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玉置和郎君 水上
会長にお伺いします。
いま
会長が、商社がラーメンやること、また鶏卵やること、これはまあ
相当貢献しておるのだという
お話であります。しかし私たちは、これはやっぱりラーメンはラーメンでやれる人があるのです、鶏卵は鶏卵でやれる人があるのです。何を好んで大商社がその鶏卵のところまで手を突っ込まなければならぬか。あなた方が鶏卵にまで手を突っ込んでくると、それによって塗炭に苦しむ養鶏農家があるのです。この辺のことは私は
経済の秩序だと思いますけれ
どもね。大商社がいわゆる社会的な責任というものを痛感するのであったら、少なくともこういう問題について
経済秩序を破壊しない、そのことによって
国民の中に多くの犠牲が出ないということ、これをやっぱり
考えてやってもらわなきゃならぬと思います。
私は本論に入りますが、社会的責任を果たす、このためには表だけを見ておったんじゃいかぬ、裏も見なければいかぬという
お話がありました。これ、もっともだと思います。
そこで、この二つの事実についてお聞きをします。
一つは、
物価問題というのは、これは非常にメンタルな問題を含んでおると思います。で、私は今度の物資不足のパニック
状態、これはどうもつくり出されたという感じを私は持つんです。多くの
国民も最近持っております。というのは、ここに資料を要約したものを持っておりますが、今度問題になりましたトイレットペーパー、それに洗剤、それに砂糖、専売の塩まで一時は問題にされた。こういうものの四十七年の十一月-十二月の生産高、それに伴う出荷高、出荷の量、
相当あのパ二ック
状態が起こった四十八年の十一月から十二月にかけての生産量、出荷の量、こういうものを見てきますと、いずれも生産が減っていない。それから出荷も減っていない。むしろふえておる。にもかかわらず、何で品不足の
状態が起こったかということなんです。
私は、おかげで
全国的な組織を持っております。私たちなりに今度問題なところを
調査してみました。そうしますと、これはもう名前をあげちゃあまり刺激するからいかぬという私たちの
理事さんのありがたい配慮でございますので、言いませんが、ある強力な婦人組織、この婦人組織がプロによって指導されて、そうして、その大きな団地のマーケットに組織的にトイレットペーパーを買いに行っておる。そうして、最初は一人が四つも五つも買う。これは
一つ四巻入って二百二十円くらいでありますから、四つ買って八百八十円、ざっと千円以下のものであります。それを小わきにかかえて、そうして団地の中を歩く。奥さん、トイレットペーパー不足しておりますよ、もうありませんよ、いまに買いなさいよと言って、トイレットペーパーを大事にかかえながら歩くその姿を見た団地の人たちが、あわててマーケットに押しかける。そういうようなのが二日、三日と繰り返された。そして三日目には完全になくなった。そこへ数十人が押しかけておうおう、わいわい騒いでおるところを新聞が報道する、テレビにのせる。この局地の問題があたかも
全国的な問題として
国民の目に映る。これが洗剤も同じことなんです。トイレットペーパーの販売をしておるところにちょうど洗剤があるんです。そのまた裏側で砂糖を売っているんです。そういうことによって火がついて、
全国的に起こった物資不足のパニックという問題、私は、これはたいへんなことだと思うんです。
こういうふうに、冒頭に言いましたように、
物価というものはこの御婦人方の特にメンタルな問題これがたいへんな要素を占めておるということ。そしていま、あの当時四つも五つも買い占めた人たちが、はたして買ってよかったという
状態にあるかどうか。最近のこの下がってきた
物価から見ますというと、いま
反省しているのであります。これが私は自由
経済のいいところだと思います。それだけに、私はここでいま嶋崎さんから注意を受けて、あまりおまえ新聞を刺激するようなことを言うなと、こう言う。私はそうじゃないと思うんだ。こんなことははっきり言っておいたほうがいいんです。私は、
理事さんのことはたいてい言うことを聞くんですけれ
ども、これはやっぱりはっきりしておいたほうがいいんです。これは新聞の責任、民放の責任、テレビの責任、これはこの
あとにも申しますが、たいへんなもんです、これ。いままでは直接に
国民の目に触れ、耳に触れるというこの媒介体がなかったのです。しかし、いまやある。こういうことについては私はマスコミ界の責任というものは避けることはできないと思う。この辺で
反省してもらういい機会だと思う。
その証拠を言っておきます。ちょうど英国であの
石油削減の話があったときに、英国の新聞や
経済誌で、昨年末の
石油パニックに際して、アラビア湾岸から原油の積み出しは減っていないということをしばしば報道いたしております。そして英国
国民に対して、あわてなさるな、じっとこの
状態を見ましょうという呼びかけをしておるのです。
日本の新聞の一部にも、航海中の船長にそのことを語らせておる事実もある、これはりっぱなことだと思います。しかし多くの新聞、多くの報道は、いまにも世の中がひっくり返ってしまうような報道をした。いまはたして
石油がそれだけ、報道しただけ減ったでしょうか――、減ってない、私は、新聞というのは社会の公器であったならば、また、テレビというものが社会の公器であったならば、そういうところにこれ、私は目をつけて報道せなければはらぬと思う。
もう
一つ、これは政治の責任の
一つでありますが、先般の
衆議院の
予算委員会で某商社の社内報を取り上げて、そうして――これは三菱でありますが、共産党の野間君が、豚は何とか言うた。豚というのは私のことじゃないので、原地人を豚や鶏にたとえてわめいたのですね。「豚は太らせてから料理せよ」、まあこう言った。私はおかしなことを言うな、これはまあ共産党らしいことを言っておるな、これは一部のことを言ってるだけじゃないかと思って、実はこの「菱和」、社内報をもらってきた。これです。あるいは
会長はもうお目通しかもわかりませんが、この中の記事を見ますと、決してそういうことを言っていない。私は、これについてタイの大使館のほうに聞いてみた。タイの大使館ではこれは、「豚は太らせてから料理せよ」というのは、タイ
国民を豚にたとえたのではなく、タイ国に古くからあることわざで、原地語でクン・モー・ハイ・ウォンというのだそうです。クン・モー・ハイ・ウォン。このことは、ことわざは四通りの意味に使われているのが多いのだそうであります。だから
質問者の議員が意味を取り違えておるのじゃないか、前後の事情を読んだならば、これはもうはっきりするということです。
そしてさらに、ここにタイの新聞の切り抜きを持ってきております。これです。この新聞の切り抜きを翻訳いたしますると、これはタイの新聞が、
日本の
国会議員、共産党の議員は誤って事実を伝えておると言っておる。こういうことについて一体公党としての責任を共産党はどのように果たすのか、私はむしろこれを問いたい。そうして、私は何もこれ、商社を援護するのじゃないのだ、
日本人はタイを見下していないという見出しをつけて、実はタイの新聞が弁護をしておるのであります。
日本の新聞見たらこうなんです、「商社マンこの怪獣ぶり!」と書いてある。そうして「バカな社員……苦り切る
社長」、
社長もこんなの知るはずがない、こんなことを。こんな社内報のことなんぞ三菱商事の
社長は、こんなの知るはずがない。それで「合弁会社を豚・鶏扱い」「『
物価審議』でスッパ抜き」と書いてある。この一部だけ見たらそうなるのです。しかし、全部を読めばりっぱな商社マンの倫理を説いておるのです。私はそう思う。この問題について貿易会の
会長はどのような見解をとられるか(笑声)はっきりして、はっきり――。大体あなた方遠慮するのですよ。
国会へ来て遠慮しちゃいかぬ、これはもう堂々と思うとおりに、私ぐらい言ったらいいんです、私ぐらい思うとおりに言え。そうしたら初めて活気ある
審議ができるのです。
国民はそれを望んでおる。おどおどおどおどしてね、きょうは割に
態度がいいですよ。(笑声)この前は何ですか、あれは。おどおどおどおどして、そうして情ない声――私の親戚にも実はある商社にいっておる。うちの
社長のあの
態度見て、わしはもう月給もらうの情けなうて情けなうてと、こう言うておった。だから、この辺で貿易会の
会長としてしゃんとした答弁をしてください。