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宮之原貞光君 これはね、初中局長が「ではないか」というまるで評論みたいなことを言うけれ
ども、この
法律案のできた経緯から見て、これは最初のあなた方の
文部省の答弁のしかたは、この前のときには、いや、その
教育委員会の地方分権とか
自主性、主体性というものはこれはあくまでもあるのです。ただ、旧
教育委員会法と違っている点をね、
一般行政からも独立しておったというところにいろんな問題がある。財政上の問題もあるだろうし、あるいは県の
教育機関の上部
関係の中であまり断絶し過ぎるとぐあいが悪いという人事の問題もあるから、ここのところをやはり変えなければならないというのがこの
昭和三十一年にできたところのこれの
趣旨なんですよ。したがって、
教育委員会の一番のやはり主体が、地方分権のたてまえからいって市町村教委にあるという精神は変わりませんというのは、これは衆議院の議事録を見てごらんなさいよ。清瀬さんが口をすっぱくしてわれわれを説得したところの当時のおたくの見解なんですよ。そういうところからいって、だからそれは
一つのやはり何とかしてこれは両者の間をうまくしなければならぬけれ
ども限界がありますという話の中から、この五十二条というものを非常に強く強調されているのですよ、これは。衆議院の議事録というものを見てごらんなさいよ。だから五十二条には、それは市町村の
教育委員会の
自主性は認めるけれ
ども、どうもできないときにはやはり行政機関の上下の
関係というのがあるから、まずたとえば、四十八条で「指導、助言」をします。どうしてもこれであれしなければ五十二条の「措置
要求」があるのです。それで、この措置
要求はこうこうです。しかも五十二条の二項を見てごらんなさいよ。もし、県教委がまたブレーキになった場合には、
文部大臣が直接にその市町村に対して措置
要求をすることができるとまであるんですよ。しかしながら、その措置
要求をどうしても聞かなければどうなるかという問題については、これはないんだ。ないというのは、ここが
一つの限界なんですよと、この上下の
教育行政の機関の。そこを明確にしているのが、この五十二条の精神なんです。ところが、
大臣の先ほどからの話では、それを押し破って、通達で万一の場合にはそれをやると、こういうんでしょう。しかも、どうもいままでの御答弁のなかでは、五十二条の話は
一つもなかった、四十八条の説明はあったけれ
どもね。こういうあなた方にとっては強硬な手段まであるんですよ、事実問題として。しかも、その措置
要求を受けたならば、受けた日から二十一日以内にどう、九十日以内にどうしなければならないという問題まであるんです。こういう法の運用を十二分にさらに強化していくというなら、われわれはあまり
賛成しないけれ
ども、それは一応私
ども反対をぎゃあぎゃあ言えないところの要素はあるんですよ。尽くすべきそういうものを何らやらんでおって、ただ、どうしても内申がもらえない場合は、適切な運営をするから、あるいは法の成立時点には予想もしなかった事態だから、われわれとしてはできるのだ、できるのだということになったから、まさにこれは行政機関の乱用だと言われたって、しかたありませんじゃないですか、これは。そうでしょう。そこのところを私は、あなた方だいぶはき違えておるんじゃないだろうかと思う。これは確かに吉国法制局長官の見解も出ました。ものの言い方が、
教育委員会とは協働
関係にあると、むずかしいことばを使っておられるけれ
ども、協働
関係にあると言いながら、言わんとしているところは何かというと、上部の行政機関に優位性があるのだというものの解釈ですよ、あの人の言い方は。これは、三十一年にこれができたところの精神と全く逆なんですよ。しかも、そのときも、「合理的な理由」云々と法制局長官も言っておった。その「合理的な理由」とは何かというと、あなた方が判断するところの合理的な理由なんですよ。しかも、ここに書かれておるところの「内申をまって」と、こういうことばは、私は、皆さんも記憶があるだろうと思いますけれ
ども、前のときにも参議院法制局の見解をただしたことがある。何々を「まって」とあるけれ
ども、この「まって」という
前提はどういう
意味であるか。これは刑法の百三十五条の、いわゆる「本章ノ罪ハ告訴ヲ待テ之ヲ論ス」と、この「待テ」「待テ」ということばがたくさんあるんです。刑法の百八十条あるいは二百二十九条、二百三十二条、二百六十四条、あるいは「請求ヲ待テ」という用語が九十二条、刑訴法の二百三十七条第三項。これを具体的に例を出しながら、この「まって」ということばからすれば、これがなければできないということでしょうと言ったら、参議院の法制局の今枝局長は、そのとおりですと言っておる。ただ、これに対して法制局長官は、こう言っておる、確かに。その「待テ」ということばと、この
法律の「まって」ということばは違うんだと、こう言っているんです。これぐらいまた詭弁はないと思うんです。同じ
法律用語の中で、「まって」ということばが
法律によって違うということぐらい、
国民を欺瞞するものはないと思う。それならばその「待って」ということばは、この用語というものは刑訴法だけかというと、そうでもない。
教育関係にもあるんじゃありませんか。いわゆる義務
教育諸
学校における
教育の
政治的中立の確保に関する
法律の第五条を見てごらんなさい。ここにも「待って」と書いてある、「待って」と。言うならば、
教育の中立性確保の問題についても、いわゆるその「待って」なしには、これは検察権力なり警察権力はこれはかってに動けませんよと、このことがやはり
教育上大事なんですということで、これはきちんと位置づけられておるんですよ。こういう
教育文の中にもあるところのことばを、いやこの
教育委員会のこれだけに限ってこの「まって」は絶対違うのだと、こう解釈されて、世の中が理解できますか、
大臣、どうですか、その点は。