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佐々木静子君
人格権そのものの存在というものを一応肯定されている御
答弁でございますので、それがどうなるかということについては、それはおっしゃるとおり、事案事案によって違うと思いますから、ともかく、そういう詳しい
一つ一つの判例の検討などをいまここでやっている時間もありませんし、また
人格権をかなりに肯定してその
損害賠償を認めた判例というものも、私が申し上げるまでもなく幾つも出ているわけでございますので、これは
法務省がいまの各
行政庁の感覚と比べると、
法務省が非常に半世紀ほどおくれておると。これは
住民が全くそういう感覚で受けとめているわけでございますので、この
訴訟の
当事者としてのお立場はわかりますから、それはおっしゃるとおりでございますと、訟
務部長の立場とすると言ってしまうわけにはいかぬというごとはわかりますけれ
ども、やはり国なんですから、これが
訴訟の
当事者の
一つになってしまうと、これは
住民の側から見ると、
法務省だけまだ明治時代だというふうな批判を受けても、これは弁解の余地がないと思うんです。特にこの四大
公害訴訟ですね、イタイイタイ病にしても、熊本水俣にしても、新潟水俣病にしても、これは
判決が、一審
判決が出るより前に厚生省のほうから企業に対して
控訴をするなと、これは
住民のために
控訴をするなという勧告があったわけなんですよね。大企業に対しては、国はそのような
姿勢で、
住民サイドでという
行政措置をやっておきながら、かりにこれが国となった場合には、これは
国民がどう苦しんでもいい、国のメンツを立てなければいけない、もしそういう感覚があるとすれば——もしというよりも、私はそれだと思ってるんです。そうだとすれば、これは私大いに反省していただかなければならないと思います。
企業が
訴訟をやるのは企業の費用でやるんです。でも、国の
訴訟は
国民の税金でやっているんです。いま苦しめられてこのために病気になったり死んだりしたりした
人たちからも税金を取り立てて、それで国は
訴訟をやってるんですね。やはり国という立場に立って、もうちょっと大乗的な立場で考えていただきたい。事実、この
判決が出てから、一審
判決の線に沿うようにほとんど、一〇〇%とは言えませんけれ
ども、それに近いように
運輸省は
行政を切りかえているわけなんです。
環境庁にしてもそのように
努力していただいている。
法務省ひとりが、いや何だかんだと理屈を立てて、この
判決はおかしいんだ、
航空機の利用という
公共性を無視しているというふうに、
住民よりも航空利用の
公共性を力説している。まあ何だかんだと理屈をつけて、いま
運輸大臣に
一つの作為を求めるようなことは
訴訟上許されないんだ、
訴訟では許されないんだというようなことをもういまになって言っている。これは何年間か、四十何年ですかね、四十四年ぐらいから続いている
訴訟だと思いますけれ
ども、もしそれを主張されるならば、
訴訟が起こされたこれはもう一番前提になることですから、その段階で国は主張すべきだったと思うんです。それを全然主張しないで、いよいよ結審だというまぎわになってそういう主張をされて、そして国が全面勝訴というわけにはいっておらない。しかしまあ実質的には国にとって、
住民から見ると非常に国のほうの肩を持った
判決という批判が出ているわけですけれ
ども、それにもかかわらず、今度の
控訴審を有利に持っていくためにか、このごろになってにわかに
行政庁の作為を認めるようなことは司法機関では許されないのだとか、何だかんだと言っていらっしゃる。そのあたり、これは
法務省がおっしゃっても、にわかに
法務省が全く国という大きな立場からの御
発言というふうに
住民は受け取るわけにはいかないわけです。たいへんにためにする
一つの方便というふうにしか受け取れない。これでは
法務省が
国民から信頼されないと思います。
運輸省のほうがまだましだ、
環境庁のほうがまだいいというのがみんなの声でございまして、もうこの
法務省だけは、これはたいへんな役所だというのが、この
被害住民の受けている率直な
意見なんでございます。もうそのとおり言えばもっともっとひどいことばになりますけれ
ども、それが議事録に残ると
法務省に対して気の毒だと思いますので、私、そのとおりは言いませんけれ
ども、そういう批判を受けているわけでございます。そういう点について
法務大臣、これから先の法務
行政についてどのようにお考えでございますか。