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参考人(
竹下守夫君)
参考人の
竹下でございます。
本日は、
民事調停法及び
家事審判法の一部を
改正する
法律案につきまして私の考えますところを申し上げて御
参考に供したいと存じます。
民事及び家事の
調停制度の
改正というような問題を考えます場合にはいろいろな側面から検討を加えることが必要かと存じますが、本日は時間の
関係もございますので、私はもっぱらこの
調停制度を利用する側から見てどう考えた
らいいかという角度から
意見を申し上げたいと思います。幾ら理念としてすぐれた
制度であっても利用されなければ意味がないわけでございますので、利用者の角度から問題に迫ってみるというのも十分
理由のあることではないかというふうに考えます。
私が申します
意見の
内容は、大体次のような順序にさせていただきたいと思います。一番初めは、現在
調停制度というものが存在している
理由をどこに求めた
らいいかということでございます。それから二番目は、その
調停が近時機能低下の傾向にあるということでございますので、その原因はどういうところに求められるかということでございます。それから三番目に、そういった二つの観点を踏まえまして
改正案の評価ということにしたいと思います。
御
承知のとおり、わが国における
調停制度は大正十一年の借地借家
調停をはじめといたしまして小作
調停、商事
調停というようなぐあいに特定の分野ごとに順次制定されてまいったものでございます。これらがそれぞれ制定された時期におきまして
一定の政策的な目的によってつくられたものであるということ、たとえば借地借家
調停であれば借地人、借家人の権利主張を
一定限度に制限するというような政策的な目的があったということ、それから小作
調停であれば小作争議が激化しないうちに芽をつみ取ろうというようなそういう意図があったということ、こういう事実はほとんど現在では否定できないことというふうに承認されなければならないだろうというふうに思います。一言で言ってみれば、戦前のそういう
調停制度の成り立ちの中には今日の目から見れば非合理的ないしは非民主的な要素があったということでございます。しかし、日本国憲法下の今日におきまして
調停制度が存在している
理由あるいはそれが現に利用されている
理由というものは、こういった過去の立法者の意図とは別のところに求められなければならないし、また求めることができるというふうに考える次第でございます。現在の
調停がもしこのような非合理的、非民主的な
制度であるといたしまするならば、ここ数年間のみをとりましても新受
調停事件総数が民事と家事合計で、第一審の訴訟新受
事件数の六〇%ないし七〇%にも当たるという、そういう事実を
説明することはとうてい不可能であろうというふうに思います。
それではなぜ
調停が現にそのように利用されるのか、そしてまたなぜしたがって存在するのかということになるわけでございますが、私は一応次のような三つの点をあげてみたいと思います。
第一は、
調停の簡易性、要するに
手続が簡単であるということでございまして、これには
手続の経済性、迅速性ということが結びつきます。ここで私が
手続の簡易性というふうに申しますのは、
手続が非
法律家たる
一般国民にもよく理解できるという意味でございます。そのために非
法律家たる
一般国民は特別な
法律専門家を使わないで
自分でこの
制度を利用することができるわけでございますから、すでに経済的という利点があることは言うまでもございません。しかし
調停の
手続が簡明であって、しろうとにもよくわかるということの利点は単に経済的というだけにはとどまらないように思います。現在このような管理社会の中にあってやはり
自分の権利がどういう
手続でどのようにして処理されていくのかということを
当事者が
自分の目で見、
自分の耳で確かめることができる
手続というものはやはりそれなりに重要な意味があるというふうに思うわけでございます。むろん非常に多額の
事件ということになりますれば、これは簡単な
手続で済ますというわけにはまいりませんから、訴訟
制度の必要性ということは当然肯定されるわけでございます。そうなりますと、
調停の簡易性というのはことに少額
事件というものの処理に適しているというふうに言うことができるのではないかと思います。
それから第二に、
調停が利用される
理由として考えられますることは、争いの
解決の
内容が柔軟だということでございます。一例をあげますれば、交通事故によって人身障害を受けた者、それによって労働
能力を失ったという者が損害賠償をしてもらうときには定期金で賠償をしても
らいたいというのがまず多くの場合考えられることであろうと思いますが、現在の訴訟の
制度のもとではこういった定期賠償というような
方法は
一般にできないというふうに考えられているわけでございます。それは実体法がそういった損害賠償の
方法を認めていないからでございます。現在のように流動化する社会で、またその流動する中で、個々の時点で非常に複雑多様にからまり合った社会
関係というものが形成されております時代には、あらかじめ権利の発生の要件を発生する権利の
内容とともに固定しておいて、その法規を適用して争いの
解決をするという、そういう方式が必ずしも具体的な妥当性を得るゆえんではないという
事件が次第に増加しているわけでございます。これが世界の各国におきまして、いわゆる訴訟の非訟化あるいは非訟
事件の増大という現象を呼び起こしている
理由であるというふうに思われます。
調停は、やや大げさになりますが、こういった現象の背後に横たわる問題の
一つの
解決方式としても十分意味があるというふうに思われます。
さらに第三に、
調停には
民間人たる
調停委員というものが存在しているということからくる
国民の親近性といいますか、そういうものが非常に注目されなければならないと思われるわけでございます。ここでは、
法律の
専門家に話をするという場合に感ずる気詰まりといいますか、何か
自分の言いたいことを十分に理解してもらえないのではないかというような不安というものが除去されるわけでございます。
調停委員は利用者と同じ
民間人でございますから、利用者の立場からものを考え、
紛争の
解決に当たってくれるという、そういう信頼感があるということになるわけでございます。家事
調停につきましては、なおこのほか、
手続の非公開性というようなことをも
調停制度が利用される
理由としてあげることができるかと思います。要するに、
調停は、決して過去の遺物なのではなくて、現代においても、訴訟と並ぶ民事
紛争解決制度としての存在
理由を持つものであり、
調停に適する
事件、一口で、やや卑見でありますが、まとめて言うとすれば、少額の、しかも非訟的な処理に適するというような、そういう
事件というものはやはり
調停によって処理されることが望ましい。それがまた本来の訴訟の負担過重を解消するゆえんでもあるというふうに思うのであります。
ところが、近時、
紛争解決制度としての
調停の機能が低下する傾向にあるというふうにいわれております。統計を見ましても、確かに民事
調停事件では新受
事件数が漸減の傾向にありますし、民事、家事両方を通じて、
調停の
成立率といいますか、成功する率が減少しております。こういった傾向が、いわゆる
国民の権利意識の
向上の結果であって、むしろ歓迎すべきものであるというのであれば何も問題はないわけでございますが、しかし、そのようにばかり見るわけにはいかないのではないかというふうに思います。
調停の機能低下の原因として、私は、利用者のほうの立場から見た場合には、次の二点を指摘することができるのではないかと思います。
第一は、
調停において提供される
紛争解決案が
調停制度の利用者の要求に合致していないのではないかということでございます。現代における
調停の利用者は、先ほど申し上げましたように、決して
調停に没
法律的
解決を求めているわけではないのであります。
制度の前述の意味での簡易性とか柔軟性、あるいは親近性というもののゆえにこれを利用しているわけでございます。このことは、
調停の実証的研究をしております学者によって証明されているところでございます。ところが、
調停において提供されるサービスというものは、利用者の新しい需要に応じ切れず、しばしば前
法律的あるいは没
法律的
解決案であるということがあるようではございます。このことは、
調停における事実
調査の不足という
手続面と、それから
調停委員の現代に期待される
調停委員としての適格性の欠除という
主体面と、その
双方に原因を有するというふうに言えるかと思います。
調停の利用率が落ちてきたと考えられる原因の第二といたしましては、現在の
調停制度の仕組みが利用者の便宜にマッチしていないということでございます。いわば
調停制度の利用者へのサービス不足というふうに言えるかと思います。たとえば、確かに
調停は話し合いによる
紛争の
解決でありますから、
調停を申し立てるほうが相手の住所地の
裁判所に出かけていって
調停をするのが原則であるということはそれでよろしいと思います。しかし、不法行為によって身体障害を受けたような者までが、現在の
制度では相手方のところへ出向いていかなければならないということになるわけでございますので、被害者がこういう場合には初めからこの
制度を利用する気にならないということになるだろうと思われるわけでございます。また、それと関連いたしまして、遠隔地にいる者同士の
調停というものにつきましても、単に三千円の過料で、その心理的圧迫で出頭を期待するというようなことではとても不十分であるということは言うまでもございません。さらに、
調停は簡易な
手続であって、
自分で利用できるところがメリットだというふうに申しましても、実際にこれを利用するには、利用者の側から見るといろいろの制約がございます。一番大きな制約の
一つと考えられるのは時間的な制約でございます。そこで、いわゆる即日
調停とか、時間外
調停というような、
調停を申し立てたらその日にすぐ
自分の言い分を聞いてくれるとか、夕方五時過ぎでも
裁判所へ行って申し立てをすれば
調停を受け付けてくれるというような、そういうサービスがないと、
国民はこの
制度を広く利用することが困難になるわけでございます。アメリカの少額
裁判所——これすべてであるかどうかは私も存じませんが、アメリカの少額
裁判所のうちの少なくとも一部のものは、夜間に、しかも即日に判決をするというようなことが報告されております。こういうことは
調停についても十分考えるべきであろう。ことに、先ほど申しましたように、わが国の
調停というのが少額
事件の処理に適しているということであれば、ますます考慮すべきであろうというふうに思われるわけでございます。やや誇張して申しますれば、現在の
調停制度はサービスが不足している上に、なされているサービスも利用者の需要に合わない面が出てきたということでございます。
そこで、このような観点から見て、では今回の
改正案をどういうふうに考えるかということになるわけでございますが、私は、このような
現行制度の欠陥を是正しあるいは是正し得るような
制度的整備をはかろうとするものとして、大筋において
賛成をしたいというふうに思います。
第一に、これから、もうあまり時間がございませんので、こまかい点は後ほどもし御
質問でもあればお答えしたいと思いますが、ごく大まかに申しますと、まず第一に、
改正法は、
交通調停について被害者の住所地、それからまた
公害等調停につきましては被害発生地の
裁判所にそれぞれ管轄を認めております。これは言うまでもなく
調停を利用しやすくするものであります。
それから第二に、
改正法は、隔地者間の
調停を円滑ならしめるために二つの新しい
制度を導入しております。
改正民事調停法八条で、
調停委員の
——これは
家事審判法二十二条の二も同様でございます。一々お断わりすることを省略さしていただきたいと思いますが、
改正民事調停法八条一項では、
調停委員の
職務として、「嘱託に係る
紛争の
解決に関する
事件の
関係人の
意見の
聴取」というそういう
制度を定めました。また、
家事審判法の
改正二十一条の二では、遺産分割に関する
調停の特則を定めております。これらは言うまでもなく、離れた地にいる
関係人、ことに遺産分割の場合にはそれが多数にのぼるということが多いわけでございますので、そういう者の間でもなお
調停が行なわれるようにしようとする努力であるわけでございます。
第三に、私は、
改正民事調停法八条二項、同じく
家事審判法二十二条の二第二項でございますが、これが
調停委員を当初から
非常勤の
公務員として
任命するということにしているのにも
賛成したいと考えます。
非常勤公務員化することによって、
手当が
支給されることになり、大幅な
待遇改善がなされるということは、言うまでもなく、よい
人材を集めるのにきわめて有効であります。しかし、私が
非常勤公務員化に
賛成したいと思いますのは、決して
調停委員の
待遇改善という
理由のみによるわけではございません。それと並びまして、この
改正によって
調停利用者へのよりよいサービスが期待できるというふうに思うからでございます。現在の
調停委員候補者制度のもとでは、
担当事件を離れて
調停委員の
職務はあり得ないわけでございますから、
改正法八条一項が意図するような先ほどの隔地者間の
調停の場合の、嘱託による
関係人の
意見聴取というようなことは不可能でありますし、ひいて管轄の拡張だけをしてもその実効があがらないおそれがあるわけでございます。今回の
改正により、一方で、被害者の住所地、被害発生地の管轄というものが認められました。こうなりますと、必然的に相手方の住所地外の
裁判所での
調停という場合が増加するわけでございますから、隔地者間の
調停を円滑にさせるという措置を伴わないで管轄の拡張だけ認めてみても、結局は絵にかいたもちになる危険が多分にあるわけでございます。したがいまして、管轄の拡張に伴って今回こういった隔地者間の
調停を円滑ならしめるような措置を講じたということは、必然的な結びつきがあるというふうに私は考えるわけでございます。また、先ほど申しました即日
調停や時間外
調停のための執務体制というものを整えることも、現行の
調停委員候補者制度のもとではきわめて困難でございます。あるいは現行法のもとでも、若干の
裁判所で即日
調停の試みがなされているというようなことも仄聞したことがございます。しかし、これは現行法でもできるではないかということではないのでありまして、これは
国民の期待に沿うような
調停を実現しようとすれば、どうしても
担当事件の
職務の範囲にとどまることはできないということを意味するものだというふうに考えるべきだと思います。さらに、
調停委員候補者制度のもとでは困難でございますが、
非常勤公務員制度のもとでは
調停委員の
研修ということもきわめて円滑に行なわれ得るということになるわけでございます。このように
調停利用者の立場から見ますと、
調停委員を
非常勤公務員化するということは、
自分たちへのサービスがそれだけより多くなるということになるわけでございまして、たいへん望ましいことであるというふうに私は考えるわけでございます。しかし、
非常勤公務員制度のもとでは、
調停委員の負担が逆に過重になり、かえって
人材を集めにくくなるのではないかという懸念が出てくることもまた無理からぬものがあるというふうに思います。しかし、
担当事件外の
職務は、何もすべての
調停委員が遂行しなければならないということにはならないわけでございます。現在の
制度のもとにおきましても、
調停委員候補者は
裁判所から、
調停主任から
指定を受ければ原則として辞退はできないということになっております。しかし実際の運用におきましては、各
調停委員のそれぞれの時間的余裕等を考えまして、決して
担当事件数を一律にしているわけではないわけでございます。今度の
改正後の
非常勤公務員制度のもとにおいても、当然同様の配慮はなされるはずであるというふうに考えて差しつかえないと思うわけでございます。で、それよりも、
調停が一そう
国民に利用されるものとなり、簡易な
紛争解決制度として愛好されるようになれば、それだけ
国民の
司法参加の意義も高まるわけでございますから、
調停委員の職を引き受ける層が広がるということを期待しても、あながちそれは望みのない期待ということは言えないであろうというふうに思います。
私はこのように今回の
改正の大綱に
賛成するものでありますが、言うまでもなく、
調停制度の
改善が必要なところは決して今回の各事項だけに尽きるわけではございません。ことに裁判官不在の
調停というのは、法の予定するところから逸脱しているということは否定できないわけでございまして、かかる事態が早急に改められるような必要な方策がとられるよう、この機会にあわせて要望しておきたいと思います。