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久保(三)
委員 定期補修のほうが随時のほうに回ってきたという、これはゆゆしいことだと思うのです。
体制がくずれてきたことなんですね。それは何のためにというか、いま
お話しのような、
間合いができないとか、人間も
——人間の問題は、要員の問題はあまりおっしゃらなかったが、いわゆる外圧というか、そういうもののためにできなくなってきた、やむを得ず随修にいっているというようなお答えだと思うのでありますが、これは
線路を守る者として抵抗すべき限界をわきまえない態度だと私は思うのです。そこにやはり問題があると思う。
線路を守る者が、これはどうもうまくないんだけれ
どもやむを得ぬというようなことでやってきたのでは、
安全は保障されないのが当然ではないかと私は思うのです。
国民大衆も、
安全が守れなくても乗るんだという人は一人もいませんよ。
これは極端な例でありますが、最近では交通政策だって、省資源・エネルギーの時代でありますから、乗りたい者は全部乗せるわけにはいかぬ場合があるのです。都市交通の中においてもそのとおりですね。
国鉄だってそうですよ。だから、需要があるからどうしても供給しなければならぬなんということだけ
考えている
姿勢は私はおかしいと思う。
安全、環境保全をどうするかというワク内で処理すべき交通政策を確立すべきだと思うのです。その土台は、レールは、レールを守る者が限界まではぎりぎりやってもらう、限界を越したらとめる、あたりまえのことですよ。
私が調べたあれでも、東北本線は、現在最高速度百二十キロですね。たとえば上野−大宮間にとると、三十九年から四十二年まで九十五キロで走っていた。四十三年十月から、ずっと百二十キロに上げてきたわけです。東北本線のそれから先の、大宮−宇都宮、あるいは白河、あるいは福島、あるいは
青森、こういうところは、四十二年まで三、四年、大体百キロないし百十キロで走っていたのです。その上で百二十キロに置きかえていったのです。軌道
強化が進んでやったのだろうと思うのです。ところがこの上野−大宮間は、三十九年以来というか、その前もそうだと思うのですが、ずっと従来どおり、四十二年まで九十五キロで制限してきたのです。軌道
強化ができたというので、いま言ったように四十三年から百二十キロに置きかえた。そこらに私は
一つは問題があると思うのです。百二十キロに置きかえただけならば問題はない。置きかえると同時に、優等
列車の増発、それから通過トン数の増加、こういうものが並行して、これはなったと思うのです。
それで、四十三年からでありますから、七年ですよ。古いものからいえば十年を経過しているのです。そういうことからいっても、
線路の
保守についてはやはり十全を期すべきだったのです。これはかなりいたんでいると思うのです。私は、これはいやなことでありますが、こういうものから類推すれば、大阪−神戸間が次に来やしないかと思う。大阪−神戸間も、大体スピードはこの
程度。九十五キロで四十二年まで来て、四十三年から百二十キロに置きかえてきた。あるいは福島—岩沼間、九十五キロでありますが、これが次に来やせぬか。これはもちろん
列車密度がかなり減っていますし通過トン数も少ないから、
保守も完全というか、まあまあだろうと思うし、そう
心配はないと思うのです。しかし大阪−神戸間というのも、これは問題の点じゃなかろうかというふうに思うのです。いずれにしても、上野−大宮間の百二十キロというのは一考を要すべき事項だったと思うのです。
そこで次に、軌道狂いの指数というのを前もって通告しておりませんでしたから、おわかりになるだけでけっこうでありますが、これはある資料によります四十年と四十七年との比較であります。ゲージのほうの狂いは、四十年が七・三%、これに対して四十七年度が九・九%、それから水準、水平ですね、これが四十年が九・五%、四十七年度が一七%、それから高低は二七・三%に対して四十七年は三一・八%、それから通りは、一七・五%に対して二四・九%の狂いがある。かなり軌道狂いが増加しています。これはいま申し上げたように、
列車のスピードがかなり高くなってきた。これに対しては、御
答弁は、レールを重軌条に直していったからそれは耐えられるというんだが、スピードと通過トン数の増加、これは相乗積になると思うのです。そういうものでたたいていくのでありますから、これは従来の概念からいったより以上にレールはいたむということだと思うのです。いたみに対して補修が完全にいきますれば、これはうまくいくのですが、
列車の密度が多くなっておりますから……。
あなたのほうからいただいた
列車間合いにしても、これはかなり詰まっております。さっき
山岸常務かだれかが言ったのでは、夜間の
間合いが多くなっているという話ですが、夜間の
間合いというのは、極端に言えば使いものにならぬということであります。いまやらせているようでありますが、これはかなり問題がある。
結局、ここにある東北線のごときは、十年以前の
間合いを見ますと、昼間は三十分以下が十一回あった。三十分以上が一回。夜間の最大は八十一分である。八十一回じゃない。八十一分。十年後の四十八年十月の統計では、三十分以下が四回になった。十一回が四回になった。三分の一に減った。三十分以上は昼間は全然ありませんという。夜間が百一分というんだ。この百一分というのは、ダイヤを見ますと、これはまことに深夜です。深夜でありますから、わずかに四時から六時の間に多少ありますね。それも区間によってであります。これは郡山、西那須野のほうであります。それではこっちの大宮近辺になったらどうかというと、大宮−宇都宮間のほうは、二時から三時を中心にして約一時間半くらいあるだけなんです。ここでいわゆるマル重と称する重労務夜間作業をやるわけですね。これはいまの状態からいえば、ある
程度やむを得ぬと思うのです。しかし、これは翌日勤務を繰り上げてやるそうですね。普通の保線の従業員は、朝八時半から五時ですか、これが定時間の勤務だそうでありますが、これを繰り上げて午前二時から三時間とか四時間。規則からいけば八時間できるそうでありますが、そういう作業が完全に行なわれるものであるかどうかというのは、これは常識でわかると思うのであります。
もちろん
国鉄職員は、まじめでありますから仕事はやるのでありますが、肉体には限界があると思います。そういうところからいっても、この
保守作業というのは後退せざるを得ない。その上にいま申し上げたように随時になってきてしまうのですから、これはもうたまったものじゃありませんということです。そこでいわゆる
列車運休、そういうものもやって
間合いをとろうということでありますが、これは当然のことだと思うのです。これは当然だが、いままでそういうことが
考えられておらなかった。結局最近における事例からいってやむを得ずこれをやってきた。そういうところに
事故を多くした
原因があると私は思うのです。反省してもらいたい。
それから要員にしても、施設の要員はそういう夜間作業、重労働、屋外作業だ。いまどき雨が降り、風が吹くさなかに、そういうところで野ざらしで仕事をするというのは、農業以外には保線従事員しきゃないんだ。農業だって雨が強ければ引っ込むわけですよ。ところが保線の従事員は雨が強くても引っ込めない。雷が鳴っても引っ込めない。そういうところで完全な仕事ができるはずがないから、また肉体的にも限界があるから、希望者がだんだん減ってくる。だからいま欠員があるんじゃないですか。一番重要な部門が欠員があるということです。これに対して副
総裁はどう思うのですか、要員のことを言うと、いやな顔をするようだけれ
ども……。
私はやはり人が中心だと思うのです。それは職場環境をよくすることも
一つ。労働条件をよくすることも
一つ。そういうものをあまり
——あまりと言ったら語弊があるが、整えられずに夜間作業に押し込んでいったところに
一つは
原因があると思う。それから
経営の方針が、いわゆるそういう
線路の限界を越えて
列車を走らせねばならぬというところに追い込んでいったところに
原因があると思うのです。それを改めてもらうことが先決じゃないかと思うのです。そういうものをそのままにしておいて
国鉄は、いやそんなに不
安全じゃありませんよ、
安全なんですよといっても、世間は承知しませんよ。また
事故が起きたらどういう
責任をとるつもりですか。
安全はまかしておけと、それでも言うのですか。この際こそ、
世論がこういうふうになっているのでありますから、
世論に応じてやはり
姿勢を正してやるべき時期だと私は思うのです。それがいままでの
姿勢は何かどうもこだわっているようでありまして、われわれとしては納得しがたい面がたくさんございます。
山岸さんか副
総裁に聞きますが、いまの施設
局長の
答弁からいけば、当然
線路には限界が来たということ、この処理についてはもっと体系的に方策を講ずべきだと思うのだが、どうなんですか。
それから既設線区は、東北線ばかりではなくて、その他にもあると思うのです。少なくとも幹線といわれる一万キロくらいの間は当然総
点検をすべき時期に来ているのであります。それを国会で言われたから、野党のだれかに言われたからいやだとか、組合から言われたからいやだとか、
新聞に書かれたからいやだとかいっている時期ではないと私は思う。率直に受けとめて総
点検をすべき時期だと思うが、いかがでしょうか。