○竹本
委員 これも大変むずかしい問題でありますから、きょうは議論をいたしません。これは何といっても
政府の問題だから、
政府に改めてやる問題だということにいたしたいと思います。
ただ、いま
総裁から、心から同情するというお
言葉もあったと思うのだけれ
ども、同情だけでは解決しない問題だ。同情はポエトリーにはなるけれ
ども、ポリティックスにはならぬということが一つ。それから、限界論も出ましたし、インデクセーションの問題も出ましたが、私もインデクセーションというのはそう簡単にやれないということはよくわかっておりますので申しません。
ただ、いずれにしましても、いろいろな計算の仕方があることも知っておりますが、大ざっぱに言って一世帯二百四十万円の貯金の四分の一が去年は減ったのだということに対して、インデクセーションはむずかしいとか、あるいはいろいろ
政策をやっても限界があるとか言ってみても、庶民のふところには何の関係もない。それを
政府としてあるいは
金融機関の立場において見過ごすか見放すか、とにかく見ておるだけかというところに一つの問題があるという点を私は指摘したいということでありますから、そういうことも御留意を願って、ひとつ検討もしていただければありがたいと思います。
第三の点は貯蓄奨励の問題でありますが、私はいま目減り補償の問題を取り上げました。私が取り上げたきっかけは、
森永さんにはまだ申し上げなかったかと思うから申し上げるのだけれ
ども、実は、資本主義であろうと共産主義であろうと、資本の蓄積あるいは貯蓄というものが
経済の根本であるし、またなければならぬという
考えに立っておるのです。
最近調べてみた結果わかったのだけれ
ども、私が
昭和三十年に読んだ内山完造の「平均有銭」という本がある。この本の中に書いてあるのですが、中国においては蓄積を増強していかなければならぬという必要もあったのでしょう。だれが知恵を出したのか知りませんけれ
ども、米一斤、これは食糧だ。薪炭一斤、これは今日で言う油エネルギー。布一尺、これは衣服。それから油一両。この四つの生活必需物資を基本単位にとりまして、それだけの基礎単位を取るのにどれだけの金がかかるか、何元要るかということを調べて、それが十年なら十年、三年なら三年後に二倍の高さになって、xが二xになった場合には、貯金のyは二yにして返す、こういうような制度を
考えて、それを——私も中国語は専門家ではありませんからよくわからないが、「折実単位儲欸」と書いてある。要するに実質的な安定価値計算ということらしいのだけれ
ども、意味は違うかもしれませんが、大体内容はそれである。
要するに、私が言いたいことは、中国共産主義といえ
ども、あるいは共産主義であるからなおさらという議論も成り立つでしょうが、資本の蓄積をやらなければ
経済建設は大変だということから、工夫をしてそういうことを
考え出したと思うのです。
同じようなことをフルシチョフがやはり演説をしたことがある。これも私はびっくりしたんだけ
ども、共産主義といえ
ども勤剣貯蓄は
経済の根本であるといったような演説をしたことがある。ぼくはそれを読んで、フルシチョフがそういう演説をするということにおいて特にびっくりしまして、私の友人に、あるいは
総裁も御存じかもしれませんが、直井武夫君がいる。これはソ連研究者でございますから、フルシチョフがどういうわけでそういう演説をしたのだろうかということをぼくは直井君に聞いたことがあるんです。そうしましたら、直井君が言うには、君知らないか、フルシチョフは世界で一番の二宮尊徳先生の研究家である、こういうことを言った。それで勤倹貯蓄という
言葉が出たという意味がわかったのです。
これは要するに、共産主義、フルシチョフといえ
どもやはり
経済の基本は勤倹貯蓄であるということだ。今日、中国は「勤倹建国」と言っておりますね。勤倹貯蓄によって国を建てるという意味で勤倹建国ということを言っておる。共産主義の国が、資本の蓄積が少なければ少ないだけなおさらそういうことに
努力するという気持ち、経過もわかりますが、いずれにしても、共産主義といえ
ども勤倹貯蓄が
経済の根本であり、建国の根本だ。
しかし、そうなれば、それ以上に、あるいはそれ以前に資本主義の国は勤倹建国がより根本的な政治の
基調にならなければならぬではないか。そうすると、まじめに勤倹貯蓄をした連中に損をさせるような政治は、およそ非資本主義的というか非現実的というか、とぼけた政治であるということが、私がこの目減りの問題をいち早く取り上げた動機なんですよ。
そういう意味から言って、先ほど来申し上げたように、二百四十三万円平均一世帯なら一世帯が貯金しておる。
物価が上がったのは、自分の原因が全然ないとは言えませんけれ
ども、おおむね
政府の責任だ。それがために六十万円に近い目減りが行なわれて、しかも
政府は、統治行為だから裁判ざたでも御免こうむると言って逃げてしまう。民間も、われわれがやると言うわけにもいかない、限界があるとかいうようなことで逃げてしまう。結局泣き寝入りである。こんなことでいま国民は、
インフレがこわいとおどかされながら、やむを得ず貯金に走っておるわけだけれ
ども、その貯金あるいは貯蓄心というものを本当に培養することになるかどうか。そういう意味から、私はいまの政治のあり方に根本的な疑いを持っておるわけです。
私は、いまの目減り問題のきっかけ、動機を申し上げたんですけれ
ども、いずれにいたしましても勤倹建国ということ、あるいは勤倹貯蓄ということが
経済の根本でなければならぬと思うが、しかし、いま日本の
政府では一体どこがそれに真剣に取り組んでおるかということ、これもまた
政府に聞かなければならぬ問題だけれ
ども、さっぱりわからない。
聞くところによれば、
日銀はさすがにこの問題にいち早く目をつけてやっておられるということであるから、
総裁にお
伺いしたいのだけれ
ども、時間がありませんから一緒に申し上げますが、まず第一は、現在までにこの貯蓄奨励運動というものにいかなる決意といかなる規模で取り組まれて、いかなる実績を上げておられるかということが一つ。
それから第二番目は、日本人の一番大きな欠点はムードに弱いということをよく言われますけれ
ども、裏から言えば、頭が科学的でないということだと思うのです。もう一つ具体的に言えば、
数字が苦手だという人間が日本には多過ぎる。みんな
数字に弱い。そこで生活の科学化もあるいは
日本経済全体の計画化もできはしない、根本の
数字に弱いのだから。そこで、日本人に新しい
経済秩序をつくるあるいはもっと計画的な体制をつくるという場合に必要な
条件の一つとして、私は
数字にもう少し国民が親しむ訓練をしなければならぬと思うが
総裁はどういうふうに
考えられるか。
この二つをお
伺いいたします。