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世耕政隆君
従三位勲二等
濱田幸雄参議院議員は、本年三月二十三日、脳溢血により突然おなくなりになりました。
ここに、私は、お許しを得まして、
議員各位を代表し、つつしんで
哀悼のことばをささげたいと存じます。
濱田議員は、
明治三十一年八月一日、
高知市浦戸町にお生まれになり、大正十一年
東京帝国大学法学部政治学科を卒業、
大蔵省専売局に入られました。
地方専売局長として各地を転勤され、後
昭和十六年には
広島税務監督局長及び
財務局長、翌十七年には
大蔵省営繕管財局長に任ぜられました。この間、朝鮮、関東州、満
洲国、
中華民国等に出張され、また、各種の
委員会、
営団等の
委員、
評議員をおっとめになり、御
活躍をされておりました。
昭和十八年、
専売局長官に任ぜられ、
戦時下の
専売事業に精根を傾けられました。しかし、二十年四月、みずから職をお引きになりました。
当時、第二次
世界大戦末期にあたり、しばらく職を離れ心身の疲れをいやしたいというあなたの希望はかなえられず、同年六月末には南満
洲鉄道株式会社理事という重い
職務をいやおうなく命ぜられました。その年の七月末、任地の長春の旅館におきまして、落ちつく間もなく、
ソ連軍の進駐に遭遇し、その
指揮下に
鉄道顧問として一年余りたいへんな御苦労をされることになったのでありました。
しかし、その間にあって、
ソ連軍の要求に対しても筋の通らぬことには泰然として動かず、まことに古武士の風格が漂っていたと、当時の記憶を上司だった
同僚議員がよく語るところであります。
昭和二十一年暮れ、内地に引き揚げられてからは、
公職追放となり、焼け残った御
自宅の庭を農園にし、晴耕雨読の生活を送られました。その後、
追放も解け、
東北興業株式会社総裁にしばらく就任され、後
昭和二十七年から四十一年まで五期にわたり自由民主党に属し、
衆議院議員として御
活躍になられました。その間、
地方行政、法務の各
委員長を歴任されました。
その後、
昭和四十六年七月の
参議院議員選挙に御当選になり、以来、
文教委員として熱心に
委員会に出席されておられました。非常に寡黙で、きちんとしたお
人柄でございました。他の
委員の
討論にじっと耳を傾け、終日整然と着席しておられる御様子でありました。
文教委員として終始執念を燃やされたのも、おそらくは次代をになう
青少年の教育にあなたが大いなる関心をお持ちだったからでありましょう。そのことは、以前から
土佐の
青少年育英事業のお世話をされ、また、若い人々と歓談し、ともに食事をするのを大きな喜びとし、
自宅に青年を預かり、学費などのめんどうも見て多くの人材を育てられたというあなたに関する逸話からもよく想像されるところであります。目先のことにおぼれず、
てんたんとして人間を愛し、
青少年をいつくしみ、その志を重んじ、そこにこそ御自身の
政治を生かそうとしたあなたの御遺考がここにしのばれるのであります。
あなたは、
中学時代、生家に
税金滞納で差し押えに来た
役人から、中学校へ行くなど身分不相応だとののしられ、それに奮起し、そのとき、よし、こういう不見識な
役人をなくすために
自分は将来
大蔵省の
役人になり、ついには
政治家として立とうと決意されたと伺っております。
少年のころの志が、後年のあなたのお
人柄、
青少年への深い
思いやりに通じているのでありましょう。あなたは、
役人としては、いばらず、こびず、公正で、しかも周囲にやさしかった。また、
政治家としては、廉潔を重んじ、国の将来の先々までを考えておられました。
あなたはまた、故池田元首相をはじめ気楽につき合うことのできるすぐれた友人に数多く恵まれ、酒をくみかわし、ときに興至れば郷里のよさこい節の一節にある「
土佐の
高知のはりまや橋で坊さんかんざし……」などを歌いはやし、その他、小唄、民謡を口ずさむ、らいらくにして騒逸な一面もおありだったそうであります。しかし、晩年、最近の
自分は歌も歌えない、笑ったこともないと、嘆くがごとくしきりに述懐しておられたと聞きます。晩年のあなたの内部にいかなる
思いが去来していたのか、いまはお尋ねするすべもございません。
濱田さん、あなたは、生涯の大半を
政治と
行政にささげられました。あなたは、
土佐と
明治の気骨を内に秘め、高雅にして誠実、
思いやりと
武骨さの二面を持ち、憂国の気概にみなぎり、謙虚で、しかも広大な視野を有する真の
政治家でありました。
かつてあなたが腰かけておられたいすに、部屋に、また廊下を、いまだに
白瞥のあなたが背筋を伸ばして向こうからまつすぐ静かに歩いてこられるような気がするのであります。あなたのこの世における御存在があまりにあわただしく唐突に失われてしまったので、その別離の悲しみをいまにしてわれわれは風洞のごとき
思いでかみしめているのであります。
さようなら、
濱田先生、いまこそ、あなたの眠りが、深く、遠く、明るく、安らぎに包まれておられんことを心からお祈りいたし、ここに生前の御功績、御
人柄をしのびつ、
追悼の辞とするものであります。(
拍手)
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