○渡部(一)
委員 食糧及び資源の問題に関しては、石油の問題でいま世界的な紛争が起こっているわけでありますが、この問題ともあわせて
考えていかなければならないだろうと私は思います。つまり、今日の資源エネルギー危機と一括して言われるこういうピンチに世界が立ったということは、資源産出国側と、資源消費国との
関係性というものをもう一回わが方が見直さなければならぬ時期がきたのではないか、こう思うわけであります。この両者の間の
関係は、一九六〇年代において圧倒的に悪化し始めておる。これは各国におきまして一人当たりの所得というものを、
日本のような先進工業国と開発途上国を比べてみますと非常に差がある。一九六〇年において大体一対七ぐらいの
関係になっているわけでありますが、一九七〇年にはそれが一対十三に広がってきておる、こういうふうに所得格差というものがますます広がってくる。これと同時に、開発途上国においては先進国から買う物が高くなってきて、実際的には物が買えない。
自国産品は安いから交易条件も悪化するという
状況になっております。
また
日本とアジアについて言いますと、この例はさらにひどくなりまして、一九六〇年には七対一になっているわけであります。七が
日本で一がアジアでありますが、七〇年には十五対一に広がってくる。このまま広がってまいりますととんでもない数字になってまいりますので、一九八五年の段階で五十六対一、この辺まで広がるわけであります。したがって開発途上国やアジアの国々におきましては経済的困難が増す、そういうところからこのトレンドを回復するためにも
自国産出資源は
自国で使う、
自国で使わないものはつくっても仕方がない、こうしたような形というものが生まれてきておる。そういう
意味において、現今、
日本とオーストラリアとの協定における牛肉の産出をめぐる幾多の紛争というものは、そうした
関係を開発途上国とは違う国でありながら、オーストラリア
政府と
日本との間で招いておるということにすらなっておる。したがって先進国が、
日本も先進国側の
一つでありますが、その
海外投資あるいは多国籍企業の進出というものがこれらの国々の経済的な自立を破壊してきたという
意味において、
日本側の
立場は全面的に
考え直されなければならないのではないかという面が
一つあると思うのです。
私の意見を先に申し上げてしまいますが、第二のポイントは、それでは先進国としても問題ができたというので、節約しようということが石油を中心として行われているわけであります。
わが国においても、食糧において言うならば、自給政策を強化しようという
考え方もこれに近いわけでありますが、この節約するということによって価格というものを凍結していく、そしてそれに対する対抗
措置というものを
考えていく、このような
考え方が油の場合には全面的に表面に出てきているわけであります。
このように安定的供給を図るという
考え方の裏にあるものは、開発途上国と先進国という対立
関係でとらえてみるならば、同じく開発途上国の経済的な自立を破壊する方向にのみこの政策は立てられておる、そしてわれわれがこれらの国々との友好
関係を適切に処理していくという
意味では非常にマイナスがあるのではないか、こう思われるわけですね。ですから、
一つは、昨年の国連総会ですが、国家間の経済的
権利義務憲章というものが出た際に、
日本側は、田中前首相がメキシコにおいてこれを支持する旨を表明しながら、実際は支持しないで棄権してしまったというとんでもないやり方の中で、
日本は、要するに後進国を締め上げ、しぼり上げ、後進国を搾取し、自分だけは飯を食い、がらくたを売りつける国として
一つ定義されており、その基本的方向は変わらないという尊大な面があるわけであります。そうすると、
日本の食糧及びエネルギー政策というものの基本は、こういう二本の柱に乗っていていいのか、そういう基本的反省の中にいま
考え方をもう一回つくり直す必要があるのではないか、こう思っているわけでありますが、こういう基礎的な問題については、ひとつ今後御検討をいただいて、基本的に改める必要があるのではないか。
私は、商品協定というものは、こういう
考え方、つまり古い古い、自分の国だけ何とかなればいいという
考え方のもとに、先進国としての国益を優先し、共存共栄の精神に立たなかったところに存在する一方的な独占資本的な構造のもとに築かれた協定の古き残滓ではなかったかという反省もあってしかるべきだと思うわけであります。その
意味で、この協定の実質的な
内容が削減されることもまたやむを得なかったんではないか、こうも思うわけであります。その辺の基本的な方向づけ、反省等について御意見を承っておきたいと思います。