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1975-03-25 第75回国会 衆議院 地方行政委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年三月二十五日(火曜日)     午前十時三十三分開議  出席委員    委員長 大西 正男君    理事 片岡 清一君 理事 高鳥  修君    理事 中山 利生君 理事 三谷 秀治君       伊能繁次郎君    亀山 孝一君       小山 省二君    住  栄作君       渡海元三郎君    古屋  亨君       小川 省吾君    林  百郎君       小川新一郎君    小濱 新次君       折小野良一君  出席国務大臣         自 治 大 臣 福田  一君  出席政府委員         自治政務次官  左藤  恵君         自治省行政局長 林  忠雄君  委員外出席者         国土庁地方振興         局総務課長   鹿児島重治君         地方行政委員会         調査室長    日原 正雄君     ————————————— 本日の会議に付した案件  市町村合併特例に関する法律の一部を改正  する法律案内閣提出第一四号)(予)      ————◇—————
  2. 大西正男

    大西委員長 これより会議を開きます。  去る二月一日に予備審査のため付託になりました、内閣提出に係る市町村合併特例に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  まず、提案理由説明を聴取いたします。福田自治大臣。  市町村合併特例に関する法律の一部を改正  する法律案     〔本号末尾に掲載〕
  3. 福田一

    福田(一)国務大臣 ただいま議題となりました市町村合併特例に関する法律の一部を改正する法律案提案理由とその要旨を御説明申し上げます。  現在、市町村がその地域の実情に応じ、住民の自主的な判断に基づいて合併しようとする場合には、その障害を除去し、合併が円滑に行われるよう特例措置として、  一、合併市町村議会議員の定数または在任   期間特例を設け、たとえば編入合併の場合   においては編入する区域との人口比率により   編入される区域からも議員が選出されるよう   にすること。  二、地方交付税合併一定期間に限り、合併   前の合算額を下らないようにすること。  三、合併一定期間内に災害が生じ、国の財政   援助を受ける場合には、合併市町村が不利益   とならないようにすること。  四、都道府県議会議員選挙区を、合併後最   初に行われる一般選挙において選出された議   員の任期が終わるまでの間に限り、従前のま   まとすることができること。などを内容とする市町村合併特例に関する法律が定められております。  この法律は、昭和四十年三月二十九日に公布施行され、本年三月二十八日をもって失効することとなっておりますが、この法律施行後今日までの約十年の間に百二十二件の合併が行われ、百八十八の団体が減少しております。この傾向は、最近の住民福祉向上等目的とする行政水準高度化要請隣接市町村との間における広域行政必要性が増大する中で、今後とも続くものと思われますので、市町村が自主的に合併しようとする場合には、その円滑化を図るため、特例措置を引き続き存置させることが必要であると考えられます。  したがって、この際現在の法律による特例措置はそのままとして、その有効期限のみを改正することとし、これを昭和六十年三月三十一日まで延長しようとするものであります。  以上が市町村合併特例に関する法律の一部を改正する法律案提案理由及びその要旨であります。  何とぞ慎重御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  4. 大西正男

    大西委員長 以上で提案理由説明は終わりました。     —————————————
  5. 大西正男

    大西委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。小川省吾君。
  6. 小川省吾

    小川(省)委員 提案理由趣旨はただいま御説明を承りました。三月二十八日に失効をする法律であります。数日しかないわずかの審議日数で、この切迫をした時期になぜ審議に付すのか、非常に疑問であります。これが再度延長しなければならない重要な法律案だとするならば、当然十分な審議日数をかけて審議に付すべきだというふうに思いますけれども、いま述べられた理由の中に、これを十年間も延長するという納得するような理由を私は見出しがたいのであります。なぜこんな切迫をした時期にこれを十年間も再度延長するというふうな審議に付するのか、延長を要する真の理由はどこにあるのか、まず最初に御説明を承りたいと存じます。
  7. 林忠雄

    林政府委員 御承知のとおり、この法律は十年前にできておりまして、その前にこの法律に至ります歴史があるわけでございます。先生十分御承知のことと思いますが、昭和二十八年からの町村合併促進法時代、それからさらにその後それに引き続きまして新市町村建設促進法、その新市町村建設促進法の中にも、合併を大いに推奨しこれを誘導しというか、政策として合併奨励した時代がございまして、その新市町村建設促進法中にもそれらの規定が入っておりまして、合併を勧告したり、場合によっては、議会で議決をしない場合には住民投票をさせるというような、合併を大いにやりなさいと勧める時代がございまして、この時代に、この町村合併促進法から新市町村建設促進法合併奨励規定昭和三十六年に失効しておりますけれども、それまで最初町村合併促進法が三年間、さらにそれに引き続きましていまの規定で三十六年まで、これは合併を大いに推奨するという政策が展開されたわけでございます。  この間に、当初町村合併促進法施行当時九千七百でしたか、一万近くの市町村があったのが、三千台にまで町村合併が行われたわけでございます。この当時は、もちろん新しい自治制度に即しまして、市町村自治内容を充実するために規模適正化するということで、一種国策というような形で進めてまいったのでございますけれども、それが昭和三十六年に一たん終止符を打ちまして、その後は国民生活水準向上あるいは国民経済の伸び、それに従って各種行政需要の新しい発生、さらにはそれの高度化規模拡大化という傾向はやはり続くわけでございますが、それに対応するために町村合併を行う場合は、もう政府国策として、大いにやりなさいやりなさいと勧める時代は去りまして、それぞれの町村が自主的に御相談をし、自主的な判断に基づいて合併をする、それに対して国としては何らかの意味で力をかすという時代、いわば自主的な時代に入ったわけでございます。そこでしばらくの間は、二以上の市の合併のための市の合併特例に関する法律、あるいは新産業都市あるいは工業整備特別地域、そういったところでの合併の場合の障害を除去する——積極的に勧めるのではなくて、自主的に合併話がまとまったときに、その障害を除去するというだけの意味での規定がありました。それを集大成いたしまして、ちょうどいまから十年前、昭和四十年の三月に現在の法律になったわけでございます。  そこで、現在の法律は、その中身合併を大いに推奨するという趣旨規定はもうございませんで、自主的な判断に基づいて合併をされる場合に当然考えなければいけない特例、たとえば合併をしたら交付税が途端に減るというのじゃやはり困るわけでございまして、一定期間交付税が減らないようにとか、あるいは合併直後に災害を受けた場合に、従来の小さい町村であった方が国の援助が有利であるような場合、それを不利にならないようにするとか——まあ一、二、たとえば市町村会議員をそのまま在任させるというような規定は、やや合併障害を取り除くというか、推奨的なにおいもないわけではございませんけれども、まあ言ってみれば、自主的に合併する場合の当然の特例という形のものだけを集大成したのがこの法律であったわけでございます。  そこで、この十年間の実績を見ますと、その間に百二十二件合併が行われておりまして、町村数が百八十八減っておる。ところがこの百二十二の合併、これが多少のでこぼこはありますけれども、十年間にほぼ均等にばらまかれていると言っていいかと存じます。多いときは二十三件ぐらいありましたけれども、少ない年は九件というようなこともありまして、そのほかは大体均等にばらまかれている。つまり初めの方は大いにやってだんだんケースがなくなったというケースでなくて、ずっと十年間ほぼ均等に続いてきておる。それから府県の分布を見ましても、大体各府県にばらまかれておりまして、どこかに集中しておるということがない。これは結局、国民生活水準向上とかそういうものに対して、町村規模適正化するという、一種需要というものが平均的にずっときているんだろうということも推測させられますし、事実、合併したケースはそういうケースが多うございます。  そこで、恐らくこの傾向は、高度経済成長時代からやや安定成長に入ったとはいえ、やはり市町村行政広域化要請とか、国民生活水準向上に見合うための行政需要内容高度化という傾向は、今後続くだろう。そこで、いままでと同じような形でこれを十年間延長をする。しかし、いま申しましたように特例内容が、たとえばそれぞれ交付税法本法に書けばいいじゃないか、自治法に書けばいいじゃないかという議論も当然あると思いましたし、この法案を提出する段階でも、部内でもそういう議論があったわけでございます。かたがた、そういうふうに本法に分けるという方法一つございますが、自主的に合併をされる方にとっては、こういうふうに特例がまとまってあった方が見やすいし、理解もしやすいこともございます。そこで当面、そういったような合併傾向が安定してずっと続いているという事態に着目いたしまして、今回、その中身には手をつけないで、そのまま十年延長するという形にするのがよかろう、こう踏み切ったわけでございます。
  8. 小川省吾

    小川(省)委員 この法律の第一条に「当分の間の措置」ということがうたわれているわけですね。自治省というか行政局というのは、当分の間ということが大分お好きなようでございますし、当分の間というのが半永久的なものなのかあるいは二十年を指すのかわかりませんが、当分の間の親玉に自治法附則八条があるわけですね。これはどうするのですか。参議院の予算委員会では、自治法出してくる、こういうようなお答えをいただいておるわけですけれども自治法附則八条の「当分の間」については、これはお出しになるわけですか。お出しになるわけですね、予算委員会で答弁しておるわけですから。
  9. 林忠雄

    林政府委員 この問題については、本当に長い問題でございまして、私が行政局に参りましてからも毎国会、再三再四、御督促を受け、御叱正を受けている事柄でございまして、地方自治法附則八条の地方事務官制度、これが、確かに自治法ができますときの当分の間として制定しながら、当然何回も御指摘を受けますように、当分の間というのは当分の間でございまして、これが半永久的とかずっと続くものでないことは明らかでございますし、また地方事務官制度そのものが確かにあのときの一つの妥協と申しますか、暫定措置という形でできたことも明らかでございます。この地方事務官制度の持っておりますいろんな意味弊害、これもさんざん論議をし尽くされ、一般にもうなずかれているところでございますので、当然、これは速やかに整理しなければならない問題でございます。  その考え方に立ちまして、私どもの方も御叱正、御督促も受けつつ、必死になってと申しますか、一生懸命努力をしておるわけでごごいますけれども、だから今回も、この国会への提出予定法案としては自治法の題名は出すという考え方で、最初予算関連法案が締め切られるくらいまでにはと、それがだめでございまして、今度は三月十五日、予算関連以外の法案の締め切りまでにはという努力はいたしましたのですが、何せこれが幾つかの省にわたった仕事でございまして、それぞれの省のそれぞれのお立場があるので、正直な話を申しますと、出したい、出すという意欲はわれわれ十分に持っておりますが、今日の段階で出せるという合意に実はまだ至っておらない。その理由をここでくだくだしく申し上げることもないと思いますけれども、昨年のこの地方行政委員会附帯決議もいただきました。こういうような形で、ある意味での政治的問題ということで政治的な解決方法という方にまでわたらなければ、事務的な単なる話し合いでは、これは政府部内、与党部内でなかなか一致点を見出すのがむずかしい。むずかしいなりに私どもの方はしっぽを巻いて引っ込んでいるわけではございませんので、相変わらず一生懸命やっておるつもりでございますし、なおこの国会も、会期が終わります直前までも続いて努力をするつもりでございますけれども、今日の段階で、まだはっきり出せるという確信に至る一致点は見出しておらないことは、これはおわびと申しますか、泣き言と申しますか、まことに申しわけないのでございますけれども、現在はそういう段階でございます。  そこで、今度はこちらの法律の「当分の間」、これは、自治省というところは当分の間と言っていつまでもという御指摘も大変厳しく響くわけでございますけれども市町村合併特例に関する法律は、趣旨として当分の間——町村合併というのも一時は一生懸命推奨いたしました。その後はある程度自然の流れに任せております。任せた場合にいたしましても、その合併を行うときの当然の弊害というのはやはり除かなければいけない。いままで時限法という形でやってきましたのですが、先ほどの御質問でも御説明いたしましたように、これ自体を永久法にするという方途も考えられるわけでございますけれども、なおしばらくいまの形でということで、施行期日はこちらは十年とはっきり限っておりますので、地方事務官の「当分の間」とは法律的な意味では違いまして、はっきり十年目には考え直す。全体の法律にばらすか、あるいはさらに延長するか、あるいはそのときの社会情勢でもうこの特例は要らなくなるか、その時点判断すべきものだと考えております。
  10. 小川省吾

    小川(省)委員 大分くどくどしい説明ですが、いずれにしても、当分の間というのは半永久的なものではない。要するに常識的にというか、良識的に考える用語としての当分の間という意味でこの法律の第一条もできておるわけですね。その点だけを確認しておきます。
  11. 林忠雄

    林政府委員 それはそのとおりでございます。
  12. 小川省吾

    小川(省)委員 いまも御説明の中にありましたように、特例法制定時に、町村合併促進法や新市町村建設促進法、市の合併特例の三法律を廃止をして、新産都市建設促進法工特地域整備促進法中、合併特例措置を削除してこの法律に吸収をしたわけですね。そして十年も経過をして、この法律特例措置規定をされておるわけでありますけれども、ただいま説明がありましたが、この中のほとんどというのは関係法律改正すれば措置できるわけですね。今度も公選法についてのいろいろなあれがやられているわけですし、交付税法についても改正案が出ているわけですね。そうすれば、それらは関係法律をいじくれば、このような形で特例法を再度延長するなどということは必要なかったはずです。当然措置ができたはずだと思うわけでありますが、どうしてもここのところで延長しておかないと、三月三十一日なりあるいは四月一日に合併をするところがうんとあるので、とてもじゃないけれども本法まではいじくれなかったという理由があるわけですか。
  13. 林忠雄

    林政府委員 先ほども御説明申し上げましたが、確かにそういう方法一つ考え方でございます。これらの特例というのは、いずれも言ってみれば当然の特例であって、本法の中に、そういう町村合併するときの一種の経過規定的な意味で入れるという方法も当然考えられるわけでございまして、この法律を今回このまま出すか、あるいはそういうふうにばらすかということも、昨年の秋ごろから検討を進めてまいりましたが、立案の過程では問題になりまして十分論議もした次第でございます。ただ、そうしてみましても法的効果は同じことでございますのと、もう一つは、この十年間に百二十二件の合併があった。今後も同じような傾向とすれば、恐らく年に十件ないし二十件の合併が行われるだろう。そういう場合に、合併したらどうなるかというと、一つにまとまっておった方が各地元でも理解がしやすいじゃないか。ですから、どっちでなければいけないということはないけれども一つにまとまっておった方が見やすいじゃないかということで、今回これを延長することにいたしました。したがって、この「当分の間」は半永久的だから、十年たってまた延長かどうかということはいまは考えておりませんが、十年たった段階で、さらに各法律にばらすということも十分考えられるだろうと思いますし、あるいは議員任期特例みたいなものはその場でやめることも考えられましょうが、災害復旧特例とか交付税法特例というのは、町村合併すれば当然あるべきものでございますから、それぞれの本法に入れることも考えてしかるべきだと思っておりますけれども、今回はそういうことを十分議論した上で、ある程度まとまっておった方がわかりやすいということで、このまま延長したいということを御提案申し上げた次第でございます。
  14. 小川省吾

    小川(省)委員 町村合併促進法制定当時の考え方としては、少なくとも町村規模を適正なものにして、市町村数を減少させるという目的があったことは否定できない事実であると承知しております。昭和四十年にこの法律制定されるときの論議等をいろいろ見てみますと、とにかく合併を誘導しようとか促進するというふうな意味は、この合併特例法の中には考え方としてはないのだということが明らかにされているわけですね。ですから、今度の延長についても、合併ムードを盛り上げる、指導をする、あるいは合併奨励をしようという考え方は全然ないと理解しておるわけですけれども、そういうことでよろしいわけですね。
  15. 林忠雄

    林政府委員 これは前の法律のときと全く同じでございますので、同じように御理解いただいて結構でございます。
  16. 小川省吾

    小川(省)委員 なぜ私がそういう点を念を押しているかというと、明治以来の日本町村合併歴史を振り返ってみますと、やはり政府が、そういう中で自治体の行財政危機を薄めるために町村合併をやってきた。官治的な日本行政地方自治歴史の変遷の中に、そういうにおいがあることは否定できないと私は思っておるわけであります。町村規模を大きくして財政危機等を一時的には糊塗するわけですけれども、これは地方自治の完全な救いにはなっていないわけであります。そういう意味で、いままた財政危機が叫ばれているわけですが、根本的にこの財政危機を何とかしなければならぬという点があるにもかかわらず、これを再延長して——自治法制定して、いわゆる連合法案として私どもが反対してきたような事項についても自治法の中で通してきた、こういう状態の中で、また自治省が、現在の地方財政危機に対してこういうふうなことでこの特例法延長して、助長し、合併奨励をするというふうなムードづくりをやられるのではないか、こういう疑念を一部としても抱かざるを得ないわけであります。私がいま申し上げたような疑点は振り払ってよろしいわけですね。
  17. 林忠雄

    林政府委員 もちろん全くそういう趣旨ではございません。先ほども申し上げて、繰り返すようでございますけれども政府合併推奨を行った歴史は過去に二度ございます。明治初年の市町村制施行するときに大合併をやりまして、七万の町村を一万五千にしたということ。次が昭和二十八年、市町村合併促進法から始まり三十六年に終わっている、一万弱のものを三千弱にしたということ。この二回ございますが、この二回も、いま先生御指摘のように、そのときの町村財政の破綻を救うための窮余の策ではなくて、それなりにそのねらいとするところ、意義とするところはあったと私は思っております。  しかし、いずれにせよ、それら二回、三十六年で済みました後につきましては自然の流れに任せる。ただ、自然の流れに任せると申しましても、社会経済の進歩とか行政需要内容複雑化高度化ということで、町村規模適正化ということはやはりまだ必要性が残っておりますし、自治法の中にもこの適正化への努力義務はなお残っておる。自然の流れに従って合併をするものについての障害を除去するという、この十年間の法律をそのまま延ばすわけでございますので、ここ一、二年起こってまいりました、最近の地方財政危機に対する一つの対策を考えておるわけでは毛頭ございません。その点は御心配をぬぐっていただいて結構であると考えております。
  18. 小川省吾

    小川(省)委員 昭和二十八年の町村合併促進法当時の基本計画を見ますと、小規模町村合併を目途にして、人口八千未満の町村を解消しようとしたということになっていますね。一応、当時の市町村適正規模ということでは、人口八千人の規模ということが論議をされているようであります。調査資料によれば、昭和三十六年現在では、新市町村平均人口は一万四千八人というふうに書かれていますね。現在、これは新市も入っているわけでありますが、町村だけの人口規模というのはどのくらいか、そしてまた自治省が考えている昭和五十年代の、現在時点における町村人口適正規模というのはどのくらいか。その後、広域行政の進みぐあいやいろいろなことで変わってきていると思うのですが、現在における町村適正規模というのを自治省としてはどの程度に考えておられるのか、その辺をお伺いいたしたいと思います。
  19. 林忠雄

    林政府委員 町村合併促進法制定当時、実は私もその仕事に携わらしていただきまして、あの条文のために鉛筆をなめた経験があるのですが、御承知のとおり、あそこには、人口八千が適正規模という形よりも、少なくとも八千が最低という考え方で出ております。つまり、あのときも、適正規模が八千であるのか、一万であるのか、一万四千であるのか、一体どの数字が適正かという論議は、いろいろ繰り返しましたけれども、一致した線がなくて、むしろ最低八千だ、八千以上ということをガイドポストにして合併を進めていこうという形であれは出発したわけでございます。  そこで、あの当時の町村合併というのは、戦後の新しい地方制度が、制度としては一応完成しておりますが、実際に自治内容を充実するために、それぞれの市町村規模に力を持たせなければいけない、充実した内容をこなしていけるだけの力を持たせなければいけないという意味で、ある意味では最低線を決めておけばよろしい、大き過ぎるということは余り議論しなくてもいいんじゃないかという立場であれは出たわけでございます。それは三十六年までの合併によって、平均人口としては三十五年の時点で一万一千でございますから、最低八千というのを平均としては上回ったのでございますけれども、実際にはまだ八千よりも下回っている町村は、やはり三割、四割という数はなお残しておった次第でございますが、一応平均的な意味でその規模を達成したと考えた次第でございます。  では、これから昭和五十年代にわたって自治省はどう考えておるかという御指摘でございますけれども、これも、五十年代の市町村適正規模がどのくらいであるかというガイドポストは現在持っておらないわけです。むしろ、その後の社会情勢の変転その他に従って広域的に処理しなければならない行政は確かにますますふえてきておる。しかし、一たん、二十八年から三十六年までに全国的に行われた合併をここでもう一遍やるという時期ではない。合併をしてから一体性を獲得するまでには相当な年月が要りますし、いまようやっと、二十八年以後の合併の後の騒ぎと申しますか、波紋がおさまって一体性を獲得した、ここでまた再アップをやるという時期ではもちろんないし、個々の、いまの規模町村で処理できる仕事も、たとえば小学校とか保育所の経営とか、十分残っておる。しかし、広域行政を処理する必要性は高まっておるということで、例の広域市町村圏という施策を展開して、共同処理する分だけを共同処理したらどうかという施策を展開してまいったわけでございますから、今後五十年代にわたっての町村規模も、結局はその地域地域の実情に即して、共同処理するものは広域市町村圏で共同処理をするということであれば、いまのままの規模を維持していいんじゃないかと思われるところはそれで結構でございますし、あるいはその共同処理がどんどん高まってまいりまして、ひとつ一緒になろうじゃないかというところができてきたとすれば、自主的判断でそうされることは、これもとめることもなかろう。それで、全国一斉に町村合併を推進したときの最低目標八千というような意味のものは、現在特にないと言ってよろしいんではないかと考えております。
  20. 小川省吾

    小川(省)委員 いまも答弁ありましたけれども特例法があるから合併をしようというふうに自治体は考えるわけではないわけですよね。要するに、自治体の自発的な意思によって、自治体の自主的な判断によって、地域住民の自発的意思が先行をして合併というものが行われていくのでありますし、またそうあるべきだというふうに思っております。ですから、この法律はそういう自主的判断に基づく合併の事後的な事務処理というか、そういうものをコンパクトしていく法律だというふうに理解をいたしておるわけであります。  市は二月一日現在六百四十三市のようでありますが、市については人口自治法の中では五万ですね。それから、その後四万なり三万なりという特例があったわけですね。そういう意味では、市の中でも五万人以下の市というのはずいぶんあるだろうし、あるいは三万を割った市もかなりあるんではないかと思うのですが、町村の場合はわかりましたが、新市等の中で、あるいは三万特例なり四万特例というのを受けた市で、人口が過疎化をしていってしまった市というのは、現状はどのようになっているわけですか。
  21. 林忠雄

    林政府委員 現状はまさに個々の市によって千差万別で、概括的に一口に言うこともむずかしいわけでございますけれども、ことに三万を割った市というのは、傾向としてはさびれました炭鉱地帯の市などがその著しい例でございまして、三万どころか二万を割っていま一万五千に——この資料によりますと、三万未満が現在四十四市ございます。そういうのはさびれた炭鉱のようなところが非常に多うございます。  そこで、ではこれらを今後どうしていくかということにつきましても、全国一律にこうしろ、あるいはその三万を割った市は合併してしまった方がいいんじゃないかというような考え方を持っているわけではございません。たとえば、三万を割って一万五千、市としてははなはだ貧弱で、自治法が考えている五万の三分の一にもなってしまったものではございますけれども、これが仮に町村と考えますと、一万五千という町村は、十分な規模を持った町村ということになる。そこで、法律上、市と町村の権能は、多少市の方に福祉事務所の設置その他はございますとしましても、そう大きな差別がない。ということは、一万五千の市であっても、一つの基礎的自治体としては一万の町村以上に力を持っているということも言えるわけでございますので、現実にこういう形で、たとえば炭鉱がさびれたというようなことで人口が減って、いわゆる自治法の市としての体裁をなさなくなった市であっても、その地域の実情に即して、周辺の町村と共同処理をしたり、あるいは自分のところだけで経営したりという実態に合わした、住民の意向に沿った運用をしていただければ、それはそれでいいんではないかというふうに考えておる次第でございます。
  22. 小川省吾

    小川(省)委員 昭和二十八年の町村合併促進法以来、かなりの合併が行われたわけですが、自治省として合併の功罪についてどんなふうな感じを持っておられるのか、その点承りたいと思いますが、今後の合併について、いまの答弁の中でも若干お触れになっておりましたけれども、今後の考え方等も含めてお答えをいただきたいと思います。  地方自治は、何といいますか、民主主義の基盤だとか民主主義の学校とかというふうに言われているわけでありますが、合併に当たって自治省がとってきた態度というのは、本当の意味地域住民の生活を支え、命や暮らしを守っていくんだというふうな形が見られない。どうも合理的な運営であるとか、能率的な運営であるとかというふうな側面のみでとらえてきたような感じがするわけであります。住民の福祉を守るんだというふうな点が意外に忘れられてきたというか、弱いんじゃないかというふうに私は感じているのですが、自治省としての感覚といいますか、今後いろいろな面で市町村の具体的な指導をやっていかれる態度について承りたいと存じます。
  23. 林忠雄

    林政府委員 この点につきましては、いろいろな立場からのいろいろな見方があると思いますけれども、私の方から申し上げさせていただきますれば、いささかいまの先生の御指摘とは判断を異にしている面も多分にあるのでございます。合併の功罪と言いますが、たとえば二十八年から三十六年にかけて全国的に行われました合併というものは、いまここで功罪を論ずるというよりも、むしろあの当時から今日までの社会経済の発展、国民の生活水準向上、それに見合いますところの各種の行政需要の多発、さらに高度化ということを考えれば、もうあれがないということは考えられないと私たちは実は思っておるのです。あれをやったからこそある程度のそういった行政需要の増加とか、その内容高度化に対応できたのであって、功罪を論ずる前に、まずあれがなかったということは考えられないとまで実は思っております。  こういったところで、では弊害は全くなかったかと言われれば、それはいろいろな御批判もありますし、たとえばあの合併が過疎地域の過疎化を促進したなどという御批判を受けたこともございますが、あるいは見ようによっては、過疎地域に旧来の町村が存しておれば、そのままそこに役場もあったろうし何もあったろうけれども、それが合併してしまったおかげでそれさえなくなったというような地域もあるいはあるかと思いますので、その罪が全くなかったかと言われれば、それは人間のやることでもございますし、すべてのことにメリット、デメリットがありますのですけれども、それでもそれとプラス・マイナスを比較した場合に、この社会経済の進展とか国民生活水準向上を考えれば、もうあの合併がなかったとは考えられないというふうに実は考えておる次第でございます。  そこで、今後は一体どうかというと、ある程度安定成長時代に入ったとはいえ、やはり国民の生活水準というのは速度は落としましても向上を続けるだろう、また続いてもらいたいものだと思っております。そうなりますと、必然的に、今後も従来ほどの速度ではないにしろ、新しい行政需要も発生をするであろうし、現在あります行政需要もますますその内容が技術的に高くなり、複雑化し、高度化してくる。さらに、広域行政必要性というのも決して弱まりはしないだろう。これに対応するための共同処理の方式、さらには市町村自体の自主的なる判断に基づいて規模適正化ということが行われるならば、これはまた決してとめるべきことではない、むしろ歓迎すべきことであろう、こう考えておりますので、二十八年からのあの全国的にやった時代には、先生の御指摘になりましたような、少し強引過ぎやしないか、やれやれと言って上から押しつけてという実態のケースがなかったとは言い切れないかもしれませんけれども、あの三十六年以降今日まで及び今後については、まさにその自主的な判断による自然の流れ合併ということを進めてまいりたい、こう考えております。
  24. 小川省吾

    小川(省)委員 第六条に「職員の身分取扱い」というのが規定をされておりますね。合併によってその職員がやめさせられたりあるいは合併以前よりも不利益をこうむるということがないような規定だろうというふうに思っているわけですが、この二項に「合併市町村は、職員の任免、給与その他の身分取扱いに関しては、職員のすべてに通じて公正に処理しなければならない。」というのが規定をされておるわけであります。過去の町村合併促進法時代自治体ごとに給与その他が異なっておって、合併をした職員間に違和感があったり、それを是正するための一斉の給与調整の措置等をやられた自治体がかなりあったことを私も承知をいたしておるわけであります。  これに関連をしてお尋ねをしたいわけですが、時間の制限がございますから簡単にお伺いいたしますが、北海道の登別市、埼玉県の久喜市というのは、最近、この一年の間に合併が行われた市ですか。
  25. 林忠雄

    林政府委員 ここに最近五年間の記録がございますので、ちょっと調べさせていただきます。─—登別市では合併はないようでございます。室蘭市の一部を境界変更して入れておるという記録はございますが、合併はございません。  それから、久喜市もこの一年間はございませんが、昭和二十九年の七月一日に合体合併を四カ町村でいたしまして、四十六年十月一日に市制施行をいたしているだけでございます。
  26. 小川省吾

    小川(省)委員 先日、四十八年四月一日と四十九年四月一日の全国の自治体のラスパイレス指数をちょうだいいたしました。私もずっと目を通してみたのですが、四十八年四月一日と四十九年四月一日で一〇%以上指数の違うところが十四市と百二十六町村あるわけです。私どもの常識では、一斉一号昇給を短縮する、一号全員に上げて、ラスがせいぜい三%ぐらいの指数が実は上がるだけなんです。ところが、見てみますと、登別市は一年間に、四十八年四月一日から四十九年四月一日に一九・六%ラスパイレス指数が落ち込んでいるわけですよ、一斉に四号なり五号なり給与を落としたかどうかわかりませんけれども。あるいは埼玉県の久喜市は一年間にラスパイレス指数が三二・七%上がっているのです。これは一斉にすごい昇給短縮といいますか、何号俸も職員の給与を上げなければこんなことは出るはずはないわけです。私は実は当たってみました。そんな事実はありません。一斉昇給をさせたとか一斉に給与を落としたなどという事実はないわけです。そうなってくると、まさに自治省が発表しているラスパイレス指数というのは信用するに当たらない指数だというふうに私は思っておるわけであります。先ほど申し上げたように、一斉一号全員に上げても三%程度しか響かないわけですから、あんなに人件費攻撃をラスパイレス指数でやった自治省ですから、行政局ですから、この久喜市が三二・七%一年間に変化をした、あるいはまた登別市が一九・六%ラスパイレス指数が落ち込んだ、この理由についてひとつ明確な御答弁を承りたいと存じます。
  27. 林忠雄

    林政府委員 いま具体的に挙げられた二つの市についての理由は、ちょっといまここに持ち合わせておりません。これはいずれ公務員部でよく調べたいと思います。  ただ、おっしゃいますように、一年間に一遍にラスの指数が一〇も変わるということは通常考えられません。一斉一号やって御指摘のとおり三上がるかどうかでございます。それから昇給延伸を一斉一号やって三下がるという程度でございますので、一〇も一遍に変動するということは通常考えられない。したがって、これは統計のミスと考えるしかないと思います。その統計のミスがどこにあるかというところは調べればわかるわけでございますが、いま四十八年と四十九年を御比較になりましたが、四十八年分は指定統計でございまして、これは二百万ほどの個票から全部抽出する、いわば悉皆調査でございます。五年ごとに指定統計がございまして、それ以後の年は全部の個票を当たるのではなくて、それぞれ団体別に集計した資料をもとにして私の方で計算をする。そこで、指定統計の場合とやり方が違うものでございますから、個票をつくりあるいは団体ごとに集計をするときに何らかのミスを犯しますといま言ったようなミスが出てくる、これは当然考えられることでございます。そこで、指定統計の場合はこれは二百万の個票でやりますので、少しおかしいなと思ってもこれを直すすべもございませんし、また、指定統計というものは一たん出しますと直さないものでございますので、そのままにしてございますが、たとえば四十七年と四十九年ということであれば、これは指定統計ではございませんで、それぞれの個別の町村で集計したものを比較するわけでございますから、そのミスを当たって直すことも実はできる。そこで、いま御指摘のような六百何市のうちの十四市が一〇%ぐらい動いている、あるいは三千幾つのうちの百二十六町村で、そういう統計上はてなと首をかしげる数字が出ているとしますれば、当然私の方でさらに個別にその原因を当たってまいりたいと思います。  いずれにせよ、統計というのはそういうミスは必ずございますが、そのミスは、急激に高く出たもの低く出たもの、それらが相殺されて、統計全体としては非常に確度が高い。個々の市町村については確度は低い、しかし県とか大きな市くらいの人数の多いものになれば、そのミスがたとえあってもその誤差が大きく出ない。ところが、小さな規模、ことに町村あたりになりますと、ラスをそのまま信用するということは非常に危険な場合が多いわけでございます。私の方は、それをラスだけでなくて、もう一つのフィッシャーそれからパーシェと三つの方式がございますので、そういう疑問のある数字を出しておるところでは、それぞれ個別にまたフィッシャーでやり、パーシェでやって、それを突き合わせてできるだけミスがないようにしておりますので、御指摘のようにラスそのものが絶対でないことはそのとおりでございますが、またこれが信用ならないとおっしゃいますと、いささか私どもにも——統計的なミスというのは覚悟した上でそう大きく狂いはない、これに従ってたとえば個々の市町村で給与政策を考える材料にするには十分役に立つ数字である、こう考えておる次第であります。
  28. 小川省吾

    小川(省)委員 行政局長がお答えになりましたが、たとえば十四市、百二十六町村が一〇%以上狂っておって、一九・六%落ち込んだりあるいは三二%以上も急激に上昇するという特徴的なことについてもお答えになれないで、ラスの指数を使って人件費攻撃をするというのは私はもってのほかだというふうに思うわけです。統計上のミスが当然あるだろうけれども、私は人件費攻撃をしかけるような、どうも信頼するに値しないというふうに思っています。もちろん合併特例法とは関係ないことですから、また別の機会にやらせてもらいますけれども、ぜひそういう点については注意を促しておきたいと存じます。  それから、この法律の十三条に「国、都道府県等の協力等」という条項があるわけです。いわゆる公共的団体が合併市町村一体性の確立のために努力をすることになっていますね。公共的団体の中で私ども努力をしたというふうに見られるのは、農協等は比較的真剣に努力をしたというふうな見方がされると思うのですけれども、郵政省だとか電電公社等というのは、どうも余り公共的機関として一体性のある態度をとってきたというふうには思えないのですけれども、十三条について自治省はどう考えておられるのか、あるいはそういう点についての指導等はなさらなかったのかどうか、その点をお伺いをいたしたいと思います。
  29. 林忠雄

    林政府委員 御承知のとおり、この規定町村合併促進法時代からできておりましたので、あの当時は、全国的に合併を大いに推奨するけれども、それは国としても県としてもできるだけのことをしてやってくれということで、全国的に合併を推奨しながら、各府県あるいは各省に対してぜひ協力してやってくれという強い要請も始終続けてまいったわけでございます。その後この合併を推奨している時代は終わりまして、自主的な流れに任せるといたしましても、合併そのものをそこの地域住民が自主的に御判断になってなさることについては協力するのは当然であるということで、この条文はそのまま引き続いて残しておりまして、具体的には、この法律施行した時点におきまして、施行通知を出します段階で関係各省その他について協力の依頼をしております。  ただ、その後それを大いにせっついたかというと、あるいはそれほどにも努力していなかったかとも存じますが、しかし、たとえば電電公社あたりにいたしましても、いわき市の合併後にいわき市全体を一つの局番で市内線に統一してくれましたし、あれもいわき市が合併をしなければ恐らく電電公社もそうは踏み切られなかったと思いますので、それぞれの地域ではそれぞれの地域要請に基づいてある程度の実績は上げていると思います。あるいはそれが十分であるかあるいは御指摘のように不十分な面があるか、そういう面については今後さらに努力してまいりたいと存じております。
  30. 小川省吾

    小川(省)委員 この十三条の一体性を確立をするための公共的機関の協力、国、都道府県の協力というものについては、十年間延長するわけでありますから、ぜひひとつ配慮をして、十分意を用いてほしいということを要望をいたしておきます。  それから、先ほども触れたのですけれども、昨年前国会でいわゆる私ども連合法案と称した自治法改正をやりましたね。また、自治省行政指導をしている広域市町村圏なるものがあるわけですね。この法律とは一応関係がないというふうに私は理解をしているわけであります。広域圏を合併を慫慂するのではないかというふうなことが一部言われておりますけれども、この法律期間延長というのは少なくともそういうものではない。それから財政危機に名をかりてこの延長をして、そういうふうな措置自治省がとるものではないというふうに私も先ほどお答えをいただいたわけですけれども、もう一回念を押してもう一回御答弁をいただきたいと思います。
  31. 林忠雄

    林政府委員 先生の御指摘のとおり理解していただいて結構でございます。
  32. 小川省吾

    小川(省)委員 最後に次官にお答えをいただきたいと思うのでありますけれども、私どもの居住する村というか、私どもの居住をしている集落というものはやはり自然の要件の中で育ってまいって、地域住民の一体感の中で育ってきたのがいわゆる村であり、村意識だと思うのですね。そういうものが幾多明治以降の変遷を経てきて現在に至っているものであろうというふうに思っています。人為的な地域住民の情感に沿わないような押しつけだとか指導というもので合併がやられてきたことは、先ほど林局長が若干の行き過ぎもあったのではないかというふうな反省も持っているというふうに言われましたけれども、そういう町村合併というのは必ず地域的な紛争を幾多惹起したことは私どもの記憶にいまだ新しいところであります。そういう意味でこの十年間の延長が、上からの指導、いわゆる国からの指導やあるいは広域圏の合併ムードづくりをすることじゃなく、いわゆる自然発生的な、自発的な住民感情に基づいたところの合併に対して不利益や不合理を排除する、そういう意味での時限いわゆる特例法というふうに、本当にそういう意味理解をしているわけでありますが、それでよろしいわけですね。
  33. 左藤恵

    左藤政府委員 お話しのとおりだと思います。やはりこういった市町村合併はその地域の実情に応じて合併の条件が熟したところで、この市町村の自主的な意思決定というもので進められるべき性格のものであると考えます。
  34. 小川省吾

    小川(省)委員 なお、この十年間、昭和六十年の三月末まで延長をするわけですが、昭和六十年に到達をした際にまた当分の間ということで再延長などということでなく、その際再び延長を要するような状態があるとするならば、私は特例法ではなくして、当然関係法律の中にうたい込んで、関係法律改正する機会もあるわけでありますから、そういうふうにすることが本当の意味での立法の趣旨であるというふうに解釈をいたすわけであります。そういう点を、ぜひ配慮をしながらこの法律については運営を図ってもらいたい。最後に再び念を押しますけれども、そういうことによって地域住民の感情を逆なでをするような上からの指導による合併などということは一切いま御答弁のようになくしていって、地域住民が真に幸せになるような、そしてまた自発的な、自主的判断に基づく合併がある際には、この特例法によってその不利益の排除なりあるいは円滑な合併によるところのメリットが保証できるような指導を自治省としてはしていっていただきたい、こういうことを強く要請をして私の質問を終わります。
  35. 大西正男

  36. 小川新一郎

    小川(新)委員 市町村合併特例法についてわが党は若干の質問をさしていただきますが、この問題を御審議いただく前に、まず昭和四十年の第四十八回国会市町村合併特例に関する法律案審議したときの提案理由、これは一体何だったのでしょうか。
  37. 林忠雄

    林政府委員 先ほどの御質問にもお答えしたところでございますけれども、二十八年から町村合併促進法で三年、そしてこれで相当粗ごなしをいたした後で、その後始末とさらに未合併の促進を兼ねて新市町村建設促進法昭和三十六年まで、これは全国的に町村合併を展開していったわけでございます。それがその後、三十六年で一応、大いに合併奨励して町村規模適正化するという施策はそこで終わりを告げました。後は社会経済の進展その他に従ってそれぞれの地域において実情に即して自主的な合併をする、一口に言えばそういう方向に変わったわけでございます。しかしそれでも、たとえば新産業都市関係の法律あるいは工業整備特別地域法律、これらの中には、規定の効果としては現在のこの町村合併特例に近いような効果でございますが、まだその法律自体、たとえば新産業都市に指定されたところは積極的に規模適正化して、つまり積極的に合併してという推奨の感じも残っておったわけでございます。しかしこれはまた新産業都市に指定を受けたところ、工業整備特別地域に指定を受けたところについてそうでありましたし、それからまあ二つ以上の市の合併特例というのも、これはたとえば具体的に北九州市とかそういうものが積極的に合併する場合には大いに援助しようということで、そこの空気としてもなお合併を推奨する感じが残っておったと言えば言えると思うのです。これらもそろそろその使命を果たした上で、これらを総決算してそれらの法律を全部一つにまとめまして十年前にこの法律をつくりましたときに、はっきり言えば国策ないし施策として大いに合併を推奨するという時代は完全に終わりを告げた。その後は自主的な合併。ただ、自主的な合併そのものは決してこれは悪いことじゃない。悪いことじゃないというか、むしろその地域の実情に即して広域行政が必要になり、一緒にやろうとして合併するということは結構なことじゃないか。その場合の障害を取り除こうという意味でございますから、そのときの提案理由というのは、そういう一つの新しい時代というか、自然の流れに任せる時代に入って、それにふさわしい特例法にしようということであったと存じます。それが今回ほとんど同じ理由で御提案申し上げているこのまま延ばそうというのは、そういう一つの安定な時代に入って、この十年間の実績が先ほども御答弁申し上げましたように初めの方にたくさん合併があってというのでなくて、この百二十二件というのが平等に各年度にばらまかれておる、多い年は二十三件、少ない年は八件ということはございますけれども、その間ぐらいにまあ大体平均して十三、四件というところで平等にばらまかれているということ、それから地域的にもこれがほとんど各府県にわたって一つとか二つとかばらまかれているということは、これが一つの安定時代に入ってそういう自主的な合併が逐次機の熟したところから行われているということが看取できますので、十年前にいままでの時代と少し変わって、今度自然に流れに任せるためにこの法律をつくったというのとほとんど同じ理由が、今回御提案申し上げているこの理由に当たると存じます。
  38. 小川新一郎

    小川(新)委員 一口に十年間と申しましても、そこには国の経済政策とかわが国を取り巻く諸般の情勢の変化というものがございますね。当然地方行財政のビジョンというものは十年ぐらいを目安にして、昭和五十年ですから、昭和六十年後の地方行財政のあり方はどうあるべき姿なのか、またそれに対して自治省では、そういう長期な展望に立ってそういった行財政、また市町村のあり方、自治体のあるべき姿、こういう問題があるわけです。今回の地方統一選挙一つの争点などを見ましても、十年前の統一選挙のときの与野党の争点などとは全く違った一つの物価、インフレ、不況の中で闘われる。またそういうために地方財政問題が表に出てきて、その財政問題の中で人件費の問題が浮き彫りになったり、超過負担の問題がなったり、いろいろな問題で与党と野党の間の同じ取り組みの姿勢の中にあっても、イデオロギーが違い、またその求めていく、上っていく道が違うなれば、そこに当然違う道が出てくるわけです。いまあなたがおっしゃったように、全く同じ形態の中で今回のこの法案が提案の理由ということとは全く違うわけでございますね。そういう中で、十年前のこの特例法出したときのまたさかのぼった十年前とは違うわけであります。その延長でまた十年いま出てきたわけですが、高度経済成長政策からいま安定成長政策に切りかえる。一番早い話が、田中さんが日本列島を改造しようという、新産都市とか工特法とか、そういった日本列島を産業優先の基盤の中で、自治体の仕組みをそれに合わせていこうとする中といまとは全く違いが出てきて、三木さんの政策の中にもそれはあらわれてきていると思います。  そこで今回、昭和四十年の提案理由とは同じだというふうに私は理解できませんが、延長線でそれが一体やっていけるものかどうか、その辺のところは大事なことなんで、これは政務次官、ビジョンの問題でございますからひとつお願いしたいと思います。
  39. 左藤恵

    左藤政府委員 地方自治というたてまえから考えまして、そういったものを伸ばしていくという意味におきまして、市町村の自主的な働きというものを十分われわれも考えた——市町村合併問題というよりも、むしろその市町村のあり方ということにつきましては、私は、そういった問題を考えなければならないのは申すまでもないと思いますが、ただ、そういった取り巻く客観情勢がどういうふうなことになるかということにつきましては、非常に予測もしがたい問題であります。基本的には、だから、いま申しましたような地方自治を推進していくという立場、その立場から、たとえば規模はどのくらいの形のものが適正であろうかということについては、私は非常に予測はしがたいわけでありますけれども、いまの段階においてこういったものがなお十年間は続いていくものだ、こういう前提で物事を進めていくのがいいんじゃないか、このように考えております。
  40. 小川新一郎

    小川(新)委員 そういたしますと、自治省では、そういう十年間の長期展望のビジョンというものを、われわれに理解せしめるような説得力のある説明というものを行ったことがあるのでしょうか。そういう中においてなぜ十年間と定めたのか。少なくともこのいまのドラスチックに展開される世上において、十年間の長期ビジョンというものを示さない中で今国会に内閣が提出されたこの問題ですね。特例措置はそのままにして、有効期限のみさらに十年間延長しようとするということが、もっと多角的な面から、国会、この地方行政委員会議論され、またされるべき問題を提起せねばならない。そうあらねばならないのに、ただこの内容は全然そのままにしておいて十年間延長していくということは、余りにも現状維持というもの、現状を過去、現在、未来の三つにわたっての施策というものをわれわれ議員に提起してないのじゃないか、こういう気がするわけです。いかがでしょうか。
  41. 林忠雄

    林政府委員 確かに、地方自治を所管しております自治省として、十年先の自治体がどうあるべきであるか、規模はどうあるべきであるか、権能はどうあるべきであるかというビジョンを持つべきだという御指摘に対しては、一言もないところでございまして、当然、それはまた持つべき使命があると存じます。  ただ実際においては、社会情勢の変転というのは非常に激しく、予測できない面がありまして、たとえばこの三年前に現在の経済情勢、あの石油ショック以来、急にこれだけ落ち込むとかいうような形になることは、ほとんど予想した者はなかったと存じます。そういう大きな変転があることを覚悟してその的確な十年先のビジョンというのは、実はなかなかとらえにくいのでございまして、現在、私の方の財政局におきましても、財政の長期ビジョンということで一生懸命作業はしておりますけれども、なかなかその的確な情勢、これだけの行政の変転があるということを考えます場合にむずかしいわけでございます。  そこで、問題をしぼりまして、町村行政需要、その動向がどうなるかというようなことだけについて物を考えますれば、高度成長時代から安定成長時代に返りました場合にも、国民生活水準というのは、これは速度は落ちましても、今後やはり逐次改善されていくであろうし、また、いってほしいという希望が十分ございます。そして国民生活水準が高まれば、それに伴いまして、いままでなかった行政需要も新しく発生するだろう、あるいはこの発生の速度は鈍るかもしれませんが。そして、いままでありました行政需要も逐次その内容高度化し、技術的に複雑になり、経費がかかり、そしてまた広域的に処理しなければならないという傾向、これもやはり続くのではないか。つまり、市町村に求められる行政需要を達成していくという面からのみ考えますれば、やはり従来のその町村規模適正化して、ある程度広域行政にもたえていけるという体制を維持していかなければいけないだろう。その場合も、昭和二十年代から三十年代にかけてとったように、政府として大いに旗を振って、じゃ合併しなさいという施策は、いまのところ適当ではあるまい。恐らくこういう時代の変転の激しいときには、やはりその地域の実情に即して住民の自主的な判断に基づく合併、これを推奨していくべきであろう。こういう意味で、変転は非常に激しいだろうし、十年先のビジョンというのは、先生方を納得させるだけのものを示し得ないといたしましても、その市町村行政需要に対応する力をという点から考えれば、恐らくその条件はそう大きく違わないだろうし、また違ってほしくない。むしろ国民生活はやはり徐々にでも水準向上していってほしいと思っているわけであります。  そういう意味からのことが一つと、それから、この内容というのが、先ほどからくどく御説明いたしましたように、大いに合併を推奨しようということであれも上げる、これも上げるという奨励施策ではなくて、自主的に規模適正化される場合に、本当に特例を設けなければ不合理だというもの、たとえば災害を受けた場合に合併前より不利になっちゃ困る、これはもう当然でございましょう。それから交付税も、一緒になってみたら合併前より、算定したら減ってしまった、これではいけない。そういう当然に是正すべきものだけをいままでの法律内容にしておりましたので、少なくともこれらの事項に関しては、そういう見通しがはっきりしない中でも、十年間の延長意味はあるだろう。言ってみれば、おしかりを受けるかもしれませんけれども、ある意味では消極的な判断でございますが、現実にこの十年間、先ほども申し上げましたように、平均的に合併が進められておる、しかも地域的にも全国的にばらまかれておる、こういう点からも判断いたしまして、現在これを十年間延長するということが最も適当であろう、こう判断した次第でございます。
  42. 小川新一郎

    小川(新)委員 わが党も、この法案に対して全く反対の立場から、あなた方の出された問題について議論しているわけではございませんから、理解はいたしますけれども、内閣が平均二年か三年で交代をする、全くもって見通しのつけにくいとき、これは確かに仰せのとおりだと思います。そういうビジョンの見つけにくいいまのような世の中に、確かに自主的であり、そういった問題については大過なくいまのままの姿で成長してもらいたいと願う気持ちはよくわかりますけれども、私はちょっと十年という問題にこだわるのです。もっと五年でもいいんじゃないかという気もします。十年とあえて区切りをつけて、また「当分の間」、この辺のところでいつもあいまいもことしてかすみのようにさせておいて、その精神がいいんだからこれで納得してくれという考え方では、やはり自治省として、全国三千の自治体の指導的立場に立って、国の中央集権を排除しつつ、地方自治の本旨という問題を尊重する立場に立ってのこの十年間という問題でこれを議論するときには、ちょっとお粗末ではないかという気がいたしましたので、あえてこういうことを私はいやみたらしく申し上げたのですが、まあ十年でなくても五年でもいいんじゃないかという私の考え方もございます。  この法律の第一条、「趣旨」のところで「当分の間の措置として」というのをそのままにしておいて、前の法律の時限が十年間であるから、単純にそのままもう十年延長しようとするのではないということがいま——私はそこであなたの答弁がちょっと悪ければ、無定見であるということを言おうと思ったけれども、まあそれだけのことをおっしゃるその精神が私としてはよくわかりましたから、あえてその無定見という言葉は使いませんけれども、五年でもいいんじゃないかというぼくの説に対して、これはもう一言つけ加えていただきたい。
  43. 林忠雄

    林政府委員 直接その御質問のお答えになっていないかもしれませんけれども、この法律出しますときに、それこそ五年にしようか十年にしようかという議論もいたしたわけでございます。それは、今回の地方制度調査会で、これを当分延ばしたらいいという御答申をいただいておりますが、その地方制度調査会の中でも、これは五年ぐらいでいいじゃないかという御発言があったことも考えまして、さあ、五年にするか十年にするかということで、部内でも相当論議を尽くしたつもりでございます。ところが、ある意味では五年よりも十年の方が適当じゃないかという理由も実はあるわけであります。と申しますのは、この法律内容になっておりますのは、先ほどの御答弁でも申し上げましたように、当然に設けられるべき特例である。そういう意味では、特例法として「当分の間」と時限法でまとめないで、交付税法なり災害復旧財政援助に関する法律の中に入れてしまってもいいような事柄であるということが一つありますと、これを時限法で切りますと、その切れる間際に、もうあれが切れるから急いで合併しようということで、住民の意向も十分確かめないうちに合併を急ぐということがむしろ起こり得る。今回これが三月二十八日で切れる、これを理由にして昨年の秋ごろから非常に合併をせっつくような動きも、現に合併の機運のあるところでは見られておるわけです。そういう意味ではこれはある程度長い期間、十年間はこれでいくのだと、安定した法制にしておきますと、じっくりそういう条件を踏まえて十分合併の善悪可否を検討して、踏み切るか踏み切らないかの判断を冷静に立てていただける。これが期限が余り早く来てしまうと、その最初の二年、三年はいいのですけれども、四年目に入ったころに、さあもう来年で切れるから急ごうということが起きる、これも必ずしも好ましくはないのじゃあるまいか。そこで、この法案内容としては、当然やるべきことであるということからも、短く切ることにかえってまずい面もあるのじゃないかというところで一応十年と判断したわけでございますけれども、十年たった暁にはさらに延ばすか、あるいはもうそれぞれの法律の中に入れて特例法としてやめてしまうかという議論は、当然その時点に立って、その時点の情勢に合わせてされるべきものだ、その意味では、私たちは五年じゃむしろ短過ぎる、そういう好ましくない状態がすぐに目の前に来るというのはやはりまずいのじゃないか、こういう判断もあったということでございます。
  44. 小川新一郎

    小川(新)委員 そういう五年にするか十年にするか、これは二つの意見が分かれるところでございまして、私はその底辺にある、やはり自治省のそこにおける深い施策と動向、これをやはり引き出さなければならぬと思うのですね。ただ五年がいいとか十年がいいとかという問題は、確かにいまあなたがおっしゃったようなメリットとデメリットが相反する問題が出てくるでしょう。だけれども、その基盤になるものは一体国の地方公共団体のあるべき姿、その面積、人口、産業基盤、そういった組織、機構、またはその国の流れと地方の流れとがどう合致するかというような、やはりそのビジョンが議論されて初めて五年にするか十年にするか、またそれを延長するかという期限の議論になるわけでございますね。  そこで私は、時間がございませんし、これは余り時間をかけて話す必要はございませんが、基礎的な問題としまして、基礎的地方公共団体であり、住民の最も身近に伴う地方政治を担当する市町村の適正な面積、規模、一体どのくらいがいい、まあこれは自治省自治省なりの御見解があるでしょうし、またそれを、先ほど言ったように合併とか離散、集合の面で強圧的にやっていくということは民主的でないということはいまお聞きしましたから、その辺のお考えは私よくわかっておりますが、やはり理想として三十七万平方キロの日本列島の中で、この都道府県及び市町村のあるべき姿という問題には、これはやはりある程度規模をお示しいただいて、それに準じて、私たちも合併に関する自治省の見解というものを参考にしていきたい。市町村合併を促進するのか、または、それとも自発的な合併を待つのかという基礎的な問題になるわけですね。それは、いま言ったように適正な規模、面積、平均人口平均面積という問題は理想としてはどうなのかということをお聞きしたいと思います。
  45. 林忠雄

    林政府委員 まず面積から申し上げますと、面積においてどのぐらいが適当だということはほとんどないと言っていいのではないかと思っております。というのは、同じ面積でも、それのほとんどが山地でありまして人の生活が営めないとしたら、その面積はもう行政対象から除外されるということでございますので、特に面積の場合は、ものすごくだだっ広いのはおかしいじゃないかというような、事実その地域に即した実情において、それも単純に面積だけでなくて、そこにすでにあります道路とかその他交通機関とか、そういうような状況からして適正規模このぐらいがいいとかだだっ広過ぎるとかいう議論が出てくるのではないかというふうに考えておりますので、面積については、特に数値としてこのぐらいがいいということを、たとえば市はこのぐらいとか町村はこのぐらいというのは持っておりません。  それから人口についてでございますが、人口も、実は町村合併促進法のときに八千人、これを最低というふうな考え方で条文化したわけでございます。そのときにはずいぶんいろいろ議論もございまして、当時の市町村の持っておる権能からして、たとえば三万もあれば大き過ぎるかどうかというようなことで、適正規模というのを求める議論もさんざん繰り返したのでございますが、むしろ適正規模というよりも、少なくともこのぐらいは持たなければ今後の新しい自治を背負っていけないという、むしろ最低という線で出発いたしました。町村合併促進法の中にあります八千というのは、平均ではなくて最低意味規定してございます。それが、実際に町村合併があの当時行われまして九千七百、一万弱の市町村が三千九百、三千台に、ほぼ三分の一近くに落ちました。逆に言えば、面積なり人口なりは平均しては三倍になったわけでございます。その場合の平均人口が大体一万一千ぐらいになりました。平均としては、最低八千というところから大分上回った規模は獲得できましたけれども、やはり個別に追及してまいりますと、この八千に達しないものがまだ三割なり四割なりという数字がそのまま残ったわけでございます。  そこで、今後の市町村としては、それじゃ人口規模がどのくらいであるべきかということでございますけれども、これにつきましても、実は具体的に一万五千がいいだろう、二万がいいだろうという数字を持っておりません。持っておらないというのは、全体としてのわが国の情勢が、先ほど申しましたように、予期しないときに石油ショックが起こったりするというようなこと、非常に見通しがつけにくいということもありますが、むしろそれよりも、結局、市町村に求められるいろいろな行政需要をどうやったら最も効率的に、最も住民の福祉に即するように解決していくかという方途というのは、全国的に平均的にこのぐらいということではなくて、むしろそれぞれの地域のそれぞれの市町村についてそれがあるのだろうという感じが、ことさら最近いたすわけでございます。交通機関の発達その他の状況からすれば、ある地方では一万五千でも大き過ぎるような町村が、ある地方に行けばそれが四万あってちょうどいいということもあるのじゃあるまいか。現在こういう感覚を持っておりますので、国が全国的に合併を大いに推進をするときには、このぐらいがいいというガイドポストを設ける、しかも、そのガイドポストもさっき申しましたように、平均ではなくて最低だと申し上げたわけであります。ことに、その時代が終わりまして、今後その地域の実情に即して自主的に判断してくれという場合には、そういうガイドポストさえ、むしろある場合はあったら悪いのじゃなかろうか、そういう感じ方をとっておりますので、いままさにその地域の実情に即した適正規模をその町村、その団体の当事者でお考えください、こういう感じでおる次第であります。
  46. 小川新一郎

    小川(新)委員 非常に柔軟的な物の考え方の中で発想しているわけですけれども、いまお話がありましたように、交通機関なども、十年前は大阪まで東京から六時間も八時間もかかった、それが、新幹線ができてわずかに三時間足らずというように社会の変革が進められている中で、自治省の姿勢というものはわかってきたのですけれども市町村合併と広域市町村圏というのの関係が出てくると思う。これは市町村合併促進法施行された昭和二十八年十月に二百八十六市、一千九百六十六町、七千六百十六村、合計九千八百六十八市町村であったのが、三年間の期限後の昭和三十一年九月には四百九十八市、一千九百三町、一千五百七十四村、市町村数は合計で三千九百七十五と大幅に減少したわけでございます。  これを昭和三十年代初めの第一次町村合併と呼ぶとすれば、政府は第二次合併はということで私は聞きたいのですけれども、いまお話があったように、あくまでも地方の面積、人口規模、それらはあくまで自主性に任せるのだということであるならば、そういった上からの押しつけはないものと思いますが、十年間の変革の中で、やはりそういう必要性が生じてくるかこないかというビジョンの問題が先ほどのように提起されておりませんので、私どもとしてあえてこういう問題を提起するのでございますが、その辺のお考えはいかがですか。
  47. 林忠雄

    林政府委員 御指摘のような点がまさに一つ政策としてあらわれましたのが広域市町村圏だと私たち考えております。それは、確かに昭和二十八年以降の数年間、大いに政府が旗を振って、いまおっしゃいました数年でもって市町村数が三分の一になるというような町村規模の大再編成をやったわけでございますけれども、これらは、ただ一緒にすればそれであしたから力がつくというものでないことはもう御承知のとおりでございまして、かきねは取り払っても、つい昔の旧町村意識が残る、その間に非常に競争関係に立っていたものもあるということで、新しい町村が名実ともに一体性を獲得するまでにはやはり相当の年月がかかる、一口に言って十年ぐらいかかるだろうというのが常識だったわけでございます。そこで、あの当時に町村合併をして規模を再編成いたしましたとしましても、その一体性を獲得したのはようやっと昨今のころではないかという判断一つ立っております。  それから、それに対して今度は市町村が消化すべき行政需要というもの、これはいまもまさに御質問にございましたような新幹線で東京−大阪間の距離が三分の一になるというような大変な変革がそれぞれの地域についてもそれぞれできております。道路の整備状況も非常に進んでおる。それから車の普及率も当時考えられなかったくらい普及しておる。こういう時代になりますと、国民の生活水準はさきの合併を済ました後でも休みなく上昇を続けておりまして、これは高度成長経済時代に特にその上昇率が激しかったこともあります。今後はある程度安定成長でございますけれども、それでも今後国民生活水準というのは逐次上がっていってほしいとは思っておりますが、そういう生活水準向上に対して新たに起こってくる行政需要、それからすでにある行政需要内容高度化し、複雑化し、同時に広域でもって処理する必要性が出てくる。これに対応していくという対応性はあの合併促進が済んだ後でも休みなしにずっと続いております。そこでそれに対応するためにもう一遍合併ということも、短絡的にはすぐ出てくるのでございますけれども、その意味ではいま申しましたように一たん合併しても十年ぐらいは、一体性を確保するために十分の時間が必要だ。やっと一体性を確保した、ここでさらに合併というのは、どう考えても得策というか、正しい策ではない。しかし、一方に起こってくる共同処理に対する需要というもの、これを何とか消化していかなければいけないというので、合併はしないでそれぞれの町村の独自性を持ち、独立性を持ちながら必要なものについて共同処理していこうというのが、いまの広域市町村圏をつくったゆえんでございます。そこで、この広域市町村圏の役割りというのは国民生活水準向上がますます今後進んでいくに従って重加してくる、重要性は今後とも落ちることはない、ますますふえていく一方だと思います。さりとて今度は、それぞれの独立した市町村が独立した市町村で処理できる事務も現在なおたくさんございまして、小学校の経営とか保育所とか幾らでもございますので、それらの独立性を維持しながら共同処理していく広域市町村圏というものが今後どう進んでいくかということについては、いま御指摘いただきましたように、したがって広域市町村圏というものを合併に持っていこうという気持ちは毛頭ございません。それぞれの独立性を維持しながら共同処理する需要はそこで賄っていってもらいたい、この考え方に立っておる次第でございます。
  48. 小川新一郎

    小川(新)委員 いま大事な点をあなた御答弁いただいたわけですね。促進法が出てそういった社会的な変革の中でやっても十年はかかるのだ。私はいまあなたからはっきりお聞きしましたが、第二次町村合併の時期は早過ぎる、当面広域行政を推進するという大義名分のもとに、複合的な一部事務組合とか全国三百二十九広域市町村圏を強化していくという前提に立つのだということではないという御答弁をいただきました。ここは大事なところでございますので、政務次官、ひとつ明確に議事録にとどめておきたいと思いますので、御答弁いただきたいと思います。
  49. 左藤恵

    左藤政府委員 御指摘のような広域市町村圏というのは、昨年の法改正のときの趣旨といたしまして、住民の日常社会生活圏の一つの単位として広域処理に適した行政については、その関係市町村の自主的な合意に基づいてそういう仕事を共同でやっていただこうという形で設けられたものでありますので、まずそこに参加するかどうかという問題についてはあくまでも関係の市町村の自主的な合意、自主的な発意というものを前提にしておるという点については、今回の御審議いただいておる市町村合併特例に関する法律と立脚しておる点が違うのだということ、そういう市町村合併を前提にしておるということでは決してないということは御理解いただきたい、このように思うのでございます。
  50. 小川新一郎

    小川(新)委員 それは非常に大事なところだと思うのです。結局自治省の物の考え方は、いい面においては確かに自主的であるけれども、悪く言えばあなた任せ、責任転嫁ということも考えられるわけですね。悪くなったっておまえさん方がやったんだ、おれは知らねえよというようなニュアンスが出てくるのですね。それは確かに憲法の精神から言っても、地方自治の本旨の尊重という立場になればそうなるでしょう。しかし、そこにいろいろと財源問題や人件費の問題のときには必ず自治省が強権的な指導をする、またはその見返りを行うというようなことがあったのでは私どもは困るので言っているわけです。  そういたしますと、市町村合併あるいは広域市町村圏の大合併が実現すれば市が広域化する、多数の政令指定都市が生まれることが十分考えられますが、今後政府は政令指定都市を積極的にふやす考えを持っているのか持っていないのか、また、そういうことも要するに地方の自治に任せるんだ、何といってもこういう問題は十年をめどにして、十年間は事後のアフターケアも必要なんだ、そういう中で政令指定都市などというものはふやす考えはないのだ、これも必然的に生まれてくるものならしょうがない、そういう物の考え方なのか、その辺のところはいかがです。
  51. 林忠雄

    林政府委員 広域市町村圏の構成市町村が、共同処理——共同処理のウエートというのは、先ほど申しましたように今後もだんだん高まっていく方向にあるとは私どもも思っておりますから、それがたとえ五年ぐらいではいかないにしても、十年、十五年後にそのウエートが非常に高まった段階で、ひとつ皆で大同合併しようじゃないかという話が持ち上がって合併するとすれば、これはまたまさに結構なことだと思っております。ですから、広域市町村圏を合併させようという意図があるかと聞かれますと、それはないのであって自主的な判断に任せますが、広域市町村圏の合併がけしからぬこととは毛頭思っておらないので、自主的にひとつ大同合併なさるのならばむしろ大いにやっていただいて、そして広域市町村圏で考えている優遇措置などはそっくりそのまま、その新しくできた自治体にもすべきであろうと思っておるのですが、ただ、広域市町村圏の合併と政令指定都市とは私は直ちにはつながらないと思います。現在三百二十九ございますが、これらのうちで大同合併したら政令指定都市になりそうだと思われるところはほとんどないのじゃないかと思っております。そこで、むしろ大都市周辺の最初五つでありました政令指定都市、現在九つになっておりますが、後次に来るべきものは仙台であるとか広島であるとかいうようなところがすぐ頭に浮かぶわけでございますが、政令指定都市を大いに今後ふやしていこうと考えているわけでは毛頭ございませんし、政令指定都市は法律では五十万以上となっておりますけれども、現在百万なければとても政令指定都市に期待する機能は果たせまいということで、実際指定するときの基準としては百万をやはり考えておるという程度に慎重でございます。しかしそれでも、たとえば次に考えられますところの仙台とか広島とかいうようなところが、地元の意思としてある程度の合併をなさり、人口規模をそろえられ、行政能力はあるということで、所在する県とも御相談になって県と両方で政令指定都市にしてほしいといってお申し出があった場合に、これを断る理由はないのじゃないか。その意味ではある程度自然に任せるという考え方はありますが、全体として政令指定都市に指定するということは、どっちかといえば非常に慎重な態度をとっている、私どもの省の態度としてはそう申し上げて大過ないのではないかと考えております。
  52. 小川新一郎

    小川(新)委員 そういたしますと、百万なければいまの状態では政令指定都市にはなかなかなれないのじゃないかという考えの中で、当分まだ誕生はしない、こういう理解をしてよろしいのかどうか、それが一つ。  次は、市の広域化または広域圏、あるいはいま言ったような政令指定都市の増加が今後起こるとするならば、相対的に府県が形骸化し、府県廃止論ないしは道州制論へと向かうのではないかという心配があるのでございますが、いま申し上げました二点について明確にお答えをいただきたいと思います。
  53. 林忠雄

    林政府委員 当分ないかと言われますと、実は広島あたりは具体的に現在合併を相当精力的に進めてもおられますし、政令指定都市になりたいという希望が広島あたりには具体的な事実として出ているということも最近しばしば耳にしております。それから仙台におきましてもそういう話がないということではないので、ぽつりぽつりとやはり仙台市としてもある程度政令指定都市として行政能力を向上さしたいという御希望があるように聞いております。札幌、福岡、北九州がなりました後としては当然仙台、広島というのが現在頭にすぐ浮かんでくる。ここについては、あるいはその地元の動きからしてわりあいと近い時期に具体化して日程に上がってくるものではないかという感じ方を実はしております。しかし、それに対して指定するかどうかについては、先ほど御答弁申し上げたとおり、大いに積極的にやりなさいということではなくて、比較的慎重な態度で、本当に行政能力その他十分に住民要請にこたえられるかどうかを審議させてやるつもりでおります。この二つを除きますと、いまちょっと政令指定市になりそうだというところは、あるいは東京、大阪、大都市近辺で堺とか東大阪というのが数の上ではぐんぐんふえておりますが、またこういうものについても、たとえば川崎市が最近なりましたように、仙台とか広島とかいう地域の中心とはちょっと違って、むしろ大都市圏の一画を担う市についてもそういうことがないかと言えば、考えられるのはせいぜいその程度であろう。  そこで、いま先生がおっしゃいました広域市町村圏が合併してくる、政令指定都市がふえてくる、そしていずれは都道府県の機能が低下して道州制とおっしゃるのはやや性急に過ぎやしまいか、とてもそこまでわが国の自治体の状況が変わっていくとは思えませんし、それから道州制自体は、かつて地方制度調査会でこれをやるべしとの答申も出たこともございますけれども、その後の社会情勢の変化、変転と申しますか、それはもうたな上げになったままで、最近は道州制についてもそう大きな議論は、むしろ一時よりも少なくなったような気がいたします。私の方でもこの際一挙に地方制度を道州制に持っていこうという気は現在のところさらさらないと申し上げる方が正しいのではないかと考えております。
  54. 小川新一郎

    小川(新)委員 そういう点私たちも望んでいるわけでございますが、私は、自分の住んでいる埼玉県の問題で、浦和、川口、大宮、これは三十五万都市でございますが、これを三つ合併して大埼玉市をつくるという構想が県内でちらちらしているわけでございます。これは合わせますと大体百万でございますが、そういうことも自治省あたりのお耳にも入っていると思いますので、いま広島と仙台の話をお聞きしたのでちょっと奇異に感じたのでございます。確かに道州制論とか府県の形骸化という問題は大事な地方自治の問題として議論されなければなりませんので、そういった危険な道に——私がいま頭の中にちらちらしているからそうだと決めているわけではないのですけれども、そういうことのないように、やはり自治省の十年間のビジョンというものが明確になっておりませんので、いま言ったようなただ延長するという物の考えの中から私どもが常に想定する問題として御忠告したわけでございます。  そこで、国土庁来ておられますか。市町村合併と新産業都市建設との関連はどうか、また工業整備特別地域との関連はどうか、これは、高度経済成長政策日本列島の太平洋沿岸ベルトに七〇%の人口が集中するであろうという想定の中から、いろいろとコンビナートの問題、海岸との問題でそういった問題も出てきたと思います。三十年代の一番大きな都市問題の一つのテーマでございますが、現在政府は新全国総合開発計画を見直している最中でありますが、その前身である、昭和三十七年十月五日の閣議決定の中で華々しくスタートした全国総合開発計画、新産業都市建設促進法、これは昭和三十七年、そして昭和三十九年の工業整備特別地域整備促進法は現在でも生きているのでしょうか。もちろん生きていると思いますが、そしてこれは今後どういうふうになっていくか、この見通し。また今後の新全総とも言うべき計画の中ではどのような位置づけがされ、町村合併問題とあわせてこういった二つの法律が生かされていくのか。時代が十年間で大きく変わりましたが、また今後十年さらに変わるであろう、そういう中での見通し、新全総についての位置づけ、これをお聞きしたいと思います。
  55. 鹿児島重治

    ○鹿児島説明員 お答え申し上げます。  まず、現在の新産業都市建設促進法及び工業整備特別地域整備促進法、いずれも現行法として有効でございます。  これに基づきまして、御承知のとおり昭和三十九年から四十二年にかけまして、十五の新産業都市それから六つの工業整備特別地域が指定され今日に至っておるわけであります。指定後ほぼ十年たちました現在、その事業の成果につきましては、工業地関係につきましてはおおむね当初の計画を達成したと私ども見ておりますけれども、今後さらに、その地域の整備につきましては、特に生活環境施設の整備というものを中心にいたしまして整備を進めていく必要があるというぐあいに現在の段階では考えております。  このような新産、工特地域での今後の全国総合開発計画にどのように反映させていくかというお尋ねでございますけれども、御承知のように、現在の新全国総合開発計画は四十四年に策定されまして、その後社会経済の大きな変革がございまして、一昨年来この新全国総合開発計画の見直しを私どもの計画・調整局で行っておる段階でございます。現在なおこの総点検作業を実施中でございまして、これまで大都市問題、土地問題につきましては、一昨年一応中間報告という形で報告いたしたわけでございますが、その他の事項につきましてはなお作業中でございまして、一応五十年度いっぱいで新しい第三次の全国総合開発計画を策定すべく原局において作業中でございます。その中で、今後の都市問題をどのように取り扱うかということにつきましては現在なお作業中でございまして、具体的な内容につきましてお話し申し上げる段階ではございませんので、御了解いただきたいと思います。
  56. 小川新一郎

    小川(新)委員 郡山市とかいわき市などは全部それに該当するわけでございますね。そのために合体した町村が郡山市で十、さらに二年後に三つ合併されております。そこで、いまお話があったようにいま見通しができないわけでございますが、昭和三十七年の新産業都市建設促進法第二十三条は「関係市町村規模適正化等」について規定したものであり「新産業都市の一体的な建設を促進するため、新産業都市区域の一部をその区域とする市町村は、市町村合併によりその規模適正化並びにその組織及び運営の合理化に資するよう配慮しなければならない。」とあります。ただいま審議中の市町村合併特例法の十年間の延長期間中こういうものができるかどうかという問題で「その規模適正化並びにその組織及び運営の合理化に資するよう配慮しなければならない。」これはあくまでも国から、新産都市法の位置づけから、上からきたものですね、いまこちらから言ったように下からの盛り上がりではない。でありますから、そういった国の、時代流れが変わってきておる今日、私は、これは大事な問題でお聞きしたいのは、今後新産都市の新しい追加指定あるいは既設の新産業都市の拡充強化が行われることがあると私どもは考えていいのかどうか。また、そういうことがいまの法律で言う自主的な問題と相反するように産業優先的な姿勢の中で考えられやしないか、もちろん安定経済成長政策になって、あと幾つできるか、いまここであなたに見通しを言えと言ってもできないでしょうが、それはなぜかというとそういう条文が二十三条にございますのであえてお尋ねするわけでございます。
  57. 鹿児島重治

    ○鹿児島説明員 現在の状況でお答えいたしますと、新産都市あるいは工業整備特別地域につきましてこれを追加する、あるいは拡充するという場合には、地元の都道府県知事からの申請に基づきまして内閣総理大臣がこれを決定するというたてまえになっておることは御承知のとおりでございます。現在私どもの聞いております限りにおきましては、そのような地元の意向というものは全く聞いておりませんので、現在の状況におきましてはそのような追加あるいは拡充ということはないというぐあいに考えております。
  58. 小川新一郎

    小川(新)委員 それは工業整備特別地域整備促進法に従うところの追加、拡充もないと理解していいですか。
  59. 鹿児島重治

    ○鹿児島説明員 おっしゃるとおりでございます。
  60. 小川新一郎

    小川(新)委員 政務次官、これは大きな問題でございますので、やはり日本の四十年代から五十年代さらに十年後を見通した六十年代を想定しておるわけですから、いまのような問題が国土庁の方から出たわけでございますが、当該責任指導体系を持つ自治省としてのお考えをお聞きして、私の質問を終わらしていただきたいと思います。
  61. 左藤恵

    左藤政府委員 この問題につきましても、いま国土庁から御答弁がありましたように、地方自治体、特に府県がそうした問題についての考え方をまずまとめてこられるということがこの新産都市建設促進法趣旨であろうと思います。そういう立場から考えましても、地方住民の福祉をどういう形でより一層増進することができるかとか、そういうものに対応できるかあるいは新しい時代を迎えての一つの社会要請に対応できるか、そういう姿勢をそれぞれの地方自治体の自発的な考え方によって、その際に、市町村合併すべきであるかどうかというふうな判断を、その住民の意思を十分体した各関係の市町村において考えてこられる、それを自治省としては待って、受けて、今後の地方自治を進めていくという姿勢でなければならない、このように考えておるところでございます。
  62. 小川新一郎

    小川(新)委員 参議院の附帯決議にもございますように、市町村合併特例に関する法律の有効期間延長されることに伴って、私どもが考えておりますことは、市町村合併に当たっては、広域市町村圏を裏づけることのないよう市町村の自主性を十分尊重するということの御答弁をいただきたいわけでございます。  また「市町村の自主的合併に当っては、民主的に行われるよう住民投票等」ということが参議院の附帯決議にございますが、この「住民投票等」ということもこれは非常に大きな問題だと思います。御決意の一端をお聞きいたしまして、終わらしていただきます。
  63. 林忠雄

    林政府委員 この参議院の附帯決議で「住民投票等」という文句になっておりまして、その御趣旨をそのときに非公式でございますが伺いまして、これは、住民投票というのを合併するための制度として取り入れる意味か、そうでなくて、現在合併の手続としては、議会の議決によって、府県会の議決を経て知事が処分をするという形になっております。しかし、それに至るまでの段階で、住民の意向をよく確かめるために、たとえば住民投票とかアンケートとか、そういう住民の意向を十分確かめてやりなさいという趣旨でしょうかというところを、実は提案をされた方にお確かめいたしました。そうしたら、現在直ちにそれを制度化するという意味ではない、しかしその制度化までも実は考えておるのだ、両様にわたるような御返答であったわけです。  そこで私の方の大臣から、附帯決議の御趣旨に沿って善処しますという御答弁をしておるわけでございますけれども、この住民投票というのを、合併するための制度化するということについては、私はなお検討の余地があると思います。というのは、観念的には、住民全部の意向を聞くわけですから最も民主的であり、最も住民の意向に即した方途であることは間違いないのでございますけれども、現実には、町村合併という問題は勢いに乗ってやる、やらないで決めてしまうのではなくて、合併したら一体住民にどういう福祉が増進されるのか、どういう点でメリットがあるのか、あらゆる資料に基づいて、実は冷静な判断の上に立たなければいけない案件でございます。  ところが、その冷静な判断住民全部に求めるというのは必ずしも適当ではないし、物理的にもむずかしい問題がある。そこで住民の投票とか、住民に対するアンケートだとかをして住民の意向を確かめるというのも非常に大事な手続だが、同時に、合併したら一体どこがよくなるのか悪くなるのか、どういうメリットがあるのかデメリットがあるのかということを住民の代表の議会議員さんが冷静な立場判断をされて決めるということがやはり一つの合理性があると考えるので、住民投票は不適当だとまでは申しませんけれども、直ちにこれを町村合併の場合に制度として採用することにはなお検討の余地がある、こういうふうに考えております。ただ前段の、合併するに当たっては住民投票、アンケート、意見聴取、広報、公聴会その他を含めて住民の意向を聞くという意味では、自主的な合併では十分に手落ちないようにやっていただきたい、そういう考え方でございますので、いまの質問に対しては、現在の考え方はそういう立場をとっております。
  64. 小川新一郎

    小川(新)委員 わかりました。終わります。
  65. 大西正男

    大西委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後零時十五分休憩      ————◇—————     午後二時十五分開議
  66. 大西正男

    大西委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  市町村合併特例に関する法律の一部を改正する法律案に対する質疑を続行いたします。林百郎君。
  67. 林百郎

    ○林(百)委員 いま提案になっております市町村合併特例に関する法律の一部改正、要するに施行の期限を延ばすということなんですけれども、これについて、一体市町村合併というものがいままでどのように行われてきたかということを一応振り返って点検してみる必要があるのじゃないかというように思うわけなんですね。  私たちもこういう近代的な社会となり、時間的にも距離的にも短くなってきておるこういう時代に、機械的に市町村合併に反対するという立場をとるわけじゃありませんけれども、まあ結論から申しますと、いままでの市町村合併が国の施策である経済の高度成長、すなわち新産都市の建設だとかあるいは工業整備特別地域整備促進法だとか、こういう産業の基盤整備あるいはそういう大企業の効率化、こういうことが指導の中心に座って行われておるという例が非常に多いために、本当に地域住民が希望する市町村合併というものとかけ離れた事例が多く見られますので、その点を今後十分配慮をしていく必要があるのじゃないか、こういうように私たちは考えているわけなのです。  そこで、そういう立場からまず御質問しますと、市町村合併特例法施行されて今日まで合併された件数は、先ほどの大臣の提案理由説明の中にも、百二十二件、うち合併が三十三件、編入が八十九件、減少団体が百八十八市町村と、こうありましたが、この合併された市町村の中で新産都あるいはいわゆる工特法、これの指定を受けておる地域あるいはこの指定を受けでから合併された、いずれにしても新産都市あるいは工特法等に関係のある合併というものは幾つあるのでしょうか。
  68. 林忠雄

    林政府委員 いま御質問のずばり百二十二件の合併のうちで、新産、工特に関係のあるものというもの、これは表になっておりますので拾えばすぐわかるわけでございますけれども、現在正確にその数字はつかまえておりませんが、代表的なものとしていわき市とか郡山周辺の合併は、新産業都市関係の法律にも、工業整備特別地域関係の法律にも、合併の促進に関する規定がございまして、新産都なり工特を指定するときには、その町村地域適正化というのが望ましい旨があの法律の中にあったわけでございますが、具体的にいま例に挙げましたいわき市なり郡山市の場合は、それらの新産都の法律を取り込んでこちらの特例法になってから合併しておりますので、まさに御指摘の新産、工特関係の合併だと言えると思います。正確な数字は、事務的に拾えばできますけれども、いまここにちょっと持っておりませんが、数えてお届けするようにいたしたいと思います。
  69. 林百郎

    ○林(百)委員 行政局長の言われるように、市町村合併特例法の中に新産都市建設促進法あるいはいわゆる工特法の中の合併特例が吸収されておりますので、その後の合併というのは、ほとんどこの性格を持った合併になっておると思うわけですが、したがって、そういう合併の中心的な考え方がそこに置かれておるということで、この地域は新産都市の地域だとか、あるいはこれは工特法の適用される地域だというようなことが上の方の国土の開発計画で決定されますと、そこへ市町村合併、広域市町村圏の実現というようなことが上の方からの要請でなされるという場合が非常に多くなっているようであります、これはわれわれの方の調査によりますと。  そこで、具体的にいま広島県や岡山県などで非常な広域の市町村合併が行われていますが、現に広島市では十九町村合併を進めているようですが、これはどういう考え方に基づいて行われてきているんでしょうか。
  70. 林忠雄

    林政府委員 十九市町村についての合併を進めている広島市自体の考え方を直接詳しく聞いたことはまだないのでございますけれども、仄聞するところによりますと、広島市自体規模を広げて、広島市自体はそれを適正化とお考えになっていらっしゃると思いますけれども、広げて、いずれは政令指定都市を目指しているとも承っております。  まあ、いま先生のおっしゃいました新産とか工特とか、あるいは広島市の場合はそれとは違って政令指定都市を目指しているとも言えるかと思いますが、上の方からの要請に基づく合併ということがお言葉に出たわけでございますけれども、実はけさほどの御質問にもお答えしたわけでございますが、二十八年から町村合併促進法の三年間、それからさらに、その後始末と未合併を進めるという新市町村建設促進法合併推進に関する規定が三十六年まで有効でございました。この間がまあ言ってみれば上からというか、国策というか、国から大いに合併をやれやれと言って旗を振って、規模適正化を急激に短い間に進めた時期でございます。三十六年にこの新市町村建設促進法合併促進の規定が失効いたしまして、その後は、いわば町村規模適正化に関する努力義務一般的に自治法中に書いてございます。同時に、新産とか工特という法律の中にもその規模適正化努力義務は相変わらず書いてあった。ということは、三十六年以降は一応国策というか、上からというか、国として合併を大いに推奨するという時代は終わって、後はその市町村の自然の流れに任して、みずからの判断規模適正化をする分には、これは結構なことだから障害を取り除きましょうという態度に変わってきておるわけでございますけれども、新産、工特の考え方は、なお合併は結構だからやりなさいという感じが残っていたということは言えると思います。新産、工特の建設の手法が、やはりその地域を指定して大いに集中投資をする。集中投資をするにはやはり効率的な投資をしなければいかぬから、各町村がばらばらになっていてはまずい、合併は結構なことだからやりなさいという感じが、新産、工特法の時代にはまだなお残っておった。それらを全部吸収して十年前にいまの法律にしたときに、もう合併を大いに推奨する、奨励するという時代は去って、後は町村規模適正化努力義務自体が自治法にあり、それに基づいて自主的な判断合併を進めていくという時代に入ってきた、こういうふうに見ておるわけでございます。  そこで、いま御質問の広島の場合も、国としてはあるいは自治省としては、大いに広島市が規模適正化して政令指定都市になるように努力しなさいとか、それは結構なことだからという態度はもちろんとっておりませんし、さらに午前中の御質問にもお答えしたところでございますけれども、政令指定市をこれからさらに新しく指定する、ふやすということに関しては、むしろ奨励的な考え方ではなく、大変慎重な態度を国の方ではとっておる。法律では一応人口五十万以上は政令指定市の資格があるわけでございますけれども、現実の指定としてはまず百万なければという考え方をほぼとっておりますし、具体的にその地域が自主的な規模適正化を済まされ、そしてもう政令指定都市になるだけの用意と事務能力が十分あるから指定してくれ、県の方もそれは結構なことだというふうに出てまいった場合に、これを否定する理由は何もありませんけれども、大いにそちらに向かって進みなさいという感じの国からの示唆なり奨励なりはしておらない、それが現在の状態でございます。
  71. 林百郎

    ○林(百)委員 行政局長は、地方行政についての指導的な最高の地位にある人の一人ですから、実情を知っていただきたいと思うのですが、あなたのおっしゃるように、最近の市町村合併特例法、四十年からですか、これが施行されてきてから、国が直接口を出しているという例は、私どもいろいろ調査してみたのですが、まあ林さんが直接乗り出していって指導したという例は見られませんけれども、しかし、国の意図だということで県が相当積極的に乗り出してきている。それで、地域住民の方では慎重に、慎重にと言っているんだけれども、いま言ったように、百万都市になりたい広島だとか、あるいは新産都市を目指しての合併だとか、そういうところへ直接県が乗り出してきて、地域住民の慎重に利害関係を考慮してからという立場を無視したようなやり方が大分ありますので、これから二、三例を挙げていきたいと思いますが、十分そういう点は配慮していく必要があるのじゃないか。  たとえば、広島の例が出ましたから申し上げておきますと、四十三年十二月に広島県議会で永野知事が、広島市周辺十九カ町村、福山市周辺七カ町で合併機運が高まった、県が介入指導すべきだ——まあ介入指導というのはどういう意味か知りませんが、こういう言葉が述べられておりまして、これは後でまたこの県の介入指導がどういう事実だったかということを申し上げたいと思いますが、これを受けて山田広島市長が、広域合併は国家的要請でもある、各市町村住民感情や広島市の財政問題もあるが、三年を目安と考えて、機運の熟したところから飛び石合併もやっていく、飛び石でもいいから何としてもやっていくんだ、これが緊急の使命だというような意味の発言があるのですが、こういうことは聞き及んでおりますか。
  72. 林忠雄

    林政府委員 先ほどの御答弁で申し上げましたように、三十六年までで一応国が奨励するのが終わったとは言い条、確かに新産とか工特についてはなお奨励の空気を残しておったということは、まさにそのとおりでございます。あの当時の新産なり工特なりは、やはりその地域に集中投資して大いにそこを開発していこう、まあいまはいわゆる高度成長時代の開発が反省されてはおりますけれども、あの当時の手法としてはそれを考えておりましたから、新産、工特を指定してそこを大いに伸ばしていこうという場合に、そこの町村が一体となるというか、規模適正化して効率的に事業をするというのは、むしろある意味では国の要請であったとも言えるのではないか。またそういう意味で、指定を受けそこを育てようとするときに県がある程度合併をいざなったということは、当然考えられることだと思いますし、事実、いわきとか郡山では、先生の御指摘になったような県からの指導と申しますか勧誘というのも何かあったように聞いております。広島の場合は別に、広島市長が国の要請だと言われたというのですが、あれに対しては国が要請する何物も実はないはずなんでございまして、むしろその国の要請だというのを善意に考えれば、自治法その他にもある常に規模適正化努力をしなければならないという努力義務を、その市町村なりに、広島市なら広島市なりに解して、大いに規模適正化を進めて一段と高い自治権を持つ政令指定都市を目指そうという広島市自体の意欲であり、その努力目標であったのではないかと考えられる次第でございまして、国の要請ということは、広島市に関しては、新産、工特とは違ってないはずでございますので、むしろ地元自身でのそういう御判断、より高い自治内容を目指す規模適正化の動きをそういう形で表現もされ、また県も地元の自治体としてそれに大いに賛成をし、力をかすという態度をあるいは永野知事はそう言われたのかと、詳しい具体的な介入というか圧力があったというのは、余り詳しくは聞いておりませんけれども、推察するところ、恐らくそういう線であったのではないかと理解する次第でございます。
  73. 林百郎

    ○林(百)委員 大分慎重な答弁をされているのですが、本法特例法の前には国が積極的な指導をした場合もある。また新産都あるいは工特法の合併特例条項が本法特例法の中に吸収されているので、その中には新産都あるいは工特の考え方が組み入れられておるということは局長も認められているようでありますが、その点をもうちょっと掘り下げてお聞きしておきたいのです。  昭和三十六年八月、これは所得倍増計画あるいは高度経済成長政策等が最も積極的に国の政策として取り入れられたころでありますが、このころ各省が地方開発促進の構想を発表しているわけです。そのとき自治省もこれを受けて自治省案として地方基幹都市建設構想というのをたしか発表しているわけですが、この自治省案が生まれたいきさつはどういうことでしょうか。このころ林さんがどういう立場にあったか知りませんが、お聞きしておきたいと思います。
  74. 林忠雄

    林政府委員 地方基幹都市構想を自治省が打ち上げまして、それでほかの省の地方中核都市構想とか産業都市構想、通産省、建設省、経企庁、それぞれ似たような性格のものをいろいろ言葉が違い、大同小異と申しますか、いろんなものを発表し、それが結局新産業都市という形で集約されたといういきさつは実は聞いて知っておりますが、私自身はちょうどそのころ愛知県、鳥取県という辺に赴任しておりまして、実際にその内容にタッチはいたしませんでしたので、その中身が、いかなる議論があってそういう形になったかはちょっといまつまびらかにいたしませんが、記録、材料その他は探せばあるいはあるかと思いますので……。
  75. 林百郎

    ○林(百)委員 もし局長がわからなかったら、わかる人でもいいのですが、この自治省案の地方基幹都市建設構想の中で調査対象地域として指定されたのは何カ所ありましたか。
  76. 林忠雄

    林政府委員 つまびらかにしておりませんで、まことに申しわけございません。ここにおりますのはみんな私よりも少し若い者でございますから。
  77. 林百郎

    ○林(百)委員 それじゃ私の方の調査を申し上げますと、大体四十九カ所あるわけですが、この自治省案の中で市町村合併についてどういう構想が述べられているか、それは何かわかりますか。
  78. 林忠雄

    林政府委員 この手元にあります資料によりますと、関係市町村合併特例として議員任期とか農業委員会とかその他地方交付税とか、ちょうどこの特例にあるようなことをやるべきだという書き方がしてございます。当然、恐らくその当時の考え方といたしましては、そういう指定をすればそこで関係町村が各個ばらばらに物をいろいろやっており、言いたいことを言っておったんでは効率的な建設はできまい、この構想どおりに政策ができて指定されれば、そこの合併を、町村合併促進法のときの例ぐらいにならって大いに進めるという政策を展開するということを頭に描いたのではないか、またあの時代にはまさにそうであったろうと、私たちいまからも考えられる次第でございます。
  79. 林百郎

    ○林(百)委員 局長もあの時代には多分そういうものが考えのてことなっていたろうということはお認めになっているわけですが、それを要約してみますと、すなわち、それというのは自治省案の中の市町村合併の部分についての構想をまとめてみますと、要するに広域基幹都市構想というのは、そこで合併をなるべく促進する、そして広域行政圏をつくる、そしてそれが新産都あるいは工特等に裏づけられていき、そしてそれがまた新産都あるいは工特に受け継がれておるという歴史的経過もあると思うのですね。したがって、少なくとも自治体はその三十八年ごろから、何としても広域市町村圏の底には一貫して新産都あるいは工特、それから経済の高度成長の考えが流れておることは、これは否定できないと思うわけですね。そういう国の開発政策、産業基盤を中心としての開発政策に誘導されて合併が促進されてきたものである。こういう歴史的な経過、そして今日なお市町村合併の中にはその考え方がやはり一つの大きなファクターとして残されているということは否定できないと思うのです。局長は大分慎重な答弁をされておるようですけれども、そのことは一つのファクターとして市町村合併の中に含まれておるということは否定できないのじゃないでしょうか、どうでしょうか。
  80. 林忠雄

    林政府委員 いろいろお立場なり見方によっての表現の仕方はあるいはあると思うのでございますけれども、私の方も、それを頭から全く違うのだ、全然別のねらいだという意味のことではございませんので、高度成長時代には経済は年々十何%という伸び率を示しておりまして、それに伴って国民の生活水準も相当目覚ましい上昇を示したわけでございます。国民の生活水準が上がります場合には、必然的に住民行政に求める行政需要も次々と新しく発生してまいりますし、それから現に発生して満たしてやる行政需要の満たし方も、技術的に高度になったり、よけい経費がかかるようになったり、内容が複雑になったりいたしまして、必然的に広域処理を必要とするという傾向はやはり現在でもまだとどめることを、知らないとまでは言いませんが、現在でもそういう傾向をたどっている。したがって、国民生活水準向上に合わして起きてくる行政需要住民の満足いくように処置しようとすれば、やはり広域行政という要請は常に出てまいり、その要請は強まってまいる、この傾向は否定できないと思うのです。  ただ、新産とか工特のように一つ地域を指定して、あるいは自治省出しました地方基幹都市ですか、こういう形で指定してそこに重点的投資をして、そこを急激に短い間に育成しようという場合には、ことさらそこを合併するとか規模を大きくして一つの単位でやってもらうという要請は強うございますけれども、いま申しました傾向はそういう特定の指定した場所ではなくて、やはり日本全国にわたって、国民生活が上がりますと、ある程度僻地でありましても同様に広域処理の要請必要性が出てくる。そこで行政を広域的処理をするために一番手っ取り早い方法一つ合併だということはございますけれども、この合併を私たちの方はそれほど簡単にそこへ飛びつくつもりはない。というのは、けさほども答弁を申し上げましたが、町村合併して区域を取り払えばその翌日から大きな単位として動けるものではございませんので、やはり旧町村の間の意識、いろいろな摩擦の残りとかその他でもって、その町村が一体的に動くことができるようになるまでにはやはり相当の年月、たとえば一口に言えば十年ぐらいはかかると思うのでございます。昭和二十八年から三十五、六年にかけてあれだけ合併を推進いたしましてできた新市町村が、地に足がついた仕事ができるようになるまでには、やはり十年ぐらいかかる。下手すれば四十年代の前半ぐらいまではどうしてもかかっている。そういうやっと一体性ができたばかりのところへ、さらに広域行政の処理の必要性ができたからもう一遍合併というのは、いかにも地元の実情を無視したものでもある。そういう意味でいま広域市町村圏というのをつくりまして、個々の市町村が独立をちゃんとしたまま、そして自分のところだけでやれる小学校とか保育所の経営はそれぞれ自分のところで自主性を持ってやりながら、いま申しました広域処理の必要性があるものについて共同処理をするというかっこうで広域市町村圏というものをつくってまいりましたから、これが、新産とか工特のときにそういう特定な地域を急激に育成しようというのとは違いまして、全国的な制度としては一たん合併をやったんですから、それが落ちついたところでもう一遍合併ということは避けて、むしろ生じてくる広域処理の必要性をどうやって満たすかというのが広域市町村圏でございますので、広域市町村圏自体は新産とか工特あるいは地方基幹都市のときに考えたような、本来は合併すべきものをという考え方はむしろ少ない。一たんやった合併の成果を生かしながら、生じてくる新しい広域処理の需要を満たすための方法としてこれをやっておりますので、その底に合併を目指し、また合併は善なりとする考え方があるというわけのものではない。それはやはりちょっと違った手法をとったのだ。したがって、これからまた、たとえば十年、十五年たった段階——十年、十五年たてば、広域処理の必要性というものはだんだんと国民生活水準が上がっていくに従ってまた深まっていくわけですから、その段階で、そこの広域市町村圏の関係の市町村がひとつここで大同団結しようじゃないかということに合意される分には、それはまた一つの結構な解決の方法であると思いますけれども、そちらへ誘導しようあるいはそちらへ行くのが善なりということで政策を展開しようという意図は、むしろ現在の自治省にはないということははっきり申し上げておいていいんではないかと思っております。
  81. 林百郎

    ○林(百)委員 非常に重要な答弁ですから、次官、次官もせっかく出席なさっているからお聞きしたいのですけれども自治省の答弁は林局長からそういう答弁を聞いているのですが、三十年代のときの市町村合併では新産都あるいは工特、経済の高度成長政策を促進する産業の基盤整備という、そういう要因が強く働いて、国の方でもそういう側面を促進させるという意味で積極的に乗り出し合併をさせたところもあるけれども、いま提案になっている法案ができまして、三十年代、ましてやこれからの十年の延長期間では、そういう要因よりも、自主的な各市町村地域住民の要望あるいは当該市町村の要望に基づいて行われるというところを尊重してやっていくつもりである、こう言われておるわけなんですけれども、これからの市町村合併をそういう経済の発展、自民党の言う経済の高度成長政策ですか、それの基盤づくりとしての市町村合併ということで、積極的に国の方から国策だということで押しつけていくようなことはしない。自主的に地域住民の意向を十分尊重しあるいはその地域の当該市町村の意見を十分尊重して、自主的な要望を達成させるための市町村合併を育成していくつもりである、あるいはそれに対してそういう自主的な要望がある場合には、それを国として援助していく、そのために本法も十年間の延長を求めるんだ、こういう立場として理解してよろしいんでしょうか。要するに三十年代と四十年代、ましてやこれからまた十年延びるわけですが、広域市町村考え方についても、質的に、全部変わったとは言えないんでしょうけれども、質的にある程度変わってきておるのじゃないか。自治省もまた考えを変えているという答弁があったわけですけれども、それで次官、いいですか。
  82. 左藤恵

    左藤政府委員 御指摘のとおりだと思います。そういう問題につきましては、住民が一体何を市町村に対して期待をするかということ、そしてまた国民生活のあり方、ざらに経済の発展の仕方、いろいろの問題が当然影響してきて、最終的には、そういう町村合併なり何なりはやはりその地域住民の意思と申しますか、そういう自発的な物の考え方によって進められていくべき性格のものである、このように考えます。いままでのそういった高度成長のときと違って、低成長と申しますか、安定成長という時代になれば、当然そういう客観的な情勢というもの、そしてまた住民の期待、市町村に対する要望といいますか、そういうものが若干変化をしてきてしかるべきものだ、私はこのように考えるわけでございます。
  83. 林百郎

    ○林(百)委員 大体考え方はわかりました。しかし、基本的には自民党の政府の経済の成長政策、それがあるときには高度と称し、あるときには低度と称しておりますけれども、それは自民党の一貫した政策として変わりないし、したがって市町村合併、広域市町村圏の中にもその要因がなくなるということはわれわれ考えておりませんが、その著しい例だった——自治省自体も、三十年代はそういう側面を強調して積極的な指導をしたときもあったという答弁もあったわけです。振り返ってみますと、たとえばいわき市ですね。そういう観点でやりますから、どうしても上の方から押しつけてくる。自主的に地域住民が非常に住民生活が不便だからこういうように合併した方が都合がいいじゃないかということでなくて、やはり上の方から、この地域は新産都市である、この地域は工特法の適用を受けている地域であるあるいは基幹都市であるというふうに、上の方から決められてくるものですから、県あたりを中心にして上の方からそれを説得して、地域住民の意向よりその方が優先して押しつけられてきておったという例が多いわけなんですね。  たとえば、先ほどから出ておりますいわき市の例を見ますと、いわき市では、三十九年に常磐地方市町村合併促進協議会に県から大塚総務部長だとかあるいは赤井企画課長だとか横田地方課長補佐等が出かけてきて、郡山はすでに四十年五月に合併することを決めておる、郡山地区と当地区が歩調を合わせることは理想だが、常磐地区の事情を考えて、ずれることもやむを得なかった、しかし常識的に見て、四十年度中に実現するよう要望したいというようなことを積極的に述べている。また常磐地区へ初視察のために三十九年の八月十日に参りまして、地元十四町村長との懇談会で、常磐地区十四町村合併はどうしてもやらなければならない、県としては常磐郡山地区の開発の中心で常磐地区は重点的に考えているので、特に合併は一日も早く実現してもらいたい、合併の時期については、さきに総務部長から伝えたように、四十年度中にするよう特段の協力を望みたい、こういうように知事の意向を明らかに述べているわけなんですね。それから、三十九年の六月十二日に常磐郡山地区新産都市の建設基本計画を決めて、県の新産都市建設協議会が発足して、この総会で会長の木村知事が、新産都市の建設は県の開発への大きな足がかりとなるもので、全力を傾けて推進したい。それから菅野県企画開発部長は、常磐郡山地区内の工業出荷額を四千億円から五千億円にふやし、五十五年には人口百五万のいわゆる百万都市をつくり、邁進したい、こういうようなことを言っておるわけですね。それから、私もいろいろ議事録を読んでみたのですが、昭和三十八年十月二十九日の常磐地方市町村合併促進協議会の第一回総会で佐藤知事があいさつに出て、常磐地方は市町村が大同合併することを前提に新産都市を推進したのだから、この約束を実行しなければ、今後すべての面に蹉跌を来すだろうと、半ば脅迫じみたことまで言われておるわけなんですが、こういうことが行われてきた。これはいま行政局長や次官が言われるような、民主的に自発的な意向を尊重するということとはほど遠いようなことであって、知事が出てきて、もし合併しなければ今後あらゆる面で蹉跌を来すだろうというようなことを言われますと、当該市町村としては、知事から直接そんなことを言われたのでは、これは強制的に合併が促進されてくるという側面が非常にあるわけです。この法律を十年延長するわけですけれども、今後は、こういうような県が直接乗り出していって、指導の域を越えて、もう何でもやれ、やらなかったら県は見てやらぬぞと言わぬばかりのことを言うことは好ましくないことだと思いますが、これについて次官と局長の考えを聞かしていただきたいと思うわけです。
  84. 林忠雄

    林政府委員 次官の前にちょっとその当時のことを……。  いま、いろいろな議事録から先生のおっしゃいましたような事実は、事実そのとおりのことは多分あったのであろうと思います。それは先ほど私も申し上げましたように、新産業都市なり工業整備特別地域の整備、これをやろうというときの手法として、昭和三十年代の後半でございますが、三十六年までは本当に全国的に町村合併をやはりすべきだとして国も大いに旗を振り、県も大いにその努力をし、いま先生のおっしゃいましたような知事の積極的な指導といいますか、勧誘というものはほとんど全国にわたって行われていたと思うのでございますが、それが三十六年に全国的に一段落いたしましたとして、その後の新しい新産とか工特の整備の手法として、やはり地域合併、大同団結を前提とするという方向で進められたことは想像にかたくない。恐らくその一環として、県もそれだけ積極的な態度をとって合併を勧誘したのだと思います。ただ、それが全く上からであるとおっしゃるのには、私、多少見解を異にいたしますのは、関係市町村の末端の住民一人一人が合併と言い出したのではもちろんないと思いますけれども、この新産、工特の指定を受けて国から大いに援助ももらい、そして地域の開発、住民所得の向上をさせようということでは関係市町村自体も相当熱心になって、新産、工特の指定については四十何カ所から大陳情を繰り返したということも御承知のとおりでございまして、この政策に乗ってその地域の発展を図ろうとする意欲は、まさにそれは地元のものであると私たちは思っておりますし、県というのも国の代理人の県ではなくて、地元を代表して、その地元を盛んに開発するために一緒になって力を注ごうという、むしろ地元の立場での推進であろうと思うわけでございます。  そして実際には、それじゃそこの関係町村の議決状況はどうであったかと申しますと、関係十四団体のうちで満場一致が六団体ございます。それから投票によらずに起立をやったものがあるので数字ははっきりしておりませんが、起立多数が五団体でございますけれども、投票をやったところ、この投票をやったところというのは、恐らく大分議論をして、そのあげくに投票ということになったと思うのですが、投票をやったところが二十一対七、十九対一、十九対三と、こういう数字になっております。ところがこの数字は、二十一対七はやや七は反対数が多いわけでございますが、それでも四分の三は賛成しておる。それから十九対一、十九対三という数字でございますので、知事も相当強い態度をとったかどうかは別といたしまして、結局地元の議会の自主的な決定がこのぐらいの数字になっておるということは、これは必ずしも押しつけというよりも、むしろ県、地元、市町村が一緒になって指定を受けて地元の開発を図りたい、しかも、当時の手法としては大同団結して効率的な開発をやっていこうということで、それに乗っていきたいという気持ちのあらわれではなかったかと思うのでございます。  で、これらの新産、工特についてそういう手法をとって進めておりましたのもこの法律に吸収しまして、さらに四十年代に入ってそういう空気はほとんどなくなってまいりまして、もっぱら自主的な合併というのが中心に行われてきておる。この法律が生きている間の十年間の合併が百二十二件ございますけれども、これが前の方にうんとかたまっているんじゃなくて、十年間ほぼ同じような数で分布しておる、地域的にも分布しておるということが、もう合併については自主的な推進という立場に変わったんだということを示しておると思いますし、そういう意向で私たち今後もやっていこうと思うわけでございます。
  85. 左藤恵

    左藤政府委員 確かに当時の新産都市の指定の段階においては、私はそういった問題があったろうと思います。一つは、やはり地域開発を促進するということにウエートが偏り過ぎたということがそういう結果をもたらしたのだと思いますけれども、今日におきましては、先ほど申しましたような経済成長の問題一つ取り上げてみましても客観情勢が変わっておりますし、それから一般的にも、本来町村合併というのはその市町村の自主的な判断によって進められるべき性格のものであり、またその後の状況から見まして、私は大体そういうふうな方向に進んでおると思いますが、今後もその考え方で進めていくべきものである、このように考えております。
  86. 林百郎

    ○林(百)委員 自治省側から当該議会の議決がこうだからという答弁が返ってくるということは大体われわれも想像していました。しかし局長さん、現実にいまの地方議会の構成から申しまして、それが本当にそこの地域の主人公である地域住民の側に立って、場合によっては自治省やあるいは国の方針に対しても地域住民の利益を守るためには抵抗するというような、そういう強さを持つ議会がどの程度あるかということを考えて、議会の議決があったからということだけでは簡単に問題が処理できない面があると思うのですよ。もちろんわれわれは議会の重要性を無視するわけじゃありませんけれども、今日の議会の構成からいって、議会の議決があったからということだけでは問題が処理できないんじゃないか。ことに知事が来て、いままで大同合併をすることを前提に新産都市の推進をしてきたのだ、もしこの約束を実行しないようなことになるならば今後すべての面で蹉跌を来すというようなことを言われますと、やはり議会としては、知事さんが直接来てああ言うんならこれはという立場になると思うのですね。  そこで、行政局長の言われる議会の議決というものが地域住民の要望とどのように食い違っていたかということも、今後の合併問題を考えていく上に非常に重要な参考になると思いますから、私、これから二、三その点を申し上げたいと思いますが、群馬県の前橋市と旧城南村が合併して、この合併のことについて訴訟が起きていたということは御承知ですか。
  87. 林忠雄

    林政府委員 存じております。
  88. 林百郎

    ○林(百)委員 どういう事情で起きたか、ちょっと説明してください。
  89. 林忠雄

    林政府委員 前橋市と城南村は昭和四十二年五月一日に合併をいたしまして、だからこれはそれぞれの市と町の議会で議決をし、県会も議決をしたと思います。それが五月一日に合併をするはずのところ、まあ合併したのでございますけれども、四月二十六日でございますから合併の効力が発するつい四、五日前に、旧城南村の住民から群馬県知事に対して合併無効確認の訴訟が提起された。恐らく城南村の中で意見が分かれまして、それで合併をすべきでないと考えられる方々が一番最後の手段として訴訟手段にお訴えになったんだろうと思います。で、この訴訟はその後延々と続きまして、判決に至りませんでした。そしてそれから三年ほどたちました昭和四十五年の十二月二十一日に原告の方から自発的に取り下げをされておられる。ただこの取り下げに際して、前橋市長と原告の住民との間に幾つかの点について話し合いがついて、それで訴訟は取り下げる、しかし、こういうことはやってもらいたいという要望が出たということのようでございます。その幾つかの条件というのも、一つ、二つを挙げてみますと、合併に当たって城南村民に十分納得させる努力が欠けていたということで遺憾の意を表している。それから具体的なこととしては、都市計画の線引きは住民の要求を基礎としてやってください、それから城南地区の小中学校の改築をできるだけ早く前橋市でやってくれ、団地造成計画はやめてくれとかいうような、あと何か幾つかあるようでございますけれども、こういう地区の住民の市への要望というのを、これとこれはよろしい、訴訟は取り下げる、こういうかっこうで、話がついた経緯はこうであるというふうに聞いておるわけでございます。
  90. 林百郎

    ○林(百)委員 そこで、旧城南村での、局長の言ういわゆる議会の議決なるものの内容をちょっと立ち入って調べてみたのです。昭和四十二年三月一日、合併議会が設置されたのですが、この合併議会の設置を議会で議決したのはいつですか。
  91. 林忠雄

    林政府委員 合併議会の設置が三月一日でございます。
  92. 林百郎

    ○林(百)委員 その三月一日にどのような審議がなされているか、わかりますか。審議内容
  93. 林忠雄

    林政府委員 そこまではちょっと私どもの調べが進んでおりませんが、市と村と両方で合併するという申請の議決をしたのが、その翌日の三月二日でございます。その直前、前の日に合併議会をつくるということをやっておるわけでございます。本来は、合併議会というのはもっと前につくって、その協議会でいろいろ相談すべきところなんでございますが、恐らく実際には事実上そういう相談がずっと進んでいきまして、最後に、じゃ、もう議決にいこうという直前に、形を整える意味合併議会の設置を議決しておるのではないか。合併議会を設置して、その日にその協議会合併協定を締結しておるようでございますから、事実上の話し合いが先行して、形式をここで整えたというふうに読み取れるわけでございます。
  94. 林百郎

    ○林(百)委員 あなたもおっしゃるように、たとえ前に話し合いがあったにしても、合併議会が設置された次の日にもう合併議決がなされている。この合併議会の設置をした議会では審議が全然なされておらない。それから合併の議決をした議会でも全然審議がない。協議会が設置されたら次の日にもう議決をしてしまっている。こういう実情なんですが、これでは議会の議決があったといっても全く形の上だけだ。訴訟が起きたというのは、何で訴訟が起きたのでしょうか。議会の解散とかなんとか、直接請求の方法もあるわけですね。そういうことがなくて訴訟が起きたというのはどういう理由でしょうか。  それともう一つ、いま言ったように、三月一日の合併議会設置のこの議会、旧城南村の議会で、私の方の調査では審議が何もないのですよ。それから合併の議決をしたこの議会でも審議が何もないのです、議決があるだけで。それがどうかということと、直接請求の方法はいろいろあるのに、なぜ訴訟にならざるを得なかったかということ、その辺はおわかりですか。
  95. 林忠雄

    林政府委員 この事実、具体的にまだ調査しておりませんので、確たることはわかりかねるのでございますけれども、恐らく訴訟の手段に出られたというのは、この段階において最後の——しかも訴訟というのはしばしば仮処分ということで法律の発効を延ばすという手段を伴います。昭和二十八年以後町村合併を全国的に進めたときに、しばしば訴訟が仮処分というのを伴って行われまして、現実に仮処分が出たこともございます。それは内閣総理大臣の異議でもって取り消してもらったというケースも何件かあったわけでございます。恐らくそういう法律的な即効を来す——リコールその他やっておれば、署名を集めて審査してということで相当の時間がかかって、合併の実現前に間に合ない。訴訟でひとつ仮処分でもというようなお考えでもあったのかという気がいたします。それから、なお、合併議会の設置あるいは合併の新制議決で審議が行われていないというと、これも私の方は調査しておりませんのでつまびらかにいたしませんが、先ほど私が申しましたように、合併に関する事実上の相談がもうずっと前から恐らく関係者の間で進んでいたのであろう。だから最後にこういう形だけ整えたのであって、それまでの間に何も議員さんなり何なりが知らされもしないし、議論もしないままに合併議会の設置とか合併そのものの議決がなされるはずはございませんので、恐らくその辺の事実上の話は進んでいたのであろうということが想像できますと同時に、一つおもしろい現象といたしまして、訴訟を起こされたのは旧城南村の住民の方でございます。この住民の方が何人おられたかはつまびらかにいたしませんが、この合併議決については、むしろ前橋市議会は二十八対七という多数決でございますが、何と城南村の方は議員二十一人の方が全員賛成、二十一対ゼロという議決をしておられるわけです。そうすると恐らく城南村の議員さんも、その合併について全然知らされもせぬで、きょういきなり合併議決をしたわけではなくて、訴訟が起こったくらいですから、恐らく村の中でいろいろな議論があった。それらの議論を踏まえて、城南村としてはこれが村民の福祉の増進のためだというお考えに議員全員がなられたのではあるまいか。むしろ前橋市の方が、そんなのを抱え込むとえらい損になるということで反対があったのか、前橋市の反対の方はわかりませんけれども、城南村自体はまさに全員一致で議決しておる。これはちょっと興味のある現象でございますけれども、これに対して本当に合併が村のためにならないと思われた村民から、さっき私が申しましたような即効を求めて訴訟が出たのではなかろうか、こういうふうに推察する次第でございます。
  96. 林百郎

    ○林(百)委員 いま私が聞いているのは、自治省ではそういうように議会の議決があった、いや満場一致であったとか、いや反対が二とか三だ。そんなに議会で満場一致になるなら、なぜ訴訟が起きたかということが問題になるわけで、議会の議決というものは、いまの地方議会の構成から言いまして、それは必ずしも地域住民の真の要望を反映しておらないということの錯誤関係、そこをいま私は自治省に聞いているわけなんです。だから合併する場合は、むしろ住民投票をして、真に地域住民の意向を聞いて、それを受けて議会が議決すべきだ、こういう立場に私の方の党としては立っているわけなので、自治法の一部改正もそういう立場からいま検討中でございますけれども、しかし議会の議決ということもわれわれもちろん軽視するわけにはいきませんが、この実情を調べてみますと、訴訟を起こしたというのは、私どもの調査によりますと、先ほど申しましたように、三月二日に合併の決議をしているのに、昭和四十一年の十一月一日の新聞報道で「来年五月に合併 前橋、城南村と話つく」という見出しで、住民としては初めて新聞に発表されてわかった。議会の方でも新聞にそういう報道が出たので、新聞報道があった翌日の四十一年十一月二日の全員協議会のときに、議員の質問に対して村長は、記事の資料となるようなものは何も出していない、村の方から合併の申し入れを前橋にした事実はない、こういう答弁をしておるわけなんですね。いずれにしましても突如としてそういう発表がされた。直接請求していればもう間に合わない、御承知のとおりいろいろの手続が要りますからね。それでやむを得ず訴訟に踏み切ったんだ、こういう事情があると思うのですね。だから住民の意向を十分反映させるための、少なくとも住民にも直接請求をする余裕のあるような、そういう期間を与えての合併ということならわかりますけれども、その条件も与えないような、新聞に公然と発表されたのが十一月で、もう翌三月の一日、二日には審議なしの議決がされている、こういう形では、議会が議決しても地域住民としては納得できない。やむを得ず、あなたのおっしゃるように即効的に仮処分で合併を一時停止させるということで訴訟を起こした、こういう事情が私の方の調査にはあるわけですけれども、この辺をもう一度もし調べることができたらお調べになって、今後はこういうことを繰り返さないようにされるべきではないかというように思うわけです。
  97. 林忠雄

    林政府委員 十一月に新聞に発表されてということは、恐らく市の首脳部と村の首脳部の方ではそれよりある程度前からそういう話でいろいろ検討が進んでいたことと思います。そして、十一月に発表して、その翌月に議決したというほどでもなくて、半年近い期間、恐らく新聞に発表してからは村じゅうの話題になり、合併が是であるか非であるかという議論はなされたと思いますし、もしその段階でそういう話をひそかに市と進めていた首脳部がけしからぬからということでリコールを起こせば、また十分起こし得た期間もあった。決して半年というのは長い期間ではないけれども、先生がおっしゃるようにもうあらゆる住民に盲打ちを食わせるような短い期間でもないのじゃないか。私の方はまだ調査しておりませんので詳しくもう一遍調査したいと思いますが、いまの先生のお話を伺った限りでは私はそういう気がします。  それと、実は先生先ほどからおっしゃっていらっしゃいます町村住民の意向と議会の議決の乖離ということでございますが、私はそれは少し見解を異にいたします。中には間違ったこともあると思いますけれども、大体いまの町村議会というのは、やはり住民の意向に沿った議決をしようということで、議員個人個人皆大変な努力をしていらっしゃる。その結果、表に出た住民の声とは反する場合があると思いますけれども、この合併のような問題になりますと決してすべてがすべてもろ手を挙げて賛成ということではなくて、必ずメリット、デメリットがあり、住民の中でもそれによってある意味では利益を得る者とそれから損をする者も出てくる。とにかく町村を挙げて一つ自治体に吸収されてしまうというのは大問題でございますから、必ず賛成、反対はあると思うのでございます。ですから、住民の声はそれは賛成の声も反対の声も恐らく出てくる。えてしてそういう場合には反対の声の方が強く出てくるということも世間にはよくある。ところが、合併ということはそのときの気分とか何とかでわっと賛成とか反対ということであるべきでないのでして、いろいろな、この場合前橋市に入った方が一体村民全体のために得か損かというのをあらゆるデータから細かく科学的に冷静に判断していくべき事柄でございますので、一つ住民の運動だけで物が動いていくというようなのと違いまして、住民の中で賛成の声があり、反対の声があり、一方の声が大きかったり一方の声が小さかったりするのを議員さんが十分冷静に判断をされて、それらを踏まえてどっちが住民のためになるかという結論をお出しになる、これがほとんどの議会の現実の動きだと思うので、先生が最近の議会の構成からして云々とおっしゃいましたその意味は私よくはわかりませんけれども。私の方で見ております町村議会というのは、大体のところでよく住民の意向を一生懸命判断しておられる。その結論というのがここで出ましたように二十一対ゼロというような数字になるとしますと、これは賛成も反対もあるけれども結局は全村民のために合併した方がいいという結論に議員全員がなられたということで、むしろ私たちはこれを重視いたしますし、いまの町村議会の議決が、住民——一部の方という意味では賛成、反対はありますから、反対の意向があるのに全員一致というのは反映していないようでございますけれども、実はこれが住民の意思の一つの集約であろうというふうに受け取っております。したがって、先ほど先生の住民投票云々というお話もございまして、これについても少し私はなお検討の余地があるという気がしておりますのは、いま申し上げましたように合併というものは必ずデメリットとメリットと両方あるので、それを全部条件を踏まえて科学的に冷静に判断しなければいけない。そこで、観念的には住民投票というのは住民の半数以上の賛成があれば住民の半数が賛成だから全体が賛成だ、観念的には一番民主的なようでございますけれども合併という事柄を住民投票そのものにかけてしまうということにはなおいささか検討の余地があるのじゃないだろうか。しかし、そういう議決をする前の段階として、あるいは住民投票にかけたり、あるいは住民のアンケートをとったり、公聴会を開いたり、住民の意向をできるだけ広く聞くという努力は、これは怠ってはいかぬと思います。その意味で、この城南村の場合は、その期間もちょっと短過ぎましたし、住民に諮る努力が不足していたのじゃないかという御批判は当たっていると思うのでございますけれども、そういう住民の意向を十分聞くということには賛成と申しますか当然のことでございますけれども合併自体の可否を住民投票そのものにかけるということについてはなおもう少し検討の余地があるというふうに私は考えております。
  98. 林百郎

    ○林(百)委員 まず旧城南村と前橋市の合併の問題ですが、新聞には十一月一日に報道されて来年の五月に合併の話がついたということになっていますが、実際は先ほど申しましたように三月二日にもう合併の決議をされているわけなんです。これはもう直接請求する余裕も何にもないような形でなされているわけなんで、それは局長も認められているようにもう少し慎重に期間を置くことも考えるべきじゃなかったかということを言われているような状態なんです。ですから、直接請求する期間がなかったわけですね。あるいは直接請求させないように早く決議したのかどうか、その辺はわかりませんけれども。  それから、合併の議決について、議会の議決はやっぱり地域住民の人たちの全般的な要望を正しく反映しているということ。もちろん議会を構成する人たちが真剣に地域住民の人たちの立場を考えておやりになる場合もあるでしょうけれども、しかし、合併の場合、多く見ますと、やっぱり合併の母体となる市ですね、そういうところへ資本の集積があり、そういうところに企業があり、そういうところに商店も発展している。被合併地域は何々村というようなところが非常に多い。そして、そこへ国からの補助金あるいは交付税の特別な配慮があるというような場合、その合併によったメリットが、合併の母体となった資本の集積のされている地域あるいは商業の発展されている地域の方に多くて、合併された方にデメリットがしわ寄せされるという事例を相当私は見ているわけなんですが、たとえば私の住んでいる長野県の岡谷市で、人口六万ぐらいですけれども、ここで約二千戸くらいの旧川岸村というのを合併したのですけれども、いまそこの川岸村というところへ鉄道が二本、それから高速自動車道路が二本通るわけですね。そうすると、その二千戸くらいのところへ鉄道が二本も来て高速自動車道路が二本も来たら、その村はもう地域社会としての生活ができなくなっているわけですね。だからその旧川岸村の人たちは全力を挙げて反対しているわけですよ。ところが、岡谷市全体の議会としては、それは合併された村の方のことなんだから何も岡谷市全体には関係ないからといって促進の決議をいつもして、市長をこう突き上げているわけですね。もしそれが合併されなくて旧行政区域として川岸村という村が残っていれば、そこの議会では全村挙げて反対の議決をするのは当然なんです。だから、そういう合併が持っておるメリット、デメリットのうちのそのデメリットが、被合併のことに人口の過疎な地域あるいは資本の集積度が薄い地域、そういうところへしわ寄せされるという、こういう側面をやっぱり考えていかないと、公正な合併行政が行われないじゃないかということを、私は実例をもって、ことに長野県のあたりは非常に広範な地域合併して、市でありながらクマが出てきたりサルが出てくるようなところが市になっているわけですから、そういうところへはやはり合併によるメリットですね、市政の日が当たらないのですよ。そういうことを、やはり大きければ、何でも大きいほどいいというわけにいかない側面があるんじゃないか。そういうところは、やはり慎重に、本当に地域住民の利益になるかどうかということを考慮してやられるべきだというように思いますが、その点、次官と局長——次官の選挙区どこですか。(左藤政府委員「大阪」と呼ぶ)大阪、大阪ならちょっとわからないかもしれませんが、まあそれじゃ局長と次官に聞いてみましょう。
  99. 林忠雄

    林政府委員 二十八年から一生懸命合併の旗を振った国側においても、合併は常にメリットだけであって、デメリットは全くないと言った覚えはないつもりでございまして、常に、合併という一つの村をなくしてしまうような、自治の基本に触れるような事柄につきましては、必ずそこにメリットとデメリットはつきものでございます。したがって、たとえその村会で全員一致の議決があったとしましても、村の中の住民が全員賛成するというケースはほとんどまれでございましょう。そういう意味では、利害関係が非常に錯綜する問題でございますし、錯綜するだけに、その冷静な科学的判断が必要であると私は思うわけでございます。  そこで、いまお挙げになりました例は、まさにたまたまそこの岡谷市に入った、旧村であれば、村を挙げて反対議決ができたところなのに、鉄道が通る、高速道路が通る、ところが自分の属する自治体は岡谷市に全部なってしまっているので、ちっとも反対してくれない。まさにその地域にとっては、一つのデメリットが合併のために起きたということは、それは当たると思います。しかし、それはたまたまそういう道路が通る、汽車が通るということに付随して起こった問題でもありますが、一般合併でも、都市部と農村部が合併して、農村部が、どうも余りよく見てくれないという不平も聞かぬことはございません。しばしばございます。  しかし反面、今度はそれと同じような数あるいはそれ以上の数で、合併したおかげで町の中心部への道路の舗装がさっとできてよくなったとか、合併のメリットを享受しておる過疎村もあるわけでございますので、要は、合併のときのよくの相談、その後の約束、それからその約束を守って、吸収した地域住民の福祉にも十分配慮しようという中心部の運営の仕方、これによって、その後のメリット、デメリットが、どっちがよけい出るかということが決まると思います。  そこで、まあ二十八年からあれだけの大合併を全国的にやりましたのですけれども、その後、もうがまんできないから分離をさせてくれというような空気が起こったところもございますけれども、これはやはり数は非常に少ないわけでございますので、そういう意味では、大多数の合併町村が、そういうメリット、デメリットを十分配慮してやっておられる。その方が数としては圧倒的であろう。その意味で、あの合併は決して失敗ではなかったというふうに、これはあるいは自画自賛になるかもしれませんけれども、考えておる次第でございます。  ただ、合併後の運用というのは、それは十分、そういう被合併区域住民にも配慮した運営をしていただきたい、これはもう私たちも常に願っておるところでございます。
  100. 左藤恵

    左藤政府委員 現在とっております地方自治の地方公共団体の意思決定という問題につきましては、住民を代表します議会を通じて行うという原則があるわけであります。  そういう代議制を、こういった町村合併というふうな大きな問題については、十分、本来も住民の意思を代表するのがそういった代議制ではあるわけでありますけれども、特にこういった問題については、私は、そういった将来に及ぼす影響というものも非常に大きいものですから、十分に住民の意思というものを確かめてといいますか、そういうものをしっかり反映した代議制の機能を十分果たしてほしい、こういうふうに期待いたします。
  101. 林忠雄

    林政府委員 先ほどの先生の御質問の、この十年間の百二十二件のうちの、新産と工特関係、いまざっと調べましたところ、新産関係が二十三件、工特関係が八件、計三十一件でございまして、百二十二のうちの約四分の一が新産、工特関係でございます。
  102. 林百郎

    ○林(百)委員 もう一問で終わらせていただきたいと思いますが、いま広島県の船越町で広島市との間に合併問題が起きておるわけなんですが、ここでどういう事態になっているか、自治省の方でつかんでおりますか。つかんでいたら、つかんでいる範囲のところを御説明願いたい。
  103. 林忠雄

    林政府委員 広島県船越町と広島市との合併が進められておりまして、これが現在、本年の三月二十日、つい四、五日前でございますが、四、五日前に合併の効果が発効して、広島市になっております。  ところが、これが成るまでの経緯として、住民の意向を十分反映させる措置をとられなかったということで、住民の方から町議会の解散の直接請求が起きておりまして、その結果、有権者の三分の一の数、これが三千三百二十九でございますが、これを上回りまして、有効署名が三千六百七十五集まりました。それで、本年の二月七日に本請求が行われました。実は本請求が出るまでに選挙管理委員会の審査でやや手間取りまして、その間、選挙管理委員会が全員辞任してしまったり、補充員が就任を拒否して補充員もやめてしまったりして、総入れかえをやったりするということで、法定の期間を相当オーバーしてしまった。むしろ住民側の過失でなく、選管の方の不手際といいますか、そういう事情で本請求がおくれました。現実には二月七日に本請求が行われました。ところが、合併の議決はもうすでに済み、県会の議決も済んで、三月二十日に広島市に入るということになってしまっておりますので、ここで賛否の投票をしてももう間に合わないということで、現実には投票をされないままに合併の効果が発生したという事実ができております。
  104. 林百郎

    ○林(百)委員 大体大筋はそうなんで、せっかく住民投票の合法的な署名が取れているにもかかわらず、その住民投票をやろうとしたときにはもう合併が議決されている。合併を議決してしまっている議会が解散の対象にはならないのだということで、それが死んでしまっているということなんです。  それに至るまでのいきさつで、ちょっと詳しく聞いておきたいことがあるのですが、これは昨年の十二月にたしか合併決議があったと思うのですが、昨年の九月二十五日に請願署名をして、この請願署名が船越町の有権者、九千九百八十五人ですが、船越町の有権者の九千九百八十五人の六割の六千十一名が請願の署名をしているはずですけれども、この請願がどうなったかわかりますか。
  105. 林忠雄

    林政府委員 そこはちょっと調査しておりませんで、実は請願があったことも、私、きょう先生から初めて伺った次第でございます。
  106. 林百郎

    ○林(百)委員 この請願については、有権者の六割の合併反対の請願があったにもかかわらず、この請願を取り下げてもらいたい、そのかわりアンケート調査をするというのですが、そのアンケート調査を、請願が取り下げられたものですから、合併をした後にアンケート調査をするということで、常識ではちょっと考えられないんですね。合併をした後に、参考までに、これがよかったか悪かったかのアンケート調査をするということで請願が取り下げられているのですが、そういういきさつはわかりませんか。
  107. 林忠雄

    林政府委員 それも実はよく調査しておりませんでわかりませんでございますけれども、恐らくこの問題については、先ほどのお話にも出ましたが、広島市自体がいま大変規模適正化と申しますか、周辺町村合併して一つの政令指定都市を目指しているという動きがあることは私もよく聞いておりますし、県もある意味ではそれに賛意を表している面もございます。ですから、ここの船越町と広島市の合併については、恐らく一方にそういう大きなと申しますか、強い意図があり、一方において地元にこれに対抗して特にある意味での反対運動の火の手が上がっておる、それがいまおっしゃったような請願あるいはその取り下げ、アンケート調査、さらに直接請求という姿を経てきているのであろうと想像する次第でございます。現在そういう動きの中にかかわらず船越町と広島市はそれぞれ合併の議決をしている。さらにそれを県の議会が肯定しているわけでございますね。よかろう、こう議会でもやっている。恐らくその辺の賛否の数字にもある程度そういう複雑な姿があらわれているかと思いますが、いまちょっと数字を持っておりませんが、こういうことで、先ほど申しましたように合併というのは必ず賛成、反対があり、ときにはそれが火の手のような勢いになって広がってみたりする、そういう中にあって、議会というものはそういういろいろな声や動きを踏まえながらも、それに押し流されずに冷静に考えて、これが町のためにいいかどうかということで議決をする。それだけではなお心細いのでございますけれども、県会というものがございまして、まさに県都の広島市のほとんど真ん中でございますから、地元の事情も地元の新聞紙その他で大変よくわかっていると思いますが、そういう県会でさらにその方がよかろうということでこれを追認するというかっこうで合併が進められたとしたならば、そこには恐らくそれなりの理由があったんじゃあるまいか。残念ながら調査しておりませんので、なお少しく詳しく私も県の方から事情をこれから聞いてみたいと思っておりますけれども、恐らくそういう事情のもとにいろいろ複雑な事情があったんだと存じます。——いまここに数字がございましたが、船越町では議会では十三対二でございます。
  108. 林百郎

    ○林(百)委員 終局的にはそういうことになったんですが、要するにそこが議会住民との乖離、あなたが言われる乖離が著しい例だと思うのです。請願は、合併を取りやめてくれという請願が有権者の六割から出ている。しかし、それを取り下げてくれ、アンケートでやるからと言った。ところが、アンケートは合併後にやりますということになってしまった。やむを得ず、それじゃ直接請求をする。直接請求はちゃんと三分の一の要件を満たした書面があった。ところが、その直接請求をしようとしたら、その直接請求をする前に議会が議決してしまった。議決してしまった議会を直接請求で解散する理由はないんだということで、いつも住民の要求を裏切り裏切りしていったという事情がここにあるわけなんです。このアンケートのことも、実は私の方の調査によりますと、昨年の十二月二日に議会の中の広域行政調査特別委員会が開かれて、十一月八日の約束事項の件で住民に対するアンケート調査を実施するかしないかで紛糾した。採決の結果は、七対六でアンケートを実施するということに広域行政調査特別委員会では議決したわけです。しかし、合併賛成派の議員と町長がアンケートする金がないと言ってアンケート賛成派と競り合って、やむを得ず休憩を宣した。休憩を利用して町長が広島市の方に連絡をとって聞いたところが、アンケートなどをしたら合併は絶対しないと言われた、いわゆるおどかされたと言われておりますが、そこで、アンケートは七対六でやることになったんですが、今度はアンケート反対派の二名、休んでいた議員を至急呼んで、逆に八対七で、アンケートをやることはやるが合併議決後になるという結論を出させているんです。こういう手の込んだ工作をしているわけなんです。そうして昨年の十二月十日に町議会合併の議決をしておる。ところが、十二月二十日に直接請求の三千七百二十四の有効投票があることが認められてきたわけです。要するに、町議会で十三対二の議決はあったのですけれども、その後直接請求の署名が選管に送られて、三千七百二十四の三分の一のリコールが成立した。ところが、十二月二十一日に縦覧、異議の申し立ての期間に入ったところが、選管の補充員が二名が辞任した。続いて翌日選挙管理委員会が総辞職してしまって、この住民投票の実施を管理すべき選管がなくなってしまった。なかなか手が込んでいるのですね。それから、この間、賛成の町会議員から異議の申し立てが百六十七件、合併賛成派から七百名の署名人が異議を申し立てて、これもまた引き延ばした。要するに、選挙管理委員の全員辞職にしても、賛成派議員が百六十七件の異議の申し立てをして七百名に上る異議の申し立てを選管にした、ところが、それを受ける選管がないのですから、異議は申し立てられたばかりで、それを審議することもできない状態に至った。一月七日に至って四人の選管委員が初めて選出された。そこで、議会の解散の直接要求をしている人たちは、とにかくリコールが成立するかどうかがあるまでは合併の決議を待ってもらえないか、せっかく合法的な三分の一の直接署名を取ったのだから、こういうことを言ったのですけれども、それは顧みられずして、合併は三月二十日に成立した。十二月の十日前後にもう議会は議決をしているということになっておりますので、選管の方には二月二十六日に二十日間ぎりぎりで弁明書が出て、もう三月二十日合併の議決を議会でしておるから、これから直接請求によるリコールの投票をしても、さっき局長も言われたように、もう議決をしてしまった議会の解散を求めても意味がないのだということになった。要するに、この間の経緯を見ますと、もう一貫して地域住民が、合併は待ってもらいたい、慎重に考えさせてもらいたいということを言っているのに、請願はだまかして取り下げさせるわ、アンケート調査すると言いながらそれは合併した後にするとか、あるいはリコールが成立しているのにそのリコールを執行する選管が全員辞任をしているとか、あるいは賛成派の議員が百六十七件もの異議の申し立てをしているとか、そしてせっかく選管が新しく選任されたけれども、そのときにはもう議会合併の議決をしている、こういういきさつがあるわけです。これは極端な例かもしれませんけれども、やはり先ほどから林行政局長の言う議会の議決があるから議会の議決があるからということだけで単純に問題の処理されない複雑な事例が、これは私の方はいろいろまだ調査してありますけれども、きょうは時間の関係でほんの二、三例を申し上げただけですけれども、これは慎重にやらなければならない。自治省の見解、次官を通じても、これからの合併というものは、かつての経済の高度成長のころの新産都あるいは工特法に基づくような、そういう精神に基づく政府の積極的な上からの指導というようなことでなくて、自主的な当該地域住民、当該自治体の意向を尊重するということを先ほどから答弁されておるわけですが、私は特に当該自治体の中に住んでおる住民の意向が十分反映されるように、そして議会にもそういう住民の意向が反映された議会の議決がなされるような配慮、そういう助言を自治省としてはしていくべきではないか。そうでなければ、十年の延長案に対しても、われわれは再びこのような、いま私が挙げましたような事態を繰り返すようなことになっては、この地方行政委員会審議の権威も問われることになりますから、そういう事例を挙げて、改めて決意のほどを次官と局長に聞いておきたいと思います。
  109. 林忠雄

    林政府委員 確かに、この広島の船越の例は、最近の合併には珍しいほど順調でなく、いろいろ紆余曲折があったように感じられるものでございます。ただ、最終的には、議会の議決は十三対二になりましたけれども、その間におっしゃるような多数の請願あるいはリコールの手続が合法的に進められたということを考えれば、この合併についてはさぞかし賛否両論激しく闘わされ、しかもその住民を巻き込むというか、巻き込むのではなくて住民の力そのものまで、署名その他でもって合併議論された、逆に言えば、また町民の一人一人に合併の賛成、反対の議論がやかましいほど伝わっていった事柄であろうと存じます。  ただ、この法律が十年間ありまして、百二十二件の合併の後半をちょっと調べてみましたが、まあ全員賛成とか比較的スムーズにいっているのがほとんどでございまして、この船越というようなケースは非常に少ないわけでございますが、一体その合併が是か非か、こちらの方からはなかなか判定もしにくいわけでございますけれども、地図で見る限りは周りじゅう広島市で取り囲まれておりまして、普通なら当然入る方がいいような場所にあることも確かでございますが、それだけで判断するわけにはいかないわけでございまして、最近広島市が十幾つ吸収した、その最近吸収したところを見て、あれでは困るという判断があったのかもしれませんし、その辺は、今後の合併の指導といたしましては、余りこういう紆余曲折、がたがたぶつかるようなことはなるべくないようにと、全体によく趣旨を徹底してスムーズにやるようにと指導をすることはもちろんのことだと存じます。あくまでも地元の判断、意向を尊重いたしまして指導してまいりたい。  ただ、先ほど申しました住民の意向というものと議会の議決というものとの関係については、あるいは脅迫的によそからなされたりするようなこともございましょうけれども、あくまでも議会住民立場に立って議決をしてほしい。で、反対、賛成の声いろいろありましょうけれども、その声の大きさには惑わされずに、冷静な立場に立って判断してほしい。これは議会方面に対しても、今後そういう指導をしてまいりたいと存じておる次第でございます。
  110. 左藤恵

    左藤政府委員 先ほどもお答え申し上げましたように、そうした非常に重要な問題でございますので、議会がその住民の意思を十分尊重して、その議会の意思として決定するという段階において慎重に取り扱ってほしい、そしてまた、自治省としてもそういう問題についてはそういう形で指導していくべきものである。後でそういったことについてトラブルが生じないように、また住民間に感情的な対立を残すというふうなこともないような形で、真に住民の意思というものが十分反映した形で合併が行われるようなことを考えていかなければならない、このように考えます。
  111. 林百郎

    ○林(百)委員 それでは私これで終わりますが、最後に希望を述べておきますが、明日の質問で、理事の三谷委員から基本的なわが党の立場は明らかになると思いますが、いずれにしましても、先ほどからの質問を通じまして、本法歴史的な経過から申しますと、昭和二十八年の町村合併促進法から今日まで、少なくとも自治省も三十年代は認めておられましたように、この一連の合併特例法は、政策的に見ますと、新産都あるいは工特地域を初めとして、六〇年代の高度成長政策のもとでの地域開発あるいは拠点開発等の産業基盤整備の受けざらとしての広域行政推進を誘導することを目的としてできてきたものだと思うのですね。その流れがこれからはそういうものと質の変わった合併になるということを次官も局長も言われておりますが、やはり底流にそういうものが流れておるということは、自民党の政府である限り、これはなかなか払拭することはむずかしいというように思うわけです。  しかも、この市町村合併というのは、やはり住民の生活と地域社会に重大な変更をもたらす、そして地方自治の根幹にかかわる重大な問題でありながら、住民にその計画の内容や利害得失が十分明らかにされないうらみが間々ありますし、また住民の意思のいかんにかかわらず、県が乗り出してくるとかあるいは議会の議決が強行されるというようなことも見られますので、私たちとしてはその計画があらかじめ地域住民に十分に示され、地域住民がその合併について十分の配慮と考慮をめぐらす余裕を与え、それで住民の要望、すなわち住民の民主主義的権利が踏みにじられることのないように、また議会の議決も、そういう住民の意向を無視することのないような議決が行われることですね、そういう保障を十分されるように行政的な自治省の指導の面でもそういう点を十分留意していただきたい、このことを要望いたしまして、一応私の質問は終わらせていただきます。
  112. 大西正男

    大西委員長 次回は、明二十六日水曜日、午前十時から理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時四十七分散会      ————◇—————