○毛利
委員 私は、拡散防止
条約について私の所信を申し上げて
外務大臣の御
意見を承り、数点にしぼって
質問を申し上げたいと思います。
最初に申し上げます。
いま、
日本国民初め地球四十億の人類は重大な転機を迎えております。まさに激動の時代の名のごとく、石油価格の高騰、重要資源の枯渇、公害の深刻化、そして人口爆発といった人類共通の問題に見舞われております。ある
意味で、人類が営営として築き上げた文明そのものが、いま厳しいチェックを受けているとも言えます。この中で従来からの
体制、常識も急変を迫られております。もはや核兵器を持つ国のみが超大国であり、
経済力を有し、物質水準の高い国が繁栄し、先端技術を有した国が先進国であった昔日の面影は失われつつあります。いま世界は新しい枠組みの中で新しい秩序を指向し、新しい価値観が要求されているのであります。
人類がかつて直面したことがないものだけに、人類の英知と総力を結集し、人類の持つ新たな
可能性を追求していく以外、これにこたえるすべはありません。また、ひとり
わが国だけの解決方法ではなく、広く国際
協調を通してこそ、人類共通の真の解決方法があると信ずるゆえんであります。一九七二年のストックホルム人間環境
会議に引き続き、昨年のブカレストの人口
会議、ローマの食糧
会議、
パリの国際環境
閣僚会議、本年のジュネーブでの国連海洋法
会議と、すべて新しい世界秩序を求めようとする人類の英知のあらわれであります。
エネルギーにおいても、新しい時局を迎えようとしております。石油の大部分、すなわち九九・七%を海外に依存している
わが国にとり、将来の省エネルギー社会への転換は急務としても、現実には、まず石油にかわるエネルギーを見つける
作業、すなわち、脱石油化を目指さなければなりません。このため、
わが国の持つ技術を結集し、サンシャイン計画に見られるようにあらゆる
可能性を目指し、追求していく姿勢が必要であります。しかし、現実の問題として、技術、
経済、量的な面から見て、即石油にかわれるものとしては、当面原子力しかないことは科学常識でもあります。
わが国の原子力開発は現在環境と安全の両面から重大な転機を迎えておりますが、原子力もしなかりせばの視点に思いをいたすこともまた重要であります。エネルギー供給源の分散、多角化は、いまや世界の潮流でもあります。
一九九〇年における原子力のシェアは、ベルギー五九%、西ドイツ四九%、オランダ四六%、イギリス、イタリア四三%、
アメリカ四二%、スウェーデン四一%であります。
日本は計画
どおり進んでも三三%であります。また、ソ連も現在千八百三万キロワットの建造計画を持ち、石油産出国のイランにおいても、一九九〇年までに自国内に二千万キロワットの発電設置計画を持っております。サウジアラビア、イラク、リビア等においてもそれぞれ
検討中であります。ブラジルも西独に原発八基を一兆二千億円で発注しました。このように洋の東西、開発国、開発途上国、資本主義、社会主義といった地理、発展
段階、
体制の違いを問わず、一様に共通した
傾向であります。
わが国においては、原子力の平和利用は、広く
国民の理解のもとで、また国会の場でも超党派で、先輩諸議員の固い結束のもとでスタートし、昨年で満二十年を迎えました。しかし、いかに平和利用を目指しても、まず原爆という悲劇のスタートを切った歴史が物語るように、原子の火は古代ローマのヤヌス神に似て、平和的側面以外にも軍事的側面を持つという二面性を有しております。
わが国においては、この間、民主、自主、公開の三原則をうたった世界にも例のない原子力基本法を制定し、あるいは対外的にも平和利用に徹することを
機会あるごとに宣言してまいりました。
日本は将来必ず核武装する、核の軍事利用を必ず行うという内外の執拗な中傷あるいは予言の中で、
わが国は終始一貫して平和利用に徹してまいりました。これを支えた
関係者諸兄のみならず、
わが国の実績は世界に誇り得るものであります。
しかし、
研究から一足飛びに実用化という一大転換期を迎えました。今後、
日本が原子力の平和利用を遂行していくために、ヤヌス神の一面、軍事的側面に目をつむって通っていくことはできません。現在でも、
わが国の東海村には、プルトニウム二百九十二キログラム以上、また、
わが国各地の原子力発電所で使用中の核燃料は、ウラン235換算で総計十六・三トン以上に達します。
ウ・タント前国連総長の報告によりますと、プルトニウムは八キログラムで長崎型と同程度の核分裂が生じ、ウラン235は二十五キログラムで広島型原爆がつくられます。さらに、プルトニウムは人類がかつて経験したことのないほどの毒性を有している事実を忘れてはなりません。長期にわたり慎重に管理しておく
体制づくりが必要であります。平和利用とはいえ、これほどの多量のプルトニウム、ウラン235が一カ国に集中しているのは世界にも例を見ないことであります。この
傾向は年年強まるだけに、いかに
わが国民が平和利用に徹すると言っても、世界
各国の不安がこの事実に集中するのは、客観的に見ればむしろ当然と言えます。
世界においても、この原子力の平和利用の急激な拡大は新たな軍事面での緊張を引き起こしてきているのは否めない事実であります。
今年三月、
アメリカ議会でイクレ軍縮庁長官は、米ソ超大国間の軍縮ははかどっていないだけではなく、インドに引き続き核を保有する意向を持ち、
可能性がある国が数カ国あると証言いたしております。このもとでは、核兵器のもたらす軍事的な秩序も大幅に変わっていきます。新しい秩序を求め、核の平和利用のみでなく、核軍縮、核を意図的に保有していない国を含めた非核国の
安全保障をもう一度
考え直していく必要があります。
また、
わが国が主体的、積極的に世界の平和をリードするこのことこそ、この激動期の世界における
わが国の
安全保障とも言えるわけであります。この
意味において、
わが国が核不拡散
条約を批准するか否かが
検討されるべきだと存じます。
五月五日ジュネーブで始まった再
検討会議は、潮流の中で核についての新しい秩序を求める努力を行ったことだけでなく、戦後初めて
わが国が国際的な場での核軍縮、非核保有国の
安全保障について実質上の参加ができ、また、
わが国の
意見を主張した点で、大きな価値を持っていると信じています。言わば、新しい
わが国の外交がここに始まったと言っても過言ではないと思います。
今年の八月は、広島、長崎という
日本民族にとって忘れてはならない経験のみでなく、人類が永遠に記憶しなければならない日からちょうど三十年目に当たります。このとうとい犠牲を通じ、決して二度とこの悲劇を繰り返してはならないというかたい決意を
わが国民は誓ってまいりました。この貴重な先人の経験を守り、激動の中でも、この平和の遺産を引き継ぐためにも、わが自由民主党としても、野党の諸兄とも
どもに、故佐藤元首相の悲願でもありました核防に対し、国権の最高機関である国会の場で
国民の前に徹底的に議論を尽くしたる後、国際信用及び燃料、技術確保、ひいては
経済上得られる利点等々を
考え、速やかに批准
承認すべきものと信ずるゆえんであります。
以上の所信表明に対し、NPT批准についての
大臣の御見解を承りたいと思います。