○黒川
参考人 黒川でございます。
私は、この問題に関しまして、
宗教学者でもございませんし、実は余り突き詰めて
考えたことがなかったわけですけれ
ども、素人の
意見としてお聞きいただきたいと思います。
まず最初に、私、非常に興味を引きましたのは、せんだって五月に
社団法人の
日本宗教放送協会がなさった
靖国神社に関する
世論調査の結果でございます。これは新聞等の報道によりますと、その設問の仕方が誘導的であって、この結果を十分に評価することはできないというような批判も出ているようでございますけれ
ども、私も建築家であると同時に、実は社会工学研究所という研究所を持っておりまして、
世論調査とかあるいは意識
調査については数多く実施をしておる
立場から、こういった
世論調査をどう読むかという読み方については
専門家のつもりでございます。ですから、そういった幾つかの問題点を踏まえて、この結果について私なりに読んでみますと、
一つ重要な問題が出てくるように思います。
それは、この
世論調査の中で問一、問二、問五、問七が非常に圧倒的に多くの支持を得ている。これはどういう内容かといいますと、第一間の、国のために
戦争などで亡くなった
方々に対して国として追悼行事を行うことは
賛成であるという
意見がほぼ八〇%に達しているということ。それから国のために
戦争などで亡くなった
方々が
靖国神社にまつられていることは当然である、それでいいという
意見がやはり八〇%を超えているということ。そして問五の、
天皇陛下が公式に
靖国神社に
参拝なさることについて問題なしとする
意見が八〇%を超えているということ。そして問七の、国のために
戦争などで亡くなった
方々に対して、
国民のだれもが宗派にかかわらずみたまを慰めることについては問題がないという
意見が八〇%を超えている。この四つの問いに対する答えというのは圧倒的な支持を得ているというふうに、設問のされ方に多少問題があるとしても私は思います。
それに対しまして、問三、問四、問六の問題は、相対的に見ますと幾つかの疑問が出されているのだというふうにこの結果から読んだ方がいいというふうに私は思います。つまり問三では、これは現在、
靖国神社が
宗教法人になっているといういきさつの問題、それが占領当時の強制的な問題であったかどうかという非常に技術的な問題については知っている人が非常に少ないということ、あるいは追悼の式典を
靖国神社ですることについては五七%という数字が出ておりますけれ
ども、先ほど私が申し上げました四つの問いに対する答えに比べますと相対的に低い。これは儀式の形式に
関係するからだと私は解釈をいたします。つまり技術問題といいますか、やや細かな問題に触れてくるところでは圧倒的な多数の支持というわけにはいっていないということがむしろ読み取れるというふうに見た方がいいと思います。あるいはさらに、
靖国神社を国が特別に世話をする、つまり
議論されておりますような、靖国法案にありましたような特殊法人として
国家管理に置くというような問題については、確かに数字としては六四%という過半数になっておりますが、相対的に見ますと、先ほど最初に挙げました四つの設問に比べて相対的に低い支持であるということから
考えますと、私は、この
世論調査の読み方を私なりに次のように
考えたわけです。
つまり、
戦争のために亡くなった
方々に対して国として追悼行事をする、あるいはそれが
靖国神社にまつられているという事実、あるいはそれを
国民だれしもがみたまを慰めるということ、あるいは
天皇陛下あるいは国の代表である総理大臣が公式に
参拝をなさること、こういった基本的な問題については問題がない。つまり、
国民感情から言って
国民の圧倒的な支持が出されているんだ。それが技術的な問題になりますといろいろな問題が派生してくる。そこで、問題を二つに分けて解決する
方法というものがないだろうかという感じがいたします。
私、いままでのいきさつを多少
資料等を読ませていただきまして、従来の靖国法案が何度も廃案になったいきさつの中には、やはりどちらかと言えば、余りにも
憲法論議とかあるいは
靖国神社をどうするかという技術論に陥った
議論が多過ぎたのではないか。そういう
議論の裏側で、本当に国のために犠牲になった人々をしのんで感謝したいという
国民感情にどうこたえるかという基本的な問題が実は見落とされていた。それが実際に実現していないという、そういう基本的な問題に立ち返ってこの問題をどうしたらいいか、もう一度
考え直していただきたい。むしろ今回の、多少
議論にもなっておりますこの
世論調査の読み方も、実はそういうふうに読めるのではないかと私は
考えております。
そこで、まず私、
国民感情から言ってもそうだと思うのですが、不思議に思うことは、先ほ
ども申し上げましたように、国の象徴である
天皇陛下とか総理大臣あるいは
外国からの国賓が、素直な形で国を代表して公式に
参拝できないというのは非常に不自然である。これは海外の例から言っても非常に不自然だと思いますし、それに関連して、こういった問題に対して
日本人は余りにも敏感過ぎるのではないか。せんだって
エリザベス女王が
伊勢に参られたときに、ちょうど私は
イギリスにおりまして、
イギリスの
国民の反応といいますか、ちょうど
イギリスのチャールズ・ジェンクスという評論家とこの問題についてロンドンで
議論をしておったわけですが、非常に不思議である、
エリザベス女王が
伊勢に行かれる、そこで素直な形で
参拝されることに対してどうして
日本人は神経質なのか、
日本人のこの心理についておまえの
意見を聞かせてくれというふうな質問を受けたことがございますが、確かに
日本人はこういった問題に少し敏感過ぎるのではないかというふうに思います。
それで私自身、
仏教徒でございまして、信徒とは言えないかもしれませんが、浄土宗というものを学問的に少し興味を持って研究をしております。しかし一方では私は、正月になれば
伊勢神宮にも
参拝をいたしますし、明治
神宮にも
参拝をいたしますし、一年に一度ぐらいは
靖国神社にも
参拝をいたします。それは素直な気持ちで、自分がどの宗派に属しているということと無
関係に、自然にそういう気持ちになるから行っているだけのことでございますけれ
ども、
考えてみますと、こういった問題が、ただ
靖国神社の問題、
戦没者をどう慰めるかという問題以外にも、今後の
日本の
国民一人一人の心の安らぎという問題にも関連して重要な問題になるのではないかというふうな気がいたしますのは、先ほどの
世論調査を年齢別に分析した
資料を見てみますと、世代の意識差というのが非常にはっきりと出ているというのには私はびっくりいたしました。若い年齢層、若い世代になればなるほどこういった問題に無関心であるという事実でございます。で、このことがいいのかどうかというのを、私は非常に重要な問題として
考えております。特に自分の親、子供、親戚を
戦争で亡くした方、私は、亡くしておりませんけれ
ども、亡くした方は、直接自分の肉親の問題、あるいは子供の問題、親の問題としてこの問題を真剣に
考えておられると思います。しかし、そういった世代が次第に少なくなっていくというのは当然のことでございます。私
どもにとって、若い世代になればなるほど
戦争というのは遠い昔のことになってまいります。しかし遠い昔のことになればなるほど、
国民として
戦争の犠牲になった
方々をどうするのか、これは肉親に対する悲しみというものを越えた、
国民一人一人の問題として大きくなっていくのが当然ではないかというふうに思います。そこでは個人の信仰とか
宗教を越えた問題として、
日本というものが
戦争をした、それによって犠牲になられた方がたくさんおられる、そういう
人たちを、直接自分の親とかきょうだいに対する愛情あるいは
慰霊ということを越えた問題、つまり
宗教を越えた問題、
国民一人一人の問題として
考えていかなければいけない時代にこれからなっていくわけで、そういう問題に対していまどういうふうな道をつけていくかということが、これから重要になるのだというふうに思います。
総理府の三年前に実施した世界の青年、
日本の青年という
世論調査がございました。これは世界の青年の意識
調査をしたものでございますが、それを見ましても、非常に特徴的なのは、
日本の青年というものが七四%信仰を持っていないと答えております。これに比べましてアメリカとか
フランスとか
ドイツ、これは一三%、一九%、六%、信仰を持っていないと答えた青年は非常に少ない。こういう
日本の
国民性があるということを頭に置いて
考えますと、だからこそよけいに、私
どもは
宗教を越えて先祖を敬い、あるいは国のために命をささげた人々を
国民感情を大切にしてまつっていく、そういう
習慣を、公式にあるいは堂々とできるような、そういう社会的な
習慣をつくっていくというのは非常に大切なことじゃないかというふうに私は個人的に感じます。
たとえば最近、正月になりますと非常に大ぜいの人が
神社に
参拝するようになった。これは一体どういうふうなことだろうかということで、それの心理分析等が行われております。しかし私は、
日本人というのは
一つの
宗教を越えて、平和とか自分の安心立命というものを願う気持ちというものがやはり一方にあるというふうに思います。ですから、それは必ずしも
神社というものを
一つの
宗教と
考えて、そしてそこに
お参りに行っているのが、現在の正月とかそういうときに大ぜいの
人たちがそこに
お参りに行くという姿とは違うと思います。ですから、
靖国神社の問題というものを、果たして
宗教かどうかというふうな
宗教学上の
議論で問題にするのではなくて、むしろそういう現実に即した、
日本人の
国民感情に即してまず
考えていけないかというのが私の
意見でございます。
ですから、こういった問題を踏まえて、今後どうしたらいいかということについてでございますけれ
ども、私は、いずれにしましても、まず
天皇陛下あるいは総理大臣あるいは
外国からの国賓が、現に
靖国神社に
戦没者が祭られているという事実があるわけでございますから、そこに公式に
参拝をしていただけるようにぜひしていただきたい。そのことは
靖国神社を一
宗教法人から外して
国家管理にするかどうかということとは別の問題として、とにかくまずそのことを実現するようにしていただきたいというふうに思います。
それから、その問題に関連して、いっそのこと
靖国神社を、たとえば
自衛隊とか警察官あるいは消防官、公務員等、今後国に殉ずる人も含めてお
まつりをして特殊化していったらどうかという
意見もあるようですけれ
ども、私は、そういった
意見には
反対でございます。あくまで現在の
靖国神社の意味、それは最初から
靖国神社というところは
戦没者をまつってあるところであるという、そういう現実に即して今後ともその性格は変えないでいくのが素直な姿である。私も民間人ではありますけれ
ども、精いっぱい国のためにがんばっているつもりでございます。それをたとえば職業によって、公務員とか消防とか
自衛隊とか警察に勤めている
人たちのみが国に殉ずる人だというふうに
考えていくのは、少し不自然があるのではないかと思いますので、あくまで、そういった問題を今後
考えていく場合でも、
戦没者ということに限って性格を
考えていった方がいいというふうに思います。
あるいは
靖国神社の
国家管理という問題が
憲法にも触れる問題として
議論されておるようでございますけれ
ども、一体それがどういうところから出てきたかというふうに振り返ってみますと、多分財政的な負担を国がするということの意味からそういった
議論がでてきたのではないというふうに私は思います。むしろ精神的な、あるいは
国民感情の上から
戦没者をお
まつりする、そして公式に国の代表が
参拝をするということのために、現在の一
宗教法人を、
宗教法人から変えなければいけないという技術上の問題から
国家管理の問題が出てくる、そのことがまた
憲法上論議を呼ぶ、そして
宗教団体への
国費の支出等を禁止した
憲法八十九条の問題を呼び起こしてくる、これはまさに本末転倒の
議論ではないかと思います。もし財政的な問題であれば、何もそれは国が負担をしなくとも、
国民全体が
靖国神社あるいは
靖国神社と言わなくてもいいと思いますが、
戦没者を
慰霊する
費用というものを別の形で何らかの組織をつくって集めることぐらいは簡単にできることだと思いますので、決してそれは財政的な問題ではない。むしろ事実としていま
靖国神社にお
まつりをしてある
戦没者を国が公式にお慰めをするという問題をどういうふうにスムーズにするかという問題であって、その本末転倒した
憲法論議というのは、私にとっては
国民感情を非常に逆なでするものになりはしないかという心配をいたします。
ですから私は、特に国営化といいますか、
国家管理の
議論とか、そういうことを、特殊法人にするというような
議論を一たんたな上げをしまして、そういう問題に触れないで、むしろ現状のままで、私は
靖国神社は一
宗教法人のままでいいと思います。一
宗教法人のままで現実に即して
考えていくというふうに
考えますと、現在千鳥ヶ淵とそれから
靖国神社、この二カ所に
戦没者が祭られているということであるとすれば、たとえば国としての儀式は私は武道館でもいいと思いますが、どの
宗教にも属さない儀式で、国としての儀式を行った後、国の象徴であられる
天皇陛下とそれから総理大臣及びその代表の
方々が、事実としてまつられている
靖国神社あるいは千鳥ヶ淵の墓苑にその後
参拝をされるというふうな儀式の展開の仕方もあるわけですから、少なくとも非常に紛糾した
憲法論議で、あるいは
宗教学上の論議でこの問題を長くほうっておくことなく、とにかく速やかに、私はまず
国民感情に即した解決を、一歩前進という形で解決をしていただきたいと思います。
これはアメリカの場合、ロンドンの場合、あるいは
フランスの場合を見ましても、私は、同じようなことが言えると思います。ロンドンの場合でも、ウエストミンスター
寺院の中にある無名戦士の墓と、もう
一つホワイトホールの戦死者の記念碑があるそうでございます。
フランスの場合でも、パンテオンと凱旋門の下という形になっております。わが国の場合に、
靖国神社とそれから千鳥ヶ淵の墓苑という二つがあっておかしくないわけで、その両方に国の代表あるいは
天皇陛下あるいは国賓が公式に
お参りをされる、そして
靖国神社の中で公式な行事を行うというのが、いますぐには少し問題があるということであれば、それは武道館で行った上で、その後公式に
参拝をされるというふうな手順を踏まれても一向におかしくないのではないか、そんなふうに
考える次第です。
以上です。(拍手)