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金子(み)
委員 各省連絡
会議とは性格が違うと思うのです。各省連絡
会議というのは、いまお話があったようなことですし、各省ばらばらに分かれている、
婦人問題だけではなくあらゆる行政が縦割りですから、そういう欠点を補うために各省連絡
会議をお持ちになっているのだと思いますが、これは私はよく理解できます。
それはそれで結構だと思うのですけれ
ども、私が申し上げているのは、向こう十
年間検討を各国で行っていこうとしている行動計画を
日本が受けとめて、
日本の国の
婦人たちの問題としてそれを取り上げていくために特別な組織をつくっていただきたいのだということを、必要じゃないかということを申し上げているわけなんです。そうでないと、今回のように皆知らなかった、向こうへ行ってみればわかるかしらという形の、大変に意味のないと申しますか、時間的にももったいない、そういう意義の少ない参加の仕方でなくて、きちっとした参加ができ、
日本からも提案ができるというふうになれるのではないかと思うから、それを申し上げているのでございます。ですから別のもの、たとえばアメリカでは大統領の直轄の
委員会ができていると聞いております。それから、今回の
婦人年ではイランが提案するということになっているようでございます。そのように幾つかの国々がそういう問題をもうすでにひっ提げておるということを
考えますと、やはり
日本は
婦人問題については大変に後進国だということを改めて痛感させられることでございますが、どうか今年を契機といたしまして、新しく積極的に
婦人問題を取り上げていくということをぜひ進めていただきたいし、いまの
委員会はぜひ成立できるように図っていかれますように、私はこれを
機会に強く要望をしておきたいと思います。
一般
婦人問題を終わりまして、厚生省に
質問させていただきます。
昨日、
日本看護協会と
日本看護連盟が共同で主催いたしました国民の健康を守る看護大会というのがございました。この看護大会は毎年開かれておりまして、ことしで七回目でございますが、ことしの大会の中心課題は、看護制度、特に准看護婦制度廃止、これが中心課題になっております。そこで私は、本日は准看護婦問題だけにしぼりまして
政府の御見解を聞かせていただきたい、そういうふうに思うわけでございます。
御承知のように、准看護婦の問題は、保健婦助産婦看護婦法が
昭和二十三年にできましたときに、当初甲種看護婦、乙種看護婦という二本立てでありましたのが、いろいろ問題があって不都合だということで、看護婦は一本ということで乙種看護婦が廃止になったわけでありますが、これと引きかえのような形になって准看護婦制度が誕生したわけです。
これが誕生いたしましたときのいきさつにつきましては、いま
考えてみますと、実にばらばらな思惑のまま出発したということが言えると思います。たとえば、
政府の側としては、乙種看護婦制度をやめたのだから甲種看護婦一本にすると、甲種看護婦だけでは需要供給が間に合わないであろう、看護サービスが十分いかなかったら困るという行政的な配慮から、この看護婦を量的に補佐する
職種をつくりたい、それを
考えて、要するに看護の補助者として、看護力として准看護婦を想定していた。ところが、戦前の看護婦でいいじゃないか、高等学校を卒業して三年以上の国の指定の学校を卒業して、そしてまた国家
試験に合格してなどということになれば、いたずらに年歯は高くなるし、給与は高くなるし、使いにくくなるしというような理由から、戦前の
程度の看護婦でいいではないかという主張が一方では強くあって、要するに低
賃金看護婦ということを期待しながらこの准看護婦制度を主張したグループがあるわけです。そういう思惑もあったわけです。さらにはまた、当時は今日のように
女子の高等学校への進学は盛んではございませんで、中学卒業の人
たちがそのまま就職するということは非常に多うございました。そこで、主に経済的な理由から高等学校に進学できなかった人
たちを救うために、中学卒業の人
たちだって看護職につけるようにする必要があるじゃないかという、こういう思惑もありました。
それぞれ異なった思惑で出発したこの准看護婦制度でございますために、出発いたしましてから、形は一本でなっておりますけれ
ども、それぞれの思惑のようにそれぞれが動かしてきたという感じがございます。たとえば准看護婦養成所の設立については、最も積極的だったのは医師会でございました。そして、医師会は共同して県医師会あるいは市医師会、あるいは東京の場合では区医師会でございますが、開業のお医者さん
たちが経費を出し合って養成所をつくって、そして中卒の
女子を安く
採用して、午前中は診療所で働かせ、午後から学校に通わせ、夜は家庭の
仕事をさせる、こういうような形で若い
女子の安上がりの
採用を続けてきていた。そして、学校を卒業して
試験を受けて有資格者になると、その人
たちはそんなところで
仕事をさせられるのはかないませんからやめていく。やめていきますと、やめることをいいことにして——やめて困る、やめて困ると言いながら、実は高い給与を払わなくても済みますからやめてほしいのですけれ
ども、また若い資格のない女の子を入れて、そして働かせながら勉強させてというふうな形が繰り返し繰り返し行われてきていたという事実を見ましても、そのことは非常に明らかだと思います。
そのことが今日どういうことになっているかと申しますれば、准看護婦養成所全校七百六十六校のうち三百十一校が医師会立の養成所という実態になっているわけです。そしてまた、国は責任を持って看護婦養成をしなければならなかったと思いますが、当時国立病院は付属として高等看護学院を設置し、准看護婦養成所をつくっていませんでした。療養所だけに准看護婦養成所をつくっておりました。文部省の
所管といたしましても、国立
大学には准看はつくりませんでした。高等看護婦だけをつくりました。そして、地方の県立
大学あるいは市立
大学が准看を持つというような形で出発し、進められてまいりましたが、これらも漸次准看護婦は高等看護学院の方に切りかえられるという形に今日進
みつつございますが、それでもまだ国立は五十三校准看養成所が残っておりますし、それから公立でも百六十四校学校が残っているという実態はございます。そういうような形で准看護婦がだんだんふえてまいりました。現在では約十八万人働いております。看護婦は十六万人でございますから、過半数は准看護婦になったということが言えます。
そこで、こういうような実態にいろいろと各方面で
検討が加えられ、准看護婦制度の廃止の動きというものがずっと進められてまいってきております。医療制度
調査会が三十八年三月に答申を出して、准看護婦については看護婦の質を低下させない方向において看護婦に昇格させる、すなわち看護婦は一本にするという答申を出しておりますが、厚生省はそれをどうなさったのでしょう、そのままになってます。何年前の話でしょう、もう十二年も前の話です。次の年に
日本看護協会が、准看護婦をやめて保健師という総合看護をたてまえとする看護制度を厚生省に提案いたしましたが、これもそのままです。そして、その後四十五年に厚生省が法律の一部改正を出されました。高等学校卒業プラス一年の准看護婦養成制度というものをつくられて提案されましたが、これは非常に反対を受けまして廃案になったのは御承知のとおりでございます。その結果、こういうような形のものを用意するのではなくて、どうすればよいかということを、看護制度はどうしたらいいか、准看護婦は廃止の方向という声がこれだけ出てきているのにということで、看護制度を
検討する会が厚生省につくられて
検討が進められた結果、四十八年の十月には、中間
報告で准看護婦廃止の方向がやはり打ち出されてきている。
これらの一連の経過を通じて
考えてみたいと思うわけでございますが、現在すでに准看護婦養成所の生徒の四三%、多いところは六〇%にもなりますが、高等学校の卒業生で占められています。中学卒がいないからです。これは
女子の高等学校進学率が非常に高くなりまして、東京あたりでは九二%以上、
全国平均でも八八%というような
数字が出るくらい高くなってきておりますので、中卒を対象とする養成所というものは、養成所自身の成立の条件が社会的に失われてきている今日でございます。それなのになお無理して続けていかなければならないのかどうか、このことをひとつお尋ねしたいわけでございます。そして先ほど申し上げましたように、准看護婦養成というのは
労働力を確保する手段としてむしろ利用されているのであって、看護の
仕事をする者のための教育というような機能は果たしていない、
労働力として利用しているだけ、そういう養成所が半ば以上ある。そういうことを
考えますと、しかも一方では物理的に社会的条件がもう備ってない、中卒がいなくなってきているというようなことを
考えますときに、なお無理して続けていくのは何のためであろうかということを
考えざるを得ないわけでございますが、これはやはり半分以上医師会が運営している養成所だから、これは医師会の要求があってそういうことになっているのではないかというような勘ぐりもしないわけではないわけなんですが、その辺をひとつ御説明いただきたいと思います。