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大木参考人 おくれて来まして申しわけありません。おわびいたします。ちょっと所用で旅行から帰ったばかりでありまして、またふだん余り勉強しておりませんし、直接
国鉄問題をしょっちゅう担当して勉強しておるわけではありませんので、日ごろ、年来感じております点だけを一、二申し上げたいと思います。
途中から入って来まして、いま隣で
鎌田参考人が非常に詳細な
意見を述べておられましたが、おおむね私ども同感共鳴するところが多い御
意見でございます。
国鉄の
再建問題は、たしか戦後十年くらいたちましたころに、有澤先生が会長になられました
経営調査会、そこで
最初に取り上げられたように記憶しております。労組の代表の方、あるいはほかの学識経験者とかいろいろな方が参加されまして、たしか一九五五年ころではなかったかと思いますが、当時の三木
運輸大臣に出された報告がまとまった報告の
最初ではなかったかと思います。その後たびたび
国鉄再建についての各方面からの報告とか
意見書が出たと思います。それを通じて流れますものは、やはり
企業体としての
国鉄のあり方、それを基本的に追求するというのが基本的な
考え方、いわば哲学のようなものであったのではないかと思います。それは、言い直せば、
企業体としてのということは、
国鉄で言えば
運賃収入、あるいは
利用者負担ということに相当重点を置くという
考え方ではないかと思います。
昭和三十六年ごろに、あれは木内信胤氏が
国鉄の中での小
委員会で中間報告なんかをなされましたのも、ほぼやはり
運賃値上げと国の援助、その後もいずれも同じような方向での解決を説いておられたと思います。
それから十年くらいたちました、たとえば
昭和四十五年には原安三郎さんが
国鉄の中の諮問
委員会の
委員長をやられまして、興業銀行の中山素平さんが小
委員長になられまして、
国鉄経営をどうすべきだという報告が出されたと思います。いまの一九七〇年の暮れに出ました中山小
委員会での
国鉄の
経営については、いまでも
考え方としては私どもは個人的に同感する点が非常に多い。その後も
国鉄に対してもいろいろ影響を与えて今日に至っておると思われます。その
一つは区分経理というような
考え方でございます。
その後二十年くらいたちまして、いまもなお相変わらず
国鉄の
再建問題が問題になっておる。特に最近は、おととしの石油ショック以来、それまでに立てられましたいろいろな
再建の見通しが大きく狂った。それ以前から進行しておりました運輸市場の構造とでもいいますか、そういうものがその後も進展していったということがあろうかと思います。いまなお、一見
国鉄の
状況は非常に悪い。一見というよりは、これを建て直すのは大変なことだと思われます。
そういった窮状の打開策、現に関係者はこれで頭を痛めておるはずでありますが、私はある
国鉄のOBの方にこの間お目にかかりましたので御
意見を聞きましたところ、非常にとっぴと言えばとっぴな御
意見でありますが、いままでの現行制度のもとでの
企業体としての
国鉄のあり方を追求するということを離れて、公共体としての側、そういう見方に徹するという議論をやってみたらどうなんだ、たとえば
国鉄の
運賃をすべてただにしてみたらどうなんだ、
運賃がただということは、いま申しましたように
利用者負担重点ではなくして、それをゼロにして、そのかわりに税金、つまり
全国民の
負担という
考え方に徹してみたらどうかという発想であると思います。
〔
西銘小
委員長代理退席、加藤(六)小
委員長代理着席〕
その上でどういう点に不合理があるか、その対策を探っていったらどうなんだろう、それはその発言者も、別にそのとおりになるとか、しようという意味ではありませんで、議論をもう一遍煮詰めるための方便としてそういう意味を申されたんだと思います。
たとえて言えば、ソビエトができました初期のころには、一九二〇年代にはソビエトは半年くらいその国の
鉄道運賃を無料にしたことがあるそうであります。余り資料はないそうですか、そういう事実はあったそうであります。半年ということは、やがてその不合理に気づいて結局
利用者負担ということを少なくもあわせ
考えざるを得ないということになったと思われます。いずれにしましても、こういう
利用者負担と
国民負担あるいは税
負担というもののいずれかに非常に偏るというわけにもいかぬでありましょうし、そういう
限界を具体的に追求してみるということはまた必要だと思います。そしてこういう
国鉄が持っております公共性と
企業性という二つの性格の調和とか
限界とかいうものが常に意識され、議論され、その対策が具体化されるということがきわめて常識的であろうと思います。そうして初めに申し上げましたように、これまで出ましたもろもろの報告書、
意見書は、いずれもその点で苦労しておられるものでありまして、そしてまたそれぞれが、いまその一、二を拾い読みしましても、いまもってその議論は相当生きているという点があると思います。
そこで、私が申します
意見というようなものは、いままでのそういった報告書のたぐい、あるいは現在あちこちで申されております方々の御
意見と決して遠いものではなく、その一
部分を申し上げるにすぎません。
おそらくほかの
参考人も触れられたと思いますが、重要な点は、私が
考えますのは、
国鉄の性格が非常にあいまいであるという点であります。
〔加藤(六)小
委員長代理退席、
西銘小
委員長代理着席〕
それは、さかのぼれば公社というものの性格いかんということにもなると思います。
国鉄と専売の二つが占領下に公社というものとして発足し、その後電電とか何かが加わったということを聞いておりますが、そのいきさつは、たとえば労務対策に基盤があったとか、いろんなふうに言われておりますが、いずれにしましても、現在最近時の
国鉄公社というものの性格、これはほかの、たとえば
日本航空でありますとか、あるいはこれは国家のというわけではありませんが、特別法に基づく電力会社であるとか、そういった民間の
企業でありながら
独占性を持っておって、
地域独占体であって、そして公益性を持っておる、そういったものと比べます場合に、非常にあいまいである、そのあいまいさがまた非常に出ておりますのが、しばしば言われます責任の所在が明確でないという点かと思います。
そして端的にいえば、これは私の結論めいたことでもありますが、さっきちょっと触れました区分経理ということを現にやっております。そういう方向を一層促進してみる価値があるのではないかというふうに思います。それは結局黒字線、
赤字線と言ってもいいかもしれませんが、あるいは当時の区分経理という、いまも伝えられております。生きておる
考え方とするならば、
幹線系、七十何線ですか、
幹線系というものと、それから二百何線というその他の地方線といいますか、そういうものに分けた区分経理、この両者を
国鉄なんかがっくりましたグラフで見ましても、片方の
幹線系の方は、それの収支じりというものは収支ともに上向いており、そうしてその差額
部分というものは
運賃値上げをやるたびに差が縮まって、そうしてまたしばらくすると少し開く。この二年半ばかりの間、予定された
国鉄の
運賃値上げが足踏みをした、仮にそれが予定どおりの時期、タイミングで、予定どおりの幅で
値上げがされたとするならばどうであろうかというグラフなどを見ますと、いままでと同じようにほぼ二年半分、四、五千億になりますか、このくらいのものはカバーされて、そうひどい大ごとには
幹線系の方はならないのではないか。
これに反していま触れました地方
線区という方は、いわば慢性的な
赤字でありまして、この方は、仮に
運賃値上げが、いままでもそうですし、今回先ほどの
運賃値上げが予定どおりに行われたといたしましてもやはり
赤字幅は横ばいないし漸増しつつある。たしか一九七〇年の末のときに
国鉄でやりました、
経営をいかにすべきかという中で検討されまして以来
国鉄が内部的に採用しておりますこの二つの区分経理ということは、明らかに
国鉄が少なくも二つに分けてもいいような異なる性格の
路線網を持っておる、したがって、これは異なる性格であり、したがって、対策も目的も異なったものでなければなるまいというふうに思われます。
私は、前あるいはそのときどきの総裁なんかの方にお目にかかったときにひやかし半分に申し上げるのですが、どなたであっても一人の総裁がそういう二種類の異なった分野を一本の
企業体のもとに持っておるという場合に、どうして一人の人が
一つの演説で両方の異なる性格の職員、従業員を満足させ、仕事の生きがいを感じさせるということができるでありましょうか。その感じはいまもって変わっておりません。したがって、
企業体的に運営できそうな
部分あるいはできている
部分、これは何も――
新幹線はそうでありますか、
新幹線に限りませんし、あるいは単純に
赤字線、黒字線というふうにいまの時点で――あるいは二、三年前の時点で分けてみれば、それはなるほど黒字線は三線しかないとか何とかいうことになるかと思います。しかしながら、いまの時点時点で切った場合の
赤字線、黒字線というものは必ずしも本来のそういう性格をあらわしていない。つまり予定どおりの幅である
程度運賃値上げが行われたとするならば、まずとんとんにいきそうな
部分というのは相当あるということであります。それが、極端に言えばまたこれは首都圏といった大都市圏、その周辺の
鉄道であり、あるいはその
幹線を含めたものであると言っていいと思います。
国鉄の首都圏本部などでは五十キロ圏あたりではいまでも黒字であるというふうに言っております。そこで、これも結論めいたことを先に申し上げるのはいかがかと思いますが、そういう
企業体的な性格の
部分があるとするならば、それはまさにいままでの各種の報告にも言っておりますように、
企業体としてのメリットを追求させるべきでしょう。そういう理念のもとに。そしてそのためにはやはりそれにふさわしい
企業形態といいますか、そういうことを
考えてみる値打ちはあるのじゃないかと思います。
それから、片や不採算線とでもいいますか、そういう分野で、採算はとれないけれども、すべてとは言いませんが、しかしその多くはやはり必要である、それは
ナショナルミニマムといいますか、いずれにしても非常に必要である、しかし採算は民間の
企業体的な意味の
企業体としてはとれないのだ、そういう
部分は確かに
政府がもっと責任を持って、てこ入れをするというよりは責任を持ってそれを賄う。つまり一般の行政がそうでありますように、行政
需要に対する行政
サービス、これは採算ということを、
企業体的な採算を度外視して
考えるべきではないか。大都市の駅であるとか、あるいは
新幹線のような車両に乗りましたときにたまに言葉を交わします
国鉄の職員、それから、ついせんだっても私は大湊まで別な用事で参りましたけれども、ああいう閑散線、そういうところの職員の方あるいは駅長さん、そういう方にそれこそ仕事の生きがい、誇りを与える、それはやはり別のものでなければいけない。行政
サービスに徹することと、片っ方はそういうことでなければいかぬのじゃないかと思います。
それはいろいろな形態が
考えられますからどれがとは言いませんが、昔の特別会計というのもそうでありましょう、現に郵政やなんかはやっているところもあるわけですからそういう形態も
考えられるでしょうし、それから、そこまでいくまでにはもっと違う形も
考えられると思います。いずれにしても世界有数の大
企業体、そして大にしてはそういう
国民に足を与える、それから小にしてはというか、いまの
国鉄内部の職員にそういう仕事の生きがいを与える必要ということを――ぜひこれはそういういままでの
国鉄の、あるいは運輸省の審議会とかいうことを離れて、ここにおられます国会の
皆さん方あるいは地方自治体でもそうだと思います、各界、各党、各層といいますか、そういう方々が、いま申しましたような生きがいを感じる、それから
国民に必要な足を与えるというためにどういう形態がいいのかということを、しかも実行可能な道を探っていただきたい、共同して検討していただきたいと私は思います。いままでたくさんの報告書が出ましても、なかなかそれの実現性が要するになかったと言えると思いますが、そのフィージビリティーといいますか、そういう実行の可能性を探るということが私は非常に重要な点だと思います。
そしてその結果、いま
国鉄自身は御承知のように借金
経営をやっておる。借金も経常費を賄うための借金。経常費が足りない、つまり
人件費その他が足りない、それを借金でやむなく食っているというような
状態になっております。そして、借金がこのままでいけばだんだんふえていくだろう。つまり、経常費を借金でずっと賄っていくとするならば借金をわれわれの子孫にも残すということになるわけであります。数年前までは
国鉄はともかくも、生まれてから九十八年ですか、九十八年間というものはほぼずっと一貫して黒字であったということを、あるいは
赤字ではなかったということを誇っております。そして、それはちょっと
考えられるのとは違って、いままで税金で
国鉄はやってきたのか、そうではなくして、まさにその
運賃収入、それも本業主体の――兼業ということをほとんどしないで、本業の
運賃収入で百年近くをやってきたんだと言われております。そしてそれとともに、もちろん外債とか債券のようなものも出しております。いまでも英貨債はたしか残っております。しかしそれと同時に大きな資産をわれわれに、いままでの
利用者とか
国鉄の
経営者といいますか、われわれの前の世代は残してくれた。それに反して、いまのわれわれ現世代は次の世代に借金を一体残すのか。この世代間のバランスということを
考えれば、経常費を借金、借金でやっていくということは非常にやはりおかしいのではないかと思います。
少し散漫な話であちこち飛びますが、この間のストで、数日前の新聞で見ましたが、副総裁の談話でしたか、当事者能力がないという新聞記者の質問に対して、何か法的に保障された当事者能力というものが重要だという意味のことと、それより以前に支払い能力がないんだ、それを回復しなければいかぬということを慨嘆しておられるような話が載っておりました。非常に広い意味の、常識的な意味での当事者能力とでも言いますか、そういうものが確かにない。それを法的にどう保障するかということもありましょうが、それは、こういう
言い方をしては失礼でありますが、こういう席で話をさせていただく機会は余りありませんのであえて申しますが、世間で言われておりますことは、つまり
国鉄の新
投資工事のことでありますが、新線
建設の審議会というものが古来ございます。それは各省次官あるいは各界の有識者も入っておられますが、非常に多くは国会議員の方でございます。そしてそのときの与党の首脳部がまたその審議会の首脳でもあるということにいままでなっております。これはたとえでありますが、それの是非はともかくとして、そうであるならば、新線をつくりなさい、ずっと百幾つもリストがございます。それから
新幹線についても表がございます。それならばその後のめんどうも一体見ないのか。それを見ないで、見方はいろいろありましょうが、たとえて言えば口だけ出して金は出さぬというふうに受け取られるような仕組みと言いますか運営と言いますか、そういうことは今度
国鉄側から見るならば、少なくも
国鉄の総裁なり
国鉄の幹部の権限というものが、非常に限られたことにならざるを得ないではないかと思います。そしてそれはもっと広く言えば、
運賃が、基本的な
部分でありますけれども、それは国会で
議決される、それの変更もしかり。この点もよく世間では議論になるところであります。しかし、先ほどほかの
参考人が申されましたように、やむを得ずといいますか
料金を上げる、
料金をしばしば改定をするという形で
国鉄の収入としてはかなりやれているし、やっていると思います。
私は何もここで私の
意見として、
運賃の
決定権をいまあるところからほかに持っていった方がいいというようなことを申し上げるつもりはありません。しかしながら、
運賃の
決定権を国会が持っておられるならば、必要だと認められる
運賃の幅なり、実現のタイミングをおくらせるとした場合に、やはり何かしかるべき措置もあわせてとるべく積極的に努力すべきではないか。それでありましても、たとえば英国の
国鉄に当たりますような公社の幹部などと比べて、そういう点については
日本の
国鉄当局は、そういう常識的な意味のいわば当事者能力といいますか権限というものが非常に狭められておるということは否めないと思います。そして、責任がいろいろ分散しておってもいいわけでありますが、どういう点での権限なり責任がどこにあるんだということが、ともかくそれぞれの方にあるいは世間にも十分に意識されているかどうか。それが余り意識されていないならば、一種の無責任体制あるいは無責任に近いような運営がされるという結果になるのではないかと思います。無論四十何万というような従業員のおりますマンモス世帯の
国鉄の内部、そういう
日本一の大世帯でありますから、この大きさに対応するだけの内部の管理能力とかそういうことを果たして十分に持てるのかどうかということは、もちろんこれはそれでまた問題であります。しかしながら、
国鉄を包む外側にもまたそういう責任の問題ということは常識的な意味ではあるのではないか、そういう点を私は申し上げておきたいと思います。
それで、ちょっと話がずれますが、これはしばしばいろいろな資料に出ておることではありますが、一、二数字的なことを申し上げたいと思います。
いまの
国鉄の中での区分経理的な意味のこと、
幹線系と地方交通線とに分けた場合にどうであるかというようなことは、たとえば全
国鉄の
輸送量のうちの九二%ぐらいは、いまの
幹線系と称しております。十幾つの線で上げておる。そしてそれは線路の営業キロで言いますと四八%、半分以下である。そして半分以上の一万一千という
線区を持っております地方交通線の方は全
国鉄の
輸送量の七%である。従業員も四十何万のうちのたしか九万ぐらいじゃないかと思いました。そういう対照になっている。これは旅客と貨物と合わせたものですが、どっちをとっても似たようなものであります。旅客
輸送ならば九割とか貨物ならばもう少しパーセンテージが多いのが
幹線系でありますし、その逆に一〇%、七%というのは地方交通線の方であります。これは年次は六八年ごろであります。そして営業係数は片方は一〇一、大体とんとんぐらい。最近だとたとえば一一八ぐらいになっていると思います。それに対して片方はちょっと前でも二四〇ぐらいあるいは三七〇ぐらい。最近は収支係数は
悪化しておる。いま一一八と
幹線系を申しましたが、
幹線系だけでとるならば、つまり一八%
運賃が上がるならば収支とんとんになる、数字の上ではそうなるわけでございます。そして旅客と貨物をどれだけ運んでおるかということは、結局
国鉄あるいは
鉄道という仕事からすれば、これによって社会がどれだけその
輸送機関を評価しているか、その社会的な評価というものがここにあらわれておると言っていいと思います。
それからもう
一つの点でありますが、これもちょっとくどいような話で、重複しますが、外国、特にヨーロッパ、英、仏、独といったところでどんな種類の国の助成をやっておるかという問題でありますが、いろいろな負債の利子補給、こういうこともあります。これは
日本でもやっておることでありますが、
日本は御承知のようにほとんど工事費の補助、そのほかは
再建債とかいろいろな孫利子に至りますまでの債務の利子補給がほとんどであります。そしてそのほかの種類の
政府からの補助、これは最近は別に出資が非常にふえておりますけれども、それを除いてはない。つまり経常費というようなものに対する
補償とか分担とかというような形での助成なり補助が
日本ではこれまでほとんどないというわけです。それに対しましてフランスなりドイツなり英国なりでは、英国の場合も非採算旅客
輸送への
補償というものが非常に大きな
部分を占めている。それからもう
一つは、
資金不足などに充当する実損補てん、こういうものは
廃止されて、むしろ初めに申しました
補償の方に変わったりもしていますが、とにかくこういう二つの種類がある。フランスの場合はやはり、
運賃をただにするあるいは強制的に
割引させる、こういうものに対する差額の
補償、これが非常に大きな分野を占めている。パリ地区では特にそのうちの三割ぐらいを地方自治体が
負担しておる。つまり中央と地方
政府も分担しているという形をとっている。あと、通勤通学的な旅客
輸送に対する
補償も非常に大きい。特にバリ郊外線の通勤
輸送への
補償、あるいは貨物、物資
輸送の方では新聞とか石炭、こういうものを割り引いて
輸送しておる、これへの
補償といったものもございます。
そのほかには
人件費の一種でありますけれども、年金とか恩給とか。ドイツの場合には特に一
部分が官吏でありますから恩給ということになりますが、片一方は大
部分が退職年金です。年金の
負担のある
一定部分、非常に重い
負担の
部分を中央
政府が分担するということもやっている。
それから保安施設、線路とか踏切とか、こういうことの保守運営費、これの分担、
補償といったようなことをやっている。これはドイツもフランスもやっております。そしてそれぞれの国の
国鉄の収入に対する国家のこういった助成のようなもの、これが四十何%、五十何%を占めるようになっているということでございます。特にドイツではこういったさまざまな運営費の助成とか
補償、そういったことが法律によって行われておる。踏切なら踏切の保守、その半分を
補償する。こういったことのすべてが法律によって定められている、連邦
鉄道法二十八条とか、そういったもので。フランスの場合も、これは法律というよりは協定ということになっておりますが、国と
国鉄との間の取り決め、これの第十八条、十九条、二十条ということでそれぞれ決められている。つまりこういう助成の
やり方が明確な協定なり法律なりの形をとっておる、その
ルールが非常にはっきりしておる、私はその点を一番申し上げたいわけでございます。
それからもう
一つ。ちょっと古い資料しか私は存じませんが、スウェーデンにおきましては、一九六七年だと思いますが、やはり非採算
線区への
補償ということをやっております。このときはスウェーデンは
国鉄を
企業性
線区と非採算
線区とに二つに分類した。そして非採算
線区へ
補償しておる。これは一九六四年以降欠損額に対して完全
補償をしておる。いま現にどうであるかは私は存じませんが、そういった資料もございます。
そこで、ちょっと前の議論に戻りますが、全
国鉄輸送量の九割以上を占めるこの
幹線系、それはいま申しましたように、
運賃値上げが二年半ぐらいおくれたというためにも
赤字これ全体で、四十八年度単年度では二千何百億という
赤字になっておりますけれども、さっきグラフについてちょっと申し上げましたようなことをやって修正いたしますと、あるいはいま現に二八という収支係数を申しましたが、つまり
運賃の若干の
引き上げによってこれは賄えるような
線区である。こういうことでもって非常にたくさんの人と物を運んでおる。この点を世間はもっと評価すべきではないか。一概に全
国鉄が
赤字であるとかつぶれているとか言うよりも、この点は私はもう少し評価されていいのではないかと思います。したがって、ちょっと外国の例で申しましたように、
政府があるいは国会がいろいろな政策の上で
運賃引き上げを抑えるとか引き延ばしたりするならば、あるいは強制
割引というようなことをやらしておるならば、それはいずれも何かの形で
補償するという道をあけるべきだ。その道は現に御承知のようにあれは傷痍軍人でありましたか、厚生省関係の、量はごく少ないのですが、そういうものについては厚生省が
国鉄に
割引部分を出しているという非常にささやかな萌芽は
日本にもあるわけであります。そして
日本の場合にもそういうはっきりした欧州並みの形で何か国の
補償を一般的に
国鉄に対してやるべきであるが、しかし、その中でもそういう
幹線系というのは
新幹線を
中心として
経営体としてやっていけるはずであるから、その
経営体としての理念と責任を明確にして、これはなるべく外からの拘束を離れた自由な活動ができるようなそういう措置あるいは
経営形態というものを検討されてしかるべきではないかと私は思います。そして、これに対して地方線という方は、これはなるほど
輸送量は少ない、しかしその土地土地においては重要であるということで維持していくとするならば、維持するためにはいわば
赤字ということになるわけでありますから、これに対して適切な
赤字補てんの、したがって維持運営のできるようなお金を出さなければいけないだろう。
人件費すら賄えないというようなことではやっぱり困るわけであります。ほかの点もございますが、私が一番強調したいのはいまの点でございます。
それからほかに、
政府が金を出してもいいではないかというのは、これもよく昔言われておりました。特にこれは新
投資の場合にそうでありますが、道路とか飛行場であるとかそういうものに比べて、つまり飛行場は国の行政
投資として出しておる、道路もしかり。それに対して
国鉄の場合はそういうことをほとんどされておらない。そういうような点からも
政府が助成すべき正当な理由があるということは言えると思います。
しかしながら、私が申しますような二つの区分経理の段階でも一方でうるさい議論をしますと問題になろうかと思います。まして、反論があり得るのはいまの
運賃、
全国一律の
運賃ということが法律によって決められておる。
総合原価主義ということであります。これはもともと、こっちの
赤字をこっちの黒字で補てんするということを前提にしておる。しかしこれが全体として賄える間はそれでもまあよかったかもしれませんが、一ころ
国鉄総裁が何か新聞記事によれば二倍論とかいうのを出されたということですが、それはとてもいかぬと言われた。これは当然でしょう。しかし、全体としての
赤字がどんどん
累積していくということになれば、ますますそれを修正するための
運賃の上げ幅というのは大きくならざるを得ない。つまり一種の
内部補助でありますこういう
総合原価主義の
考え方というものにも結局
限界があるのではないか。
国鉄が一種の
鉄道としての
独占力を非常に持っておったころ――いまともかく傾向としてはその
独占力がなくなりつつある。それから片方では、いまの
内部補助というのは貨物の
赤字を旅客で埋めるということにもなるわけでありますが、これはまたこれですでに国会においてもよく言われておるところでありますが、これも
程度問題でございましょうし、貨物は貨物で
競争という問題がありますから、なかなか上げられないということがあると同時に、貨物の
赤字を幾らでも片方で埋めるということはどんなものか、確かにそういう議論は成り立ち得るのではないかとは思います。
いずれにしても、ここで申し上げたかったことは、こういう
総合原価主義という
考え方も、
国鉄全体を独立勘定にしてのこういう
考え方にもやはり
限度があるのではないか、つまり、いろいろな点から
考えてみて、やはり区分経理あるいはその大きな線を推進していく必要があるのではないか、それそのものが
国鉄の
再建にすぐつながるかどうか知りませんが、それが
再建に近づく道ではないか、もう少しすっきりさせることができるのではないか、私はこの点だけを申し上げまして、雑駁でございましたが、私の
意見を終わります。
(拍手)