○稲富
委員 大臣、そうかたくならぬで、平たく御答弁なさって結構でございます。
いまの
日本の
農政が今日後退してきたということは、
高度成長というものが、あるものにはよかったかもしれないけれども、
農政の場合はいい影響を与えていないと私は考えます。これが十年間にわたる
わが国の
農業の後退の事実であったと思うのでございます。それで、私は、この際こそまず
農業基本法のできた当時の原点に返って、
日本の
農業の将来をどうするかということをここで再検討する機会が来ているのではないかと思うのでございます。こういう点から私が
安倍さんに非常に期待するところは、御承知のとおり、
農業基本法をつくるということを最初に発想したのはあなたのお父さんである岸内閣でございました。あなたはその時分に岸内閣総理
大臣の秘書官をしておられたと思いますので、その点の事情はよくおわかりになっていると私は思うのでございますが、御承知のとおり、ちょうど
昭和二十八年をピークといたしまして、それまでの
日本の農林予算というものは、二十八年までは非常に上がってきたけれども、二十九年から年々歳々減少するというような
事態を生じた。それで、農民の間には、これで一体
日本の
農業はいいのであるかという心配が生じて、これが
日本農業が曲がり角に来たんだと言われた原因だと私は思うのです。それに立ち向かったのが、すなわち岸内閣総理
大臣であって、これに対処する意味で岸内閣総理
大臣は
農業基本法をつくるという
調査会をおつくりになった。そして、途中で岸内閣は退陣をされたので、それにかわって
池田内閣が、その意思を継いで
農業基本法の制定をやられたということはあなたも御承知のとおりであると思うのでございます。
ところが、せっかくそういうような趣旨から
農業基本法が三十六年に成立したけれども、その直後に
池田内閣は所得倍増
計画を提唱し、
高度経済成長政策を提唱した。これに便乗したのが
日本の財界であったことは御承知であると思うのでございます。すなわち、これによって
経済同友会は、「
日本農業の将来への提言」という論文の中において
日本農業の国際分業論というものを提唱された。私は、そのときに、
経済同友会の国際分業論が
日本農業にとんだ影響を及ぼすんじゃないかと思いまして、
予算委員会で、赤城
農林大臣に、この財界の提唱に対して
日本の
政府は屈するんじゃないかという質問をしたことがあります。ところが、そのときには、赤城さんは、そういうことはありませんということを答弁いたしておりました。ところが、年々歳々
日本の
農政が後退してしまって現在のような
状態になったということは、これはもうすでにあなたも御承知のとおりであると思うのでございます。
それで、
政府がやってきたんだから、
高度経済成長政策が悪かったということはあなたはなかなか言えぬかもしらぬし、
高度経済成長政策が
日本経済によかった点もあるか知らぬけれども、
日本の
農政においては決していい結果はもたらしていないということを私
たちはここで十分考えなければならないと思います。そして、その結果は、せっかくできた
農業基本法が空文化してしまったという事実の上に立って、私
たちは、その反省を
——私は、そういうことになったことについてあえてあなたを責めませんけれども、そういう反省を率直に認めながら、その反省の上に立って、将来
日本の
農業をどう確立するかということに向かっていくことが今日の
日本農業を確立するための一番重大な問題じゃないかと思うし、ここにおける
安倍農林大臣の使命もまた非常に大きいと思うし、われわれがあなたに期待するところもそこにあると思うのでございますが、これを私はあなたに特に希望したいと思うのであります。
それで、あなたは先日
大臣になられましてから、その点から、守る
農政から攻める
農政へということを言われております。私もその
言葉には賛成でございます。いままでの
日本農業というものは、いま言うように、後退する
農政の中においてどうして
日本農業を守るかということに非常に
苦労されている。ところが、幸か不幸か世界的な
食糧危機というものが表面化してまいりまして、政治家のみならず、すべての
国民が、
日本農業はこれでいいかという反省の中に立っていると私は思う。このときにおいて守る
農業から攻める
農業へ転ずるということは、
日本農業をこの際どう確立するかということなんです。それで、私は、その点は攻め方があるでしょうと思うが、この点において
農林大臣がどういう決意を持っておられるか、その反省の中からあなたの考え方を率直に承りたいと思うのでございます。