○
坂東参考人 鉄労の組
合長の
坂東でございます。
冒頭に
国鉄経営の悪化の
原因等について私
どもの考え方を申し上げたいと思います。
御承知のように、戦後の復興期からいろいろと産業の発展のためにという口実で
国鉄が強いられてきた犠牲というのは、前段の
参考人の表現の中にもございましたように、われわれが共通に認識しておることでありますが、特に重要だと思います点は、確かに
政府の対応というものに不十分なものが多いと思いますが、それにも増して
国鉄の
経営者側のいわば勇気のない行動が多くの
原因を導き出している、このように思います。特に
昭和三十年代から進められてまいりました何回かの長期計画あるいは
財政確立に関する施策というものについて、それは結果を見て議論をするという意味ではなくて、現実に長期計画として
国鉄の
経営を容易にするというような裏打ちのあったものではなかったのではないか。率直に申し上げると、その場限りの、当面一、二年何とか城がもてばいいということに終始してきた
国鉄の
経営者、またその背景にある
政府当局の考え方が強く影響したのではないかというのが私
どもの第一の理解であります。
特に
昭和四十三年までは
運賃値上げ、それに伴う
合理化という形で何とか
経営の数字を調整するという努力が続けられてまいりましたけれ
ども、結局そういった小手先の細工ではものが回らない、どうにも解決しないということに落ちついてまいりました。
昭和四十三年の
予算を
決定した段階から御承知の
国鉄財政再建計画という取り組みが始まったわけでありますが、それまでぬるま湯につかったような方針をとってきた
国鉄にしては、この脱皮はかなり英断だとわれわれも当初受けとめました。残念ながら、
財政再建計画の策定の段階でそれまではひた隠しに隠してきた
内容をそれぞれ
関係をする
政府あるいは学識経験者等に手のうちを明らかにしたことは事実でありますけれ
ども、それを長期再建計画として組み立てる段階で余りにもその手法に無理がありまして、率直に申し上げて、十ヵ年計画の終末に黒字になることを表現するために大変な苦心の労作が行われたと受けとめておるわけであります。結果として現実性のない、きわめて空虚な再建計画を
国会の審議にゆだね、内外に明らかにしてきたと受けとめておるわけであります。
特に私がこの問題について
冒頭に強調いたしたいと思いますことは、現在の
労使関係を形づくっておる、民間を含めてその
企業が健全にしかも民主的に進められておるところでは、
労使の協議という問題がその
企業なり産業の将来の展望を明らかにする段階で真剣に行われ、
労働者の
意見を大きく取り入れた
財政再建の計画でなければ今日的な情勢の中で本当の意味の再建というものは困難なのではないか、このように考えておるわけでありますが、先ほど申し上げました三十年代からの
国鉄における諸計画というのは単に
経営の側の一方的な発想を、背景にあります
運輸その他の
関係省庁との間の調整、さらには
国会における
政府側案としての提出、可決という形でこなされてきたとわれわれは受けとめておるわけであります。
一例を申し上げますならば、
財政再建計画それ自体の根底となるべき
収入の面ではとうてい到達でき得ないと思われる数字が十ヵ年計上され、支出の面ではとうていそれでは困難だと思う緊縮した計画が発表されたというのが
内容でありまして、
国鉄財政再建計画は
昭和四十四年度を初年度として五十三年度を終年度とする十ヵ年計画でありましたが、計画の第一
年度から大きな蹉跌を来し、二
年度にはもはや収拾の方法がなかったということはすでに
先生方御承知のとおりであります。
私
どもは、
国鉄の
経営上の問題を、後ほど申し上げる
政府の施策の点についてかなり詳細に言わせていただきたいと思いますが、
基本的な
立場としてはそれ以前に
日本国有鉄道を代表する
経営の側の姿勢、
経営の側の
労使関係に対する認識、こういった問題について十分な理解と今後の反省がなければ
国鉄のいわゆる新しい出発ということについて自信のある答えは出されないのではないか、このように考えておるわけでありまして、
労使協議制度という問題、この問題について格段の御理解と今後の御配慮をいただきたいものだと考えておるところであります。
そのことを前提といたしまして鉄道
労働組合は、過去における
国鉄の
経営上の困難性に関しまして、その持つ
労働組合としての
基本的な主張といたしまして、従来からの
国鉄に対する
政府の関与並びに
財政を確立するための諸施策ということについて、すでに第一次の
国鉄再建に関する
意見書というものを
昭和四十四年十月に策定をいたしまして、
日本国有鉄道並びに当時
国会に在籍された諸先生にその考え方を提示してまいったところであります。
昭和四十四年の段階で私
どもが再建について考えました
内容を現在の段階で照らし合わせて見てみますと、基礎的な数字に、いわば
日本の高度成長という時代を迎えましたために、数字的な面でかなり懸隔が出てまいっておりますが、
基本的な主張点としてこうあるべきだと指摘をし、その
改善を求めた問題は現状においても大きな変化がない、このように思います。
基本的に私
どもが当時、四十四年に再建の方策として打ち出した問題の
一つは、過去の債務のたな上げ、肩がわりということが
一つであります。これは先ほど来二名の
参考人の言明の中にもございましたように、
国鉄に背負わされてきた因果とも言えるような厳しい制約、重荷というものに対する、いわば具体的解決の方策だというふうに考えたわけであります。
国鉄に対する
財政的な援助、
財政的な出資、こういった面についての過去の冷酷な取り扱いに対する私
どもの回答であったわけであります。
率直に申し上げまして、
国鉄に対する
日本の国の求めてきた多くの
要求というのは、一言で申し上げると、残酷という名に値するものであったというふうに考えておるわけであります。
日本の国の産業発展のために、太平洋ベルト地帯を
中心とする急速な
日本の工業化へのその大きな支えとして、
国鉄に依存されてきた大都市の通勤通学
輸送なり、都市間の乗客の大量
輸送なり、あるいはまた大量の長距離貨物
輸送なりといったもの、それを可能にせしめるための大変な
要求というのが
日本国有鉄道に対して行われたことは事実であります。
御承知のとおりでありますが、東京を
中心とする国電区間の
列車の運転
状況というのは、
国鉄あるいは鉄道に従事する世界各国の人々がこれを見て、まさに奇術的だと言われ、どうすればそれほどの過密のダイヤが運行できるのかと、むしろ不思議な感じを持ったというほどの極端なものであります。ものすごい
輸送需要に対して、
国鉄に課せられたこれらの極端な
過密ダイヤというもの、あるいはまた過密地帯ができ上がるに伴って生まれてまいります過疎地帯に対する対策。ほとんど毎日の乗客を扱うこともないような地域でも、駅をそこに残し職員をそこに配置するということについて、その当該地方においては、失礼な言い方でございますが、自民党から共産党に至るまでの超党派で、とにかく無人駅
反対、貨物の集約
反対、ずいぶんと熱心に、まさにむしろ旗を立てんばかりの勢いで追及をされてきた歴史は数多いわけであります。
日本国有鉄道に一体どうしろと言うのかと言いたくなるようなことを
日本の国は求めてきたわけでありますから、そうしておいて、その必要によって生まれたところの
国鉄の投資を、すべてその元利を償還して、それを
国鉄職員の体で払えと
要求してきたのが
日本の国の政治のあり方であったのではないか、このように考えるわけでありまして、われわれ、やはり
日本国民の一人として働く
職場を
国鉄に持った以上、その重要性、公益性については十分に理解するものでありますが、その膨大なる国家的要請の投資を
国鉄の
労働者の体で払えという行き方に対しては、断じて容認できないところであります。したがいまして、そういった
基本的な理解のもとに、過去のいわゆる債務というものについては当然国において肩がわりをすべきである。では、肩がわりをされた後の現在以降の問題についてはどうするのかという点について、当時すでに私
どもは、競争条件の整備、公平化、さらには適切な範囲での事業範囲の拡大、運賃
政策の面に見る公共負担のいわば可能最大限の解消、ローカル線対策、新線建設と鉄道建設公団によって行われる無軌道とも思える建設計画の廃止、
日本国有鉄道の
責任においての新線の建設、こういった形のものを提案してまいったわけであります。このことは現在の状態におきましてもおおむね適合する問題でございます。その他に、地方におきますいろいろな問題、地方公共団体に対する税金の納入等の問題を含めまして、
日本国有鉄道としては
財政的に多くの困難に立ち至っておるわけでありますが、これらを総じて申し上げますならば、国の
国鉄に対する関与のあり方というものについて
責任を持った対策を立ててほしいものだというのが
基本的な要望になるわけであります。結局、ここまで
国鉄を
日本の国のために必要としたのでありますから、これから
国鉄をしてさらに国民の
国鉄として効果ある機能を果たさしめるためには、強力なる
政府のリーダーシップを必要とする。その方向は、前段申し上げましたように、
国鉄をして生きていける、
国鉄をして働きがいのある
職場にしてほしいという強い要望であります。
新幹線の膨大な建設計画も、発表されてすでに日を経過しておるわけでありますが、いたずらに、東海道
新幹線における
国鉄の血の出るようなその
保守と人身災害をつくらない
安全輸送ということに支えられて、世界一を誇るこの
新幹線の成功、さらには博多開業の成功、
国鉄の
労使を挙げて血みどろになって
安全性を確保してまいりましたこの成功に、いわばおっかぶせまして、
日本の国を縦横に結ぶ
新幹線計画というものも言われておるわけでありますが、
新幹線計画に対する将来の展望、現在いまだ開発されていない地域における新線建設に対しても、もう少しまじめに、という言葉が言い過ぎますと、慎重に、かつ効果的に方向づけをお願いをいたしたいし、取り組みを進めてほしいものだ。そういったことなくして
国鉄に対する再建の問題を論議をされましても、
国鉄に働く
労働者の一人としては迷惑でございまして、その点を十分に御理解をいただきたいと思います。
私
どもは欧米の鉄道の例を見てみましても、
日本の固有の国土の
状況、
国鉄における在来からの技術陣の研さんによるところの優秀な技術、能力というものを勘案いたしまして、
日本における交通網の将来に向かってもなおかつ
国鉄の健在であることの必要を痛感しておるものでございますので、そういった観点から、
国鉄に対する対策というものについて一段の配慮をお願いをしたいと思います。
具体的な数字を挙げて
財政問題を論議したいとは考えておりませんが、いま申し上げた、
国鉄におんぶして
日本の国は戦後のいわば産業復興の時代を順調に進めてきたということは私は言い過ぎではないと考えておりますので、世界の風潮から見るいわゆるモータリゼーションの影響、自動車の普及、こういった問題との関連から、改めて
総合交通体系というものについて真剣な討議が必要となってくるのではないかと思われます。
いずれにしても、国際的に資源の問題に制約を感じる時代に入ったわけでございますから、省資源型の
交通機関としての
国鉄の今後の使命と負うべき任務はより重大なものがあると考えております。そういった点について十分なる検討を
先生方の努力によって進められ、さらに、よりよい結論を出していただきたいことをこの機会にお願いをしておきたいと思います。
次に、
冒頭申し上げました
労働者の
意見をくんで
労使協議の成果を上げるべきだという点について、今後の
国鉄経営の前進のためにさらにこの点について一言申し上げておきたいと思います。
経営参加という言葉がよく用いられまして、多くの方々の間でその概念というものはすでに理解をされておるものと思いますが、少なくとも今日以降この四十数万という巨大なマンモスの
企業、しかもそこに働く
労働者はすでに
労働組合にそれぞれ
組織をされまして強い発言権と提言する能力を持っておるわけでありますが、それを頭から認めず、団体交渉は
労使の
労働条件を整えるために必要であるけれ
ども、
経営のあり方は
経営者の方寸にあるという独善的な行き方というものは、もうこの辺で店じまいにしてはどうか。失礼な言い方でありますが、
冒頭申し上げたように、幾たびか策定した
国鉄当局とそれに関連する方々の手による施策はいずれも数年を経ずして崩壊をしたという事実をお考えになるとき、
経営サイドにおける発想だけでこれからの重要な時代の
国鉄の
経営というものを事実上運営することは困難である。そこで
労使協議制度というものについて前向きな取り組みが必要なのではないか。
ここで問題になることがあります。それは
労使協議制度ということについて若干私
どものような
立場でない
立場で理解をしておる
労働組合の集団がいるということであります。しかし、
労働組合の側が
労使協議制度ということに仮にいろいろな従来の経緯から難色を示しておるとしても、
経営参加という問題について疑問を持っておるとしても、
経営の側のリーダーシップとしては
労働組合の
経営参加と
労使協議制度への積極的な参加という形、関与という形を進めていくべき任務が
経営の側にあるのではないか。しょせん
労働組合の協力なくしては、今日以降の
日本国有鉄道の健全な発展と、国民に迷惑をかけない前進ということはあり得ないわけでありますから、
労使協議制について、格段の理解を賜りたいものだと思います。
特に、私
どもは前二者と異なりまして、
生産性向上に関する
基本的な理解というものを異にしておるものであります。したがいまして、
生産性の向上を強く進めるべきだとする鉄道
労働組合の
立場と、
生産性の向上というものに対して、従来の経過からそれを疑問視あるいは
反対をする
労働組合集団が存在をいたしますが、洋の東西を問わず、その国の体制の差を問わず、
生産性の向上に努力するということは当然のことでありまして、
生産性の向上に努力をしない
企業などというものは民間であればそれは当然倒産、崩壊すべきものであり、公共事業等にあってはそれは国民の迷惑をいわば倍加することになろうと考えます。
そういった意味で、
日本の高度の
経済成長がいわば民間を
中心とする
生産性向上の成果によって支えられてきたという事実、そのことにわれわれはやはり着目しなければなりません。したがって、今後とも
生産性の向上ということに対しては
日本国有鉄道は積極的に取り組むべきでありまして、過去における
生産性教育の失敗、特に指摘がございましたように、行き過ぎた
部分が指摘をされて
不当労働行為救済命令等の
事件が起きたことは事実であります。それは
不当労働行為という
事件を起こした
部分について論議すべき問題であり、
生産性の向上をあくまでも推進するということは
日本国有鉄道にとって当然の責務であると考えます。しかるに
生産性教育のいわば途中における
事故のためにそれを中止する。
国会においては、これは
国鉄の新しい
経営理念でありますから、起きた不幸な事態に対する対策と、この
経営理念の遂行とは別個の問題ですと当時の
責任者は明言しながら、竜頭蛇尾に終わりまして、まさにこれを挫折せしめて
日本の産業界全体から物笑いになっておるという事実について、私は強く反省すべきだと思います。
同時にまた、こういった
生産性教育に対する反動とも言うべく、
労働組合の中には減産
闘争などという指令を
職場に流し、
生産性を低め、
労働者個々人の理解と個々人の認識とによって
生産性を減ずるために、それを
労働者の抵抗
闘争として持続的、長期的にやれなどということを指導している向きもあるやに聞いております。これまた言語道断な行為でありまして、あくまで
労働者は
生産性を高める中からそこに
労働者の適切なる配分を求めていくべき
立場に立つというのが今日先進諸国における
労働組合の一般的あり方でありますことを、この機会に若干指摘をさせていただきまして、
経営の側の反省と
労働組合他集団の建設的なる取り組みを期待をしてやまないところであります。
ちょっと話が横道にそれた感じがありますが、特にこの点申し上げておきたいと思います。
いま
日本国有鉄道に対する国民全体の間の指摘と期待は、特に
生産性教育の挫折以降に関連いたしまして、
経営者なり管理者が
経営者らしく管理者らしくない体質が多くにじみ出ている。それにはそれだけの経緯があったものということを否定はしません。しかし
経営者が
経営者らしく、
労働組合が
労働組合らしく取り組んでいくところに私は
労使関係の正しい発展があると思うわけであります。あるときにはいたけだかになって
労働組合に対して強く物事を押しつけてくるというような姿勢をとるかと思えば、あるときには、今度は
労働組合に突き上げられると一目散に逃亡をするというようなそういった不見識なことでは、とてもこの巨大
企業が将来にわたって二十一世紀の交通網の期待にこたえることはできないと私
どもは考えるわけであります。安全な運行の確保の問題にしても、あるいはサービスの向上の問題にしても、その他多く求められております
参考人に対する質問要旨について、私は究極、
経営が毅然たる姿勢をもって、国民のための
国鉄というものに対して改めて眼を開いて取り組んでほしいということであります。
私
ども鉄道
労働組合は、従来も再建に関しましてその持論のもとに及ばずながら努力をしてまいったつもりであります。今後もまた
日本の
国鉄が国民に愛され、さらには
日本の国の将来の発展に依然として重要な役割りを果たしていくことを心から期待しておるわけでありまして、本
委員会が積極的にその方向について御尽力あられんことを期待をするものであります。
最後に、
労使関係の問題に関連をいたしまして、
スト権の問題がいま閣僚協議会専門
委員会において、われわれの陳述を含めて取り扱われておりますが、
国鉄の
労使関係を律するに重要な影響を持つ
スト権の問題については、
国鉄労働者に
スト権を与えるという
基本的方向をぜひ貫いてほしいと思います。巷間
国鉄に対する
スト権を与えることは、いまでもずいぶん大変なのに、これ以上
スト権を与えるとどうなるかなどということを言う向きがあります。そういった声が世間の中に相当存在することを私
どもは否定はしません。しかし
昭和二十四年以来実に二十六、七年にわたって
国鉄の
労働者に頭ごなしに
スト権を制約してきて、それを法を越えて、あえて違法行為をするものと、法を守るべきだとして取り組んできたものとに分かれて
労働組合は
組織されておりますが、そのいずれの
立場から見ても、いわば他の
公共企業体における例と勘案いたし、諸外国の例も多く見聞するにつけ、
国鉄労働者に対する
スト権の一方的制限は妥当なものではない。少なくとも制定の段階における国内情勢というものには
一つの根拠があったかと考えられますが、今日の時代になおかつ
スト権問題について頑迷な態度をとられるとするならば、それは
日本の国の将来を誤るものであるというふうに考えます。
どうか
先生方におかれましては、
国鉄問題の終局の大きなポイントとなる
国鉄労働者に対する
スト権の与える方向について、
スト権を認める方向についてぜひ御配慮あらんことを特に最後に希望いたしまして、非常に大まかな表現になったかと思いますが、鉄道
労働組合の
意見の陳述を終わりたいと思います。(拍手)