○永井国務大臣 現在の進学率が非常に高くなってまいりましたことについて、よい悪いということは簡単に言えないと思います。むしろ、それが何を
意味するかというふうに
考えるべきであるかと思います。従来、高等教育というのは学問の研究というふうなものを主にいたしてまいりましたけれ
ども、学校教育の大衆化という現象が産業構造の変化に伴って起こったということは私たちすべて認識しておくべきことであると思います。
そこで、一九六〇年代にわが国に高度経済成長が起こりましたが、それは言葉をかえて申しますならば、ホワイトカラーのマーケットが拡大したということでありましょうし、そういたしますと、ホワイトカラーの養成機関という姿で大学というものが拡張いたしますし、またその大学を経て、要するに拡大した産業構造の中で就職しようという人がふえてきた。非常に単純化して申しますと、そういう事柄であったというふうに
考えます。
そこで、問題は質でありまして、むしろこの方をどう
考えていくかということ、つまり量と質との関係において
考えるべきことは、高等教育計画の眼目であるかと
考えております。わが国の場合、諸外国と比較いたしまして非常に特色がありますのは、八〇%の
人たちが私立大学に在籍しているということであり、さらにまた、私立大学に対する公共的な補助というものがきわめて弱体であったということも関連いたしまして、私立大学の経営内容がよくないということがあります。そこで、そういたしますと、私立大学で、たとえばいわゆるマス授業、大量の
人たちによる授業も行われますし、あるいは実人員と定員が違うというふうな問題も起こってまいります。また、非常勤講師の数も非常にふえるということが起こってまいりますから、そういう
意味合いにおいては、私は、大学の拡張に伴うその質の充実の長期計画というものが十分にあったとは
考えにくい問題が今日われわれの眼前にあるように
考えております。さらにまた、それだけ高等教育が拡大いたしました
段階においては、やはり
一つの大学というものだけが中心になるんではなくて、いろいろ
社会に多様化も起こってまいりますから、いろいろな種類の
社会への出口というものができてきているのも、これまた諸外国の一般的
情勢であると
考えますが、わが国の
国立大学の中での大学の設計の仕方というものにもかなりの問題があったというふうに見なければならない。
その他の事柄もございます。たとえばいま問題になろうとしている大学院というものがどの程度充実しているかということは、研究の角度から言っても大事でありますが、実は高等教育の拡大に伴って必然的に必要になります大学の教員の確保というものは、大学院の強化なくしてはなし得ないはずの事柄でありましたにもかかわらず、大学院の強化拡充というものがおくれていたというような問題もあろうかと
考えております。でありますから、私が申し上げたいのは、量的拡大は産業構造の変化に伴う大学の大衆化現象であって、これはよしあしということを申しますよりも、むしろ歴史が動いていく中で大学の変貌としてとらえるべきことであると思います。
それと、質との関連で
考えますと、必ずしもそうした変貌に即した形で高等教育計画が十分に行われてこなかったという点におきまして、われわれは質と量との関連においていろいろいま問題を解決していかなければならないこと、きわめて数多くのそうした事柄に直面しているというふうに認識いたしております。