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戸叶武君 ちょうど
倉石さんと私は同じころ
イギリスに留学していたと思いますが、私は
国家学と
政治学と
社会主義の研究に
重点を置きましたが、
ハロルド・ラスキ教授の
政治学や
大山郁夫教授の
政治学は、
社会学的なあるいは新カント派的な進化論的なあるいはオーストリアン学派的な多元論的な
国家観の上に立っておるが、
経済的な
政治学を
基盤の上に持ってきていないところに非常にもの足りないところがありますので、プロフェッサー・トーニーのような
資本主義経済の実証的な
発展というものをじみに見つめていた
人たちから大いに学ぶところがあったのですが、私はそれ以前に一番最初に
農政の問題は小
農主義的な
横井時敬さんの本をひもといたり、あるいは
マルキシズムの実証主義的な
マルキストとして名が高かった
ウィスコンシン大学から帰ってきた
猪俣津南雄さんなんかに学びましたけれ
ども、やはり
カウッキー的な
分析よりも、むしろあなたがいま
課題に出した
イギリスの、いまから八十年、九十年前における
農村が荒廃していった
時代のアイルランド問題を
中心として
不在地主との抵抗をやった
アイルランド独立運動のオーコンナーの
政治的な主張やあるいはアーサー・ペンテーの
ローカルギルドからいろんな点を教えられた点があるのですが、いまあなたが言っているように、
イギリスがあれほど苦悩し、一九二九年と三〇年の
世界恐慌のあらしの前にすでにマイナーと
ドック労働組合と、それからレールウェーユニオンと、この
三角同盟の十字砲火の中に
イギリス資本主義が、
資本主義か
社会主義かの対決を迫られたときに、やはり一番問題になったのはこの
食糧の問題。
ドックのストライキがあると大
英帝国の
植民地からの食物もとまってしまう。
食糧暴動がすべての
革命のきっかけになるということをずっと左の
ランズベリーなんかが考えてトロツキーの
暴力革命説に乗らなかったのは、
イギリスにおいては
暴力革命という形は、これだけ
近代国家が整備してきているんだから、とるべきでないという形であれをせきとめたし、またすでに、いまと同じような
状況で
土地価格が暴騰したときに、
イギリスで素朴な
マルキシズムを受け入れなかったのは、
マルクスの
剰余価値説的な
分析では
説明できない
状況、いまの
日本と同じような
イギリスの
正統派経済学者が模索してきたような、リカードからジョン・スチュアート・ミル、グリーンに至るまでのあの
過程において
不労所得説というものがすでに説かれていた。
社会的関係の変化によって
土地価格が暴騰していくんだ、これをどうやって
社会で
政府がこれを吸収するかということが大きな
課題である。このことが大陸の
資本主義未発達な国における一個の
哲学体系として、
革命の
哲学体系としてつくり上げた
マルクスの
剰余価値説では応じられないものが
カウッキーの弟子の
ハインドマンのような、なかなか
マルキストとしては相当な人物であるが、あれが若い連中にも入らなかった。もっと地味な
青年たちが、無名な
青年たちがフェビァン・ソサエティーをつくったのも、むしろ
イギリスの
資本主義の
発展段階を実証的に研究した
カウッキーと対立したベルンシュタインのリビジョナリズムを
イギリスで受け入れて、これをコレクチビズムという形において
イギリスの
社会主義体系をつくり上げた。この観念的なイデオロギーじゃなくて、
イギリスの
現実の上に根ざした
社会主義を模索したところに、
イギリスの
社会主義は何だかんだといっても本もののところがある。
失礼だけれ
ども、
日本の
社会主義は
マルクスがどう言った、エンゲルスがどう言った、レーニンがどう言った、毛沢東がどう言ったまではいいけれ
ども、今度はどこでもここでも珍しいものは何でも並べるというふうな無性格な
権威主義的な学問というものが
帝国大学その他を
中心として横行したところにプロシャ的な
権力主義と
権威主義が
教育の
世界において真理を追求する謙虚な態度をしない。
政治闘争の場においては戦争も
暴力革命もやれないような
時代にきても依然として旧世紀的な悪夢の中に乱舞するような
状態を生んでいる。これというのは明らかに私は
教育の荒廃と
政治の
貧困から根本はきていると思うので、少し脱線しましたが、私は、
倉石さんは、どうも
ロシア人のケンブリッジ大学のアレキサンダー・オナーブに
文化人類学を習っていた時分なんで、
日本人かなどうかと思って、見たことのあるような人だけど、やっぱり
日本人離れした
知性人だと思っていたんですが……。(笑声)これは大体セイロンのアショカ王の、宗教を
政治に取り入れてインドで統一国家をつくったということが逆に破綻して絶対主義的な——
日本の歴史家はアショカ王というと、たいへんに美化して見ているが、これが反撃を生んでセイロンに追い落とされた。で、セイロンがあのような仏教国にはなったけれ
ども……。
それでやはり
イギリスで一番私が見せつけられたのは、
倉石さんも感じたと思うが、私そのときに、正宗白鳥という自然主義文学者と、久米正雄という当時
社会改良主義的な
社会小説を書いたりした、菊池寛の一派ですけれ
ども、この二人が一九二九年に来て、われわれがスチューゲントユニオンで迎えたときに、急に正宗白鳥が
マルクスの墓に
案内してくれと言ったので、ぼくは
社会主義はこわいから
社会主義には触れないことにしているけれ
ども、墓を見るぐらいは見ていたほうがいいと思うからって、はかない話ですが、(笑声)墓を見に行ったんですけれ
ども、そのときに彼が言うことばがこっているんです。
戸叶さん、何ですか、
マルクスの墓は質素ですね、一緒に苦労した女中さんの名前まで入れて墓に埋めていますね。これに比較すると孫文の墓だとか、レーニンの墓なんかも気の毒なんじゃないですかと言っておりましたが、それ以上に彼が
イギリスのゴルフ場を見て、ああ、
イギリスはどこにも野っ原があって、ゴルフ場があってあれだが、
日本じゃゴルフ場をつくるような余地が、耕地がすべて平地を占めておるんでないから、サッカーもゴルフも
日本じゃ発達しませんねと言ったが、このごろ正宗白鳥が生きて来たらびっくりして腰を抜かすだろうと思うんですが、
イギリスでゴルフ場ができたのは、大陸縦貫鉄道が
アメリカにおいて貫通し、蒸気機関車、船の発達によって
アメリカやカナダや豪州から安い小麦が入ってベルギーでも
オランダでもデンマークでも
農業国は全部切りかえをやらなければならない。
穀物の価格がとにかく一〇〇に対して六〇%ぐらい落ち込んで競争にならぬ。せめて酪農でこれを維持しなければならないという抵抗がデンマークで出たのも同様ですが、
イギリスで麦つくっていたやつが全部やめたんです。休耕地になったから、いまの
日本と同じだから、それならあいた土地があるからゴルフ場でもという形になったので、いま
イギリスがあわてて——だんだん斜陽になってきた、斜陽なわけにはいかぬというので、(笑声)今度は一生懸命で農地を耕すようなところにきたんだと思うのです。
日本はやはり
イギリスがたどってきた歴史的な悲劇の中に——
イギリス人は恥も外聞も忘れて非常にプラクティカルニ
政治を運営している。あのいまのウィルソンの苦悩の中にそれがはっきり見られる。労働党が分裂をしようとしたときに、私が行ったのは昨年の十月、十一月の前でしたが、彼がステートマンシップを発揮したといわれたのは、左派は
ECには入っちゃいけないという形で彼をいじめても、彼は自分のリーダーシップでもって
ヨーロッパの中に
イギリスは生きなければならないという形で突っ込んだ。しかし今日、ポンピドーが死んだから変わってくるでしょうけれ
ども、
ECの中へ入って
イギリスの
食糧問題に対する混乱を招いてはたいへんだという形において一つの
ECに対してしりをまくって抵抗している。あれが
現実の
政治です。
アメリカの言うなりにイエスマンになって
アメリカペースでいくと、やはり私は
石油でメジャーさまさまと言ったって、ニクソンとキッシンジャーの背後にはやはり
世界のユダヤ資本というか、大資本、
石油資本のメジャーと
アメリカの利害が背景にある。
食糧問題においてもあの膨大な農耕地を持っている
アメリカの農民というものが大統領選挙においては左右される大きな要素になっている。いい悪いは別問題として、
アメリカには
アメリカの
農業政策なり何なりがある。そのことを踏まえずに
アメリカさま、あなたまかせでという行き方をするならば、
日本は独立国家としての面目を失っていく。せめて、斜陽の国といえ
ども、
イギリスにおけるウィルソンの持っているやはりステートマンシップ、あるいはドイツにおけるブラントの持っているステートマンシップ、そういうものが保守であろうと革新であろうと持たない限りにおいてはこの国の
政治はまかせられないんです。
私はそういう
意味において、この危機感の上に立って、やはりこのゴルフ場なんかというものは、もっと過ぎたらこれをかえることもできるでしょうが、もう一つはゴルフ場の問題と、
倉石さんもそう言っていますけれ
ども、山林原野をこんなばかな形で——北海道へ行って、私は十五、六年前の農林水産常任委員長の時分、三年続きの冷害を見てあきれてしまった。酸性土壊に灌木がはえて、あのカシワっ葉なんかがはえていて何にもならない。なぜあれを国の努力によって、国の
施策によって広大な
地域を牧草地に育て上げないのか、こういうことがされてない。個人の力ではどうにもなりません。スイスの例をあげても
倉石さん、そうじゃありませんか。五六、七%の耕地があります。
日本が今日は一七、八%で停滞をしているでしょう。万年雪をいただいている山とあのレマン湖のある、湖を持っているスイスにおいて氷河のそばまで牧草地をつくっている。夏季には夏季酪農をやっている。動物のふんなんかをきたないなどと捨ててない、うちの前に堆肥とともに積み重ねている。こういう農民の根性というものを失わないでいるところにスイスの
農業なり果樹なり何なりが成り立っているんです。沐猴にして冠する者というが、サルまねをやっている
日本が
イギリスにも劣り、スイスにも劣っているのは
日本民族の根性を忘れてしまったのだと思うんですが、
倉石さん、そういう
意味において
日本農業は、
日本の外交をもゆすぶる、
日本の
政治全体をゆすぶる私は震源地にいまなりつつあると思うので、そういう
意味において、
農業革命の
段階が、
日本には近代
農業革命の
段階がいま到達したと思うので、あれだけの
農業白書を出した——
農業白書は別の機会でまた論戦になると思いますが、大臣であるあなたが思い切って、
統計には口なしですから——だけど信州は善光寺があるところで念仏はうまいところですから、ひとつりっぱな経文を述べてもらわないと、(笑声)やはりせっかくの善光寺も何にもなりませんから、ひとつ牛に引かれて善光寺参りというので、大臣もこの
日本の近代
農業革命の
段階における、
イギリスにもスイスにも負けない、西ドイツにも負けない
日本の
農業政策をどう展開するかという形を、どう模索しているかでもよろしゅうございますから、もっと具体的に述べてい、ただきたいと思います。