特別の二年の課程をその大学院に付設したらどうか、こういう構想でございます。
  80. 嶋崎譲

    嶋崎委員 ぼくの聞いている質問に意外なことを答えられておられるのですが、高専というのは法律的には大学でないわけですね。大学でないものの上に今度は大学院をつくるわけですね。その大学院は、大学卒のための資格要件をこしらえるために二年なら二年のいわば進学の段階を設ける、そしてそれが終われば大体大学卒の要件になるから、あと二年マスターをやればこれはマスター号という学位を出せる大学院大学なんだ、こういうことにいまの説明はなりますね。そうでしょう。そうですね。  そこでお聞きしますが、それだったら、これはいずれ技術科学大学院具体的になったときに細かに議論すればいいので、予測してこの法律を出させぬための議論をしているわけでは、まあそうかもしれませんが、ないことにしておきますが、そうしますと、いまの制度の中で、高専を済んだ人が大学卒の資格を取れないのでしょうか。
  81. 井内慶次郎

    井内政府委員 一応五カ年の教育を受けまして、高専の卒業生で大学学部に編入をしていく、大学の工学部の方に入っていく。これは三回生で受け入れておるところと二回生で受け入れておるところとがあるようでございますが、編入の道はございまして、現在も若干の者が進学をいたしております。
  82. 嶋崎譲

    嶋崎委員 それでいいじゃないですか。なぜ技術科学大学院という、いまの法の体系でも考えられない異質な大学院をつくるのに一生懸命になるのですか。そもそも高専をつくったときは、技術科学大学院みたいなものを先の展望を描いてつくったんじゃないじゃないですか。つまり、中学卒から技術者として一定の深みを持った人を五年でとにかくやって社会に送り出す、そういうレベルの大学として高専というものを位置づけて法律でつくったんじゃないですか。その上にわざわざ何で特別の大学院構想を考えるのですか、独立大学院といって。そうでなくて、高専を卒業した人が学部に転入学することもできる道はあるし、また同時に、学部卒の資格をとるためのほかの認定の方法だってあるわけですから、既存の大学大学院に行くという道を開いておけば、国立高専ないし高専をつくった段階の立法趣旨と合っていると思うのですよ。そのためにいま編入できる制度があるんじゃありませんか。そのときに大学でない大学の上にわざわざ大学院というレベルのものを、二年という進学の条件も、いまの大学は短期大学も高専も含めて学校教育法上は書いていますから、何も四年でなければならぬということはないけれども、しかし、わざわざ科学技術のマスターをとらせるために二年間の進学課程みたいなものをこしらえて、その上にわざわざ特殊に技術科学大学院みたいなものをつくる根拠が――そんな無理してまでつくらなければならないほど国立高専卒業生の中の圧倒的な部分が大学院志望ですか。
  83. 井内慶次郎

    井内政府委員 先ほどお答えしましたように、高専を卒業してさらに進学しようとする者の数は年々増大をいたしておりますが、これに対して文部省としては、既設の工学部への編入学の定員枠を特別に若干設けたり、あるいは編入学の選抜を行う際には高専卒業者等をも対象とするよう関係大学の理解も得まして、編入学の措置も進めておるところであります。  技術科学大学院構想は、高専卒業者等を主たる対象として考えておるわけではございますが、技術科学大学院構想自体といたしましては、実践的な技術の開発を主眼とした教育、研究をねらいとするということを掲げ、そしてこの技術科学大学院研究、教育面で発揮しようとする特色は、今日の高専教育において非常に実践を尊重した技術を身につけさせることを教育の一つのねらいにいたしておるわけですけれども、そういった技術開発、その研究面を伸ばしていけるような修士課程というものも今日わが国においてやはり要請されておるという観点に立ちまして、技術科学大学院構想を私どもとしては目下検討を続けておるところでございます。
  84. 嶋崎譲

    嶋崎委員 それはやはり各種学校的なものですよ。つまり、いままでの大学の学位で言うマスターというものを前提にした枠に入り込まないタイプのマスターを、いま独立大学院という名称でつくろうとしている。そうして、その独立大学院の中に、片一方では共同利用研究所みたいな、ドクターだけの非常に高度な独立大学院があるかと思うと、今度は高専という大学でない学校の上に無理して制度的にない大学院大学をつくる、マスターだけにせよですね。だから、これはちょっとはみ出ていますから、筑波大学みたいなもので、法律で特殊に起こして、将来は別に規定し直していく性格のものだと私は思いますね。国立学校設置法の中で特殊に起こさなければならぬものだと思う。ところが、大臣趣旨説明で言い、答申の中でも言っているのを見ますと、それも午前中私が申し上げました省令の中の三条で、職業教育の大学院のマスターというものを構想している、それと実は密接に結びついてくるわけであって、大学院大学と言われるものはいままでの大学という範疇の中で処理すべき性質のものだと思うのですね。そうでなかったら、学校教育法の一条に高専というものを別に起こす必要はないと思うのです。だから、要するに独立大学院というふうに一般化して、技術科学大学院も一方で構想できる、一方では共同利用研究所のような独立大学院構想できると、何でもかんでも道は開いているけれども、しかし、その道を開いていることの中には、学校教育というものを中心にした大学観というものが根底にすわっていない。片一方では法の体系からはみ出たものを独立大学院構想し、片一方では既存の大学関係のある非常に高いものを構想する。それはいまの学校教育法の体系の中で言う大学からはみ出たものの道を開いているということになりはしないかということであります。  そういう意味で、独立大学院構想というふうにおっしゃるのは、何でも機能的に対応することばかりが考えられていて、そしていまの憲法二十三条に言う学問の自由という要請、それに基づいて出てきた学校教育法、そこで言うところの大学、そして大学学部というものを中心にして考えるという既存の大学大学観から逸脱したものをこの独立大学院でくくってしまう道を開いていくということになっている一つの例ではなかろうかというふうに考えますが、いかがですか。大臣、ここのところ特に後で意見を聞かしていただきたい。
  85. 井内慶次郎

    井内政府委員 大臣がお答えになります前にちょっと補足をさせていただきます。  大学設置審議会から昨年三月にいただきました今後のわが国の大学院の整備の方向の問題でございますが、この点におきまして、午前中お尋ねもあった点でございますけれども、「修士課程は基本的には特定の専攻分野における研究能力の涵養を目指すものではあるが、各大学院の方針により、高度の専門職業教育、社会人に対する高度の教育等に重点を置く修士課程も設置できるようにする必要がある。なお高度の技術の修得や特定の専門職業水準の維持向上などの観点から、専門分野により、適切と認められる場合には、修士課程において学部段階の教育と一貫性をもった教育、研究指導が行い得るよう配慮する必要もあると考えられる。」こういった指摘等もございまして、今後の大学院の整備の方向といたしまして、修士課程につきまして「専攻分野における研究能力の涵養を目指す」という基本性格を踏まえ、特に技術の面につきましての今後の修士課程レベルにおける研究開発の問題等を考えました際に、ただいま申し上げました技術科学大学院構想というのは、わが国の大学院を今後整備していく方向においても考えられてしかるべき一つ構想ではないであろうか、かように私どもとしては考えておる次第でございます。
  86. 永井道雄

    ○永井国務大臣 憲法並びに法律に基づくいままでの大学考え方からこの独立大学院考え方というのが逸脱している面があるのではないかということでございますが、もしそういうことであるとすれば、きわめて重大なことだと思います。  まず、大学の運営の仕方につきましては、従来の学部中心とした大学、そこで自治というものを重んじて大学を運営していくわけですが、それと独立大学院というものは毫も変わったものになってはならないし、またそうではないという点で、変わりはないと思います。大学の場合、学術の中心として研究、教育というものを行っていくということでございますが、独立大学院の場合、これまでのような学部考え方というものを独立した大学院の場で行おうという考えでございますから、その限りにおきましても、独立大学院と従来の学部中心とした大学基本的な役割りというものと違いはないと私は思います。  先生の御指摘がありましたのは技術科学大学院の問題、特にそれと高専との関係でございますが、これはまだ別に完全に内容が決まっているというわけではないのですが、いろいろなことを考えていくことが重要だと思います。先ほど先生のお言葉の中に、企業なり何なりに傾斜した各種学校的なものになってはこれは大学ではないのではないか、各種学校です、私は各種学校になると思います。その場合、ただ私が技術科学大学院のことについていままで聞いておりますこと、また技術者教育の問題についていままで私自身幾分勉強しておりますことを申しますと、わが国の技術者教育の場合、またそれは研究を根に置いておりますけれども、もちろん実習というものはあるのですが、しかしながら、実は相当学校の講義に傾斜して教育が行われているという事実はあるようです。  そこで、たとえばイギリスの技術教育白書なども、その点をイギリスについて指摘しているわけなんですが、やはりイギリスの場合、非常にはっきりサンドイッチ教育というような言い方をして、実を言うと非常に画期的な研究というのも従来の大学から出てない。従来の大学から出ないで、イギリスの場合にはほかの国より先進国で産業革命の後先頭を切っていたわけですけれども、実際の工業部門との接触が相当あったところから、本当の研究、これは教育よりも研究ですが、出てきている。そういう歴史的な事実があるから、そこで今日研究及び教育をやっていく場合にも、その点を配慮しなければいけないという指摘がございます。  私は東京工業大学にしばらくおりましたが、そこに理化学研究所から来られた先生が相当多かったのです、現在それほどでもないのですが。といいますのは、理研が戦争の後一種解体みたいな姿になりましたから来られました。理研がやはり非常に実習、実験というものを重んじながら研究をやっていくという形で非常な貢献をいたしましたことは、周知の事実であります。そこで各種学校的にただ企業に傾斜していくというようなことではなくて、やはりいままでの日本の技術者教育のあり方というものについて新しい境地を切り開いていく、また研究も同様にそうであるというような形でこういうふうなものが構想されますということになりますと、先生先ほどおっしゃいましたように、制度いじりというか、になったり、機能の方だけ考えてどんどん制度つくって、そしていままでの大事なものを捨ててはいけないではないかとおっしゃったのは、全く私も同感でありますから、いまのようなことを十分配慮して、そして慎重に大学院というものの建設に当たっていかなければならない、非常に重要な御指摘がありましたので、そういう点は私たちとしても十分考えなければならないと思っております。
  87. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いずれ技術科学大学院が先で問題になるでしょうから、またそこで細かな審議になりますが、さしあたって資料要求しておきます。国立高専のカリキュラム、どういう科目をどういうふうに単位を取って、そして国立高専卒の資格というものを得ているか、それについてのデータをいただきたい、それが一つ。  それで国立高専の、いま大臣がおっしゃったけれどもぼくもそうなんです。この間中国に行っていろいろな大学研究学校教育を見てきましたけれども、大変すぐれた実践つまり応用、実験というものと結びついた学問というものの非常にリアルなものをたくさん見てきました。しかしこのときには背後には、あの国は共産主義の国ですから非常に社会科学を重要視しています。つまり技術者というのは、社会のメカニズムを抜きにして技術論なんてありっこないわけですから、だからそういう意味で、単に技術的な側面において応用的な能力が足りないいまの大学研究のあり方を反省して新しいタイプのものをつくろうということは、発想それ自体としては否定はしませんが、しかし学校というものをつくり、特に学校教育法でいっておるところの大学の中に、教養課程というものを非常に重視してきた、その重視してきた教養課程のあり方がいま大学で非常にまた問題になっているのです。ですから高専から大学院大学に行けるようにするために、二年間進学の課程をつくって大学卒的な資格要件を与えさえすれば、後は大学院のマスターをとれるような条件になるのだというようなことで処理されるほど単純ではない。やはりいままでの大学の教養課程をなぜ重視したのか、そして学部中心大学の上になぜ大学院をつくってきたのか、そういういわば伝統的な大学院、日本の学術研究の体制のあり方というものを踏まえた上でなければ、機能的な側面から見て日本の教育の欠陥を補う新しいタイプだからこれはいいではないかというふうには断定しかねる。しかも法の体系から見ると、これははみ出た大学であるという意味で、今後問題になるこの技術科学大学院については議論をしなければいかぬと思います。  そういうふうに見てきますと、私は今度の法改正の中に何か一本貫いている大学院大学を目指す日本の学術研究体制に対する立法政策的なものの中に、いままで学校教育法でいう大学、そこで伝統的に言われてきた大学観、大学の見方、その中にはよさもあり、メリットもあればデメリットもある、そのメリットを生かさないでいるところにデメリットがあるだけの話で、デメリットばかり議論したのじゃぼくは問題にならないと思います。そういういままでの憲法、学校教育法国立学校設置法等々で言われている観念ですね、大学観というものをやはり前提にしつつ、新しい時代の要請にこたえてどう改革の道が開けるかというふうに問題がいつも立てられていなければならぬと思うのです。保守的に何も古い大学でなければならぬと言ったり、学部割拠主義がよろしいなんということを私は言っているのではないですから。ところがここに出ているいまの大学院大学の場合、片や共同利用研究所の上に博士課程大学院大学が出てくるかと思うと、今度は国立高専の上にいままでの制度で考えられないような大学院構想が一方に出てくる。だからそういう独立大学院構想にしても、片一方共同利用、こういう技術科学大学院みたいなタイプがある、今度は連合大学院といっても外のやつもあれば内もあれば、いろいろなタイプが構想されていそうであります。ただそこに一貫して貫いているものは、いままでの大学をどう充実させて、そしていままでの大学の上に、大臣がいつも言ってきた大学格差をなくするために地方の大学にいい大学をつくり、そして集権な大学のあり方というものを変えていかなければならぬという、そっちの方をベトーネンしていく発想が背後にあって、本当はあってやるのですとおっしゃる、答えは何回でもそれをおっしゃっている。しかし実際に出てきている改革の方向というのは、全部新しい方向ばかりなんですね。要請に応じた新しい方向なんです。だからその新しい方向、たとえば連合大学院といって出てきた場合に、地方のマスターをドクターにするということがあり得ると言っている、ケース・バイ・ケースで。あり得ると言っているけれども、恐らくぼくはないと思うのですよ、いまのままでいったら。ないと考えているのじゃないですか。大体この辺はマスターで終わり、この辺はマスターも持てない大学、それから今度連合大学院に行くときには、いままであるドクターや何かで、学際教育で新しいものをつくる、そっちの方に力点がかかっているので、もういまやマスターまで出てきた大学院の上には大学院をつくらないという前提がすでに政策的にあるとぼくは判断しているのです。ないという保証ができたらりっぱですけれども。そうしたらそこらじゅうの大学をもっと再検討をして、予算のつけ方や何か全部検討しなければなりません。だから、どうもいままでやっていることが、いままでの大学の格差を前提にして、そして旧制大学、旧制の帝大プラスアルファ大学、それから中間の地方大学のややいい伝統を持っている大学、そうでない大学というように、もうすでに国立にそういう格差を前提にし、私立にもそういう格差を前提にして、そしてその格差の中でいまの時代の要求にこたえる先進的な研究や先進的な新しい大学の部分だけをその中から抜き取って新しいものをつくる。そしてその古いものに対しては、ないしは格差をそのままに固定化していくかっこうで全体が発想されていると私は判断するのです。これは野党ですから、客観的に野党の立場から見ますからね。  だから、担当者の側から言えば、両方やるのですと言うけれども、そうなりますと、莫大な金が要りますよ。だから、そういう予算の見通し、国家計画というものが、全体的なビジョンもパースペクティブもなくて、何か時代の要請に応じて大学をつくっていくためにいろいろな道が開かれていって、そして開かれていく道は、いままでの大学の格差というものを克服するのじゃなくて、むしろそれの上に立ってつまみ食いみたいなかっこうで次々と時代の要請が処理されていく。そういう立法政策が一本貫いている、大学教育政策が一本貫いているというふうに判断されてならないわけであります。  そういうわけで、もう一度憲法とそれから学校教育法と、そういう中に、戦後大学改革の中で打ち出されてきた、古い明治憲法のもとでの大学から、新しい新憲法のもと構想されてきた大学観、その大学観が確かに時代の要請に応じて変化してきています。しかしその大学観の中にある伝統を生かして、それを充実させていくという、そういういわば政策を前に出しながら新しいタイプを構想していくという、車の両輪みたいな役割りを果たすような、そういうつまり行政であり政策でなければならないと思うのです。どうも出されてきているのは、いまの大学院大学独立大学院一つをとってみても、既存の大学の体系の中ではできない。制度的には――特殊なものとして認めれば別ですけれども、普通の頭で考えてみたら、大変無理してつくる大学院だなあという感を免れない異質な印象を与えるわけです。そういうものを急がれるというところに、どうも一面、両輪じゃなくて、新しいものばかり、ないしは進んだ側面ばかりと言っているが、この進んでいるやつでも内容を一遍全部検討してみなければいかぬと思うのです。  今日の段階で、日本の科学技術の要請というのは何なのかという中身を押さえてみると、共同利用研究所、たとえば分子科学みたいなものもありましょう、原子力もありましょう、ライフサイエンスもありましょう、環境科学もありましょう。しかしそういうのは、やはり高度成長時代以来のいわば科学技術的なあり方を前提にした構想になって、大学が追っかけているような気がするのです。現に、いままで昭和三十五年から四十五年までの間にできた大学学部とか学科を調べてみたら、圧倒的に理工系ですから。文科系なんというものはほとんど冷や飯を食わされているのです。これはもう客観的データが出ますよ。  だから、そういう学問研究のバランスみたいなものも考えなければならない。それから、時代の要請という場合の要請の中身についても、日本の将来の学術研究というもののバランスを考え考えていかなければいけない面もあると思う。そういうことについての全体的な構想やビジョンみたいなものがないまま、この制度の改革ばかりが急いで出されてきているという印象を免れないということでございます。そういう意味で、国立高専というのは、特にその中で検討すべき大学院大学であるというふうに私は判断を申し上げておきたいと思うのです。  ここで、木島さんが大学院大学に関して関連質問があるそうでございますので……。
  88. 久保田円次

    久保田委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
  89. 木島喜兵衞

    ○木島委員 関連ですから簡単なことです。  この大学院大学というのは、私は学校教育法第一条を皆さんのねらいは本来変えるべきものだろうと思うのです。これはお聞きすれば、いまの学校教育法第一条の大学という中には、いまの大学学部を置かない大学と二つを意味するのだとお答えになるだろうと思うのです。しかし内容的には、きっと別に大学院大学一つ入れた方がより皆さんのねらいがすっきりするのだろうと思うほどのものでありますけれども、いまの技術科学大学院で、これは単線型から、高専をつくったことから複線になって、その複線が袋小路になって、それをどうするかという隘路打開の窮余の一策がこの大学院大学という発想になっていることは否めないだろうと思うのです。そういう意味で、第一条というものを、そういう関連も一方において考えておかなければならぬと思うのであります。  そこで、局長がさっきおっしゃった、大学院大学に入るために、いまの高専に二年間の何かをつけるとおっしゃいましたね。これは何ですか、どういう学校なんですか、大学なんですか、それはどういう性格の大学ですか。
  90. 井内慶次郎

    井内政府委員 先ほどお答えいたしましたのは、技術科学大学院の法的な位置づけ、制度的な位置づけをどのようにすることが適当であるかということでいろいろ検討を進めておりますが、先ほどお答えいたしましたように、技術科学大学院として修士課程レベルの大学院設置することが適当であろう。その大学院修士課程に進学するといいますか、その二年の課程を大学院大学大学院の方に設けたらどうかといういま位置づけが検討されておる、こういう意味であります。高専の方につけるのではなくてですね。
  91. 木島喜兵衞

    ○木島委員 それは、大学院大学の下に二年つけるというのは、現在の学校教育法上どういう位置づけになるのですか。
  92. 井内慶次郎

    井内政府委員 その点は、現在の学校教育法上と申しますか、学校制度とすれば、二年の修士課程をそこに設置する、それに進学するための課程を特につける、こういうことでございます。  その際の構想の仕方としまして、四カ年の教育というものを、大学院修士課程の中身を広げるということで構想するのがいいのか、あるいは修士課程のところは二年の修士課程と押さえて、これに進学するための特別の課程として制度を位置づけるのがよろしいのか、いろいろ議論の存するところでございますけれども、技術科学大学院構想が、高専の卒業者等を主たる対象とするあるいは短大の卒業者等を主たる対象として、こういう人たちにさらに大学院で勉強してもらうチャンスを提供しようということが、この構想が出てきた一つの契機ではございますけれども、技術科学という面について、従前の工学部従前大学院修士課程と異なった特色のある修士課程レベルの技術科学の研究教育内容構想し得るということで、ただいま検討が進んでおる、こういうことでございます。
  93. 木島喜兵衞

    ○木島委員 修士課程の方はいいです。その下につけるという進学塾みたいなものですね。実体的にはそうなるだろうと思うのですよ。高専を出て修士課程の大学院大学に入りたい。しかしそれが入れないから、その二年の何とかというところに入る。進学塾ですね。実体はそうなんです。これは一体学校教育法上どういう形なんですか。その二年というのは大学なんですか。大学を出ないと修士課程に入れないでしょう。大学院大学に入れないでしょう。その二年というのは大学なんですか。
  94. 井内慶次郎

    井内政府委員 技術科学大学院の問題の現在までに構想されてきました背景は、ただいま申し上げたようなことでございますが、もう一つ広がりのある背景といたしまして、大学院の修士課程における研究教育と申しますか、大学院で勉強をするチャンスをできるだけ開放し、できるだけこれを広めていったらどうかという要請がもう一つあるわけでございます。それで技術科学の面につきまして二年の修士課程として技術科学院大学構想したらどうか。そこに学部卒の資格がないけれども、短大卒で実社会に出た人とかあるいは工業高専等の卒業生で実社会に出た人とか、そういう人たちにも大学院で勉学をできる道もひとつ開いたらどうであろうかという発想がその基本にあります。そうしますと、学校教育法の体系上、高専と大学院修士課程と学校体系としてこれを接続さしてまいりますためには、大学院の二年の課程という大学院のところの制度は通常の修士課程と全く同様ということで、先ほど来嶋崎先生からも御指摘ございますように、大学院の理念あるいは大学院のレベル、こういった点はやはり既存の大学院修士課程のレベルを堅持し、特色のあるものをつくっていく、そこに高専とか短大等の卒業生が入学し得るようにするためには大学院修士課程の教育、研究を受けるにふさわしい能力にまで持ち上げていくための特別の課程をつくることがベターではないかということでただいま申し上げたような構想が進んでいるわけであります。
  95. 木島喜兵衞

    ○木島委員 関連ですからやめます。  ただ、私言いたいことは、高度経済成長政策のときに中堅技術者を養成するために一つの複線型の高専をつくった。そのことの隘路からますます、いま大変失礼なことを言いましたが、私進学塾みたいなことを言いましたけれども、それはそれなりに一つ意味があると思います。あると思いますけれども、そういうように持っていったところに、学校体系全体の中で非常にすっきりしない。一つの複線型をつくった。それから隘路ができ、その隘路を打開するためにまた次々とわけのわからない――失礼、だんだんすっきりしないものになっていくことを私はおそれるのです。ですから、さっきのように、編入なら編入という方法をもっと技術的に改造することができれば、編入することができればそれで済むのじゃないですか。かえってその方がすっきりしているのではないのか。そういうあたり学校体系全体でもって慎重に御検討いただかなければならぬのじゃなかろうかという気がするので、関連質問をいたしました。  以上であります。
  96. 嶋崎譲

    嶋崎委員 いま木島さんが出された問題は、もういずれ法律で出される前に十分に検討して、来年の国会になるか知りませんけれども、答弁がうまくできるように、いまの答弁じゃ答弁になりませんから、回答を準備しておいてください。  それで、私三時までにやめることで時間が超過しておりますので、ここに出ておるような法の改正をやり、そして大学院設置基準というものを今度決めたのですから、そういうことをしている、形や制度ばかりを考えているが、大学の教官の待遇はいまどうなっているというふうにお考えでしょうか、局長
  97. 清水成之

    ○清水政府委員 大学教官の給与がどうなっているか、こういうことでございますが、これもいろいろございまして、見方はいろいろあろうかと存じます。  現状を申し上げますと、大学教官の給与につきまして、先般来の義務教育職員の給与改善が第一次、第二次なされたわけでございますが、人事院におかれましてはそれとのバランスを考慮されまして、大学教官につきましても若干の改善がなされておるわけでございます。  そこで申し上げますと、たとえばこの初任給でございますが、大学卒の助手の本俸で申しますと、小中教諭との逆転防止をする、こういう意味合いにおきまして七万九千円、こういうことでございます。それからたとえばこれも三十歳ぐらい、大卒八年ぐらいになりますが、講師の給与としまして十一万七千百円になるとかこういうふうでございますが、大学教授の最高給に達しますのには三十七年、こういうようなことに相なろうかと思うわけでございます。これは一般的な教官でございます。なお、部局長その他一部につきまして指定職の関係が適用に相なっております。  なお、大学の教官特有の付加給与的なものとしまして、御承知のとおり論文審査手当それから大学院担当調整手当がそれぞれ支給されておる、こういう現状でございます。  文部省といたしましては、大学教官にふさわしい優秀な人材に来ていただき、またずっと引き続き研究に従事をしていただく、こういうことが念願でございますので、小中と合わせまして教員等待遇改善研究調査会を設けましてただいま検討を続けておりますが、具体的にはその中に大学・高専部会を設けましてやっておるわけでございます。これまた御案内のとおり義務教育が学校教育の基本であるということが人材確保法にも書かれておりまして、そのとおりでございますので、それをまず先行してまいったわけでございますが、一方国立大学協会でこの給与改善問題が検討されておりまして、それとの絡みもこの調査会で十分勘案していきたいということで様子を見ておりましたが、近日国大協の意見が公式にまとまって私どもの方に出てまいるはずでございます。そこで今月できるだけ早い機会に大学・高専部会の本格的にしかも精力的に審査を開始していただきまして、長期的な問題と当面の問題に振り分けて御検討をいただき、その結果をもって関係機関に待遇改善につきまして要請をいたしたい、このように考えておるところでございます。
  98. 嶋崎譲

    嶋崎委員 文部省の官房の人事課ですか、人事の方では、小中の先生は人材確保でもって人事院勧告に対して積極的な道を開いてやってわれわれ今日まで来ました。これは議員立法でやったわけですから。その結果、初任給は確かにちょっとよくなったのですよ。大学教官の給与については、もう十数年来裁判官並みということが言われてきております。その裁判官並みという考え方文部省の方の側から見て、大体裁判官でも判事補の段階と判事とは違うのです。御承知のように十年ですから、だから十年弁護士さんでもやりますと、十年すると大体本物の弁護士になったというふうに言われるくらいここで給与ががたっと変わってまいります。大学で言うと助教授と教授かもしれません。そういうことを考えてみまして、いま私が手元にあるデータを一つとってみても、三十五歳、大学では助教授の古参ないしは中堅のところです。これは俸給月額でいきますと、小中学校先生方が大体十四万六千台です。大学の助教授が十四万八千です。それから四十歳といいますと大体大学で、私は三十八歳から教授になりましたけれども、四十歳というと大体教授になる時期でございます。四十歳ですと、小中学校先生方人確法やなんかで十七万四千ぐらいですね。ところが、大学の教官はどうか、十七万七千です。四十五歳ぐらいになりますと、少し大学教授の方が差が出てきます。それでも二万ぐらいです。大体小中学校先生方は、四十五になると教頭さん、そのぐらいで十九万八千六百幾らですか、大学の教授で二十一万ぐらいになります。そういう意味で、小中学校先生方を、人確法を前提にしてこれだけ考えてきているのに、大学の教官というのはどうするのかということについて、文部省の官房の方でもいろいろ検討されていましょうが、こんな実情はいかぬということは、いま言ったように、当面どうする、長期にどうする、いま考えておられるそうだけれども、考えてばかりいないで、早くやってもらわぬと困ると思います。  ちなみにこれを裁判官と比較してみましょう。裁判官はどうなっているかと言うと、三十五歳の判事補は月額大体三十四万九千です。判事補で三十四万九千ですよ。大学の助教授は十四万八千。片や三十四万、片や十四万八千ですね。さて今度は、四十歳になれば、裁判官は大体十年やりますから、判事になります。四十歳になりますと、大学教授の場合、さっき言った教授で十八万、助教授で十七万、十七、八万台です。ところが、裁判官は五十二万。五十二万ですよ。これを四十五歳の大学の中堅教授の年齢でいきますと、大学の教授が二十一万の段階のときには七十九万です。この長い間、十数年にわたって裁判官並み――どうしてかと言えば、法学関係で言えば、助教授を五年やれば弁護士の資格がとれるのですから、司法官と同じであります。それから教授というのは、法学の講義を担当しておれば、これは裁判官並みであります。これは裁判官と同じ資格になっておるのですから。もういつでも弁護士になれるということは、司法官試験を通って十年間の裁判官をやったと同じだけの資格を持っておるのです。ところが、この給与の差は半分以下。片や二十万、片や七十五万ですよ。こういう問題について、大体人事院はいままで何を考えてきたのか、それから、文部省はどういうふうに考えているのか、それぞれについて意見を聞きたいし、特に大学院大学でこれだけ問題にして博士課程というものを充実しょうというならば、文部省の方かどうか知りませんが、調整給は何%ですか。ずっと前からのもので依然として八%ですか。その数字と、それからドクターの審査の手当は幾らですか。それをちょっと挙げてください、両方それぞれ答えながらも……。
  99. 清水成之

    ○清水政府委員 裁判官並びに検事も同様だと思いますが、それとの関係におきましては、私どももそれに準じたいものだという念願を持っておることは確かでございます。ただ一面、制度的に見ました場合に、御案内のとおり、裁判官は憲法上独立して云々という制度上、憲法上の問題がございます。それからまた、任用制度の点で、これまた御案内のとおりの任期制度がとられておる、あるいはまた、定年制の違いがどういうふうになっているか、こういう点が、大学教官の給与問題を制度論として考えます場合には、あわせて検討しなければならないファクターであろうと思うわけでございます。一時、大学改革論が非常に盛んでございまして、熱心に各大学検討いただきました時期に、大学教官の任期制度とか業績審査制度の問題が出まして、それと関連して給与制度もどういうように考えるかというようなこともいろいろ議論されたこともございますが、現段階におきましてそういう制度的な問題のファクターも十分考慮せざるを得ない、こういう点がございます。  それから、お尋ね大学院担当調整手当の問題でございますが、これまた、推移があったのも先生御承知のとおりでございまして、現在は八%と四%、こういうことに相なっております。  なお、論文審査手当につきましては、一件七千五百円、こういう次第でございます。
  100. 嶋崎譲

    嶋崎委員 それで、今度の学校教育法改正でこれだけ新しい大学院の道を開くのですね。しかも、その大学院担当者で――三年ドクターという新しい連合大学院やいろいろ構想されているわけでしょう。そういう人たちの研究、生活を考えてみて、たとえば論文審査が一個について七千五百円。これは何を基準にしてこういうのが出ていると思いますか。実際どのような仕事をしているか御存じですか。
  101. 清水成之

    ○清水政府委員 ちょっと、いま先生のおことば、聞き間違えたかもわかりませんが、一件七千五百円ということでございます。  これまた、どういう基準でということになりますと、沿革的に若干ございますが、積算上、超過勤務手当という項目で盛っておりまして、発足当初、たしか二千円台から始まりまして、それから五千円に上がり、いま七千五百円、こういうことでございまして、超勤でございますので、一時間当たりの単価をはじいて、そして、それに、たとえば一件三時間ぐらいだろうか、こういうことでございまして、御指摘の点につきましてまとまらぬ、御答弁にならないかもわかりませんが、そういう次第でございます。
  102. 嶋崎譲

    嶋崎委員 ぼくもその超勤並みの計算だというのは知っているのですが、ドクター論文を審査するということと、ドクター論文の指導をするというのは、超勤手当で計算できるような質のものじゃないわけです、時間から見ても、エネルギーからいっても、能力から見ても。だから、そういう意味で、さっき言った裁判官というのは制度的なもろもろの仕組みがあるから大学教官と違った位置にあるということをおっしゃるけれども、それならば、教育研究に携わっている教官のいわば教育職に関する俸給を考えるときには、当然そういう制度に合わせてもろもろの給与の体系を、一般行政職と同じようには考えられないからこそ教育職の給与の体系があるわけですね。ですから、この超勤を基準にして学位論文審査手当を考えるというような物の考え方、これは一般行政と同じ考え方ですよ。  それから、調整給八%というのは、これはぼくがいたときもそうですから、ずいぶん古い話、もう十何年前からじゃないでしょうかね。それは本給は少しずつ上がってますから、やはり八%分は上がるけれども、マスターが四%のままでしょう。これは本来、最初八%が問題になったときは、二五%か三〇%ぐらいを目途に始まった話だと思うのですよ。それが八%ぐらいになって、そのうちに上げましょうという話で、八%どまりでずっと今日まで来ているのが経過のように思います。ですから、もう細かに言いませんけれども、こういう学校教育法という法律を変えて新しい大学院をつくることとか独立大学院、連合大学院を、そういう要請に応じてつくって人を使うというのはおかしいですが、それに携わる人たちが、時代の要請も大きい、そうしていままでの制度よりもより進んだものをつくらなければならない。しかも、その研究者たちは非常に先進的な研究をしていることは、もうさっき木田局長言ったとおりであります。それに対して長い間懸案のままこういう事態を放置しておくわけには私はいかぬと思います。ですから、こういう制度改正や新しい問題を出されるときには常に、既存の大学研究していらっしゃる教官、それからマスターという称号を出すために資格を持って勉強されておられる先生方、今度はドクターを審査して出す先生方、そういうのに何も全部格差をつけたらいいという議論ではないにしても、俸給そのものについての根本的な検討  それに関連してこういう新しい大学院の改革構想を出すならば、マスターやドクターについてのいわば調整給や論文審査の手当やそういうものについて抜本的にいまや検討しなければ、そういうものと並行して出してこないと、どうもやることが片手落ちです。  ぼくは勘ぐっているんですけれども、いずれこんなことになりはしないかということをおそれているんです。昔から大学院大学構想には大学側は非常に長い間反対であるのですよ。というのは、大学院大学構想というものを早く打ち出すと大学格差が進行して、そしていまの受験の問題なんかの解決ができない。だから大学院大学構想じゃなくて、むしろそれぞれの大学条件をよくするためにどうするかということが日本の大学の将来の政策なんだというので、簡単に大学院大学というものを構想することについては、旧制の帝大プラスアルファの大学をも含めてずっと底流として、賛成の議論もあれば反対の議論もあって結論が出ないで今日に来ているのですね。ですから、学術会議や何かにしても、それから文部省諮問されるいろいろな懇談会なんかでも、先進的な研究みたいなものを頭に置いて考えると、やはり大学院大学みたいなものはいまや必要なんだという方向に次第に一方で動いておる。そうしますと、大学院大学みたいなものができて、大体大学の格差の大勢が固定化した段階で、大学院担当者はもう少し給与を上げようじゃないかというので、そこで初めて給与問題が出てきて、そしていまの矛盾を解決しようかというように、給与の問題が後を追っかけているんじゃないかというふうに私は邪推をするわけであります。邪推かどうか知りませんが、大体そういう方向をとっていると思います。  それだけに、いまの日本の学術研究教育研究というものを頭に置いてこれだけ新しい大学院研究者、スタッフの養成という問題を考えて改革への道を開こうとされるならば、給与の問題はそういういまの一つの例として挙げたんですが、それ以外に研究条件――旧制の大学の講座費といまの講座費と問題にならぬですよ。昔の教授たちというのはものすごく裕福な研究体制でしたよ。だから、講座費の問題から施設の問題から図書の購入の問題から、そういう一切のものを含めていままでの大学が本当に学術研究をやれるようなていをなしているんだろうか。学部基礎にして大学院をこしらえたけれども、いままでの研究科委員会というのはつけたりなんですよ、予算の考え方だって。学部基礎にしてただ上にプラスアルファがついているだけで、大学院というものを独自に予算化してそして充実させた方向に行くというのは、学部中心にして考えておりましたからやはり軽視されてきている。  最近そんなことあるかどうか知りませんけれども、三月ごろになって五月までに本買えと言って三百万急に来たりする。三月に急に予算が来て五月までに本買えなんてばかな予算のつけ方がどこにありますかというのですよ。そういう形で大学院図書費、研究費として、どこで金が余ったか知りませんが、三月ごろになってぽんと割り当てが来たりするようなずさんな運営を今日までやっているわけですよ。最近はどうか、私知りませんけれども。  ですから、きょういろいろな角度で議論をしましたけれども、どうも底に流れているものとして、制度いじりと、新しいものに対応していくような大学構想は一方で打ち出されるが、いままでの大学研究、教育の条件を全体としてレベルアップしながら、その厚みを前提にして新しいものにこたえていくというような政策は、給与一つとってみたってこういう問題がいまだに十数年放置されている。という点から見ても、大変法改正制度いじりというのに先走りを感ずるわけでございます。  まあそんなわけで例として挙げましたが、人事院の方でどうですか。裁判官並みと十数年言われておりますが、この問題について人事院ではこの前も人確法に関連して、法律はあるのに法の趣旨を理解もせぬで、バランス、バランスと言うて数百億円もお金を残したりしているような話がありますが、そもそも大学研究者たちの給与という問題について、何か検討したり方針を早急に具体化しようというようなことがないのか。いかがでしょう。
  103. 茨木広

    ○茨木政府委員 大学の教官の待遇について、人材確保法に基づきます義務教育等の給与改善等の関係で相対関係が従来と大変変わってきているということは御案内のとおりでございます。そういう意味片一方の人材確保法の意義というようなものも一方あるのだろうとは思いますが、それにしても大学の教官の待遇についてやはり今後改善を加えていかなければいかぬということは私どもも考えておるところでございます。で、先般の人材確保法に基づきます際の教育職俸給表(一)等の改善は、とりあえずの改善という意味でぎりぎりのところをお願い申し上げたわけでございますが、また夏の勧告等の際に全般的に見直しをしながら案を考えていかなければいかぬというふうに考えております。  それから裁判官並みという問題のことでございますが、この問題は御案内のように、私どもの一般職の給与改善勧告が出ました後に裁判所関係で案をつくられて、また別途内閣の方と打ち合わせの上法案が出てまいる、こういうふうな関係になります関係上、絶えず私の方ができましてそれが土台になって向こうがおつくりになる、こういう関係になっておるわけでございます。向こうの考え方の一端につきましては先ほど文部省の官房長の方から答弁がございましたが、終戦後の経緯をいろいろだどってみますと、裁判官の方はいろいろ兼職をするというわけにもいかず、当時餓死者が出たというような新聞記事になりました例もございましたようなこともあり、また弁護士との人事交流等の関係もいろいろあって、大変高い水準のところに決まってきたというような経緯があると思います。先ほどお話がございました文部省の中の給与の調査会の中でもいろいろ議論されておりますけれども、先ほどの身分を十年でどうこうするというような問題についても、大学側のやはりそれなりの抵抗感もあるようでございますし、いろいろなことがかみ合って、まだいろいろ意見が出ておる。そこに私もオブザーバーの資格で列席さしていただいておりますので、いろいろ意見を拝聴しておるというところでございます。そういう意味で周辺の置かれております情勢もいま大変きつい情勢に置かれております関係上、当面八月の勧告時期に処理できますものと、それからもう少し長い目で考えていかなければいけない問題と、そういうふうに分けて考えていかなければいかぬのだろうというふうに考えております。  それから新しい構想との関連の問題でございますが、この新大学院構想との関連という問題につきましては、具体化の段階までの間に相当時間があると思いますので、やはりそれの状況を見ながらいろいろ検討をしていかなければいかぬ問題だというふうに考えております。
  104. 嶋崎譲

    嶋崎委員 さっき言った一つの例を人事院の方でもよく考えておいてほしいのですけれども、もちろん裁判官というのは権力の分立を前提にした一つ独立した立場というのがあります。ところがその裁判官相当の資格要件は、大学で言えば大学院を持つ大学の法学部の助教授は五年やればその資格要件を備えるのですよ。そして、裁判官という観念から見ますと、教授になればその資格要件を兼ねているわけであります。そうしますと、確かに一方では裁判官というのは独立していて給与を考えなければならぬということはあっても、実質的に、大学教官の中でドクターコースを担当している法学関係の教官は、そういう実質論でいけば、能力やすべての観点からすればその労働力の価値というのはものすごく高いわけでしょう。ですから、そういう意味ではもっと人事院の方も、きょうは責任者は来ていませんけれども、本当に配慮してバランスを考えていただかなければなりませんし、文部省の方も、官房の方で給与に関する審議会みたいなものがあるとすれば、もっと積極的に、そういう問題についての制度上の限界はどこにあって、そして大学教育の持っている一般行政職との違いの特殊性はどこにあるのか、そういうのを法律的にもきちっと押さえて、そしてそのために必要な給与の条件というのはこうあるべきだという議論を煮詰めていただかないと、いつまでたってもいまの人事院のような態度だったらぼくは処理できないと思います。人事院もちゃんと独立した機関ですから、文部省の圧力で変えるような性質のものではない。必要とあればわれわれが議員立法でかつてやったように提案をして勧告させるという手段を講ずるということを、やるんだとすればやらなければならなくなるわけですが、そういう意味で、いま挙げたような例は一つの例ですけれども、給与そのものについての根本的な検討をする時期に来ているという点を確認していただきたいことと、もう一つ、人事院の段階でいまの段階でやれることは、勧告の中でやれるのは、調整給です。これについても、大学院担当の調整給という問題については長い間、もう十五、六年になりますね、据え置きになっているのですから、そういう意味で給与自身をいじらなければならぬこともありますが、八%に何も拘泥しないでこれはやり得るのじゃないかというふうにぼくは思うのだが、できぬのですか。これをちょっとお聞きしたい。
  105. 茨木広

    ○茨木政府委員 調整額の問題でございますが、これは当時大学院博士課程の扱います学生の数等を考慮しまして八%、それから修士の場合には四%というように決めたわけでございます。その後いろいろ事情が相当変わっておればまた別でございますが、変わっていなければそういう相互関係のバランスと申しますか、そういう意味でずっと八%で来ておるわけでございます。全体的にいま調整額についての問題点といたしましては、当時の八%というのが大体二号俸程度の金額対応で決められたものでございますけれども、最近御案内のように一号俸の昇給間差額の平均が三%を割っておるようなことになってきていますものですから、相対的には増加をした感じに実際問題としてなってきておる、三号俸に近い力を持ってきておる、こういうふうな状況もひとつ踏まえていただきたいというふうに考えておるわけでございます。全般的には、いま特別俸給表の方でいっております者と、それから号俸調整でいっております者と、この調整額でいっております者との相対関係では、調整額の方が相対的に有利過ぎるのではないかという議論が実は底流として基本点にございまして、それがいまの検討問題になっているというようなこともございますものですから、その辺のところをいろいろ御了承いただきたいと思っております。
  106. 嶋崎譲

    嶋崎委員 学位論文の手当の考え方みたいなものは、これは文部省の方に聞けばいいのですか。それは人事院と関連があるのですか。よくその仕組みがぼくはわからないのです。学位論文の手当の算定基準みたいなものはどこでどういうふうに決まっていくのですか。
  107. 清水成之

    ○清水政府委員 これはどちらかと申しますと超勤手当ということでございますので、主として予算の問題でございます。
  108. 嶋崎譲

    嶋崎委員 大臣に最後にお伺いしますが、いまのように、どうも法改正大学院設置基準みたいなものに関しては先走るけれども、肝心の大学の教育、研究という観点からした中身を充実させるというようなことについて、たとえば大学教官の給与をとってみても非常に問題があると思います。したがいまして、最後に大臣にお聞きする点は二点。  一つは、いままでの学校教育法で言う大学考え方に立って、学部中心としてきた大学、その上にできてきた大学院、そういうものをさらに充実させながらバランスのとれた大学を地方につくっていくという政策を堅持していきながら、まあ姿勢みたいなものですけれども、それをじきじきわれわれ予算や何かでチェックしていきますが、そういう方向を確認していただきたいということと、それから、いま出たそれに関連して、いまの大学教官の給与というような問題について、人事院は独立の機関ではありますけれども文部省の中でそういう問題についての検討をしていただいて、そして今後どう対処していくかについての決意のほどを聞かせていただきたい。この二つ。  それで三つ目には、今度の改正に出ている大学院大学構想の中には、研究と教育の分離、大学院大学ですから確かに教育は入っていますが、ドクターの研究者というのはもう独立していますから、ある意味では専門家です。ですからいわゆる教育研究という意味の教育というよりも、研究に力点のかかった大学院大学としてあらわれると思います。制度的にずっと追求される連合大学院にしても、独立大学院にしても、どうも研究と教育が分離して、そうして研究という観点の機能に合わせて大学改革というものが追求されてきているというふうに私は見るわけであります。  ですから三番目の問題は、こういう点を危惧するからまた大臣の決意をお聞きしたいのは、最近までの、筑波大学法案以来、私それ以前は国会におりませんからわかりませんが、その後の経過を見ておりますと、学部自治というデメリットばかりが問題になって、そして大学の管理運営という観点から、いろいろな形の学部自治の形骸化が立法政策的に進められているように思われる節があります。たとえば参与の問題だとか、それから筑波方式に言うところのいわゆる人事委員会方式だとか、そういうものが幾つかだんだん一方に出てきている。また大学政策の中にも、総合大学から単科大学構想みたいに、医学部をつくろうとするときに薬学と一本になって、富山に、総合大学じゃなくて一学部を切り離してつくっていくような傾向、そういうような管理運営と密接な関係が一面あると思う、もちろん研究教育という観点も中には含まれておりますが。だからそういう一面から言うと、大学の管理運営的な観点から、既存の大学自治、大学観を前提にしたものを形骸化しようとしていく方向性が感じられる。他方で、今度はこの大学院大学にあらわれているように、細かにまだ議論しておりませんけれども、いままで学部では教授会といっていたのを、今度は大学院レベルで教授会という名称をただ法律を変えてこしらえただけですからね。そうすると教授会という本来の仕事は、事業計画もあれば教育の内容もあればいろいろな予算の問題を含めてかなり自治的な運営ができる仕組みになっております。今度できる大学院大学という場合の大学院のスタッフは、たとえば兼任教授が半分以上占めているというような形をもってあらわれますと、ちょうど筑波大学の群と系みたいなもので、非常勤講師集団的な形の研究者集団が組織される大学院大学になるわけです。そうなってきますと、いわゆるいままでの学部自治を前提にした大学の自治のあり方と違った側面を持ち始めていく。特に大学人というのは、極端なことを言うと、すぐれた研究をやっている人は、教育から学ぶよりも研究それ自体を深めて自己を高めていくところに力点を置きたがります。そういう意味では専門ばかができ上がってくることが多いわけでございます。ですからそうなってくると、大学院大学というのは専門ばかの集団、そんなことをいうと先生にしかられるけれども、そういう集団的機能を持ちますと、いままでの大学自治的な大学のあり方と違った機能を果たしてくる。本人一人一人の先生がそうでないにしても、そういう違った機能を果たすことによって新しい大学というものが生まれてくる。そのことが実は研究と教育の分離という機能にあわせて大学が形態化されることによってできてくるいままでの大学自治や学問の自由の形骸化という側面をつくりはしないかということを恐れるわけであります。  そういう意味で、新しい大学院大学構想というものの道を開くこういう法改正をやるに当たって、第三番目として、既存の大学機関を前提にして、今日まで追求されてきた学問の自由、大学自治という観点から逸脱していくような方向をとらないような手当てを、新しいものの中に追求していく仕組みを十分にいつも検討しておいていただきたいと思うのです。  その点についての決意を聞きたいという以上三つ。たくさん言いましたが、混乱するかもしれませんが、その三点についての大臣の決意をお聞きしたいと思います。
  109. 永井道雄

    ○永井国務大臣 まず第一点、今日までわが国において築かれてまいりました学部中心といたします大学の充実、こうしたものをどうするかというお考えでございますが、これはもう申すまでもなく、そうしたこれまでの大学というものの研究教育の充実のために、私たちは行財政の立場から努力をしていく。ただその場合に、当然将来の展望を持ちまして地方大学を強化するというようなことがきわめて重要なことになりましょうが、いずれにいたしましても、その点を、これまでのものを強化するということを基盤にして、それとの関連におきまして新しい大学院大学をつくっていくということ、それが私どもの考えでございます。  次に、大学教授の待遇の問題でございますが、この問題につきましては、先生が御指摘のように非常に不備な点がありますから、いろいろな角度から検討して進んでいかなければならないと思います。いろいろな角度と申しますのは、大学の教授の場合に、大学院の教官もありますが、国立の場合教官と言っておりますが、学部の中の専門担当の人、さらに教養担当の方々がおられる、そういう方たちの間の関連をどうするかというようなことにつきまして、たとえば国立大学協会などにある御見解もございます。その御見解は、なるべくそういうふうなところにそう差を生じないようにするのもいいのではないかという御見解も一部にはございます。そういうふうなことも考え、さらにまた学位論文を担当される方にはそれだけの労苦がありますから、そこをどうしていくか、なかなかいろいろな要素をはらんでおりまして、一気に簡単な答えが出にくいと思いますが、職場の実情に応じ、また大学を代表する機関の意見を尊重いたしまして、私たちは、待遇の改善の問題の非常に多角的な検討と改善の道を探すべきであると考えております。  第三番目の研究と教育の分離ないしは結合と自治の問題でございますが、原則的には研究と教育というものが分離しないことが大学において望ましいことと思いますが、これはたとえば学問分野の別によりまして、大型プロジェクトの研究というような場合になかなか教育と結びつきにくい面を持っているというような報告がその種の学者の中から出されている場合もありますから、この場合にも一般にあるいは一概にすべてのあり方というふうなことを行政の立場から規定することは妥当を欠くと患われますが、しかし原則としてやはり研究と教育というものが非常に深い関係にあるというものを重んじていく、そして個々の事態というものは、これは大学先生方がそれぞれの分野においてお考えになるものを重んじていかなければならないと思っております。  また、それとの関連におきまして、やはり大学の仕事というのは各個別々でございまして、そしてなかなか専門的なものであるということが、これまでの自治の伝統というものを必要としてきたと思いますけれども、それを今後大学院段階においても同じように尊重していくべきことは申すまでもないことであります。しかしながら私は決していわゆる学部自治の批判だけを申しているわけではないのですが、いままで多数の人々がこれまでのような自治には問題点があるということも言っておりますから、そこで本当の自治を強めていくのにはどうしたらいいかということも非常に重要な課題でありますし、さらにまた、大学院大学の場合に、連合大学院というような形で、いままでよりも方々から人々が参加するというような場合に、どういう形でこの自治の原則を貫徹していくかということは、なかなかむずかしい問題であると思いますから、そうしたことを検討いたしますが、基本的な原則としましては、自治を弱体化するのではなくて、むしろ本当に実りのある自治をつくり上げていく、そういう方向で、過去の伝統のよいものを生かしてこれからの政策に当たりたい、こういうふうに考えております。
  110. 嶋崎譲

    嶋崎委員 以上で終わります。
  111. 久保田円次

  112. 山原健二郎

    ○山原委員 最初に、緊急な事態もありますので、質問いたしたいのですが、先ほどのニュースを聞きますと、きょう八時に、大阪市立大学の教養学部の門前におきまして、いわゆる革マル派六十名、中核派七十名による乱闘が行われて、そのうち六名が病院に収容され、二名が死亡するという、そういうニュースを聞きまして、私も大学における暴力の問題についてしばしば取り上げてまいりましたので……。  このニュースをお聞きになっておりますか。それからその後の事態がどういうふうになっておりますか。きょうは警察庁の公安第三課長にも出ていただいておりますので、まず、その事実を御存じでしたら報告をしていただきたいと思います。  さらに、文部大臣の方から、この事件を御存じでしたら、これに対する見解を伺っておきたいのです。
  113. 柴田善憲

    ○柴田説明員 けさ大阪市大の構内で、内ゲバ殺人事件と思われます事件が発生いたしておりますので、概況を御報告申し上げます。  けさ、発生いたしました時間は八時十分ごろでございます。場所は大阪市立大学正門の付近、構内でございます。  衝突いたしましたセクトは、革マル派と、黒ヘルをかぶっておりましたグループでございます。この黒ヘルをかぶっておりましたのは、中核派ではないかとも見られておりますが、まだ確認に至っておりません。  負傷は六名でございます。そのうち二人が死亡いたし、重傷一人、軽傷三人でございます。なお、氏名等は目下調査中でございます。  状況は、けさ七時半ごろでございますが、大阪の長居公園というところで革マル派三十名余りが集会をいたしておりました。長居駅から阪和線に乗りまして、杉本町駅でおりまして、大阪市大の構内に向かったわけでございます。八時ちょっと前に学内に入りまして、直後に衝突いたしました。それで、いまのように六名の死傷者を出したという状況でございます。  警察措置でございますが、一一〇番の通報で事案発生を知りまして、大阪府警は八時十五分に住吉警察署、発生署でございますが、ここ、それから隣接六署、それから阪和線の沿線七署に緊急配備をいたしました。機動隊二十人を学内に投入し、さらに杉本町駅、これは大阪市大の前にある駅でございますが、ここへも四十人を配置して警備警戒に当たりました。事情を聴取し、さらに犯人の逮捕に努めたわけでございますが、現在のところ六人を任意同行いたしまして調べております。この六人がどのような者であるかは、まだ不明。とりあえずの第一報でございますので、あるいは、捜査をしてまいりますと、いま申し上げた点と多少違ってくる点があるかもしれませんが、以上申し上げましたようなことが事案の概要でございます。
  114. 井内慶次郎

    井内政府委員 私どもまだ詳細な報告を大学から受けておりませんが、一応大学の方からの報告によりますと、けさ特定集団が入校する際に守衛が一応制止をいたしましたが、押し切られてしまった。それで、退去をするよう学生部長等が一応説得に当たった。事件現場である正門付近は検証のため通行禁止となっておるが、南門から出入りできるので、授業は一応継続されておる。今後の措置等につきましては現在緊急部局長会議等で検討中であって、教職員の泊まり込みによる学内のチェックであるとか、あるいは学外者の集会等の即時解散であるとか、いろいろ具体問題、具体措置につきまして部局長会議検討中であるというのが、先ほどの私どもが聞きました報告でございます。  それ以上のことはまだちょっと詳細わかりかねております。
  115. 山原健二郎

    ○山原委員 国会でも暴力に対する決議が行われたわけですね。しかしこういう殺人行為に及ぶ事件が次々と発生するという事態ですから、関連して現在の法政大学の問題について少し伺っておきたいのです。  それはきょうの毎日新聞を読みますと、見出しが「内ゲバで学園危険」「巻添え学生らが声明」を出しておると言う。その声明の内容も出ております。その内容を見ますと、その中には――記者会見をしているようですね。そして「警察が完全武装で隊列を組んでいる暴力集団を黙認し、大学当局もき然とした態度をとらない結果、内ゲバ暴力事件によって死人さえ出かねない危険な事態になっている」こういう新聞記者会見をしているようです。  そこで、この前私どもが法政大学の問題を取り上げましたときに、春休みの間において一定の処置をするというお答えが、これは衆議院でもそうですが、参議院の方でもありまして、それを期待をいたしておったわけです。ところが、新学期に入りましてから、聞くところによりますと、また新聞報道によりましても、ほぼ二日に一遍は暴力事件が発生をいたしまして、そしてこれは日を追って続いている。聞いてみますと私は大変な事態だと思うのですが、たとえば学生諸君に対する威圧行為ですね、こういうものが行われている。この暴力を使う連中というのは、たとえば法政大学二万数千の学生諸君がおるわけですけれども、恐らくその中の三十名、多くても百名程度ではなかろうかというふうに思うのですけれども、それが全学生、学内を制圧するような暴力をふるっているわけですね。しかも武装しておるという、この状態が続いているわけですね。そして、ときには生協に対する襲撃が行われておる。これは五月の段階で杉山さんという理事が、六針も縫う負傷をするという事件が起こっています。五月二十二日には生協労組の委員長さんが全治二週間のけがをし、食堂は壊されている。五月一日には教授会室に乱入をしている。それから五月十二日には、大きな不祥事件が起こるわけですね。これは革マルと中核が衝突、襲撃事件を起こして、二名の女子学生が盾にされて負傷する。これは新聞報道されております。五月十九日と五月二十二日と、革マルに対する襲撃が行われている。五月二十八日は、これは警察庁の方に主としてこの日を伺いたいんですが、朝からずっと学内は騒然たる状態が続いておるわけです。そしてさらに今日に至りましても、六月に入りましても、こういう事件がずっと続いておるわけなんですね。こういう事件、しかもこれはいつ殺害行為が行われるかわからない。公然とテロ行為というものを肯定をし、やるんだ、殺してもいいんだ、こういうことが公然と言われておる部隊が大学の中に依然として蟠踞している。全く大学の自治も何もあったものじゃない。そういう事態が続いているわけですが、特にこの五月二十八日を中心にして、どういう事態が発生したのか、警察庁の方から御説明をいただきたい。
  116. 柴田善憲

    ○柴田説明員 五月二十八日の状況を申し上げます。  五月二十八日の午後四時十八分ごろのようでございますが、法政大学の六二年館の四階、二五〇号室で一般学生七十名くらいが英語の授業を受けようということで集合しておりましたところ、中核派の二名が鉄パイプを持って教室へ入ってまいりまして、アジ演説を始めました。そこで一般学生と口論になったわけでございます。その直後、午後四時二十分ごろでございますが、大学の職員から一一〇番通報がございました。所轄の牛込警察署長以下、すぐ現場へ急行いたしまして、学内に入りまして、事情を聴取し、警備に従事しておりましたところが、同じ午後四時三十五分ごろになりまして、法政大学の本校の方から、ヘルメット、鉄パイプなどで武装いたしました中核派三十名が、これは応援にかけつけたと思いますが、六二年館にかけつけまして、館内に侵入いたしました。そこで、出動いたしておりました部隊は、そのうちの十七名の者を凶器準備集合罪、建造物侵入罪の現行犯で逮捕いたしまして、ただいま全員勾留をいたしまして取り調べ中という状況でございます。
  117. 山原健二郎

    ○山原委員 この十七名というのは法政大学の学生ですか。
  118. 柴田善憲

    ○柴田説明員 十七名のうち、これまで逮捕歴等がありまして氏名が判明いたしました者が十二名おりますが、いずれも法政大学以外の大学生かあるいは一般の会社員という者で、法政大学の学生は氏名が判明いたしましたこの十二名の中には見当たりません。
  119. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっとこだわるようですけれども、二十八日のことを経過を追って一部質問したいと思います。  この二十八日には、朝の九時ごろより革マル派と称される者が本校にステッカーを張ったり、学生会館にも来ておる。これに対して黒ヘルといいますか、黒いヘルメットをかぶった連中でしょうが、黒ヘルが襲いかかっている。そして誠文堂というところまで追いかけているわけです。一名は血だらけになってここで倒れております。そのときに警察が現行犯逮捕のため正門を入って学生会館前まで行ったと聞いておりますが、そのときに学校側の人から学館に入ることを拒否されたというふうに聞いておるわけですけれども、そういう事実がありましたか。
  120. 柴田善憲

    ○柴田説明員 ただいま御指摘の事実について調べてみましたが、よくわかりません。私どもはいままでのところそのようなことは把握をいたしておりません。
  121. 山原健二郎

    ○山原委員 学館の中に学生が、いずれの派か私もわかりませんが、恐らく革マルだろうと思います、それが連行されて、それを警察が学生会館のところまで行って、そしてそこで学館に入ることをとめられたというふうに聞いているわけですが、十二時ごろになりまして中核派が学館から荷物を運んでおります。これは荷物を運び出して、四時十分ごろにいわゆる六二年館の五階の二五〇号教室、これは経済学部の一年F組のクラスだと聞いておりますが、この教室に入っております。そして、この中核派が一名教室の中でアジ演説をやっているわけでしょうね。そこへ革マル派が二名来て、そしてここで中核に襲いかかって、服の下にあった鉄パイプを取り上げるという事件が発生をしております。それから革マル派二十数名と中核派十数名が乱闘を始めております。そして、そのうちの何名かが本校の方に中核派の援軍を求めに行っているわけです。そうすると、本校には中核派三十名、黒ヘルが三十名、赤いヘルメットが十名程度おりまして、完全武装で中核の指揮のもとに集合していて、そしてそのうち中核派三十名が六二年館に向かっております。そのとき一一〇番に連絡がなされているのです。パトカーが六二年館に先に着いているのです。ところが、六二年館の正門前には警官もおりますし、恐らく十数名いたのではないかと言われておりますが、ここへその三十名が入っているわけです。そして中で大乱闘になりました。そしてしばらくして学校当局が学内から退去せよ、こういうふうに聞いているわけです。学内から退去せよというのは、暴力で乱闘しておる連中だけでなくして、全学生の退去を学校当局は要求している。このときに機動隊が入りまして十八名逮捕したと聞いているわけですが、これはいま十七名という話がありましたが、十八名ではなかったのですか。
  122. 柴田善憲

    ○柴田説明員 逮捕いたしました者は十七名でございます。全員につきまして勾留をいたしまして、現在取り調べ中でございます。  なお、前段の学内におきますその日の細かい動きにつきまして、私どもも目下捜査をいたしておりますが、まだ詳細把握に至っておらない状況でございます。
  123. 山原健二郎

    ○山原委員 その十七名の逮捕者の中に、法政大学の文学部自治会委員長を僣称しておる堀内日出光という人物がおりますか。
  124. 柴田善憲

    ○柴田説明員 十七名のうち十二名の名前がわかっておることは先ほど申し上げましたが、その十二名の名前がわかっております者のうちには堀内は入っておりません。
  125. 山原健二郎

    ○山原委員 目撃者の言によりますと、このときに確かに堀内日出光という人物が逮捕され、護送車といいますかあの車に乗せられたのを見ているわけです。これは中核の中心人物であり、また、指揮をとっている人物ですから、現行犯逮捕するならば当然逮捕されておる中に入っておるものと私は思うわけです。事実目撃者もいるわけです。ところが、この直後に中核派が記者会見をしております。その記者会見には堀内が同席をいたしております。こういう状態です。しかも、この連中は、私もここへ資料を持ってきておりますが、写真も持ってまいっておりますけれども、公然とテロ殺害をやる、こういうものを自治会報等を通じて行っておるグループであります。こういう状態ですが、所轄庁の方から堀内日出光のことについては警察庁の方には報告がないのでしょうか。
  126. 柴田善憲

    ○柴田説明員 十七名の逮捕中十二名の名前はわかっておる、その中には堀内はおりません。また、堀内はこれまでに逮捕歴がありますので、もしこの中におるものであれば指紋が合うわけでございます。したがって、堀内がおればこれまでにわかっておるはずだと思いますので、十七名の逮捕者の中にもいなかったということではなかろうかと思います。  護送車の窓で手を振っておった者が急に釈放されて、後に記者会見をするということは、私はあり得ないことではないだろうかと思います。
  127. 山原健二郎

    ○山原委員 手を振っておるということは言っておりません。護送車に乗せられておるところを見た者がおるということです。しかし、ここで真偽を確かめる場所でもありませんから、これはぜひ調査をしていただきたいと思うのです。  それから、午後五時三十分ごろになりまして、本校の中では中核や黒ヘルなどが渦巻きデモを完全武装で行っているわけです。そしてここに学生が集まってきまして、千数百名の学生が集まっているわけです。これは革マルの学生を学生会館に連れ込んだわけですね。それを見ながら学生たちは暴力をやめろということで集まって、それとなくずっと集まってきているわけです。これに対して中核派は学生会館の前に立て看板を立て、防衛体制を組みまして、その学生の中に中核派がおるということで今度はこの一般学生諸君に突入をしてくるというような状態です。そのうち本校の方もついにロックアウトをされる、こういう状態ですね。現場に居合わせた人たちからいろいろ聞きましたこと、また新聞等の報道によりまして私がまとめたのが大体いまのような状態です。そして現在では六二年館に、中核がしばしば構内に入りまして、約百五十名ぐらいの完全武装の集会が開かれる。これは五月三十日のことであります。六月二日に至りまして、また朝の七時三十分に六二年館にあらわれて、五階に上がって、そして九時三十分にはロッカーなどをトラックで運び込む。十時十分にはいす、机、看板を運び込む。パトカーは一台待機しておるわけですが、いわば法政大学の本館とそれから六二年館の間をもう完全武装の部隊が行ったり来たり、しかもトラックで堂々と動き回っている、こういう状態です。こういうことがもう許されているわけですね。事態はこういうことなんですが、学校当局に話をしましても、これは吉田学生課長という方が出ておりますが、法政大学がかつて出しまして私がここで取り上げました三原則六項目ということが守られていない、けれども具体的に処置は何にもできないというようなことも言っておるわけです。そしていわば野放しにされておるという状態です。昨日も朝方ロッカーが運び込まれ、完全武装部隊がまたロッカーをトラックで運ぶ、こういう状態でございます。  こういう経過を見まして、一体どうなっておるのか、このままで法政大学が放置されてよいのか。私は学生だとはちょっと思えないと思うのです、こういう殺人集団ですからね。自分の意見を聞かない者は鉄パイプで打ちのめして殺害しても結構だという論法、そして全大学をこの種わずかの連中が武力でもって制圧するなどということが行われているわけですね。これに対してどういう適切な手を打ったらいいのか。これは大学当局にももはや要求されておると思う。国民はこんなことをいつまでも許してはおかぬと思うのです。文部省当局も警察当局も大学当局も打つべき手は打たなければならぬ。そんなことをいつまでも放置してどうなるのかというのが国民の声ですよ。  そういうことを考えましたときに、本当にどうするのかということをこれから伺いたいわけでございます。たとえば学生会館にまだ武器がある。しかもいま話しましたようにそこが出撃基地になって、この出撃基地を利用して六二年館に出撃していって、ここをまた占拠する。そして凶器というものがしばしば使われるわけですね。この凶器を一掃するということはできないのですか。これが一つです。  それから学生会館というのはサークルその他一般の学生諸君も使うところなんです。したがって、少なくとも学生諸君が、学生会館はみずからの会館ですから、ここでいろいろな集会やその他ができることと同時に、少なくとも夜間はこれはもう完全に閉鎖をして、中にある武器は全部摘発をするというぐらいのことをやらなければ大変なことだと思う。これが二つ目です。  それから三番目は、外から暴力の集団がトラックで乗りつけてくる。これは大学当局が学内のことは一定の責任は持てても、外から入ってくることに対して、それまで大学の手は及ばない面があると私は思うのです。そうすればこれは凶器準備集合罪、明らかにこれはもう押さえられるわけですね。それをやらなければいかぬと思うのです。中へは武器を入れさせない。中の武器は撤去さす。そしてそれに従わない者は逮捕する。当然のことです。犯罪行為だから当然逮捕すべきです。こういうことが野放しにされてはたまらぬと思うのです。ところが大学当局は退去命令を彼らに対して出したことがいままでにありますか。これは大学局長に伺いたいのですが、大学当局がこういう連中に対して退去命令を出したことがあるかというのです。いつでもロックアウトという形で一般の学生諸君も全部追い出してしまう。こういう暴力集団に対して退去命令を出して適切な手段をとるというのは、これはもはやもうどなたが考えてもあたりまえの手段だと私は思うわけです。これらの数点についてお伺いしたいのです。どうでしょうか。
  128. 井内慶次郎

    井内政府委員 法政大学におきます学生集団間の対立抗争が絶えず、ときには暴力事件に及んでおりまして、まことに遺憾であります。新学期に入ってから、私どもの聞いておりますところでも、学生集団間の対立抗争事件が数件発生し、六人の重軽傷者も出しており、特に五月二十八日の六二年館の教室内における中核派集団とこれと対立する学生集団との対立事件の際には、大学当局は不測の事態を回避するため夜間学部の授業を中止せざるを得なかった、こういうことでございます。  文部省としては、さきに山原先生からも御質問をいただいたことがございますが、法政大学当局に対して学内における暴力行為の未然防止、学生会館の正常化、自治会費の徴収方法、その使用のあり方等、三点を中心としながらいろいろな助言、指導も行ってまいったところでございますが、学生会館の正常化については春休み中に具体的な改善措置に是非着手してほしい、こういうことで指導を行ってまいりました。学生会館は春休み中に一応大学当局による点検も行われまして、その当時のロックアウトは解かれたわけでございますが、先ほど来御指摘のような暴力事件が発生をいたしております。  大学当局としては、四月四日の入学式当日及び五月二十九日の二回にわたり御指摘の法政大学の三原則六項目の告示を全学生に配付し、学生に対する暴力行為根絶の趣旨の周知徹底を図り、学生会館の正常化につきましては、春休み中に内部を点検し、一部施設の不正常な状態を改善した上使用を再開しておるところであり、自治会費の問題につきましても学部会議等学内の機関でその正常化について鋭意検討中のところでありますが、さしあたり暴力行為の防止等と関連して、三原則中に明記されている思想、信条の相違と対立を暴力によって決しない旨の意思表示がなければ、自治会費の交付を行わない旨を各自治会に示し、その指導を続けてきておるというように聞いております。  大学当局がいろいろな努力をいたしておるのでございますが、暴力行為等を学内から一掃し得ず、ただいま御指摘のような事件が起こっておりますことはまことに遺憾でございます。五月二十八日の事件の際に学外者が学生証を偽造して落としておった者があったようでございますが、文部省としましては法政大学関係者の来省を求め、学外者による暴力事件の発生、凶器持ち込み、こういったものを防止するための具体的な措置を何とか大学も警察当局等とも相談をしながらとにかく早急に講ずべきであるということで、その旨の検討を引き続き求めておるところでございます。  法政大学の最近の状況に関しましては、おおむね以上のような状況でございます。
  129. 山原健二郎

    ○山原委員 いろいろときには文書を出したり、ロックアウトしたりするようなことは――文書もそうしばしば出しておるわけではありません。私の聞いておるところでは、一回か二回ではなかろうかと思うのです。一回かもしれません。  それから、このままで放置するならば、まだ何が起こるかわかりませんね。自治会の討議資料などというものを彼らは出している。自治会費用で出しているのですよ。これも一般に配っているわけですが、いわゆる内ゲバ問題についての一問一答、これを見ますと、殺人行為をやっていいんだと公然と書いているわけです。こういう集団ですね。だから、単なる思想、信条による争いなんというものじゃないのです。考え方の違う相手は圧殺する、こういういわゆるテロリストの思想なんですね。しかも集団で、そして武器を持ち、武器を持たない大学を制圧する。そして大学当局もこれに対して適切な手を打つことができないという状態です。いろいろお考えにはなっておると思いますけれども、実際には次第にエスカレートしていくという状態ですね。これをどうするのか。また、あるいは大学の中にこういう犯人、殺人集団といいますか、そういう社会的な犯罪行為を行っておる集団に対して、まだこういう連中については警察当局を呼ぶのはいかぬのだとかいうような考え方があるのじゃないか。私は、ここら付近はやはりはっきりしていいと思うのですよ。われわれが、たとえば一般の市民の間にいろいろな問題があって、そして事件が起こるとすぐ逮捕される、あるいは官庁に行けば、退去命令が出る、警察が出る、こういう状態です。これはもうきわめて簡単に行われているようなことなんです。しかし、私たちはそういうことを奨励するなどということを言っているのじゃないのです。問題はその現場において解決すべきです。こういう明らかに殺人を志向している連中、しかもそのことによって授業がしばしば中断をされる、教育ができない、しかも殺人行為がすでに行われている、こういう状態の中で、これに対して退去命令を出し、警察を呼んで大学の自治を本当に守っていくという、当然のことです。そういう点で、いまこの暴力に対してあいまいな態度が文部当局にもあるいは大学当局にもあるのじゃないか。だから、どうしても態度があいまいになり、微温的になってくるわけですね。ますますエスカレートする。彼らは、日共が権力にわれわれを売ったと言っている。何を言うかと言いたい。殺人行為をして、たくさんの人たちにけがをさせて、第三者まで巻き込む卑劣な連中に対して断固たる態度をとらなければ、どうして大学の自由が守られるか。言論、学問の自由がどうして守られるか。ここまで問題は来ているのじゃないでしょうか。そういう点で、やはり大学当局に対しても、本当にこの暴力に対して毅然たる態度をとるということ、文部省も、大学当局あるいは学生諸君、大学の教職員の、暴力を排除しようとするこの行動に対して、これに激励を与えていく、こういうことがなければ問題は解決しないと私は思うのです。そういう点で、文部大臣の見解をぜひ伺いたいのです。
  130. 永井道雄

    ○永井国務大臣 今日のような事態を招きましたことはきわめて遺憾であります。われわれといたしましては、暴力を用いるということ、特に人を殺傷する暴力を用いることが絶対に許されないということについて、学の内外を問わない問題であると考えております。したがいまして、法政大学を含めて、学校教育の場においてそうした問題が生じることについて私たちがとっている態度は、いま申し上げたとおり、学の内外を問わず、暴力、特に人を殺傷するような行為は絶対に許されないという立場であり、また学校にもそのようにわれわれは指導、助言をいたしております。したがって、そうした問題は、学の内外を問わず、警察の力によって暴力を排除しなければならない、それは当然のことであって、大学に対しても、また他の学校に対しても、私たちはそうした立場で臨むということを指導、助言いたしておりますし、そうした方針でなければ、人を殺傷するがごとき暴力というものを完全に排除するということはできないものと考えております。
  131. 山原健二郎

    ○山原委員 考え方としてはよくわかるわけですけれども、やっぱり実効のある手段というものがとられないといけない段階に来ておると思います。そういう意味で、この前も大臣の方で御答弁の中で申されたことは、学内の暴力を未然に防止するということ、それから学生会館の正常化を春休みには着手をしてやるということをお話しになっております。それから、自治会費の徴収方法、使用のあり方についても、学部教授会と自治会に適切な指導をしてもらいたいというようなこと、こういうことは御答弁になっているわけです。これをやはり実効あるものにしていくべきではないかというふうに私は考えます。  それからもう一つは、警察当局に伺いたいのですけれども、完全武装した部隊が横行しているわけです。行ったらわかりますよ。そうしてパトカーもおりますし、それから装甲車も行っておるときもあるわけですね。これが飯田橋から見附橋の付近、あの付近に彼ら公然と行っているわけですね。こういう武装部隊が大学の中に入っていくのを大学先生方が入口でとめるといったってとめれるような状態ではないのです。ここに写真も持ってきておりますけれども、みな竹の棒から鉄パイプを持ってうろうろしているわけですからね。こういう状態で、学内に少なくともこういう連中を入らせないということができないのかどうか伺っておきたい。
  132. 柴田善憲

    ○柴田説明員 いま御指摘のような事態につきましては、場合によりましては凶器準備集合罪等でこれを逮捕することのできる状態があろうかと思います。ただ、また場合によりましては、いわゆる危害目的の立証等で多少むずかしいというケースもあろうかと思います。その場合、ケースによる事態ではないだろうかというふうに思います。  また、先ほど御指摘ございました学内に貯蔵されております凶器の問題につきましても、これは押収、捜索等で、累次これまでも押収、捜索いたしておりますし、今後もそのようにやっていきたいと思っております。  警察といたしましては、いずれにいたしましても、いかなる違法事態も看過する気は毛頭ないわけでございまして、違法事態がある限り、これまでもいつも出動しておりましたし、今後ともさらに文部御当局あるいは大学当局との連絡を緊密にしながらやってまいりたい、このように考えております。
  133. 山原健二郎

    ○山原委員 これ以上この大学院問題の主題を離れて質問するつもりはありませんが、委員長にお願いしたいのですけれども、私はこの法政大学の問題が一つの典型のような感じがするわけです。しばしば事件は発生し、しかも終息するような状態ではないわけです。それでいま文部大臣からもお話があったように、大学当局としても手をやいている部面もあると思うのですね。だから、いろいろ三原則六項目というようなものも出しておりますし、それからときには文書も出しているようです。それも余り適切な毅然たる態度ではないと思いますけれども、しかし、こんな状態でいつも授業をやめ、ロックアウトしなければならぬなどということは、決して本義ではなかろうと思うのです。そういう意味で、どうしてこういうことが解決できないのかという問題、こういうことについて、総長に本委員会においでいただきまして、実態を率直に出していただきたい、こういうふうに思うのです。これは先ほど言いましたが、きょうも大阪市大でそういうことが起こっておるわけで、ほかの大学にも問題があると思いますが、それはまた別といたしまして、当面、こういう事態を抱えて恐らく苦悩されておるであろう総長の意見も伺いたいと思います。ぜひそういうお取り計らいをいただきますようにお願いをいたしたいと思うのですが、いかがでしょうか。
  134. 久保田円次

    久保田委員長 理事会で相談します。
  135. 山原健二郎

    ○山原委員 きょうは行管の方からお見えいただいて、この前のときにもおいでいただいておりましたが、きょうもずいぶん長い間お待たせしましたので、私の質問の順序を少し変えまして、行管の方に総定員法の問題について最初に伺って、お帰りをいただきたいと思っているわけです。  それで、けさほど来嶋崎委員の方から質問がなされましたが、今度の大学院大学の問題については、考えてみると、幾つもの類型ができてくるわけですね。先ほどの答弁を聞いておりますと、私は五つ出てくるんじゃないかと思うのです。一つは、いわゆる博士課程大学院、これが独立をして存在をする。もう一つは、大学局長が言われました、五年間一貫した大学院が出てくる。もう一つは、いままでありました積み上げ方式の修士、博士課程のものが存在をしておる。それからもう一つは、いままでの修士課程の大学院がある。それともう一つは技術科学大学院でございまして、これは少しまた変形ですね。いま木島委員質問されました、二年間というのが学校教育法のどこに存在しておるのかという、えたいの知れぬと言ったら悪いですが、ちょっとわからない部分が出てくるというそういう大学院。考えてみると、この五つの類型が浮かび出てきたように思うわけですね。  そういうものをつくっていく、こういう場合に、果たしていまの定員法の枠の中でできるのかという問題です。  これは行管の方に伺いたいのですが、いま文部省の方で考えております幾つかの例を見ますと、たとえば医学部をつくるという問題が出てまいりまして、すでに秋田はできているわけですが、秋田もこれは付属病院を考えますとまだ未完成、愛媛、旭川、滋賀、浜松、宮崎、筑波、それから富山の医科薬科大、こういうのが次々とできるわけですね。ところが、いま挙げましたのは医科大学あるいは医学部ですから、付属病院がこれに付随しますと、恐らく六百から八百名の職員を要すると思います。これは国家公務員です。  そうしますと、現在の総定員法というのは、これは五十万六千五百七十一名で抑えられる、そして第一次削減、第二次削減、第三次削減という状態ですね。しかも第三次削減になってきますと、いままでの統計から見ますと、各省庁の削減分を文部省が大体食っておるようなかっこうになっているわけですね。ところがもはや各省庁の削減率は限界に来ている。そうするともうこれは文部省が幾ら奮闘しても、既設の大学の職員をふやすことも、さらに医科大学、医学部の問題を考えましたら、もう目いっぱいというところへ来ておるんじゃないかと思うのです。仮に文部大臣が言われるように、これから私学の新設をやめて国立大学をつくっていくんだというお話も出ているわけですが、そういうことになれば、この総定員の枠を突破して増員をするか、大学に関してはこれを外すか、この二つの道がもう要求されておると思うのです。  そういう点で、行管の方ではこの総定員の問題についてどういうお考えに立っておるのか。人事院は今度は国家公務員の週休二日制を勧告するかもしれないという事態も発生をして、この総定員法というものが、いまやあらゆる面で一つの鎖になっておると思うのですが、これをどういうふうに解決をしていくというお考えか聞いておきたいのです。
  136. 向坂浩

    ○向坂説明員 御説明申し上げます。  お尋ね趣旨が、総定員法の枠内であるために教職員や医師等について所要の増員措置が十分に行われがたいのではないかということでございますれば、これまでのところそのような御懸念は当たらなかったと申し上げられると思います。  また総定員法第一条の数字でございますが、先生指摘のとおり五十万六千五百七十一ということになっておるわけでございます。現実政令で決めております政令一条の年度末定員を申し上げますと、五十年度末には五十万三千三百五十七ということに相なります。いわゆるすき間と申しますか、法律の天井と政令の一条定員の年度末の数字を比較いたしますと、差が三千二百十四ございます。政府全体といたしまして必要な定員につきまして要求を受けながら審査をしてまいるということでございまして、現状におきまして総定員法を改正するという考え方はございません。
  137. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、文部省に伺いますが、この枠の中で、たとえば私はこの間も既設の大学の定員外職員の問題を申し上げたわけですが、この既設の大学の定員問題を解決していく、あるいは新しくできる医科大学、医学部等、さらには今度またこの法案の中で予想しておりますところの大学院大学というようなものを考えてみますと、この枠というものは支障にはならないのですか。その点はどうですか。
  138. 清水成之

    ○清水政府委員 なかなかむずかしい御質問をいただきましてまことに恐縮でございますが、いま行政管理庁からお答えがありましたように、すき間が三千二百ちょっとあるのは現段階では確かでございます。  そこで、いま総定員法を改正する意思はないというお話がございまして、現段階では私どもそのとおりだろうと存じております。  先ほど来お話がございます既設大学等の整備あるいはまた新しい構想問題等を含めますと、早晩この枠が問題になってくる時期があるということは意識をして、重要な課題だ、現時点ではかように考えております。
  139. 山原健二郎

    ○山原委員 新しい大学をつくる場合にも、既設の大学にもある研究費まで使って定員外職員の給与を支払わなければならぬということで、先日学術研究の低下の問題、人力の問題でお話しをしたわけですけれどもね。いま確かに官房長は正直な答弁をされたと思うのです。早晩といっても、これはもうこの枠を大学は外すか、定員をふやすか、どっちかでないと問題は解決しないと思うのです。  もう一回行管の方に伺いたいのですが、たとえば人事院が週休二日制というものを勧告しました場合に、これは大体どういう予想でしょうか。
  140. 向坂浩

    ○向坂説明員 現在のところ、人事院で週休二日制に関するいろんな調査、それから施行計画につきまして審議をしておられるところと伺っております。現在のところ、定員に響くようなものではないというふうに承っておるところでございます。
  141. 山原健二郎

    ○山原委員 行管の方では本年十二月までに資料を集めているというふうなことではないですか。現在たとえば週休二日制の問題などについて総定員法の枠をはずすか、あるいはどうするかというようなことで、ことし十二月までに各省庁機関に対してこの資料を求めておるような事実はありませんか。
  142. 向坂浩

    ○向坂説明員 そのようなことはないと承知しております。
  143. 山原健二郎

    ○山原委員 長い間時間を待っていただきまして、ありがとうございました。行管の方への質問はこれで終わります。  それで次に、この大学院の問題について伺いますが、先ほど鳩崎委員質問に対する答弁を聞きながら、一つ私は非常に疑問に思う点があるわけです。それは大学院の目的の問題ですね、ここのところをもうちょっと論議をしてほしいと思います。  学校教育法六十五条で大学院の目的ははっきりしているわけです。これは読み上げられましたとおり、「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」こうなっているわけですね。そして昨年の六月の二十日に出されました大学院設置基準では、省令で第三条、修士課程の目的は、「修士課程は、広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」こうなっています。それから、第四条では博士課程の目的について、博士課程を「博士課程は、専攻分野について研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」こうなっておるわけです。これは、この大学院の目的をうたった学校教育法六十五条、これと省令で決めましたところの修士課程あるいは博士課程の目的と私は明らかに違ってきておると思うのです。違っておりませんか。これはどういうふうに解釈しておりますか。
  144. 井内慶次郎

    井内政府委員 先ほどお答えいたしましたように、学校教育法第六十五条で大学院の目的を明示いたしておるわけでございますが、この学校教育法第六十五条の規定基礎にしながら、今後のわが国の大学院の修士課程並びに博士課程の目的をどのようにより具体化したらよろしいかということで、関係者におけるいろいろな協議があり、大学設置審議会においていろいろな方面の意見を取りまとめまして、昨年の三月に御答申をいただきまして、その答申の中において示されました修士課程並びに博士課程の目的を、今回の大学院設置基準規定させていただいたわけでございまして、関係者等におきましてもこのことにつきましては支持をした大学院の目的かと存じております。その意味では第六十五条の「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」という学校教育法規定を、今日のいろいろな諸情勢を勘案したときに、修士課程においてどのようにそれを明確にするか。博士課程においてこれをどのように明確にするかという観点から、大学設置審議会でも審議が行われ、御答申もあったもの、それを私ども省令化させていただいた、かように考えている次第でございます。
  145. 山原健二郎

    ○山原委員 省令でこういうことを決めることが正しいのかどうかという問題、これは関係者の賛同を得たと言われておりますけれども、ここは国会で法律を審議する場所です。そうしますと、たとえば「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」というこういう目的ですね。この目的というのは、これは今日まで大学院を見る国民の目、また関係者大学院をどう考えてきたかという問題と結びついておると思うのです。ところが今度の場合は、修士課程についてはどうなったかというと、これは「専門性を要する職業等に必要な高度の能力を養うことを目的とする。」こうなっています。博士課程においては、これは「研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」、こうなっているわけですね。いままではどうでしょうか。いままで大学院というのは少なくとも職業人を育てるというものではなかったと思いますね。それから博士課程の場合は、一人前の研究者をつくるということですね。それはいわゆる深奥をきわめて、文化の進展に寄与する人物を養成していくという、だから学位にしてもそういう立場だと思うのです。昨年の六月二十日の設置基準の変更は、たとえば博士課程にしても研究能力をつくるということですね。研究能力のある者は、これは博士号が授与される。一方の目的は、いわば学術研究の完成者を目的としてうたっているわけですね。今度の場合そうではなくして、いわば研究能力を持つ、鶏で言えば完成された――完成されたと言ってはあれですが、大きくなった鶏なのか。そうではなくて、これは鶏の卵でありひなであってもいいんだということですね。だから大学院の性格というものは、昨年の六月二十日の大学設置基準省令によってぐっとダウンしているのじゃないですか。どうでしょう。
  146. 井内慶次郎

    井内政府委員 学校教育法第六十五条の大学院の目的は、「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、」云々という規定でございまして、これは大学院としてどういう目的を持ってやっていくかということを決めておるわけでございまして、大学院において学生に対する研究指導に当たる教官も、そこで研究指導を受ける学生も、大学院としては一体どういうふうな目的でやっていくかということを明文化しておる規定でございます。これに対しまして、修士課程なりあるいは博士課程なりの目的というのを、従前は、先ほども嶋崎先生お尋ねにお答えしましたように、大学基準協会大学院基準ということで基準を定めておった。それを国においても使っておった。これに対して大学設置審議会の答申をもとといたしまして、今回省令において修士課程、博士課程の目的を定めたわけでございますが、もう一面、博士課程、修士課程の問題につきましては、博士の学位、修士の学位に関する規定が一方あるわけでございます。これにつきまして、従前の学位規則における博士の学位、修士の学位はどういう人に与えるのかという規定がありました。これがただいま先生指摘のように、今回修士課程並びに博士課程の目的を設置審議会の建議をもととしてつくったわけですが、それに対応いたしまして、学位規則における博士の学位、修士の学位を与える場合の原則も表現を改めました。その点をちょっと申し上げますと、博士の学位につきましては、戦後のわが国の大学院制度、戦後の博士の学位は原則として課程博士ということできておるわけです。これに対して論文博士の道もありますけれども、原則は課程博士ということでございます。それで、新しい大学が発足し、新しい大学院制度が今日までいろいろなことを経験してまいったわけですけれども、課程博士における博士の学位というのは「専攻分野について研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を有する者に授与する」んだということに今回学位規則も改めたわけでございます。  これに対しまして、従前の学位規則における博士の学位はどうなっておったかと申しますと、先ほど先生指摘の点ですが、「博士の学位は、独創的研究によつて新領域を開拓し、学術水準を高め文化の進展に寄与するとともに、専攻学問分野について研究を指導する能力を有する者に授与するものとする。」というのが従前の学位規則における博士の学位を授与する場合の規定でございました。この点は大学院のいろいろな制度運用し、その現実を実際にとらまえました際、課程博士において授与する博士の学位として、従前の学位規則における学位授与の場合の目安と申しましょうか、基準と申しましょうか、これはやはり現実にそぐわないということが大学関係者の間での公約数的な意見と相なり、ただいま申しましたように、博士の学位については自立して研究をなし得る能力があるかないか、そしてそれが余りにも狭くてはいけませんので、その基礎となる豊かな学識があるかないかというところに着目をして審査をし、博士論文も見て、その結果で博士の学位を授与したらどうか、この点は御指摘のように、やはり課程博士というものを定着させるという意味で、確かに変わってきております。  それから、修士の学位につきましても、学位規則におきまして、従前の修士の学位は、「広い視野に立つて、専攻学問分野について、精深な学識と精深な研究をする能力とを有する者に授与する」んだというのが従前の学位規則でございました。これに対しまして、改正いたしました学位規則第四条によりましては、修士の学位というのは、「広い視野に立って精深な学識を修め、専攻分野における研究能力又は高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を有する者に授与するものとする。」ということで、学術の理論並びに応用の教授研究というところから申しますと、学術の理論という点については精深な学識を修めるということが基礎になければならない。そうして、その応用という面も考えまして、高度の専門性を要する職業等に必要な高度の能力を有する者に授与する。社会的な要請であるとか、わが国における修士課程の現状等いろいろな点を勘案したときに、修士の学位はただいま申し上げましたようなこととするのが妥当であろうという大方の意見もとといたしまして、ただいま申し上げましたように、学位規則も直させていただいた。ですから、博士の学位を授与する場合、修士の学位を授与する場合の規定と、博士課程、修士課程の目的とするところは相対応いたしておる。そしてそれは学校教育法第六十五条に定める大学院の目的を今日の事情に即して具体化したものである、このように私ども考えておるところであります。
  147. 山原健二郎

    ○山原委員 いまおっしゃったことでも、私は学位の問題にしましても、それがすべて悪いなどと言っておることではないのです。けれども、いままでの法の趣旨からいいますと、たとえば学位規則にしましても、いわばかなり厳しいものですわね。私が言いましたように、いま読み上げられたように、学術の指導までできるという、言うならば学者としての完成品を目指している。ところが今度の場合はそうではないという、変更が行われておることは事実です。それから同時に、いま基準協会のお話が出ましたけれども国公私立大学先生方が自主的な研究をされ、協会をつくって決められたいわゆる大学院基準に照らしましても、やはり今度の六月二十日の基準というのは変化していますね。変化しておることは事実なんです。そういう意味で、私はそういう変化のよしあしをいまここで言っているわけじゃありません。しかし、学校教育法の六十五条で決められておる大学院に対する目的の項から私たちがいままで考えてきたものとは違ったものがここにあらわれてくる。いわばそんなに法律に違反したものだとは思いませんけれども、しかしこの法の目的に対してはいささか抵触する問題が出てきている、こういうふうに思うのです。しかもそれが、さらにいわゆる複線といいますか、高度な独立大学院、また一方では職業人としての修士課程の技術科学大学院というようなものがかなり無理をして出てくるということですね。そういったこと。しかも、研究内容の多様化が悪いなどということを私は言っているわけじゃありませんけれども、技術科学大学院のように、先ほどのお話にもありました予科的なものまで付加するような形態が許容されていくということになりますと、学校体系までの多様化、複線化ということを認めるような結果になるのではないかという点ですね。そういう点については、確かに大学関係者の中にも私は不安や疑問があるだろうと思うのです。そういう点が本当に解消されるような論議、これがまず必要ではないかというふうに思うわけです。そういう意味で、いま大学院の目的から申し上げているわけでございます。  いまの局長の答弁につきまして、私はいまこの場所では、これをこうしたらいいんじゃないかというようなことは申し上げないつもりです。けれども確かに変化があるということ、これは明らかだと思いますが、再度その点についてのお答えをいただきたいのです。
  148. 井内慶次郎

    井内政府委員 先ほどの説明に若干補足をいたしますと、学校教育法第六十五条で大学院の目的が掲げられておる。その学校教育法第六十五条の規定を根拠として学位規則を文部大臣が定めることとなっておるわけですが、先ほど修士課程の目的、博士課程の目的ということで御説明を申し上げます際に、学位規則における博士の学位をどういう場合に授与するか、修士の学位をどういう場合に授与するかという学位規則の新旧の比較説明をいたしましたが、学校教育法第六十八条第二項におきまして、学位に関する事項を文部大臣が定めるときには大学設置審議会諮問しなければならないという法の規定があるわけであります。大学院の学位の授与の問題とかこういった問題につきましては、主として大学人等から構成されておりまする大学設置審議会のいろいろな議を踏まえながら必要な省令等を制定し、その改正を行っていく、こういうたてまえで私ども仕事をやらしていただいておるわけであります。  ただいま、新旧の学位規則で変化があるではないかという御指摘がございましたが、私ども大学設置審議会のいろいろな御議論を承っておりまして、一つの計数を補足的に申し上げますと、四十八年度末までに博士の学位を授与いたしました件数、戦後の件数を見てまいりますと、大体五万人が博士の学位をもらっておるわけですが、それの専攻分野別の状況を見ますと、旧制の博士の沿革と申しましょうかそのレベルと、新制の課程の博士のレベルと、この辺が専攻分野によりましてバランスがとれていないという状況等も正直あるのでございます。そこで大学設置審議会における論議の過程において、戦後の新しい大学院制度が発足してすでに相当年月がたっているわけですが、博士課程の問題についても、各専門分野を横断して考えたときに博士の学位というものを一体どの辺に目安を置けばよろしいのであるかということでいろいろな論議が行われまして、先ほども申し上げましたように、広い学識を基礎に持ちながら自立して研究し得る能力ありや否やということを、博士の学位授与の際には見るべきであろう。旧の学位規則では、研究指導能力があるかないかというところまで博士の学位を授与するときには見るのだというたてまえになっておりましたが、その点につきましては、やはり現状を考えたときには従前規定を、今回改めましたような規定に改めて、各専門分野別にそれぞれの事情の相違がございますが、過去のいろいろなことにつきましてもこの際専門分野ごとに少しいろいろ見直し、新しい課程博士制度というものがもう少し定着するように持っていったらどうか、こういうふうな御意見が非常にありました点を補足いたしておきます。
  149. 山原健二郎

    ○山原委員 そういう変化があるということは明らかでございます。それについてはまた後で申し上げたいと思うのですが、先ほども言いましたけれども、こういういわば五つの類型が生まれるようないわゆる多様化といいますか、そういう問題についても、いままで文部省がやってきた多様化の問題では、これも後で高専問題で触れたいと思いますけれども、決してこれは成功ではないと私は思っているのです。だから矛盾が生じてくる。この矛盾をさらにまた大学院設置することによって矛盾の上に矛盾が拡大されていく。そして幾種類にも分かれる。しかもその大学院間のいろいろな格差というものも生じてくる。だから矛盾の上にまた矛盾が積み重ねられる、そういう心配もあるわけですね。それは今後の運用によって解決するという先ほどの御答弁でしたけれども、しかし一方では学部なき大学院ですから、いわばこの大学院をさらに民主的に発展させていく学部というものの存在しない、いわば文部省がかなり恣意的にコントロールできる大学院が生じてくるのではないかという心配もあるわけです。そういう問題も含んでいるわけですね。これは後で技術大学院の問題で触れたいと思います。  そこでもう一つの問題は、先日の私の質問に対して、この法律によってどんなものが予想されるのかというのに対して局長の答弁は、一つ独立大学院、それから連合大学院、それから共同利用研究所に設置する大学院、それから技術科学大学院、こういうふうにお話がありました。そこで教員養成大学の問題が出なかったのですが、これはどうしてあの答弁の中から外したのか、これを伺っておきたいのです。
  150. 井内慶次郎

    井内政府委員 教員の養成につきまして、いろいろと新しい創意工夫をめぐらした大学を創設したらどうかということでただいまいろいろな調査研究もやらせていただいておりますが、これは学部を置き、修士課程を置き、学校制度、体系といたしましては現行制度の中で考えていこうということでございまして、大学院制度の改善と申しますか、新しい大学院制度の問題とは直接関係がございませんので、特に触れなかった次第でございます。
  151. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、現行、既存の学校教育法の枠内でこの教員養成大学の問題は考えておるのであって、この法律とは関係ないというふうに受け取っていいわけですね。
  152. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま私ども検討いたしておりますところでは、ただいま先生がお述べになりましたようなことで検討しております。
  153. 山原健二郎

    ○山原委員 新構想教員養成大学大学院というふうに言われてきたわけですが、そうしますと、いままでの学校教育法の枠内でできるというならば、なぜこの新構想という言葉がつくのか、新構想の部分は一体どこなのか、これを伺っておきたい。
  154. 井内慶次郎

    井内政府委員 技術科学大学院の問題も、それから教員大学院大学の問題も、おおむね昨年の三月にそれぞれの調査会から報告をいただいてその後検討しておる事柄でございますが、新しい構想の教員大学院大学の問題につきましては、現行制度学部、現行制度大学院修士課程ということで考えていこう、その際に学部に置かれる中身の課程を――課程といいましょうか、学部段階においてどういう教員養成をそこで内容として構成してくるか、それから大学院専攻の立て方等について、従前ございまする東京学芸大学とか大阪教育大学とかにございます修士課程と、内容においてどのような特色があるものにしてまいるか、それからこの学部大学院よりなる大学においてその管理、運営の方法はどういう方法が最もベターであろうか、こういった点が検討されておるわけでございまして、学校制度として踏まえるものは現行の学部であり、現行の修士課程である、こういうことでございます。
  155. 山原健二郎

    ○山原委員 そうしますと、いまわれわれが経験をしておるところでは現在の学校教育法に基づく大学というのは、これは従来の既存の大学の観念が私たちにあるわけですね。新しいものがあるとすれば、これは筑波大学である。筑波大学の場合は法律によって参与を決めたという一つの新しい形態ですね。それからもう一つは、医科大学に見られる、今度は法律で参与を決めるのではなくしてこの前も論議になりました、いわゆる省令で参与を決めるというこの形態しか私たちは知らぬわけですね。そうしますと、今度の新構想という部分は、いまお話しになったように、現行の学校教育法の枠内ではあるけれども、その学部の中身が違うのだ、あるいは管理、運営が違うのだ、そこが新構想と名づけた部分だというふうに言われますと、これは少しお伺いしないと、たとえば現在すでに一定の予算的措置をとられている兵庫あるいは鹿児島、鹿屋、鳴門とか上越とか、ここに予定されようとしておるところの教員養成大学というものがどんな形態になるのか、筑波大学方式なのか、あるいはもっと違ったものになるのか、管理、運営がどうなるのかというようなこと、しかも学部の中身が変わるというのですから、そうしますと、その新構想の部分については私どももう少し精知しないと、この点は論議できないわけです。その点はどうなんですか。筑波方式ですか。
  156. 井内慶次郎

    井内政府委員 ただいま私ども検討いたしておりますことは、先ほど申しましたように、学部並びに大学院修士課程という学校教育の制度とすれば、現行の学部大学院修士課程というもので考えてまいりたい。そしてその学部レベルの研究教育内容大学院修士課程レベルの研究教育内容、その管理、運営のあり方等につきましては、ただいままだいろいろな案を私どもも比較考量しながら検討中でございまして、文部省として次のような案でこれに対処するということはちょっとまだ申しかねる状況でございます。ただ先ほど先生からお尋ねございましたので、今回のような大学院のあり方とか、そういう意味における今回の御提案申し上げておるような制度改正とは直接の関係を持っていない、こういうふうに申し上げた次第でございます。
  157. 山原健二郎

    ○山原委員 その点はわかりましたが、この法律とは関係がないけれども、しかしいままでの大学の観念とは違ったものが生まれるということはさっきから言われているわけですね。その中身についてはまだ私たち知ることができない状態にあるというのが現実だと思います。  ところで、それでは鹿児島の例をとりますと、現在の学校教育法でやるとするならば、鹿児島には鹿児島大学の教育学部が存在しているわけですね。現在の法律で行う範疇で考えられる、この法律とは関係ないということになってまいりますと、私は、なぜ現在の鹿児島大学の教育学部をもっと充実をするという方向をとらないのか、こういうふうに考えてみますと、あの鹿児島県というところには鹿児島大学教育学部という教員養成大学が存在をして、そこへまた鹿屋に別の教員養成の大学、修士課程の大学院が生まれる、こうなってまいりますと、この二つの教員養成というこの大学を考えてみますと、この目的が違ったのかどうか、教員養成の目的が違ったのかどうか。優秀な教員を育てていくということで目的が一緒ならば、鹿児島大学の教育学部を充実をしていくという、このことに力点が置かれるべきではないか。同じ鹿児島に別途の修士課程を持つ大学を設立をするということになってきますと、一つの県内に二つの大学が存在する、しかもそれは同じく教員養成の大学である、なぜなのか。目的が違うのか。鹿屋の大学で養成する教員と、そして鹿児島大学教育学部で養成する教員の、教員の質の違うものをつくり上げるのか、そういう疑問が起こってくるのは当然ですね。これは鹿児島だけではありません。その他もそうです。徳島だって教育学部があるわけです。そうすると一体どうなのか。目的が違うものを、同じ教員養成と言っても違う教員をつくるんだ、どこかが違う教員をつくるんだという、こういう考え方に立って新構想大学という呼び名をつけたのか、伺っておきたいと思います。
  158. 井内慶次郎

    井内政府委員 仮称教員大学院大学ということでいろいろな調査研究等が進んでおります構想につきましては、先ほども申しましたように、あくまでも現行学校制度大学院修士課程と学部より成る大学ということで検討いたしておりますので、大学の理念あるいは大学の本質という点において特に異なったものをつくろうとする趣旨ではございませんので、その点は、特に先ほどの先生お尋ねの中でその点につきましての御発言ございましたけれども、現行の学校制度における学部大学院修士課程というものとして新しい仮称教員大学院大学検討しておるということでございます。  具体お尋ねでございましたが、このようなものを構想するに当たって、ただいま御指摘のように鹿屋あるいは徳島、あるいは上越等においていろいろ地元での御要望もあり、今後検討しなければならない課題にも相なっておりますが、当該府県における国立の教員養成学部との相関を一体どういうふうにしてまいるかということ等もこれから検討すべき重要な課題と私ども考えておる次第でございます。  なお、先ほどちょっと申しましたけれども、新しい教員養成の大学で、たとえば学部レベルの問題として一体どういう点に特色を持たす必要があるのかということで、前の論議と申しましょうか、調査会等の御意見を若干申し上げますと、従前各都道府県に教員養成の大学または教育学部国立大学でございます。その学部の構成は小学校の教員養成の課程と中学校の教員養成の課程がすべての教育大学または教育学部にございまして、それ以外に幼稚園の教員養成でありますとか特設課程等がそこに設けられておるわけでございますが、従前の経験からいたしまして、小学校課程と中学校課程をいま併置でやっておるわけですけれども、今後のいろいろな状況を考えます際に、幼稚園教員の養成と小学校教員の養成、幼稚園と小学校の教員養成に専念する学部というものも幾つ国立大学でつくる必要があるのではないであろうか。今日要求せられております幼児教育の振興でありますとか、あるいは幼稚園と小学校の教員の養成をどのように計画的にやってまいるかとか、こういった点について、そこに専念する学部というものがやはり考えられる必要があるのではないであろうか。さらに小中学校等の現場で現職経験を持っておる先生方について、大学院に入ってもらって、修士課程レベルの勉強をしてもらうチャンスをもう少し計画的に国として考える必要はないであろうか。このようなものを構想するとするならば、四十七都道府県全部の教員養成学部の上に修士課程云々と言いましても、これは特に教員養成の場合には、大学院の構成の仕方において、教官の確保その他いろいろとむずかしい問題もございますし、こういった問題を少しブロック的に構想するということはできないであろうか、こういった要請等がいままでの新しい教員大学院大学構想してまいりました主たる観点でございました。  そのようなものを受けながら、実際にどういうふうな学部とし、実際にどういうふうな大学院の中身とするかということにつきましては、ただいま鋭意いろいろな案を検討中である、こういうことでございます。
  159. 山原健二郎

    ○山原委員 お聞きしておりますとまた少しわからない面が出てくるわけですね。小学校あるいは幼稚園の問題についても、これは現在の教育学部でできないことはないと私は思いますし、また鹿児島大学の場合は大学院へ教育学部から行かれる場合には、大体広島それから九州大学へ行かれておるようですね。そういう実態、しかもいま調査会の話が出ましたけれども、私はその調査会について、これはもうおわかりだと思うのですが「教育系大学学部における大学院の問題」昨年の十一月に出された国立大学協会の教員養成制度特別委員会の報告書の中でこういうふうに書いてあるわけです。  これはいまの局長のお話が出ましたからちょっと読み上げてみますと「調査会報告は終始「新構想」を強調しているが、どのような点が「新しい」かも点検を要する問題である。報告書から看取される限り、新大学院専攻分野、その内容、カリキュラムについて格別あたらしい構想は見当らない。教育実習の場としての附属学校等のあり方についても何ら改革は考慮されていないようである。施設や若干の技術面である種の新しさは示唆されているが、教育内容の原理や、現職教育の意味づけにおいては、むしろ陳腐の印象すら与えられる。辛うじて「新構想」とよび得るものがあるとすれば、新大学学部教育を「初等教育課程」に限ったことと、大学の管理運営上特別の措置を加えていることなどの点であるが、それらはむしろ政策的色合いのつよい事柄であり、新構想というよりもむしろ問題点というべきであろう。少なくとも、現行の教育糸大学学部の本質的かつ自主的な改善整備に優先して、この「新しい大学大学院」を新設し、整備する必然性について調査報告書が十分な説得性を備えているということはできない。われわれは今後この構想の成行に重大な関心を払うものである。」これが国大協の教員養成制度特別委員会の「教育系大学学部における大学院の問題」という報告書ですね。この中に、調査会の出されております報告書についてむしろ陳腐であると――陳腐というのはどういうことかといいますと、ありふれて古くさいということだそうです。そうすると、新構想などと呼べるものではないのだという指摘をこれはいたしておると思うのです。そういう点で、私はもっとこれらの問題も検討する必要があるのではなかろうか。いま申しましたように、結局、鹿児島県を一つとってみると、県民やあるいは学生の立場に立って考えますと、教員養成大学が二つできるわけですからね。どっちを受けるかという学生の立場に立ってみると、その大学でどういう教員を養成しようとしておるか、これがまず問題になると思うのですね。そういう点でも不明な点があるわけでございますが、いま紙が回ってきまして、適当なところで切り上げてもらいたいというのが回りましたので、あと私の方は技術科学大学院の問題が残っております。こういう点についてなお質問をいたしたいと思いますが、こういう理事会のお話もあるようですから、きょうの質問はこれでおきたいと思います。
  160. 久保田円次

    久保田委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時三十二分散会