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国務大臣(
森山欽司君)
地元の意向をできるだけ尊重しろというのは、御説のとおりでございまして、私
どもも「
むつ」の問題につきましては、それはもうほんとうに
地元の意向を尊重しておりましたから今日までなったのであります。というのは、先ほ
ども申し上げましたように、
昭和四十二年には、とにかく
原子力船の基地にしてもらいたいという申し出があって、しかも第一船だけなんて不義理なことをしないでくれよと、第二船、第三船もやってくれよというようなことで
定係港がきまったわけでございますから、そうして船ができて、
原子炉を据えつけて
燃料を装荷して、いざ出ようとなったら、おいちょいと待ったと、こういう待ったがかかった。私はその間にいろいろなことがあったと思います。どうも
地元の意向を尊重してやったが、まあそういう
動きが、手のひらをひるがえすような
事態が起きてきた。そういうことでありましても、国がやる
仕事でございますから、そういう点についてできるだけ
地元のということで、結局どうなったかというと、もう世界で初めての
洋上試験というようなことに踏み切らざるを得ないところまで
地元の御
意見を尊重した。もうこれならば
放射能とか
放射線ば表へ出っこないんでございますから、全く
心配ない。ただ、出してくれるかと思ったら、いやいや、出さぬと、こういうわけでございます。それで、
地元の御
意見を尊重いたしましたことと、もう
一つは、電源三法の趣旨等も考えまして、やはり
原子力船という、十年後でございましょうか二十年後でございましょうか、世界の海運界はそういう方向に私は向いていくんだと思います。わが国のような海運国であり、造船国であるわが国といたしましては、やはり将来の海運界、造船界のになうべき重要な
仕事に対して、やはりこういうことをやっていくという、これは
必要性があるわけでございます。そういうことで、そういう
開発利益という点を考えて、先ほど来申し上げましたように、道路だとか
有線放送だとか、
体育館だとか、あるいは
漁業組合に対する補助だとか、あるいは魚価安定資金とか、そういうほうにも頭を使って、さあひとつこれでお出し願えまいかと、そこまでまた
地元の御意向を参酌してやってまいったのでございまして、そうして最終
段階、結局二十九の
漁業組合のうち二十五
組合が、まあいいだろと、四
組合がどうしてもお聞きにならない。やはりいろんなお考えをもっておる方でございまして、やはりわが国は自由主義の国でございますから、いろんなお考えを持つということはこれはやむを得ないことだと思います。ですから、多数の方がそういうことになり、
現地の
知事も、この
段階であるから
出港やむなしということで
青信号を出されたわけでございますから、私はもうこのぐらい
地元の意向をそんたくしている点はないと思うんです。しかも、私は
海上保安庁の人の
情報で、実力阻止はやらぬよという
情報だった。私はむしろこの
段階において言うべきことは、ともづなをハンマーを振りあげて切ったり、いかりにつなを巻きつけて
出港を拒否したという、むしろそういうことが大きな問題じゃないかと思っておるんでございます、むしろ。
地元については十分尊重しました。これ以上のことはできません。そしてやるだけのことをやったにかかわらず、今回のような
事態を迎えたことは、もうほんとうに残念しごくであります。しかし、これが順調にいけばわかっていただけると思っておりましたところ、今回のような問題が出ましたから、私は事は小さくともこれは重大視をして事に当たっておるわけでございますので、どうかひとつその辺のところを、
地元の意向を無視したとか何とかというふうにお考え願わないで、もう
地元の意思は十分尊重したわけでございます。
それから、
原子力発電所のあれは柏崎・刈羽の問題は、七月四日に電調審にかかったわけでございます。まあおそらく
先生と同じように私も他の選挙区のほうに行っておりましたから、現場は確認をいたしたわけではございませんけれ
ども、いろいろ例によって一部の方々がたいへんめちゃくちゃな物理的な抵抗のような形のことをやったことは事実でございましょう。しかし、私は県民の多数というものは、あの
原子力発電の立地に賛成をいたしておると思います。現に
地元の君
知事さんは、当選したばかりでございましたが、同意書を出しておりますから、私
どもは
地元住民の
意見というものは
知事の
意見によって代表されていると、こういうふうに思っておるのでございまして、何かそういうことをやりますと、
地元の意向を尊重しない、尊重しない
——何をもって一体尊重しないと言われるのか。一握りの
人たちが物理的抵抗をやった力をもって、それでもって
地元の意向を尊重するとか尊重しないとか言われるとするならば、私は遺憾しごくであると思っておるわけでございます。でありますから、
原子力発電の問題につきましても、いろいろ先ほど来御忠言がございます。私
どもはそういう点をできるだけ考えて
処理いたしたいと思っておるわけでございますが、はからざるごたごたが起きるということになりますれば、それはたいへん残念しごくでございます。時と場合によりましては、何にもやらないでまいりますれば、わが国の行政が停滞するだけではございません。
日本の国の将来に大きなことになると思います。たとえば
原子力発電の場合、それはアメリカのように、もう石油はわんさと持ち、石炭はもう世界の半分以上も持ち、天然ガスも持っていると、オイルシェールもあるという、そういう国でさえも
原子力発電に一九八五年でございましたか、一億二千五百万キロワットぐらいの電力を
原子力発電やろうとしておるんであります。物のある国でさえもそうであります。わが国のように、アメリカのように石炭もなきゃ、石油は全部輸入でございますし、石炭も残念ながらわが国の賦存量はごくわずかでございますし、今日わが国における石炭発電の依存度は六%ぐらいでございまして、これに大きく依存するということはなかなかむずかしい。現に石炭は、国内生産もございますが、その品質によりましては外国から輸入しなきゃならないというふうになっております。もうほとんど天然ガスは取れませんし、そういうことでございますから、やっぱりわが国の将来の
エネルギー考えれば、これは
原子力によらなきやならないのでありますから、それはもうそのために最善を尽くすということは私は当然であろうと思っております。これは
日本だけではありません。アメリカでさえもそうでございますし、フランスも
——フランスは、これからつくる発電所は全部
原子力発電、そういうふうに方針をきめておるわけであります。ドイツもまたしかり。いずれの国々も
原子力発電に大きなウエートをかけておる時代、そうしなければ、何年か後においてわが国の
エネルギーというものはたいへんな状態にぶつかるわけでございます。現に、現在のような発電所の建設
状況でまいりますと、従来の計画でまいりますれば、
昭和五十三年ごろになりますと、電力の供給のほうが需要に対して追いつかなくなるというような計算もされておる。まあ近来電力の使用量は
予想を下回っておるようでございますから、そういう
心配が出てこなければいいなと思うわけでありますが、もし将来、電気がとまるようなことになったら、これは大きな責任であります。電力会社が供給責任を持っておるだけではございません。私
ども政治家といたしましても、そのときになってからでは間に合わないわけでありますから、そのために全力を尽くすことは必要である、そういう点かれこれいろいろ考えながらやっておるわけでございますので、どうかひとつ
安全性の
確保等について気をつけろよと、
心配ないようにやれよという御忠言としてはありがたくお受けをいたす次第でございますが、
原子力発電そのものについてどうだなというような御疑念を呈される点だけは、とされるならば、私はその点には同意をいたしかねる、こういうことでございます。