○広瀬(秀)
委員 そこで、さっき
高沢委員も
質問をしておったわけですけれ
ども、今回の
改正で、いままで長いこと議論をしてきた問題が——先ほど主税
局長が数字を言いましたけれ
ども、たとえば
映画のごときは延べ一億八千万というような人数が見ている。こういうようにかつてある
程度奢侈的行為だと見られたものが、いまや国民がすべて年に二回ぐらいは
映画も見る。まあこれは
平均的ですから、大人の世界では五回も十回もあるいはそれ以上も見る人もあるし、それ以下の人もあるかもしれないけれ
ども、とにかくもう
映画とか
演劇とか
スポーツとかという場に
入場するということを通じて教養を豊かにしたり、あるいは社会人としての社会教育的なものを自然に身につけるというようなことになってきているわけですから、そういうものが税の対象になるということはおかしいわけですから、そういうところで今回かなりの
部分を、一億八千万人の中で、さきの数字では百万でしたか、そのくらいしか
課税対象
人員にはならぬだろうというような話になってきた。これは大変結構だと思うのです。
それじゃそういうものをどういうところで線を引いてという問題が、
入場税の問題ではこれからも残ると思うのです。全部これを廃止してしまえば問題はないと思うのですけれ
ども、今日の段階では私はまだ全面的に廃止してしまえという議論も、これは別な角度で、たとえば十万円の
入場料金を払ってフランク・シナトラをインペリアルホテルで豪勢に聞いたというような人からまだ
負担を求めるということは、私
どももやっぱり
考えていいことだ、こういうように
考えるわけですね。ですから、そういう意味から言えば、この
課税最低限をどういうところに設けるか、
非課税限度というようなものをどの点に設けるかということは、やはりそのときそのときの
状況において国民の合意というものが得られる
程度のものということが一番適正の基準であろうと思うのですね。
そういう
立場で、文化政策とか何とかということを言い出せば、またこれはこれなりのむずかしい問題がありますけれ
ども、そういう見地から判断をする場合に、非常に広範な国民の、言うならば大衆、特に勤労大衆のほとんど大
部分が現にその
入場行為に参加をして
入場しておるというようなものにはかからぬ、しかし現段階においてもなおかつ非常に奢侈的と思われる特別な行為であると見られるようなものに対しては、やっぱり税を課してもいいであろう、こういうように
考えるわけです。
そういうところに基準を置いて、かなり広範な大衆、勤労大衆が参加をして、
映画を見る、
演劇を見る、これはだんだん時代が変わるに従ってそういう人数はふえてくるだろうと思いますが、そういうものを
一つの目安にして
課税最低限というようなものは決めていくべきだ。そしてそれを越えて、かなり飛び抜けた奢侈的な行為、かなりぜいたくな、金があるに任せて特定の者だけが享受できるといったものに対しては一定の
負担を求めるということはよろしいと、いまの段階では私は言うわけです。私は
入場税というものを全部取っ払った場合にはどこかでまたそれに見合うような
負担を求めることを
提案しながらやらないといかぬという
立場で、現在そういう意味で
入場税があってもよろしいと思うのですけれ
ども、やはり皆さんの
考え方というものの基点として、
課税最低限を決める場合には、これは時代がかなり流動的に進展するわけですから、今度
映画で千五百円、なまものの
演劇で三千円というようなことを決めたけれ
ども、それはこれから将来にわたって、そういうところに基準を置いた形で、絶えず
見直しをしていくことが必要だと思うのですね。
そういう問題について、私がいま言った大
部分の勤労大衆というものがそれに参加して見られる
程度のものというようなところまではかけないのだ、そういう基準というものは当然あってしかるべきだと思うのですが、その点は大分うなずいているから賛成だと思うのですけれ
ども、そういう角度で
見直しをするのだ、その基準はそうだというようなお
考えですか、どうですか。