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八十島参考人 八十島でございます。
国鉄問題を総論的に話すようにということでございまして、私は
輸送体制といったようなことを中心にしまして話させていただきたいと思います。あくまでも個人的な
意見でございまして、また試みの提案を若干させていただきたいと思います。
輸送体制ということにつきまして、実は
財政再建とどういう
関係があるかということでありますが、
財政再建を行うにしても、どういう
輸送体制を
国鉄がとっていくかということがまず最初の問題であると思います。その
輸送体制について、いままでの
財政再建方策はどのような変革を求めていたかということを振り返ってみたいと思います。
昭和四十四年に特別措置法ができまして、引き続き基本方針が閣議決定されまして、なお引き続き
国鉄がそれを受けて経営の基本的な
計画をまとめております。なおそれが若干進んでいた段階で、
昭和四十八年に法律の改定が行われまして、それに沿ってまた基本方針が閣議決定をされ、また経営の基本的な
計画が
国鉄によってまとめられた、こういういきさつでございます。
昭和四十四年の
国鉄再建計画の重要な点はどこかと申しますと、
輸送体制としましては、
一つは都市間の
旅客輸送を行う、
二つ目は中距離大量
貨物輸送を行う、三つ目は大都市の通勤通学
輸送を行う、この三つが重点的な役割りであるとして
国鉄に課されているわけでありますが、この裏には何があったかと言いますと、路線ごとの経営収支がうまくいっていない地方閑散線とかあるいは余り利用されていない小駅は非常に軽視をする。そういうことを軽視をしつつ、いわば幹線
輸送重点でやっていく、これが四十四年の措置法以降にあらわれました
一つの
輸送体制の
考え方であったと言ってよろしいと思います。
これはつまり、閑散線などをやや軽視したということは、結局
国鉄が明治五年以来線路の設置を進めてきた基盤はいわば
日本国土を
国鉄の線路で埋める、つまりいわば面
輸送を行うという趣旨で来たのを、この際、そういったような面
輸送はやめてむしろ線
輸送に切りかえよう、こういう
考え方が働いていたかと思います。
そういうような
方向で、駅の取りやめ、あるいは閑散線の廃止というようなことも行われておりましたが、それが四十八年の改定
計画でどういう
方向になったか。これは表向きの文章においてはさほど変わっておりませんけれども、政策にはかなり大きな変換があったというふうに見られます。たとえば閑散線につきましては、
昭和四十四年の閣議決定された基本方針では、
あらましこんなことが書いてあります。
地方閑散線並びに
建設線、予定線云々、再検討や
利用者の便益の確保に万全を期しつつ、道路
輸送への
転換が適切と認められるものについては
転換を推進し云々とあります。また小駅に関しましては、小駅については地域の実情とか設備の改善などを十分考慮した上で廃止または無人化を推進する云々、こういうのがあります。
それで、そのころほぼ二千五百
営業キロ、八十三線区の廃止という話がかなり強く出ていたわけであります。
このようなことが、
昭和四十九年、法律改正がされました後の閣議決定による基本方針では、地元の同意を得て積極的に閑散線の廃止を行う、こういうようなことで積極的に行うという文言は入っておりますが、その前に地元の同意を得てという言葉が入っております。
また小駅の廃止または無人化ということについては、項目としては挙がっておりません。微妙な文言の違いではありますけれども、要するに閑散線の廃止というようなことはやめようというのが四十八年からの改正法の趣旨であるというふうにとってもよろしいと思います。
なるほど小駅につきましては貨物扱いが
昭和四十三年に二千八百六十八駅あったのが、ほぼ同じように漸減して
昭和四十八年には千八百五十九駅になっておりますが、それに対して地方閑散線の方は
昭和四十六年は五十八キロ廃止、四十七年は五十五キロ廃止、四十八年は五十四キロ廃止というふうに言われておりまして、それが四十九年になりまして十キロに減っております。これがほかにも理由があったかもしれませんけれども、政策の
転換の影響がこういうところにもあらわれているというわけであります。
財政再建そのものは年度ごとの予算として組まれますが、
輸送体制を変革しようとすると、これは一年、二年でできることではなくて、かなり長期間
一つの方針でじっとがんばって進めていきませんとできないことだと思います。そういう
意味からいきまして、四十四年、四十八年の
輸送体制の
考え方のよしあしは別として、
体制転換にはやや期間が短い段階で再検討が行われたといううらみはあるかと思います。
それでは
一体国鉄の
現状はどうか。財政的にはもう私がいまここで一々申し上げるまでもございません。繰越欠損だけですでに一兆六千億といったような数字になっておりますが、
輸送体制の方ではいまはどういうふうに動いているか、つまり先ほど申しました面の
輸送から線の
輸送へという
昭和四十四年の
考え方が四十八年以降非常に薄れまして、いわば今日ではやや混沌の
状態で進んでいると言ってよろしいと思います。それからもう
一つは
輸送体制的に見ますと、総合
交通体系としての配慮、これがはなはだ不明確である、こういうようなことが
現状として言われると思います。
そこで
輸送体制の今後について述べるに当たりまして基盤
条件として
二つの問題を取り上げてみたいと思います。
一つは
国鉄輸送の今後とり得るあるいはとることが好ましい特質は何であろうか、
一つは
交通体系として求められているものが何であるか、この
二つの点について
考えてみたいと思います。
国鉄の今後の特質でありますが、明治以来陸上の機械的な
輸送手段としては
国鉄だけが独占的にその使命を果たすという時期がかなり長く続いておりました。そういう段階でいろいろな
建設も行われてきたわけでありますけれども、モータリゼーションがだんだん進んできた。それからもう
一つは、この十数年間の非常に激しい
経済成長によって都市化が行われた。このモータリゼーションと都市化によって、片方では需要が衰退をしていく。片方では需要衰退につながるけれども
自動車が非常に普及して、要するに競争的な
交通手段というものがどんどん成長したということで、現在では独占的な
性格は非常に薄れてしまいました。ことにそれが
貨物輸送の面で見られますし、また地方
交通においてもそのような様相をかなり呈しているというのが
現状であります。
そういうところにきまして
国鉄があるいは
鉄道が元来持っている特質、大量等整の
輸送に向くということ、大量等整という言葉も変な言葉ではありますけれども、たとえば貨物にしろ客にしろ大量が動くということ、あるいは起点、終点を一致させているということ、あるいは同種の貨物あるいは同じような移動目的を持っている旅客が多い、そういうときの
輸送には
鉄道というのは非常に向いている。これはインフラストラクチュアの
投資が非常に大きい、それだけにまた大きな
輸送力が発揮できるということで、大量等整の
輸送に向くわけでありますが、逆に言うと大量等整でない
輸送は
鉄道にとっては非常に苦手であるということにもなります。こういう特質は恐らく現在でもそうですし、将来に向かっても続くしあるいはますます顕著になると見てもよろしいのではないかと思います。
それから先ほどからもいろいろお話がありましたが、定時性
安全性、これは
鉄道が専用軌道を持っているという点からほかの
輸送手段に比べてかなりしっかり維持することができるということ、こういうようなことが今日から将来にかけて
鉄道の特質として
考えてよろしいのではないか。片方では競争的な
交通手段ができてきたということ、もう
一つは大量等整な
輸送あるいは定時性、
安全性が確保される
輸送、これに
鉄道が向く、そういうようなことを今後の特質として
考えればよろしいかと思います。
次に総合
交通体系としての問題であります。運輸大臣の諮問機関の運輸政策
審議会が四十六年に総合
交通体系の答申というのを出し、また、最近ではその見直し作業が進められているわけでありますが、その中での
鉄道に関連した問題を二、三御紹介いたしますと、
交通手段は互いに補完させなくてはいけないだろう、つまり
日本の場合過度な重複
投資ということは恐らく無理であろう、こういう趣旨で、
鉄道がだめなところは道路、道路がだめなところは
鉄道というのが
一つ挙げられております。
それから当然のことながら今日的な問題としては、エネルギー、環境、空間といったことにどう対処していくかということが問題にされております。
もう
一つは、幹線の
貨物輸送についてであります。
日本の場合、ほかの国と比べまして
貨物輸送の非常な
特殊性は内航海運が発達しているということで、これはほかの国にはほとんど見られない事象であります。
〔
加藤(六)小
委員長代理退席、小
委員長着席〕
さらに道路もいつの間にか非常に大量の
貨物輸送を行っておりまして、結局
国鉄の貨物の
輸送シェアは
昭和四十八年で一七%という数字に落ち込んでしまいました。そういうような
現状でなおかつこの数年は
貨物輸送が絶対量からいっても落ち込む気味があります。
そういう段階に来ておりますけれども、今後の
貨物輸送については
二つの問題が出てきております。幾らかでも景気が安定的に成長するとなると、
経済に伴って大体
貨物輸送量というのはふえております。従来は弾性値が一であると言われておりましたが、だんだん
産業構造が変わってくるあるいは
産業の立地傾向が変わってくれば弾性値はかなり下がるであろうと言われますけれども、とにかく相当高い弾性値を持っている。ということは、
経済がもし幾らかでも伸びれば
輸送も需要が伸びていくであろうということ、それからもう
一つは、そうやって
輸送がふえたときに、現在の
状態で比較をしますと道路
輸送がかなり伸びる。将来のエネルギー問題は別としましてそれがなければ道路
輸送が伸びるというか、道路がますます
貨物輸送をしていく。しかし道路
輸送の需要があっても果たして道路が整備ができるか、これは非常に悲観的でありまして、それを何とか
鉄道に吸収したらどうかという問題がそこで出てくるわけであります。つまり現在ははなはだ需要が伸び悩む、むしろ停滞ぎみでありながら見方によっては将来需要が強くなるという見方あるいは
鉄道が受け付けないとますます公害その他の問題が起こる、こういう問題が
貨物輸送に出てくる。果たしていかなる貨物が運ばれるかとか、そういうととは別でありますけれども、総括的に見ますと、そういう問題が
交通体系として出てくる、こう言ってよろしいと思います。
そういうような今後の
鉄道の特質あるいは総合
交通体系からの問題を踏まえまして将来の
国鉄の
輸送体制はどんな姿であったらいいかということを
考えてみますと、一応五つの点が出てまいります。
一つは通過量が多いか、さもなければネットワーク形成上必要な路線とか駅というものは今後も保持しなくてはいけない。これは大量等整な
輸送を得意とする
鉄道は、当然通過量が多いといったようなことは運びやすいところであります。また
鉄道の
輸送技術上、ネットワークとして路線を持っているということも、たとえば災害その他のことを
考えますと必要になってまいります。
二番目は、他の手段では
輸送困難なものは
国鉄が引き受ける、相互補完ということを先ほど申しましたが、そういう
意味で、
鉄道でなくては運べない場合は、仮に通過量が多くなくてもそれは当然
鉄道が運ばなくてはいけないということであります。
それから三番目は、主幹線の
輸送力はやはりかなり大きくしておくということであります。これは
貨物輸送の将来の問題がありましてやや不確定ではありますけれども、将来
貨物輸送が大きくなるかもしれないということに備えますと、主幹線の
輸送力――全線とはいえませんけれども、少なくとも主幹線の
輸送力は高度に保持するということがいえます。
それから四番目に、
安全性、定期性ということは今後の
鉄道にとっても非常に重要な要素であるから、これは常に確保する。そのためには安全
施設の
投資あるいは要員の安全に対するトレーニングといったようなことは今後も欠かせないであろうということであります。
それから五番目でありますけれども、
輸送サービスは恐らく今後多段式になるであろう。たとえば片方ではあくまでもシビルミニマムを確保するという
性格の
輸送があるし、片方ではあるいはもうちょっと特別なサービスが加わったかっこうで別の
輸送体系が出てくる、少なくともそういう段階が今後の
輸送サービスの中にはなくてはいけないだろう。これはもちろん今日でもあるわけでありまして、普通列車が時間をかけて走るとその同じ線路を
急行列車が速い速度で走る。そこで先ほど
料金の問題が出ましたが、その大きい小さいは別としても、
急行列車はやはり特別な
料金を取る。現在でもそういう二段階のサービスというのが行われていますが、これからもそういう段階的なサービスシステムというものは必要であろう。
こういうこの五つの事項が
国鉄をこれから形づける、
国鉄の
輸送体制を形づくっていく上の要素になるといってよろしいと思います。
こういうような要素を踏まえますと、一体どういうような
国鉄の
輸送体系像ができ上がるかというわけでありますが、大体二種類の路線によって
体制ができ上がると見られます。
一つは限られた骨格的な路線網、この上で安全、確実、能率的な
輸送サービスが行われるということ。それからもう
一つは、それに多数の地方線が付属する、骨格線と地方線というふうに分けましたのは、実はこれは財政上の問題も絡んでのことでありますが、それは後でお話しするとしまして、少なくとも骨格的な路線と地方的といいますか、地方線とこの二種類が
国鉄の
輸送体制を構成する、こういうふうに見たいわけであります。つまり、言いかえれば、従来の毛細管的あるいは面的な
輸送からかなり線的な
輸送を重視した、こういうような
考え方でありまして、これはたとえば地方的な路線は大幅な財政的な助成をするけれども、骨格的な路線は余り助成はしない、こういうようなかっこうでこの二種類が分離してくるわけであります。とういうような
体制をとることが、財政的な問題も解決する上でこれからの
国鉄の
輸送体制として必要ではないかと私は
考えます。
この面的な
輸送から線的な
輸送というのは、実は四十四年のころにはむしろ線的な
輸送だけにして面的な
輸送はもう全然残さないというような雰囲気が若干入っておりました。ここでは両方を組み合わせていくということを申し上げているわけですが、線的な
輸送を非常に強調するという
考え方は欧米の
鉄道にもありまして、たとえばドイツが一九六七年につくりましたレーバープラン、これは当時の運輸大臣ですけれども、ドイツの
交通事情が非常にひずみが多くなって、何とかこれを直さなくちゃいけないというときにまとめられたプランでありまして、いろいろな広範にわたって提案その他がありますが、このときの提案で非常に話題をまきましたのが道路についてでありまして、長距離の重量貨物トラックは道路
輸送を禁止するとか、長距離トラック
輸送へは大きく課税するとか、道路についてはそのようなことが言われましたし、
鉄道については、面状
輸送を
合理化する、そしてこの際、六千五百キロのそういう面状
輸送の細かい路線を廃止する、そうして幹線
輸送に移行するのだ、こういう
計画を立てております。
このレーバープランというのは、その後実は道路
関係で非常に反論が強くて、二年ほどたって修正をされましたが、
鉄道に対する
考え方というのは大体その後も生きて続いていたようであります。ただ実績としましては、六千五百キロの撤去というところまではいっていないと聞いております。
そういう例もありますが、そこでは面的
輸送と線的
輸送をある
程度区別しながら
国鉄の
輸送体制を形成させていくということを申し上げたいわけであります。
それで、なぜ骨格路線を特別に
考えるかということでありますけれども、これからだんだん安全
対策その他はますます重視されていく、こういうことになりますと、幹線の
設備投資というものはますますふえていく。安全を維持するためにはふえざるを得ない。そういうことになりますと、非常に
投資をたくさん行うということになると、やはり相当の
輸送需要がありませんと路線の維持が非常に困難になる、そういうことと、それからまた
輸送需要が多ければそれなりに何とか採算がとれていけるであろう、こういうことで骨格路線を限定して
考える。そうして地方路線の方はまた別になるべく政府の助成を入れながら維持していく、こういう
考え方であります。
そこで、そういうような地方路線でありますけれども、一体どのくらいの延長があるのか。従来撤去するので八十三線区、二千五百キロとかあるいは準ローカル線四千三百キロとかいう話が出ておりました。いまここでそれと照合するつもりはありませんけれども、恐らくけたとしてはその辺になるかと思います。こういうような路線は、果たしてその路線がその地域にとって本当にいい路線なのか、あるいはもっとよい
交通システムができるのではないかというようなことを十分検討する必要があります。ですから、そういう
意味で、もしもその結果としてさらによいシステムができるならばシステムチェンジをしてレールを外してそちらに移すということも
考えられますし、やはりレールの方がいいとなればそのまま維持して、そして収支の差額、
赤字分はそのかわり国が補てんする、あるいは国と公共団体合わせてでもいいですけれども、補てんをするということ、それから、そういう地方路線は
一つ一つがそれぞれ地域の生活と結びついております。そういうことを
考えますと、そこのそれぞれの路線の経営についても何らかのかっこうで地域住民の発言の機会が与えられるように、そして経営がもし非常に好転すれば、それが地域にも若干プラスになるといったような路線
一つ一つについての経営のあり方というものがかなり多様化して選択できるような形で進めていく、こういうような形にしていったらどうか、こういうことであります。
それから、地方路線のことはそういうことでありますけれども、やはり大量等整の
輸送をしていくためには小駅、小さい駅のシステムチェンジということも必要だと思います。これはいろいろなほかの
輸送体系その他から組み合わさって決まることですから、ただ一概に駅の数を減らせばいいというかっこうにはならないかと思いますけれども、なるべく集約して、そのかわり集約された駅の
輸送は非常にスムーズにいくというような形をとっていかないといけないかと思います。そういうようなことをしながら移行をして、先ほど申しましたような
輸送体制に接近させるということではないかと思います。
それで、なおそのときに従来言うべくしてあるいはなかなか行われなかったことは何かというと、やはり
国鉄だけではすべての
計画、
設備投資はこれからはやりにくいであろう、そういうことを
考えますと、
都市計画とか地域開発との接触というものをもっと密にしていかなくてはいけない。たとえば貨物駅を集約する。簡単に言えば、ある小さな貨物駅をやめようということを
国鉄が内心
考えている駅があったとします。ところが、そういうことは知らないものですから、片方ではその駅のすぐわきに農協が大きな穀物倉庫をつくってしまう、そういうような食い違い。その食い違いによって結局は集約の合理的な
計画もうまく進まないというようなことが実際にはあったようであります。この辺も地域開発と
国鉄がもっと密に接触をしていれば、両方ともそれほど困らないかっこうで話が進められたと思います。
都市計画あるいは道路整備とも同じようなことが言えるわけでありまして、ほかに
輸送手段がないような地方線を撤去するといってもこれは無理な話でありまして、撤去するならば、それにかわるべき
輸送システムがそこにはなくてはいけない。そのときに
国鉄だけで撤去を
考えても話にならないので、
都市計画、道路整備とかいうものと一緒になってその問題を解決していかなくてはいけない、こういうふうに
考えるわけであります。
それで最後に、先ほど骨格線と地方線と申しましたが、その区分をもう一回申しますと、いろいろな財政的な措置からいきまして、地方線は、収支差は国またはそれに地方公共団体が加わって負担するという
方向で解決をしていかなくてはいけないし、それからいままで
国鉄に課されておりました公共負担、地方の納付金みたいなものも、これも昔
国鉄がそこにあることによって
国鉄自体が非常に便宜を受けたという時代とは大分変わっている路線があるわけであります。そういう段階に来てまで現在
国鉄が地方納付金を納めるというのはどうも少しおかしい。これはもちろんほかの公社との
関係もあるかもしれませんけれども、そういった公共負担は
国鉄は免除する
方向にしなくてはいけないと思います。そういうようなことで
国鉄の
公共性ということをいまよりも重視する
方向をとるべきだと思いますが、それでは
国鉄の財産というものは全部
公共事業で、ちょうど道路あるいは港湾といったものと同じようにやったらどうかということも
考えられますが、たとえば最近の工事経費、これも借り入れでやっている金額だけを見ましても、それをすぐ
一般会計の方に回すということは、いまの財政事情からいうとかなり無理かと思います。そういうことを
考えますと、いままでとられている
借入金によって工事を行うという
方向をとらざるを得ない。ただし、利子補給だけはいままでよりももっとしっかり、むしろ全額補給できるというような
体制で、そのような形で
国鉄の財政を組み立てたらどうか、こういうふうに
考えております。
大体時間が来ましたから、ここで終わりにさせていただきます。(拍手)