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公述人(力石定一君) 御存じのように、戦後の
経済成長には前提がありまして、一つは、あまりひどい不況を起こさないで完全雇用を維持する、そして
経済成長を有効
需要管理によって進めてくるというケインズのモデルに従ってやってまいりました。
この前提には、資源は無限に供給可能である、それから自由競争を通じて資源の配分がうまくいく、こういう前提を立ててやってきたわけでありますが、初めのうちはこれでうまくいったわけですが、途中から、資源の供給には無限の供給力はないわけでありまして、やがてこれは天井にぶつかるわけです。最初の天井は、御存じのように労働力でありまして、労働力が構造的な不足の時期に入ります。いかなるデフレの時期にも労働力は過剰にはなかなかならない、不足がずっと慢性的に続くという時代に入ったわけです。
ところが、最近は、今度は資源の供給力が制約要因になってまいりまして、これはいかなるデフレをやりましても、なかなかこの資源の
価格の
上昇とか供給不足というようなものを克服することは非常にむずかしいという事態に入りつつあるような感じがいたします。で、まあ昔でしたら、ケインズモデルの定着以前においては、ものすごい大恐慌を起こすことによって、不況を起こすことによって資源の供給超過をつくるということは可能であります。しかし、現在の政治的な民主主義のもとでは、大失業とかあるいは大量倒産を起こしますというと、政治がもたないわけでありまして、
たちまち選挙で敗れてしまう。したがって、デフレーションというのは大体なま煮えでありまして、適当なところで打ち切って、また成長経路に返さざるを得ないというところにくるわけです。
ところが、一方では、資源の供給にはこういう制約が出てきたわけでありますから、ここに非常なジレンマが出てまいります。そうしますと、各国とも政策としては、
物価も安定させないと政治的に非常に問題であるということですから、デフレはなま煮え
程度しかやれない、深追いができない、オーバーキルができないという政治的制約条件と、資源供給の制約条件の板ばさみになりまして、大体各国とも、
賃金、
物価に対する統制の方向に進みつつあるわけであります。
ところが、この統制に進みますというと、今度は資源配分がそこなわれてくるわけでありまして、たとえば高くなったものをなるべく使わないようにするとか、あるいは省資源化をするための技術革新を促進するとか、あるいは代替のものに
需要を移していくとか、まあこういうふうな
価格メカニズムの作用があるわけでありますが、その作用を、
価格コントロールをやりますとくずしてしまうわけであります。その結果資源の配分をそこなうということになってしまう。ここに非常に困難な問題がありまして、この際は、新しい政策モデルをくふうせざるを得ないところにきたのではないかという感じがいたします。
そのためには、一つは深追いのデフレ政策はできないという前提は確かに現在もあるわけですが、その場合に、
国民がある
程度受け入れることのできるようなデフレ政策をくふうしたらどうだろうか。大量倒産を起こさないけれ
ども、しかしかなり
物価抑制効果のあるようなねらい撃ち的なデフレ政策を考える。第二は、省資源政策を徹底的に進めていく。この二つをくふうした政策モデルを考える以外にないのではないかというふうに思うわけであります。
国民が受け入れるということは、なるほ
どもっともだと思うようなデフレ政策でなければいけない。オーバーキルというのは、全然
関係のないところまで
福祉予算がカットされたり、金融でばたばた倒産を起こされたというので非常に不満が強くなるわけでありまして、もっともだと思うような省資源的な、あるいはエコロジー的な対策を打ち込むことによって
物価の安定をはかっていくと、こういう
考え方があり得るのではないかと思うのです。そういうコースに転換していけば、われわれは、ある
程度自由
経済のメカニズムを生かしながら進むことがまだ可能なのではないかというふうに私は思っております。
そのためには、そういう政策モデルの体系を若干、私、御紹介したいわけでありますが、現在の
経済政策に即してこれを考えてみることにいたしますと、まず第一は、特にエネルギーとか、省資源のボトルネックに直面いたしまして、これをできるだけ使わないような省資源的な選択をするとしますと、第一にあげるべきものは、やはり個人自動車の利用だと思います。マイカーモータリゼーションというのは、これを走らせるのに必要なエネルギーは鉄道の大体六倍のエネルギーを要します。一トンのものを一キロ運ぶのに六倍のエネルギーが要ります。それから、道路等建設のエネルギーは、この道路建設のために必要なセメントや鉄ですが、それをつくるのに必要なエネルギーは、鉄道の線路の建設エネルギーの大体四倍要ります。それから、土地面積はもちろん四倍要りますし、それから耐用年数は、鉄道よりも、十分の一から五分の一ぐらいの、非常にぺらぺらで、すぐだめになって、エネルギーと資源を食うような、こういうふうな車両であります。それから、その周辺の
生活様式が違っておりまして、鉄道を使う場合には、その周辺では比較的騒音が断続的でありますから、都会は地下鉄にしますし、いなかの場合は、ちょっと離れていればこの断続的な騒音には比較的耐えやすいわけであります。ところが、自動車ハイウエーが通りますというと、その周辺の
生活様式は、とても夜となく昼となくトラックが走り、車が走るわけでありますから、うるさくてしようがないから、みな密閉
生活に移らざるを得ないわけであります。これはなかなか耐えられないわけです。ほとんど眠れない。鉄道の場合は、ちょっと離れておれば耐えられるわけでありまして、いなかの場合は、夜ゴオーッと過ぎていくとあとはしーんとなるロマンチックな騒音でありまして、騒音の質に相違があるわけであります。それから排気ガスは、鉄道はゼロですし、自動車の場合は排気ガスがものすごいです。したがって、自動車周辺部、道路周辺部では密閉
生活に移ります。密閉するとこれはアルミサッシが非常に要るわけで、これはものすごいエネルギーを食うわけであります。不二サッシが非常に成長を遂げたのはこれは自動車のおかげなんですけれ
ども、こういう密閉
生活に入ると、今度は春夏秋冬エアコンディションが要ります。これでまたエネルギーが爆発
状態になるわけでありまして、電力の隘路にぶつかってしまう。鉄道の周辺では、春と秋はあけて暮らせますし、夏も涼しいときはあけられます。それだけエネルギーに対する圧力が違っているわけであります。これをついでに言いますと、事故についても、鉄道の場合を一といたしますというと、自動車は五百倍の事故発生率でありまして、事故は非常に多くなっております。
こういうふうな全体の
社会的
費用を入れて考えますというと、やはり鉄道を使ったほうがこれからはよろしいのではないか。確かに石油の
価格が上がり、エネルギーの
価格が上がりますと、
価格メカニズムを通じて代替的な鉄道利用というのが促進される効果があると一応予想されるのですが、しかしこの
価格メカニズムというのはなかなか感度が鈍いわけでありまして、ただそれは、後方転嫁で
価格上昇に結びつくわけで、代替的なものにかわるかどうかというのは完全には保証されない不確実性を伴っております。
したがって、この
価格メカニズムの前向きの効果をより一そう推し進めるような
経済政策がここで必要になってくるわけでありまして、そのためには、まず第一に、パーソナルモータリゼーションの量を減らす
——一番最初に、六〇年代に
ヨーロッパではもう手がけていますけれ
ども、トラックの乱用を押えることであります。トラックは、
社会的
費用を入れて考えると非常に高くつく。私的
費用ではトラックのほうが安いから、鉄道を使わないでトラックで貨物を運んでいるけれ
ども、実は中長距離で比べますというと、圧倒的にトラックは高いものについているわけです。
社会的
費用が非常に高い。そこで、各国とも、
ヨーロッパ諸国では、トラックに対する
税金を引き上げる方策をとりまして、
社会的
費用を内部化させるわけであります。たとえば、十トンのディーゼルトラックを
日本で使った場合の保有にかかる課税を一といたしますと、ドイツの場合は大体六倍であります。それから軽油税も四倍でありますが、こういう高い
税金だと、中長距離はトラックを使うと高くつくので、みな鉄道を使うようになりまして、トラックの台数がかなり低くなる。全自動車に占めるトラックの台数が
日本は四五%ですが、ドイツは一割であります。非常にトラックを節約して、短距離だけトラックを使って、中長距離は国鉄にゆだねるという形になります。全貨物輸送に占める国鉄のシェアでありますが、
日本はかつて四五%でありますが、いまは一七%です。みなトラックに貨物を取られた。ドイツはかつて四〇%、現在三八%でありまして、よくがんばっております。つまり、中長距離の輸送を国鉄がやっておるからであります。それから、国鉄もそういう貨物のまどろっこしい輸送は困りますので、持ってきたらさっと行けるように、ターミナルを整備します。それから、複線化率も、
日本は二八%でありますが、ドイツは六五%、イギリス七五%、複線化率を高くすると、大体三倍の輸送力が出ます。こうやって貨物をどんどん鉄道で運ぶようにしたわけであります。その結果、国鉄は御存じのように
外国は貨物は全部黒字であります。
日本の場合だけ国鉄は貨物が大赤字でありまして、旅客は新幹線でぼろもうけしていますからやや黒字でありますけれ
ども、
外国は新幹線がないので、旅客は赤字です。逆になっております。もしわれわれがこのドイツやイギリスやフランスがやったような課税政策をとって、中長距離トラックを
抑制すれば、
日本の国鉄は貨物が黒字になりますから、旅客はいまのところ黒字でありますから、両方合わせて黒黒になりまして、
日本の国鉄は成長産業に変わるということになるわけです。したがって、そういうふうな課税政策を打ち込むということが、省資源政策を一歩前進させることになるだろう。これは
予算の面で、税制の面で考えていただきたい。
それからドイツでもう一つおもしろいのは、短距離トラックにつきましても、マイトラックは、持って行ってからで帰ってくる。
自分の荷物だけちょこっとずつ載せている。ところが運輸会社のやつは、持って行ってまた持って帰る。そうしてほかの人の荷物も一緒に入れている。つまり、バスのような機能がある。空車率が運輸会社のほうが低いわけです。空車率の高いマイトラックは
税金を高くして、空車率の低い運輸会社を
税金を安くします。そうすると、マイトラック二台目ほしいと思っても、この際やめておいて、運輸会社へ頼んだほうがいいというつもりになる。そうすると、短距離トラックについての、マイトラックの量がやはり削減されてきます。そうすると、運輸会社は短距離トラックの輸送において、大きな黒字をあげまして、中長距離は国鉄に譲ると、こういう形でけんかを両成敗していくわけです。まあこういう形で総合輸送体系をとっていくことによって、トラックの台数を相当減らすことが可能になるのではないかと思います。ですから、さまざまのエネルギー資源
価格の
上昇を代替的なものに切りかえるような意識的な、人為的な一押しがないと、
価格メカニズムはほんとうにそういうふうに働いてくれるかどうか、不確実であるということ、ここを前提として政策を考えていただきたいということでございます。
それからマイカーについての規制は、保有税を上げると同時に、レジャー地域への乗り入れを
抑制する。最近環境庁がそういう発表をいたしましたが、たいへんけっこうであります。ところが、京都や鎌倉なんかでも、乗り入れをしてくれるな、マイカーで来てくれるなと言っておりますけれ
ども、この前京都の清水寺のところで調べてみましたら、パーキング料金が二百円です。あれではみんなマイカーで乗ってきます。乗ってきてほしくなかったら、あれを五千円くらいにすればいいのです。そうすると大体鉄道でやってくるという形になるわけですね。
それから、通勤にももちろんマイカーをできるだけ押えるようにしていく。これはオフィスをつくったら、下に駐車場をつくらなければいけないという法律を、スウェーデンではだいぶ前に改正しまして、下に駐車場をつくってはいけない、つくると乗ってくるから。電車かバスで来なさい。こういうふうな規制を切りかえることによって、パーソナルモータリゼーションを押える。それからその次は、取った
税金を
——足を奪うわけにいきませんから、公共輸送にこの
税金をつぎ込む。アメリカの運輸省でもいま検討中でありますが、みな自動車の
税金が上がった、いままでは目的税で、主として道路建設に使ったわけですが、これはもうきりがないし、エネルギーも非常にかかるから、取った
税金は地下鉄建設や、赤字線の時間帯のバスであるとか、赤字線の地域のバスや電車に補助金でやってしまえと、こういう
考え方です。そうすることによって公共輸送に乗客を転移させる、シフトさせると、こういう税制政策をとろうとしておりますが、
日本でも、運輸省でいま討論中のようですが、これをもっと推し進めていくということが必要です。つまり、目的税である現在の自動車課税、道路の建設に向けているやつをストップして、鉄道に切りかえるということによって、省エネルギー政策をとっていくという方向であります。
それから、バスとか電車につきましては、この補助金をやって、人が乗ってくれば独立採算に向かう可能性はあります。しかしながら、将来人件費がどんどん上がってきますというと、これにも限界が出てまいりまして、やがて赤字になります。その赤字になった場合にどうするかということでありますが、いまシアトルで実験しているようですが、都市内の短距離のバスや路面電車はただにするというやり方です。つまり、いっそ
税金でやってしまう。というのは、人件費が高いものですから、非常に切符を売るためのコストがかかるわけです。
日本でも路面電車は、いま切符を売るためのコストだけで六割かかっております。したがって、あれをやめちゃって、乗りほうだいにしてしまえば、そのコストだけ減るわけでありますから、かえって安くつくわけです。エレベーターをもし切符を切ったら非常にコストがかかるんですね。だからあれはただになって、乗りほうだいになっているのですが、それと同じで、都市内についての公共輸送を
税金でいっそ見てしまう。そうして、ただより安いものはないのだから、そっちに行きなさいというふうにして、マイカー規制はきびしくすると、こういう
考え方で公共輸送体系を整えていくべきではないか、それから、デマンド・バスであるとか、バスストップでボタンを押しますと、そちらの方向に行くやつは何分後に来ますということをコンピューターが返事をくれる、待たないで行けると、こういうふうな型の政策もあり得ると思います。
それからもう一つ省資源的に考えますというと、ハイウェー建設は一切ストップします。都市内の高架高速道路については往復、モノレールに転換できます。あるものについてはモノレールに転換する。建設はやめる。そしてモノレールにすると三倍の輸送力になります。まん中がすいていれば、これは自転車道路にします。いま低速道路だと時速十キロですけれ
ども、自転車なら二十キロ出ますから、自転車のほうがかえって速いわけです。そうして排気ガスや音の少ないものが頭の上を通るというような形に切りかえる。それから全国の縦貫道路でありますが、これはもちろん再検討すべきであります。こんなにエネルギーを食うものをやったらやることは、もうこれからは国際収支の制約からもできなくなってきますから、縦貫道路計画は全部鉄道計画にいま計画変更すべきであるというふうに思います。これは、たとえば新幹線の計画と並行してつくっている場合は新幹線に統合してしまう。道路の上を新幹線をつくってもいいし、在来線をつくってもよろしい。そうやって幹線を複々線化いたしますというと、在来線のお客は新幹線に逃げます。そうすると、あとを貨物ダイヤを組んで、トラックの量を減らすのに対応していくという形になるわけであります。こういうふうな形の、建設計画も鉄道中心に切りかえますというと、たとえば本四架橋についての
考え方も変わってきます。
本四架橋は、いまは自動車道路をつくるために架橋になっております。ところが、架橋というのは非常にコストがかかるわけです。暴風のときにアメリカで橋がばさっといったことがありますけれ
ども、非常にこれはむずかしくて、コストはかかるわけです。これは自動車道路を中長距離鉄道輸送に、中長距離は自動車輸送をやめるという
考え方に立ちますというと、これは全部海底トンネルに変えるべきであります。三本ありますが、三本を全部海底トンネルに変えますと、一つずつについてコスト三分の一で済みます。
日本のトンネル技術は
世界最高でありまして、この技術を適用して全部海底トンネルの計画に変更すべきである。本州と九州は海底トンネルになっておりますが、あれは新幹線だけだからであります。技術的にはこれは明らかに可能なんであります。こうやってやりますというと、瀬戸内海の松が枯れなくて済むわけでありまして、国立公園にハイウエーをつくるというのは、ビーナスラインと同様でありまして、問題にすべきものであります。そういう観点からいきますと、環境上、資源上から見まして、本四架橋は海底トンネルに変えますというと、一本やるか、三本一ぺんにやるかがいま政治的な論争になっていますが、私はこれは三本一ぺんにやっても三分の一で済むという
考え方から、トンネル計画に切りかえるべきであるというふうに思います。
こういうふうにしていきまして、車の台数を、二千五百万台、六百万台近くありますが、これをどうしても必要な車にだんだんと押えていきます。どうしても必要な車というのは五百万台でありまして、五百万台ならば、バス、タクシー、ハイヤー、救急車、病院車、パトカー、それから短距離トラック、電動車いす、こういうのはみな入ります。
昭和三十五年の保有台数が五百万台です。あのときは麻痺がなくて、事故はほとんどありませんでした。実にいい乗り物だったのですが、その
程度で使えばいいのに、過ぎたるは及ばざるがごとしということにその後なってしまったわけです。
あの所得倍増計画のとき自動車化を進めようとしたときに、ハリー・ジョンソンというロンドン大学の教授が
日本へやってきまして、これからやるとすれば、実は
外国はマイカーモータリゼーションで参っちゃっているんだから、これからやる
日本としてはもう一つくふうを考えたほうがいいのじゃないか、こう言われているのですが、そうもいくまいというのでマイカーを進めてきた、その代価をいまわれわれ払わされているわけでありまして、御存じのように
日本は土地が狭いですから、鉄道体系が非常に便利なところなんです。鉄道中心に都市ができておりますから、鉄道を使うと非常に公害も少ないし、便利にやれるわけです。ところが、車をこれに入れますというと非常に被害が多くなります。アメリカの場合はどうかというと、車で都市をつくっているものですから、車をやめて鉄道をやりますと、たとえばロサンゼルス市というのは、面積全体が関東地方全体ですから、鉄道を一本二本入れたって、そこまで車が要るわけですね。ですから、鉄道計画に転換がアメリカは非常にしにくいから、大型を小型にするという形で省資源をするのですが、
日本は一挙に鉄道に向かうべきである。
日本は車を使えば苦労が大きいけれ
ども、鉄道を使うのに転換するのは非常に楽である。特に、まだマイカーが完全に必需品化してない地域が非常に多いわけですから、いまからでも鉄道計画に切りかえて、いかに鉄道中心のネットワークというのが便利であり、短距離の先っぽだけで毛細管だけで自動車を使うもんだということを全
世界に模範を示すべきではないか。
そうすると、その模範をみな見ると、デモンストレーション効果が働きまして、たとえば新幹線がドイツやその他フランスでも入れられてきておりますけれ
ども、そういう形で
世界にデモンストレーション効果が及びます。そうすると、資源エネルギーに対する
需要と供給のバランスはぐっと変わってくるのじゃないでしょうか。いま自動車をつくるのに必要なエネルギー、それから道路建設のエネルギー、それからこれを動かすのに必要なエネルギー、全体入れますと、産業連関表でたどっていきますというと、石油の三五%ぐらいはここでがぶ飲みしているわけです。これがおりてくれれば非常に楽になるわけで、国際収支もコストの面でも非常に楽になるわけです。そういうことをやれば、
国民的にもおりがおりたような感じで、かえってそちらのほうがいいということになるのではないでしょうか。そういう意味で、
日本が先進国の中でまり先に決断して範を示すべきであるということが第一の柱です。
第二番目は、石油を非常に使っておりますのは合成物質であります。化学工業で産業用電力の二割、産業用石油の二割を使っておりますが、これは使ってならないものを一ぱい使っております。たとえば洗剤でありますが、これはつくるときに汚染を出しますし、それから使うときに界面活性剤が大気汚染物質をからだに浸透させます。それから使ったあとに水道水にも少し残っておりまして、これが肝臓をこわしております。それから燐酸塩が入って、これが赤潮の原因になっております。モが大量に発生して、腐って、バクテリアが処理しきれなくなって酸素不足になりまして、これで魚がぶかっと浮いてくるわけです。こういう意味で非常に
社会的
費用が大きいのですが、これをもとの粉石けんに返しますと、これはヤシ油からとるので、ヤシ油というのは、太陽エネルギーを炭酸ガスと一緒に葉緑素が吸収して合成する光合成物質であります。これに切りかえますというと、これはつくるときに汚染が少ない。それから使ったあと、これはバクテリアがきれいに炭酸ガスと水に分解してしまいますから、三尺流れれば水がきれいになるという形になる。それから使うときに全然からだに問題がない。
社会的
費用が少ないわけです。ところが、私的
費用ではこれは洗剤のほうが安くできますので、だからメーカーとしては洗剤のほうに移ったときに、かつての粉石けん時代の利潤率一〇%としますと、一五%ぐらいにはね上がるんです。しかしながら、実は
社会的なストレスは非常に高くなっているわけで、実はその
社会的総
費用という観点からいきますというと粉石けんに返るべきであります。アメリカでは、湖に近い州では粉石けんに返ろうというので、洗剤の禁止をやっておりますが、
日本のような海洋
国家は、まずこれを禁止すべきであるというふうに思います。
このようなものがほかにもたくさんございまして、たとえばプラスチック建材です。これは建築基準法で押えられているはずなのに、ざる法でやたら使っております。火災のときに逃げられなくなります。塩素ガスでやられます。それから合成繊維の中ではアクリル系の繊維ですが、これは燃えたときに青酸ガスが出ますから、使用を禁止すべきであります。これは製品安全法という法律を適用すべきだと思います。それから、はだ着に合成繊維を着ますとアレルギーの原因になりますから、はだ着にも
抑制したほうがよろしいと思います。こういうふうにして、合成物質の深追いを押えて天然物質に切りかえるという方法があります。
ほかにもありまして、たとえばプラスチックでありますが、いろんな形でフタル酸エステルという可塑剤を加えて加工をしておりますが、この可塑剤は水にしみ出しやすいわけです。だから、プラスチックの中に入れた血液を注射いたしましたら肺ショックを起こしまして、NASAの技術者がやってみたらそういうことが起こった。そこで、これはいかぬというので調べてみたら、フタル酸エステルがしみ出していた。このフタル酸エステルを鶏実験をしますと、鶏の子供がサリドマイド児になるわけです。たいへん問題なんでありまして、これを使うことによってプラスチックの軟質のやつの用途が非常に拡大したわけです。たとえばゴムホースにかわるプラスチックホース、プラスチックの手袋、プラスチックのシート、プラスチックのびん、あるいはたとえば駅なんかで売っているお茶の入れもの、それから血液を入れるバッグ、そういうふうないろんなところに使われておりますが、これはみなフタル酸エステルを加えておりまして、みなしみ出してくるわけです。これが毒性を持っているということについては七一年のアメリカの学界で騒がれておりますが、
日本もいま厚生省がこの血液バッグについての検討を始めていますが、この危険なものを
抑制いたします。これはPCBの二の舞いにならないようにというので特定化学物質の規制法ができているわけですが、あれを適用して第一号にやりますと、いまのプラスチックの用途は半減いたしまして、この部分が大体天然ものにかわってくるわけです。たとえば天然ゴムのホース、天然ゴムの手袋、こういうふうな形で切りかえることができます。ほかに繊維にかえてもいいわけですが、これも光合成物質であります。こういうふうな形にやっていきます。
それからもう一つは食品添加物であります。これは三百三十点認めておりますが、食品添加物が催奇形性、発ガン性、染色体異状について完全にテストが終わっていると思われるものは、非常に自信があるものは少ないわけです。テスト中のもの、検討中のものが非常に多いわけです。検討中のものはこれは凍結すべきであります。凍結しますというと、いまのインスタント食品はほとんど成り立たないです。あれを使わないとできなくなっちゃう。そうすると
家庭料理に返ることになるわけであります。同時に、食品添加物を使って、いまのインスタント食品というのはプラスチックの包装をしていますが、このプラスチック量が非常に大きいわけでありまして、ごみの中に占めるプラスチック量が
日本は一割でありますが、イギリスは一%です。いかに
日本は食品添加物を乱用し、インスタント食品に深追いをしているかということをあらわしております。これを
抑制いたしますと、飛び道具を押えますというと
家庭料理に返ることになる。こういうふうな転換も可能です。こういうふうにして合成物質の深追いを押えていきます。
農業についてもハウス
農業に過度に行き過ぎておりますが、あれはハウスですから、紫外線が入っているかどうかわからぬものをわれわれは食べているわけです。紫外線が入っていないわけですから、
栄養がほんとうにあるかどうかわからぬものを食べているわけです。実はあれは露地ものに集中すべきなんですが、露地ものの
価格が値下がりしたときに保証がない。そこでハウスにみな逃げたわけです。ハウスを使うことによってプラスチックを使い、中で灯油を燃やし、中で農薬をかけるから農夫はからだを悪くする。こういう形で石油にやっぱり傾き過ぎている。これは
価格保証をもっとしっかりやって、露地もののしゅんのもの、しゅんのものをみんなが食べていくようにするというふうにすれば変わってくるわけです。ところが、いまは農家は端境、端境の
価格安定をねらっているわけであります。そこでハウスに行き過ぎたわけです。そういう点での
農業政策の問題があります。
それからもう一つは化学肥料の使い過ぎでありまして、これで土壌がどんどんやせてきております。それから、この化学肥料は全部作物が吸い取らないので、半分ぐらいは水にあふれちゃうのです。あふれたやつが井戸水や水道に入っておりまして、農家の主婦が非常に貧血が多いですが、あれはこの化学肥料が井戸水を通じて口に入りまして、入ったやつがからだの中で亜硝酸に変わりまして、ヘモグロビンが酸素を運ぶときに、酸素のかわりにこれがくっついちゃうわけです。なものですから、酸素不足になりまして貧血になるわけです。ですから、これが窒息を起こしたりしますし、この亜硝酸というのはバクテリアの作用で硝酸塩が亜硝酸になっているわけですが、この亜硝酸というのはハム、ソーセージの発色剤でもあるわけでありまして、発ガン性で使用の量的規制があるわけです。そういうものが化学肥料のほうからどんどんどんどんばらまかれてきているわけです。これは非常に問題です。また、この化学肥料を使いますと農薬を過度に使うということで、また農薬公害にもなるわけです。
そこで、われわれは、石油、ナフサから化学肥料もつくられるわけですが、この化学肥料の依存度を落としていく。これは有機肥料に返るということであります。有機肥料に返るとなると、人ぷんであるとか、わらとか、そういうようなものを利用することになるわけですが、いまは人ぷんは下水で処理しています。ところが一次処理で沈でんさせ、二次処理でバクテリアで分解させるわけですが、二次処理のまま捨てているわけです。ところが窒素、燐酸が含まれておりまして、これが水に入りますというと、モが大量に発生して、また赤潮の原因になる。ですから、有機物を無機物に変えてはいるけれ
ども、この無機物を通じてまた有機物が返ってくるわけです。窒素、燐酸ですから
栄養素が強過ぎまして、モが大量に発生する。東京湾はどんどん下水ができておってきれいになっておるはずなのに、有機物の濃度が下がらないのは、これは有機を無機に変えて、またこの無機物が有機物をつくっているからです。つまり御苦労さんでしたと、こういうかっこうになっているわけです。
ですから、二次処理では不完全なんでありまして、三次処理が要るのですが、三次処理はコストがかかるので、みな二次処理の下水です。そういう形で下水装置のほうで人ぷんは水をよごしております。不完全な処理で水をよごし、農家は化学肥料で水をよごして、両方断ち切れております。昔はこれはつながっておりました。これは肥たごでつないでいたわけです。ですから水にストレスは起こらなかったのです。現在は肥たごをやるわけにいきませんから
——これのほうが技術的には合法則的なんでありますけれ
ども、肥たごをやるわけにはいかないので、これは有機肥料のプラントを早く開発すべきであります。これは特定の大型プロジェクトを組んで有機肥料工場をつくって、そしてこれは総合下水ですと変なものが入ってきますから有機肥料になりませんが、これを専用の、われわれのふん尿と台所ごみだけの専用の下水路をつくりまして、これを有機肥料プラントに持ち込んで有機肥料に還元する。きれいに殺菌して臭気を取り除いて、農家で使いやすい形にして供給する。農家はそれを手に入れてやるわけですが、化学肥料より手間がかかります。手間がかかるけれ
ども、その点については、どうせ都市のほうで第三次処理が要るのですから、第三次処理をしなくて済むわけですから、そのコスト分だけ補助金を農家にやるわけです。農家のほうはその補助金をもらって化学肥料から有機肥料に転換して、手間ひまかかるけれど、そちらのほうがカバーができるということになるわけですね。そうすれば全体の水が、両方とも、都市、農村ともよごれなくなるわけです。こういう有機肥料プラントの開発を
日本は全力をあげて促進しなければいけません。
そうやりますと、かなり脱石油になりまして、いまの作物が吸い取っている化学肥料からの窒素分と大体同量の窒素分をわれわれのふん尿によって供給できます。同時に、この有機肥料プラントではメタンガスが発生しますから、これは都市ガスにも使えるわけでして、こういう形で石油からわれわれのふん尿に転換することは可能なんであります。知識をもっと使うことによって省資源化をはかる、代替的な技術開発に全力をあげる、これがこれからの本命になると思いますけれ
ども、こういうふうなことを検討していく。
そういうふうにしてずっと化学工業の中のまずいやつを切っていきます。そうしますと、コンビナートはこれほど要らないことになっちゃうわけです。そうすると、要らなくなった
需要の削減された分から、コンビナートは五年で腐りますから、腐ったときにリプレースを認めないという、工業制限法の規制を適用するわけです。そうしますと、これはスクラップダウンして精密機械にかえる。これで産業構造はぐっと省石油型になってくるわけであります。こういうふうなコンビナートヘの消費の面からの依存度を減らしていかないと、消費はやたらコンビナート製品を使っておいて、そして公害反対だけやりますと、これはボトルネックになって
インフレになるわけです。したがって、消費の面で石油はそんな要らないんだという体系に切りかえていくことが今後の大きな課題だというふうに思います。
さて、これをやりますと、今度はわれわれが光合成物質に転換したわけですが、これは熱帯産工業原料であります。たとえばヤシ油であるとか、天然ゴムであるとか、天然繊維とか、こういうふうなものはみんな光合成物質ですが、南の国々は、これを加工したものを先進国に大いに売ることが可能になります。そうすると、
国民所得がいまの百ドルぐらいから二、三百ドルにはね上がるわけであります。国際収支の天井が上がりますからはね上がります。そうすると、大体人口増加率は、三百ドルをこえますと半減いたします。人口増加率が半減してくれれば、食糧の
需要と供給のバランスはぐっと楽になりまして、いまのようにやたらに人口が二・五%も三・五%もふえたのでは、食糧は一%ぐらいしかふえていかないから、ここで食糧危機になるわけです。それが、光合成物質をどんどん加工して先進国に売れるようになりますと、国際収支の天井が上がりまして、そして食糧の供給と人口とのバランスが起こってきます。つまり、これは貧乏人の子だくさんから足が抜けるからであります。
大体所得
水準が二百ドル以下の
段階では、おやじの労働で食えないから子供にも働いてもらって食っていくというので、貧乏人の子だくさんになるわけです。それからほかに楽しみがないとか、それから老後が不安定ですから子供だけがたよりですから、たくさん産んでおけばどれかいいのが当たるだろうというわけでやたら産むわけですね。こういう貧乏人の子だくさんは、三百ドルから五百ドル
段階に入りますと半減いたします。人口増加率が半減します。これによって食糧のバランスを回復することが可能になる。ところが、いまはこの産児制所ができないできないで非常に困っているのですが、これは結局産児制限ができる土台を
経済的に打ち出していないからであります。
それからもう一つは、食糧供給をふやせというので「緑の革命」で、農薬と肥料をやたら使ったやつで対応したんですが、これはだめでした。これは農薬と肥料をやたら使いますと天候に弱いし、それから害虫に弱いので、みな失敗しちゃったわけです。だからやっぱり有機的な形に返らざるを得ない。だから、われわれは化学肥料を東南アジアへ供給するのじゃなくて、先ほどの有機肥料プラントを東南アジアへ輸出すべきなんです。こういう形にする。それからゴムの加工工場を東南アジアに輸出する。それから繊維の加工工場、ヤシ油をもとにした粉石けんの加工工場を東南アジアに技術輸出をいたします。そしてその加工品をわれわれが買っていく。こうなると、東南アジアの対日貿易赤字は縮小いたします。これによって東南アジアの反日運動の火はかなり下火へ、だんだん消えてくるという形になるわけでありまして、そういう生態学的な国際分業
関係についての認識が非常に足りない。
田中首相は今度もフィリピンへ行きまして、食糧基地になってくれとやっていますけれ
ども、向こうは
食糧不足で、人口爆発で困っているわけですから、そこへ食糧基地をつくってはいけないんです。食糧というのは国内で
自給率を上げておきまして、熱帯産工業原料をわれわれは向こうから買う、そしてその技術をわれわれは輸出するという形になるべきです。ところが、
日本はそういうふうな配慮をしないで、向こうの貿易が赤字になると援助資金をやって、そして
日本で公害たれ流しできなくなった合成物質のプラントを東南アジアに輸出するわけです。で、向こうでたれ流しします。そうすると今度は公害輸出で頭にくるわけであります。することなすこと、みな頭にきているわけでありまして、こういう形では困るのでありまして、この
考え方を転換していかなければならない。
われわれはつまり合成物質への依存度を減らすという、石油への依存度を減らすことを通じて、太陽エネルギーを基礎とした光合成物質にかえることを通じて転換をはかるべきでありまして、いまの
政府の、通産省の考えは、石油への依存度を減らすために、たとえば資源とエネルギーをたくさん使うものについては公害規制やその他をきびしくして、省資源化をはかって対外投資を拡大する、こうやってコンビナート部門を海外投資へ移そうとしています。これは公害輸出の戦略であります。それからある人は、大蔵省あたりで検討しておりますのは、資源を輸入した場合には関税がいまは安い、それから加工品は関税が高いんですが、これを逆にしまして、加工品の関税を安くして、それで資源輸入は高くする。そうすると資源立地型の立地に変わってきまして、国内では資源をたくさん使う産業は不利になります。したがって、対外投資がふえて省エネルギー型の産業構造に変わる、こういう産業構造転換を考えるのがいま主軸でありますが、それをやりますと、公害輸出という問題とぶつかってきます。そこで私は、合成物質への依存度は減らしておきまして、むしろ違った型の、昔からやっております生態学的にむしろ健全な産業のプラントをどんどん南の国へ援助してやって、そしてそちらで所得を上げてもらうようにしていくというほうが、摩擦が少なくていいのではないかというふうに思っているわけでありまして、省資源化には、消費の構造から変えるのか、あるいは単にエネルギーや資源への依存度の高い産業だけは海外に追い出すという、単純な形の国際分業論でいくのかと、この選択にわれわれは直面しているわけです。
さて、だいぶ時間が
たちましたので、大急ぎで第三番目の問題に入りたいんですが、エネルギーを非常に使っておりますのはわれわれのごみであります。ごみになるような消費財はやたらめたらにわれわれは使ってまいりました。で、たとえば大型のごみが昭島市で調べてみますというと、四割はそのまま使えるごみであります。西ドイツでは古くから、そのまま使えるごみの日ってのがあって、若夫婦は当分それをただでもらって済ますというようなことはやっていますが、
日本もそういう不要品についての使えるごみは自治体あたりがただでもって住民に再配分していくというふうなことをやるべきではないでしょうか。
それからもう一つの使い捨てを
抑制する、資源をやたら使うことを
抑制する税法上の手段があります。これは償却税というのでありまして、たとえば時計でありますが、同じ時計であっても、流行だけを追ってべらべらですぐだめになるような、そういう時計については物品税を一〇〇%取ります。そして三十年ぐらいもちそうで、これ非常にもちがいいと、こういうのは物品税ゼロにします。そうすると、もちのいいほうがかえって安いわけですから、みなもちのいいのを消費者は買います。メーカーは流行だけを追ったモデルチェンジ競争をやったそのべらべらなやつはあまり売れなくなります。そうしますというと、ごみの量はぐっと減ってまいります。使い捨てができなくなるわけですね。こういうふうな、税務署が耐用年数を推定するわけですが、テストをやったり、あるいは仕様書見れば大体わかるわけです。その推定耐用年数に基づいて逆比例する物品税を取ると、こういう取り方をやりますというと、この資源の使い方はぐっと変わってきます。いまはモデルチェンジを自粛すると言っていますが、なかなか自粛はできないんです。といいますのは、モデルチェンジ競争をやって、見てくれをそそったほうがまだ売れるもんですから、企業としてはそちらを選ぶ。まじめにやるとかえって競争で負けるんじゃないかというおそれが転換を妨げています。この償却税というのが入ってきますというと、まじめにやったほうがかえって得になるわけですから、そういう形の税制を適用することによって省資源化をはかる。これも一つのいい方法じゃないかと思います。
それから使い捨ての癖がつくのはかんの使い捨てからくるわけです。あのかんを、だらしない人に
自分で負担させるべきであります。あれは汚染料というのを三十円上のせして取りまして、自動販売機で売るときは必ず三十円上のせして取って、持ってきたら三十円返すと。持ってきたときに返す機械を、自動回収機というのをつけさせるわけです。口があいておりまして、あきかんをそこへぽんと入れると中でぺちゃんとつぶして三十円ぽろっと返してくれる。これは自動回収機ですが、かんぺこという機械で、もう商品化されているようですが、これにつり銭を返すやつをつけておきます。そうすると、まじめな人は三十円取り返すわけですが、だらしないやつは捨てる。そうすると三十円ついていますから、バタヤさんがそれ拾ってきて三十円かせげばいいわけです。バタヤさんが成長産業に変わります。こういうのをかんコロジーと言いますが、バタヤさんがあの山おれにまかしてくれということになるでしょう。いまは大体バタヤさんが一トン集めようと思うと二万個集めにゃいかぬですよ。二万個集めて、三十万から五十万人件費かかるんです。それを一トンをプレス業者に売りますと五千円でしか取ってくれないんですよ。だからだれもあれを集めない。昔は人件費が低かったから、集めただけで人件費をまかなったんですが、いまは人件費上がっていますから、そういうふうな公共的な介入をしないとリサイクルになりません。こういうふうにして使い捨ての癖をかなり押えます。そうすると、いま消費財についてかなりけちけちムードが広がっていますが、これが促進されまして、消費財の
需要はもちのいいものしか買わなくなるという形を通じて、ごみがぐっと減りまして、同時に資源とエネルギーの利用度が減るわけです。それは耐久消費財にしましても、普通の消費財にしましても、みなそういう形で押えていくということをやりますと、非常に有利になるかと思います。
こうやってわれわれはけちけちに返ろと言っていますが、実は使い捨てのものというのはあまりよくないんでありまして、ほんとうにあきがこないデザインで、非常にもちのいいもの、こういう芸術品のような消費財をわれわれは使っていくという形に変えるべきでありまして、けちけちの二宮尊徳に返れということではなくて、使い捨てをやめて芸術品をわれわれは長く愛するという、芸術としての
生活に向かおうではないかと、こういう形で呼びかけるべきではないかというふうに思います。
さて、こういうことをやりますと、エネルギーの
需要がぐっと減ります。それで国際収支の赤字はかなり軽くなるはずであります。それから同時にデフレの影響でありますが、これが使い捨てのものについての
抑制は消費者
自身が有利なわけでありますから、したがって、これに対して
国民的な合意が得やすいわけであります。使い捨て製品をつくっている産業では、セクターでは、非常に大きなデフレーションがまだ強まってくるでありましょう。この分野というのはセクターとして非常に大きいですが、この分野のデフレーションが進む。そこで労働力が余ってまいります。使い捨て
経済——耐久消費財や自動車やそれから合成物質やその他のところで非常にたくさんの労働力使っていますが、これはごみをつくるために生産しているようなもので足踏み
経済でありますから、これを断ち切るわけです。そういたしますというと、労働力の余裕が出てまいります。この余裕が出たやつをスカウトできるだけの公共部門が用意をしておかなければならない。たとえば大工さんが足りない、
看護婦さんが足りない、ホームヘルパーが足りない、左官屋さんが足りない、先生が足りない、いろんなところが足りないんですが、この人手不足の方向に労働力をスカウトする。つまりちょうど戦時
経済に動員された労働力が復員してくるような形で、復員体制を整えて、
財政ではそういう用意をすべきであります。そのかわり、償却税であるとか自動車保有税というような、使い捨て部門に対しては非常に大きなデフレショックを与える。そのかわり、
財政の健全な分野では拡大政策をとっていく、まあこういう
考え方をとる。
財政の中では、高速道路のない、エコロジー的に問題のものはカットしますけれ
ども、そうでない
福祉的なものは大幅に前進させます。そうやって波状再調整します。つまりローリング・リアジャストメントでありまして、これはオーバーキルと違いまして、そのデフレの目標自体が消費者に支持されます。同時に
労働者も、首切り問題に直面しても、実は使い捨てをやめることを通じて首切りが起こってくるわけですから、しかもスカウトもしてくれるということならば、このデフレはある
程度受け入れる余地があるわけです。こういうふうな政治的デモクラシーにおいて、
労働者と消費者が受け入れる余地のあるデフレ政策のモデルをつくらないから、デフレ政策というのがやりにくくって
物価がおさまらないわけです。無差別に金融と
財政を量的に引き締めると、こういうことをやりますというと、
関係のないところまで締めるものですから、抵抗が強くて、たいてい途中でなま煮えになるわけです。この結果、慢性的な
インフレになったんですが、こういうふうな波状再調整型デフレ政策をとるべきだ。
さてその次は、労働力の不足が緩和いたしますから、労働市場においては超完全雇用が終わります。いまの超完全雇用は使い捨て
経済に労働力を非常に乱用しているからであります。むだに使っているからです。これが超完全雇用が終わって普通の完全雇用に返る、まあ二%
程度の失業者は常に存在するという形のほうが健全なんでありまして、超完全雇用は
インフレの原因であります。政策目標は完全雇用が目標なんで、超完全雇用を目標とすべきではないのであります。そういう意味で労働力の需給バランスが改善されてきます。それによって名目
賃金の
上昇圧力は落ちてきます。それで
労働者は損するかと思うとそうではなくて、ボトルネック
インフレーションが収束することを通じて実質
賃金はかえって高くなるわけであります。それから同時に、
労働者は使い捨てのものではなくて、もちのいいものを買うわけですから、たとえば、これ、部品がなかったものですから、この前十一年目で修理してくれなくて買いかえたのですが、買いかえると三万五千円ですが、もし十一年目で部品があって修理してくれれば千円で済むわけです。そういうふうな使い捨てのものをどんどんどんどんやって買いかえるための名目
賃金の
上昇があるんですが、その部分がカットされるわけですから、
勤労者としては実質内容はかえってよくなるわけであります。こういうふうな形の整合性のあるデフレ政策のモデルというものが探求されなければいけない。企業としてはどうなるかというと、使い捨て
経済が終わりますというと、過当競争が終わりまして設備誘因が落ちてきます。そうすると、借金を銀行に返すわけですから、金利負担が減って固定負担が軽く、楽になる、このプラスがあります。ただ企業としては使い得ない設備が出てきます。ちょうど軍需産業終わりますというと使えない設備が出てくるように、たとえば洗剤の設備なんというのは粉石けん変わりますと要らなくなる。そういうふうな使えない設備がアメリカの調査によりますと、大体設備資本ストックの約二五%あるそうです。これはやはりオシャカにする以外にないということになるかと思います。こういうふうな型のデフレ政策を遂行していくというのがいまわれわれに課せられた課題ではないかというふうに思うわけであります。で、こういうふうにして全般的な転換をはかりまして、われわれは
生活の質の改善を目ざしていくことを通じて
インフレーションと戦っていくということ以外には道はないというふうに思うわけであります。
で、それじゃあ今度はエネルギー資源をどこに転換するかということですが、供給のほうに移ることにいたしましょう。
まず第一は、石油を細く長く使うことであります。高くなった石油を細く長く使うという意味で、いまのような形の体制を
需要の面で用意しておきまして、一方では、供給では、メジャーの供給にまかせておきますと、多国籍企業でありますから何をするかわからないわけであります。で、各国とも多国籍企業に対する自立化の傾向を進めております。アラブ諸国は、たくさんたまったドルでもって多国籍企業の経営権を買収するという形で、アラブが経営権を取得しつつあります。これと直結できるような石油会社をわれわれはつくることであります。つまり国内の共同石油、アラビア石油あるいは石油開発公団、こういうものを一本にまとめまして、イタリアのENI、ドイツのデミネックス、フランスのERAP、こういうふうな国策会社、
日本航空のような国策会社をつくりまして、これが直接アラブとの連係をはかっていくと。そして供給については、メジャーの供給と競争的公企業として対抗していくという形をとるわけです。そうしますというと、われわれはメジャーの寡占的な市場支配力の強化から免れることが可能になるわけです。いまは原油
価格をあんまり安く買うことによって得ていたメジャーの利益は失われつつあります。そのかわり、今度は寡占的な市場支配力を強化することによって、その失われた利潤を取り返そうとして
価格が上がってくるわけですが、その部分については若干の削減の余地があるわけでありまして、それは競争的公企業を国内に持っているかどうかによって大きく左右されるわけです。そういう意味で石油会社、国策会社の一本化が必要であります。それからメジャーがどういう行動をとるかについて、もっとわれわれははっきり認識する必要があるわけで、これに振り回されては困るわけですから、メジャーの株式を三割ぐらいは開発銀行が取得いたしまして、開発銀行からその
国家の代表を送り込んで、重役会においてその監視を行なうというふうな半官半民方式をとることも可能であります。これはヤマニ氏が進めてきたパーティシペーションオイルの
考え方でありますが、これを
日本でも適用すべきであるというふうに思います。
最後に、代替エネルギーとしての原子力を考えることにいたしましょう。
これについては問題がありまして、微量の放射能という問題があるわけです。これについては天然の放射能と同じぐらいだから大したことないといわれてきたわけでありますが、実は、これは生態学者の証言によりますと、五十万年ぐらい前の人類は天然の放射能に当たって相当淘汰を受けているようでありまして、それの中で生き延びてきた生き残りの戦士がわれわれの祖先らしいのですが、だから耐性を帯びているんですが、ところがこれがもう一ぺんハードルを迎えるわけです。これが問題なんでありまして、現にグラスというアメリカの教授がアメリカの学会で証言しておりますが、この天然放射能の影響の状況証拠が出ております。一九五八年につくられたアメリカの原子力発電所、それがある県と全米のガンの発生率の比較があります。全米のガンの発生率はこの十年間に八%増です。発電所のある県では三五%増です。それから数マイル離れた近距離では一八四%増です。こういう状況証拠が出ておりまして、こういうふうなものが出てくるものですから、原子力発電所があまりつくれないわけです。だものですから、アラブがその間隙を縫って売りどめをしてくるわけでありまして、環境問題と資源ナショナリズムがいまや合流しているわけであります。これに対応するためには、根本的な資源供給についての転換をはからざるを得ないということへわれわれは追い込まれているわけであります。これが一つのポイントですが、二番目は熱汚染が火力発電の二倍出ますから、発電所をどんどんどんどんいまの調子で海浜につくってまいりますというと、水の温度が上がりますと、水の中の酸素容量が減るわけです。酸素が減りますとモが大量に発生いたします。温度が上がりますというと酸素容量が減ります。そうするとモは有機物を分解するためのバクテリアの機能が落ちてきます、酸素容量が減りますと。したがって、非常に腐ってくるわけです。夏場の池が腐りやすくて冬場は池が腐らない、これは酸素の容量が温度によって違うからです。数度でも温度が上がりますというと、次々と赤潮がきれいな水の地帯にも広がる可能性があります。これがわれわれの漁業資源にぶつかってくるわけであります。漁業資源は水をよごしっぱなしにしておいて、南から持ってくればいいとやっていますけれ
ども、これがまたものすごく向こうは権利金を上げてきておりまして、アラブに続けとばかりに二百海里に領海を拡大して、権利金を上げていますから、これから魚がどんどん上がってくるわけです。そういうことを考えますと、水の汚染というのは非常に今後重要なものであります。近海魚に栽培漁業を拡大するという余地がつくってないと、対抗力がないと魚の値段はどんどん上がってくると、これもまた
インフレ問題になるわけです。そういう意味で、この水汚染の問題が、熱汚染の問題が問題です。
第三番目は安全装題が働くかどうか、シミュレーションテストしかないんですが、コンピューターによるシミュレーションテストによりますと、働くかどうかわからないというので、アメリカでは出力を落として設計の変更が検討されております。
第四番目は、
最後に残った濃厚な放射能、固形廃棄物でありますが、これが捨て場がない。アメリカは岩塩の中の地下水のしみ通らないとごろにそっと埋めてますけれ
ども、
日本はそういう捨て場がないもんですから、結局どんどんドラムかんにたまってくるわけです。そうやって、もし
昭和六十年に発生するドラムかんの量を推定いたしますと、発電所がかりにできたといたしますと大体三十万本ぐらい出るのです。これの捨て場がなくて困っちゃうわけです。何ともできないのです。結局
日本はロケットに乗せて太陽に打ち込む以外にないだろうと、こう言われておりまして、廃棄物処理コストが非常に高くなる。
こういうことを考えますと原子力発電の将来はどうも非常に暗くなってきておるわけでありまして、技術予測から見まして、一ぺん公害型のものを選びますというと非常にあとで苦労するわけであります。こういうことを考えますと、技術予測の観点からはあとで苦労するような
——当面うまくいくように見えるけれ
ども、公害防除のためのコストが非常に上がって苦労してしまってどろ沼に入る可能性がある、そういうものはできるだけ避けたほうがいいわけで、そういう意味では太陽熱発電のほうが先にくるべきであるというふうに私は思います。サンシャイン計画二十二億、それから原子力発電はことし六百七十億の
予算を組んでおるわけですが、これは逆ではないでしょうか。核分裂型の原子力発電の将来は技術予測論から見ると非常に暗くなっておりまして、むしろわれわれは太陽熱発電、たとえばシャープの太陽電池ですが、あれは電力の三百倍のコストです。だけれ
どもあのコストダウンさえやればこれはいいんですから、コストダウンだけやればいいようなクリーンなやつを選んでやったほうが将来的にはプラスが大きいのであります。そういう意味で、このサンシャイン計画のほうに
予算を大きくつけて、原子力発電所についてはむしろアメリカにまかせてしまうと、アメリカはモルモット実験をやってくれているのですから、あちらにまかせて、
日本は太陽熱発電に全力を注ぐべきではないかという感じを私は持っております。
この前糸田英夫さんと会って話してみましたが、彼も核分裂型の原子力発電というのは大体もう放射能問題があって、幾らやってもなかなかうまくいかない。結局核融合まではだめではないか、こういう
意見がだんだん強くなっています。技術者の間でも強まっておりまして、核融合ならば何とかなるけれ
ども、しかしむずかしいですから、これは。二十一世紀、はるかかなたです。そうすると現在の原子力発電と太陽熱発電と、この二つの間の
関係を、太陽熱は二十一世紀で、原子力が二十世紀の終わりの時期のエネルギーだと、こういう代替エネルギーの設定のしかたは問題なんじゃないかということになってくるわけです。こういう意味で、この点についての検討をしておかないと、あとでたいへんな研究投資のディスインベストになってしまうわけであります。自動車だってあれ使いながら直していったじゃないかと言っておりますけれ
ども、自動車はそういうことをしたもんですから困り果てて、一酸化炭素を減らすと窒素が出てくる、窒素を減らそうとすると一酸化炭素が出てくると、とってもこの公害防止に困っておりますが、初めに選択を間違えると非常に損するわけですが、技術のメニューというものは幾つか複数あるわけです。その中で苦労の少いやつを選びとるかどうかが研究投資の効率化につながるわけであります。こういう意味で、私はエネルギーの供給についても考え直していくと。
それからいますぐ使えるエネルギーというのは、御存じのように太陽熱エネルギーの光合成物質であります。光合成物質に切りかえれば石油と電力を太陽に期待することが可能なんでありますから、こういうふうにすぐ使えるエネルギーをどんどん活用していくということを通じて供給をバランスさせていく。こういうふうにして、GNPは
上昇率は高いけれ
ども、使い捨てのごみばっかりだと、こういうふうな
経済からストックがだんだんたまっていき、生態学的にも健全なものがふえていくような、そういう成長経路に切りかえなければいけないところへわれわれは差しかかっているというふうに思うわけでありまして、この資源問題を契機に全般的な
経済政策コースを検討することが第一であります。ゼロ成長か何%いくかというようなことを
議論する前に、そういう問題を検討する
段階に入ったというふうに私は思っております。
どうもありがとうございました。長くなりまして申しわけございません。(
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