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1975-05-14 第75回国会 衆議院 運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和五十年五月十四日(水曜日)    午前十時十分開議  出席小委員    小委員長 増岡 博之君       加藤 六月君    佐藤 文生君       關谷 勝利君    西銘 順治君       太田 一夫君    久保 三郎君       兒玉 末男君    梅田  勝君       松本 忠助君    河村  勝君  出席政府委員         運輸省鉄道監督         局長      後藤 茂也君         運輸省鉄道監督         局国有鉄道部長 杉浦 喬也君  小委員外出席者         運輸委員長   木部 佳昭君         運 輸 委 員 金瀬 俊雄君         運 輸 委 員 坂本 恭一君         運 輸 委 員 三浦  久君         日本国有鉄道常         務理事     小林 正興君         日本国有鉄道常         務理事     天坂 昌司君         参  考  人         (読売新聞社論         説委員)    岩村精一洋君         参  考  人         (日本経済新聞         社論説委員)  鎌田  勲君         参  考  人         (朝日新聞社論         説委員)    大木 穆彦君         運輸委員会調査         室長      鎌瀬 正己君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  日本国有鉄道に関する件(国鉄問題)      ――――◇―――――
  2. 増岡博之

    増岡委員長 これより運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会を開会いたします。  日本国有鉄道に関する件について調査を進めます。  本日は、国鉄問題について、参考人としてただいま読売新聞社論説委員岩村精一洋君、日本経済新聞社論説委員鎌田勲君の御両名の方に御出席をいただいております。  なお、朝日新聞社論説委員大木穆彦君は、所用のため出席がおくれますので、御了承願います。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  本日は、本問題につきましてそれぞれ忌憚のない御意見を承りまして、調査参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げますが、岩村参考人鎌田参考人順序で、御意見をお一人三十分程度に取りまとめてお述べいただき、次に、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  それでは岩村参考人にお願いをいたします。
  3. 岩村精一洋

    岩村参考人 岩村でございます。素人でございますが、皆さんと御一緒に考えたいと思います。座らせて述べさしていただきます。     〔小委員長退席西銘委員長代理着席〕  国鉄問題を見ます場合に、どういう視点でこれを見るかということを最初考えました。それで、これまで財政再建計画という言い方で、これを再建するという考え方で問題が取り扱われてきたわけでございますけれども、どうやらそれが無理な事態に入ってきているんではないかと思います。  国鉄財政再建対策という昭和四十八年の二月二日の閣議了解でございましたけれども、「五十七年度までに損益計算において利益が生ずるよう財政健全性を回復することを目標とし」、こういう文言がございますけれども、財政再建という言い方はどうやら問題を誤らせるような状態になってきているのではないかと思います。財政再建というのは収支均衡がとれる状態を意味するものだと思います。これは端的に申しますと、運賃収入でその支出をカバーすることができる状態、これが財政再建された状態ではないかと思いますけれども、これは現在の経済情勢社会情勢の中では望んでも望み得ない状態になってきたのではないか、これが私が国鉄問題を見ます場合の最初視点でございます。  それで、今回は運賃ということを中心にいたしまして、今後の国鉄はどうあらねばならないかというようなふうにこの問題に接近してみたいと思うわけでございます。  国鉄運賃公共料金の代表的なものでございますけれども、公共料金についての公共規制の本質的な意義というのは、競争が行われにくいようなものに対して、それにかわって競争状態が行われていると同様な、理論的には競争が生み出すと同様な結果を達成することにある、これが公共料金公共規制の本質的な意義ではないかと思います。企業独占ということをいいことにして非常にルーズな経営をやる、それでその結果非常にコストがかさんでくる。そういう独占の弊害を排除して消費者の保護を図る、これが公共規制一つのねらいであろうと思います。しかしながらそれだけではだめであって、企業体を殺してしまうことはできない。やはり企業の健全な経営、効率的な経営を維持するようなそういう公共料金水準が決められなければならないんだと思います。ということは、結局公共料金というものは、本来的には企業体原価をカバーするものでなければならない、そういうふうに考えられます。  これは国鉄の場合について申し上げますと、国鉄運賃法の中に、国鉄運賃原価を償うものでなければならないと、こうございます。ところが、最近の経済情勢社会情勢を見ますと、完全に原価を償うような運賃というものがどうも非現実的なものになってまいりました。  その第一点は、非常に大きな赤字が現実的に出ているということでございます。四十九年度末の累積赤字を、これは予定数字でございますけれども、国鉄調査のものを見てみますと、二兆二千七百億になります。そして長期債務残高は五兆五千億になる。そして四十九年度単年度の赤字が、償却前に四千三百億、償却後に六千七百億というような状態でございます。これは赤字の額としては非常に大きな額でございまして、運賃引き上げでこういうようなものを徐々に解消するということは現実的には非常にむずかしい状態になっております。  それから第二番目に、一般大衆が、国鉄運賃は安くてその結果国鉄企業体赤字であるのはあたりまえであるというようなそういう感覚を持っております。運賃引き上げということになると理屈抜きに反対する。そしてその理由としては、国土開発だとか、あるいはシビルミニマムだとかナショナルミニマムだとかいうようなことを申します。しかしながら、本当は感覚的にこれは理屈抜きに反対である、そういうのが一般大衆気持ちではないかと思います。そして採算を度外視した鉄道要求しております。ですから、一般大衆気持ちとしては国鉄危機感というようなものはない。これは赤字で当然なんだ、そういうような感覚でこれを受けとめていると思います。そうなりますと、もう国鉄赤字であたりまえなんだ、そしてこれは赤字経営ということがもはや原則化されてしまったんだ、こういうふうにある程度現実的な視点に立てば考えざるを得ない、そういう状態でございます。  それから第三点として、鉄道企業間環境が根本的に変わってまいりました。その一つは、鉄道独占性が失われたことでございます。申し上げるまでもないことでございますが、飛行機自動車鉄道のライバルとしての地位は非常に高まってまいりまして、鉄道ひとりの都合でコストに見合うような運賃を決めることはできなくなってまいりました。そしてこの場合の問題は、鉄道企業内部における赤字線への内部補助というものができなくなってきた状態でございます。いままでは大きな幹線とか、それから大都市周辺線区など、要するに、輸送密度の非常に高い線区での過剰運賃を取りまして、それを赤字ローカル線に補助しておった、そういうことが独占時代にはできたわけでございます。ところが飛行機自動車との競争が激しくなってまいりますと、幹線部門での超過料金を取ってそれを赤字ローカル線に埋めていくということができなくなってしまった。つまり、こういうやり方をやれば幹線部門競争で負けてしまう、こういうことでございます。そうすると、幹線部門競争では大量輸送という鉄道特性を生かしまして、まさにこれは国鉄が自分の機能を十分に生かすことができる部分でございますけれども、そこで負けてしまうということになりますと、収益源がなくなってきてしまう、そして経営悪化を招く、こういうようなことになってまいります。  それから、この企業環境悪化ということについての第二点でございますが、そういう独占性が失われた国鉄に対しまして、市民社会としての要求はますます高まっております。社会的なサービス一つとして交通サービスを受ける権利が市民にはあるんだ。そして特にそれは国有鉄道に対する市民要求が非常に強くなってまいりました。昨年の国鉄監査報告に「国鉄は、」「全国にわたる輸送網と大量、高速、確実かつ安全な交通手段としての特性機能を有して」いるという言葉がございました。このような国鉄特性というのは、国民要求する福祉的な輸送提供者としてはうってつけの特性でございます。しかもその目的を達成するために鉄道をより強化しなければならない、そういう必要性国鉄に起こっております。その結果、これは当然費用がかさむことになります。そしてこれを企業的に償おうといたしましても、独占性が失われてしまった国鉄にとっては運賃引き上げによってこれを償うことが非常にむずかしい、そういう状態でございます。  そこで私は、この際財政補償というものを頭から決めてかからなければなるまいと結論するわけでございますが、以上のように運賃原価を償えないとすれば、財政補償するほかない。ただ、これをやるにいたしましてもやはり限界がございます。まず一つ財源の面からの限界でございまして、低成長に入ってきて四十九年度に早くも税収欠陥が出てまいりました。五十年度では二兆とか三兆とか非常なべらぼうな税収欠陥が出るのではないかというような事態でございます。こういうようなときに、際限もなく国鉄財源をつぎ込むことはできません。  それから一方では安過ぎる国鉄運賃というものも、これはもう皆さんよく御承知のとおり、適正な資源配分をゆがめることになります。それによって需要が余りに増大すれば供給力をふやさなければならない、そのことが資源配分をゆがめてくる、こういうことが考えられます。  それからもう一つは、必ずしも国鉄利用者はより安いことを要求しているのではないという面がかなりございます。新幹線、あるいは在来線であれば特急とか、そういうようなものへの需要が非常に高まっておりまして、安ければいいというものではない。そういうむしろ質をとうとぶような需要になってきていると思います。そしてこの背景には所得が高くなったこと、あるいは価値観が多様化したこと、いろいろございますが、とにかく安ければいいという利用者態度ではなくなってきております。  それから余りに安過ぎますと、むしろこれは消費者余剰を発生させることになる。これは例ばどうかと思いますけれども、たとえば国鉄運賃が安ければ、それで余った分の金を持ってパチンコ屋に行くとかあるいはギャンブルに使ってしまうとか、そういうような形になりまして、本当に資金を集めなければならない国鉄という公共企業体に金が集まってこない、そういうようなことも考えられるわけでございます。  それからもう一つは、運賃財政で補助するぐらいならば、もっと生活にとって需要度の高い衣食住を当然財政で見るべきであるという論理にもなってまいります。ですから、福祉的な国鉄輸送供給ということは非常に大事でございますけれども、それにはやはり限度がございまして、特に低所得者層に対する配慮などは国鉄運賃でやるべきではなくて、直接的な福祉政策でなされるべきである、そういうふうに思います。  それから国鉄財政資金を投入する場合の考え方をもう一つ申しますと、これは赤字が出てから事後的にしりぬぐいするような形で金を出すのはまことにまずいと思います。これは企業体経営意欲を失わせてしまうものである。それでこれが投資計画の過大というような非常な放漫経営を呼びがちでございます。ですから、やはり事前に財政による補償についての一定ルールをつくってかかる必要があると思います。  そのルールでございますが、これは本当の試案でございますけれども、一応人件費中心といたしまして動力費とか修繕費などを加えたつまり営業費と申しますか、ダイレクトコスト運賃で見るというようなやり方、そして利子支払いあるいは減価償却というような資本費財政で見ることにする、そういうようなやり方考えられないかと思います。営業費も現在すでに運輸収入を上回っておりまして、四十九年度の場合は営業費一兆七千八百億、運輸収入一兆四千三百億円、ほとんど三千億円営業費の方が上回っております。そしてこういうような状態は、四十七年度から継続的に発生しております。そうなりますと運輸収入営業費に連動させて、営業費が増大すれば運賃引き上げるというやり方がどうしても必要になってまいります。そしてこれはぜひとも国民大衆を説得していかなければならない運賃引き上げだと思うんです。これは営業費の大部分人件費が占めているからでございます。四十九年度には営業費一兆七千八百億円のうち、人件費が一兆三千億円だった。そうしてこういう大きな人件費運賃で賄っていくのだということは、これは大衆を納得させやすいのではないかと思うのです。国民大衆賃金値上げということはあるわけでございまして、これをある程度国鉄に働く労働者賃金上昇に還元さしていくということは、これは当然であって、ここのところはぜひ国民大衆を納得させていく必要があるのではないか。そして考えようによりますれば、人件費上昇運賃で見るのだぞということは、存外説得しやすいのではないかというふうに思います。  これまでの公共料金というものは、どうもあるべき水準よりも低く抑えられてきた傾きがございます。特に国鉄運賃がそうでございました。ここのところ私もなかなか神経をびくびくしながら申し上げるわけでございますが、物価政策的な配慮、それを引き上げると人気に響くという一つの政治的な配慮が非常に強過ぎた。そのために国鉄運賃があるべき水準よりも低目に抑えられてきた傾きがある。そしてその結果として莫大な赤字累積という事態を招いていると思います。  物価上昇の中で国鉄運賃を抑えて、それでこれを物価上昇への歯どめにしようという考え方はわからないでもございませんけれども、それは国鉄自体サービスの低下とか、それから資源配分の阻害とか、あるいは社会的のロスというようなものを発生させるというほかありません。しかもこれは物価政策としてもそれほど有効であるかどうか疑わしいと思います。公共料金を抑制するということは確かに一種の麻薬的な効果はあるのですけれども、その結果後で出てくる企業体赤字を埋めるために大幅な値上げをしなければならないというようなそういう事態を招きます。  そこで営業費をカバーする運賃というようなもの、原則を決めたところで具体的な運賃決定をどうするかという問題でございますが、これは政治的な決め方から技術的な決め方に移していく必要があるのではないかと思います。これは運輸大臣認可事項にするか、あるいは新しい独立した委員会のようなものをつくってそれに決めてもらうか、そういうような一つの技術的な決め方をやっていったらいいのではないかと思います。運賃規制公共的配慮によるべきであるとは申しましても、その合理性経済的分野の問題でございまして、余り政治が介入し過ぎない方がいいのではなかろうか、こういうふうに考えます。  鉄道について画一的硬直的な定額賃率が法定されておって、国会の議決でこれが決まるというような国は世界の主要国の中でも日本だけでございます。日本でも飛行機とか自動車なんかは、これはトラックや何かですが、これは認可運賃でございます。そして船はこれは自由運賃ということになっておりまして、鉄道だけが法定運賃になっております。これはできればもっと自由な弾力性のある運賃にして、あとは市場機構に任せる、そして競争原理を生かす、そういうやり方の方が企業体創意工夫がわいてくるのじゃないか、そういうふうに思われます。  それから、この際特につけ加えておきたいのですが、貨物運賃については最高限度を決める程度にして、将来これは自由な運賃にして国鉄自主性に任せていく、そしてトラックや何かからの競争に対して機動的に対応できるようにする、そういうやり方が必要なのではないかと思います。  それから運賃見直しについてでございますが、営業費をカバーする運賃ということになれば、毎年これは人件費が上がってくるわけでございますから当然なことですが、鉄道運賃も毎年見直しというようなやり方が必要なのではないかと思います。それで毎年の実情に応じて運賃を査定する。その方が、たまった赤字を解消するために一どきに値上げするよりも、もっとなだらかなぐあいのいい方法なんじゃないかというふうに思われます。  それから、個別原価という考え方を取り入れる必要があるのではないかと思います。ある線区超過運賃を取る、先ほども申し上げましたが、ある線区超過運賃を取って赤字線区内部補助するというやり方、これはある程度やむを得ないんでございますけれども、それには一定限度を設ける、そしてこれまでの全国画運賃を幾らか改めて、路線別運賃考え方を採用してもいいのではないかと思います。これは国鉄総合原価主義というものが、日本交通料金の体系の合理化をかなり乱している大きな原因のように思えるからでございます。地域間の所得配分ということが総合原価主義の理論的な根拠になるかもしれませんけれども、やはりある程度個別原価主義考え方を取り入れていくべきだろうと思います。運賃などではその地域的所得配分というような、運賃をそういう再配分の道具にするのは余りよくない、ここのところは経済原則を貫くべきではないかと思います。  それから次に、定期券割引率を引き下げろということでございます。鉄道運賃法定期旅客に対しての割引率まで決めているようでございますけれども、この割引程度がちょっと大き過ぎる、この割引率をもう少し引き下げていく、そういう方法考えられると思います。  以上が大体運賃についての考え方でございますけれども、そのほかに二、三の点をつけ加えさせていただきます。  それは、一つローカル線廃止の問題でございます。いわゆるローカル線赤字は、幹線系赤字に比べれば小さなものになってしまいました。そして、一ころ言われたような八十何線区かのローカル線廃止するんだという、ああいう発想は非常に下火になってきたような状態でございますけれども、やはり自動車に切りかえられるものはできるだけ自動車に切りかえることにして、ローカル線の整理をやるべきじゃないかと思います。地方財政にとっては鉄道路線が敷かれているということが国鉄固定資産税に当たる納付金を手に入れることができるわけで、なかなかローカル線撤廃には応じないんでございます。それでしかも国鉄がこれを廃止しようとする場合には国鉄総裁政府認可を得なければならない。ところが政府はその場合、地元の市町村議会廃止に賛成しますというような議決書を持ってきてくれないと廃止を受け付けないというふうなことで、どうしてもローカル線廃止が思うようにいきません。このところもう少し国鉄側の事情を見てもいいんじゃないか、そういうような気がいたします。そしてどうしてもナショナルミニマムという考え方あるいは国民便益的に必要だというような考え方から赤字ローカル線を存続させるんでしたら、地方自治体がこれに援助をして国鉄負担を軽減するような方法考えられないかと思います。  それから既設路線撤廃のことと今度並行して新規投資を慎重にする必要があるということを申し上げます。一方では明らかに赤字線となるような路線建設が進められているわけですけれども、これは手控える必要があるのではないか。こういう路線建設は明治二十五年に成立しまして大正十一年に改正された鉄道敷設法によるわけでございますけれども、こういうような法律は現在の状況にはまことにマッチしないものになっておると思います。これの存廃については検討されてしかるべきではないかと考えるわけです。  それから、新幹線でございますけれども、これをあちらにもつくる、こちらにもつくるという考え方では非常に大きな赤字線をつくるおそれがあります。これはある程度日本を縦断すればいいというような考え方で、かなりその新幹線投資を慎重にする必要があると思います。現在の新幹線は非常に大きな需要に支えられているようでありますけれども、あちらにもこちらにも新幹線をつくった場合には、それに見合うようなお客がなくて非常な赤字になるおそれがございます。これを、新幹線運賃というものを全国一律原価計算にするのかあるいは一律新幹線計算というようなものにするのかよくわかりませんけれども、それはいずれにせよ既成線区運賃に非常に悪影響を及ぼす、と同時に新幹線建設が国の負担をきわめて大きなものにする、そういうふうに考えられます。  そして以上のようなことと関連しまして、国鉄はとにかくおれのところを主体にしてやるんだという独善主義を捨ててかからなければなるまいと思います。先ごろの総合交通政策のときもそうだったんですけれども、国鉄のポジションというものがそのブループリントの中でちょっと大き過ぎやしないかという気がします。いままでの国鉄計画というのはとかく殿様式であった、非常に過大な投資にいどむような姿勢がございましたけれども、現在のような財政状況その他から見て、投資についてはやはり慎重な態度をとる必要があろうかと思います。  それから最後に人の問題でございます。これはもう各方面で言われてきていることですけれども、国鉄のモラルの再建必要性がございます。去年の国鉄監査報告では、「管理運営全般について企業的厳しさに徹する必要があり」と申しておりますけれども、国鉄構成メンバーがもう少し責任感を痛感してもらいたい、そう思います。そしてこれは労使関係の荒廃という状況もございますし、労働側にも幾つもの組合があって、組合相互に非常な不信感がある。こういう状態を一体具体的にはどうやって改善していったらいいのか、私などにはとても考えも及ばないわけですけれども、ここのところをどうにかしなければならない、そういうふうに思います。  それから職場規律にも問題がございます。最近の国鉄スト中止指令が出た後、七時間も電車が動かなかった、こういうような状態はちょっと大衆としては納得できない状態でございます。この辺に、はっきり職場規律というか、秩序を立て直す必要があると思います。  それから要員合理化ということもこれはやはり必要ではないかと思います。四十三年度末に約四十七万人であった職員数が、四十八年度末には四十三万人になった。これはかなりの圧縮であるし、それから今後の新規投資要員の縮減ということはなかなかむずかしい、そういうことはよくわかりますけれども、省力化によって業務の能率的運営を図るということが課題だと思います。そして労働力適正配置や勤務時間の適正化あるいは生産性の向上、こういうものを図っていかなければなるまいと思います。  それから国鉄管理者たちが、企業経営能力をもっと持ってもらいたいと思います。それでその場合に、国鉄当事者たち料金とか賃金とかあるいは労働協約とか路線建設既設路線の撤去というようなことにある程度強い発言権を持たしてやりたい。これを最終的な決定機能までとは申しませんけれども、もうちょっと強い発言権が持てるような状態が望ましいのではないか、こういうふうに思うわけでございます。  どうも非常に粗雑なまとまらない話でございましたけれども、これをもって終わります。(拍手)
  4. 西銘順治

    西銘委員長代理 ありがとうございました。  次に、鎌田参考人にお願いいたします。
  5. 鎌田勲

    鎌田参考人 鎌田でございます。座らせてやらせていただきます。  国鉄経営をどう改善したらいいかについては、すでに官民のいろいろな機関から盛りだくさんの提案が出されております。したがって、いまどういう意見を言おうと、それは皆こうした各種提案の範囲の中におさまってしまうだろう、かように思います。しかもすでに数年前に、私がいま申し上げたと同じようなことが指摘されているわけでございまして、ここに運輸調査局の「運輸と経済」昭和四十六年十月号がございます。試みにこれを見ますと、「国鉄財政再建に提言する」という座談会がございまして、稲葉秀三さんとか、権田良彦さんとか、西野嘉一郎さんとか、山内公猷さん、こういう方が出席されておりますけれども、この中ですでにこういうことを指摘しているわけでございます。「国鉄再建の処方箋については、すでに出尽したという感じがあります。」「国鉄の現状は一刻も早く実際にメスを振るって手術をし、薬を与えて実効ある治療を施さなければならない段階になっていると思います。」こういうようなことが書いてあります。私はこのとおりだろうと思います。実行あるのみと、昭和四十六年十月現在、あるいはその前からすでに指摘されていることが、その後何ら実行に移されぬまま今日の破産的な状態を迎えたということだろうと思います。民間企業ならとっくに倒産している、会社更生法の適用を受けるか、それともその適用すら受けられないような状況になっているということだと思います。  この座談会当時、つまり昭和四十五年の累積赤字は五千六百億円、四十六年度が八千億円ぐらいだったのが、四十九年度には二兆八千億円、五十年度末には約三兆円というような、そういうような大変な赤字になってきてしまっている。その他のいろいろな、経営的に危機的なデータ、数字も、皆さん御承知のように非常に厳しい状況に追い込まれているわけであります。なぜ、このいろいろな提案のうちほとんど国民的合意ともなっているような問題を実行できないのか、そこにこそ実は問題の根本があるのではないかというふうに私は考えるわけでございます。  そこで、その前置きを置いた上で、私なりの国鉄再建のためにどうすべきかということを述べてみます。これは、この点につきましていま岩村参考人るるお述べになりましたが、この岩村参考人意見とかなり重複する部分があることをお許しいただきたいわけであります。  まず基本的には、企業性と公共性の両立という公共企業体経営本質というものを具体的に洗い直す、これが原点になろうと思います。基本的には、よく引き合いに出されるのですが、こういうことになるのではないか。ここに、昭和三十八年当時の石田礼助総裁がこういうふうに言っている。「国鉄国民全部がその持主であり利用者です。公共企業体なのですから、公共奉仕の精神を体して国民全体に喜ばれる立派なサービスを提供しなければなりません。安全、正確、迅速、快的な輸送サービスを低廉な運賃でしかも十分に供しながら、なおかつ採算が取れるよう能率的に国鉄を運営することが使命であります。」まさにそういうことだろうと思います。しかしながら実際問題になりますと、この企業性と公共性の兼ね合いというものがあいまいであったり、中途半端だったりすることが非常に多いというのがいままでの実情でありました。  一言で言えば企業体としての国鉄はこれまで不当に冷遇され過ぎてきた、手足を縛られ過ぎているというふうに言えようかと思います。一方では政治的要請で全く採算に乗らぬ赤字ローカル線を押しつけられる、他方では原価を償うための運賃の改定が物価政策のしわ寄せを受け、あるいは政治的な取引の具に供せられたりして、これは国民の見方でございますが、適時適切に行うことができない。それが引き延ばされたり、原価を償うに足るだけ認めてもらえなかったりしてきているということであろうかと思います。こういうことでは、どんな企業経営でも成り立たないわけでございまして、従業員も当然無気力感に陥らざるを得ないだろうし、勤労意欲も盛り上がらない。それがまた悪循環していくという形になろうかと思います。  こうした観点からいたしますと、指摘さるべきことの第一点は、国鉄経営的に責任を負うべき部分と、国や地方団体が責任を負うべき部分を明確にすることが必要である。後者につきましては国や地方公共団体が責任をちゃんととることが必要であろう、こういうことになろうかと思います。  地方のローカル線、これは常に問題になるわけでありますけれども、それは輸送効率、資源の最適配分からいって、廃止ないし自動車への転換、あるいは新設取りやめということが一般的には求められるわけでございますけれども、もし公共的観点から、あるいはシビルミニマム、ナショナルミニマムの観点からそれがどうしても必要だというのであれば、それは国、地方公共団体がめんどうを見るべきものだというふうに考えます。  別な言葉で言えば、輸送量として一定の量があり、企業性のレベルに乗るもの、企業採算に乗るものはこれは国鉄が責任を持つ、しかしながら輸送量が少なくて鉄道として経営的に成り立たないというものにつきましては、その運営、維持に国、地方が応分の責任を持つという体制をつくるべきだ、かように考えるわけでございます。  第二には、適時適切な運賃改定ができるようなメカニズムを早くつくることが必要であると思います。永年にわたる積弊の結果、現在二百五十五線、二万一千八百キロの営業路線のうち、黒字線は新幹線、高崎線、山手線の三線のみ、八百三十四キロにしかすぎないということでございます。いま申し上げましたような適時適切な運賃改定を図るためには、たとえば運賃問題を公正に見ることのできるような審判所のようなものを新たにつくり、そこで運賃を決めるようにする。そこで決めたものが物価政策その他のしわ寄せで抑えられてしまうような場合には、その抑制補償を国が出すようにする。審判所の構成、運営は非常にむずかしいことでありますけれども、一策としてはそういうことが考えられるのではないだろうか。  もちろん、他の交通機関との競争上、その運賃引き上げ一定限界があるというようなことは一般論としては言えるわけでございますが、それはそれで競争力の強化という施策で対処をすべきことでありまして、このいま申し上げました新しいメカニズムをつくるという考え方の中にそれを吸収していくことができるのではないか、こういうふうに考えます。もし、社会的な影響が非常に強い問題であるからこれをいままでどおり国会でチェックしていかなければならないというのであれば、これまでのようなやり方を改めるための何らかの形の担保が必要なのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。  問題は物価政策との関連でございますけれども、運賃などの公共料金物価政策のしわ寄せを受けていたずらに抑えられるような形は妥当ではないと思います。それは資源配分をゆがめ、サービスを低下させ、結局は消費者のマイナスとなってはね返っていくわけでございまして、物価問題は本来的には総需要抑制、都市政策、独禁政策、流通政策、低生産性部門対策などの総合的な運営によって対処すべきものである、公共料金のみにしわを寄せれば、結局その実害は消費者にはね返っていくということを銘記しなければならないのではないか、かように思います。  第三に、いま申し上げたようなことを可能にするためには、国鉄国民に信頼され、愛される国鉄とならなければならないというふうに考えます。そのためには労使とも厳しさを持ってほしい。まず経営合理化、近代化に全力を注ぎ、国民の理解を求めることが必要なのではないか。たとえば四十七年度の赤字の八二・三%が貨物輸送に起因している。ここら辺についての的確な対応が今後望まれるということでございます。たび重なる争議行為が国民の不信を買っていることの大きな背景であることは率直に認めなければならないと思います。その点につきましては、国鉄監査委員会がまとめた四十八年度国鉄監査報告書でこういうふうに指摘している。「度重なる違法な争議行為により列車の運行が大幅に混乱し、国鉄本来の使命である安定した輸送サービスの提供を妨げ、国民に多大の迷惑を及ぼしたことは甚だ遺憾である。本委員会は、前年度も強く指摘したように、このような事態国鉄への抜きがたい不信感となって定着し、ひいては国鉄の存立の基盤をゆるがすことになると考えるものであり、輸送の信頼性、安定性の確保のために労使が一丸となって取り組むことを重ねて強く要望する。」こういうふうに指摘しているのは全く同感でございます。  この国鉄労使の信頼感をどういうふうに取り戻すかということが非常に問題でございます。むずかしい問題だと思います。マル生以来のいろいろないきさつもございましょう。それから再建計画が非常にむなしい、これまでの再建計画が非常に不毛であるということについて、勤労意欲が盛り上がらないという面がある。賃金が相対的に低い、あるいは国鉄経営体制そのものに起因する問題、いろいろございましょうけれども、これは先ほど岩村参考人も指摘されましたように、ぜひともここら辺は相互の信頼感を回復するという方向へ持っていかなければならないというふうに思うわけでございます。  また、サービスについて考えますと、サービスも前に比べればだんだんに悪くなってきているような気がするわけでございまして、財政基盤が確立しないのだから無理からぬ点もあるということでございましょうけれども、通勤電車の混雑は非常にひどいし、それから全車指定という、指定席が公約で発足した新幹線もいまでは行列をしなければ一般庶民は座れないというような状況になっている。ダイヤの規則性は世界に冠たるもので、国鉄として誇るべきものでありますけれども、それが最近は乱れるような形になってきつつある。車両の異常な動揺というものも時に経験することであります。駅員の中にさすがは国鉄の職員と感心させられる人もおりますけれども、ひどく不親切な者もいないわけではない、こういうようなことでございます。  このほか、国民に信頼され、愛されるための条件といたしましては、地域住民とのいい関係、良好な関係の形成という問題があろうかと思います。たとえば公害問題。騒音、振動などにかかわる公害防除につきましては、地域住民に対し手順を踏んで十分に説得すべきであります。公害防止に全力を尽くすことばもちろん、地元を潤すということを考えなければなりません。これはいま発電所の周辺住民にメリットを与えているようなやり方参考にしていかなければならない、こういうことでございます。  以上、総括して言えますことは、経営が安易、無責任に流れるのを何としても避けなければならないわけでございまして、国民から見ますと国鉄労使が一体だれに責任を負っているのかときたまわからなくなることがあるわけでございます。赤字の基本的責任が主として政治にあることは明らかであろうと思いますけれども、しかしながらその中に国鉄自身が負うべき部分があることを忘れてはならないわけでして、それにはちゃんと責任を負うべきであると思います。  交通革命と言うべき輸送市場の構造的変化に十分対応する努力が国鉄自身に欠けていたことは否めないと思います。たとえば貨物輸送サービスの改善、改革の立ちおくれがその競争力の著しい低下を招いたことは事実でありましょう。それらの責任が膨大な赤字の中で埋没しているのではないかということを私は恐れるわけでございます。四十三万人という大組織、その組織が大き過ぎるために責任の所在があいまいになることがどうしても出てきましょうけれども、どの問題にだれが責任を負うのかということはどうしても明確にしていかなければならない、こういうふうに思うわけであります。  もう一つ国民から見ますとどんなに赤字になってもどうせつぶれっこないというような安易な考え方があるのではないかというふうに見受けられる面がなきにしもあらず。世に言う親方日の丸という心情的惰性、これについてはやはり十分な自戒、自粛が必要なのではないか、かように思います。倒産に瀕した企業経営者、従業員の悲壮さ、真剣さというものがどうも一般的に言えば見受けられないのではないか。先ほど例に引きました四十八年度の監査報告書もこう言っているわけでございます。「国鉄は、国民の負託にこたえ、まず自らその再建に全力を尽くすべきである。このためには、その管理運営全般にわたり企業的厳しさに徹する必要があり、管理者はその職階に応じて職責を自覚し、業務の執行に万全を期するとともに、第一線の職場においては、職員はその技能を向上し、自己の職責の完遂にまい進すべきである。このことが結果的に国鉄再建に通ずる」こういうことでございまして、これはまことに時宜にかなった提言であろうと思います。  以上いろいろ申し上げましたけれども、私の申し上げましたことの基底、基調にあるのは、国鉄の使命が今後ますます重くなるという認識であります。今後の交通問題にはエネルギー、労働力、環境、空間という四つの面での新たな制約が加わってきているわけでございますけれども、それらを総括して見ますと、国鉄が総合交通体系の中で担う位置づけというものは重くなるというふうに見るのが妥当なのではないか。  旅客で見ると、長距離幹線では新幹線と航空機、時間的短縮効果の大きい路線では特に航空機が有効でございますが、そういうことが言える。中距離幹線では新幹線、在来鉄道、バス。大都市では在来鉄道、地下鉄、新交通システム、バスなどの、そういった交通機関の適切な組み合わせということが必要になるでありましょう。地方都市と大都市周辺ではまだ自動車を十分に活用させる余地がある。小都市あるいは過疎地帯では一層その点ははっきりしているということになりましょう。経済企画庁が先ほどまとめました総合交通研究会での結論も、ほぼそういうことになっているわけでございます。貨物につきましては、中距離は国鉄を使う。各種サービスの整備という前提におきまして国鉄を活用することが適当であろうということも一般的に言われているわけでございます。  もちろん道路、交通相互間の根本的な調整、たとえばマイカー賦課金を新設するとか、あるいは交通機関相互間のいわゆる交通調整につきましては、今後きめ細かく吟味することが必要である。それについての国民的合意を形成することはむずかしいわけでございますが、しかしそれが必要になる時期がやがて来るかもしれないということでございましょうけれども、これを要するに、大体の総合交通体系についての定性的な構図というものは以上申しましたような形になるのではないか。そうしますと、国鉄は今後とも着実に伸ばすべきものであるということでございまして、そのことを踏まえての考え方を先ほど来申し上げたわけでございます。  以下、そういうことを前提として今後見直すべき諸点についてさらに述べていきたい。  一つは、設備投資計画の再検討でございます。たとえば四十八年から五十七年までの財政再建計画で見ますと、総額十兆五千億のうち新幹線は四五・七%の四兆八千億円、幹線輸送は三三・三%の三兆五千億円、安全対策、公害対策、合理化対策としては一四・三%の一兆五千億円、大都市圏輸送は六・七%の七千億円、こういう内訳になっております。新幹線計画は、六十年に七千キロという列島改造論を前提とした構想につながっていくものでございます。日本経済がいま高度成長から減速成長という転換期に来ている状況見通しの中で、この新幹線建設計画などにつきましては、特にそのテンポをスローダウンさせる必要が出てくるのではないか。新幹線の中でも東北線とか上越線のように能力増のための複々線化、それに代替するものとしての新幹線というものはどうしても必要でございましょうけれども、そうでないものもあるのではないか。そこら辺は洗い直しをする必要がある。もっと基礎的なもの、安全対策あるいは省力化対策、だんだん若年労働力というものが確保できにくくなって、数年たつと四十五歳から五十歳くらいのところに職員層の構成の上で大きなこぶができると言われるような状況の中で、省力化投資というものをもっと本格的に進めなければならないのではないか。大都市内の輸送についても、やはり社会的要請にこたえていく必要があるのではないか等々、そういうことを含めまして設備投資計画の再検討が必要である、かように思うわけでございます。  第二は、先ほど岩村参考人もお触れになりましたけれども、通勤通学割引見直しでございます。  通勤割引につきましては、実際はいま企業負担しているケースが多いわけでございまして、その意味では、都市の機能を享受している企業に追い銭をやっているような形になっているわけでございます。  通学割引につきましては、それは本来福祉政策の分野でありまして、鉄道負担すべきものではないというふうに考えます。  第三には、貨物輸送サービスの整備と強化ということでございます。  トラックにはとてもかなわないから国鉄は貨物輸送サービスをやめたらいいのではないか、また、それは国鉄がやるべき分野ではないのではないかという議論もあるようでございますけれども、省エネルギー、あるいは空間が狭まっていく、そういう状況の中で、そういう諸制約を踏まえて考えれば、少なくとも中長距離の貨物輸送につきましては、国鉄が担当するのが国民経済的にもいいというふうに私は考えます。しかしながら、それを実現していくためには、ドア・ツー・ドアというトラックなどのサービス競争できるよう各種対策を講じなければならないわけでありまして、通運的なサービスの付与など、いろいろ考えなければならない点がある。と同時に、トラック行政、これが一つの課題でありまして、これまでそのダンピングなどが野放しになっているわけでございますけれども、それをコントロールする方策についてもあわせて考えていかなければならぬ、こういうふうに考えます。  第四には、新幹線とか特急などの料金見直しの問題であります。運賃ではなくて料金の方を特に取り出して申し上げておるわけでございます。それは本来サービスに対する対価でございますけれども、たとえば指定席券が百円というような決め方になっておるのは現状では非常に実態に即していない。かえって不公平を招く。若くて壮健な人が百円で指定席にふんぞり返り、老人などがそれが手に入らなくて立っておる。そういうアンバランスがあるわけでございますが、そういうことを含めまして、全般的に料金というもののありようというものを見直す必要があるのではないか。  第五には、開発利益の還元でございます。これは前から常に指摘されておるわけでございますけれども、実際問題としてそれを技術的に実現することはむずかしいわけでしょうけれども、筋論として主張すべきことは主張しておかなければならない、こういうふうに考えるわけでございます。  以上のような各種の対応によりまして、国民の負託にこたえる国鉄経営再建してほしい。先ほども申しましたように、ダイヤの規則性など、世界に誇るべき国鉄の伝統があるわけでございまして、こういう諸再建策を実行に移すことによって、明るい自信に満ちた国鉄をいつの日か取り戻してもらいたいというのが私の結論でございます。  以上でございます。(拍手)
  6. 西銘順治

    西銘委員長代理 ありがとうございました。  ただいま朝日新聞社論説委員大木穆彦君が御出席になられました。  大木参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本日は、国鉄問題につきまして忌憚のない御意見を承りまして、調査参考にいたしたいと存じます。  議事の順序について申し上げますが、御意見を三十分程度に取りまとめてお述べをいただき、次に委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  それでは、大木参考人にお願いいたします。
  7. 大木穆彦

    大木参考人 おくれて来まして申しわけありません。おわびいたします。ちょっと所用で旅行から帰ったばかりでありまして、またふだん余り勉強しておりませんし、直接国鉄問題をしょっちゅう担当して勉強しておるわけではありませんので、日ごろ、年来感じております点だけを一、二申し上げたいと思います。  途中から入って来まして、いま隣で鎌田参考人が非常に詳細な意見を述べておられましたが、おおむね私ども同感共鳴するところが多い御意見でございます。  国鉄再建問題は、たしか戦後十年くらいたちましたころに、有澤先生が会長になられました経営調査会、そこで最初に取り上げられたように記憶しております。労組の代表の方、あるいはほかの学識経験者とかいろいろな方が参加されまして、たしか一九五五年ころではなかったかと思いますが、当時の三木運輸大臣に出された報告がまとまった報告の最初ではなかったかと思います。その後たびたび国鉄再建についての各方面からの報告とか意見書が出たと思います。それを通じて流れますものは、やはり企業体としての国鉄のあり方、それを基本的に追求するというのが基本的な考え方、いわば哲学のようなものであったのではないかと思います。それは、言い直せば、企業体としてのということは、国鉄で言えば運賃収入、あるいは利用者負担ということに相当重点を置くという考え方ではないかと思います。  昭和三十六年ごろに、あれは木内信胤氏が国鉄の中での小委員会で中間報告なんかをなされましたのも、ほぼやはり運賃値上げと国の援助、その後もいずれも同じような方向での解決を説いておられたと思います。  それから十年くらいたちました、たとえば昭和四十五年には原安三郎さんが国鉄の中の諮問委員会委員長をやられまして、興業銀行の中山素平さんが小委員長になられまして、国鉄経営をどうすべきだという報告が出されたと思います。いまの一九七〇年の暮れに出ました中山小委員会での国鉄経営については、いまでも考え方としては私どもは個人的に同感する点が非常に多い。その後も国鉄に対してもいろいろ影響を与えて今日に至っておると思われます。その一つは区分経理というような考え方でございます。  その後二十年くらいたちまして、いまもなお相変わらず国鉄再建問題が問題になっておる。特に最近は、おととしの石油ショック以来、それまでに立てられましたいろいろな再建の見通しが大きく狂った。それ以前から進行しておりました運輸市場の構造とでもいいますか、そういうものがその後も進展していったということがあろうかと思います。いまなお、一見国鉄状況は非常に悪い。一見というよりは、これを建て直すのは大変なことだと思われます。  そういった窮状の打開策、現に関係者はこれで頭を痛めておるはずでありますが、私はある国鉄のOBの方にこの間お目にかかりましたので御意見を聞きましたところ、非常にとっぴと言えばとっぴな御意見でありますが、いままでの現行制度のもとでの企業体としての国鉄のあり方を追求するということを離れて、公共体としての側、そういう見方に徹するという議論をやってみたらどうなんだ、たとえば国鉄運賃をすべてただにしてみたらどうなんだ、運賃がただということは、いま申しましたように利用者負担重点ではなくして、それをゼロにして、そのかわりに税金、つまり全国民の負担という考え方に徹してみたらどうかという発想であると思います。     〔西銘委員長代理退席、加藤(六)小委員長代理着席〕 その上でどういう点に不合理があるか、その対策を探っていったらどうなんだろう、それはその発言者も、別にそのとおりになるとか、しようという意味ではありませんで、議論をもう一遍煮詰めるための方便としてそういう意味を申されたんだと思います。  たとえて言えば、ソビエトができました初期のころには、一九二〇年代にはソビエトは半年くらいその国の鉄道運賃を無料にしたことがあるそうであります。余り資料はないそうですか、そういう事実はあったそうであります。半年ということは、やがてその不合理に気づいて結局利用者負担ということを少なくもあわせ考えざるを得ないということになったと思われます。いずれにしましても、こういう利用者負担国民負担あるいは税負担というもののいずれかに非常に偏るというわけにもいかぬでありましょうし、そういう限界を具体的に追求してみるということはまた必要だと思います。そしてこういう国鉄が持っております公共性と企業性という二つの性格の調和とか限界とかいうものが常に意識され、議論され、その対策が具体化されるということがきわめて常識的であろうと思います。そうして初めに申し上げましたように、これまで出ましたもろもろの報告書、意見書は、いずれもその点で苦労しておられるものでありまして、そしてまたそれぞれが、いまその一、二を拾い読みしましても、いまもってその議論は相当生きているという点があると思います。  そこで、私が申します意見というようなものは、いままでのそういった報告書のたぐい、あるいは現在あちこちで申されております方々の御意見と決して遠いものではなく、その一部分を申し上げるにすぎません。  おそらくほかの参考人も触れられたと思いますが、重要な点は、私が考えますのは、国鉄の性格が非常にあいまいであるという点であります。     〔加藤(六)小委員長代理退席、西銘委員長代理着席〕 それは、さかのぼれば公社というものの性格いかんということにもなると思います。国鉄と専売の二つが占領下に公社というものとして発足し、その後電電とか何かが加わったということを聞いておりますが、そのいきさつは、たとえば労務対策に基盤があったとか、いろんなふうに言われておりますが、いずれにしましても、現在最近時の国鉄公社というものの性格、これはほかの、たとえば日本航空でありますとか、あるいはこれは国家のというわけではありませんが、特別法に基づく電力会社であるとか、そういった民間の企業でありながら独占性を持っておって、地域独占体であって、そして公益性を持っておる、そういったものと比べます場合に、非常にあいまいである、そのあいまいさがまた非常に出ておりますのが、しばしば言われます責任の所在が明確でないという点かと思います。  そして端的にいえば、これは私の結論めいたことでもありますが、さっきちょっと触れました区分経理ということを現にやっております。そういう方向を一層促進してみる価値があるのではないかというふうに思います。それは結局黒字線、赤字線と言ってもいいかもしれませんが、あるいは当時の区分経理という、いまも伝えられております。生きておる考え方とするならば、幹線系、七十何線ですか、幹線系というものと、それから二百何線というその他の地方線といいますか、そういうものに分けた区分経理、この両者を国鉄なんかがっくりましたグラフで見ましても、片方の幹線系の方は、それの収支じりというものは収支ともに上向いており、そうしてその差額部分というものは運賃値上げをやるたびに差が縮まって、そうしてまたしばらくすると少し開く。この二年半ばかりの間、予定された国鉄運賃値上げが足踏みをした、仮にそれが予定どおりの時期、タイミングで、予定どおりの幅で値上げがされたとするならばどうであろうかというグラフなどを見ますと、いままでと同じようにほぼ二年半分、四、五千億になりますか、このくらいのものはカバーされて、そうひどい大ごとには幹線系の方はならないのではないか。  これに反していま触れました地方線区という方は、いわば慢性的な赤字でありまして、この方は、仮に運賃値上げが、いままでもそうですし、今回先ほどの運賃値上げが予定どおりに行われたといたしましてもやはり赤字幅は横ばいないし漸増しつつある。たしか一九七〇年の末のときに国鉄でやりました、経営をいかにすべきかという中で検討されまして以来国鉄が内部的に採用しておりますこの二つの区分経理ということは、明らかに国鉄が少なくも二つに分けてもいいような異なる性格の路線網を持っておる、したがって、これは異なる性格であり、したがって、対策も目的も異なったものでなければなるまいというふうに思われます。  私は、前あるいはそのときどきの総裁なんかの方にお目にかかったときにひやかし半分に申し上げるのですが、どなたであっても一人の総裁がそういう二種類の異なった分野を一本の企業体のもとに持っておるという場合に、どうして一人の人が一つの演説で両方の異なる性格の職員、従業員を満足させ、仕事の生きがいを感じさせるということができるでありましょうか。その感じはいまもって変わっておりません。したがって、企業体的に運営できそうな部分あるいはできている部分、これは何も――新幹線はそうでありますか、新幹線に限りませんし、あるいは単純に赤字線、黒字線というふうにいまの時点で――あるいは二、三年前の時点で分けてみれば、それはなるほど黒字線は三線しかないとか何とかいうことになるかと思います。しかしながら、いまの時点時点で切った場合の赤字線、黒字線というものは必ずしも本来のそういう性格をあらわしていない。つまり予定どおりの幅である程度運賃値上げが行われたとするならば、まずとんとんにいきそうな部分というのは相当あるということであります。それが、極端に言えばまたこれは首都圏といった大都市圏、その周辺の鉄道であり、あるいはその幹線を含めたものであると言っていいと思います。国鉄の首都圏本部などでは五十キロ圏あたりではいまでも黒字であるというふうに言っております。そこで、これも結論めいたことを先に申し上げるのはいかがかと思いますが、そういう企業体的な性格の部分があるとするならば、それはまさにいままでの各種の報告にも言っておりますように、企業体としてのメリットを追求させるべきでしょう。そういう理念のもとに。そしてそのためにはやはりそれにふさわしい企業形態といいますか、そういうことを考えてみる値打ちはあるのじゃないかと思います。  それから、片や不採算線とでもいいますか、そういう分野で、採算はとれないけれども、すべてとは言いませんが、しかしその多くはやはり必要である、それはナショナルミニマムといいますか、いずれにしても非常に必要である、しかし採算は民間の企業体的な意味の企業体としてはとれないのだ、そういう部分は確かに政府がもっと責任を持って、てこ入れをするというよりは責任を持ってそれを賄う。つまり一般の行政がそうでありますように、行政需要に対する行政サービス、これは採算ということを、企業体的な採算を度外視して考えるべきではないか。大都市の駅であるとか、あるいは新幹線のような車両に乗りましたときにたまに言葉を交わします国鉄の職員、それから、ついせんだっても私は大湊まで別な用事で参りましたけれども、ああいう閑散線、そういうところの職員の方あるいは駅長さん、そういう方にそれこそ仕事の生きがい、誇りを与える、それはやはり別のものでなければいけない。行政サービスに徹することと、片っ方はそういうことでなければいかぬのじゃないかと思います。  それはいろいろな形態が考えられますからどれがとは言いませんが、昔の特別会計というのもそうでありましょう、現に郵政やなんかはやっているところもあるわけですからそういう形態も考えられるでしょうし、それから、そこまでいくまでにはもっと違う形も考えられると思います。いずれにしても世界有数の大企業体、そして大にしてはそういう国民に足を与える、それから小にしてはというか、いまの国鉄内部の職員にそういう仕事の生きがいを与える必要ということを――ぜひこれはそういういままでの国鉄の、あるいは運輸省の審議会とかいうことを離れて、ここにおられます国会の皆さん方あるいは地方自治体でもそうだと思います、各界、各党、各層といいますか、そういう方々が、いま申しましたような生きがいを感じる、それから国民に必要な足を与えるというためにどういう形態がいいのかということを、しかも実行可能な道を探っていただきたい、共同して検討していただきたいと私は思います。いままでたくさんの報告書が出ましても、なかなかそれの実現性が要するになかったと言えると思いますが、そのフィージビリティーといいますか、そういう実行の可能性を探るということが私は非常に重要な点だと思います。  そしてその結果、いま国鉄自身は御承知のように借金経営をやっておる。借金も経常費を賄うための借金。経常費が足りない、つまり人件費その他が足りない、それを借金でやむなく食っているというような状態になっております。そして、借金がこのままでいけばだんだんふえていくだろう。つまり、経常費を借金でずっと賄っていくとするならば借金をわれわれの子孫にも残すということになるわけであります。数年前までは国鉄はともかくも、生まれてから九十八年ですか、九十八年間というものはほぼずっと一貫して黒字であったということを、あるいは赤字ではなかったということを誇っております。そして、それはちょっと考えられるのとは違って、いままで税金で国鉄はやってきたのか、そうではなくして、まさにその運賃収入、それも本業主体の――兼業ということをほとんどしないで、本業の運賃収入で百年近くをやってきたんだと言われております。そしてそれとともに、もちろん外債とか債券のようなものも出しております。いまでも英貨債はたしか残っております。しかしそれと同時に大きな資産をわれわれに、いままでの利用者とか国鉄経営者といいますか、われわれの前の世代は残してくれた。それに反して、いまのわれわれ現世代は次の世代に借金を一体残すのか。この世代間のバランスということを考えれば、経常費を借金、借金でやっていくということは非常にやはりおかしいのではないかと思います。  少し散漫な話であちこち飛びますが、この間のストで、数日前の新聞で見ましたが、副総裁の談話でしたか、当事者能力がないという新聞記者の質問に対して、何か法的に保障された当事者能力というものが重要だという意味のことと、それより以前に支払い能力がないんだ、それを回復しなければいかぬということを慨嘆しておられるような話が載っておりました。非常に広い意味の、常識的な意味での当事者能力とでも言いますか、そういうものが確かにない。それを法的にどう保障するかということもありましょうが、それは、こういう言い方をしては失礼でありますが、こういう席で話をさせていただく機会は余りありませんのであえて申しますが、世間で言われておりますことは、つまり国鉄の新投資工事のことでありますが、新線建設の審議会というものが古来ございます。それは各省次官あるいは各界の有識者も入っておられますが、非常に多くは国会議員の方でございます。そしてそのときの与党の首脳部がまたその審議会の首脳でもあるということにいままでなっております。これはたとえでありますが、それの是非はともかくとして、そうであるならば、新線をつくりなさい、ずっと百幾つもリストがございます。それから新幹線についても表がございます。それならばその後のめんどうも一体見ないのか。それを見ないで、見方はいろいろありましょうが、たとえて言えば口だけ出して金は出さぬというふうに受け取られるような仕組みと言いますか運営と言いますか、そういうことは今度国鉄側から見るならば、少なくも国鉄の総裁なり国鉄の幹部の権限というものが、非常に限られたことにならざるを得ないではないかと思います。そしてそれはもっと広く言えば、運賃が、基本的な部分でありますけれども、それは国会で議決される、それの変更もしかり。この点もよく世間では議論になるところであります。しかし、先ほどほかの参考人が申されましたように、やむを得ずといいますか料金を上げる、料金をしばしば改定をするという形で国鉄の収入としてはかなりやれているし、やっていると思います。  私は何もここで私の意見として、運賃決定権をいまあるところからほかに持っていった方がいいというようなことを申し上げるつもりはありません。しかしながら、運賃決定権を国会が持っておられるならば、必要だと認められる運賃の幅なり、実現のタイミングをおくらせるとした場合に、やはり何かしかるべき措置もあわせてとるべく積極的に努力すべきではないか。それでありましても、たとえば英国の国鉄に当たりますような公社の幹部などと比べて、そういう点については日本国鉄当局は、そういう常識的な意味のいわば当事者能力といいますか権限というものが非常に狭められておるということは否めないと思います。そして、責任がいろいろ分散しておってもいいわけでありますが、どういう点での権限なり責任がどこにあるんだということが、ともかくそれぞれの方にあるいは世間にも十分に意識されているかどうか。それが余り意識されていないならば、一種の無責任体制あるいは無責任に近いような運営がされるという結果になるのではないかと思います。無論四十何万というような従業員のおりますマンモス世帯の国鉄の内部、そういう日本一の大世帯でありますから、この大きさに対応するだけの内部の管理能力とかそういうことを果たして十分に持てるのかどうかということは、もちろんこれはそれでまた問題であります。しかしながら、国鉄を包む外側にもまたそういう責任の問題ということは常識的な意味ではあるのではないか、そういう点を私は申し上げておきたいと思います。  それで、ちょっと話がずれますが、これはしばしばいろいろな資料に出ておることではありますが、一、二数字的なことを申し上げたいと思います。  いまの国鉄の中での区分経理的な意味のこと、幹線系と地方交通線とに分けた場合にどうであるかというようなことは、たとえば全国鉄輸送量のうちの九二%ぐらいは、いまの幹線系と称しております。十幾つの線で上げておる。そしてそれは線路の営業キロで言いますと四八%、半分以下である。そして半分以上の一万一千という線区を持っております地方交通線の方は全国鉄輸送量の七%である。従業員も四十何万のうちのたしか九万ぐらいじゃないかと思いました。そういう対照になっている。これは旅客と貨物と合わせたものですが、どっちをとっても似たようなものであります。旅客輸送ならば九割とか貨物ならばもう少しパーセンテージが多いのが幹線系でありますし、その逆に一〇%、七%というのは地方交通線の方であります。これは年次は六八年ごろであります。そして営業係数は片方は一〇一、大体とんとんぐらい。最近だとたとえば一一八ぐらいになっていると思います。それに対して片方はちょっと前でも二四〇ぐらいあるいは三七〇ぐらい。最近は収支係数は悪化しておる。いま一一八と幹線系を申しましたが、幹線系だけでとるならば、つまり一八%運賃が上がるならば収支とんとんになる、数字の上ではそうなるわけでございます。そして旅客と貨物をどれだけ運んでおるかということは、結局国鉄あるいは鉄道という仕事からすれば、これによって社会がどれだけその輸送機関を評価しているか、その社会的な評価というものがここにあらわれておると言っていいと思います。  それからもう一つの点でありますが、これもちょっとくどいような話で、重複しますが、外国、特にヨーロッパ、英、仏、独といったところでどんな種類の国の助成をやっておるかという問題でありますが、いろいろな負債の利子補給、こういうこともあります。これは日本でもやっておることでありますが、日本は御承知のようにほとんど工事費の補助、そのほかは再建債とかいろいろな孫利子に至りますまでの債務の利子補給がほとんどであります。そしてそのほかの種類の政府からの補助、これは最近は別に出資が非常にふえておりますけれども、それを除いてはない。つまり経常費というようなものに対する補償とか分担とかというような形での助成なり補助が日本ではこれまでほとんどないというわけです。それに対しましてフランスなりドイツなり英国なりでは、英国の場合も非採算旅客輸送への補償というものが非常に大きな部分を占めている。それからもう一つは、資金不足などに充当する実損補てん、こういうものは廃止されて、むしろ初めに申しました補償の方に変わったりもしていますが、とにかくこういう二つの種類がある。フランスの場合はやはり、運賃をただにするあるいは強制的に割引させる、こういうものに対する差額の補償、これが非常に大きな分野を占めている。パリ地区では特にそのうちの三割ぐらいを地方自治体が負担しておる。つまり中央と地方政府も分担しているという形をとっている。あと、通勤通学的な旅客輸送に対する補償も非常に大きい。特にバリ郊外線の通勤輸送への補償、あるいは貨物、物資輸送の方では新聞とか石炭、こういうものを割り引いて輸送しておる、これへの補償といったものもございます。  そのほかには人件費の一種でありますけれども、年金とか恩給とか。ドイツの場合には特に一部分が官吏でありますから恩給ということになりますが、片一方は大部分が退職年金です。年金の負担のある一定部分、非常に重い負担部分を中央政府が分担するということもやっている。  それから保安施設、線路とか踏切とか、こういうことの保守運営費、これの分担、補償といったようなことをやっている。これはドイツもフランスもやっております。そしてそれぞれの国の国鉄の収入に対する国家のこういった助成のようなもの、これが四十何%、五十何%を占めるようになっているということでございます。特にドイツではこういったさまざまな運営費の助成とか補償、そういったことが法律によって行われておる。踏切なら踏切の保守、その半分を補償する。こういったことのすべてが法律によって定められている、連邦鉄道法二十八条とか、そういったもので。フランスの場合も、これは法律というよりは協定ということになっておりますが、国と国鉄との間の取り決め、これの第十八条、十九条、二十条ということでそれぞれ決められている。つまりこういう助成のやり方が明確な協定なり法律なりの形をとっておる、そのルールが非常にはっきりしておる、私はその点を一番申し上げたいわけでございます。  それからもう一つ。ちょっと古い資料しか私は存じませんが、スウェーデンにおきましては、一九六七年だと思いますが、やはり非採算線区への補償ということをやっております。このときはスウェーデンは国鉄企業線区と非採算線区とに二つに分類した。そして非採算線区補償しておる。これは一九六四年以降欠損額に対して完全補償をしておる。いま現にどうであるかは私は存じませんが、そういった資料もございます。  そこで、ちょっと前の議論に戻りますが、全国鉄輸送量の九割以上を占めるこの幹線系、それはいま申しましたように、運賃値上げが二年半ぐらいおくれたというためにも赤字これ全体で、四十八年度単年度では二千何百億という赤字になっておりますけれども、さっきグラフについてちょっと申し上げましたようなことをやって修正いたしますと、あるいはいま現に二八という収支係数を申しましたが、つまり運賃の若干の引き上げによってこれは賄えるような線区である。こういうことでもって非常にたくさんの人と物を運んでおる。この点を世間はもっと評価すべきではないか。一概に全国鉄赤字であるとかつぶれているとか言うよりも、この点は私はもう少し評価されていいのではないかと思います。したがって、ちょっと外国の例で申しましたように、政府があるいは国会がいろいろな政策の上で運賃引き上げを抑えるとか引き延ばしたりするならば、あるいは強制割引というようなことをやらしておるならば、それはいずれも何かの形で補償するという道をあけるべきだ。その道は現に御承知のようにあれは傷痍軍人でありましたか、厚生省関係の、量はごく少ないのですが、そういうものについては厚生省が国鉄割引部分を出しているという非常にささやかな萌芽は日本にもあるわけであります。そして日本の場合にもそういうはっきりした欧州並みの形で何か国の補償を一般的に国鉄に対してやるべきであるが、しかし、その中でもそういう幹線系というのは新幹線中心として経営体としてやっていけるはずであるから、その経営体としての理念と責任を明確にして、これはなるべく外からの拘束を離れた自由な活動ができるようなそういう措置あるいは経営形態というものを検討されてしかるべきではないかと私は思います。そして、これに対して地方線という方は、これはなるほど輸送量は少ない、しかしその土地土地においては重要であるということで維持していくとするならば、維持するためにはいわば赤字ということになるわけでありますから、これに対して適切な赤字補てんの、したがって維持運営のできるようなお金を出さなければいけないだろう。人件費すら賄えないというようなことではやっぱり困るわけであります。ほかの点もございますが、私が一番強調したいのはいまの点でございます。  それからほかに、政府が金を出してもいいではないかというのは、これもよく昔言われておりました。特にこれは新投資の場合にそうでありますが、道路とか飛行場であるとかそういうものに比べて、つまり飛行場は国の行政投資として出しておる、道路もしかり。それに対して国鉄の場合はそういうことをほとんどされておらない。そういうような点からも政府が助成すべき正当な理由があるということは言えると思います。  しかしながら、私が申しますような二つの区分経理の段階でも一方でうるさい議論をしますと問題になろうかと思います。まして、反論があり得るのはいまの運賃全国一律の運賃ということが法律によって決められておる。総合原価主義ということであります。これはもともと、こっちの赤字をこっちの黒字で補てんするということを前提にしておる。しかしこれが全体として賄える間はそれでもまあよかったかもしれませんが、一ころ国鉄総裁が何か新聞記事によれば二倍論とかいうのを出されたということですが、それはとてもいかぬと言われた。これは当然でしょう。しかし、全体としての赤字がどんどん累積していくということになれば、ますますそれを修正するための運賃の上げ幅というのは大きくならざるを得ない。つまり一種の内部補助でありますこういう総合原価主義考え方というものにも結局限界があるのではないか。国鉄が一種の鉄道としての独占力を非常に持っておったころ――いまともかく傾向としてはその独占力がなくなりつつある。それから片方では、いまの内部補助というのは貨物の赤字を旅客で埋めるということにもなるわけでありますが、これはまたこれですでに国会においてもよく言われておるところでありますが、これも程度問題でございましょうし、貨物は貨物で競争という問題がありますから、なかなか上げられないということがあると同時に、貨物の赤字を幾らでも片方で埋めるということはどんなものか、確かにそういう議論は成り立ち得るのではないかとは思います。  いずれにしても、ここで申し上げたかったことは、こういう総合原価主義という考え方も、国鉄全体を独立勘定にしてのこういう考え方にもやはり限度があるのではないか、つまり、いろいろな点から考えてみて、やはり区分経理あるいはその大きな線を推進していく必要があるのではないか、それそのものが国鉄再建にすぐつながるかどうか知りませんが、それが再建に近づく道ではないか、もう少しすっきりさせることができるのではないか、私はこの点だけを申し上げまして、雑駁でございましたが、私の意見を終わります。  (拍手)
  8. 西銘順治

    西銘委員長代理 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  9. 西銘順治

    西銘委員長代理 これより質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。加藤六月君。
  10. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 参考人皆さん方大変貴重な御意見をありがとうございました。それぞれの問題についてはっきりした御意見、御勉強を開陳いただきまして、大変参考になりました。先生方から御説明いただきました問題、それぞれ大変重要で、一つの問題だけ取り上げても数時間、数十時間の議論を要するような問題ばかりだと思います。  きょう御質問申し上げるのは一人十分ということでございますので、私簡単に御質問いたしたいと思いますが、まず、これは鎌田参考人にお伺いするのが正しいのではないかと思うのですが、総合交通問題からお触れになりましたが、たしか昭和四十六年につくった政府と党の総合交通問題、しりすぼみで明瞭でなかった点はわれわれも反省しておるわけですが、あのときと非常に変わった問題も――いま見直しをやっておるときの御説明もございましたが、あのときの安全で便利な総合交通ということで、エネルギー問題と将来予測される労働力不足問題を中心にあの総合交通というものをたしかつくり上げたと思いますが、それから以降に環境問題とそれから都市空間の確保問題という大きな要因が、いま見直しつつある総合交通の中に出てきておるわけでございますが、実は私たちもこの環境問題と都市空間確保問題、頭を打っておるわけであります。現にいろいろな問題が出てきておりますが、たとえばいま国土庁で研究し、立法化し提出されようとしております。地下水の制限だけならまあ安心しておったわけですが、地下の掘削制限という問題が出てきています。そうしますと、都市空間の確保問題であるいは環境問題の解決にわれわれは地下鉄あるいは国鉄新幹線とかあるいはこれからのいろいろな都市輸送のものに地下化を計画しておったわけでございますが、この地下化がたとえば大幅に後退してしまって、現状から改良が進まなくなってしまうのではないかという問題等でいろいろいま苦慮し、あるいは三人の先生方、特に岩村先生、鎌田先生からも御意見がございましたが、投資見直しという問題をそれぞれの立場でおっしゃっておられましたが、逆に私たちは投資に膨大な金がかかるようになってくるという問題等も議論したのですが、総合交通の見直しで一番われわれが今後国鉄問題を中心考えた場合に念頭に置かなければならない問題は何でございましょうか。それぞれおっしゃっていただいたのでけれども、ひとつ鎌田参考人にお教えいただきたいと思います。
  11. 鎌田勲

    鎌田参考人 お答えになるかどうかわかりませんが、私先ほど申し上げましたように、総合交通体系を考える上で新たな予見が出てきた、いま御指摘のように、エネルギーの制約、労働力の制約環境の制約、都市空間の制約、こういう制約が出てきた中で、改めてここで総合交通体系というものを見直さなければならないということだと思うのですね。一体どういう総合交通体系が時代の変化あるいは環境の変化に即したものであるかということについては、形勢的には先ほど私が申し上げましたような考え方が有力な意見として出てくると思うのです。先ほど御披露いたしましたのは経済企画庁の総合交通研究会、あそこら辺でまとめた結論をもとにしておるわけでございますが、そのほかにも運輸省でもいろいろ研究しておるし、その他民間団体でもいろいろ研究している、しかしそのおおよその形勢的な方向は、先ほど申したようなことになる、ただ定量的に、しからば交通分担、どこに何%どこに何%持たせるということになりますと、これは実際上は計量ができないのではないかというのが大方の今日の結論なんであります。しかしながら、この前の総合交通体系の一つの大きな欠陥は定量的な面が弱かったということなんですね。そこで、ですから、今度つくるこの総合交通体系には定量的なものを織り込もうということで出発したわけですね。ですから、やはりそれはむずかしいとは言い条、おおよその見当はつけなくちゃならないというふうに思います。  いま例がちょっと妥当かどうか知りませんが、国のエネルギーをどう持っていくかということで、総合エネルギー調査会というところでいろいろ検討しておるわけであります。私そちらの方に関係しておるわけでございますけれども、それもいま申したような定量的なものを出すのはなかなかむずかしいわけですね。一体産油国がどのくらい売ってくれるかよくわからない、国際、政治、軍事、外交情勢がどうなるかわからないというような面がございまして、不明確、不安定性がある、しかし、さはさりながら、それなりにおおよその見当をつけなくちゃいけないだろうというようなことで、同じことが総合交通体系にも言えるのではないか、今後の課題だと思いますが、御指摘のとおりだと思います。
  12. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 これは岩村先生、大木先生にもお伺いした方がいいのですが、実はもう申し上げても時効になったからいいのではないかと思いますが、去年の七、八月ごろ、自民党のある一部に、国鉄再建に直接関係するかしないか、関係するようなことですが、ランニングコスト論というのが出てきたわけであります。今後の国鉄再建の中核としてはランニングコスト論で行ったらどうかという意見、簡単に言いますと、先ほど岩村参考人から御意見がございましたが、運輸収入人件費と経常費を賄い、それ以外のインフレ部分は国が全部めんどうを見たらどうだ、そういうことをやらないと、いつまでたっても長期計画が成り立たない、その間に伴う運賃問題については、特定の機関を置いて運輸大臣認可制でやったらどうかというような意見が出まして、これは余り激しくならないうちに、逆に私自身はもみ消す立場で、つぶす立場に回りまして、これはつぶしたわけです。私はそのとき根拠はいろいろ持ったのですが、一つは、国鉄だけをランニングコスト論でやると、他の二公社五現業に対する影響はどうなるのだ、電電公社の設備中心人件費対設備投資の割合を見てみろとかあるいは専売公社の性格はどうだとか、郵便とか林野とかアルコールの問題等もひっ提げて、ランニングコスト論、他の三公社五現業に及ぼす影響、それから三先生がともにおっしゃっていただきました地方閑散線の問題で、簡単にこれはランニングコスト論に乗らない、この問題についてはいろいろ別の意味の配慮が必要じゃないか、あるいはランニングコスト論をやろうとするならば、せめて西ドイツの初期のレーバープラン的なものも片一方の政策として打ち出さねばならぬじゃないかとか、いろいろな理由を挙げて、ましてや抜本的な新しい国鉄というものをつくり上げる場合の間に合わせ的にランニングコスト論を出してはならないということで、やったわけでございますが、実はいま参考人のお話をいろいろ承っておりまして、私たちはいままでの在来の処方せん、在来の助成策や回生策では、いまの国鉄はどうにもならないと思うのです。本当に苦慮いたしております。しかも国の前途を考えてみますと、財政硬直要因があり、歳入欠陥問題があり、いわゆる高度経済成長から安定成長に移ってきた場合において、国としてこれからどの程度国鉄に援助ができるか。大木先生言われたように、一遍国鉄料金運賃全部ただにして、そこから出直すかという思い切ったことまで考えないと、この分の利子をたな上げする、この分の助成を強化する、この建設関係においてはこの程度の金を見るというようなものではいかないんじゃないかということ等も考えたり何かして苦慮しておるわけですが、きょう参考人の先生方にお伺いいたすのは総合的な御意見をお伺いするということでございますが、どうでしょうか、もちろんこれは国鉄四十三万人の内部の問題、人の問題、自覚の問題、いろいろな方面からきょうは解明していただいたわけでございますが、たしか岩村先生がおっしゃったと思うのですが、運賃を国会議決事項にしているのは日本だけだというようなお話がありました。私たちもその点については同感でございますが、一部の先生方は、料金も国会で認めるように議論しなければならない、何となれば国鉄運輸収入に占める料金割合が非常に多くなっているという御意見等もあるわけでございますが、国鉄運賃問題の姿からいって、ある先生は審判所のようなもの、ある先生は第三者的なもので少しゃらしてはどうかというようなその運営、機能についてはいろいろ問題もあるがというお話等もございましたが、現行のままで運賃問題はいいか。あるいは私は、慎重ならば慎重なほどいいわけでございますが、それぞれの先生が、その裏として運賃改定率を抑えたり時期を延ばしたりしたら、それに伴う国会としての責任を何とか持たなければいかぬじゃないかというお話がございました。まさにそういう問題の積み重ねの一部分が今日国鉄をしてこのようにならしめたとわれわれ自身も反省をいたしているわけですが、運賃改定の審議の仕方というものは現状のままでいいかどうか、ひとつ簡単に岩村大木参考人に承りたいと思うわけでございます。
  13. 岩村精一洋

    岩村参考人 お答えいたします。  私もこれは定見を持っているわけじゃございませんで、ただ忌憚なく申しますと、国鉄の――これは国鉄だけとは限りませんけれども、その運賃決定する段階で非常に政治的な配慮が強過ぎるんじゃないかという気がいたします。その積み重ねがいまのような膨大な赤字累積になってきたと思います。国鉄運賃の問題を見る場合には、この部分運賃で見るんだ、その残りの部分政府財政で見るんだということをルールとして決めておきませんと、やはり国鉄の今後の財政のあり方としてはまことにまずいのじゃないか、そういう気がいたします。  ただ、いま先生のおっしゃいました、非常に苦慮しておると言われたお気持ちはよくわかるのですけれども、ここのところはかなり時間をかけまして、政治的な配慮をなるべく少なくするような形に持っていかれてはどうか、そういうふうに思うわけでございます。
  14. 大木穆彦

    大木参考人 お答えいたします。  常識的には、おっしゃるようなランニングコスト運賃で賄うというのが当然だと思います。これは私鉄であっても国鉄であっても、それから電力におきましても、それが大原則であろうかと思います。  それから私、ちょっと触れましたように、政策割引をやるならば、それを政府がやらせるならば、それは政府が埋めるという責任を持つべきではないかと思います。  ただ、これはずっと昔にも、報告書なんかで出た意見だと思いますが、ちょうど電力料金考え方がそうでありますような、ああいうフェアリターンのような考え方、これを鉄道運賃にも当てはめようという意見はあったそうでありますし、確かにいまもそういう考え方はあり得ると思います。しかしながら、その前提としては、そう厳密なものを考えるためにはやはり企業の形態というものをもう少し、つまり企業体らしい形態のものに何か工夫して考える必要があるのではないかと思いますことが一つ。  それからもう一つは、すぐにと言って、一挙にどこまで――いまおっしゃるような人件費といいますか、ランニングコストの、それも一部分ですか、にいたしましても、それはどのくらいの程度になるかということがありましょうし、その辺に、つなぎとして何か便法を考える必要があるかもしれないということがございます。  それからもう一つは、蛇足でありますが、コストという場合に、それこそどこでコストをつかまえるかですね。いま現に、たとえば新幹線はもう十分コストを賄って余りある。その辺をどこで切って考えるかによってずいぶん違うと思いますので、私もそれについては確たるお答えはいたしかねます。
  15. 加藤六月

    ○加藤(六)小委員 ありがとうございました。
  16. 西銘順治

    西銘委員長代理 太田一夫君。
  17. 太田一夫

    ○太田小委員 私は、岩村参考人鎌田参考人に、一問ずつお尋ねをいたしたいと思います。     〔西銘委員長代理退席、加藤(六)小委員長代理着席〕  岩村さんには資本金のことでお尋ねをしたいのですが、先ほど、利子償却財政支出で見たらいかがかというお話がございました。その利子でございますが、資本が非常に少ないので、それで膨大な長期借入金で運営しておるわけです。その利子は、一割としてみても七分としてみましても、これが何千億というものでございますから、大変だと思うのです。それで、言うならばそれだけのものを――普通ならば、資本金が完全にあるならば、それだけ利子を配当で読みかえることができる性格のものじゃなかろうか。言うならば、借入金をするというのは増資をするというふうに考えて、国鉄の資本金をもっと実情に見合うように大きくしていく。     〔加藤(六)小委員長代理退席、久保(三)小委員長代理着席〕 そうしたならば、これは配当なんかできませんから、おのずからその利子というものの負担から免れていくことができる、国家はそこまで見るべきじゃなかろうか、こう思いますが、いかがでございますかということと、それから鎌田さんにお尋ねしたいのは、トラック輸送鉄道輸送の調整という問題でございますが、これをおっしゃいまして、貨物輸送トラックにかなわないという議論があるけれども、中距離と長距離は鉄道でやるべきだ、トラック行政を強化して、余りダンピングなどさせるなというような御意見のように承りましたが、行政指導、監督力によってトラック運賃をダンピングさせないということだけで鉄道トラック輸送分野が確保されていったり、鉄道がよみがえったりするだろうかという気がするのです。そこでお尋ねしたいのは、トラック輸送分野、鉄道輸送分野という分野論について何か御所見がおありでしょうか。  以上でございます。
  18. 岩村精一洋

    岩村参考人 お答えいたします。  私もこの部分は余り確とした定見があるわけではございませんけれども、いま太田先生の言われた、資本金をふやすことによって借入金を少なくしていくというお考えに賛成でございます。  先ほど資本費のことのみに触れて、もともとの投資資金、工事資金をどうやって賄っていくかということを申しませんでしたけれども、これはなるべく、できることなら、借入金という形よりも政府財政をつぎ込んでいく方が、それは資本金という形になってくるわけですけれども、その方が望ましいと思います。
  19. 鎌田勲

    鎌田参考人 私が先ほど申し上げたことをもう一遍正確を期する意味で申し上げたいのですが、私は貨物輸送の分野ではトラックにかなわないというような考え方をする向きもあるようであるがというお話をしたのが一つと、もう一つトラック行政についても、そのコントロールを再検討するなど、あわせて考えていく、つまりトラック行政も、いろいろ考えることの一つの問題として考えてみる必要があるという程度言い方を申し上げたわけでございます。  御質問でございますけれども、私が言えることは、少なくとも中長距離の貨物輸送につきましては、エネルギーの節約の関係、都市空間あるいは労働力、あるいは環境問題、それらを総合的に考えまして、やはり国鉄も担当するのが国民経済的に好ましいのではないか、数字的にはここにございますから申し上げてもよろしゅうございますけれども、たとえばエネルギーの節約等々につきましても歴然たるものがあるわけでございます。ただし、それには先ほど申し上げましたように、国鉄の貨物輸送自身がその近代化のための整備あるいは構造改善というものを行わなければならない。フレートライナーとか貨物ターミナル、貨物駅の整備とか、さらにドア・ツー・ドアのサービスに対応するものとしての通運的なサービスの付与、強化というようなことがどうしても条件として必要になるだろう、この程度のことを申し上げたわけでございます。
  20. 久保三郎

    ○久保(三)小委員長代理 次に兒玉末男君。
  21. 兒玉末男

    ○兒玉小委員 社会党の兒玉でございます。  三人の先生方に共通の点としては、それぞれ御意見の方からもお聞きしましたが、現在の国鉄公共企業体という制度そのものに私は非常に矛盾を感ずる点があるということが第一点でございます。これについての見解を伺いたい。  それから、読売新聞の岩村先生には、特に運賃原価主義というものについて御意見があったようでございますが、現在の国鉄のいろいろな状態、たとえば具体的な例として考えますならば、政策的にも相当の公共割引をしております。こういう問題については当然、国の政策上の割引でございますから、これは国の財政において考えるべきじゃないか。  第二点は、昭和四十八年の再建対策の中で四月から運賃値上げが予定されておりながら、国の政策上の問題もありまして、約一年六ヵ月間その実施が延期されたわけでございます。こういうふうな政策的な、あるいは政治上の配慮による延期によって生ずる赤字は、当然の運賃収入というものはやはり国が相応の手当てをすべき問題ではないか。  それからもう一点は、一般の道路等は災害等が生じた場合においてもすべて国あるいは県が道路等の負担をするわけでございますが、国鉄の場合は、どのような不可抗力的な災害といえどもその復旧は全部自前でやっているというのが現状でございますが、非常に高度の公共性という点からも、災害復旧等は非常に急がれる。こういう点等から考えても、やはりその幾分かは国の財政負担として考えるべきじゃないか。これは運賃原価主義とは直接の関係はないわけでございますが、やはり負担原則運賃ということから考えますならば、そういうふうな運営上の点としての見解を承りたい。  それから、日経の鎌田先生にお伺いしたいことは、特に現在の労使関係の問題、あるいはダイヤ運行の不規則性あるいは組合員の不当行為など、こういう点を指摘されたわけでございますけれども、今日の超過密的なダイヤ運行というものについては、安全性ということが非常に尊重されるべきでございまして、たとえば昨年の十一月初旬の新幹線のオール停止の点検等も組合側の長年の主張によって実現しているわけでございまして、組合側がこういうふうな経営に対して提案する機会あるいは経営委員会的な機会に参加をする、こういう組合員の意思というものが十分経営の面に生かせるような機構というものが今日ないわけでございます。こういう本質的な問題の解明を通じてこそ私は労使関係の真の関係というものが確立されるものと思うわけでございますが、この点についての先生方の御見解を承りたい。  以上でございます。
  22. 岩村精一洋

    岩村参考人 お答えいたします。  いまの御質問は公共割引その他特別な負担国鉄に与えている場合にそれを何らかの方法財政的なめんどうを見るべきではないかという御質問が中心であったかと思いますけれども、これはそのとおりだと思います。  ちょっと外国の例を申し上げますと、外国の公共料金規制政策、これは主要国でございますが、その規制政策の中には公的補助政策というものが裏づけになっております。ドイツやフランスなどのヨーロッパ諸国では、これは公共負担とかそういう問題とちょっと違いますが、運賃値上げをおくらした場合ですけれども、とにかく国鉄企業体に特別の負担をかけているような場合でございますが、鉄道運賃値上げ政府が拒否した場合に、合理的な経営を前提として必要な補償を行うということが法律で定めてございます。それからイギリスでは、一九六二年の運輸法で、鉄道運賃規制撤廃してイギリス国鉄の自立的決定に任すという、こういうようなことがございます。それで、もしもそういうような法制的な措置がございません場合には、当然国鉄政府の意思によって特別な負担をしょい込まされているような場合にはこれを財政的に見るのは当然だと思います。
  23. 鎌田勲

    鎌田参考人 第一点の公共性と企業性の調和、両立をどう思うかという御質問につきましては、先ほども申し上げましたことを繰り返すわけでございますが、安全、正確、迅速、快適な輸送サービスを低廉な運賃で、しかも十分に提供しながらなおかつ採算のとれるよう能率的に国鉄を運営するということになろうかと思います。私の言う意味での公共性は、ここで申したその限りの中における公共性でございまして、その結果といたしましては、先ほど来他の参考人も申し上げておりますような区分経理の考え方などに当然につながっていくわけでございます。  それから第二点の問題でございますが、ダイヤの不規則性に触れられまして、安全性が尊重されなければならないということの御指摘がございましたが、私も全く同感でございまして、とすれば、それに即したダイヤというものが逆に設定されなければならないのではないかという感じがいたすわけでございます。  あわせて御意見の御開陳がございました、組合の意思が経営に反映するようなメカニズムが欲しいということにつきましては、私も基本的には賛成でございます。いま西ドイツでは、労働組合企業の意思決定に参加するようなそういうメカニズム、共同決定制度というものができておりまして、しかもそれは強化される方向に進んでいる。フランスでもこの問題を検討しつつあるわけでございまして、組織の運営、維持、発展に重大な関係のある従業員が、その企業組織の意思決定に参画することを望むのは当然であるし、またそれに参加せしめるごとは、労働組合なりそういう方面の方々の責任意識をかき立て、持たせることにもつながるのではないかということで、西ドイツ、フランスなどにおけるもろもろの検討が進められているようでございます。わが国の一般企業でも、最近における企業に対する社会的な批判の高まりの中で、内外監査制度の強化ということが進められ、商法も改正されたわけでございますけれども、すでに一部企業では労働組合の幹部を監査役に起用するというような動きも出ているわけでございます。経済的、政治的、社会的風土が西欧諸国とわが国とは異なるわけでございますから、それらの諸制度を直ちにわが国に直輸入することの可否につきましてはもちろん問題がございますけれども、世界の潮流としてそういう方向に進んでいるということを受けたわが国なりの検討というものは当然必要であり、産業界でもそのことの検討をいま始めつつあるということでございまして、あるいは関係各機関もそれを進めつつあるということでございまして、当然に国鉄におきましても、これら、いま御指摘の問題についての検討をすることが、次代の、未来の進展に即したやり方なのではないか、かように考えます。
  24. 大木穆彦

    大木参考人 お答えします。  公共企業体の性格についての問題は先ほどいろいろ申し上げましたが、一応の段階としては私はいまあらわれておりますような区分経理ということで一つの成果は出つつあるのではないかとは思います。しかしながら、同じ企業体の中でさきに申しましたように経理で区分しておればといって、ですから二種類に区分されたところに従事しております人たちが本当に同じように張り切るだろうか。そういう点に、私はやはりいろいろな方に実際に会ってみて疑問を持っております。やはりもっとすっきりした道を検討してもいいのではないかということであります。つまり異質的な性格の分野をこう分ける。恐らく両方とも公共というならば、これは民鉄といえども、公共といいますか、むしろ公益といった方がいいと思いますが、そういう性格を持っておるわけでありますけれども、企業体的なものと、そうでないけれども、採算にはならないけれども、公共のためにサービスするという部分とに分けるという意味ではいまの区分経理――しかしそれには従業員の心理といいますか、士気の問題として若干難点があるのではないかという感じがいたします。     〔久保(三)小委員長代理退席、小委員長着席〕  それから運賃値上げを延ばしたというような場合の運賃収入の減少に対して、国が何らかの手当てをすべきではないかとおっしゃいます点は、これは先ほどちょっと申しましたが、私はそれはごもっともだと思います。しかしながら、これもはっきりした何かルールを確立する必要があるのではないかと思います。英国の例を挙げましたが、いまここに去年の秋に出ました英国国鉄の年報がございますが、これでも、その前の物価抑制政策のために運賃引き上げを延ばされてその影響がずっと及んでおる、今後もその影響は残るだろう、非常に苦しいという意味のことと同時に、それに対して与えられる特別の補償のようなもの、これはやはり額が限られておるような感じのことをいっております。大蔵当局みたいな立場に立てばそれはまた当然かと思います。いろいろな種類の助成といいますか、補償であれ、永久補助のようなものをだらだら続けるというのをまた好ましく思わないというのも当然であろうかと思いますので、その辺は、したがって、何らかのそういうルールというものが必要ではないかというふうに思います。  それから三番目に御質問になりました組合の参加という問題は、私は国鉄といえども経営の参加ということは十分考えられていいと思いますし、こういう再建の問題というようないろいろな国鉄の中なら中の動きに対しても何か適当な形で参画させる。現に国鉄の、というのではありませんけれども、労組出身のOBの方はいつも国鉄の中の諮問委員会、小委員会などにはしょっちゅう参加しておられるわけでありますけれども、少しそういう幅を広げるといいますか、そういうことも考えられていいのではないかというふうに思います。
  25. 増岡博之

    増岡委員長 梅田勝君。
  26. 梅田勝

    ○梅田小委員 日本共産党・革新共同の梅田勝でございます。  本日は、国鉄再建問題につきまして御意見ありがとうございます。  私は、三人の参考人の方々にそれぞれ二つばかり御質問申し上げたいと思います。  一つは、再建計画の破綻の問題でありますが、四十八年に出発をいたしました十カ年計画は、早くも初年度に破綻したことは御承知のとおりであります。  鎌田参考人は、今日国鉄再建問題について処方せんは出し尽くされている、このようにおっしゃいました。しかしながら、再建計画は破綻したのでございます。  岩村参考人は、国鉄再建は無理ではないか。そしていろいろの御意見を出されました。  大木参考人は、実行可能なものを研究していただきたい、かようにおっしゃったわけでございます。そして、それぞれ運賃問題のあり方等について御意見が出されたわけでありますが、しかしながら実際の経過を見てみますと、運賃値上げを延期しただけで、財政が破綻したわけではありません。むしろ今日までの国と国鉄当局がとってまいりました国鉄経営のあり方というものがやはり大きな影響を与えている。その一つにインフレがございます。人件費や物件費の異常な高騰、これも大きな原因でございます。その点でインフレの政治責任と国鉄が持っているような公共企業体としてのあり方、この関係をどのように考えていくか、国鉄財政再建していく場合にその関係からどのようにすべきか、これらの点をお伺いしたいと思います。  二つ目には工事資金のあり方であります。いずれの参考人の方々も今日の投資計画については再検討が必要である、このような御意見が出ておりました。特に岩村参考人の場合には、資本費財政で見るべきだ、現在の投資計画は再検討すべきだ、このようにおっしゃっております。  確かに国鉄投資計画というものは今日まではいわゆる大企業の高度成長政策にのっとりまして、たとえば昭和三十二年から輸送力増強計画というものが出されておりますが、その年から昭和四十八年までの十七年間に国鉄が払いました支払い利息は実に一兆八千七百六十一億円に達しているのであります。これは昭和四十八年末の累積赤字の一兆五千九百五十五億円をはるかに上回っている。もし公共交通機関にふさわしい費用負担原則が確立をされて基礎施設の建設や改良費は国の出資で賄うという原則が行われておりましたならば、今日の財政破綻というものは少なくとももう少しましな状態であったということは明らかでございます。  その点で鎌田参考人大木参考人にお伺いいたしますが、この投資計画また工事資金のあり方についてどのように御意見を持っておられますか、お伺いいたします。
  27. 岩村精一洋

    岩村参考人 お答えいたします。  なかなかお答えしにくい大きな問題を提出されておりますけれども、公共企業体といってもあるいは私的の企業でありましても、インフレの中で人件費や物件費が上昇するという同じ悩みは感じておるわけでございます。ただ、私企業の場合は、人件費や物件費の上昇をカバーするための物の値段の引き上げということができます。ところが公共企業体の場合は、提供するサービスの対価であるところの運賃がいろいろな社会的な制約がございまして上げられないできてしまった、その代表的なものが国鉄ではないか、こう思うのです。ですから、やはりインフレに即応したような運賃引き上げというようなものがありませんといけないのじゃないか。先ほども申し上げましたけれども、大衆もこのインフレの中で自分たちの給与も引き上がっているわけです。そうしましたら、国鉄の職員の人件費の値上がりを、これは大衆国鉄サービスを利用する以上は運賃という形で見ていくのが当然じゃないか。これは感覚的にはわりと運賃値上げに反対しがちな大衆でございますけれども、このことわりを説明されれば比較的納得されやすいのではないか、そういうふうに思うわけです。  それで先ほども経常費――営業費と申しますか、営業費の大部分人件費なのでございますけれども、これを運賃で見ていくようなシステムというものを申し上げましたのは、なるべくいまの社会に納得されやすいような方法でいまの国鉄の問題を解決していきたい。ちょっと先ほどのルールの問題について敷衍いたしますけれども、決してこのルールが最善であると思うわけではございません。運賃営業費を賄うというルールが最善のものであるとは考えない。ただ便法としてこういうことが考えられないだろうかという意味で試案として申し上げましたが、ひとつそういうところでいまのところおくみ取り願いたいと思います。
  28. 鎌田勲

    鎌田参考人 第一点でございますが、国鉄再建の処方せんは出尽くしていると申し上げましたのは、先ほど来発言しておりますように、国鉄の公共性と企業性の調和両立というものを私なりに認識した上でその上での処方せんが出尽くしているということを申し上げたわけでございます。  そうした観点で、第一の問題に対するお答えになりますかどうか、お話しいたしますと、国鉄赤字の分析が必要じゃないか。政治的な配慮で押しつけられたと見られるような赤字ローカル線の問題、あるいはその他適時適切な値上げができなかった、このインフレの問題もそこに入ってまいりますけれども、そういったことで発生している赤字、さらにもう一つ国鉄経営自身が責任を負わなければならない赤字部分、こういう分析を、これは非常にむずかしいけれども、それなりにしなくちゃならないのじゃないか。そうして前の二つの部分につきましては、一定期間たな上げする、そして国が全面的にそのめんどうを見る、これまでの分でございますが……。そして国鉄自身の経営にかかわる赤字部分につきましては、国鉄自身がそれをしょって今後経営をやっていく。その結果発生してくるであろう赤字につきましては、先ほど来出ている三方一両損の考え方でいくということになるのではないか。値上げについて認められない分はこれは国がめんどうを見るということになるのではないかというふうに思います。  第二の投資計画の問題でございますが、これは私先ほど設備投資計画の再検討ということで財政再建計画の十兆五千億の中身を分析して申し上げたつもりでございますが、まず全体として設備投資計画の圧縮についての検討が必要である。と同時に中身の相互のバランスというものの再検討が必要である、こういうふうに考えるわけでございます。  ちょうどいい機会でございますので一つ申し上げたいのですが、いまの二つの問題ともからみまして、それらの二つの問題の決定に重大な関係のある運輸審議会とか鉄道建設審議会、これらの委員の構成、これはやはり再検討すべき――鉄道のOBあるいは政府関係者のOBまた国会議員というものが大体それらを構成しているわけでございまして、これにやはり中立委員を多く参画せしめることが必要じゃないか。国民のこれらの問題に対する理解、支持を妨げている一つの原因にその種審議会が非常に何か一方に偏った構成になっている。その結果として一方に偏った意思決定がなされるんじゃないかという疑念が国民の間にともすれば起こりがちでございますので、そういったことを排除する意味でも、また国民の意思をそれらに反映させる意味でも何らかの形で中立委員というものを参画せしめることが必要じゃないか、こういうふうに考えます。
  29. 大木穆彦

    大木参考人 お答え申し上げます。  初めの御質問のインフレと国鉄運賃値上げですか、これはほかの方へのお答えの中でちょっと触れたと思いますが、私は企業体としての大原則は、運賃というような経常収入でもって人件費、物件費、そういった式の経常支出、経常コストを賄うということが、これがいわばオリンピックルール、国際的にも大原則であると思います。しかしながら、この国鉄の場合に若干どうしても割り切りにくい一種の混迷がございますのは、本当に企業体的な仕事だけやっているばかりではない、ほかにも重要な仕事であるけれども企業体的な採算に合わない分野が相当あるという先ほど申し上げました点でございます。もしもその後者の面、純粋の行政機関であるというふうな立場で考えますならば、人件費、物件費の値上がりというものは、これは何も収入が本来ろくにないはずでありますから、これは国の機関であるならば国費、つまり税金でほぼ賄うということにならざるを得ない。利用者負担じゃなくて納税者負担だということでありまして、それもやらないというのではこれは要するに成り立たない。つまり借金をだらだらとやるか、これも先ほど申し上げたとおりでありまして、そういう不健全なやり方は後に借金をただ残していくだけでありますから、いつかは何かの形でそれは思い切った処置、たな上げということもございましょう。そういう清算、通常な形ではどうにも処理できないということだろうと思います。  それから第二点の設備投資の問題は、私は先ほどあえて余り触れませんでしたけれども、ただ触れましたのは、鎌田参考人が言われましたような、そもそも国鉄がどこへどんな投資をいつどれほどやるのかということを決めるその計画あるいは計画以前と言ってもいいですが、その骨子はいまの鉄道建設審議会という場で決められておる。まあ、そのいつということまではそうじやないのでありますが、そういう路線とかいうものは決められておるという点が相当問題じゃないか。その辺を再検討を要するじゃないかということは先に申し上げました。そのことを除いて考えますと、国鉄投資のこれらの点についての御質問でございましたが、いままでの問題でのこれは非常に大きな少なくとも結果的に問題だと言えるのは、いろいろな方が指摘されましたように、貨物のために非常に投資をしたわけであります。しかしながら実際にはいろいろな地域地域をとりましても、管理局管内をとりましても、貨物の赤字は旅客の赤字を上回っておるというところが非常に多うございます。四国とか九州はちょっと違いますけれども、その他のところでは貨物の赤字の方が大きい。これが足を引っ張っておると言うならば足を引っ張っておる。そうするといろんな貨物のターミナルとか新しい設備投資もしたわけでありますが、そういうことが十分に実を結んでいるのかどうか。なるほど貨物については七、八年も貨物運賃を据え置かれたと言われております。しかし、逆に考えればそれだけほかの競争相手のいろんな輸送機関に対して国鉄貨物運賃はその分だけ割り安であったはずなんであって、競争上はむしろ有利であったと言えるかもしれないのでありますが、いかんせん貨物の方は不振であります。フレートライナーとかなんとか言いましても、非常にともかくお金がかかる。そして人手もかかる。なかなか苦しい。その辺に貨物設備の投資に対しての判断に十分な点があったのかどうか。私はそれ以上のことを私から申し上げる準備もございませんけれども、そこが非常に問題である。今後を考えるならば、新投資態度としてもそれからその運用という上でも問題である。  それからもう一つは一般論でありますが、政府出資、投資を何で賄うかという問題はこれはやはり政府の出資、設備投資に対しては出資のような形のものあるいは鉄道の債券のようなもの、こういうもので裏づけるというのが、これまた初めに申しました経常費の場合と同じような意味でごく一般的な常識であろうかと思います。しかしながら、そういうことを政府がやってないのかと言えば、最近になって政府出資は確かにふやしております。それからもう一点は、設備投資の全体ではございませんけれども、ある部分については御承知のような鉄建公団という形で建設をやる。そして後その分だけ国鉄がいいも悪いも肩の荷が軽くなる。それを譲り渡すとかいうやり方をしております。こういう形で、ともかく政府出資が設備投資に充てられるという方法は相当意図的に行われつつあるのではないかと思います。  それからもう一点はいままでのことで、これも今後についても言いたいことでありますが、鉄道建設投資をここ数年来は非常に急いだというきらいがあったのではないか。それを非常に急ぐよりは、これは相当慎重であっても、計画自体は大きくても結構でありますが、非常に急ぐということはどうであろうか。非常にもっともっと弾力的に考えるべきではないか。したがって一定期間をとるならば、鎌田参考人が言われましたように相当圧縮というようなことを考えてもいいのではないか。そういう弾力的に対処する必要があるのではないかと思います。
  30. 梅田勝

    ○梅田小委員 どうもありがとうございました。
  31. 増岡博之

    増岡委員長 松本忠助君。
  32. 松本忠助

    ○松本(忠)小委員 公明党の松本でございます。きょうは貴重な意見をお三方から聞かせていただきましてありがとうございました。  二点ほど伺いたいわけでございますが、新幹線建設の問題についてでございますが、御承知のように、新財政再建計画の中では、新幹線については実に四兆八千億という膨大な投資をするということが計画されております。先ほど岩村参考人から、新幹線建設は慎重に、日本縦断的なものでいいのではなかろうかというような趣旨のお話を伺いました。確かにこの問題については重大な問題であろうと私も思います。全国新幹線鉄道、御承知のように、工事線あるいは整備計画線、基本計画線等を入れますと、約三千五百キロに上るわけでございます。特にまた、最近新幹線公害と言われます振動、騒音、テレビの受像の問題等、いろいろと問題がございます。こうしたものが解決されないままにこれ以上工事を進めるということは、いろいろの問題があるのではなかろうかというふうに考えられているわけでございます。そうした中で先ほど岩村参考人の慎重にというお話がございましたが、これについて鎌田大木両御参考人はどのようにお考えでございましょうか。第一点、お伺いしたいわけでございます。  それから第二点は、お三方に共通の問題として伺いたいわけでございますが、先ほど鎌田参考人から、愛される国鉄になれというようなお話がございました。労使の協調によるところの経営合理化、近代化、こういうものに取り組めというような趣旨のお話がございました。きょうの毎日新聞の朝刊に出ております報道でございますが、「スト処分に踏み切る」という記事が出ております。いままでもこの問題については常に繰り返し、繰り返しやられてまいり、ストをする、それに反発してまた順法闘争やストをやるというようなこの繰り返しであります。そのたびに迷惑をするのが国民大衆でございます。特にこの記事によりましても、昨年の順法あるいはストによりまして迷惑を受けた人間は九千五百八十七万人だ、減収が国鉄として百六十八億だ、ことしは迷惑を受けた人が五千七百万人で減収が百六億だ、こういうふうなことが記事に載っております。こうした国鉄の現在の赤字の上にさらにこういった赤字を生み出し、しかもまた貨物輸送の減退によって生鮮食料品等の輸送が途絶するというようなことによって、物価高の折から、国民生活にも影響が出てくるわけでございます。こうしたことを考えてみたときに、このスト処分をどのようになすべきかということについて、今年の秋にはスト権の確立もできるのではないかと思いますけれども現状をお三方どのようにお考えになるか、逐次お話しをいただければ幸いでございます。  以上、二点について質問いたします。
  33. 岩村精一洋

    岩村参考人 私が質問を受けましたのはストの問題であります。  ストの処分はいいのか悪いのかという設問に対しては、現実的な情勢を見ますと、なかなかどうもお答えにくい。むしろ本当は企業体としてのスト権を与えるべきであって、スト権を与えられたら、組合側としても、そう無責任なスト行為には余り出にくくなるという面もあるかと思います。いまの場合は、要するに違法のストである。そういうことによって処分が発生する、処分を行わざるを得ない、これは法的に見ればまさにそのとおりでございまして、今回の場合にそれをすぐやるべきか。これはやらなければならないと思いますが、やはり基本的にスト権を与えるかどうか、そこのところの問題で対応したい、こういうふうに思います。  それから、このところ国鉄労働者がストを行うというのは権利ではないかと思います。ただ、先ほども申しましたけれども、スト解除指令があったのに数時間も電車も汽車も動かないとか、ああいうような状態は、一体ストライキというものをどういうふうに考えているのかという疑いをわれわれに持たせます。これはむしろストの処分がどうかということよりも、国民感情にまことにふんまんやる方ないものを与える。ストライキを打つときは、私の常識では、全部ある場所に待機して闘うのじゃないかと思うのです。ところが、聞くところによりますと、うちに帰ってしまった、何かして車を出してくれなんという騒ぎなんだそうですね。やはりわれわれは労働者のストライキ権を認めますから、認める以上はびしっとした規律のあるストを打ってもらいたい、そういうぐあいに思います。これでお答えになるかどうかわかりませんけれども……。
  34. 鎌田勲

    鎌田参考人 私は二つお尋ねを受けたわけでございますが、第一点につきましては、新幹線建設の中でも東北線とか上越線のように、本来輸送力の増強、複々線化というものが必要だけれども、それを新幹線で代替するというようなものにつきましては、やはり建設を進めていかなければならないと思います。しかしながら、たとえば昭和六十年に七千キロというような建設計画、これはかの有名な列島改造論を前提として立てられたものであると承知しておるわけでございまして、その列島改造論がよってもって立つ基盤というものが日本経済から失われている。資源の問題環境の問題等々の制約から、わが国は高度成長から減速成長に大きく転換せざるを得ない時期に来ているわけでございますし、また同時に新幹線に絡まるところの騒音の問題、振動の問題、立地反対運動の激化というような問題もございますので、こういったものをあわせて考えますと、新幹線建設はそのテンポをスローダウンせざるを得ないというふうに考えるわけでございます。  第二のストの処分の問題でございますが、これは非常にむずかしい問題でございまして、労組側には労組側なりのいろいろな主張、理由というものがあろうかと思いますけれども、現行法体制のもとでは、やはり相応の処置というものはとらざるを得ない。それは避けがたいことなんじゃないだろうか。しかしながら、スト権そのものにつきましては、いま岩村参考人から御意見の御開陳もありましたように、いま各機関で国民的合意を得るための検討が進められているその結果をまちたいというふうに考えるわけでございます。
  35. 大木穆彦

    大木参考人 お答え申します。  新幹線建設問題につきましては、さっきちょっと申しましたように、景気対策といった社会に対する影響もございます。それからもう一つは、技術的な新技術の開発あるいは陳腐化という問題があります。いずれにしても私は相当慎重に、弾力的に、余り機械的に急ぐべきではないという議論であります。あれは上越でしたか、ちょっと見たときにも、あそこには温泉とか何かが出てなかなか大変だというようなことも聞きました。あるいはいま鎌田参考人が言われましたような騒音とか、いろいろな問題に対する住民の反応が時代によって非常に変わってくる。そうすれば、そういうものに対処するための新技術の開発ということが当然行われるはずであります。そういうものを待たざるを得ない。待った方がいいという場合も相当あると思います。  それからもう一つは、最近よく報道されます東海道新幹線、こういうふうに年限がたちますと、いわば旧新幹線というふうなことになりまして、いろいろな点で、初めに予想しなかったような疲れと言いますか、そういうことに起因する、まあ小事故で幸いでありますが、そういうものも起こる。またそういうことに対処するための新しい技術の改良化、そういったことも必要になるのではないか。  それからもう一つは、東海道新幹線の場合もすでにそうでありますが、新幹線が引かれる場合には、在来線、東海道本線あるいは山陽本線、これが当然お客を奪われてしまう。それをどう活用するかということが余り十分でない。そういうことが、あわせて国鉄なら国鉄経営を差し引きどういうふうにプラスマイナスの影響を及ぼすか、そういうことを当然国鉄として考えなければならないのではないかと思います。したがって、余り急ぐべきではないのではないか。  それから二番目のストの問題は、私は門外漢でありますけれども、私はやはり第一には、悪法も法であるならば、法のもとでの違法なストというものの処分ということはやむを得ないんではないか。しかしながら、処分が非常に重いものであるということは、いままでの例に照らしてもない。相当軽い処分しかできないんではないかということを国鉄のOBの方から伺ったこともあります。  それから、スト権をどうするかという問題。これは国際的に見ましても、スト権をどこでも持っておるという式のことが言えると思います。そこで、スト権が具体的にどうなるかは私は存じませんけれども、今後の検討にまつといたしましても、その場合に恐らく一つ問題になるのは、公社を制定したときのやはりいきさつということにまで、ともかく話はさかのぼらざるを得ないんではないだろうか。それから、仮にスト権を与えたならば、ストをやるのかやらないのか、民鉄でもすでにストはやっている、あるいはやらないところもある。それとどういう関係を持つかは、必ずしも一概に言えないんではないかと思います。  それから、先ほど話題になりましたようなスト解除後の問題。これは国鉄だけのことではありますまいが、やはり組合の指導力がだんだん――だんだんと言うか、いまの段階では相当弱まっておるんではないかという感じを持つということでありまして、これをどうしろという意見は、私は遺憾ながらございません。
  36. 松本忠助

    ○松本(忠)小委員 ありがとうございました。
  37. 増岡博之

    増岡委員長 これにて質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位にお礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ、長時間にわたり当小委員会に御出席をいただきまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。本小委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時十四分散会