○林(義)委員 基本問題が出てきたわけであります。
そこで、私はもう一つ申し上げたいのは、
環境基準というのは
先ほど申しました最も理想値をやっているわけですね。理想の状態というのは、その地域にとっては理想の状態であるが、いろいろお互いに生活をしていますと、決して全部、理想な状態で生活をしているわけではない。どこまで国民的合意が得られるかという問題になってくるだろうと私は思うのであります。国民的なコンセンサスを得られてこそ
環境基準というものがあるというのが私は筋だと思う。そこで、それは全国民的なものであると同時に、その地域
住民対策というものは別に
考えていかなければならない。単に中央におって
住民と接触していないところではできない。やはりそこには地方公共
団体の人々も入ってもらって、いろいろな話をやっていくことが必要であると私は思いますし、この
基準をつくったから、それですべて、ばっと流れてできるという話ではないと思うのであります。
地域にはそれぞれのいろいろな利害があります。少々音がうるさくてもいいから、ここにいたいという方もおる、おれは絶対に音がいやだから、どうしても何とかしてくれという方も、いろいろな方がおられる。やはりそれに当っていただくためには、各地の地方公共
団体の
住民対策というものがどうしても必要であります。それをやはりやるような
体制をつくっていくことが、どうしても私は必要だと思いますし、国鉄当局もいままでいろいろとやっておられましたけれ
ども、やはり地方公共
団体その他の協力も、ぜひはっきりとこの際、打ち出すような
政府の姿勢を示してやることが大切なことであろうと思うのであります。この新幹線
騒音問題については、
政府の方で閣僚お集まりをいただいて、いまのは基本問題でございますから、真剣に討議をしていただくことを心から要望しておきます。
時間も大分たちましたので、もう一つの問題に移りたいと私は思います。
自動車問題であります。これはこの国会が始まった一月から始まりまして、大変な問題になった。文書が暴露されたとかなんとかという事件から始まりまして、結論といたしましては〇・八五グラム・パーキロメートル、〇・六グラム・パーキロメートルというような一応の暫定
基準ができたわけであります。
この前の新聞を見ますと、アメリカの
環境基準というのがある。日本のいろいろな排ガス
対策の問題にいたしましても、これはアメリカのマスキー法に書いてあるところの
基準をベースにいたしまして、それをやったということは紛れもない事実であります。マスキー法と同じようにやった。御承知のとおりマスキーというのは、ニクソンと対抗して民主党から大統領候補で出ようとした、こういうことであります。アメリカの国会での議員立法という形もあります。マスキーの政治的な選挙公約と並んで出たところの、その法律であります。ところが現実の問題として、そのマスキー法というのがどうなっているか。現実の
規制というものを日米、比較しますと、日本で現在やっている
規制すなわち五十年
規制、いまからやろうとしている
規制、これの約五倍ぐらい、私は現実にアメリカで行われている
規制の方が緩いと思う。言うならば、日本でやった四十八年
規制の大体半分ぐらいのところを現在アメリカではやっておる。しかもそれをあと七、八年は続けてやろうというのが、現在アメリカから出ているのであります。日本ではますます厳しくしていこう、アメリカでは少しこれは緩和しよう、こういうことであります。
アメリカでなぜ、そんな
考え方になったかといえば、アメリカでは石油の問題を非常に重大に
考えたからであります。アメリカの国内でも石油は相当に産出されている。しかしながら、プロジェクトインディペンデンスという計画のもとに、アメリカではやはり石油の自給計画というものを立てた。日本では石油の自給計画というのは立てられない。中近東の方で石油がどうなるかということは、かつての石油の危機のときにもう明らかな事実です。大変な狂乱物価をもたらしたものであります。アメリカではそういうふうな
考え方であります。ガソリンの消費節約をやっていこう、こういう
考え方であります。日本もやはりアメリカと同じ
考え方をしなくていいのか。少なくとも私はアメリカの
考え方は少し学ばないといけないのではないか。今度、総理がアメリカへ行かれまして、きょうの新聞を見ておりますと、日米で石油の値上げを抑えようということを相談しようなどと言っておる。日本はじゃんじゃん使う。
実は五十年
規制、五十一年
規制になりますと、ガソリンの消費量というのは燃費の
関係で上がっていくのです。四十八年
規制から五十年
規制にいたしますと大体一〇%ぐらい上がる。五十年
規制から五十一年
規制にしますと大体五%から一〇%くらい燃費が上がる。確かにそれは
環境のためにはよろしい。よろしいが、石油の消費量というのはそれだけふえるわけです。少なく買って値段を下げよというのなら、話はわかるのです。たくさん買うけれ
ども値段は下げろなどというのは、私は商売の交渉としてあり得ないと思う。やはりその辺は
考えてもらわなければならない一つのポイントです。
第二のポイントは、
先ほどの話の「望ましい」というのは、非常な理想値を言っているということでありますが、現実はなかなか理想のとおりにいかないというのが私は現実の問題だと思う。石油の問題、備蓄法案は大体、衆議院の方は通りましたが、備蓄をどう
考えるか。備蓄をした後においても、国内で自動車の使うところの石油の節減というものを
考えていかなければならない時期にあるのだろうと私は思うのです。それでなかったならば、日本は武力を持っていって、インドネシアとかなんとかへ行って、石油を持って帰ることはできないのですよ。大前提だ。そのときに一体、国民生活をどういうふうに守っていくかということを、真剣に
考えてもらうのが
政府の仕事だろうと思うのです。そういった点。
それからもう一つは、ここで車の問題でいろいろやりますが、これは地域的にいろいろ
考えていかなければならない。東京のような大都市では、やはり交通
規制あるいは公共交通機関に移していくということを
考えていかなければならぬ。ところが大雪山のふもとであるとか、言っちゃ悪いのですけれ
ども、福島県の田舎であるとか、私のところの田舎なんかでは、少々自動車が走ったところで、いいのです。特に田舎の人はそんなに高い車は買わない。やはり安い車で走る。安い車になりますと、できるだけ経済的に走りたいとみんな
考えるわけです。その辺をどう調整していくかということも
考えていかなければならない問題だと思うのです。一律に
規制をするということにつきましては非常に問題がある。ガソリンの燃費の問題であるとか地域的な問題であるとか、その他硫酸ミストが出ますとかいうような問題があるし、さらには大都市内の交通体系をどうしていくかというような問題、その他いろいろあります。そういった問題をこそ
考えて、これから政策を立てていかなければならない。
かてて加えて自動車産業の方では、これは大変なことになるぞ、何百万人かの失業をもたらすのだ、こういうふうな話まで実はかつてあったわけであります。一応いま生産ができますから、失業の問題というのは起こらないでしょうけれ
ども、そういった点も総合的に
考えてやっていかなければならない問題だと私は思うのであります。一つには望ましい高い
基準、これがどうしても健康のために絶対不可欠の
基準であるならば、守っていかなければならない。しかし「望ましい
基準」である。この健康を守るところの
基準は、はるかに高いところの
基準でやっているわけでありますから、私はそういった点の
考え方を整理をしてもらいたい。閉会になりましたら国会に呼ばれることも少なくなりますから、ひとつ役所の方で英知をしぼって集めていただきたい。通産政務次官おられますから、ひとつ通産政務次官から、どういうふうにお
考えになるか、お話しをいただきたいと思います。