○
戸叶武君 これと対照的な問題がけさの各
新聞で
報道されております。朴
大統領狙撃事件に関連して、大阪地検と大阪地裁の見解の対立であります。大阪地検では、吉井美喜子が射殺犯人文世光の渡韓目的を知っているかどうか、これが重要なポイントだと主張し、二十八日にさらに十日間の拘置延長を大阪地裁に請求した。これに対して大阪地裁は、現段階で美喜子の身柄拘置を続行しても成果は期待できないと、検察側の主張を退け、準抗告も棄却した。この
事件でありますが、大阪地検は、拘置期限の切れる直前に、急遽異例の深夜起訴に踏み切ったということでありますが、地検と地裁でこのような見解の相違がすでに露呈しております。これは
国民全体がやはり非常に考えさせられる問題の提示だと思います。私は、先ほどからの
木村さんと
玉置さんの
質問応答を聞いていながら深く考えさせられた点があります。
日本と朝鮮とは、記録された歴史の中においても千三百年以上の
交流があります。民族の血も文化も
流れ込んでおります。しかしながら、われわれが明治以降における
日韓関係の悲劇的な
事件として回想できるのは、
日本の明治維新に学んで
韓国の腐敗政治を立て直さなければならないと立ち上がった金玉均が、
日本に亡命して、たしか明治二十七年ですか、上海におびき出されて、金大中氏のような形において、より悲惨に、閔妃一派の暗殺者によって殺されておるのであります。
日本の志士は、
韓国の近代
国家への歩みを促進させようと思って金玉均をかばったのでありますが、金玉均は、祖国に対する熱情から、命がけでやはりその誘惑と半分知りながらも、上海におびき出されて殺されたのであります。金大中氏は、殺されかかったときに、どこかの飛行機が暗号でも送ったのかどうかわかりませんが、殺すと国際世論を刺激するというような形かどうか、
世界の世論にささえられて今日命を全うしておるのであります。金玉均の八十年前の回想と今日の金大中氏の置かれている位置というものは、決して私は別なものではないと思うのであります。また、
韓国に対しては、日露戦争以後、
日本はあの国を賭しての戦争において、
韓国の志士が、
日本軍隊に協力することによって独立を完徹できるという悲願を抱いて
犠牲を払いました。それが時の官僚、軍閥の指導者、伊藤博文や山県有朋にゆがめられて、結局は
日韓合併への道を歩んだのであります。このときの安重根氏の置かれている
立場は、私の父の
友人でもありましたが、まじめなクリスチャンの教育者でありました。しかし、民族の悲願を踏みにじって朝鮮民族の独立を保障するのでなく、
日韓合併への、帝国主義
政策によって朝鮮民族の真心が踏みにじられたことに対して、かれは
テロリストの鬼と化したのであります。彼は、朝鮮から脱出してウラジオストックに行く前に、血書の文を、当時大韓日報の社長をしておった私の父
戸叶薫雄にも送っております。二年以内に
日本の
日韓合併の巨頭を倒すことができなければ
自分は自殺して死ぬ、まさに鬼となったのであります。ウラジオストックからハルピンに出て、ついに一年でその目的は達したのであります。この安重根の悲願というものを見るならば、朝鮮民族の中には、あるいは右、あるいは左といいながらも、祖国のために命を捨てた人として、平壌と京城に安重根の銅像が建てられております。女の文士曽野綾子さんが、
テロリアトの銅像を京城に建ててあるのは不愉快だったという印象記を書いておりますが、
日本民族としてはそうであるかもしれませんが、長い間圧政を受けたところの
韓国におけるまじめなクリスチャンが、教育者が、鬼となって伊藤博文を射殺して倒れていかなければならない心情というものをくみ取るだけのゆとりがなければ、今後の
日韓関係の調整は困難です。私は、六年間、国会図書館にたてこもって
日本の近代史を研究しているときに、
佐藤内閣の末期でしょうか、前の参議院議長、両方とも長州か防州の出です。伊藤博文の銅像を道の向こうから国会の中へ運んできたんですが、戦争に破れて、天皇も
国民も声をあげて泣きながら、再び戦争はしまい、平和共存の
世界のモデルになるんだという決意をした
日本国民が、なぜ自民党が憲法改正を党議できめたからと言って、現行憲法を変えるために、明治憲法へ復帰しようという手段のために、ドイツのカイザーにだまされて、ビスマルクにそそのかされて、欽定憲法の名のもとに統帥権を侵犯することができないような軍部官僚に都合のよい帝国主義憲法をつくり上げたその本尊の伊藤博文を、なぜ国会に引っぱり込んでもぐり込ませたか。そのたたりが
佐藤内閣のみじめな敗退であり、前の参議院議長のみじめな敗退であります。象徴です。(「たいしたことじゃない」と呼ぶ者あり)いや、重大なことです。これは重大なことだ。君と
立場が違う。(「河野議長のときですよ」と呼ぶ者あり)河野議長じゃない、前の議長。君は知らないのだ、ものを。ここでああのこうのと言う必要はない、私は
質問中だから。
私は、
玉置君の出身は御坊だということを知っている。御坊には、私の哲学の先生で田渕豊吉という偉い人がある。あなたはそれをせんじて飲みなさいよ。田渕豊吉は奇人だ、気違いだと言われながらも、若き日に
田中正造に会って、そうしてあの晩年の風貌もそうですが、何が正しいか、真実を求めて彼は孤立無縁でも国会で戦った。いまの青嵐会の人もりっぱな人が、
玉置君のようにあるようですが、あるいは
台湾に、あるいは朝鮮に、いろんなよその国を憂えていることはけっこうですが、その前に、みずからの主体性を確立することによってやはり他国との融和というものを求めないと相手にばかにされます。私はそう思う。あのロシアの皇太子が、大津
事件を起こしたときの裁判官の
態度を見てごらんなさい。帝政ロシアの全盛期においてすら、一裁判官が敢然として
日本の国の主権を守って私は善処したと思うのであります。私は、警察庁というのはあまり好きじゃなかったんですが、このごろの警察庁はやはりその点のけじめはき然として、だいぶどうかつされても微動だにしないところは見上げたものでありますが、
外務大臣の置かれている地位はきわめて重要です。
田中さんが朝鮮に飛び込んでいったときにも、個人の、あの人は思いつきが多いからですが、決意で行ったんでしょうが、あなたは先ほどたいへん表現のじょうずな弁解をやっておりましたが、事
外交に関しては、慣例というものがきわめて重視されるのであります。慣例によって動きがとれないようなことは慎むべきでありますが、先ほど
玉置君が言ったように、あの行為によって逆に
韓国のファシストを増長させ、一切を
日本の罪に転嫁するような今日の暴発が起きているのは
——玉置君より私は年は上だ、七十年の生涯、
日本の歴史を見詰めてきた。あの昭和五年に軍縮の方向づけをした濱口首相が東京駅頭でピストルでやられ、昭和七年に井上準之助は二月九日に射殺され、続いて團琢磨が射殺され、次に犬養毅が首相官邸で射殺された、一連のファシズムの台頭期における不気味な形相が、いま
日本にないと思えるかどうか。全体主義における、いわゆる
共産主義国家に対する脅威を説く人もある。右と左からの危機が今日議会政治の、民主政治の根底をゆさぶろうとしている。このときに、右せず左せず、まっすぐな道を歩むのが
日本外交の進路だと思うので、私は、それで
田中さんも反省して
木村さんを起用したんだと思うが、よごれた
外務大臣ではだめだ、年じゅう回りからおどかされてびくびくするから、少し白いのをというんで、あなたをしたんだと思いますから、
木村外務大臣、これはきわめて重要なことです。
日本はいま十字路の中に立っておるのです。
韓国問題に対してき然たる
態度を示さなければ、今後における
日本外交というのは信用されないと思いますが、あなたはどう思いますか。