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1975-06-13 第75回国会 衆議院 運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年六月十三日(金曜日)     午前十時七分開議  出席小委員    小委員長 増岡 博之君       加藤 六月君    佐藤 文生君       佐藤 守良君    關谷 勝利君       西銘 順治君    太田 一夫君       久保 三郎君    兒玉 末男君       梅田  勝君    松本 忠助君       河村  勝君  出席政府委員         運輸省鉄道監督         局長      後藤 茂也君         運輸省鉄道監督         局国有鉄道部長 杉浦 喬也君  小委員外出席者         運輸委員長   木部 佳昭君         日本国有鉄道常         務理事     小林 正興君         日本国有鉄道常         務理事     天坂 昌司君         参  考  人         (動力車労働組合         副委員長)   惣田 清一君         参  考  人         (国鉄労働組合書         記長)     富塚 三夫君         参  考  人         (鉄道労働組合組         合長)     坂東 正一君         運輸委員会調査         室長      鎌田 正己君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国有鉄道に関する件(国鉄問題)      ————◇—————
  2. 増岡博之

    増岡委員長 これより運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会を開会いたします。  日本国有鉄道に関する件について調査を進めます。  本日は、国鉄問題について参考人として動力車労働組合委員長惣田清一君、国鉄労働組合書記長富塚三夫君、鉄道労働組合組合長坂東正一君、以上三名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本日は本問題につきまして、それぞれ忌憚のない御意見を承りまして、調査参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げますが、惣田参考人富塚参考人坂東参考人順序で御意見をお一人三十分程度に取りまとめてお述べいただき、次に委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  それでは惣田参考人にお願いいたします。
  3. 惣田清一

    惣田参考人 動労中央本部惣田でございます。  国鉄問題につきまして意見陣述の主な事項としてあらかじめ四項目か示されていました。しかし時間の制約もございますので、また私が所属しております動力車労働組合という組織の特質上、主として国鉄の直接輸送面すなわち動力車運転面を担当する労働者をもって組織している、そういう関係から第一項の「総合交通体系国鉄輸送体制について」と、第二項の「新線及び新幹線の建設について」の二つの項目は割愛させていただきまして、主として第三項の「国鉄経営について」及び第四項の「国等の助成について」の二項目を中心にして、特に私ども関係している部分に重点を置いて意見を申し上げたいと思います。  まず、多少総論的意見にはなりますが、今日の国鉄経営につきましてその経営形態国鉄経営目的としております公共性企業性さらに独立採算性に関する動力車労働組合基本認識はどうあるのか、この点についての意見を冒頭に申し述べておきたいと思います。  すでに国会において幾たびか議論がなされておりますし、先生方も先刻十分御承知のこととは考えまするが、われわれもまた昭和三十九年度に国鉄が初めて赤字財政となって以来、最近に至ってその赤字は物すごいテンポで拡大の一途をたどっていることは、十分私ども承知しておるところでございます。それは一つには、昭和五十年度末における欠損予定額は七千八十四億円と言われておりますし、今日までの累積欠損は約二兆九千八百億円となること。二つ目には長期債務残高ですが、約六兆六千六百億円に達する。三つ目には、したがって、本年度の支払い利子だけでも約四千二百億円、実に一日当たり十一億五千万円の利子になること、このように国鉄財政の現状を把握しておるわけでございます。  さて、このような国鉄経営はまさに異常であります。したがって、かくなるに至った経過あるいはその原因並びにかくなさしめた責任の所在が明らかにされなくてはならないと考えます。破局寸前国鉄経営について、一部においてそのキャンペーンが、労働組合闘争によるものとかあるいは労使関係の悪化によるものとか、あるいはまた労働組合運賃値上げ反対するなどを理由に挙げている部分もございますけれども、これらの見解ははなはだ的を外れたものであり、その実態の認識に欠けているか、さもなくば故意によるものであると言わざるを得ません。  これを証明するものとして、最近国鉄当局が発行いたしました一九七五年版の「国鉄実情を訴える」というパンフがございます。これによりますと、国鉄職員生産性をあらわすものとしての職員一人当たりの人・トンキロは、これは一九七二年、三年前の指標によるものでありますが、日本国鉄を一〇〇とした場合にイギリス国鉄の場合は三二、西ドイツ国鉄は四九、フランス国鉄は六六であります。われわれ国鉄労働者は実にイギリス国鉄労働者の三倍、西ドイツ国鉄労働者の二倍を輸送しているわけでありますし、国鉄を取り巻く悪条件のもとにおきまして、労働組合がサボタージュとかストライキなどの闘争をするとか労使関係が悪化しているとかを理由にいたしまして労働者責任に帰するような生産性の低下というのは全く見られないわけであります。それどころか、むしろ世界有数労働生産性を上げていることは明白であります。  また、人件費経営費に占める割合が多いことを国鉄赤字財政理由一つに挙げまして、さらに合理化による労働条件の強化なり人員の消減を政府国鉄当局もここ十数年にわたって労働組合に徹底した強制をしてまいったわけであります。しかしながら、昭和四十九年度予算におきまして、その歳出総額二兆九千九百三十九億円のうち物件費人件費は一兆四千八百三十八億円であります。すなわち約五〇%でありますし、その五〇%のうちの三七%が人件費にすぎないのであります。このように考えますと、今日の国鉄財政破局的状況をつくり出したものはだれかという問題があります。われわれ労働組合立場として、今日まで国鉄経営につきましては労使間においてもあるいは政府国会におきましてもその意見を求められたりあるいは交渉をした経過さえありませんから、その責任の一切については全く関知しなかったことであります。  さて、しからば一体国鉄財政を今日の事態に追い込んだ真犯人はだれか、こういうことになるわけであります。  ここで、昭和四十九年度の国会決定を見ました当初予算を例にとって申し上げたいと思います。  昨年度の当初予算は二兆九千九百三十九億円であります。一口で言えばいまの国鉄は三兆円経済であります。そして、支出する資金三兆円の内容を見ますと、人件費物件費などの経営費は約五〇%であります。そして工事のための経費が二三%、利息の支払いが一二%、借金返済が一一%、その他が四%となっておりまして、出ていく金の四分の一が過去の借金返済とその利息の支払いに充てられておるわけであります。人件費は、さきに申し述べましたとおり三七%にすぎないわけであります。一方入ってくる資金はどうか。自前でかせいだ収入といたしまして運輸収入が一兆四千百九十二億円、雑収入が六百四十五億円、売り食いの資産充当の二百億円を合わせまして合計約一兆五千三十七億円で、約五〇%であります。そして借金財政融資なり自己調達を含めまして四三%あります。そして国会の議決による政府のまるまるの援助は七%にすぎないのであります。すなわち、入ってくる資金の半分近くが借金であるということは余りにも異常であります。しかるに政府金融機関からの借金の一兆二千八百億というもののうち半分以上、約五四%に当たる七千億円が支払いの中では借入金の返済利子の払いに消えておるわけであります。つまり借金を返すために借金をしておるのであります。政府補助はお話にならない少額であります。ここに、国鉄には借金はさせるけれども財政援助はしないという、政府なり国会の姿勢が明確に貫かれていることは明らかであります。  こう見てきますと、国鉄赤字とか財政危機とかいうものは、実態借金赤字あるいは国会政府によって主導されておる政治赤字合成物というぐあいに見ざるを得ないのであります。  さて、昭和二十四年国鉄国有から企業体へ移すことにいたしましたのは、独立採算原則とした方が、国鉄経営者がより効果的経営を心がけ、むだな投資や経費の使い方はしないであろう、こういう着想であったと思います。国鉄が国民に対しまして必要かつ基幹的な交通機関としてそのサービスを提供するという役割につきましては、日鉄法ができる前もあるいは後においても今日においてもいささかの変化もあったわけではありません。こういう国鉄基本的性格があったからこそ、昭和二十四年公企体になって以来業務量は三倍にふやしましたし、反面要員国鉄第一次近代化計画以来十五万四千人という合理化削減が実施されたわけであります。そして政府国会国鉄に対しまして、やれ借金新幹線をつくれ、やれ運賃値上げを延期せよなどと命ずることができたと思うのであります。したがって、今日の破局的な国鉄財政をつくり出した元凶は、政治的決定がまず先行する、その結果として出てきたいわゆる政治赤字であるということは疑う余地がないと思います。にもかかわらず、一般会計からの出資金はわずかに六百五十億円であります。これは四十九年度の必要工事経費六千八百億円の一割にしか満たないものであります。  ちなみに参考として申し上げますが、「運輸と経済」という月刊雑誌五月号に角本良平さんという交通評論家国鉄財政問題の論文を掲出しておりますが、その中に各国の国鉄の収支に対する赤字政府補償額が示されております。これはもちろん一九七二年度のもので少し古いのですが、参考となると思い申し上げてみたいと思います。  赤字額は、一九七二年において日本国鉄の場合は三千九百億円で全体の収入の三二%でありましたが、これに対する政府財政援助は三百九十九億円で、赤字額の一〇%にしかすぎなかったわけであります。ところが同年のイギリス国鉄の場合赤字総額は千三十七億円で全体の二〇%を占めておったのですが、これに対する政府援助は八百二十七億円で約八〇%を補助しているのであります。また西ドイツ国鉄の場合には、約六千億円の赤字に対しまして、この六千億円の赤字ドイツ国鉄の場合の五一%に相当するのですが、三千七百億円、約六〇%を政府補助しております。フランス国鉄の場合は、約四千億、六五%の赤字に対して実に政府は一〇〇%近い三千九百億円の補助を行っておるわけであります。  このように政府国会は、高度経済成長政策に基づいて総合交通政策と称しまして、計画性のない国鉄政策を進めまして、これに伴って、われわれ国鉄労働者に対しては、さきに述べましたように膨大な輸送を負担させてきたわけであります。その結果は、急速な近代化設備投資、安全を無視した営利優先政策をとった国鉄当局との間におきまして、常に国鉄安全輸送あるいは運転保安問題、要員合理化をめぐる労働者の配転、業務機関の縮小、廃止などをめぐって鋭く労使は対立したわけでございます。そして、労使関係悪化の最大の原因をつくってきたものと考えるわけでございます。つまり、政治的決定を先行した政府並びに国会において、出資はしない、そして設備投資補助はしない、そして年度の赤字は補てんしない、こういう三ない主義を貫いてきたわけでございますけれども、これが国鉄独立採算制公共企業体の呼び名と引きかえに貫徹されてきたものと私どもは認識しておるわけでございます。  以上述べましたことが、動力車労働組合として、国鉄経営形態公共性企業性及び独立採算制についての一般論としての見解であります。すなわち国鉄財政再建は、今日までの政治赤字国会政府が貫徹していく限りにおいて、それが独立採算制による収支均衡への復帰ということを期待するとすれば、全く実現不可能であると言わざるを得ないのであります。  次に、具体的問題についての意見を申し述べます。  第一は、安全性すなわち第三項の6についてであります。  動労には国鉄動力車乗務員が四万四千四百名おりますが、そのうち機関士運転士は二万七千四百四十七名であります。そして機関助士など五千九百七十四名、合計三万三千四百二十一名がおります。そして、動力車乗務員は、国鉄輸送業務という特殊性からいたしまして、直接乗客の生命なり財産、ひいては自分の生命にかかわる重要な労働を受け持っておるいわゆる基幹職種であります。したがって、国鉄安全輸送に関連する運転保安上の諸設備についてきわめてシビアな要求を持っていることは当然であります。しかるに、さきにも申し述べましたように、国鉄経営実態の上に国鉄当局営利優先政策がとられまして、合理化政策による人員の削減が行われました。その代表的なものは、明治以来百年近い歴史を持つ動力車乗務員の二人乗務制が廃止されまして一人乗務が実施された昭和四十三年以降さらに加えまして線路要員合理化による保守手抜きによって危険線路は増大の一途をたどっております。また老朽車両の増加による欠陥車両の続出なども過密ダイヤの設定と相まって著しく安全性は低下したわけでございます。  いま、われわれが調査した二、三の例について申し述べておきたいと思います。  まずその一つ線路保守の問題であります。特にわが国の鉄道線路は外国には見られないところの水田の間あるいは川のふちあるいは海の沿岸、山谷などの地理的条件と、台風それから梅雨、積雪などの気象条件等から定期修繕見回り監視などによって線路の正常な状態が維持されるのであります。しかるに、最近においては受け持ち線路範囲の延長とか、そして逆に線路保安要員を三分の一に削減いたしまして、一定の経験を必要とする保線作業にもかかわらず、下請の労働者による代行が増加しました。加えてスピードアップと過密ダイヤによって保線作業間合いも少なくなりまして、危険線路東北本線東海道本線などの主要幹線を初め全国的に存在しておるわけであります。この結果、昨年九月二十四日に発生した東北本線の古河駅と野木駅間の貨物列車脱線転覆二重事故を初めといたしまして、ここ数年間におきまして、重大事故は北海道における富良野川鉄橋から機関車が転落した事故あるいは東北の五能線において線路が高波にさらわれまして機関車が海中に水没する事故など、いずれも機関士は即死、行方不明、こういう状態の重大事故が発生しておるわけであります。  次に、第二点として車両安全性についてであります。線路保守問題と同様に、老朽車の酷使、修繕保守合理化による欠陥車両の増加などが目立っていることを申し述べておきたいと思います。  国鉄当局が発表いたしました「国鉄実情を訴える」によりますと、国鉄車両機関車三千九百五十六両、新幹線の電車が千六百八十四両、旅客車が二万六千四百五十八両、貨車に至っては実に十二万八千七百六十二両、約十六万両の車両があるわけですが、この膨大な車両検査作業合理化が着々と進行しております。昭和四十三年以降一万一千三百名、客貨車検査体系近代化で四十四年以降二千七百名、新しい車両検査方式で四十五年度以降二万二千名の削減を実施に移しておるわけであります。この内容は大幅な検査周期の延長をしたりメンテナンスフリーという手抜き修繕でありました。したがって、従来車両保守のための検査修繕に対するわれわれの思想というものは、故障をする前に事前に予防をしていく、こういう方法をとっていたわけでありますが、それ以後、今日においては事後保守方式といいまして、事故発生主義によって修繕をしていく、こういう実態にあるわけであります。この結果、車両故障昭和四十五年の千三十五件から四十六年に至りまして千百八十二件、四十七年に至りまして千三百三十六件と逐次増大しつつあるわけであります。その安全性車両老朽化とともに問われておるわけであります。  第三の問題は、特に最近続発しております列車妨害事件であります。その内容はわれわれの調査によりますと、昨年四月から本年三月までの一年間に六百八十四件ありますが、その内容を検討してみますと、列車、電車に対する爆弾予告が実に三十二件あるわけであります。そしてまくら木、角材などによるところの線路妨害が八件、線路上の置き石によるところの妨害が六十五件、線路、駅舎などに対する爆弾予告が百二十四件、投石、発砲が九件、線路上に異物を放置するなどが二十七件など、主なものであります。特徴的な事件としては、本年の四月十八日に羽越線の村上−間島間におきましての列車妨害は、トンネルを出て鉄橋に差しかかる中間に線路まくら木を針金で縛りつけた状況であります。幸い朝六時ころであり、機関士が発見、停車したため、重大事故にならなかったのでありますが、これらの列車妨害事件に対する捜査活動あるいは予防措置についての官憲当局の対応はきわめて不十分と言わざるを得ない実情にあるわけであります。  次に、要員合理化問題、第三項の7について若干の見解を述べておきます。  要員合理化問題は、昭和三十二年から始まった第一次近代化計画と同時に、国鉄経営者基本政策となりまして、われわれ労働組合とは真っ向から対立したまま今日を迎えていますが、過去の実績から、われわれ動労としての関係のあった問題は、特に先に述べた機関助士廃止など一人乗務の問題と車両検査合理化による人員削減問題でありました。今日まですでに当局は十五万四千名の合理化削減実施済みでありますが、もはや国鉄における動力車職場においては、これ以上労働力削減する合理化の余地は全くないところまで徹底して強行してまいったわけであります。労使真っ向から対立した原因、われわれの主張は、安全性を無視して進めたこと、長時間労働を放置したまま進めたこと、運転労働という職業の性格上、労働者が安易に職場の転向に賛成はできないということであります。しかるに、計画したものはどこまでも強行実施するという労働政策によりまして、労働組合との事前協議を無視したり、また昭和四十六年から四十七年にかけて行われましたかの有名な国鉄マル生運動のように、合理化反対する労働組合組織はつぶす、こういうような経営政策をとり、不当労働行為組織への職制介入などが盛んに行われたことも対立の大きな原因一つであったわけであります。今日においては、なおわれわれの職場においては合理化政策につきまして後遺症が依然として残されております。安全性を問われる一人乗務問題なり欠陥車両危険線路の問題、あるいはマル生運動によるところの告訴、告発事件等の多数の被害などがあるわけであります。こうした状況は依然として国鉄合理化政策がその名のごとくに単なる合理化ではなく、働く者の職場を奪い、その労働強化なり犠牲を一方的に私たち労働者に押しつけるものとして、根強い反対闘争意識を持ち続けているゆえんであるわけであります。この合理化問題に関する限り、簡単に労使関係正常化の機運というものがないということを明らかにしておかなければならないわけであります。  次に、労使関係改善という項がありますので、この点について若干の意見を申し上げておきます。  労使関係正常化とかその改善につきましては、政府三木首相の考え方として、五月三日の長谷川労働大臣答弁にもありました。その基本に置かれるべきことは、労使対等原則でなくてはなりません。しかるに、公共性のある企業と称しまして、憲法二十八条が示すところの労働者労働基本権の最も重要部分であるストライキ権を剥奪してすでに四分の一世紀を過ぎておるわけであります。しかも、その間動力車労働組合の幾つかの要求につきましても、オールマイティーの政府あるいは国鉄当局によって、時には一方的に、強権的に処分が繰り返されてきたわけであります。動力車労働組合国鉄当局処分権によって、その乱発、乱用といいますか、それによりまして、今日において実に解雇、免職二百四十名、停職その他の処分は実に六万数千名に達しているわけであります。こうした労使関係の中で、その正常化なり改善を図るには、国鉄経営者労務政策政府労働行政の転換なくしてその実現を望むことは不可能であります。それは、われわれの切実な幾つかの労働条件改善要求について、当事者能力をだれが持っているのかを明らかにしていただく、またその交渉を平和的に進めるためには労働基本権としてのスト権の全面一律禁止を解き、行政罰からの解放を図らずして労使関係基本的な改善は実現し得ないものと考えるのであります。  最後に、第四項の国鉄助成についての意見を申し上げます。  すでに、冒頭に総論的意見として若干触れましたが、国鉄経営独立採算制をとるとすれば、どこまでの範囲で収支適合かを明らかにせねばなりません。国鉄運賃は、財政法三条と国鉄運賃法の第一条によって、国会で決められます。その決定に当たっての四原則もあります。しかし、いずれにしても抽象的であります。きわめて高度な政治判断でありまして、政府経済政策なり物価政策によっています。したがって、企業労働組合の問題ではないと考えるわけであります。  しかしながら、われわれは常に国鉄運賃値上げについて反対し、時には実力行使をもってその阻止闘争を進めてまいりました。それは政府物価政策不在の中で国鉄運賃値上げに賛成することは、とりもなおさず、この値上げによる物価へのはね返りによって、われわれ自身の生活あるいは実質賃金の低下を生むという、そうした政府政策に対する不満のあらわれであったわけであります。四十九年度の消費者物価上昇率は、三木内閣公約でありました十五%以内となりました。もし国鉄赤字解消のためということを理由にして大幅な運賃値上げを仮に強行していたとしたならば、政府公約はたちまち崩れて、大きな政治問題になったと私どもは考えるわけであります。こうした状況から、政権を担当する自民党なりその政府においては、その公約を辛うじて果たしたということが言えると思うわけであります。言葉をかえて言えば、私たち労働組合反対なり野党の反対によって辛うじて三木内閣は安泰であったと思うのであります。  今年度以降の問題といたしまして、すでに福田副総理は参議院の予算委員会における一昨日の答弁において、明年三月まで国鉄運賃値上げを凍結する態度を明らかにいたしました。しかし、従来の政治方針と同じように今日まで累積した赤字をそのまま放置するとすれば、さきにも申し述べましたように、再びこれは政治赤字を増大するのみでありまして、全く無責任と言わなくてはならないのであります。したがって、われわれは、預けられました項目の最後の項目にあります国鉄基礎的施設に対する助成の問題、さらに地方交通線に対する助成公共割引に対する助成市町村納付金免除等を含めまして、長期債務のたな上げ、それから利子返済政府肩がわりなど、大胆な助成策に転換することが今後の国鉄財政再建策と言えるものであると考えるわけであります。  以上、きわめて項目をしぼった部分的な意見になりましたが、動労立場を中心にいたしました参考人としての意見の陳述を終わることにいたします。(拍手)
  4. 増岡博之

    増岡委員長 ありがとうございました。  次に、富塚参考人にお願いいたします。
  5. 富塚三夫

    富塚参考人 国鉄労働組合書記長富塚です。  私は主に働く国鉄労働者立場から、国鉄経営問題についてどのように見るか、どのように対処すべきかということについて申し上げたいと存じます。  まず第一は、国鉄経営悪化している現状をどのように見るかということであります。  一つは、われわれ国鉄企業赤字が生じたのは、多くの方も言われていますように、戦後独立採算制のもとで産業経済復興に貢献させられてきたことに大きな原因があると思います。加えて、六〇年代の経済の成長を図る中での設備投資、そういう役割りに充てられたことが非常に経営悪化しているものと考えます。本来飛行機あるいは港湾、船舶、道路、自動車関係などは、いずれも国家の財政援助またはその他の援助措置がとられているのでありますが、国鉄に対する助成の措置は、ほとんどと言っていいぐらいとられてきていないのではないかと考えます。また、他の産業では利潤を上げるために拡大事業、すなわち経済規模を広げてその目的を達成してきておりますけれども国鉄の場合には日本国有鉄道法の制約があって、それすらもでき得る状況にありません。また、貨物輸送そのものをとってみましても、本来契約業務的な性格を擁しておりながら、実際には資本の側に隷属させられてきている。この事実は否定できません。他に自動車輸送との競合の問題もありますけれども、抜本的に政策の確立をしないことにはどうにもならないということだと思います。  一方で、再建計画が何回か立てられてまいりましたが、企業の努力は当然合理化施策となって経営者の側は打ち出してまいりました。いま動労側からも言われましたように、大幅な人減らし計画が立てられ、その結果、安全性を阻害するような問題点が数多く出てきているということであります。この合理化施策も、予算人員をあるいは実際の人員を何万人削減せよと政治的に決定をして、全く論理性、実体性を伴わないままに合理化計画を強行する。だけに、結果は労使間の摩擦、内部の摩擦が限りなく起きているということが実態ではなかったでしょうか。  かつて国鉄当局は、再建計画を推進する中で、生産性向上運動を展開しようとしてやりました。それが結果として国労や動労組織破壊攻撃をねらう不当労働行為か誘発をされ、労使関係は完全なる亀裂状態になったことも先生方が御承知だと思います。これか今日の国鉄経営悪化をしている現状についてのわれわれの基本的な見方であります。  次に、他の産業と比較をして人件費が非常に高いということを申されますが、その占める割合と、原因は一体どこにあるのかということについて申し上げてみたいと思います。  資本の有機的な構成の低い企業は、一般にその企業の中で占める人件費の割合が高くなっています。それは諸外国の鉄道の例に比較しても全く同様でありますし、国鉄企業の持つ性格、たとえば安全の確保、サービスの向上を至上命令とすることから言っても当然と言えると思います。  国鉄はちょうちん型要員構成、こういうことを俗に言われています。そして現在では四十五歳以上の職員が大半を占めています。四十歳以上が六〇%を占めています。勢い人件費も高くなるということになっていますが、これは考えていただきたいのは、終戦後に大量に復員をして国鉄に復職をした労働者をたくさん抱えているという現状からできた状態なのであります。だけに、人件費の割合が非常に高いということは、特殊な状況に置かれているということについて理解をしていただきたいと思います。  三番目に、安全確保に関する問題について若干申し上げてみます。国民の輸送需要にこたえるということが何よりも先決だ、至上命令だということの中で、ややもすると安全確保の視点に立つ施策が十分とられないままに需要にこたえるための輸送計画が先行して立てられるという結果が非常に多くあります。結果として、保守作業をする間合いが少ない、あるいは設備投資が十分になされていない、合理化施策によって検修回帰キロが延長されたり、あるいは人手不足によって点検作業も十分になされないという状況が随所に出ているということなんであります。  また、サービスの低下があるじゃないか、よく批判をされます。なぜサービスの低下が起きているのか。考えてみますと、これも人減らし合理化にあることは間違いないと思います。人員削減するために保守作業あるいは案内業務、清掃作業、すべて民間の会社に委託をしています。そして国鉄関連企業体制というものができているんですが、私どもはこの国鉄関連企業のあり方の問題には多くの問題が存在しているように思います。たとえば同じ保守を行う会社にいたしましても、数多い会社が存在をしますから、仕事の奪い合いをしたり、あるいは労働力不足のためにこそくな手段をとるという例がしばしば起こっているということであります。だけに、私どもは委託会社、外注会社の一元化方式を検討したらどうかということも再三当局側に要求をして申し上げているところであります。  以上の状況を踏まえて、新しい国鉄再建への課題ということについて申し上げてみたいと思います。  まず一つは、経営の民主化を図るべきである。すなわち国鉄内部の実情をもっと国民の各位に理解をしてもらう方法を考えなければいけないんじゃないか、それには監査委員会、または新たに経営委員会を設置をして、国民の代表あるいは国鉄を利用する者の代表を参加させる中で、具体的にガラス張りの経営をするという状況の中で国民各位に知ってもらう、理解をしてもらうということを考えるべきじゃないだろうか。国鉄当局のPRは全く不十分だし不足していると思います。そして国鉄経営は全く独善的です。だけに、たとえばダイヤの編成、経営内部事情も専門化して、国民に納得してもらえるようなことが非常に少ないのであります。けさのある新聞に出ていましたけれども、特急列車が急行列車より遅いといったところのダイヤの作成の問題なども、どんなに言いわけをしてみても現実に独善的なやり方ということについてもっと反省をして、国民の側、利用者の側に立つそういったダイヤの作成にかかっていくべきじゃないかというふうに思います。  目下、国鉄内に設置されております国鉄経営計画推進委員会、あるいは運輸省内に設置されています国鉄財政再建問題検討委員会、あるいは本日開会されております国会内に設置されている国鉄問題小委員会等と、国鉄経営機構が効果的に結びついて有効な方向を出していただきたいと思うし、そのことに注目を払いたいというふうに思います。  三つ目の問題は、学閥制度を再検討して人事登用のあり方について考慮を払うべきであろうと思います。すなわち有能な人材を適材適所に配置登用するという仕組みに変えていかなければならないのではないかというふうに思います。学閥制度問題について組合側も多くの問題点を指摘しています。あるいは過日の参考人の陳述の中にも問題点が指摘されておりますが、われわれは基本的に有能な人材を適材適所に登用すると、このような仕組みに変えていくことを強く求めたいと考えます。  四番目には、今日までの赤字及び債務は以上の経過をたどっている状況の中では、すべて国が肩がわりするようにすべきであると考えます。  次に、運賃問題についてでありますが、私ども二つ部分から再検討すべきであると考えています。その一つは、現在の社会、経済情勢に適応した運賃であるかどうかということが一つです。二つ目には、運賃制度そのものについての検討ということの立場で検討を加えるべきだと思います。総じて適正運賃のあり方について検討を加えることには賛成であります。  運賃問題の検討は、企業の収益採算も重要ですが、それだけでも問題があることは周知のとおりであります。いわゆる国家の財政、金融政策との関連において国民との、あるいは労働者とのコンセンサスが得られるように対処すべきではないでしょうか。その意味でも国鉄の事情をもっと国民諸階層に十分知っていただく、理解をしていただくということが必要だというふうに考えます。  また、基本的には独立採算性について再検討をすべきであり、市町村納付金は国が肩がわりを行い、公共割引に対しては助成措置を講ずるべきであるというふうに思います。そして政府国鉄企業出資または助成する措置のルールを確立をしていただきたい。これがなければ国鉄の健全な経営は成り立たないだろうと考えます。  国鉄経営企業性をとるか公共性をとるかということの問題の議論がたび多く出てきます。私ども企業性をとるか公共性をとるかということについて国民的な視点から考えてみるならば、両者を一致させることは矛盾するものじゃない。企業性、そして公共性を一致させるということはでき得る課題だと考えます。  仮に公共性を考えるならば、通勤輸送、中距離輸送、安全、正確、迅速という国鉄の持つ使命の課題を追求することは当然ですし、それは国が金を補助をすべきだというふうに考えます。また新線開業あるいは新規車両購入等についても政府出資を行うというのは当然ではないでしょうか。反対企業性を追求するという場合には、むだな管理機構や輸送計画、あるいは私どもが常に指摘をしておるのでありますが、鉄道公安官などは警察が肩がわりをし、政府が肩がわりをする性格のものであると考えるのです。あるいは交代勤務でやや三倍の労力を費やしている夜行列車の運転などはやめてもいいんじゃないか。いわゆる青森を夕方に出て上野に朝着いて、次の日働きやすいような状況をつくるような列車の運転などは、意味がないんじゃないか。博多までは新幹線は日中に運転をしている。つまり乗客、国民にわかってもらうためにはそのぐらいの企業性の追求があってもいいんじゃないかと考えるわけです。  次に、要員問題について申し上げますと、動労側からも言われましたように、平均年齢が非常に高齢化している、老齢化しているという現状について、どのように転換を図るべきかということについて真剣に考えていくべきだと思います。  たとえば高校卒新採者が激減をする、つまり労働力人口の推移について見ますと、あと三年後ほとんどの家庭が高校から大学に入学をさせるという状況では、高卒の就労人口は激減をする傾向をたどるだろうと言われています。だとすると、魅力のない国鉄職場に入ってくる高卒の労働者はいなくなってしまう、少なくなってしまうという状況について、高齢化している現状の労働者と、それをどうつないで国鉄経営の完全な維持、発展を図るかという兼ね合いについて真剣に検討されるべきではないでしょうか。  ドライバーの平均は四十歳を超しています。また新幹線博多開業によって、トンネルが多いために職業病の続出傾向が生まれてきています。そして汚染職及び労務職、これは私も昨年世界の鉄道労働組合のセミナーに出席をして感じたことなんですが、世界各国共通して労務職が不足している、汚染職が不足していることは事実ですが、こういった実態にどう対応するかということについて考えていただきたいと思います。  国鉄労働者は働かないでサボタージュばかりやって、ストライキばかりやっているじゃないか、こういう批判がよく言われます。私ども国鉄労働者は一生懸命に働いていると思っています。惣田委員長は諸外国の例のいわゆる生産性を上げている指数について申されましたが、私は職場実態について簡単に申し上げたいと思います。  国鉄職場は全く魅力がない職場だ、汚い職場だ、そして長時間の労働だ、危険な仕事をしている、このような状況で、給料袋の問題もいずれ先生方に生の給料袋をお配りをして、お見せをして理解をいただきたいというふうに思いますが、全く安い低賃金の状況に置かれています。仮に徹夜勤務、われわれは一交代勤務と申しておりますが、早番、遅番、たとえば早い時間に寝て、夜中に起きて働くなんというそんな仕事はもうばかくさくてできないというのがいまの若い青年労働者の気持ちです。人の前で便所掃除なんかやれるかい、ほうきなんか持って立てるかいといったのが高校を卒業して国鉄に就職された人の偽らざる気持ちです。有楽町の駅でも、新橋でも新宿でも、渋谷でも池袋でもそうですが、駅長室がどこにあるかわからない、職員が休んでいる部屋がどこにあるかわからない。行ってみると、一番奥の薄暗い片すみのところに汚い畳を敷いて、そして万年床にしている状況の中で実は睡眠、仮眠をとっているんです。日の当たるよいところはほとんどデパートに貸す、あるいは他の企業に貸すということをやって、まさに劣悪な条件の中に、環境の中に生活しているという鉄道労働者実態について十分理解をしていただきたいというふうに思います。これは私どもがやはりPRが足りないという点も反省をいたしますが、国鉄当局の側も、何かこれを部外に明らかにすることは恥をさらすことだなどと思わないで、大胆に問題点は国民諸階層に見ていただく、わかっていただくというふうなPRの措置をとるべきではないでしょうか、そのように考えています。  次に、公害問題について若干申し上げますと、騒音や振動問題についてもっと積極的対策を講ずべきだと思います。国民諸階層の注目は、かなり公害問題に目を向いてきています。たとえば新幹線の場合には百六十キロの最高速度で運転をするとそう問題はないんじゃないか。あるいは市街地に入る場合には運転速度を百十キロに各列車総じて落とすことになれば、金を使わずにも騒音問題、振動問題の公害が解決できるんじゃないかというふうに思うのであります。その意味で、もっと真剣に公害問題に積極的に取り組んでいただきたいというふうに思います。  最後に、労使関係改善の問題について意見を申し上げたいというふうに思います。  積極的に労使関係改善を図るように努力をしていただきたい、すべきだというふうに思います。  私もきのう閣僚協専門委員会懇談会に国労を初めとする公労協の立場について見解を表明いたしましたが、いま昨年の七四年春闘の際の政府側との合意に基づきまして、閣僚協を設置をして、また専門委員会を設置をしてことしの秋までにいわゆる第三次公制審の答申に基づく経営者側の当事者能力労働者側のストライキ権、争議権の回復の問題について検討をして結論を出すことになっています。先ほど惣田さんも言われましたように、かつて国鉄当局生産性向上運動ということによって合理化反対しない組合をつくる、あるいはストライキを行わない組合をつくるということなど、これはある意味では経営者の考える当然の筋かもしれませんが、しかし現実に労働者労働組合の協力なくして再建計画ができると思ったところに大きな錯覚があるのではないでしょうか。私どもは一刻も早くストライキ権の回復を図り、同時に国鉄当局側に当事者能力の回復を認めていただいて、お互いに立場を尊重し合う、お互いに社会的責任の自覚の上に近代的な労使関係の確立を図っていくことが急務だと思います。その意味で国鉄労働組合も懸命な努力を続けている所存です。マル生運動、かつての生産性運動のように錯覚的な労務政策をとるということではなくて、経営問題については労働者労働組合の協力のもとで進められるように、その配置を十分していただきたいというふうに思います。  限られた時間でありますので、十分申し上げることはできませんが、ぜひ諸先生方にも努力をしていただいて、新しい国鉄の再建のために努力をしていただきたい。われわれ労働組合も以上の立場で申し上げた角度から最大の努力をするつもりであります。  以上で終わります。(拍手)
  6. 増岡博之

    増岡委員長 ありがとうございました。  次に坂東参考人にお願いいたします。
  7. 坂東正一

    坂東参考人 鉄労の組合長坂東でございます。  冒頭国鉄経営の悪化の原因等について私どもの考え方を申し上げたいと思います。  御承知のように、戦後の復興期からいろいろと産業の発展のためにという口実で国鉄が強いられてきた犠牲というのは、前段の参考人の表現の中にもございましたように、われわれが共通に認識しておることでありますが、特に重要だと思います点は、確かに政府の対応というものに不十分なものが多いと思いますが、それにも増して国鉄経営者側のいわば勇気のない行動が多くの原因を導き出している、このように思います。特に昭和三十年代から進められてまいりました何回かの長期計画あるいは財政確立に関する施策というものについて、それは結果を見て議論をするという意味ではなくて、現実に長期計画として国鉄経営を容易にするというような裏打ちのあったものではなかったのではないか。率直に申し上げると、その場限りの、当面一、二年何とか城がもてばいいということに終始してきた国鉄経営者、またその背景にある政府当局の考え方が強く影響したのではないかというのが私どもの第一の理解であります。  特に昭和四十三年までは運賃値上げ、それに伴う合理化という形で何とか経営の数字を調整するという努力が続けられてまいりましたけれども、結局そういった小手先の細工ではものが回らない、どうにも解決しないということに落ちついてまいりました。昭和四十三年の予算決定した段階から御承知の国鉄財政再建計画という取り組みが始まったわけでありますが、それまでぬるま湯につかったような方針をとってきた国鉄にしては、この脱皮はかなり英断だとわれわれも当初受けとめました。残念ながら、財政再建計画の策定の段階でそれまではひた隠しに隠してきた内容をそれぞれ関係をする政府あるいは学識経験者等に手のうちを明らかにしたことは事実でありますけれども、それを長期再建計画として組み立てる段階で余りにもその手法に無理がありまして、率直に申し上げて、十ヵ年計画の終末に黒字になることを表現するために大変な苦心の労作が行われたと受けとめておるわけであります。結果として現実性のない、きわめて空虚な再建計画を国会の審議にゆだね、内外に明らかにしてきたと受けとめておるわけであります。  特に私がこの問題について冒頭に強調いたしたいと思いますことは、現在の労使関係を形づくっておる、民間を含めてその企業が健全にしかも民主的に進められておるところでは、労使の協議という問題がその企業なり産業の将来の展望を明らかにする段階で真剣に行われ、労働者意見を大きく取り入れた財政再建の計画でなければ今日的な情勢の中で本当の意味の再建というものは困難なのではないか、このように考えておるわけでありますが、先ほど申し上げました三十年代からの国鉄における諸計画というのは単に経営の側の一方的な発想を、背景にあります運輸その他の関係省庁との間の調整、さらには国会における政府側案としての提出、可決という形でこなされてきたとわれわれは受けとめておるわけであります。  一例を申し上げますならば、財政再建計画それ自体の根底となるべき収入の面ではとうてい到達でき得ないと思われる数字が十ヵ年計上され、支出の面ではとうていそれでは困難だと思う緊縮した計画が発表されたというのが内容でありまして、国鉄財政再建計画は昭和四十四年度を初年度として五十三年度を終年度とする十ヵ年計画でありましたが、計画の第一年度から大きな蹉跌を来し、二年度にはもはや収拾の方法がなかったということはすでに先生方御承知のとおりであります。  私どもは、国鉄経営上の問題を、後ほど申し上げる政府の施策の点についてかなり詳細に言わせていただきたいと思いますが、基本的な立場としてはそれ以前に日本国有鉄道を代表する経営の側の姿勢、経営の側の労使関係に対する認識、こういった問題について十分な理解と今後の反省がなければ国鉄のいわゆる新しい出発ということについて自信のある答えは出されないのではないか、このように考えておるわけでありまして、労使協議制度という問題、この問題について格段の御理解と今後の御配慮をいただきたいものだと考えておるところであります。  そのことを前提といたしまして鉄道労働組合は、過去における国鉄経営上の困難性に関しまして、その持つ労働組合としての基本的な主張といたしまして、従来からの国鉄に対する政府の関与並びに財政を確立するための諸施策ということについて、すでに第一次の国鉄再建に関する意見書というものを昭和四十四年十月に策定をいたしまして、日本国有鉄道並びに当時国会に在籍された諸先生にその考え方を提示してまいったところであります。昭和四十四年の段階で私どもが再建について考えました内容を現在の段階で照らし合わせて見てみますと、基礎的な数字に、いわば日本の高度成長という時代を迎えましたために、数字的な面でかなり懸隔が出てまいっておりますが、基本的な主張点としてこうあるべきだと指摘をし、その改善を求めた問題は現状においても大きな変化がない、このように思います。基本的に私どもが当時、四十四年に再建の方策として打ち出した問題の一つは、過去の債務のたな上げ、肩がわりということが一つであります。これは先ほど来二名の参考人の言明の中にもございましたように、国鉄に背負わされてきた因果とも言えるような厳しい制約、重荷というものに対する、いわば具体的解決の方策だというふうに考えたわけであります。国鉄に対する財政的な援助、財政的な出資、こういった面についての過去の冷酷な取り扱いに対する私どもの回答であったわけであります。  率直に申し上げまして、国鉄に対する日本の国の求めてきた多くの要求というのは、一言で申し上げると、残酷という名に値するものであったというふうに考えておるわけであります。日本の国の産業発展のために、太平洋ベルト地帯を中心とする急速な日本の工業化へのその大きな支えとして、国鉄に依存されてきた大都市の通勤通学輸送なり、都市間の乗客の大量輸送なり、あるいはまた大量の長距離貨物輸送なりといったもの、それを可能にせしめるための大変な要求というのが日本国有鉄道に対して行われたことは事実であります。  御承知のとおりでありますが、東京を中心とする国電区間の列車の運転状況というのは、国鉄あるいは鉄道に従事する世界各国の人々がこれを見て、まさに奇術的だと言われ、どうすればそれほどの過密のダイヤが運行できるのかと、むしろ不思議な感じを持ったというほどの極端なものであります。ものすごい輸送需要に対して、国鉄に課せられたこれらの極端な過密ダイヤというもの、あるいはまた過密地帯ができ上がるに伴って生まれてまいります過疎地帯に対する対策。ほとんど毎日の乗客を扱うこともないような地域でも、駅をそこに残し職員をそこに配置するということについて、その当該地方においては、失礼な言い方でございますが、自民党から共産党に至るまでの超党派で、とにかく無人駅反対、貨物の集約反対、ずいぶんと熱心に、まさにむしろ旗を立てんばかりの勢いで追及をされてきた歴史は数多いわけであります。日本国有鉄道に一体どうしろと言うのかと言いたくなるようなことを日本の国は求めてきたわけでありますから、そうしておいて、その必要によって生まれたところの国鉄の投資を、すべてその元利を償還して、それを国鉄職員の体で払えと要求してきたのが日本の国の政治のあり方であったのではないか、このように考えるわけでありまして、われわれ、やはり日本国民の一人として働く職場国鉄に持った以上、その重要性、公益性については十分に理解するものでありますが、その膨大なる国家的要請の投資を国鉄労働者の体で払えという行き方に対しては、断じて容認できないところであります。したがいまして、そういった基本的な理解のもとに、過去のいわゆる債務というものについては当然国において肩がわりをすべきである。では、肩がわりをされた後の現在以降の問題についてはどうするのかという点について、当時すでに私どもは、競争条件の整備、公平化、さらには適切な範囲での事業範囲の拡大、運賃政策の面に見る公共負担のいわば可能最大限の解消、ローカル線対策、新線建設と鉄道建設公団によって行われる無軌道とも思える建設計画の廃止、日本国有鉄道責任においての新線の建設、こういった形のものを提案してまいったわけであります。このことは現在の状態におきましてもおおむね適合する問題でございます。その他に、地方におきますいろいろな問題、地方公共団体に対する税金の納入等の問題を含めまして、日本国有鉄道としては財政的に多くの困難に立ち至っておるわけでありますが、これらを総じて申し上げますならば、国の国鉄に対する関与のあり方というものについて責任を持った対策を立ててほしいものだというのが基本的な要望になるわけであります。結局、ここまで国鉄日本の国のために必要としたのでありますから、これから国鉄をしてさらに国民の国鉄として効果ある機能を果たさしめるためには、強力なる政府のリーダーシップを必要とする。その方向は、前段申し上げましたように、国鉄をして生きていける、国鉄をして働きがいのある職場にしてほしいという強い要望であります。  新幹線の膨大な建設計画も、発表されてすでに日を経過しておるわけでありますが、いたずらに、東海道新幹線における国鉄の血の出るようなその保守と人身災害をつくらない安全輸送ということに支えられて、世界一を誇るこの新幹線の成功、さらには博多開業の成功、国鉄労使を挙げて血みどろになって安全性を確保してまいりましたこの成功に、いわばおっかぶせまして、日本の国を縦横に結ぶ新幹線計画というものも言われておるわけでありますが、新幹線計画に対する将来の展望、現在いまだ開発されていない地域における新線建設に対しても、もう少しまじめに、という言葉が言い過ぎますと、慎重に、かつ効果的に方向づけをお願いをいたしたいし、取り組みを進めてほしいものだ。そういったことなくして国鉄に対する再建の問題を論議をされましても、国鉄に働く労働者の一人としては迷惑でございまして、その点を十分に御理解をいただきたいと思います。  私どもは欧米の鉄道の例を見てみましても、日本の固有の国土の状況国鉄における在来からの技術陣の研さんによるところの優秀な技術、能力というものを勘案いたしまして、日本における交通網の将来に向かってもなおかつ国鉄の健在であることの必要を痛感しておるものでございますので、そういった観点から、国鉄に対する対策というものについて一段の配慮をお願いをしたいと思います。  具体的な数字を挙げて財政問題を論議したいとは考えておりませんが、いま申し上げた、国鉄におんぶして日本の国は戦後のいわば産業復興の時代を順調に進めてきたということは私は言い過ぎではないと考えておりますので、世界の風潮から見るいわゆるモータリゼーションの影響、自動車の普及、こういった問題との関連から、改めて総合交通体系というものについて真剣な討議が必要となってくるのではないかと思われます。  いずれにしても、国際的に資源の問題に制約を感じる時代に入ったわけでございますから、省資源型の交通機関としての国鉄の今後の使命と負うべき任務はより重大なものがあると考えております。そういった点について十分なる検討を先生方の努力によって進められ、さらに、よりよい結論を出していただきたいことをこの機会にお願いをしておきたいと思います。  次に、冒頭申し上げました労働者意見をくんで労使協議の成果を上げるべきだという点について、今後の国鉄経営の前進のためにさらにこの点について一言申し上げておきたいと思います。  経営参加という言葉がよく用いられまして、多くの方々の間でその概念というものはすでに理解をされておるものと思いますが、少なくとも今日以降この四十数万という巨大なマンモスの企業、しかもそこに働く労働者はすでに労働組合にそれぞれ組織をされまして強い発言権と提言する能力を持っておるわけでありますが、それを頭から認めず、団体交渉は労使労働条件を整えるために必要であるけれども経営のあり方は経営者の方寸にあるという独善的な行き方というものは、もうこの辺で店じまいにしてはどうか。失礼な言い方でありますが、冒頭申し上げたように、幾たびか策定した国鉄当局とそれに関連する方々の手による施策はいずれも数年を経ずして崩壊をしたという事実をお考えになるとき、経営サイドにおける発想だけでこれからの重要な時代の国鉄経営というものを事実上運営することは困難である。そこで労使協議制度というものについて前向きな取り組みが必要なのではないか。  ここで問題になることがあります。それは労使協議制度ということについて若干私どものような立場でない立場で理解をしておる労働組合の集団がいるということであります。しかし、労働組合の側が労使協議制度ということに仮にいろいろな従来の経緯から難色を示しておるとしても、経営参加という問題について疑問を持っておるとしても、経営の側のリーダーシップとしては労働組合経営参加と労使協議制度への積極的な参加という形、関与という形を進めていくべき任務が経営の側にあるのではないか。しょせん労働組合の協力なくしては、今日以降の日本国有鉄道の健全な発展と、国民に迷惑をかけない前進ということはあり得ないわけでありますから、労使協議制について、格段の理解を賜りたいものだと思います。  特に、私どもは前二者と異なりまして、生産性向上に関する基本的な理解というものを異にしておるものであります。したがいまして、生産性の向上を強く進めるべきだとする鉄道労働組合立場と、生産性の向上というものに対して、従来の経過からそれを疑問視あるいは反対をする労働組合集団が存在をいたしますが、洋の東西を問わず、その国の体制の差を問わず、生産性の向上に努力するということは当然のことでありまして、生産性の向上に努力をしない企業などというものは民間であればそれは当然倒産、崩壊すべきものであり、公共事業等にあってはそれは国民の迷惑をいわば倍加することになろうと考えます。  そういった意味で、日本の高度の経済成長がいわば民間を中心とする生産性向上の成果によって支えられてきたという事実、そのことにわれわれはやはり着目しなければなりません。したがって、今後とも生産性の向上ということに対しては日本国有鉄道は積極的に取り組むべきでありまして、過去における生産性教育の失敗、特に指摘がございましたように、行き過ぎた部分が指摘をされて不当労働行為救済命令等の事件が起きたことは事実であります。それは不当労働行為という事件を起こした部分について論議すべき問題であり、生産性の向上をあくまでも推進するということは日本国有鉄道にとって当然の責務であると考えます。しかるに生産性教育のいわば途中における事故のためにそれを中止する。国会においては、これは国鉄の新しい経営理念でありますから、起きた不幸な事態に対する対策と、この経営理念の遂行とは別個の問題ですと当時の責任者は明言しながら、竜頭蛇尾に終わりまして、まさにこれを挫折せしめて日本の産業界全体から物笑いになっておるという事実について、私は強く反省すべきだと思います。  同時にまた、こういった生産性教育に対する反動とも言うべく、労働組合の中には減産闘争などという指令を職場に流し、生産性を低め、労働者個々人の理解と個々人の認識とによって生産性を減ずるために、それを労働者の抵抗闘争として持続的、長期的にやれなどということを指導している向きもあるやに聞いております。これまた言語道断な行為でありまして、あくまで労働者生産性を高める中からそこに労働者の適切なる配分を求めていくべき立場に立つというのが今日先進諸国における労働組合の一般的あり方でありますことを、この機会に若干指摘をさせていただきまして、経営の側の反省と労働組合他集団の建設的なる取り組みを期待をしてやまないところであります。  ちょっと話が横道にそれた感じがありますが、特にこの点申し上げておきたいと思います。  いま日本国有鉄道に対する国民全体の間の指摘と期待は、特に生産性教育の挫折以降に関連いたしまして、経営者なり管理者が経営者らしく管理者らしくない体質が多くにじみ出ている。それにはそれだけの経緯があったものということを否定はしません。しかし経営者が経営者らしく、労働組合労働組合らしく取り組んでいくところに私は労使関係の正しい発展があると思うわけであります。あるときにはいたけだかになって労働組合に対して強く物事を押しつけてくるというような姿勢をとるかと思えば、あるときには、今度は労働組合に突き上げられると一目散に逃亡をするというようなそういった不見識なことでは、とてもこの巨大企業が将来にわたって二十一世紀の交通網の期待にこたえることはできないと私どもは考えるわけであります。安全な運行の確保の問題にしても、あるいはサービスの向上の問題にしても、その他多く求められております参考人に対する質問要旨について、私は究極、経営が毅然たる姿勢をもって、国民のための国鉄というものに対して改めて眼を開いて取り組んでほしいということであります。  私ども鉄道労働組合は、従来も再建に関しましてその持論のもとに及ばずながら努力をしてまいったつもりであります。今後もまた日本国鉄が国民に愛され、さらには日本の国の将来の発展に依然として重要な役割りを果たしていくことを心から期待しておるわけでありまして、本委員会が積極的にその方向について御尽力あられんことを期待をするものであります。  最後に、労使関係の問題に関連をいたしまして、スト権の問題がいま閣僚協議会専門委員会において、われわれの陳述を含めて取り扱われておりますが、国鉄労使関係を律するに重要な影響を持つスト権の問題については、国鉄労働者スト権を与えるという基本的方向をぜひ貫いてほしいと思います。巷間国鉄に対するスト権を与えることは、いまでもずいぶん大変なのに、これ以上スト権を与えるとどうなるかなどということを言う向きがあります。そういった声が世間の中に相当存在することを私どもは否定はしません。しかし昭和二十四年以来実に二十六、七年にわたって国鉄労働者に頭ごなしにスト権を制約してきて、それを法を越えて、あえて違法行為をするものと、法を守るべきだとして取り組んできたものとに分かれて労働組合組織されておりますが、そのいずれの立場から見ても、いわば他の公共企業体における例と勘案いたし、諸外国の例も多く見聞するにつけ、国鉄労働者に対するスト権の一方的制限は妥当なものではない。少なくとも制定の段階における国内情勢というものには一つの根拠があったかと考えられますが、今日の時代になおかつスト権問題について頑迷な態度をとられるとするならば、それは日本の国の将来を誤るものであるというふうに考えます。  どうか先生方におかれましては、国鉄問題の終局の大きなポイントとなる国鉄労働者に対するスト権の与える方向について、スト権を認める方向についてぜひ御配慮あらんことを特に最後に希望いたしまして、非常に大まかな表現になったかと思いますが、鉄道労働組合意見の陳述を終わりたいと思います。(拍手)
  8. 増岡博之

    増岡委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 増岡博之

    増岡委員長 これより質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。加藤六月君。
  10. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 参考人三人の方々は国鉄のそれぞれの労働組合の中枢として組合員の立場国鉄立場から日夜がんばっていただき、またただいまは非常に有益な御意見を陳述いただきまして、われわれ深く考えさせられるところ、また反省させられるところ等ありまして、まずもって厚く御礼申し上げます。  質問時間が非常に短いわけでございますので、三参考人にはお聞きしたいことが山ほど、二、三時間時間をいただいてでも十分お聞きいたしたいという気持ちでいっぱいでございますが、制約、制限がございますので、余り多くお聞きすることができないのを残念に思います。  まず個別にお伺いいたしたいと思いますが、惣田参考人からいろいろ御意見の陳述がございました。その中で私二、三ぜひお聞きしておかなければならないと思ったことがございます。それは理論や意見ではございません、お聞きするわけですが、国鉄全体に対する人件費の見方、とり方の問題でございます。五〇%という数字等をお述べになりました。これはもちろんわれわれが見る見方と惣田参考人の見られる見方とは違うと思いますけれども、われわれが見る場合には損益計算書というものと貸借対照表というもので見なくてはなりません。これはもう世界全部の常識でございます。社会主義国家においても同じ方式がとられておるわけであります。その中における人件費の占める割合というものはどういう見方をするかという見方の相違でございますが、私たちがいろいろ勉強し、いままで見てきておる内容から言いまして、貸借対照表、損益計算書、この割合から言いますと、たとえば惣田参考人が、生産性国鉄労働者がよく働いておられるという資料で、七五年の、ことしの国鉄PR版の内容を前段ではずいぶんお触れになりましたが、同じその七五年版の中の百二十三ページに貸借対照表、損益計算書等ございます。この中に出てきておる数字というものはこれは現実の事実でございます。これを見ていただきましても、また私たちのところにあるいろいろな数字からも見ていただきましても、営業経費と営業収入という見方あるいはまた貸借対照表におけるいろいろな見方等あるわけでございますけれども、この全体の見方の中で国の助成やあるいは工事費あるいは先ほど来御指摘になりましたいろいろな利子関係、こういうもの全部を入れた見方でいく人件費のパーセンテージの出し方というものと、営業収入全体に対する人件費の見方ということでございます。  私たちが一番問題にしなくてはならないのは、旅客、貨物、雑収入というすべての収入というものと国鉄人件費の割合であります。いま一番問題になりましたのは、これは昨年来いろいろ問題になったんですけれども、一部の意見としてランニングコスト論が出てきました。私はこのランニングコスト論を実はつぶすのに一生懸命になった一人でございますけれども、ランニングコスト論が出てきた遠い原因というものは、インフレ部分は全部国でやったらどうだ、そうしてそのあとは、レールと車両を含む問題は運輸収入の中からやり、人件費運輸収入の中から賄ってもらうというランニングコスト論というのが出てきたわけであります。したがって、人件費の見方というのは非常にむずかしい。この見方について五〇%とおっしゃった点についてもう少し詳しく、どういう根拠でそういうようにごらんになったかということをお教えいただきたい、これが一点でございます。  第二点は、三ない主義をおっしゃいました。私たちは前回の再建計画をつくりまして、これがいみじくも失敗した、二回にわたる計画の失敗というのも冷静に判断し、その失敗の要因が何と何であるかという問題、あるいは新しい助成制度はどうあるべきか。イギリス、フランス、ドイツあるいはアメリカその他の国々のそういう鉄道というものの全交通機関に占めるシェアとかあるいは運賃決定方式とか助成方式、日本は、おっしゃったように、七・二%の助成である、総鉄道収入に対して。それがイギリス、フランス、イタリア、それぞれある国は二二%、ある国は五五%、ある国は一三%という比率等も実は出して検討その他をいたしておるわけですが、三ない主義をおっしゃったんですが、昭和四十八年二月二日の閣議了解事項というものを動労として検討されたことがおありかどうかということを第二番目として承りたいと思うのです。御存じのように、昭和四十八年二月二日の閣議了解事項の中には、総工事費十兆五千億円を決め、国鉄政府出資一兆五千億を決めあるいはその工事費に伴うものとして三%まで助成をしようといった内容も含みまして、いろいろな助成政策というものをやったわけであります。三ない主義とおっしゃいましたが、動労としてこういった閣議了解というようなものを組合内部では検討あるいは何をされておるのか、おらないのかということについて承りたい、こう思うわけであります。  それから三番目は、いわゆるここ数年大企業の社会的責任ということが強くうたわれてきております。しかしその反面、大企業の中で働く大労働組合の社会的責任という問題も非常に強く言われてきております。そこで国鉄を四十三万の日本一のマンモス大企業と、これはいろいろ見方がありますが、考える場合における大労働組合である動労の社会的責任という問題について、どのようにお考えになっておるか、まずこの三点につきまして簡単に御質問申し上げる次第でございます。
  11. 惣田清一

    惣田参考人 いま加藤先生から御質問のありました国鉄全体に対する人件費の見方として、損益計算書によるところの営業収入あるいはまた営業経費の中に占める人件費の割合は八千六百十八億円でございまして、これが、この見方は、その見方として当然あります。私が例証したのは昨年度の実行予算における問題であります。それと、この資料は、いまスト権問題をめぐって行われておる閣僚協専門委員会運輸省から提出をされました説明資料に記載のものでありまして、しかも海外比較資料としてとったデータでございます。したがって、先ほども意見として申し上げました西ドイツ、フランス、イギリスの国鉄との比較上からもこの資料を使わないと比較にならない、こういうことでとった資料でございますので、そういうぐあいに御理解をいただきたいと思います。  それから四十八年二月二日の閣議了解事項について私どもはある程度関知しておるわけですが、組合として公営の問題についてどういうぐあいに理解をし、あるいは組合の一つの方針としてどう対応していくかということについて正式な議論はしてないわけでございます。  それから、いわゆる大企業の社会的責任と、日本の場合は企業労働組合ですが、国鉄の場合幾つかの組合がございます。われわれ組合の社会的責任は、どの組合にも負けないくらい大変責任を感じておるわけでございます。動労といいましても、国鉄四十三万のうちわずかに四万七千の非常に小さな組合でございまして、ただ大部分労働者が直接国鉄輸送を担当している。つまり機関士運転士が四万七千名の組合員の中で大多数である。したがって、国鉄労働組合さんとよく一緒にいろいろな問題について共通したことについては共同闘争を展開しますけれども、こういう場合にどうしてもその受け持っておる職務の内容からして、国民の足を直接奪うというそういうストライキなり、先ほど鉄道労働組合からいろいろと減産闘争云々という言葉が出ましたけれども、そういう影響が非常に尾を引く。それだけに私たちは自分たちが要求した諸問題についてかなり粘り強く、事前交渉を何回か、あるいは長期的に積み上げて、たとえば国鉄に対する安全性の問題が昨年やはり秋に問題になりましたけれども、この問題は二年、三年前の問題ではなくして、ここ十年来労使の間で何回かやりとりがなされた問題である。ですから、われわれはその社会的責任においてむやみやたらに実力行使なりストライキに訴えるものではありません。また、可能な限り平和的団体交渉によって解決をするというのが、われわれの主義主張でもあるわけです。しかしながら、やはり職務の性質上、毎日毎日が自分の命をかけている仕事でございますから、あまりこれを時間をかけてゆっくりやるというわけにもいきませんし、一年に何回か重大な事故でわれわれの仲間が死んでいく。あるいは最近においては警察権力が直接事故現場から組合員を逮捕する、そういうようなことが非常に多うございまして、そのたびに労使関係の紛争が激化して闘争が多いということもあるわけでございます。しかしながら、われわれとしては組合の立場においても動労として重大な社会的責任は常に考えておるわけでございます。
  12. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 次に富塚参考人にお伺いいたしたいと思います。  国鉄一家とかあるいは国鉄の組合員は親方日の丸主義だとよく言われます。もちろん国鉄一家主義というのは消えてしまいました。私はいい意味での国鉄一家主義というのがなぜ消えたかというせんさくをいま一生懸命検討いたしておりますが、逆に最近は親方日の丸主義国鉄労使であるという世論というのは非常に強いわけでありますが、これは抽象的な言い方でございますが、先般ある参考人に来ていただきまして意見を承った中に、国の助成を強くすればするほど国鉄労使ともに親方日の丸主義になるという意見の開陳があったわけでございますが、国鉄職員特に国労の皆さん方の中に、私たちは夢にも親方日の丸主義的な考えはないと思いますけれども、具体的に困ったら国が助成しろ、国が応援しろという問題はいつも起こってくるわけですが、私たちは国鉄の旅客、貨物におけるシェア並びに総合交通体系における地位、そういう問題等議論しながら、一億一千万の国民全体から国鉄助成をしてもらうのか、あるいは旅客あるいは貨物、こういう利用者からしてもらうのかという、その割合が非常にむずかしくて、先ほどちょっと申し上げましたように諸外国の例その他も、運賃収入全体に占める割合は西ドイツが幾ら、フランスが幾ら、いろいろ問題やっておるわけですが、その親方日の丸主義と国の助成との関係をどうお考えになるのかというのが一点でございます。  その次は運賃決定方式です。運賃決定方式をいまのままの財政法三条、国鉄運賃法、そういう問題で国会で議論してやる方法がいいか、あるいは別の運賃決定方式のいいお考えをお持ちかどうかということが第二点です。  第三番目は、第一番目の御質問申し上げた親方日の丸主義、国の助成の問題に若干絡むわけですけれども、総合交通の全体の要素から見ますと、大都市におけるたとえば通勤通学、都民あるいは国民の足を確保する場合には国鉄だけに助成するのはおかしいじゃないか、それ以外の私鉄とかあるいはバスとかいうようなものに同じような立場助成しなくてはならない、それが正しい意味のイコールフッティング方式その他にもなるわけですが、それが本当の総合交通だという意見等も出るわけでございますが、いわゆる国鉄だけの助成でいいのか、それとも同じような立場で大都市における通勤通学その他の足を確保している私鉄に対する助成というものは考えなくていいかどうか、これが第三点です。  それから第四点は、十一万人削減計画を再建計画の第一期のときに出しました。それは富塚参考人は政治的な人員削減だ、こういうお話がございましたが、われわれが国会でずいぶん国鉄当局を責めて責め上げますと、精巧緻密なる積み上げに基づいた削減計画であるという答弁が、これは委員会の速記録を見ると十数回出ておるわけでありますが、果たしてどうであったか、内部からごらんになっての考え方をお教えいただきたい、こう思うわけであります。
  13. 富塚三夫

    富塚参考人 第一点につきまして、国鉄一家主義、家族主義あるいは親方日の丸主義ということについて、国の助成を求めるという考え方との兼ね合いはどうか、こういう御質問でいらっしゃると思います。私どもは、労働者国鉄を愛する、守るという、そういうものは国鉄に就職したときから培われている非常に大事な問題になっています。と申しますのは、国鉄労働者の機能主義を分析をしてみますと、昔は田舎におって学校に上がれない農家の次男坊、三男坊が、小学校を出てすぐ国鉄に就職する。一面では大学出の学士制度を採用する。中間の、言いかえるなら学歴なり学業を終えた者の採用は非常に少ない。それが鉄道に入って、鉄道で飯を食わなければならないという使命感、それが鉄道を愛する気持ちにつながる。というのは、一面では、動力車乗務員はこの列車を安全に運転をして届けなければならない。あるいは駅の出札や改札係は、お金を一銭でも間違うようなことがあってはならない。ことごとく人命を運ぶという、安全に輸送する、正確に輸送するという使命を特つ国鉄労働者のいわゆる意識といいますか、そういうものが培われてきた、そういう伝統を特っているということは、それは国民の各層が全部理解をしていただけるだろうと思うのですね。そういう、一面ではよい面があるということについてやはりもっと理解をしてもらわなければいけないのじゃないか。たくさんの乗客を安全に送り届ける、あるいは荷物も安全に送り届けるという問題について国鉄労働者が果たしている役割りというものをもっと正確に打ち出すべきであろう。  そういう状況の中で、一体国鉄企業はどうあるべきなのかという議論が出てくるのですが、それは当然その企業の努力の問題も要求されるでしょう。企業内の努力も要求されるでしょう。しかし、企業内努力というものが、安全性なりサービス、そういったものを低下させてまでやるべきではないということについての、問題の掘り下げたPRの仕方というものが非常に不十分なんじゃないんでしょうか。ですから、私が先ほど言った、企業性公共性は一致できる課題でいかに国民的にコンセンサスを求めるかということの努力というものがやはり国鉄当局には欠けているし、あるいは国家的に見ると、政府自身のやり方にもそのことが欠けているのじゃないか。だけに、何か組合が闘争をやる、そういうときだけ何かクローズアップされて、親方日の丸、こういうふうな見方をされているような気がするのです。  蒲田の踏切保安係の人が言っていました。子供を連れて通った若い奥さんが、あなたも勉強しなければあんなおじさんのようになるのよというふうにして通り過ぎていった。しかし、一生懸命踏切番をして、安全にやろうという、そういう仕事の内容が、いまの社会的な縮図、いわゆる教育偏重主義といいますか、そういうこととの兼ね合いの問題など、数多い問題がたくさんあるわけです。  夜間列車を運転して途中の山の中で列車が赤信号でとまったときの一人運転をしている運転士機関士がどんなさびしい思いをするのか、あるいは途中で人がひかれて、それを背負って運ばなければならない労働者の気持ちなどというのは、一般の人にはわからない。よくやってあたりまえなんです。ちょっと普通にやるとすぐ指摘をされるといったようなやり方が、やはり基本的に理解をしてもらうということが必要だ。ということは、他の参考人も言われましたように、余りにも国鉄当局自身が企業要求労働者にだけ向けて問題の解決を図ろう、つまり国鉄という事情を知ってもらおうという努力をしなかったところに今日の問題があるのだと思います。  ですから、国が助成をすべきという問題は、当然大都市間の通勤輸送、たとえば一分五十秒ヘッド、十両編成、三千人ずつ毎朝運んでいるあの中央線などの列車の込みぐあいを見てください。見切り発車をしないようにという安全運転の順法闘争を始める出発点だったのですが、そういう申し合わせをしました。しかし、見切り発車をしないで新宿の駅なんか発車できるはずがないのです。次々に来るのですから。だから、本来ならお客さんは定員外に乗せないような仕組みを国鉄当局が考えるべきだ、毎日綱を張って乗せなければいいとぼくは思うのですね。余りにも社会のそういった需要にこたえようとする、そして実際的には一生懸命こたえておりながら、問題点は労働者にある、労働組合があるいは労働者がもっと働くべきだといったところにばかり焦点を向けてきたところに私は問題があるのじゃないかという意味で、国の助成という問題はそういった中に企業性公共性が一体のものとして国民にコンセンサスを得られる状況は那辺にあるのかという状況の中で当然、運賃問題ももちろん議論されるでしょうが、国の助成という問題も議論されてしかるべきじゃないかと考えます。  運賃決定方式は、結果的には国会の場で決めることが私は一番正しいあり方だと思います。やはりそのときの政治経済情勢による運賃のあり方をどう見るか、そして適正運賃はいわゆる運賃制度としてどう見るかということの観点をもっと大胆に掘り下げていただきたい。  私は先ほど不十分な表現、陳述に終わりましたが、貨物輸送そのものをとってみて、幾ら働いて幾ら輸送しても決して黒字にならないということは一体どういうことなのかということについてやはり真剣に考えるべきじゃないか。余りにも大資本、大企業に奉仕する物資を低廉に等級制の中で位置づけてやってきている。あるいは基本的には総合交通政策の確立の問題にまつわる問題ですが、やはり自動車輸送との競合についての国家的な施策、政策の持ち方というものにもっとメスを入れてやっていただく必要があるのじゃないか。いままでの状況を見ますと、発想はいいんですけれども、毎回決意表明ばかりしておって具体的な実行をしない。これはやはり非常に問題なんじゃないかというふうに考えます。  したがって、総合交通政策という観点に立てば、私企業あるいは国鉄という国家の企業という兼ね合いの問題についても先ほどその一端を申し上げましたように、たとえば私鉄などは不動産あるいは旅行業、ホテルをやる、百貨店をやる、どんどん事業の拡大ができるわけですね。たまたま土地問題が限界に来たと言って、不動産が限界に来たと言って、ことしはもうからぬから賃金は安いのだ、こういったような調子で私鉄労使の賃金解決をしている。国鉄にもあれだけの資産があるのですから、もっともうけさせることをどんどんできるような仕組みを考えたら、それは大変な金もうけもできることになるのではないでしょうか。そういった国有鉄道の持ついわゆる公共性というものと企業性の問題をどう一体のものにするかという問題をやはり掘り下げてもらいたいと思うのです。  それから人員削減計画なんですが、これは毎年国が予算を決めるときに国鉄予算人員を決めるわけです。これはもちろん人件費にかかわる問題として決めます。そして前の再建計画にありましたように、十年間で何万人減らす、あるいは退職者を補充しない、いろいろな方法をもってやるのですが、結局私どもが言っているのは、ことしは運転系統の合理化だ、だから二人乗務から一人乗務だ、この次は電気の保守問題で人を生み出せ、この次は保線の保守問題で人を生み出せということの計画的な発想きりされていないのですね。総体的にこの列車をこういう密度で運転をして、しかも需要にこたえるにはこういうダイヤはやむを得ないということで策定をし、それに必要な人員はどういうことなのか、労働条件はどうかという観点で積み上げていくようにしなければならないと思うのですね。ところが、先生も御存じのように旅客局は運転局と相談をしてダイヤを引くことだけに懸命です。時刻表を見て一本もすき間のないようにいかにして入れるか。工作局は車両の運用のことについて一生懸命考える。そういうことができ上がって、何万人、何千人減らしなさいという職員局の提案と相まって提案をするものですから、私どもが人がふえないなら列車をふやすべきでない、本数をふやすなということを言うのは当然じゃないでしょうか。そういう視点が全くちぐはぐなままに国鉄経営の中ではやられているということが、ようやく最近は一体的方向に志向している努力の跡は見えますけれども、しかしそういう問題について真剣に検討していくべきではないのでしょうか。ですから、私が先ほど、夜行列車を三倍の労力を費やして運転をするなんということは、まさに公共的な役割りですね。ですから、いま昼間だけ乗るという、一般国民、乗客にそういう習慣をつけてもらっても決しておかしくない問題ではないか。夜は、危い状態の中で、しかも長時間労働で労力や費用を費やして、なぜのろのろ運転をして寝台車に乗せて朝着けなければいけないのか。そして、列車がおくれると文句を言われるというふうな状況というのは、一体公共的な立場についての国民の自覚、理解、そこのところにもっと大胆に踏み込んでいいのではないか。マスコミの関係者も総じて現象だけを取り上げるという傾向があります。私どももそのことは強く指摘する。もっと本質的に、この事故は、この問題はということを取り上げて、国民の中で徹底的に議論をしてもらう。私ども労働組合立場で、以上言った問題についてはそれなりに問題提起をして、議論を国民各層に呼びかけていきたい、こう考えております。
  14. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 もう与えられた時間をオーバーしてしまいまして、ほかの党の先生方に迷惑をおかけしますので、私は坂東合長に質問したいと思うのでありますが、これで残念ながらやめなければいけなくなりましたのでやめます。  ただ、いまの富塚書記長のお話で一言申し上げておきたいと思いますが、われわれも、国鉄職員の皆さん方は他の専売公社のたばこの葉巻きをする人と違って生命を賭して働いていただいておるという一つの大きな認識の上に立ってやっておることは事実であります。  それからもう一つは、先ほど書記長がおっしゃいましたが、私自身は貨物を全面的に国鉄から廃止さした場合どうなるか、人の問題あるいは他の問題、こういう問題についても抜本的に考えて、今回はやらないといけないという立場等もとって、国鉄に貨物を廃止さした場合どういう影響、どういう問題があるかというところまでの議論を掘り下げていきたいと思っておりますので、そのときはまたよろしく御意見を承りたいと思っております。  どうもありがとうございました。
  15. 増岡博之

    増岡委員長 久保三郎君。
  16. 久保三郎

    ○久保(三)小委員 たくさんの御質問があるそうでありますから、簡単にお二人にお伺いしたいと思います。惣田さんと富塚さんに。  先ほど坂東参考人からのお話の中では、坂東参考人としてはいわゆる経営については労使協議制、これを従来提唱してきたというお話、これに対してどういうふうにお二人は思っておられますか。  それからもう一つは、お三人ともいわゆる片方での表現は生産性向上という、片方の表現ではマル生という、これはこの国会でも議論したことがございますが、いまだにどうもすっきりしないようなお話が両者にあるようであります。この際、新しい時代を迎えたのだから、マル生も生産性運動も、こういうものであるという実態をやっぱり解明する時期だと私は思っているのです。いつまでももやもやしていたのでは先へ進めないのじゃないかというふうに思うのです。そういう意味を含めて、先ほどの坂東参考人からのお話に関連して、お二人の御所見がありますればお伺いしたい。  以上です。
  17. 惣田清一

    惣田参考人 久保先生からお話のありました坂東委員長意見発表に関連しての御質問でございますが、経営問題について動力車労働組合としては労使協議制の必要はないというぐあいに考えています。本来経営の問題について労働組合がタッチするということの是非論というものが一つあります。もう一つは、国鉄経営という問題について従来当局がとってきた態度は、国鉄経営問題については労働組合に相談をする必要がないというのが経営者側の態度だったわけです。したがって、私ども見解としては、事国鉄経営に関しても、人間に関する、あるいは働いている労働者に関する部分がすべて絡まっている、したがってそれは団体交渉の対象であるとかないとかいう議論がありましたけれども、事経営についても、その多くが労働条件にかかわる部分であるから、したがってこれは団体交渉でもってやるべきである、たとえば国鉄の運転、保安上の問題についても、これは当局責任において当然やるべきことであっても、幾つかの主張がありまして、これが直接動力車乗務員等の労働条件生命にかかわってくる、乗客の問題にかかわってくる、あるいは刑事事件の問題にかかわってくるとなれば、労働組合としては積極的にこれを当局側との交渉の中で解決をしていく、これが当然だと思います。そういう意味で、私たちは何も労使協議制という制度で新たにそのことを言わなくても、労使団体交渉のルールに乗せてやってもこれは可能である、したがってその必要は認めないというぐあいに考えております。  それから、生産性向上運動の問題ですけれども生産性向上運動については、アメリカから輸入されてきたわけですが、今日のわれわれの知識で国際的レベルで言えば、ほとんどその運動の実際的な面は行われていないというぐあいに聞いております。国鉄日本生産性本部と相談をして、昭和四十二年ごろでしたか、当時の磯崎総裁がこの生産性向上運動に着目いたしましたのは、国鉄当局が出しました幾つかの文献の中で、今日国鉄労働組合並びに動力車労働組合は、合理化問題について常に反対の態度をとっている、したがって、こういうような思想や考え方を改めるためには、生産性向上運動という運動を通して国鉄職員の意識改造をする必要がある、さらに一歩進めて、そういうような反対闘争をしない組合をつくるべきであるという主張のもとに、そういう思想のもとに、そういう労働政策のもとに行われたわけです。したがって、頂点とする国鉄総裁以下末端の現場職制まですべて、労組法上言うところの、公労法上言うところの不当労働行為が平然と行われた。これはもう行き過ぎなんというものじゃなくて、明らかに労働組合の存立を脅やかす、先ほど富塚書記長が言いましたように、重大な組織破壊の問題であった。そういう立場から、私たちは生産性向上運動なりマル生運動に積極的に反対したわけです。しかしながら、私たちがそれぞれの分野において自分たちの職務を遂行しているということは、やはりわれわれが必要な労働によって報酬を得て生活をしている、そして国鉄をこよなく愛している、したがって、安全に、しかも無事故輸送の業務を完遂したい、自分に与えられた仕事に対して忠実にベストを尽くしたい、そのための環境と労働条件づくりである、そういう意味からすればあえて生産性向上運動というようなものが行われなくても、あるいはそれを実施しなくても、それぞれ国鉄における内部の労働条件あるいは労使における協約、協定とそれから就業規則その他の諸法規を守ることによって十分その職務は遂行できるし、同時に国鉄生産性は上げることができるし、また事実上げることができた、上げてきた、したがって、われわれとしては生産性向上運動というものはややもすればいま言ったような労務政策、管理政策として使われるがゆえに、やはりわれわれは反対である、今日もそのことについては反対をしているというぐあいに御理解をいただきたいと思います。
  18. 富塚三夫

    富塚参考人 簡単に一言だけ申し上げておきたいのですが、やはり新しい国鉄づくり、再建問題は、先ほど申し上げましたように労使の相互の立場を尊重し合う信頼性の回復が一番基本だと私ども考えております。しかし残念ながら国鉄の機能の中には、きょう参考人出席されておられるように動力車労働組合あるいは鉄道労働組合、そしてわれわれ国労、ほかにも数多い組合が存在をするのであります。これは一定の過渡的な状況の中では大変むずかしい問題を内包しているものと思いますが、しかし国鉄がこのままの状態であっていいとはどの組合も考えていないと思います。ですから共通の問題についてできるだけわれわれもコンセンサスを得られるような努力はしたいと思うのですが、われわれ国労の立場で考えるなら、できるなら国鉄という一つの機能に一つの組合に統一をする、そういった方向が一番望ましい姿だというふうに考えています。  しかし現状は、久保先生も言われましたように生産性向上運動は、生産性を上げるということは労使の協力を得られなければできない問題なんです。組合の協力がなければ生産性は上がらぬわけなんです。それが組織破壊、不当労働行為につながるような結果を誘発をしたことの反省、錯覚的な労務管理が今日の反省を生み出しているわけですから、私は一朝一夕にすべてが解消するとは思いません。しかしステップ・バイ・ステップ、一歩づつ信頼関係を回復する。そして労働組合も共通な課題についてはともに問題を提起し合って、話し合って行動をともにすることをやっていきたい。そして将来は一つの機能に一つの組合に統一していくことが一番望ましい姿なのじゃないかという観点に立って、国鉄経営者を初め関係者はそういう視点をひとつ大事にしていただきたいということだけ申し上げておきたいと思うのです。
  19. 増岡博之

    増岡委員長 兒玉末男君。
  20. 兒玉末男

    ○兒玉小委員 久保委員の質問と共通点は省略しまして一点だけお伺いしたいと存じます。  先ほど惣田さんからも貴重な御意見がありましたが、特に私は現在の国鉄というものが昭和二十四年の公共企業体という、企業性公共性というごっちゃな中で今日非常な矛盾点が多いわけでございますが、やはりここで本質的には今日のこの二十六年間の傾向を踏まえて考える場合に、やはり企業努力だけでは国鉄収支は当然償い得ない。そうするとしますならば、非常に高度の公共性というものが要請される交通事情でありますので、この際機構そのものをやはり根本的に考え直す時点に来ておるんじゃないか、こういうふうに考えるわけでございますが、この点についてお三人の御意見を承りたい。
  21. 惣田清一

    惣田参考人 ちょっと質問のあれがよくわからなかったのですが、機構といいますと……。
  22. 兒玉末男

    ○兒玉小委員 いわゆる公共企業体という双頭の馬みたいな形になっておるわけです。しかも高度経済成長による大都市集中的な政策というものによって大半が赤字線である。しかし公共性が高いがゆえにどのような線でもやはりこれを運営していかなくてはいけない。そのことがひいては合理化あるいは人件費等の抑圧という形になってあらわれておりますので、現在のそういうふうな公共企業体という機構をやはり再検討する時期に来ているんじゃないかということについてのお答え……。
  23. 惣田清一

    惣田参考人 私、昭和二十四年当時の国鉄の本社にちょうど組合役員の前ですからおりましたが、公共企業体というコーポレーション制度を採用するときに、かなり国鉄内部で議論がありました。これはいわゆるコーポレーションというシステムはアメリカのテネシー・バレーのアメリカが採用した何といいますか公共システムを一つ参考にして国鉄がいろいろな機構改革に当たったことをちょっと記憶しておりますが、先ほど国労の富塚さんから意見陳述がありましたように、私どもとしては今日の公共企業体とそれから日本国有鉄道法第一条に定めておるいわゆる公共性企業性の双方を経営目的として追求していくことは何ら矛盾をしない。したがって、現行の日本国有鉄道公社をもってしても国鉄経営の健全性というものは保持できる。ただ問題は、先ほど幾つか議論がありまして、意見が出されましたように、公共性を保つための政府並びに国会責任ですね、そのことについてはやはりこれはあくまでも政治の問題として解決をしていただかなければならない。たとえば通勤定期等の割引の問題は、いまやすべての企業においては企業責任において負担されている。それは非常に多くの企業国鉄の犠牲において、言うならばプラスサイドの話としてあるわけですね。それからたとえば貨物運賃等の問題についても先ほど富塚書記長から話がございましたように、いま主力となっておる貨物輸送はそのシェアは一七%程度に落ちておりますけれども、それでも一七%のうちの六〇%、それはほとんどが専用線を持った企業の貨物輸送が主力を占めているわけです。しかもそれらはセメントとか鉄鋼とかきわめて独占的な大企業に属する貨物が輸送されている。そういう点に対する運賃決定等を含めた国会のあるいは政府責任における公共性をそういう国鉄の一方的な責任に負わしているというところに問題の本質があるのではないか。だから企業性ということになれば確かにわれわれの生産性の問題として労使の問題であろう。しかしながら、公共性という問題について単に国鉄運賃値上げ問題が起こった場合に、これは物価対策として時の政府がいつも国鉄運賃を抑えれば物価を抑えられる、米と国鉄運賃であるというような考え方ですべて政治予算として国鉄に押しつけてきている。こういうことであれば日本国有鉄道法第一条に言うところの公共性と採算性を、双方を、二つの面を経営目的としていることに政治の責任は負ってないというぐあいに考えますので、私どもとしては、先ほど富塚書記長が申し上げたような見解と全く同じでございます。
  24. 富塚三夫

    富塚参考人 国労といたしましては、たとえばいま民営に移管をしたらどうかあるいは電力会社方式に分割したらどうか、いろんな議論のあることも風聞をしています。しかし実際は私はうまくいくなんということは考えられない。そんな方式がうまくいくとは考えられない。いわゆる現状の組織中心にして、そして企業性公共性の問題のどう一体の課題にして問題点を整理をするか。それにはできるなら私鉄と同じように経済規模を拡大できる公共性を損なわない範囲内のそういった方策も検討されてしかるべきじゃないか。経営の形態、企業性の問題は現状のままでそういった方向を検討されることが望ましいだろうと考えます。
  25. 坂東正一

    坂東参考人 結論から申し上げますと、富塚参考人と変わりません。そうして公共企業体の欠点といいますか、特に財政の問題についていま頭を悩ましておるわけでありますが、現状の状態でいいということは、財政の問題はどうなのかということがオウム返しになるわけでありますから、これは財政の問題を適切に、可能、最大限整えていくということが一つ条件になるわけでありますけれども公共企業体になるにはなるだけの理由があってなったわけであります。これをまた官営に戻すとかあるいは民業にするとかいうようなことになりましても、私企業ではとうていできない広範な意味でのサービスの提供ということが、国鉄の置かれておる立場だと思います。同時にまた、利用者との利害の調整も公益という名において現実に可能になっておるわけでありますから、公共企業体という形態については、いま言ったような点を考えあわせて、現代の方が妥当だ、これでいくことの方が正しいのではないか、このように考えております。
  26. 梅田勝

    ○梅田小委員 日本共産党・革新共同の梅田勝でございます。  本日は、三人の参考人の方々から、それぞれ労働組合立場からの御意見を承りまして、大変参考になりましてありがとうございました。  御承知のように、わが国の交通輸送の面におきまして、国鉄は最近旅客輸送では約三〇%、貨物におきましても約一七%というように、依然として大きな比重を占めております。特に大都市における労働力輸送あるいは都市間輸送、こういった面におきましては、際立って大きな役割りを果たしているように思うのです。ところが世間では、国鉄財政赤字だ、何か労働者が働きが悪いというような印象を与えられておるのがきわめて遺憾でございます。現場の労働者の方々は、皆さん方がお出しになっている資料とかまた本日の御意見の中でも、大変長時間労働で、危険な作業に従事をしている。しかも要員が不足だ。昭和二十四年の当時から現在を比べますと、約六万人が実質において削減されておる。しかし業務量の方は約三倍近くになっている。こうなりますと、大変割りが悪いといいますか、やりきれないということで、相当の御不満があろうかと思うわけです。  そこでお伺いしたいのでございますが、国鉄財政の破綻の原因、これを国民に明らかにしていくということがいま大切ではないか。  そこで、国労の富塚参考人にお伺いをいたしますが、先ほども、高度成長に奉仕をしてきた国鉄に問題がある、このようにおっしゃいましたが、再建計画の破綻の具体的な原因についてもう少し項目も挙げていただきまして、お示しを願いたいと思います。それが一点でございます。  もう一点は、それじゃ、今後再建策を立てる場合に、たとえば基礎建設部分は国の支出で賄うべきだとかあるいは累積赤字のたな上げ、こういったものは当然だというように私ども思いますが、それらについてはどうか。また、先ほど富塚さんは、運賃問題についての考え方というものを示されました。これはいろいろ拝聴して検討しなきゃならぬ問題を感ずるわけでありますが、たとえば貨物の運賃体系、これの改善策についてどのような考えを現場の労働組合として持っておられるのか、もう少し具体的にお伺いしたいと思います。  それから鉄道労働組合坂東参考人にお伺いいたしますが、要員不足の問題ですね、あなたは生産性向上の問題を大変強調されたわけでありますが、しかし現実は要員の不足というものは覆いがたいという点があろうかと思います。先日、五月五日の読売新聞でございますが、「新幹線 増発計画ご破算 安全上と要員不足 調査委が結論」これに対して「国鉄当局ショック」という大きな見出しで出ております。新幹線のダイヤを一時間にひかり五本、こだま五本を運転する、いわゆる五・五ダイヤというものに待ったがかかった。その理由としては、要するに体制がとれない、運転手は三千二百人、車掌千二百人といういまの要員ではこれ以上の増発に対応できないということで、新幹線総局が反対をしたということで、この計画ができなくなったわけでありますが、国民は国鉄に対して安全、正確、迅速あるいは快適、そして安くて便利ということを望んでおるのでありまして、その点でこういった問題につきましてどのように考えておられるか。先ほど国労の富塚さんの御指摘もありましたように、合理化で新採をやらないということで、この本にも出ておりますけれども、キノコ型年齢別構成ですね。これ非常に激しい。こうなると経験を持った熟練した労働者が退職していく、新規採用は追いつかない、教育が追いつかないということで、一体これからの国鉄はどうなるのかという点、心配になるわけです。そこらの問題について御所見を承りたいと思います。
  27. 富塚三夫

    富塚参考人 私に質問のあった部分について申し上げたいと思います。  国鉄財政が破綻をしたという原因は、先ほど項目的に申し上げたのですが、再建策としてどういう具体策を考えているかという御質問が第一だと思います。  一つは、やはり借金問題についてどう片をつけるかということが一番の問題だと思います。これは国が肩がわりするという以外に方法はないのじゃないか。どんなことをしても、逆立ちしてみても、それ以外の方法はないのではないかということについて、まずはっきりしてもらいたい。  二つ目には、これからの問題として、公共割引などのいわゆる公共性を提供している部分についての助成をするルール、措置ですね、そういうものを明確に打ち出してもらいたい。ローカル線の問題、通勤輸送問題あるいは都市間輸送も、いろいろたくさん問題がありますが、あるいは定期割引問題、幾つかの問題について具体的にルールを確立していただいたらどうだろうか。また市町村の納付金というものも、これは当然政府が持つ性格のものじゃないでしょうか。  そしてわれわれは、合理化問題は限界に来ていると思います。当局もある意味でそう理解をしているのじゃないでしょうか。ちょうちん型要員構成から、いま先生がおっしゃられたキノコ型になっているのですね。老齢化をしている。これは一面ではドライバーも四十歳以上になっているということは、まあ老眼にだんだん近くなっていきます、疲労を感じます、成人病にかかりますといった状況でも非常に心配されるのですね。ですから、ある程度要員規模の運用については柔軟性を持たせる、幅を持たせるという中でやっていくような仕組みを思い切って考えてもらわなくちゃいけないのじゃないか。そうしないとだんだん若い層が切れてしまって大変な事態になってしまうだろうということを思うのであります。  それから先ほど言いましたように、新線開業とか車両の購入等の問題についても当然政府の側の出資ということを考えていただきたい、こういうふうに思います。  以上のことなどがどのように具体的に決められていくのかという具体的なものがないと、毎回抽象的な議論ばかりされているような感じで、総枠を決めて国鉄企業にそういうことを要請をされてもこれはどうにもならない事態になっているのじゃないでしょうか。それを政治の場で国会の場で明確に具体的に決めていただきたい、こう思います。  それから貨物の運賃体系についての考え方ですが、根本的にはやはり自動車輸送と競合する事業の兼ね合いについて一定の歯どめをどうかけるかという問題が、総合的な交通体系の位置づけの中でも考えられるべき問題でしょうが、やっていただきたい。つまり国有鉄道の貨物輸送の果たす役割りと範囲の問題をやはり明確にしてもらうべきだろう、こう思います。  加えて運賃問題は全く、私も貨物係の経験がありますが、等級制度そのものに大きな疑問を持つのです。われわれ労働者側から言わしてもらいますならば、等級制度審議会というものはほとんど大資本、大企業の社長さんが出られて、みずからの産業、会社のつくり出している輸送についての運賃等級の位置づけを決めているのです。だから本来的に言うなら、公共的な立場では国民の生活必需品は低廉に輸送する、これは当然でしょうが、やはりそういった大資本、大企業政策的政治的圧力をかけて運賃問題を抑え込むようなことの仕組みはないようにすべきだ、これが適正な運賃として考えていくべきじゃないか。いわゆる貨物輸送は本来的に契約的な問題にもかかわらず、資本の側に隷属をしてきたというふうなこの実態を思い切って改正をするという視点に立たなければ貨物の問題は解決しないのではないかというふうに考えます。  以上であります。
  28. 坂東正一

    坂東参考人 御指摘のございました要員不足の問題をどう考えるか。先生のほうでは私の先ほどの全体の説明のある部分について御指摘があったわけでございますが、私は全体の説明の中で申し上げておりますように、国鉄が長期計画等をつくった場合に労働組合の側の意見を徴してつくったという例がないわけでありますから、たとえば現在実施中の長期計画の中で十何万人の人間を減員するなどという問題も、それは国鉄当局なり関係の所管の政府機関等におけるそれは一方的な発表である。でありますからわれわれはこの計画そのものについて批判を加えまして、特に国鉄に求められておることというのは、御指摘のように安全に迅速に確実に輸送することでありますから、そういった期待にこたえるということが第一義になる。たまたま冒頭に私が説明したように、結局計画のつじつまを合わすことが急ですから、つじつまを合わすためには人間を減らさぬと人件費のそろばんが高い、こういうような言い方に日本国有鉄道がまず終始するわけでありますから、そこのところから大幅な人員削減ということでだんびらをふるおう、こうしてきたわけです。この点については、現実には合理化の事案というのは御承知のとおり国鉄ではどんどんと提案されて、確かに反対闘争ということもございましたが、とにかく合理化近代化事案というのはずいぶん多く消化されてきているわけでして、そういった意味で合理化努力によって、たとえばあの長期計画にあるような人員削減がこの上押してやれるものかということについてはそれは困難だというのは、もうすでに労働組合側では答えにみななっているわけです。特にいま採用困難な職種がありまして、採用困難職では募集をしても応じないというような状況がございますが、採用困難職の完全補充ができないまま次々と計画が発表されておるというのが現状だというのが事実です。でありますから、御指摘の点についてどう考えるかという点については、要員の問題について数字を合わすために短兵急に人間を減らすというような発想だけで、日本国有鉄道はこれから労働組合の協力を得てやっていけるなどという段階では決してないのだ。だから必要な要員を確保していくということについて基本的な理解がない限り、国鉄のこれからの前向きの前進というものはない、こういうふうに基本的に理解をしておりますので、御理解願いたいと思います。
  29. 梅田勝

    ○梅田小委員 時間がございませんので一つだけ御質問して終りますが、動労惣田参考人にお伺いいたします。  先ほど「国鉄実情を訴える」という国有鉄道のPR版、この中にも書いてございましたように、これをずっと読みますと、国の助成問題はもうほとんど姿を消したというのが特徴ではないかと思うのですが、従来運賃、そして合理化助成ということで三方一両損が盛んに国の方から言われたのですけれども、あなたの方はこれを読まれて、そういう点どういうようにお感じですか。
  30. 惣田清一

    惣田参考人 惣田でございます。  これ細かく検討したわけではございませんけれども、実は一週間ぐらい前に受け取りまして通読したわけですが、感じとして国鉄当局側の政府に対する、あるいは国会に対する非常に遠慮した内容で編集されているという印象を受けたわけです。それで国鉄当局側も、言うなれば政府の行政機構の一環として管理者一体の原則といいますか、そういう背景が一つにはあろうかと思いますし、一つには国会での議決並びにそれを行う政府がいままでいわゆる政治予算として決められてきたことについて、国鉄当局がその責任の一半を何か使命感のようなものを持って考えているんじゃないだろうかということが、この中で感じられたわけです。だから私どもの印象としては、もっと国鉄当局は大胆に、従来の赤字問題について先ほど富塚書記長から意見開陳がありましたけれども、積極的に今日の事態解決のために、国会並びに政府において利子並びに長期負債のたな上げを行うべきであるということを、もっと積極的にその実情として訴えるべきであるというぐあいに考えます。
  31. 梅田勝

    ○梅田小委員 どうもありがとうございました。
  32. 増岡博之

    増岡委員長 松本忠助君。
  33. 松本忠助

    ○松本(忠)小委員 公明党の松本でございます。きょうは動労、国労、鉄労の三人の参考人からそれぞれ意見を拝聴いたしまして、大変参考になりました。  私、三つばかりの問題についてお伺いいたしたいと思います。最初の問題は、スト権の回復についての問題でございます。この点につきましては三人の参考人からそれぞれお答えをいただきたいわけでございますが、御承知のように三公社五現業のスト権回復という問題は、ことしの秋の大きな政治的なテーマになっております。本日、国会の場におきまして、三参考人からそれぞれスト権回復の問題について明白な立場でお話がございました。  そこで私がお伺いしたいことは、法的に禁じられているストライキが現実の姿で実施されている、このように世間の人は受け取っているわけです。そのスト権が今度ははっきりと付与された暁に一体どういう事態になるのだろうかということを世間の人はみんな心配しているようであります。こういう点を考えましたときに、最近よく言われる企業責任ということが非常に高揚されてきている。こうした今日において労働組合として社会的な責任をどのように考えられるか、改めてお伺いをいたしたいわけであります。  第二の問題は、労使関係正常化という問題でございます。この点につきましては、坂東参考人を除きまして富塚惣田のお二人にお伺いしたいわけでございますが、坂東参考人からは労使協議制度というようなものの提案がございました。富塚参考人は積極的に改善すべしというような御意見がありまして、また久保委員の質問に対しても答えられました。惣田参考人からもお話がございましたけれども、これらの点についてもう少し具体的にお話を伺いたい、こう思うわけでございます。  第三の点は、職場秩序の回復という問題でございます。この点は三人の参考人からそれぞれお伺いいたしたいわけでございます。これは私どもがよく耳にする話でございますけれども国鉄職場の中で要するに職場抵抗闘争というような名のもとに職場暴力、安全阻害、業務妨害、こういったことが行われている、そして、これらの行為を言うならば無差別に正当化しようとするような労働運動が末端の職場の中で行われているということをよく聞くわけであります。そこで、輸送の安全ということを何としても眼目に考えなければならないわれわれといたしまして、こうしたことに対してどのように指導なさろうとするのか、職場秩序の回復についてどうお考えになるのか、それぞれお答えをいただきたい、こう思うわけでございます。お願いいたします。
  34. 惣田清一

    惣田参考人 松本先生にお答えをしたいと思います。  まず、スト権回復問題について私ども見解は、現行のストライキ権は憲法二十八条が示すところの団結権、団体交渉権、ストライキ権、三権が憲法上認められているという基本立場に立っています。したがって、憲法を頂点とする諸法規は、公労法にいたしましても労組法にいたしましても、その範囲内において定められるべきことである。したがって、公労法十七条、十八条がストライキの全面禁止をし、これは制限ではなくして全面禁止をして、そして違法行為に対して解雇の処分をもって行う、こういう法体系は、今日幾つかの裁判所におけるところの決定——最高裁は別ですが、地方裁、高裁等における決定、さらに国際労働機構ILOの国際レベルにおいても常識である。しかし、イギリス等においては、何もストライキが禁止もされてないが、法律的にも認められているわけではありません。これは、イギリスの労使関係が、長い歴史と伝統の中で当然労働者はその権利を持っている、したがって、法律で認める必要もなければ禁止する必要もない、こういう状況にありますから、私どもとしては、いま公務員制度審議会から閣僚協を通して議論をされている段階に対して、先ほど富塚書記長が、きのう見解を申し述べた公労協の代表的意見を申し述べたように、われわれとしてはストライキ権を当然全面的な禁止を解いて、そして正当なストライキ権を認めるべきである、ストライキ権を認めることによって、労働組合の争議権発動とそれから経営者の自治能力といいますか、経営者の自由裁量権、このことが社会的責任の中で平和的に解決される、したがって、むしろ従来のように形式的な団体交渉にならずに、実質的な団体交渉をもって労働組合もこの段階でやはりある程度譲歩せざるを得ないかどうかという判断は、社会的責任の中で判断されるべきことである、そういうぐあいに労働組合の社会的責任が確立されるだろう、また国際的な常識はそういうことにわれわれとしては理解しているからストライキ権が回復される、全面的禁止が解かれることが労働組合の社会的責任を忘れ、混乱を拡大をするということには決してならないというぐあいに考えております。  それから、二つ目労使関係正常化の問題でありますが、私たちが正常化に非常に抵抗を感ずるということは、先ほどちょっと申し上げましたように、今日まで幾つかの違法行為ということの名において多数の組合員、動力車労働組合の場合は四万七千名しかいない組合員の中で六万五千名の組合員が処分をされておるということは、何らかの形で処分をされ、しかも処分によって幾つかの実益、たとえば昇職、昇進、昇給それから退職金から年金からその他幾つかの不利益取り扱いを一生の問題として受けておる、こういうことで、これらの実損をそれなりに回復することによってここに初めて労使正常化の土壌ができる。だから労使関係正常化は当然われわれは望むことであると同時に、そこまで到達するような話し合いを現在労使でやっておりますし、国鉄当局側も今日はその方向に前向きに取り組んでおる、したがって、一定程度は評価しておりますけれども、いま直ちに労使関係正常化が実現できるかと言えば、以上のような過去における後遺症をまず整理するということによってこの問題は実現できると考えております。  それから三番目に、職場抵抗闘争によって職場の秩序が乱れている、安全阻害とかあるいは業務妨害ということが行われておる、これもいま申し上げました二項の問題と関係があるわけですが、先ほども富塚さんから何回か力説されましたけれども国鉄に入って、国鉄で一生の仕事をしていこうという人が自分の職場を破壊しようというようなことを考えるということは、それ自体あり得ない。われわれの場合で言いますと、非常にまじめな諸君が動力車乗務員等になって仕事をしておる。ところがその業務妨害とかサボタージュとかあるいは減産行動ということがなぜ行われるようになったのかということになりますと、われわれの要求実現のための闘争、そしてそれがしばしばストライキということに発展をする、それに対して処分が行われる、そして処分はけしからぬということの悪循環が職場の末端組織の職制までの間で常に労使の対立として行われている、そういうことがややもすればマスコミによるところの職場秩序の破壊行動だということで宣伝をされる。しかしながら、私どもは組合の大方針として、われわれは労働組合であり、労働団体でありますから、革命団体とかそういうものと違います。したがって、やはり職場における活動というものはあくまでも平和的な団体交渉、それから当然われわれが労働組合として認められる権利の行動であるところのストライキ権とかそういう行為をもって対抗する、それはあくまでも個人でなく組織が行う、個人の行動は認めない、こういうことによって職場秩序を確立していく、したがって、闘争自体は、これは別ですけれども、平常時においてはそういうようなことがもし仮に起こるとするならば、これは組合の統制の問題として厳しく規律を保持していく、こういう形の中でこの職場抵抗闘争職場の秩序の維持等の問題についてはきちっとした規律の中で労働組合組織的な行動が展開されているということに御理解をいただきたきながら、私の意見としたいと思います。
  35. 富塚三夫

    富塚参考人 私の方から申し上げます。  ストライキ権の回復ということについて私どもが念願していますのは、いま惣田さんも言われましたが、もちろん憲法二十八条に保障されていることもあるのですが、やはり生存権と生活権を守るということ、あるいは自由な人間としての尊厳性を回復したい、あるいは平和と民主主義を守る一つの根幹として位置づけたいということが基本的に念願していることなんです。御存じのように、終戦後はスト権を与えられておりました。そして、マッカーサーの占領政策によって剥奪されたのです。公労法ができまして、スト権の代償としてできた調停、仲裁、公労委制度ができましたけれども、実際には先生方も御存じのように、昭和二十四年から二十九年まで、われわれ国鉄労働者だけで前後七回、二百十七億九千七百万という仲裁裁定の不履行の金額が存在しているのです。そこから問題が実は出発しているということなんです。当時二千九百二十円ベースのときの二百十七億という金額は、いまのベースにすると約二万ぐらい高くなったであろうというのが、四年に一回か開かれる日米経済閣僚懇談会のあの中のアメリカの経済閣僚の指摘なんですね。  という状況の中から、やむにやまれぬ、スト権がないという中で、相手は仲裁も守らない。それなら何かというのは、合法性の枠の中で最大限抵抗する方法を考える以外にないじゃないかというのが出発点なんです。いろんな意味で、たとえば順法闘争ども、三河島事故、鶴見事故などから、いわば安全を守るというサイドから実は出てきた問題なんです。現実には、安全規則を守ってやっていたら完全な運行などはできないのです。という状況もいろいろ考えながらやってきたのですが、何と申しましても、このスト権問題の見通しというか展望が出てきたのは国鉄のマル生問題から出てきたのです。  ILOに私ども提訴しました。そして、百三十三次報告が有効な結論を下してくれました。それはどういうことかというと、過酷な微戒処分を緩和すべきだ、それから労働基本権問題も前向きに検討すべきだという方向性について示唆されたことは事実なんです。加えて昭和四十年、ドライヤーが日本に来ましてドライヤー勧告が出て、官公労働者の全面的な権利制限は問題があると言って公務員制度審議会もできました。八年かかりました。といういろんな積み重ねの中で私ども言っているのは、せめて日本が終戦後三十年近くたっているわけであります。そして日中国交回復もなし遂げられ、ベトナム戦争も終わって、新しい時代に入ろう、しかもマル生が終って新しく労使関係をつくろうという時期になぜ考えてくれないかということを言っているわけです。  そこで、先生がおっしゃったように、いまですらあんなような状態にやっているのだから、ストライキなど与えたらもうどうにもならなくなっちゃうじゃないかという単純な国民からの注目、批判があることは存じております。そこで私どもは重ねて社会的責任を自覚するという観点を申し上げているわけであります。私自身の私見で言うなら、伝家の宝刀をもらうのですから、宝刀をしょっちゅう抜くようなチンピラみたいなことはしたくないと端的に考えています。ですから、たとえば春に一回賃上げで春闘共闘委員会の統一闘争なら、そのときも考えよう、あるいは企業内では年に一回ぐらい集中的に労使が対決する場があるかもしらぬ。しかし、そう簡単に伝家の宝刀を抜くようではチンピラと言われることになるわけですから、そういうことはいたしたくない。いわば労使対等立場に立って相互の信頼関係を確立した上にやらなければならぬということを考えているつもりです。  それから先生方にぜひわかっていただきたいのは、二項、三項まとめて申し上げますが、どうも日本労使問題、なかんずく官公労使関係は治安問題としてとらえられる傾向が強いのですね。労使問題でなくて治安問題としてとらえられる、非常に残念なことなんです。国鉄当局が一々文書を出すのを見ますと、決して労働組合員に告ぐとか申し上げるという文面は一つも使いません。職員諸氏に告ぐ、職員労働組合は別だという発想なのです。そんな企業がどこにありますか。そんな労使関係がどこにあるかということの反省は、マル生の中から出てきた大きな一つの問題なのです。だけに、いま私どもは残念ながら国鉄の中に幾つもの組合が存在します。惣田さんは動労代表です。私は国労です。坂東さんは鉄労です。一つ要求をして、当局一つなんです。政府一つなんです。国労の書記長は、最後は国労の立場を考えなければならないでしょう。しかし、同時に同じように解決したのでは組合の主体的条件が出てこないのです。反目し合うのです。競争するのです。けんかをするのです。そういうことが職制に向けて多くの反発になってあらわれてくる問題なのです。根本的に、マル生の政策労働組合の分断策をとったということが基本的な誤まりなんです。この根本的な労使問題にメスを入れなければ、いわゆる職場秩序問題も本質的な解決になっていかないということだけは先生わかっていただきたい、こういうふうに思うのです。  私どもは決して職場の暴力を遂行しているわけでないのです。しかし、実際きのうまで国労にいた者が鉄労に行った、鉄労から国労へ来た、国労から動労へ行った、そういった中で、なぜおまえは行くのか、なぜ、どうかということが、組合員の奪い合いという状況が、それぞれの組織の主体性を確保したい中に出てくる問題なんです。そこに当局側がこちらを応援した、この人を大事にした、この人を抜てきした、あるいはこの人の昇給をけ飛ばしたという状況がつくられているのです。ですから私は先ほども言いましたように、あれだけ傷の深いマル生運動の後の労使問題が一朝一夕に解決できるとは思いません。長い目で見ていかなければいけないだろうということを思うのです。  そういう中で一歩ずつでもやはり解決していくには、基本的には当局側の組合に対する態度を変えることと、労働組合が一本になっていくという努力をどう続けていくかという基本的な労使関係になっていくべきだろう、こう思うのです。そういう中でいま現場の管理者も、率直に言って、マル生の後の状況を受けて、まあ、なすすべを知らないというか空虚な気分で毎日の生活を送っている。そうすると、管理者は一体何している、こういう、坂東さんの意見ではないけれども、反論が、そういう指摘があるでしょう。しかし、労働者の方は組合的な区別による多くの問題にばかり頭がとらわれていますね。組合的な所属別の問題をどうするかということに、その主体性確保に相争いをしているということが状況なんです。ですから、そういう中で、おまえはこっちへ来い、来なければ殴るとかいうものが、やはり若い青年の間では、これはいつもの世界でも起こり得る状況なんです。だからそれを直していくには、やはり先ほど言った基本的な姿勢に立って、ステップ・バイ・ステップ、当局も努力すべきだし、われわれも努力していくという方向を指向していかなければならぬじゃないかというふうに思っています。  決してわれわれは職場秩序がいいかげんであっていいなどと思っていません。ですから今度は闘争に入るときには、たとえばビラでもリボンでもつけるけれども、終わったら整然とやる。それを取ってしまう。ストライキの収拾も整然とする。予告をする。そして国民に理解をしてもらうということは、十分社会的責任、自覚においてやっていいのではないかということを申し上げているのです。私はきのう閣僚協でも言ったのですが、その保証があるかと言うから、それは態度として見てもらう以外にないじゃないか、一札、私が書いたってどうにもなる問題ではないのです、態度で証明しますから見てください、私はきのうそういう回答をいたしましたけれども、ぜひそういう関係で考えていただきたい。  労使正常化路線とは何か。私は組合の立場を尊重することだと思うのです。そして、それは同時に組合の一本化に向けて努力することだと思うのですね。そういう基本的な労務管理がなくして、組合をばらばら、幾つにも割っておいて、そして相反目さして競争さしておいて、そして基本的な労務管理が遂行できるなどと言っているのは間違いじゃないか。そして職場規律はおまえら労働組合責任じゃないか、動労がはね上がっているんじゃないか、国労がはね上がっている、そういう規定の仕方は根本的に間違いだろうという視点で考えていただきたい、こう思うのです。
  36. 坂東正一

    坂東参考人 スト権の回復後の状態ということを考えてみて、認められた場合の責任と従来の関係を第一に問われたと思います。それで鉄道労働組合基本的な考え方は、遵法の精神ということが大切なんじゃないか、憲法二十八条を引き合いにして公労法という法律が憲法に抵触しているかどうかというような論議は、それは国会が決めた法律でも自分に都合の悪いやつは文句をつけてなるたけ守らないんだということと同意語だというふうに考えていますので、そういう意味から言えば憲法論争は憲法論争で最高裁なりその他決めるべきところで決める問題だと、こうわれわれは理解しているわけです。ですから、いきさつから見て戦後のあの状態の中で、占領政策もあり、公労法というのはつくられたわけですが、非常にこれは妥当でない法律だという認識は強く持っておる。でありますから、妥当でないものを長いこと、いつまでも温存してきたということは為政者の責任だというふうに思います。そういう意味で理解しておりますが、法がある以上、しかもその当事者の間で都合が悪いからこの法律は悪い法律だなどと言っておれば、どろぼうにだって理屈は出てくるわけでありますから、そういった議論をして、その結果無用の混乱を起こすということは、法治国家として許すべきではない、これが基本であります。したがって、妥当でない法律ですから早う直してもらわないと、いつまでもこの矛盾が続くので、せっかくの機会で、しかも世論的には非常に盛り上がっておりますので、この閣僚協議会の専門委員会の結論等をぜひ尊重してほしいし、それはスト権を認めるという方向でぜひ御努力を願いたいと、こう申し上げておるわけです。そこででき上がったものがどういう形ででき上がるか、可能な限り労働組合の側から言えば無条件で認めてほしいというところですが、いろいろこれもまた問題の存在するところだと思います。  そこで、でき上がった法律を守るのか守らないのかというのが、これはやはり法律改正をする場合の一つの大きな問題点だと思います。そこで鉄道労働組合はかねて遵法の精神に徹するべきだということを基調にしておりますので、どんなに苦しくてもここで改められてつくられる法律を最大限に守っていきたい、こう考えています。でありますから、関係する他の労働組合スト権の回復についての努力を長く続けてこられたわけでありますから、そこで国内の法規として整備されたものに最大限これを守るという立場で取り組まないと、それは国民に対するいわばわれわれの責任が果たせないと、こういうふうに思います。したがって、スト権を認めていただくということ、従来の法律を犯しておる行動は是認するわけにはいかないということ、今後もやはりでき上がった法律はお互いが努力して何としても守っていくということは、私はスト権回復についての一つの大きな前提で、歴史的な反省を含めて考えなければならぬことではないか、こう思います。  まあ社会的責任の問題については先ほど来の論議の中でそれぞれの角度から言われておるわけでありますが、結局労働組合の社会的責任を果たしているのかいないのかというのは、労働組合が、私は果たしていますと言ってもだめなんです。それは労働組合を見る国民世間一般が、労働組合は社会的責任を果たしているだろう、あるいはいると、そのように認められるというふうに評価されて、初めて労働組合の社会的責任というものの結論が出るんじゃないか、同時にそのことが社会的な地位を高めていくという、かねての労働組合の主張とうらはらの関係につながるんではないか、このように思っております。したがって、いままでに国鉄の各組合が、ではそういった基準に基づいて社会的責任を十分果たしておったかという点については十分この機会に考えてみる必要があるのじゃないか。個々の問題についてはこの際指摘を省略したいと思います。  次に、職場の秩序あるいは職場暴力、業務妨害その他でありますが、先ほど来の参考人の証言の中にも、由来はいろいろ言われてまいりました。確かに職場暴力が横行したのは生産性教育中止以来の現象であります。それまでにも職場暴力はある程度ございましたが、ものすごい勢いで頻度を増してきたのは、その段階からであります。私の記憶によれば、昭和四十七年ごろは半年の間にわれわれを被害者とする事件が二百二十六件、告訴手続をとった事件が五十三件。しかも残念なことには双方がやっておるならいいわけでありますが、もっぱらやられ役でありまして、それで、じゃあ鉄労にはやるほど元気なのはいないのかと言われると、かなり腕力に自信があるのはおるわけでありますが、これは労働組合の運動のあり方というものについて個々にいろいろな考え方があるわけでありますから、説得の活動ということは、それぞれ一つ企業に複数の組合があるので、行われることはあると思います。しかしそれを暴力でつるし上げて痛い目に遭わせて、言うことを聞かぬのならどつき上げるぞと、こういうような行き方は、これはやはりいかぬ。鉄道労働組合はそういうことをとってはならぬと、こう指導してきたものですから、たたく方に回らずにたたかれる方に回りまして、ずいぶん損をしました。やはりたたいたやつの方か気持ちがよくて、たたかれた方が、これはめげています。そういうことで、鉄道公安官などもいても、なかなかこれが機能を発揮しない。警察を呼んで守ってもらおうとすると公安官がいることがじゃまになる、妙な言い方でありますが。まあ主としてこれは運転の職場で被害を受けました。  私は、その段階で非常に残念に思ったのは、労働組合の本部として労働組合の本部に申し入れに参りました。お互い説得活動はやろう、けれども暴力に訴えるということはどういうことだ、しかも特に乗務員などという非常に国民の命を預かるような、そういう勤務に従事する人が、いまから汽車に乗ろうとする前につるし上げられて、帰ってくるとまたつるし上げが待っているなんという不安定な気持ちで集団暴力のために脅かされたのでは、運転の安全が確保できない、それはうまくないじゃないか。だからお互いに言論のやりとりはやろうじゃないか、しかし暴力はやめろということで申し入れをいたしました。さすがに国鉄労働組合さん、これはいけないことだ、もしそういうことがあれば断固取り締まるとおっしゃいました。しかし残念ながら動力車労働組合のそのときお会いになった代表は、今後もやるという回答をいただきました。私はやはりそういったことは、これは労働運動としてまことによくないことじゃないか、だからお互いにこれは暴力で腕ずくでやろうというなら暴力団と変わらないわけでありますから、そういうことはよくないということを考えておるわけでありますが、最近は私どもの方の被害が大分減りまして、本日は出席できない少数組合でありますか、全動労というところが大分痛められておるようであります。まあしかしいずれにしても職場暴力というのはこれはよくない、お互いにこれはひとつやめにして、仮に若い人の間で、血の気の多い人ですから多少のことはあっても、少なくとも中央の役員、中央本部の役員といったような人は、そういうことはよくないのだということについて可能最大限の努力をすることは、私は労働組合であってもなくても、ほかの団体だって当然だと思うので、民主主義を売り物にしておるところとしては今後考えてほしいものだ。きょう御出席惣田さんがそう言うたのではありません、これは氏の名誉のために申し上げておきたいと思いますが、とにかく本部でそういう回答を受けて愕然としたことは事実です。  いずれにしてもわれわれは、民主主義の時代の今日のように高度な教育と、しかも国鉄に働く労働者というのはかなり素質に恵まれた労働者たちであるはずでありますから、もう少し人間的に、しかも平和的にやってまいりたいものだと思います。富塚参考人が言いましたところの、何とかして労働組合一つにしようという基本的な考え方ということは、求める方向としてりっぱなことだと思います。ただそのためには、一つになれるようなことをみんなが努力しないと、この旗についてこいということで集まれという話は、これは成り立ちません。例を皆さんの側に返して失礼でございますけれども、全野党共闘だとか社共枢軸だとか言うてみましても、自民党の長期、半永続的な政権というものに対して何とかこれを交代しようという意欲をいわば野党は全体に長らく持ち続けておるわけでありますから、その意味から言えば、野党は一本になってそれでひとついこうというようなことにならなければならぬはずでありますが、これがなかなかむずかしい。そしてそれにはおれのところが正しいとみんなが言っているわけでありますから、なかなかもってこれは大変でありまして、それとことほど同様に、労働組合の内部でも経営の側に対してわれわれは一本であることが非常に望ましいけれども、やはりそれにはそれで、この旗でなければいかぬ、この方向でなければいかぬということが余りにも強調されると、労働者の一本化、統一と団結ということは絵にかいたもちになるのではないか。われわれはわれわれの世代でつくったこの分裂状態というものを将来にわたってさらに温存し、維持していくということについて、そのことは方向としてうまくないんじゃないか。責任を感じる年代でございますので、そういった点については今後国鉄労働者がなるたけ一つにかたまって労働者要求が果たされていくように、私どもは私どもなりの努力を続けてまいりたい、こう考えておりますことでお答えにしたいと思います。
  37. 松本忠助

    ○松本(忠)小委員 それぞれの言い分をお伺いいたしました。富塚参考人の言われたように、なかなか一本化はむずかしいということに私も拝聴いたしました。  なお、財政再建問題についても伺いたいわけでございますが、きょうはもう時間もございません、二時からは本会議も予定されておりますし、なお民社党の河村さんも残っていますから、以上で終わるわけでございます。本当にどうもありがとうございました。
  38. 増岡博之

    増岡委員長 河村勝君。
  39. 河村勝

    ○河村小委員 食事抜きで長時間にわたりまして、時間も大変おそくなりまして、お疲れであろうと思いますので、富塚さんと惣田さんに一点、それから坂東さんに一点お尋ねをいたします。  一つ生産性向上の問題ですが、国鉄の大赤字は、運賃が政策的に不当に抑えられたのと、国の援助が足りないことが主たる原因であって、国鉄自身の合理化には限界があるということは私も承知をしております。ただ、一般国民として国民の税金で国の援助を求めるというのならば、国鉄自体も経営努力をし、合理化を精いっぱいやってほしいというのが一般の気持であります。そこで、生産性向上の俗にいうマル生とかあるいは生産性向上運動と言うようなものと離れて、生産性向上ないしはそれにつながる近代化合理化そのものについても、動労、国労としては、組合側からも積極的に取り組むということについてやはり反対なのであるのかどうか、その辺の考え方をお伺いをしたいということです。  それから坂東さんには、さっき労使協議制の提唱がありましたが、国鉄の現状というか、もっと広く日本労使関係の現状といいますかを考えて、こういう労使協議制というものはいま制度化されて本当に機能が発揮できると思うかどうか、それをお伺いいたします。
  40. 惣田清一

    惣田参考人 河村先生にお答えをしますが、私ども国鉄生産性と言えば、これはいろいろ言い方はありますけれども、一口に言って、先ほど私が申し上げました、国鉄が客貨の輸送について、国鉄職員あるいは労働者が一人当たりどれだけ安全に、迅速に、正確に運ぶかということが、これが言うならば国鉄交通産業という労働者生産性の問題だと思うのです。ですから、このことについて、毎年ダイヤ改正とか新しく列車が設定されて、そのことをめぐって労使幾つかの労働条件の問題で話し合う、そしてそれを平和的に解決していく、このことによって国鉄が計画しておるところの生産性の向上というものについて、それは陰に陽に労働組合は積極的な協力体制をとっているというぐあいに言えるわけです。ただ、少なくとも長い間国鉄職場を持ちながら、おまえさんは、この職場なくするからあっちへ行け、こっちへ行けというような形での合理化問題をからめて、このことを含めて生産性の向上であるというならば、われわれとしては、遺憾ながらそのような計画については簡単に同調ができない。そういう意味において理解されるならば、私ども生産性向上のことを否定するものではありません。  同時に、先ほども何回か申し上げましたように、ややもすれば生産性向上という名において、これを労務政策労働政策として、幾つかの国鉄のいわゆる合理化政策を振り切って、まあ極端な言い方をすれば、長時間労働で、安い賃金で、できるだけよけい働いてもらおうということ、これが生産性の向上であるというぐあいに労務政策労働政策として出てくる面について、これは極論すれば非常に対立をするということがありますから、この点は私どもは、もしそういう見地に立つならば、あえて生産性向上の問題について否定するものではありません。けれども、従来の国鉄が考えておった生産性、あるいは日本生産性本部が考えておることは、大きなパイをつくって——分配論の問題ということで、ほとんど、何といいますか、今日のわれわれの賃金なり労働条件というものがそういう方向において悪化されるということの傾向の中で明確にわれわれは、これは生産性向上運動、われわれの運動をあるいは労働条件を切り下げるものであるというぐあいに理解をしておりますので、そういう立場での見解を申し上げておきたいと思います。
  41. 富塚三夫

    富塚参考人 私の方から申し上げます。  企業の努力が合理化だけに求めようとするところに非常に問題があると思っています。  結局、合理化は人減しとなって労働条件低下をもたらす、安全問題に阻害を来すということが大変な問題であるから、われわれは合理化反対するという立場を実はとってきています。しかし、機械化あるいは近代化といった問題は、労働条件低下を来さないという限りにおいては、これはわれわれ自身は反対をしているものではありません。  問題は、どうなんでしょう、私どもはやはり一つの提案として考えていただきたいと思うのは、国民的なシェア、利用者とか国民大衆の立場に立って本当に経営の努力、つまり企業の努力の合理化問題などがもっとでき得る条件にあるのかどうか、安全という角度から一体どうなのか、あるいは国鉄の管理機構は一体どうなのかという幾つかの視点について、多くの利用者の代表や国民の代表に判断をしてもらうというのも一つの方法じゃないでしょうか。われわれは安全問題が損なわれる、そして計画的に予算定員を減らしていくという問題の人減らし合理化というだけが、国鉄に課せられた企業内努力ということにはもう限界がある、問題があるということを重ねて言っているのでありまして、いわゆる客観的に納得のいく問題であるならば、利用者や国民大衆が指摘をする問題であるならば、労働組合も真剣に議論をする用意があるということについて申し上げておきたい。  以上です。
  42. 坂東正一

    坂東参考人 労使協議制について制度化させて機能するかというのが質問の要点であったと思います。  この問題については、私はやはり二つ問題点があると思う。一つは、経営の側がへっぴり腰である場合、それから、なるたけ腹を言わずに形式的に運用しようとする場合には、意味がないんじゃないか。それから、労働組合の側がまじめに労使協議制というものの本来の意義を理解をして取り組まないと、これは言うならばかえって時間の浪費になる。この二つの問題点があると思います。  しかし、私は特に労使協議制について会社側の姿勢を追及したし、生産性向上の問題について、生産性向上になぜ真剣にならぬかということを言ったのは、たとえば生産性向上ということについての基本的な理解の一つ労使協議制度というのがあるわけであります。あれほど世間を騒然とせしめた生産性の教育を行った国鉄自身が労使協議制度について今日に至るも前向きにアプローチをしていないということはどういうことか。だから、これは私は富塚参考人と少し視点は違うわけでありますけれども、たとえば生産性の教育と一連の挫折に伴う事件というものを見てみますと、そこで唱えたことをみずからが実施しようとしなかった、つまり経営の側が努力しなければならない点についていかほどのことが、この生産性教育を行い、それを経営の理念だとしたときの国鉄において考えられ、しかも取り組まれたのかということについて私ははなはだ疑問を持つ。  私自身は生産性の問題には三十四年ごろから取り組んでおりましただけに、生産性教育そのものの必要、生産性向上当然のことということで従来も現在も理解しておりますが、誤ったとされるものの中にはいま言ったように、本来労働組合に求める側面があれば経営の側が実行せねばならぬ重要な側面がある。その側面についていかなる履行があったのか、いかなる計画が進められたのかという点は謙虚に国鉄は反省すべきだ、こう思います。そういった意味からも労使協議制度ということを私が提唱していることは、とにかく雲の上で物を決めて、何人人間を減すとか何年たったら幾らの収入があるなどというような話ばかり幾ら聞かされても職場で働く、先ほど来引例された非常に厳しい環境の労働者はそのこと自体納得できないことが多い。しかし、こういったことをしたいと思うし、会社の側はこう考えているんだが諸君はどう思うという相談の場があれば問題の半ばはそのことによって理解できるし、意思相通ずるものがあるわけでありますが、何となく管理者の権限だとか責任だとかいうことにおぼれて労働者意見を徴さないという形がいまの国鉄の、これからの大きな問題じゃないか、こういうふうに考えておりますので、労使協議制については幾つかの問題点はあるとしても進める方向が正しい、私はこういうふうに考えておりますので答弁しておきたいと思います。
  43. 河村勝

    ○河村小委員 終わります。
  44. 増岡博之

    増岡委員長 これにて質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に御礼を申し上げます。  本日は、御多用のところ長時間にわたり当小委員会に御出席をいただきまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。本小委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時二十四分散会