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川口法制局長 せっかく御
質問がありましたので、政治的なことを一切抜きまして……。
実は、私が若いころからずっと思っておる疑問でございますが、一番根本的な疑問と申しますのは、アメリカさんとわれわれ
日本人との
法律の意識、特に「証人」という
ことばのつかまえ方が根本的に違っておる。ところが
憲法自体に「誰人」と書いてあるものですからどうにもならないということがあったんじゃないかと思いますが、この点は金森先生が帝国議会で
答弁をなさっておられまして、非常に困っておられます。そこで非常にえんきょくな言い回しをしておられますが、いまから端的に疑問点を申し上げますと、
刑訴でも
民訴でも、われわれ
日本人の感覚からしますと、証人というのは、Aという人間の真実かうそかを調べるために、別なBというのを呼んで
証拠として固める。そこで、
民訴はああいう当事者主義ですからそれほどでもございませんけれども、
刑訴におきましては、
憲法から流れまして、当人自身は被告人としまして最大限の自衛権、つまり
拒否権、黙秘権というものを認める。これは非常にはっきりいたしております。ところが、
国会でお呼びになる証人は大体
刑訴や
民訴の証人とは違いまして、ひどい場合には、おまえはこんなことをやったんじゃないかと言って、
ことばは悪うございますけれども、つまり端的に当人の非違を糾明する。もちろん犯罪摘発権も何にもありませんし、
国会は政治的に批判するだけで、
法律効果は伴いませんけれども、政治的、社会的な
意味において当人をいためつける効果というのは絶大なものであります。特に
国政調査権というのが、ただ勉強をする、ある
法律案やある事案のよし悪しをきめるために、別に
資料を要求してその案の是非を
検討するために勉強するという、非常にじみな次元で展開される場合にはたいして問題はございませんけれども、政治的にきわめて重大な社会的関心事を
調査なさる場合には、これはもう非常に弾劾的な性格を帯びてくるのはやむを得ないことでございます。
そこで、ではおまえはどういう
考えを持っているかということでこの問題について申しますと、できますことならばこの概念分析を明確にしていただきまして、
刑訴みたいに完全な黙秘権なんというものまでは行き過ぎでございましょうが、いわゆる証人と当人、そのこと自体を糾明しようとする相手方とを区別して取り扱いをするような体制に直すべきじゃないか、これが根本的な私の疑問でございます。ところが、学者側も政府側も、こういったことを突っ込んでおっしゃった方はいまだ一人もおられません。しかし、現実に私、ある場合には非常に穏やかに、ある場合には激しく、
国政調査権が行使されます場合に、はたから見ておりまして、これは
一つの大きな問題じゃなかろうかというふうに
考えております。
第二に、
刑訴や
民訴のあり方それ自体を私批判するのはこの際ちょっと差し控えますが、
国政調査と個人のプライバシー、特に
基本的人権という
ことばを用いますと少し広がり過ぎますので、個人の名誉とか、それを聞かれたらもうとても恥ずかしくて社会的に困るというふうな人間における核みたいなもの、人間の尊厳性ということが出てくるわけでございます。こういうものに対する配慮がはたして現在の
証言法は十分だろうか、これが第二番目に大きな疑問でございます。
そこで、
証言法の四条と
五条とに分けてちょっとこの問題を分析いたしますと、
民訴で
準用しております
部分の中身を申しますと、まずは
証言を
拒否できる場合に、自分自身や自分の親戚が、ここから
あとしゃべると刑事訴追を受けるおそれがある、このときには
拒否いたします。それからもう
一つ、
民訴に羞恥という
ことばがあります。自分が恥をかく、羞恥を受ける。それ以上しゃべるともうとても顔向けできないという場合はかんべんしていただきたい。そこらぐらいが中心であります。
民事訴訟法は旧
憲法時代からずっとそういった
部分については改正がなされておりません。そこで、忙しかったせいもありましょうが、
証言法の
立案のときにはそこまで突っ込んで問題を
検討する余裕もなかったでありましょうし、さらに
国政調査権が
昭和二十二年以後にどのような形態で発動されるのかという見通しが、おそらく政治家にも、私ども
立案を担当します
法制局自身にも、それほど影像は描けなかっただろうと思うのでございます。
ところがその後、国際的に見ますと、特にアメリカにおきましては、例の下院に設けられました非米活動
委員会の有名な、人間の思想、信条まで議会で吐かせるというふうなひどい例が出まして、これは刑事事件になって最高裁で批判を受けたわけでありますが、このような事例と、それから逆な面もございます。これは政治の立場から申されますと、あるときにはやっちまえ、あるときには
ぐあいが悪いというふうに、政治の
利害関係がからみますと
反対になるケースが非常に多いのでございましょうが、しかし、さればといって、
憲法の精神はあくまで透徹さるべきだと思いまして、現在の段階では、プライバシーを擁護すべきだという字句は、
現行法ではせいぜい羞恥という
ことばぐらいしかないのでございます。しかし、これではあまりにも狭過ぎる。やはり個人の尊厳を害するようなことになったら
あとは
証言を
拒否できるというふうに、新しい角度から直してしかるべきじゃないか、こう思います。
第三点の問題は、今回問題になっております第
五条でございます。これは四条と
五条と割り切りまして、別な次元だというふうに
法律の条項はなっておりますが、衆参両院で政府側が今回の問題にからんでしばしば御
答弁になっておられますように、たとえば刑事捜査の伴う国家
機密、職務上の
秘密という問題にからみまして、一方では、あまりおしゃべりをするとこれから後の刑事捜査権の正当な行使ができにくいという、官側の
機密というかどで第
五条はつかんでおりますけれども、これに随伴しまして、その裏側には必ずある特定の個人のプライバシーが伴うのであります。ところが第
五条は、
国会と政府で国家の重大な
利益に
悪影響を及ぼすかどうかという
判断基準は示しておりますけれども、その飛ばっちりを受けて個人が痛い目にあうという問題については配慮がないのでございます。それで具体案をいま私そこまできているわけじゃありませんが、いろいろと
考えてはおりますけれども、いずれにしても現在の
五条は、その
部分の、たとえばそういうきわどいケースになれば、その飛ばっちりを受ける人の
承諾を得るとかいうふうな慎重な手続が必要であろう。
最後に、いま申し上げた以上三点のきわめてむずかしい、しかし何とか
考え直していただかないと困るのじゃないかと思われるようなことにつきましては、ここらはあまりにシビアに
考えますと、
秘密会で、
国会自身の御
判断でそれらを適当に調整するという方法しか現在ではございませんが、こういったことを
考えます根本は、
刑事裁判、もちろん民事
裁判もそうでありますが、
法律上は公開でございます。その
意味では、
国会の審議が公開だというのと法的理屈としては同一でございます。しかし、
国会における公開制というものの及ぼす政治的
影響力は絶大でございます。したがって逆にいま申しますような点をシビアに先生方に
考えていただきたいと、かねがね希望を持っております。
考えておりますことを忌憚なく申し上げまして、御参考に供したいと思います。