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1975-04-03 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年四月三日(木曜日)     午前十時三十二分開議  出席委員    委員長 藤尾 正行君    理事 越智 伊平君 理事 奥田 敬和君    理事 木野 晴夫君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       宇野 宗佑君    近藤 鉄雄君       佐藤 守良君    竹中 修一君       羽田  孜君    旗野 進一君       林  大幹君    細田 吉藏君       三原 朝雄君    綿貫 民輔君       鈴切 康雄君  出席国務大臣         外 務 大 臣 宮澤 喜一君         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      井出一太郎君  出席政府委員         警察庁警備局長 三井  脩君         防衛庁防衛局長 丸山  昂君         防衛施設庁長官 久保 卓也君         防衛施設庁施設         部長      銅崎 富司君         外務大臣官房長 大河原良雄君         外務省アジア局         長       高島 益郎君         外務省アメリカ         局長      山崎 敏夫君         外務省欧亜局長 橘  正忠君         外務省中近東ア         フリカ局長   中村 輝彦君         外務省条約局長 松永 信雄君         外務省国際連合         局長      鈴木 文彦君  委員外出席者         建設省道路局路         政課長     加瀬 正蔵君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 四月三日  辞任         補欠選任   有田 喜一君     細田 吉藏君   大石 千八君     宇野 宗佑君   笠岡  喬君     佐藤 守良君   中馬 辰猪君     羽田  孜君   三塚  博君     三原 朝雄君   吉永 治市君     綿貫 民輔君 同日  辞任         補欠選任   宇野 宗佑君     大石 千八君   佐藤 守良君     笠岡  喬君   羽田  孜君     中馬 辰猪君   細田 吉藏君     有田 喜一君   三原 朝雄君     三塚  博君   綿貫 民輔君     吉永 治市君     ————————————— 本日の会議に付した案件  委員派遣承認申請に関する件  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務  する外務公務員給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第一六号)      ————◇—————
  2. 藤尾正行

    藤尾委員長 これより会議を開きます。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。大出俊君。
  3. 大出俊

    大出委員 いろいろな問題が山積をしている外交案件についてでございますが、何しろ選挙をやっているさなかでございまして、何かどうも少しピントが合わぬ感じがいたしますから、この国会に他に機会がないわけでもありませんし、実は、できるだけ長い質問をと思って、大分資料を持ってまいりましたが、要点質問に切りかえたい、こう思っております。  そこで、在勤法が主題でございまして、かかわり合いのある幾つかの問題がございますから、そこから入らしていただきたいと思います。私の方には、ベトナムあるいはカンボジア等の問題をめぐりまして、いままで再三再四質問を長い年月してきておりますから、うんと言い分があるのでありますけれども、まず第一に承りたいのは、朝日でございましょうが、北ベトナム大使館を、あるいは在外公館を置くという日程が載ってございました。たしか私の記憶では、四月一日というのが想定に入っていたように思うんですけれども、これがいまなお設置をされていないという段階で、かつまた経済援助という問題も、使節団がお見えになっておるようでありますから、これは南ベトナムの方でありますが、経済援助問題等日程に上って、北からは経済使節団が入ってきているという時期に、大変激しい情勢変化が起っておるわけであります。  この大使館を、あるいは在外公館を置くというのは、一体どういう日程になっているのか。私どもが承知しておるのでは、大変ジグザグあるようでありますが、それは、またどういうわけでそういうことになっているのかという点、大変事務的な点から入りたいんですが、とりあえずお答えいただきたい。
  4. 高島益郎

    高島政府委員 ハノイ大使館を設置する問題につきまして、ベトナム民主共和国までに話し合いを進めてまいりまして、いま先生指摘のとおり、四月一日をめどに日本大使館を設置するということに合意を見ております。ただ、いま先生の御指摘のとおり、東京で経済協力問題について先方の代表団交渉中でございますので、実は、この交渉ハノイに在勤する館員も参加をしている関係もございまして、この交渉が済み次第、ハノイに派遣するように準備をいたしております。したがって、当初の予定より若干おくれますけれども、いずれにしても近いうちに、正式の大使はまだ任命できませんが、とりあえず館員二名を派遣するということで準備を進めております。
  5. 大出俊

    大出委員 急ぐということになるのだろうと思うのですが、とりあえず館員二名といういまお話でありますが、これは、アメリカ北ベトナムとの関係については国交はない、こういう認識でよろしゅうございますか。
  6. 高島益郎

    高島政府委員 アメリカは、ベトナム民主共和国承認いたしておりません。したがって、まだ外交関係はございません。
  7. 大出俊

    大出委員 そこでいまの問題は、さらに触れさせていただきますが、基本的な問題が一つあるわけでありまして、本来、ベトナム問題と申しますのは、フランスがかつて手がけてきた問題でございまして、御承知のとおりディエンビエンフー陥落問題等を契機にいたしまして、マンデスフランス内閣のころのはずでありますけれども、ちょうど私、パリに行きまして、マンデスフランス内閣時代に、あそこに一カ月以上いたことがありますが、あとマンデスフランス内閣がそのまま続いていくのだとすれば、今日のような、あるいはベトナム戦争というものはあり得なかったという気がするわけでありますが、あそこで情勢変化が起こりました。  これは、その後の国会で私も質問をいたしましたが、アメリカ国内でも大きな問題になりましたが、アメリカ介入という問題が出てまいりました。そこで今日のようなことに経過的には進んできたわけでありまして、ジョンソン大統領のときに、ベトナム戦争は大変なエスカレートをした段階がございました。それがニクソン、、キッシンジャーという段階でディスカレートをする、パリ協定が結ばれるということになっていったわけでありますけれども、この基本的な考え方、私どもは、やはり民族自決という原則に立って、他国介入をすべき筋合いのものではないという考え方を一貫して今日まで実は主張してきているわけであります。ある意味民族運動であります。  ところが政府はそうではない。あくまでもアメリカ姿勢協力をし続けて今日に至ったわけであります。われわれ日本という国が、あるいは日本人という国民が、ベトナム問題で手を汚さなくていい筋合いのものが、安保条約というものを介在させて、B52の問題から始まりまして、数々の問題を生んできたという長い歴史があります。  だから私は、ここで日本外交政策として根本的な再検討が必要であり、かつ私に言わせれば、転換が必要であるという気がするわけであります。そこのところを、一番基本になるべきものを、一体外務大臣としてはどうお考えなのかという点をはっきりしていただきたい、いかがでございますか。
  8. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 ディエンビエンフー以来、長い年月がたったわけでありますが、いま起こりましたことを回顧して考えてみますと、やはり米国としては、基本的に民主的で自由な体制というものを、人間の本性として何人も求めておる、共産主義による支配というものは、人間にとって決して幸せなものではない、そういう善意の意識のもとに、ディエンビエンフー以来今日までの米国介入が行なわれたというふうに考えます。  わが国は、そういう立場から、米国に追随するということではなくて、やはりだれでも人間が望むであろう民主的な自由な体制というものが、恐らく現地においても住民の本心からの願いであるに違いないということを考えてまいりましたので、そういうわが国としての所信に基づいて、協力できるところは憲法の許す範囲内で協力をしてまいったことは事実であります。  しかしいまになって、恐らく米国としては、かなり挫折感を持っておると思いますが、考えますことは、ひょっとしたらそういうような民主主義であるとかあるいは議会制度であるとかいうものが、このようなインドシナ半島における、簡単に風土と言わしていただきますが、そのようなものに必ずしもすぐにはふさわしいものでなかったという教訓を、かなり苦渋しながら反すうしておるのではないかと思うのであります。  他方で、別の観点から申しますと、ディエンビエンフーのころと現在と比べますと、いわゆる世界の冷戦的な構造というものが大きく変化をいたしました。また共産側一枚岩であろうというのが当時の認識でありましたが、必ずしもそれがそうでないということも大きな変化であります。したがいまして、そこからいわゆる緊張緩和が生まれてきたわけでございますが、そのような緊張緩和の中にあって、ことに西側の陣営では、民族主義運動が比較的自由に起こり得るような環境になってまいりました。東側の方では、いろいろ締めつけが強うございますから、必ずしもそうではありませんが、西側ではかなり民族主義運動が自由に行われるようになって、そしてそれが今日の事態に至ったものであろう。  基本的に大出委員が、今度の動き民族自決というような観点から考えるべきではないかと言われますことは、私もさように思っておりますが、何ゆえに過去二十年間、こういうことがこういう経緯で行われてきたかということを考えますと、ただいま申し上げたようなことになるのではなかろうかと存じます。
  9. 大出俊

    大出委員 いまの宮澤さんのお答えの中で、長い年月たちましたが、いみじくも一致いたしましたのは原則民族自決民族運動の形態というのは、これはたくさんございます。かつて、私の仲よくしておったトリリというチュニジアの解放時代の将軍がおいでになりまして、この方は国際自由労連のアジア地域の副議長でございましたが、当時私、ユーゴスラビアのベオグラードから、全く航空路線がないときに、トリリさんはユーゴスラビア関係で飛行機を飛ばしてもらったことがあるわけですが、彼などもしきりに言っておりますけれども、この民族運動がほうはいとして起こる時期に、他国がこれに干渉するということは無意味であるということをしきりに言っていましたけれども、私どもは一貫してそういう考え方を持っている。いまようやく宮澤さんの口から、原則的に民族自決方向をお認めになった。ただその間、なぜこれだけ長い年月かかったかという点について、どうもまだすっきりしないんですね。ここが大きく違うわけなんです。  どういうことかと言いますと、ダレス以来のドミノ理論があるわけであります。将棋倒しというやつがあるわけであります。私、結論を先に言ってしまえば、これは承らなければいかぬのですが、アメリカが結果的にベトナム放棄する、そういうことにならざるを得ぬだろうと私は思う、アメリカ世論アメリカ議会動きから見ますというと。そうすると、放棄をするという結果になった場合に、本来ならば、ダレスさんはこの世に生きてはおりませんけれどもドミノ理論が正しいとすれば、フィリピンにしても、あるいは東南アジア全域についても、次々に起こるべくして起こることになるはずでありますが、恐らく私は、決着がついた後は、ある意味安定期に入っていくんだろうという見方をすのであります。だからそうなると、ドミノ理論というのは、本来正しい理論ではなかったことになる。ところが、いまの宮澤さんのお話では、長い年月がかかったことにそれだけの意義を認めておられる。いまそうお答えにならぬかったけれども、端的に言えば、つまり共産主義勢力に対すると、こういう物の考え方民族運動をとらえている。それにアメリカ介入をする、日本協力者立場をとるということで、長い年月かかったことが、それなり周辺諸国準備を与える、あるいは相手側に対して、大変に時間がかかり、骨の折れるものだという認識を与えたということが、ある意味で、犠牲は払ったけれども意義があったのだという、そういう理由づけをとかく皆さんの側はしようとなさる。私は、それは間違いだという気がする。  なぜならぱ、ドゴール大統領フランスアメリカと背中合わせになった一番の出発というのは、何かと言えばインドシナ問題、ベトナム問題なんです。だから私は冒頭は、マンデスフランス内閣のときにと申し上げたのだけれどもちょうどあのときにフランスの大ストライキが起こっておりまして、私はフランスに行きまして一カ月おったのでありますけれどもつまりドゴール氏になっても、マンデスフランス氏との外交上の物の考え方の相違はない。アメリカに対する厳しい反発があった。だから、先見性がすでにフランスの側にあったということになる。アメリカの物の考え方は間違っていたということになる。つまりフランス方式決着がついていれば、フランス民族自決は認めたわけだから、ベトナム戦争が起こっていない。日本安保条約というものを介在させて手を汚さなくてもよかったことになる。  だから、日本外交政策の面で、その意味先見性がなかったということについて省みて——これは悪意じゃなくて省みて、やはり将来の日本自主外交という意味で、大きな経験としてとらえておく必要がありはせぬかという気が私はするのでありますけれども、そこのところが、どうもさっきの御答弁ですっきりせぬのですから、その点、再度お答えをいただきたいと思う。
  10. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 ただいま悪意でなくてと言われましたので、あるいは大出委員のお考えと私の申したいことがそんなに開きがないのではないかという感じがいたしますが、つまり二十年近いアメリカ努力一つ挫折に達したことは明らかでございますけれども、その間米国としては、善意に基づいて介入をしようとしておったことは、私はやはり認めなければならないと思うのであります。  それは、領土的野心といったような種類のものではなく、先ほどダレスドミノ理論お話がございましたが、ドミノ理論というのは、恐らくはただ軍事的な物の考え方ではありませんで、つまり当時、共産主義一枚岩であると考えられておった時代に、共産主義のいわゆる浸潤というのでございましょうか、インフィルトレーションによって地方の人々が、ダレス流考えによりますれば、自由が奪われ、いわゆる奴隷化されるということは決して幸福なことではない、したがって、これに対して自由と民主主義をかざしてその浸潤を防がなければならない、しかし、これに失敗すると次々浸潤が先へ進んでいくというのが、ドミノ理論思想的な面であったと思うのであります。  そういう善意に出たということは、私はやはり認めてやらなければならないと思いますし、わが国憲法上許される限りの協力をしようとしたのも、そのような意図であったというふうに思いますが、しかし当時から、そのような思想信条の問題について言うことは、よけいなおせっかいであるという批判もあったわけであります。結果としては、善意ではありましたが、その意図挫折をするに至った、これは非常に苦い反省であると思います。恐らくアメリカとしては、それについての一つの大きな反省をしておるでありましょう。  あのときフランス考えておりましたことは、恐らくそういう信条思想に基づくダレスの物の考え方はわからないわけではないけれども現実には、それはそのときその土地によって受け入れられる環境とそうではない環境がしょせんあって、むなしいことではないかというふうに考えておったのではないかと思いますが、そういう見方が結果としては当たっておったということになりましょうか。アメリカとしては、そういう意味でのむなしさを感じておるということであろうと存じます。
  11. 大出俊

    大出委員 フランスの場合は、一九六四年でありますけれども、一九六四年にいち早く他国に先駆けてフランス中国承認をしたわけですね。キッシンジャー外交という時代になりまして、米中の接近という問題が出てきたわけでありますが、これは好むと好まざるとにかかわらず、日本外交方針もここで大きく転換をしたわけですね。そこで田中内閣ができ、三木さんを一枚加えて日中国交回復に進んでいったわけですね。そして台湾、韓国の問題が大きく出てきているわけであります。つまり当時のインドシナについてのフランスの物の考え方と一九六四年の中国承認という考え方は軌を一にするところが、当時フランス側にあったと私は思うのです。  だから、歴史を振り返って、いま生きているわれわれが考えれば、やはりフランスの側に非常に大きな先見性があって、アメリカの側に——つまり民族運動というもののとらえ方の面で、いま宮澤さんが言うことは半ばわかるにしても、いま考えれば、これは非常に大変な血を流したわけなんですから、これはもう極端なことを申し上げれば、ロン・ノル政権カンボジアと、それからいまのサイゴン政権あるいは解放戦線の側のベトナムと、さらにラオスなどを比べてみると、アメリカ介入をしなかったラオスというのは、民族運動ではありましたけれども、やはり同じ民族ですから、そこで一つのけじめがついている。平和な建設の方向に進んでいっていると思っていいと思うのです。そうするといみじくも、介入した二つの国がまさに血みどろの惨状を呈しながら今日に至ってしまったという、つまり介入すべき筋合いのものではなかったという私は一つ結論が出ている気がする。その国の国家体制をどうするかということは、その国の国民の自由な選択ですから。  私はよく、市ヶ谷の防衛庁皆さん幹部学校に、社会党の外交防衛方針を説明に来いというので参りますけれども、制服の方々が私に意見を述べる。日本という国の国家体制選択は、国民民主主義に基づく原則による、だが、その上に立って社会主義体制ができたとしても、自衛隊というものの存在はという論理展開をなさる方がある。みごとなことをおっしゃる。感心したこともありますが、同じ意味で、やはり私は、振り返っていまわれわれが考えなければならないのは、じゃ一体これからこの大きな試練、経験の上に立って、外務省日本外交方針というのはどうあるべきなんだということですね。  片方に安保条約もあり、後から承りますけれども核防条約、いろいろなことがあるわけですけれども皆さんの党の中もわれわれの側も、一体この辺でどう考えていくのかという基本的なものがないと——まあ悪口を言えば、アメリカ一辺倒外交ということでやってきたということにならざるを得ぬ、そういう見方をせざるを得ぬ今日的状況なわけですから、ここでしからば、日本自主性というのはどうなるのだということですね。  皆さんの方で、二日の晩にいろいろ御相談になったようでありますけれども、まあこれは検討の初期の段階でしょうが、そこらのところは一体どうお考えなのか、具体的な問題ではありませんが、当面の問題ですから承っておきたい。
  12. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 わが国の場合と例をお引きになって御対比があったわけですが、これはもう大出委員には、かえってくどいことを申し上げることになるかもしれませんが、そうでありましたらお許しをいただきたいと思います。  わが国の場合、私どもは、やはり自由主義、そうして自由経済、デモクラシーというものが一番わが国国民が望むところであるというふうに考えておりますけれども、しかし、そのような私ども政権というものが、あるいは場合によって民意によって交代をすることがあるかもしれない、それをもちろん私どもは望みませんけれども。しかし、そういう場合であっても、それは憲法に基づく、民主主義に基づいてそのような交代があるわけであって、それ以外の暴力とか革命とかによる政権交代は、これは私ども断じて許すことはできませんし、大出委員のお立場も同じであろうと思うのでございます。  わが国は、したがってそれだけの基盤があるというふうに考えるわけでございますが、同じようなことがインドシナ半島において妥当するかどうかと言えば、それは批判がましいことを申すわけではありませんが、必ずしもそうは申せないかもしれない。そこを、アメリカとしては見誤ったと申しますか、あるいは理想が先に走ったと申しますか、いずれにしても現実としてはそういうことになったわけであろうと思います。  したがって、そのような理想挫折をしたわけでありますが、わが国としては、追随をするというつもりではなくて、わが国がやはり同じような理想、信念を持っておりますから、それで憲法の許す範囲協力をしたというふうに私ども考えておるわけです。  さて、現時点に立ってどう考えるかということでございますが、そのような高い理想を掲げた努力挫折をしようとしている。それは、やはり一つの長い教訓であったということは、もう確かでございますから、その上に立って次のことを考えなければならないと思います。  しかし、ただいまの段階では、あれだけたくさんの難民が出てまいりました。それについて、もう政権とかイデオロギーというようなことを離れて、さしずめわれわれが何をしなければならないか、何ができるかということに当面考えを集中していきたいと思っております。
  13. 大出俊

    大出委員 そこに移る前に、もう一、二点承りたいのです。  それはアメリカは事実上再介入ができない。だから、悪い意味で言えば、ベトナム放棄という決着をつけざるを得ないだろうという気が私はとりあえずするのであります。そこでアメリカ議会の側が、ベトナムにしても、あるいはカンボジアにしても援助を認めない、あるいは削減をするという非常に強い姿勢を示しているというのは、背景にアメリカ世論があるからだと思うのです。このアメリカ世論の中心というのは一体何なんだ。宮澤さんがさっきおっしゃったそれなり善意があったにしても、民主主義を守る、こういう発言もありましたが、ベトナムにおける民主主義を守るにしても、膨大な経済援助あるいは軍事援助をやってきたわけですけれども相手方が真に民主主義を打ち立てるという姿勢、資格に欠ける相手であれば、これはアメリカ国民にとってみれば、五万何千人の青年の血を流しておるわけですから、つまり相手方経済援助軍事援助を与える政府である、逆に言えばアメリカから軍事援助経済援助をもらう政府である、そして早い話が、これは言葉が悪いけれども戦争をするという、極端に言えば経済援助軍事援助をもらって戦争をする戦争屋にいつまで援助をしたところで、政府が言っているような安定という状態は生まれてこないのではないか、結局そういう世論が、アメリカ国内に非常に強くなっていたんじゃないかと思うのです。われわれとは違った感覚があったんじゃないかと思う。だから、議会の側があれだけ厳しく反対をする。  今回の中部高原の状況その他をながめてみても、アメリカベトナムに対して議会筋を含めて援助を打ち切るとかあるいは減らすとか、いわば見限られたという印象というものが一つ大きく響いているように見えますけれども、そこに至る過程のアメリカ側の物の脅え方、ここらは宮澤さん、十日ですか、アメリカにおいでになるかどうか知らぬけれども、やはり日本側で物事をきちっと考えておいでになるのでないと、私は、ここまで来ると、なおかつ誤りが出てくる、対国民という意味の責任というものが出てくる、こういう気がするので、こういう問題を提起するんですけれども、そこらに触れて外務省側は、一体アメリカ側の今回の対応をどういうふうにごらんになっているのか。かつまた十日においでになるというのは、宮澤さんの方が参りますという話なのか、来いという話なのか。国会の審議に支障がない限りおいでになるというようなことを、新聞記事でひょっと見ましたが、それは一体何を目的に行くのか。ただ単に行って聞いてくるなら、一体アメリカさんはどうするんですか、日本はどうしたらいいんですかとお聞きになるんなら、これは意味がない。  よしんばそうであったにしても、日本外交政策というものは、先ほど冒頭にお話しいただきましたが、そこら辺にのっとってこれからどう考えるのか、ただ単に難民の問題もあるから、そこに集中するというのでおいでになるというんじゃ、私、これは意味がないと思うので、そこらは一体どういうふうに受けとめて、アメリカ側考え方を今日、外務省検討なさったのかという点を承っておきたい。
  14. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 いまの段階におきまして、カンボジアの事態とベトナムの事態とは必ずしも同じ問題の段階にあるというふうにはちょっと考えにくうございまして、先ほど大出委員が、アメリカベトナムを結局放棄するであろうと言われましたけれどもサイゴン政権というものは、現在とにかくりっぱに機能しておるわけであって、しかもサイゴンあるいはデルタ地帯には非常に多くの住民がおるわけでございますので、その秩序を維持するという義務も、サイゴン政権は現在まだ負っておるということでございますので、その点、政府首脳が外遊いたしましたカンボジア政権と同じ質の段階にあると見るわけには私はいかないであろうと思います。したがって、ベトナムの場合には、まだまだこれから帰趨がどうなるか予断を許さないのではないかというふうに考えております。  いずれにしても、しかし今後、わが国インドシナ半島に対してどのように対処するかということは、わが国独自の立場で決めるべきものでございます。むろんそのときに、アメリカ側考えは十分参考にいたしますし、日米の緊密な間柄でございますから、できる限りの協力といいますか、調整と言う方がいいのだと思いますが、いたすべきだと思いますが、わが国にはわが国考えがあってでなければならないということは、私もそのように思っております。  それから、そのことと今度私が訪米をするということとは、実はたまたま私が訪米をするという時期になりまして、かなり急速にこのような問題が展開をしてまいったので、これを予測しておったわけではございません。事の起こりは、三木内閣が発足いたしまして間もなく、いろいろな方法を通じてキッシンジャー国務長官から一度話をしておきたいという話がございました。ことに、このごろは外務大臣がいわゆる多国間会議で顔を合わせることがしばしばでございますが、その前に二人でいろいろ話をしておきたい、こういうことでありまして、私もそれは原則的に異存はなかったわけでございますけれども、まず国内の問題を優先さしたいという気持ちがあり、国会の御審議もございましたということで、たまたま、もし国会の御審議が事実上しばらくの間休まれるということであれば、その機会を利用してもいいと考えまして、先方からぜひそうしてほしいということもありましたので参ることになりました。  したがって、この問題についてのアメリカの見解を聞こうというようなことが目的であったわけではございません。しかし、おのずからこういうような問題がどうしても会談の中心の議題になることは予測をいたし、わが国としてはわが国立場というものをひとつやはりしっかりしておきまして、それを述べる、そうしてアメリカ立場も聞きまして、コーディネートできるところはコーディネートする、そういうふうにやっていきたいと思っております。
  15. 大出俊

    大出委員 日本独自の判断で今後のインドシナに対する対処の仕方を決めていくのは当然だ、こういう前提でお話になりましたが、私もそこは賛成でございます。  そこで、アメリカに行って、前からの計画だったのでございましょうけれども、当面これだけの差し迫った事態が起こっておれば、いまお話にございましたが、当然これは議題の主要テーマでなければならぬ、これもお認めのようでございます。だとすれば、外務省としては、そこに臨む宮澤さんの日本立場というものをあらかじめ検討をし、携えていくということにならなきゃ、これは私おかしいと思う。そこのところは一体、どういうふうにお考えなのか承りたい。
  16. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 まずカンボジアでございますけれども、基本的には、昨年秋の国連総会の決議にもございますように、いわゆる第三者的な会議を排して、カンボジア人による解決を図るしかないというのが基本でございます。わが国は、そういう立場から、カンボジア政府の要請に応じましてこの数週間事態の収拾について所見を申し述べてまいったわけでございます。これから先の推移がちょっとわかりにくうございますけれども、しかし大勢的にはかえってよく見えると申しますか、そういう方向で処理をされるであろうと見ておりますし、また、それがいいのだと考えております。  ベトナムにつきましては、結局この推移はもっと見通しにくうございますけれども、しかししょせん、戦争によって物を決めるということではなくて、何かの形での話し合い、結局精神としては、私はパリ協定の精神になると思います。あそこに書いてあることが、いまの段階でそのとおり一つ一つステップとしてできるかどうかは別にいたしまして、やはりああいう精神に沿った解決しかあり得ないのではなかろうか。第三国が軍事的なこれ以上の支援をプラスに、つまり、あそこに定められたものを超える支援をするということは、これは問題外でございますから、そういうことを差し控える。そうしてあのパリ協定の精神が実現されるように、協定の会議に参加いたしました各国は、やはりそのための努力をすべきである。わが国は協定当事者ではございませんけれども、しかし、その精神に沿ったわが国としてできることがあればやる、こういうことが基本でなければならないと思います。
  17. 大出俊

    大出委員 承ろうと思っておったのですが、この一九七三年一月二十七日にパリで署名をされて、一月二十七日に効力発生をしたということになる「ヴィエトナムにおける戦争の終結及び平和の回復に関する協定及び附属議定書」つまりパリ協定ですね。これは比較的長いものでありますけれども、私は、今日アメリカの側が捨てたくてもパリ協定というこの筋道を捨てられなくなっている、ここまでくればなおのこと、もうパリ協定を捨てるわけにいかない、何とかその筋で、いまおっしゃったように戦争によらざるまとめ方を考えざるを得ないというところが、いまの時点の恐らくアメリカ立場だろうという気がする。  これは日本の新聞で目にするものは、アメリカの通信組織から入ってくるものに違いないのですから、そういう意味では、どこまでが正当な判断かわかりませんけれども、恐らくそういう結果になるだろう。つまりパリ協定の趣旨を盾にとって——本来このパリ協定というのは、ぼくらが見れば、米軍の名誉ある撤退、つまりベトナムから何とか逃げたいという意思が一つアメリカ国内世論という関係で捕虜の交換なんというようなことで何とかそれを解決したい、後はベトナム人同士の現状固定化を考えたのだと思うのです、これはもう固定しなければ今日のような戦争になってしまうわけでありますから。だが、そのときのアメリカ意図のいかんにかかわらず、今日ここまでくれば、この協定を盾にして何らかの解決をここで図るという、そうでなければ、この問題の責任ある——これは責任あると言ったって、責任を負い切れぬところにきているように思いますけれどもアメリカの側としては責任ある収拾をしたいのでしょう。そう見なければならぬと思うのであります。  そうすると、さてそこで日本は、いまおっしゃるアメリカパリ協定がと言う、書いてあるのを読んでみて、まさに今日そのとおりだと言うその趣旨に従って、日本のできる協力努力をする、日本立場はここに落ちつく、そうとっていいわけですか。
  18. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 非常に大まかに申しますれば、私は、そういうことであると思います。
  19. 大出俊

    大出委員 そうすると、具体的な点を少し承りたいのですが、冒頭に私が承った、ベトナムに国交回復をしたわけですから、北側に在外公館を置かなければならぬ。すると恐らく、アメリカは国交がないわけですから、日本の公館が向こうにすでに一日に存在をすれば、それなりに一番手近な話し合いの場所ができる、こういうことになる。そうすると、恐らく皆さん考え方からすれば、そこらをなるべく早く、さっき準備の方を二名というお話でしたが、何とかそこに話し合いの場ができるような、日本側で側面的な努力ができるような在外公館を設置する、そこから日本アメリカとの関係における側面的な協力が始まる、ここらあたりが具体的な中身なんですか、いろいろございますか。
  20. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 第三国での接触も全く不可能なわけでございませんけれども、やはり何と言っても、直接にわが国の在外施設を置くということが、会話の道を開くゆえんであるというふうに考えております。
  21. 大出俊

    大出委員 そこで、わが国の南ベトナムに対する援助、無償援助七十億でございましたか、そこらもお答えいただきたいのですが、これは、かつて調査団、使節団みたいな形のものを派遣されたわけですね。橋であるとか道路であるとか、ずいぶんいろいろ当時、皆さん検討なさったようであります。だが、これは日本から無償で金を出すとすれば、国民の税金でございますから、このあたりも根本的に変わってこなければならぬ筋合いです。そうでなければ、日本政府国民に責任を負えなくなる、こういう気がするのです。三分の二を失うという状態になっているわけでありますから。恐らくダナンだとかクイニョンあたりもあるのかもしれませんけれども、方々にそういう計画が存在をして、さて七十億ばかりを無償援助しよう、こうなっていたわけでありますから、これは本当ならば、もう援助をしちゃっていたはずじゃないかと私は思うんですけれども、幸か不幸かそれがずれていたとすれば、そこらのことはこれから先、一体どうなるのか、具体的な問題でございますが、いかがでございますか。
  22. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 従来、経済復興、再建ということで幾つかのプロジェクト、まあたとえ話でございますけれども、この段階になりまして、すぐ落とされる橋をかけてみましたところで、あるいは爆破される発電所をつくってみましたところで、当面の問題といたしまして、果たしてどうなるであろうか。ですから、経済再建というプロジェクトを幾つか考えてきたことから、事態はやや逆転いたしまして、当面、難民救助ということに重点を置かざるを得ない。まあ南ベトナムといまほぼ話がまとまりました件も、肥料などが相当大きな部分でございますので、そういうものは何かの形で有効に使われるであろうと思いますが、おっしゃいますように、従来のような経済再建ということでのプロジェクトを幾つか考えていくということは、もう少し様子を見ませんと、現状に妥当しなくなる心配がございます。もしそういうものがあるとすれば、やはり病院でございますとかいうようなことは考え得ると存じますけれども、自然、難民救済ということに重点がかかってくると考えております。
  23. 大出俊

    大出委員 そうすると、七十億と言っているものがどうなるわけですか、これは、たしか七十億だったと思いますが。この七十億というものの根拠があるわけですからね。当時調べてこられて、どこへ何を、どこへ何をというのを計算されて積算をした七十億でしたね。そうすると、この積算の根拠が根本的に変わった。いまから日本の企業その他が出かけていって、難民のためのうちを建てると言ったって、とてもそんなことできる筋合いのものじゃない、これはパリ協定に基づく現状固定化というのが前提になっているわけですから。テントでも張るぐらいしか、大げさに難民救済と言ったってやりようがないわけですからね、なだれを打っているわけですから。だから、そこらのところ、いまのお話ちょっとわからぬのですけれども、積算の根拠があってこそ国内の、つまり国民一般が負担するわけですから、納得ができる、説得ができるわけでありますけれども、根本的に変わってしまったところに、何か応分の、とりあえずの措置をやると言ったて、これはどうも、そうですかと言いにくいわけです。そこらのところは、前の積算の中身からいくと、どういうふうになってくるわけですか。
  24. 高島益郎

    高島政府委員 七十億円は、昭和四十九年度の予算でお認めいただいた南越に対する無償経済協力の予算でございます。これにつきましては、わが方から使節団を派遣いたしまして、どういうものが必要か、どういうものが援助できるかということをしさいに検討いたしまして、三月末現在におきまして大体の腹案はできまして、近く署名に至る運びになっていたわけでございますけれども、最近におきます非常な事態の急進展、こういったものを考慮に入れまして、この内容についてやはり再検討しなければいけない。特に日本といたしましては、大量に発生いたしました難民に対する緊急の援助を考慮に入れた新しい七十億円の無償援助の内容にしなければいかぬということで、先方にその意思を伝えまして、先方もその点は十分理解いたしまして、いま相互に再検討段階にございますので、その結果、話がまとまりますれば、改めて無償協力をするという運びになっております。
  25. 大出俊

    大出委員 宮澤さんは、先ほど見通しがつけにくい、つまりチュー政権というのは、なおかつ相当存在をするだろうという前提のようですね、話は。だが、これはどうなるのかということについての予測は、私はちょっと現時点ではできないのではないかという気がする。パリ協定には第三勢力まであるわけですけれども、これがどう動くのか、一体だれが責任者なのか、果たしていまの政府の形なのか、そこまで実は疑問符を打たなければならぬ情勢だという気がする。  もちろん難民を救済するというのは、イデオロギーを離れ、あるいはいろいろな理届を抜いた次元の問題には違いないが、かといって、いやしくも国民の税金ですから、予算に組まれたものと言ったって、予算に組んだときと前提が全然変わったのだから、しかもこれは四十九年度なんですから、この辺は根本的に時期と先の見通しをよほど的確につかんだ上でなければ−宮澤さんがさっき理想としてとおっしゃるような、そうなれば血が流れないことですから、当面の問題として一番ベターでしょうけれどもパリ協定に基づいて何らかの形の話し合いがつく、サイゴン政権も何らかの形で存続をするというならば、これはまた緊急なということに変わった方法が出てくるだろうと思うのでありますが、そこがどうもはっきりせぬ形のままで、いまアジア局長お話のような形で動き始めることは、いささか私は疑問なんですけれども、そこら辺は一体どう考えていますか。
  26. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 南越の情勢が非常に微妙でございますので、私が先ほど申し上げましたのは、しょせんアメリカは、ベトナム放棄するであろうという前提で大出委員が仰せられましたので、その点は、私どもはまだ流動的だ、むしろこう申し上げたわけでございます。ですから、非常に微妙な情勢でございまして、私ども実際わかりませんし、それについてかれこれ申すべきでないということであろうと思います。もちろん私ども、そういう経済協力あるいは経済援助をいたしますときに、先方に十分行政能力がありまして、その目的が達せられるということが前提でなければなりません。
  27. 大出俊

    大出委員 そこだけはっきりしておいていただきたいのです。というのは、かつて岸内閣のときにベトナム賠償があったわけですね。鶏三羽という議論があったわけですよ、当時。戦争している片方にだけ賠償を払ったって、私どもは奇妙なことだと当時解釈をしたわけでありますが、皆さんのほうは、それを強引におやりになったわけであります。  ここまで来て、さっき局長がおっしゃったような、形を変えて、これは旧来の行きがかりや人情があるから、しょうがないからやるんだということだけでは済まぬと私は思うのです。やはり行政能力が明確になければ、それもあすなくなるじゃ困るんで、要するに、ある意味の固定的現象が話し合われて、それなり日本国民の血税が有効に機能するというのでなければならぬ。  アメリカのある人が書いておりましたが、アメリカから金をもらって戦争屋を飼っているようなものだというわけですよ、極端な議論だけれども。そういうことができるかという、これはそれに似たような解釈になってしまう。果たして行った金が正当に機能しているのかどうかという非常に大きな疑問をアメリカ国民は持ってきたのだと思う。それに類する、形は小さいけれども、そのようになりかねない。だから、そこらのところは、そう軽々に動き出す筋合いのものではないという気が私はするわけであります。これは念を押しておきたいと思います。  ところで、この席で余り言いたくはないのだけれども、実は私も、横浜で戦車闘争だなどということを飛鳥田と一緒にやりまして、これをまとめるのに、おたくの安保課長の松田さんが当時おいでになって、吉野さんは例の秘密電報の問題でパリに行ってしまっておいでにならぬ、アメリカ局長さんは空席だ、橘さんが代理をやっているというわけでしたが、それこそずいぶん橘さんや松田さんと私が苦労をし抜いて、けが人だの死んだ人が出たということになると、政府なりあるいは行政なりの両方の責任になりますから、何とかしなければならぬ、だがしかし、基地の町でございますから、それだけに市民あるいは県民が考えている方向に持っていきたいという意思が反面はある、そこらをどういうふうにまとめれば全体が落ちつくかということで、実は大変に苦労したわけです、御存じの方もあると思うのでありますが。それで、日曜日閉まっている外務省の上まで上がっていったこともある。だからどうも、いまになると何ともそのむなしさを感ずるわけであります。  そこで二、三点、具体的なことを聞きたいのでありますけれども、極東の範囲というのは——俗称ヤンキーステーションに、緊急発進をするということで横須賀から空母が六隻出かけていった、そして何十人かの人間を置いていっちゃったというわけです。私は当時、条約局長なり外務大臣なり皆さんに、ベトナムというのは極東ですかという質問をした。そうしたら、私の質問のそこから先をお読みになって、大分考えておられたんですけれども、いや極東ではございませんが、すぐ続けて、すぐその隣でございますと皆さんは答えた。しかし極東の解釈というのは明確であって、岸内閣のときでありますが、フィリピン以北日本の周辺になっているはずであります。露領沿海州は含まない、台湾、韓国の周辺は含む、こうなっているわけです。すぐ隣ですということで拡大解釈をなさった。かくてB52が沖繩から発進をするというところまで進んでいってしまった。  だから私は、ここから先の、いまの点も承りたいのだが、日本外交自主性として——安保条約が存在をする、日米間が皆さんを中心にして大変近い間柄にあることは認める。それは現実ですから。だがそれにもかかわらず、やはり是々非々というものは、日本国民というものを前提として、国内世論というものを前提にしてはっきりした立場をおとりいただかぬと、極東の範囲というものは極東の範囲として解釈は厳存する、厳格に守る、こうでなければならぬと私は思うわけでありますが、そこらのところは大臣、これは政治的な判断でございますから局長さんに聞いてもしようがない。先ほど来おっしゃっている、それなりアメリカ善意は認めるとしても、大変苦いかつ厳しい現状に対する反省をしなければならぬ、お互いにそういう立場がある。もちろん政治の一方を受け持っている私どもにもなければならぬわけでありますが……。  そういう意味からすると、いま一番大事なことは、アメリカとの関係というものを是々非々でとらえて、対国民という意味で、国民に責任を持つという意味で、極東の範囲なら範囲というものは、やはり厳格に日本側が守る姿勢を貫くということがあっていいのではないかという気がするわけでありますが、そこらのところはいかがでございますか。
  28. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 安保条約の目的がもともと自衛のためでありますし、わが国の安全及び極東の平和と安定ということを念願としておるわけでございますから、今日のように航空機のスピードであるとか、あるいは艦船の発達であるとかいうことを考えますと、極東の平和と安定を念願すると言いましても、その目的を達しますために、いろいろな行動がその地理的な範囲の外に出るということ、これはあり得ることでございます。ただ、その場合の目的は、あくまで自衛であり、極東の平和と安定ということでなければならない、そういうことで従来政府はこの安保条約の運用をいたしてまいったと思います。  そういう意味では、わが国立場からの是々非々ということは貫いてまいったつもりでありまして、極端に申しましたならば、もしアメリカとして、わが国にございます基地を、この条約を離れてもっと勝手に利用をできましたら非常に便利であろうと考えた人たちが、あるいはおったかもしれませんけれども、そういうことはわれわれとしては条約上許すことができませんし、また許しもいたさなかった、従来そのように運営してまいってきたつもりでございます。
  29. 大出俊

    大出委員 もう少したださぬと、この問題の結論は出ないと思うのです、長い論争でありますが。日米間の安保条約というものをもっと拡大解釈ができればという、それはアメリカ側にそういう意思のあったことは事実でしょう。だが、国内世論がそれを許さぬという大きな動きのあったことも事実です。そこらが実は、ベトナム戦争を中心にして皆さんと私ども立場の大きな違いで今日まで来ているわけです。  だから大体この辺で、いますぐと申し上げているのじゃないのだけれども安保条約全体を見直して、日本が自主的な立場を失うというふうなことになりかねないものは整理していく必要があると実は私は思っている。これは後で、官房長官がお見えになったら、沖繩問題なんかも承っておきたいのでありますけれども、私も長らくこちらの方をやっておりますから、申し上げることもたくさんあるのでありますけれども、きょうはこういう選挙のさなかの委員会でございまして、内閣委員会だけやっているというわけでありますから、余り長い時間もこれはかけられません。これだけ藤尾委員長の顔を立てれば、言うことはないと思うのですけれどもね。  そこで問題は、宮澤さんが先ほど来いろいろおっしゃっておられますけれども、現状ここまで来たものですから、なかなか物を言いにくい点も実はあるわけでありましてね。新聞の論調なんかも、最近は大分変わってきていますから。だから私は、遠からずということにしておきますけれども、遠からず、もっとはっきりした立場日本がとらざるを得ないし、とるべきだ、こう私は思っているんですけれどもね。  なぜこういうことを言うかというと、日本ぐらい、一つ外交問題をとらえた姿勢として与野党の間に極端な開きのある国も、恐らく珍しいだろうと私は思う。なぜそんなに開いてしまうかというと、安保条約というのがあって、とかくアメリカの意思というのが前面に出てしまう。現にあなたの方は、いまのような微妙な答弁をなさいましたがね。もっと簡単に安保条約を使えればというふうに考える人たちもあったはずだとおっしゃったけれども、いままで政府がとってきた姿勢の中に、SR71だってそうなんですけれども、われわれからすると、とかくどうもアメリカの側に言われればということになってしまって、日本外交方針という意味自主性というものが前面に出ない。戦車のときもそうであります。だから、それではこれは幾ら、与野党の間に一つの一致点を求めようという努力をなさっても、われわれの側も協力のしようがない。だから、そこのところを根本的に考えてみる必要がありはせぬかという気が、私は立場を異にするけれども、するわけですよ。  そこらは宮澤さんだから、私はこんなことを言うのだけれども、また初めての宮澤さんの大臣で質問するのじゃないんですから、そういう時期にぼつぼつ来たのじゃないかという気がするので、そこらのところを、官房長官がお見えになりましたから、いまの問題の締めくくりとして、宮澤さん個人のでも構いませんし、そこらについての、将来を展望しての物の考え方をお聞かせいただきたいと思うのです。
  30. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 私どもは、日米安保条約というのは、わが国の国益にとって非常に大事なものと考えておるわけでございますが、たまたま、大出委員の言われますように、インドシナ半島に戦乱が起こりました過去長い年月の間、この条約の運用をめぐりまして与野党間に考えの違いが生まれ、そしてその結果、外交政策について私ども共通点がないかのごとき論争が行われたことは、そのとおりであったと思います。インドシナ半島の戦乱が、どのような形であれ終結をすることによりまして、そのようなかなり激しい論争というものがやみまして、そしてわが国の安全保障の体制について、もっともっと建設的な対話ができる、共通の基盤を見つけ得るということになりますれば、まことに私どもとしても幸せなことでございます。
  31. 大出俊

    大出委員 ベトナム戦争の今日的な現状を、先ほど来御意見を承りましたが、たまたま一方では、後ほど少し触れたいのでありますが、日中、日ソの関係などを踏まえましても、核防条約というのは、むしろアメリカの側でございましょうけれども日本の安全保障をめぐって、この辺で根本的にひとつ考えてみなければならぬという気が、私は長年この方を手がけているだけに、強くしているわけであります。  したがって、いま御意見を承っておいたわけでありますけれども、たまたまお忙しい中、井出官房長官にお見えいただきまして、時間を有効に使いたいので、ここで質問の主題を切りかえさせていただきたいと思います。  きょう実は、官房長官においでをいただきました趣旨は、現地から私のところに、沖繩担当を長くいたしておりました関係で、いまの実弾射撃問題をめぐる反対の立場にお立ちになる方々の中心的なメンバーから再三連絡をいただいておりまして、幸い参議院の側は、代表質問的なことになっていったわけでありますけれども、衆議院の側としては、そういう提案がありましたが、質問まで至らず、したがって、せめて官房長官に御出席でもいただいて、所管の委員会である内閣か沖特かどちらかで、政府を代表するという意味のお考えを聞いておいてもらいたいという強い御意見がございました。  けさほど理事会で、藤尾委員長のお骨折りもいただきまして、早急に、この当面の選挙が終わりました直後に、できれば十四日、開票日にでも立って、現地に委員会として行こうじゃないかということにまとまっているわけでありますが、そうでなくても私は、選挙直後に沖繩に参ろうと思っておったわけであります。大方の事情はわかっていますけれども、もう少し現地の諸君の話も聞きたいし、もし実弾射撃の過程で、これからなおかつやる、やらないというトラブルの中で、けがをする人が出る、死ぬ人が出るというようなことになったらえらいことになる、一つ間違ったら大変な政治問題になる。まして圧倒的に基地の部分の多い沖繩でありますから、したがって、できることならば、どこかで政治的に話し合いをしながら、対アメリカという問題も考えながら、一つの収拾を段階的にしなければならないであろうという気がするので、そういう意味お話を聞いておかないと現地の諸君と話をする接ぎ穂に困る、そういう点もありまして、実はお出かけをいただいたということなので、御了承いただきたいのであります。  そこで実は、最初に承っておきたいのですが、長官のおいでになるところで、防衛施設庁の久保さんの方で、この間の私の関連質問お答えになって、防衛施設庁としてどういうふうにすれば当面話し合いができるかという意味で、もう少し落として検討の結果を明らかにしたい、こういうお話がございました。したがって、それを最初に述べていただきたいのであります。その上で問題の核心について何点か承っておきたい、こういうことでありますが、いかがでございますか。
  32. 久保卓也

    ○久保政府委員 一〇四号線を越えない射撃は、現に従来から行われておりますので、できればそういうふうに切りかえられないだろうかということに重点を置きまして、われわれも若干は検討し、かつ私どもから横田の司令部へ、それから那覇の施設局から現地の米軍の方に申し入れをさしたわけであります。  現在のところ、米側との話では、一〇四号線を越えないで射撃をやります場合に、一番長くとれますのが南、東のポイントから着弾地に向けて発射しますと、大体四千メートルぐらいとれます。一〇四号線を越えました場合に六千メートルであります。ところで、片方一五五ミリりゅう弾砲の場合に射距離が一万八千メートル、一〇五ミリりゅう弾砲の場合が一万一千メートル、そこで、いまのところでは、四千メートルの射距離について、米側は余り好意を見せておらないという状況であります。  しかしながら、私どもとしましては、なるほど射距離が本来の距離に比べて大変短いにせよ、それに相当程度は代替し得るのではないかということで、もう一度押し返しており、かつ米側では、その点について検討いたしてみましょうということは、まだ継続いたしております。  片一方、今度は一〇四号線を越えないで、北の方の半分の中で射撃ができないかということを検討してみました。この点については、私ども検討も米側からの回答も実は同じであったのでありますが、一〇四号線を越えない北半分での射距離は、ほぼ六千メートルとれないではございません。しかしながら、方向を変換するということになりますと、着弾地のところに宜野座ダムがございます。着弾地付近にダムがありますと、着弾地がどうしても荒れて、ダムの水に影響があるのではなかろうかという問題があります。それから射方向の前方に県道の一〇八号線が通っており、かつまた近い将来に、沖繩縦貫道路が開通する見込みだそうでありまして、どうも北半分の方での射撃は、適当ではなかろうということになっております。  したがいまして、いまのところ、南の方で四千メートルの射撃回数をふやして、一〇四号線越えの射撃を相当程度代替し得るかどうかということについて、さらに米側に検討させておるということで、いまの段階では年間の回数はともかくとして、一〇四号線越えの射撃というのは、米側としてはやりたいという意思は、やはり私どもに表明をいたしております。
  33. 大出俊

    大出委員 そこで、官房長官に承りたいのですが、いま久保施設庁長官がお話しになっているように、米軍との交渉を始めておられる。私この間この席で、一〇四号線というのは、これは県道なんだから、それを、キャンプ・ハンセンそのものを提供した——沖繩国会のときに、実はそこまで論議に上せるべきだったといま思いますけれども、ただあのときは、特別措置に基づきまして、国道でないものは県道、こういうことでしたから、だからこの一〇四号というのは二つの道路をつなぐわけでして当然県道になる。建設省もそのような措置をおとりになったわけです。ところが片方、そっくり提供したという現実があるために、県道だから県民が通っていいわけでありますけれども、射撃と言えばそれはとめるというわけでありますから、これは大変に不合理な話であります。そんなものが国内に、これは場所的に北富士なんかの場合は別ですけれども、こういう場所に県道越えで県道をとめて実弾射撃をやるなどというところがあるわけじゃない。だから、もともとこれは不自然である。  したがって、まずここでやらなければならないのは、県道をとめるなどということのないような、つまり県道は、あくまでも県道として機能するようにする。県道なんですから早い話、そこは外す。本当ならば、そういう措置をとらなければ、国内法優先の原則というのは、例の戦車問題のときに私はここで承って、各大臣が皆さんお認めになったのですから、国内法にも照らしてみて、こういう不自然なことがあり得べきでないという、三木さんにもおなりになったいまの政府ですから、まずそういう前提に立っていただけぬかという気が私はする。  そして、もう一つの問題は、これは発射地点の場合にも着弾地の場合にも、それぞれきわめて近くに学校その他の集落があるわけであります。恩納村などの場合には、千三百メートルぐらいしか離れていない。金武の場合であっても千六百メートル。それから千百メートルぐらいのところの地点もある。発射地点から五百メートルぐらいのところに、これまた学校が存在する。こういう状態なんです。だから私は、基本的にはアメリカ側に、小中学校がたくさん密集している、こういうところで実弾演習をさせること自体にまず問題があると私は思う。だから、そこらのところを政府としてアメリカ側に物を言って、刑特法を適用するとかなんとかいうのが前に出るのじゃなしに、この不自然な、かつ危険を伴う状態をどうすれば解消できるかという政府としての、やはりアメリカに対する三木内閣としてのまず姿勢が欲しいというふうに私は思う。  そこらのところを官房長官にひとつ、各省にまたがりますから、建設省あるいは施設庁、外務省というようなことですから、その辺を一体どういうふうにお考えになるのか。まして沖繩県議会が、皆さんの党を含めて、ヘリを使ったことなども介在をいたしましたが、二回にわたる決議もやっておるわけでありますから、そこらを踏まえて、一体どういうふうに官房長官お考えなのか、きちっと聞いておきたいのですが、いかがでございましょうか。
  34. 井出一太郎

    ○井出国務大臣 前回、大出さんから私に出席するようにという際、差し支えまして、いまごろに相なったことをまずおわび申し上げます。  そこで、外務大臣その他出られまして、それぞれお答えがあったと思うのですが、その脈絡を私まだつまびらかにいたしませんが、いまおっしゃるキャンプ・ハンセンの問題は、地元からも私のところへは書面などが来ております。そこで、理屈を言うのもいかがかと思いますが、まあ安保条約なり地位協定なりから申しますれば、これは日本がこれを提供するということは当然のことだと思いますが、しかし、その中に県道が横断しておって非常な危険がある、このことは、ほかに余り前例がないように大出さんおっしゃいますが、そういう現実の問題とどのように調整をするかということだろうと思うのであります。  いま施設庁の方からお答えになったのを聞いておりますと、その間、鋭意何とかいま折衝過程であって、うまい解決策がその中から見出されれば結構でありますが、そうなかなか簡単でもなさそうでございます。したがって、たとえばその県道にかわるべき何らか迂回路みたいなものでも、あるいはできる可能性があるかどうか、その辺まだ私も現地に当たってつまびらかにしてはおらぬのでございますが、まずそういった当面を収拾する話し合いというものが生まれれば、これは一番結構なことだと思います。  そういうことで手を尽くしました上に、いまあなたがおっしゃるような基本的な問題にどうしても触れざるを得ないと思いますが、まず第一段階としては、施設庁にもう少し汗をたらしてやってみていただく、これを待った上でというふうに思うのでございます。
  35. 大出俊

    大出委員 お忙しい官房長官ですから、長い時間をここで使う気は毛頭ないのですが、やはり政府姿勢をきちっとしていただきませんと、現地のいろんな団体の受け取り方が違うのです。何か小手先でいじればそれでというふうなことになると、現地側の方もそんな小手先じゃ——これは金武の学校の先生ども新聞に物を言っておりますけれども、実弾射撃を始めるというその騒ぎでヘリコプターが飛んだ、たまたま試験の日であった、それは何とも子供たちがかわいそうで見ていられぬということが沖繩タイムスなんかに書いてありました。もうすぐ目の先なんですからね。だからこれは、一般論として非常に非常識なんですね、実はこういうところで実弾射撃をやること自体が。いま基本的にはそこに触れるとおっしゃいましたから、そこに触れて物をお考えになるという前提が一つある。  そこで、その前にどこまでのことがやれるかという努力をするならする。その間は当然、皆さんの方の話し合いが進めば現地の方とも話をしなければならぬわけでしょう。だから、そこらのところをひとつきちっと整理をしていただいて、基本的にはこういうところで演習が行われるということは好ましくないならないと、政府としてそう考える、だが、今日までの復帰特別措置というようなものをめぐっての経緯の上に立って、第一段階としてどこまでのことがやれるか、危険を少なくする、あるいは問題を小さくするという意味で、最終的にはこうなんだがという、そういう姿勢がやはりないと、現地の方で話のしようがない。  これは、だれが考えたって、発射地点から五百メーターのところに学校を中心に集落があったり、着弾地点から千百だの千三百だというところに小学校、中学校があったり、そういう状況の中で実弾射撃が行われること自体が、一般的には普通の常識では考えられない。まして復帰してきて、国内法全部が適用されているわけでありますから、そういうことを直すという基本的な姿勢がまずあって、だが、事の経緯からいっていきなりそこに持っていけないとすれば、施設庁なら施設庁に政府としてこういう方向でやってみてくれということにして、ただ単に施設庁がというのでなしに、政府の方針としてアメリカ側と折衝するならする、こういうふうにきちっとしていただかぬと、とにかく汗を流してやってみてくれ、その様子を見てまた政府考えるからと言うだけでは、せっかく沖繩県議会の満場一致の決議もあるわけでありますから事が前に進まない、こう思うわけであります。  その一番基本になるべき、こういうところで実弾射撃が今後とも行われていくことの不自然さというもの、危険の度合いというもの、住民が納得し得ないというもの、ここらをまずお認め願わぬと——だがしかし、復帰措置のときにキャンプ・ハンセンは提供したという現実がある。国道でないものは全部県道だということになっていたのだが、特別措置の関係、いろいろなことで結果的にああいうことになったというような前提をつまびらかにして、だからそれは、将来に向かって何とかそういうことが行われないようにする。そこで当面、米側と折衝さしていった段階でここまできたというような措置が、基本があって段階が終われりというのでないと、一遍に提供地を返還さしてしまえと言ったって、それは時間がかかることですから、そこらのところを、やはり現地に対して政府が責任ある姿勢で臨むという、これは私、大変大事なことだと思うのでございますが、いかがでございますか。
  36. 井出一太郎

    ○井出国務大臣 先ほども申し上げましたように、まず施設庁が当面、この具体的な問題を取り上げて、いまお示しのような、いろいろの問題があるわけでございますから、それを工夫の余地はないものか、どういうふうな具体的な方向でこれを解決し得るのか、恐らく大出さんは、そんな簡単なものではない、こうおっしゃると思いますが、政府としては一つの順序、段階がございますから、そういうことでこれは当面をただ糊塗すればそれで足るというものでなく、ひとつしっかりそれをやってほしい、こういうこととを政府側の態度としては申し上げられると思うのでございます。  それから事は、外務大臣もいらっしゃいますが、あるいは防衛庁にも関係をいたしますので、そういう点は、さらによく私も入ってお話し合いをして——これは簡単に押し返せるものでもなさそうな点もございますよ。そういうあたり、ひとつこの問題を、ただこの急場だけしのいで事を足りるというものでもなさそうでございますから、そういうあたりをひとつ検討させていただきたい、こう思っております。
  37. 大出俊

    大出委員 どうですか、せっかく藤尾委員長委員会として行こうということにけさほど理事会で踏み切っていただきましたし、もちろんこれは時間のかかることは承知でございますが、また井出官房長官もおっしゃっておられるように、確かにそう簡単なことでもなさそうでありますが、問題はここまできているわけでありまして、時間がそういう意味ではかかる、こうなると思うのでありますが、そこで一つ問題は、その間、つまり施設庁が米側といろいろ相談をされているが、その間、現地は一体どうするのかという、つまり現状凍結をしておいていただいて、精力的に話を進めるということが私は正しいと思うのです。それがまたここで、実弾射撃をやらせろ云々のと米側の威勢のいい——というのは、言葉が残りますから改めますけれども、その衝にある軍人の方々の御発言が現地の新聞等にいろいろ載っております、何でもかんでもやるんだと、これをやらなければ、この地域にキャンプ・ハンセンなんというものを提供さしている意味がない、大変激しい態度が出てきているわけであります。それにもかかわらず、私はやはり精力的に話し合いを進めるという意味で、現状凍結ということに現地はしておくべきだと思っておるのですけれども、そこのところいかがでございましょう。
  38. 井出一太郎

    ○井出国務大臣 いま大出さんは、この際現状凍結という表現を用いられましたが、その辺、それがはっきりできれば一番いいのですけれども、しかし相手方もあることですから、微妙な点もあろうかと思いますので、現在はともかく取りやめていてくれるようですから、そういう状況を踏まえまして、片や一生懸命交渉するんだ、その姿勢というものは相手方にも映るのではないかというような形で、ここのところしばらくひとつ、決して逃げ口上でなく、施設庁を中心にやることを見守っていただきたい、こう思っております。
  39. 大出俊

    大出委員 現状凍結ということの私の質問に応諾をするというのは、まさに現状大変むずかしいということだと思うのでありますが、ただ、まあ一生懸命解決のためにやっていこう、そういう御意思だということなので——私は実は、立川の問題でも佐藤総理にお出かけをいただいて、物をまとめるきわどい質問をして、佐藤総理もそこをお考えになって答えられて、あの大変な紛争を一段階ストップして話し合いをする、こういうことになったわけであります。そういう経験もありますが、問題は、議会が、県議会が、自治体の議会が物を決めたという場合に、立川なんかもそうでありますが、それは尊重するというのが、佐藤総理もそうでございましたが、今日まで一貫した政府姿勢なんですね。たまたま、いろいろな立場が違うからいたし方ないのでありますが、議会が揺れてきまして、一遍決めたものをまたひっくり返したりいろいろなことがありまして、議会情勢が変わったからということで皆さんが手をお打ちになる場合はありました。ありましたが、先般、沖繩議会がお決めになったこと、それはいまひっくり返っていないのです。  それは確かに、米軍のヘリコプターを機動隊が使ったなんというようなことが大きな刺激になって決議をしようと言ったら、皆さん関係の党の方々が現地で時間をくれと言って、時間をかけて御相談をいただいて、いずれにせよここまで来たが、このことはぐあいが悪い、だから同調せざるを得ぬということで意思表示をなさってまとまったわけですから、議会の側がいまそういう状態にあるのですから、それを私は御尊重いただきたいという気がするんですよ。そのことを相手方だって、沖繩の県議会のお決めになっていることなんですから、その意味では、県民の意思を代表していることになるわけでありますから、せめてそのくらいのところは、尊重していこうというその辺のことは——これはやはり、久保さんの方でいろいろやり合っておられるとすれば、微妙な段階でございましょうけれども、踏み込んで聞いて恐縮なんですけれども、県議会一つの決議というものなどをこれは十分踏まえていくという、そういうお気持ちはございませんですか。
  40. 井出一太郎

    ○井出国務大臣 まあそのあたり、明快に大出さんは御要求なさると思いますが、私自身もう少し現状を確かめなければならぬということもございますが、いまの県議会の意思は、これは、そういう事実があったことはそのとおりなんですから、これにもひとつ意を用いながらまいりたい、こう思います。
  41. 大出俊

    大出委員 ちょうど三十分ばかりになりましたので、ぜひひとつこれは——どもにしても、沖繩返還等のいろいろないきさつを踏まえまして、私もどうも二十何回も沖繩へ行ってしまいましたけれども、事情よくわかっておりますだけに、心配をいたします。したがって、議会の御決議をいただいている趣旨等を踏まえまして、何とかこれ以上の危険な状況を現出しないような——やってできないことはもちろんございますけれども努力をすべきではないかというふうに思っている段階でございまして、ぜひひとつ前向きで御努力をいただきますようにお願いをいたしておきたいと思うのであります。きょうは大変ありがとうございました。  時間の関係がございますので、以下論点をしぼりまして、大きな問題ではございますが、承っていきたいのでございます。  一つは、日中の間における平和友好条約でございますが、三木さんの施政方針の演説を聞いておりましたら、非常にはっきりその点にお触れになっておられるわけです。したがいまして、私は、まあ現状いまの時点で考えれば、皆さんはもう少し先の見通しをお持ちになっておって、その上に立ってこれは三木さんの施政方針演説の中で物をおっしゃっている、こう実はとらえていたわけであります。ところが、ここまできてなおかつ、覇権問題その他ございますけれども、見通しが立たないのではないかと思うのであります。  なぜこの問題に触れるかといいますと、基本的な問題もありますが、片や日韓の間における、昨年一月三十日でございましたか、調印をなさいました大陸だなの二つの協定、当時私、この委員会で質問いたしまして、いろいろな新聞社の方々が解説記事等をお書きになったりしたこともございましたが、この方も実は大変に問題があるものでございまして、私は恐らく、日中平和友好条約というものが進んできて、片や大陸だな問題が詰まっているのでありましょうけれども、表へ出てきて、両方出てくるという感じを持っていたのであります。あるいは核防問題もそのころには出てくる、こういうふうに考えていたのでありますが、どうも逆に大陸だな協定が先に出てくる、私どもからすれば好ましからぬものでありますけれども。片っ方の日中平和友好条約の方は、その後、私どもが耳にする限りは、どうも大変難航しているというふうに受け取れるのでありますが、そこらのところは今日、一体どういう見通しに立てばよろしいのでございましょうか。
  42. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 日中平和友好条約の話し合い、私も、もう少し進展をしそうなものだ、してもいいのだがなんという感じを持っておりますことは、仰せのとおりでございまして、かなりもう何度も双方で話し合いをしておるわけでございますが、問題は、いま御指摘の点をめぐりまして、いわば同じような議論を何度かいたしておる感じでございます。まあ私どもはどっちかというとせっかちの方でございますし、先様は必ずしもそうでないのかもしれませんので、このくらいのところで大変長くかかったと先様は思っておられないのかもしれません。ですから私どもは、仮に同じ話の繰り返しでありましても、やはり先様の満足のいかれるまでこちらの言うことを言う、向こうの言うことも聞くということをしばらく繰り返さなければ、どうも仕方がないのではないかなという感じを持っております。  確かに私も、あまり大きな問題では異論が出ないのではないかと考えておりましたし、現実にただいままでのところ、いまの問題以外はそうさして大きな問題は出ていないのでございますけれども、ちょっと時間がかかり過ぎるなという感じはいたしておるのでございます。先様にもひとつ急いでほしいということは何度か申しております。こちらは忍耐強く同じことでも何度でも会って話をしていくというふうにしなければならぬなというふうに考えております。
  43. 大出俊

    大出委員 ちょっといま大変重要なポイントをお述べになったのですが、そこを聞きたいのですが、実は建設省、警察庁の方お見えになっておりまして、さっき聞いておきたいことがございましたのですが、ちょっとタイミングを外したのですが、聞かせていただきたいのです。  警察庁、建設省の方に、これはむしろ私の方からお願いしたいと思って、実はお出かけいただいたのですが、せっかく各党の皆さんの御努力で現地にまで出かけていこうということであり、政府の官房長官以下の方々の方も、できる限りの努力をしようという姿勢になってきておられるわけでございまして、それだけに旧来、歴史的に見ていろいろ問題ございます刑特法問題を、ここから先あまり表に出して物をおっしゃられると非常にまずという気が私はするわけでございます。したがって、その方のことはしばらく、極端なことを言えぱたなに上げたままにしておいていただいて、問題は、この問題の根本解決的が必要でございますから、そのことを私はお願いをしておきたいと思ったわけでございます。  建設省の方の皆さんに、県道なるものは、これはあくまでも県道でございまして、県民の道路ということになるわけでありますから、やはりそれはそれなり——建設省この間、ここでお述べになったのを聞きますと、県道という処理、特別措置で国道でないのは県道なんだ、だから県道だという認定をして、これは県道です、こういう御回答でございました。それはキャンプ・ハンセンは提供したのだから、だけれどもという意見が片一方出ているわけでございますけれども、純粋に県道はあくまでも県道だ、一〇四というのは、二つの大きな道路をつないでいるわけでありますから。だから、回り道だ云々だというのは、これは別な話でありまして、政治的な解決のときに、あるいはそういうものがくっつくとしても、やはり建設省の姿勢としては、県道は県道ですという、突き詰めて言えば、この間そういう答弁なんですが、そこらを私はきちっとしておいていただきたいのです。  そうでありませんと、何かどうも、せっかく物をまとめようとしても——現地の主張というのは、県道を何でとめるのだという非常に大きな反感なんです。だから、いや建設省の方は、県道は県道ですよと言っている、そうでなければ困ると現地の方は言う。だから、そこらのところはきちっとそういう姿勢をとっていっていただきたい、こういうふうに思っているのでありますが、念のために、これは警察庁の皆さんと建設省の方々に承っておきたいのでありますが、現地に出かけていくというつもりでおりますので、いろいろ沖繩県議会で現地の責任者の方が答えておられますから、いろいろな問題に波及する問題でございますから、ちょっと聞いておきたい。
  44. 三井脩

    ○三井政府委員 問題が根本的に解決されることを、私たちももちろん望んでおるところでございます。また当面の問題として、各種法律がございますので、これの適用につきましては、われわれとしても事態に応じて適用するということでありますが、一番望ましいのは、刑特法適用の対象になるような行動がないということでありますと、私たちとしても一番望ましいということで、そのように現地の皆さん方が振る舞っていただくことをお願いいたしたいと思います。
  45. 加瀬正蔵

    ○加瀬説明員 さきに上原先生にこの委員会で御答弁申し上げたことと重複すると思いますが、沖繩県の土木部から私どもがいただいております報告によりますと、この路線は一九五三年に、当時の琉球政府の道路法によりまして政府道として認定されております。その後、沖繩の復帰に際しまして、沖繩の復帰に伴う建設省関係法令の適用の特別措置等に関する政令第八十七条の規定によりまして、この政府道が沖繩県道とみなされておりますものでございまして、私どもとしては、現在もそのように考えております。
  46. 大出俊

    大出委員 そこだけきちっと再質問をして再答弁をいただいておきたかったわけでありまして、それは私どもの分野でもございますから、こちら側も努力をするつもりでございますので、警察庁も建設省もぜひひとつそこらのところは十分な御配慮をいただきたい。このことをお願いいたしておきます。御出席いただきまして、どうもありがとうございました。  先ほどの覇権問題のところに戻らしていただきますが、これは、どうも少し物の考え方が甘過ぎたのではないかという気が私は痛切にしているのです。ということは、これはもう皆さんがよく御存じのとおりに、日中国交回復に当たって共同声明が出ているわけでありますが、この中ですでに明らかになっていた覇権という問題が出てきているわけでございましょう。特に最近明らかなのは、これは言うならば、憲法に類する人民大会で中国の新しい姿勢がございます。「第三世界は植民地主義、帝国主義、覇権主義とたたかう主力軍である。」こういう表現ですね。つまり帝国主義、植民地主義、覇権主義という三つの問題を並列いたしまして、それと戦う主力部隊、主力軍、それが第三世界だという言い方であります。だから覇権主義という概念を、この共同声明のときからすでに中国が確立をしていたと見ていいのだと私は思う。  だとすると、ほかに問題はないとおっしゃるけれども、実は唯一最大の問題が覇権主義というこの問題、ほかの国の覇権を許さないという問題だと私は思う。だから実は、覇権という問題は相手方にとっては根本的な問題、中心に据えられている問題。だから新聞を私どもが見た限りでは、覇権問題が出たときに、ある一定の期間過ぎていけば消えていくというようなニュアンスの報道を目にしたことがございますけれども、そういうものではないのではないかという気が実は私はいたしておる。そこらの御認識のほどはどうでございますか。
  47. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 中国側において、そういういわば政策決定がある。あるいは中国自身の、それは国家としての存立の一つの大切な要素であるとも言えるのかもしれません。で、日中共同声明の場合、わが国としても、もとよりこの地域にだれかが覇権を設定するということは、われわれとしても望ましくないことでございますから、願望としてそういうことがあってほしくないということは、これは両者ともその限りで一致いたしますわけで、したがいまして、ああいう共同声明が出たというふうに理解をいたしております。  ただこれを、今度は条約という形に持ち込むということになりますと、いろいろ考え方があろうと思いますが、おっしゃいますように、覇権ということは、超大国と申しますか帝国主義と申しますか、ということと密接に関係があると思いますが、かつては中国が、アメリカ帝国主義ということをはっきり言っておった時代もございます、この節は余りそういうことを聞きませんけれども。それはしかも余り遠くない昔でございますし、条約ということになりますと、これは国を国際的に拘束をする性格のものでございますから、いま中国は、帝国主義というものを、あるいは覇権というものを、何国を頭に置いておるかということ、これは説明を聞けばわかることでございましょうけれども、しかし過去においてやはりそのとおりであったのか、将来においてもそうであるのかということになれば、これは、これから長く両国の間を規制いたします条約としては、現状の判断だけで判断を条約に持ち込むということは、どんなものであろうかという気持ちがいたします。  しかし、その他のいろいろ理由もございまして、たとえば中国に第三者が覇権を持つことを許さないという意味は、あるいは国是としてそのようなことがあれば、これを排除するということを意味するのであろうかと思いますけれどもわが国の場合には、憲法のたてまえその他ございまして、それを排除するというような立場わが国はないこともよくおわかりだろうと思います。わが国としては、特にいかなる国とも善隣関係を結びたいと考えておりますので、条約の中でこのようなことを申しますことは、過去におけるいろいろな条約の慣例から申しましても、非常に異例なことであって、何か特定の意味合いを持つというふうに第三国から受け取られかねない、それはわが国の善隣友好の外交の基本政策と異なった結果になる、こういうふうに考えておりますので、そのようなわが国立場を繰り返し述べておるわけでございます。
  48. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから簡単に申しますが、覇権問題が出てきた歴史的背景がここにあるわけでありまして、一九七一年の十一月、中国が国連参加をした時期、これ以降なんですね。喬冠華、この中国の代表、団長さんが、国連総会の演説で「一、二の超大国の覇権主義と強権政治に反対する。」こういう表現を使われた。その後、国内的には七一年の一月二十三日付の人民日報、この社説で「大国の覇権主義を打倒しよう。」こういうことでこの問題は理論づけしているわけです。それから七二年の元旦の三紙共同社説というのがございまして、「天下大いに乱れること。」ここで覇権問題をもう一遍取り上げている。さらにその上で、いまちょっとアメリカとの関係が出てまいりましたが、同年の二月の米中上海コミニュケというのがございますね。ここで「米中両国がどちらの側も、アジア太平洋地域で覇権を求めるべきでない。いずれの側も、いかなるその他の国あるいは国家集団が、こうした覇権を打ち立てようとすることに反対をする。」これが一つの合意事項なんですね。また毛沢東主席の七三年元旦の三紙共同社説では「深く地下道を掘り、至るところで食糧を蓄え覇権を求めない。」こういう提案をしているわけですね。ここまで来て、新憲法前文で「超大国の覇権主義に反対しなければならない。」ということをはっきりさせた。こういう経過を踏まえてみるとこの点は譲れないという、向こう側の考え方になっているのではないかという気が私はする。  ですから、わが国外交姿勢の中で、いま外務大臣おっしゃっているように、こちら側も断じて譲れない、善隣友好という意味で譲れない、これはもっともだと私は思う。それはなぜかと言えば、一番近い問題としてソビエト側の善隣友好条約を締結しようという申し出がある。これは保利さんが中国に行かれる、外務大臣がソビエトにおいでになったわけでありますから、そうすると、ここのところでもしも覇権を認めるようなことになるとすれば、これはえらいことになる、片っ方側からすれば。領土問題を大きく踏まえている対ソビエト関係でありますから。そうだとすると、もしここで片っ方へ寄ることになるとすれば、恐らく領土問題というものは、話し合いのきっかけさえ失うことになりかねないわけであります。  そこで、承りたいのですけれども、ソビエト側の善隣友好条約の出発とそのねらいは一体何なのか、あわせて領土問題というのはそれとどう絡むのかという、そこらのところは、宮澤さん直接おいでになっているわけでありますから、それはお立場上困るということであるとすれば、差し支えない範囲でよろしゅうございますから、どういうふうに受け取っておられるかという点、それから善隣友好条約を対ソビエトとの関係でどう位置づけておられるかという点、あわせて承りたいと思います。——善隣協力条約ですかな。
  49. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 事の性質上、これは私が申したことだけを申し上げますけれども、私が申しましたことは、日ソ間には領土問題というものが未解決であるので、それをいわば素通りするといいますか、たな上げするというような形で善隣友好条約というものを結ぶわけにはまいらない。まず領土問題を解決して、いわば法律的にも条約の形で平和条約というふうなものを結んで、そしてその後でならまたいろいろなことが考えられると思いますがと、私としてはそういうふうに答えておるわけでございます。
  50. 大出俊

    大出委員 これはソビエト外交の今日的出方からすれば、いろんなものを目にいたしますけれども、霞が関あるいは内閣自体というようなことで、いろんな動きがときによってはあるんでしょうけれども、一体この辺のところを外務省の側としては、対ソビエトとの関係における——これは善隣協力条約というのが正しいのですか、正式には善隣協力条約ですかな。これを、ある論評によれば、これはまやかしだという片一方の側の言い方がある、そうではないという言い方がある、いろいろあるわけですけれども、ここらは一体、外務大臣自身は、時期的なこともありますけれども、どういうふうに受け取っておられるのですか。
  51. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 恐らくは一つは、その領土問題との関連、先ほど申しましたことであると思いますが、もう一つは、わが国中国との平和友好条約の交渉かなり進展をしそうな気配である。しかも伝えられるところによれば、先ほどのような問題もその中に含んでおるやにソ連としては看取をいたしまして、それに対してその結果は、現在の中ソの関係の中においてわが国中国に非常に近いところに位置を取るのではないか、それに対してソビエト側は、現在のバランスが崩れることになるとでもいうような危惧を抱いておるのではないかというのが私の想像でございます。
  52. 大出俊

    大出委員 時間がありませんから、一言申し上げておきますが、確かに、日本外交というのは、中国、ソビエトとの関係において非常にむずかしいところにある、これは言えると思うんですね。お隣の国のことでありますから、余り露骨にここで申し上げるわけにまいりませんけれども、それだけにこれは一つ間違うと将来に向かって大変な侮いを残すことになりかねないという気がする。その意味では慎重でなければならぬという気がする。苦しくてもがまんをしなければならぬという、本当の意味の二つの国に対する善隣友好をお考えになるなら、ここらのところは、よほどその意味では慎重でなければならぬ。  そうすると、三木さんがああいう施政方針をお述べになったけれども、これは相当の間物事は前に進まない、こういうふうに見なければならぬという気がするのでありますが、それであってもなおかつ、両方の国との間の善隣友好というものをたてまえにする限りは努力しなければならない、こういう結果になるんだろうと思うのですが、そこのところはいかがですか。
  53. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 その点は、私どもはいわゆる一九七二年の日中共同声明を決して否定しようという立場をとっておるわけではございませんで、中国政府の方針として、あるいは日本政府の願望として、ここに、第七項に述べておりますことは、今日も十分に私ども承認をし、肯定をいたします、こういう立場でございますので、それさえはっきりしておれば、中国側としてこれを条約に書くか書かないかということは、きわめて第二義的なものではないか。もし私どもが、もとからこの共同声明の立場を、都合によって否定いたしますというのであると、これは大問題でございますけれども、そうではないのでございますから、理解してくれてもいい問題ではないかというふうに私は思っておるわけでございます。
  54. 大出俊

    大出委員 時間の関係がありますから、その辺にいたしておきます。  もう一点だけ承りたいのですが、核防条約でございますが、これは平行線か何か知りませんけれどもアメリカ側の物の言い方が新聞等には散見をいたしますが、基本的に私どもの党の立場からすると、長い論議をしているのでありますけれども、大きな条件を付した形でまああった方がよかろう、こういう表現になるだろうと思うんですね。しかし、そこでなおかつ疑問がたくさんあるわけであります。  外務省のなかなか周到な御準備の上に成る資料をいただいておりますから、目を通しておりますので多くを承りませんが、この国会に果たして核防条約、間に合うのですか、お出しになるのですか。
  55. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 私としては提出をいたしたいと考えております。
  56. 大出俊

    大出委員 見切発車であっても何でも、お出しになるというふうに新聞紙上から見るとうかがわれるわけであります。  そこで、核防条約はきのうきょうの議論じゃありませんで、防衛庁長官当時の中曽根さんとも、これはずいぶん前に議論したところでございますけれども、片や核防条約があるのだけれども時間的な、タイムラグがございまして、インドの核爆発実験が行われておりましたり、次々にどうも、特にこれには台湾政府という、政府かどうかわかりませんが、そちら側の話も一つ出てくる、そのほかアラブ関係でも、イスラエルはすでに幾つか持っているのじゃないかとか、いろいろな資料が重なっているわけでありますけれども、そこらとの関係。七番目の実験国がどこになるか、それは別として。つまり核散防止ということと相変わらず核散をしていくということ、追い込まれた国の立場というのは、どうしてもそこによりどころを求めるということで、そういう結果が出てきている。そこらのところは、全体としてとらえてどういうふうに政府の側はお考えになっているのか、ここらをひとつ承りたい。
  57. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 確かに、インドの核実験というものがあったわけでございますけれどもわが国の安全にとりまして現実に、直接に関係をしてまいります核兵器保有国といたしましては、米国、ソ連、あるいはやがて中国ということになろうかと存じますけれども、それ以外の国のなににつきましては、直接わが国の安全にそんなにすぐにかかわり合ってくる問題ではないであろうというふうに基本的には私ども思っておりますけれども、しかし核兵器保有国がふえるということは、これはもう全体としては、わが国にとりましても、人類にとりましても、好ましくないことでございますので、供与国から今後原子炉、あるいはそれに関する技術を新しく渡しますときには、厳格な核防条約に定める内容のことを守ってもらいたい、この条約に加盟しておらない国もあるわけでございますけれども、それらの国といえども、核拡散が決していいとは思っておられないわけでございましょうから、この条約の締約国はもとよりとして条約上の義務でございますが、そうでない国に対しても、やはりそういう点は、この条約の定めるところの条件は、技術あるいは原子炉を供与しますときに、あるいは原料を与えますときに十分守ってほしいということを、やはりわが国としてもっともっと主張をしなければならない、また、そういう合意を取りつける努力が必要であろうというふうに考えておるわけでございます。
  58. 大出俊

    大出委員 私どもも、見切り発車であれ何であれ、政府がお出しになるとすれば、各種の条件や各種の議論はいたしますけれども、そこまで議論をしてきているわけでありますから、最終的には賛成をすることになると思うのです。  そこで、さて核防条約が批准されたと仮定をした場合に、そこから先の政府の対処の仕方ということが一つ大きな問題であります。たとえばアメリカの場合、イランとの間に五年間で百五十億ドルに上る経済通商協力協定を結んだわけですね。そこで、その目玉が七十億ドルに上る発電用原子炉六ないし八基というわけですね。総出力で八百万キロワット。この問題をめぐってアメリカ議会、これは上院ですが、昨年の七月、外国に核技術を供与する場合、大統領の決定に対して議会が拒否権を持つという決議を満場一致で採択しているんですね。ここは一つ非常に大きな意味のある点だと私は思っておるわけであります。  インドなんかだって、言うならば燃えかすですね、プルトニウムをそこから出して実験をしたというわけですから。ただ、この実験ということが政治的な意味の実験だということになる場合と、あるいはイスラエルのようにウランをみずから採掘をする、あるいは核技術というものについて、アメリカでその衝に当たってきた方々がイスラエルに帰っているという現実、また運搬手段もイスラエルの場合は特殊な開発をして持っているという現実、だからこれは、むしろ政治的というよりは、その方向で進んでいくのだということになりかねないという問題がございます。  いろいろの違いがある。あるが、一方で核散条約が出てきている世の中に、片っ方で輸出の目玉商品として出していくということで次々に漏れていく。これはIAEAあたりの査察だと言ったって、規模その他いかんによっては万全なものではないということになると、やはり日本立場とすれば、これを批准するについては、そこらの大きな条件がなければならぬと私は思うのです。大国の核という問題に対する非核保有国の、特に日本という立場からすれば、これは相当な発言権があるはずだと私は思うんですね。そういう意味の断固たる決意がなければならぬという気が私はするのでありますが、それを望みたいわけであります。そこらは一体いかようにお考えになりますか。
  59. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 それは私は御指摘のとおりであると思います。アメリカがイスラエルあるいはエジプトに対しまして、技術供与あるいは原子炉を供与するという話が、昨年来かなり具体的にあるわけでございますけれども、実際にはアメリカとしてかなりきつい安全保障誓約を求めておりまして、そのゆえにまだ供与が行なわれていない。むしろ交渉はなかなかむずかしくなっておるというふうに聞いておるわけであります。これはアメリカが、この条約の締約国としての義務、あるいはさらにそれを強めたような条件を課しておるからであるというふうに考えておりますが、今後もぜひそうしてほしいし、またこの条約に加盟しておりません国でも、やはり同様の精神をもって供与に当たっては条件をつけてほしい、これはわが国としてどうしても主張しなければならないところでございます。わが国がこの加盟国になれば、なおさらそのような主張は説得力を持つと存じますけれども、仮にその以前であっても、やはりそういう主張をすべきであって、五月になりますと、この条約のいわゆる再検討会議が開かれるわけでございますが、そういう機会、あるいは場合によりましては、この条約に加盟しておりません国との関係では二国間、また場合によりましては、国連というような場も考えられると思いますが、あらゆる場を求めまして、そのような主張をし、そのような誓約を取りつけてまいりたいというふうに考えております。
  60. 大出俊

    大出委員 もう一点だけ承りたいのです。核防条約の第十条に絡むわけでありますが、かつて中曽根さんが防衛庁長官をおやりになっていて、アメリカにおいでになるその前日、前々日というところでこの委員会を開いて、各委員からいろいろな質問をいたしました。そのときに、核のフリーハンド論を中曽根さんはこの席でお述べになった。これは当時、新聞が大きく扱ったことであります。その中に出てくる物の考え方が、核防条約の第十条をとらえて、「自国の至高の利益を危うくしていると認めるときは、その主権の行使として、この条約から脱退する権利を有する。」というこれをお挙げになって、本来、核防条約というのはこういうものであるという、何か一つの前提がある感じに受け取れる答弁になっているわけです。  だから、見切り発車かどうかわかりませんが、この国会にお出しになるといまはっきりおっしゃった。だとすると、何か知らぬが、ここらのことを前提にするとなると、いささかわれわれの態度というのも、これは考え直さなきゃならぬことになる。一つ大きくひっかかっている問題でございます。  これは坂田防衛庁長官などがおやりになった議論等も、新聞等には載っておりましたけれども、安全保障と絡むいろいろな議論が出てきていることも載っておりましたが、また皆さんの「核兵器不拡散条約の批准問題」というこの中にも、いろいろな論法が書いてありますけれども、ここらのところは、政府としてお出しになる限りは、一体どうとらえてお出しになるという姿勢なのか。
  61. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 初めから脱退をするつもりで入るのであれば、これは、もう加盟をしない方がむしろいいくらいなものだと私は考えております。ただ、この条約が少なくとも現在から考えましても二十年、かなり長い将来にわたっておりますから、過去二十年を考えますと、将来二十年という変化はなかなか予想しがたいもの、国際情勢の面でもあるいは核兵器そのものの変化につきましても、予想しがたい要素がそれは確かにあろうと思いますので、その際、もし自国の至高の利益が危うくされるということであれば、これはこの条約から脱退するというような事態も、法律上認めておかなければならないというのがこの条項の趣旨であろう。私どもは、これがあるから安易に入れる、したがって、安易に抜けられるというふうには考えておりません。
  62. 大出俊

    大出委員 これは過去の議論の推移からいたしますと、どうもとかく、この条項があるんだからいいじゃないかということになるとすると、問題は姿勢の問題ですね。それならば批准をしてみたところで、姿勢として大した意味がなくなる。そこらのところが一つございますので、念を押さしていただいたわけです。  大体理事会でお話し合いいたしました時間になりましたから、これで切り上げさしていただきます。
  63. 藤尾正行

    藤尾委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。     —————————————
  64. 藤尾正行

    藤尾委員長 ただいま委員長の手元に、木野晴夫君より本案に対し修正案が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。木野晴夫君。     —————————————  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案    〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  65. 木野晴夫

    ○木野委員 ただいま議題となりました修正案につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。  案文は、お手元に配付いたしておりますので、朗読は省略させていただき、その趣旨を申し上げますと、原案のうち、在勤手当等に関する改正規定は、昭和五十年四月一日から施行することとしているのでありますが、すでにその日が経過しておりますので、これを公布の日から施行し、在勤手当については本年四月一日から適用することに改めようとするものであります。  よろしく御賛成をお願い申し上げます。
  66. 藤尾正行

    藤尾委員長 これにて修正案についての趣旨の説明は終わりました。     —————————————
  67. 藤尾正行

    藤尾委員長 これより原案及び修正案を一括して討論に付するのでありますが、別に討論の申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  在外公館名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。  まず、木野晴夫君提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕     —————————————
  68. 藤尾正行

    藤尾委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいまの修正部分を除く原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  69. 藤尾正行

    藤尾委員長 起立総員。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。
  70. 藤尾正行

    藤尾委員長 なお、ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  71. 藤尾正行

    藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  72. 藤尾正行

    藤尾委員長 次に、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。  国の防衛に関する件について実情調査のため、委員を派遣いたしたいと存じます。つきましては、議長に対し委員派遣の申請をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  73. 藤尾正行

    藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、派遣地、派遣の日時、派遣委員の人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  74. 藤尾正行

    藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次回は、来たる十六日水曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時三十八分散会