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大出委員 そこだけはっきりしておいていただきたいのです。というのは、かつて岸内閣のときに
ベトナム賠償があったわけですね。鶏三羽という議論があったわけですよ、当時。
戦争している片方にだけ賠償を払ったって、私
どもは奇妙なことだと当時解釈をしたわけでありますが、
皆さんのほうは、それを強引におやりになったわけであります。
ここまで来て、さっき
局長がおっしゃったような、形を変えて、これは旧来の行きがかりや人情があるから、しょうがないからやるんだということだけでは済まぬと私は思うのです。やはり行政能力が明確になければ、それもあすなくなるじゃ困るんで、要するに、ある
意味の固定的現象が話し合われて、
それなりに
日本国民の血税が有効に機能するというのでなければならぬ。
アメリカのある人が書いておりましたが、
アメリカから金をもらって
戦争屋を飼っているようなものだというわけですよ、極端な議論だけれ
ども。そういうことができるかという、これはそれに似たような解釈になってしまう。果たして行った金が正当に機能しているのかどうかという非常に大きな疑問を
アメリカ国民は持ってきたのだと思う。それに類する、形は小さいけれ
ども、そのようになりかねない。だから、そこらのところは、そう軽々に
動き出す
筋合いのものではないという気が私はするわけであります。これは念を押しておきたいと思います。
ところで、この席で余り言いたくはないのだけれ
ども、実は私も、横浜で戦車闘争だなどということを飛鳥田と一緒にやりまして、これをまとめるのに、おたくの安保課長の松田さんが当時おいでになって、吉野さんは例の秘密電報の問題で
パリに行ってしまっておいでにならぬ、
アメリカ局長さんは空席だ、橘さんが代理をやっているというわけでしたが、それこそずいぶん橘さんや松田さんと私が苦労をし抜いて、けが人だの死んだ人が出たということになると、
政府なりあるいは行政なりの両方の責任になりますから、何とかしなければならぬ、だがしかし、基地の町でございますから、それだけに市民あるいは県民が
考えている
方向に持っていきたいという意思が反面はある、そこらをどういうふうにまとめれば全体が落ちつくかということで、実は大変に苦労したわけです、御存じの方もあると思うのでありますが。それで、日曜日閉まっている
外務省の上まで上がっていったこともある。だからどうも、いまになると何ともそのむなしさを感ずるわけであります。
そこで二、三点、具体的なことを聞きたいのでありますけれ
ども、極東の
範囲というのは
——俗称ヤンキーステーションに、緊急発進をするということで横須賀から空母が六隻出かけていった、そして何十人かの
人間を置いていっちゃったというわけです。私は当時、条約
局長なり
外務大臣なり
皆さんに、
ベトナムというのは極東ですかという
質問をした。そうしたら、私の
質問のそこから先をお読みになって、大分
考えておられたんですけれ
ども、いや極東ではございませんが、すぐ続けて、すぐその隣でございますと
皆さんは答えた。しかし極東の解釈というのは明確であって、岸内閣のときでありますが、フィリピン以北
日本の周辺になっているはずであります。露領沿海州は含まない、台湾、韓国の周辺は含む、こうなっているわけです。すぐ隣ですということで拡大解釈をなさった。かくてB52が沖繩から発進をするというところまで進んでいってしまった。
だから私は、ここから先の、いまの点も承りたいのだが、
日本の
外交の
自主性として
——安保条約が存在をする、日米間が
皆さんを中心にして大変近い間柄にあることは認める。それは
現実ですから。だがそれにもかかわらず、やはり是々非々というものは、
日本の
国民というものを前提として、国内
世論というものを前提にしてはっきりした
立場をおとりいただかぬと、極東の
範囲というものは極東の
範囲として解釈は厳存する、厳格に守る、こうでなければならぬと私は思うわけでありますが、そこらのところは大臣、これは政治的な判断でございますから
局長さんに聞いてもしようがない。先ほど来おっしゃっている、
それなりの
アメリカの
善意は認めるとしても、大変苦いかつ厳しい現状に対する
反省をしなければならぬ、お互いにそういう
立場がある。もちろん政治の一方を受け持っている私
どもにもなければならぬわけでありますが……。
そういう
意味からすると、いま一番大事なことは、
アメリカとの
関係というものを是々非々でとらえて、対
国民という
意味で、
国民に責任を持つという
意味で、極東の
範囲なら
範囲というものは、やはり厳格に
日本側が守る
姿勢を貫くということがあっていいのではないかという気がするわけでありますが、そこらのところはいかがでございますか。