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1975-07-02 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第29号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和五十年七月二日(水曜日)     午前十時十分開議  出席委員    委員長 藤尾 正行君    理事 越智 伊平君 理事 奥田 敬和君    理事 加藤 陽三君 理事 木野 晴夫君    理事 箕輪  登君       赤城 宗徳君    有田 喜一君       近藤 鉄雄君    塩谷 一夫君       竹中 修一君    中馬 辰猪君       徳安 實藏君    中川 一郎君       根本龍太郎君    旗野 進一君       林  大幹君    三塚  博君       吉永 治市君    綿貫 民輔君  委員外出席者         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     宇野 精一君         参  考  人         (石井ミュージ         ックプロモーシ         ョン社長)   土居 好子君         参  考  人         (レポーター) 木原美知子君         参  考  人         (評 論 家) 荒垣 秀雄君         参  考  人         (建 築 家) 黒川 紀章君         参  考  人         (評 論 家) 扇谷 正造君         参  考  人         (体操指導者) 安田美代子君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 七月二日  辞任         補欠選任   大石 千八君     根本龍太郎君   笠岡  喬君     中川 一郎君   吉永 治市君     徳安 實藏君   和田 貞夫君     阪上安太郎君 同日  辞任         補欠選任   徳安 實藏君     吉永 治市君   中川 一郎君     塩谷 一夫君   根本龍太郎君     綿貫 民輔君   阪上安太郎君     和田 貞夫君 同日  辞任         補欠選任   塩谷 一夫君     笠岡  喬君   綿貫 民輔君     大石 千八君     ————————————— 本日の会議に付した案件  戦没者等慰霊等に関する件      ————◇—————
  2. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 これより会議を開きます。  日本社会党日本共産党革新共同及び公明党の諸君の御出席がございません。まことに遺憾に存じます。やむを得ずこのまま議事を進めます。  戦没者等慰霊等に関する件について調査を進めます。  本日御出席をお願いいたしました参考人は、お手元に配付してあります名簿のとおり八名でございます。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。本日の主題は、御承知のとおり、戦没者及びその周辺の方々の御慰霊、その方法あるいはこれらに関する諸問題等々について、従来から当委員会を中心にいろいろ議論がございました。この国会におきましては、こういったいままでの議論を踏まえまして、さらにこの問題を進めますために、国民各層方々の御意見をちょうだいいたしまして、それらを参考にし、国会といたしましてのとるべき道を探していこうというところにその目的がございます。この委員会を開きました理由もそこにございます。  何とぞ参考人各位におかれましては、本件につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、もってこの件調査参考にいたしたいと存ずる次第でございます。  なお、御意見の御開陳は、大体お一人二十分程度順次お述べいただいた後で、必要がございましたならば、委員皆様方から質疑がございましたらそれにお答えを願いたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきを願います。  それでは、東京大学名誉教授宇野精一君にお願いを申し上げます。宇野精一君。
  3. 宇野参考人(宇野精一)

    宇野参考人 ただいま委員長から二十分ぐらいというお話でございましたけれども、ほかの参考人とも御相談の上、私は、大体三十分ぐらいをめどにお話を申し上げたいと思います。  私は、この靖国神社の問題はかねて非常に強い関心を持っておりまして、今回たまたま参考人として意見を述べろというお話でございますので、平素考えておりますことを多少申し上げて御参考に供したいと存じます。  何から申し上げていいか私よくわかりませんのですが、私ども国民としては、靖国神社というものは特別のお宮であって、戦没者の方に対して国家として敬意を表するということは、もう当然中の当然のことだとかねがね考えておるのであります。  その点は、外国の場合をお考えくだすってもすぐわかることでありまして、これは皆様承知のとおり、世界じゅうどこでも戦没者に対しては特別な敬意を表しております。当然の結果だと思いますけれども外国軍隊日本に参りますと必ず正式に靖国神社お参りをしておられます。私の伺いましたところでは、昭和三十八年以降の平均として大体毎年二カ国だそうでございまして、最近におきましては、昭和四十八年にはペルーとチリ、それから四十九年、昨年はフランスドイツの両国が靖国神社お参りをしておられるそうであります。そのことは戦没者に対しては、いわゆる宗教的な偏見というものはどこの国でも持っていないという一つの証拠だと思いますが、日本におきましては靖国神社という、神社という形式でおまつりをしているのでありまして、諸外国におきましては、それぞれの国々習慣によって表敬方法考えておられるようであります。  私は、外国のことをよく存じませんのですけれども、たとえばイギリスのケンブリッジ大学を訪問いたしましたときに、そこのチャペルの石の壁に第一次大戦及び第二次大戦戦没者名前が刻まれておるのを私は見たことがございます。これはイギリス人たちですから、大体はイギリスの正教会だと思いますけれども、必ずしもそこに名前が刻まれている人はすべてそうであったかどうか私は多少疑問に思うのでありますが、それぞれのカレッジごとチャペルにその名前が刻まれてあるのを拝見したのであります。  そこで、日本では靖国神社ということでありますが、靖国神社、広く言えば日本神社というもの一般ということになりましょうけれども、私は、別に宗教学専門ではございませんので、一般神社とか神道とかいうことについて申し上げることは控えますけれども靖国神社というものは特別のお宮であって、国民感情としては、いわゆる神道とかあるいは宗教的な存在とはどうも考えていないと思うのであります。  問題は、それでは宗教とはどういうものであるかという定義の問題でありますが、これは皆様もうすでに十分に御論議になったことだと思いますけれども定義が非常にいろいろございますそうで、人によっては百以上あるいは二面以上もあるというふうなお説もあるようであります。学者の間でもそういう状態でありますので、宗教というものの定義いかんによってはお宮も入ることになるかもしれませんけれども、私の個人的な考えとして申しますと、われわれが宗教考えておる場合にかなりその特色と思われるものがございますが、そのうちの一つ特色としましては、非常に排他的であるということがあるように私は思います。ところが、日本お宮というものは全然そういうことがございません。たとえば私どもの家庭を考えましても、私のうちは仏教でございますけれども仏壇と並んで皇大神宮それから氏神様などのおまつりをしております。しかも私のところは、狭いものですから、同じ部屋に片っ方には神だながあり、片っ方には仏壇があるということで、私どもは何ら抵抗感がございません。神だなを拝んで、それから仏壇を拝むということは、何の抵抗もなく行われておるのであります。  靖国神社の場合でも、私は同様であると思います。かつて私が聞いた話でありますけれども、今回の敗戦後、靖国神社が非常に荒廃しているといいますか、お参りする人もなくて大変さびしい状態であったときに、どこか外国婦人が毎朝靖国神社の境内を掃き清めておられたということを、私、新聞記事か何かで拝見したことがございました。これは外国婦人でありますから、もちろん神道信者でもございませんでしょう。多分キリスト教信者だろうと思いますけれども、そういう方が靖国の英霊に対して敬意を表する意味でもってそういうことをしておられたのだろうと思います。これが人間の素直な感情であって、最近承りますと、仏教あるいはキリスト教方面団体で非常に反対をしておられるようなことを伺いますけれども、それは私、日本お宮、特に靖国神社というものに対する本当のことがどうもおわかりになっていないのではないか、大変失礼かもしれませんが、さように存じます。  靖国神社反対なさる方の御意見というのを、先般日本宗教放送協会と申します社団法人が一万名に対して世論調査をなされて、その結果を私、拝見したのであります。細かいことは、多分資料がお手元にあると思いますので申し上げませんけれども、全体として約八〇%以上の人が、靖国神社国家的におまつりをして天皇陛下の御親拝をお願いするということに対しては賛成をしておるように私は拝見いたしました。そこで、反対意見ももちろんあるわけですが、反対意見を述べておられるのは、もちろんさまざまでありますけれども、大きく分けますと、政治的に利用されるおそれがあるというのでしょうか、結局、軍国主義復活とかそんなふうなことで反対しておられる方、それが一つ。もう一つは、憲法に違反するという御意見、その辺が主要な反対理由であるように私は拝見いたしました。  忌憚なく私、率直に意見を申し上げますが、政治的利用ということでもし言うならば、現在靖国神社国家護持と申しますか、たとえば先般エリザベス女王おいでになりましたときも、英国側としては、当然のこととして靖国神社表敬訪問をしたいという御希望があったように承りますが、それをつぶしてしまった。これはむしろ現状の反対なさる方々こそ政治的な利用政治的利用と言うとちょっとよろしくないですが、政治的にそれを処置しておられるのであって、どうも国民としての素直な気持ちには立脚していないように私には拝見されるのであります。  それからもう一つ憲法問題でありますが、これは私がそういうことを申しては、ちょっと専門外のことで立ち入り過ぎるかもしれませんが、これも遠慮なく申し上げますと、憲法憲法とおっしゃるけれども憲法のための日本国民であるか、それとも日本国民のための憲法であるかという素朴な疑問を私は抱いておるのであります。当然私どもとしては国民のための、あるいは日本の国のための憲法であり、その他もろもろの法律であるべきである。法律のために日本国民があるのではないというふうに私は考えておるのでありますが、もし先ほど来申しますように、靖国神社国家護持あるいは天皇の御親拝をお願いするというのが国民世論調査によりますと八〇%以上の賛成があるとしますならば、これはもう実際上ほとんど全国民総意であると申しても私は差し支えないのではないかと考えるのであります。したがって、そういう国民総意があるならば、もし憲法上どうしてもそれができないということであるならば、まさしく憲法こそ改正しなければならないと私は考えます。しかし、憲法改正ということはかねがね問題になっておりまして、大変めんどうな手続が要るようでありますので、ただ、そういうことを申しても、それは空論になるおそれがある。そうだとしますならば、憲法を直ちに改正しなくても、現在の憲法の範囲の中でしかるべくお取り計らいを願えないものであろうかというふうに思うのであります。  その実例としては、これも皆様承知のとおりでありますが、憲法八十九条の規定によりますと、いろいろ書いてございますが、たとえば私ども関係で申しますと、教育に対しては国家から援助をしてはならぬという趣旨規定があるようであります。ところが、実際には皆様方の御配慮によって、私は現在、私学関係しておりますけれども私学には多大の御援助をいただいておるわけであります。これは私、専門家じゃございませんので間違っておるかもしれませんが、私の考えでは、これは明らかに憲法違反であると思います。もしやかましく憲法八十九条を盾にとるならば、私学援助は一切してはならないはずのものであると私は思うのであります。しかしながら私学はいろいろの問題があって、あるいは国家に対する実際上の寄与ということを考えて、国家としても相応の援助をしようということは趣旨として結構であるし、国民全般が望んでいることでもある。いろいろの実情の上から考えて、しかるべき御処置を経た上で御援助をいただいておるのだと思うのであります。  そういう方法がもしあるならば、この靖国神社問題に関してもしかるべく御処置をいただいて、国家からの援助と言うと変ですけれども国家護持と申しますか、国家靖国神社をおまつりをする、天皇陛下にももちろんおいでいただくというふうな方法が何とかありそうなものだということを考えるのであります。  現在、宗教的な問題に関して皇室または国家がどのような関係のかかわりがあるかということを少し資料で申し上げますと、現在、皇室におかれては、歴史的由緒の深い仏教寺院には必ず毎年毎年御香料をお供えなさっておられるそうであります。これは四十七カ寺に及ぶそうであります。さらに特別の寺院には、重要な宗教典儀のために陛下の御意を賜ったりする。これは真言宗の東寺及び天台宗延暦寺だそうであります。それから国師とか禅師号を宣下される。これは曹洞宗の永平寺及び総持寺に対してであります。そういう慣例が、これは昔からでありますが、引き続き行われておる。それから仏教寺院ばかりではなく、天皇陛下皇太子殿下が特別にキリスト教の講義をお聞きになるということもある。また神社のうち特別の由緒のあるいわゆる勅祭社、勅命によっておまつりをするお社、特に皇祖をおまつり申し上げておる伊勢大神宮へは格別の敬意を表しておられることは、これは申すまでもございません。宮内庁におかれては寺院のことは総務課であり、神宮とか神社のことは掌典職というところで担当しておられるそうでありますか、これは政教分離というたてまえからそういうことになっておるそうであります。英国では王室はプロテスタントのみを保護するが、日本では皇室は古くからおおらかな態度で、仏教も各宗各派神宮神社もおのずからそれぞれに広く表敬されておりまして、一宗派一宗門への特別な集中は避けておられるそうであります。これは皇室のあり方としてまことに好ましい、望ましい伝統であると思うのであります。  憲法では政教分離ということが非常にやかましく言われましたために、先ほど申しましたようなことも宮内庁総務課掌典職ということで分けたり、あるいは国事行為ではなくて内廷行為であるとか、いろいろ御専門立場からそのような処置をしておられるそうでありますが、私どもが普通の人間として考えますことは、憲法では、「すべて皇室財産は、國に属する。」という八十八条の規定があり、内廷費であろうと宮廷費であろうと「すべて皇室費用は、豫算に計上して國會の議決を経なければならない。」ということになっております。したがって、内廷費によって仏教寺院に香華を供えられましても、あるいは皇祖伊勢皇大神宮に御参詣なさいましても、日本皇室としては当然だというふうに国会がお認めになったからであるというふうに私ども考えておるのであります。  法学者のお説では、宮廷費内廷費とは全く別である、内廷費では宗教支出もいいけれども公務公金、すなわち宮廷費に関してはそれは絶対によろしくないというお説もあるそうでありますが、これは私は実情に合わないことだと考えます。  さらに、御歴代天皇の御陵に対しては、たとえば近衛天皇陵などは明瞭に仏教的な施設であります。それから明治天皇陵のような神式の、神様の方の施設もございますが、この所有と維持管理とは国費で行われております。これは恐らく内閣委員会でお決めになったことでございましょう。  それからさらに、私は、実は東京湯島聖堂管理団体であります財団法人斯文会というものの理事長をしておるのでありますが、東京湯島聖堂というのも国有でございます。その維持管理については、文部省が所管をしております。現在のところ、費用斯文会に対しては全くいただいておりませんが、聖堂の中に人徳門というのがありまして、これは非常に古いもので重要文化財でございますが、その修理は文化庁によって国費によって行われております。  なお、斯文会は直接には費用をいただいておりませんけれども、そういう大きな修繕相当費用がかさむような場合には、文化庁の方で御心配をくださっていろいろ施設なり修繕なりをしてくださっております。  そこの実際の、たとえば孔子のおまつりを毎年四月の最後の日曜日に定例日としてやっておりますが、そのおまつり孔子祭と申します。孔子をおまつりしてあるので孔子祭と申しますが、そのおまつりは私ども財団法人斯文会が主催いたしますが、そこには文部大臣、それからかっては文化財保護委員長、現在で申しますならば文化庁長官でございましょうが、文化庁長官は毎年おじきじき出席くださった場合もありますし、祝辞を代読のためにいただいておる場合もございます。ことしはたしか安達文化庁長官がおじきじき出席になりました。それから先年は、前のところでは橋本文部大臣とかあるいは坂田文部大臣とか、まだそのほかにもいらっしたと思いますが、いまちょっと記憶しておりませんけれども、そういうようにじきじきお出ましになったことも何遍かございます。それから以前は東京都知事出席をしていただいておりました。これは東都知事はたしか御出席いただいたことがございます。ただいまの美濃部都知事になられてから、一切祝辞も下さいませんのでそのままになっておりますけれども、そういう状態でございまして、現在でも文部大臣文化庁長官が御出席をいただいて、または祝辞をいただいておるわけであります。  それから、その東京都におきましても、斯文会には、孔子祭にはおいでになりませんが、関東大震災あるいは大東亜戦争の空襲の犠牲者をお慰めするところの東京慰霊堂——被服廠跡慰霊堂でありますが、そこは仏教大本山級寺院を持っていて、そしてそれを維持管理しておる。そしてその法会は、戦前からの習慣に従って都の関係公務員も役員に加わって組織されておりますところの東京慰霊協会が仏式によって挙行しておる。これは大変盛大でありまして、毎回都知事都会議長も参列して、皇族も御出席になっているとのことであります。  こういうことは、政教分離のたてまえをとっておりますところの外国においても一般的な習慣であると伺っておりますが、靖国神社においては、何とか皆様の御尽力によってしかるべき表敬方法をお考えいただきたいと切にお願いしたいのでございます。  故人の、亡くなられた方のみたまに対する表敬国家的、公的な事実というのは、このほかにもいろいろございまして、たとえば国鉄殉職者をまつる鉄道神社とか国鉄主催築地本願寺における殉職者慰霊法要あるいは営林署におけるところの山祭等々、幾らでもそういう例はございます。  その気になれば幾らでも、そしてまた、先ほど申しましたとおり国民のほとんど八〇%以上と申しますから、これはほとんど全国民総意考えてもよろしいと私は思いますが、そういう強い希望がございますので、どうぞひとつしかるべき方法をお考えいただいて、靖国神社に対してはどうぞ天皇陛下を初めとして自衛隊も正式に参拝ができるように、現在は外国軍隊正式参拝をしているのに日本自衛隊——もっとも自衛隊軍隊であるとかないとか議論があるようですけれども、私ども軍隊と心得ております。その自衛隊がいわば自分たちの直接の先輩である戦没者に対して公式に敬意を表し、弔意を表するということができないなんていう、まあばかげたと言っては申しわけないですが、私どもは、率直に申すと実にばかげたことだと考えるのでございます。  どうぞひとつ、靖国神社表敬方法についてお考えをぜひいただきたいと切にお願い申し上げます。(拍手)
  4. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 宇野参考人に対しまして、委員皆様方の中で御質疑がございましたならば、いただきたいと思います。中川一郎君。
  5. 中川(一)委員(中川一郎)

    中川(一)委員 宇野先生から私ども考えておることと大体一致する、非常に貴重な御意見がございまして感激いたしておるところでございますが、もう一つ憲法問題とか宗教論とかいろいろ御意見がありましたが、野党反対する方々の主張するところは、靖国神社のおまつりをすれば、もう一回戦争をやる、軍国主義につながるんだというようなことを心配されて反対しておるようでございます。私ども戦争を経験して、二度と再び戦争があってはならない、これはもう日本人の中に戦争をもう一回やりたいなんという人はまずまずいない、どこを探してもそういう芽はない、こう見ておるわけでございます。したがって、靖国神社を国がおまつりをして、国の犠牲者となられた方をおまつりすることは、国家である以上当然のことであって、何らの矛盾もない。憲法から言っても、そう違反していることではないし、すべていいと思うのでありますが、ただ国民の中には一部、ひょっとすると、社会党初め野党皆さん方が主張するような——正式には主張いたしておりません、国会議論もしないのでございますから。正式に主張しているとは言いませんけれども、ちらほら聞いてきます意見の中には、軍国主義に通ずるんだ、戦争復活だ、こう心配しているようでございますが、先生は、この靖国神社を国がおまつりして、日本が再び軍国主義になる、こういうことをみじんでも考えられるかどうか、その点をひとつまずお伺いしてみたいと思うのでございます。
  6. 宇野参考人(宇野精一)

    宇野参考人 私の考えを申し上げます。  靖国神社をおまつりしたらば軍国主義を鼓吹するということは、ずいぶん短絡した御意見だと思うのであります。もし戦没者に対して国家慰霊表敬措置を講ずれば軍国主義になるというならば、先ほど来申し上げましたように、イギリス、アメリカ、フランスドイツ、ソ連、そのほかあらゆる国がそうだと思いますが、私の知っておりますのはその程度でございますが、それらの国々はすべて軍国主義ということになります。果たして軍国主義であるのかないのか、これは見る人が見ればわかることでございます。  率直に申して、私は、いま申しました国の中には軍国主義的な傾向のある国もあると思いますけれども、そういう戦没者国家がおまつりしたから軍国主義になるというわけではない、別の理由があってのことだと私は考えるのであります。したがって、日本におきましても、靖国神社国家がおまつりしたならば軍国主義になるなぞということは、まことにとんでもないことです。  ことに、これは言わでものことですが、ヨーロッパ諸国あるいは諸外国がもし——もしじゃありません、現在、国家的に戦没者に対して表敬措置を講じておって、それが直ちに軍国主義にもしなるとしますならば、日本国憲法の、平和を愛好する諸国民に信頼して、というあの前文が全面的に否定されることになるわけでありまして、これは革新諸党の諸君が、現在の憲法をどうしても守り抜かなくちゃならないということを強く主張しておられますようでありますが、それこそその前提がひっくり返っては憲法を守るも何もないことになってしまうのではないか、率直に私はそのように考えております。
  7. 中川(一)委員(中川一郎)

    中川(一)委員 まだ御質問申し上げたいのですが、石井参考人の御意見を承ってから一、二お時間ありましたらお伺いしたいと思います。
  8. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 石井ミユージックプロモーション社長土居好子さん。
  9. 土居参考人(土居好子)

    ○土居参考人 ただいま御紹介いただました石井好子でございます。  私は、本日こうして参考人として御依頼を受けましてこちらに参りましたけれども、私の半生というものは音楽、歌に明け暮れておりまして、不勉強でございますから、皆様の御参考になるようなことを私は申し上げられないと思うので御辞退申し上げたのですけれども、非常に単純な気持ちで話をすればいいというお話でございましたので、私が自分自身どういうふうに靖国神社というものを思っておるかということだけを申し述べに参ったわけでございます。  私は、いまの芸大、音楽学校を卒業したわけでございますが、私のクラスは男女五十名ぐらいの生徒でございまして、戦争がだんだんたけなわになりましたときに、学徒出陣というのがその年に起きまして、私の音楽学校の時代は、四年勉強したものですが、私の場合は、三年半で繰り上げ卒業になったわけです。そして男の生徒たちは軍隊に入った。学徒出陣の第一陣でございました。それと同時に、私の弟は一つ年下でございますが、やはり学徒出陣の第二陣で学業を中途で捨てまして軍隊に入った。私は、いま御紹介いただきましたが、土居というのは私の主人の名前でございますが、私の主人は特攻隊の同期の桜と言われます生き残りでございます。  そういうふうに、私の近辺には、やむを得ず軍人になった人、または進んで国のためにと出ていった人がたくさん私の青春時代にいたわけでございます。そういう意味で私は、靖国神社というものに対しては、国のために亡くなられた英霊ということに対する尊敬の念こそ持っておりましても、それが問題にされるとかエリザベス女王がいらしたら靖国神社に行ってはいけないなんて言うと、これはどういうことなのかしらと私には全く理解ができない、わからないことなんですね。ですから、私自身何でこんなことがこのような問題になって、私のようなものが参考人などに出てくる問題なのかなということを——靖国神社国家的に平和祈念の碑というふうに設定されることを、私は心からまず望んでいるわけでございます。  そしてまた、いま非常ににわか勉強で、いただきました御本や。パンフレットなど読ましていただきましたけれども宗教的な反対ということがあるそうでございますが、それも私は全くわからないのです。なぜかと言いますと、亡くなった英霊は、仏教の方、日蓮宗もいたら真言宗もいらしただろうし、キリスト教もいらしたでしょうし、いろいろな宗教の家庭の方が亡くなられているわけで、そういう方が英霊となって一つ神社にまつられている以上、宗教というものがそこに非常に大きく出てくるということはないのじゃないか。先ほど宇野先生がおっしゃいましたように、私は、神社ということだけで非常に割り切れちゃうのですけれども、そこがまた割り切れないというのは、宗教団体の非常に心の狭い悲しいことではないかというふうに私は思うのです。  そしてまた、軍国主義ということがここへ出てくると、これがまた私にはわからないのです。軍国主義と言いますけれども、亡くなった方たちは、軍国主義だった方ももちろんいらっしゃる、そしてそうでない方もいらっしゃったでしょう。けれども、すでに軍国主義なんというものは、靖国神社のときに取り上げられるというものではないのじゃないか。これは日本という全く新しい国家がいまここにあるわけですが、その新しい国になるために血を流された方たちのまつられている神社であるのに、何でそこに軍国主義というものが出てくるのか、それが何というかおかしな話で、私にはまた理解できないわけでございます。  そして私は、シャンソンを歌っておりまして、七月十四日というのはパリ祭でございます。日本ではパリ祭と呼んでおりますが、これは七月十四日のフランスの革命記念日でございます。この七月十四日の革命記念日を一つの政として、国家の事業として、そして外国にまで知られているパリ祭というもの、それはフランス人がたくさんの血を流してかち取った、一つの新しいフランスになるための血を流した革命の日だったわけです。私どもは、戦争というものを、言葉をかえて言うならば、革命記念日であったって構わない、一つの革命的なものであったというふうに考えたっていいんじゃないか。私たちは苦しい戦争というものを経てきて、そしてそれによって血を流して亡くなられた方々というものに、私どもは心から哀悼の意を表し、感謝の意を表していくということ、それはフランス人が革命の露と消えていった人々にささげる気持ちと余り変わらないんじゃないか、むしろ同じような気持ちでこれを受け取っていいんじゃないかというふうに私は考えるわけです。  それで私どもは、やはり先祖というものがいるからここへ存在しているので、私にとっては戦争は身近なものだった。けれども、私の孫のような年ごろの方になってくればそれは身近でない。だんだんだんだんそういうものは薄れていくもので、それは当然のことだと思うわけです。けれども、その先祖に対する感謝の気持ち、先祖がいかに戦って苦しんで、そしてこのようにして死んだということを知っていないということは、日本人としては非常におかしなことで、日本人である以上、自分の先祖がどのように血を流して、そしてどのようにその中から新しい国をつくっていったのか、その方たちに対する感謝の気持ちというものを持たないということは教育上欠陥がある、欠陥の子供に育つのではないか、私は、そういうふうに思って、これは人間としての礼儀というものではないかと思うのです。  ですから、そういう意味で、この靖国神社というものを考えたときには、どうしてこの靖国神社が問題になるのか私には全くわからなくなってしまう。そして先祖を敬う、そしてわれわれのために戦ってくだすった方たちに感謝をささげる、そういう気持ちを持たないで生きていくということはよろしくないことだと私は思っております。  そういう意味で、靖国神社が問題になるということは、わからないということにまた入ってしまうのですけれども、たまたま私は、この国会というところに初めて参りまして、そしてこのようなところで私がおこがましくも物を言わせていただくのも、もちろん初めてのことでございます。私は、早く参りまして、ははあこういうことがあるんだな国会ではと思ってながめたことがまずあったわけです。といいますのは、初めにお話がございましたように、きょうは共産党の方も社会党の方も公明党の方も御出席がない。それはどういう理由かということの深い理由は私は存じませんけれども、きょうは私ども参考人として来たので、私は父が自民党だから、そのあたりで勘ぐられてしまうせいもあるかもしれませんけれども、私自身、自民党員でもないし、一人の歌手として歌を歌ってきてまじめに生きているというだけの人物でございます。そういう私とか、次にお話させていただく木原美知子、この木原美知子というのは、皆さんも御存じのように水泳のチャンピオンだった人、みんな全く各界から何の異論もなく出てきている。私どもの話も——私の話なんか大したことないから、別に聞いていただかなくともちっとも構わないのですけれども、でも聞いてやろうじゃないか、どんなことを言うか、生意気なことを言ったら反対してやろうとか、もうちょっとそこのところを広く物を考えていただけないものなのかということで、私にとっては全くびっくりしたことでございます。  それと同時に、私自身、父が選挙をしてきて、大変な選挙で皆さんは衆議院議員になられるわけで、私もよく身につまされて知っているわけですけど、皆様、共産党の方にしても社会党の方にしても、苦しい苦しい選挙をなさって、そしてたくさんの方たちの賛同を得てここの議員になられておられるりっぱなお方にかかわらず、何でそのような子供っぽい態度をされるのか。それを私は、きょうは非常に悲しいこととして胸に刻みつけさせていただきました。(拍手)
  10. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 レポーター木原美知子さんにお願いいたします。
  11. 木原参考人(木原美知子)

    ○木原参考人 木原美知子です。  先ほどの石井好子さんの話は、そのまま私の話みたいな感じのように思って聞いていたのですけれども、私は、当年とって二十五をちょっと過ぎておりまして、もう小じわも目立つ年ごろになったのですけれども……(「ノーノー」と呼ぶ者あり)そうですが、そんなに若いですか。私の父、母というのは、やはり戦争を知っている年代でございまして、靖国神社ということについては、小学校へ上がるころか中学校ぐらいのときに、うちの父が東京に来た際に、私とうちの母を連れて靖国神社お参りしたことを覚えております。そのときに、ここは国の戦争で亡くなった人をまつってある神社だということを父から聞いて、それ以来、そう私も関心はございませんでしたけれども、こういったところで意見を述べるということで、早速参議院の方からいろんな資料をもらいまして、実はきのうばばっと見た感じなんですけれども、私の意見としては、国のために戦った人を国でそういった靖国神社を設けてやるということは、われわれの年代としても何ら抵抗はないわけですね。自然とそういう意見が出てきているのに、自民党のその票を集めるためにとか、そういう裏をかいて意見を述べるということすら何か非常におかしなことであって、もう少し自然ということを考えて、いろんな、何というんですか、われわれの年代にしても——国会で論じている問題なんか、非常にけんかざたみたいな感じに受けるわけですね。物をストレートに言っても、またその言ったことに対しての裏目をとって話をあれするということで、何だかやくざのけんかと変わりないみたいに私なんかは思うのですけれども、教養と知性のある方が選ばれて議員になっておられると思うと、何かわれわれテレビから見ている雰囲気としても、何だ、本当にその辺のチンピラの人たちと変わりないようなあれをしているというようなふうに見えるんですけれども、国のために亡くなった方を葬って靖国神社でやるということ、そういった自然の気持ちから出ていることを、揚げ足をとって何だかんだと言うことすら私はおかしいと思うのです。  たとえば私のうちでは、私は、小さいときから日曜学校に通って、学校の方もキリストの方に行きましたけれども、うちの母は金光教という神社のおまつりの方に行って、うちの中でもいろいろ・宗教のあれが分かれております。私は、水泳をやっていた関係上、家の雰囲気としまして、だれがどんな神を自分で信じようとそれは勝手だということですから、うちの母も私の日曜学校のバザーに来たり、私も金光教のおまつりに行ったりして、自由に宗教をあれしていましたけれども人間の本来の姿として、どんなところに行っても、たとえば神社に行っても教会に行っても、自然と手を合わす気持ちというのは変わらないと思うのです。靖国神社に行って、そこの神社の前であぐらをかいて何かぶざまなまねをしたり、そういうことはおかしいのであって、やはり本来の人間としての自然な気持ちを持っているなら、どんなところに行ってもいわゆる手を合わせて祈るという気持ち、これは人間の本来の姿じゃないかと思うのです。  私たちは、戦後っ子で非常にドライな考えを持っていますけれども、家庭の環境がそういう私のいま述べたような意見になったと思うのです。普通の家庭の環境で育った人間であれば、現代っ子であれ戦後っ子であれ、国のために亡くなった方を葬るということは、これは何らの異存もないということです。  先ほど石井好子さんが言われましたけれども社会党の方また公明党の方が出席されていないということは、やはり非常に残念なことでありますし、たとえばこういう席で意見を述べるということは、私の周囲の友達、関係者は知っているわけですね。帰ったら必ず聞くと思うのです。みみちゃん、きょうはどうだったということを聞かれると思うのですけれども、そうすると必ず、自民党の方は非常に熱心に来られましたけれども社会党関係、また公明党の方は一人も出席されなかったということを、やはり何人かの方に私も言うのじゃないかと思うのですね。問題に挙げられたことは靖国神社のことであったけれども、私の意見を素直に述べて帰ったということを私なんかの関係者にも言うと思うのです。  先ほど石井好子さんが言われたように、やはり私たちの先祖をまつるということは、幾ら戦争を知らない私たちであれ、これからもっともっと私たちの若い年代に移っても、自分のところの先祖を守るお墓だとか、そういうものは、年に何度か、小さい子供であれ、手を合わして祈る気持ちというのは変わりないということです。それがもっと大きく、国のそういうもので戦った人に対しての祈りということ、これは忘れてはいけないと思います。だから、もっと強い姿勢で自民党の方も闘ってほしいという気持ちをいま私は思いました。  統計的に見ましても、反対意見というのはごく一部なわけですね。ミカン箱の中に腐ったミカンをほうり投げていると、新鮮に食べられるミカンがどんどん腐っていくというような感じをいま私受けたのですけれども、腐ったミカンは無理してもやはりほうり投げて新しいミカンを食べていくという姿勢を私はとってほしいということを感じました。  何か非常に生意気なことを言ったような感じですけれども、自分が思ったままを言ってほしいということですので、意見を述べさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)
  12. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 評論家荒垣秀雄君。
  13. 荒垣参考人(荒垣秀雄)

    荒垣参考人 私、荒垣でございます。  私、千代田区の番町に住んでおる関係で、ときどき散歩がてらに靖国神社など、千鳥ヶ淵墓苑などの方に行ってよくお参りをいたします。行きますと、片方だけじゃなしに、足を延ばして両方ともお参りをすることもよくあるのです。行きますと、やはりおさい銭はささげますので、けちなようですけれども、大体十円玉を二つか三つくらいおさい銭箱の中へ投げ入れます。それから千鳥ヶ淵墓苑の方には花を用意してありますので、この花が一輪百円で、三度に一遍くらいは百円を出してその花を献花いたします。散歩がてら行くのですけれども、私は、直接の遺族ではありませんけれども、親類や友人、知人にたくさんそういった戦死者、戦没者を持っている人がおりますから、そういう人たちのことをいろいろあれこれ思ったり何かして祈念をするわけであります。  いつ行ってみましても、靖国神社の方は本当に人波が引きも切らずというありさまで、非常にたくさんの方が参拝されておりまして、団体もあれば家族連れもある、個人もありますが、やはり長年国民がなじんでおるということで、宗教というようなことに余り関係なく、理屈なしに自然に足がそっちに向いていくのではないかというような感じがいたしまして、平均的日本人の姿というものじゃないかなというような感じもするわけです。  千鳥ヶ淵墓苑の方は、御存じのように無宗教で、太平洋戦争の全域にわたって名もわからない人たちの遺骨を集めて納めてあるわけでありますが、こっちの方は人影が非常にまばらでして、朝早く行ったり何かしてもほとんどだれも来ていないようなことがよくあります。どういうわけか入苑禁止というさくを入り口に置いてあることが非常に多いので、それで、来ても中へ入れないのかなと思って引き返していくような人もあるようであります。ここは飛び地みたいになっておって、立ち寄りにくいという立地的な悪条件もあると思うのですが、やはり戦後新しくできたもので、まだ国民一般になじみが薄いということで参詣の方が少ないんじゃないかとも思うのであります。あそこは非常に狭いところでして、何か狭く区切ってあって閉鎖的な感じがするわけですが、あれをもしも千鳥ヶ淵のお堀や北の丸公園の方にあけてつないであったら非常にいいんじゃないかと思うのです。欲を言いますと、靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑というのは隣り合わせみたいなものですから、途中に農林省の分室とか病院なんかありますけれども、できればああいうところを取っ払ってしまって、全部つないでしまうというようなことにしたら、東京における最も都心部の中心部に、ど真ん中に国民慰霊の庭といいますか、平和祈念の庭というようなものができて、非常にすばらしいのではないかというような感じもいたします。  そこで、戦没者などに対する慰霊追悼の行事のことでありますが、戦後三十年もたって、やってはおるのですけれども、何か中途半端なような感じで、ちゃんとした国に殉じた人たち慰霊の行事をやっていないということで、何かまことに申しわけないような感じもするわけです。一軒一軒の家にしましても、晴れて法要を営んでやれないような感じで、まことに申しわけないという気持ちがするわけであります。もちろん日本武道館なんかでも慰霊の行事が行われております。この武道館というのは、国葬があったり国民葬があったりしておりますけれども、またロカビリーの舞台になったり、歌謡曲の大会があったり、いろいろなそういった興行ものがずいぶんあそこで行われておりまして、慰霊祭をやるときなんかも、ロカビリーなんかがあられもないらんちき騒ぎをしたそのステージに臨時に英霊のシンボルみたいなものを持ってきて、そこへ行って拝んでも何かありがたみが少ないのじゃないか。何かあそこでやっても慰霊祭として、慰霊の行事として所を得ないという感じがするわけであります。  それから、靖国神社にも戦後天皇陛下が何回かお参りになっていらっしゃるわけですが、これは何かやはり天皇の私的な行為としてやっておられるのだそうでして、また、私的ならば靖国神社お参りになってもいいというような声もあるようでありますが、しかし私はちょっとおかしいと思うのでして、国に殉じた英霊、それの慰霊、追悼の行事をするのは、これはあくまでもやはり国家的行事として正々堂々とやるべきものだ、それが英霊に対する国民としての礼儀であるというふうにも思うわけであります。それから天皇様がおいでになるのも、国の象徴の天皇が何か国に殉じた英霊の慰霊の式に私的に行くとか、あるいは何かあちこちに遠慮しいしい気がねしながら、こそこそとでもないでしょうけれどもおいでになるということは、これはどうもふさわしくない。やはり天皇様がおいでになる以上は、これは国の象徴であられるお方でありますから、やはりちゃんとした公式な行為として行かれるべきではないか、それが本当の姿ではないかというふうに私は思うのであります。  そういうことになると、憲法論議がやはりいろいろやかましくなってきて、私は、そのことは詳しくは知りませんけれども、信教の自由、政教分離天皇国事行為というようなことでいろいろうるさく問題がこんがらかってくるわけであります。その憲法論議を拝見してみますと、一々ごもっともなことで、なるほどそうかいなと思うのでありますけれども、しかし、こういう違憲論議が今後も続く以上は、国に殉じた人たちに対する国家行事としての慰霊、追悼の式というものはいつまでたってもできないのじゃないかという気がするわけであります。  それで、外国の英霊は安らかに眠っているわけです。フランスではパリのエトワールの地下に眠っておる。それからアメリカはアーリントンの墓地の無名戦士の墓に眠っておって、そうして大統領も、外国から来た元首その他も、また日本天皇様がおいでになれば、これは元首ではありませんけれども、やはりそこにお参りになるということで、内外ともに外国の英霊はそういう、公認されて、そして国民からも国際的にもそういう敬意を払われておるわけでありますけれども日本の場合は所がない、英霊が安眠する場所がない、国によって認知されておる場所がないということで、日本の英霊だけが何か安らかに眠られないでさまよっておるという感じがしてならないのであります。  憲法は、これは大切でありますし、憲法のたてまえを守る、尊重をするということは非常に大切なことでありますけれども、何かいまのような問題を考えますと、憲法の前に人間があるんじゃないかという感じがしまして、憲法は非常に大切であるけれども憲法をつくったのは人間でありますし、やはり人間、ヒューマニズムといったようなことで、そこに言うに言われないものが、憲法以前の人間の問題があるんじゃないかという気がするのです。  そういう点で、いつまでたっても憲法論議、違憲論議で続けておりますと、英霊もなかなか眠ることができない。しかし、その違憲論議をなさる方も、そうした戦没者に対する慰霊、追悼をしてはならないということは一つも言っておられないわけです。全部それは大賛成なんであります。慰霊行事を妨げる、やらせないという考えは毛頭ないのであって、これはひとしく国に殉じた英霊のためには慰霊、追悼の行事をしなければならぬ。ただ、国民の多数が納得する形でやりたいということだけが違うんじゃないかと思うのです。ですから、国に殉じた英霊のために慰霊、追悼の国家行事をやるということについてはどなたも反対がないのでありまして、そういう点では決して国論が二つに分裂しておるということは絶対にない、一致しておるのであると私は思うのであります。  そうであるならば、やはり英霊の慰霊、追悼の国家行事をやるのだという大方針を立てたならば、それをいかにして実現するかということで、皆さんがもう少し虚心坦懐に前向きに話し合って、ある程度は譲り合って、そして一つの最大公約数的な結論をお出しくださることが非常に望ましいと思うのであります。もう戦後三十年にもなっておるのですから、もうこの辺で区切りをつけて、ちゃんとした慰霊、追悼のことをしていただきたいということは、国民ひとしく願っておるところじゃないかと思うのであります。  そういうのに一体どうしたらいいのかということは、大変むずかしい問題でありますが、私は、民社党の案というものを拝見いたしまして、これはなかなかいいんじゃないか、大体平均的日本人の常識の線をいっているんじゃないか、その最大公約数的なものをあすこに表現されておるんじゃないかというふうに感じたのであります。あれは八月十五日を国民の祝日の中の平和記念の日ということにして、戦没者を悼み、平和を祈念するという目的で国家的なそうした行事をしようという趣旨のようであります。原爆の日はずいぶん盛んで、原爆の犠牲者に対して弔うという気持ちは非常に全国的に熱心なんでありますが、八月十五日というのは敗戦というようなことで、何となしに国民もいやな気持ちがあるわけですが、どうもあの日だけは避けて、よけて通っておるような感じがいたします。国民の祝日にも、体育の日であるとか年寄りの日、子供の日とかいろいろ生きておる人間、生き仏様をお祝いしたりする行事はたくさんあるのですけれども、何か国民が反省する日とかあるいは平和を願う日というようなものがあの中に含まれていないんですね。これは、やはり国民祝日として何か一つ大きな忘れ物をしておるような感じがいたします。  そうした慰霊、追悼あるいは平和祈念というものを国民の祝日の法律案の——祝日というのは、ちょっとふさわしくないような気もするのですけれども、まあ昔で言うと旗日ですね、旗日というようなものの中にそれを入れるという点で八月十五日をそうした祝日の一つにして、その日に全国的に慰霊、追悼をやる。その日は神社仏閣はもとより、キリスト教会においても千鳥ヶ淵墓苑においてやる。その中央行事として靖国神社において天皇陛下が御参拝になる。内閣総理大臣も衆参両院議長も最高裁長官も参詣するということにしたらどうかという意見——それについてもいろいろまた反対論が出てきそうな気もするのでありますけれども靖国神社というものは、もちろん宗教法人で神道ということになっておりますけれども、あそこに参拝する人たちの姿や気持ちには、必ずしも宗教的にこり固まっているような感じはないのであって、昔の招魂社以来の長年の伝統でなじんでおるわけでして、余りそういうことにかたくなにこだわることがないのではないかというふうに考えるわけなんです。  そういう意味で、この民社党がお出しになっておる案、あの精神を初めの案にも大いに組み入れて、そして大体そのくらいの線で国民の納得を、皆さんの納得をいただいて、一日も早く国に殉じた人たちの霊を慰め追悼するということにしていただきたいというふうに私も思うわけでございます。  どうもたいへんありがとうございました。
  14. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 この際、中川一郎君から宇野参考人に対して御質問をいたしたいという申し出がありますので、これを許します。中川一郎君。
  15. 中川(一)委員(中川一郎)

    中川(一)委員 宇野参考人には長時間お待たせいたしまして申しわけございません。  さっきのことに関連いたしまして、私は、靖国神社をおまつりすることによって軍国主義などというものを想像するのがおかしい。逆に、いま荒垣参考人からもお話があったように、靖国神社お参りすることは、国家国民にとって二度と再びあのような戦争はするべきでないという反省の日に私はむしろなるんじゃないか、しかも間違った戦争と言われる大東亜戦争によって犠牲になられた人々を思い起こすということは、戦争を二度としてはならないという誓いになるのではないかという感じがいたしますが、その点いかがでありますかということと、もう一つ私は、靖国神社憲法その他によって問題があるから一切だめだ、こういう参考人の素直な御意見も聞くことができないような方々があるとすれば、あるいは現実あるわけですが、こういう人方は何か私は人間的に欠陥があるのではないか、精神的に少し——先ほどの木原さん、若いお嬢さんの腐ったミカンだ、こんなものは取り除いてしまえというあの言葉には、私は本当に感動したのでございます。日本人の、戦争で犠牲になられて妻や子供を残し荒野の果てに散った人に何らかの、憲法違反にならない程度においておまつりしたいというその気持ちが人間ではないか、そういう気持ちのない人間というものは、何か人間性に欠けた欠陥者じゃないかと同情してみたいような気もするのですが、私の考えが間違っているかどうか、この二点について、もしお時間がありましたら荒垣参考人からもお聞かせいただければ幸いだと存じます。
  16. 宇野参考人(宇野精一)

    宇野参考人 後の方から私の考えを申し上げますと、私も率直に申せば腐ったミカンと言いたいところですけれども、そこまで申してはあるいは言い過ぎかもしれません。しかしこの問題に関する限り、私は、本当に日本人として恥ずべきことだというふうに考えます。  私も実は、きょう参りましたのは、むしろ反対なさっていらっしゃる社会党、共産党、公明党の方々に私の意見を申し上げて、そうしていろいろ御質問があれば私の意見も申し上げてと実は考えておったのであります。おいでになりませんので、いずれまたあとで速記録でも読んでくだされば幸せだと存じます。  それから、初めの方の御質問ですが、それは人によりけりで、もちろん結局反省ということにつながるでしょうね。私なんかの気持ちですと、今度の戦争で直接、私の兄弟には戦死したのはおりませんけれども、私のいとこの子供とか親しかった友人とか、そういう身近な人たちがたくさん死んでおります。古いところでは日露戦争などでも戦死したのはおります。そういう人たちに対して、ほんとうに魂安かれと祈る、そういう気持ちが非常に私としては強い。お参りしましたときには、そういう気持ちが一番強うございまして、そこで、たとえば広島の原爆みたいに、二度と戦争はいたしませんとか、そういう気持ちは私にはございません。もともと戦争はだれも好きな人はない。先ほどおっしゃったとおりだれも好きな人はおりません。好きこのんで戦争するばかはいない。しかし私は、また逆に申しますならば、それじゃ踏んでもけってもたたかれても、何でもかんでも戦争さえしなければいいのか、こう言われますと、私は、それには賛成いたしかねます。やはり国には国としての名誉というものがあるはずなんで、日本の国の名誉が侵害される、あるいは国としての存立が困難になるというときには、これは好まないことではあるけれども、立って戦わなければならない、そういうことも望まないことだけれども、それは向こうさんのことでありますので、こちらが幾ら望まなくても相手の出方によってはそういうことになる場合もあろう、そういう場合にはやむを得ないというのが私の考えでございます。  反省の日になる人も私は必ずあると思います。ですから、靖国神社国家護持をしたり、国家でおまつりをしたから、そこで戦争を鼓吹するという考えは、どうしても私には理解できません。  それから、先ほど申し上げようと思って落としましたが、ついでに、関係ございませんがちょっと申し上げますと、先ほど荒垣参考人がおっしゃったのですが、天皇陛下も私的な立場で御参拝になったことがあるということを伺いまして、大変恐れ多いことだと思うのでございます。と申しますのは、天皇陛下には私的なことというのはないはずなので、それは宮中においてただお暮らしになっている場合は、もちろん私的かもしれませんけれども、一歩外にお出になればすべて公的なことであって、私的にお参りということは私にはちょっと……。まあそういう形をとったのでしょうけれども、私には何か理解できないところがございます。  先ほど申し上げたかったのは、実は新聞の記事なんでございますけれども、六月十二日の東京新聞の「筆洗」というところに出ておりましたのですが、靖国神社問題について一つの評論が出ておりました。「故吉田首相は占領下の昭和二十五年マッカーサー司令部の反対を無視し「総理大臣が参拝するのは当然である」と言って参拝し、翌二十六年の秋季例大祭にも公式参拝をしている。」ということがございます。それでさらに、これは申さなくてもいいことかもしれませんが、「三木首相も率先、クリーンな気持ちで公式参拝なさってはどうか」ということが書いてございました。私も全く同感でございますので、御質問には関係ございませんが、申し添えさせていただきます。
  17. 中川(一)委員(中川一郎)

    中川(一)委員 どうもお忙しいところ、ありがとうございました。
  18. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 建築家黒川紀章君。
  19. 黒川参考人(黒川紀章)

    ○黒川参考人 黒川でございます。  私は、この問題に関しまして、宗教学者でもございませんし、実は余り突き詰めて考えたことがなかったわけですけれども、素人の意見としてお聞きいただきたいと思います。  まず最初に、私、非常に興味を引きましたのは、せんだって五月に社団法人日本宗教放送協会がなさった靖国神社に関する世論調査の結果でございます。これは新聞等の報道によりますと、その設問の仕方が誘導的であって、この結果を十分に評価することはできないというような批判も出ているようでございますけれども、私も建築家であると同時に、実は社会工学研究所という研究所を持っておりまして、世論調査とかあるいは意識調査については数多く実施をしておる立場から、こういった世論調査をどう読むかという読み方については専門家のつもりでございます。ですから、そういった幾つかの問題点を踏まえて、この結果について私なりに読んでみますと、一つ重要な問題が出てくるように思います。  それは、この世論調査の中で問一、問二、問五、問七が非常に圧倒的に多くの支持を得ている。これはどういう内容かといいますと、第一間の、国のために戦争などで亡くなった方々に対して国として追悼行事を行うことは賛成であるという意見がほぼ八〇%に達しているということ。それから国のために戦争などで亡くなった方々靖国神社にまつられていることは当然である、それでいいという意見がやはり八〇%を超えているということ。そして問五の、天皇陛下が公式に靖国神社参拝なさることについて問題なしとする意見が八〇%を超えているということ。そして問七の、国のために戦争などで亡くなった方々に対して、国民のだれもが宗派にかかわらずみたまを慰めることについては問題がないという意見が八〇%を超えている。この四つの問いに対する答えというのは圧倒的な支持を得ているというふうに、設問のされ方に多少問題があるとしても私は思います。  それに対しまして、問三、問四、問六の問題は、相対的に見ますと幾つかの疑問が出されているのだというふうにこの結果から読んだ方がいいというふうに私は思います。つまり問三では、これは現在、靖国神社宗教法人になっているといういきさつの問題、それが占領当時の強制的な問題であったかどうかという非常に技術的な問題については知っている人が非常に少ないということ、あるいは追悼の式典を靖国神社ですることについては五七%という数字が出ておりますけれども、先ほど私が申し上げました四つの問いに対する答えに比べますと相対的に低い。これは儀式の形式に関係するからだと私は解釈をいたします。つまり技術問題といいますか、やや細かな問題に触れてくるところでは圧倒的な多数の支持というわけにはいっていないということがむしろ読み取れるというふうに見た方がいいと思います。あるいはさらに、靖国神社を国が特別に世話をする、つまり議論されておりますような、靖国法案にありましたような特殊法人として国家管理に置くというような問題については、確かに数字としては六四%という過半数になっておりますが、相対的に見ますと、先ほど最初に挙げました四つの設問に比べて相対的に低い支持であるということから考えますと、私は、この世論調査の読み方を私なりに次のように考えたわけです。  つまり、戦争のために亡くなった方々に対して国として追悼行事をする、あるいはそれが靖国神社にまつられているという事実、あるいはそれを国民だれしもがみたまを慰めるということ、あるいは天皇陛下あるいは国の代表である総理大臣が公式に参拝をなさること、こういった基本的な問題については問題がない。つまり、国民感情から言って国民の圧倒的な支持が出されているんだ。それが技術的な問題になりますといろいろな問題が派生してくる。そこで、問題を二つに分けて解決する方法というものがないだろうかという感じがいたします。  私、いままでのいきさつを多少資料等を読ませていただきまして、従来の靖国法案が何度も廃案になったいきさつの中には、やはりどちらかと言えば、余りにも憲法論議とかあるいは靖国神社をどうするかという技術論に陥った議論が多過ぎたのではないか。そういう議論の裏側で、本当に国のために犠牲になった人々をしのんで感謝したいという国民感情にどうこたえるかという基本的な問題が実は見落とされていた。それが実際に実現していないという、そういう基本的な問題に立ち返ってこの問題をどうしたらいいか、もう一度考え直していただきたい。むしろ今回の、多少議論にもなっておりますこの世論調査の読み方も、実はそういうふうに読めるのではないかと私は考えております。  そこで、まず私、国民感情から言ってもそうだと思うのですが、不思議に思うことは、先ほども申し上げましたように、国の象徴である天皇陛下とか総理大臣あるいは外国からの国賓が、素直な形で国を代表して公式に参拝できないというのは非常に不自然である。これは海外の例から言っても非常に不自然だと思いますし、それに関連して、こういった問題に対して日本人は余りにも敏感過ぎるのではないか。せんだってエリザベス女王伊勢に参られたときに、ちょうど私はイギリスにおりまして、イギリス国民の反応といいますか、ちょうどイギリスのチャールズ・ジェンクスという評論家とこの問題についてロンドンで議論をしておったわけですが、非常に不思議である、エリザベス女王伊勢に行かれる、そこで素直な形で参拝されることに対してどうして日本人は神経質なのか、日本人のこの心理についておまえの意見を聞かせてくれというふうな質問を受けたことがございますが、確かに日本人はこういった問題に少し敏感過ぎるのではないかというふうに思います。  それで私自身、仏教徒でございまして、信徒とは言えないかもしれませんが、浄土宗というものを学問的に少し興味を持って研究をしております。しかし一方では私は、正月になれば伊勢神宮にも参拝をいたしますし、明治神宮にも参拝をいたしますし、一年に一度ぐらいは靖国神社にも参拝をいたします。それは素直な気持ちで、自分がどの宗派に属しているということと無関係に、自然にそういう気持ちになるから行っているだけのことでございますけれども考えてみますと、こういった問題が、ただ靖国神社の問題、戦没者をどう慰めるかという問題以外にも、今後の日本国民一人一人の心の安らぎという問題にも関連して重要な問題になるのではないかというふうな気がいたしますのは、先ほどの世論調査を年齢別に分析した資料を見てみますと、世代の意識差というのが非常にはっきりと出ているというのには私はびっくりいたしました。若い年齢層、若い世代になればなるほどこういった問題に無関心であるという事実でございます。で、このことがいいのかどうかというのを、私は非常に重要な問題として考えております。特に自分の親、子供、親戚を戦争で亡くした方、私は、亡くしておりませんけれども、亡くした方は、直接自分の肉親の問題、あるいは子供の問題、親の問題としてこの問題を真剣に考えておられると思います。しかし、そういった世代が次第に少なくなっていくというのは当然のことでございます。私どもにとって、若い世代になればなるほど戦争というのは遠い昔のことになってまいります。しかし遠い昔のことになればなるほど、国民として戦争の犠牲になった方々をどうするのか、これは肉親に対する悲しみというものを越えた、国民一人一人の問題として大きくなっていくのが当然ではないかというふうに思います。そこでは個人の信仰とか宗教を越えた問題として、日本というものが戦争をした、それによって犠牲になられた方がたくさんおられる、そういう人たちを、直接自分の親とかきょうだいに対する愛情あるいは慰霊ということを越えた問題、つまり宗教を越えた問題、国民一人一人の問題として考えていかなければいけない時代にこれからなっていくわけで、そういう問題に対していまどういうふうな道をつけていくかということが、これから重要になるのだというふうに思います。  総理府の三年前に実施した世界の青年、日本の青年という世論調査がございました。これは世界の青年の意識調査をしたものでございますが、それを見ましても、非常に特徴的なのは、日本の青年というものが七四%信仰を持っていないと答えております。これに比べましてアメリカとかフランスとかドイツ、これは一三%、一九%、六%、信仰を持っていないと答えた青年は非常に少ない。こういう日本国民性があるということを頭に置いて考えますと、だからこそよけいに、私ども宗教を越えて先祖を敬い、あるいは国のために命をささげた人々を国民感情を大切にしてまつっていく、そういう習慣を、公式にあるいは堂々とできるような、そういう社会的な習慣をつくっていくというのは非常に大切なことじゃないかというふうに私は個人的に感じます。  たとえば最近、正月になりますと非常に大ぜいの人が神社参拝するようになった。これは一体どういうふうなことだろうかということで、それの心理分析等が行われております。しかし私は、日本人というのは一つ宗教を越えて、平和とか自分の安心立命というものを願う気持ちというものがやはり一方にあるというふうに思います。ですから、それは必ずしも神社というものを一つ宗教考えて、そしてそこにお参りに行っているのが、現在の正月とかそういうときに大ぜいの人たちがそこにお参りに行くという姿とは違うと思います。ですから、靖国神社の問題というものを、果たして宗教かどうかというふうな宗教学上の議論で問題にするのではなくて、むしろそういう現実に即した、日本人の国民感情に即してまず考えていけないかというのが私の意見でございます。  ですから、こういった問題を踏まえて、今後どうしたらいいかということについてでございますけれども、私は、いずれにしましても、まず天皇陛下あるいは総理大臣あるいは外国からの国賓が、現に靖国神社戦没者が祭られているという事実があるわけでございますから、そこに公式に参拝をしていただけるようにぜひしていただきたい。そのことは靖国神社を一宗教法人から外して国家管理にするかどうかということとは別の問題として、とにかくまずそのことを実現するようにしていただきたいというふうに思います。  それから、その問題に関連して、いっそのこと靖国神社を、たとえば自衛隊とか警察官あるいは消防官、公務員等、今後国に殉ずる人も含めておまつりをして特殊化していったらどうかという意見もあるようですけれども、私は、そういった意見には反対でございます。あくまで現在の靖国神社の意味、それは最初から靖国神社というところは戦没者をまつってあるところであるという、そういう現実に即して今後ともその性格は変えないでいくのが素直な姿である。私も民間人ではありますけれども、精いっぱい国のためにがんばっているつもりでございます。それをたとえば職業によって、公務員とか消防とか自衛隊とか警察に勤めている人たちのみが国に殉ずる人だというふうに考えていくのは、少し不自然があるのではないかと思いますので、あくまで、そういった問題を今後考えていく場合でも、戦没者ということに限って性格を考えていった方がいいというふうに思います。  あるいは靖国神社国家管理という問題が憲法にも触れる問題として議論されておるようでございますけれども、一体それがどういうところから出てきたかというふうに振り返ってみますと、多分財政的な負担を国がするということの意味からそういった議論がでてきたのではないというふうに私は思います。むしろ精神的な、あるいは国民感情の上から戦没者をおまつりする、そして公式に国の代表が参拝をするということのために、現在の一宗教法人を、宗教法人から変えなければいけないという技術上の問題から国家管理の問題が出てくる、そのことがまた憲法上論議を呼ぶ、そして宗教団体への国費の支出等を禁止した憲法八十九条の問題を呼び起こしてくる、これはまさに本末転倒の議論ではないかと思います。もし財政的な問題であれば、何もそれは国が負担をしなくとも、国民全体が靖国神社あるいは靖国神社と言わなくてもいいと思いますが、戦没者慰霊する費用というものを別の形で何らかの組織をつくって集めることぐらいは簡単にできることだと思いますので、決してそれは財政的な問題ではない。むしろ事実としていま靖国神社におまつりをしてある戦没者を国が公式にお慰めをするという問題をどういうふうにスムーズにするかという問題であって、その本末転倒した憲法論議というのは、私にとっては国民感情を非常に逆なでするものになりはしないかという心配をいたします。  ですから私は、特に国営化といいますか、国家管理の議論とか、そういうことを、特殊法人にするというような議論を一たんたな上げをしまして、そういう問題に触れないで、むしろ現状のままで、私は靖国神社は一宗教法人のままでいいと思います。一宗教法人のままで現実に即して考えていくというふうに考えますと、現在千鳥ヶ淵とそれから靖国神社、この二カ所に戦没者が祭られているということであるとすれば、たとえば国としての儀式は私は武道館でもいいと思いますが、どの宗教にも属さない儀式で、国としての儀式を行った後、国の象徴であられる天皇陛下とそれから総理大臣及びその代表の方々が、事実としてまつられている靖国神社あるいは千鳥ヶ淵の墓苑にその後参拝をされるというふうな儀式の展開の仕方もあるわけですから、少なくとも非常に紛糾した憲法論議で、あるいは宗教学上の論議でこの問題を長くほうっておくことなく、とにかく速やかに、私はまず国民感情に即した解決を、一歩前進という形で解決をしていただきたいと思います。  これはアメリカの場合、ロンドンの場合、あるいはフランスの場合を見ましても、私は、同じようなことが言えると思います。ロンドンの場合でも、ウエストミンスター寺院の中にある無名戦士の墓と、もう一つホワイトホールの戦死者の記念碑があるそうでございます。フランスの場合でも、パンテオンと凱旋門の下という形になっております。わが国の場合に、靖国神社とそれから千鳥ヶ淵の墓苑という二つがあっておかしくないわけで、その両方に国の代表あるいは天皇陛下あるいは国賓が公式にお参りをされる、そして靖国神社の中で公式な行事を行うというのが、いますぐには少し問題があるということであれば、それは武道館で行った上で、その後公式に参拝をされるというふうな手順を踏まれても一向におかしくないのではないか、そんなふうに考える次第です。  以上です。(拍手)
  20. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 根本龍太郎君から質疑の申し出があります。これを許します。根本龍太郎君。
  21. 根本委員(根本龍太郎)

    ○根本委員 参考人の諸先生からいろいろ貴重な御意見を拝聴しまして、大変感銘深くいたしました。議員の一人として深く感謝申し上げます。  実は私、六年前に、ついに廃案になってしまいました靖国神社法をまとめる役を仰せつかりまして、そのときのことからいま思い出して、三人の諸先生に二、三お伺いしたいと思います。  実は、先生方が御指摘になりましたように、この靖国神社国家護持という問題が、日本では本当の素直な、国のために亡くなられた英霊をまつるとかなんとかいう時点から離れて、実は完全にイデオロギー論争に出発をしているような感じを私は受けました。革新政党とみずから称する諸君は、とにかく靖国神社軍国主義のシンボルである、これをまつることは再び軍国主義になるという独断の上に拒否反応を示しておる。今度は、それと同様に既成宗教、これは国家権力が宗教に介入することだ、だから反対だということでございまして、国民サイドではございませんでした。これは神道以外のキリスト教仏教、新興宗教、そういう宗教団体のプロフェッショナルな人たちの痛烈な反対運動でございます。  私は、それらの人々にもじっくり会って話しましたけれども靖国神社という、英霊をまつるという特殊な、宗教的形態をとっておるけれども、いわゆる世に言う宗教と違ったものであるということを認識しないで、これは神道に属するという、形式がそうだという前提でやられておるというふうに私はとりました。  ところが今度は、あの当時は世論調査ということはいたしませんでしたけれども国民団体の各方面を念入りに私は聞きました。クリスチャンにも聞いています。それから、いわゆる新興宗教信者にも聞いています。仏教徒にも聞いています。ところが、これらのいわゆる信徒は、ほとんど抵抗感がございません。いや、われわれはクリスチャンだけれども、うちの親戚の者もみんなまつられていますよ。仏教徒に至っては、ほとんど全部が何にも抵抗感がない。ところがむしろ、各宗派の専門布教師ですか、あるいは坊さんの管長とかという人たちは、これはとんでもないことだと言って猛烈な反対をされる。今度は、それの一つの反射作用でしょうか、ある仏教の信徒は、そんなことを本山が言うならわれわれは信徒をやめるぞという動きさえ実は経験いたしました。  そういうことを踏まえて、私は、きょう三人の先生方がまことにそうした固定観念から離れて御判断くださったことを非常に感謝する次第でございます。  そこで私は、まず宇野先生一つお伺いしたいということは、こういうような大事な国民感情の素直な姿を、立法の府である国会がどういう形で取り上げる方が国民から納得されるかということです。本来ならば、国会国民の主権者の代表の集まりですから、そこで、その表現ができるはずでございますが、残念ながら日本の現在は、余りにもイデオロギーと与野党対立の中において、国民の名において実は自己主張を過剰にし過ぎておる。  それからもう一つは、日本では世論という形が実はなかなかつかみにくいのです。マスコミ、これが最も代表的な世論であるはずでありますけれども、これだけの重大な問題を、いまだかつて日本の大新聞は世論調査をしたことはございません。なぜでしょう。ところが今度、環境問題あるいは原爆反対とかこういうものは毎年のように深刻にやっておる。ここに日本のいわゆるマスコミなるものの、何となく国民の本当の素直な気持ちから離れておるような気がしてならない。荒垣先生は、わが国の知性の代表者とも言われる、マスコミにもおられた方でもありますし、現在のマスコミにおいて、もっと素直に国民感情を、イデオロギーとか党派性を越えたものを表現する方法はないものか、これをお気づきがございましたら、ひとつお示しをしていただきたい。  それから黒川先生からは、先生は、一つのパブリックオピニオンをどう把握し、どう分析すべきか、大変きょう示唆に富む分析をされました。この靖国神社の問題をいま的確にお示しになったのでございますけれども、私は黒川先生に、あなたの意見を何らかの形で一般報道人に知らしめていただきたいという気がします。これは、われわれの感情と必ずしもぴたっと一致するということじゃなくて、私は、最も公平なる一つ世論調査というものをどう読むか、そしてこういうものを、日本の報道人がどう取り扱うかによって、国民のコンセンサスを得るための非常にいい材料になる、こう思いまするので、もし、あなたのいま出されたあれを、何らかの機会に報道人にお示しになるお気持ちがあるかどうか、ありましたらお示しを願いたいと思います。  どうもありがとうございました。
  22. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 それでは、ただいま根本委員から御質疑がございましたが、各参考人におかれましてお答えをいただきますならば、ちょうだいをいたしたいと思いますが、宇野参考人、最初にひとつお願い申し上げます。
  23. 宇野参考人(宇野精一)

    宇野参考人 私を御指名でございましたので、私の考えを申し上げます。  世論、国民感情をどう吸い上げるかという問題は、私は、そういうことは平素かかわっておりませんので何にも考えはございませんけれども、先ほど来話題に出ております宗教放送協会でしたか、その世論調査というのが、その読み方については先ほど来かなり御議論がありましたけれども、これが一つの大きな形だと思います。  それからもう一つ、いま根本先生からもお話がございましたけれども仏教徒の個人個人に接触すると、靖国問題に対しては何らの抵抗がないという御発言がございましたが、「宗教評論」という雑誌の座談会を見ますと、こういうことが書いてございます。「ここに非常に不思議なことがある。靖国神社に行くと、新宗連」新宗連と申しますのは、新宗教団体連盟でしょうか。「新宗連加盟のある大きな教団の信者が大挙して押しかけている。まず、その教団の本部にお参りに来るわけですよ。団参で来るでしょ。それだけでは集まらなくて、靖国神社参拝をコースに入れないと信者は団参に来ない。たまたま去年の夏、靖国神社に行ったところが、バスが十何台も来て、乗っていた人々が靖国神社の境内の中に入っても、教団の組織の旗を掲げて、ぞろぞろ参拝に行く。それが終わると記念写真をとるところで、その旗を立てて記念写真をとる。」これが実情だと私は思うのです。  ですから、世論は私はもうはっきりしていると思うんですね。形式論から申せば、自由民主党は圧倒的多数があるわけでございますので、これは国民の世論の形が数の上にあらわれた一つの世論だ、そういう解釈もできると私は思います。したがって、これはちょっと私、言い過ぎかもしれませんが、自由民主党の方々は、少数意見を尊重されることはもちろん当然でありますけれども、やはり民主主義の根本原理に立ち返って、多数決である程度はてきぱきやっていただきたいというのが私どもの本当に偽らない気持ちでございます。
  24. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 荒垣参考人に簡単にお答えをいただきます。
  25. 荒垣参考人(荒垣秀雄)

    荒垣参考人 いま根本先生からマスコミの非常に痛いところを突かれまして困っておるのでございますが、どうも日本の新聞ははっきり物を言わぬところがあります。実は私自身もかなりそういう悪い癖を持っていまして、この委員会に出ろと言われましたときも、初めはもうずいぶん、できることなら御勘弁願いたいと言って逃げ腰だったのでございます。それで、この問題も平素よく考えて、はっきりした考えを実は自分でも持っていませんで、この二、三日の間にあわてていろいろあれやこれやと考えてみたようなわけでして、そういう点まことにお恥ずかしい次第なのであります。  大新聞がこの問題についてかつて一回も世論調査をしたことがないという御指摘を聞いて、実は私もそれにいままで気がつかなかったのです。当然やっておったろうと思うのですが、本当にやっていないとすれば、これほど国民の気持ちの深層にかかわりのある問題について、新聞が大変怠慢であったような気がいたします。大体、日本人そのものがはっきり自分の意見を言わない癖がありまして、これは防衛問題についてなんかもそうでありますけれども、なかなか物をはっきり言わない。イエスかノーかはっきり害わないということで、外国人なんかに会うと日本人というのは非常にミステリアスだという感じも受けるわけでありますが、新聞も、そういうことでこの問題に当たらずさわらずみたいな態度をとっておったとすれば、これは間違いでありまして、私も実は、ゆうべも朝日新聞の論説委員の現役とOBとの会合がありまして、かなり遅くまでちょっと飲んだりしたのですが、また数日中に論説の部屋に行ってそういうことを言いたいと思っております。  マスコミが無関心で当たらずさわらずで通り過ぎていいという問題でありませんので、根本先生の御意見を大変貴重なこととして感謝いたします。どうもありがとうございました。
  26. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 ここでお諮りをいたしますが、荒垣参考人におかれましては、非常にお忙しい日程の中御出席をいただきました。次の日程がすでに来ておるようでございますので、御質疑がございましょうけれども、それは他日ということにいたしまして、御退席をいただきたいと思います。(拍手)  黒川参考人、お願いを申し上げます。
  27. 黒川参考人(黒川紀章)

    ○黒川参考人 ただいまの根本先生の御意見、私も確かに——実はこの問題につきまして、いままでほかに世論調査がなかったのかどうかということでずいぶん探してみたのです。不思議なことに、たとえば総理府の世論調査というのはずいぶんいろいろな問題についてございますが、総理府でさえこの問題については世論調査をやっていません。これはどういうことなんでしょうか、私にもよくわかりません。やはり新聞社あるいはそれ以外のジャーナリズムがこの問題について何らかの世論調査をやっているかどうか、私なりにずいぶん調べましたが見当たりませんでした。そのこと自体が私はやはり非常に不思議だと思います。  私は、非常にむずかしい問題だと思いますが、むずかしい問題だからこそ、十分に国民感情に沿った無理のない形で、この問題を一刻も早く納得のいく形で踏み出していただきたいと思うわけで、大いに議論しなければいけない、あるいはどういうことが問題なのか、一体国民はまず何を望んでいるのかということを十分に議論する必要があるわけで、私も今回、参考人として出させていただいたことをきっかけとしまして、この問題について私なりに考え、あるいは機会のあるごとに発言をしていきたいというふうに考えております。  それと、今回の世論調査だけではなく、今後たびたびいろいろな形での世論調査を、国の方としてもより客観的な数字が出るようにぜひ実施をしていただきたい。そしてあくまでこういった問題は、最初から私、申し上げているように国民感情の問題ですから、何%であるかとか、あるいは多数決であるかとか、そういうふうな数の問題ではないと思っております。たとえそれが半分の支持しかなくても、しなければいけないことはしなければいけない、そういう性質のものだと思いますので、パーセンテージというものを超えた国民感情のくみ取り方ということをぜひとも考えていただきたいというふうに思っております。(拍手)
  28. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 ここで扇谷正造参考人がお見えになっておられますが、徳安實藏君から御質疑の申し出がございます。扇谷参考人が一時までに次の予定のところにおいでにならなければならないというお申し出でございますので、それをお含みをいただきまして御質疑をちょうだいいたしたいと思います。  徳安實藏君。
  29. 徳安委員(徳安實藏)

    徳安委員 私は、先回の内閣委員長で、乱暴と言われるかもしれませんけれども靖国神社法を採決した張本人でございます。きわめて簡単に、どなたと言わず、おいでになっている方の御随意な御答弁をいただければ結構だと思います。  反対しておる諸君意見は、先ほど根本先生からお話があり、中川君からも質問がありましたが、戦争に通ずる、憲法違反、信教の自由を害する、こういうことであります。もうそういう反対のものが何千もはがきや手紙で来ております。賛成の方はそうではありません。これももちろん何万も来ておりますけれども、これは本当に素直な国民感情で来ているように思います。きょう、参考人方々から非常にりっぱな御意見を聞いて私どもも感激いたしておりまするし、これこそ本当の日本国民全体を代表される御意思ではないかと思うのでありますけれども、だからといって、いまの国会の情勢では、私ども国民感情考え、正しいと思ってやっておることがどうしても受け入れられない、こういう現状であります。ですから、根本先生お話のように、国民に納得させ、同時にまた、これが簡単に取り運ばれるような方法はないものかということを考えておるわけでありますけれども、とにかく憲法違反ということが一番先に立つのですが、私ども憲法違反じゃない。さっき宇野先生お話を聞きましたが、これは私どももそう思うのですし、ほかの先生もそうおっしゃいましたが、憲法あって国があるわけじゃない、国民があるわけじゃない、私ども国民の前に憲法があるわけですから、国民感情に沿わないものは直したらいいじゃないかという御意見も非常に強いように私どもはお聞きしました。私もそう思います。ですから、あの当時できました憲法国民感情に合わないものがあるならば、適当な機会には直すべきだと思うのですけれども、あの改正の趣旨から申しましても、手続から申しましても、なかなかいまの改正というものは容易でございません。  それを省いていくのにはどうすればいいかというので、いろいろ肝胆を砕いているわけなんですが、結局、反対される方の大部分の意見は、宗教法人だ、宗教法人を法律で取り上げて特殊法人にして国が援助するなんということはいけないということでありますから、私どもは、その議論には多少の理屈もあると思いますので、一応宗教法人を特殊法人に直そう、そうして特殊法人にして憲法違反にならぬように、疑義がないようにして国家がこれを護持するという形にしたならば議論がないのではないかと思うのですが、それがまたなかなか反対側の意見がありまして、それすらもできない。  現在、靖国神社を管理しておる諸君は、これは私どものものじゃないのだ、戦争前に国が護持しておったものを、占領されてマッカーサー元帥によって存立が危うくなった、これは消してしまえというお話があったけれどもそういうわけにいかぬということで、結局、宗教法人のかさに入ればしばらくでもその難を免れるということで宗教法人にしました、しかしわれわれは宗教じゃない、教義もないし教旨もないし、布教するわけでもありません、宗教という観念から全然別の機関だ、それをやむを得ぬ、生き長らえるためにそういう制度に乗りかえたのだから、もう今日では国民の世論も安定しましたし、この機会に国にお返しするからもとのとおりに国でまつってくれ、こういうことにしてくれないかというわけなんです。  それをしようというので内閣総理大臣にもそういう趣旨のものを出し、衆参両院議長にもそういうような書面を出したのですけれども、これも結局、反対の方から言うと一笑に付せられてしまうということでありまして、いまの理論から申しますというと、何とかこれをうまくこなして憲法違反でないという形に持っていって、国民に納得してもらって国民感情に合うようにしたいというのが私の考え方でいま苦心しておるわけですが、そういうことにつきまして、何かいいお知恵がございましたら、おいでになっている参考人どなたからでも結構ですから、お話をいただければ結構だと思います。  それから、先ほど根本先生からお話がございましたが、反対する宗教がございますけれども、私どもは、宗教の方にもずいぶん会いました。会いましたけれども、なるほど幹部の方はなかなか意見が強うございます。しかし、これを信じている日蓮宗にしましても、浄土宗にいたしましても、お寺にお参りしている諸君に聞いてみますと、わしらは何も反対しておりはしません、靖国神社は早くやってください、みんなそう言うのです。ですから、反対される諸君は、先ほど立正佼成会の話もありましたが、むしろ幹部の指導される人だけが反対しておって、その信者はそう反対はない。日蓮宗もあれば真宗もあれば、いろいろなことがありますけれども、それに超越したものとしてみんなで国民がこれをおまつりしようというわけであります。そう思うのですけれども、諸先生はどうお考えになりますか。  私どもは、何とかしていい方法はないかと考えるが、どうもいまの情勢では、憲法改正は困難だし、といって、宗教法人を特殊法人にしていこうということについても、そういう点について難関がありまして、私も憲法違反でないようにしてやって、それは間違いないと思うから、これを強行すればできぬことはありませんけれども、しかし、それには単独審議だの強行採決はいかぬという国民の強い批判がありまして、その点非常に困っておるわけなんです。そういう点について、おいでになっている参考人から、こうしたらどうだといういいお知恵がございましたら、ひとつお聞かせをいただけば非常に幸せだと思います。
  30. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 扇谷正造参考人からの御意見は、もし伺わせていただければ扇谷参考人の御意見の中でちょうだいをすることにいたしまして、ただいまの徳安委員の御質問に対しまして、宇野、黒川両参考人から御答弁がございましたならばちょうだいをいたしたいと思います。  宇野参考人、ございますか。
  31. 宇野参考人(宇野精一)

    宇野参考人 どうもそういうことは私さっぱりわかりませんので、そういうことをこういう皆様方のような御専門方々にひとつぜひ御研究をいただきたい。  ただ、一つの形としては、先ほど申し上げましたように、たとえば私立学校に対して国庫補助が出ておりますね。あれは、先ほど申しましたように、明らかに私は憲法違反だと思うのです。ですけれども、やはりしかるべき方法によってそういうことが実現しておりますので、何も同じようにということじゃございませんが、皆様のお知恵をしぼれば何かしかるべき方法があるのではないか。私は、どうもそういうところは全然意見はございません。
  32. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 黒川参考人、何かございましたらお願いします。
  33. 黒川参考人(黒川紀章)

    ○黒川参考人 いま御質問があった問題は、先ほど私が参考意見として申し上げたことから言いますと、技術論ということになるわけでございます。その技術論に入った途端にこの問題が非常にむずかしい、困難なところにいく。それを避けるために、私は世論調査の結果を大局的に見て、つまり。パーセンテージじゃなくてその性格から見ると、国民感情が二つに分けた返答をしているという分析をしたわけでございます。ですから、そういった憲法論議とか、あるいは宗教学上のそもそも宗教とは何かという大議論から始めなければいけないような問題、あるいは現在の靖国神社が一宗教法人であるけれども、いきさつからすれば実はそうではないのだというような議論、あるいはそもそも神社というのは宗教なのかどうかというふうな議論、あるいはそれは民族的な宗教であって、普通の宗教とは違うのだというような議論、そういうことを学問的に煮詰めるためには、これはもういろいろな異論があるはずで、一〇〇%一致が得られないのは、私は予想するまでもなく明らかなことだと思います。  そこで、私が申し上げたのは、そういう憲法論議とかあるいは宗教法人を特殊法人化するというふうな問題をまず一たんおいておきまして、そして国民感情にこたえるような、国の代表としての総理大臣、あるいは国の象徴としての陛下、あるいは外国の賓客、国賓が公式に、一宗教法人であっても私は構わないと思います、靖国神社お参りをされる、あるいは千鳥ヶ淵にお参りをされるということ、そしてもし現在の靖国神社が財政的に問題が出るということがあれば、それは国民総意として、別の協会なり財団なりをつくって援助していく方法をまた別途議論をしていく、そういう本末転倒にならないところで、まずできるところから一歩を踏み出していただきたい。そしてその中から、次の問題、憲法に触れるような問題、あるいは靖国神社と一宗教法人を今後どうしていくかというような問題が、多少時間はかかるかもしれませんが、解ける道が必ず出てくる。ですから、それを全部ひっくるめて、一つの問題として強行突破ということをされない形で、国民感情にこたえていただきたいというのが私の意見でございます。  たとえば私、建築家でございますから、地鎮祭とか起工式の儀式でもいつも問題になるので困っておりますが、やはり職人あるいは工事をする人間感情から言いますと、神をまつって、事故をないようにしたいという気持ち、これを一つ習慣としてやるのがなぜいけないのか。実は私、共産圏でありますが、ブルガリアという国である建物を近々起工することになっておりますが、そこでも地鎮祭をやりたいという話が出てまいりまして、どういう方式でやるか、それではブルガリア方式と日本の、通常地鎮祭でやっております神式の方式を両方併用でいこうということが、向こうの政府の大臣と話し合って大体決まっております。これも実はおかしなことかもしれませんが、しかし習慣として、工事を始めるときに安心立命をして、心の安らぎを得て、あるいは事故のないようにお祈りをして工事を始めるという儀式が定着していると同じように、現在、一宗教法人である靖国神社に公式にお参りをするということが、一つ習慣として日本の中に定着していくことをまず願うというのが国民感情だというふうに私は解釈をしております。
  34. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 宇野、黒川両参考人におかれましては、非常に長い間お時間をちょうだいいたしました。それぞれ御予定がございますとの由でございます。ここで御退席をお願い申し上げます。(拍手)  評論家扇谷正造君。
  35. 扇谷参考人(扇谷正造)

    ○扇谷参考人 扇谷でございます。私、ちょっと次の予定がありますので、十分ほど私の意見を申し上げまして、何かの御参考にしていただきたいと思います。  三つございます。一つは、法案にせよ、その他の議論にせよ、そのねらいは一体どこにあるのか。それは戦死者並びに戦災死者の霊を慰めるということが主じゃないかと私は考えるのです。そうしますと、戦死者あるいは戦災死者という人は、いま仮に地下でどういう思いをしているかということですね。そのことをまず考えてほしい。私は、終戦末期に兵隊に参りました。三十一歳でしたか、中国戦線を駆け回りまして帰ってきたのであります。何人かの戦友は戦死しているのでありますけれども、恐らく彼らはみんな感謝を受けようと思ってやっておりませんね。やはり自分の子供、自分の妻、愛する日本のために自分の身命をなげうって、恐らく無我夢中で死んだということが事実でしょうね。死にたくないけれども死んだということが事実でしょうね。その気持ちを感じてやるならば、私は、ここで憲法論議とかあるいはまた宗教法人論議ということを聞きますと、何か侮辱されたような感じがする。もう少し死者の気持ちというものを考えて、素直に率直に、とにかく彼らの、君国という言葉が少し大げさでありますならば、愛する妻、子供、子々孫々のために身命をなげうったという気持ちをくんでもらって、そして彼らの冥福を祈ってほしい。民社党でしたか、何か改正法案が出て「霊を悼み、かつ感謝」という言葉がありますけれども、霊を悼んでもらったり感謝してもらったってしょうがないですよ、死んだ者は。死んだ者に対しては冥福を祈ってほしいと思うのです。そういう日が私は制定されることが欲しいと思います。法律によってにせよ、法律がだめであるならば何らかの形でもって、戦死者もしくは戦災死者の霊を慰め、そしてその冥福を祈る日というものをつくってほしいと思います。これが第一点です。  第二点は、私これは意見というよりは感想になるのでありますけれども、ハーバード大学にいまから何年か前に参りまして、アメリカ人に案内されてぐるっと回ったのですけれども、研究施設や何かには私は別に驚きもしなかった。一番涙が出ましたのは、あそこの講堂の中に第一次、第二次大戦で出征して、志願して行ったのですかあるいは学徒兵ですかで行って、戦死した連中の名前がずっと彫ってあるんですね。これら若きアメリカの青年たちは、ハーバード大学の学生は、わがアメリカのために命をささげたり、ずっと名前が彫ってあるのです。ぼくは涙が出ましたね、ざっくばらんに言って。なぜなら、わが国においてはまだ遺骨すら収集できないではないか。南浜にあるいは北の海に、まだまだ遺骨はばらばらに散っているじゃないか。遺族のことを考えてほしいと思うのですよ。そしてまた残された家族、そういう者のことを考えますならば、そういうことも私はやらねばならない問題じゃないかと思う。その遺骨収集の問題と、いま言った霊を慰める日の設定の問題、あるいは靖国神社法案になるかどうか私はわかりませんけれども、それと不可分の一体であると考えるわけです。そういうことが私は本来の意味の戦後処理じゃないかと考えるのです。  アメリカのアーリントンセミトリーに参りますと、あそこは無名戦士の墓でありますが、ただ一人第一次大戦の何とかいう将軍があそこに葬られているそうです、ケネディも最近葬られましたけれども。その将軍は、わが光栄はこれら無名戦士のおかげである、したがって自分の骨はここに埋めてくれと遺言したのでそこに埋めたのだそうでありますけれども、遊覧バスに乗ると、何人ものアメリカの若い人がそういうことを説明するのです。ははあと思って感心したわけでございます。  社会主義国のソ連に参りますと、オデッサという港があります。この港に参りますと、海軍の無名戦士の墓があるのです。慰霊塔でありまして、そこにはピオニールが十五分か二十分置きぐらいにぴちっと列をつくって花をささげ、そしてまた整列して出ていくというようなことがありまして、どこの国に行ってみても、大体無名戦士の墓あるいは祖国に殉難された人の墓を大事にし、これを慰めているんですね。そういうことは、私はやはり民族の生命という問題じゃないかと思うのです。  国のために——そのときの戦争というものは、確かに大東亜戦争とかあるいは太平洋戦争と言われるような戦争はいい戦争じゃなかったかもしれないけれども、一人一人の兵隊は、これを帝国主義戦争と思ってやったのはおりはしませんよ。赤紙が来たのでやむを得ず行ったのです。そして子供に手を振られ、女房に涙を流されながら、とにかくあんまりみっともないことはしたくない、一人の日本男子としてとにかく妻子やあるいは国のために、きわめて抽象的でありますけれども、そう言って出たわけですね。軍国主義者なんか一人も兵隊におりやしませんよ。そう言っていやいやながら死んでいった連中、自分自身を納得さして死んでいった連中の霊を、今日において知らぬ顔して、あるいは帝国主義戦争だ、何だかんだと言うのは、少しぼくは現在の日本人として薄情だと思うのです。  そういう意味におきまして、私は、靖国神社法案がどのような論議をされておるのか新聞で存じ上げております。そしてまた、その成否がどうかということ、私は、そのことについては実を申しますとどちらでもいいのです。ただ、その気持ちを何かの形であらわしてほしいということですね。だれかが八月十五日を平和記念の日ということにして、そして戦没者、戦災死者の霊を慰め、これを追悼、冥福を祈ることによって平和の願いを新たにするということを言っていた方もあるようでありますけれども、これこそまさに新憲法趣旨に合うものではないか。これがもし違憲論というならば、どういうところが違憲論なのか。私はそこのところをもう一回対象、つまり冥福を祈られる人たちの気持ちに立ち返ってこの問題を論議していただきたい。それ以後の憲法違反とかあるいは宗教法云々という問題は、これは先ほど黒川さんが言われましたように私は技術論だと思います。技術論のことは皆さん専門でありますから、どうでもこれは説明のつく問題でありまして、問題は原点に立ち返って考えてほしいということです。  以上の点が私の感想でございます。(拍手)
  36. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 午後二時より委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。     午後零時三十二分休憩      ————◇—————     午後二時九分開議
  37. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  戦没者等慰霊等に関する件について調査を進めます。  この際、安田参考人に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  この戦没者等慰霊等に関する問題は、御承知のとおり、戦争で亡くなられました方々をどうおまつりするかという問題とその周辺のいろいろな問題、その御慰霊の仕方、これに伴う政治、社会問題等々、従来当委員会を中心に議論をしてまいった問題でございます。この機会に広く各界からの御意見をちょうだいし、将来のこの問題に対する調査を進める参考にいたしたく、この委員会を開いた次第であります。何とぞ参考人におかれましては忌憚のない御意見をお述べいただき、もって本件調査参考に資したいと存じます。  それでは、体操指導者安田美代子君、お願いを申し上げます。
  38. 安田参考人(安田美代子)

    ○安田参考人 体操を指導しております竹腰美代子と申します。お嫁に行きましてから安田美代子が本名になりましたけれども、生まれたときは竹腰美代子でございまして、昔は柳腰と申しましたが、ただいまは竹の腰の方がよろしいとおっしゃっていただいている竹腰美代子と申します。  午前中は大変大ぜいさまお運びで、そしてまた大変おもしろかったというお声もそこここから伺いましたけれども、私どうしても時間の調整がつかずに午後になって皆さまに御迷惑をかけたと存じます。人気がないのかあるいは先生方が少しお怠けでいらっしゃるのか、どうも十一分おくれてようやく開始させていただいてありがとうございました。  御賢察のように、私は大した意見が言えるほどのりっぱな女じゃありませんし、また正直申し上げまして、戦後三十年、靖国神社のことを真剣に考えたのはこの二、三日だけでございます。  私は、いつも思いますのは——ある歯医者の先生と対談いたしたのでございますけれども、歯が生え始めた一歳か二歳のときから、食後のたびに歯をみがいていると虫歯にならないということだそうでございます。そうすると食べ物が歯に付着してないから、歯の外側を覆っている何とか質というのがいつまでもあるから絶対に虫歯にならない。ところが、その教えのとおり赤ちゃんのときからずっと食後のたび、あるいはおやつの後でも歯をみがいていたのが百人いたとします。そうすると、三人ぐらいは特別な子があらわれるそうです。そういうふうに先生のお言いつけどおり歯をみがいたにもかかわらず虫歯になったという子、それからまた歯なんかみがいたことがないのに何も虫歯がないというような子が百人のうち三人ぐらい特例があらわれるそうでございます。私は、その歯医者の先生と対談をさせていただいてその話を伺ったときに、まことに申しかねますが、国会というところや議会というところは、この三人ばかりを相手にして、たくさんの時間をお使いになっているような気がいたします。(拍手)私は、その大切にしていただきたい九十七人の一人でございます。  きょうの問題でございます靖国神社の話も、いろいろな調査をしたものも資料としていただきました。そうすると七八%のたくさんの数の方が問題ではないとおっしゃっている。それなのにどうしてこんなに何日も何日もたくさんの大切なお時間を費やして、とてもむだなような気がいたします。  その中で、見ましたら、税金をむだに使うからなんという項があったのですが、私は、とても胸が痛いような思いがいたしました。都庁のお役人さんは、私みたいな気分で働けば四分の一ぐらいでいいのじゃないかななんて……。それから私は、国民の一人でございますから、税金をお払いすることは、それは義務だと思っていますから何も思っておりませんけれども、たくさんの特別区民税だとか都民税が来ると、私は、どうしても都庁の窓口にすわって、はい課長さん、これは私が上げますというようなそんな気分にもなるくらいでございますので、どうしてもここら辺を減らして——そのくらい大したお金じゃないのじゃないかなという気もいたします。  ただ私は、資料をたくさん読まないうちにそう思いまして愕然としたことがございました。靖国神社は国が管理しているものだと信じ込んでいたのです。そうしたら、その資料では六一%の方が靖国神社は国の手から離れたということを御存じなかった。私も六一%の一人でございましたけれども、これはとてもびっくりいたしました。私の常識の中ではなかったことなんです。私は、こんなことはこんなにいろいろなことを会議にかけたり何かする必要がなくてすんなり通るものだと思っておりましたが、宗教法人になったというところで私は非常にびっくりして、何だかむずかしくなって、私なんかが意見を言うようなことがなくなったような気がいたしますが、第一に申し上げたいことは、宗教法人を外してもう一度国に返すことはできないのでしょうか。私は、とてもそう思うのです。無理な話だということも、とてもよくわかっていますし、いろいろな周囲のことの事情がわからない女の意見だとお笑い飛ばしいただいてもいいと思いますが、私は真からそう思っております。  それでもう一つ、若い世代の方に反対という方が多いようでございますけれども、若い世代の人が反対しているのじゃない、反対するような意見を私たちの世代がつくったのだと思ってじくじたる思いがあるのです。  私は、学校を卒業してすぐに高等学校の先生を二年いたしました。終戦後間もなくでした。昭和二十七年に学校の先生になりました。高等学校三年生は私と年が四歳しか違わなかったのですが、たった四歳の違いでも、何か私は、この生徒たちに私も戦争の責任者の一人のように思われて、とても恥ずかしくて、自由教育だとかとてもそういうようなことをあえて主張して——そしていま思えば、何の教育もしなかったような気がいたします。いまとてもそれを悔いております。ですから私は、いまの若い人はという言葉を絶対使いません。なぜなら、いまの若い人たちはというときには、見かねるような、また余りよくないようなことを指摘していることで、そういう若い人たちをつくったのは私の世代だと思っているのです。ですから、そのことでとてもいやな思いをして暮らしておりますけれども、でもいまは違います。そういう心がはっきり私の中で決まりましたから、いまは若い人にどんなにきらわれても、若い人たちにばかにされても、私が言っておきたいことだけはちゃんと伝えているつもりです。そのとき言うことを聞かなくても、きっと私の年になったら、あるいはお母さんになったら、あるいはもっと責任のある立場になったら、どこかの皮膚の片すみで覚えていてくれるのじゃないかと思って、私は、きらわれても何でも言うことにしているのですが、もっと私にこわいことは、戦争というのを思い出したくもない、また戦争などという言葉で思い出のように語れば、何だか革新系の方に怒られるような気もするしするから、避けて通っていたのだけれども、本当のことを伝えなければ、本当に戦争をしてはならないという気持ちにならないのじゃないか、そういう気もいたします。  若い世代に私は何を伝えたか——大きな人生というものがあって、私は、体操の先生ですからすぐそちらの方につながって考えますけれども、マラソンのような気がしているのです。私は、ある世代のランナーにすぎないと思っております。そのランナーが次へのバトンタッチをするときは、よいことを伝えて、そして直すべきところはそのランナーの間に直して、よいバトンを伝えなければならない。それでこそたくさんの発展と、それからまた進歩があり、また能率的なことだと思っているのです。そのバトンの一つがこの靖国神社の問題にもあるような気がいたします。  私がこの靖国神社という問題を私にちょうだいいたしまして一番考えたことは、いま申し上げました、私は若い世代に何を伝えたか、何のバトンをタッチしただろうかということでした。それから、いただいたこの資料の一番最後に、八月十五日戦没者を悼み、平和の決意を新たにする、私はとってもここが気に入らないのです。戦没者を悼むのでしょうか。悼むのじゃないと思うのです。平和の決意を新たにする、平和って決まっていると思うのです。決意を新たにするような問題じゃないと思うのです。私は、日本の国に平和をもたらしてくれた礎になったこの方たちに、靖国神社を通して感謝する、そういう意味で受けとめておりました。(拍手)戦没者を悼み、平和の決意を新たにするというのは、ちまたで言われている自民党は老化であるというような言葉のような気がするのですが、言葉が過ぎたら謝ります。でも私は、決意を新たにするのではなくて、もう一度申し上げます、私たちのこの日本の国に平和をもたらしてくれたその方々に感謝をする——本当はたたえると言いたいです。しかし、そうするとまた戦争賛成者のようにとられます、言葉は。日本語というのは大変むずかしいので、私は、感謝をする、最後の言葉をいますぐにでもそう直していただきたい気持ちでいっぱいでございます。  たった一人あらわれまして、こんな意見しか申し上げられないでまことに申しわけないと思っております。ありがとうございました。(拍手)
  39. 藤尾委員長(藤尾正行)

    藤尾委員長 以上で安田参考人意見の陳述は終わりました。  安田参考人には御多用のところ御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後二時二十一分散会