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美濃委員 確認しでおきたいのですが、繰り返しますが、
給付の
改善をしたと言いますけれ
ども、
給付の
中身を全部見ると、確かに全然
改善されていないとは私は申し上げませんけれ
ども、
改善された
部分というものはまことに少ないものである。今回の
改正にしても、いずれもこれは
物価の
変動率よりも低い底上げです。
既裁定年金者にしても
改定が行われて、それが
改善だと言うけれ
ども、実際の
生活の
中身、
年金によって
生活をするその水準が向上されるようなものではないわけですね。これはいわゆる
インフレ調整なんですよ。それをすることによって、先ほどから申し上げているように、また、
局長からも
お答えがあるように、いわゆる
整理資源が
不足してくる。
ベースアップがやられれば上がった
給料で
掛金が増加しますから、それ以降の分はいいのだが、それ以前の
積み立てば、
ベースアップが行われると同時に
退職時の
給与の何%という率で
給付が決められておりますから、
ベースアップがあれば必ず過去の
積み立て不足は自動的に発生することは当然だと思うのです。
だから、
厚生年金は
責任準備金という
計算はしないが、こっちは
民間団体の
年金共済だから、
生命保険の
責任準備金とは質は変わるにしても、やはり
責任準備金的な
計算をして、そして
財源というものを絶えず確保することに努力しておかぬと将来とんでもないことになる。それもそうだと思うのです。それは私は悪いとは申しません。
厚生年金の方は
責任準備金というこのような
考え方は毛頭ない。こちらではそういう
考え方をやはり
財源の中には組み入れて
検討していかなければならぬ。しかし、その
発生原因というものが
給付改善によるものではなくて
インフレによるものである。それが増長すると、今回の
改正を見ても、まず第一点として問題が出てくるのは、
最低五万二千円に
給付を引き上げることですね。そうすると、全国的には
給料が安いですから、たとえば
標準給与が三万五千円の
給料の者があって、それでも
下限の五万二千円で徴収される。あるいはこの前、一昨年ですか、
整理資源が足りないから
掛金率を千分の百三十を超える率に引き上げるというような話が出たわけですね。
現実にはそうはならなかったけれ
ども、これは
財源計算をすることも結構だけれ
ども、加入しておる
組合員や
本人の
責任に起因することなく、全く
経済事情の
変化からこういう問題が起きてきている。そうしてその第一点としては、今回
改正するのは五万二千円に
最低基準を底上げするのだから、
現実に三万五千円の
標準給与の者にも五万二千円で
掛金を掛けさすのですよ。
あるいはこれは実現されなくて、単に
うわさのようなことだったのですけれ
ども、一昨年ですか、
掛金率を千分の百三十二とか五とかにするというような
うわさが出たのですね。まことにけしからぬ話だと思うのです。そうなってくると、将来の
退職後の老後の
生活の
社会保障としての
年金も大切だが、しかし、
現実の
生活費が大幅に
——将来の
積立金のために、
標準給与が五万二千円に達していない者に、五万二千円に
下限を引き上げたのだから五万二千円の
掛金を徴収しますよということでは
現実の栄養失調が起きるのではないですか。
現実の
生活が充足できなくて、二十年払った先に払われるという
掛金によって今日の
生活が全く脅かされてしまうというような条件が出てくると思うのです。
その第一点は、今回の
改定で
下限を五万二千円に引き上げたのだから、三万五千円の
標準給与の者でも五万二千円相当額の
掛金を徴収しますよということは私は了解できません。将来
厚生年金がいま申し上げたような
内容の
負担率であり、この
年金はもう千分の九十六までいっておるわけですが、今度また
政令を変えて百三十までとか百五十までとかなるという
政令をつくって、二十年先の定年後の問題よりも現在の
生活が
年金負担によって
現実に破壊されるようなことを行うということは許すことができないと思うのです。その
原因が何にあるのか。どうしてそうしなければならぬのか。その
原因は
インフレという
原因にあるんだ。
たとえば一例を申し上げると、私自身のことを申し上げて失礼ですけれ
ども、これは全部の人がそうですが、私
どもは
昭和十五、六年ころ物すごく簡易
保険なんかを町村を通じて
——あのときは町内会と言わぬで部落会と言いましたが、全国に各部落会というものをつくって、その部落会を通じて割り当てられた。町内は町内会と言ったのでしょうが、とにかく何万円を買えということだった。
昭和十年当時ですと、契約の三千円、五千円という金は大金でありました。
現実に私
どもの
生活から言うと、三千円で二十年の簡易
生命保険に加入すると、一ヵ月に払う
掛金は四円五十銭です。四円五十銭というのは当時の私
どもの
生活からいけば大豆一俵ですね。大豆六十キロですよ。いま大豆六十キロは、ことしの補助金を含めると一万円を超したわけです。
昭和十年当時に四円五十銭を、あの当時は
財政強化や戦争状態に入ったものですから、割りつけられて、それを消化しなければ非国民だと言われた。そういう話は別として、とにかく当時毎月大豆一俵の
掛金を私
どもは掛けた。二十年満期ですから、
昭和三十年に満期で三千円郵便局から受け取った。
昭和三十年に受け取った三千円はどうですか、これは子供の小遣いですよ。掛けた
掛金は大豆一俵ずつ掛けておるのですよ。現在の経済ベースにすると一万円の
掛金を掛けておるわけだ。四円五十銭という金で物を買えば、
昭和十年当時だったら地下たび一足買って八十銭ですから、一円しなかったわけです。軍手一足買ったら七銭、八銭ですから、十銭という単位で軍手一足は買えた。いま、軍手一足は二百円もするわけです。そういう問題が出てくるわけです。
〔
今井委員長代理退席、
委員長着席〕
ですけれ
ども、片や
生命保険の方は契約ですからそれで済ませてしまうわけですが、
年金はそうはいかぬところに問題があるわけですね。そのために
整理資源が
不足だ、過去の
積立金が
不足だといってこれ以上
掛金を上げるとか、特にいま申し上げたように今回
最低を五万二千円に上げることにした。全国のこの団体の加盟
組合員の中に三万五千円という
標準給与の人が、たくさんはいないけれ
ども、少数いると思うのです。あるいは四万円という五万二千円を下回っている者に、五万二千円に
下限を引き上げたんだから五万二千円相当額を
負担しなさいということになれば、これはとんでもないことだと思うのですね。二十年先の
年金給付のために、その
負担のために、今日の
生活が限度ですから、今日の
生活で栄養を保持するだけのカロリーが取れないという問題が出てくるわけです。一体何のための
年金かということになるのじゃないですか。
年金の
掛金を払うことによって寿命が縮まる。早死にする。早死にすれば死亡による解約一時金であって、
年金にも到達しない。これは残酷な人殺しですよ。そういうことをしていくのは人殺し
年金と言わざるを得ない。確かに、五万二千円以上の人は別です。
それから、もう
一つは、
財源調整を
計算するということなんだが、するなとは私は言いません。
財源の再
計算をして
——繰り返しますが、二年前に出た
うわさのように、この
年金の
掛金が千分の百三十五だとか千分の百五十だとかというような
掛金になってくると、
現時点であれば、月額ずっと上がってきて七万何ぼが平均
給与ですが、この七万円ちょっとの加入
組合員の平均
給与の者に千分の百五十だとかいう高額の
負担をさせて、
インフレによって
給付額を引き上げる穴埋めを
掛金でするという
方式をとった場合、四十八年度の五万とか、
現時点の七万円とか、
標準給与以下の
給与の
生活をしている
組合員は全部首つりが始まってくる。この
負担は、義務加入ですから、
負担することによって
生活が破壊される。二十年後の将来のためにそのときの
基準栄養をとることができないような、全く
生活をすることができないような条件の
掛金が発生してくることになるわけですね。
この点、そういうことはいたしませんという確約なり方針なりをいま明確にしておいてもらわなければならぬが、どうでしょうか。