○竹本
委員 抽象的に考えると、あるいは言えば、自己改革が必要だと御賛同をいただいたわけですけれ
ども、ぜひそれを具体的に展開していただきたいということですが、たとえば、午前中に貸
倒引当金の問題がいろいろ論議をされました。これもそのとおり、いろいろ重大な問題あるいは矛盾があると思いますし、例の石油ショックの問題も、たとえば同じ石油を二億八千万キロリッター前後のものを買うのに、あるときは四十億ドルぐらいで済んだものが八十億ドルになり、やがて二百億ドルになるということになると、大ざっぱに計算をしても、同じものを買うのに百五十億ドルぐらい犠牲が大きくなったわけですね。もちろんそのうちの一部は製品に転嫁して外国からまたかせいだんだから、少しは元を取ったということになるのでしょうが、大ざっぱに考えて百五十億ドル、約五兆円の出費が、むだにというか、必要以上に大きくなった。この犠牲を消化する方法というのは、結局消費を節約してそれこそわれわれの生活の自己改革をやるか、あるいはより以上に働いてより多く輸出をするか、そういうふうに、これを埋めていく方法というのは
経済の初歩的な原理に従う以外にないと思うのですね。
ところが、石油ショックを受けて一時は銀座のネオンサインも消したり何かしたのですけれ
ども、物理的に三億キロリッター近くのものが入るとなると、またもとへ戻って、われわれの生活体系、生活システムは全部もとのままに続いていると思うのですね。どこに自己改革があったかということを考えてみると、むしろアメリカ
あたりの方が真剣に、ドライブレスからヒートレスまで始めて、とにかく五%ぐらいは生活
程度を落とさなければならぬというようなことまではっきりアメリカの政治家は言っておる。ところが、それ以上に石油の自給力もない日本の方は、物理的に入らないということについては一時騒いだけれ
ども、物理的に入ってくるということがわかったら、
経済的な対応は何もできないままにほとんど忘れておる。私はその点を言うのです。
とにかく、われわれはあらゆる事件に遭遇するたびに常に自己改革や自己反省をやって一歩前進をしなければならないのに、日本の政治、日本の
財政、日本の
経済は大体きのうのまま、昨年のままに続いて生きておる。その点の
努力がなさ過ぎるではないかということを私は言うわけであります。
そういう
意味から、もう
一つだけついでに言いますと、けさ実は私は感じたんだけれ
ども、大蔵
委員会が始まり、
大臣が見える前に、
竹内次官以下、ここに九人か十人か見えてあいさつをされた。これもちょっとぼくは
大臣についでに、自己改革の
一つとして気がついて感じたから申し上げるのですけれ
ども、ぼくはいまの政治では、石油ショック以来の考え方ですけれ
ども、消費は美徳なりの辺までさかのぼって考え直さなければいかぬという考え方なんです。でありますから、とにかくわれわれは、中国でさえも勤倹建国と言っていますね、四大スローガンの
一つは勤倹建国だ、そういうときに、石油ショックを受けた日本は勤倹建国も言わなければ勤倹貯蓄も言わない。個人消費のあり方についてもほとんど変革はなかった。そういうことも含めて、ひとつ本格的な自己反省を言うという
意味で、先ほど
大蔵省の首脳がかわられた点についてちょっと私考えたので申し上げたい。
一つは、大体われわれが顔を覚えたころには
局長は皆かわってしまうのですね。何年に一遍ずつかえるつもりかということを伺いたい。それから、そのことが一体行政の能力を上げることになっているのか下げることになっているのかということも、
大臣の考えを伺いたい。やはり行政機構というものも、
一つの仕事になれるのには少なくとも一年あるいは一年半かかる。そして本当に能率が出るということになれば二年から三年だというのですね。ところが、一番優秀な何々
局長とこちらも
期待しているような人がぽんとどこかへかわってしまう。かわる方は子供の教育を初めとして大変な迷惑を受けるわけでしょうけれ
ども、栄進すればそれでいいのかもしらぬが、しかし、国家から言えば、移転費まで含めてまた大変な費用のむだがある。これは笑い事じゃない。ぼくは大変重大な問題だと思うのですよ。
それは、ことに
大蔵省は、ここにお集まりの皆さんがそうであるように皆優秀なんだ。もっと働いてもらいたいし、板についたところでしっかりやってもらいたいと思った瞬間にぽっとかわってしまう。中にはやめてしまう。ずいぶんまだ働ける人が次々にやめてしまうのも、国家の人物
経済上非常に惜しい。民間では、あるいはまた公団では、こちらの方の公団の上の方に総裁か副総裁で来るのだといって、いまから迷惑そうな顔をして待っているのですね。そういうことも困る。だからもう少し、これは人物
経済からいっても
大蔵省の
局長はかわり過ぎると思う。その点について
大臣はどうお考えか。今後もどんどん一年ごとぐらいにかえていかれるつもりであるかどうか、これはちょっとお考えを承っておきたいのです。
私は、役人というものはもっと真剣に本気で働いてもらわなければいかぬと思う。働き盛りのときにぽんぽんかえてはいけない。また、働き盛りにやめさせてもいけない。悪かったら定年制の方を延ばせばいいのだ。それから後がつかえておるという
議論もあるのだけれ
ども、そんなにつかえるような人事の採用をしなければいいだろう。後がつかえたからどんどん優秀な人をやめさせるということは、余りにもおざなりの人事ではないか。そういう
意味で、
大蔵省の
局長級は異動し過ぎると思うが、一体どういうお考えであれだけ異動させるのか。あるいは今後はその
関係はどういうふうに考えていかれるのか。これは国家的な
意味においてちょっと一応伺っておきたい。