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田中(美)
委員 何しろ私は
福祉のこれをいろいろ見てみまして、何でもわかりにくく、むずかしくむずかしく別表だとかいろいろな表をつくって、その中の言葉を見ても「体幹の機能に座っていることができない
程度の
障害を有するもの」なんて、こういうふうなこと、本当にわかりにくいわけですよ。
具体的に私は——私の実の兄というのは両足がだめなわけです。これはクモ膜下出血という病気をしまして奇跡的に治ったということの後遺症でひざが立たなくなったわけです。それで腰から下か非常に弱くなりまして、結局松葉づえでも歩けないのですね。そして全部車いすでいまも働いて、会社の取締役をやっているのです。この兄は、所得制限が引っかかりますので、現在は
福祉手当はもらえないと思います、しかし仕事をやめて収入がなくなればこの
福祉手当はもらえると思うのです。といいますのは、彼は一級の身体
障害者の手帳を持っているわけなんですね。この兄は五十七歳ですけれども、兄の
日常生活は、平家の家全体が境目がないワンルームになっているわけですが、車いすでどこへでも行ける。車いすでベッドにも行かれる、トイレも単いすで入れるように、顔を洗うときも全部車いすでちょうど行くようにできているわけですよ。それで全部行きますので、一級のあれを持っておりますけれども、一応自分の身の回りのことというのは、家の中ではほとんど自分でやるわけです。それで最近は車も、自動車ですね、自動車も改造しまして運転免許を取ったわけです、一級身体
障害者がですよ。これでもって会社まで自分で行くわけです。それで会社に車いすが置いてあります。そのとき多少人の手は借ります。いろいろな
意味で姉が非常に苦労はしていますけれども。しかし、この母と、寝たきり老人とは思わないこの私の八十六歳の母と兄を見ましたら、
日常生活の上では兄の介護者の方がはるかに楽だというふうに私は思うわけです。母の方はだんだん頭もぼけておりますし、目もやはり緑内障を患いまして薄ぼんやりですね。ですから用便ができない、食事ができないというのは一体どういう状態なのか。トイレのところまで行って座らしてあげれば自分でできるのか、それとも寝たきりで便器を入れなければできないのか、そういうふうなことだってさっぱり——そんなことを言い出しますとおたくのつくった別表というのは、「体幹の機能に座っていることができない」というのは一体何なのか。身体
障害者の一級を持っている私の兄はきちんといつでも座っておりますよ。動くのがめんどうくさいからしょっちゅう座っていますよ。これは
対象になるわけですから、所得制限があれですけれども。実際にはこういうことを
障害者の間では具体的に比べるわけですよ。私自信も母と兄を比べるわけですよ。母は
福祉手当の
対象にはならない、しかし、兄はなる資格があるのだというふうになってきますと、矛盾を感じてしまうわけですよ。だから、先ほど言いましたように、こういう
障害者の心を傷つけるじゃないか。特に、いま老人問題というのは家庭の中で非常な問題になっています。本当の娘は私一人です。自分の個人の話をして恐縮ですけれども、非常に具体的ではっきりしますので比較して言っているのですけれども、私は、娘が一人ですので、本当はこの母を自分のうちに置きたいわけですね。一度宿舎に連れてきたこともあります。しかし、ほとんど私がうちにいませんと、やはりこれはどうしても常時だれか介護する人を雇わなければならないわけです。しょっちゅういないわけです。それで、しばらく預かってみましたけれども、非常に母がさびしがりますし、私も精神的に非常に
負担で、人に頼んでおきましても常に気になるわけです。それで、弟のうちに母を頼んだのです。というのは、妹が外で働いていないものですから。結局、妹は常時母の介護をしているわけです。どこへ行くにも母を一人にしない。そのときには
子供をつけておく。転んで足でも折ったらそれで一巻の終わりだということで、妹が買い物に行くときには
子供をつけておく。常時ついているわけですね。しかし、母の場合は、これはおたくのこの別表で見ますと、体幹の機能
障害で座ることができないということじゃないのですね、ちゃんと座っておりますし。よっこらしょなんて言って、こんなふうにして動けるわけですから。そうすると、
対象にならないのかなと思うわけです。
こういうふうに、あなた方は御自分でわかったつもりでいらっしゃるかもしれないけれども、国民にわからないようなこんなものをつくったって、非常に国民の心を傷つけ、それから外れる人たちは、なぜ自分の方がひどいのにもらえないのだ、なぜ向こうの方が軽いのにというふうに、仲間同士でいがみ合うような、こうしたせっかくいい目玉であるものがそういう形で非常に、何か一つ新しい
制度が出るたびにだれかが泣いたり心が傷ついたりするわけです。そういう
意味で、あなたはいわゆるいわゆるとかということでわかったような顔をなさっているけれども、私は、あなた自身もわかっていないのだと思うのですよ、大臣もわかっていないと言っているのだから。ですから、一級とか二級には全部出すとか、いわゆる寝たきり老人が三十万いるならば、これには全部出すとか、その中で多少それに外れて、わりに元気でもらわぬでもいいと思うような人が多少入ったたっていいじゃないですか。それよりも、当然もらわなければならない人が落ちているということの方に心を向けていく方が大事ではないですか。これは犯罪の場合でもそうでしょう。証拠がない場合には罰しないじゃないですか。そうでしょう。疑いがあっても疑いだけではこれは罰しないのですよ。ですから、やはりそういう観点から見て、どうやって落とそうか落とそうかということが目玉、目玉と言われるこの
福祉手当の中にあるということを私は言っているわけです。ですから、体幹の機能
障害で座ることができないということは、身体
障害者一級の人で座ることのできる人はたくさんいます。そうすると、これは全部外れるのですか。