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参考人(
久米三四郎君) 大阪の久米でございます。私はここにおられるほかの
先生方とはちょっと違いまして、
原子力の
専門家では決してございませんので、ちょっと私の
立場を初めに時間をいただきまして述べさしておいていただきたいと思います。
私
自身は大学でもうかれこれ十六、七年人工的な
放射能を、おもにはサイクロトロンというような道具でつくり出しまして、それで、それがつぶれていくありさまをはかる、そういうことでその中にある自然の法則性を調べる、そういう非常に基礎的な
研究に従事してきておるものであります。ただ、これは
放射能の実験をされた方は異口同音におっしゃるわけですけれども、
放射能というのはなるほど使い方によっては非常に便利なんですが、一回使った人の必ず言うのは、
放射能を使うのは一番最後にする、どうしてもそれでないとできないときにやるのだというふうに言われます。その経験のない方は、非常に
放射能は便利であるというふうに聞かれると、そうか、第三の火であるとか何か美辞麗句が並びますと、そうかと思いますが、実際使ってみますと非常に困ったことが二つあるのです。
一つは何かというと、あとの始末がたいへんなんですね。実験
自身は一日くらいで終わる実験でもそのあと始末にたいへんな時間がかかる。これを学生なんかにやらせますとほっちらかしますから、部屋じゅうがよごれてしまうというようなことがしょっちゅう起こるわけです。ですから、その使うことの前後の準備と
対策というのが非常に時間がかかるわけです。にもかかわらず、私
たちが一生かかって使う
放射能の量の数十億倍の
放射能を含んだ
原子力発電所が、安全である安全であるということでどんどんそこらに建っていくという状況で、私はどうもどういうことになっているのかということで、いわゆる
原子力発電所の反対運動というものに接触していくようになりました。もうかれこれ五、六年になりますが、そうして住民の
皆さんといろいろ接触しますと、私の疑いはますます深まってきております。決して、そういうやっかいな
原子力あるいは後ほどお話ししますが、それからできる
放射能を大量に
国民の
エネルギー源として使うだけの条件は整っていないというふうに私
自身は感じております。それで
原子力の推進につきましては大ぜいのいわゆる
専門家の方がおられますので、まあお金も権力もない民衆の側に立つ者がたまにはおってもよかろうということで、私はここ数年は住民の助人としてみずから任じております。そういう
意味でほかの
先生方とは多少
立場が異なると思いますが、おそらく私のようなものをこの
委員会に呼ばれたのも、そういうことを考慮されてのことだと思いますので、そういう私の経験から若干の
意見を述べさしていただきたいと思います。
それで、私
たちがいまやっております非常に大きなのは
——四国の愛媛県に伊方の
原子力発電所というのがございますが、そこの設置が許可されました、おととしでございますが。それに対しまして、付近の住民の反対しておられる
皆さん方が設置の許可を取り消す、非常に政府の安全審査はずさんである、だからそういう許可を取り消したいということで裁判を起こされまして、私
自身それの弁護輔佐人ということで協力をしております。その過程
——それは昨年の八月から裁判か始まっておりますが、今回の「むつ」その他の、ここにおられる田島先生等の問題もございまして、いかに政府の安全審査がでたらめであるかということがだんだん明らかになってまいりまして、私
たちにとって非常に有利に事態は進展しておると思っておりますが、一番感じましたのは、やはり裁判というのは限界があります。どうしても
国民の政策について
判断されるのは立法の府でないといけない。ここでつくられた法律が結局下で住民の
皆さんを苦しめておるわけでございますから、どうしてもこの
原子力の問題もう一ぺん立法に返して議論をしていただきたいということを私は特に痛感しております。したがいまして、これまで三度か四度衆議院あるいは参議院の
委員会には
出席さしていただきましたが、ただ、こういう
公害あるいは
環境保全の
委員会ではどうしたことかほとんど
原子力の問題はこれまで扱っておられません。私は、ほかの科学
技術特別
委員会も大事ではございますが、やはりそういう
意味では
かなり原子力のことに足を突っ込まれておりますので、どうしても
専門的な
立場が加味されてきまして、ほんとうに疑問を抱いておる
国民の
立場に立ち切れない、そういうあれがあるように私は感じました。今回お招きをいただきまして、こういう
公害あるいは
環境保全の問題で働いていただく
皆さん方が
原子力の勉強を始められるということを私は非常にそういう
意味で喜んでおりますので、できるだけの御協力をしたいと思って参ったわけでございます。それで、伺いますと、これからいろいろ
調査研究されていくそうでございますので、やはり初めが大事でございますから、あまりこまかい話よりも大体どういうことになっているかということについてよく御
理解いただくということが、賛否どちらの
態度をとられるにしましても必要なことだろうと思いますので、それは
板倉参考人のほうからもそういうふうに一番初めに申されました、そのとおりだと思いますので、ちょっとよく勉強しておられる方には非常に恐縮でございますが、
原子力公害のイロハというところをお話ししたいと思います。
それで、私には二十分の時間しかございませんので、もしも時間切れになりましたら
——あまり早々とやりましてもいけませんので、三つのことについてお話ししたいと思いますので、たとえば
一つ目で時間が切れましたら、それだけ
理解していただいてもけっこうだと思いますし、あと質問その他で私に発言の機会を与えていただければその続きをやるというちょっと変則的なやり方かもしれませんが、そういうふうにしてきょう一日を有効に
皆さん方の勉強に協力したいと思います。
私が話したいと思いますのは三つございまして、第一点は
原子力公害、私はあえてそういう
ことばを使っておりますが、
原子力公害の源泉は一体何にあるのかということ、このことをお話ししたい。それから第二点は、
原子力というのはこれまで
公害、
環境問題では特別扱いされております。どうしてそういう特別扱いがされておるのか、はたしてそれでいいのかどうか、そういう問題提起を第二番目にいたします。それから第三番目に、私は、これまで数年間の経験でぜひ
公害、
環境保全に関係しておられる議員の
皆さん方にこういうことをやっていただきたいということのお願いをしたいと思います。
一番初めの
公害の源泉でございますが、これは
先ほどからも二人の
参考人が言っておられますので、この図を
皆さんも共通して使っていただいたらいいと思いますが、ここで
原子力と申しますのは、御存じのように、原子核をこう二つにぱっと割る、で、割れたときの
エネルギーを利用するのと、それから原子核同士をくっつけて、そのときの
エネルギーを利用するのと二つあるのですね。前が爆弾では原子爆弾で、うしろは水素爆弾でございます。いまは、実用になっておりますのはその割れるほう、これを核分裂と申しますが、原子核がこう割れたときに
エネルギーが出てくる、そちらのほうしか実用になっておりませんので、そのお話をいたします。以後私が
原子力と言う場合には未来の何か夢物語ではございませんで、いま人類が手に届きかけておるといっておる、そちらのほうの核分裂のほうの
エネルギーであります。その
エネルギーが出ますが、どういうふうに出るかというのは、これはもう
専門家の方にまかせればよろしいのですが、その
エネルギーの行く末がどうなるかということ、ここが非常に大事なところです。全部が
電気の
エネルギーになればこれはもう万歳ですが、そうはうまくいかないんです。ごく一部しか
電気の
エネルギーにならない。ここに
公害問題の発生の根源がある。大部分は何になるかと申しますと、上にあります熱
エネルギーですね、むずかしい言い方ですが。要するに
原子力発電所の
原子炉の中に水が入れてありますが、それが三百度近い温度に上がる、そういうあっためる熱の
エネルギーになります。これが発電機のタービンを回す蒸気になるわけでございますが、その熱
エネルギー、発生した熱
エネルギーは全部ではございませんで、その分裂
エネルギーの一部はいわゆる
放射能という形で残るわけです。これは最大一〇%
程度——時間の経過によってその割合は違いますが、最大一〇%
程度はこちらにこの核分裂の
エネルギーというのは残っていくわけです。したがいまして、この
放射能をつくらずに
原子力を取り出す、
原子力というのは
先ほど言いました核分裂でございますが、そういうことは法則的にできないのであります。したがいまして、
板倉参考人がおっしゃいましたように、ほんとうの
意味の安全な
原子力というのはこの世の中にはないわけです。
その取り出した熱
エネルギー、約九〇%あるいは九十数%の熱
エネルギーが今度は全部
電気になるかというと、これはまたそうはいかないので、これは熱力学の第二法則という法則がございまして、その一部分しか人類は残念ながら使えない、これも科学の法則であります。どれだけ使えるかというのは、この熱
エネルギーでわかす水の温度に非常に関係をいたしますが、
原子力発電の場合にはせいぜい三百度ぐらいしか上がりませんから、いわゆる熱効率というのは低くなります、温度が高いほどその効率がよろしいわけでありますが。
原子炉の、普通いまここで、
日本で使われておりますような
アメリカ生まれの軽水炉の場合には、それは
電気の
エネルギーにはその熱のうちの三割しかならないのです。あとの七割はそうしたらどうするのかというと、これは海へほうるわけです。廃棄熱、これが温排水となって漁民の
皆さんを苦しめておるわけです。したがいまして、せっかく苦労をして
ウランを鉱山から掘り起こしてきて
原子力発電所の中で燃したうちの
電気の
エネルギーになるのはそのうちのわずか三割
程度でありまして、あとは全部これは
人間に対して悪いことをするわけです。これが
環境に放出されて魚に
影響を与えたり、あるいはわれわれの生命やあれを脅かす、こういうことになっておるわけでございます。それで、したがいまして、これを利用しようとする限りは、ここへ棒を引きました、必ずこのマイナスの面を人類は背負っていかなければならない、こういう宿命にあります。それが結局は、行く末は
環境にそれを放出するということになるので、
原子力問題というのは非常に
環境問題にとって大事なことになってくるわけでございます。
それで、まず、こちらのほうでございますが、これはほとんど
——こういう席では何か
放射能の話ばっかり出ますが、実は非常に大きな、割合から見ましても
エネルギーの大部分は海をあっためるのにだけ使われてしまうわけですから、この問題については特に議論をしていただきたいんですが、いまだに
日本ではその基準さえない。どれぐらいの温度でほうるかということを
環境庁あたりが一生懸命つくろうとされるのですが、どこからか非常に強い抵抗があっていまだにきまらないのです、これが。それからこの
放射能のほうは、これは
——その前に放能のことをお話ししますと、
放射能というのは、その
エネルギーが今度は
放射線という形、目に見えない光線の形で出てくる、そういう物質のことを
放射能と呼ぶわけでございますが、それには大別しまして二種類ございます。これも非常に大事な点で、
一つはいわゆる死の灰でございます。これは
ウランの核が二つに分かれたときにできる片割れ、この片割れ同士が、これが
放射能になりまして物質的にはストロンチウムとかセシウムとか、そういう死の灰になります。それともう
一つはプルトニウム、これは原子爆弾その他でいま世界じゅうで大問題になっておりますが、
原子炉と原子爆弾を結びつけるのは、実はこのプルトニウムが
原子炉の中でできるということです。これはどこからできるかというと、
ウランは、
先ほどもどなたかがおっしゃいましたように、燃える
ウランがあるのですね。燃える
ウランは二三五という番号がついている。燃えないのが二三八でございますが、その燃えない二三八の
ウランからこのプルトニウムというのが
原子炉の中にできてくる、そういうわけでございます。一番大事なのはできる量がとてつもなく大きいということでございまして、百万キロワットというのはこれから標準になりますが、そういう
原子力発電所の場合、この死の灰は約一トンです、一年間。それで、広島の上ではぜたやつは、あれは約一キログラムであろう、これは軍事秘密でありますし、ほんとうのところは正確にはだれにもわかっていないんですが、ほぼ一キログラムだろうというわけです。それの約千倍の死の灰という形でこれがつくられる。それからプルトニウムはどのぐらいできるかというと、これも炉の形あるいは
運転状況によって違いますが、大体二百キログラムから三百キログラム
程度のものが一年間に
原子力発電所の中でできると、そういうことでございます。ですから私はこれを、
放射能を放射性毒物というふうに呼んでおりますが、結論といたしまして、
原子力発電所というのは
電気をつくるとばっかり
皆さん思っておられるかもしれませんが、
エネルギーの行く末あるいは
環境という問題から見ますと、実は大量の放射性毒物の製造装置であります。それから大量の熱汚染の源泉であります。そういうものが
原子力発電所であるというふうに私は定義しておりますので、そのことを初め申します。
それから、この
放射能の温排水については、これはもう現在全くたれ流しであります。もうまさにひどい状況でございますので言うこともございませんが、この
放射能のほうはそんなことをいたしますと、見る間にその辺で人の生命を脅かしますから、
先ほど板倉参考人もおっしゃいましたように、一応それは閉じ込めて使う、それは当然のことであります。厳重にふたをして使うということにしておりますが、この
放射能が一カ所にずっと閉じ込められておればあんまり問題はないのですが、それをずっと一カ所
原子力発電所のコンクリートの中へ閉じ込めておくということはできないわけでございます。その流れを
理解していただくのがその次の図でございまして、
原子力発電所はここでございますが、そこでは
先ほど申しました、中へ詰めました
ウランの
燃料というのが燃えたときに、プルトニウムと死の灰になるということは
先ほどお話ししました。それは
原子力発電所にいつまでも置いておくわけにはいきませんで、大体一年ごとに取りかえをいたします。で、取りかえられたのが
使用済み燃料というふうに呼んでおりますが、これは、いまの
日本にできております
発電所もそうですが、せいぜい一年分ぐらいしかその
発電所に置いておくことができません。したがって、これはどこかへ持っていって
処理しなければならぬ、これを運び出して持っていくところが再
処理工場でございます。ここでは何をするかというと、その
使用済み燃料を化学的に分離いたしまして、
ウランとプルトニウムにする。この二つはお金になります。
ウランというのはまだ燃え残りの
ウランでございますから、これも貴重なものです。それからプルトニウムというのも、これは
燃料にも使えますし、この絵にありますように原子爆弾の材料にもなります。したがいまして、これは一ポンド幾らというふうに国際的な値踏みがあるわけでございますから、それを回収をするわけです。それから死の灰はできるだけ使いたいということで、大ぜいの
専門家が二、三年
日本でも
委員会をつくられたのですが、とてもとても全部は使い切れぬで、大部分はやっぱりほうってしまわなければしようがないという結論を昨年報告書を出しておられますが、そのとおりでございます。これは使い道がなしにどっかへほうらなければなりません。しかし、こんなものをどぶや川にほうるわけにはいきませんので、いろんな問題が起こるわけです。それからこの
ウランとプルトニウムは、そこでとまっただけではしようがありませんで、これは
燃料工場へ運んで加工いたします。それで、もう一度こちらへ回ってきまして、
燃料にして使う。これでぐいっと回りますから、いわゆる
燃料サイクルというふうに呼びならわしておるわけであります。ですから、この原子
エネルギーを取り出そうといたしますと、そういう
燃料サイクルということをやらない限りはそれの利用はできないわけでございまして、この部分のお話、この部分のお話というふうに断片的に話をされると、非常に問題が局部的になって、間違った
意味が出てくる。
それで、一番問題なのは、この青で書いてございますのが、これがいわゆるクローズドシステムとよくいわれている
——、
原子力はクローズトシステムである
からだいじょうぶといわれておりまして、この青いのが閉じ込めをあらわしているとしますと、この外が一番
皆さん方が関心を持っておられる
環境であります。これへ絶対この青い中から出なければ、これはこれでいいのですが、これは
先ほど板倉参考人がおっしゃいましたように、
人間がつくっているものですから不可能であります。あらゆる
段階でしり漏りがいたします。そのしり漏りがこの赤く矢じるしで外へ出してある。
原子力発電所でもしり漏りしますし、
使用済み燃料を運ぶときにもしり漏りする、再
処理工場でも漏れる、
燃料工場でも漏れる。それから貯蔵しているときだって、
先ほど角田さんがおっしゃいましたように、やはり漏れる。一番最後に、このたまった死の灰をどうするかというと、これは結局
環境に
人間が捨てるわけです。で、最後の矛盾は全部ここに集まって
環境にほうられると、そういうことになっている。このフローをぜひ
理解していただきたい。
それで、
環境にたまったやつの始末でございますが、一部分はどうにもしようがありませんので、薄めて煙突と水にほうってしまう。それから、そうするとだめな場合、許容量以上のものはそうはいきませんので、もう一ぺん集めまして最後は廃棄するという形で
環境に捨てざるを得ない。そういうことで、この
放射能の行くえ、一体ここでできたものがどういうふうになっていくかということについて、ぜひ
皆さん方のほうで知識を持っておいていただきたい。それで、どこで一体問題がいま起こっているのかということを考えながら問題を解いていっていただきたいと思います。
先ほど申しました私に与えられた時間はもうきましたですね。それで、イントロダクションしかできませんでしたけれども、これだけでもわかっていただいたら、私きょう来た目的の三分の一は達したと思いますから、残りの二項目は、また後ほど質問のところでうまく何か便乗さしていただきまして、
意見を述べさしていただきたいと思います。