○正森
委員 いま警察庁からそういう答弁がありましたけれ
ども、法務省自身も認めておるように、七月十九日に一たん公務証明を出さないと言ってきて、十日もたった二十九日にそれを撤回したというのは、エストッペルの
考え方からいっても異常な事態であります。もしそのときに、警察が七月十九日以降身柄を確保して——身柄を確保すれば起訴も容易でありますし、そういう点を実行しておったなら、それ以後の二十九日に前言をひるがえすということになれば、一たん
日本側の身柄にあるそういう者について、再び米側が第一次
裁判権がある。こういう主張になって、いろいろ
日本国とアメリカ合衆国との間の争いになるでありましょうが、身柄はわがほうが確保し、そして捜査が完了すれば起訴も当然できるという
段階での米側の撤回というものは、いまわれわれが身柄を確保できず起訴もしていない
段階での折衝というものと、これは攻守は大きく立場をかえると思うのですね。わがほうが身柄を確保し、やるべきことをやりながらの中での折衝であるということになると思うのです。そういう意味では、警察が合意書でも当然できることをなさなかった、しかも共犯と米側でさえ言っておるジョンソンについては供述も得られないのにそういう態度をとっておるということは、行政協定の不備もさることながら、われわれは
政府あるいは行政庁の態度について国民として遺憾の意を表せざるを得ないというように考えるのです。
時間がありませんのでさらに申し上げますけれ
ども、私は
現地に行って何人かのその場に居合わせた農民を調べまして、供述調書をとってまいりました。その供述調書によると、米側は明らかに証拠隠滅と認められることをやっておる。
たとえば、ここにあります調書は、その当時現場におりました知念千代さんという人の調書であります。それを見ますと、こう言っておる。「七月十三日だったと思いますが、演習場に行くと、あの日私たちが草を刈ろうとしていたところはブルドーザーのようなもので掘り起こし草をなくしてしまっていました。また、十九日ごろ行くと、今度はフェンスを上につけて二重にし、入り口も私たちの入ったところはフェンスをつくって入れないようにしてしまっていました。」こう言っております。つまり、
事件があって現場を最も保存しなければならないところを、
事件後わずか三日ないし一週間たったときに草を刈って、そして何が何やらわからないようにしてしまっている。現場には明らかに信号弾が落ちて焼けたあとまであったのですね。それをとってしまっておる。そして、フェンスをつくりかえて、 いかにもここは入っては悪い場所だったのだというようにつくりかえておる。こういうことをやっておるのですね。これは国内でこういうことをやれば、証拠隠滅で場合によったら逮捕されるかもしれない事案であります。
また、平安山シズという人がおります。この人は真謝の区長の奥さんでありますが、この人の言うておるところによりますと、七月の十七日に、演習が終わったことを示すように赤い旗がおりておったので、中へ入って草を刈ろうとした。そうすると、入るときには何も言わなかったのに、いきなり米軍がジープその他でがあっとまわりを取り囲みまして、どういうことをやっておるかというと、ここである人——中学三年生だそうでありますが、草を刈りに来て、ちょうど十キロのナパーム弾の模擬弾を見つけたところだった。そうすると、米側はその中学三年生に近寄ってきて、わざわざそのたまを指さして、持ちなさい、持ちなさいと手まねをして、そしてカメラをかまえた。いつもだったら、赤い旗がおりると機関銃の的になる標的というのはおりているわけです。ところが、このときに限って標的はおりていなかった。そして、この標的とその少年とナパームの模擬弾、これが入るような角度で一斉にカメラをかまえたというのですね。そこで、この平安山シズさんが、おかしいと思って、持つなと言ったら、米兵がその平安山シズさんのところへやってきて、おばさん仕事中入った入った、一緒に行きましょう、こういうことを何回も繰り返しておるのですね。この人が、旗がおりてから入ったのになぜそんなことを言うかと言っても、米兵は、仕事中、仕事中、行きましょうというように繰り返し言って、それじゃ行きましょうと開き直ったら、そのまま行ってしまったという事実がある。これは私がもうちゃんと調書をとってきておるのですね。
そういう点を見ると、明らかに赤い旗がおりて、ゲートも入ってもいいといっておるのに、米側はわなをしかけて、中学三年生の子供が落ちておるナパーム弾の近くへ行ったら、わざわざそれを持てと言って、標的と一緒に写真を写そうとしたという重大な事実があります。米側はおそらく、米軍の財産であるたまをかってに持っていこうとしたからそれを制止したんだというようなことを合同
委員会でも言うでありましょうが、そういう
一つの証拠をつくるということを、
事件が起こってから一週間後にわざわざ、わなとしてやっておるということで、地元の人は憤激しているのですね。私が
現地に行ったときに、いままでだれにも言わなかった、警察にも言わなかったけれ
ども、共産党の正森代議士さんに言うから聞いてくれ、こう言ったから、私は調書をとってきた。実にひきょうなやり方だといわなければならぬ。そういう米側を相手にあなた方が交渉されるという場合に、
日本国の名誉にかけて、き然とした態度をとっていただきたいということを私はいわざるを得ません。
また、時間の
関係で申しますと、あなた方も御
承知の
被害者の山城安次さんの言っているところでは、けがをしたあとで、やってこい、やってこいと言って、そして監視所まで連れていった。それは一キロ離れているのですね。ところが、そこで興奮してしゃべりまくるだけで、血がだらだら流れているのに手当ても何もしないで、そして放置して行ってしまった。しかもそのときに、この演習地に入るやつは全部撃ってやるんだということを英語でしゃべりまくったというのですね。これはその監視所にいたガードマン、宮里豊信という人が聞いて、それを言っておるということもわかっております。一体
日本人を何と心得ておるかというようにいわなければなりません。
こういう事案でありますから、代表にはあなたのほうの法務省の総務課長ですかが行っておられるそうですけれ
ども、あなた方は、米側がこういうようなやり方をやっておるということで、非常に不十分な規定ではありますが、地位協定や合意書を最大限に活用して、そして
日本の刑事訴訟法のエストッペルその他の法理を駆使して、わが国の権利が守られるように、いやしくも二十歳の青年がピストルで撃たれるのが公務であるというような、そういうとほうもない主張を許さないように、あなた方は適切な交渉をしていただきたい。そしてまた、一定の後にこの
委員会でわれわれは
報告をしてもらいたい、こう思っております。それについてあなた方の御意向、決意を伺いたいと思います。