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1975-03-14 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年三月十四日(金曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 藤尾 正行君    理事 越智 伊平君 理事 奥田 敬和君    理事 加藤 陽三君 理事 水野 晴夫君    理事 上原 康助君 理事 大出  俊君    理事 中路 雅弘君       赤城 宗徳君    有田 喜一君       大石 千八君    竹中 修一君       中馬 辰猪君    旗野 進一君       林  大幹君    三塚  博君       和田 貞夫君    鬼木 勝利君       鈴切 康雄君    受田 新吉君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      植木 光教君         国 務 大 臣         (行政管理庁長         官)      松澤 雄藏君  出席政府委員         内閣法制局第一         部長      角田礼次郎君         内閣総理大臣官         房管理室長   島村 史郎君         内閣総理大臣官         房総務審議官  佐々 成美君         宮内庁次長   富田 朝彦君         皇室経済主管  石川 一郎君         外務省アメリカ         局長      山崎 敏夫君  委員外出席者         宮内庁長官官房         参事官     福留  守君         宮内庁式部官長 湯川 盛夫君         外務大臣官房儀         典官      野村 忠策君         外務省欧亜局外         務参事官    木内 昭胤君         文化庁文化部宗         務課長     山本 研一君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 二月二十八日  辞任         補欠選任   大石 千八君     木村 俊夫君   笠岡  喬君     中村 梅吉君   近藤 鉄雄君     小坂善太郎君   三塚  博君     原 健三郎君   吉永 治市君     福田 篤泰君 同日  辞任         補欠選任   木村 俊夫君     大石 千八君   小坂善太郎君     近藤 鉄雄君   中村 梅吉君     笠岡  喬君   原 健三郎君     三塚  博君   福田 篤泰君     吉永 治市君 三月十一日  辞任         補欠選任   鈴切 康雄君     正木 良明君 同日  辞任         補欠選任   正木 良明君     鈴切 康雄君     ————————————— 三月七日  許可認可等整理に関する法律案内閣提出  第四九号) 同月十三日  最高裁判所裁判官任命諮問委員会設置法案(佐  々木静子君外一名提出参法第四号)(予) 同月一日  金鵄勲章制度復活に関する請願齋藤邦吉君  紹介)(第一〇一二号)  同(大西正男紹介)(第一〇八九号)  旧治安維持法による犠牲者の補償に関する請願  (稲葉誠一紹介)(第一〇五一号) 同月六日  金鵄勲章制度復活に関する請願外二件(河野  洋平君紹介)(第一一八三号)  靖国神社国家管理反対に関する請願安宅常  彦君紹介)(第一二七一号)  同(阿部昭吾紹介)(第一二七二号)  同(阿部哉君紹介)(第一二七三号)  同(阿部未喜男君紹介)(第一二七四号)  同(赤松勇紹介)(第一二七五号)  同(井岡大治紹介)(第一二七六号)  同(井上泉紹介)(第一二七七号)  同(井上普方紹介)(第一二七八号)  同(石野久男紹介)(第一二七九号)  同(石橋政嗣君紹介)(第一二八〇号) 同月十二日  岐阜県徳山村等の寒冷地手当引上げに関する請  願(松野幸泰紹介)(第一三四六号)  金鵄勲章制度復活に関する請願宇田國榮君  紹介)(第一三四七号)  同外二件(倉成正紹介)(第一四〇四号)  靖国神社国家管理反対に関する請願板川正  吾君紹介)(第一四九二号)  同(稲葉誠一紹介)(第一四九三号)  同(岩垂寿喜男紹介)(第一四九四号)  同(上原康助紹介)(第一四九五号)  同(江田三郎紹介)(第一四九六号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  許可認可等整理に関する法律案内閣提出  第四九号)  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内  閣提出第九号)      ————◇—————
  2. 藤尾正行

    藤尾委員長 これより会議を開きます。  許可認可等整理に関する法律案議題といたします。  まず、趣旨説明を求めます。松澤行政管理庁長官。     —————————————  許可認可等整理に関する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  3. 松澤雄藏

    松澤国務大臣 ただいま議題となりました許可認可等整理に関する法律案について、その提案理由及び概要を御説明申し上げます。  政府は、行政簡素化及び合理化を促進するために、許可認可等整理を図ってまいりましたが、さらにその推進を図るため、昨年十一月六日に提出された行政監理委員会許認可等に関する改善方策についての答申事項のうち、法律改正を要するもので今年度分として成案を得たものなどを取りまとめ、この法律案提出することといたしました。  法律案内容について御説明申し上げますと、第一に、認可等による規制を継続する必要性が認められないものにつきましては、これを廃止し、第二に、規制の方法または手続を簡素化することが適当と認められるものにつきましては、規制を緩和し、第三に、下部機関等において処理することが能率的であり、かつ、実情に即応すると認められるものにつきましては、処分権限を委譲し、第四に、規定明確化を図る必要が認められるものにつきましては、規定整備することとしております。  以上により廃止するもの六事項規制を緩和するもの十二事項権限を委譲するもの四事項規定整備するもの一事項、計二十三事項について、六省庁、十二法律にわたり所要の改正を行うことといたしました。  以上が、この法律案提案理由及び概要であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
  4. 藤尾正行

    藤尾委員長 これにて趣旨説明は終わりました。      ————◇—————
  5. 藤尾正行

    藤尾委員長 次に、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大出俊君。
  6. 大出俊

    大出委員 皇室経済法の問題に入ります前に、先般、予算の分科会で私が総務長官質問をいたしました問題で、ちょっと答弁が的外れの感がありましたが、四の五の申し上げなかったのですけれども、わが方の所管ではない。これは所管でないのは、沖繩海洋博が通産省ということだからという意味だと思うのですが、あそこで例の沖繩闘牛メキシコ闘牛沖繩に持ってくるという問題で、関係各省と相談をして、その結果をということになっているわけですが、実はいまだにどういう結果になったかという御返答も聞いていない。それで時期的な七月という制約もあるわけでありますから、他に機会がございませんと、ある意味の社会問題にもなりかねぬという気がするわけでありまして、そういう意味で、最初に、皇室経済法に入ります前に、この問題について少し見解を承っておきたいのであります。  それは沖繩メキシコ闘牛を持ってきて、これは旧スペインの植民地だとか、いろいろなところにある闘牛の型でありますが、これがどうも最近ますます宣伝が盛んになってまいりました。ここに写真がありますが、私も見たことがありますけれども、この写真は、まさにメキシコ闘牛そのままの形であります。だから「メキシコ闘牛沖繩で見よう」というキャッチフレーズ、豊興産株式会社主催というわけであります。後援が駐日メキシコ大使館メキシコ政府観光省メキシコ闘牛士協会メキシコ牧場協会協賛団体日本航空、全日空、パンアメリカン航空フライングタイガー、こういうことで、これはいま出ている週刊誌、三月二十日号の広告だったと思いますが、つい最近のものです。  そこで、あのときの長官答弁では、いろいろ問題があって、反対意見等もたくさんあるということで、ポルトガル闘牛にするのだというような話がございましたが、一体このメキシコ闘牛ポルトガル闘牛というのはどう違うのかを、長官ごらんになったことがありますか、あるいは文献その他でお調べになったことがありますか。
  7. 植木光教

    植木国務大臣 メキシコ闘牛は見たことがございますけれどもポルトガル闘牛は見たことはございません。ただ、いろいろな資料等をいま集めているところでございますが、詳細につきまして御答弁申し上げましょう。  まず、分科会におきまして、動物保護及び管理に関する法律に関連をいたしまして御質疑がございましたが、その際に私も、動物に対する残虐な興行というものは好ましくないということは申し上げたとおりでございます。  御承知のように、昨年の十一月十三日に、いまお話がございます豊興産株式会社が、メキシコフェスティバルの一環として沖繩海洋博においてメキシコ闘牛を招致するという情報を総理府は入手いたしました。沖繩県と連絡を密にいたしますとともに、関係省庁とも会議を開き、また、いろいろ協議をしてまいりまして、沖繩県及び県警を通じまして中止方について行政指導を行ってまいったのでございます。ことしの一月の九日に、沖繩県知事は、文書をもちまして豊興産社長あてに、動物保護及び管理に関する法律趣旨と問題の重要性から、この興行計画中止するようにということを申し入れまして、これに回答をしてまいりましたのが一月二十八日でございました。ところがこれは、メキシコ闘牛を実施することは法律違反しないので計画中止には応じられない、こう言ってきたのでございます。そこでさらに、沖繩県及び沖繩県警を通じまして中止するように勧告をしましたところ、二月二十六日に豊興産から、メキシコ闘牛の演出はポルトガル方式、すなわち牛を殺さない方式でやりたいという旨の念書的な文書を出してまいりました。  そこで、外務省に対しまして、総理府といたしましては、メキシコ大使にも協力をしてもらわなければいけませんので、善処方を依頼することといたしまして、昨日、十三日でございますが、外務省は、メキシコ大使を招きまして、法律上の問題、各種団体等からの誘致反対の要望があるということを申しますとともに、万一、メキシコ闘牛の公開が強行されるような場合には、不測な事態が惹起されるから、これによって日本メキシコ両国間の友好関係に影響することがあるので善処をしてほしい、こういう申し入れをいたしました。これに対しましては、いずれメキシコ大使から、それに対する答えが出てくると思っております。  そこで、今度はポルトガル方式でございますけれども、これはいろいろ、在日ポルトガル大使館あるいは日本動物愛護協会あるいは国会図書館等にその資料照会調査をいたしました。しかし詳細については、まだ判然としない点がございますので、正確を期しますために、ただいま在ポルトガル日本大使館に対しまして照会中でございます。  ただ、現在までわかっておりますところでは、メキシコ方式というものとポルトガル方式と違います点は、ポルトガル方式というものは、牛を殺さないこと、それから血生臭いものでないということは判明をしているのでございます。ポルトガル方式は、一頭の牛を、馬上に乗りました闘技者が、最初遠方から、先に二、三センチのもりをつけました大きな棒を投げまして、そうして命中さして、逐次、牛の方に闘牛士が近づいていく、だんだん小さい棒を投げていきまして、命中させて、牛が疲労をいたしまして、突進してこなくなったという状況で競技を中止するというものであります。したがって、牛を殺すことはない、血が流れることはない、こういうふうに承知をしているのが、いまの両方式の違いでございます。
  8. 大出俊

    大出委員 幾つも問題がありますが、基本的な点で少し最初に申し上げておきたいのです。  実は、内閣委員会においでの皆さん御存じなんですが、私自身が長い年月かかりまして、いまの動物保護及び管理に関する法律立案をいたしましたが、実は、そのままでお通しをいただいているわけでありまして、したがって、立法趣旨ということになりますと、とかくいろいろな問題が、ネコをとるという問題が出たり、上野動物園のオサルの電車の問題が出たりするたびに、立法趣旨という聞かれ方を総理府へなさると、結果的に私のところに回ってまいりまして、つくったのは君の方だからということでございまして、それなり説明はいつもいたしておりますが、特に闘牛あるいは闘鶏、闘犬というふうなものについては、やかましい議論がございました。  私も実は、これはきわめて詳細に調べましたが、古来から日本闘牛というものがございまして、これは新潟であるとか名古屋であるとか、沖繩はもちろんございますし、何県かにございます。しかし、これは欧州あるいはメキシコのものと全く違った形のものでございまして、牛同士を角で押し合いをさせる、その見物をする前後に、品種改良という問題、品評会という問題、競り市を立てて販売をするという問題、セットになっているわけであります。これは伝統であります。  そこで沖繩の場合に、昔はそうでございましたが、見るという、つまりショーという意味の色彩が非常に強くなっていることは事実でありますが、しかしいずれも、いま話にありましたように、そこで大変な血が流れる、牛が死ぬというわけではないということでございますから、古来伝統を尊重するという意味で、動物保護及び管理に関する法律の虐待という点、それなりの正当な理由がない場合は、この法律の適用を受けますけれどもそれなり歴史伝統があり、かつ内容もはっきりしているということで、その種の闘牛というものは認めていこう、だがしかし、これはメキシコポルトガルございますが、欧州型のものについては認めないという方向で進みたいということで、質問等もございましたが、そんなふうな趣旨でものを申しまして通していただいているわけであります。  そういたしますと、いま「メキシコ闘牛沖繩で見よう」という豊興産のおやりになるものは、この法律立法趣旨からすれば認めがたいという範疇に入るわけでありまして、ポルトガル方式との違いも、もりの先に、通称針と言っておりますが、数センチのものをつけて投げる、こういうわけでありますが、これは相当に牛が弱る、そして後で牛を食べちゃうわけですからね、ポルトガルというのは。だから、はっきり殺戮なんですね。そこらのことから、やはり欧州型の闘牛の一つに入るという考え方なんです。  したがってこれは、どうも自分で立案をした関係で物が言いにくくて困るんですけれども、現在は総理府所管の国の法律でございますから、そうした意味関係の二十何団体かの動物愛護団体が社会問題というふうに取り上げた場合に、旧来ならばよるべき法律がないのでありますけれども、今回はあるわけでありますから、そこらのことは、実はもう少し細かい規定をしなければならないような法律になっておりますけれども動物保護審議会の議を経つつある過程にありまして、まだそこまでの細則ができていない、こういうわけでありますから、なお問題が残るということになりましょうけれども、しかし、やはり筋は筋でございますので、お取り上げにならぬでいただきたい、こういうふうに思うのでありますが、その基本的な点について、まず承っておきたい。
  9. 植木光教

    植木国務大臣 動物保護及び管理に関する法律というのは、大出先生が中心になられまして立案をせられ、現在は、これはもう国の法律として運用されているわけでございます。立法の御趣旨は私どもも十分体しておりまして、したがって、その趣旨から申しましたならば、残虐な興行というものは、私どもとしては認めるわけにはまいらないというのが基本的な考え方でございます。  したがいまして、これには沖繩県民及び関係団体それぞれ非常に多くの方々から、また本土におきましても、これの反対がございますが、私どもとしては、この際、メキシコ方式もあるいはポルトガル方式も何とかして興行せられることがなく、ただいまお話がございました日本古来沖繩県古来の闘牛であるならば問題はないというふうに考えているのでございます。  ただ、メキシコフェスティバルポルトガル方式のものを持ち込むということが果たしてどうなのかという問題がございます。また、そのメキシコ闘牛というのは国技でございますから、メキシコ闘牛士ポルトガル方式のものをやるなどというようなことも、ちょっと私どもとしては考えられないのではないか、こういうことも推測をしているのでございます。  私どもとしては、この法律が、いままだいろいろ未整備のところがございますから、お話ございますように、審議会でいろいろ御協議をいただいているわけでございますけれども、この法律違反の場合についての罰則が非常に弱うございます。罰金三万円というようなことでございますから、このような場合のことは、当時余り想定していなかったというふうにも考えられるわけでございます。この点についての規定整備といいますか、強化等が図られなければならないのではないかと考えるのでございます。  いずれにいたしましても、現在、沖繩県の地元といたしましては、これが興行場になりますことの許可はまだ与えておりません。したがって、そういう面での規制をするとともに、さらにこの興行者に対しまして、いずれにしてもどちらの闘牛も好ましくない、法律趣旨に反するということを、やはり十分徹底しますとともに、主催団体のみならず、後援団体等もいま読み上げられましたけれども大使館等もそういう意味においてきのう外務省の方に呼んでもらったわけでございますけれども、あらゆる手を尽くしまして、何とか早期に、いま先生お話しになりましたような形で解決をしてまいりたいということで、鋭意努力をしているところでございます。
  10. 大出俊

    大出委員 これは念のために申し上げておくのですが、これは西ドイツの法律でございますが、血生臭いあるいは血の出ない闘牛を展覧すること、これも禁止条項がございます。ただ、欧州型の闘牛というのは、みんな人が殺すわけですから、共通しているんですね。したがって、これは全面禁止ですね。日本の場合は、人が殺すわけではないので牛同士でやる。それでも全治一カ月あるいは一カ月半というようなけがをする場合があり得るわけでございます。押されて逃げるというのが普通ですが、それが激しいのになりますと突かれてけがをする、全治一カ月とか一カ月半とか、こういうふうなことなんですね、日本の場合は。だが、これはさっき申し上げた幾つかの問題とセットになっているという古来伝統がございまして、まあ、その範囲は認めていこうじゃないかということになっているのでありまして、ぜひひとつ、そこらのところは……。  それから、ここに英国法もございますが、英国法律というのは、実に厳しくできていまして、罰金だ何だというのをたくさん取られている例があるわけです。これは大変な件数であります。たとえば十五歳になる子供さんが、犬で頭にきて空井戸にほうり込んだ、これは犬が死ななかったんですけれども、それでも日本で言いますと、未成年に対する家庭裁判所の判決みたいなものが出まして、二カ年間の保護観視になっている。そして罰金を三百ポンドくらい取られているんですね。これにはずっと、そういう判例がいっぱい載っておりますけれども、非常に厳しいわけでありまして、たとえばブロイラーなんかを、くちばしを切って、えさが飛ばないようにして動かさなくして強制飼育をするんですけれどもくちばしを切る行為を禁ずるという形になっているわけでありまして、したがって、そういう国々の百何十年間の歴史のある法律もございますので、せっかく欧州型に似たような、それに日本実情を取り入れた形のものでありますから、ぜひひとつ、これはせっかくの法律でございますから、生かしていただきますようにお願いをしたいのであります。  そこで、念のために二、三点承っておきたいのでありますが、これがメキシコ型の闘牛ということになりますと、大体一日に三頭くらいの牛が死んでいくわけであります。ところがこれは、たしか三百頭くらいメキシコから闘牛を持ってくる。ところで三百頭となりますと、七十二日間というのが海洋博の日数でありますので、そうしますと、大体一日に四頭ということになるわけでありまして、これは非常に頭数が多い。一日に四頭ずつ七十二日間殺していくという勘定になる。そして殺した後は肉で売ってしまうわけであります。  そうすると、ここに問題がもう一つある。これは農林省、外務省総理府とみんな絡みますけれども、横浜の動物検疫所に入ってきまして、それから国内に上がってくるわけでありますが、生体で来た場合の税金と肉の場合の税金と大変違う。そこで生体で入ってきたものを肉にして売ってしまう、その間に闘牛という行為が行われる、こうなりますと、果たして税金関係はどうなるのか。初めから持ってきた牛は肉にして売ってしまうということなんであります。  私は、きょう大蔵省の方を呼んでおりませんが、私が非公式に聞いた限りでは、一つ間違うと税金を免れる行為になりかねぬという御意見もありました。そうすると、そのことがわかっていて各大使館だ何だというのが後援をする、日本航空会社協賛をするなんというようなことで果たして放任していいかという問題、この点もできれば御見解をいただきたい。  それから、いま申しましたように、一日四頭平均ということになると三百頭、海洋博の七十二日間で殺してしまうということになりますと、ここにもやはり何がしかの影響は青少年初めみんなにあると思うのであります。ここらの点もこれは考えなければならぬ筋合いだろう。  それから、闘牛場に使う場所でありますけれども、この場所を実は開発許可をとってない。これは日本の現在の法律がございますから、そうすると、三千平方メートル以上のものは開発行為ですから、当然、沖繩県としてそれなり審議会にかけまして、これは許可を正式に与えなければならぬ筋合いですね。これは都市計画法の三十三条です。したがいまして、果たして許可をとったのか。ところがこれは、とっていないで地鎮祭をやっちゃっているわけです。幾らメキシコ大使館後援団体だと言ってみても、やはり国内法は優先させていただかぬと困ると私は思っておるわけでありまして、こういういいかげんな形でやられたのでは、これは大変問題があるのではないかという気がいたしますから、そこらの問題はどういうふうにお考えになるのか、念のためにひとつ承っておきたいと思います。
  11. 植木光教

    植木国務大臣 関税の問題につきましては、私は、まだ正確に聞いておりませんので、いずれ大蔵省と十分協議してまいりたいと思います。  お話しのように、毎日何頭かの牛が死ぬ。これは斃死でございます。斃死いたしました獣畜の肉を食品として販売をするということになりますと、これは食品衛生法違反になるわけでございます。これは、まさに違法行為を行うということが事前にわかるわけでありますから、その面で行政的に強い指導を行わなければいけないということだと思います。  それから、開発許可をとっていないということ、これは先ほどお答え申し上げましたように、県では許可をしておりませんし、いまのところ県としては許可をする意思はない。これは政府といたしましても、いま申し上げましたように、好ましくないという立場から県に対して指導いたしておりますので、これは引き続き、そのような態度で臨んでまいりたいと存じます。  それから、メキシコ日本との間は、御承知のように大変友好親善関係が続いておるわけでございまして、したがいまして、それを損なうようなことがこのような興行によって行われるということは、心外千万でございますから、これは、こちらの政府のみならず、メキシコ大使を通じて昨日いろいろ善処方を要望したわけでございますので、これに対してメキシコ政府としても理解を示してくれることを、私どもは強く期待をしているところでございます。
  12. 大出俊

    大出委員 最後に申し上げようと思ったことを、総務長官先にお話しになりましたから、それでいいのでありますが、メキシコとの関係、私も行ったことがございますけれども日本との関係は大変いい国であります。したがいまして、この種のことで友好関係を損なうということになっては困る。したがいましてできるだけ、この国の法律あるいは規則等を含めまして、筋を通した話し合いをしていただいて、あくまでも向こうの方々に理解を求めて納得をしてもらう、こういう基本線をぜひひとつおとりいただきたい。  あわせて、沖繩実情からいきまして、古来伝統日本式の闘牛というものがあるわけでありまして、そこらのことで、最近向こうの幾つかのものを見ますと、それなりにやはり、海洋博という機会に沖繩闘牛をという考え方が現地にはあるようであります。そこらの意思をこれまた全くつぶすことも、海洋博沖繩でということにした以上は、これまたしんしゃくの対象であろうと思うわけでありまして、そこらも含めまして、ぜひこれは、引き続いての善処方の御努力をお願いしたい、こう思うわけであります。
  13. 植木光教

    植木国務大臣 私は、沖繩開発庁も担当いたしておりますので、沖繩闘牛関係者の方々から、メキシコその他の西欧式の闘牛には反対であり、むしろいまお話しのように、沖繩古来闘牛興行に協力してほしい、こういうような要請が参っております。先ほど来申し上げておりますように、また、ただいまの御指摘の点を体しまして、さらに努力を続けてまいります。
  14. 大出俊

    大出委員 この席を使いましてどうも大変恐縮でございますが、せっかく分科会での懸案でございまして、御回答いただくことになっておりましたので、ひとつお許しをいただきたいと思うわけであります。  そこで、本題に入らしていただきたいのであります。本題と関係をいたしまして事前に幾つか承っておきたいことがございます。  それは、ここに新聞がございます。エリザベス女王が、五月でございましょうが、日本にお見えになるわけでありますけれども、ここに毎日の、これは英字の「デーリーニュース」というのがございます。この「デーリーニュース」の二月二十三日、ここに持っておりますが、大変大きな記事で、ここでありますが、クイーン・エリザベスさんが日本にお見えになる。五月である。そして一番最後の方に「ザ ガバメント ソーセズ セッド ザ ブリティッシュ サイド」要するに、英国政府の側、政府関係者ですね、が言ったというのです。ここで「デザイアリング」という言葉を使っておりますが、非常に強く希望しているというような趣旨ですね。「ストロングリー デザイアリング ツー インクルード ア ビジットツー ザ ヤスクニシュライン」靖国神社に参拝をしたい、こういうことを英国クイーンの側、政府関係者が強く望んでいるという記事ですね。これは上下がございますが、省略いたします。日本の戦争でたくさん亡くなった方々が祭られている靖国神社という注釈が、下の方についてるわけであります。これは後、取り消し記事が一つ出ておるのですが、前のは二月二十三日でありますが、これは二月二十五日であります。小さい取り消し記事であります。こっちの記事の五分の一、六分の一くらいの記事が、二日後の新聞に載っているわけですが、そちらの方の記事を読みますと、どうもこの報道された中身というのは事実でない、そういう意味の取り消し記事でございます。  だが私は、時期的にも、また火のないところに煙は立たずという世のたとえもございまして、どうも英国側で靖国神社に女王がお見えになって参拝することを強く希望しているという、これにひっかかるわけです。  そこで、承りたいのでありますが、天皇が英国においでになったわけですね。湯川さん、きょうお見えいただきたいと申し上げておいたんですけれども英国大使をおやりになってこられて、また湯川さんは数々のボードワン国王であるとかいろいろな方々の、その種のことに携わってこられた方でもございまして、その辺のお世話もずいぶんいままで手がけておられる方であります。そして式部官長におなりになって、宮内庁においでになるわけでありますが、英国においでになった天皇が、一体どういう形で——三国同盟の歴史をたどれば、敵味方だった時期がある。ここに表現されておりますのを読みますと、陛下がおいでになったときに、英国日本との間はいいときもあったが悪いときもあった、こういう話が出たという。したがって恐らく、どこかの寺院なりあるいは向こう側の戦歿者の祭られているところにおいでになったんじゃないかと思うのですが、その辺はどうなっておったのか、まずそれを承りたいのであります。
  15. 湯川盛夫

    ○湯川説明員 陛下がイギリスにいらしたときのことについてお答え申し上げます。  英国におきましてのいろいろな行事、これは事前にイギリス側とも十分打ち合わせをしたわけでございますが、国賓としておいでになった方々には、アンノーンウォリアーズの墓、つまり無名戦士の墓でございますが、そこに御参詣いただくということが、いつの場合でもイギリスとしては慣例になっておるということでございまして、その慣例どおりこちらもしようということで、ウェストミンスターのアンノーンウォリアーズのお墓、そこにおいでになったわけです。
  16. 大出俊

    大出委員 ウエストミンスターにおいでになった、無名戦士の墓においでになったということは、政治に関与せざる天皇でございますから、外交的な一つの儀礼という意味で、親善の意をあらわすという意味で当時、相反する立場に立った日本英国でありましょうが、そこにある意味の弔意を表したというわけでございましょう。だとすると、女王が今度こちらにおいでになるということになりますと、フォードさんが日本に来たときに、そういうところへは御案内をしなかったように聞いておりますが、これは後から承りますが、何かのことは考えなければならぬ立場にある、こういうことになるのかどうか。つまり、女王がこちらに参られたら、当時、天皇にそういうところに足を運んでいただき、それなりの弔意を表していただいた、であれば、いいときもあり悪いときもあったという、その悪いときの時代、ここらにかんがみまして、日本においでになった場合に、天皇のその御好意にこたえて何がしかのことはしたい、これは当然あってしかるべきことでしょう。  私も実は、この記事の出どころを、どうしてこの記事ができ上がったかということを、少し時間をかけて調べてみております。こういう問題でございますから、どうも余りずけずけ申し上げにくいわけでございますが、したがって、遠慮しながら話をいたしますけれども、当然の結果として、おいでになれば、それにこたえるべき場所にというストロングリーデザイアリングがあったっておかしくはない。そこら関係は一体どういうふうに解釈をすればいいのかということ。  きょうは外務省にもお見えいただいたのでありますけれどもそこらのところは、私が調べた限りでは、いろいろ儀典関係の方々と相談をされたようでありますけれども、ちらっと千鳥ケ渕というお話ども出ておったように聞いておりますけれども外務省を含めまして、そこらのところは一体どういうことになっているのか。私も実は、言わないでいいことは言わないつもりでおりますけれども、素直に承りたいのでございますが、いかがでございましょう。
  17. 野村忠策

    ○野村説明員 お答え申し上げます。  エリザベス女王の日本におきまする御日程全体につきまして、ただいま英国側と協議しながら政府部内で検討中でございまして、まだ閣議も経ておりません。したがいまして、現在の段階におきまして、御日程についてお答えできる段階にまで至っておりませんので、御了承をいただきたいと思います。
  18. 大出俊

    大出委員 日程を聞いているのじゃないので、つまり、これだけの記事が出ている、取り消している、これは外交的な手続もこの中にあるわけでありまして、このゴムサルというのですか、英国大使館の書記官、この方が、この種の記事について非常に影響の大きさ等を含めて心配をされて、それなりのことをいろいろ、どうしてこういう記事が載ったのかというようなことを外務省に尋ねたりなんかしておるようであります。したがって、これは相談がなかったはずではない。だから、私が聞いておりますのは、靖国神社に参拝をしたいという強い希望を持っておられる、この記事が事実でないならないで、全く何もないところにこんな丁寧な記事が載るはずはない。したがって、そこらのことは、向こう様が、天皇がおいでになったときのいきさつから見て、当然それにこたえるべき必要を感じておられるだろうと思う。だとすると、やれ、どうこれに対処したらいいかという相談がないはずはない。  ちょっと私、口が滑ったわけでありますが、したがって、そこらのところを、日程云々でなくて、一体どうお考えなのかというその一点だけを聞いているわけです。
  19. 野村忠策

    ○野村説明員 先生御指摘の点は、御日程と非常に密接に結びついておりますので、現段階では、英国側がそういうような強い希望を有していたかどうか、こういう点も含めまして、まだお答えできる段階でございません。どうぞ御了承いただきたいと思います。
  20. 大出俊

    大出委員 御日程と強く結びついている、こういう御返答でございますが、そうすると、靖国神社であれ、千鳥ケ渕であれ、この千鳥ケ渕は無名戦士の墓になっておりますが、厚生省の所管でございましょうが、強く結びついている限りは、天皇がおいでになって、それなりの弔意を表されたことに対して、クイーンがこちらにお見えになったときのそれにこたえるべきこと、私はそこを聞いておるのです。それが御日程と強く結びついておるとすれば、何らかの形で英国側の御希望なり何なりということにこたえるべく相談をしている。強く結びついているということですから、そういう考え方がないというのじゃないですからね、あなたの答えは。強く結びついている限りは、皆さんの討議の中身として、そのことを対象としていまやっておられる、こういう理解になりますが、よろしゅうございますか。
  21. 野村忠策

    ○野村説明員 私が強く結びついておると申し上げたのは、英国側が現在、靖国神社等を訪問したいという希望を有しているとか有していないとか、そういうようなことが、すなわち御日程と密接に結びついておる、こういうことを申したわけでございます。
  22. 大出俊

    大出委員 そうするともう一遍、そこの点念を押しておきたいのです、非常に微妙な発言をなさるので。英国側が靖国神社訪問を強く希望しているというようなことが御日程と強く結びついているといういまお答えなんで、そうなると、これは、ここに書いてある記事のとおりになるわけであります。そうすると、これは取り消し記事を載せるという必要はないのであります。御日程と強く結びついて、このことが靖国神社訪問ということで検討しているということならば、これは取り消しもへちまもない。事実であったことになる。  ですから、事実なら事実でいいので、これは国情が違うわけでありますから、日本に行って天皇の弔意に対する答礼をしたいというお気持ちがおありになる、これはお互い人間である限り理の当然であります。悪い時代もあったわけでありますから、そこに天皇がおいでになって、向こうの戦士の方々に対する弔意を表されたわけでありますから、クイーンがこちらにお見えになるとすれば、当然それにかわるべきことをするということで、両国の親善があるということになるはずでありましょう。  だとすれば、何もここで取り消し云々ではなくて、素直に、向こうの方々にそういう考え方があるならばあるということを言っていただけばいいわけで、そこのところどうですか。
  23. 野村忠策

    ○野村説明員 まだ現段階では、その辺の事情につきましても、申し上げることを差し控えさしていただきたいと思います。
  24. 大出俊

    大出委員 これは法律を離れて、政治的には皆さんが御存じのとおりでありまして、そんな簡単なことではない。だから、これが公式にならなければ済んだのだと思う、私が調べた限りは。私も調べているわけですから。だから、真っ向から否定をなさらない、それならそれでよろしゅうございます。私もよけいなことをここで言わないように気をつけながら質問している。だけれども、やっぱり表に出ているわけですから、だから英国大使館筋も、ゴムサルさんあたりも、その与える影響を非常に御心配になっているということなんで、いま、あなた方のおっしゃっている密接に結びついている、だから、密接に結びついているということは、靖国神社御訪問、こういう希望が向こうにある、こういうことになるのだろうと言っているわけでありますが、それまで否定をされると——日程上それができないということになるのか、それはわかりませんが、それは日程の検討の結果でございましょうから。だから、そこまで否定をされると質問になりませんので、もう一遍お答えいただきたいと思いますが、外務省どなたか、これは儀典官でないとわかりませんか。
  25. 木内昭胤

    ○木内説明員 先ほど来の靖国神社参拝あるいは千鳥ケ渕戦没者墓苑に参拝するということが、英国側とのやりとりの間において話題になったことは事実でございます。ただ、この英文毎日新聞に出ておりますように、英国側が強い希望を表明したということは私ども承知しておりません。
  26. 大出俊

    大出委員 英国側と話題になったことが事実であれば、それでよろしゅうございます。私もよけいなことを、いや、これはうそじゃないですよ、こういう人に聞いたらこうだったというようなことを、ここで言う気もありません。ですから、そこをお認めになるならそれでよろしい。  そこでお願いをしておきたい。つまり、そのことが話題になる限りは、私は慎重に扱っていただきたい。靖国神社法なる法律が、先国会でも大きな問題になったことは事実でございます。藤尾委員長おいでになるところで質問する、これもどうも、場所場所ですから御勘弁いただきたいのですが、世の中じゅうに藤尾私案という新聞記事が載っているわけでして、したがってこれは、政治的には、外務省がかりに千鳥ケ渕をとお考えになっても、それはちょっと待て、靖国神社でいいじゃないか、こういう意見だって政治をやっている方々の中に出てくることはあり得るわけでして、それが皆さんの方に伝わることもまたあり得るわけでありまして、そのことを私は否定をしていない。立場が違う。したがって私は、慎重にと、こういう言葉を使っているわけでございます。  そこで、承りたいのですが、いまの問題は、それでよろしゅうございますが、ここから先は一つの仮説を立てますが、ここにある記事は承知していない、強い希望を持っておるということは承知していない、こうおっしゃるのだが、もしかりに、ここにある記事のように女王サイドから、御本人が直接ということではもちろんないでしょうけれども、強い希望を表明をするという場面が出てきたら、これは将来もあることで、英国のみならずほかの元首がお見えになることもあるわけですが、強い希望が出てきた場合、外務省あるいは宮内庁は、どういうふうにこれに対処なさるおつもりでございましょうか。
  27. 木内昭胤

    ○木内説明員 エリザベス女王の本邦来日の日程につきましては、これは御承知のように、私どもの一存で決められる筋合いのものではもちろんなく、英国側と、すなわち相手側ときわめて慎重に相談しなければならない。しかも王室であり、その王室の首長が女性であるということも含めまして、慎重に対処しなければならぬということは当然のことだと思います。  ただいま御指摘の参拝の問題につきましては、これは仮説であるということを、先生言われましたが、そのとおり、その前提に立つならば、私からここでお答えするのは控えさせていただきたいと思います。かりにそういう問題が出ました場合には、英国側とも慎重に協議いたすつもりでございます。
  28. 大出俊

    大出委員 日本の天皇の法的な地位は、憲法で規定されておりまして、地位という言葉を使っておりますけれども、象徴天皇という、これは国の機関でございますが、その地位、これは政治的な権能を有さないわけでありますから、私は後ほど申しますが、たとえば訪米という問題なんかでも、一つ間違って政治というものと絡むという場面が出るとすると、大変にこれは心配なわけでありまして、したがって、私の気持ちからすれば、なるべくそういうかかわり合いのあるところにはお出にならぬ方がいい、実はこういう私的見解を持っております。  そういう意味では、もし強い希望があった、だからというようなことになるとすると、国内政治の争いの大きな場所に、逆にこの国の天皇が引き込まれてしまう、こういう結果になる。増原発言のあの一件だけでも、あれだけ大きなことになるわけでありますから、また安川大使の安川発言についても、私、ここで両方とも、片方は田中総理に質問をしたわけでありますけれども、明らかにこれは政治の場に天皇が出てきてしまったわけであります。だから、それはいけない、そっとしておかなければいけないという気持ちが私にはある。  そういう点で、向こうの御希望であっても、受け答えるこちら側の立場からすれば、政治の場に入ってしまわざるを得なくなる、そういう心配を私はする。そういう意味で、公的行為論というふうなことを、私自身は認めていないのですが、だが、皆さんがおっしゃる公的行為という問題をめぐって、その責任の所在はと言ったら、直接的には宮内庁であり、二次的には総理府だ、こういうわけであります。  そこで、そういう意味総務長官に承りたいのでありますが、この種の問題は、私がいまここで申し上げている天皇の憲法上の象徴という地位、お立場からして、政争というものにかかわるという場面をつくることは避けたい、こういう気がするわけでありまして、そういう意味で、いまの問題は、一つの仮説を立てて慎重に申し上げましたが、総務長官はどうお受け取りになりますか。
  29. 植木光教

    植木国務大臣 英国女王陛下の御来日につきましては、ただいま外務省の方から答弁がありましたように、その日程を協議中でございまして、私も、ただいままで全然聞いておらないという状況でございます。  それに関連いたしまして、天皇の問題がございましたが、憲法第四条第一項に、申し上げるまでもなく「天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。」というふうに明記されております。したがいまして、いささかでも天皇を政治の場に巻き込むと申しますか、あるいは利用すると申しますか、そういうようなことがあってはならないということは明らかでございます。
  30. 大出俊

    大出委員 くどくなりますから、その辺にさせていただきますけれども、いまの総務長官の御趣旨からすれば、好まざることであっても、事政争の場に天皇がかかわりを持たざるを得なくなるというようなことは避けたい、こういう心情だ、こう考えていいはずだと思うのでありますが、いかがでございますか。
  31. 植木光教

    植木国務大臣 そのとおりでございます。
  32. 大出俊

    大出委員 実は、総務長官の時間がおありになれば、国事に関する行為等々について、詰めた結果としていまの質問をしたかったわけでありますけれども、途中省略で質問をしておりますのでその点は御勘弁をいただきたいと思います。そこで次の問題は、天皇が今回米国においでになることが発表されているわけでありまして、そこでさて、この問題は実は歴史がございます。私も、ここで何遍か質問をしたことがあるのでありますが、英国に御訪問になったときに、たしかアンカレジですかどこですか、経由地でニクソン大統領が出迎えられたという場面がありましたが、そのときに天皇のアメリカ御訪問の話が出た、こう紙上伝えられているわけでありますが、事の起こりは一体どこから始まったのか、そこのところをひとつ承りたいのです。
  33. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答え申し上げます。  昭和四十六年の秋、四年前でございますが、天皇が御訪欧の途次、アンカレジに給油のためお立ち寄りになられたその際に、前米大統領ニクソン氏が夫妻でアンカレジまで出向かれ、いわば歓迎の儀礼をされた、これは御案内のとおりだろうと思います。その際に、将来適当な時期にというような表現であったと思いますけれども、そういう形でいわば一種の御招待の申し出があったようでございます。そういうことから、それ以来数次にわたってそういうようなこともあったようでございますが、昨年十一月、就任後間もないフォード現大統領が来日されまして、十一月の十九日であったと思いますが、宮中で陛下と御会見の席上、フォード大統領から、以前から両陛下に対して御訪米の御招待を申し上げていたが、改めて適当な時期に御訪米されるよう御招待申し上げたいという旨申し出がありまして、なおその際、私の仄聞いたすところでございますが、天皇もそれは政府によく伝えます、四囲の情勢が許すならば御招待をお受けしたいというような旨の一種の御返答をなすったように聞いておるわけでございまして、またその後、同大統領は政府に対しましても同様の趣旨の申し出があったというわけでございます。  そういうようなことがございまして、政府としましては、わが国と米国との親善関係の増進というような見地から御訪米願うように取り運ぶのがいいのではないかというようなことを考え、また具体的にどういう時期にどうするかというようなこと等を、それ以来いろいろと外交ルートを通じまして政府としては詰めてまいられたようでありますが、本年の秋に、いま申し上げた儀礼、友好、親善関係の増進というような見地から御訪米願うことにいたしてはどうかというようなことになり、それが一種の閣議決定ともなりまして、両陛下にはその御招待をお受けになるということになって、御訪米が実現する運びになったわけでございます。そしてその旨、二月二十八日に政府から発表があっておるわけでございます。
  34. 大出俊

    大出委員 これは外務省に承りたいのでありますが、どうも私あるいは私どもの立場からしますと、大変こじれた過去のいきさつがある、そこで非常に心配なのでありますが、これは宇佐美さんにお見えいただいて当時、私が質問したのでありますけれども、当時、外務省と宮内庁の考え方が、どうも質問しても出てこない、違った発言が出たりいたしました。アメリカのニューズウイークが書いておるのでありますが、宇佐美さんが首を横に振ると日本の内閣はひっくり返ると書いているのでありますけれども、どうも外務省と宮内庁と意思の疎通がきわめてよくない。この時期には木村さんが官房長官でございましたか、この時期に宮内庁側から会いたいと言って会見を申し込んだ、それで相談をしたところが、表へ出ないはずのものが、帰ったら記者にすでに伝わっていたなどというようなことが当時いろいろありまして、ずいぶん激しいことを宇佐美さんが私の質問に答えて言ったいきさつもございます。  したがってどうもこれは、田中・ニクソン共同声明の中にもこの時期がうたわれたわけでございますが、これは私、当時非常に疑問に思った。確かに親善という意味の外交的な御行為になる分野はございましょう。だがそのことを、両国の政治的な話し合い、その結果まとまった共同声明に加えるなどということがあるべきではないという気が実は当時したのでありますが、この日米共同声明等に、田中総理の時代に訪米の時期というふうなものをうたった、この点などはどうも私はすっきりせぬのですけれども、順を追って承りますが、そのあたりはアメリカ局長さん、一体どう外務省はお考えなのでございますか。
  35. 山崎敏夫

    ○山崎(敏)政府委員 大出先生がただいま仰せられましたとおり、この問題に関しては、いろいろな経緯があったわけでございますが、田中総理が昭和四十八年の夏に訪米されましたときの共同声明におきまして、ごらんいただきますとわかりますように、当時ニクソン大統領の方から両陛下の訪米の希望が伝えられたわけでございます。その点に関しまして当時の田中総理大臣は、右の招待に対して深甚の謝意を表された、それだけにとどまるわけでございます。政府がこの問題をその場でお受けしたとか決定したということはなかったわけでございます。  そしてその後、アメリカの方におきましてニクソン大統領が辞任いたしましてフォード大統領となりまして、フォード大統領が昨年の十一月に訪日したときに、ニクソン大統領の当時の米国政府の希望、陛下になるべく早い機会にアメリカを訪問していただきたいという希望が改めて伝えられたというわけでございます。それについてのいきさつにつきましては、ただいま宮内庁の次長から御説明があったような次第でございます。したがいまして、この問題に関して政府が政治的に利用したということは一切なかったものとわれわれは確信いたしております。
  36. 大出俊

    大出委員 これは経過を追えば引き続いているわけですね。いまお話がありましたが、田中総理と当時の大平外相の間で意見が一致した、これは四十八年の四月の段階です。その四月段階では十月ごろにと、こういうことでした。これは当時、宇佐美長官にここにお見えいただいて私が詰めましたら、宮内庁の側は全く知らされていなかったと言う。私は、それはおかしいじゃないか、何で一体、田中総理と大平外務大臣の間で四月の段階で話がついて、意見が一致して十月ごろ、こういうことになったというのに、そのことを全く宇佐美さん、あなたが御存じないというのはどういうわけだ、いや、そう言われても話がなかった、ないことは事実ですと一歩もお引きにならない。そうすると、当時のいきさつからして、当時はそこまで詰められなかったけれども、いまになれば明らかなんです。だから申し上げているわけです、将来のことがありますから。宮内庁側が全く知らないうちに、総理大臣と外務大臣の間で、つまり政治の分野で、天皇の御訪米の意見の一致、時期的な問題、ここまで話が詰められている、一体これはどういうことになるのだ、私はこれは重大問題だと、その後考えて今日に至っているわけであります。明らかな政治的利用ではないか。  当時、ウオーターゲート事件も出てくる、国内においても田中内閣に対する風当たりが強くなる、こういう時期。私の質問の詰めは、瓜生さんが答えましたが、時期的にこういう時期を選ぶことは妥当かどうかという言い方をしたら、大変まずい時期だということをずばりお答えになったわけであります。政治的な場所で決まっていったのだが、最終的に、宮内庁側から時期的にまずい、こういう意見が公式の席上では出た、こういうかっこうだったわけであります。そういう、これはいわく因縁がついているわけであります。そこでいまの時期に、政治的な利用あるいは利用される、この種のことは全くないと外務省はお考えでございますか。
  37. 山崎敏夫

    ○山崎(敏)政府委員 今回の発表にもございますように、陛下の御訪米は、日米友好親善関係の増進という観点からのみ考えられておるわけでございまして、政府側としては、これを政治的に利用するという考えは全くないし、また、事実アメリカ側においてもそういうことはございません。日本の一般の受け取り方も、そういうことであるとわれわれは承知しております。
  38. 大出俊

    大出委員 ここでもう一遍、宮内庁に聞きたいのですが、天皇が外遊をされたというのは、歴史的に何回ございましたか。
  39. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 天皇の外遊について私が承知いたしておりますのは、前回のヨーロッパ七カ国を御訪問になったということだけでございます。
  40. 大出俊

    大出委員 そうすると、今度アメリカにおいでになると、歴史的には二回目ということになる、それ以外にはないということでありますから。したがってこれは、大変重要なことでございまして、先ほど英国の話を申し上げましたが、いい時期と悪い時期があった、この悪い時期を含めまして、いまの天皇御在位の間に歴史が移り変わったわけであります。  実はここに、磯村さんという都立大学の社会学の教授が書いた文章がございます。当時のアメリカにいた日本人の立場というものを書いておられるわけでありますが、この中で言うならば、湾攻撃以来、アメリカにいた日本人というのは大変な苦労をしたという。コンセントレーションキャンプという名前の場所に入れられたが、これは明らかに実際には大変な収容所であった。砂漠の中に有刺鉄線を張りめぐらして、しかもこれに電流を通じて、その中に兵舎まがいのバラックがあって、そこに寝起きをさせられた。尋問を受けてはアメリカへの忠誠が要求された。そしてときには、きわめて厳しい尋問もあった、こういうわけであります。長い方は二年余にわたって収容所暮らしをした。ところでさて、終戦になって、このコンセントレーションキャンプに入れられていた方々は、一部の老人、子供を除いて、もとの町に帰ることが許可されなかったというんですね。だから、映画に「東京への道」というのがあるが、それとは異なるにしても、砂漠の収容所から東に向かうことを強制された。砂漠の先には、日本でも知られている険しいロッキー山脈が横たわっている。そこに近づいたときには、だれが自分たちをこんな残酷な目に遭わせるのかと憎悪をみなぎらせたという。そして、この方々の大半は、文字どおり天下の険、ロッキーを越えて東の方のシカゴ、ニューヨークの方にさまよっていったというわけです。そして若い者は内職をしながら一生懸命働いた、学校にも通った、これが一つの歴史なんですね。  だから、天皇という日本の憲法上の象徴という意味の地位をお持ちの方に対する感情というものが、アメリカでは地域的に見て、在アメリカの日本人、その子供たちは違うというんですね。忘れられない砂漠の収容所生活。だからその意味では、東海岸、西海岸ありますけれども、現在この地域別に、非常に考え方が違う。この方はそちらを歩いてこられたようです。  したがって、そういった配慮なしに、真の日米親善という形のものは出てこぬのではないか。だから、天皇が訪米をなさるとすれば、国内的には、つまり日本というこの国の内部的には、そこらの問題などについて一体どういう配慮が先行しているのかということを厳しくこれは問うているわけです。そこらの問題までこれは関係がある、私はそう思うのです。これは真珠湾に行った方は皆御存じのとおりの状態であります。  だから、天皇御訪米を決めて、これで戦争の一切が終わるのだという、そういう取り上げ方をしている新聞も幾つもありましたが、本当に終わらせるのならば、それだけのことがなければならぬわけでありますが、まず、そこらを一体、外務省側あるいは宮内庁側はどうお考えでございますか。
  41. 山崎敏夫

    ○山崎(敏)政府委員 先ほども申し上げましたように、今回の陛下の御訪米は、純粋に国際儀礼上の問題としての親善訪問でございまして、それ以上のものではないわけでございます。  ただ、日米関係には仰せのとおりいろいろな時期がございました。ことに日系の方々が、戦争中にいろいろと苦労されたという事実もございます。その日系の方々も、現在は大部分が米国人の一部となっておられるわけでございますから、日米親善の増進という見地から、この日系の方々に対する配慮ももちろんあってしかるべきだとわれわれは思っております。またそこに、そういう方々が日本人を祖先としておられるということも踏まえまして、われわれとしては、そういう点も考え合わせながら、御日程の作成に当たりたいと思っております。  ただ申し上げたいのは、陛下の御日程の作成は、アメリカとの話し合いでございますけれども、これは、やはり向こうの御招待でございますから、向こう側の意向も十分尊重いたしまして、そしていま大出委員の申されたような点も考慮してわれわれとしては作成してまいりたいと考えております。
  42. 大出俊

    大出委員 この書いたものを見ますと、外務省と他の官庁との間の意思疎通というような面でいささか心配になる面もある。だがその前に、先ほど私、指摘しましたように、四十八年の四月という段階で田中総理と大平さんとで意思統一をして十月ごろにと意見が一致した。それで田中首相が訪米をされて、これは夏でありますが、共同声明ではできるだけ早い時期、こういうふうになったわけであります。そうして年が明けた二月に安川大使が、四十九年中に陛下が御訪問される、これは錯覚発言ですね、私も質問しましたが、こういういきさつがある。ここまでは、私どもは双方に明確な政治利用の意図があったと断言をするのです。  だから宮内庁の側も、宇佐美さんが首を振れば内閣がひっくり返るなんということを、ニューズウイークが書いていますけれども、きちっとした発言をして、私ども質問に答えて、時期が適当でないということを瓜生さんが言う、宇佐美さんがそれを認める、こういう実はいきさつにあった。今回はそうではないと、こうおっしゃる。だが、これも二回しかない、今度おいでになって二回ですから、実は一回しかない。ですから、一つ間違うとやはりいろいろなことが派生しかねない。私は、私的にはさっき申し上げた趣旨で不賛成なんです。いろいろな歴史を踏まれてこられた現在の陛下でございますから、そっとしておきたいという気が私は強い。したがって、賛成できないのでありますけれども、ただ、けさも確かめましたが、私どもの党の立場としては、政治的な利用というものは断じてしては相ならないということを強調する、以下触れない、そういう態度です。  したがって、結果的に十月の一日から二週間、こういうたしか御予定だったと思いますが、そこで世上、やれ解散だ云々だという話も取りざたをされてきたわけでありますけれども、この秋天皇が訪米をされて帰ってきた、内外のテレビを通じて大きなPRになった、親善の上で大きく成功した、そこで解散だなんということになりますと、これは初めからそういう意図があったのじゃないかという、あるいは早期解散説があるのだが、十月に訪米ということが決まったのだから早期解散はないのだとかいろいろな話が耳に入る。つまり、それほどこれは神経質な筋合いになるものなんですね。  したがって、ここから先が実は少し議論なんですけれども、皆さんがおっしゃる天皇の公的行為というのは、象徴という天皇の地位から発するわけでありますが、ここでもう一遍整理をさせていただきたい。憲法に規定をされ、明文のございます国事行為、もちろん人間天皇宣言をなさって以来、私的行為があるはずでありますが、その真ん中にあるものは何ら規定がない。そこで、これについて改めて政府の正確な御答弁をいただきたい。あわせて、これは、かつて行政解釈という問題と絡んでいるわけでありますが、行政解釈というのは一体いつごろ出されたものであり、中身は  一体どういうものかという点につきましても——それを踏まえてこうだという、方々でいろいろ答えている議事録もたくさん読んでおりますし、私自身も質問いたしましたが、厳密に調べていきますと、いろいろ違いがある。高辻法制局長官なんかも、うっかり答えてしまって、いささか私の言い過ぎもございましたなんて後で手直ししてみたり、いろいろなことになっている。  そこで、ここらのところをひとつ、法制局にもお出かけいただいたのですが、どうわれわれは理解をし、かつ納得すればいいのか、お聞かせをいただきたい。
  43. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 公的行為については、御指摘のように、これまでいろいろな機会に御説明申し上げているところでございますが、この際、改めて政府見解を申し上げたいと思います。  憲法上、天皇が国家機関として行為をされるその場合としては、憲法の定めるいわゆる国事行為に限るということは、憲法の四条二項、六条及び第七条に明記されているところでありまして、このことについては明らかであろうと思います。ただいま申し上げたのは、天皇が国家機関として行為をされる場合のことについてのことでございますが、憲法というのは、言うまでもなく国の国家構造というものを決めている基本法でございますから、わが国におきましては立法行政、司法の三権についてそれぞれ決めていると同時に、天皇という特別の地位を持っておられる方も広い意味の国家構造の一部として国事行為を行われる、これが国家機関としての天皇の地位であろうと思います。そういう意味で、その点については憲法の性質からいつて明文の規定があるわけでございます。  ところが、これも言うまでもないことかと思いますが、天皇は国家機関としてそういう行為をされると同時に、自然人としていろいろ御行動になるわけであります。ところが自然人として御行動になる場合には、まず私人として、全く純粋の私人としての御行動があることは当然であろうと思います。  ところが一方において、天皇は憲法第一条によって日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるという地位を持っておられます。そこで天皇が自然人として行動される場合においても、その象徴としてのお立場というものからにじみ出てくるところの御行動というものが、全くの私人として御行動になる場合と違いがある、こういう認識に私どもは立っているわけであります。  そこで、天皇の御行為としては憲法上の国事行為、それから象徴としての地位を反映しての公的な行為、それから全く純然たる私的な行為、この三種類が挙げられる、私どもこれを三分説というふうに申し上げているわけでありますが、なお、お許しを得れば、その反対説も申し上げて、一々……。
  44. 大出俊

    大出委員 四分説だってあるんですから、それはいいですよ。  そこで承りたいのですが、天皇の地位、つまり象徴、この憲法第一条の規定というのは、天皇の行為規定してはいない。あなた方いつも答弁されておるのは、つまり象徴という天皇の地位、ここから発する行為と、こういう言い方になる、公的行為というのは。そして象徴というのはどこで決めているかと言えば、明らかに憲法一条であります。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と、こうある。これは、どうこれを解釈してみても、この一条という、つまり象徴天皇になる地位の位置づけは行為規定していない。行為ではない。これは、もう確かにそうだろうと私は思うのでありますが、これは、まずいかがでありますか。
  45. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 憲法第一条が直接天皇の御行為規定していないことは、御指摘のとおりであります。ただ、私ども先ほど御説明申し上げた中で申し上げたつもりでありますけれども、自然人としての行為というものに憲法第一条の反映がある、そうして公的行為というものを憲法解釈上認められるべきだ、こういうふうに申し上げているわけであります。
  46. 大出俊

    大出委員 それにもかかわらず、ここに規定がないことは間違いない。  そこで四条では「國政に關する權能を有しない。」というのを前段に置いて、これは委任立法は後からできましたが、三十九年だったと思うのですが、委任行為を決めている。これまた行為でございましょうが、内閣の助言と承認というのはここにはうたわれていない。うたわれていないのだが、皆さんには皆さんの解釈がある。不思議な話でありますが、まずそこのところと、それから六条と七条、これは十二ばかりあるのでありましょうけれども、国事行為そのものは、これは内閣の助言と承認を得る。助言とは何で、承認とは何だ、旧憲法の輔弼とは何だと、いろいろな問題が絡んでまいりますが、また吉田内閣時代の抜き打ち解散に対する司法上の見解、一審二審いっておりますが、こういうのはございます、いろんな問題ございます。  ございますが、そこで問題になるのは、一つずつ処理をしていきたいんですけれども、皆さんがおっしゃる国事行為の、たとえば天皇の外遊、こういうことになった場合に、その意思の決定はどなたがおやりになるか。これは天皇だという旧来答弁がございますけれども、そこのところはどうなりますか。
  47. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 ただいま先生は、国事行為と言われましたけれども、御趣旨は公的行為であろうと存じますが、国事行為につきましては、お話の中にもありましたように、憲法で内閣の助言と承認とを必要とするということになっているわけでございます。  公的行為につきましては、これは憲法で言う国事行為でございませんから、そういう意味では、憲法に定める内閣の助言と承認というものはあり得ない、こういうことをまず第一に申し上げられると思います。  次に、この公的行為は、先ほども申し上げましたように、天皇の自然人としての行為の一つでございます。したがいまして、国事行為をおやりになる立場と違いまして、やはり天皇の御意思というものが、そこで非常に大きな意味を持つことは当然であろうと思います。そこで従来、公的行為、これは私的行為も同じでございますが、天皇の御意思というものが実質的にそこに働くということを申し上げているわけでございます。ただこれは、基本的な問題になりますけれども、天皇は象徴としての地位を持っておられるわけでございますけれども、それについて、全く天皇の御意思だけで一切の物事を決するというのは、これは恐らく憲法の趣旨ではないと思います。  そういう意味におきまして、私的行為についても、天皇が全く個人として天皇の御意思どおりで動くのではなくて、やはり広い意味行政の一部として天皇のお世話をすると申しますか、公的行為なり私的行為というものが憲法の趣旨に従って行われるようにいろいろ配慮する、そういうものが行政の責任であろうと思います。このことは、御承知かと思いますが、宮内庁法の皇室関係の国家事務あるいは先ほどもお話が出ておりましたけれども、その上の総理府、さらには最終的には内閣の責任という形で行政組織の上でもそれぞれの機関が事務を分担して、そして天皇の公的行為なり、あるいは私的行為について行政の責任を尽くしているということに相なるわけでございます。
  48. 大出俊

    大出委員 そこが問題なんですね。皆さんがおっしゃっている公的行為というのは、自然人としての天皇だという前提が一つあって、私的行為ではない、国事行為との中間に、皆さんがよくいままで述べておるところからすれば、一条の象徴という地位、この地位と権能とが一体どう絡むかという問題もここにはある、あるが、文章上地位ですから地位というここから出てくる、こういう解釈をおとりになる。だから、そこで天皇の御意思というものがまず働く、内閣の助言と承認は要らない、原則としてそうである、後は行政上のお手伝い、そういう意味の責任が宮内庁にあり、宮内庁を統括をする責任者である総理府にあって、さらに総理府総務長官が大臣として列席をする閣議に最終責任がある、こういうわけですね。  ただ問題は、天皇の御意思というものがそこに優先をして、自然人であれ何であれ事が行われる、あとは行政上のお手伝いをする、この場合に起こった責任というものを、本当に内閣が負えるのかどうかということですね。これは大変問題になるところですよ。法律規定は何もない。しかも助言と承認は要らない。訪米なら訪米という問題は、外交活動に違いない、私は、そう思うのでありますが、ただ政治的権能を有しない外交活動、こうなんですね。  ですから、親善で行ったって話をしないわけじゃない。自然人ですから話をするわけでありますから、それなりの影響力を持ち得るわけであります。だから天皇も、お体の許す限り親善に努力してくるということをおっしゃっているわけですね。侍従を通じて言わせているんですね。しかし、いまの天皇なら、大変な時代をこの国を統括してこられたわけでありますし、戦後、象徴天皇の地位においでになるわけでありますから、たくさんの御経験の上にお立ちになって、だから私は、そっとしておいてあげたいと申し上げましたが、それほどの心配は要らぬかもしれぬが、しかし日本の将来を考えれば、若い天皇がお立ちになることだってあり得るわけでありまして、これは歴史的に、明治天皇という方とその後の大正天皇という方といまの天皇の間に、われわれが目にし、耳にすることからすれば、個人としての違いがあるわけでございまして、その意味では、これは天皇の御発意が、自然人としての強固なものがあって、物を言わぬという意思をお持ちになった場合、それが公的行為であって、表にあらわれなければ済みますが、あらわれる場合だって将来あり得るかもしれぬ、世代が違うのですから。そうすると、その責任を天皇の御意思で、こういう筋合いの、あなた方の言う公的行為で内閣が負えるかという問題が出てくる、これはどこにも規定がないんだから。内閣法という法律もある。あるが、何らそこに取り決めがない。そういう公的行為の存在を許しておいて、果たして第一条の象徴、天皇の地位というものを踏まえて、皆さんや私どもや内閣が責任を負えるかという問題、どこからどこまでが、公的行為だというのは常識で判断すると宮内庁は答えている。だが、事常識で判断していいような筋合いのもので断じてない。要するに憲法の解釈はこういうものだと思うという皆さんのおっしゃり方だけ。だから学説は区々に分かれるわけでありまして、私的行為の範囲というものを最大限に広げなさいという学者もいるわけであります。三分説に対して四分説だってあるわけであります。  だからそこらのところは、いままでの御答弁だけでほうっておけない、きちっとしたものにしておかなければ、まだ一回しか外遊はなさっていない、これから二回あるいは三回という外遊もあるかもしれぬ、だとすると、そのこと一つとったって、きちっとしておかなければならぬ筋合いだと私は思います。内閣法の問題に触れましたが、つまり行政の権能というものは内閣が持っているわけでありまして、憲法の六十六条でございましょう。だとすれば、助言と承認という問題だって、これは、その側から見れば行政行為でありますから、そういう意味では、やはり行政的に責任を負い得るように根拠を明確にしておく必要がどうしてもある。たくさんの議事録を読んでみましたが、その上に立ってなおかつその必要がある。皆さんがその都度、あっちへ行ったりこっちへ行ったりお答えになっているわけですが、それではいけないという私は気がする。そこはきちっとしなければならぬ。法的にそういう方法を取り得ると私は思うのでありますが、いかがでございますか。
  49. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 先ほど公的行為については、天皇の御意思が自主的に尊重されるべきであるということを申し上げましたが、その趣旨は、最初に国事行為について申し上げたことと対比して御理解願いたいと思います。  国事行為については、外形的には衆議院の解散だとか非常に大きな政治的意味を持つものがあるわけでございますけれども、これは憲法で天皇の御意志によらないということがはっきり明記されておるわけでございます。それに比べますと、公的行為につきましては、天皇が自然人として、国家機関としてではなくて、自然人として行為されるので、そういう意味においては、天皇の御意思というものが尊重されなければいけないということを申し上げたわけでございます。  しかしまた、次に御指摘になりましたように、その責任はだれが持つかということになれば、これは当然内閣が持つべきものだと思います。それでは内閣が持つということが明記されていないではないかということだろうと思いますけれど、これは確かに、そのこと自体については明記されておりません。国事行為については、助言と承認という特別の規定がございますけれども、公的についてはないことは御指摘のとおりだと思います。ただ私どもは、それは内閣の権限のうちの一部として、憲法の七十三条に「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」ということが規定されております。その一般行政事務の中に当然入っている、こういうふうに理解しております。そして、この憲法の規定を受けまして内閣法が定められているわけでございます。内閣は、さらにそれを国家行政組織法の定めるところにより各府省に分担管理させているわけであります。そしてそれを受けまして、総理府設置法でその外局として宮内庁を置いて、いわゆる皇室関係の事務を処理しておる。宮内庁法では、何条でありますか、ちょっと忘れましたけれども、皇室関係の国家事務を宮内庁は処理するということで、一応そういうことについての責任と申しますか、行政上の組織、権能というものはそこで整備されているということに私どもは理解しております。
  50. 大出俊

    大出委員 この憲法をつくるときに、公的行為ということ一つを考えても、学者の間に多岐にわたる意見があるのを、たとえば東京大学の小林さんのような意見もありますし、大石さんのような意見だってある、まさに大変に広がった意見があるのを、この憲法をつくるときに、公的行為の責任の所在を七十三条で想定して決めていた——さっき私は、動物保護管理法の立法趣旨という話をしましたが、そう都合よくはいかない。終戦直後の状況ですから、宗教法人法に至る過程を見たってそうだが、最初出されたものとは、これは覚書があったんですから、全く違ったものが出てきているわけです。  そういうわけで、この憲法をつくるときに、これは小林さんの書いている「憲法講義」にも細かく当時のいきさつがありますし、高柳さんが書いているものにもありますが、総司令部の側というのは極力天皇の権能を狭めようとした。それは歴然たるものだ。その趣旨からすれば国事行為と私的行為、これを、私的行為というのは自然人だから自然にあるわけでありまして、天皇の行為というのは国事行為にしぼったわけです、成立の歴史から言えば。皆さんの中でも、ずいぶんがんばって天皇の形を保とうと苦労された経過もございます。だから、この憲法をつくったときに、そこまでの想定なんかしちゃいないはずです。ただ、いま法的に論拠を持たせようとすれば、そういう解釈もできるということなんです。だから、それではならないと言うんですよ。公的行為であっても、実は国事行為以上にこの国にとってウエートの大きい問題はたくさんある。  幾つか例を挙げさせていただきますが、外遊だってそうですが、たとえば十あります国事行為の中に「外国の大使及び公使を接受すること。」接受ですね、これは。そうすると、外国の元首がお見えになる、天皇が元首であるかどうかということを、念のためにもう一遍後で聞きますけれども、クイーン・エリザベスさんがお見えになる、天皇の国事行為の中には大使及び公使の接受は書いてある、だが元首の接受は書いてない。大使や公使よりは、とてもじゃないが、元首となればその意味が大きいことは間違いない。それは何ら触れていない。大使、公使の接受については助言と承認が要る、絶対的に要る。これは拒否権がない。だがしかし、元首については——さっきのあなたの御答弁では、国事行為と対比していただきたい、違うのだということだった。自然人としてやるのならば、大使、公使だって自然人としてやって一つもおしかくはない。だのに、こちらは接受ということで第九号にある、だけれども、元首については触れてない。元首は大使、公使に比べて大変軽いので閣議の助言と承認は要らない、こういうことになりますか。  しかも元首の接受についての天皇の行われる行為というものが、天皇の御意思を尊重するというなら、それこそどうも天皇の御意思から見てぐあいが悪いとお考えになる元首については、天皇がそういう御意思を持たない、こういうことになった場合、それを尊重する、そうすると、どこかの国の元首は天皇の御意思で積極的な接受をお考えになった、だが、どこかの国の元首が来たときには、どうも天皇はその意思がない、そうなると、その意思がなければ内閣はどうにもしようがない。そうでしょう、尊重なさるんだから。そこらは一体どういう解釈をするんですか。いかがでございますか。
  51. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 いろいろ御質問がございましたが、まず第一に、憲法の七十三条を引用いたしましたことについての御批判がございました。これは確かに、憲法制定当時にそのような解釈がされていたとは申しません。現存の法律解釈として私どもは申し上げている。ただ、そういう問題が意識されていたことは間違いないと思います。と申しますのは、当時、占領中で司令部がおりまして、皇室のお世話をすると申しますか、先ほど来私が申し上げているような事務を国家事務としてやるかどうかということについて、非常に議論があったと思います。国事行為以外には、天皇のお世話をするということは、全部私的な使用人でやるべきであって、宮内庁というような、そういう国の機関がお世話をするといいますか、関与するというようなことはおかしいじゃないかというような議論もあって、そういう問題を意識して、現在の宮内庁法の皇室関係の国家事務というような規定が生まれ出てきたようでありますが、その淵源をさかのぼりますと、総理府設置法、内閣法にいき、さらに当然のことながら、これは皇室関係の国家事務に限りませんで、一般の行政事務すべてが七十三条へ戻ってくるわけでございますから、そういう意味におきまして、私は七十三条を先ほど引用したわけでございます。  それから次に、国事行為としての七条の九号の「外国の大使及び公使を接受すること。」を御引用になっての御質問でございますが、これは先ほど来申し上げておるように、国家機関としての天皇の行為でありまして、その天皇が接受されるというのは、単に外国の大使、公使に会って話をするというような意味ではないと思います。むろん大使、公使にお会いになって、そしてそれを、日本国に駐箚される外国の外交官として日本国が認めるというところに、あえて法律的効果とまでは申しませんが、そういう天皇の行為が同時に国家の行為として効果が帰属するという意味において九号というのが国事行為として挙げられているのだと思います。特にまた、従来の国際法の上から言っても、そういうことが一国の元首の国家を代表する行為どして伝統的に考えられておりますので、そういうためにわざわざ九号というものを置いたのだ、それゆえにこそまた、天皇の象徴としての日本国憲法における特別な地位にかんがみ、それを国事行為という枠の中に入れて、内閣の助言と承認ということを通じ、天皇が政治的なお立場で接受されるということがないように、憲法の制定者は恐らくその辺に工夫をこらしたのだと思います。  それから、元首がおいでになるということでございますけれども、これは天皇がまさに事実行為として、元首がおいでになるときにお会いになっていろいろお話をされる、国際親善の上からおつき合いをされるということでございまして、そういう意味において、これは法律的にはちょっと申し上げにくいことでございますけれども、七条の九号よりは重要でないと申し上げては大変失礼でございますけれども、法的な意味においては意味が低いということだろうと思います。そこで公約行為ということで当然処理されるのではないかと思います。  それから、最後の御質問でございますが、仮に、外国の元首がおいでになることを天皇が拒否されるというようなことを引用してのお話でございましたけれども、これは私どもの理解とちょっと違いまして、国賓として外国の元首がおいでになる、それを御招待申し上げるのは、私どもは天皇でないと理解しております。これは日本政府がお呼びするわけでございまして、天皇はむろん象徴として、その際いろいろ、この前のフォード大統領の場合などのように晩さん会を開かれるとかお迎えに出られるということはあるかもしれませんけれども、公式に天皇が御招待をするということは私どもはないものと存じておりますので、いまの先生の御質問に対しては、そういうことはあり得ない、拒否されるということ自体がそもそもあり得ない。ただ、お会いしたくないということがあるかと言われますと、その辺につきましては、ちょっと法律問題を離れますので、私の立場から申し上げることは差し控えたいと思います。
  52. 大出俊

    大出委員 いまの議論は、すでに前にあるんですよ。これは、例の委任立法を議論したときに、石橋氏がその点を詰めているんですね。これが天皇の御意思だとなれば、内閣の助言と承認ではないのですから、つまり行政行為を外れちゃうわけですね。六十六条でいう行政権能が、閣議で決定すればあるわけでございますけれども、そうでないわけですから、天皇が会いたくないと言えば、会わぬでもいいわけです。これは尊重せざるを得ない、そうでしょう。だから、そうなるんじゃないかと言っているわけです。そこまではとおっしゃるけれども、事実そうでしょう、あなた方は、天皇の御意思を尊重すると言うんですから。そうすると、行きたくないとか会いたくないとかいうこともあり得る。そこで、そういうわけにいく筋合いかと聞いているわけですよ。
  53. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 私の立場だけでお答えするのが適当かどうか非常に疑問だと思いますけれども、私はその際、天皇の御意思というものを十分尊重はしなければいけませんけれども、内閣としては、やはり天皇にいろいろ内閣としての意見を申し上げて、そしてそういうことがないようにするというのが行政としての責任であろうと思います。
  54. 大出俊

    大出委員 つまり、そういう答弁が出てくるわけですよ。公的行為とおっしゃるのだが、公的行為というものはどういう範囲のものであって、最終責任はどこが負うとか言っているけれども、明文はないのだから、何かそこらを明らかにする必要がある。たとえば国事行為に準ずるとか何かがなければ、これは一体どこからどこまでが枠なんだと言ったって、これは学者の意見でも幾つもあります。ここにも一つあります。植樹祭だとか体育大会だとか、これは私的行為ではないだろうと皆さんは言うんですけれども、こういうものは私的行為だと言っている学者もいる。あるいは、国会の開会式に御出席になってお言葉を賜る、このことも私的行為の範疇に入れるべきだという学者もある。そうすると、この分類はなるべく狭く考えなければ、公的行為というのは、裏を返せば政治的な権能と紙一重なんだから、そういうものは極力小さくしなければ象徴天皇の地位というものにかかわりが出てくる、こういう側面から物を考えている学者がいる。私なんかも、どっちかというとそういう考え方なんですけれども。  だから、それだけまちまちになっているわけだから、どこかで、たとえば内閣法の中でもこういう議論がある。内閣の助言と承認という国事行為についてだって、では内閣の中の総理だけ、あるいは閣僚だけが助言と承認の責任を負えるのかというと、総理だけ、閣僚だけが負えやしない。それじゃまた一体、内閣がやめて新しい内閣ができるときの認証行為というのは一体どうなのだ。助言と承認は、やりようがないではないか。新しく総理になる人間だけが、しからば助言と承認を行うのかどうか、しかし一致の原則は閣議にあるわけですから、そうなると、これは一体どこでどうするのだ。厳密に言えば、それだって内閣法なり何なりで処理をしておかなければならぬと私は思っておる。  同じ意味で、どこかでこの問題はきちっとしたものにしておかぬと、学者の意見が区々にあるように、政府の解釈もまちまち——まちまちということはないが、幅の広さ、狭さというのが、これが公的行為かどうかというのは、そのときにならなければわからぬということになったら困る。だから、そういう意味ではきちっとよりどころをつくる必要がある。  つまり、国事行為幾つもありますけれども、いまの元首の接受なんという問題につきましても、これはやはり国事行為に準じて物を考えるなら考えるで、それは一体法的にどうするか、そういうことをぼつぼつ考えておかなければならぬ時期ではないかという気がする。責任の所在、これもいまのような七十何条で解釈してこういうことになりそうだということじゃ困る、明文はどこにもないんですから。だから、そういうことが必要ではないかという気がするのでありますが、いかがでありますか。
  55. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 まず、第一の責任の問題でございますが、実は、もうたびたびの御質問でございますからはっきり申し上げますが、内閣が最終的な責任を持つということなんでございます。ただ先生の御設例が、天皇の御意思を無視してもと言われますので、非常に私答えにくくて、先ほど来ちょっとあいまいな答弁をいたしたわけでございますが、その辺は御了承願いたいと思います。法律的には内閣が最終責任を持つということでございます。  それから、公的行為の範囲というものがあいまいではないかという御指摘、また、できるだけ狭く解釈する方が憲法の趣旨に合うのではないかという御指摘でございますが、確かに公的行為の範囲というものが、私的行為の範囲との間で若干不分明であるということは私も認めます。これはやはり天皇が何しろ象徴としての地位を持っておられる、ほとんどある意味では公的な御存在でございますから、そういう意味において公的、私的の区別が非常につきにくいということは避けられないと思います。お言葉を返すようですが、全く純粋の私人の場合にはそれは区別ができても、天皇の場合にはその区別がよりつけにくいということは、これは御理解願えると思います。  それから、できるだけ狭くということでございますが、これは私、できるだけ狭くということに直ちに御同意申し上げませんけれども、しかし先ほど来申し上げているように、政治的な意味とかあるいは政治的な影響とかそういうものが、天皇が公的行為をされる場合にあってはならないということは、これは全くそのとおりだと思います。ですから、そういう意味において、公的行為というものを厳重に考えるということ、言いかえれば、私的行為の場合以上にそういう問題について神経質と申しますか、慎重に考えるということは、これは必要だろうと思います。  なお、一言だけ申し上げますが、私どもは、公的行為の概念というものは、三分説をとることが最も素直な法律的な説明であるということだけを申し上げているのでありまして、公的行為を認めることによって、そこに政治的な影響というものを入れてはいけないということは、もう当然のことであるという前提で議論をしているわけであります。  それから、小林さんその他の二分説等を引用されての御質問がございましたので、それにも若干触れておきますが、実は学者の中には二分説がございます。言いかえれば、国事行為と私的行為以外には認めないという説でございます。しかしこの説は、いろんな考え方がございまして、たとえば天皇が国会の開会式に御出席になる、それを例として申し上げますと、そういうものは国事行為である、そっちの方へ入れてしまえという議論がございます。これは七条の十号の「儀式を行ふこと。」で読むわけでございます。これは現在の国会法の規定から言っても、また、そもそも国会の考え方から言っても、国会の開会式というものは国会が主催されるものであって、天皇がそこに出席されるのは、明らかにお客として呼ばれるということでございますから、十号の「儀式を行ふこと。」で読むのは、私は無理ではないかと思います。  それから、私的行為の中に入れてしまえという議論も、先ほども御指摘がありましたけれども、確かにそういう説もあります。しかし私どもは、天皇が大相撲をごらんにおいでになるというのと、国会の開会式を一緒にするのはやはりおかしいじゃないだろうか。ニュアンスの差かもしれませんけれども、やはり前者については私的な色彩が濃い、後者については公的な色彩が強いのじゃないかというふうに考えて、公的行為という概念を考えているわけであります。  さらにまた最後に、およそそういうことはやっちゃいけないという説もあります。これも確かに一つの説だろうと思いますけれども、しかし現実に、国会の開会式においでになる、あるいは学士院の式においでになる、全国戦没者の追悼式においでになる、そういうものをやっちゃいけないというのも、これまた非常に不自然な話ではないか。かれこれそういうことを考え合わせまして、私どもは当然、憲法の解釈として公的行為という概念が認められるべきであるということを申し上げているわけでございます。  なお、もう一言ちょっと申し上げさせていただきたいと思いますが、公的行為と私的行為につきましては、実は学者も全然そういうことに気がついておりませんけれども、その御行為にかかる経費の支出をどこから出すかという問題があるわけであります。その問題は、宮廷費と内廷費の問題でございますが、大体公的行為が宮廷費に当たると考えれば、そういう概念を認める必要があると思います。
  56. 大出俊

    大出委員 宮廷費や内廷費、そういうことは聞いてはいませんよ。まず天皇の行為がいかなるものかということが決まれば、宮廷費、内廷費の組み方を変えればいいだけのことで、宮廷費、内廷費が先にあるんじゃないでしょうか。冗談じゃないですよ。そんな偉そうなことを言いなさんな、聞きもせぬことを。あなた方は、都合の悪いときには少数説を平気でとる。徳永さんの質問に答えているでしょう、参議院で。衆議院の法制局だって疑議ありと言っているのに、あなたの御都合で、都合のいいときには都合のいいことを言うのじゃしょうがないですよ。そんなことを言えば、天皇も国勢調査の中に入っている。国民の構成員の一員で、一億何千何百何十何万の最後の一人に入っているんだ。そうでしょう。選挙権、被選挙権がないというのは、戸籍法上戸籍がないからでしょう。第一、天皇の問題を規定をする解釈論理として戸籍を持ち出すばかはないのです。  だから、象徴天皇という特殊な地位というものに対する矛盾という点は、だれの頭にもあるわけです。そこで、そこから来るいろいろな解釈上の分かれ道がある。現に分かれている。だから、そこらを一体どう整理していけばいいか。私が一番心配するのは、象徴天皇としての地位というもの、これが一つの対象になった議論にしてしまっては困る。つまり、象徴天皇の地位というものは維持していきたい、そういう意味では、政治的な権能を否定しているのだから、公的行為の枠を広げることは、うらはらの関係でかかわり合ってしまう、だからそういう意味で、できる限りそれは小さなものにしていく必要がある、それが妥当ではないかという意見を申し述べているだけです。まあ、あなた方の方でいままで述べてきたことはわからぬわけではない、私も一遍や二遍質問したのじゃないんだから。  そこで、先ほど元首の話が出ましたが、天皇という地位は、機関はいわゆる元首、これも、いままで議論したところでありまして、長い答弁要りませんが、元首というのは、これとのかかわり合いでどういう理解をすればよろしいですか。
  57. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 毎々答弁しておりますので、簡単に申し上げたいと思いますが、天皇が元首であるかどうかは、要するに元首の定義いかんに帰する問題であろうと思います。かつてのように、元首とは内治、外交のすべてを通じて国を代表し、行政権を掌握している存在であるという定義によりますれば、現在の憲法のもとにおける天皇は元首ではないということがはっきり言えると思います。しかし今日では、元首の概念というものも非常に変わってまいりまして、実質的な国家統治の大権を持たなくても、国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見る見解も有力になってきております。この定義によれば、天皇は国の象徴であり、さらに、ごく一部ではありますが、先ほど申し上げたように、外交関係において国を代表する面を有しておられるわけでございますから、現在の憲法下においても元首であると言って差し支えないと思います。
  58. 大出俊

    大出委員 日本から外国に行って大使、公使等をお務めになる方々、この場合のいわゆる信任状の形式を見ますと、一番先に出てくるのは「日本国天皇裕仁」こうなっているのです。そして「〇○国大統領〇〇閣下」と「閣下」という字を一つ入れて、  閣下日本政府は、日本国と〇〇国との間に幸に存在する友好親睦関係を維持増進せんことを期し、〇〇を日本国の特命全権大使に任命し、貴大統領の下に駐箚せしむ。茲に、日本国憲法の規定に従ひ、本書を以て之を認証する。〇〇は、人格高潔、職務に忠実にして才幹あり、能く其の大任を全うして閣下の親倚に背くことなかるべし。同人が日本国の名に於て閣下に以聞する所あるに於ては、全幅の薄信を賜はらんことを望む。  この機会に閣下の慶福と貴国の隆昌とを祈る。  昭和 年 月 日  御名御璽  そしてその下に、最後に、  内閣総理大臣 氏名  外務大臣   氏名  こういうことになっているのです。  この形式は、どこで決めてこういうことにしたのかという点です。この形式からすれば、明らかに「日本国天皇裕仁」「〇〇国大統領〇〇閣下」、こういうことになっているわけですから、つまり形式的にはまさにこの国を代表なさる方になる。ここらの問題、一体これはどこでお決めになったのか。私、不勉強でよくわからぬのですけれども、いつごろからこういうことになったのでしょうか。
  59. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 内閣法制局所管ではございませんけれども、私の承知している限りでは、これは内閣で決められたのだろうと思います。
  60. 大出俊

    大出委員 だから聞いているのですが、旧憲法以来今日まで移り変わりがあるので、そのままの形を——かつて例の内奏なんという問題も出てまいりましたが、一体どこでお決めになったのか、憲法は変わったわけでありますけれども、昔は副署なんということもあったわけでございましょう。どこでどう変わって、どこから出発したのか、どなたか御記憶ないですか——時間の関係がございますから先に進みますけれども、いまの点はいずれかの形で明らかにしておいていただきたい。  この形をとられるとなると、相手国の受け取り方からすれば、これはこの国を代表する、こういう方になる。その意味では元首という受け取り方を、外国の方々がなさるかもしれないと私は思う、副署的に一番最後に総理と外務大臣が署名をしているというだけでありますから。これは、いまの憲法の象徴天皇の地位という形と対比いたしまして、この形は一体どう考えればいいかという多少の疑問も私は持つわけでありますが、実はそれが、歴史的にいにしえからずっと続いていたものか、おそらく副署なんという時代があったのですから、どこかで変えたのでしょうけれども、形式はいにしえの信任状と同じだということになるのか、そこらのこともございますので、どう考えたらいいか、そこで意見がまとまれば、ひとつえてください。
  61. 藤尾正行

    藤尾委員長 お答えされますか。——お答えがなければ、あとで文書で御回答いただいても結構でございます。
  62. 大出俊

    大出委員 正確を期したいので、また後の機会に聞かしていただきますが、しかし、これは大変小さくはない。相手の受け取り方というのは、この信任状が直接何々閣下に行くわけですから、日本国天皇裕仁、何々国大統領何々閣下と、こういうわけでございますから、この形式からいけば外国が元首と受け取る、こういうふうに私は思います。  そこで承りたいのは、話題を少し変えますけれども、宗教法人法ができるまでの過程にいろいろな問題がございました。     〔委員長退席、木野委員長代理着席〕  それでこの所管は、文部省等の関係が出てまいりますが、昭和二十一年の十一月一日に、発宗第五一号という、称して通達ですが出ています。これは内務、文部両次官の名前による通達であります。ところで、これが昭和二十六年の九月十日に変わった。全部否定はしていないのだと思うのでありますが、つまり二十六年九月十日に出されたものは、文部次官と引揚援護庁の次長の通達でありますが、全部否定してはいない。そして二十六年九月二十八日に、文宗第五一号という「「戦没者の葬祭などについて」に関すを解釈について」が出ている。それで一番最初資料の二十一年十一月一日のものは「公葬等について」で、それから二十六年九月十日のものは「「戦没者の葬祭などについて」に関する解釈について」と、こう続くわけであります。  そこで、幾つか承っておきたいのでありますが、「個人又は民間団体が慰霊祭、葬儀などを行うに際し、(イ)知事、市町村長その他の公務員がこれに列席すること。その際、敬弔の意を表し、又は弔詞を読むこと。」これは認めたわけですが、ここで変わって「(ロ)地方公共団体から香華、花環、香華料などを贈ること。」となった。そこで、この二つについて承りたいのですが、これは現在、全国的に見てどのようなことで行われておりますでしょうか。  私は、ここに一通の手紙を、高知県でありますけれども、持っているわけですが、これは憲法と絡みまして、いろいろ法的にも問題がございます。文部省の方にお見えいただきましたので、まず文部省の方の御見解をひとつ、この通達どおりに行われているのかどうか、この通達の言んとするところは一体どこにあるのか、具体的には後から聞きますが、いかがでしょうか。     〔木野委員長代理退席、委員長着席〕
  63. 山本研一

    ○山本説明員 ただいまの先生お尋ねの件でございますけれども、昭和二十一年の十一月に「公葬等について」ということで最初通牒が出ました。それは文民としての功労者とか殉職者に対しまして慰霊祭を行うことについては差し支えないけれども、戦没者に対する葬儀その他の儀式及び行事に公務員等が列席するのは控えよう、そういう趣旨で昭和二十一年十一月にその「公葬等について」という通牒が出たわけでございますけれども、その後、多数遺族の心情にかんがみというようなことと、それから民主主義的な諸制度が確立されて、当初心配されたような問題がだんだん希薄になってきたということで実は、昭和二十六年の九月十日に、戦没者の葬祭などについて、個人または民間団体が慰霊祭、葬儀などを行った場合に、知事、市町村長その他の公務員がこれに列席することは差し支えない、ただその場合に、あくまでもその犠牲者に対して哀悼の意を表するということで、信教の自由を尊重するとか、あるいは政教分離の原則に反しないようにしなければいけないとか、そういう点については十分注意した上で、若干緩めようということで昭和二十六年九月十日に通牒が出たわけです。  現在も大体、このような精神に従って運用いたしております。
  64. 大出俊

    大出委員 そこで承りたいのですが、「個人又は民間団体が慰霊祭、葬儀などを行うに際し、」と、こうなっていますね。したがいまして、主体は個人あるいは民間団体ですね。そうすると、これは自治体がというわけにはまいらぬわけでございましょう。
  65. 山本研一

    ○山本説明員 自治体が主宰するというようなことは、この通牒では考えておりません。
  66. 大出俊

    大出委員 ここで、この「民間団体」でございますか、特定な団体——この趣旨は、この「公葬等について」という一番最初の二十一年十一月一日、発宗第五一号、地方長官あて内務、文部次官通達、この一番最初に「政教分離の見地から」というのがぴしゃっと書いてある。ところが、こちら側のその後の二十六年九月のは、つまり、この「公葬等について」という中で、この二十六年九月十日に出されたものに書いてある部分のように直る、こういう理解でいいんだろうと私は思うのですが、そうでしょう。違いますか。
  67. 山本研一

    ○山本説明員 先生のおっしゃるとおりでございます。
  68. 大出俊

    大出委員 だとすると、その部分以外はこちらの趣旨が生きている。あるいはこれも生きているということになるのかもしれません。この中を直して、そしてそれに解釈をつけたわけですからね。  そこで「政教分離の見地」というのは、きちっとしているわけですね。そうすると、宗教性の強い特定の団体が、つまり慰霊、顕彰の、一番最初文書で言えば公葬、それから次の文書でいけば戦没者の葬祭、こういうことですが、それを行う、その場合に、この通達にいう「個人又は民間団体」確かに民間団体には違いないが、「知事、市町村長その他の公務員がこれに列席すること。」あるいは「地方公共団体から香華、花環、香華料などを贈ること。」これは許されるのかどうかということです。この一番最初が生きているとすれば、そしてここに改めて出したこの部分が直っているという解釈であれば、明らかに「政教分離の見地」が前提になっているわけですね。そうすると、宗教性の強い団体が、この公葬なり戦没者の葬祭なりを行う場合に、公務員あるいは地方公共団体の長等が列席する、弔詞を読むあるいは花環、香華料などを贈る、こういう行為はどういうことになりますか。
  69. 山本研一

    ○山本説明員 戦没者の葬祭などについて、昭和二十六年九月十日に出しました通牒にも、なお書きで書いてございますけれども、「信教の自由を尊重すること」それから「特定の宗教に公の支援を与えて政教分離の方針に反する結果とならないこと」この大前提がございますので、その趣旨で行う限りにおいては「地方公共団体から香華、花環、香華料などを贈る」とかあるいは知事、市町村長が、個人あるいはその民間団体が主宰する慰霊祭に出席するということは許されるのだ、そういう解釈でございます。
  70. 大出俊

    大出委員 場所のことも書いてありますけれども場所はどこであれ、そこが国家神道の形式を伴う、つまり神人一体の原則を中心にした祭祀が行われる、その場所であった場合に、二つあるんですね、主宰する団体とそれから主宰する形式と。それで式の方で言うと、津の地鎮祭の事件の判決が出ていますね。ここでこの地鎮祭というのが、宗教性あるなしでこれは大変な議論があった。反論なさる方の方は、習俗慣行であるということですね。ところが、この習俗慣行という説は、この判決に関しては否定されている。たかだか何十年ということが習俗慣行を形成しはしないということでですね。そうして明らかに自然宗教と言われる、つまり日本の国家神道の場合に、その形式をすべて備えている、そういう意味で宗教性が大変に強い。これは非常に細かく中身が書いてあります。神社神道の特質から始まりまして、習俗慣行を否定するという立場で書いてある。  そこでそれ以後、これはどういう取り扱いをしたか、一遍聞いておきたいのです。皆さんの方の分野でないかもしれませんけれども、事宗教にかかわりますので。この津の地鎮祭事件というのは、いまどういう形になっておりますか。
  71. 山本研一

    ○山本説明員 私の立場でお答えする事例ではないと思いますけれども、現在最高裁で係争中でございます。
  72. 大出俊

    大出委員 そうすると、下級審、上級審の結論が出たままになっている、だから、争いが続いているからという御意見は出てくると思うのでありますが、高等裁判所まではっきりした宗教性を認めて、習俗慣行を否定したわけですね。最高裁というわけですから、この解釈が将来ともに有権解釈として明らかになるという仮説を立てますと、その場合に、場所はともあれ、ここでは地鎮祭という一つの形式が整っております。つまり降神の儀、神様がおりてくるというところから始まりまして、神職が榊を振って修祓の儀が始まるわけですね。これは明らかに、この裁判で提起しておりますように、まさに宗教の形式そのものです。  ですから、その形において行うというところにいってよろしい、こう言うだけで果たして事済むのかどうか。つまり、この通達そのものとの関連でどういうふうにお考えになるかという点を承っておきたいのであります。
  73. 山本研一

    ○山本説明員 実は、地鎮祭の事件とはこの通達は直接の関連ございませんで、私どもといたしましては、民間団体あるいは個人が慰霊祭を行う場合に、宗教団体が主宰して行う場合も含まれるという解釈通知を出しておりますけれども、これはあくまでも、特定の宗教に公の支援を与えて政教分離の方針に反する結果にならない限り、そういう前提がついてございますので、そういう誤解が起こるような場合など考えられる場合には、相当慎重にこの解釈の適用については考えていかなければいけない、そういうふうに思っております。
  74. 大出俊

    大出委員 直接関係はない、ないが、宗教性というものについては関係がある、そうでしょう。つまり、この地鎮祭で行われた神道上の儀式というもの、これは地鎮祭ならその形式でやるわけでありますし、産土神のいにしえからの慣行でありまして、これは習俗慣行ではなくて宗教上の慣行です。同じ意味で、慰霊、顕彰する慰霊というそのものの形式が、神道上の形式を整えるものだとすれば、この裁判と同じ論理になるわけですね。形式は地鎮祭あるいは慰霊祭で違いますけれども、これが神道の形式を整えているとすると、同じカテゴリーに入りますね。  そこで、いま非常に微妙な御発言なんだが、宗教団体の主宰も認めている、あなた方それはお出しになっている。そうすると、その場合には当然ながら、その宗教団体がとり行うものは形式を整えている、場所は公の場所であってもなくても。そうすると、そのことは政教分離の原則と微妙に絡み合う。ただ一片の断り書きで、政教分離の原則に反しない限りというようなことをつけたからといって事済む筋合いではない。  ここに、私が先ほど申し上げたように手紙が来ておるのですが、あるところが行った。ただ、これは宗教上のことですから、場所は余り申し上げません、高知県というところの性格も私はよく知っておりますから。だがしかし、いまのただし書きではそういうことになりかねない。したがいまして、厳密な意味で言えば、これは大変重要なことになる、こう思っておるのです。  そこで、いまのこの通達のこのまま、言うならば、昭和二十一年十一月一日のものが一つですが、この中で二十六年九月のもので改めた部分だけは直る。そしてそれで解釈を出しておる。宗教団体が主宰してもよろしいということになっておる。そういうことになると、ある人が書いておりますけれども、政教分離の基本的な憲法の原則から全く逸脱しておるという書き方をされておる学者もございます。  そこで、余りこの議論を進めていきますと、実は靖国神社法にぶつかってしまいまして、藤尾試案にでもぶつかりますと、ますます事めんどうでございますから、そこまで入る気はないのでありますけれども、ここで一つ承っておきたいのは、宗教の儀式からいけば順序がある。神人一体の原則というものが背景にありますから、そうするとまず神官がいる。降神の儀をやって、神様を呼んでくるところから始まるから主宰は神官ですね。神様を呼んでこないことには慰霊の儀は始まらない。神様がいないのじゃ始まらない。そこに名簿だけ置いてあったのじゃ始まらない、名簿だけじゃ神様じゃないですから。神道上の慰霊というならば、まず降神の儀があって、修祓があって、その前に最低限であっても手を洗うことが必要なんでしょう。そしてはらい清めなければいかぬでしょう。そして神様を呼ばなければいかぬでしょう。そこまでのことが行われなければ慰霊にならない。  そこで、これはどなたがお答えになっていただいてもいいのですけれども、慰霊という言葉、この言葉が実は一つの儀式の形を整えておるわけでありますけれども、適当に慰霊という言葉を使っておるわけではない。渕源があり起源がある。しかも宗教にのっとった起源がある。そうだとすると、慰霊ということそのこと自体が宗教性を持つ、こう解釈できると私は思っておるのでありますが、まず、そこのところはいかがでございますか。どなたからでもお答えください。  この津のこれをお読みいただければわかりますが、この解説の中にちゃんと出てくる。慰霊ということは明確に宗教上の形式を指しておる。そうすると、これは宗教行為なんですね。そうするとそれが主体になる。つまり神官が主宰をするのですから、それでもいいということになれば、政教分離もヘチマも何もない。この判例は、一審、二審である、最高裁へ行っておる、それが出てくるまではと、こう言う。基本的には一審、二審同じ解釈でございますから、最終的にこうなるとすればという仮説を立てて私は申し上げておるわけでありますが、学者の説のみならず、司法機関の判決という形における理由がついておるわけでありますから、皆さんの見解をここで確かめておきたい、こういうわけであります。
  75. 角田礼次郎

    ○角田(礼)政府委員 私どもは、先ほどのお言葉の中にありました社会的習俗説をとっているものでございますので、実は名古屋高裁の判決に反対の立場なのであります。しかし仮説だということでございますから、あえてお答え申し上げますが、名古屋高裁のあの判決にあらわされたあの考え方が、仮に最高裁でそのまま採用されれば、いま先生が御指摘になったいろいろな例は、全部憲法違反だと言わざるを得ないと思います。
  76. 大出俊

    大出委員 それで結構です。そこの結論だけ出しておきたいと思って承ったわけであります。藤尾先生や皆さんに御迷惑をかけるつもりはないのでありまして、靖国神社法だの藤尾先生の案だのをここで審議するわけではないのであります。そこだけ念を押しておきたかったのであります。  最後に、総務長官お見えになりましたので承っておきたいのであります。詳細は次の機会にさせていただきますが、総務長官の御見解だけいただきたい。  総理府は大変たくさん広報費をお使いになっているわけであります。本年度の広報費はおおむね八十億円でございます。しかし八十億の広報費となりますと、私は容易ならぬ金額だという気がする、これは国民の税金でございますから。あるいは「今週の日本」であるとか、あれも六割か八割か知りませんが、紙面は総理府広報費によるところだという。年間数億円の金だという。中身をいつも読んでおりますけれども、これはこの次に持ってきて議論いたしますが、どうも総理府がお出しになる、政府がお出しになる記事としては果たして妥当なりやと思われるものもある。しかしこれは、この次にまた指摘をいたします。  ところで新聞、週刊誌、テレビ、これに実は皆さん八十億使って、政府は宣伝をなさっているんだけれども、どれだけそれを目にし耳にしたかという問題であります。私も内閣委員会の所属でありますから気にはしているのですが、その気にしている私にも、余りどうも八十億の金を使ったにしてはあちこちに目につかない。あるいは目につかないように広告をなさっているのかもしれぬという気もするが。あるいは目につかない方が都合がいいとお考えなのかもしれないが。しかし、かといってどうも視聴率は低い方がいいという形で広告をなさることぐらい、これまたむだなことはないと実は思っている。  しかも広報室長さんは関忠雄さんで、何名ぐらいの方々がここにおいでになるか。たしか、この二年間で室長さんは三人かわっているんですね。二年間で三人かわられるような広報室長、私は、総務長官の責任においてこれは一体何をお考えになっておるのかという疑問がある。いかがでございましょう。
  77. 植木光教

    植木国務大臣 いま特別の御質問でございますので、手元に詳細な資料を持っておりませんが、五十年度の政府広報予算は、総理府関係八十億でございます。ただいまお話しのように、いろいろな各種出版物また新聞あるいは雑誌、テレビ、ラジオ、各種の広報媒体を活用いたしまして、政府広報をいたしておるわけでございますが、これは民主政治のもとにおきまして、適時、適切に国民に政府の施策を広報するということが責任であるという考え方で行っているわけでございます。  そこで、余り目に触れないじゃないかというお話でございますが、実はごく最近、新聞及び週刊誌につきましては、世論調査をいたしまして、週刊誌に比べますと新聞の方をよく見ておられる。政府の広告を見ましたかというのに対しまして、手元にちょっと数字がございませんけれども、三五、六%の方々が見ているということでございます。それから週刊誌の広報につきましては、二十数%であったというふうに思います。そしてそれらの人々に対しまして、政府広報をこういうふうな形でやることはいかがかという質問をしましたのに対しましては、七六、七%の方だったと思いますが、必要であると思うというお答えをなさっておられる。それからテレビでございますけれども、これは民間の調査機関を使いまして視聴率を調査いたしました。これに対しまして、いろいろ番組がありますのは御存じのとおりでございますが、視聴率の一番低いもので二%でございます。大体三・五%とか三・八%というところでございまして、大体四、五百万の方々が見ておられる。一番高いものがたしか七・九%であったと思います。これは、いろいろな民間テレビの中では、視聴率といたしましてはそんなに高くもありませんけれども、そんなに低くもないというようなところであろうかと思うのでございます。  いずれにしましても、この政府広報は、言うまでもなく国民の税金によるものでございますから、特に私も就任しまして以来、これは国民の理解を得られるような使い方でなければならないということを強調いたしてまいりまして、広報問題懇談会というものも総務長官のもとにお集まりをいただきまして、民間の学識経験者の方々の御意見を承っておりまして、本日もその会合を開いております。いろいろな角度からどうぞ御批判と御激励を賜りたいと思うのでございます。  それから、いまの広報室長が二年に三人かわったではないかというお話でございますが、私が就任いたします直前に一人かわって、したがって、現在の室長はまだ新しい室長であります。警察官であることがいいかいけないか、これはまた別の問題にさせていただきまして、この分野にわたる練達の士を責任者にいたしまして、御指摘のように、いかにも責任が明らかでないような異動が頻繁に行われるというようなことのないように配慮してまいりたい。  なお、もう一つつけ加えさせていただきますが、最近、週刊誌におきまして批判の記事が出まして、そのうち第四・四半期に金が集中しているではないか、これは使いようがなくてここで無理に使っているのじゃないかというのが出ておりましたが、これは誤りでございまして、資源エネルギーを大切にする運動というものを始めておりますが、この資源エネルギー節約キャンペーンを一−三月にかけまして集中的にやろうということで、これをむしろその面に充てたのでございます。この機会をかりまして、誤解がございますので、ちょっと釈明をさせていただきたいと思います。
  78. 大出俊

    大出委員 私が質問しないことまで長官、先取りをしてお答えになりましたが、いずれにしても、去年三十五億の予算が一挙に八十億にふえる。これは、国の予算でもどうも少しふえ方が、私の見違いかもしれませんけれども……(植木国務大臣「六十億」と呼ぶ)そうですな。最初が三十六億、それが六十億になったんですね。だから、三十六億から六十億になって、八十億になったんですな。ふえ方が極端なんですね、これは。日本の国の予算もそんなにふえちゃいないのだ、所々方々の予算と合わせて見ても。  そして、これは参事官の方が広報室には八人もいる。そうでしょう。どうも何か、警察のなわ張りもございまして、偉い人でちょっとここで休憩をというような人をみんな持ってきて、腰かけに入れかえちゃっているような感じがする。そして予算ばかりどんどんふやしていくという、どうもちょっと非常識だという気が私はする。納得いたしがたい。  ただ、長官の時間がないので、またお帰りになるまでというのも、何遍も出たり入ったりじゃぐあいが悪いから、ここで締めくくりますが、ひとつ資料をいただきたい。  ここ十年間の予算、それから機構、それから十何社にチャーターして下の会社に出しておりますが、その中身と出しておるもの。それから「今週の日本」というのは、いろいろいわく因縁がございまして、私いささか気に食わぬわけですけれども、なぜ一体、だれがおったからというようなことも言われておりますが、どうしてああいうところにああいう金を何億も年間払ってやらなければいかぬのか。あそこは今週の日本社というんでしょうけれども、どうも政治的なつながりがあって、いささかおもしろくないという気もあるんですが、そこらをひとつ解明していただきたい。そして目につかない広告という感じがするんですけれども、いま今週の週刊誌では、交通事故か何かの座談会みたいなことをやっていますが、目につかない広告では意味がないので、一体どんなものをお出しになっているのかというサンプルをお見せいただきたい。その上で、調べてありますが、改めて議論をしたいと思います。  皆さんの昼飯を食う時間もございますので、以上で終わらしていただきます。
  79. 藤尾正行

    藤尾委員長 本会議散会後委員会を再開することし、この際暫時休憩いたします。午後一時十分休憩      ————◇—————     午後四時十分開議
  80. 藤尾正行

    藤尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  皇室経済法施行法の一部を改正する法律案議題とし、質疑を続行いたします。中路雅弘
  81. 中路雅弘

    ○中路委員 皇室経済法施行法についての御質問の前に一点お聞きしておきたいのですが、先月の二十八日に、日米の両国政府で天皇の訪米計画が正式に発表になりました。十月一日から約二週間ということで発表になりましたが、この天皇の訪米の問題は、四十六年のヨーロッパ訪問の途中で天皇がアンカレジに立ち寄った際に、出迎えた当時のアメリカ大統領ニクソン氏が正式に招待の意を伝えたということから表面化したと思うのですが、それ以来、今日の正式の発表まで幾つか経過があったわけですが、簡潔に、この訪米計画が正式に決まるまでの経過についてお話を願いたいと思います。
  82. 山崎敏夫

    ○山崎(敏)政府委員 昭和四十六年の九月に、天皇、皇后両陛下が御訪欧になりました途次、アンカレジにお立ち寄りの際に、当時のニクソン大統領がわざわざアンカレジに赴きまして陛下をお迎えいたしまして、いつか米国においでいただきたいという希望が表明されたわけでございます。その後、昭和四十七年の八月のハワイ会談、当時の田中総理大臣とニクソン大統領との会談の際にも、ニクソン大統領から、陛下を御招請したいという意向が伝えられたわけであります。さらに昭和四十八年の夏、当時の田中総理大臣がワシントンを訪問いたしました際の日米首脳会談の際にもその話がございまして、その共同声明の第十七項において「大統領は、天皇、皇后両陛下の御訪米に対する以前よりの招待を再確認し、御訪米が近い将来双方にとって都合の良い時期に実現することを希望した。」ということがありまして、これに対して総理大臣は、この招待に対して深甚な謝意を表されたというわけであります。  ただ、その御訪米の時期については、そういうわけで何ら決まっていなかったわけでありますが、昨年の十一月にフォード大統領が日本を訪問いたしました際に、同大統領が陛下にお目にかかった際、以前から両陛下に対して御訪米を米国政府として御招待申し上げていたが、改めて適当な時期に御訪米されるように御招待したいという申し出があったわけであります。その申し出がありまして、その後、そういう申し出を陛下に申し上げたということを、フォード大統領から田中総理大臣にも伝えたわけであります。その点が当時の木村外務大臣から記者会見で発表されまして、その後、外交チャンネルを通じていろいろ話し合いを続けてまいったわけでありますが、今回、二月二十八日に、いま中路委員のおっしゃいましたような発表が行われるようになった次第でございます。
  83. 中路雅弘

    ○中路委員 いま簡潔に経過をお聞きしたわけですが、四十六年九月のアンカレジに出迎えられた当時の米大統領ニクソンの招待の意が伝えられてからそれ以後も、経過で見ますと、機会あるごとに、たとえば当時のキッシンジャー大統領補佐官が来日した四十六年、八年にも来日していますが、その際にも、天皇訪米問題が言われていまして、常にアメリカ大統領との相互訪問の形で天皇訪米の問題がアメリカ側から持ち出されてきているということが新聞でも報道されてきたわけですね。  そしてお話のように、四十八年夏の田中・ニクソン会談で、天皇、ニクソンの相互訪問の計画として、やはり先ほどお話の十七項に、近い将来の訪米を日米共同声明でうたい込むというような事実の経過もたどっていますし、フォード大統領が昨年の秋来日して、改めて天皇の招待の問題を出された、来年の適当な時期ということでですね、これも事実上、フォード大統領の来日に対するいわば答礼という形がその中にはあったのではないかと思うのですが、この経過の中の一つの特徴は、アメリカ大統領の訪日と相互訪問の形といいますか、一つのセットとしてこの訪米問題が絶えずアメリカ側から持ち出されてきたという経過ではないかと思いますが、その点については間違いありませんか。
  84. 山崎敏夫

    ○山崎(敏)政府委員 政府といたしましては、この問題は相互訪問とか答礼とか、そういうふうなとらえ方は必ずしもしていないわけであります。この点につきましては、御承知のとおり、陛下が先においでになるという話もございましたし、あるいはその後、アメリカの大統領が最初日本に来たということもございますけれども、それは、それぞれそのときの事情によって決まってまいったわけでありまして、一つのセットとして相互訪問、そういうことで最初から計画されておったということではないわけでございます。これは公式文書でございました昭和四十八年八月一日の日米首脳会談の共同声明の十七項におきましても、大統領が、天皇、皇后両陛下の御訪米を招待申し上げたときも、総理大臣は、この招待に対して深甚な謝意を表されたということにとどまるわけでございまして、いつ陛下がおいでになるかということは、全くその当時においても決まっていなかったわけであります。  そういうわけで、これを相互訪問という形で必ずしもわれわれはとらえていないのでありまして、そのときどきの事情に応じてこの問題がいろいろと日米両国間で話し合われ、そうして次第に固まってきたというのが正しい考え方であると存じます。
  85. 中路雅弘

    ○中路委員 どちらが先に訪問するかという問題は別にしまして、四十六年からの実際の経過をずっと見てみますと、やはり経過で明らかなのは、アメリカ大統領の訪日という問題と関連していつも考えられてきたということは、私は率直に言って言えるのではないか。そして、この外遊が単なる天皇の個人的な、私的な旅行とはとうてい解しがたいわけですし、また、そのことは事実だと思いますけれども、私は、この問題に関連して、いわゆる憲法の四条、特に七条において十項目の天皇の国事行為について具体的な内容が列挙されているわけですね、天皇の権能について厳格に規定をしている憲法の国事行為の条文ですが、今度の天皇訪米というのは、特に七条のこの十項目の中のどれに当たるわけですか。どなたか……。
  86. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答え申し上げます。  天皇の御行為につきまして、午前中の委員会におきまして、内閣法制局の方からいろいろ解釈等につきまして御説明があったわけでございます。そこで、そういう御説明に関連をして、私どもは、今回の天皇の御訪米という行為、この行為は、いわゆる憲法に規定する国事行為、内閣の助言と承認を要する国事行為、これは制限的に列挙されているのは御案内のとおりでございますが、この国事行為ではなくて、象徴としての天皇が儀礼的にアメリカを御訪問になる御行為である、したがいまして、法制局の解釈によりますと、私どももそう思っておるのでございますが、天皇の公的な御行為である、ただ、その公的な御行為につきましても、長年慣行的、定型的に行われてまいりまして、いわばその御行為のあり方というものが定着しているようなものと、ややそこには濃淡がございまして、重要なものにつきましては、宮内庁会議の処理ということではとうてい相なりませんで、総理府総務長官さらには外務省さらには内閣、こうした手順、いろいろな打ち合わせ、その他を踏みまして行っておるのが実情でございます。したがいまして、今回の御訪米につきましても、いろいろな取り運びの結果におきましては、閣議決定というかっこうにおいて政府の最終的な責任においてこれをとり行う、かような取り運びになっておると考えております。
  87. 中路雅弘

    ○中路委員 いまお話しのように、今度の天皇訪米が、もちろん私的な旅行ではないということは明らかですが、憲法で定められている天皇の国事行為お話しのように第七条に十項目列挙されていますが、この国事行為でないということは、皆さんの答弁でもはっきりされているわけです。この天皇の訪米、事実上国を代表する形での天皇の公的な外国訪問というのが、憲法のこの国事行為の中のどの項目にもそれはない、国事行為ではないということをお話しされているわけですが、この点は非常に重要でないかというふうに思うわけです。  そして先ほどお話しのように、象徴天皇としての公的行為ということでお話しになっているわけですが、こういう形で公的行為という解釈を広げていきますと、憲法第四条で厳格に天皇の国政に関与する問題については禁止をしていますし、また天皇の行う国事行為、十項目にわたって列挙されておる国事行為ではない、私的な旅行でもないという問題でありますから、憲法の条文を事実上空文化するということになりはしないか。国政に関与することを厳格に禁止したこの憲法の条文から言っても、重大な違反になるのではないかというふうに私は考えるわけですが、もう一度この点について、国事行為でないということは明確にされているわけですから、お話し願いたいと思います。
  88. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 国事行為に関しましては、先ほども法制局からお話がございましたように、国家機関としての天皇が行う行為、これを憲法第四条二項並びに第六条、第七条、こういう条文によりまして制限的に列挙いたしておる。国家機関にあらざる立場の天皇の行為、これを先ほどは自然人の行為、立場というような表現もあったように記憶いたしておりますが、その自然人としての天皇の御行動、それは憲法一条の日本国及び日本国民統合の象徴、こういう立場の天皇の御地位というものがその行動に反映し、にじみ出て、そこにいわゆる公的な御行動というものがある。しかしながら、いま御指摘がありましたように、憲法第四条一項の後段には、国政に関する権能を有しないということが明確に規定をされておるわけでありまして、当然こうした天皇の御行動に関しましては、いささかも政治的に利用する、あるいはされるというようなことがあってはならない、かように考えております。
  89. 中路雅弘

    ○中路委員 さきのヨーロッパ訪問ともまた違った特徴は、この経過を見ますと、事実上はアメリカの大統領の訪日との交換といいますか、そういう形で話が絶えずアメリカ側からも進められてきたというのが明らかでありますし、また、今度の訪問が私的旅行ではなくて、国を代表する形での天皇の公的な外国訪問でありますし、それは先ほどお話しのように、憲法の国事行為ではないということは皆さんも明らかにされた。そうなりますと、今度の天皇訪米は、そのセットされてきた経過から言っても、いわゆる日米関係の強化のために政府が天皇を政治的に利用することになりはしないか。  皆さんは、私的旅行でもない、憲法で定められた国事行為でもないということを明らかにされているわけでありますし、そういう点で私は、政府の責任が非常に大きいと思うわけで、重ねてもう一度お聞きしておきます。このような経過やあるいは訪米の事実を見まして、私たちは、それが天皇の政治的利用になると思うわけですが、この点についてのお考えを、もう一度大臣からお聞きしておきたいと思います。
  90. 植木光教

    植木国務大臣 かねてから、米国大統領から両陛下に対しまして、同国を御訪問になるように招請がありましたところ、政府は、わが国と同国との友好親善関係にかんがみまして、両陛下に、同国を公式に御訪問願うことといたしまして、両陛下にはこの招待をお受けになり、御訪米が実現をすることになったわけでございます。  さきのヨーロッパ諸国御訪問の場合と同様でございまして、この御訪米は、国際儀礼上、純粋な親善を目的としたものでございます。国政に関する権能行為ではございませんし、また、いまお話がございましたように、いささかでも天皇を政治的に利用するというようなことがあってはならないということは、十分政府としても自覚をいたしているところでございます。
  91. 中路雅弘

    ○中路委員 時間も限られていますし、法制局もお見えになっていませんから、私、この問題で突っ込んだ論議をするつもりはございませんけれども、繰り返し言いますが、この問題は、皆さん自身も憲法の国事行為でないということはおっしゃっているわけですから、その訪米というのは、経過を見ても、天皇を日米関係の政治的な、一つの軍事的な関係ですか、これを立て直すというか強化していく、こういったものに政治的に利用していくというふうに私たちは考えておる。その点で政府の責任は非常に大きいというふうに思うわけですけれども、その点は私ども見解を明らかにしておきまして、次の問題に移らしていただきます。  皇室経済法施行法改正について、幾つかお聞きしたいと思いますが、最初に、今度の改正案で出ています内廷費、皇族費の値上げの根拠について、簡潔にお伺いしたいと思います。
  92. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答えいたします。  内廷費の定額及び皇族費算出の基礎となる定額につきましては、皇室経済法施行法の第七条及び第八条の規定によりまして、現在それぞれ一億三千四百万円及び千二百十万円となっておるわけでございます。これらの定額は、昨昭和四十九年四月に改定されたものでありますが、その後の経済事情、なかんずく物価の趨勢及び国家公務員給与の改善等にかんがみまして、内廷費の定額を一億六千七百万円、皇族費算出の基礎となる定額を千五百三十万円にしようとするものでございます。  この内廷費及び皇族費の定額の改正の基準というお尋ねでございましたが、これにつきましては、昭和四十三年十二月二十六日に開催されました皇室経済に関する懇談会におきまして、原則として物価の趨勢、職員の給与の改善等によって算出される増加見込み額が定額の一割を超える場合実施することということで、その基準、方針につきまして了承をされました。以来、この基準によって、必要が生じました都度改正をいたしておる次第でございます。  そこで、今回の改正のいわば積算について若干敷衍をいたしておきたいと思いますが、この定額を算出いたします場合、これは内廷費、皇族費ともに同じ皇室費でございますけれども、この積算の基礎として物件費、人件費、それから予測できない不時の支出等に対処するための予備的な経費、かように一応区分をいたしまして、物件費につきましては東京都区部の消費者物価の上昇率、また人件費につきましては国家公務員給与の改善率によって算出をいたしまして、このように算出されたもののいわゆる物件費、人件費の合計額そのものの一〇%を予備的経費として加算をいたしまして、定額を算出いた承るわけでございます。  今回は、このようにいたしまして算出しました結果、物価は二二・七%、それから国家公務員の給与改善率は二九・六四%、こういう率でございましたので、それぞれを掛け合わせまして合算をいたしました額を前年と比較いたしてみますれば、内廷費については二四・六%、皇族費につきましては二六・四%、かような数字になるわけでございまして、そういう状況を踏まえまして、ただいま御説明申し上げました一つの方針に即して今回の改定をお願いいたした、かような次第でございます。
  93. 中路雅弘

    ○中路委員 内廷費の内訳でありますが、前回、四十九年の二月十九日の内閣委員会におきまして、瓜生さんが答弁をされていますが、内廷費、いわゆる天皇家七人の経費でありますけれども、「そのうちで物件費的なものは、最近三年くらいの実績を見ますと、六七%であります。あとの三三%が人件費です。」その次を少し読ましていただきますと「六七%の内訳で、これを六つくらいに分けて申し上げたらというふうなことで、第一の点は、御服装、お身の回り品等の費用でありますが、これが大体一八%程度であります。それから第二番目は、お食事関係の費用であります。これは、そういう方々のお食事以外に、御親族だとか縁故者を招かれての御内宴も含みますけれども、そういうお食事関係の費用が一三%ぐらい。それから第三に、奨励、災害見舞い、その他御交際の費用。まあ奨励と申しますと、学芸関係、体育関係、社会事業、そういうようなものがありますけれども、災害見舞いは、地震があったり、水害があったり、火事があったりする、そういうことであります。その他御交際の費用というのが一〇%程度であります。第四番目に、御教養、御研究、御旅行等の費用であります。この点は七%程度です。第五番目に、神事等の費用、宮中三殿でいろいろ神事があります。それから伊勢神宮にお供えをされたりするような、そういう神事などの費用が七%くらいです。」そして最後に「第六番目は、その他の費用。」いわゆるお薬とか医療の関係ですが、雑費ですね、そういうものが一二%ということで六七%になりますということでお答えをされていまして、これを掛けてごらんになれば大体の金額が出るわけでありますけれども、あまり高額になると、私経済的な面でお手元金であって、宮内庁が経理する公金とはしないという皇室経済法の条文もございますので、そのたてまえの上から、このあたりぎりぎりで御了解願いたいという答弁があるわけですが、大体、現在の内廷費の内訳といいますと、この当時御答弁されたパーセントで内訳を御答弁されていますけれども、これとの関係はどういう現状ですか。
  94. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 昨年の二月の当委員会での前瓜生次長の答弁について、いまお読み上げをいただいたわけでございますが、過去三年間の物件費の大体の割合について述べられておるわけでございます。それを現時点でいろいろ考えてみましても、そう大きな変動といいますか、率のあれというものはございません。ほとんど率は動かない、こういうような現状でございます。
  95. 中路雅弘

    ○中路委員 先ほど値上げの根拠についてはお聞きしたのですが、四十三年十二月ですかの皇室経済に関する懇談会で決められて以後、大体、公務員のベースアップに人件費等を掛ける、それから消費者物価の上昇率を掛けるというお話ですが、これは基準があってないような問題があるのです。公務員がベースアップになるから人件費はそのパーセントを掛けるということですが、もとの基準がどういう基準でやられているのか、あるいは全体としてそれが憲法で定められている国事行為をやられる象徴天皇として妥当なものなのかどうか、そういった点が検討されないと、この提出されている法案が妥当なものなのかという判断の基準が出てこないわけです。  その点でもう一点お聞きしたいのですが、戦後、二十二年に、当時は内廷費八百万円と決められて出発されたわけですが、このときの算出の基礎といいますか、考えは、どういうことが基礎になっていたわけですか。
  96. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 昭和二十二年に、定額という形において第一回の内廷費が定められておるわけでございますが、これにつきまして当時の記録を調べてみますと、金森国務大臣が貴族院の委員会、ここにこういう関係の案件がかかったかどうかつまびらかではございませんが、その委員会でお答えになっておられるものがございます。この金森大臣の言葉によりますと「大筋の考え方は、従来の内廷に用いられている実績に対し今後の道行きから起こる補正を加え、それを基礎としてそれに物価騰貴の趨勢を加えて算定をいたしたものであります。」こういうお答えをされておるわけであります。  自来、十数回の改正を経ておりまするが、いま申し上げましたように、また御指摘がありましたように、いわゆる人件費の改善率あるいは物価の騰貴率というようなものが大体中心をなしまして、そのときどきに、お子様が降嫁される、を離脱されるというような若干の変動はございますけれども、あるいは新しい皇子様が生まれるというような、そういう変動はございましたが、大きな道筋としましては、当時お考えになったような線の上に、いま申し上げたような基準を整理して今日に至っておるというのが実情でございます。
  97. 中路雅弘

    ○中路委員 この内廷費は、非課税が前提になっておると思いますが、間違いありませんか。
  98. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 この内廷費につきましては、所得税法に規定がございまして、所得税法の第九条の「非課税所得」ということで、その十七号ですが、「皇室経済法第四条第一項(内廷費)及び第六条第一項(皇族費)の規定により受ける給付」これは非課税と、かように規定されております。
  99. 中路雅弘

    ○中路委員 この書物は、黒田久太さんという方が書かれた本で、衆議院の大蔵委員会の専門員だとか決算委員会の専門員等をやられた大学教授ですけれども、少し年代が古いので、この中を見ますと、三十九年のころの資料が使われておりますが、三十九年は内廷費が六千八百万円だったわけですね。  それで、こういう記述のところがあるのです。これは、いまおっしゃったように税引き所得でありますが、「六千八百万円の税引所得は、今日の累進税率の下では税込み総所得に換算して、八億一、二千万円である。それは上原正吉の五億四千八百七十一万円、松下幸之助の四億九千三百九十九万円、藤山愛一郎の三億八千四百六十一万円、鹿島守之助の二億八千三百三十五万円(以上昭和三十九年所得)に比して、群を抜いている。公務員の総理大臣(月給四十万円、期末手当を含めて年六、七百万円)百人分位の所得である。これを国民の一員として多すぎると見るか、国の象徴たるためにはなお少ないと見るか、はたまた適当と見るかは人々見るところを異にするであろうが、とにかく事実としてはそういうことである。」という記述をされている書物があるわけですが、これと関連して、これは三十九年という古いものですから、現在、総理の月給あるいは年俸は幾らぐらいか、突然の質問ですけれども、おわかりになりますか。私が聞きましたのでは、税込みですが、月給百二十五万円、年俸が二千二百八十四万九千円というお話を聞きまして、この書物との関係でちょっと考えてみたんですが、この一億六千七百万円を税込みに直す、総所得に換算するとしますと、それだけのものを、いまの税率じゃないのですが、聞きましたら、どういうふうにかけるかという方法はないというので、総理の税率そのままで計算しますと、この一億六千七百万円の所得に見合った税込みに直した総所得、これが年で四億六千二百四十六万円になります。そうしますと、年俸でほぼ総理の二十数倍ということになるわけですね。  もう一つ、この内廷費の場合は宮廷費との関係も見ていかなければいけない。公的ないろいろな天皇の行動は、宮廷費の方から出る場合が多いわけですから、その点で五十年度の予算では宮廷費は幾らになっていますか。
  100. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 五十年度予算では、宮廷費は十八億七千六百万円でございます。
  101. 中路雅弘

    ○中路委員 先ほどからお尋ねしてきましたように、人件費は公務員が上がる、あるいは物価指数が上がるというのでプラスをされてきているわけですが、その基礎になった昭和二十二年の八百万円というのも、先ほどお話しのように、いままでの内廷費をもとにして、大体物価上昇も一応見込んでということで出発をしたわけですね。その点で私は、ここでいわゆる憲法で定められた、現憲法下の象徴天皇としての国事行為を考える場合、内廷費の一つの基準といいますか考えが明確にされていかないと、いつも出されるこの内廷費の増額の問題が妥当なのかどうかという問題の論議は非常にしにくいんじゃないかというふうに思うわけです。  私の意見もちょっと述べさせていただきますと、天皇の場合に、一つは、いまお話ししましたように、もちろん憲法で定められている象徴天皇の世襲ですね、そういう性格が一つあるわけですが、もう一つは、やはり国家機関といいますか公務員、特別公務員といいますか最高の公務員といいますか、そういう性格もまた一面持っているのではないか。だから一般の民間人ではなくて、企業家だとか財産家だとかそういう民間人ではなくて、明らかに憲法で言われているそういう国家機構の中の最高公務員といいますか、そういう一面と、もう一つは、総理大臣の場合は選挙によって選ばれ、世襲というものではありませんが、天皇の場合は象徴天皇として憲法ではっきり定められているわけですね。そういう二つの面をあわせ持っている、こういう天皇の内廷費として、七人の家族の費用として国民が妥当と考えるそれは、どういう基準を考えたらいいか。たとえば総理の年俸の何倍とか、たとえばの例ですが、何かそういった一つの基準がなければこれを議論する場合、私はまずいのではないかという気がするわけなんです。その点についてお考えを少しお聞きしたいと思います。
  102. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 天皇並びに内廷の皇族の日常の御生活並びに内廷の諸費に充てるための経費というものが、法律で内廷費として定められておるわけでございますが、これにはいろいろ旧皇族様方とのおつき合い、あるいは御縁故者とのおつき合いというようなこともございましょうし、それからまた、お見舞いあるいは御奨励というようなことで、災害等がありますれば、お手元金の中から災害に対するお見舞いを出される、あるいはまた難病の医療研究をやっておる財団法人藤楓協会、そういうような研究事業、あるいはまた学士院、芸術院、こういうようなものも、憲法の条章から言いまして公的な経費から出すべきものじゃございませんので、お手元金の中から支出をする、そういうようないろいろなことがございます。  そういう意味におきましては、総理大臣の例をいまお引きになられたわけでございますが、総理大臣のいわゆる給与額というのは、総理大臣の個人といいますか、個人と言っちゃおかしいのでありますが、公人である総理大臣が、総理大臣の職にあられるために個人的な生活を送られるのに十分である——十分かどうかはわかりませんが、そういう意味で国家公務員給与一般と同じようなレベルにおいて考えられているものと思います。しかし、いま申し上げましたように、憲法で規定されておる天皇の私的な御生活ではございますが、そういういろいろなことがございます。そういう意味で、これは比較して直ちに何倍がいいかということにはならないのじゃないだろうか。これは御案内のように、イギリスあたりの王室の例というものもいろいろございます。そういう点も一つわれわれとしても含みながら、いろいろ考えておるわけでございます。
  103. 中路雅弘

    ○中路委員 私の言っていますのも、一つは、そういう特別公務員的な性格もあるでしょう、しかし憲法で言われている象徴天皇としての地位、それから、それにふさわしい妥当な支出というのも必要でしょう、この二つの面を考えていかなければならない、だから私も、単純に総理がこうだからその幾らと言うのじゃなくて、そういう公務員的な性格と、もう一つは象徴天皇として当然必要な支出が伴う、そういう二つの面を持って、それ全体としての内廷費がどういうぐらいが妥当なのかということについて、やはり検討をする必要があるのじゃないだろうか。四十三年以来は、皇室経済会議で、結果としては、物価の上昇率が幾らだから、いまの内廷費にそのパーセントを掛けていくということでずっと来られたわけですけれども、それでは基準があるようでないような現状ではないかという気が私はするわけです。  この点はひとつ、今後十分研究もして、諸外国の例も、イギリスの場合は皇室が相当財産を持っているわけですね、事情も違うわけですけれども、いろいろそういう事情も検討していく必要がある。そうでないと、物価と人件費の上昇率だけで、大体それを基礎にして毎回提案されてくるということは、何かその面だけ見ると適切のようですけれども、その基礎になっているところ、そういうものは、やはりもう少しはっきりした基準を確立する必要があるのじゃないかという意見なんです。  きょうはこの点についてひとつ、私たちの見解を述べさせていただいたわけなんですが、御検討もいただきたいというふうに思うのです。ひとつこの問題で大臣の御意見もお聞きしておきたい。
  104. 植木光教

    植木国務大臣 四十三年に皇室経済に関する懇談会が開かれまして、ただいま御審議いただいているような内廷費改定の基準が設けられたわけでございまして、象徴天皇御一家の私的経済を賄うためには、いま御審議いただいておりますこの予算は妥当なものではないかというふうに私どもは考えております。
  105. 中路雅弘

    ○中路委員 私の述べましたいまの意見について、御検討も今後ひとつしていただきたいと思っているのですが、宮内庁の方から、その点について御意見をちょっと最後にお聞きしておきたいと思います。
  106. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 御意見は十分承っておきたいと思います。
  107. 中路雅弘

    ○中路委員 あと一問だけお聞きしたいのですが、これは四十九年の二月十九日の委員会で私が質問いたしまして、瓜生次長から御答弁いただいているのですが、葉山の御用邸の問題です。四十六年の一月に、御用邸が御存じのように焼失してからもう四年になるわけですが、この問題について私がお尋ねしまして、当時この委員会で瓜生次長が「いまのところどうするか検討いたしておるという段階でありまして、将来、復興するにしても、前の形のままではなくて、もっと縮小をして、一部分の土地は、一般の方々に、いわゆる開放ですね、公園か何かにするとか、そういうことで考えるというふうな腹組みでおりますけれども、いまのところは、まだ未定」という御答弁をされているわけです。  この問題で二月の十九日の当委員会でこういう答弁がありましたから、もう焼失してから三年も四年もそのまま放置をされているということで、地元でも、葉山町といいますと御用邸ということで、町を挙げて非常に関心の強い問題であり、私のこの質問の後、三月の二十日に臨時の町議会が開かれまして、その町議会で決議がされています。これは瓜生次長の御答弁を、ほとんどそのまま決議の中身にしているわけですが、再建並びに一部払い下げに関する決議というのがなされています。「昭和四十六年一月二十七日葉山御用邸焼失以来三年を経過した現在葉山町民は再建並びに敷地の一部払下げを願っている」ということで、これを強く要望するものでありますという町議会の決議が行われていまして、後で聞きましたら、町長、議長が、昨年の九月に河野参議院議長——皇室経済会議委員でもあると思いますが、河野参議院議長にこの決議を持って要望された。  そのときに河野議長は、瓜生次長の答弁にもあるわけですから、瓜生次長のサイドでこの要望が実現されるように作業を進めてもらうようにしたいということでお話をされたそうですが、地元の皆さん、町議会の皆さんから、その後どうなるのかということについて何の連絡もないし、そして町議会の決議からあるいは国会での御答弁から一年以上たっているわけですから、この問題がいまどういうふうに検討されているのか、どういうふうに進められようとしているのかということについて強い要望があるわけですが、その後の御検討の経過をお話し願いたいと思います。
  108. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答えいたします。  まず第一に、地元葉山の御要望と申しますか、そういうことのお話がございましたので、それに対して最初に申し上げたいと思いますが、昭和四十六年の一月二十七日に、いまお話がありましたように、葉山の御用邸の本邸が焼失をいたしたわけであります。中路委員の地元かとも存じますが、この葉山の町の方約一万数千名の方の署名つきで、同年の二月十九日に、御用邸再建推進委員会、会長は葉山の町長がなっておられるのでございますが、この再建推進委員会からの嘆願書というのは、確かに受領をいたしております。  それから、さらにお話がございました葉山町議会での要望につきましては、実は私どもは、昨年の十一月十日に朝日新聞湘南版であったと思いますが、これに載るまで何らの連絡といいますか、おいでもございませんし、連絡もなかったので、初めて知ったというような次第でございまして、また河野参議院議長の方にそういうお話の申し入れがあったというような事実があるいはあったのかもしれませんが、私どもは、その点はまだ承知をいたしておらないのが現状でございます。  そこで、葉山の御用邸の問題について一年間どうしたか、こういうことでございますが、葉山の御用邸の再建につきましては、将来、社会情勢あるいは経済情勢というものが許されるようになりました場合には、一部開放の腹組みで再建をいたしたい、こういう構想は有しております。しかしながら、この御用邸につきましては、葉山の御用邸もすでに、付属邸が大正八年ごろの建築でございまして、一部手直しはございますけれども、まあ大分古くなっておる。あるいは那須の御用邸につきましても、五十年ぐらいの年月を経過しております。しかし、これらの御用邸の再建につきましては、最近の経済状態等を考慮いたしまして実は御遠慮しているのが実情でございます。したがいまして、冒頭に申し上げましたように、将来そういう経済情勢、社会情勢がこの再建を許すというような段階が来ました際には、いま申し上げましたような心組みで取り組みたいという気持ちは持っております。しかし現在、いま申し上げたような御遠慮しているような状況でございまするので、具体的にどうするか、こういう計画はございません。  なお、中路委員承知のように、御用邸の本邸と付属邸の中間地帯にありまする、これは皇室用財産でございますけれども、約一万平米の土地が、大正の末期ごろから葉山町が借りまして、これが公園になって一般の方々の憩いの地に開放されておる。それから昨年九月には、ちょっと遠隔にありました立石の休所といわれた地域でございますが、約八千平米ぐらいございますけれども、これも用途を廃止いたしまして、現在は横須賀市が管理をしておるはずである、かように存じておりますが、そういうことも御参考につけ加えておきます。
  109. 中路雅弘

    ○中路委員 これは御用邸が焼失した直後だと思いますが、四十六年二月十九日の予算委員会第一分科会で、やはり瓜生次長が「葉山御用邸の環境につきましては、非常にたくさんの方があの海岸にレクリエーションに行かれるようになりましたので、その関係上、非常に静かに御静養される場所としてはだんだんふさわしくなくなっております。」後ずっと続いていますけれども、こういう答弁をされていますね。それから今度、伊豆の方にもできるというようなお話もその後されていますけれども、そういった点で、先ほどお話しのように一部払い下げ、そして一部再建ですか、そういったことを考えられているということは、いまも御答弁お話しになったわけですが、この前もちょっと私、取り上げたのですが、葉山町が、皆さんの答弁であった一部払い下げ、こういった点について非常に大きな関心を寄せているのは、一つは公園もありますけれども、公共施設の問題ですね、学校なんです。学校用地がなくて、取得がむずかしくて、町議会が開けないような事態まで去年も起きたわけですけれども、最近の実情を聞きますと、ことしから葉山小学校はプレハブ校舎になっていますし、特に御用邸付近の葉山の南部の方にどうしても小学校、中学校一校ずつ必要だ、五十二年までにはつくる必要があるという差し迫った状況にもあるということも含めまして、町民あるいは町議会の中にこの要望も非常に強いわけであります。  そういう点で私は、再建の問題というのは予算も伴いますし、先ほどおっしゃったように、これからの情勢も見てというお話ですが、焼失してからもう何年もたって、そのままに事実上放置されているという状態ですから、将来どうするのかということで非常に関心も強い。しかも国会の答弁でも、一部の払い下げということも考えているという御答弁をいただいているわけですから、その点について、いまのようなそういう用地難も含めて、できればこれは自然公園なりあるいは一部を公共用地として使わしてほしいという要望が出るのは当然なわけですが、私は、再建の問題がそういう点でいろいろおくれるというようでしたら、そういった点についても、この要望の一部でも、皆さんの方も考慮されている点ですから、地元とも相談をしていただいて具体化していただくというような相談も是非していただきたいというふうに思うのです。  地元では、先ほどの三月の要望書は、参議院議長を通じてもう宮内庁にも早く伝わっているというふうに思っているのです、話を聞きましたら。いまのお話で、その点どこかに行き違いがあったかと思いますけれども、ひとつその点の要望にもこたえていただきたいと思いますが、地元のこの要望について、一度地元の町長や町議会の代表の皆さんとも会っていただいて、お話も聞いていただくということは是非お願いをしたいというふうに思うのですが、最後にひとつ……。
  110. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 いま、先ほど来申し上げましたような状況で、再建計画については御遠慮申し上げておるような状況でございますけれども、地元の方々のお考えというようなものを私どもが承ることについてはやぶさかでございません。
  111. 中路雅弘

    ○中路委員 後の受田委員の汽車の時間があるというお話なので、これで一応終わらしていただきます。
  112. 藤尾正行

    藤尾委員長 受田新吉君。
  113. 受田新吉

    ○受田委員 提出された法案に関連して重要な問題点をお尋ねします。  宮内庁次長は、就任されたばかりでございますが、御就任以来ずいぶん御勉強されたと思います。瓜生さんが二十年にもわたってその任にあられた御苦労をここに謹んで感謝したい。同時に、富田さんにかける期待が非常に大きいことを申し上げて、御健闘を祈りたいと思う。よろしゅうございますね。  そこで、宮内庁長官は、すでに二十年にわたる御就任ですが、一つのお役所に二十年以上も御勤務された例が内閣にほかにあるかどうか、お答え願いたいのです。
  114. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 内閣のいわゆる一般公務員の人事を、認証官を含めまして扱っておりませんので、まことに正確なお答えにはならぬと思うのでありますけれども、少なくとも同一のポストあるいはそれと相類似した、引き続いたようなポストに二十数年という御在任の公務員はないのではなかろうかと思っております。  ただ、私どもの役所で申しますと、侍従職にありまする職員——いろいろな事務の、本当に手伝いをいたすような人には、長い人もずいぶんおるのでございますけれども、いわゆる自分で判断し、自分で行動するというような職責にある立場の者としては、侍従職等に、侍従長初め侍従次長あるいは侍従というようなところに非常に長くおる者がございます。
  115. 受田新吉

    ○受田委員 国家行政組織上、認証官もしくは一等級の指定職にある地位の高級管理職が、二十年以上も同一のポストにあるという例は宮内庁を除いてない。瓜生さんも同様でございました。富田さんも、これから二十年おやりになる気かどうかひとつ……。
  116. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 私、大変私事にわたってお答え申し上げて恐縮でございますが、ただいま五十四歳でございます。これから二十年と申しますと七十四歳でございますが、その間、気力は十分保ち、また体力にも気をつけてまいるとは思いますけれども、しかし、とてもお約束はできかねる次第でございます。
  117. 受田新吉

    ○受田委員 次長さんは、この職務を最高の職務と考えて、これに精魂を打ち込む、他の職務は考えないというような御決意かどうかを承りたいのです。
  118. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答え申し上げます。  先ほど受田委員から御激励と申しますか、そういうお言葉もちょうだいいたしたわけでございますが、私個人といたしまして、こういう職を命ぜられました際に思ったことでございますけれども、私が持っておる微力、未熟ではございますけれども、最善を尽くして、人生の一つの、自分としてとにかくやったというあれを持って目をつぶりたい、こう思っております。
  119. 受田新吉

    ○受田委員 宮内庁次長は指定職である。植木長官、この指定職の職務にある人には定年がないかどうか。
  120. 植木光教

    植木国務大臣 現在ございません。
  121. 受田新吉

    ○受田委員 そうしますと、富田さんもまだ七十四歳までは、たとえ年齢が超過しても、間違いがなく勤務される限りはこのポストをやめろということはあり得ない。七十を超えても指定職高級公務員として残ることが一応可能ですね。
  122. 植木光教

    植木国務大臣 可能でございます。
  123. 受田新吉

    ○受田委員 そこで、私お尋ねしたいのですが、国家公務員の上級職試験の合格者が宮内庁に採用されていないが、希望者がないのか、採用しようとしないのか、御答弁を願いたいのです。これはほかの方で結構です、予告してないことがちょっと入るので。質疑の通告はしてないのです、ここで急にひらめいた質問ですから。
  124. 福留守

    ○福留説明員 お答えいたします。  現在、上級公務員が四名おります。最近においては、希望者の関係もございまして採用いたしておりません。
  125. 受田新吉

    ○受田委員 宮内庁を希望しない理由は、どこにあるとお考えでございますか。
  126. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 これは定員の関係も一つはあると思います。大体、先生御案内のように、省庁でございますと、幹部職員を何名ずっと将来のために採用するという人事計画がございまして、大体十名なら十名の定員枠のあきを常時持っておりまして、そういう式の採用をやっているが、宮内庁といたしましては、仕事の性格上、常に欠員を持っておるというようなわけにまいりません。現場的な仕事が非常に多うございます。そういうようなことから、強いてやりくりして定員を一名ぐらいあるいは二名あるいは数名あけまして、そうして、そういう職員を採用しておるというような状況でございます。  したがいまして、そういうものを採用するような余地があり、また、そういう考えが生じました際には、人事院等にそういう要望を提示いたしますので、その職に応じて来る若い、いわゆる試験合格者があるわけでございますが、例年その提示をいたしておりませんので、これを選ぶ側としましては、宮内庁という認識がなくて、強いてどうしても宮内庁というのは、ただいまのところ聞いておりません。
  127. 受田新吉

    ○受田委員 侍従職にある皆さんの中に、上級職に合格した公務員が自治省などから出ていらっしゃる。ところがまた、それが短い期間で自分のかつての役所に帰っていく、こういう例がちょいちょいあるわけです。いま上級職合格の四名は、どういうポストにおられますか。これから先のことは質疑が通告してありますから……。
  128. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 ただいま申し上げました四名は、いわゆる各省で申しますと、まだ年限もたっておりません幹部職員でございまして、したがいまして、たとえば総務課とかあるいはその他の課の課長補佐というような立場でございます。
  129. 受田新吉

    ○受田委員 侍従職には現在、他省の出向職員はおりませんか。
  130. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 侍従職には、いま内廷の侍従で申しますと侍従長、侍従次長以外に六名の侍従がおりますが、六名がそれぞれの出身官庁を持っておりますけれども、いま御指摘のような形で、ある年限が来ましたら、その出てきた省に帰ると考えられます者は一名にすぎません。これは、いまおっしゃった自治省でございます。ずっと戦後、自治省からそういう形で一名は一種のローテーションで侍従としてお勤めをして、また自治省に帰る、こういう形でございます。
  131. 受田新吉

    ○受田委員 これが自治省だけに限っている理由はどうでございましょうか。
  132. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 特に自治省に限っておりませんですけれども、たまたま前任が自治省でございますので、どうしても後から選ばれて来る者も、何となく欣然として事情も知っておりますのでやってくるというような道行きになっておるような感じがいたします。
  133. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、自治省は宮内庁に一人の実績を常に継承しておるという原則的なものがここに樹立されておると思うのです。私、宮内庁の空気、率直に申し上げて、その空気が萎靡沈滞してはいけないのです。それは清新はつらつたる要素を一方に持っていなければならない。  そこで私、宇佐美さんについても、あのお人柄に深い敬愛をささげておりますし、また次長さんに対しても、人格高潔で宮内庁次長としてよい人を選ばれたと思っておりますけれども、一つのポストに、長い間一人の人がそのポストを占め続けておられると、その人の個性によって役所が支配される、いわば大ボス、中ボスという立場のような、印象的な御存在になる危険があるんですね。それを払拭しなければならない。富田さんはそこに飛び込んで来られた、ですから常に、新鮮な感覚で象徴天皇の御一家と国民とが常に直結するような配慮を、あなたのポストにあられる限りお努めにならなければならないのです。宮内庁というお役所の風格から、あの皇居の中に普通の人は入れない。一般官庁は自由に入れるが、厳重な坂下門をくぐって入ったりすることが煩わしいから、一般庶民が自由にお役所へ入れない。ほかの官庁は自由にだれでも飛び込める。そういうところが孤立した印象を国民に与える。ですから、長官とか次長とかいうものが長くそこへ在任されると、もう一つの空気、非常に個性を濃厚に培う危険があるのです。  これは私、あなたに期待したいのですが、陛下の御一家と国民とが融和して、われらの陛下である、また国民も、象徴天皇御一家を憲法第一条の規定にのっとってわれわれが守るのだ、こういう意識をもっと濃厚に国民が持たなければいけない。雲の上という印象を与えないで、神格化した天皇が庶民の中へ飛び込んでいただいて人間宣言をされて以後の宮内庁は、もっと国民との間に深い接触を持って、そしてお役所そのものも、役所へは自由に入り込んでいろいろな陳情もする、そういうふうなかっこうにしなければならないのです。宮内庁へ入るのに非常に厳しいが、一般の官庁へ入るのと同じようなかっこうで宮内庁へも自由に入れる道はありませんか。
  134. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答えいたします。  少なくとも宮内庁という役所は、行政組織法で総理府総務長官の、いわゆる総理府の外局に当たる役所でございます。これは申し上げるまでもないわけであります。そういう意味で、行政官庁としての性格を多分に持っているわけでございます。しかし一面、御案内のように陛下の側近のお仕事、これは他の官庁にはないことでございますけれども、そういうような役柄もございます。しかし私どもの立場は、別に一般官庁の職員と変わらないわけでございます。したがいまして、自由に出入りをいただくというようなことが当然でありますし、望ましいわけでございます。  ただ、たまたまああいうお住まいと役所が一緒の中にございますし、最近といいますか、いろいろ爆弾事件が町に出るようになりまして以来、あるいはその前からもそういう気分があったかもしれませんが、それは十分反省しなければなりませんが、ああいうこと以来、やはりどうしてもあそこを警衛するといいますか、警戒する警察の立場、それからあの中のいろいろな施設を管理する宮内庁の当局の立場、こういうようなものから、ややいろいろ、お尋ねをしたり何かをせざるを得ない、こういう情勢でございますので、そういうようなところから、先生のような気持ちを持たれる方が少なくない、私は否定はいたしません。しかし、そういう状況がございますし、それからまた地理的位置が、いま申し上げたようなかっこうになっておりますので、その辺のほどほどの調整といいますか、そういうものをどうすべきか、これは十分考えたいと思っております。
  135. 受田新吉

    ○受田委員 宮内庁という役所は、お説のとおり総理府の外局であるわけですから、そういう意味で、一般官庁と同じ形の勤務をされる職員がそこにおられるわけです。ただ、陛下のお住まいがすぐ並んでいるということにちょっと問題があるわけですが、そうすれば、陛下のお住まいに影響のないように宮内庁と外とが通ずるような位置の検討等もされていいんじゃないですか。いまの皇居を奉仕する皆さんが入るあの桔梗門ですが、あそこから入った一角だけは、宮内庁と自由交通ができるというような、そうした警備も含めた意味の、つまり国民と直結する役所である、一方では陛下のおそばにある役所である、二様の使い分けをなし得る可能性は私は十分あると思う。  総務長官、そういうことをお考えになったことはないですか。私は、いつもその点を——国民のお役所である、一方、次長が仰せられたような陛下のおそばの役所である、つまり陛下に対する敬愛の情を持つ人ばかりならばいいが、中には不届き者もおって、陛下の身辺に不幸な事態を招かぬとも限らない。だから、それに対してはそれでいい。富田次長も警察の御出身である。宮内庁の次長のポストに警察の御出身が入っておられるということは、やはりそこも配慮されておるわけなんですね。民衆と直結する天皇御一家、憲法第一条の規定を大事に守ろうとするお互いは、象徴天皇御一家にいきさかも不安を与えるような形であってはならない。もし不安を与えるような国民がおれば、それは憲法第一条を無視した不届きな国民である。憲法を守ろうとする国民の側から、憲法第一条を否定するような国民がおれば、立憲国としてこれは不届きである、断固これは処分すべきである。その憲法第一条を守る立場で陛下に敬愛の情をささげる、しかし、それを事務処理される宮内庁は民衆と離れちゃいけないわけです。これは長官、ちょっと変わった提案かもしれませんが、十分配慮をされて今後御検討を願いたい。  さて、次の質問を続けますが、この憲法第四条第二項の規定による天皇のいわゆる国事行為委任法、せっかくこの規定ができた、できて天皇の外国旅行も自由にされることができるようになったわけですが、この委任事項というものは、全面委任を対象としているだけでなくして一部委任も対象になる。一部はしてはならぬと法律に書いてないのです。その意味では、一部委任を可能にする道はないか、お答えを願いたいです。
  136. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答えいたします。  ただいまお尋ねの憲法第四条二項に基づきます国事行為臨時代行、これに関連する御質問でございますが、この国事行為のいわば委任代理と申しますか、そういう法律的性格ではなかろうかと思いますが、それが全面的委任であるのか、でなければならないのか、あるいは一部的委任も含むのか、こういうことにつきましては、昭和四十六年でございましたか、制定されましたのは三十九年でございますけれども、昭和四十六年以来、国会においてたびたびお話があり、また答弁いたしておる経緯がございまして、それは法律的には一部委任を含む、こう解しておるようでございます。
  137. 受田新吉

    ○受田委員 これは私、この法律の提唱をした責任もあるわけでございますし、一部委任を含む法律と私は理解しておりますから、全面委任に至らなくても、一部委任の可能性をお認めになって——すでに陛下も老境に入っておられるわけだし、あの誠実で責任感の強い陛下が、その職責を全うされようとする非常に強い御責任感で無理をされる危険があると私は思うのです。自分はこの天皇の国事行為を執行する責任があるという責任感の強いお方であるというだけに、黙ってそれを執行していかれる。内閣法の第九条にさえも、内閣総理大臣の臨時職務代理を置くことができる規定があるのです。総理大臣が長くぐあいが悪い、寝るとなれば職務代理を置ける、外遊するにも職務代理を置ける。ところが陛下は、もう余人をもってかえがたい御地位にある方で——総理大臣はやめれば、また次にいつでもできるのです。これは製造は簡単にできる。しかし陛下は、そうした御無理をしてお体を損なってもいけないわけでございますから、夏とか冬の避暑、避寒、こういうこともしばしば陛下にお差し繰りをして差し上げて、十日なり二十日なり、御用邸もたくさんあることですから行かれる。そこでお休みいただいてお体とお心を静養していただく。そういうときには、もう天皇の国事行為を委任される皇太子殿下にその間の職務執行をお願いすればいいわけです。  ですから、そういう夏とか冬とかの暑いときにも寒いときにも、また御用邸へ行かれても、そこへ書類を持って自動車を飛ばしていって御名御璽をいただくようなかっこうをしなくても、陛下を十日なり二十日なり開放して差し上げる期間、その場合には、すでによわい不惑を超えられておられる皇太子殿下がいらっゃるのですから、皇太子殿下にその天皇の国事行為を、委任法ができておる以上、全面委任の場合とそして一部委任の場合と適当に、気軽に皇太子頼むよと陛下がその間をお任せするというゆとりを持った——これは陛下に対する皇太子御自身の親孝行の一つにもなるし、国民の側から見ても、陛下が避暑、避寒をされるその期間にも、なおそこへ書類を持ってサインをお願いに行くというような、そんな無理をしなくて、国事行為委任法の規定適用をしばしば行っていい時期が来ていると私は思う。陛下にますます長生きをしていただかなければならないです。もう毎日毎日あれだけ多くの国事行為を陛下にお持ちかけ申し上げることは申しわけない。  そこで次長、あなたは就任されて日がないのでございまするが、もう毎日陛下は御執務されなければならない、きょうは開放されたい、きょうは皇太子にゆだねていきたいというようなときには、自由におゆだねさせて差し上げるような配慮は宮内庁すべきだと思うのです。二十数年もその席にある宇佐美さんではその芸ができない。次長が献策の労をおとりになるべきだと私は思うのですが、いかがでしょう。
  138. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答え申し上げます。  陛下がお年を進まれておられることは事実でございますが、私ども補佐をする立場の者といたしましては、そういう陛下がお年を進まれておられる、しかし非常に肉体的にはお元気、精神的にも充実しておられる、しかし、そういうお年がお進みになっておられるという点をいろいろ考えまして、朝早くの行事あるいは夜おそくまでかかるような行事、こういうものは、できるだけ手順をあんばいいたしまして、そうした御無理がかからないようにということは配慮すべきことでございますし、また現実に、そういう補佐を申し上げまして、ますますお元気であられるようにわれわれとしては努めるべきだと思っておるわけでございます。  ただいまお尋ねのございました、臨時代行法によるいわゆる臨時代行を皇太子に一部委任されては、こういう御意見でございますけれども、本日は法制局の専門家がおりませんからあれでございますけれども、この国事行為臨時代行法第二条には、先生御案内のように「疾患又は事故があるとき」これを故障というふうに総括して言っている条文もございますが、こういう条件があります場合は、これは委任が可能であり、また、その委任の御意思がそこに働きまして委任という結果を生ずる、しかし、いわゆる故障がない、やや法律的でございますけれども、故障がないときには、やはりそういうふうに条件が限られておりますので、それだけに、それはそういうふうに働かないだろう、そういうふうにも法律的には解釈されるわけでございますし、ただいま申し上げましたように、これは十分補佐の意を尽くし、あれをいたさなければならないところでございますが、再び繰り返すようでございますけれども、陛下はきわめて御健康でもございますし、御気力も充実しておられる、また、そうしたいろいろな御決裁とかあるいは行事をとり行われるということについても進んでおやりになる、また、それがある意味では御健康、御気力にもいい影響を循環的にもたらすということもあり得るような気もいたしておりまするが、いずれにしましても、そういうような御現状でございますので、ただいまこれを委任というような必要は私どもはない、かように考えております。
  139. 受田新吉

    ○受田委員 一年を通じて、日曜とか祭日その他で陛下のお休みになる日数は何日ございますか。宮内庁で執務されなかった日をひとつお示し願いたい。
  140. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 ただいま正確な数字をお答えできませんので、後ほど整理いたしまして、受田委員のお手元にまた御連絡申し上げます。
  141. 受田新吉

    ○受田委員 いいですか。ここにおられる皆さんだって、一年に年次休暇というのが二十日なりある。そのほかに、何か結婚式とかその他があるとまた休みをとる。健康な人が年間を通じて相当な日数を休んでおる。ところが、もう老境に入っておられる陛下にそういう休暇をあげる日さえない。陛下に休暇を差し上げることがない。健康であるからといっても、皆さんは一年に二十日も三十日も休んでおられるんですよ。休んでおられながら、陛下は年間にお休みを何日とっておられるかも調べておられぬようなことじゃ困ったものですよ。陛下は健康だからというて毎日御執務を願っている。御用邸でお休みになっている日さえも、書類を持っていってそこでやられる。陛下御自身は、休暇をおとりになることができないような不幸なお立場に——一般国民でも健康な人は故障がなければ休ませぬのだというようなことは、それは酷ですよ。故障のない元気な者にさえも法律はちゃんと休みを与えておる、皆さんに。にもかかわらず陛下には休暇がない。不幸ですよ。  そのことを配慮して、せっかく法律ができたんだから事故と——事故というのは、陛下がちょっと休暇をとりたい、少し疲れたとおっしゃれば事故になる。疲れたとおっしゃればお休みを差し上げればいい。陛下はがまんが強いお方だから、責任感が強いから、おれは疲れたということをおっしゃらぬ。おっしゃらぬから、御健康だから毎日毎日仕事を持ちかけ、おれたちは年じゅう二十日、三十日と休むが陛下は毎日やっていただこうというような、そんな側近で一体どうなりますか。陛下にそこまでのお心遣いをさせずに、せっかく皇太子がおられるのだから、皇太子がいつでも職務代理できるのです。総理が病気で休めば、すぐ臨時代理が仕事をしておるじゃないですか。  これは私、宮内庁の古いしきたりをぴしっと変えるのには、富田先生が任にある期間に、この委任法を、一部委任でもいいです、陛下を御開放さしてあげる。一週間なり十日なり、おれは自由にきょうは避暑地で体を静養したいよとおっしゃることさえできぬような窮屈なお立場に宮内庁のお役人、高級官僚が束縛してはいけない。  植木長官、これは非常に基本的な、大事な問題です。私の要望に対して長官御自身、外局を握る長官としてお答えを願いたい。
  142. 植木光教

    植木国務大臣 先ほど来、受田先生の天皇に対します熱誠込めた、御真情のあふれる御所見を伺っておりまして、深く感銘をいたしました。  ただいまの一部委任の問題でございますけれども、受田先生のお気持ちは、私も十分理解するところでございますが、いま宮内庁次長からお話がありましたように、現在、天皇は精神的にも、また肉体的にも健全であられますので、一部委任ということにつきましては、ここで直ちに私からお答えを申し上げるということは、差し控えさしていただきたいと存ずるのでございます。先生のいま仰せられました御所見につきましては、感銘深く承った次第でございます。
  143. 受田新吉

    ○受田委員 陛下御自身は、この委任法ができるまでは、御自由に外国旅行もできない最も不幸なたった一人のお方であったのです。この委任法ができて初めて開放されて、外国旅行ができるようになられた。他の国民は自由に海外旅行ができるのに、陛下は国事行為があるばかりに束縛された。したがって、御執務についても、一般国民、一般公務員が休暇をとれる、それと同じように陛下にもお休みをお願いすべきです。私はそれを指摘しておるのです。陛下だけ特別に御苦労願うようなかっこうではいけない。そこはひとつ植木長官も、あなたも新鮮な長官としてこの問題に真剣に取り組んでいただきたい。  もう一つ、皇室典範には諸規定がいろいろ書いてあるのですが、この諸規定の中に、第二十四条に「皇位の継承があったときは、即位の礼」二十五条に「天皇が崩じたときは、大喪の礼」こういういろいろな規定があるのです。これらに「礼を行う。」とあるけれども、具体的な規定がまだ決められていないのです。どういうふうにして即位の礼を行うのか。旧式のようなかっこうで行うのか。大嘗祭等々、これは新式ですから別になりますが、即位礼はどういうふうにやるのか。陛下が亡くなられたときの大喪の礼はどういうかっこうになるのか、そういう大喪礼とか即位礼とかいうようなものの規定がいまない。これはひとつ何とかせにゃいかぬことである。  もう一つ、われわれは陛下に長く長く御長寿を願いたいけれども、「崩じたときは、」というときに、陛下の御おくりなは一体どうなるのかというような規定も、まだ決まってない。これは陛下の御おくりなは、昭和天皇ということになるのですか、あるいはほかにお名前を考えるような機関がどこかで決められるのですか。陛下がお亡くなりになられたときのお名前は、昭和天皇となるのか、あるいは別のお名前がつくのか、宮内庁では十分御研究されておると思います。お答えを願いたいと思います。
  144. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 お答え申し上げます。  万一の場合を想定いたしますことは、私どもとしてはなはだ不本意でございますが、そういう事態がありました際には、一たんは大行天皇ということの時期がございます。ただ特に規定はございませんが、先代、先々代の例にもありますように、いわゆる明治と言われた時代に御在世をされた天皇が、その崩じられた後に御追号として明治というのを御追号になっておられます。それからまた大正天皇についても同様でございます。
  145. 受田新吉

    ○受田委員 そういうことは今後も旧式によるのですか。それは何を規定にしてそういうことになるのですか。常識として大行天皇の後は昭和天皇という御おくりなを差し上げることになるのか。これは陛下に万一のことを想定することは私もいやです。いやだけれども、皇室典範には「天皇が崩じたときは、」とちゃんと法律文章に明記されている。したがって、崩じたときにはどういう御おくりなをするのかというようなことは、一体どこでどういふうになるのか。閣議で決めるとかいうことになるのでしょうが、そのときは一体何を基準に決めるのか。公式問題というのは、かねてから私、強い要求がしてあるのにかかわらず、まだ結論が出ておらぬのじゃないかと思うのですが、しかしこれは、大行天皇というお名前をいつまでもつけるようなことはおかしいですよ。亡くなられたらその翌日には御おくりなが決まって——これからも大行天皇というお名前を差し上げて、それから名前を決めるのだという公式発言でございますが、これは公式の場で大行天皇ということがしばらくついて、それからおくりなが出るというようなことでよろしゅうございますか。
  146. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 この問題を含めてと存じますけれども、かつてお尋ねのありました際に、わが庁の宇佐美長官から、いろいろと材料も準備をし、相当膨大な材料も集まっておりまして、それでひとつ、その点は御了承をいただきたいという御答弁を申し上げておりますので、これでひとつ御了承を願いたいと思います。
  147. 受田新吉

    ○受田委員 そんなことを私は承っていないのです。つまり元号の問題ももちろん入るわけなんですけれども、元号だって一世一元ということでなくて、ある重大な国家の事象が起こったときは、それをもとにして御一生の間に何回か元号が変わった古い時代のようなかっこうにしてもいいわけですよ。西暦紀元は一貫して世界的に通用しているのですから、日本だけの元号なら一世一元の制度でなくても、一世に二元、三元とあってもいいわけです。それを、いろいろとどれをとるかの検討は、これも政府がやるわけですが、御おくりながどうかぐらいのことは、これは常識で国民に答えが出るような政府のなにがなければ——大行天皇というお名前をしばらく新聞でも発表する、それから今度御おくりなが決まるというように、陛下が突然亡くなられたというときは、大行天皇というお名前をつけるのですか、これをひとつはっきりしておいていただきたい。
  148. 藤尾正行

    藤尾委員長 重大な問題ですが、よろしゅうございますか。研究されたらいかがですか。
  149. 富田朝彦

    ○富田(朝)政府委員 いろいろ重大な事柄を含んでおりますので、少し研究させていただきます。
  150. 受田新吉

    ○受田委員 陛下にこの瞬間にでも御不幸が起こったということを想定したくないけれども法律的にはそれを考えなければいかぬのです。そうしたらどうするか、大行天皇か昭和天皇かもうきちっとしておかぬと、そのとき皆さん右往左往するようなそういう状態は余りにもおかしいですよ。  総理府総務長官、そういうことをきちっとしておかなければ、いま一体どういうお名前をつけるか政府自身に答えが出ぬような——陛下の御不幸がこの瞬間にでも、もしか心臓の御欠陥などでお亡くなりになった、さあわれわれは一体何と呼ぶか。新聞社にしても、大行天皇と報道するのか昭和天皇と報道するのか、報道においても右往左往じゃないですか。  きょう実は私、六時二十分の列車に乗るので、大変申しわけないのですが、いまのことを含めて次の委員会で御答弁を願うことにして、残余の質問二十分ほどあるのを保留させていただけませんか、委員長
  151. 藤尾正行

    藤尾委員長 よろしゅうございます。
  152. 受田新吉

    ○受田委員 それではそのようにお願いして、質問を終わります。
  153. 藤尾正行

    藤尾委員長 この問題につきましては、宮内庁並びに総理府総務長官におかれまして十二分に御検討あって、次回に正確にお述べをいただきますように、ひとつ御研究いただくことをお約束願いたいと思います。よろしゅうございますね。  次回は、来たる十八日火曜日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時四十九分散会      ————◇—————