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1974-11-11 第73回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年十一月十一日(月曜日)    午前十時二十六分開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         鶴園 哲夫君     理 事                 大谷藤之助君                 原 文兵衛君                 栗原 俊夫君                 内田 善利君     委 員                 井上 吉夫君                 菅野 儀作君                 宮田  輝君                 森下  泰君                 久保  亘君                 矢田部 理君                 小平 芳平君                 沓脱タケ子君                 三治 重信君    事務局側        常任委員会専門        員        中原 武夫君    説明員        科学技術庁原子        力局次長     半澤 治雄君        資源エネルギー        庁長官官房審議        官        井上  力君        資源エネルギー        庁公益事業部原        子力発電課長   高橋  宏君    参考人        日本原子力発電        株式会社技術部        次長       板倉 哲郎君        日本原子力研究        所東海研究所保        健物理安全管理        部環境放射能課        研究員      角田 道生君        大阪大学講師   久米三四郎君        立教大学教授   田島 英三君        立教大学原子力        研究所長     服部  学君        国立公衆衛生院        放射線衛生学部        長        山県  登君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○公害及び環境保全対策樹立に関する調査  (原子力開発利用生活環境保全の問題につ  いて)     —————————————
  2. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ただいまから公害対策及び環境保全特別委員会を開会いたします。  公害及び環境保全対策樹立に関する調査を議題とし、原子力開発利用生活環境保全の問題について調査を行ないます。  この際、各参考人に対し委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  参考人方々には御多用中のところを本委員会調査のため御出席をいただきまことにありがとうございます。近年、新しいエネルギーとして原子力開発利用が進められてまいりましたが、最近原子力船「むつ」の放射線漏れ事故や、原子力発電所の相次ぐ事故により、地域住民はもとより国民に多大の不安を与え、このため原子力行政のあり方、原子力功罪等原子力の問題につきまして種々論議されてきましたこと、御承知のとおりでございます。このような原子力公害の問題につきましては、本委員会といたしましてもつとに重大な関心を寄せてまいったところであります。そこで本日は、原子力開発利用生活環境保全の問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を述べていただきたいと存じます。  なお、本日の議事の進め方でありますが、午前中は参考人方々から順次各二十分程度意見を述べていただき、午後は委員の質問にお答え願いたいと存じます。  それでは板倉参考人からお願いいたします。
  3. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 板倉でございます。私自身は、原子力の安全の問題をここ十年ないし二十年、それを専門にやっている一人の技術者でございます。で、所属しておりますところも原子力発電を行なっております原子力発電会社に現在所属しております。  で、原子力の安全並びに環境の問題ということに関連しまして一番中心になりますのは、原子力自身が持っております潜在的な危険ということの一語に尽きると思います。しかし、ここで潜在的な危険ということは、それがそのままイコール危険であるということに直結してものを考えがちな面が多いと思いますので、私は、この潜在的な危険ということは何であるかという点について多少述べたいと思いますが、潜在的危険ということは、原子炉の中に多量の放射能を内蔵しているわけでございます。事故の問題にいたしましても、あるいは故障の問題にしましても、あるいは日ごろの平常運転にいたしましても、中に入っています大量の放射能環境に放散される可能性を含む原因となるべき事故であるか、あるいはそうでない単なる、まあ原子力発電という立場から申しますと、単に電気を出す上については事故である、電気が出なくなるというようなものとが一般に明瞭に区別されずに論議されて国民の不安をかり立てているのではないかと私は率直に考えております。そのためには、ただ単に原子力発電は安全であるとか、いや危険であるという極端な内容を無視した論議に終わることなく、なぜ危険であり、なぜ安全であるかという論議を、当事者のみならず国民全般方々がよく理解され、その内容国民の皆によく公表し、それによって国民判断を仰ぎ、原子力の推進あるいは原子力というものをどの程度行なうべきかということをきめるべき問題だと私は考えます。私自身原子力に直接関係しております人間でございますので、私がここで原子力はきわめて安全であるとかあるいは推進すべきであるという結論を出しますよりも、実態がどうであるかということを、先生方皆さん並びにさらにそれをもって国民皆さんによく内容を熟知あるいは理解していただいて、その上の判断により今後の方策を明確にきめるべきだと私は考えます。  そこで一つは、原子力の安全問題環境問題ということにつきまして、まず一番簡単なと申しますか、日ごろの運転のときの状態がどうであるか——これは日ごろの運転と申しますのは、事故、あるいはことばによっては故障、いろいろ論議もあるかと思いますが、そういうことの起こっていない状態、日ごろ運転中の問題は、現在の技術あるいは現在の運転実績というものがどうなっているかということの理解がまず第一だと思います。これにつきましては、原子力発電所、主として私発電所について話をしたいと思いますが、もちろん原子力発電をいたします場合には、原子力全体としての一つのサイクル、発電所もあり——一番初めから申しますと、ウランの採鉱があり、ウランの精錬があり、発電所があり、さらにその使用済み燃料の再処理があり、そこで要らなくなったものの処理、処分の問題まで含めるのが当然でございますが、まずその発電所自身のことについて私の見解を述べたいと思うわけでございます。  この発電所運転中に環境放射能は出るのか出ないのかという論議がよく行なわれております。これはその答えも二通りなさる方があると思います。いや出ないんだというお話といや出るんだと、ここにももちろん量の関連がございます。どんなものでも完全にゼロというものはないわけでございます。よく日ごろの運転中の発電所からは放射能環境に出ないんだ——出ないということばは学問的に言うと間違いでございます。確かにわずかながら放射能現状のところ出るわけでございます。ただ、この出る出ないということが実質的に環境影響を与えるような放射能が出るのかどうかという点について、実質的ということばを使わせていただきますと、私は現在の原子力発電所からは環境放射能は出ていないと、実質的には出ていないという表現をなさる人がおりましても、これは正しい理屈だと思います。と申しますのは、私たち生活環境にはわれわれ人類が生まれる前から現在に至るまで、私たち天然の、自然の放射能にさらされて進化し、この生活を保っておる。したがいまして、ほかの公害物質のように新しく人間がつくり出したものではなく、従来から私たち人間環境の中で、放射能という環境のもとに生活をしているわけでございます。  そこで、一方よく放射能の問題になりますと、非常にわずかであっても人間に害を与えるという話があります。これもひとつ御理解をいただきたいと思いますのは、放射能については非常にわずかなものであっても、生活で、人間に生物に害を与えるかもしれないという態度放射能の防護をしようではないかという非常にりっぱな一つ考え方なわけでございます。これは現実に非常にわずかな放射能が実際の人間生活に実害を与えているということと誤解してていただいては困るわけであります。非常に別な問題でございまして、と申しますのは、私たち自然界に、先ほどから申しましたように放射能があり、それによって放射線を受けているわけでございます。私たち自分からだの中からだけでも——ある単位で申して恐縮でございますけれども、ものをはかりますのにいろいろな単位がございますが、放射線を人体に対して考えますときの単位としてレムという単位がございます。こういう単位で考えますと、レムという単位が多いものですからこれを千分の一を単位にしてミリレムという単位がございますが、これで申しますと、私たち日ごろ自分からだの中に入っている放射能によりましても一年間に二十という——二十ミリレムですが、単位ミリレムですべて申しますが、二十という放射線を受けているわけです、自分自身のために。まあたとえば私の横に角田先生がおられるとしますと、私から角田先生にも放射線を与えていますし、角田さんからも私は放射線を受けているというのが現実状態であります。自分からだ自身以外、下からも、土地からもあるいは空からも放射線を受けているわけでございます。大体一年間にほぼ一般の場所で申しますと百という単位放射線を受けて私たち生活をしているわけです。この百というのがどこでも一様であるかといいますと、そうではなく、同じわが国だけに着目いたしましても、関西地方関東地方に比べてかなり多く、たとえば五十程度も違うという点があるわけでございます。  こういう中で私たち生活をしておって、実質的、現実的な問題で、関西地方に住んでいる人が関東地方の人に比べて実際に放射線による害を受けているかどうか、統計皆さんいろいろ研究なさっていましても、その有意な統計上の変化は認められていない。一方、そういたしますと、いやそれはほかの環境が違うからである、ほかの環境を全く同等にして放射線だけを違えたら差があるのかもしれないという論議もございます。しかし、そういう話でまず考えなければならないことは、私たち人間生活環境というものは放射線だけによって行なわれているわけではないわけです。その他の、たとえば栄養のあるものを食べる、豊かな生活をするということのほうが、はるかに、いま申しました自然の放射線程度放射線の違いというよりも大きな影響を与えているからこそ、もしも放射線によって、わずかな放射線によって害があるかもしれないといいましても、それ以上のものが私たちの食品あるいは豊かな生活、レジャーも入るかもしれません、そういうものによって私たち生活が保たれているわけでございます。  ある一つの例では、アメリカのお医者さん方で、かなり放射線をよく浴びておられた、昔は。そこで、アメリカにおきまして医者寿命と他の寿命とを比べてみれば、はるかに医者寿命が短いであろう、寿命といたしますということは、途中で病気になって死なれれば寿命にあらわれるわけであるという点で、そういうことを一生懸命統計をとられた方があります。そうしますと、期待に反しましてその統計の結果は、数値は私よく知りませんけれども、覚えておりませんけれども、逆でございます。お医者さんのほうがはるかに寿命が長いという統計結果が出ました。それに対します一つ答えとしては、医者は豊かな生活をしているためにより寿命が長いのであるということがいわれております。というのは、一方では、いやそれはほんとうは放射線による害があるのだけれども、その医者が豊かな生活をしたために、インカムが多いためにそれが打ち消されたのである、私はこのことが非常に大事なことだと思います。放射線というものをむだに浴びよということは決してすすめるべきことでないし、戒めるべきことでありますけれども、非常にわずかな天然くらいの程度放射線というものと、それよりも豊かな生活を行なうことのほうが、われわれにとって、人間にとってより幸福な生活ができるものであると私は確信しております。  まあ、この話があまり長くなりましてもあれでございますが、そういう意味で自然の放射線というものに比べまして、現在わが国におきます原子力発電所のここ数年の運転実績を見ますと、自然が平均して一年間に百と申しましたが、それに比べまして一以下の運転実績が行なわれております。一と申しますのは、国民全体が一ではなくて——発電所のたとえば敷地のまわりに垣根があったとします。その垣根のしかも一番風下で放射線を一番受けると計算上思われるところです。こういうわずかな値は実際にはかってもはかれません。環境ではかってもはかり得ない程度のものでございますが、これをこまかく計算その他によりまして、運転実績、たとえば煙突から出ますものの放射能は詳しくはかれます。そういうものから気象状態その他を入れて計算をいたすということによりましても、いま申しましたように自然が百あると、ところによってかなりの違いがあるにかかわらず、運転実績というものは一以下というものが現在行なわれておる。その多少、数字が一であろうか、二であろうかというこまかい論議は別にいたしまして、そういう点で私は、日ごろの平常時の発電所運転というものについての環境放射能によることについては、すでに十分な技術もあり、さらに今後とも十分なまじめな運転努力ということが続けられる限りにおきましては心配をいたす問題ではないと考えております。  それから第二番目の問題は、原子炉の中には非常に大量の放射能が内蔵されております。これが潜在的な危険の根本であるわけですが、これが環境にどのような事故のあったときに飛び出すのか。また、そのような事故がどうやって防げられているかということの実態理解する必要があると思います。原子力発電所につきましては、まず放射能というものはほとんど燃料の中に入っているわけでございます。原子燃料の中に入っているわけですが、これが環境に出ます第一の——頭の中で考えますと、第一の原因というのは、全体が爆発するようなことがあったら起こるんではないか。この爆発性につきましては、原子力発電所につきましては、燃料に使います——まあ、むずかしいことばになって恐縮でございますけれども、ウランの中でもきき目のあるものとないものがたくさんウランの中に入っているわけですが、発電所の場合には、そのきき目のあるほうのパーセントはせいぜい数%である、五ないし四%以下である。そうしますと、物理の理論的な観点からいきましても、この発電所運転制御方法を間違いましても、これが爆発することにはならないということはきわめて明瞭なものでございます。そうしますと、第二にどういう状態放射能が外に飛び出し得るかと申しますと、燃料を冷やしています。たとえば水によって冷やしておりますと、あるときに太いパイプなどが一瞬にして、頭の中の話ですが、切断された、そしてその水がすべて出てしまったとしますと、冷却のすべがなくなりますので、燃料の温度は順次上がってまいりまして、中の放射能燃料体から外に飛び出すという唯一の原因になるわけでございます。そこで、このような事態をなくすためには、まず原子炉を構成しています、その水を入れてますパイプ並びにそれに関連するものをきわめて十分な設計で製作すること、第一でございます。で、しかし人間の製作するものでございますので、あるいはこわれるかもしれないと慎重な態度をとる必要があると思います。それとともに、製作の段階ではよくても、使用中にわずかずつ老化——まあ老化ということばはよくないかもしれませんけれども、デテリォレーションといいますか、老化あるいは欠損が生じてくる可能性もないとは申せません。したがいまして、多少の異常が出た場合には、大きなパイプが切断する前にこれをよく見つけ、あやしいという個所があればそれを新しいものに取りかえるという方策が大事なわけでございます。こういう方策がずっと取り続けられておりますので、現在までのところ、頭の中の話は別としまして、原子力発電所環境放射能を出したという事例は、一例もないことは皆さん御存じのとおりと思います。  しかし、いかにそういうことをしましても、人の考えたことである。頭の中でひとつ思考した場合に、一番太いパイプが一瞬にして切れ去ってしまったということを頭の中で考えてみます。そのような場合にも、燃料というものから放射能が大量に出ないように燃料を冷却するすべを原子力発電所では持ち合わせているわけです。これは他の一般産業安全対策ということから考えますと、非常に変わった対策がとられていると私は率直に言えると思います。また大量の放射能を扱うという原子力発電所については、そのような対策をとるべきであるとも私個人は考えております。  他の例で申しますと、たとえば同じ電力をつくりますダムがあるといたします。ダムは決壊いたしますと、大量の水が下流に流れ、それにより公衆かなりの損傷をこうむるということが、世界的にも大きな事故事例がございます。そうしますと、普通でございますと、ダムということに対して、ダムの決壊を防止するためにダム構造自身をきわめてじょうぶな設計にし、それとともに使いながら水位を、ダムの水があまり上まできて力がかかり過ぎないように十分調節する、あるいは場合によってはダムの表面を見て歩く等によって、わずかなひびを先に見つけてしまうという方策がとられております。しかし、原子炉のように、ダムがこわれた、一瞬にしてこわれたということを頭の中で考えて、その場合でも公衆の安全が確保できるように第二のダムがつくってあるかというと、現状では世界どこのダムについてもそういう現状はない。これが社会的にはよいといって認められているわけではないでしょうが、社会には定着した一つの安全の考え方なわけでございます、一般産業につきましては。ところが、原子力につきましては、先ほど申しましたように、一番自分としてはこわれて困るところを頭の中でこわしてみて、それに対して十分な対策をとるということが行なわれているわけでございます。  で、いま申しましたように、そのこまかいことは抜きにしますが、いろいろこういう対策をとりましても、潜在的な危険はなくなったかと言われると、なくなっていないわけです。中に放射能を持っている以上は潜在的な危険があるわけです。そうしますと、そのような潜在的な危険が現実に起こるのは——安全装置をつけたらどこにきき目があるかといいますと、現実にそういうような災害事故が起こる確率を減らしているわけでございます。安全性をつけ加えるということは、潜在的な災害現実になるときの何段目かの歯どめになっているわけです。そこで、どうしても潜在的な危険のものを論議する場合には、では、それが確率がどのくらいに低いものであるかということが一点、第二番目には、すべて人間のつくったそういうものを、安全装置を全部こわしてしまって、これは確率の上で非常にわずかなものですが、それが出た場合に、全部こわした場合に災害の大きさが破滅的な大きなものであるかどうかという二つの点からこの問題を考える必要があると思います。  たまたま前からそのような話は非常に思想的には行なわれていたわけですけれども、まだ正式なものでないにいたしましても、約二年間かけましてアメリカ原子力委員会で、委員会と独立な先生方を集めまして、こういう研究が進められ、ドラフト段階でございますが、ことしの八月それが公表されました。ドラフト段階でございますので、多少の修正は今後あるかと思いますが、そういう結果をごらんいただきますと、日本アメリカとでは人口が違う、何は違うというこまかい違いはありますが、原子力発電所で大きな事故が起こりますということを計算確率として求めましたものは、一般産業に比べましてけた的に幾けたも低いということ、事故自身の大きさも非常に大きな事故の起こる、たとえば事故によって百人が損傷する、あるいは千人が損傷するというような事故の起こる確率というものをかなり詳しい計算がなされておりますが、きわめて他のものに比べて、原子炉の数を何台と想定するかということございますが、アメリカ事例では百台原子炉がある、大型の原子炉が百台あるということで想定が行なわれていますが、その場合に他の産業あるいは自然による、アメリカでいうとハリケーンでございますが、そういうものとの比較等がけたが二けたないし三けた違っておるということが出されております。私はこういうようなものをよく皆さまに、国民の皆が内容をよく理解して、それによって原子力発電の置かれた安全あるいは環境というものの位置が、位置づけがどのくらいのものであるかということを理解いただき、そうすることにより私たちの豊かな生活をするためのエネルギーというものの確保ということの必要性は当然皆さん国民の皆も知っているわけでございますから、そういう面から国民のアクセプタンスを得るということは大事であろうと。  で、現在よく問題になっておりますことは、いわゆるそういうことに対する、いいことばで言う意味パブリックリレーションあるいはパブリックアンダースタンドというものの欠除のために非常に大きな心配、不安がつのっているものと思います。それに付随しましてただ一件申したいのは、原子力発電所もいろんな機器をたくさん持っております。そのために故障並びに事故はよく、先ほど委員長から言われましたように、よく起こっておると。しかし私がここで申したいのは、そのことば事故であり、故障であり、それはどちらでもけっこうでございますが、そういうものが環境に大量に放射能を放出する原因となるべきものであるのかそうではないのかと。たくさんの機器がございます。したがいまして、ある場合にはどっかのポンプがとまるということもあるでしょう。どっかの電線が切れるということがある。しかし、それが環境放射能を出すべき原因につながるような事故であるかどうかという点によって、こういうものをよく整理して考える必要があると思います。そういう点から申しますと、現在のところきわめて世界的に、発電用原子炉につきましてはそのような重大な事故というものが生じた例はないわけでございます。その原因となるべきものについては多少出ており、それを早期に見つけて除去しておるという点がその現実だと思います。  以上でございます。
  4. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  次に、角田参考人にお願いいたします。
  5. 角田道生

    参考人角田道生君) 原子力研究所環境放射能課に勤務しております角田と申します。私は現在気体廃棄物の大気中の拡散移行という研究に従事しております。  私の御説明は最初に原子力利用に伴う環境汚染あるいはその公衆の被曝の事例を二、三紹介したいと思います。で、事例と申しましても、たとえばイギリスのウインズケールの一号炉あるいはアメリカのSL1というような非常に劇的な大事故というようなものでなくて、どちらかといいますと、トリビアルと言っては語弊がありますが、たとえば原研で、私、十数年放射線防御の関係の職場におりますが、いかにも起こりそうだなあと、その小規模なやつなんか、ちょっとやっぱあったというような、そういうふうな点で、比較的日常的な事例という意味でそういう影響があったという例を二つ三つあげたいと思います。  一つは、昨年、ハンフォードの放射性廃液の貯蔵所で起こった漏出事故であります。このハンフォードには、第二次大戦末期にできました最初のプルトニウム生産炉以降、今日まで三十年間各種の炉が運転されまして、そこで発生した放射性廃液が現在百五十基の地下タンクに廃液の形で貯蔵されているわけです。事故が起こりましたのは、昨年の四月二十日ですが、このタンクの一つから高レベルの廃液が地中へ漏出したということが起こったわけです。たまたまこのとき液面計とかそれから放射線モニターの回線が故障していたということもあって、発見がかなりおくれた。そうして約六週間後の六月八日に発見して、別のタンクに急いで移した。この間、四百四十立方メーターの廃液で、その中にはセシウム一三七が四万キュリー、ストロンチウム九〇が一万四千キュリー、プルトニウム二三九が四キュリー、これが廃液から土壌の中に広がっていったという事故があったわけです。漏出の原因については、このあとで出されました報告書では、これは建造後三十年を経たタンクなんであるから、その経年劣化あるいは腐食と思われるけれども、ほんとうの正確な原因は不明な点が多いというふうにされております。この例で注目する必要があると思います第一点は、原子力施設の環境汚染が施設設置後三十年間たってから結果があらわれてくるというような場合がこの例であったということです。つまり、原子力利用に伴う環境汚染の防止にはきわめて長期的な観点が必要ではないかということです。現在の原子力発電システムでは長寿命の放射性廃棄物の生成が発電に伴って必然的に発生してくる。これをいまのストロンチウム、セシウムというようなものが十分に減るという期間として、通常半減期と申します自然に崩壊していって減っていく期間のたとえば十倍とか二十倍というのを、そういう意味での冷却期間としてとる例がありますが、こういう形で十分に減らすということをするためには数百年の管理が必要になってくると、つまり孫子の代にそれが事故を起こしたらどうなるかという評価をいまやっぱりやっておかなくちゃならぬという課題があるということだと思います。第二点は、これほど大量の環境放出があったけれども、必ずしも放出しているという事故の発見が容易にできるとは限らなかったということであります。この例では放出から発見までに一カ月以上かかっているということになっております。このようなタンクからの漏洩というのはこの後も幾つか、ごく少量ですが、幾つか方々で報告されているということを加えまして、次の事例に移ります。  次は、アメリカのサバンナリバーにある再処理プラントにおける沃素一三一が煙突から環境に放出したという事故であります。これはアメリカでは必ずしも事故というふうに考えておりませんで、ちょっとした異常があったというようなカテゴリーに入っているらしいものですが、一九六一年の五月の二十九日にこの再処理の工程にあやまって——放射能を減らすために冷却期間をおいて冷却するわけですが、その冷却をしていない使用済み燃料が持ち込まれた、また、たまたまそのときフィルターの異常が重なったということがあって、総量百五十三キュリーの沃素一三一が煙突から大気中に放出された、その放出がとまるまでに約一カ月ぐらいかかっているということであります。この事例で注目すべき第一点は、異常放出を発見して、この場合には前の例と違いまして、一日半後ぐらいに確認をしております。直ちに発見したのですが、これは何かの、モニターのほうのミスではないかというふうな判断などがあってちょっとおくれましたが、とにかく二日目ぐらいには発見しまして対策を立てた。しかし対策を立てたけれども、たとえば沃素のような核種の場合、直接の原因を除いても壁面に付着したものが再びはがれるとかというような複雑な挙動を示す元素でありますから、とめようと思ってもなかなかとまらないで長く尾を引くというようなことが起こり得るという例であります。で、放出は一カ月以上続きまして、対策をとってからあとの期間に総量の三分の二が出ていくというようなことになっております。第二点は、この事故では安全審査の災害評価で想定される放出量以上の大気放出が現に起こっているということであります。この事故のあと、やはりアメリカのもう一つの再処理工場であります、ハンフォードの煙突からも沃度一三一、六十キュリーが煙突から放出するという例もありました。日本のことですが、たとえば東海村の再処理工場の安全審査というのは、非常に重要な事故、たとえばこの場合には臨界事故を仮想するわけです。そして、その結果でも公衆の被曝が非常に少ないという安全審査をする。その審査にあたっての放出量の仮定は、沃度の一三一だけでいいますと八・四キュリー、それに対してそれよりもはるかに多い沃度一三一の放出量ということが出ております。  もう一つの次の事例は、わが国で昭和四十六年の九月に起こったイリジウム一九二による公衆被曝の例です。これは千葉県の市原市にある三井造船所で被破壊検査をしていました労働者がイリジウム一九二という工業用線源をあやまって落としてしまったと。そのまま気づかずにうちへ帰って、翌日通りかかった人が好奇心でもってそれを拾って自宅に持ち帰ってしまった。この線源は五・三キュリーで万年筆を大きくしたような形をしていて、ちょっと見たところ何だかよくわからないということでうちに持って帰ったわけですが、当初、紛失した会社はやはり届け出しないで自分で何とかさかそうと——隠したいという気持ちもあったと思いますが、さがして三日間たつわけです。それからいよいよないというんで届け出をすると。届け出から二日目に紛失事件がニュースとして流された。そのニュースで被曝者が、これがあぶないんじゃないかということに気がついて、そこで一応被曝は終わるわけですが、この五日間に、拾った当人と彼の部屋に遊びに来ていた五人の友だちがその間被曝したという結果になっております。この六名の者がかなり大量の被曝をしまして、最高の被曝者は百レムを軽くオーバーしているというふうに推定されております。現在原子力発電所の安全審査では、仮想的な大事故においても公衆の全身被曝が二十五レムをこえないということが審査基準の一つとされていますが、この基準をはるかに上回る公衆の被曝——この場合には作業労働者じゃなくて、その作業と直接関係ない人間なわけです。こういう公衆の被曝が現実に起こっていると。また、住民への事故の周知ですね、これがなければもう少し被曝期間が長いから結果として被曝量はもっとふえたであろうというようなことをこの例は示しております。また、この例で注目しておく必要があるのは、公衆の被曝に至る経路、たとえば施設から放射性物質が公衆生活環境にどう入っていくかということは、必ずしも煙突から出るだけではないと、いろいろな多様な経路があり得るというその複雑さをまた物語っていると。したがって、実際の事前の評価というのは、これはかなり数字のモデルだけでできないようなむずかしい問題が必然的に含まれているということが今後の安全評価をどう解決するかという際の大きな問題点の一つではないかというふうに考えております。  以上のように考えますと、たとえば原子力産業については板倉さんも言われましたが、他産業に類のないほど慎重な防護措置がとられているし、安全審査が事前にやられているという話、これはよく聞くことでありますし、総体的に私もそうじゃないかという気がしているんですけれども、では、その安全審査によって将来のたとえば環境汚染というものが防止できるか、安全審査はほんとうに有効に機能しているのかということになりますと、この例を考えても疑問がわいてくる、一方、国民の側からは「むつ」の例などをとりまして、やはり安全審査の内容そのものに、あるいは体制そのものに疑問を持ってくるということが出てくる、これはやはり現段階では当然と言わねばならぬ側面を持っているような気がします。私はここで日本の安全審査というもの、それからひいては安全審査の基準あるいは対象とするものを見方を根本的に改める必要が原子力がここまで発達した段階でいま緊急に起こっているというふうに考えるわけです。そういう意味で、私自身原子力の開発の現状には強い危惧の念を抱かざるを得ないわけです。  放射能による環境汚染と人体障害の防止を将来にわたって保障する、そういうためには私はいま当面やらなくちゃいけないこととして少なくとも次の三点は強調したいと思います。一つは現在の原発建設計画の根本的な再検討、それからもう一つは安全研究の飛躍的強化、三番目には安全問題における公開の原則というものの厳守という三点であります。  最初の問題から申しますと、昭和六十年に六千万キロワットという現在の開発構想に従って電力各社が次々と原子力発電所の設置申請をしてくるわけですが、これに対して個別に安全審査をやっていくということを積み重ねていくという方式で実際に将来の安全が保障されるのか、私はこの方式は一たんここでやめて、はっきり言うならば原発の申請認可を一たん中止して、この現在の発電計画自体の安全審査ということ、安全検討ということを全面的にやる必要があるというふうに考えるわけです。また、どちらかといいますと、かなり定型化したためにやや形式に流れがちな現在の安全審査の内容ということについても、この際その基準と内容について検討を加えるべきであると思います。発電計画自体の安全審査と申しましたのは、これは原子力発電に必然的に伴う、たとえば燃料の採鉱、製錬、加工、使用済み燃料の輸送、それから再処理、廃棄物処理、その廃棄物の最終処分ということ、すべてを含んでそれぞれの規模と方式、その組み合わせということを含めた発電システム全体の安全性の検討であると。このことは、原子力発電所ができることは必然的に燃料の再処理を予定しているし、再処理で出てきた放射性廃液の三十年後の例が先ほどありましたが、後の安全ということをどこかが考えに入れて評価しないと、これは国民の将来にほんとうに責任を持った審査にならないという面があると思うわけです。それと同時に、長期間にわたった評価、それも平常時から、それから大事故、小事故、異常といういろんな予測される事態をずっと考えて、それらの結果がその施設の耐用期間を過ぎた後までも環境の汚染という面から見てどうであるかという安全の評価法というものをつくっていく必要があるというふうに考えます。  このような検討を科学的根拠をもって行なっていくためには、これは二番目の問題として指摘しました安全研究の強化、これなしには審査の基準に科学的な根拠が生まれない。残念ながら現在安全性研究というのが、いわゆる施設の設備投資その額と規模とテンポというものに比べて非常におくれているという現状を考えていただかざるを得ないと思います。この安全研究といいますのは、いわゆる施設の工学的安全性研究だけでなくて、特に長期間かかるであろうし、いまから相当大規模にやっておくれを取り戻さなくちゃならぬという分野を二つあげますと、一つは人に対する放射線影響、特に低いレベルでの線量の人間に対する影響研究であります。私は、関西と関東の問題を板倉さん言われましたが、じゃ、関東と関西の間に統計的に有意な差があるのかないのか、どういう問題なのかというところまで詰めた議論ができないというのが現状であります。そういうことも含めまして疫学的な研究と、それからもう一つは、やはりそのメカニズムを追求していく研究、これは発ガンなり遺伝的影響のメカニズムをきわめていく研究、この問題が一つです。それからもう一つは、複雑な自然環境の中でいろいろなふるまいをする放射能というものを把握するための環境放射能研究という問題であります。で、これらの分野では、実験的にも、それから理論的にも今後の研究に残された問題点は数多くありながら、個々の研究を見ておりますと、原発の、あるいはいわゆる開発のための応用研究というものに比べますと、研究たちは細々とした研究をし続けて今日の水準を維持してきたという感じが私ははっきりするわけです。  で、最後に、三番目にあげました公開の問題ですが、このように安全性研究が開発テンポに比べて相対的にはやっぱり非常に軽視されている、少なくとも予算面あるいは国の施策として重視されていないという現状を考えて、このおくれを急速に取り戻していこうとしますと、ややアンバランスに進んだ開発の中で起こる、つい先ほど例を申しましたが、かなり大きなトラブルですが、ごく小さなトラブルとか異常とか、そういうような大小の事故、あるいは平常時でも各施設が現に動いているという施設の場合には、その施設の放出量とか環境のデータとか、その測定方法、こういうふうな資料それぞれがすべてそれ自体将来の安全を確保していくための現在の重要な研究の材料になってくるという面があるわけです。ですから事安全に関する限り、情報を積極的に広い研究者に公開していってその共有物にしていくということが非常に急がれるというふうに私は考えます。ところが、この種の安全に関する情報ということが実は、たとえば私設の企業でもそうですし、どこの事業所でも出すのを非常にいやがるという資料になっているわけです。これは残念ながら、そういう公共性の立場から企業を指導すべき原子力委員会自身が事安全性に関しては非常にお隠しになる、黙認するどころかみずから公表を渋るということが、たとえば昔、佐世保で起こりました原子力潜水艦の事件ということでもずいぶん問題になったわけです。このような情報を安全の問題に関して公開を渋るというたてまえ上の理由としては、国民に無用な不安感を与えないということが言われるようでありますけれども、実際は、たとえば住民の反対運動に利用されるというようなことをおそれるというようなことがあるんだろうと推察されます。しかし、これは先ほどの千葉のイリジウムの被曝事故で放送をされて初めてわかったという例がありましたように、これは実は住民自身自分の生命と健康を守るというための必要な一つの条件でもあると、さらに先ほど言いましたように、おくれている安全研究を急速に高めていくための非常に重要なステップでもあるという意味から、最近日本学術会議で、原子力平和利用三原則というものを今日の時点でながめてみました場合、公開の原則が安全との関係で新しい重要性を帯びてきたということを非常に強調しまして、この公開の原則をいわば第一義的な原則にしていくという意見を表明されておりますが、私も全くそのとおりだと思います。  以上、原子力計画の全面的な見直しと発電計画を全体のトータルシステムとして安全審査をし直すという問題と、それから公開の問題と、それから安全研究の飛躍的強化ということが今日非常に必要である、いまからおくれたんでは場合によっては取り返しがつかなくなるという危惧の念を表明しまして私の最初の話を終わりにいたします。
  6. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  次に、久米参考人にお願いいたします。
  7. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 大阪の久米でございます。私はここにおられるほかの先生方とはちょっと違いまして、原子力専門家では決してございませんので、ちょっと私の立場を初めに時間をいただきまして述べさしておいていただきたいと思います。  私自身は大学でもうかれこれ十六、七年人工的な放射能を、おもにはサイクロトロンというような道具でつくり出しまして、それで、それがつぶれていくありさまをはかる、そういうことでその中にある自然の法則性を調べる、そういう非常に基礎的な研究に従事してきておるものであります。ただ、これは放射能の実験をされた方は異口同音におっしゃるわけですけれども、放射能というのはなるほど使い方によっては非常に便利なんですが、一回使った人の必ず言うのは、放射能を使うのは一番最後にする、どうしてもそれでないとできないときにやるのだというふうに言われます。その経験のない方は、非常に放射能は便利であるというふうに聞かれると、そうか、第三の火であるとか何か美辞麗句が並びますと、そうかと思いますが、実際使ってみますと非常に困ったことが二つあるのです。一つは何かというと、あとの始末がたいへんなんですね。実験自身は一日くらいで終わる実験でもそのあと始末にたいへんな時間がかかる。これを学生なんかにやらせますとほっちらかしますから、部屋じゅうがよごれてしまうというようなことがしょっちゅう起こるわけです。ですから、その使うことの前後の準備と対策というのが非常に時間がかかるわけです。にもかかわらず、私たちが一生かかって使う放射能の量の数十億倍の放射能を含んだ原子力発電所が、安全である安全であるということでどんどんそこらに建っていくという状況で、私はどうもどういうことになっているのかということで、いわゆる原子力発電所の反対運動というものに接触していくようになりました。もうかれこれ五、六年になりますが、そうして住民の皆さんといろいろ接触しますと、私の疑いはますます深まってきております。決して、そういうやっかいな原子力あるいは後ほどお話ししますが、それからできる放射能を大量に国民エネルギー源として使うだけの条件は整っていないというふうに私自身は感じております。それで原子力の推進につきましては大ぜいのいわゆる専門家の方がおられますので、まあお金も権力もない民衆の側に立つ者がたまにはおってもよかろうということで、私はここ数年は住民の助人としてみずから任じております。そういう意味でほかの先生方とは多少立場が異なると思いますが、おそらく私のようなものをこの委員会に呼ばれたのも、そういうことを考慮されてのことだと思いますので、そういう私の経験から若干の意見を述べさしていただきたいと思います。  それで、私たちがいまやっております非常に大きなのは——四国の愛媛県に伊方の原子力発電所というのがございますが、そこの設置が許可されました、おととしでございますが。それに対しまして、付近の住民の反対しておられる皆さん方が設置の許可を取り消す、非常に政府の安全審査はずさんである、だからそういう許可を取り消したいということで裁判を起こされまして、私自身それの弁護輔佐人ということで協力をしております。その過程——それは昨年の八月から裁判か始まっておりますが、今回の「むつ」その他の、ここにおられる田島先生等の問題もございまして、いかに政府の安全審査がでたらめであるかということがだんだん明らかになってまいりまして、私たちにとって非常に有利に事態は進展しておると思っておりますが、一番感じましたのは、やはり裁判というのは限界があります。どうしても国民の政策について判断されるのは立法の府でないといけない。ここでつくられた法律が結局下で住民の皆さんを苦しめておるわけでございますから、どうしてもこの原子力の問題もう一ぺん立法に返して議論をしていただきたいということを私は特に痛感しております。したがいまして、これまで三度か四度衆議院あるいは参議院の委員会には出席さしていただきましたが、ただ、こういう公害あるいは環境保全の委員会ではどうしたことかほとんど原子力の問題はこれまで扱っておられません。私は、ほかの科学技術特別委員会も大事ではございますが、やはりそういう意味ではかなり原子力のことに足を突っ込まれておりますので、どうしても専門的な立場が加味されてきまして、ほんとうに疑問を抱いておる国民立場に立ち切れない、そういうあれがあるように私は感じました。今回お招きをいただきまして、こういう公害あるいは環境保全の問題で働いていただく皆さん方が原子力の勉強を始められるということを私は非常にそういう意味で喜んでおりますので、できるだけの御協力をしたいと思って参ったわけでございます。それで、伺いますと、これからいろいろ調査研究されていくそうでございますので、やはり初めが大事でございますから、あまりこまかい話よりも大体どういうことになっているかということについてよく御理解いただくということが、賛否どちらの態度をとられるにしましても必要なことだろうと思いますので、それは板倉参考人のほうからもそういうふうに一番初めに申されました、そのとおりだと思いますので、ちょっとよく勉強しておられる方には非常に恐縮でございますが、原子力公害のイロハというところをお話ししたいと思います。  それで、私には二十分の時間しかございませんので、もしも時間切れになりましたら——あまり早々とやりましてもいけませんので、三つのことについてお話ししたいと思いますので、たとえば一つ目で時間が切れましたら、それだけ理解していただいてもけっこうだと思いますし、あと質問その他で私に発言の機会を与えていただければその続きをやるというちょっと変則的なやり方かもしれませんが、そういうふうにしてきょう一日を有効に皆さん方の勉強に協力したいと思います。  私が話したいと思いますのは三つございまして、第一点は原子力公害、私はあえてそういうことばを使っておりますが、原子力公害の源泉は一体何にあるのかということ、このことをお話ししたい。それから第二点は、原子力というのはこれまで公害環境問題では特別扱いされております。どうしてそういう特別扱いがされておるのか、はたしてそれでいいのかどうか、そういう問題提起を第二番目にいたします。それから第三番目に、私は、これまで数年間の経験でぜひ公害環境保全に関係しておられる議員の皆さん方にこういうことをやっていただきたいということのお願いをしたいと思います。  一番初めの公害の源泉でございますが、これは先ほどからも二人の参考人が言っておられますので、この図を皆さんも共通して使っていただいたらいいと思いますが、ここで原子力と申しますのは、御存じのように、原子核をこう二つにぱっと割る、で、割れたときのエネルギーを利用するのと、それから原子核同士をくっつけて、そのときのエネルギーを利用するのと二つあるのですね。前が爆弾では原子爆弾で、うしろは水素爆弾でございます。いまは、実用になっておりますのはその割れるほう、これを核分裂と申しますが、原子核がこう割れたときにエネルギーが出てくる、そちらのほうしか実用になっておりませんので、そのお話をいたします。以後私が原子力と言う場合には未来の何か夢物語ではございませんで、いま人類が手に届きかけておるといっておる、そちらのほうの核分裂のほうのエネルギーであります。そのエネルギーが出ますが、どういうふうに出るかというのは、これはもう専門家の方にまかせればよろしいのですが、そのエネルギーの行く末がどうなるかということ、ここが非常に大事なところです。全部が電気エネルギーになればこれはもう万歳ですが、そうはうまくいかないんです。ごく一部しか電気エネルギーにならない。ここに公害問題の発生の根源がある。大部分は何になるかと申しますと、上にあります熱エネルギーですね、むずかしい言い方ですが。要するに原子力発電所原子炉の中に水が入れてありますが、それが三百度近い温度に上がる、そういうあっためる熱のエネルギーになります。これが発電機のタービンを回す蒸気になるわけでございますが、その熱エネルギー、発生した熱エネルギーは全部ではございませんで、その分裂エネルギーの一部はいわゆる放射能という形で残るわけです。これは最大一〇%程度——時間の経過によってその割合は違いますが、最大一〇%程度はこちらにこの核分裂のエネルギーというのは残っていくわけです。したがいまして、この放射能をつくらずに原子力を取り出す、原子力というのは先ほど言いました核分裂でございますが、そういうことは法則的にできないのであります。したがいまして、板倉参考人がおっしゃいましたように、ほんとうの意味の安全な原子力というのはこの世の中にはないわけです。  その取り出した熱エネルギー、約九〇%あるいは九十数%の熱エネルギーが今度は全部電気になるかというと、これはまたそうはいかないので、これは熱力学の第二法則という法則がございまして、その一部分しか人類は残念ながら使えない、これも科学の法則であります。どれだけ使えるかというのは、この熱エネルギーでわかす水の温度に非常に関係をいたしますが、原子力発電の場合にはせいぜい三百度ぐらいしか上がりませんから、いわゆる熱効率というのは低くなります、温度が高いほどその効率がよろしいわけでありますが。原子炉の、普通いまここで、日本で使われておりますようなアメリカ生まれの軽水炉の場合には、それは電気エネルギーにはその熱のうちの三割しかならないのです。あとの七割はそうしたらどうするのかというと、これは海へほうるわけです。廃棄熱、これが温排水となって漁民の皆さんを苦しめておるわけです。したがいまして、せっかく苦労をしてウランを鉱山から掘り起こしてきて原子力発電所の中で燃したうちの電気エネルギーになるのはそのうちのわずか三割程度でありまして、あとは全部これは人間に対して悪いことをするわけです。これが環境に放出されて魚に影響を与えたり、あるいはわれわれの生命やあれを脅かす、こういうことになっておるわけでございます。それで、したがいまして、これを利用しようとする限りは、ここへ棒を引きました、必ずこのマイナスの面を人類は背負っていかなければならない、こういう宿命にあります。それが結局は、行く末は環境にそれを放出するということになるので、原子力問題というのは非常に環境問題にとって大事なことになってくるわけでございます。  それで、まず、こちらのほうでございますが、これはほとんど——こういう席では何か放射能の話ばっかり出ますが、実は非常に大きな、割合から見ましてもエネルギーの大部分は海をあっためるのにだけ使われてしまうわけですから、この問題については特に議論をしていただきたいんですが、いまだに日本ではその基準さえない。どれぐらいの温度でほうるかということを環境庁あたりが一生懸命つくろうとされるのですが、どこからか非常に強い抵抗があっていまだにきまらないのです、これが。それからこの放射能のほうは、これは——その前に放能のことをお話ししますと、放射能というのは、そのエネルギーが今度は放射線という形、目に見えない光線の形で出てくる、そういう物質のことを放射能と呼ぶわけでございますが、それには大別しまして二種類ございます。これも非常に大事な点で、一つはいわゆる死の灰でございます。これはウランの核が二つに分かれたときにできる片割れ、この片割れ同士が、これが放射能になりまして物質的にはストロンチウムとかセシウムとか、そういう死の灰になります。それともう一つはプルトニウム、これは原子爆弾その他でいま世界じゅうで大問題になっておりますが、原子炉と原子爆弾を結びつけるのは、実はこのプルトニウムが原子炉の中でできるということです。これはどこからできるかというと、ウランは、先ほどもどなたかがおっしゃいましたように、燃えるウランがあるのですね。燃えるウランは二三五という番号がついている。燃えないのが二三八でございますが、その燃えない二三八のウランからこのプルトニウムというのが原子炉の中にできてくる、そういうわけでございます。一番大事なのはできる量がとてつもなく大きいということでございまして、百万キロワットというのはこれから標準になりますが、そういう原子力発電所の場合、この死の灰は約一トンです、一年間。それで、広島の上ではぜたやつは、あれは約一キログラムであろう、これは軍事秘密でありますし、ほんとうのところは正確にはだれにもわかっていないんですが、ほぼ一キログラムだろうというわけです。それの約千倍の死の灰という形でこれがつくられる。それからプルトニウムはどのぐらいできるかというと、これも炉の形あるいは運転状況によって違いますが、大体二百キログラムから三百キログラム程度のものが一年間に原子力発電所の中でできると、そういうことでございます。ですから私はこれを、放射能を放射性毒物というふうに呼んでおりますが、結論といたしまして、原子力発電所というのは電気をつくるとばっかり皆さん思っておられるかもしれませんが、エネルギーの行く末あるいは環境という問題から見ますと、実は大量の放射性毒物の製造装置であります。それから大量の熱汚染の源泉であります。そういうものが原子力発電所であるというふうに私は定義しておりますので、そのことを初め申します。  それから、この放射能の温排水については、これはもう現在全くたれ流しであります。もうまさにひどい状況でございますので言うこともございませんが、この放射能のほうはそんなことをいたしますと、見る間にその辺で人の生命を脅かしますから、先ほど板倉参考人もおっしゃいましたように、一応それは閉じ込めて使う、それは当然のことであります。厳重にふたをして使うということにしておりますが、この放射能が一カ所にずっと閉じ込められておればあんまり問題はないのですが、それをずっと一カ所原子力発電所のコンクリートの中へ閉じ込めておくということはできないわけでございます。その流れを理解していただくのがその次の図でございまして、原子力発電所はここでございますが、そこでは先ほど申しました、中へ詰めましたウラン燃料というのが燃えたときに、プルトニウムと死の灰になるということは先ほどお話ししました。それは原子力発電所にいつまでも置いておくわけにはいきませんで、大体一年ごとに取りかえをいたします。で、取りかえられたのが使用済み燃料というふうに呼んでおりますが、これは、いまの日本にできております発電所もそうですが、せいぜい一年分ぐらいしかその発電所に置いておくことができません。したがって、これはどこかへ持っていって処理しなければならぬ、これを運び出して持っていくところが再処理工場でございます。ここでは何をするかというと、その使用済み燃料を化学的に分離いたしまして、ウランとプルトニウムにする。この二つはお金になります。ウランというのはまだ燃え残りのウランでございますから、これも貴重なものです。それからプルトニウムというのも、これは燃料にも使えますし、この絵にありますように原子爆弾の材料にもなります。したがいまして、これは一ポンド幾らというふうに国際的な値踏みがあるわけでございますから、それを回収をするわけです。それから死の灰はできるだけ使いたいということで、大ぜいの専門家が二、三年日本でも委員会をつくられたのですが、とてもとても全部は使い切れぬで、大部分はやっぱりほうってしまわなければしようがないという結論を昨年報告書を出しておられますが、そのとおりでございます。これは使い道がなしにどっかへほうらなければなりません。しかし、こんなものをどぶや川にほうるわけにはいきませんので、いろんな問題が起こるわけです。それからこのウランとプルトニウムは、そこでとまっただけではしようがありませんで、これは燃料工場へ運んで加工いたします。それで、もう一度こちらへ回ってきまして、燃料にして使う。これでぐいっと回りますから、いわゆる燃料サイクルというふうに呼びならわしておるわけであります。ですから、この原子エネルギーを取り出そうといたしますと、そういう燃料サイクルということをやらない限りはそれの利用はできないわけでございまして、この部分のお話、この部分のお話というふうに断片的に話をされると、非常に問題が局部的になって、間違った意味が出てくる。  それで、一番問題なのは、この青で書いてございますのが、これがいわゆるクローズドシステムとよくいわれている——原子力はクローズトシステムであるからだいじょうぶといわれておりまして、この青いのが閉じ込めをあらわしているとしますと、この外が一番皆さん方が関心を持っておられる環境であります。これへ絶対この青い中から出なければ、これはこれでいいのですが、これは先ほど板倉参考人がおっしゃいましたように、人間がつくっているものですから不可能であります。あらゆる段階でしり漏りがいたします。そのしり漏りがこの赤く矢じるしで外へ出してある。原子力発電所でもしり漏りしますし、使用済み燃料を運ぶときにもしり漏りする、再処理工場でも漏れる、燃料工場でも漏れる。それから貯蔵しているときだって、先ほど角田さんがおっしゃいましたように、やはり漏れる。一番最後に、このたまった死の灰をどうするかというと、これは結局環境人間が捨てるわけです。で、最後の矛盾は全部ここに集まって環境にほうられると、そういうことになっている。このフローをぜひ理解していただきたい。  それで、環境にたまったやつの始末でございますが、一部分はどうにもしようがありませんので、薄めて煙突と水にほうってしまう。それから、そうするとだめな場合、許容量以上のものはそうはいきませんので、もう一ぺん集めまして最後は廃棄するという形で環境に捨てざるを得ない。そういうことで、この放射能の行くえ、一体ここでできたものがどういうふうになっていくかということについて、ぜひ皆さん方のほうで知識を持っておいていただきたい。それで、どこで一体問題がいま起こっているのかということを考えながら問題を解いていっていただきたいと思います。  先ほど申しました私に与えられた時間はもうきましたですね。それで、イントロダクションしかできませんでしたけれども、これだけでもわかっていただいたら、私きょう来た目的の三分の一は達したと思いますから、残りの二項目は、また後ほど質問のところでうまく何か便乗さしていただきまして、意見を述べさしていただきたいと思います。
  8. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  次に、田島参考人にお願いいたします。
  9. 田島英三

    参考人(田島英三君) 私、田島でございます。初めに委員長から、この委員会原子力開発と生活環境に対する影響というお話がありましたので、最初にエネルギー問題について私の意見を述べたいと思います。  昨年の十月にいわゆるエネルギー危機というのが発生いたしまして、それが国民経済に大きな影響があるということは、私も経済の専門家でないにもかかわらず承知しておりますが、そこで従来のエネルギーに対する代替としていろいろなエネルギー資源が考えられております。たとえば太陽エネルギーとか地熱エネルギーとかあるいは核融合エネルギーとかいうものがありますが、このいずれも早急に現在の電気エネルギーと申しますかの代替というわけにはいかない、また、それほど開発がされておりませんので、いろいろな問題がありますので、直ちにこれらのものを現在の電気エネルギーに代替するというふうには私考えておりませんです。現在代替エネルギーとして利用できるのは、核分裂による原子力エネルギーというのではなかろうかと思います。核融合の反応によるエネルギーがいろいろ希望を持たしておりますけれども、おそらく今世紀は無理でありまして、二〇五〇年かそれ以降にならないと実用的にはうまくいってもいかないのではなかろうかと、そういうふうに考えております。  そこで、一昨年原子力委員会で作成いたしました原子力長期計画によりますというと、原子力の開発は昭和五十五年に三千五百万キロワット、それから六十年に六千万キロワットと、よくいわれる数字でありますが、その後、稲葉原子力委員が私案として、昭和五十五年に二千八百万キロワット、それから六十年に六千万キロワットという案を出されたのですが、このいずれの数字にいたしましても相当大きな数字でありまして、このような数字が順調に達成できるとは私は考えておりません。そのような意見を早くから私持っておりまして、特にこの昭和五十五年の達成目標であります三千五百万キロワットあるいは二千八百万キロワットという数字は、私の見通しでは、昭和五十五年はよくいっても二千万キロワットぐらいではなかろうか、悪くすると千八百万キロワット程度になりはしないか、そういうふうに考えております。その理由と申しますのは、現在建設あるいは運転しております原子力発電の総キロワット数、設備容量の総キロワット数は約千六百万キロワットでありますので、それで原子力発電所をつくりますには少なくとも四、五年のリードタイムが必要ということを考え合わせますというと、どうしても二千八百万キロワットという数字も無理ではなかろうか、おそらく二千万キロワットがせいぜいのところではなかろうかというふうに考えます。で、昭和六十年については幾ぶん時間的に余裕がありますので、この間に体制を整備するとか、必要な処置を適切に行なえばできなくはない。全く不可能というわけではないのですけれども、今回の「むつ」事件によって象徴されるようないろいろな問題が起きてまいりますので、これを早急に改善するとしましても、どうも五十五年までのおくれを取り戻して昭和六十年に所期の目的を達成するというのはやはり相当困難ではなかろうかと考えるのが常識であろうと思います。  そこで、原子力発電のことについて申しますというと、これは現在御承知のように軽水炉を主軸として進められておりますが、その環境問題についてはいままでの各参考人からお話がありましたように、一つ放射能の問題でありますし、もう一つは温排水の問題であります。で、平常運転のときに環境に放出する放射能の問題についてはいまから三、四年前にアメリカにおいて激しい環境論争が発生いたしまして、それによってアメリカではいろいろ新しい技術開発が進められ、非常に改善されたものと私は考えます。すなわち、アメリカにおいても日本においてもそうでありますが、国際放射線防護委員会、俗にICRPと申しておりますが、ICRPの勧告に基づいて一般人の基準としては年五百ミリレムということを最大被曝線量限度としてきめておりますが、このICRPのもう一つの勧告がありまして、それはくだいで申しますと、放射線は利益とリスクとのバランスを考えて、できるだけ少なく当たるようにしろという、そういう原則があります。これをわれわれはアズ・ロー・アズ・プラクティカブル、もっと略しましてALAPと、こう申しておりますが、ALAPの原則というのがありますが、この軽水炉については環境論争の結果、全身で年間五ミリレムというふうにまで下げてきたわけです。甲状腺は実は十五ミリレムですが、全身で年間五ミリレム、甲状腺で十五ミリレムというふうなのがリスクと利益、ベネフィットとのバランスの結果そこまで下げられるということで、それが大体基準になってまいります。この五ミリレムという値は相当小さい値だと私考えまして、先ほど板倉参考人からお話がありましたように、自然放射線が平均で百あるいは九十ミリレムですが、その五%ぐらいな範囲に入りますし、あるいは自然放射線の地域的な変動幅の中にも入っております。簡単な計算で、北極回りでヨーロッパに行きますというと、高い所に上がりますので宇宙線をよけいに受けることになりますが、往復いたしますというと二、三ミリレムくらい受けることになります。で、そういうことを考えますというと、私は軽水炉の平常運転に関する限り、放射線環境問題はまずまず国民理解が得られるのではなかろうかというふうに考えます。そういう意味で解決する方向に向かっていると思います。もちろんこの五ミリレムという値に付随いたしまして、いろいろその後の問題は起きておりますが、たとえば五ミリレムという値はかなり小さいので、これをどう測定するかとか、あるいは日本の食生活に合ったフードチェーンのパラメーターと申しますか、いろいろの係数をきめていかなければいけないとかいう、そういう研究の問題がありますけど、基本的な問題として解決の方向に進んでいるというふうに考えております。  次に、平常運転の温排水の問題でありますが、ただいま久米参考人から非常に詳しくお話がありましたので、あえて繰り返しませんが、これは私の感じでは、軽水炉の放射線あるいは放射能の問題よりもはるかに複雑で、現在のところわからない点が多いのではなかろうかと考えます。原子力発電は、同じ規模の火力発電よりも一・五倍ぐらいになりましょうか、多量の熱量を冷却水を通して環境に放熱いたしますので、今後この原子力発電が集中立地——一カ所に発電容量の大きなものをたくさん置くような傾向が出てまいりますので、そういたしますというと、局地的——と申しましても、かなり大きな局地的ですが、局地的に環境に対する影響が出る可能性がふえてまいります。したがって、このような温排水に関する研究なりを十分解決をはからない限り、特に沿岸漁業に与える影響について原子力発電の順調な開発はできないというふうに考えます。沿岸漁業と原子力発電とが両立するような形で解決する方法を見出すように努力しなければならないと考えます。  で、以上は、軽水炉の平常運転に関することでありますが、原子力発電全体の環境問題といたしますと、先ほどからお話がありましたように、使用済み燃料の再処理に関する環境上の問題があります。再処理施設については、環境に放出する放射能の量が発電所よりも非常に多くありますので、この点は、先ほど考えました五ミリレムという値は軽水炉発電所について考えた値でありますが、この値を再処理について一体幾らにするのかということがきまらないと、再処理施設のプラントは計画できないという状況にあります。現在どうなっているかと申しますと、御承知のように東海村で建設中の再処理プラントは年間フル運転して二百十トンの処理能力を持っておりますが、この処理能力でありますと、昭和五十二年ぐらいにはおそらく順調に運びましても未処理のものが出てまいります。五十二年に五十トン、五十三年に二百トン、五十四年に大体五百トン、五十五年に九百トンというふうに、もし全部国内で再処理することになりますと相当量のものが出てまいります。したがって第二プラントを考えざるを得ないような状況に入るのかと思いますが、その再処理施設をつくるには最低七年ぐらいのリードタイムを必要といたしますので、この未処理のものをもし国内で処理しようとするならば、いますぐに、着工とまでは言わぬですけれども、計画を立てないといけないという状況になっております。こういうふうに再処理施設の問題を含めた原子力燃料サイクル全体としての長期的観点から原子力開発というものは考えられなければいけないと思います。その点は先ほど角田参考人が申したとおりであります。さらに、再処理施設が出てまいりますというと、非常に大きな問題はプルトニウムの問題でありまして、これは再処理施設並びに高速炉開発が進むに従いましてプルトニウムの問題が一そう環境問題として取り上げられる必要があろうかと思います。現にアメリカのタンプリン氏は、非常にきびしい基準の見直しをしろというふうなことを申しております。プルトニウムは、現在の基準は非常に甘いから、もっと非常にきびしい基準を設定すべきであるということを申しております。もちろんこれに対しては、ベヤという、これはプルトニウムの生物実験を長年やっております学者でありますが、ベヤという学者は、いやその必要はないという反論も述べております。いずれにしましても、このプルトニウムの問題は、毒性が非常に強いものでありますし、再処理並びに高速炉開発が出てまいりますというと、プルトニウムが環境をよごす危険性が非常に高くなりますので、これに対する生物学的及び物理化学的な研究を進める必要があろうと思います。  さらに、このプルトニウムの問題に関連いたしましてもう一つ申し上げますというと、プルトニウムや高濃縮のウラン燃料等のものは、先ほど申しましたように、比較的容易に、何と申しますか、核爆発装置ができるという懸念がございますので、これのセーフガードの問題が今後問題になろうかと思います。現に、この核爆発物質でなしに、放射能を持った、放射性物質を使ったハイジャックのようないまわしい事件が幾つか起きておりまして、日本でもちょっと新聞だねになったことがありますが、現在アメリカではこういう種類の問題のセーフガードの問題が非常に重大な問題になっております。国会の公聴会の記録を見ますというと、現在の原子力発電所は相当その安全性に対する配慮を行なっておって、板倉参考人が申したように、いろいろな事故を頭の中で起こして、そしてその事故が起きないような処置をしているので、かなりリスクが下がっている。それに比較すると、放射性物質、あるいは特殊核物質とわれわれ申しておりますが、を用いたハイジャックに対する危険度は非常に高い。事故に対するそのリスクよりも、ハイジャックに対する危険度は非常に高いということが記録に出ておりますので、やはり頭の中でいろいろなハイジャックのケースを考えて、それに対する処置をすべきであるということがいわれております。  以上は、すべてこの原子力施設が正常に動いているときの問題でありまして、施設が安全であるということがもちろん一そう重要なことでありますが、それにはこの開発研究の推進が計画的に実施されまして、事故がないようにしなければいけないと思います。事故の問題は今後の原子力開発に対して一そうきびしい問題点として登場してくるかと私考えております。で、これに対しましては、先ほど板倉参考人が申しましたように、MITのラスムッセン教授が、環境に重大な影響を及ぼす重大事故の起こる確率計算しまして、その結果、同じ大きさの影響を持つほかの事故よりも原子力発電は非常に確率は小さいということを申しております。私はこの結論を頭から信用するものではありませんですが、いまのところ疑ってもいないし、信用もしていない。いろいろのことを聞いてみないとわからない点が、節々がありますので、そう考えておりますが、それはそれとして、このラスムッセンの研究が正しいとしましても、それには前提条件がございまして、十分な品質管理、十分な安全審査、十分な規制等が行なわれるということを前提といたしまして、今回の「むつ」の事件のような設計ミスなどがあった場合には、これはもはや論外と言わざるを得ない、そういうふうに考えます。  で、時間がないんですが、最後に、パブリックアクセプタンスということについて一言申し上げたいと思いますが、原子力施設が安全であるということ、その安全であるということと、その安全であるということを一般大衆がアクセプトするということとは一応別問題であると私は考えます。要するに原子力施設が安全であることはもちろん必要でありますが、それだけでは一般大衆の方は信頼はいたしません。大衆がそれを信頼するかどうかというのは、その安全である上にもう一つ、その原子力行政の組織体制が信頼が置けるようなものでなければならないと思います。現在の体制は、この点から見ますというと必ずしも満足な体制ではないと思います。さらに体制ばかりではなしに、その体制を動かすところの一般大衆に対する姿勢がその次に必要であろうかと思います。その姿勢を一口に申しますというと、何であるかと申しますと、それは先ほどから参考人方々がおっしゃったように、一口で申しますと、私は原子力の三原則を守ることが姿勢だと考えております。いまやこの三原則は、初め学術会議で出されたときには、核の歯どめ、核武装の歯どめのために考えられたものでありますが、いまや原子炉の、原子力開発の安全性国民の信頼という立場で最も重要な役割りを果たすものだと考えます。で、今回のこの「むつ」事件を契機にして、これら日本原子力開発体制の根本に触れる諸問題を見直すようになったというのは、ある意味ではたいへん喜ばしいことではなかろうかと、そういうふうに考えております。  以上です。
  10. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  次に、服部参考人にお願いいたします。
  11. 服部学

    参考人(服部学君) 服部でございます。  私は百キロワットというたいへん小型の研究原子炉のお守りをこの十数年やってきた立場人間でございます。このごろの原子力発電所、百万キロとか数百万キロワットというのに比べますと、たいへんかわいらしい原子炉でございますが、そういう百キロワットといったような小さな原子炉を扱いますときでも、私たち放射能の問題というものを非常に重大な問題として考えてきております。で、私たちのような小さな原子炉を扱っている人間から見ますと、百万キロワットというような原子炉というのは、もうたいへんおっかない存在に見えるわけなんでございますが、どうもその点、原子力発電を推進されようとする方々、たとえば電力会社の方々とか、その放射能の問題がたいへんな問題なんだということを軽視といいますか、見のがしておられるような気がしてしようがないわけでございます。原子力発電に関する安全性、あるいは環境問題につきましてはいろいろな問題があるわけでございますが、その全部について申し上げる時間はないと思います。また、いままで諸先生がいろいろな立場からいろいろな問題についてすでにお触れになっておりますので、私はそれ以外の点について若干意見を述べさしていただきたいと思います。  原子力発電あるいは原子炉というものが本質的に危険を伴うものである、非常に大量の放射性物質を扱うものであって本質的に危険を伴うものであるという点についてはどなたも御異存がないことだと思います。たとえば電気出力百万キロワット程度原子力発電所電気で百万キロ出しますためには、熱出力で約三百万キロワットの原子炉が必要になります。この原子炉を一日運転いたしますと、広島原爆に換算いたしまして約三発分ぐらいの放射性物質が原子炉の中に蓄積されてくることになるわけであります。原子力発電というのは想像に絶するような膨大な量の放射能を扱うものだと、その点をやはり肝に銘じて考えておかなければならないことだと、これが一番基本的な問題であると思います。  原子力発電所自体の安全性についてまず考えてみますと幾つかの問題が考えられるわけですが、その一つ事故可能性ということになるわけであります。これはやはり事故というものは起こり得るというふうに考えていかなければならない。現実にやはり事故というものは起こっているし、また、これからも原子炉事故というものは起こり得るものであるということが基本的な考え方であろうと思います。特に、今後開発が予想されております高速増殖炉という原子炉、この安全性という問題については特に今後慎重に考えていかなければならない問題が幾つかあるのではないかと思います。きょうは事故可能性についてはあまり詳しく述べている時間はございませんので、そういう可能性があるということだけを申し上げておきたいと思います。  次に、原子力発電所の日常運転時の放射性廃棄物の問題、これもやはりたてまえと本音というものはどうしても違うわけでありまして、これまで原子力発電所を建設される前には、建設される側の方は、そういう放射能漏れはありませんということを必ず言ってこられた、これが二次冷却水からは一切放射能は出てきませんと。しかし、現実原子力発電所をつくってみますと、多少ではありますけれども、やはりどうしても予想していた以上に放射能が漏れてくる。たてまえと本音とがどうしても違ってくるという問題が起こってまいります。わずかではあるけれども、原子力発電所運転して回りの環境を調べてみると、コバルト六〇が貝類に蓄積して、わずかではあるけれども蓄積しているというのがかなり早い時期に検出されるといったような問題が幾つも起こってきております。それからもう一つは、これは田島先生あるいは久米先生が御指摘になりました温排水の問題、これは直接放射能には関係いたしませんし、また、火力発電所でも同じような問題が起こるわけですが、やはり火力発電所よりは原子力発電所のほうが集中的に問題が起こってまいります。それは一つは、先ほども御説明がありましたように、原子力発電の場合にはまだ熱効率がどうしても低いというために、外へ捨てるほうの熱が非常に多いんだ、捨てる割合が非常に多いんだということが一つ。それから原子力発電、最近の傾向といたしまして、コストを何とかして引き下げたいということのために、一基当たりの出力を非常に急激に大きくしていこうとしている。また、立地問題その他の関係から集中化の傾向があらわれてきている。そういうところからこの温排水の問題は、火力発電所よりもはるかに大きな問題を、影響を引き起こすようになってくる可能性があると思うわけであります。  ところで、原子力発電所、これは原子力発電安全性ということを考えますときに発電所だけを考えていたのではいけないわけでして、先ほどからも御説明のありましたように、ウランの採鉱、精錬、加工、そして原子炉と、さらには使用済み燃料の輸送、再処理あるいは最終的な廃棄といった一貫したプロセス全体についての安全性というものを考えていかなければならないと思います。  ところで、これも田島先生、久米先生御指摘のとおりでございますが、再処理工場についての日本原子力開発における計画というものが非常に立ちおくれているということを指摘せざるを得ないと思います。たとえば原子力発電の長期計画、昭和六十年度六千万キロといったような膨大な原子力発電の長期計画、ここの中には原子力発電所をどうやってつくっていくかということは非常に詳しく述べられております。しかし、そこで出てくる大量の使用済み燃料、これをどうやっていくのかということについてはほとんど述べられていないと言っても過言ではないと思います。東海村で現在つくられております東海一号の再処理工場、これもまだ完成しておりません。しかし、この処理能力というものは、完成しても、東海村にあります第一号の原子力発電所、あそこから出てくる使用済み燃料のせいぜい数倍程度のものでしかないわけであります。また、どこの原子力発電所の建設の場合にも、原子力発電所を建設される側は、再処理工場は私のところにはつくりませんということを必ずおっしゃる。発電所はつくるけれども再処理工場はこの近くにはつくらないからというようなことを住民に対する説得の一つの条件のようにしておっしゃっておられる。そうすると、一体この第二期以後の再処理工場といったものは一体どういう計画で進められていくのか、こういうことについて全くの計画がないわけでございます。で、どこの自治体でも、たとえば屎尿処理とか下水の問題というものはたいへんに大きな問題でございます。ところが、いわばこの使用済み燃料の再処理ということは原子力の屎尿処理といってもよいかと思いますが、その屎尿処理工場の計画が全くなしに大規模な原子力発電の計画だけを一方的に進めていこうというやり方、これは下水とか屎尿処理の計画を全くなしに大規模な宅地造成をやっていく悪徳不動産業者のやり口と全く同じようなものではないだろうか、こういうふうに私は考えております。  また、この再処理工場の場合には、そこから出てきます放射性廃棄物の量というものは原子力発電所そのものよりも圧倒的に多くなるわけであります。これは発電所の場合には大量の放射性物質、いわゆる死の灰がつくられますが、一応この燃料の中に、被覆の中に閉じ込められているわけであります。もちろんその一部はどうしても煙突その他から外に出てまいりますが、一応大部分のものは燃料の中に閉じ込められている。しかし、再処理工場ではこれを主として化学的な方法、ケミカルな方法で全部処理をする、一ぺん溶かしてしまわなくてはならない。てすから、廃棄物——放射性物質を扱うという立場から申しますと、発電所そのものよりもずっと、もっと危険性が大きいと、出てくる放射性廃棄物の量が圧倒的に多いということが言えるわけであります。たとえば現在つくられております東海の一号の再処理工場、一日三百トン程度の低レベル廃液というものが海中に放出されることになっております。これはイギリスとかあるいはフランスとかの側よりは少ないんだという説明がなされておりますけれども、一方、たとえばベルギーのモルにございますヨーロッパ共同体の再処理工場、こういったところと比べてみますと、このモルの工場などではほとんどその廃液を外へ出さないという基本方針で設計が進められております。そういった点、イギリスとかフランスとかあるいはアメリカとか、原子力の軍事利用が先行いたしました国、こういうところではやはりどうしてもかなり乱暴なことが平気で行なわれるという習慣ができております。そういうところと比較して日本のほうが少ないんだということは、決して安全性が確かめられているということではございません。この再処理工場で出てくる膨大な量の放射性廃棄物というのが大きな問題になってくると思います。特にこの放射性廃棄物の処理につきましては、技術的に未解決の問題がまだたくさん残っております。  その一例を申し上げますと、クリプトン八五という、これは気体でございます、気体の放射性廃棄物が出てまいります。わりあいにできてくる量も少なくはないわけであります。それから半減期が相当に長い。半減期が約十一年という、かなり長いということ。特にこのクリプトンというガスは、希ガス、レアガスといわれている種類のものでございますので、ほかの物質と化学的な反応を非常にしにくい。逆に申しますと、化学的な処理ではこれをつかまえることができないということになるわけであります。現在の再処理工場ではこのクリプトン八五というのは全部煙突から空気中にそのまま放出されております。このクリプトン八五という放射性物質は天然にはもちろん存在しなかったわけで、原子爆弾の爆発、特に米ソ両国による核爆発の実験の競争、あの時期に急激に世界の大気中のクリプトン八五の濃度がふえてまいりまして、一応空気中での核爆発というものは現在ではほとんど行なわれなくなっております。空気中のクリプトン八五の濃度はだんだん減ってくるはずなんであります。ところが実際にはこれがふえてきている。このクリプトン八五がふえてきているのは、やはり現在再処理工場から出てきているクリプトン八五、これによって全世界の大気中のクリプトン八五の濃度が次第に増加しているということでございます。現在のような割合で世界じゅうに原子力発電所がつくられていく、そこでつくられたクリプトン八五を結局は再処理工場の煙突から全部外へ出ていくということになりますと、いまから約二十五年後、今世紀の終わりには全世界の大気中のクリプトン八五の濃度というものは、いわゆる放射性物質の許容濃度というものの数分の一程度になるということが計算されております。その中でやはり日本原子力発電の長期計画が、もちろんそのままの形では実現しないと思いますけれども、アメリカに次いで膨大な計画を持っているわけですから、その全世界の大気中のクリプトン八五の汚染ということにつきまして大きな責任ができてくるわけであります。この問題というのは、単に一つ原子力発電所あるいは再処理工場の近くの問題だけではなくて、全世界的なグローバルな問題として私たちはこの原子力発電の問題を考えていく上での一つの大きなネックになるものであろうと思わなければなりません。  このクリプトン八五をどうやって除去するかという問題、もちろんいろいろな研究が行なわれております。日本でも研究が行なわれております。しかし、現在のところではそれを実際に具体化するという方法が確立されておりません。にもかかわらず、膨大な原子力発電所の建設計画だけが一方的に進められているというのが実情でございます。このクリプトン八五は主としてベータ線という放射線を出します。ですから、いわゆる原子力発電所の周辺に置いてありますモニタリングステーションといったような、主としてシンチレーションカウンターでガンマ線をはかるという計器では直接には測定することがほとんど不可能であります。たとえば浜岡の原子力発電所周辺に、ガラス張りのモニタリングステーションと称して、住民がいつでもメーターだけは見ることができるようになっておりますけれども、そういうメーターではこのクリプトン八五というのは実際には何も測定していないものなのであります。これはガンマ線だけをはかっている装置で、ベータ線はほとんどはかることができない装置でございます。  また、再処理工場について申しますと、日本の各地につくられます原子力発電所からこの再処理工場までどうやって非常に放射性の強い使用済み燃料を輸送していくのかという問題これが大きな問題となってまいります。特に日本のような交通事情の悪いところで、一体この使用済み燃料をどう運んでいくのか。アメリカなどの例を見ましても、いわゆる放射線事故といったようなものの事例の中でかなりのパーセンテージを占めておりますのが輸送中の紛失であるとか、輸送中のいろいろな事故というものでございます。この非常に強い放射能を持った使用済み燃料、これが日本じゅう各地でつくられている、それを一体どこへ運んでいくか、どうやって運んでいくのか、これも解決されていない非常に大きな問題でございます。  主として再処理工場についての問題を申し上げましたけれども、原子力発電全般について考えてみますと、やはり住民に対する放射線の被曝をどうやって少なくしていくかということが一番の大きな問題になってまいります。先ほどから御説明もありましたけれども、住民に対する被曝についての原子炉設計基準をいままでよりも百分の一ぐらいに下げていこうという動きがアメリカで出てきております。これは当然のことだろうと私も考えます。自然の放射能のバックグラウンドの変動の範囲内に、少なくともその範囲内におさめてしまうべきである、それ以下に押えるべきであるという考え方は基本的にはやはり正しい考え方であろうかと思います。ただし、これについても、この百分の一にするということについて、先ほど田島先生、測定にいろいろ問題があるということも御指摘なさいました。  それ以外にも、もう一つ申し上げておきたいことは、計算の方法でございます。実を申しますと、日本でも幾つかの原子力発電所で安全審査が行なわれておりますが、そこに提出されました資料の中で、たとえばこれまで敦賀の原子力発電所では、一年間に周辺の住民に対する被曝線量が百十ミリレムをこえないようにという数字が出ております。福島第一になりますとこれが三十七、女川になりますと二十五、浜岡になりますと十八といったような数字が出てきております。ところで、アメリカで年間五ミリレム以下にするようにという新しい設計基準が採用されましたあと、今度は福島の第二原発の一号炉の例をとってみますと、これは同じ型の敦賀の発電所の三・四倍の出力、百十万キロワットというかなり大きな出力であるにもかかわらず、これが周辺の住民に及ぼす放射線の被曝は一・三ミリレム、年間一・三ミリレムという数字が書かれております。これは実はそういった周辺に与える放射線が出ていかないように技術的に改良が進んだからそうなったんではないんです。計算の方法でそうなったんです。以前は国際放射線防護委員会方式というので計算が行なわれていた。ところが最近はヘンドリクスン方式という方式、それで計算いたしますと、いままでよりも、同じ放射性物質が外へ出ていても、そこから人体が浴びる放射線の線量が二けたぐらい下がるということになってまいりますと、その計算の方式でやりますと、福島の場合にはもう出力は大きくなっても年間一・三ミリレムで済むんだといったような、計算によって下がってきているわけであります。これまでどうも日本原子力安全性に対する考え方、特に安全審査会の考え方というのが、安全に設計されているから安全であるという考え方が指導原理であったような気がしてならないわけであります。これはたとえば今回の「むつ」のたいへんなおそまつな事故、この場合にも安全審査会の考えてこられたのは、安全に設計されているから安全と思ったと、こういう態度をとってこられた。そういう考え方ではまずいんだということが「むつ」の事件ではっきりしたと思うわけであります。ですから、各原子力発電所の安全審査のために提出された書類を見ましても、どの発電所の申請書を見ましても、ほとんど一字一句変わらないぐらい同じような字句が書いてございます。しかし問題は、そこで一体どういう計算をしたのかというところまで全部国民が知る権利を持っているということがやはり大事なことになってくると思います。先ほどから何人かの先生方がおっしゃっておりますけれども、やはり公開の原則というものをこの安全性の問題については特に重視をして考えていかなければならない。日本学術会議の原子力平和利用三原則というものが打ち出された最初の時期から商業上の機密だけはかんべんしてくれという抵抗が非常に強かったわけですが、私はやはり国民の健康、安全の問題に関する限り商業上の機密というようなことが許されるべきではないと、やはり商業上の機密よりは国民の健康、安全が優先されて考えられなければならない。公開の原則というものをあくまで貫いていくということが何よりも大事なことではないだろうかというふうに考える次第でございます。  大体時間がきたようでございますので、私の話、この辺で終わらせていただきます。
  12. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  最後に、山県参考人にお願いいたします。
  13. 山県登

    参考人(山県登君) 私は国立公衆衛生院というところにつとめておりまして、これは厚生省の付属機関なんですが、仕事は学校のようなものでございまして、全国の衛生技術者が研修に来る機関になっております。同時に研究もやっておるわけでございますが、この公衆衛生院に参ります前は群馬大学におりまして、ちょうどビキニ事件が終わって、あと死の灰、放射能雨が降り出しましたころから環境放射能の仕事をいたしております。で、実は放射能に限りませんで、私の仕事はいろいろな物質が環境に出てどこをどういうふうに動いていくかということを研究対象にしておりますので、きょうお話し申し上げますことも、いわゆる安全性の問題、それが二つございまして、一つ原子炉そのものの工学的安全性の問題がございます。それからもう一つは、環境に出た放射能がどうなるかというもう一つの、二番目の安全性の問題ですが、私の仕事から申しまして環境放射能に限ってお話ししたいと思います。同時に、放射能に限りませんで、そのほかの、たとえばカドミウムのような環境汚染物質についても仕事をしておりますので、そういったものと対比させて環境放射能影響という問題をまずお話ししたいと思います。  人間に害を及ぼしますさまざまな物質がございますが、物質並びにエネルギーと申しますか、たとえばカドミウムにいたしますと、イタイイタイ病の患者の方が一体どのくらいカドミウムを食べておったかという推定をいたしますと、一日五、六百マイクログラムというものを食べ続けておった。まあそれだけじゃありません、同時にほかの条件も必要なんですが、そうしますとイタイイタイ病があらわれたと、こういうことでございます。それから水銀の場合は大体一日に二百五十マイクログラム、このくらいを何カ月かにわたって食べ続けたために水俣病になった。それから放射線の場合は、たとえば五十レムとか百レムというものを浴びますと、一万人の中で一人か二人白血病になるということがわかっております。これまではすべて科学的にわかっておることでございます。それでは、いま申しましたような量をもっと減らしていったら病気になるのかならないのかということについては実はわかっておりません。で、そういう微量な場合の影響がわかっていないということではさまざまな防護の対策ができませんから、しかたがありませんからある仮定を設けて、たとえばその百分の一ならばいいだろうというふうな仮定の上で、たとえば魚の場合は総トータルの水銀で〇・四PPMという線が引かれ、あるいはメチル水銀ならば〇・三PPM、それからカドミウムの場合は、お米の場合に一PPMというふうな線を引いて、それをこえたものは食用にしないというふうな一つの防護のための体制をとるわけです。放射線の場合も全く同じことでして、それじゃ一体どこに線を引いたらいいかということで、一応国際的に認められている線が五百ミリレム、一年間に五百ミリレムと、一般公衆の場合ですが、そういう線が勧告されているわけでございます。ところが、それでは放射線とかカドミウム、水銀というふうのをわれわれか全然——まあ企業が仕事をしなければ、工場が動かなければ全然浴びないかといいますと、実は自然の状況で浴びております。放射線の場合は、先ほどからお話が出ておりますように、一年間百ミリレムというのはどんな人も浴びている。カドミウムで申しますと、日本人の場合は平均一日三十マイクログラムというものはだれも食べております。それから水銀の場合でいいますと三十ないし五十マイクログラムというものはだれでも食べております。そうしますと、よけい食べれば確かに病気になるということがわかっておりますし、少量ならばわれわれは自然にそういうものを浴びておるということになるわけです。  さらにもう少し広げて申しますと、こういった自然にわれわれが食べておる状況、これをバックグラウンドと申しますが、一つ例を御紹介いたしますと、呼吸のほうではどうかと見ますと、窒素酸化物ですが、これのバックグラウンドが〇・〇一PPM、これは自然の状況です、それに対して環境基準というのは数倍のところに線が引かれておるということでございます。それから亜硫酸ガスですが、これはおよそ〇・〇〇〇三PPMというのが自然のバックグラウンドですが、これに対して、実は百倍という非常に高いところに線が引かれておる。で、これと対比させますと、放射線の場合はバックグラウンドの百ミリレムというところに対しまして、先ほどからお話が出ていますように、軽水炉についてはそのおよそ五%、五ミリレムという非常に低いところ、つまり百というのが自然の状況であって、それにプラスするところの五%というところに一応目安を置いている。ただし、この目安は先ほどから対比させております環境基準ではございません。そういう立場できめた線ではないわけです。  さて、そういうことでまあ私ども科学の仕事をしております者が皆さまのあるいは国民のお役に立てるとすれば、科学の上でわかっていることと、わからないことをはっきり区別して申し上げなければならないのではないかと思います。したがって、先ほどから私か申しておりますことは、科学でわかっていることはここまでわかっておる、つまり、ある物質あるいはエネルギーがこのくらいになれば確かに病気は起こるということはわかっている。しかし、わからないところをどういうふうに解決していくかということになりますと、これは科学だけの仕事ではございませんで当然行政ということになりますか、社会の問題になってまいります。したがって、私も科学の上でわかっていることだけを申し上げるわけではございませんで、さらにそれからはみ出しまして私の見解ということでお話ししたいと思うんですが、さて、先ほどから危険とか安全ということばがしばしば使われておりますが、一体危険というのはどういうことかということをしっかりつかまなければならないと思います。なぜかと申しますと、実は危険とか安全ということばが新聞紙上その他論争で盛んに使われますけれども、辞書を引きましたところが、危険とは、一つあぶないこと、二番目は危害や損失の起こるおそれがあること、この二種類書いてございます。あぶないことという意味でいいますと、これは人個人個人で全部中身が違います。ある人が危険と思っておることを他の人は危険と思っていない、こういうことになります。したがって、危険ということばはたいへんあやふやなものでして、いま申しました二番目の、何かが起こる、悪いことが起こるおそれというものを数量的に考えなければ危険、安全論争というのはできないと思います。つまり安全だといっても絶対安全なことというのは世の中におそらくないだろうと思いますし、その安全の大きさはどうかというふうにして議論を進めていかなければこういったことは片づいていかないと思いますが、時間がございませんので……。  さらに行政上の問題になりますけれども、数年前ですが、私は論文を一つ書きましたんですが、それはどういうことかと申しますと、科学技術、特に原子力の問題につきましては技術的な問題については相当アメリカを手本にして勉強したというところがございます。ところが、原子力に関する行政の問題についてはちっとも参考にしていないということを私申し上げたいと思います。そればどういうことかと申しますと、アメリカ原子力委員会というのはもう比べものにならないくらい日本と違って権限と機能を持っておりますが、そのアメリカ原子力委員会でさえ、一九五八年といういまから十六年も前の段階で、自分の持っておる権限の一部を地方政府とそれから公衆衛生局に委譲いたしまして、環境放射能の問題は公衆衛生局がやるというのを、これは一九五八年にそういうことをやっております。それで、さらに近年になりまして環境保護庁ができましたので、環境放射能の問題はアメリカでは環境保護庁がやる、つまり、そのほかの有害物質と放射線とを何ら区別すべき理由がございません、科学的にはですね。社会的にはまた別の見方があると思いますけれども、放射能環境汚染物質とを区別する何ら理由がない。つまり、環境のそういう有害物質についてはすべて環境保護庁が考えるというふうに変わってきたわけでございます。ところが、日本の状況を見ますと、放射能だけは特別扱いで、原子力開発を本務とする科学技術庁が、同時に片方の手では公衆防護まで受け持つという状況になっておりますが、これはどういうふうになるかと申しますと、お金の使い方一つにしましても、原子力局というところの中で開発と防護というところに振り分けるという仕事がなされる。つまり、国民の注視の的である国会で、そういったお金の配分が適正であるかどうかということを非常に注視しにくいような状況で開発と安全あるいは環境保全というものが扱われておるというところにたいへん問題点があるのではないかと、こう考えております。  もう一つ申し上げたいことは、まあ各県に原子力発電所がどんどん建設されてまいりますけれども、現在の法律から申しますと、県知事さんは何もやらなくていいということになっております、環境問題について。逆に申しますと、環境放射能を県で調べなければならぬということを幾ら県会で申し立てても、法律上そんなことをやらなくてもいいようになっている。つまり、県、地方自治体にとっては、環境放射能について何らの監視の義務を持っていないというふうな状況が——私仕事上地方の衛研とかあるいは公害センターの放射能関係の方と非常にタッチしておりますのでよく不平を聞くんですけれども、現在の状況はそういうことで、地方自治体としては原子力の問題は法律が不備なために本気になって住民の立場に立って仕事をするということができないような状況になっている。先ほど申しましたように、アメリカの行政的な仕組みと比べまして非常に不合理な状況にあるということを申し上げたいと思います。  以上でございます。
  14. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) ありがとうございました。  以上で参考人方々意見の開陳を終わりまして、午後一時四十分まで休憩いたします。    午後零時三十八分休憩      —————・—————    午後一時四十六分開会
  15. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) 委員会を再開いたします。  午前に引き続き、原子力開発利用生活環境保全の問題について調査を行ないます。  質疑のある方は順次御発言願います。
  16. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 午前中、参考人の皆さまからいろいろお話をお伺いいたしまして、原子力問題というのは非常に重要であるけれども、ますますむずかしくなったようで、ことに私のようなそういう基礎的な知識がないものですから、非常に理解にもむずかしい点がたくさんあるのでいろいろまた教えていただきたいと思います。委員長のお許しを得て、また参考人の方も楽にお話しいただくためにすわったままにしていただきたいと思いますが、私もすわったままで失礼さしてもらいます。  先ほど角田参考人から二つ、三つ事故の例のお話がございましたと思いますが、私最初の二つは外国で起きた事例のようであったと思いますが、その場所もよく聞き取れなかったのですが、一つ放射線廃液というのですか、廃液が漏出していって、そしてそれはかなりの期間わからなかったということの事例のようであって、もう一つは何か炉に入れてそれが煙突から大気の外へ出たが、それがとまるのに約一カ月か一カ月以上というようなお話、事故があったという例をお伺いしたのですが、そこで、その事故によって人の生命とかあるいは健康というようなものにどのような被害が起きたかという点をお教えいただきたいと思うのですが。
  17. 角田道生

    参考人角田道生君) 二つの事故はいずれもアメリカでございまして、片方は、最初に申しましたほうがハンフォードというところにある国立原子力試験場の中にある廃棄物——放射線廃液の保管場になっているわけです。それでその場合の漏出では、労働者に対するいわゆる障害もなくて、もちろん住民に対するあれもなかった、これはやっぱり一つは敷地をかなり選んでおいたということも幸いしたということは報告書の最後に書いてありました。敷地と申しますと、かなりアメリカのその辺の敷地は広うございまして、大体千三百平方キロ、記憶ちょっと少し間違っているかもしれませんが、とにかく数十キロかける数十キロ、大体茨城県に匹敵するようなところが全体がサイトになっているという利点があるわけです。もう一つは、懸念されたのが、そこに比較的大きな川がその敷地の中を横切っていまして、その川の下流にリッチランドという町があるわけです。そこで、その飲み水のほうにまじりやしないかということをかなり気にしたようですけれども、約十キロばかり離れていまして、事故が起こって今日までは、そういう速い速度で放射性物質が移行した模様はないということで、現在のところは人間に対する障害は報告されていないようです。  二番目のほうのサバンナの場合ですけれども、この場合には比較的早く事故が発見されたものですから、いろいろなサンプリングと申しまして、実際に空気を吸い込んで野外でもっていろいろはかってみたということで、この場合には、牛乳をとって、牛乳の中に入ったヨードの実測をやっております。この結果、牛乳の値から推定しました甲状腺の被曝の推定値ですけれども、これが大体一・三レムと、私の記憶では一・三レムということに評価されておったように思います。しかし、これは実際に個々人が体内にそれを持ち込んで、それでそれを追跡しまして、結局何日間滞留してどれだけの総被曝であったかという種類の測定値は、私の見た論文には載っておりませんでした。ですから、牛乳から推定しているというふうな値だと思います。
  18. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 そうすると、何か直接人が何人なくなったとかあれしたとかいうような、そういう被害の結果は出ていないわけですか。
  19. 角田道生

    参考人角田道生君) そういうことはありません。サバンナの場合ですね、あとのほうのヨードが放出したというプラントの敷地が、これが九百平方キロ、三十キロかける三十キロというような、これまたかなり広大なところでして、日本の場合にすると、ですから、いずれの場合もやっぱりサイトと、それから境界線までの距離と人口という関係でだいぶ模様が変わってくるかもしれないと思います。
  20. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 もう一つ、やはり角田参考人でございますが、市原の三井造船所のイリジウムがどこかなくなったか何かしたというお話がございましたが、だれかがこんなようなもので持っていってどうのこうのというお話がございましたけれども、これはあれでございましょうか、私は全くよくわからないのですが、このイリジウム、これは一つ事故の例におあげになったのですけれども、原子力とどういうような関係になるんでございましょうか。
  21. 角田道生

    参考人角田道生君) それは直接原子力施設のあれではなくて、むしろラジオアイソトープによる障害ということになるわけでございます。
  22. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 そうすると、それは一つの管理の何といいますか、粗漏とか、十分でないとかいうようなあれで、たとえば原子力の利用との直接の関係じゃなくて、たとえばお医者さんなんかでもレントゲンのためのいろんなそういうものもあるんでございましょうか。そういうお医者さんでもそういうものは保管を十分にしなければやっぱり同じようなことが起きるというふうに考えてよろしい、そういう事故の例でございますか。
  23. 角田道生

    参考人角田道生君) そうだと思います。ただ、私が申しました意味は、原子力施設で、これは外国でもありましたし、日本でもあった例ですけれども、原子力施設で働いております従業員、たとえば職場で汚染して、それでたとえば作業服とかが汚染して下着に移ると、その下着を着たままうちへ帰って、その汚染が拡大すると、こういう種類の経路も、いわゆる施設の公衆への影響ということではわりあいにあり得るケースであるということを申し上げたかったわけです。
  24. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 それから久米参考人にお伺いしたいのですが、先ほど温排水による公害といいますか、非常にこれを重視しなければならないというようなお話でございましたが、温排水の問題は私どもも原子力発電所でなくても、火力発電所等に行きましてもいつも問題になっているように伺っているのですが、先ほどの久米参考人のお話では、何か温排水によって、つまり魚に非常に影響を与えているということと、それからわれわれの生命をも脅かしているというようなふうに、ちょっとそういうおことばがあったようにお伺いしたのですけれども、私はどうも温排水の影響というのは実際にずいぶん何といいますか、補償金や何かの問題にはなっていますけれども、実際にどのように影響されているかということがよくわからないのですが、どのように魚に影響するあるいはどのようにわれわれの生命を脅かすとかいうようなことについてもう少し詳しくお話しいただきたいのですが。
  25. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) いまおっしゃいました生命というのは、速記録を見ていただいたらわかると思いますけれども、温排水、特に放射能の話等あげまして、それで温排水のほうはそれで魚に影響を与える、そういうふうに、放射能のほうがわれわれ人間の健康と生命に影響を与えると、そういうふうにそこはたぶん申したと思いますので、一度ちょっと速記録を……。  それで、温排水のほうは、実はきょうはどなたか温排水の方を呼んでおられるのかと思いましたのですが、水産関係の方をお呼びになるのが一番よろしいかと思いますが、私が知っておりますのは、そういう方々があちらこちらの論文に出されたことしかここではよく言えませんので、そういう意味では一人のしろうとが言うことと考えていただいたらいいと思いますけれども、いろんな問題がございますが、温排水の場合は、火力でもよくいわれておりますように、まず水を取り込むところですね、取り込む過程で、御存じのように変なごみや何かが入らないようにというようなネットがございますが、そのネットでの稚魚とかそれから卵とか、そういうものの衝突による死亡という、これはかなりそういう魚が集まっているような産卵のところ、あるいは稚魚が集まるような、回遊するようなところでは大きな問題なんです。メカニカルな、機械的な事故でございますね、魚にとっては事故でございます。それから取り込むことのあれでは、よくいわれておりますが、塩素を入れます。これはどうしてかというと、変なものが入りますと冷却のパイプが詰まってしまいますから、それを防ぐために塩素を入れます。それによってプランクトンなりやはり小さな卵、それが死亡するということです。それから引き込んだところの温度というのは、よくいわれております何度とかというのは、外へずっと拡散していくときの温度でございますが、中へ巻き込まれたやつはかなり高温の、十度なり、普通の水温に比べて十度とか、そういう高いところを通っていきますから、それの直接的な影響を受けると、そういうことが一番引き込んだときの直接的な影響だと思います。あとは、よくいわれておりますように、放出するときに七度とか十度とか、そこらのまわりの海水より高い温度で放出されますと、御存じのように魚というのは、これは漁民の皆さんの話ですけれども、大体一度以下の温度を感じていろいろ回遊のコースをきめたり産卵の場所をきめたりしておるようでございますから、そういうものに影響を与える、これは大きくいえば生態学的な影響というふうにいわれております。その場で魚がすぐ死ぬとか卵が死ぬとかいうことじゃありませんで、生態系全体に影響を与えて、いままで卵を産みに集まってきた魚が来なくなるとか、回遊しておった魚がコースを変えでよそに行ってしまうとか、そういう影響が、非常にむしろ広範囲な影響として考えられておると思います。その二つあるというふうに私は理解しております。
  26. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 板倉参考人にちょっとお伺いしたいんですが、板倉参考人の最初のお話では、原子力発電所環境の中に放射能を出すような事故というようなものは全然ないと、そういう事例はないんだというようなふうに私ちょっとお伺いしたんですけれども、いままでしょっちゅう原子力発電所の問題についても、この間「むつ」の問題もありましたが、「むつ」は別にしても、原子力発電所でもいろんな事故があったというふうに一般的にはいわれているんですけれども、その辺はどういうことになるんでしょうか。
  27. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 私は二つに分けて話ししたかと思いますが、日ごろの原子炉運転中に量的にはきわめてわずかでございますけれども、放射能というのは環境にわずかながら捨てております、というのが、実際であります。この値からくる人の被曝といいますか、放射線を受ける量というのは自然の場所による変動、あるいは同じ場所によっても年による変動以下のものであって、そういうことから見て実質的な意味人間の安全に、あるいは環境安全に実際に影響するような被害というものはないと、これまたあった事例もないし、ないものと確信していますと、今後とも、というのが一でございます。  それから第二番目には、大きな原子炉事故によって大量の放射能環境に出て、実際に人に被害を与えたという例はございません。この場合の原子炉といいますのは、どこまでも商業用発電炉のことでございまして、実験炉とかあるいは軍用研究のための動力炉であってあまり安全装置を持たないもの等については、先ほど角田参考人も言われたかと思いますが、イギリスでたとえばウインズケールの事故というものもございましたが、このごろはいきなり燃料を空気で直接冷やしているようなものでございますので、燃料が高温になった、放射能がダイレクトに外に出る、こういう場合に、人に直接の被害はありませんでしたけれども、牛乳その他の使用制限ということは事例がございました。しかし私が申しましたのは、発電用の原子炉についてはそういう事例がないということを申したわけでございます。
  28. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 科学技術庁は来ていますね。——科学技術庁にちょっとお伺いしたいんですが、先ほど田島参考人のお話にもあったんですが、原子力利用の過程において、まあいろいろな段階があると思うんですが、そういう過程においてハイジャック的なことが起きる、そういう心配があるというお話をお伺いしたと思うんですが、私も実はそれを非常に心配するんです。と申しますのは、この間の八月三十日でしたか、丸の内の三菱重工ビル前の爆弾事件があった。あれはまだ解決しておりませんけれども、あのときにダイナマイトが二百本ないし四百本ぐらい使われたんじゃないか。鑑識の結果そう出ているんですね。ダイナマイトなんかが方々で盗まれている、あるいは紛失している、相当な量だと思うんです。これは何によって管理義務や何かをあれしているかというと、これは火薬類取締法なんですね。ところが、この火薬類取締法というのは、そういう火薬を貯蔵しているときに、爆発したり何かしてはいけない、爆発した場合に周囲に被害を及ぼさないための、そういう施設とか管理とか、そういうものに重点を置いた法律なんで、盗まれるとか、ハイジャックされるというようなことは予想してなかったんですよ、この火薬類取締法は。ところが、現実にはそういうものが起きてきたから一部改正になっているんですけれども、そういう意味で、私はこの放射性物質の場合も、それ自体が漏れるとかなんとかいうような事故防止の対策はもちろん必要でございますが、田島参考人のおっしゃったような点も私非常に心配しているので、盗難とかそういうハイジャックとかいうようなことを防止するということはたいへん必要で、そのための管理体制も非常に重要じゃないかと思うんですけれども、そういう点については現在どうなっているのか。法律的に、あるいは実際的にどうやっているのか。これは科学技術庁ですか、所管は。ちょっとお話ししてください。
  29. 半澤治雄

    説明員(半澤治雄君) まず法律的に申し上げますと、日本の核物質、核関連物質はほとんど国際的な規制を受けておりまして、平常非常に厳密な計量管理という方式をとってやっております。つまり、その物質の出入りを非常にこまかいところまでチェックいたしまして、それを記帳する、計量する。かつ、これは国際的な管理下と申しますか、国際原子力機関というのがございますが、そこの査察を受けるという形をとりまして、法律的にはその物質の移動、変動等の状況を厳重に計量的に管理するという体制をとっております。それから施設から持ち出されることを防ぐために、現在行政的には部内でいろいろな検討会を設けまして、フィジカルプロテクションと呼んでおりますが、盗難等の防止に関する方策について検討中でございますし、海外の状況等も現在調査を行なっておる。さらに委託費等を使いまして核物質管理のためのソフトウエアの研究開発を進めるというようなことをいたしてございます。  第三番に具体的な例について申し上げますと、たとえば原研の高速臨海実験装置というのがございますが、この場合の防御が七重に行なわれておるわけでございます。ちょっとこまかになりますけれども、まず窓に、窓がゆれました場合にすぐ状況がわかるように振動式の、その窓の振動をすぐキャッチするというようなものを取りつけております。それからドアには、これはマグネット方式という形で、やはりその進入等が、ドアの開閉等が直ちにわかるという状況を中央で管理できるような形にして取りつけてございます。それから赤外線方式あるいは内部にテレビを置いておく。それからマイクロホンをそれらの施設に置いておく。さらに貯蔵庫の場合にはダイヤル施錠をしておく。それから貯蔵庫内には超音波方式の防御装置を設ける。もしこれらの、いま申しました七重の防御の中でどこででも異常がありますと、中央計量詰め所で直ちに警報が鳴るといったシステムを講じておるわけでございます、これは具体的な事例でございますけれども。  それからもう一つ先ほどイリジウムの話が出ましたけれども、アイソトープ利用に関しましては、これは放射線障害防止法という法律がございまして、段階的に保管管理を十分行なうように指導いたしております。  大体以上のような状況でございます。
  30. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 先ほどやはり服部参考人のお話にもございましたが、輸送中の事故だとか、紛失だとか、そういうような問題もあると思いますので、まあ時間ないからいいですけど、そういう管理とか、そういう事故防止、盗難等も含めてさらに検討して徹底的にやるように進めていただきたいと思うんですが。
  31. 半澤治雄

    説明員(半澤治雄君) そのようにいたします。
  32. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 もう時間ございませんから最後の質問にいたします。質問といいますか、質問を兼ねての要望にいたしたいと思いますが、私はやはり日本にとって一番大事なのは、エネルギーと食糧と——今日もそうですが、将来もそうじゃないかと思うんです。で、まあよくこれは必ずしも原子力だけじゃなくて、公害問題一般についてもいわれるんですが、何か風潮として、もう一〇〇%を求める、一〇〇%でないものはもういけないんだと。一〇〇%安全だとか、一〇〇%害がないものを求める。しかし、世の中にあまり一〇〇%ということはあり得ないんで、やっぱり人間の健康に少しは、先ほど板倉参考人の話もありましたが、わずか出ててもそれは人間の健康には関係ないんだと、自然からも出ているんだというような話もございましたが、私は現在の日本を考えるときに、まあ敗戦でもって領土を失って、結局北海道、本州、四国、九州、それに沖繩ということになると、これはもう江戸時代と同じなんですね、領土の範囲は。ところが、江戸時代の人口というのは三千万余り、いまは一億一千万ということになると、どうしたって私は、しかも生活は何といったってずっと向上している、向上している生活をまた逆戻りさせるということは実際問題としては非常にむずかしいことになると思いますから、そうしますと、やはり工業だって必要なんですし、まあ農業国だけでいけるなんということはとうてい考えられないし、一億一千万の人が食っていけないのじゃないかと思います。そうしますと、どうしても食糧を確保するという意味においても、これは輸入にずいぶん仰ぐわけですが、どうしてもエネルギーというものが重要であって、日本の工業というようなものも、公害を防止しながらもこれはやっぱり確保していかなくちゃならないと、私はそう思うんです。そうすると、どうしてもそのエネルギーのうちで電気エネルギーの重要性というものはますますふえているし、またその需要もふえていると思います。私が聞いたところですが、電気の需要というのは民生需要を中心にして年間七・四%ぐらいの伸びが予想されるというふうに聞いております。そうすると、それに対応するには何かほかにいい方法があるのかどうか。  先ほど田島参考人のお話でも、太陽熱とかあるいは地熱とかいうようなエネルギーもまだ当分は現実問題としては日程にのぼることはむずかしいんじゃないかということだと思います。そうしますと、たとえば電気エネルギーの場合は、水力発電だってこれは限度があるんだし、火力はもちろん石油事情等もあってこれも限度がある。そうすると、私はやはり原子力というものがどうしても必要になると思うのでございます。しかし、一方において安全性ということについてはこれはもうたいへん基本的なことであって、一番大事なことだと思いますが、そこで安全性について、私は先ほどこれも田島参考人のお話でもって非常にそのとおりだと思うのですが、原子力施設が安全だということ、これも私はほんとうに安全であるかどうかという点について科学的には私は何も申し上げる資格もないんですが、かりに安全だとしても、しかし原子力施設が安全であるということと、大衆がそれを信頼することとは別問題なんだと田島参考人もおっしゃいましたが、私もそのとおりだと思うのです。そこで、特に日本という国は原爆の被爆国でございますから、私どももついそうなるのですが、やっぱり原子力エネルギーというものを最初に原爆という形で知らされたために、何か原子力というとイコール原爆というような受け取られ方が相当されているんじゃないか、そういうこともあるんじゃないかと思います。そこで、私は政府がよほど——もちろん実際に安全にしなくちゃいけませんが、同時に分子力発電のあるいは原子力平和利用の安全性というものについて国民のコンセンサスを得るために、国民理解と信頼を得るためにはよほどいろいろな方法で努力しなくちゃいけないと思うのですが、これについて政府のほうで何か自分たちはこれこれやっているんだけれども、どうもそれがうまく徹底しないんだ、あるいはこれこれやって相当徹底しているはずだと、それらについての政府の感触を聞かしてもらいたいのですが、いかがですか。関係のところでいいです。科学技術庁でいいです。
  33. 半澤治雄

    説明員(半澤治雄君) 御指摘のとおりでございまして、地域地域のコンセンサス、その背景でございます国民的コンセンサスがなければ幾ら安全だと申しましても進まないという点は、われわれ十分認識しておるつもりでございまして、私どもがやれますいわゆるPRと申しますか、コンセンサスを得るためのマスコミを通ずるいろんな啓蒙運動であるとか、パンフレットを通ずる啓蒙運動であるとか、あるいは原子力にかかわる講演会等の開催といった手段はいろいろ講じておるつもりではおるわけでございます。しかしながら、ただいま御指摘のようにそれで十分に地域なり国民なりにコンセンサスが得られたかということになりますと、私どもまだまだその力の足りないところ、これは身にしみて現在感じておりまして、今後ともいろんな方面からの御意見をいただきながらそういう点の努力をしてまいりたいというふうに考えているわけでございます。
  34. 原文兵衛

    ○原文兵衛君 もう時間がございませんから、最後に要望だけ申し上げておきますが、私は現在はそういう点で政府の言っていることはまだ信頼されていないと思うのです、国民にはね。理解はされていないし、もちろん信頼もしていないと思うのです。そこで、いままでのような安全性のチェックあるいは生活環境保全のためのチェックというようなやり方では不十分だし、これではなかなか信頼が得られないんじゃないかというふうに思います。そこで、この際どういうものにしたらあるいはどういうシステムにしたらいいかということについては私は専門家じゃありませんからよくわかりませんが、とにかく、何か独立のそういうチェック機関を設けるとか、そういうような方法もあろうかと思うんですが、とにかく原子力行政のあり方について私は、原子力が非常に重要であるがために原子力行政のあり方ということについて徹底的に行政の仕組み等につきましても検討して、そうして改めていかなければならないと思いますので、そういう点を関係各省庁でもってほんとうに根本的に洗い直して、再検討して、そうして国民に信頼されるような原子力行政の体制をつくり上げるように要望して私の質問を終わりたいと思います。
  35. 矢田部理

    ○矢田部理君 参考人方々に質問する前に通産省にお聞きをいたしておきたいと思うんですが、通産省、どなたか来ておりますか。
  36. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) 見えておるようです、エネルギー庁。
  37. 矢田部理

    ○矢田部理君 ことしの十月四日だったと思いますが、通産省の係官の立ち会いのもとで中部電力の浜岡原子力発電所の一号炉について検査をなさいましたね。その検査をした際に、この炉はまだ二カ月程度の試運転をした程度のものでありますけれども、一次冷却水再循環系統パイプのバイパスパイプにひび割れがあったということが報告をされているわけですが、このときのひび割れの状況、内容等についてまずお伺いをしたいと思います。
  38. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 再循環系ポンプの出口弁まわりのバィパス配管のひび割れの件でございますが、先生お話しのとおり、アメリカのドレスデンの二号炉でそういう事例が発生いたしましたので、日本におきましても直ちに同形式の原子炉につきまして当該部分の点検調査を指示いたしました。その中の一つに中部電力が浜岡において建設中——浜岡一号炉もこれは試運転中でございましたが、念のために点検をするようにという指示をいたしまして、私ども係官立ち会いで十月の初めから約三週間ぐらいにわたりまして立ち会い検査並びにその後の結果の分析調査をいたしたわけでございます。その結果は、バイパス管に超音波探傷器でやりますテストの結果インディケーションがございまして、これは内部にひび割れがかりにありましたりしますと超音波がそこではね返ってまいりましてブラウン管上に指示をするわけでございますが、そういうテストをいたしたわけでございます。このインディケーションにつきましては、実は内部にクラックがあるという場合以外に、このテストの方法が非常にむずかしゅうございまして、たとえばこういう折れ曲がった部分に超音波が当たりますとやはり反射波がございまして、その反射波が実際上のそういうたとえば形状効果——曲がっておったり、かとかあったりあるいは加工のときのグラインダーの傷といったようないわゆる形状効果による反射波であるか、あるいは実際にひび割れによる反射波であるかということの判定をしなくちゃいかぬわけでございますが、その判定をいたします過程におきまして、そういう形状効果でなかろうかという見解がかなり持たれているわけです。たとえば、この反射波が何回目に反射した波をとらえておるかを、その探傷器の探傷素子をどこに置いて反射波をとらえておるかということを分析するわけでございます。そういう検討の中で、どうしても完全にこれが形状効果であるという証明ができない地点が発見されましたので、私どもはこれを一応、現段階では原因不明という措置をするのが安全性を前向きに十分確かめるという姿勢からいいましても当然であろうということで、かなり形状効果でなかろうかという印象は持ったわけでございます。あるいはそういうような一つの証明方法もできるわけでございますが、まあ言うなれば百のうち一つでも完全にそれが形状効果ということを証明できない限りは、とりあえず原因不明ということにして、さらに詳細な調査、たとえば、その部分を切り取って内部を見るといったようなことで徹底的に調査をすべきじゃなかろうかということで、原因不明という措置をいたしまして、そういう発表もいたしました。現在、切り取りまして、中を見るという準備を進めておる段階でございます。
  39. 矢田部理

    ○矢田部理君 十月の四日から相当期間検査をしたということでありますが、そのバイパスパイプのひび割れを発見したのはどの時点でしょうか。
  40. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 先ほど申し上げましたように、超音波探傷というテストの一つでございますが、それをやりましたのは十月の四日でございます。その後、たとえば、実際にそういうものが形状効果であるかどうかということを、別のパイプを新しくつくりまして、そしてその超音波探傷をやってみたり、あるいはそのほかに放射線源を外側に置きましてフィルム写真をとったり、そういうような調査をずっと進めておりまして、私どもが原因不明という断定をいたしましたのは、たしか二十一日か二日だったかと思います。
  41. 矢田部理

    ○矢田部理君 私が伺っておりますのは、原因が何であるかということは別として、そのパイプにひび割れないし異常部を発見したのはどの時点でしょうかと伺っている。
  42. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 原因不明と判断しましたのが二十一日、二日でございます。超音波探傷をいたしましたのは四日でございます。ただし、これはそこだけではございません。そういうような反射波があるのはノイズだとか、あるいは形状効果による反射波があるのはほかの地点でもたくさんございますので、四日の日に異常があったということが発見されたと言うのは私ども適切ではないんじゃないかというぐあいに考えております。
  43. 矢田部理

    ○矢田部理君 しかし、少なくとも四日の段階でさらに原因等を明らかにする検査等をしなくちゃならぬ状態ではあったわけですね。
  44. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) そういうようなプロセスは、すべての超音波探傷によるテストに付随する一つの検査、調査工程でございます。
  45. 矢田部理

    ○矢田部理君 パイプ等の溶接個所、それから炉とパイプとの溶接個所などが原子炉の場合には多数あるだろうと思いますが、その数はどのぐらい、この際の検査は何ヵ所ぐらいされたのか、その点を明確にしていただきたいと思います。
  46. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 浜岡の一号機の場合はこのバイパスループに十二ヵ所ございまして、それがツーループでございますから二十四ヵ所でございます。
  47. 矢田部理

    ○矢田部理君 その全部を点検されたわけですか。
  48. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) そのとおりでございます。
  49. 矢田部理

    ○矢田部理君 その結果、いまの一カ所にひび割れがあることが最終的には明らかになったと、こういうことでございますね。
  50. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) おことばでございますが、私どもひび割れという断定をいたしておりませんで、そういう原因不明のインディケーションがあったということで、これの原因を突きとめる、たとえば形状効果であるということなのか、あるいは溶接のときの何かスラッジが中に入ったようなものなのかというようなことをいま調査しておるという段階でございます。
  51. 矢田部理

    ○矢田部理君 いまの問題は、まだひび割れかどうかもはっきりしない、言ってみれば調査中であると、こういうことでございますか。——もう一つ、関連して伺っておきますが、十月の二十二日の日、福島の第一原子力発電所号炉、この一号炉の冷却パイプの溶接個所に水のにじみ出るようなひび割れが発生をしたというような報告もなされておるようですが、この内容はいかがでしょう。
  52. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 福島の一号機でございますが、Bループの一ヵ所に冷却水のにじみがあるということを確認いたしております。
  53. 矢田部理

    ○矢田部理君 もう少し詳しく内容を聞かしてくれませんか。
  54. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) Bループのエルボー部でございますが、そこに液体浸透探傷法によりましてやりました結果、内部の冷却水がにじんでおるという個所が調査の結果判明いたしました。
  55. 矢田部理

    ○矢田部理君 それについて、いまどのような対策を立てておられましょうか。
  56. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) これにつきましては、内部の冷却水が外ににじんでおるわけでございます。どういう形状にしろ、中の冷却水が外に漏れておる、にじんで、おるという事実はあったわけでございまして、これにつきましては、一方ではこの部分を切り取りましてその原因調査するということが一つでございます。それから切り取ったあとは修復するという、そういう手はずをとるということを考えております。
  57. 矢田部理

    ○矢田部理君 そうしますと、福島の場合にも、あるいは浜岡の場合にも、いずれも原因はまださだかでないということになりますでしょうか。
  58. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 現段階ではそういうことでございます。こういう原因追及につきましては、今後、部内におきまして衆知を集めて分析いたしたいと思っておりますが、アメリカにおきます状況は、同じようにドレスデンの当該パイプは、アルゴンヌの国立研究所あるいはGEの研究所等において現在分析調査をいたしておる段階と聞いておりますが、中間報告によりますと、応力腐食ではないかという報告が中間的にわれわれの手元に入っております。
  59. 矢田部理

    ○矢田部理君 いま、たまたまアメリカの話が出ましたので、私も実は質問しようと思ったのですけれども、例のイリノイ州のドレスデン二号炉、  それからさらにはクォッド・シティーズの二号、あるいはマイルストーン一号に同様なひび割れ事故が起こっていると聞いておりますが、ここのひび割れ事故等についても最終的な原因はまだわかっていないのでしょうか。
  60. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 先ほど答えいたしましたように、中間的には中間報告が出されておりますが、最終報告は、あるいは最終的な原因の判定はまだのようでございます。
  61. 矢田部理

    ○矢田部理君 その原因一つに応力腐食論があるようでありますが、これは急激にきたものなのか、それとも徐々にきたものなのか、その辺はわかっておりますでしょうか。
  62. 高橋宏

    説明員(高橋宏君) 一般的には応力腐食というのは急にくるものではないということは言えるかと思いますが、本件につきましては先ほどお話しいたしましたような段階でございますので、今後の調査によりましてわかるものと考えられます。
  63. 矢田部理

    ○矢田部理君 いまの質疑の中でも明らかになりましたように、試運転間もない炉のパイプがひび割れらしいものが出てくる、あるいは三年ぐらいで福島の場合でも水漏れがにじみ出てくるような状況があるということは、とりもなおさず原子力技術の未熟さを証明しているんじゃないかというふうに私は考えるわけなんですが、いまの原子力技術というのは、どちらかといえば研究実験段階、それをどうも無理に必要性を優先させて実用段階に持ち込んでいる、そこからいろんな原因不明の、あるいは相当調査をしてもなかなかその原因が突きとめられないような幾つかの問題が出てくるように思われるわけなんですが、そういうことの中で私がお聞きをしたいのは、茨城県の東海村を中心に相当数の原子力施設があるわけですね。私が調べたところによりますと、東海村を中心にして三キロメートル以内に、実に二十五にのぼる原子力施設の建設が行なわれ、非常に集中性が強くなっているわけです。とりわけ近辺には水戸、日立、勝田六十万の人たちが住んでいる。都市接近等の問題もあるわけなんですが、そういう原子力施設の過密の問題あるいは都市との接近の強い、都市接近性が非常に強いという問題とを含めて、いまの技術との関係でどういうふうにお考えになっているのか、まず久米先生にお伺いしたいと思います。
  64. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 原子力工学のほうの安全性の問題につきましては服部参考人のほうが適任かと思いますが、私はむしろ専門は化学から来た者として、いまのパイプの問題については非常に関心を払っていますので、その点についてちょっとお話ししたいと思いますが、私が関係しております伊方の原子力発電所の場合、これはいま議論になっております沸騰水型とは違いまして加圧水型でございます。主として関西電力が導入いたしましたタイプでございますが、これは御存じのように、同じようにパイプ腐食を起こしております。このパイプは加圧水型の場合は原子炉でわきましたお湯の熱を、パイプを通して、もう一方のタービン水に伝えるというそういう機能をしておる、これも非常に重要な役割りを持っておるパイプでございますが、そこが皆さん御存じのように、おととしから数度の事故でとまっております。これは板倉参考人あたりと意見が違うところかと思いますが、私は決して軽微な故障ではない、もし何かいま当面のことで人が死ななかったら事故でないという、そういう考え方原子力の問題を扱っておられるとすると、非常にこれは危険なことで、おそらく板倉参考人もそうは言っておらないと思いますが、しばしばそういう意見があって、人が何人死んだのかというようなことを言われる、そうではないのです。その事故——どうせ事故というのはそういうものが積み重なってどこかで起こるわけですから、その事故の質的な内容というのは非常に大事なわけでして、そのことを抜きにして、いやパイプにちょっと穴があいたんだからだいじょうぶというふうに、現象面でこれをとらえるという動きが非常にいまあります。これは残念ながら政府の行政の側にもあって非常にわれわれは迷惑をしているわけでございますが、私から見ますと、パイプの腐食というのは、いま通産省のほうからは応力腐食というふうに答えられましたが、あのパイプにしても、おそらくそれは考えられる一つ原因にすぎないのであって、美浜のあの加圧水型の場合にも、非常に複雑な化学的な要素、それから熱的な要素、これが複合したものであるということは明らかであります。で、私が重視したいのは、それは非常に本質的な欠陥でありまして、ああいうふうにして原子炉から熱をとるときには、どうしてもああいうタイプの蒸気発生装置を使わなければならない、ああいうふうな仕組みにすると必ずそれが起こるのではないかというふうに私は考えております。おそらくあれは解決の方法はないと思います。私のほうに、現在あれを再開したいという動きが企業の側に非常に強いという情報も入ってきておりますが、漏れ伝わってまいりますその対策を聞きましても、非常にこれは一時しのぎであります。早晩通産省なり科学技術庁からそういう方策が発表されると思いますが、これは私たちとしては、絶対これの再開を許してはならないと思います。原因がわかってもそれはどうにもしようがないというふうな状況にあるいはなるんではないか。で、こうなってまいりますと、基本的な設計そのものも変更しなければならないということになってくる。あるいは少々穴があいても人が死ぬまでやるというふうな、これは今回の「むつ」に——「むつ」じゃありませんが、いままでの安全性というものの一つ考え方だと思いますが、そのどちらの道を選ぶかということが、おそらく議会の皆さんにも迫られる日がくるんではないかと思います。  で、沸騰水型のパイプの問題にいたしましても、ある新聞にちょっと出たわけでございますが、アメリカ原子力委員会としては、一次冷却水の中の溶存酸素の影響ではないかと。この溶存酸素の問題というのはかなり重要な問題でありまして、これは放射線による水の分解というようなものからできますし、かなり本質的な問題であります。ですから、もしもそういうものによる腐食が原因の少なくとも一部を構成しておるとすると、これはああいうタイプで炉を運転するときに避けられないことになる。しかも、いまは十センチのバイパスにだけ起こっておりますが、そこでだけ起こるという必然性は何にもないのでありまして、ほかのもっと大きなパイプの内部においてもそういうことが起こらないという保証はないわけであります。ですから、私はアメリカ原子力委員会が、あれがどういう結論を出すのか、これは本来は日本でやらないといかぬと思いますが、おそらくいまの通産省のあれを見られても、アメリカ待ちということだろうと思いますが、どういう結果が発表されるかによってはかなり重大な問題になるんではないかというふうに考えております。したがいまして、いまおっしゃいましたように、私もまさに試験的な段階だと思いますので、たとえば加圧水型にいたしましても、美浜の一部はもうすでに三十数%の運転でついに現在もう立ち往生しておるのに、同じタイプの炉がやはり横で運転を続ける、さらに安全審査では安全であるという太鼓判を押されて世の中に出ていくと、こういう状況を繰り返しておれば、どっかでそういう小さな事故が積み重なって大きな事故につながるというふうに考えております。  集中化の問題につきましては、これはその炉の、私は東海村の周辺にある原子炉のタイプその他をよく勉強しておりませんのでわかりませんが、いまの少なくとも推進される方々考え方は、事故というのは一台あっても二台あっても変わらないんであると、一つのところで起こるのとたくさんあっても変わらない。変わるのは、先ほど若干指摘されておりました煙突から出るのが複合して二基分となって舞いおりてくる、そういうことだけでいいということになっておりますが、私はそうだと思いませんで、やはり何かかなり大きな事故が起こりますと、それの波及効果というのは避けられないわけでして、二次、三次の事故を誘発するという、これもほかの産業でもいろいろな経験があるわけでございますから、そういう集中して大きなものを建てるということについては基本的に考え直さなければならないのじゃないかと、そういうふうに思っておりますが、この辺は服部参考人なんかのほうが実際にいろいろな原子炉の経験がおありだと思いますから、そちらにお願いしたいと思います。」
  65. 矢田部理

    ○矢田部理君 いまの質問に関連いたしまして、服部参考人のほうから御意見を伺いたいと思います。
  66. 服部学

    参考人(服部学君) ひび割れというのは、わりあいにいろいろな原子炉で例があることでございます。日本の場合でも日本原子力研究所の動力試験炉、JPDRという原子炉で圧力容器の内面にヘヤクラックが多数発見されたということが一九六六年にすでに見つかっております。それから外国の例を申しますと、オイスタークリークの発電炉、これがやはり運転開始の前に圧力容器の底の部分の溶接部分、それから各種のパイプ百三十七本のうち百八本の継ぎ目にひび割れが発見された。あるいはインドのタラプール炉、これでも圧力容器内部にひび割れというものが発見されております。一応これはいずれも溶接技術上の問題と考えられているわけですが、溶接材料、溶接技術の問題というものは、まだまだ確立されたものではないということの証拠ではないかと思います。それから一次系の配管系につきましても、ドレスデンの一号、それからラ・クロス、それからビッグ・ロック・ポイント、ナイン・マイル・ポイント、インディアン・ポイント、H・B・ロビンソンの二号、ミルストン・ポイントの一号、モンティセロ、これはいずれもアメリカの例でございます。それから日本先ほど申しました動力試験炉、多くの原子炉でひび割れが見つかった例というのが非常に多いわけです。もちろんその理由ということについては応力腐食というようなことがかなり原因ではないかということがいわれておりますが、いずれにしても高温、高圧、あるいは非常に放射線が強いというところで材料にどういう問題が起こるかということはこれからまだ研究しなければならない問題が、おそらく基礎的な技術的な問題がたくさん残っているんではないだろうかというふうに考えております。
  67. 矢田部理

    ○矢田部理君 ひび割れと関連いたしまして、もう一っだけ伺っておきたいのは、たとえばひび割れがあっても、その原因が明らかにならない、明らかになってもなかなか対策が立てにくいというのがいまの技術現状だとすれば、もう一つ安全性との関係で、たとえば耐震性というようなことが問題になっておりますが、地震との関係を考える場合に、こういうひび割れとか、異常事故等がない状態での耐震性を考えておられるのか、それとも発見し得ないひび割れ等があった場合にも耐震性はだいじょうぶだというようなことまで考えておられるのか、その辺のいまの安全審査の状況はどうなっているでしょうか。これはどなたでもけっこうですが。
  68. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) その点は、私たちがいまやっております伊方の裁判の中で、まさにこれから争われようとしておるところであります。私たちの主張は、平常時といえどもパイプ類というのは地震に対して非常に弱いものである、これについての厳密な計算というのは建築構造の専門家に聞いても実際上はほとんど不可能である、非常に経験的なことでそういうものの共同計算をやるしかないということになっております。しかし百歩譲って、それがたとえオーケーだといたしましても、いま矢田部議員のほうから指摘がありましたように、そのパイプが腐食しておる、たとえばPWR——加圧水型の美浜の場合には腐食か七〇%とかにまで達したという、これは発表も出ておりますが、そうしますと、厚みが本来一・三ミリぐらいしかございませんから、それが七〇%減肉しておるということはたいへんなことでございます。わずかコンマ数ミリというようなところでパイプが中で百五十気圧、外が五十気圧というのをささえておるわけでございますから、そういうところで地震が起こるとするときに、そこに異常な亀裂が入るということはむしろ常識ではないかというふうにわれわれは主張を展開しようとしております。これに対して科学技術庁その他のほうでは、そうではないのであって、パイプにはまだ余力があるというふうに答弁をしてきておりますので、今後の論争の中でそれの決着がつくと思いますが、私自身はそういうふうに考えております。
  69. 矢田部理

    ○矢田部理君 先ほどの通産省のお答えの中にも出てきたのですが、たとえば中部電力の浜岡原発の場合に、四日の日に点検をして、実際に表に出したのは二十三日、その間二十日間近く放置をして、県との間に結ばれた原子力に関する安全協定を無視したということで保守系の知事さんすらもたいへんおこっているという報道が伝えられているわけなんですが、角田参考人に伺いたいと思います。この東海村等でもしばしばいろいろな事故が出ておりますが、それが県に対する連絡が間々おくれる、公開の原則との関係でこのことが非常に重大視をされておるわけなんですが、その辺の実情と問題点についてもし知っておられましたらちょっと伺いたいと思います。
  70. 角田道生

    参考人角田道生君) 具体的にその辺の状況を事実でもって知る立場にない。また、そういうことについては所内でも、県はおろか所内でもあまり知らさない。事故の報告ということが午前中の話の中でも触れた点ですけれども、アメリカの場合にはセキュリティーの安全が一番公開されない、わが国の場合セーフティーが非常に秘密にされる、それが、そういう精神がずっとありますから、したがって、どの辺までを報告にするかとか、事故を報告する段階でどう定義するかというふうなことに非常にエネルギーを使っているらしいというのが実情でありまして、そのため委員会をつくって——どれを事故と定義するかの委員会、というような話があったりして、ある意味では非生産的なところにエネルギーを使っているという……。それ以上具体的な事例についてちょっと私も詳しくは知りません。
  71. 矢田部理

    ○矢田部理君 服部参考人に伺いたいと思うのですが、先ほど死の灰等の廃棄物の処理について安全な措置がなされていないし、また技術的にも非常にむずかしいというふうにおっしゃられたかと思うのでありますが、この廃棄物の中にも高レベルのものもあれば低レベルのものもあるだろうと思うのですが、各レベルについて具体的にどのぐらいの廃棄物が出て、それぞれについてどういう処理方法を現時点で考えておられるのか。しかもその処理方法をとった場合に、なおかつ問題が残ると思うのですが、どういう問題が残るというようなことについて伺いたいと思います。
  72. 服部学

    参考人(服部学君) 率直に申しまして、私はその廃棄物の処理専門ではございませんので、それと、きょうそういうこまかいデータは持ってきておりませんので、この場でこまかい数字まではお答えいたしかねるのでございますが……。
  73. 矢田部理

    ○矢田部理君 概括的でもけっこうです。
  74. 服部学

    参考人(服部学君) 午前中に申し上げましたけれども、原子炉の中でできますいわゆる死の灰と呼ばれる放射性物質、これは大量のものができるわけですが、全部再処理工場で処理しなければならない。しかも、この原子炉燃料と申しますものは、石炭、石油を燃やすのと違いまして、一ぺん原子炉の中に入れたら全部最後まで使ってしまうというまで燃やすことができませんで、ある程度使用済み——死の灰かたまってまいりますと、ただ放射能が強いというだけでなくて、原子炉運転そのものを妨げる性質のあるものが含まれております。したがって何度も途中で取り出してまだ残っている燃料と、それからたまってきた死の灰、さらにプルトニウム、これを化学的に処理しなければならぬ、分けてやらなければならない。ですから死の灰全部を再処理工場で処理しなければならないというわけです。ただし短寿命のものにつきましては、これはなるべく冷やしてから数カ月程度の減衰を待って、短寿命のものはできるだけ少なくしてから再処理工場に送られるわけですが、しかし長寿命のものにつきましては、これは数カ月程度経過しましても、ほとんど放射能は弱くならないわけです。また外へ放出された場合に問題になりますのは、最終的にはやはり寿命の長いものが問題になってくるかと思います。たとえばストロンチウムとかセシウムとか、そういった寿命の長いもの、それから化学処理のしにくい放射性物質、これがたとえばルテニウムであるとか、そういったようなものが問題になってまいります。  それから先ほど申しましたように、一つは気体になって外へ出てくるもの、特にクリプトンのように化学変化処理ではつかまえることができないもの、あるいはトリチウムのように、やはり非常につかまえにくいもの、これがやはり大きな問題になってくると思います。特に気体の場合には、クリプトンとトリチウムがおそらく大きな問題になってくる、今後も大きな問題として残っていくだろうと考えております。とにかく量としては、発電所でつくったものを結局全部処理するということになると思います。
  75. 矢田部理

    ○矢田部理君 原子力の場合にもいろいろ専門の分野があろうかと思うのですが、いま特に原発の関係でもう一つ問題になっておりますのが、急に大型化してきている問題があろうかと思いますね。たとえば東海村にできつつある東海二号炉にいたしましても、あるいは福島の原子力発電所にいたしましても、百万キロ急に大型化したために出てくる問題点、いまの科学技術の水準からいってどういう問題がここから派生をしてくるのか、そういうことについて久米参考人もし御存じでしたら御指摘いただきたい。
  76. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 大型化に入ります前にひとつお話ししておきたいと思いますのは、原子炉ができてやれ二十年になるとか三十年になるとか、その間事故がなかったとかというようなことでよくされますが、それは非常に大きな問題があります。いま大型化の問題が出ましたが、その一つ前に原子力発電の経済性をあげるためには、原子炉というのはこういうふうに熱を取り出す装置でございますから、ばかでかいところから熱を取り出すというようなことにすると、経費がうんと高くなります。ですから出力の密度というような表現をいたしますが、できるだけ小さいコンパクトな体積のところから熱を取り出す、そういう装置でないと経済的に引き合わないという、これは非常に大きな経済上の要請があります。そういたしますと、非常にコンパクトに押し詰めたところで熱を発生し、それで放射線を発生するという、そういう状況をつくり出しますから、これがしかも非常に原子力発電の場合は矛盾なんですが、その一番熱と放射線の集中したまん中に一番こわい生成物、死の灰をためなければならないという、一年なら一年ためて運転するという、これが宿命なんですね。本来ですと危険なものですから、燃えるところからどっかにはずして安全なところで管理するというふうにしたいのはやまやまなんですが、実際上は一番危険なものを、一番条件のひどい、原子力発電所でこれ以上条件がひどいところはないというところに、しかも最も危険なものをためるという、これは矛盾であります、こういう方式でやる限りは避けられないわけでございまして、そのために採算性をあげようといたしますと、出力密度をどんどん上げるということになります。これがさっき服部先生も言われました、材料的に非常に大きな負担になってくるわけです。この点は、たとえば加圧水型の場合、特に私はいろいろ調べておりますが、同じようにいま美浜で動いておるあの三つをとりましても、一号、二号、三号でその値は違ってきております。ましてそれの実用化にならないもっと前の原子炉、たとえば失礼でございますが、服部先生のところでいま使っているような研究用の原子炉、そういうようなものはずいぶん、何十年と歴史がございますが、そういうところの熱の取り出し方とはこれは全く質的に違うわけでございまして、それを原子炉の、何か第三の火が発見されてからの時間というようなもので比較するというようなことは、これは完全な間違いです。そういうトリックで何か原子炉安全性を主張しようというのは、私は、これは非常に間違った科学技術的な接近のしかたであると思います。いま私が申し上げました点は、これは燃料専門家の方もすでに認めておられまして、これまでテストをやっておる原子炉以上の出力密度の炉でいきなりもろに開発をするというところに一番問題があるということは、燃料専門家がもういろんなところに書いてございます。ですから、いま動かしておる炉自身が実は実験のための炉になっておるというのが現状なんです。そのことはおそらくどなたも認められるので、異議はないと思います。ただ、そういうことをちゃんと言うか言わないかということだけだと思いますが。  大型化の問題はどうなっておるかと申しますと、それだけ出力密度を高めてまいりましたから、もう限界ぎりぎりにきているわけです。本来ですと、もっと集中して熱を出したいわけでございますが、これ以上集中いたしますと材料が持たない。いまでも、すでに御存じのように、燃料棒というものは曲がったり穴があいたりというようなことをやるわけでございますから、したがって、もはや出力密度はこの程度にして、あとはそれを大型化すると、そういう方向にいっております。この点は、表面上の主張は、二倍、三倍にするだけであって、同じようなものがただ大きくなるだけであるということになりますが、私は、これは決してそうではないと思います。これは、原子炉運転というのは非常に簡単なように見えておりますが、実は非常に複雑な状況でありまして、部分的な中性子あるいは熱の発生という問題は、なかなかこれは計算にもかかってこない。結局は経験的に炉の運転の条件をいろいろきめるというところが残っておりまして、そういうのが炉心をだんだん大きくしていけばおそらくそういうおつりになってくる、普通の計算にかからないようなところがずいぶん出てくると、私は、そういうふうに思います。そういう意味で、四十万でいったからすぐ八十万にし、さらに百十七万にするというふうな方式は、おそらくその燃料棒に対する局部的な破損あるいは中性子、熱の発生という点で問題を生んでくるのではないかというふうに私は考えております。ただし、これは、おそらくこういうのはどなたも実験でやったことがないわけですから、それこそ実証炉でそういうことが明らかになっていく。ですから、おそらく推進されている方は、たぶんうまくいくだろうということですし、私どものように心配している者は、そういうのでいきなり大型化して、しかも公衆の面前で運転するというのは危険であるという、そういうふうにいま意見が分かれているのだろうと、そういうふうに思います。
  77. 矢田部理

    ○矢田部理君 久米先生が、午前中三つの問題点を出されて一つしか説明する機会がなかったというお話もありましたけれども、その二番目の課題として出されております、なぜ原子力は特別扱いを受けているのかという問題につきまして私なりに感じておりますのは、どうも原子力発電必要性を非常に優先させて、そのことのために安全性を軽視をしておるのじゃなかろうかというような感じがしてならないわけでございます。私自身もいま、東海二号炉原子力発電所の設置が許可になったわけでありますが、その許可の取り消し訴訟を弁護人としてやっておる者の一人なんですけれども、どうも政府側の言い分を聞いておりますと、非常にこの裁判所などでも必要性を強調していますね。で、安全性につきましては、私どもの主張に対してほとんど共通なんでありますけれども、有害証明がないということを一貫して強調し並べ立てるというのが政府側の態度のように思われるわけであります。むしろ行政の基本というのは、有害証明がないということを基本にすべきではなくて、安全無害証明があることを基本にすべきだということを私たちは非常に強く主張しているわけなんでありますけれども、そういうふうな政府の考え方を推し進めていきますと、いまのエネルギー問題とか、あるいは高度成長路線を考えていった場合に、どうしても電力事情等が逼迫をしてくる、そのためには、安全性を犠牲にしても必要性を優先させて、むしろ原子力開発は必要悪ですらあるというような言い方までされているようにも思われるわけです。そういう点で、なぜ原子力は特別扱いをされているのかというようなことについて先生のほうからおっしゃりたいことがあれば最後に述べていただいて、私の質問を終わりたいと思います。
  78. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) じゃあ、時間をいただいて、午前中話せませんでしたことを少しお話ししたいと思いますが、精神は山県参考人が一番最後に言われたことと全く一致しております。私もそのことを言いたいと思っておりまして、その理由についてはむしろこの委員会などでいろいろ議論をしていただきたいと思いますが、事実だけちょっと触れておきますと、公害対策基本法というのは、これは皆さんのほうが専門でございますので恐縮ですが、昭和四十二年の八月に公害の除去のためにということで、非常に画期的な基本法ができました。そのときにどういう議論があったかということを、私国会の議事録を調べておりませんので、おそらく何らかの議論があったと思いますが、これはよくいわれておりますが、その中に放射性物質を除くという項が入っております。これがそれ以後のわが国環境問題あるいは公害問題に原子力が入ってこない法的な根拠になっております。これがどうしてできたかということを私なりに考えてみますと、やはりおそらく一つは、公害というのはいま矢田部議員もおっしゃいましたように、何か害が出てくる、害が出て初めてそれで公害になる。原子力の場合には有史以来、原子力の有史以来でございますが、人をあからさまに殺傷したことがない。これは煙突で非常に長期の危害というのは、これは明らかに出ておるわけですが、目の前でばったばったと倒れるようなあるいはぜんそくの患者が出るというようなことはない。そういうものを公害というふうに十ぱ一からげでやるわけにはいかないという、おそらくそういうことで除外されたんじゃないかと思います。  しかし、これは私の想像でありますから、ぜひこの委員会でもその当時の議事録その他で調べていただきたいと思いますが、二番目は単なる法的な問題でございまして、原子力基本法で放射能の問題についてはちゃんとやっておる、だからいまさら公害対策基本法でやらなくてもよろしいという、こういうことがおそらく表面はそういうのがうたい文句になっていると思いますが、それが根幹だと思います。したがいまして、私が具体的に経験したことでいきますと、たとえば温排水の問題でございますが、これはいま法廷でも非常に問題になっておりますが、われわれの原告団のほうからは原子力発電所から出す温排水であるから当然これは安全審査の段階で審査すべきであるという主張をいたしました。そうすると、科学技術庁のほうからの主張では、いやそうではないので、われわれが関係しておるのはその中の放射能だけである。温排水は先ほど原議員のあれに私がお答えしましたように、熱と、それから塩素と、放射能と、この三つが混然としてまじっておるわけです。住民のほうから見ると、その中の放射能だけ一人歩きしているわけではございませんから、それ全体が原子力発電所が生み出した公害として当然これは総括的に安全審査の対象になるべきである。これは最も健全な常識であるべきでありますが、それがいや放射能だけであって、温排水は電気事業法によって通産省である、こういうことになるわけです。電気事業法というものを見てみると、何も詳しいことは書いてなくて、水質について迷惑を与えないように——ちょっといま法文を持っておりませんが、非常に大ざっぱな規定がしてあって、基準のごときは何もきまっていないわけです。ですから実際上はもう全くのたれ流ししほうだいというようなことになっております。そういう状況では、とうていこれは周辺住民、その被害を、この二つを分けて受けるんではなしに、一緒に受ける住民としては、そういう三百代言的なことは通らないわけでございまして、しかし、それがいまのところは表向きちゃんとした理屈として通っております。  それからもう一つは午前中にも服部参考人や田島参考人から指摘がありましたが、この再処理工場でございますが、これはもうパンクをしているわけですね。一日〇・七トン、二百十トンと申しますと、大体経常的に動いてからの話でございますが、七百万キロワット、全体で普通の軽水炉ですと七百万キロワットの燃料を毎年処理するしかないのです。ところが安全審査ではすでに千三百五十万キロワットくらいはもう許可されているわけです。そうすると倍以上のものが行くえがないわけです。そんなばかなことはないということで、法的な根拠を調べますと、皆さんが関係しておられる公害法では廃棄物の処理及び清掃に関する法律という非常にりっぱなものが昭和四十五年の十二月二十五日に公布されておりますが、そこには廃棄物を「適正に処理しなければならない。」そして環境の浄化につとめなければならないというのがりっぱにうたわれておりますが、残念ながらその中に「放射性物質及びこれによって汚染された物を除く。」という一項が入っているわけです。で、そういうことになっておりますので、その廃棄物の第三条には「事業者は、その事業活動に伴つて生じた廃棄物を自らの責任において適正に処理しなければならない。」これはいまの化学の各産業が非常に苦労しているわけですね。工場を建てようとしても、その廃棄物の始末までしなければ許可が出ない。この公害の規制にひっかかるということで非常に苦慮して、それだけ公害対策というのは進んできているわけでございますが、一番大事な原子力だけはそれは底抜けになっているわけです。ですから電気だけはつくってよろしいが、あとは野となれ山となれということになっている。現にそれで企業の方々はどう言っているかというと、これは国が責任を持っていると、こういうふうに答えられるわけです。しかし、そんなことはほかの企業では、二の公害廃棄物の処理の法律には全然載っていないわけでして、どうしてそんな特権扱いが電力だけできるのか非常に私にとっては疑問であります。しかも政府は考えているのかということで、法廷にいろいろ資料を出していただきますと、そうではない。さっき田島参考人もおっしゃいましたように、これからすぐ始まっても田島参考人は七年とおっしゃいましたが、まず十年はかかります。そうしますと、その間、処理するところはないわけで、どうするのかというと、アメリカとヨーロッパでやってもらうというわけです。  ところが、つい先日も私のほうに——アメリカの反対、環境のシェラ・クラブその他、向こうの代表的な環境団体五つが集まっていま裁判闘争を起こしておりますが、そこから連絡がまいりまして、聞くところによると、アメリカ日本燃料、濃縮ウランを提供するかわりに使用済み燃料処理日本で引き受けるというような協定を結んでいるといううわさがアメリカで広がっているがほんとうかと、そういう問い合わせがきました。自分たちとしては、よごれものを持って帰ってくるということについては、いま現在法廷で争っているからということで、私たちのほうも若干資料を提供しておりますが、アメリカ国内では自分たちのところで再処理処理さえ、先ほどもどなたかからお話がありましたが、非常にいま困っているわけです。これは環境の汚染の最大の難物になってきておりますから、アメリカのものだけでも精一ぱいなところに日本のものを持ってくるという余裕はないわけであります。で、ヨーロッパといいますが、これはいまヨーロッパにも再処理工場をめぐる反対運動が非常に激化していっておりまして、私のところへ伝わっている話では、ドイツあたりでも特に強い突き上げがあって、ドイツの原子力委員会でも絶対自国の使った燃料以外は自分の国ではやらせないという約束をその運動に対してやっているという情報が入ってきております。これは当然でありまして、そういういいところだけ使って、よごれものを外へ持っていくというようなことはますます今後許されないはずでありますが、それを何らの確約もなしに、そういうアメリカとヨーロッパでやる、これを原子力委員会が認めているというような状況なのです。こんなばかなことは、ほかの産業ではあり得ないことが堂々と行なわれている。これは公害の基本法から原子力を除外したということの非常に端的な例であろうと思いますので、ぜひこの点は、どうしてそういう例外になったのかということを見きわめていただきたい。  で、非常にはっきりしておりますことは、アメリカ日本も通じてですが、原子力は非常に危険なものであります。普通の企業のように一企業主にまかせないので、国が責任を持ってリードしてやっていくということがございますので、それでこういう特権扱いがされてきたんだろうと思いますが、アメリカ国内でも、もはや原子力のよちよち時代は過ぎたと、これ以上やるんであったら、企業みずからが自己の責任でその問題を処理しようということで、今回の原子力委員会の改組その他も行なわれたというふうに聞いておりますので、ぜひ日本の場合もそういう点を議会でもう一度振り返って議論していただきたいと、それが私のお願いであります。
  79. 矢田部理

    ○矢田部理君 時間がきたようでありますから、終わります。
  80. 久保亘

    ○久保亘君 私は、先ほどの質問の中で、一〇〇%の安全性を求めるということなどが、安全性についての地域住民国民のコンセンサスを得ることを非常に困難にしてくるのではないかというようなお話もありましたので、先生方にちょっとお尋ねしたいと思うんですが、原子力の場合には一〇〇%の安全性を住民の側が求めるということは、原子力の性格からして当然のことなんでありますが、しかしそのことが科学的に非常にむずかしいとしても、安全審査の体制というのは、今日の科学技術立場から見ましても、また行政の機構、運営の立場から見ましても、一〇〇%の体制がとられなければならないと考えております。  そういう意味で、十月の十八日に原子力委員会環境・安全専門部会が提出をいたしました報告書によれば、安全審査体制がたいへん不備であるという意味のことが報告されておりますが、今日わが国原子力に関する科学技術上の立場から、また原子力行政立場から安全審査に対する体制は十分な状態にあるのか、あるいははなはだしくその点においてはおくれておって、改善せらるべき問題が非常に多く内在しているのか、その点についてはそれぞれ御専門立場からどのようにお考えになっておられるのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  81. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) どなたに。
  82. 久保亘

    ○久保亘君 できればみんなから聞かしていただきたい。
  83. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) 参考人の方で御意見ございましたらよろしく。
  84. 田島英三

    参考人(田島英三君) 一番先にそれでは口火を切らしていただきます。  結論的に申しまして、私はいまの安全審査の体制は十分ではないというふうに考えております。その理由はどういうことかと申しますというと、いろいろございますが、一つは、安全審査で基本設計というものをやることになっております。その基本設計は何であるかということは議論の余地があるわけですが、それはそれとして、基本設計が安全審査を通ったあとは、それぞれの施設によって監督官庁に移りまして、設計段階の審査を受けるというふうなかっこうになっておりまして、たとえば原子力発電ですというと通産省にいくし、御承知のように船ですと運輸省にいくという、その安全審査の設計段階までの、詳細設計段階までの一貫性がないという点が一つあげられると思います。それからもう一つは、いま安全審査をやっている方がどういう方がやっているかと申しますというと、大学の先生とか、研究所の研究員の方が、言うならば本職が別にありながら片手間にやっているという状況であります。あれだけ複雑な大がかりな審査を片手間というか、本職を別に持ちながらやるということができないことはもう火を見るより明らかなんですが、中立性を尊重するためにそういう体制をとっているんだという言いわけがあるわけですけれども、私はそうは考えないので、別の方法をとるべきであるだろうと思います。で、そういう結果どういうことになっているかと申しますというと、安全審査に対する責任の所在がきわめて不明確になっている、そういう結果が出てきておりまして、「むつ」の問題でいまさら申し上げるまでもないわけですが、どこに責任があるかが非常に不明確になっているのは、実はその体制にぼくは問題があるからだろうと思います。  さらに私の意見を申しますというと、今後、いろいろ現在計画されている発電所その他再処理施設、それから原子力船もそうですが、いろいろ問題があろうかと思いますので、これはとても片手間でやれるような仕事ではないと思いますので、これは行政ベースで私はやるべきである。行政べースで安全審査を専門にするスタッフを持ちまして、それがやるべきである。そこで、従来の大学の先生その他いわゆる中立的な方の審査は、その審査をチェックする、行政べースでやる審査をチェックするという、いわば二重チェックのかっこうで安全性を確認するというふうなやり方でないと、今後はやっていけないであろう。したがって、その責任はやはり行政ベースである政府の責任において安全審査をするというかっこうでないと、今後の責任の所在も——片手間になっている方にあれだけの重い責任を持たせるということそれ自身が私は非常にむつかしい話であろうと思いますので、私はそういう意見を持っております。
  85. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 私は少し田島参考人とは違った意見を持っているのですけれども、特に「むつ」の問題なんかが出てからは、審査の体制を強化するという話がよく出てまいりますが、私はだいぶ疑問があります。  一つは、この「むつ」の事件がどうして起こったのかということで、現在まだ勉強中でありますが、ここにおられる角田参考人のおられる研究所で遮蔽実験が行なわれたわけでありますが、その報告をずっと調べてみますと、非常に不十分なんですね。で、それの原因は、もちろん個々の研究者の責任というのもこれは免れないと思いますが、やはり全体としては、その報告書の最初に書いているのですけれども、テストに使ったJRR4という原子炉、これはこのためにだけつくった原子炉でございますが、それの建設がおくれた。ところが、原子力船は昭和四十二年の何月何日にもう最終設計をやらなければならない、その要請は動かせないというふうに政府からは言うてきておる。したがって、実験期間が両方からはさまれて短くなってしまったので思い切った実験ができなかったというふうに書いておられます。これは内容的に見ましても非常にお粗末であります。すでに現在問題になっております、あの十数センチのすき間からかなり強力な中性子の束が出てきておるということは、実験データから見て非常に明らかであります。にもかかわらず、その点についての注意がほとんど払われずに最終報告書がまとめられておりまして、これはおそらくそういう詳しいいきさつは書かれなかったと思いますが、日本のいまの安全研究実態を余すところなく示しているというふうに私は思います。先ほど角田参考人のほうからも飛躍的な安全研究の強化というふうに提案された内容一つに、おそらくそういうものも入っておると思います。  私は詳しく原子力研究所の内部は知りませんけれども、あの原子力船にとって致命的とも言える遮蔽材の設計、実験がああいう雑なことで終わっておるということを見ると非常にうすら寒い感じを覚えます。したがいまして、そういう技術的な準備を欠いたままで、先ほどの議員の方のおことばを返したら悪いですけど、技術は情けなくっても安全体制はできるだろうというのは私はちょっと疑問があります。で、もしもそういう基礎的な安全研究をおろそかにして、強化、強化ということになりますと、これは頭でっかちな官僚組織をつくるばっかりでありまして、いかに専従者を配置し、行政レベルでそういうことを行なうようなたてまえをいたしましても、これは魂が抜けておりますから、必ずもっとひどいミスをやる。ますます国民からとってはわけのわからぬようなお城ができてしまって、いまですと、まあ言っちゃ悪いですけど、あまり高いレベルでございませんから、私たちのようにちょっとしろうとの皆さんより少し知識がある者が見れば、安全審査が非常にずさんであるということはよくわかりますが、お城のようなものができてしまいますと、その内部を探るのにたいへんなことになって、これは国民にとってはたしてプラスかどうか私は非常に疑問であります。ですから、そういう日本原子力をほんとうにやるんだったら、私は非常に消極派でございますが、もしも国の方針としておやりになるんでしたら、安全審査の体制だけをやたらと頭でっかちのをつくるというようなことでなしに、やっぱり全体の哲学、安全哲学というようなものを確立されて、それに応じた諸施策というものを一緒にやらないと、おそらく実はあがらないと思います。で、ほっておきますと、役所の定員争いのようなことでこの劇は終わるのではないかというふうに私は案じておりますので、そんなに一年や二年で何か局長の数をふやしたら解決するというような問題で私はないと思うんで、この点は角田参考人その他の実際いま研究所でやっておられる意見も十分聞いて、誤りのない方策を打ち出していただきたいと、私はそう思います。
  86. 角田道生

    参考人角田道生君) いまの問題で安全審査体制の強化ということはもうだれも言っているという時代になってきていると思うんですが、その内容を、先ほど新聞に報ぜられた原子力委員会内の環境・安全専門部会というところで出しました報告書によりますと、大きくいって三つ強化しようといっているようであります。一つは専任の原子力委員を置くということであり、一つは関係省庁間の連絡を整備、緊密にするということ、それからもう一つは安全専門審査会の補佐機能を行政的側面からと、それから必要な計算とか、それから特定の実験というものを業務的に遂行していけるような研究機関と、こういうたてまえで強化していこうという話かと思うんです。私その前に、それだけやって、たとえば安全専門原子力委員の発言が原子力委員会の中においてどれだけ重視されてくるのかということがなければ、それがあってもあまり意味がないと。むしろ問題はやっぱり原子力委員会態度がどう変わってくるかというところに非常に大きくかかっているというふうに思います。これは言ってみれば国の原子力の基本方針の問題であります。この基本方針の問題で私は先ほど午前中の発言でも申しましたが、その点とあわせまして、やっぱり二つ大きな問題があると思うんです。  で、第一点は、たとえば現在の安全審査で国民の合意がなかなか得られないと、批判があがるということの大きな一つは、何かだいじょうぶだ、だいじょうぶだと言っていて、アメリカでもって何か事故があったとなるとばたばたっとなって、日本調査団がアメリカに行くという繰り返しがあるというところで、自主的な研究ということに対する不信感ですね、これが非常に強いと思います。しかし、このことをある意味でいえば日本のたどってきた原子力開発の道そのものが現実にそのアメリカ技術等に徹底的にたよるということでありましたし、それからもう一つは、たとえば日本の原発でもいろいろなトラブルが発見されてくると、いまひび割れの話とかいろいろな話が出ています、こういうふうな諸データが、これは私一番完備しているのは、GEとウエスチングにそれは一番肝心なところはみんな送られているであろうと。で、GEとウエスチングハウス、これは一つの会社の例でありますけれども、ここではそれぞれPWRとBWRを分割して、それぞれの全世界のデータをおそらくコンピューターにファイルしている、これは非常に詳しくあれされている。で、原子力委員よりも詳しい。比較的知ってるのは現場の人と、現場で事故に実際に、あるいはトラブルの対策に当たっている人、それよりも詳しいのがそういう諸データが日本その他からも全部集まってくるアメリカであろう。したがって現在の開発の、新しい型の原子炉の開発も含めた原子力開発の計画自体をほんとうに自主的なものにしていくということがない限り、ほんとうの安全審査はやっぱりできないのじゃないかというのが第一点です。  第二点が、現在の安全審査ですと、たとえば何々町に置く、ここで周辺何キロは人がどうでという審査やりますけれども、日本全体でほんとうにエネルギーが要るとすれば、どうしても要るのだとしたら、その町を、申請してきたところだけを見ることでいいのかと、たとえばAというところをBというところと、どっちのほうがいいのかという審査はこれはできないわけです。あるいは言ってみればAという方式の原子炉とBという方式の原子炉、どっちがいいのかというのはできない。申請されてきたものに対して、これはオーケーか、だめか、それ以上の勧告をしないという形になっているわけです。ここで一番問題なのは、原子炉原子炉一つだけで機能を果たし得ないものである。午前中から全先生方がおっしゃっていたやっぱり一つのサイクル、そのサイクルの中にはいわゆる死の灰という放射性物質がもうついて回って、それが至るところで環境へのインパクトを与えている、しかもそれは非常に長期のレンジで見なくちゃならぬと。こういう全体系をどうするか、そういう全体系の中でこの原子炉をどこにどんなふうに置き得るのか、こういう安全審査がやっぱりできるようにならない限りは、個々の原子炉の安全審査について幾ら洗練された技術ができても、これは私は安全審査にならないというふうに思います。
  87. 服部学

    参考人(服部学君) 私は多少立場が変わりまして、たいへん小さい原子炉でございますけれども、安全審査の書類を提出したことのあるという立場から少し意見を述べさせていただきたいと思います。  やはり原子炉を建設したいという場合には、安全審査の設置許可申請書を出すときに、どうしてもやはりできるだけ安全であるということに重点を置いて書きたくなるのは、これはもう人情だろうと思うわけでございます。ですから、いろいろな安全審査の書類、各地の原子炉を比較してみますとたいへんおもしろいですけれども、たとえば地震、耐震性の問題、自分の地域はこれは過去何十年間地震の起こった頻度が非常に少ないのだということをお書きになるところもあるかと思うと、場合によってほかのところでは、自分のところは小さい地震は起こっているけれども大きい地震は過去何十年起こったことがないとか、やっぱりそれぞれの地域で何とか自分のところが非常に安全なところであるという説明を出そうとする、これは人情だろうと思うわけなんですが。  そこで実は私の場合に感じますことは、百キロワットといったようなたいへん小さい研究用の原子炉、それから何百万キロワットといった大きな発電用の原子炉、これが安全審査もそれからその後の運転の管理、規制ということもほとんど一本の法律で行なわれている、多少は付属した法律は違いますけれども、基本的には原子炉規制法という一本の法律で行なわれている、ここにやはり少し無理があるような気がいたします。小さな原子炉に発電炉と同じような規制をしてくるために実情に合わないような規制というのが大きく加えられてみたり、逆に発電炉の場合に、こんなところが抜けているのかといったような気がする点がございます。やはり発電炉みたいな非常に大きなものではだいぶ話が違ってくるという気がいたします。しかもその場合に日本のこれまでの安全審査、先ほどもほかの参考人の方もおっしゃいましたように、自主的な立場からの安全審査ではなくて、あまりにもアメリカでこうだった、アメリカでこうだったということだけが判断の基準になってきている。たとえば緊急冷却装置ECCSの問題にしましても、あるいはひび割れの問題にしても、アメリカで問題が起こったから日本で調べ直してみるという例があまりにも多過ぎる。つまりほんとうの意味での日本の自主的な安全研究、安全開発というものが進められていないということに欠陥があると思うわけであります。たとえばひび割れの例、先ほど浜岡の原発のひび割れの例が話に出ましたけれども、超音波探傷の技術などというのはそれほどむずかしい技術ではないと思うんです。これはまたそんなにお金のかかることでもないはずです。これは向こうで、ドレスデンで問題が起こらなくたって建設の段階でやってみて、電力会社自体がおやりになってみてしかるべきことだったんではないだろうか。おそらく水を抜いて、燃料を抜いて、それでまた配管をやり直してということになったら、何億とか何十億とかいう単位のお金がかかることだと思います。超音波探傷器で前もってチェックするというのは、それと比べたらはるかにけたの小さいお金で済むことだっただろうと思うわけです。経済的な問題からいいましても、もっともっと日本独自の立場でやれるべき問題というものをきちんとやっていくという姿勢、それが欠けていたんではないかという気がするわけでございます。あくまでも自主性ということが非常に大事だろうという気がいたします。  それからもう一つ、安全審査の中立性というお話が先ほど出ましたんでそれに触れさせていただきたいと思うんですが、率直に申しまして、これまで安全審査会のメンバーの先生方にやはり問題がなかっただろうかという気がいたします。と申しますのは、いろいろな発電所建設や何かで問題が起こったときに、安全審査会に関係しておられる先生方が直接、この原子炉は安全審査を通ったからだいじょうぶであるとか、あるいはこの原子炉というものはもともと安全なものであるとか、そういった立場で一生懸命安全性のPRをつとめてこられた、はたしてこれがほんとうの安全審査の中立性と言えるかどうかということを私かねがね疑問を抱いていたわけでございます。今度「むつ」の問題が起こりましたら、とたんに、安全審査というのは単に設計の基本方針をチェックするだけであるというふうに安全審査会の会長がこの前国会でも話しておられます。それならば今後は少なくとも安全審査会に関係した先生方が、安全審査を通っているんだからだいじょうぶであると、安全であるといったような発言は厳に慎んでいただきたいし、またこれまでそういった安全審査をやってこられた、安全だ安全だと言ってこられた先生方はやはりその責任というものを考えていただきたいという気がするわけでございます。
  88. 山県登

    参考人(山県登君) 午前中に私が申し上げましたように安全の問題には二種類ありまして、原子炉工学上の事故につながるような問題と、もう一つ環境放射能の安全ということで、原子力委員会環境・安全専門部会というところで、すでに先ほどお話がございましたように結論が出ております。私の分野は環境放射能の関係ですので環境安全のほうのことをちょっと申し上げたいと思いますが、先ほど申し上げましたようにバックグラウンドというのがございまして、放射線の場合は一年間に百ミリレム、つまり〇・一レムですが、それから亜硫酸ガスの場合に〇・〇〇〇三PPMと、現在の環境基準がこれの何と百倍のところに引かれております。それで現在の亜硫酸ガスの規制値をちょっとこえますと、気道抵抗の増加というようなことで、客観的に少しからだのぐあいが悪くなったなということをお医者さんが見つけることができるその線ぎりぎりのところできめられております。それに対しまして放射能のほうは大体二十五レムというものを一ぺんに浴びれば白血球が減少するということを客観的に調べることができるわけなんですけれども、現在目標とされています環境被曝といいますのは、何とバックグラウンドのさらに五%というほんの、きわめてきびしい、亜硫酸ガスと比べますときわめてきびしいところに目標を持って運転されるということでございますから、これをただ比較しただけでもきわめて安全であるということが言えるわけです。それからもう一つは、なるほど二十五レムとか百レムという大量を浴びれば確かにある種の病気が出るということがわかっておりますけれども、低いほうはわかりません。そこで約束をいたしまして、ゼロまで直線的に放射線影響が出るんだという約束をいたしまして、計算上何ミリレム被曝すればこれだけ病人が出るはずだということで計算をいたしますと、ただいま申し上げましたようにバックグラウンドの五%や一五%を増加したために一体どれだけ病人が出るか、仮定の上に立っての計算ですけれども、これは一千万人に一人とか二人とかいうきわめて小さな数字になります。したがって、私、環境放射能というものに関する限りは安全であると言えますが、ただし一つだけ条件がございます。それはなるほど目標値を目がけて運転をするわけですけれども、実際にそのとおり運転されているかどうか、環境の監視をすることが必要になります。しっかりした環境モニタリングというものをやっていくという条件つきで私は安全であると申し上げたいのです。  若干これにつけ加えますと、それではしっかりした環境モニタリングというのはどういう立場でやれば住民が信頼してくれるかといいますと、まあ施設者あるいは科学技術——開発を進める立場の科学技術庁という立場で幾らやっていますと言っても住民は信頼しない。したがって、どうしても地元の住民の信頼を得るようなところで監視をしなきゃいかぬ。それはどういう場所か、まあ現状ではおそらく県あたりになるんではないかと思いますけれども、そういった全然別個の立場で、科学技術庁や施設者というものとは離れた第三者の立場環境モニタリングをしっかりやる、こういう条件づきで私は環境放射線については安全だと申し上げたいと思います。  以上です。
  89. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 最後になりましたけれども、安全審査の体制ということとそれから安全の問題ということはやはり完全に分離できる問題ではないわけでございます。しかし安全にいまの原子炉がなっているかどうかという点と、それとともにそういうことが国民の同意を得ているものかどうかということは田島参考人も言われたように別の問題だと思います。別と申しますのは、非常に関連がありますけれども、これをよく説明し、よく理解国民にしてもらうという手だてを、安全だから一々詳しい説明をする必要はないというような態度では全く話にならないものだと私は考えております。そういう意味で、まず原子炉が安全であるかどうかという問題も体制と切り離せないという意味で、多少時間をとらしていただいて私の考えを述べたいと思います。  一つ平常運転環境に対する放射線の問題、これは全く私の考えていますことをたまたま山県参考人が言われました。私はこの問題については実質的に十分安全は確保できるというのが原子炉の安全の問題と思います。しかしこの表にもありますように、発電所平常時の運転における安全はこれはどなたも御納得いただけると。私はここにいらっしゃいます参考人方々も、再処理の問題とか将来の廃棄物の処理の問題が片づいていないという点の御指摘はございましたけれども、発電所自身について日ごろの運転というものについて特に強い御意見もなかったかと思いますが、私は日ごろの発電所運転については十分いけているものである、もちろん十分いけているからといってここで安心すベき問題ではなく、常に監視が必要であり当事者並びに監督機関あるいはその地方行政機関というものが十分にこれを慎重に育成していくというのは当然の条件でございます。  第二番目の、発電所運転を行ないますと潜在的にきわめて危険である放射能原子炉の中にあるいはそれを再処理しますところにおいて蓄積していく問題というのは見のがせない大きな問題でございます。確かに使用済み燃料を再処理いたします段階で第一回目に発生します放射能と申しますのは、ほとんどの発電所でできました放射能燃料体の中にあり、それを処理するわけでございますから、そこで燃料体から大量の放射能の分離が行なわれるわけでございます。この放射能を確かに最終的に処分する、あるいは最終的に処分する方法に適した処理技術というものは世界的に見ましても現在開発段階中であるということは事実でございます。しからばそういうものの技術が完成しなければ、できました放射能というものがそのまま環境に飛び出していくものかということとは全く話の違うものだと考えます。もしもわが国であるいは世界的にエネルギーというものの危機がないならば、そういうものを全部完成してからその技術にいどんでいけというのは当然のことでございます。私ももしエネルギーというものが必要ないならば——先ほどからエネルギー必要性がよく強調されるというお話がございました。私はエネルギーの必要がなくてなぜ原子力をやるか、当然原子力開発をする人がエネルギー必要性を強調されるのはあたりまえのことだと思います。そういうことがあった後に初めて潜在的危険であるけれども原子力を選ばざるを得ないというのがわれわれ人類の、あるいは特に日本の宿命だと私は考えています。  そこで、あそこにはいろいろ赤い字や黒い字でりっぱな絵がございますが、あれを使わしていただきますと、発電所の中でできました放射性廃棄物、死の灰あるいはプルトニウムというものにつきまして、まずできました放射能というものを環境に出さずに、これはごく微量の話は、量的な問題は別にいたしまして、本質的な話でございますが、これを環境に出さずに処理できるかということに対して、処理技術はまだできておりません。しからば保管できるのかどいう点だと思います。私は保管は十分に行ない得ると。ただし、保管でございますからそれに管理面が伴わないとあやまちを起こします。角田参考人も言われました、アメリカで原爆製造のためのハンフォードのリアクターからできましたものをステンレスのタンクに長い間ためていた、もちろんステンレスでございますのできわめて腐食に強いものではあったでしょうが、中に入っています廃液といいますのは、燃料自身も溶かすような酸並びにアルカり性、あるいは酸性というものが入っているわけでございます。したがって、こういうものが漏洩がないような十分な設計は行なわれるとともに、きわめて大事なものはそれの監視でございます。液面の高さが減るか減らないかという監視はあったけれども、それに気がつかずにかなりの期日がたってからわかったというお話でございました。非常にこれはとうとい経験だと思います。そういうことで、一つのものをつくりますときにそこで考えなければならないのは、一つのタンクがこわれたときにそれに対する対策がとられているかどうかということだと思います。ハンフォードの例を考えますと、ステンレスのタンクは一重のタンクである、レベル計はあったと。こわれてからわかるわけです。環境にものが出てからわかるはずでございます、レベルが下がったということが。それも気がつかなかったために一週間でしたか、六十日でしたか数字は忘れましたが、あったと。これに対して私が申したいのは、こういうものの保管方法は、たとえばタンクを二重にする、そして一重のタンクに怪しいという、監視によってそれがわかりました場合に、それをさらに新しいタンクのほうに移していくというようなことを、十分な管理をすることによって大量の放射能というものの環境への放散ということがとめ得るものだと考えています。  それから二番目の原子炉事故に対する考え方といたしますと、設計は十分にし、当然の話でございますが、それとともに監視が非常に大事である。この監視といいますのは、使っています段階、あるいはつくりました段階での十分な管理と、思ったとおりのものができたかどうかという監視のものと、それから長期間にわたりまして、たとえば年に一度ずつとめて重要なパートを確かに健全性が保てるかどうかということを監視していくことが必要と思います。しかし、いまの安全の設計のフィロソフィーは、そういうことに無関係に、頭の中でものがこわれたときに公衆に対する安全が保てるような装置を持たすかどうかということに進んでおりますし、私はそういう意味におきましては、安全上の問題は内容をよくそのまま国民皆さんが見ていただきまして、他の一般の社会現象あるいは社会活動というものと比較をされることによってアクセプタンスが得られるのではないかと考えております。  それから次に安全審査体制の問題につきましては、田島参考人の言われました意見とほぼ同じ考えを私は持っております。と申しますのは、まず第一にわが国の安全審査で多少形式的な面で皆さんが誤解を招いておられるんじゃないかと思いますのは、原子炉をつくる前にすべての安全審査が公的には終わっていることになっています。しかし、そこでなされますことは、基本的な設計であり、それがその基本設計の範囲を越えずに実際上でき上がりつつあるかどうかというのは安全審査を終えた後の段階、発電炉につきましては通産省がステップ・バイ・ステップで見ており、しかもいきなりでき上がったといって一〇〇%の出力を出すわけではございません。わずかな出力から順次テストをしてみて、最後にすべてテストも終わり、初めの基本構想どおりにでき上がっているということで正式の許可が出るわけでございます。ところが形の上では安全審査で設置許可を与えております。この点は実質的にはそういうものが済んだ後についても各工程工程、あるいは試験工程で全部済んだ後に運転の許可が得られるわけでございますが、この点、アメリカの場合ですと、初めの建設していいよという場合には建設認可ということばを使っております。すべての試験が終わった後に初めて運転許可が出てます。日本の場合に、許可という字が先にきていますために誤解を生まれているんじゃないかと思いますが、そういう意味において、しかも安全審査が済んでから主管事務局が、たとえば発電炉の場合には科学技術庁から通産省にかわるという点で外見的にきわめて途中で継ぎはぎみたいに見れるかもしれませんけれども、実質的には安全審査の段階から通産省もこれにタッチしております。また、安全審査の先生というのが発電炉の場合には、通産省の何か顧問会の先生もしておられて見ておられるということで、実質的には一貫性を保っているとは思います。しかし、やはりここできわめて大事だと思いますのは、責任の所在がそうなると明確でないという点です。しかもこういう問題を経験あるいは知識を持たれた中立的な先生方といわれるのがやはり大学の先生であり、研究所の先生であるという方が、やはりこれはどこまでもアドバイザリーコミッティーと申しますか、行政機関ですべての審査を一貫して行なわれ、これに対するさらにチェックという体制になられるという田島参考人意見とこの点は全く私は同じ意見を持っております。
  90. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) 質問者の時間がありまして、簡単にお願いしたいと思います。
  91. 服部学

    参考人(服部学君) ただいま板倉参考人の御発言の中で、発電所の日常運転に問題がないという点についてはここの参考人だれも異存はないという意味のことを発言されましたけれども、私はそうは思っておりませんので、念のために一言言わせていただきたいと思います。少なくとも、たとえば一例をあげますならば、現在の原子炉燃料製造技術というところにはまだまだ問題があると、現に燃料でいろいろの問題がわが国の場合でも起こっているということだけ一例を申しあげておきたいと思います。
  92. 久保亘

    ○久保亘君 いま私がお尋ねしようと思いましたことは服部参考人がお答えになりましたので、その点はそれでよろしいんですが、久米先生に先ほど私が申し上げましたのは、安全審査体制の中にいまの日本原子力に関する科学技術上の水準が一〇〇%生かされるようになっているのかどうかということをお尋ねしたんで、審査体制のほうを一〇〇%固めればそれでよいのだという意味でお聞きしたんではないんです。
  93. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) ああそうですか。どうも失礼しました。
  94. 久保亘

    ○久保亘君 それで、その点から重ねてお尋ねしたいんですが、いまの原子力に関する科学技術の水準からいきました場合には、今日日本の行政が求めている原子力発電所とか、あるいは原子力船とか、こういうものは安全審査の体制を技術的に行政的に可能な一〇〇%の段階まで固めても、これはやっぱり問題が残るのであって、一定のもの以上については現在の水準からするならば、開発そのものが現在の段階では不可能である、安全性の上から見れば不可能である、このように考えられるものなんでしょうか。
  95. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) それはおそらく結論になりますから、皆さんによって違うと思いますが、私はいまの経験からそういうふうに思います。それは一、二の例をあげたらいいと思いますが、一つは、何べんも出して恐縮でございますが、関西電力の方には申しわけありませんが、美浜の欠陥炉、これはもう非常に重要な例でありますから、ぜひいろいろな観点からその問題点を「むつ」と同じように研究していただきたいと思いますが、あれなんかも安全審査委員長が議会で証言しておられるところによると、あんな大型の蒸気発生器をやったことがなかったのに、未経験であったと、こういうふうに言っておられます。これ議会かあるいは新聞の談話か、私は非常にそれでりつ然としたわけですが、まあ百歩譲って、それであったとしても、おととしの六月に穴があいたということがわかったわけですから、私らだったら普通の科学や技術の常識だと、まずとめて、それで何にもあんなものは、危険な死の灰を含んだもので実験しなくても同じようなものを——それはお金かかると思います。数十億かかると思いますが、原子力研究所なり、あるいはどこかの研究所にそれをつくって、それで放射能が入っていないので実験は十分できるわけですから、それで原因を確かめるということをまずすべきです。人間ですからそれは誤りはありますから、誤りがあったらその原因をさがして、再びそれをやらぬようにするというのが、これは科学や技術の常識なんで、ところがそれをそうしないで、何かかんか理屈をつけて、いや、あれはちょっと工作上のきずがあったんではないかとか、いやちょっとしたできそこないであったとか言うてやってしまうわけです。そうすると非常に大事な技術上の本質を、そこへ自然の神さまが見せてくれているのに、それに目をつむるわけですよ。これは科学技術にとってもう一番間違っています。こんな者は幾ら原子力専門家といったって風上に置けないと私は思うんで、そういう態度でやるから次の三月になったらまた穴があくわけですよ。そうすると今度は、いや温度がちょっと高過ぎたとか、また理屈をつけてまたやるわけです。そうすると、その次の八月にまた、これ、とまる。こんなことはさまっておるわけですよ、これ科学や技術の常識では。それをそうしないで、原子力というのはアメリカでやっているから安全なはずである、日本だけつぶれるのはおかしいというのは、これは迷信ですよ、こんなもの。そういうものをたよりにして、非常に危険な三十四万キロというのをあの美浜の人口密集地帯のところで運転しようというわけですから、そういう精神の持ち主は、私は原子力の開発をやってはいかぬと思います。  この辺はあまりいまの技術がはたしてたえられるかどうかというのは、これは議論としては非常におもしろいと思いますけれども、私自身は非常に現実派といいますか、経験主義的な男ですから、いままで自分が四、五年の間に経験してきたことの中からは、先ほど一番初めに申しましたように、いまの少なくとも推進しようとしておられる方々の能力はないと私は思っています。しかし、それは個個の人が頭が悪いとかどうとかいう問題でなしに、さっきからるる言っておりますように、全体がそういう一つの大きな迷信の術中におちいっているからだと思うので、そういう例を——「むつ」の場合もそうです。これは先ほど委員のほうから一〇〇%はだれも求められないとおっしゃいました。それは私もそうだと思います。私たちもそんなことを言っているのじゃなしに、あの「むつ」は一〇〇%じゃないんです、あれは。〇%です、あれは。何にも得るところがないわけでして、あんなことが安全だと言うて、大臣が先頭に立って言うような状況がむしろ非常にこれ背筋が寒くなるような思いをするわけでございまして、ああいう例が至るところにある。パイプにしても、いや、なにたいしたことない、きずである、通産省の方おられて恐縮ですが、あれは事故扱いにしない、事故ではないというわけです。ぼくはこの辺が、まあお役人だからやむを得ないと思いますが、私たちのように科学技術を多少とも経験している者にとっては非常に傲慢な態度です。自然に対して傲慢にふるまった科学技術者というのは必ずこれは失敗します。あくまで謙虚に自然が見せてくれた事実にどれだけわれわれが真剣に取り組んでいくかということ、科学技術それしかないわけでございまして、そういうことの積み重ねがない限りはおそらく私は不可能だろうと思う。だから、あまり一般的に日本のいまの段階でやれるかどうかということはお答えしにくいと思いますが、私の経験からは少なくとも当分の間は絶望ではないか、あせってやられればやられるほど最後は国民全体にとって取り返しのつかないようなことが起こるというふうに私は思っております。
  96. 久保亘

    ○久保亘君 私の時間がもうほとんどありませんので、あと少しだけお尋ねしたいんです。  服部先生にお尋ねしたいのは、一つは、先ほど板倉参考人のほうから使用済み燃料の再処理について、その処理技術は開発の段階であるが、これを、処理はできなくても保管をすることは可能である、こういうお話がございました。そのことは、もちろんこの原子力の利用の段階においても御意見が違うことはわかりましたけれども、そのあとの再処理段階においてこれが可能かどうかという問題は開発に関して非常に大きな要素になっていくだろう、こう思いますが、その点については板倉参考人との間に、お考えは大体同じようなことですか、違いますか。
  97. 服部学

    参考人(服部学君) 簡単に申し上げます。  私は、処理というのはある程度はお金をかければ可能だと思います。たとえ処理ができても、処理したあとそれをそれじゃ一体完全に保管できるのか、そこにむしろ問題があると思います。板倉さんは処理は開発の段階だけど保管は可能だとおっしゃいましたが、私は処理はいずれ可能になると思いますが、保管は困難だと思います。そういう意味では全く逆だと思います。
  98. 久保亘

    ○久保亘君 それからもう一つ先ほどのお話で服部先生のお話だったと思うのですが、クリプトン八五の問題をお話しくださったのは先生でございましたですね。クリプトン八五については原発周辺のモニタリングステーションのメーターでは測定されておらない、こういうお話でございましたが、これは測定が不可能なのか、そういうモニタリングステーションにおいては。あるいはそれを必要がなくてやっていないのか。そればどちらなんでしょうか。
  99. 服部学

    参考人(服部学君) クリプトン八五というのはガンマ線も多少は出すんですけれども非常にわずかで、ほとんどがベータ線という放射線を出しております。したがって現在モニタリングステーションというようなところでは主としてシンチレーションカウンターを使っておりますが、これはガンマ線に感ずる機械でべータ線をはかるのは非常に困難なわけなんです。そういう意味でほとんどはかっていないというふうに申し上げた次第でございます。また非常に全体としての濃度が薄いわけですから、クリプトン八五の濃度を測定するという技術は実はたいへんむずかしい技術でございます、率直に申し上げて。
  100. 久保亘

    ○久保亘君 それから山県参考人にお尋ねしますが、先ほど放射線被曝線量の基準の定め方というのは、これはある仮定の上に立った一つの基準を定めざるを得ないというお話でございました。ところが、今度原子力委員会環境・安全専門部会が出しましたあの報告書では五百ミリレムから五ミリレムに、百分の一に下げるように提言をしていると報道されておりますが、この点についてはどのようにお考えになっておりますか。
  101. 山県登

    参考人(山県登君) 午前中の参考人どなたかのお話にあったと思いますが、五百ミリレムという線は国際放射線防護委員会一般公衆に対して利益と損失を考えた場合にここまでは被曝してもいいでしょうと、そういうことできめた線でございます。それで、しかしもう一つの国際放射線防護委員会考え方として、放射線先ほど申しましたように、一つの防護のための仮定をして、どんなに少量でも、小さいながらそれに相応する害があるという仮定のもとに立ちますと、不必要な放射線には少しでも当たらないほうがいい、つまり、なるべく低くしなさいというもう一つの原則がございます。そこで、新聞報道等によりますと、五百という線が高過ぎるから低くしたんだと、こういうふうにごく簡単に言ってしまわれているようですけれども、実は五百という線と五ミリというふうな新しい線とは全然考え方が違いまして、五ミリというのは、五ミリにしても軽水炉は運転ができるんだから、これを目標にして環境がその五ミリをこえないように、これを目標にして運転をしなさい。といいますのは、実は住民が被曝するのは何も軽水炉だけではございませんで、そのほかさまざまなものを一応考えておかなければなりませんから、そういうものを全部足しても五百にならないと、この線は一向に変わっていないわけです。五ミリとか十五ミリとかいうのは施設が運転をする一つの目標値であって、いわゆる環境基準というもの、考え方ではないと私は理解しております。
  102. 久保亘

    ○久保亘君 最後に田島先生に、この報告書の中にも、現在の体制では審査に当たる職員が少なくて必要なデータも十分集められない、こういうようなことが述べられておりますが、安全審査官、十五人と聞いております。これは原子力を開発している諸外国の実情と比べました場合にはかなり大きな差があると思うんですが、それらのことも念頭に置きまして、できれば先生が原子力委員を辞任をされましたそのほんとうの理由を直接先生からお聞かせいただきたい、こう思っているわけです。できましたら、少し現在の原子力行政についてあるいは原子力委員会の運営などについて、先生が辞任されるに至りましたその辺の事情について、原子力委員会の運営などの基本に関する問題点でもよろしゅうございますから、お聞かせいただければと思います。
  103. 田島英三

    参考人(田島英三君) 御満足なお答えをできるかどうかわかりませんですが、初めての問題ですけれども、これは私の知っている限りでは、諸外国の原子力委員会と申しますか、規制のやり方は、アメリカとヨーロッパとではかなり違うようであります。日本は、ことに原子力は、アメリカから軽水炉が輸入されますので、ほとんどアメリカがいろんな点でこの手本になっているという状況になっております。したがって、アメリカ原子力委員会は、先ほどどなたかのお話があったように、非常に権限も強いし、それから責任も大きいわけで、一口で申すと、行政委員会みたいなことをやっていると思います。したがって、自分の手元にあるスタッフが既成部分だけでたぶん千二百人ぐらいおるという状況でありまして、日本の場合が、専門官が十五人とすれば、ほかの人の時間を加えても実質的に五十人はいないんじゃなかろうかと思いますので、千二百人と五十人で、それを申し上げただけで、どのくらいの違いがあるかということがおわかりだと思いますが、それにもかかわらず、いろいろなことを、アメリカと同じようなことを国民も要求されます。そこのところに非常に矛盾を感ずるわけですが、それからさらに違いますのは、その千二百人という大世帯——千二百人から千三百人か、またことしふえるようですけれども——日本と違いまして、非常に勤続年限が長い、その道のエキスパートになるわけですが、これは日本はなかなかそういきませんで、いままでのところですというと、ある程度なれてまいりますと、すぐ配置転換ということで、通産から来られた方は通産に戻るとかいうふうなことで、非常に技術が身についたところで、かわってしまうというところに、単なる人数だけでない問題が日本の場合ありますので、この点はもっと、何といいますか、よほど考えないというと、人数だけでいかない問題がございます。ところが、それに対してヨーロッパのほうは、あまり私よく知りませんですが、あるいは板倉さんのほうが御承知かと思いますが、アメリカのようには大きくはなってない、どちらかというと日本に近いような感じのところもあります。あまりヨーロッパのことは……。ただ原爆を開発しているところの原子力委員会というのはかなり権力があるようです。それが初めのお答えなんです。  その次のお答えは、私が原子力委員を辞任したときの状況なんですけれども、私はいまから約二年ぐらい前に原子力委員になりまして、非常勤でございます、非常勤ですから、実は定例会議ともう一回ぐらい行けばデューティーは果たせられるわけですが、実際問題としますというと、かなりのロードになりまして、ロードは私いとわなかったんですけれども、日本原子力委員会あるいは原子力行政一般が、日本でいまから二十年前ですか、開発をやりました当初の体制がそのまま持続されておりまして、もちろん途中で手直しはございましたですけれども、基本的な手直しがない。要するに一口に言いますというと、推進が主体になっているように私は受け取ったわけです。そこで、入りましてさっそく、このままでは安全問題がちょっと困るだろうと、いままでのところは、私入るまでのことはとやかく言う筋合いもないものですから、しかし今後はこのままでは困る、長期計画にいわれているように、先ほど申し上げましたように、五十五年三千五百万キロワット、六十年六千万キロワットというこの長期計画を達成するのが、これはできるできないは別にして、私は原子力委員会の責任であるだろうと、そう思ったわけです。それはいいか悪いかは御判断があろうと思いますけれども、とにかく原子力委員会として私が入ったときにきめられたその開発というようなのは、これは安全に開発するというのが原子力委員会のつとめであるだろうと私は思いましたのですが、その段階を見ますというと、とてもこのままでは、五十五年に三千五百万キロワットの開発をやるということは、安全問題で私は問題が起きるということを実は考えまして、そこで実は原子力委員の空席ができましたので、その空席にはぜひ安全関係の原子力委員を入れてほしいということを実は申しておったわけであります。空席が二つありましたにもかかわらず、その空席は別の専門の方の委員に占められまして、非常に私としては残念に思ったわけですが、しかもその最後の空席か埋まったときには——従来は原子力委員の後任をきめるときには、原子力委員会委員の方に御相談があった上できめられるというのが慣行になっておったと聞いておりましたですが、何らの——前々からそういう強い意向を示しておったにもかかわらず、全く突然新聞に内定辞令が出まして、私はとにかくこれでは国民に対して責任は持てない、すなわち二つの点で私の辞任理由は書いてあります。一つは、原子力委員会の人事という非常に重大な問題が従来の慣行を破ってきめられたという点が一つ。それからもう一つは、そういう今回の人事に関しては、実は私が考えていたような人事と思いませんので、自分は安全に対して責任はとれないということの二つの理由をもちまして、辞表にも安全に対する原子力委員会の職責を全うすることができない状況になりましたのでやめさしていただきますという辞表になっております。  まだこまかいこともないことはないのですけれども、その辺でひとつ……。
  104. 久保亘

    ○久保亘君 どうもありがとうございました。
  105. 内田善利

    ○内田善利君 田島参考人にまずお聞きします。先ほどお話の中で原子力長期計画として考えるときに六十年六千万キロワットの線が、先生のお考えでは昭和五十五年二千万キロワットというふうに、三千五百万キロワットから二千万キロワットに減っているわけですが、この根拠は何なのか。あまり住民の反対が大きくなったので減らすべきなのか、あるいは政府の高度経済成長政策がこれではいかぬ、見直すべきである、こういう立場で二千万キロワットとおっしゃっているのか、あるいはほかに御理由がありましたら……。
  106. 田島英三

    参考人(田島英三君) 私は経済学者ではございませんので、経済成長等については全くほかの専門家の受け売りでございます。先ほど申しました下げられた数字と申しますのは、五十五年に対して、私ははっきり申し上げたいと思いますが、五十五年については長期計画では三千五百万キロワット、稲葉私案によりますというと二千八百万キロワットですが、それがせいぜい二千万キロワットではなかろうかというふうに申し上げたわけです、これは前から。その理由は、原子力発電所をつくりますのには大体五年ぐらいのリードタイムを持つわけです。ここかち前もってスタートしなければ出てこないわけです。ことしは早々五十年になりますから、あと五年ですから、もし二千八百万キロワットになっておりますというと、二千八百万キロワットが鼻をそろえて待っていなければいかぬ状態になっているわけですが、いま運転並びに計画されているのは大体千六百万キロワットそこそこというところです。したがって、五十五年はまあ無理だろうというのは相当確実に言えるわけです。昭和六十年六千万キロワットと申しますのは、これは今後どういう体制をとるかということで必ずしもできないとは申し上げてないつもりなんです。しかし、五十五年にすでにおくれをとっておりますし、今回の「むつ」事件その他でいろいろな体制の立て直しもございますので、おそらく六十年六千万キロワットも無理ではなかろうか。こちらのほうは少し弱い意味で申し上げておりますので、その点御了承願いたいと思います。以上です。
  107. 内田善利

    ○内田善利君 それと今度は放射性廃棄物ですけれども、放射性廃棄物が昭和五十二年には未処理のものが五十トン、五十三年二百トン、五十四年五百トン、五十五年九百トンということですが、六十年の六千万キロワットのときには大体どれぐらい廃棄物が出る予定ですか。
  108. 田島英三

    参考人(田島英三君) いまちゃんとしたデータを持っていないのですけれども、これは試算のしかたによって多少というかかなり動く問題があるわけです。ある試算によりますというと、いまの東海村で建設中のものが順調に動くとしての話ですが、五十二年には五十トン、五十三年には二百八トン、五十四年には四百九十七トン、五十五年には九百七十六トン、五十六年には一千トンぐらいの未処理のものが、もし日本でできる使用燃料全部再処理するとすれば出てくるだろう、こういう話です。途中で外国に持っていってやってもらうものがあればそれから減るわけですけれども、全部日本でまかなうとすればそのくらいの分量が残るだろう、そういう話です。
  109. 内田善利

    ○内田善利君 そうしますと放射能廃棄物が五十六年に一千トンも出るわけですが、この再処理工場はいま東海村で建設中と、こうなりますと——科学技術庁来ておりますか。
  110. 田島英三

    参考人(田島英三君) ちょっといま誤解かありましたので、ちょっとよろしゅうございますか……。いまの申し上げましたトン数は未処理燃料でありまして、放射性廃棄物のトン数ではございません。
  111. 内田善利

    ○内田善利君 未処理燃料が一千トン。放射能廃棄物は何トンの予定でしょうか。
  112. 田島英三

    参考人(田島英三君) これはちょっとデータを持っておりませんが……。
  113. 内田善利

    ○内田善利君 科学技術庁見えておりますか、質問しますが。これは何年も前からこの放射能廃棄物は工場が困っている。アクリルニトリル樹脂のウラニウムですね、このウラニウムの廃棄物が工場に置いてあるのを私は知っておるわけですが、これをどうするかと質問しましたけれども、このことについては科学技術庁としては早急に処理をする、こういうことでした。工場に行くとドラムかんがずっと並んでおる。ラジオアクティブにつき注意してくださいと、こう書いてある。この放射能の物質をまだ置いてあるということ。日本原発の敦賀発電所には六千百二十九本も置いてあるということ。これはいつまで核工場、核発電所に貯蔵されるおつもりなのか、この点をお聞きしたいと思います。
  114. 半澤治雄

    説明員(半澤治雄君) ここでたびたび私が述べましたように、廃棄物の処理、処分の方法につきましては、現在いろいろな形で研究が進められておりまして、廃棄物の中でもレベルの高い廃棄物につきましては当分の間慎重な形で保管する。それから中レベルにつきましても現在保管廃棄という形でやっておりまして、低レベルのもの——原子力発電所でドラムかんに積んでおりますのは大部分低レベルのものでございますけれど、ごく低いものにつきましては、先ほど来お話が出ておりますように、一部環境に出ます。ごく低いもの、低レベルのものにつきましては海洋処分と陸地処分とを組み合わして行なうという方針で、そのために必要な研究開発、あるいは調査というものを現在進めておる段階でございます。したがいまして、いまお話しございましたように、じゃ何年からはっきり処分するのかということにつきましては、いま明確に申し上げる時期ではございません。
  115. 内田善利

    ○内田善利君 長いこと工場に置きっぱなしてあるのですけれども、中にはドラムかんが破れているのもあるし、こういったものをいつまでも放置しておっていいのか非常に不安なわけですが、低レベルといっても、低レベルの放射能を十年、二十年、三十年受けていったときにどういう障害が起きるかということはわからないのでしょう。山県参考人いかがですか。
  116. 山県登

    参考人(山県登君) いまの御質問の中身なんですが、まあドラムかんが破れて環境に出れば確かに汚染することになりますが、問題は、そういった事態を取り締まるということが一つ大事なことだと思います。で、保管廃棄と申しますか、保管していれば環境に出てまいりませんけれども、環境に出てから先の低レベルの放射線影響といいますのは、私先ほどから申し上げておりますけれども、高いレベルの影響は確かにつかまえられておりますけれども、低レベルのものについては実証できない。実証できないでは防護対策ができませんから、ゼロから出発して、たとえ少量でもそれに相応する害があるのだという仮定の上に立って、それじゃ一体このくらい受ければどれだけ病人が出る計算になるかということを求めて、その求めた損失というものと、それから全般的に原子力開発をするということによる社会の利益というものをバランスにとった上で、仮定上計算で出てまいりましたその損失を補って余りある、非常に利益が大きいということであれば、社会としてこれをやっていこうと、こういう立場になるのだと思います。以上でございます。
  117. 内田善利

    ○内田善利君 当委員会原因、結果をいままで討議してきたわけですが、たとえばカドミウムの汚染によるイタイイタイ病、あるいは水銀の汚染による水俣病、これでも原因、結果を究明するのに長年かかったわけですが、放射能の場合の原因、結果、これはどういうふうに考えていっていいのか、住民の不安というのは私はこの辺にあるのじゃないかと思うのです。二十年も三十年もかかって放射能が体内に、骨の中に蓄積されて、ストロンチウム九〇ならストロンチウム九〇が大気からやってきて、あるいは食べものから入って、骨の中に入って、いまは低レベルだから安全だと言われますけれども、これが体内に蓄積していったら、バックグラウンドの環境の自然放射能が百ミリレムだから、それより以下だからだいじょうぶだと。体内にあるそういった放射能物質が蓄積していった場合に、たとえ五ミリレムでも二十ミリレムでも、だんだんだんだん蓄積していくわけですから、蓄積していって、体内でいつもいつも放射線が出ている。こうなってきたときに、はたしてだいじょうぶかどうか。こういった原因、結果の究明、こういったことがなされておるのか、服部参考人いかがでしょうか。
  118. 服部学

    参考人(服部学君) 御指摘がございましたように、放射線影響というものにはいろいろな影響が考えられるわけでございます。一つは、放射線を体外から浴びる場合、あるいは放射性物質をからだの中に入れまして、からだの中にその物質が蓄積して、そこから放射線を出している場合、前の場合を体外照射、後者の場合を体内照射と呼んでおりますが、からだの外から放射線を浴びますときは、それきりのことでございますので、放射線そのものがからだに蓄積することはございません。ですから、体内照射に比べれば体外照射のほうは比較的簡単に考えることができるわけなんです。問題はやはり放射性物質が体内に入って、たとえばいまおっしゃいましたストロンチウム九〇が骨にくっついて、骨の中で、骨髄の中で白血球がつくられている、その白血球のつくられているすぐそばで絶えず放射線は出し続けるというようなことになった場合には、これは微量の放射性物質であっても非常に注意をしなければならない。そういう意味で、放射性物質が体内に入るということについては特に慎重にならなければならないと思います。そういう意味で、死の灰その他放射性廃棄物が原子炉施設から外へ出て、そしてそれがプランクトンであるとか動物、植物を通じて体内に入ってくるという、その経路については非常に慎重にならざるを得ないわけでございます。  それからもう一つ放射線影響につきましては、すぐ影響があらわれてくるものと、それから非常におくれて影響の出てくるものとがございます。また、大量の放射線を一時に浴びた場合と、それからわずかの放射線を少しずつ長期にわたって浴びた場合と、これまた影響が異なってまいります。場合によっては、その人の一代だけではなくて、子供の世代、孫の世代になって影響の出てくる放射線の遺伝的な影響というようなことについても考えなくてはいけないわけです。特にこの遺伝的な影響につきましては、動物実験では確かに影響があるということはわかっておりますが、人類遺伝学の中で、人類について放射線影響がどのくらいになるかということについては、まだわれわれの持っている知識というものはきわめて限られたものでしかないと言うことができるわけです。  それからもう一つは、放射線障害というのが、一種類だけの障害があらわれてくるということなら、これまた話は簡単なんですが、放射線障害にはいろんなものがあります。たとえば白血病もその一つですし、あるいは骨のガンがあらわれてくるというようなこともございます。また、それが、放射線の障害というのは確率的に起こる現象ですから、同じ放射線を浴びても、甲の人には障害があらわれて、乙の人には障害があらわれないということがあるわけであります。また白血病という一つの病気だけを例にとりましても、これが放射線原因で起こる白血病もあれば、放射線以外の原因で起こる白血病もあるわけです。白血病という病気の症状を診断しただけでは、その原因放射能であるか放射能以外のものであるかということを見分けることはほとんどできないことだと思います。そういう意味で、この放射線障害というものは、原因と結果との因果関係が立証しにくいというところに一つの特徴がある。たとえば広島で大量の放射線を浴びて五年あるいは十年は何ともなかった、しかしその後になって白血病が急にあらわれてくるといったような例がいまだに続いているわけです。そういうようなこと、いろいろな複雑な影響ということを考えてまいりますと、非常に放射線の障害というものは原因と結果との因果関係が立証しにくい。ほかの産業公害の場合に、あの工場からこの廃液を出したということがかなりはっきりしているような場合でも、設置者の側というものはなかなかその責任を認めたがらない、これが通例でございます。ましてやこの放射線障害というのは、原因と結果との関係か立証しにくいということになりますと、これは被害を受ける住民の側にとっては非常に不利な種類の公害であると言わなければならない。また、その住民の側には微量の放射線というものを検出する手段も持っていないというような問題もあるわけでして、放射線影響ということについてはさらに慎重な考慮というものがなされなければならないと考えております。
  119. 田島英三

    参考人(田島英三君) 低レベルの放射線影響については、ただいま非常にむずかしい状況にあって、世界的に非常にむずかしい研究であります。規模も非常に大きくしなければいけませんし、それから金もかかるという研究でありまして、一番大きなのはオークリッジでやっておった、ネズミを、初めあれは十万匹ぐらいだったのがいま百万匹ぐらいになっているのではないかと思うのですが、それで大がかりな実験をいまから二十年ぐらい前からやっております。日本でも低線量の放射線影響研究しなければいけないというので、おととしから特別研究といたしまして放医研にそれをやってもらうことになっているわけです。そこでやりましたのは、一口で言えば、低レベルの放射線影響ですが、何をやるかと申しますというと、一つは遺伝の研究です。で、遺伝の研究はショウジョウバエで、ショウジョウバエというのはくだもののハエですが、あれは世代が非常に早く、二週間で交代いたしますから、遺伝の研究に非常に適した生物なんですけれども、そのショウジョウバエの研究人間にエキストラポレーションするのはなかなかむずかしいというので、カニクイザルを使ってやるという計画になっております。それからその中の、低レベルの研究のもう一つ研究はガン発亀の研究です。これはいろいろな生物の研究から人間にどうやって——生物のデータはありますので、ところが人間と生物は違いますから、それをどうして人間にこうアプライするかというやり方でやっているのがガン発生、もちろん白血病も入った研究研究班が一つできております。もう一つ研究班は、内部被曝の線量でして、からだの中へ放射能を取り込んだときにどういう影響があるか。これは外部被曝とやっぱり様子が違いますので、内部被曝の研究班というのができまして、その三つを中の柱といたしまして低線量の研究をやっております。しかし、何といってもまだおととし始めたばかりで、いま先ほど申しましたオークリッジのラッセルの研究というようなのは、もう二十何年も続いて、ようやく一つ重要な結果が前に出てきたということなんですが、早々には出ないと思いますけど、一応あれは五カ年計画か何かで、まあ日本とすれば相当な金をつぎ込んでやるという、そういう状況がございます。御参考までに……。
  120. 内田善利

    ○内田善利君 時間がありませんので、板倉参考人にお聞きしたいと思いますが、現在潜在的危険と、こういうことばで表現されておるわけですが、いままで七基日本では原子炉が動いているわけですけれども、いままでにも相当数の事故が起こっているわけですね。関電の美浜一号、二号が蒸気発生器の腐食とか、あるいは燃料棒の曲がりとか、あるいは東電の福島で一次系のパイプのひび割れ、先ほどお話がありました浜岡の応力腐食と思われるひび割れ、あるいはアメリカでも緊急炉心冷却装置の欠陥とか、あるいは「むつ」の設計ミスとか、こういったことははたして潜在的危険なのか。私たちはたいへんな事故だと、こう思うんですが、というのは、放射能の被曝というのは非常に私たちにはわからないし、カドミウムとか水銀とかいう場合と違って、放射能の汚染というのは非常に私たちは不明なために危険だと思っているわけですが、こういった事故は潜在的危険の中に入ってしまうんだろうかと、こう思うんですが、この点はいかがでしょうか。
  121. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) たいへんむずかしい質問といいますか、私が申してます潜在的危険といいますことは、原子炉自身の中にきわめて大量の放射能が入っておる、したがって、その放射能が大量に環境に出る可能性はあるかないかという点について潜在的危険がある。だから、中に持ってますから、全くどのような防護手段をしても一切外に出ませんと言い切れるものではございません。いま中に放射能がなければ潜在的危険がないと言えるわけですが、あるから潜在的危険がありますと申したわけです。いまおっしゃいましたように、いろいろ原子力発電所運転されましてから、事故等いろいろ報道されているものがありますが、そういうものでほんとうに環境に大量の放射能を出すことに結びつく事故とそうでない事故ということを区別する必要があるだろうと私は考えております。で、御質問ですが、たとえば美浜発電所の熱交換器に穴があいた。このことについては、発電をする見地から申しますと、熱交換器に穴があくことによって、その穴が長期間置いておきまして、次々すべての細いパイプにみんな穴があいてしまう状態まで置いておきますと、これは放射能を大量に環境に出す原因になり得るものと私も考えます。しかし、熱交換器が、だから小さな穴があいていいということは申しておるわけじゃございません。熱交換器に小さな穴があいたことに対しては十分な対策をとって——と申しますのは、もともと電気を出すためにつくったものが、それがために電気を出さないということは、何のためにつくったかと。単なる経済的な問題ではなくて国民経済的な問題から、一企業の問題じゃなくて、みんながエネルギーが要るからつくったものがいつまでも電気を出さないということは、きわめて大きな私は罪悪と思います。しかし、小さな穴があきますと、放射能が外にいきます間の経路に放射能が出ているか出ていないかという検出器もあります。それを見まして、この穴がだんだん大きくなるとか、放射能が出続けるということになりますと、原子炉をとめてしまうわけでございます。そういう意味では、これは直接潜在的な危険に直結するものでないと私は思っておりますが、したがって、その熱交換器の穴があくことを私は許容しているわけじゃございません。大量にその中に入っている、燃料体の中に入っている放射能環境に出るものにつながるものかどうかという点では、つながるものとは考えておりません。
  122. 内田善利

    ○内田善利君 私はなぜこんな質問をしたかといいますと、とにかく先ほどもお話がありましたが、潜在性——中にそういう危険なものを持っているわけですから、非常に慎重に開発はすべきだと思うんですね。一〇〇%安全なものは人間の力でできないかもしれないけれども、やはり一〇〇%安全を目ざして努力していくべきだと思うんですね。ところが、この原子力に限って、どうもやってみよう行政といいますか、やってみよう実験といいますか、「むつ」が大体そういういい例だと思うんですが、先ほどもお話がありました、東海村でJRR4ですか、遮蔽研究専用の原子炉がつくられつつあった。ところが、これは全然作業しない間に——同じ基礎実験で実験をやった、その上で「むつ」の臨界テストをやればいいのに、それをやらないで突っ走ってしまった。こういうことは一〇〇%安全は人間ではつくれないんだということを口実にして、安全でない場合もあるんだと、私はこういう場合努力して、一〇〇%努力していくべきだと思うんですね。それが突っ走ってしまった。そうしてあのような遮蔽装置の欠陥ということで事故が起こったわけですけれども、もう少しこの原子力行政については慎重さがほしいと思います。「むつ」の大体つくられた目的が、最初は海洋観測船、その次は練習船、その次は燃料運搬用の特殊貸物船、その次は実験船、こういうことから考えてみても、実験船ということで海上で実験した——私は、東海村てちゃんとやってからすべきであったというどなたかの先生の論文を見まして、ほんとうにそうだと、こう感じたわけですが、この点どうなんでしょうか。  それから「むつ」の燃料棒は現在引き抜かれたのかどうか、まだ「むつ」の中に、原子炉の中にあるのかどうか、この辺、御存じの方がいらっしゃいましたらお答え願いたいと思います。  もし、抜く場合に、その交換器はまだ一回も使っていない交換器が使われたのかどうか。この点までどなたか御存じの方、お答え願いたいと思います。
  123. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 「むつ」の現在の状態につきましては、あるいは政府当局からお話しなさるのが適当かと思いますが、私もその安全の処理問題の一委員に任命されておりましたので、その間の内容を御説明したいと思いますが、「むつ」が現在燃料を取り出しておるかおらないかという点につきましては、私たち処理のための安全専門委員会と申しますか専門会議というのは、鈴木総務会長に任命されたうちの一人でございますが、その会議における結論を申しますと、「むつ」をそのままの状態で再び臨界にしないで母港に持ってくることは安全上だいじょうぶだ。ただし、船を母港に帰す前に一応船の中で、従来、船の事業団あるいはその他政府検査官立ち会いのもとに放射能測定がなされておりますけれども、それをもう一度確認した上であれば安全は保てるものだというのが第一点。  第二点は、船を母港に持ってきてから燃料を取り出すことについては安全かどうか。これも時間がございませんので簡単に申しますと、結論は、安全は確保できるものである。しかし、船から燃料を取り出すという操作は、非常にいろいろな機械を使って出すわけでございますので、そこで安全上の問題が起こらないまでも、途中でその操作上のミスでもありますと、きわめて国民皆さん心配なさることだ。したがって、燃料を取り出すに先立っては、先ほどおっしゃいましたキャスクだとかいろいろ道具がございます。こういうものを、モックアップテストを十分した上で取り出すように、さらに安全であるという結論を出しました根拠は、現在「むつ」の船の中に入っております、燃料体の中に入っております放射能の量がきわめて少ないというのが根本でございます。ほとんど運転をしていない燃料であるために、中の放射能の量を計算いたしましても、当時の計算で、その後またさらに時間がたっておりますから放射能減っていると思いますが、あの時点で約四百キュリーである。燃料体三十二体ございますから、一体に直して平均的にとりますと十キュリーとか二十キュリー、こういうオーダーであると。そういう点で、もし燃料取り出しの途中でキャスクが床に落ちてころんで、キャスクがこわれて、燃料体が岩壁にころがり落ちるようなことがあっても、環境に対する安全は守れるものであるという点で、燃料を取り出すことは安全だと思うと。ただし、十分訓練といいますか、実地テストといいますか、模擬テストですが、やって取り出すようにというのが専門会議の結論でございます。で、その後地元との話し合いによって、現在のところ燃料体は取り出さずに、そのまま母港に係留されておると。ただし、放射能等のモニターについては適当な間隔で調査をしておるという現状だと聞いております。
  124. 内田善利

    ○内田善利君 遮蔽欠陥ですから、これを修理するためには燐料棒は全部抜かなきゃできないと思いますが、この点はいかがですか。
  125. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 遮蔽を十分直すためには、燃料体を船外に取り出して、燃料はない状態にして直すということか必要——必ずしも必要じゃないかもしれませんけれども、かなりそのほうが十分直せるということを考えております。それが私の見解でございます。
  126. 角田道生

    参考人角田道生君) 先ほどから「むつ」の設計の問題がちょっと出ていたと思いますので、私も直接にタッチしておらぬ分野でありますから、所内で聞いた話などをちょっと御紹介したいと思うんですが、原研の遮蔽研究たちにとってみてやはり一番問題なのは、最初にタッチしていて、そして中途から、いわゆる事業団ですから、いろんな会社の出向と、あるいは造船会社、あのときには三菱造船だと思いますけれども、そういうところで施工していくという際に、一貫して当所の研究者は当所の実験データを持って、それから新しい実験データを加味して検討して、最終設計まで協力していくという体制がとれなかったと。つまり、途中から結局企業の中の今度はその問題になっていくわけですね。そうしますと、原研のところのような研究者のほうは討論に参加できなくなってしまうと、実験データなんかは見せられないというような状況が生まれたということが一つあります。  それからもう一つは、四号炉が間に合わないと、この種の問題が実は原子力の場合に、あるターゲットをきめて、全体、手順を踏んでやっていくということよりも、そのターゲット自体がどうしても急がれるということが間々あるわけです。もう非常に先ほどから話題になっております原子力発電炉のいろいろなひび割れというような問題につきましても、かなり前から原研の中にはそういう応力腐食とかいう形での研究に従事しておった者があるんですけれども、現在でこそかなりいわゆる日の当たるテーマになっておりますが、七、八年前ごろは、軽水炉はもう実証済みであるということが非常に強く言われまして、いまそういう研究に力を入れていると、原発をこれからどんどん建てていかなくちゃなんないという時期であるのに、まだ基礎研究をやっている段階ではないかと、これはもう実証済みなんだと言うためには、こういう水型炉のテーマは原研にはふさわしくないというふうな形で、予算の面からも、研究テーマとしても、エンカレッジされないというような状態がたとえば続くと、それが急に問題が起こってくると、さあいつまでにというような課題が出てくると、こういうふうな問題がある。これではやっぱり系統的な研究というのは発展しないのではないかというふうに感じるわけで、ちょっと補足さしていただきます。
  127. 小平芳平

    ○小平芳平君 時間もだいぶおそくなっておりますので、簡単に二、三お教えいただきたいと思います。  初めに服部先生に伺いたいと思いますが、先生が午前中の御意見のところで、クリプトン八五とそれからコバルト六〇の例をお出しになってお話しくださいました。そうしてまた先ほどの質問に対するお答えの中で、平常運転している限り安全だという意見には私は賛成でないという御主張をなさっておられました。で、ごく私たちきわめて常識的なことを知りたいのでございますが、空気中の排ガスとそれから排水に分けまして、どういうものが排出される可能性がありますか。また、特にクリプトン八五は危険だということを年数をあげてお述べくださいましたが、同じようにして、どういうものが特に危険であるというふうに想定されるかというような点についてお教えいただけたら幸いと思います。
  128. 服部学

    参考人(服部学君) 原子力発電所から直接に出てくるものと、それから再処理工場から出てくるものと両方に分けることができると思いますが、先ほど午前中に申し上げましたのは、再処理工場では非常に大量に放射性廃棄物が生ずる可能性があるということでございます。これはもちろんやり方によってどういうものが出てくるかということはかなり変えることができます。たとえば、午前中に申し上げましたけれども、ベルギーの欧州原子力共同体が共同で持っております再処理工場、ここではもう外への排出はほとんどゼロにするようにという方針で設計が行なわれ、また運転が行なわれているわけでございます。しかし、そのためにはたいへんもちろんお金がかかるわけで、日本の場合ですと、たとえば低レベル——一日三百トンだったでしょうか、くらいのものが出てくるという設計で行なわれております。その中に含まれておりますのは、やはり、もちろん原子炉でつくられる死の灰が大部分なんですが、死の灰の中に、やはり化学的に処理しやすいものとしにくいものとがどうしても出てまいります。先ほどもちょっと申し上げましたけれども、たとえばルテニウムといったようなものは比較的取りにくいもの、また取りにくくても短寿命のものならば、これは比較的問題がないわけですけれども、長寿命のものが特に問題になってまいります。そういう意味で、やはりストロンチウム、セシウムそれからルテニウムといったようなものが排水の中では特に問題になってくるかと思います。むしろこの点は山県先生のほうが御専門、お詳しいかと存じます。  それから空気中に出るほうでは、先ほども申し上げましたけれども、クリプトン八五が化学的につかまえられないものだから、なまの形でいきなり外へ出てきてしまうと、これがどうしても一番今後大きな問題——現在も大きな問題ですし、今後も大きな問題として当分の間残るんではないかと思います。  それからもう一つは、先ほどもちょっと申し上げましたが、トリチウムというものがございます。これも比較的取りにくいものです。また、このトリチウムのほうは、外へ出てしまいますと、普通の水素と交換反応を行ないまして、水や何かの形になって人間からだの中に入りやすいと、そういう意味で微量でもかなり問題がある。一部では、このトリチウムは特に遺伝線量にきいてくるというような学説もあるわけでございます。クリプトン八五とトリチウムの問題がガスとしては一番問題になってまいります。これは本来ならば発電所の場合には出てこないはずです。たてまえからいいますと、発電所の場合には死の灰というのは全部燃料の中に閉じ込められてしまっているはずですから外へは出てこないはずなんですけれども、やはりどうしても一部分これは先ほどもちょっと申し上げましたけれども、現在の燃料製造技術というものが必ずしも十分なものではないというところからごくわずかではございますが、どうしても原子力発電所の煙突からも直接これが出てきております。トリチウムについてはほかの原因からも多少出てまいりますけれども、これは必ずしもフィッションだけで、核分裂だけで出てくるもの以外に出てくるものもございますけれども、原子力発電所からもやはりそれが出ているということは一つには燃料製造技術の不完全さということを示していることになるのではないかと思っております。
  129. 小平芳平

    ○小平芳平君 それで板倉参考人にお伺いいたしたいのですが、原子力発電株式会社技術部次長というお立場もありましょうけれども、あまりそれにこだわらないで事実はどうかということを私たち知りたいわけなんです。そういう点で、いまお話しのような平常運転でもクリプトン八五、トリチウムというような放射性物質が排出されているというような点、そういう点は、事実そういうのは出てはいるけれども安全だというふうにおっしゃるのかどうかですね、出ていること自体がどうかということに対するお考え。それから先ほど来盛んに放射性廃棄物の、現在は保管しているだけだということでありますが、実際困るんじゃないですか。だいじょうぶだ、だいじょうぶだとさっきからおっしゃるようですけれども、やはり原子力発電株式会社としても、あるいは他の電力会社にしましても、あるいは周囲の住民はもとよりですが、実際困ってるんじゃないですか、その点のお考え。それから温排水については、これも少々のものは出てもだいじょうぶだと、こういうふうにおっしゃるのかもしれませんが、あるいはかえって繁殖する魚もあるんだというようなこともいわれますけれども、この三点についてどのようなお考えか、お伺いいたします。
  130. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) まず日ごろの運転中に放射能がわずかながら環境に出ているかどうかという点の御質問としては出ております。まず気体について申しますと、トリプトン八五と親戚な関係になりますものでゼノンというのがございます。これもやはり先ほど服部さん言われましたように、フィルターなどで普通の方法で処理しましても処理のできないものでございます。しかしクセノンのほうは長い間保管することによりまして寿命かなり短いものも含まれておりますので、現在の発電所につきましては原子力発電会社がつくりました発電所、それ以降私どもの発電会社も運転に入りましてから新しい技術というものがドイツで開発されたことがわかりまして、それを取り入れて改良をいたしました。その後の同じ型の発電所については、それを運転の当初からあるいは途中でつけ加えられたものもあると思いますけれども、最近のものは当初からつけ加えられております。そういう意味で気体状で環境に出ます放射性物質から受けるとその計算上推定されます、先ほど申しましたミリレムといいますか、放射線に直しますと、敦賀発電所のことしの現状は一ミリレム以下になってます。計算上〇・六といっていますけれども、これは一つの幅でお考えいただきまして、そういうものから見て、確かに燃料技術が発達して燃料から一切放射能が出ないようになればさらにその値は減るわけでございますが、その燃料というのはどちらかといいますと、やはりどうしても運転中、先ほど久米先生も言われましたように、高温のところもありますし、それから水温度が上がったり下がったりするというようなこともありまして、どうしても運転中に燃料自身の表面のかぶっております皮はいささか腐食といいますか、ピンホールなどを生ずるのが事例でございます。現在のところ世界的にみなそういう傾向でございます。そういうものから出ますものを処理する設備を従来より多く取りつけておるというのが現在の技術でございますので、そういう意味で一年間に直して最高でも一ミリレムぐらいである、これが自然放射能の年による変動とか場所による違いよりもかなり低くなっているという点で、放射能は出ていますけれども安全だと私は思っております。もちろんこういうものをより減らす研究、あるいはそういうものに対する学問的研究ということはぜひ進めていただきたいと思いますが、その研究ができるまで発電をするのはとめるべきだというようなお話には私は賛成しかねる考えを持っております。  それから第二番目に、発電所でできた廃棄物と、それから、二つ——話がちょっと私の説明悪くてよく御理解できなかったんじゃないかと思いますが、二つあると思います。発電所で出てきます廃棄物というものと、発電所で使った燃料を再処理工場に持っていって、これが再処理という一つの、これを溶かして分離をする工程で出ますものとは、けたがきわめて違います。で、私が、皆さんが非常に御指摘しておられたのは、燃やした燃料処理するときにきわめて大量の放射能を取り扱うではないか、その放射能を最終的に処分する、どっかに捨ててしまうとかどうかするという、いわゆる処分でございます、ための処理技術というのはまだできておりません、こう申したわけです。というのは処分する方法が明確でないから、それに伴っての処理技術もできていない。しかしこれは非常に注意深く、先ほどちょっと言いかけましたように、たとえばステンレスのタンクのようなものに、二重のタンクにしておきまして……
  131. 小平芳平

    ○小平芳平君 簡単でけっこうですから。
  132. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 保管しておきながら、その状態をよく見ながら、タンクが薄くなってくる、あぶなくなって多少でも変な状態になればまた新しいタンクにかえていくということをしながらその間の技術開発を望むところでありますというのが大もの放射能でございます。  それから先ほど先生おっしゃいましたように、ドラムかんの本数が多い、その点のことにつきましては……
  133. 小平芳平

    ○小平芳平君 簡単に。ただためといたら困るでしょうと言ってるんです。
  134. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) そのことにつきましては低い放射能でございますので、これの最終処分の方法を早く国のほうでもお考えいただきたい。たくさんあって困るかというお話は、放射能量というよりもかさが多いという点で困っていることは事実でございます。  それから第三番目は温排水の問題。温排水の問題につきましては、たまたま私のほうで持っています発電所というのはいわゆる集中的なたくさんの炉を持っているという経験ではなくして、現在稼働していますのは三十何万キロの水型の発電所が敦賀湾にございます。これは取り出しました捨てます水も狭い湾に出しておりますから、そういう意味では環境に対する影響が出てくるのであるならば、非常に早くこれが、環境影響というのがよくわかるような状態の炉と私は思っています。たまたまこの放水口の近くに福井県の水産試験場が研究所も移されまして環境状態を非常にくわしくいろいろ調べていらっしゃいます。で、その結果をお聞きいたしますと、いわゆる環境に対する影響というのは現在のところ見当たらないと、こう言っておられます。そういう意味で非常に大規模なものになった場合のことをどうするということと別にしまして、現状につきましては温排水というものの温度によっての生物体への影響というものは、実質的に環境に現在のところ打撃を与えてない、こう伺っております。
  135. 小平芳平

    ○小平芳平君 別の問題ですが、公開の原則についての御意見が数々出まして、通産省に伺いますが、そうした公開の原則に対する数々の御意見があるということが一つと、それから板倉参考人先ほど国民の皆さまにもよく見てほしいと、見ていただくんだというふうな趣旨のことをおっしゃったのでありますが、この原子力発電所が計画されますと、その地域で賛成、反対という運動が起きる。そうしますと電力会社が大量にその地域の住民の方々を見学と称して連れて歩く。それは私が手にしておりますのはこれではありませんが、要するに誘致推進会員が今回の旅行は何に行きます、一人頭単価幾らと、合計幾らのお金を請求しますという請求したものに対する領収証があるわけですが、そういうようなやり方について通産省はどう考えるか。それが一つ。そういうようにしてお金を使うということは一体電力会社はどういうところから出すのか。またそれは電気料金と関係あるのかどうか、いかがですか。
  136. 井上力

    説明員井上力君) 御質問の原子力発電所の建設にあたっての公開の原則あるいはPRのために見てほしい、こういう問題でございますが、私どものほうといたしましては発電所につきまして、原子力発電所その他の発電所も同様でございますが、実態がどういうものかということにつきまして住民の方々に十分認識していただくということはPRの第一の要諦でございますし、現地を見ていただくということもそのためには必要なことだというふうに考えております。こういった資金がどういうぐあいに支出されているかということは私ただいまよく承知してないわけでございますが、PRという趣旨からいきまして推進派の方々あるいは反対派の方々も現地を十分見ていただくということはなるべく機会を見てやっていただきたいというふうに考えておるわけでございます。
  137. 小平芳平

    ○小平芳平君 通産省は大いに奨励しようというわけですか。経費はどうなんですか。
  138. 井上力

    説明員井上力君) 経費についてはどういうふうに実際なっておるかというのは私どものほう承知しておりませんので、ちょっと何とも申し上げられないわけでございますが、原則として現地を関係のある住民の方々に見ていただくということはPRのためにいいことではないかというふうに考えております。
  139. 小平芳平

    ○小平芳平君 乗ったこともない飛行機に乗ってホテルに泊まってですね、そういうふうにしてあげることがPRなんですか、電力会社の。その点についてはきょうの議題とはあまりはずれますから、また別の機会に伺います。  それから次に、久米先生に伺いたいのですが、まあごく常識的なことをお尋ねで申しわけないんですが、いまの原子力発電に対する危惧というものは科学が発達する過程の問題なんだと、こうした水力発電でも火力発電でもいろいろなそういう疑問点はあったんだと、過去においては。しかしそれが科学の発達するにつれて次第に解明されてきたというように原子力発電に対するいまの疑問点もやがては解決され安全なものだということがわかるんだと。こういうふうに言う人がいるわけですが、そういう点についての先生の御見解を伺いたい。
  140. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) 一番大事なことはあまりそういうふうには言われていないのですね、特に住民の方には。先ほど先生がおっしゃったように絶対だいじょうぶであると、だから見に行ったらいいということできれいなところだけ見せるということですから、ほんとうに一歩一歩実験してるんだと言えばみんな一生懸命考えると思います。だからそういう問題提起をぜひ私はやっていただいたらいいと思うんですけれども——私は現地へ行って言っているのはそれだけです。その点では山県参考人と全く同じでして、科学や技術はここまでわかっておってここからわからない、われわれは非常に不安だと思うけれども、だいじょうぶという人がおって、それをどちらをとるかは、これは被害を受ける人たち判断力です。それは科学はもうそこまでしかいかないわけですから、そういう選択のいろんなデータを示してやる、これは先ほど皆さんが言った公開というのは、そのためのまさに準備作業なわけですね。だから、私はそういう選択をされるのはいい。私個人は、とうてい大量のエネルギーのもととして使うことはできないと、その点では田島参考人とは意見を異にします。それで、核融合は二十年かかるとか、太陽もまだまだだと、で、原子力だと言われるが、その原子力だと言う根拠は何にあるんですか。だって、これだけの大量の死の灰をどうして始末していいかわからないじゃないですか。私は、この専門に一番近いんです、実は。この放射能をやっつけられないかということも私たちの基本的な研究のテーマの一つですが、おそらく二十年たってもだめでしょうね。だから、それは板倉さんのようにステンレスの入れものに入れてよく番をすればいいというお考えの方もおられるでしょうし、そんなものをまくら元に置いて住むのはかなわぬという住民もおっていいわけです。それをきめるのは政治ですよ。私はそう思っています。私はとうてい無理だと思ってますから、ほかのエネルギーの問題も一生懸命さがすべきだと思います。それで、原子力に関してもそんな六千万キロというようなおそろしいことを言わずに、一つ一つつくっていっては一歩一歩進むということだったらやむを得ないのではないかとは思いますけれど、現在ではそういう行き方ではありませんから、私は反対せざるを得ないと思います。
  141. 小平芳平

    ○小平芳平君 ありがとうございました。  それから田島先生と服部先生からMITの報告についてちょっと触れられました。で、まあ先生としましてはよく聞いてみないことには反対とも賛成ともいま言うことは差し控えるような御発言だったかに伺いましたのですが、さしあたりこれもきわめて常識的にお答えいただけばたいへん幸いだと思いますが、もう先ほどもそうした御発言もあったんですが、他産業に比べて安全だという宣伝に使われるんじゃないかと。で、まあいろんな計算の上から見るとハリケーンよりも安全だとか被害が少ないとか、そういうようなことを言われておられました。その点が一つと、それからこれもニュースで聞いたことですが、原子炉事故が起きた場合にはその事故も、まあ本格的な事故が起きた場合には、核兵器を上回るような大惨事になるだろうというようなアメリカ原子力委員会研究があったということが十年間隠されていたということがニューヨーク・タイムズに報道されたというようなニュースがきょう伝えられているようでございますが、何かそういうような点について御存じのことがありましたらお聞かせいただきたい。以上二点につきまして……。
  142. 田島英三

    参考人(田島英三君) ラスムッセン報告のことですが、これは俗称で、正式な報告書はいずれコメントをつけて正式なものとなっていくと思います。何しろ非常に膨大なものでありまして、三十センチか四十センチぐらい全体のものがありますので、私は本文と、それから付録書が出ておりますから、その付録書を一、二冊読んだだけで、全体のところはわかりませんですが、私はそのまま信用もしないし、別に疑っているわけでもない、全くニュートラルだと申しましたのは、その中を読みました段階ではいろいろな疑問点はあるんですが、まあそれはたいしたことはない——まあたいしたことはないと言っちゃなんですが、私の最も疑問とするのは、あの手法、やり方があるんですけど、それはちょっと説明がやっかいになりますけれども、その手法が検証されてないのですね。要するに原子力発電所についてラスムッセンの手法をアプライして、そうして何がしかの非常に小さな確率だと、こう言っておるわけですが、その手法が正しいかどうかということをほかのものか何かでやってほしいわけです、私は。そして、どこかでそのやり方は正しいんだということになって、じゃ原子力発電所にアプライしたからこうだというなら大体においていいことだと思うんですが、それの検証が、これはむずかしいことだと思うんですが、検証がないものですから、はたしてああいう手法でいいのかどうか。どうせ事故というのは扱いますから、未知の人間の考え及ばざるところまで手を伸ばさなければいかぬわけです、その手法にしましても。それでそういうものを含めた手法を、たとえば飛行機の衝突事故とか、あるいは新幹線が適当であるかどうかわかりませんですが、そういう手法に——あるいはこれは航空宇宙局ですね、NASAで実は発達した手法なんですが、それに改良を加えたものですけれども、NASAの打ち上げに対してこうやってやはりいい結果を見たと、結果と実際は同じだったというようなものがありますと、私は全くえらいものだと頭を下げるわけですが、それがないもんですから、基本的にそこのところに疑問を持つわけです。その点を明確にしてから、私は信ずるなら信ずると、信じないなら信じないと、そういうふうに思っております。
  143. 服部学

    参考人(服部学君) 私の名前が出たんでございますが、私はラスムッセン報告については何も午前中言及しておりませんので、田島先生と板倉さんがお話しになったと思うんでございます。私も実はラスムッセン報告読んでおらないんですけれども、ただ、ある確率が小さいと、その点は確かだと思うんです。そんな大事故が起こる確率が大きかったらそれこそたいへんなことでして、大事故の起こる確率というのは非常に小さいものだと思います。しかし同時に、その結果起こり得る被害のほう、これが原子力災害の場合に非常に大きなものになり得る可能性がある、確率は小さくてもその起こり得る可能性、被害が非常に大きい。その非常に大きいものと非常に小さいものとをかけ合わせた期待値というものがはたして有限なものに収斂するかどうか、これはやはり非常に大きな問題ではないか。いま田島先生NASAの例を引き合いに出されましたけれども、あれだけ品質管理を厳重にやって飛ばした人工衛星あるいはロケットがやはりあわやという事故を起こしそうになっている例が幾つもあるわけでして、やはり事故というものは起こり得るものだということを考えておかなくてはいけない。むしろ予想しないことが起こるからこそ事故なのだということばはやはり十分にかみしめるべきだと思います。
  144. 久米三四郎

    参考人久米三四郎君) ラスムッセン報告については、きょうは時間かあれば——したがって、ここにその要約がありますから、いま田島先生がおっしゃったことは、これはアメリカ原子力委員会が出したものですけれども、それがちゃんと最後に書いてあって、ここで用いた手法というのはある危険率を推定するという、そういう手段のためにだけ開発されたのであって、ここで出てきた数字で、たとえば原子炉をどこかへ置いていいかどうか、この安全性を評価するのに、この数字はそういうものに使うものではないということをはっきり明言してあるわけでございまして、これはいまから約二十年前、一九五七年に初めてこれの第一編が出ているわけですが、そのときとあまり基本的なあれは変わっていない。何か技術が発達してひどく確率が減ったように、そういうことを言いふらす人もありますが、それは大きなうそです。それも報告書にちゃんと書いてあって、違うのは何かといいますと、人口密度を、人口調査に応じてちゃんとそれを具体的に使ったということと、それから事故のときに退避するということを考えたということです。それから死の灰の煙がばあっと立ちのぼりますから、その立ちのぼってうんと高空で、ちょうど原爆の破裂のときのようにうんと大空でいくから近くはあまり降ってこないという、そういう計算手法が入ったというこの三つが違うだけで、あとは基本的には前のと同じだと言っているわけです。その一九五七年のやつを読むと、これはわれわれ原子力——向こうの専門家でございますが、原子力は安全だと信じておる、そのフィーリングを数字にしたらこうなるというふうにはっきり断わってあるわけでございまして、この数字がひとり歩きすることは原子力委員会自身が戒めておるわけです。ですから、おそらく日本でもこれをひとり歩きさされることはないと思いますが、もしもそういうことをされる方があったら私はたいへんな間違いだと思いますので、こういうようなのは委員の方は幾らでも手に入ると思いますので——おそらくこれは日本の政府にも絶対に来ているはずです。だから、それを翻訳さして十分内容を検討していただきたい。そんなにびっくりするようなことは何も書いてありません。  それからもう一点は、これは何のために出したかといいますと、保険に限界があるわけですね、御存じのように。日本は六十億円で打ち切りです。で、原子炉災害が起こったときは電力会社が六十億円だけ保険を出せばいいので、あとは政府がまかなうことに日本はなっています。で、アメリカはそれを、いまたぶん八千万ドルぐらいになっていると思いますが、電力会社はその辺を出して、それから政府は五億ドルまでは補償する。日本の金にしてざっと千五百億から二千億です。そこまでは政府が補償する。ところが住民の中から、最近は大型化になったからその額を引き上げないといかぬのじゃないかと、これはプライス・アンダーソン法というわけですけれども、それを改定するという動きがいま議会に非常に強く出ているんです。それで原子力委員会が議会の要請によってこれを出したわけです。こんなものが出ても、保険屋が全額を払うというようなことは絶対にないと思いますから、それをごらんになっておれば、保険屋さんというのはそんな情緒を入れませんから、非常に冷酷な計算をするわけでございますから、相変わらず保険限度というのは、いまアメリカから伝わってきている情報では、一億ドルというところに引き上げて、あとは政府がやはり五億ドルで補償するというような形で改定は落ちつくのではないかという情報も入っていますから、そういうものの試算のための材料として使うにすぎないということは、ぜひこれは議員の皆さんは、何か科学が発達して非常に確率が減ったというような宣伝が行なわれますので、冷静に対処していただきたいと思います。
  145. 小平芳平

    ○小平芳平君 委員長、資料として出していただきたい、MITの報告をです。資料を政府から各委員に配付するようにお願いします。  終わります。
  146. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) いま科学技術庁、その資料ありますか。
  147. 半澤治雄

    説明員(半澤治雄君) 要約と申しますか、その付属資料というのは非常に膨大でございまして、資料来ているはずでございますけれども、そこまでちょっと手が回らないかもしれませんです。要約はあります。
  148. 鶴園哲夫

    委員長鶴園哲夫君) 要約でいいですね。——じゃ要約のものをこの委員会に出してください。
  149. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 先ほど、服部さんじゃなくて私がこれを引用して申しましたので、いま資料は原子力局のほうからお入りになりましてお読みになりますと、先ほど久米参考人の言われましたこととかなり根本的に違った点がございますので、ぜひお読みいただきたいと思います。また、その説明が要るような場合には、ぜひ、私いつでも御説明いたします。私ほとんど詳しく、一応ドラフトでございますが、読んでおります。  内容はどこが違うかという点を申しますと、保険用に昔やったものとは——当時はこれがWASH七四〇というやつ、今度は一四〇〇番という値でございますが、昔保険用にやったときには、この原子炉技術というものがわからなかったので、頭ごなしに何%の放射能を出すとしてやりました。今回は先ほど田島先生言われましたように、手法が全く新しく開発された手法である。その手法をほかの手法で実証すれば非常に田島先生信用できるとおっしゃっておりますが、ここでは飛行機その他の産業に、部分的ではございますが、個々の機械のこわれる確率というものを入れて、あるシステム全体を出してみて、それが実際に飛行機などでこわれたシステムで与えてみて、この手法がいけるという自信を持ってやったものである。それからもう一つは、AECがやったと言っておりますが、AECがやったわけですけれども、規制当局と独立にMITの先生を長として別にこういうことをやったという点か——そのいまの要約のほかに二五〇ページの本文がございますが、その辺をよく久米先生もお読みになりますと、多少先ほどおっしゃったことと違う点があるのじゃないかと思いますので、ぜひ先生方もお読みいただきたいと私思います。
  150. 内田善利

    ○内田善利君 ちょっと関連して。  先ほど小平委員から質問があった中で、はっきり答えがわからなかったんですが、使用済み燃料ですね、原発の使用済み燃料については困っておるのか困っていないのかという質問に対して確答がなかったように思いますが……。
  151. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 使用済み燃料でなくて、発電所現実にたまっているドラムかんに入っているものが困るか困らないかというお話で……。
  152. 小平芳平

    ○小平芳平君 私は両方言ったんです。
  153. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 両方ですか。使用済み料につきましては、現在のところは、いま使用済み燃料出ましたものについてはイギリスとの契約によって処理をしてもらっておりますので、現状では困っていないといいますか、その手だてはありますと、しかし将来ずっと発電計画全体が進むときにそのような処理が国内ではできないではないかというのがほかの参考人先生方の御意見だと思います。現状では出ましたもの、私の会社ですとイギリスとの契約によってイギリスによって処理しております。
  154. 内田善利

    ○内田善利君 送っておるわけですか。
  155. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) はい、そうです。
  156. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 それでは時間がだいぶおそうございますし、各委員からそれぞれの分野についての御質疑がありましたので、短時間でお伺いをしたいと思っておりますが、まず最初に板倉参考人にお伺いをしたいんですが、午前中のお話の中でも、平常運転では実質的な放射能の有害な量というのは出していないということを言われておりますけれども、そういうふうに言われると、全くまともに原子炉というのは運転されておるというふうな感じがするわけですけれども、十月末現在では、商業運転開始中の七基の炉のうち六基は事故あるいは点検中で、発電停止をしているというふうな状況に現実にあるということですね。そういうことと関連しましてお話を聞いていると、全く心配はないんだというふうにおっしゃるわけですけれども、現実に片方では七基のうち六基がとまっているというふうな状況に一つはあるということですね。  それから、これは先ほど小平委員も触れられましたけれども、四時のNHKニュースで放送されたそうですけれども、十日付のニューヨーク・タイムズの報道によりますと、アメリカ原子力委員会は、もし原子炉事故が起これば核兵器による被害よりかなり大きな被害、約四万五千人程度の死者が出るなどの調査結果を隠していた。これは企業から結果を非公開にしてくれというふうに言われて公開をしていなかったんだというふうにニュースで報ぜられているわけです。アメリカでもこういう問題が起こっているということなので、特にアメリカに学んでアメリカの例を引いてというふうなことが再三言われておりますけれども、日本の電力会社ではそういう心配は一切ありませんか、簡単にお伺いしたい。   〔委員長退席、理事栗原俊夫君着席〕
  157. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 第一の問題は平常運転のときに、運転に伴って環境に出る放射能というのは確かに出ていますけれども、ごく微量なものであって、自然放射能等から判断して、私は安心だと思っておりますというのが第一でございます。それに関連して、実際いろいろのパイプ等の事故でとまっているんじゃないかとおっしゃっていますが、これは事実でございまして、そういうことのわずかな欠損、あるいは事故原因になるようなものを除去するということは非常に大事なことであり、そういう意味において、安全についてはかなり対策がとられていますけれども、電気を出す面についての、まだ実証炉ではないと私は考えております。  それから四時のNHKニュースということについては、私見ておりませんけれども、たまたま四万五千人というお話でございますと、ことしの四月アメリカ原子力委員会が発表しております。これはどういうことかといいますと、先ほど久米参考人が言われました、アメリカ原子力発電を開始します時点において保険金をきめるためのプライス・アンダーソン法で、原子炉が一番大きいと思われる事故を起こした場合にどのくらい損害があるかということを調べたのにWASH七四〇というのがございます。それが十年後で、プライス・アンダーソン法は十年の期限立法でございましたので、初めのやつが一九五七年だと覚えておりますので、次が六五年ごろから、WASH七四〇というのはまだ原子炉かなり小型でございましたので、これを現在の百万キロに直して計算してみるということで議会から求められて仕事を途中まで始めました。そうすると、手法が昔のWASH七四〇と同じように、中にある放射能の五割なら五割を全部環境に出すという仮定で計算をいたしましたので、答えが……。
  158. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 そういうことを聞いておるのでなくて、私がお聞きしているのは、アメリカでもそういう大きな被害で四万五千人ほどの死者が出るというふうな調査が出ておった、ところが、それが企業からの非公開にしてくれというふうなことで公開をしなかったということがけさのニューヨーク・タイムズで報道されていると。これはニューヨーク・タイムズ私も見ていないですからわからないですよ。しかしアメリカでもこういうことが報道されているということがあるので、日本の電力会社はそういうことはありませんなということを言っている、断言できますかということです。
  159. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 政府に対してこういうことを非公開にしてくださいというようなことを日本の電力会社が言うかと——私個人ではそういうことはございません。
  160. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 私は個人の見解を聞いておるのではなしに、日本の電力業界でそういう心配はありませんかということを聞いておる。
  161. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 私の知る限りではそういうことはないと考えております。
  162. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 これは別の問題なんであれですがね。私は電力会社に対しましては原子力発電だけではなくて、かねてからの火力発電によっては全く終末処理をやらなくて、長い間たれ流しをやってきたわけです。そうして住民はずいぶん大きな被害を受けて、やっと裁判で若干の救済がやられだしておるというふうな、すでに前科持ちの電力会社ということなんですがね。今度の原発を見ましても、やっぱり電力だけ出すところを考えておって、全くたれ流しという状況が論議の中でも明確にされているわけですね。先ほどから各参考人の御意見を伺っておりましても、いわゆるサイクルというか、トータルシステム、それを含めてこれは安全性というものが問題にされなければならない。ところが、板倉参考人のお話では原発自身の、原子炉自身の工学的安全性、しかも平常運転時のごく限られた、しかも七基のうち六基がとまっていて、一基しか動いていないという時点で、そこの部分だけが安全なんだと言われても、これは国民はなかなか信頼しにくいわけです。信頼しにくいというのは前科があるからですよ、特に。その点はっきりしておきたい。  そこで端的にお答えをいただきたいのは、電力会社としてはこれは先ほど久米参考人も法律的な問題点を御指摘になっておられましたけれども、そういった再処理あるいは廃棄物の終末処理、そういった点については、電力会社としては電力だけつくって、金もうけの対象だけは考えるけれども、あと始末についてはお考えになっておるのかおらないのか、九電力について何らかの具対策があるのかないのか、それだけをお伺いしたい。
  163. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 私は電力会社を代表してそういうことにお答えする立場で来ておりませんで、安全専門専門家ということで参考人に呼ばれたと思いますので非常にお答えしにくいわけでございますが、私の担当しております環境放射能問題につきましては、火力の従前の例がどうであったかということは別といたしまして、新しい技術でより環境に対する放射能低減策というものが見つかり次第、これをすでに運転許可になっているものについても次々取り入れております。そういう態度環境問題に進んでおりますので、そういう点でお答えさしていただきたいと思いますが。
  164. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 いや、問題は法律事項でないということもあって、終末処理あるいは廃棄物処理ですね、たれ流しという問題について電力会社としては責任を感じて、何らかの具体策を考えておるのかおらないのか。だって、政府がやっていることは先ほどから論議の中で明らかなように、再処理工場やっとつくったけれども、まだ運転してなくて外国へ持っていっているんでしょう、再処理工場の使用済み燃料は。そういう状況なんでしょう。しかも間に合わないというふうに言われているのに、現実には九電力はどんどんやっているわけでしょう。そういった終末処理については企業としては考えておるのかおらないのか。たまたまあなたは電力会社におられるので、お聞きをするには最も適格な参考人のお一人なんでちょっとお聞きをしたいわけですよ。
  165. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 環境に対します放射能放出につきましては、私が電力会社でもそういう指導的な立場をしておりまして、その点につきましては、極力環境放射能低減対策は取り続けてきております。  それから第二番目のお話は、使用済み燃料処理について、電力会社はまだやってないではないかというお話に受け取りましたが……。
  166. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 使用済み燃料の再処理の問題も含めて一切の廃棄物ですよ。たれ流しというのはそういうことでしょう。そういう問題も含めて廃棄物処理について考えておるのかおらないのか。これは全部政府まかせでやるんだというふうな立場を貫いておるのかおらないのかということをお聞きしている。
  167. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) その辺につきましては、非常に問題が大きいために政府でもやっていただかなければ片づかないこともありますし、電力会社独自でそれについて考え方を進め、整理していく、両面でいっているのが現状だと思います。
  168. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 具体的にちょっと。それじゃ電力会社で進めていっている具体的内容について簡単にお答え願いたい。だって、先ほどから聞いたら廃棄物はドラムかんに入れて積み上げてある、それから使用済み燃料は外国へ頼んでいるから問題はありませんと、こういう話でしょう。それならもっと具体的に聞きますけれども、たとえばドラムかん、いまどのくらい電力会社にはたまっておって、いつまであったらためて保管できるか、それをちょっと聞かしてください。
  169. 板倉哲郎

    参考人板倉哲郎君) 話が二つよく混同してありますけれども、まず発電会社で運転に伴って出てきます環境に放出する気体、液体については、これがいきなり環境に出ますので、これを固化しまして、環境に出る量はきわめて低減をはかっております。固化しますので、付随的にドラムかんといいますか、固体になった廃棄物がたまっております。これは各発電所で一年間、型によって違いますが、約二千本年間に各発電所でできると考えていいんじゃないかと思っております。このドラムかんに入っています廃棄物につきましては、中に入っています放射能量がきわめて少ないものでありますので、これについては電力会社としての考えは、深海投棄ということが国のほうで許可がなりましたらそのようにさせていただきたいと思いまして、深海投棄できるような方策で現在ドラムかんに詰めております。しかし、これは国際的な問題もありますので、電力会社だけで独自で海に捨てるというようなことを決定することもできませんので、この点は政府にお願いしているわけでございます。
  170. 沓脱タケ子

    ○沓脱タケ子君 そこだけ時間をとるわけにいきませんので、ほかの先生方の御意見も伺いたいので、海洋投棄、深海投棄にもきわめて重大な問題点があるし、未解明の問題点なんでこれは伺いたいのですけれども、また別の機会にしたいと思います。  次に角田先生にお伺いをしたいのですけれども、これは午前中のお話の中で田島先生からも三原則の厳守の問題、それから服部先生からも公開性の問題等について御指摘がありましたし、角田先生からもそういった点の重大性というのが御指摘があったわけです。で、特に安全性と公開性の問題というのはきわめて重要だということの認識を深くしたわけですけれども、特に私、先ほども他の委員方々の御質疑の中で伺っていたんですけれども、つい原研のそばで起こっておる事故内容さえも研究員自体がはっきりとつかまれない、資料がうまく手に入らないというふうな事態というのは、きわめてこれは深刻だと思うんですよ。そういった点で、安全性と公開性の原則の問題、関係ですね、具体的にひとつ明らかにしておいていただいて、どうしても解決をしなければならない問題点ではないかというふうに思いますので、その点について一点お伺いをしたいわけです。  それからもう一点は、もう時間の関係がありますからまとめてお伺いをいたしますけれども、これは服部先生のお話の中で出ておりましたのですけれども、公衆の被曝に対する線量限度、これが五百ミリレムから五ミリレムアメリカでは変更されてきているというふうなことで、その際に非常に驚いたのですけれども、敦賀では百十ミリレムであったと、それから福島第一では三十七ミリレムであったのが計算方式を変えたら一・三ミリレムになったのだというふうなお話があったわけです。科学的に改造、あるいは改善をされてそういうふうに値が下がったのではなくて、計算方式を変えれば二けたぐらいは簡単に変わるのだというふうなことなんですね。そうしますと、私ども国民立場からいたしますと、五百、ミリレムといういまの時点よりさらに被曝線量が少なくなる、どんどん基準が低下していく、低下というのですか、少なくなっていくということはきわめて望ましいわけです。たいへんありがたいことだというふうに思って見ておったのですけれども、これはあながち喜べないというふうに感じたわけです。そういう点で、それでは年間五ミリレムという規制が、これは日本でもそういう方向は取り入れられようとしているというふうなことなんですけれども、実際にそれじゃ五ミリレム以下だということの測定ができるのかできないのか。そうでなかったら、計算方式さえ変えれば簡単に変わるのだということだったら少しも喜べないという点がありますので、その点について、実情について、これは角田先生、それから服部先生、両方の御見解を伺いたいというふうに思います。お伺いをしたいことを先にみな言っておきますからね。  田島先生にお伺いをいたしたいと思います点は、先ほど原子力委員をおやめになった理由として、安全性を守り切れない、責任が持てないというふうにおっしゃられたわけなんで、これはきわめて重要だというふうに思うわけです。そこで先ほど私、ニューヨークタイムズの報道を引用いたしましたけれども、日本原子力委員会では、業界から、そんな資料の公開を待ってくれといって言われたら、これはそういうこともあり得るというふうな体質があるかどうかというふうな点。  それからもう一つ私田島先生にお聞きをしておきたいなと思っておりますのは、いわゆることしの春問題になりました分析化学研究所の問題で、あれは原潜でございましたけれども、放射能環境測定がやられているはずであったのが全くやられていなかった、捏造であったということが明らかになって、これは国民にたいへんなショックを与えたわけですけれども、その後どういうふうに改善をされておるのか、現状はどうなっているのか、おわかりだったらひとつ伺いたいというふうに思うわけです。  それから服部参考人にお伺いをしたいと思っておりますのは、いろいろあったのですけれども、各委員からいろいろ御見解が出ておりますので一つだけお聞きをしたいと思いますのは、これは午前中のお話の中でも御見解があったわけですけれども、「むつ」問題ですね、全く世界に類例を見ない無責任な体制というのが暴露されたわけですけれども、先生は「むつ」の調査にも参加をしておられますし、今度の「むつ」の事故を含めて原子力開発の安全体制、そういったものについてどのような教訓を引き出され、どういう体制を指向するべきだとお考えになっておられるか。ちょっと大きいですか……。そういった点、お伺いしたいというふうに思うわけです。
  171. 栗原俊夫

    ○理事(栗原俊夫君) 順次御質問に対して……。
  172. 角田道生

    参考人角田道生君) 今回の問題の問題点としまして、実際にたとえば企業のほうからそういう安全に圧力かかることはないかというお話がありましたが、私はこれ、あり得ると思います。で、それはしかし、たとえば非常に何といいますか、証拠の残らないような形であるであろうというふうに思います。具体的には、たとえば環境モニタリングをどうするかというようなことを検討する場合、原子力研究所ではこういうふうなしかたでやりましょうと、われわれとしてはいろんな自然の何といいますか、状況、挙動というところを解明していきたいと思ってかなり、たとえばたくさんの点をとるぞという計画を持ちますと、それはちょっと待ってくれと、たとえばわれわれのそばに原子力発電のモニタリングがある、そうしますと、何かやっぱりそちらのほうと相談してあるいは全国を見渡してと、こういうふうな配慮が実はその主導官庁である原子力局から、これは正式かどうかわかりませんけれども話としてはきて、それが何となく一定の雰囲気をつくっていくというようなことがあります。私、いま一番危惧しておりますのは、たとえばいまこれだけ大きな問題になった「むつ」、「むつ」の欠陥がどこにあったのかというところで、この「むつ」にはいろんな意味でいいますと、たとえば三菱重工、三菱造船という巨大企業がからんでいるわけです。で、これが自社の責任になるとブランドにきずがつくという問題が当然起こる、その背後にはウエスチングハウスがこれは世界市場をシェアをどうするかということでにらんでいるという状況の中で、ほんとうに「むつ」の欠陥がどこに、ほんとうの科学的な原因がどこにあったのかということが、これから発足しようとする調査会でやれるかどうかと、これが非常に重大だと思うんです。たとえば、そういうことをやるためにはどうすればいいか。これは私は討論資料を徹底的に公開していく、周知していくということが非常に必要なんではないか。それがほんとうに徹底して公開されれば、そういうふうな圧力が入ったらこれは科学者には見抜けます。ですから、そういうことがやっぱりできにくくなる。公開の問題というのは、たとえばそういうふうな意味で重要であるということです。  それからもう一つは、たとえば平常運転時で原発は安全なのかどうかというふうな問題がありました。平常運転時ということば自体が、先ほど申しましたように定義があいまいである。結局現在のところでは、その施設の運転者がまず平常運転時だと宣言してしまうと、それからそれに対して科学技術庁なり監督官庁がクレームをつけないという状態があれば平常運転時になってしまう。そうしますと、これはどんな平常運転時でも燃料棒に全然全く穴がないという状態運転している原子炉というのは皆無だと思います、小さな穴が。その穴がどの程度になったら原子炉をとめて、つまり発電をとめて、送電をとめて点検をするのかと、ここにやっぱりその企業なりその企業にあずかっている管理者のいろんな判断が入ってき得るわけです。こういうふうな問題を考えますと、大きな問題としまして、平常時安全なのかと、そういうことに非常にシビアであって国民の安全をほんとうに守って、発電が多少とまってもしかたがないと、つまり、どんな低レベルなものでもできるだけ低くやると、ここで技術的にとめられるんだったらとめようという思想の人が運転していれば私は平常時安全だろうと思うんです。ですから、平常時安全かどうかということは、その運転なさる方が平常時安全の安全問題についてどういう見解を持っていらっしゃるかということを聞いて判断するのが一番正確な判断ができるであろうというふうにいまは考えます。  公開の問題で、たとえば昨年、これは科学技術庁に公開資料室ができまして、一応いままでは安全審査関係の資料というのは審査が終わった段階で、たとえば「原子力委員会月報」というのに載る程度しか公開されていなかったのが、申請書が幾らか公開されるようになったというふうな、これは一つの前進だと思います。そのことを、たとえばアメリカと比べまして、アメリカの安全審査の資料というのは、日本の国内にいて、その公開資料室で今度展示されるようになったものの数倍、数十倍というような克明な資料が日本では外国の原子炉についてはやっぱり読めると、こういう話を前からいろんな人が指摘して、せめてここまで持ってこいと。私はこの問題は、やはり残念ながら、たとえば小規模の異常、こういうものを通じて原子力のほんとうの適応性ということをわれわれは研究しながら高めていくわけですけれども、そういうことの報告というやつが非常に隠されるという問題を話しましたけれども、アメリカの場合にはこういうことをやっぱりかなり発表しているわけです。たとえばアメリカにはニュークリア・セーフティ・インフォメーション・センターという、略称NSICというようなナショナルセンターがありまして、そこで全国のいろんな原子炉の安全に関連する事故を、小異常をも含めて情報を全部収集しまして、収集するだけなら日本でもかなりやっているんではないかと思うんですが、それを積極的に周知する、普及するというセンターになっておるわけです。そういうところで一応編集しまして、たとえば「ニュークリア・セーフティー」いう、こういう隔月刊の雑誌がありまして、この雑誌は、主として原子力安全に関するトピックスのレビューを論文の形で載っけていくのが目的の雑誌ですけれども、その中に、たとえば最近の原子炉に起こった事件とその原因というような固定欄があります。こういう非常にこまかい字で、これがたとえばこの本ですと七ページ続くわけです。隔月刊で、これはたとえば七四年の一月二日から四月五日まで、アメリカの各地の主として原子力発電所で起こった事故、あるいは異常ということを克明に全部リストアップしているわけです。それを普及しようとしていると。この表は三つに分かれていまして、一つ運転中の原子炉に起こった異常事故。これはかなり注意しなくちゃいかぬ。もう一つは定期検査などをやっているときに起こった事故と異常。これは前よりはまだいいけれども、というやつ。三番目が建設中の原子炉に起こっている事故。これはこれから直せると。こういうふうに分けまして、合計で、……。
  173. 栗原俊夫

    ○理事(栗原俊夫君) 角田参考人、時間の制約もありますので……。
  174. 角田道生

    参考人角田道生君) たとえば、この一号に三百項目ぐらい載っているんですね。これに関する詳しい資料がほしいという人があったらここに問い合わせろと。そうしたらコピーを送るということまでついているというような点がある。で、私非常に残念に思いますのは、去年福島で開かれました公聴会がありまして、その公聴会に対する原子力委員会の、政府のそれに対する見解というのが正式の報告書で出ているわけです。その報告書の中で、資料の公開についてちょっと見過ごすことのできない原子力委員会態度宣明がある。それは、いわゆる平和利用三原則で言っている公開の原則というのは、これはすべての資料を全部公開しろということを言っているんではないんだと。ここで言っているのは、公開というのは研究、開発、利用の効率的促進、それから平和利用の担保、国際協力の推進と、こういう目的に必要であるから公開するということなんであるということを強調しまして、たとえばいかなる資料等も一切公開することは本来の目的たる研究開発の効率的促進の趣旨に沿わなくなることさえあり得ると。つまり、開発の効果的促進と能率的な促進に資料の公開が沿わないことがあり得るという趣旨のことがむしろこの中では強調されている、安全に関する資料の公開を積極的にやるという姿勢以上にですね。これはやっぱり非常に大きな問題であると思うんです。やはりこれからの安全、公開の原則は、田島先生の言われましたように、平和利用の担保であるということが、いわゆる戦争による死ということから、いろんな原子力利用による生命を守るという問題の原則でもあったということが、私は日本のこの原子力開発の歴史の中で国民のコンセンサスにいまなりつつあると。ここのところがコンセンサスとして日本に定着するか、それともこの原子力委員会のここで出しております見解、これが国の原子力最高機関の見解であるとして定着してしまうことになるか、この分かれ目であるという意味から、私は公開の問題がいま国民の安全と環境保全というような問題に携わるすべての人人の間でほんとうに討議されてほしいというふうに訴えたいと思うんです。  時間がきましたので……。
  175. 服部学

    参考人(服部学君) 一つは、年間五ミリレムというのがはたして測定できる量であるかどうかということでございますが、だいぶ測定の技術も進歩してきておりますので、本気になってやればはかれない量ではないと、いいかげんにはかったら幾らでもごまかしがききますけど、本気になってやればはかれない量ではないというふうに思います。  それから簡単に申し上げますが、「むつ」の事故を含めて安全体制どのような教訓を得たかという御質問に対しましては、これはもういま角田参考人がおっしゃったことに尽きると思います。私も角田さんの御意見にもうほんとうに全面的に賛成でございます。特に一切の討議資料を今後公開していかなくてはいけないという点、これはぜひとも実行していただきたいことであるというふうに思います。  それから、ちょっと例が本題からはずれるかと思いますけれども、一言つけ加えさしていただきたいことは、先ほどの議論の中で、やはり放射線の許容量という考え方に利益と危険のバランスであるということが言われたわけですけれども、はたして企業の利益とそれから危険を受ける側の住民の危険というものとがバランスし得る量なのであるかどかという点、今度の「むつ」の問題を通じても感じた問題の一つでございます。
  176. 田島英三

    参考人(田島英三君) 時間がないようなので簡単にいままでの質問に対して申し上げます。  順序不同ですが、分析化研の現状というお話がありましたけれども、残念なことに私存じません。分析化研がどういう状況になっているか存じておりません、原子力委員会離れてしばらくたちますから。  それから二番目は、私がおったときに原子力委員の体質として企業のほうから非公開にしてくれというふうな体質があったかどうかという問題ですが、先ほど申しましたように私非常勤なものでありまして、私が出るような会議のところにはもう出てこない。あるかどうかわかりませんですが、出てきたら私の知っているものは全部ぼくは公開してもしかるべきものだと思っております。非常に重大な問題ですから、正確なことを言わなければいけないと思いますが、私の段階のところでは企業からこういうものは非公開にしてくれというふうなことは一回もありません。その前にあったかどうかは存じません。  それから五ミリレムはかれるかはかれないかということですが、これは研究程度技術を使えば十分はかれます。私のほうではかっておるんですが、ただそれをフィールドサーべーとしてフィールドに置けるようなものにはまだ技術開発が必要なんじゃないかと思います。  それから計算の例でこう変わったというお話ですが、環境・安全専門部会の私部会長をして、ちょうど山田さんのおられた放射能分科会の部会長をしていたんですが、そこでは計算方式というのを、これはアネックスか何かで出していたのですね。日本の場合はヨードについてはミルクばかりでなしに葉菜も考えろということで、それには大体こういう数値を使ったらいいだろうということをはっきり勧告の形ではないですけれども、勧告に近いようなかっこうで出ているはずであります。おそらく計算方式、今後は、そういうことがあったかどうか知りませんけれども、ないだろうと思います。  それから「むつ」の教訓ですが、私も「むつ」に行きましたんですけれど、その後も、この間も行ってまいったんですが、簡単に、いままで出なかったことで私が思いますことは、「むつ」の原子炉というのは普通の軽水炉と違いまして技術公開があまりされていない原子炉なんですね。「むつ」は潜水艦で発達した技術ですから技術公開はあまりされていない。したがって、日本で自主開発をするという羽目に入るわけですが、いかに自主開発というのがむずかしいものであるかということを心しなければいけないというのが一つの私教訓です。当然のことながら、そういうものを意識して原型炉から始めるべきだったというのが結果論でありますけれども、当然のことだと私考えております。  それからもう一つ痛切に感ずるのは、今度の事件で原子炉開発の、先ほどから申しましたように、責任の所在が非常にあいまいである、この責任の所在がないところにちゃんとした仕事ができないんじゃないかという、責任の所在が非常に不明確な体制になっているということを修正しなきゃいけないんじゃないか、私はそう思います。  それからもう一つはだで感じたことなんですが、よく原子力開発するにはPRをしろと、パンフレットをつくり、映画をつくるということですけれども、ああいうものがどれだけぼくは効果があるか非常に疑うわけでして、いかに国民に信頼されるかということは、そういうことではないのですね。そこのところ、もうちょっと考え直さないと、パシフレットを幾ら山と積んだって——「むつ」でもだいぶつくっておるわけです。映画もつくっておるわけですけれども、一向に信用してくれない。これはやはりよほど考えないと、信頼はどうして得るのかということは、やはり何といいますか、完全な安全の研究推進をやると同時に、先ほど言った公開という問題が、ぼくはむしろいわゆるPRには非常に効果があるのじゃなかろうか、そういうように感じます。  その他ありますけれども、簡単に申しておきます。
  177. 栗原俊夫

    ○理事(栗原俊夫君) 本件に関する本日の調査はこの程度といたします。  参考人方々には、朝来、たいへん長時間、御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十六分散会