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田尻参考人 私は海上保安庁に勤めておりましたので、その従来の経験から申し上げてみたいと思います。
今回の三菱石油の事件は、陸上防災の貧困ということを非常にあらわにいたしました。しかしながら、さらに大きな問題としまして、港湾防災の根本的な欠陥、それから
水島港が重大な欠陥港であること、さらに二十万トンマンモスタンカー時代を迎えまして、この巨大化に突っ走ったマンモスタンカーを無理やり入港させていることから生ずる
全国の石油港湾の欠陥性というのは、多かれ少なかれ共通している。それから二十万トンのマンモスタンカーの出入りによりまして、それが
事故寸前の状態にあるということが明らかになったのであります。
もし二十万トンのタンカーが油を流出しますと、一時間に三万トンの油が出ます。それが原油であれば大火災になりまして、港はもちろん、プラントから住民
災害まで及ぶことは明らかであります。テキサスシティーにおきまして、一九六五年、船舶火災から三千メーター以内の二千五百戸の住宅が延焼いたしました。二十万トンの油が
東京湾で流れますと、七メーターの風にあおられて、十五時間後には
東京湾を油で覆い尽くし、もし、それが火災になりますと、銀座まで延焼範囲に入るということが言われております。
具体的に一つ一つ
問題点を申し上げてみたいと思います。
まず
水島港であります。
水島港の欠陥性でありますが、まず第一に、この港には停泊水面が全然ありません。駐車場のない道路と一緒であります。船にとっては、いかりを打って停泊する
場所は絶対に欠かすべからざる水面である。
二番目に水深であります。十六メーターの水深しかございません。二十万トンのマンモスタンカーの喫水は二十メーターあるのであります。船の喫水が深過ぎるので、一部川崎などへ油を荷揚げして、喫水を調整して入るということが行われておるのであります。そして十四・八メーターという喫水で入っておりますけれども、重要なことは、この航路の一
部分に十四・七メーターという
部分があるということであります。座礁寸前であります。
次に、四百メーターの幅の水面の中で、三百五十メーターの二十万トンタンカーがすれすれで旋回をしているということであります。ブリッジから見ますと、五十メーターの余裕なんかでは水面が見えないのです。向こうの山しか見えない。ちなみに申し上げますが、二十万トンタンカーといいますと、長さが三百五十メーター、
東京駅が三つも入るような大きさである。十八階建てのビルと一緒である。デッキの広さは後楽園球場の三倍であります。三菱六号桟橋は三万トン係留用につくられた桟橋でありまして、一部手直ししたものの、二十万トンを着ける能力はないのでありますが、二十六万トンが着けております。
会社のパンフレットや岡山県の発行したパンフレットでさえ、十万トンないし十三万トンが最大であるとはっきり書いております。
ところが、このような状態にもかかわらず、きわめて不可解なことは、昨年の四月までこの港が港則法の特定港に指定されていなかった。長い間、漁港並みの規制で放置されたということであります。こういうような状態で、あらゆる規制がかからなかったわけであります。
それから、この港に水先人の乗船が義務づけられていない。
もう一つ申し上げるのを落としましたけれども、この港の入り口では、浅瀬や島の間を縫って、マラッカ海峡の半分しかない四百メーターの航路で、三十度というマンモスタンカーの旋回能力を超えた大屈曲をしております。そのために横から二ノットの潮が流れる難所となっておりまして、四十六年から四十八年の二年間に四隻のマンモスタンカーが座礁しております。
このような欠陥港がどうしてできたのか。岡山県が
昭和四十六年に発行しました「
水島のあゆみ」というのをここに持ってきております。この文書の中に詳細が明記してありますが、端的に申しますと、
会社の要望に従って、当初水深三メーターしかない、一千トンくらいの船しか入れなかったこの港に、三菱石油誘致のために、行政がこの港を何とかして二十万トン入れようということで奔走したのであります。その結果、
昭和三十三年の十月に親
会社のタイドウォーターの副
社長が参りまして、十五万トンのタンカーを入れるには十五メーター半の水深が要るのだということを言ったときに、岡山県知事が即座に十六メーターに掘りましょうと答えたのであります。当時は十三メーター掘る技術しかなかったのであります。結局
会社側から、しかしながら瀬戸内海を大型船が通航するのに難点がある、不安があるということを申し述べました。これに対して、県の課長が運輸省の港湾局長に陳情に行きまして、運輸省の港湾局長は名刺の裏に、瀬戸内海の大型船通航を何とか配慮しましょうということを書いて、このお墨つきをもらって、即日三菱石油の
企業立地が決定したのが
昭和三十三年十二月二十八日、御用納めの日であります。このような実情から、無理に無理を重ねて、入れ物の小さい
水島港に二十万トンを入港させているということは、次は恐らく二十万トンマンモスタンカーの
事故が発生するであろうということを
予測させるにかたくないのであります。
ちなみに、
昭和四十八年十月十六日の運輸省の港湾審議会の計画部会で、十二万トン以上の船をこの港に入れないことが申し合わせされました。しかしながら、この申し合わせももうほごにされておるのであります。
このような欠陥性は、ただ
水島にとどまりません。鹿島港でもそうであります。世界に例のない
人工港と言われた鹿島港で、同じように停泊水面がございません。また、太平洋の荒波に突き出した防波堤に二十万トンの桟橋が設けられて、二十万トンタンカーが荒波の中で着桟をしておるのであります。まさに
事故寸前であります。
昭和四十七年に全
日本海員組合が
調査しました港の総点検によりますと、港の浅い
原因として、不相応な大型船を入れておる港が三六%ございます。防波堤のない港が四四%あります。風や波に遮蔽されていない港が六六%もあるのであります。港の方はこんな状態であります。
次に、港湾防災を申し上げます。
二十万トンのタンカーが桟橋に着桟をいたします。最も遅い毎秒十センチというスピードで着桟をしましても、単位面積当たり三百七十五トンの力が加わります。東大の元良教授の
研究によりますと、もしも桟橋と船舶の衝突によりまして外板が破れて油が流れる。それが原油であったら火災になる。その場合に、油の外縁から千メーターまでの距離のものは延焼する、このような
研究があります。そうしますと、この動く
タンクとも言うべきマンモスタンカーが着ける桟橋が最も危険な
場所である。この桟橋から千メーターは少なくとも
タンクは離れていなくちゃならない。これは自明の理である。ところが
全国のマンモスタンカーの桟橋と
タンクの距離はどうでございましょう。わずか百メーターから二百メーターである。それ以上の距離は私は余り知りません。テキサスシティーでは
事故の経験から、州法で三千メーターに桟橋と
タンクの距離を定めております。
日本では全く無制限である。四十八年のタンカー
事故百六十隻の中で、港内で起こったのが六十六隻であります。
全国の石油港湾十五の港で、四十八年の一月から九月までに起こった油流出が九十一件に達しておるのであります。
では、港湾防災体制はどうでございましょう。まさに無法地帯であります。その最も根本的な
原因は、消防法が海上に及ばないということであります。だから
企業には消防船もございません。海上消防隊もない。陸上には消防車や消防隊がちゃんと設けられておる。だから、一たん油が流れて火がつきましても、海上保安庁が
企業に対して出動を命令することもできない。消防船がございませんから、もう能力がない、あるいは資材を調達する権限もない。第一、海上保安庁自体が公的な消防機関でないのであります。正式に
法律で消防活動を認知されていないのであります。だから、無理やり協力をしてもらいましても、作業員が死んだりけがをした場合に、労災補償の
適用が十分にないのであります。だからへっぴり腰になるのであります。
全国の港湾では
災害対策協議会なんていうことでお茶を濁しているのであります。お話し合いであります。海上保安庁が
企業に対して応援出動を依頼、協議するのであります。受けた
企業が自主的に判断をするのであります。このような実態では、港湾防災体制というのはまさに私は無法状態であると言わざるを得ないのであります。
海上消防法が早急に必要だということを申し上げたいと思います。消防法が桟橋にもシーバースにも及びませんので、海に突き出た桟橋には、消火器一つ備える法的義務がないのであります。シーバースもそうであります。消火
装置をつける義務がない、防火管理者を置く義務もない。だから
全国の桟橋の消火
設備というのは、まさにりょうりょうたる実態であります。このような状態の中で、一たん
事故が起こったならば、私は、あの貧困な陸上の防災体制に比べて、さらに一段と海上の防災体制はきわめて貧困な状態であることを指摘したいと思います。
しかしながら石油港湾の防災は、このようなスケールの体制ではもう対応できません。石油港湾の防災規制法が必要であります。港湾構造の規制から始めなければなりません。そうして、港湾構造に見合う大型タンカーの入港トン数をはっきりと制限すべきであります。港湾の中の桟橋の設置規制をやるべきです。シーバースの規制をやるべきです。そうして桟橋に最新鋭の、たとえば自動放水銃であるとか赤外線の油夜間監視
装置であるとか、あるいは監視用のテレビ、自動浮沈式オイルフェンスというようなものを義務づけて、このようなものを持たなければ、もうマンモスタンカーを入れることは相ならぬということを決めなければ、現状ではどうにもならないということを申し上げておきます。
三番目にマンモスタンカーの問題であります。
このマンモスタンカーが、
日本の安全行政あるいは
日本の
企業の近代化のまさに象徴であると思います。マンモスタンカーは現代の怪物であります。二十万トンのタンカーが積んでいる航海計器は、一万トン級のものと全然変わりません。エンジンをストップしてブレーキをかけても、四千メーターとまらない。かじを一ぱいに切ったって、二分ぐらいびくとも動かないのであります。このようなマンモスタンカーの外板がわずか二十二ミリ、五万トンタンカーと全く一緒である。二重底にもなっていない。このような二十万トンタンカーというものの安全性は、ただ船長の勘と経験と極度の緊張状態における注意力とで補われているという実態をはっきりと申し上げたいと思います。この巨大タンカーの早急な安全規制が必要であります。
たとえば伊良湖水道は千メーターしかございません。マンモスタンカーがかじを一ぱい切って他船をよけるためには旋回圏が必要です。この旋回圏がちょうど千メーター必要なんです。伊良湖水道はその千メーターしかないのです。そういうところへ入ってくるタンカーの七割が外国船であります。ある外国タンカーの地図を見ると、千葉県をアワノクニと書いてあったそうであります。そんな古いチャートを持って入ってきている。このようなタンカーが入ってきまして、目の前に銀座の明かりのように漁船団があらわれます。その漁船団の中に突っ込んでいきます。マンモスタンカーの船長は、かじがきかないから逆にスピードを上げるのです。後は目をつぶって走っている。ブリッジから、六百メーターは死角になって見えないのです。漁船の方だって、向こうから来る船が、航海灯は小型船も全く同じ航海灯ですから、ホタルの光のようなのがマンモスタンカーとはわからないで釣りをしているうちに、あっと気がついたら目の前に来ている。マンモスタンカーは小回りがききません。もうその明かりの中をまっしぐらに突っ走る以外にない。衝突したってショックも全然ないんです。そうして次の日の新聞を見て、ああおれは無事だったということを知るそうであります。私の商船学校の同級生が皆船長をやっております。
このようなマンモスタンカーが
日本沿海を走り回っておるのに、不思議なことに、水先案内人が義務づけられていないということであります。つまり、水先案内人は港の中でしか
仕事をするようになっていない。最も危険な伊勢湾、
東京湾あるいは瀬戸内海の入り口で義務づけられていないということはどういうことでございましょうか。その港でも、
全国で義務づけられているのはわずか五つの港であります。それは占領軍が決めた港であります。以来改正されていないのであります。しかも、私たちが非常に不満でありますのは、水先案内人に定年制がない。平均六十五歳であります。八十歳に及ぶ水先案内人がちゃんといるのです。階段もよう上がらないで、船員から押してもらっている、そのような定年制のないパイロットが、老齢者が、実は二十万トンというマンモスタンカーを動かしているという実態を、私は、慄然たる思いで注視すべきだと思います。
もう一つ申し上げます。タンカーの乗組員があらゆる危険物を運送している。陸上の
タンクは危険だとおっしゃいます。もちろん危険です。しかし、タンカーは動く
タンクであります。その動く
タンクのタンカーの乗組員に危険物の免状が制定されていないのであります。これはまたどういうことでありますか。特に、小型タンカーの実態は哀れの一語に尽きます。私は、四日市で東幸丸という小型タンカーが爆発したのを取り調べました。ところが、タンカーの中で、ガスマスクもガス検知機も使わずに、乗組員が裸になって
タンクの中をホースで水洗い作業をやっていた。つり下げたお粗末なランプからスパークして、
タンクが粉々になって吹っ飛んだ。三人の乗組員は七十個のこぶし大の肉片になって、デッキの上に散乱していたのであります。ところが調べてみますと、タンカー安全法もない、乗組員に
資格もない。九人の乗組員中、未成年者が四人であります。船長はカツオ、マグロに二十年も乗っていた船長なんです。危険物取り扱いの免状が要りませんから、漁船の乗組員が次の日からタンカーの船長になれるのであります。小型船は人手不足でありますから、漁船の乗組員が非常に多い。三年以上のタンカーの経験者が一人だ、十八歳であります。手まね足まねで作業をしている。私はその事件を取り調べまして、まさにこの事件の元凶は、
日本の安全行政と
法律にあることをはっきりと知ったのであります。
早急にタンカー安全法が必要であります。乗組員に危険物免状の制定が必要であります。水先法の改正が必要であります。労働安全
基準の制定が必要であります。
百九十九トンの船、二百トン以下の船に至っては目を覆う状態であります。だんなさんが機関長、奥さんが船長。何百種類とある
石油化学企業のつくったケミカル
物質を運んでいるケミカルタンカーが、鹿児島から
東京まで、交代者もなく、たった二人で運航している実態というものは、まさにこのような安全無視が、現代の石油
企業を支える根っこになっているということを、私は深い思いで直視せざるを得ないと思います。
東京湾の内湾も非常に危険な実態であります。あるいは伊勢湾もそうであります。たとえば浦賀水道は一日に一千隻の船が通っております。四十年に二十七万隻の船が通ったのが、四十三年は三十八万隻、四十五年に四十五万隻と、ウナギ登りであります。タンカーの海難の八九%が三大内湾に集中しております。月に平均、巨大船が二千八百隻通航しております。しかしながら、この
東京湾の浦賀水道あるいは伊勢湾の伊良湖水道、瀬戸内海の備讃瀬戸、いずれもすでに二十万トンタンカーが通る能力はございません。旋回圏から見ますと十万トンが精いっぱいであります。このような内湾や港の能力あるいは入れ物の条件というものを無視して、タンカーだけがあっという間に五万トンから二十万トン、三十万トン、いま五十万トンまで突っ走ったこの巨大化というものに、もうここら辺ではっきりとくさびを打ってブレーキをかけなければ、とんでもないことになることを申し上げておきたいと思います。
東京湾の浦賀水道で一たび二十万トンが
事故を起こしたら、
東京湾は機能が麻痺してしまうのであります。私は、内湾防災法を制定すべきであり、十万トン以上の内湾の通航を禁止すべきであり、内湾の巨大船はタグボートの航行を義務化すべきだと思います。あるいは電波、光波、音波、あらゆる近代的な航路標識を内湾の入口に
装置すべきであり、そうして現在港の中でしか働いていない。パイロットを、
沿岸パイロットという形で、おのおの内湾の入口でも義務づけるべきであります。もし海がしけているというなら、外国のようにヘリコプターで行ったらいいじゃありませんか。
結論といたしまして、石油港湾防災法、海上消防法、タンカー安全法、内湾防災法、そういうものの制定が必要だと私は思います。そうして水先法の改正が必要でありますし、
災害対策
基本法の強化、改正が必要であります。
しかしながら何よりも、今回のような大量の油が一たん海に出ますと、いかなる技術対策も及ばないことをはっきり知るべきであります。油処理剤あるいはオイルフェンス、油吸着材、ことごとく無力に近いのであります。油回収船もほとんど実用化するものは開発されておりません。このような実態の中で、われわれは大量の油にはもう対策がないということを、まずはっきりと覚悟すべきであります。その認識の上に立って、より根本的な対策が望まれるのであります。それは巨大タンカーの製造中止であり、内湾通航の禁止であり、そうして
全国の石油港湾の総点検であります。そうして欠陥港湾に対する入港トン数の制限であり、そうして、桟橋と
タンクの距離を中心とする
コンビナートの大改造であります。
企業の内湾
立地の再検討であります。そのような根本的な対策に及ぶのでなければ、もはや、
全国の海は大変な大
災害と大惨事に見舞われるであろうことを私は推測せざるを得ないのであります。
安全と公害は一体であります。PPMという環境
基準で論ぜられておる公害問題も、まさに大きな転機を迎えました。安全問題は
企業そのものの、あるいは現在の
わが国の近代化そのものの根底を問い直す問題ではないかと思います。