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1974-05-14 第72回国会 参議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十九年五月十四日(火曜日)    午前十時二十八分開会     —————————————    委員異動  五月十日     辞任         補欠選任      岡本  悟君     田中 茂穂君  五月十三日     辞任         補欠選任      金井 元彦君     嶋崎  均君      安永 英雄君     加瀬  完君  五月十四日     辞任         補欠選任      田中 茂穂君     黒住 忠行君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         世耕 政隆君     理 事                 斎藤 十朗君                 内藤誉三郎君                 片岡 勝治君                 小林  武君     委 員                 今泉 正二君                 梶木 又三君                 黒住 忠行君                 志村 愛子君                 嶋崎  均君                 中村 登美君                 加瀬  完君                 鈴木美枝子君                 宮之原貞光君                 白木義一郎君                 松下 正寿君                 加藤  進君        発  議  者  宮之原貞光君    国務大臣        文 部 大 臣  奥野 誠亮君    政府委員        内閣法制局長官  吉國 一郎君        文部政務次官   藤波 孝生君        文部大臣官房長  井内慶次郎君        文部省初等中等        教育局長     岩間英太郎君    事務局側        常任委員会専門        員        渡辺  猛君    法制局側        法 制 局 長  今枝 常男君    説明員        厚生省医務局国        立療養所課長   大谷 藤郎君        厚生省児童家庭        局障害福祉課長  北郷 勲夫君     —————————————   本日の会議に付した案件学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一  回国会内閣提出、第七十二回国会衆議院送付) ○学校教育法の一部を改正する法律案(第七十一  回国会松永忠二君外二名発議)(継続案件) ○公立障害児教育学校学級編制及び教職員定  数の標準に関する法律案(第七十一回国会安永  英雄君外二名発議)(継続案件) ○公立障害児教育学校に係る経費の国庫負担に  関する法律案(第七十一回国会安永英雄君外二  名発議)(継続案件)     —————————————
  2. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  この際、委員異動について御報告いたします。  昨日、安永英雄君及び金井元彦君が委員辞任され、その補欠として加瀬完君及び嶋崎均君が選任されました。  以上御報告申し上げます。     —————————————
  3. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 学校教育法の一部を改正する法律案(閣法第一一二号)を議題といたします。  前回に引き続き本案に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 九日の午後の本案に関しますところの質疑の中で、いわゆる地行法第三十八条の一項の解釈の問題について若干混乱をいたしまして、理事会の申し合わせの中では、たしか本日の冒頭にあらためて文部大臣見解をまず表明をするということになっておったと思いますが、その点、大臣のほうからまず明確にしといていただきたいと思います。
  5. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 地方教育行政組織及び運営に関する法律第三十八条第一項の解釈につきましては、たびたび当委員会において御論議のあったところでございます。いずれにいたしましても、非常に重要な問題でございますので、私といたしましては、文部省法制局事務当局間においてさらに十分論議を詰めてもらいたいと、かように考えているわけでございまして、最終的な結論は、その審議を待った上で行ないたいと、かように考えているところでございます。
  6. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 さらに、論議を詰めてまいりたいということは、これまた、国会が六月三日までですね。だけど、国会が終わってからさらっと、論議を詰めたからといって通達出すということになるんですか。それとも、ここ近日中にあらためてここに提示をするということになるんですか。その点をはっきりお聞かせ願いたいと思います。
  7. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私の考え方は、たびたび申し上げているとおりでございます。しかし、いろいろの御議論もございますので十分詰めるべきものだろうと、こう考えているわけでございまして、急ぐ必要があります場合には、事務当局間に急ぐように指図をすべきかと思いますけれども、現在のところは、その結論を待っているところでございまして、いついつまでに結論を出せというようなことは申してはおりません。なるたけ早い間に結論を出すことは望ましいことでございますけれども十分審議を続けてもらうことが適当だろうと、こう思っているところでございます。
  8. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 十分省内で検討してもらうことはけっこうなんです。しかし、おおよその時期的なめどというものを私どももお聞きしたいので、国会が終わって参議院選挙が始まって、それぞれ検討したからこうだというかっこうでは困る。あるいは次の臨時国会あたりまでにきちんとやはり慎重に検討したいとおっしゃるなら、まずそれも一つの方法だと思いますが、おおよその大体、大臣自体の時期的なめどということについてはどうお考えでしょうか。
  9. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 私としては、なるたけ早いほうがよろしいと思うわけでございますけれども委員会のお考えもございましょうから、その辺はまた委員会としてのお考えもお聞かせいただいた上で判断をさせていただきたい、こう思います。
  10. 加瀬完

    加瀬完君 関連論議を詰めてとおっしゃいますが、この法律ができて運用すでに十数年でしょう。その間論議の詰まらない形で運用されておったとしたらこれはずいぶん問題です。文部省としての当然見解があって通達が何回も出ていることですから、この見解に従っていままで運用されてきたわけです。いまさらこの問題を時間をとって研究して正式な見解を出す、そういう筋合いのものじゃないでしょう、そういう答弁はおかしいですよ。私は納得できませんな。
  11. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) いままでの御論議をお聞きいただいてないものだからそういうふうな意見が出てきたんじゃないかと思うのでございます。これは、何回もこの委員会論議のあった問題でございます。問題は、法が予想しないよりな事態が起こってきた場合にどうするかということで、その場合の解釈をめぐっていろいろな論議が行なわれているわけであります。この法が成立いたしましてからそのような事態がなかったわけでございますけれども、昨年来、法が予想しないような事態が起こってきている。その際に、どうあるべきかというふうなことでいろいろな宮之原さんからも御指摘があったりして、こういう論議になっているわけでございます。私はさらに、立ち入ってまた従来の話をむし返してもよろしいわけでございますけれども、たびたびの御論議でございますので、なお、必要とあれば、従来の経過お話し申し上げてもよろしいと、こう思います。
  12. 加瀬完

    加瀬完君 いずれ宮之原委員から指摘があると思いますけれども、この法案成立の当初において、あらゆる予想される問題点というのは論議をされているわけですね。したがいまして、当然文部省としては、はっきりした見解というのがあるべきだ。見解なければ、いままで助言なり指導なりというのはできない。それで、その当時予想される問題として論議されたワク外解釈をするということであれば、その解釈自体もおかしいということになる。そういう観点から私は、ただいまの御回答はふに落いないと申し上げているわけです。  関連質問ですから、これは私の番が来ましたらまたやることにします。
  13. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 この問題については、本委員会でもだいぶ議論になったところでございますけれども、私どもとして、いま加瀬委員からお話がありましたように、すでにもう昭和三十一年六月三十日のあの法律案成立をしたときの文部次官通達、あるいは三十一年九月十日の初中局長通達、あるいは翌年三十二年四月二十五日の初中局長通達、こういう中でも、あの解釈というものははっきりしておると思っておるのです。けれども、問題の発端は、大臣のほうからこの問題については法が予想しないところの事態があるから、自分としては、こういうことも考えられるということから問題が非常に混乱というか、大論争になっているわけなんです。したがって、いま大臣がおっしゃったところの御答弁というのは、いままでの文部省の方針を踏襲するという答えではないわけなんですね。さらばといって、じゃどうするということもいまおっしゃっておらないから、もう少し慎重に検討したい、こういうことなんですがね。私は、検討されることはけっこうだと思いますけれども、ただ、新たな事態云々ということについては、われわれとしては非常に納得しかねる。この点だけは、明確に申し上げておかなければならないと思うんです。これは当時の議事録を見れば明確なんです。  これは三十一年五月十五日の参議院文教委員会におけるところの、例のこの法が制度をされる前後の議論ですがね。この中で、これは高橋道男委員ですが、おそらく緑風会じゃないかと思いますけれども、こういう質問をしておるのです。  「教職員人事は県の教育委員会が持つということに相なるわけでございますが、その場合に、三十八条を見ますと、異動などの場合には——まあ異動という言葉はありませんけれども、そういう場合には市町村委員会内申を待って行うんだということに相なっておりまするが、これは市町村教育委員会からそういう内申がなければ県の方ではこれに触れることはできないと、そういう意味でございましょうか。」と、こういう質問に対して、清瀬一郎文部大臣は「その通りでございます。」と、このように答えておるんですよ。さらに、同委員から「そういたしますと、県の方から別に圧力もかける必要もないのですけれども、ぜひ内申のない市町村についても異動に触れないと、全体としてははなはだ均衡を欠くと申しまするか、不都合が起るというような見解があるときには、そういう場合にも県は触れられないと、従って全体の人事運営にかえって円滑を欠くというようなおそれはないのでございましょうか。」と。おそらく、これはいま大臣が法の予想されざる云々ということと、これは匹敵すると思うんですがね。それに対して、当時の緒方初中局長はこういう答弁しておるのですよ。  「この法律におきましては、いわゆる県費負担教職員任命権は、従来は市町村の、その勤務いたしまする学校の所管でありまする市町村教育委員会が持っておったのでございまするけれども、三十七条によりまして、都道府県教育委員会がこれを行使することにいたしたわけでございますが、しかしながら、市町村学校職員身分につきましては、なお市町村公務員という建前を実はとっておるわけでございます。」こういう説明をしながら、まあポイントだけ見ますと、こう言っているんです。「異動につきまして円滑を欠くというような関係がございまして、そのほかの情勢もございまするけれども、そのために特にこういう規定をとった」のだ。「しかしながら」とこう言っている。「その市町村学校を所管いたしまする教育委員会内申を待って、県の任命権を行うことがやはり必要と思うのでございます。そこで、内申を待ってでございますので、今大臣から答えがございましたように、内申がなければ都道府県教育委員会任命権を行使いたしません」と、こういうふうに明確に言い切っておるんです、この問題については。しかも、これに対して、さらに高橋道男委員からいろいろあった中でも、やはり緒方初中局長は、その点を何回も繰り返しこう言っておるんです。言うならば、この点は、先ほど大臣が言われた法が予想されないところの事態云々というようなことは、当時でも、どうしても内申がない場合にはどうするんだと、それでも不均衡を生ずるがどうするんだと、そういう問いに対しても、あえてやはり内申がなければそれはだめなんですと、こういうことを言い切っておるんです。こういう経過から見ますれば、大臣なりあるいは前法制局長官からは本委員会では当時は予想されないところの一つの問題が起きてきてから、この問題については検討を加えるんだと、こういうようなお話がありましたけれども、その点、私は明確でないかと思うのです。したがって、大臣がさらに十分煮詰めるというのはけっこうでございますけれども、こういうやはり当時のやりとりの中で明確になった点をきちんと踏まえて、私は、この問題については対処してもらいたいと思うのです。それぐらいやはりこの問題は、この地方教育行政組織及び運営に関するところの法律案の一番のポイントであったわけなんですから。それを情勢が変わったから、こうこうするということでは、私はいかがかと思います、何回も申し上げておるように。だから、その点を踏まえて、大臣は十分検討していただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  14. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) これもたびたびお答えをしておることでございますけれども、法のたてまえはまさしく従来から言われておったとおりでございまして、それについて、何ら異論を持っているものではございません。  ただ、最近起こってきた事例でございますけれども内申を出させない、物理的な圧力を加える。そして、長期にわたってなお内申が出ないものだから、他の地域について何らの処置がとれない。そういうことで困り抜いて、この法の解釈について意見を求められてきている、こういう事態が起こってきているわけでございます。単に内申が出ないということでなしに、明々白々な事実について物理的な圧力が加えられる結果、内申が出てこない。しかも、全体について内申がないんじゃなくて、一部の地域について内申がない、そうしますと、処理をしようといたしますとたいへん不均衝な結果ができないとも限らない。それでは都道府県が負わされている責任を法の期待するとおりに適正に果たすことができない。こういうことでございます。いずれにいたしましても、重要な問題でありますので、論議を詰めてあやまちのないように努力をしてまいります。
  15. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その物理的圧力とは何ぞやということまで聞かなきゃなりませんけれども、まだ十分検討するということですからそれ以上は申し上げませんけれども。ただ、私はせっかく参議院法制局長にも来ていただきましたので、実は、この法律解釈について、やはり私が考えておるところの問題について、参議院法制局としてはどうお考えなのか、その点だけはきちんとやっぱり確かめておきたいと思うんです。ここに文章化してまいりましたので、これは見ていただきたいと思いますが、つづめて言えばこういうことです。  地方教育行政組織及び運営に関する法律の第三十八条の第一項は、これは「都道府県委員会は、市町村委員会内申をまって、県費負担教職員の任免その他の進退を行うものとする。」と、こう規定をされておるわけですが、これがいまお聞き及びのように、文部大臣とやっておるところの大きな問題ですが、この問題について、いわゆる文部大臣としては物理的云々というような表現を用いて、予想されざる事態云々と、こういうことから見て、このままのとおりに解釈するかどうかというのには非常に問題があると、こういうことを言っておるわけでございますが、私は、この問題は、これはいまさら議論するまでもなく、明確じゃないかと思うんですよ。どうもその点大臣答弁は、先般来、非常に奥野さんだから奥歯にものがはさまるはずはないんですけど、何かやっぱり奥歯にこうものがはさまったようなかっこう答弁されておる。これは言うまでもなく、県費負担教職員身分は、市町村公務員であり、したがって、市町村教育事務執行機関である市町村教育委員会職務上の命令に服し、その勤務に服することは言うまでもございません。また、これらの教職員服務状態がどうであるかの監督は、市町村委員会の行なうところであるということは、これは四十三条を照らしても明確でございます。しかし本条が、これら教職員のいわゆる人事権都道府県委員会に行なわせるにしたのは、人事交流の円滑をはかり、かつ、給与負担団体であるという財政的な立場を考慮したものであるというふうに考えるのが、これはこの法の解釈常識だと思うんです。だから、都道府県教育委員会任命権者であるからといって、教職員に対し、職務命令を発したり、監督したりするものでないということはもうこれは明白でございます。  都道府県委員会の右のような地位から、服務監督者としての意見人事権に反映させるために、市町村教育委員会内申権を認めたものだと、私は解すべきだと思うんです。だといたしますれば、人事権の発動の要否及びその内容は、まず市町村教育委員会判断に属せしめたものと解すべきであり、ただ、都道府県委員会は、右の人事交流円滑化及び財政的立場等より修正ができる立場にあると考えるのが妥当だと思うんです。  そこで、まず、市町村委員会内申がないのに、都道府県委員会人事権を発動することができるかどうかという問題になりますれば、私は、先ほどこの立法審議過程におきますところの委員会におけるところの質疑内容、こういうことから考えまして、さらにはまた、本文の文理上から見ますれば、市町村委員会内申なくしては、都道府県委員会人事権を行使することはできないと解するのがこれは当然だと思うんです。何となれば、一般に法令上「何々をまって」というようなときは、その前提となるところの行為がなければ、次の行為は行なえないという場合にこれは使われておる。たとえば刑法百三十五条は「本章ノ罪ハ告訴待テヲ論ス」として、いわゆる親告罪である旨を規定をしております。親告罪公訴の提起に、告訴のあることを必要とするところの犯罪であり、告訴することのできる者が、なかなか告訴しないからといって、検察官は公訴を提起することはできないのである。もし告訴がないのに公訴を提起すれば、それは無効であり、公訴棄却の判決が出るのは、刑訴法の三百三十八条四号に照らしても明らかなんです。このように「まって」という用語は、刑法第百八十条、第二百二十九条、第二百二十二条及び第二百六十四条などにみられます。  また「請求を待って」という用語は、刑法第九十二条及び刑訴法の第二百三十七条第三項に。「告発を待って」という用語は、独禁法第九十六条第一項に、それぞれ使われているけれども、いま申し上げたような意味合いに解するのが、「待って」というのはこれは常識なんです、法律解釈として。それだけに、本条の場合も私が先般来申し上げてまいりますように、従来の用語と異なるところのものを特別使うということはないと思う。本条だけ、本法文だけ別の用語を使うとするならば、これはおかしいと言わざるを得ない。そういうようなことから、いろんな他の法律との適用の条項等考えてみますれば、この「待って」ということばが明確にある以上は、これは市町村教育委員会内申なくしては、都道府県教育委員会は、県費負担職員人事権を行使することはできないと解するのが、私は、当然の解釈だとこう思っておるんです。この点、私はやはり参議院法制局長に、このことについて法律解釈上どうなのか、具体的な事例というその具体的な問題は別にいたしまして、この法律の一般的な解釈論として、私は、やはりこのことが他の法律の面から見ても正しいと思うんですが、その点どうお考えになりますか、まずお聞かせ願いたい。
  16. 今枝常男

    法制局長今枝常男君) いまここに書かれてございます解釈論につきましては、一般的な法律論といたしましては、特に申し上げなければならないような問題点はないように思います。つまり率直に申しまして、きわめて普通の法律論的解釈といたしまして、こういう理論の立て方が特別に問題になるような点はないのではないかと感じておるわけでございます。ただ、きわめて異例な事例につきまして、どのような考えが出てくるべきかということにつきましては、私自身も結論に至っておりませんが、ここに書いてありますことそれ自体といたしましては、ただいま申し上げるようなことでございます。
  17. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで私は、法制局長官も来ておられますけれども、この間の委員会の何か答弁をお聞きいたしますと、まだ明確に法制局自体としても結論は得ておらない、しかし、その当時としては予想されないところの問題が起きたので云々というようなことで、ちょうど文部大臣と同じような解釈の幅をあたかも持っておられるようなお話だったですけれども、少なくとも、私は法律解釈に、また、自分たちのある一つの意図のもとに、これが拡大されて解釈されたりするということになると、法の乱用だと、こう言われても私はしかたないと思う。しかも、異例のこととは何ぞやということになると非常に問題になる。ちょうど私、法制局長官がこられる前後でございましたけれども、いわゆるこの法律案参議院審議をされるところの過程質疑応答のことについて、若干申し上げたわけですけれども、すでにそのときにも、もしかりに内申がなければどうするんだ、こういう詰めに対して、いやそれは内申がなければこれはできないんですという当時のことは明確にしておるということがあるんです。私は、やはりそういうような点等から見て、この面の解釈は当然じゃないか、こう思っておりますし、また、法制局長のおっしゃった点も、私は全く私の見解と同じだと、こう思うんです。したがって、まだ結論が出されてないとするならば、この点をも十分踏まえて、慎重にやはりこの問題は検討してもらわなければ、いたずらに私は事態混乱させるだけにすぎない。また行政府の先ばしりだといわれてもこれはもう言いわけつかぬと思いますから、その点ひとつ慎重に検討しておきたいと思いますが、いかがですか、法制局長官
  18. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) 先般、四月二十五日の本委員会におきまして、加藤委員の御質疑に対してお答え申し上げましたとおりでございますが、基本的な立場を申し上げますと、この地方教育行政組織及び運営に関する法律は、市町村の行なう義務教育等につきまして都道府県教育委員会市町村教育委員会とが協働関係——コーペレーションと申しますか、協働関係に立って教育行政を全うすることをたてまえとしているものと考えております。県費負担教職員に関する都道府県教育委員会任命権の行使について、市町村教育委員会内申制度もこのような趣旨のものとして、つまり、都道府県委員会市町村委員会とが協働関係に立っているという趣旨のものとして理解されなければならないと思います。都道府県教育委員会任命権を行使するに当たりまして、この法律の三十八条の規定によりまして、市町村教育委員会内申をまって行なうべき問題であることは言うまでもないところでございますけれども、合理的な理由がないのに、市町村教育委員会内申をしないような場合について、いかなる場合においても都道府県教育委員会は一切行動ができないと、任命権を行使できないという趣旨のものであるとは解されないというのが基本的な考え方でございます。で、この点、先般も申し上げましたが、文部大臣からことしの二月ごろ非公式に御相談がありまして、そのときに私が申しましたのは、この三十八条の趣旨というものは、市町村の設置する学校に勤務する県費負担教職員人事行政について、都道府県教育委員会市町村教育委員会とが協働関係に立って円滑な行政を全うするという趣旨のものであって、合理的な理由がないのに、市町村教育委員会が現実に内申をしないというような場合に、いかなる場合でも都道府県教育委員会は一切任命権を行使できないと解されないのではないか、そういう考え方があり得るということを文部大臣に申し上げたと記憶いたしております。で、そういう考え方文部大臣が、文部大臣なりに表現をされたものであろうと思います。この点については、その後も、事務当局から非公式に何回か相談があり、なお、検討しているところでございますが、私ども考えておりますのは、都道府県教育委員会市町村教育委員会に対して具体的な任免の内容、進退の内容を示して一定の期限を限って内申を求めることは当然法律上許されると思います。その一定の案を示して内申を求めた場合に、市町村教育委員会はこの法律のたてまえから申しますならば、右の求めに応じて内申をするか、あるいはその求めを拒否して内申をしないかのいずれかの措置をとる義務があるんであろうと思います。その内容を是とする内申を出すか、あるいはその内容を否とする内申を出すか、いずれかの措置をとるべき義務があるのではないか。そのような市町村教育委員会の措置は、明示の手段によることは、これは当然原則であろうと思います。しかし、黙示の手段によって市町村教育委員会が意思を表明することもまた否認されないところではないか。したがって、市町村教育委員会が明示の手段によって措置をとっていないからといって、すべて何らの内申もなされていないと解さなければならないというのは、やや問題ではないだろうかというような考え方があり得るということを文部大臣に申したようなことでございます。  で、この法律は、先ほど申し上げましたように、県費負担教職員人事行政を全うするために、都道府県委員会市町村委員会とがお互いに一定の職務権限を与えられて、相互に相協力して人事行政を正々と行なうということを所期するものでございまして、都道府県教育委員会職務権限の執行についても正しく行なわれることは望ましいし、望んでおりますし、市町村教育委員会もその与えられた職務、権限を法律の所期するように実施することが必要であることは、これはもう法律のたてまえとして当然であると思います。そのようなことを法律は前提をいたしまして、「内申をまって」行なうという三十八条の規定ができておることは、これは申すまでもないと思います。そのような意味で、法律の予想をしないような事態ではないかということを申し上げましたわけでございまして、私も、詳しい事情は存じませんけれども、最近のような事情が特に取り立てて予想されないような事態と申したわけではございませんので、法律では都道府県教育委員会なり市町村教育委員会がそれぞれ職分を究えられておる、その職分が完全に履行され、実施されるというたてまえで法律の全体の仕組みができているのであって、そのある特定の行政機関が与えられた職責なり職分なりを実施しないという場合にどうなるかということは、法律の上では出てこない問題で、それは予想していないんだということを申し上げただけでございます。まあいずれにいたしましても、非常にむずかしい問題でございますので、なおよく検討をいたすつもりでございますが、法律制定当時の国会における議論も十分に踏まえましてやってまいりたいと思います。  なお、先ほどお示しのございました解釈について、参議院法制局長から、一般論としてはそのとおりであると言われました。私も、一般論としてはそうだと思いますが、ただ刑法親告罪規定について、「告訴待テヲ論ス」という問題と、この三十八条に「市町村委員会内申をまつて、」行なうという、同じ「まつて」という規定でございますけれども親告罪の場合の「告訴待テヲ論ス」ということは、その告訴がなければ公訴は行なわれないという絶対的な要件として考えられたものでございまして、その親告罪としての告訴がなければ、これはいわば刑事訴訟の手続にのらないように考えてそういうふうにつくったものでございます。必ず犯罪があれば、この親告罪の対象になっているような犯罪について必ず罰すべきであるというようなたてまえでできておるものではございません。これに対しまして、この本条の、三十八条の「まつて、」同じ「まつて」という字を使っておりますけれども、先ほど申し上げましたように、この法律全体が都道府県教育委員会市町村教育委員会との協働関係の上に法律の全体の仕組みが成っているということについては、刑法親告罪規定とはおのずから違うものがあるのではないかということを申し上げておきたいと思います。  なお、よく十分に検討いたしまして、適正な結論を出すように努力をいたしたいと思います。
  19. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私はおかしいと思うのですが。最後から言いますと、「まつて」というのが、この法律の同じ用語で、この「まつて」と、あの「まつて」と違うんだって、そういうことがありますかね。あなた法律の専門家で、私らしろうとなんだけれどもね。同じ「まつて」というものの使い方。法律用語というのは一語一語厳密にさせているんでしょうが。それならばあなたがおっしゃったような解釈のある、他の法律にまってというのが、あなたがおっしゃったように使われている事例があるのですか、法律が。——ちょっと待ってください。非常に私は、法制局長官ともあろう者が、——大体、法制局長官になりゃ、次は最高裁の判事になるというそうだけれどもね。ちょっと、私は、これはひど過ぎると思うのですよ、これは。「まつて」というものが、親告罪刑法のものがあるけれども、刑事訴訟法はあるけれども、このほうはまた解釈が違うんだというような、ここが私は全くおかしいと思う。あまり自分のところに、どっかに有利なような解釈だと、こう言われたって、これはしかたないと思うのですよ。それともう一つ、あなたは、合理的理由がないのに云々と、しきりにこうおっしゃっていますが、ものにはみなすべてやっぱり理由があるんですよ。合理的理由かどうかというのはだれが判断するんですか、そんなもの。市町村教育委員会がいろいろな問題について合理的にこれはノーと、こうきめたものを県の教育委員会なり中央が、それはイエスと、こうきめた場合には一体どこに合理的な云々という判断の要素があるんですか。少なくともこの法律が、任命権が県に移ったけれども市町村教育委員会はその身分市町村に属しておいてそこで自主性があるんだと。教育というものは、地域住民に密着したものをもって行なわれなければならないというこの法の精神からいうならば、これはやはり市町村教育委員会が主体にならなければならないんですよ。それを合理的な理由、合理的な理由云々と、こうおっしゃいますけれども、一体、その合理的という判断は、あなたが合理的だと判断するのが正しいのか、市町村委員会が合理的な判断する云々ということで、これはやっぱり比重の置き方が違ってくるんですよ。これは造反有理ということばもあるぐらいに、やはりそれはそれなりの理由があるから内申ができない、内申をしないということが出てくるんですよ。だからこそ、あなたは法律が予想しない限り云々と、こうおっしゃいましたけれども、先ほども私が制定当時の問題でも申し上げましたように、何回もしつこく当時の緑風風会所属の高橋さんからそれを聞かれておる。いわゆる人事の交流に円滑を失するとか、全体の公平を失するというようなこともあり得るんで、一体それでも、そういうときでも、この内申がなければだめなんですかと、こう詰めておる。それに対して、緒方初中局長あたりも明確に言っておるでしょう。「しかし、まあ万やむを得ない場合には、その内申と違った結果も出てくるかと思うのでございまして、その場合には、やはり県に権限もございまするから、その権限によって行うこと」があり得る。「しかし内申がなければ、任命権の発動は」云々と。これはその後の文部省通達と同じ解釈になっているんです。内申が出された場合に、内申をたとえば市町村教育委員会がこれはAと判断したときに県の教育委員会がBだと判断して、B云々というかっこうでやるということには、これはしかたがありません。しかしながら内申そのものがないということについては、これは絶対だめなんですかと、そうですと、こう言い切っておるんですよ。これがあなた、法制定当時のこれは質疑の中身なんです。一番あの乱闘国会といわれたところの国会でこれぐらい大きな政治問題になった法律はなかった。そういう法律に対しても、一番のやはりこの法律案のよさはここなんだという説明を当時の清瀬文部大臣もやっておったんですよ。それがあなた先ほど言われたような解釈でもってひん曲げることができるとするならば、もうこれは、すでに法立法当時の精神をこれは法制局長官みずからこれは否定をしておるということにも私はなりかねないと思うんですよ。したがって、法の予想しなかった事態質疑されておるんです、これは、明確に。そういうことを私はおっしゃったってこれはだめだ、この点は。そうでなければ私はやっぱり申し上げておきますよ。それは皆さんいろいろ慎重に検討しますというから、私はここで最後のとどめしようと思いませんけれども、少なくとも、それぐらいに問題のあるところの問題なんですから、それをいやあの当時は予想しなかったんだと、これでは納得できませんよ。これだけは申し上げておきます。
  20. 小林武

    ○小林武君 ちょっと関連。  いままでの議論のところは、ぼくは重複はしない。あなた、この教育委員会法が出されたとき何をしておったか知りませんけれども法律家だからおそらくそのことについてはいろいろ検討もしておったし、興味も持っておったと思うのです。これは、当時のことを考えますというと、地方教育委員会に所属する人たちが、どういうことを一体心配しておったか、これは教師の方も心配した、それから事実教育委員会に籍を置いている人たち、いわゆる教育委員だね、地方教育委員がどういうことを心配していたか、その心配の結果が先ほど来のような質疑に出てきているわけですよ。そのことをあなたがよく知らないというと、これはもう全然法律解釈としては上つらなものだと思う。私は、ここで当時の全国地方教育委員会連絡協議会事務局長の発言をこの本の中に載録してありますから申し上げますと、「市町村教育委員会がその人事の一切を管理することが当然で、特に新法で教職員の分限と服務を分離し、その服務の面だけを市町村委員会に行わせるということは、その運営に円滑を欠き、さらにこれがために他の不当な支配も加わるおそれもあって教育行政の効率をあげることは望み得ない。ひいて教育はいしゅくし、その向上は期し得られないであろう。」という、こういうあれを出している。このことが非常に深刻になったから先ほど来、宮之原委員からも話がありましたけれども、この法律案ほど、教育問題で騒ぎが大きくなった問題はないわけだ、そういう問題が出てきたから、清瀬文部大臣の、もうこれはやりませんと、こうはっきりした、緒方さんも、そのときにはっきりした答弁をしておるわけです。私は、このことについてちょっともう一つだけ付け加えておきますというと、この教育委員会制度で一番大事なことは何かということをこの人が言っている。これは「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達することを目的とする。」というこの行き方を非常にこの人は尊重している。この崇高な目的を一体やるにはどうしたらいいかといったら、任命制ではだめなんだということを言っているのですよ。公選制をやめようと、こういうことについて猛烈な反対の意思表示しているわけです。こういうたてまえに立って議論された問題を、先ほど来からいろいろるる申し述べられているように、ああいうはっきりした態度を出さなければならなかったのは、こういう背景があったのだ、どうしても通してもらいたいということを言いたいために、先ほど来の約束をやったのだ、だから当時を知らないで現在の一体法律解釈をやるなんということは、法律の専門家であろうが何であろうが、法律の専門家よりかも教育の専門家のほうがもっと発言権がある、この点では。この点のあれを欠いていまごろになってからいいかげんな解釈をして、教育を混乱に導くようなことはやめてもらいたいと思う。  それから、合理的理由がないなどというのはどういうことだろう、物理的な何とかというのは、これは文部大臣かね。物理的というのは、どういうことを言うのかね。教育委員会が何か暴力をあれされて、おどかされて、そして何か結論出さなかったと、こういうのですか。この委員会のこの内申を行なうということは、簡単な手続じゃないということはいまさら言うまでもない、三十八条を見ればわかるでしょう。教育長の助言によって前項の内申を行なうものだ、委員会を開いて教育長の助言があって、その中で内申しないという決定がなされたら、これ、一体これに対してなぜ服していかれないのですか。何でもかんでも一体内申をやってないとは言わせないよ。ほとんどのものはちゃんと残念ながら、こういうつまらぬものをつくったから、それだから行なわれてきている。文部大臣がそのうちの何ぼかの、何千分の一か何かの問題を取り上げて、その内申があれだから教育委員会の法制定のときの意思を曲げてやるというような考え方は、これはもう暴力だとぼくは思う。まあお二人のひとつ御意見答弁をいただきたい。特に法制局長官のいまのあれは、ぼくは大いに不満がある。
  21. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 法の精神、これは常に尊重するように努力をしていかなきゃならない、これはもうたびたび繰り返して申し上げているとおりでございます。また、法制定当時の論議も、私もそのとおりだと、こう考えているわけでございます。ただ問題は、予想されないような事態が起こったという意味において、物理的な圧力といいましたか、何か先ほどそういう表現を使ったことについて、小林委員からいまそれはどういうことを意味するのかという御指摘があったわけでございます。他の市町村教育委員会からは、とっくの昔に内申が来ている、しかし、若干の市町村委員会だけが内申をどうしても出さない、繰り返し都道府県教育委員会市町村教育委員会との間で話し合いが進められると、そういう事態があるわけであります。そういうところでは、御承知のように、校長さんが市町村教育委員会意見の申し出をする。その意見の申し出をすべきでないということで、学校の先生方が校長先生に圧力をかけておられる、こういう事例がございます。また、市町村教育委員会に対しまして、組合として、内申をすべきでないということにつきまして、かなり激しい圧力が加えられるというような事態もあるわけでございます。そういう事態をさして申し上げたわけでございますけれども、こういう事態は好ましいことではないわけでございまして、ぜひそういう事態がないように、お互いに理解し合えるような態勢をつくりあげていくということが、これはもうより以上に基本的な課題だろう、こういう考え方を持っているわけでございます。ただ不幸にして、一部の市町村教育委員会だけが、幾ら督促をしても内申がなかった場合にどうするんだろうかと、その場合でも、法の適正な運営が阻害されてしかるべきだと、こういう結論になるのかということになりますと、問題がございますので、先ほど来お答えしておるようなことを申し上げているわけでございます。なお、十分に詰めていきたいと思っております。
  22. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) 一つは、先ほど合理的な理由がないのにと申し上げましたが、その合理的な理由は、だれが判定するのか。これはもちろん客観的に合理的と認められるような理由というようなつもりで申し上げたわけでございまして、都道府県教育委員会なり市町村教育委員会なりが、それぞれがこれは合理的な理由だと判定するだけでは足りませんので、客観的な事態として合理的と認められなければならないんだということを申し上げておきます。  それから、制定当時の事情について知っていないのではないかということでございます。私も昭和三十一年当時は、法制局参事官をいたしておりまして、当時第三部に勤務をいたしておりましたので、直接本件には参与をいたしておりませんでしたけれども、非常に当時、国会提案に至るまでにも法制局の内部におきまして、いろいろ議論があってたいへんな問題をいろいろ検討したという記憶を持っております。その意味で、制定当時の事情についても、今後なお十分に調べまして、それを踏まえて検討を進めてまいりたいと思っております。
  23. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 長官もお聞きだと思いますけれども、この問題は、いわゆる常識論では私はやっぱり解釈してもらっては困ると思うんです。これぐらいやっぱり乱闘国会という国会を巻き起こしたぐらいに、大きな日本の教育上の大問題になり、そういう国会の中で明確に答弁をしたこの趣旨というものは、これは生かされなきゃならぬのですよ。それを、いかに情勢が変わったからといって、時の政治権力がかってに解釈した云々ということは、私は、それこそ立法府のコントロールを離れた行政府の行政権の行き過ぎだと言われてもこれは言い過ぎでないと思うのです。それぐらいに、私はこの問題きわめて大事な問題だと思っている。だからこそ、これは先般来しつこいほど私はこの点を確かめておるわけです。幸い大臣のほうからは、一応自分考えはそうだったけれども、いろいろ意見を踏まえて、慎重に検討したいという御答弁でございますから、私はこれ以上皆さんとこれをやってみたって、これはおたく自体がまだ検討したいと言うのだから、だから議論にはならないと思うのですけれども。いま私どもが主張したところの点を十二分に踏まえて、十分検討してもらいたいと思う。  それで、先ほどもちょっとお尋ねしたのですけれども大臣、あれですか、十二分に検討いたしました、はい、といって、国会終わったとたんに解釈を出すというようなことにはならぬでしょうね。少なくとも、私は、皆さんがこの問題についてものの一つ結論を得られたら、やっぱりこの委員会でもう一回議論するぐらいの時間的余裕があってしかるべきだと思うのですが、その点はいかがでしょう。
  24. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先ほど私としては、できる限り早く結論を出すべきだと、こう思っているということにつきまして、この国会が済んだら出すのかとか、あるいは参議院選挙後になるのかというような式のお話がございましたので、当委員会の御意見のありますところをお教えをいただいて、十分尊重してまいりたいと思います。
  25. 加瀬完

    加瀬完君 関連。御検討していただく前に、いま御決断をいただけない点について、法律解釈に錯誤があるんじゃないかというふうに私は判断する。これは法制局長官に伺いますが、適正配置が理由ならば、都道府県教委は一切の人事をしてもいいという根拠は何にもないんじゃないか。第二は、地方公務員法の分限規定教職員の場合にもそのまま適用されるのではないか。それから人事異動において、本人の意に反して行なうことが地方公務員法上できるか、こういう解釈が私は確定しておらないように感じられてならない。  それから、大臣がたびたび御説明になっておりますけれども、さっき法制局長官は、協働関係だと言った。そこで、通例、異動というものは、都道府県教委と地方教委との間で話し合いがついて、協働意思が固まって、その原則に従って異動というのが行なわれるというのが通例であります。したがって、それに反するようなこと、あるいは地方教委の意向というものを何にもそんたくしないで一方的に都道府県教委が人事異動をしているような場合は、これに対して反対をする自由というのは当然地方教委にある。したがって内申も、そういう行政的な内申を出せと言ったって、内申を出さないという場合も、当然法律的にこれは地方教委の権限として留保されるべき問題だ。  それから、校長の問題が出ましたが、本人の意が十分具申されるような形でなくて、地方公務員法で保障されている本人の意思を無視して校長が具申をするという場合は、その具申に対して校長に反省を促すことは当然であります。そういう具申というものを、地方教委がチェックするということもこれは当然であります。具体的に一つ一つの例を見なければ、ただ県教委に内申がないから、その内申のないのはけしからぬという判断は下せないんじゃないか。しかも、小林委員からの御指摘もありましたけれども昭和三十一年の九月十日の文部省の「地方教育行政組織及び運営に関する法律等の全面的施行について」という通達には、「都道府県委員会市町村委員会内申をまたずに県費負担教職員の任免その他の進退を行うことはできないこと。」こういう通達を出しているわけですね。これは変わっておりますか。これは訂正されておりますか。訂正されておらないとすれば、内申のいかんということを理由にして、一方的に人事権都道府県教委だけで運用することができるという解釈は成り立たないんじゃないかと思いますが、これらは法制局長官も、私の前に指摘をしました法解釈等とあわせて、どうもそれらの前提になる法解釈というものが明確でないために、法律解釈をすべきものが、何か行政的な便宜解釈のように出しているというふうに、これは議論になりますけれども、私には考えられてならない。これらをひとつ明確にお願いします。
  26. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 通達の話が出ましたので、先に私からお答えをさしていただきます。  実は、この問題につきましても、何回かすでに議論があったのでございます。あくまでもその精神で進んでいかなきゃならない。その考え方一つもくずしておりません、こう申し上げてまいってきているわけでございます。全く予想しないような常識外の事態が出てきた場合に、どうするかということが今日の課題になっているわけでございまして、したがいまして、異例な法の予想をし、ないような事態が起こった場合に、都道府県が適正に責任を負えなくてよろしいかどうか、たとえば、内申の出てこなかった地域だけについて、いろんな仕事をしてそこをほうりっぱなす、それが都道府県の責任を適正に行なえるというたてまえで法律ができていると思いますので、その場合にもやむを得ないんじゃないかと、言いっぱなしにできるのかどうか、そこが問題だということで、いろいろ御論議いただいているところでございます。
  27. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) 都道府県教育委員会市町村教育委員会との協働関係と先ほどそういうようなことばを使って説明を申し上げましたゆえんのものは、第三十七条で「市町村学校教職員給与負担法第一条及び第二条に規定する職員任命権は、都道府県委員会に属する。」といたしましたゆえんのものは、その何と申しますか、教職員の給与費が非常に膨大な額にのぼってそれを個々の市町村に負担させることは市町村財政の上から言って、あるいは広く地方財政の正々たる運営の意味からいって適当ではないということで都道府県が負担をすることにさせますとともに、その人事行政の何と申しますか、市町村学校教職員身分は、市町村職員として原則としては市町村に属せしめて、その何と申しますか、地域社会と教職員との密接な関連というものは保持させながら、他方広く都道府県内における交流の道を開いて人事行政の適正をはかろうという趣旨に出たものであると思います。そのような趣旨を受けまして第三十八条は県費負担教職員任命権都道府県教育委員会に属することにいたしましたけれども、これらの教職員市町村に現実に勤務をしているわけでございますし、市町村委員会の管理のもとに教職員職務を行なっておる、特に服務監督については、第四十三条第一項で「市町村委員会は、県費負担教職員服務監督する。」、そういうような体制になっておることもあわせ考えまして、市町村学校教職員任命権については、都道府県委員会市町村委員会との両方の法律に定められた職分をそれぞれ適正に行なうことによって任命権が行なわれるんだという意味を協働関係ということであらわしたつもりでございます。したがって、都道府県委員会だけの意思によって、あるいは市町村委員会だけの意思によってこの人事行政が行なわれることは全く法律の予期するところではございません。御指摘のように、都道府県委員会市町村委員会との意思がその間にいろいろ融合をして、もっとも原則としては、両方の意思に基づいて任命権が行使されるということが法律の所期するところであることは言うまでもございません。ただ、完全に意思の合致がなければいけないかということになりますと、「内申をまつて」ということからいって、従来の解釈でいたしましても、都道府県委員会市町村内申と場合によっては違うような運営を行なうこともあり得るけれども市町村委員会の意思の表明を待つことなしに行なうことは原則としては許されないというのが従来の解釈であっただろうと思います。そこで、その市町村委員会の「内申をまつて」ということで、その内申が具体的明示の内申として出てこない場合に、すべて内申がないものとして、内申がなければ行政は行なえないというふうにすべての場合に断じなければならないかどうかということが問題でございまして、その点について、その場合の事情のいかんによっては黙示的に市町村教育委員会がある意思を表示したと考えられる場合もあるのではないだろうかということを検討をしているということを申し上げているわけでございまして、市町村教育委員会内申がなくても何でもできるんだなんてことは全く申しておりません。文部大臣も、そんなことを言われたわけはないのでございまして、そういうことを先般の四月二十五日の委員会でも申し上げたつもりでございますし、先ほど来も申し上げたつもりでございます。
  28. 加瀬完

    加瀬完君 その原則論はあなた方もお認めになっている。しかし、ある一定の条件、一定の場合は、内申を待たずに都道府県教委が人事異動などの任免権を有すると、場合もあるということは、この法律上は読みとれないという点を私ども指摘してるんですよ。と言いますのは、「内申をまつて」というのは法律的要件になってるんでしょう。この法律的要件が整わない場合は、理由のいかんにかかわらず都道府県教委が人事権を行使するわけにいかない。あなたのほうも協働関係にあると言ったんだから十分話し合いもできるし、折衝もできる、そうして結論内申を待つという形を取りつけなけりゃ動いてはいけませんぞというのが、この法律趣旨の当時からの説明でもありましたし、当然の解釈であろうと、私ども指摘をしているわけです。適正配置が理由なら何でもやってもいいという権限を、この法律どこにも書いてない、あくまでも内申を待つということになっている。なぜ、そういうふうにすなおに立法当時の想定されたもろもろの心配を踏まえてのこれは決定であります。そういう文部省も、あるいは中央教育委員会に示達をしているわけですから、そのとおり間違いございません、私どもの前に出した示達のとおりですと言ってどこが悪い。悪いところ一つもないじゃないですか。  それから、身分市町村職員ですよ、義務制の公立学校職員は。したがいまして、市町村の意思というものが基本になるわけですよ。しかし、人事異動その他の関係から、あなた方の説明するような人事権都道府県に移されたという形になっていますけれども内申を出さないということがもしあったなら、内申を出さない理由が地方教委に当然あるべきで、どういうわけかということを都道府県教委が十分内容を話し合って問題の解決に当たるべきで、そういう事情があるならば、これは一方的にやっていいと、そういうように読み取ってはいけないという解釈だった、いままで。そこを確認してもらわなければ、どうも行政便宜的な解釈だとしか受け取れない、法律解釈にならない。いまの法律というものを読み取る場合は、私ども指摘したとおりに読み取る以外に読み取る方法がない。こういうことを法制局長官は明確にしていただきたいのです。行政のいろいろもろもろの起こり得るか起こり得ないかわからないようなことを予想して、こういう場合、場合ということを解釈する必要はごうもない、法律解釈を真当からしてくれりゃそれでいいことなんです。
  29. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) 都道府県委員会市町村委員会とが相互に意思を疎通し合って、そこにその意思の合致を待って初めて市町村学校教職員人事行政と申しますか、任命権が行なわれるということは、これは理想の姿でございます。その意思の合致がなくても……(「それは当然だよ」「法の精神がそうなんだよ」と呼ぶ者あり)意思の合致と申し上げました。したがって、意思が合致しない場合におきましても、市町村委員会内申があって、その内申どおり都道府県委員会として任命権を行なうことは適正ではない、適正ではないと考えた場合に、これはもう非常に限定された場合でございますが、その場合でも内申にすべて拘束されるものではない。これは従来ともそういう解釈になっております。したがって、先ほど申し上げましたように、両方の意思が合致して、その意思の合致したところによって行なわれることが法の理想とするところである、この立言は間違いないと思います。その理想の次の段階で内申が行なわれた。ところが市町村内申内容については、都道府県委員会としてはどうしても納得することができない。その場合に、いまいろいろお話がございましたように、両方で意思を疎通し合って、都道府県としてはこう考えると、いや市町村としては、こういう事情があるんだということをお互いにいろいろ話し合って、できるだけ意思の疎通をはかるということは、これはもう法の何と申しますか、期待しているところであると思います。その意味で、都道府県委員会から一定の内容を具した内申の案と申しますか、人事行政の案を示しまして、市町村教育委員会都道府県としてはこういうふうに、これこれの人事行政を執行してまいりたいということをおそらく示すんだろうと思います。それに対して、市町村教育委員会が、これはこれでこういう事情があってこうだからということになれば、おのずからそこに一定の都道府県委員会としてとるべき方向が示されるわけでございますが、その場合に、市町村委員会が何らの意思を表示しない、法律的には内申をしないという場合に、どうなるかということが問題でございます。で、全くそういうような行動も何らもなしに都道府県委員会というものはここに存在しておりまして、市町村委員会がある。で、普通の姿は、市町村委員会からこちらの方向に内申が出てきて、その内申内容を十分審査した上で都道府県任命権を発動するというのが普通の姿でございましょう。今回の場合は、都道府県の意思はあらかじめ市町村委員会に対して表示をされている。その表示をされた都道府県の案、都道府県委員会の意思に対しまして、市町村委員会がおのずから何らかの反応をされるはずである。その反応をされない場合に、その姿が明示の内申ではないにしても、黙示の内申として法律上評価し得る、価値判断し得る場合があり得るのではないかというのが、おそらく、文部大臣もそういう言い方をされたかどうかわかりませんが、ただいま問題になっているところでございまして、それでは、どういう場合にそういうふうに考えられるか。前後の事情等もいろいろ検討しなきゃならないと思いますが、そういうような余地があり得るかどうかということについて検討するという意味でございまして、都道府県委員会がここに存在をし、市町村委員会もここに厳として存在をする。市町村委員会内申をして、その内申に対して、都道府県委員会任命権を行使する。これはもう通常の姿、当然法の予想する姿でございますが、その次の姿として、都道府県委員会内申の案として一定の人事行政の案を示すと、その示したものに対して、市町村委員会が反応して一定の意思を表示する。そこで初めて都道府県委員会が行動をする。これは第二の姿。で、そういうような姿しかあり得ないのかどうか。市町村委員会に対して都道府県委員会任命権の行使のしかた、つまり一定の人事行政をこういうような姿で行ないたいということを表示して、これに対して反応を求めた場合に、反応がない、明示の反応がないという場合に、全く内申がないとして取り扱うのは普通だろうと思いますけれども、その特別の事情があった場合に、それを黙示の内申法律では明示の意思表示、黙示の意思表示ということを申しますが、その明示の意思表示がなくても、黙示の意思表示として価値評価し得る場合があるのではないかということを目下検討中であるという趣旨でございます。
  30. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ちょっと関連質問ですが、あなたの後ほどの質問時間がございますから、できれば——では簡潔に、これで終わりにしてください。
  31. 加瀬完

    加瀬完君 地方教育委員会というものをつくるときに、地方教育委員会は十分当事者能力ありという、そういう前提でつくられた。したがって、教育長一人じゃない、数人いるわけです。その数人の者があなた方がいま指摘するようなそんな無能力な態様で過ごすということはあり得ない。  それから、黙示の内申の正確度ということをどうして判定することができますか。こんないいかげんなことは許されませんよ。教育委員会の存在というものは認めたのですから、教育委員会の与えられた権限というものを十分そんたくするという立場に立たなければおかしい。都道府県教育委員会が上位であるので能力者で、地方教育委員会が下位であるので無能力者だ、こういう前提を下したとしたら、これは侮辱です。
  32. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 この問題、いろいろこう議論をしてきましたが、どうも法制局長官説明を聞けば聞くほどだんだんだんだんおかしくなるようなことで、慎重に検討したいと言うから、私はまた慎重に検討されるのかと思うと、一生懸命自説を固持されておるわけなんだね。何かことばだけは慎重に検討しますと言っていて、われわれの話は聞く耳を持たないというものの話だ、だんだん話が黙示の内申権といって明治憲法にあったという話ですが、明治憲法のものまで持ち出されて、あの時代のものまで持ち出されたのじゃこれはかないませんよ。そういうことだったら、先ほどの親告罪の問題で、長官聞いておいてくださいよ。先ほどの親告罪の問題で内申を待ってという、その待ってもこれは同じ待ってだから、これは親告罪のやつも黙示の内申というのがあって、告発というのがあって、それでやるんだという形にもなりかねないですよ。だからいよいよもっておかしくならざるを得ないと思う。ただ、あなたが当事者でないから、大臣が慎重に検討すると言うから、あなたといつまでも論争しようとは思わないけれども、ただ、私は大臣が先ほどもおっしゃったように、当委員会のもろもろの意見も今後聞きながら慎重に結論を出したいと、こうおっしゃるから、文字どおりそれならば、そのようにひとつ当委員会意見を聞きながら慎重に結論を出していただきたいと思うのです。ただ、その場合にも申し上げておきますけれども、先ほど来も言ったことですけれども、法の予想し得なかったところの事態が起きておると、それは内申がない場合のことなんだと、こう先ほど来おっしゃいますけれども、何回も私も議事録を読みましたように、内申がなくてやれるんかやれぬかということがもうこの法案を審議するときにやられておるのですから、そのときに、そういう場合はもうしかたがありません、内申がなければやりませんということは明白なんですよ。したがって、あなた方が予想し得ない云々という状況というものは、当時も議論をしておるんです。それは、文書を見る限りそうなんですから、したがって、その点を私は踏まえていただいて、それこそ万人が納得いけるようなものにしてもらわなければ、あれぐらい議論のあったところの地方教育行政の地教委の自主性、主体性という問題がだんだん中央政府の力が強まるに従ってそれが次々はがれていくというようなかっこうではこれはもう困ったものといわなければならぬ。そういうところからおそらく私は法制局長官の黙示の内申というものが出てくるかもしれぬけれども、黙示で、だまっておるのに、どこに意図があるかもわからぬのに、あれはだまっているけれども心の中はこうだろうということで自分たち結論を出したんだということにもなりかねないんです、それこそ。だから、そういう世の中の一般の国民がわからぬようなことばを使わないで、法どおりにひとつ慎重にやはり検討してもらいたいと、こういう点だけを私は申し上げて次に移りたいと思いますが、その点いかがですか。
  33. 吉國一郎

    政府委員吉國一郎君) ちょっと釈明をいたしておきますが、明示の意思表示、黙示の意思表示、明示と申しますのは、明治憲法の明治じゃなしに、明らかに示すという字を書きまして明示の意思表示と申します。黙示というのは、沈黙の黙に示すという字を書いて、これは全く学問上の用語でございまして、意思表示として解釈し得る場合というものについて明示と黙示があるということだけを申し上げたつもりでございます。  それから、先ほど来私が申し上げておりますのは結論を申しているわけじゃございませんで、そういう方向もあり得るということを考えて、そこで検討しているということで、それでも結論が出たなんということはとうていございません。ただ、両方の考え方があり得ることは十分でございますが、委員方がおっしゃる方向とは別なこういう方向もあり得るのではないかというぐらいなことで、こういう考え方のことを申し上げただけでございまして、決して結論を申しているわけではございません。十分に検討してまいりたいということでございます。
  34. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 長官も十分検討するということですから……。  それで吉國さん、それはとにかくわからぬような、黙示の内申なんて、そういう新しい、国民がわからぬようなことをひとつ解釈のあれにしないでくださいよ、それは。あんた法制局長官ですから、国民がなるほど法制局長官判断はいいわと、納得するものを出しておいてね、ちょっと大臣が花火を打ち上げ過ぎたらブレーキかけるぐらいにならなければ、大臣以上にあんた教唆扇動しているみたいないままでのあれから見れば印象しか受けませんよ。それでは困りますからね。その点だけは申し上げておきます。それで長官と法制局長はこれでよろしゅうございますから御退席を願います。  次に、移りますが、私は本法案と関連をいたしまして、学校運営のあり方の問題を中心にして質問をしたいと思うんです。  それで、まず文部大臣に聞きますがね、学校というのは一体どういうところでしょう。大臣、どう思いますか。
  35. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) どういう角度からお答えをするかということでございましょうけれども学校は教育を行なうところでございますし、教育を行なうについては、児童生徒の一人一人の能力、適性をできる限り伸ばしていく、伸ばすために先生方が創意くふうを尽くされるわけでございますので、そういう創意くふうが濶達に尽くされるような環境をつくりあげていかなきゃならない。したがって、校長先生をはじて先生方全体が協力をして教育に当たっていくという態勢がきわめて大切なところだと、こう思っております。
  36. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それぞれの角度によってこの定義もあると思います。私は、学校教育における学習の主体はやはりこれは何といっても子供ですからね。児童生徒ですから、したがって、学校というのはその児童生徒の学習活動が正しく発展されることを保障するためにやっぱり原則として存在をしなければならないと、こう思っているんですけれども、いかがでしょう。
  37. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 別に異存はございません。
  38. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 また、私は学校というのは、先ほど大臣答弁には児童生徒の創意くふうが生かされ、濶達にいろんな問題について活動できるような一つの配慮がなけりゃならないと、こういう筋のお話しがあったわけでありますが、そういたしますと、やはり学校という教育の現場はいわゆる上からの命令のとおりに動くところの私は場所ではないと思うんです。言うならば、やっぱり校長はもちろんのこと、教職員のすべてがいわゆる権力者ではなくして権威者、価値の追求者、心理と人間の探求者としてのやはり立場を踏まえて学校経営なり学級経営に当たるということが学校の中では一番大事だと、このように考えるんですがね、その点どうお考えになります。
  39. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先生が児童生徒の教育に当たりますにつきましては、児童生徒ごとに教育のあり方、態度というものは私は異なるものがあるんだろうと、こう思うわけでございまして、そういう意味で、学校においては先生方が濶達に創意くふうを尽くせるそういう環境、これは大切だと思います、こうお答えをさせていただいたわけであります。
  40. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういう場をつくるとするならば、私はやはりそういう学校経営の中で一番大事なことは、その先生方のいろんな問題についての議論をするところの場であるところの職員会議ですね、この職員会議のあり方が私はやはり学校運営の中では一つの最も大きな要素だとこう見ておる。そこで、この職員会議のあり方の問題ですがね、これは第一次アメリカ教育使節団の報告書にも、そういう立場から職員会議の意義ということを非常に強調しております。  また、これを受けまして昭和二十三年八月文部省からも次官通達が出ておる。その次官通達の中では、教育の新計画において校長は独裁的であってはならない。校長は教職員に十分考慮を払わなければならない云々と、職員会議のあり方についてものの考え方を当時文部省は示している。  さらに、これはその前の前の年でございましたけれども、教育研究協議会に関する学校教育局長通達というのがあるんです。これは文部省の改組になる前の形ですね、昭和二十一年ですからね。その中に教育研究協議会に関するところの通達があるんですがね。これを見ますと、協議事項として学校行事、児童自治、教育課程あるいは日課表、教材研究等を対象にし、協議会は学校長の協議機関で、学校長はそれを尊重し、みずからの責任と権威を持って学校運営に当たらなきゃならない。こういう通達が出ておるわけなんですがね。  それから見ますと、少なくともやはり戦後教育の中——いわゆる民主教育の推進という中でのあり方におけるところの職員会議のあり方というのは、非常に私は比重が重かったと見ている。また私は、今日でもほんとうに学校の総意を反映させながら、あるいはまた子供たちの実際のあれを見ながらやっていくというのには、それぞれの教職員の意向が反映をされたところの職員会議というものは重視をされなきゃならないところのように思っているのですが、その点、大臣職員会議のあり方について、その意義についてどういう御見解ですか。
  41. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 環境が人間を育てるということばがあるくらいでございますので、学校の先生方の姿、職員会議なども含めまして、教育の現場が非常に潤いのある姿、一致協力なされている姿、そういうものは児童の上に大きな影響を与えていくんじゃないか。かように考えますだけに、非常に職員会議あるいは教育現場あるいは校長さん、先生方一体となった姿というものが非常に重要だとこう思っております。先生方も濶達に意見をお述べになり、校長先生はそれをくみ上げる、まとめ上げる、同時にまた、先生方も校長さんの適正な意図については積極的に協力し合っていくという体制、非常にいま大切なことじゃないだろうかと、かように私も考えております。
  42. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いま大臣のほうからも職員会議なるものは学校運営をいわゆる民主的に、しかも明かるく予供たちが伸び伸びとやはり成長していくためにはきわめて重要な意義を持つと、こういうお話があったわけでありますが、その点は私も大臣と一致する。  そこで、問題は、若干法律的な面になりますけれども、それならば、その職員会議の性格というものは一体どういうものなのかと、こうなりますと、おそらく大臣と私ではだいぶ違ってくるんじゃないだろうかと思いますがね、おおよそ大別しますと、いわゆる行政の側でおっしゃっているところの職員会議というのは、言うならば、やはり校長の諮問機関だと、こういう一つのものの考え方がある。と同時にもう一つ、これはやっぱり先ほども申し上げたところの学校教育のあり方、教育のあり方から考えるならば、むしろやはりこの職員会議というのは、職員の意思決定のやはり機関であるべきだ、こういうやはり意見が非常に強い。したがって私は、ここでお尋ねをしたいのは、そのあなた方が主張するところの校長のやはり諮問機関でなければならないというこのものの考え方の根拠の法律面はどういうことになるのですか。これは、初中局長に聞いたほうがいいでしょう。
  43. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま先生が御指摘になりましたように、職員会議というのは、学校運営上非常に大きな意味を持つものでございます。しかしながら、行政法上と申しますか、行政的にはそういうふうな責任を持てないと申しますか、そういうふうな、そこに責任を負わせるのが適当でないような機関につきましては、これは法律上明示をしていないというのが普通でございます。たとえば閣議とか、それから文部省の省議でございますとかいうのも、やはり省内の意思統一、あるいは閣内の意思統一ということで非常に大事な機関ではございますが、これはやはりそういうものを法律上明示するというようなことはいたしておらないわけでございます。これはやはり総理大臣なり各省大臣が責任を持つ、そういうふうな仕組みになっておるわけでございます。学校の場合も、校長先生があくまでもその学校の責任は持つ、しかしながら、実際の運営上は個々の先生方の意思をくみ上げ、また、校長先生の意のあるところをお伝えするという意味で、職員会議というものが非常に大事な位置を占めているということでございますが、そういうものを法制化するというふうなことはいたしておらないというわけでございます。
  44. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 法制化するって、私は法制化してあるかと聞いておるわけじゃないんです。法律上の根拠、裏立てというものは、何ですかと聞いておるんですよ。これはないんですか。
  45. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いま、申し上げましたように、法律上の裏づけというものはなくて、実際上の運営として、そういうふうな機関が実質的に設けられておるということでございます。
  46. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、各県の教育委員会の管理規則とかあるいは準則というものにも、こういうものの性格論というのは、これは、つけるというのは、これは間違いなんですね、そうしますと、いまのお話から伺いますと、どうなんですか。
  47. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 考え方にもよるわけでございますけれども、たとえば大学における教授会というふうな意味の規定というのはないわけでございます。したがって、実質的に学校運営する場合の意思の疎通の機関と申しますか、そういう意味で、実質的に運営をされていくということでございます。
  48. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 重ねて聞きますが、自主的なやっぱり運営機関であるというなら、それで一つのものの解釈が成り立つんですね。けれども、各県の学校管理規則を見てごらんなさいよ、準則の中にいろいろな規定をしていませんか。みんなが、文部省が指導しておるように、自主的にそれぞれのやっぱり学校運営が民主的に明るくできるような仕組みになっていますか。それはどうなんですか。
  49. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 地方教育行政組織及び運営に関する法律の第三十三条には、「教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。」というふうなことがございます。したがって、そういうものを規定して悪いということではもちろんございません。しかし、どうしても規定しなければいけないというふうな性格のものではないと思います。
  50. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いま、言われた地行法三十三条の学校等の管理の問題ですね、これには「法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。」と、こうあるんですが、いまおっしゃった職員会議なり云々なるものが管理規則とか準則にあるとすれば、一体どこをこれはさすんですか。
  51. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまの三十三条の規定が根拠になるということでございます。
  52. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 いや、だから、どこをさしておるの——職員会議とは具体的に書いてないんだけれど。
  53. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 組織運営その他の管理運営の基本的事項というふうなことでございますから、一応組織編制というふうなところで読んで差しつかえないと思います。
  54. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると文部省解釈も、職員会議というものは、学校運営によってはやっぱりきわめて大事なものだけれども、しかし、そのあり方あるいは性格づけについては、それぞれの学校にまかしてある、何もあったから悪いということじゃないけれども、四角四面ばって、こういうものでなければならないという規定のしかたはちょっと問題があるとでもお考えなんですか、そこはどうなんですか。
  55. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 職員会議は、たいへん重要な役割りを果たしているわけでございますが、全部が全部学校にまかしておいていいものということではございません。   〔委員長退席、理事内藤誉三郎君着席〕 法律上、そういうふうなものがはっきり規定をされてない、たとえば教授会のような規定がない、したがって、職員会議というものは、何ら権限を持っているものではない、法律上の権限というものはない。したがいまして、教職員会議が実質的な議決権になるというふうなこと、これはもう当然あり得ないことですから。
  56. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうすると、各都道府県でいわゆる管理規則なりあるいは準則にその職員会議の規定はありますかありませんか。あるいはある県、ない県どれくらいの数になっていますか。
  57. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ちょっと手元に資料がございませんが、相当数の県におきまして管理規則が定められている、三分の二程度はあるんじゃないかというふうなことでございます。
  58. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうしますと、あなた方がこれサンプル示したときにやっぱりあったんでしょうが、職員会議というものは、こういうものであるべきだということで。——それまあ首ひねっておられますけれども、それ以上は申しませんがね。  各県この職員会議の準則、管理規則のあり方も非常に私はピンからキリまであるという気がしてならぬのですよ、これ。たとえば、福島の県教委の庶務規定準則十一条を見ますとこう書いてある、校長は重要事項を処理するにあたっては職員会議に諮問しなければならない、こういうのがある。言うならば、重要な事項は、やっぱり職員会議の意向を聞いてやらなければなりませんぞこういうことを明記しておる。ところが、佐賀県の教育委員会の管理規則準則十六条を見ますと、校長は校務運営上の必要と認めたときは、職員意見を聞くために職員会議を開くことができる云々、言うならば、職員会議というのはあってもなくてもいいのだ、校長が必要だと思えばやれるのだ、こういうものの書き方ですね。大別して、こうやっておるのですがね。中には、これはまだ規則にはなっていませんけれども、静岡県の教育委員会では、職員会議廃止論さえ起きているのですよ。これは静岡県の教育委員会の総務課の人が、県の教育公報に出しておるのですけれども学校管理近代化のための一つの試みの論と、こういうかっこうで、職員会議は教育界のちょんまげであり、盲腸的な在存である、こういう職員会議などというのはおかしい、校長なりあるいは校長につながるところの人でぴしっぴしっときめていけばいいのだ、こういう論文が発表されておる。たぶん皆さんもお読みになった方がいらっしゃるかと思いますがね。これに至っては、先ほど大臣答弁したところの職員会議というのは、学校運営の中では好ましいのだ、好ましいのだということから見ると、全くもうちぐはぐなことですね。こういうのを知っておられるのかおられぬか、また、知っておられるとするならば、一体こういうものの考え方で、これどうお考えになっているのか聞きたいのですがね。
  59. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいまの論文につきましては、私存じませんけれども、そういうふうな職員会議に対する考え方、これは当を得ないものであろうというふうに考えるわけでございます。  それから福島県、佐賀県につきまして、規定が異なっておるということでございますけれども、実質的にはやはり、学校という組織を円滑に運営し、教育の効果をあげていきますためには、やはり同じような、規定のしかたは違いましても、運営のされ方がされておるんじゃないか、また、されるべきじゃないかというふうな感じがするわけでございます。
  60. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 静岡の教育委員会で出ておるところの議論は行き過ぎであるけれども、しかし、まあたとえば、福島と言われたですが、まあ必要と思うなら開く程度のものぐらいなんだと、言うならば、やっぱり校長の権限というのはそんなに強いもんで、校長の意思によってみんな行なえと、こういうのがもう文部省の指導方針だと、こう理解してよろしゅうございますか。
  61. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長はやはり権限と責任を持っているわけでございますから、その責任を自覚して、みずから責任をもって学校運営に当たっていただきたいという点は、これは法律上も明らかであろうと思います。その場合に、職員会議というものを、どういうぐあいに運営していくかということ、これはやはり学校という組織は、先ほど大臣から申されましたように、一丸となってと申しますか、全員がこれでいこうというふうな気魄と熱意を持ってやらなければ、住民に対するサービスというのが、十全にはいかないということでございますから、校長が自分一人で幾らやりましても、十人あるいは二十人、あるいは三十人の先生方の協力が得られなければ、それが住民に対するサービスに欠けるわけでございます。校長先生の責任を果たしていると言えるかどうか、私は疑問であると思います。  そういう意味から申しまして、先生の意見を十分聞いたり、それから先生方に校長先生の意のあるところを十分に伝えるというふうな運営のしかた、これはぜひとも必要なことであると、そういうふうに考えておるわけでございます。
  62. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そうしますと、これはあとから論議しますが、法律上の問題抜きにしても、職員会議というものは、非常に重要で、それでぜひともやはりそれを活用して、教職員の意向が反映できるようにしなければならないと、こういうふうに基本的に考えておるんだと、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  63. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 原則的には、そのとおりでございます。  ただ、一部の人たちが、一部の先生が声が大きいとか、一部の先生が自分意見に固執されまして、職員会議を引きずるというふうなこと、そういうようなことがあってはこれはまた、例外の場合でございましょうけれども、困るわけでございまして、教職員全体の意見というものが、そこでくみ取られるようにする、それから校長先生を中心にしてみんなが一致協力して、住民に対するサービスが万全にいきますように努力をする。そういう意味では、これは、ぜひ必要なものであろうというふうに考えております。
  64. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 声が大きいから、その職員会議が片寄ったりどうだというぐらいにあなた方考えておられるんですか。声の大きい小さいというのは、これは人間によってやっぱり性格全然違うんですからね、私なども声の大きいほうだから、じゃ私ども職員会議にいけば引きずるほうかもしれませんけれども、そんなものぐらいにあなた考えられておるんですか。学校の先生は声が大きいほうに引きずられて、学校運営なされているとでも考えられるんですか。そういうものの考え方では困ると思うんですがね、どうなんですか、それは。あり得ませんよ、そんなことは、ばかな。教師をあなた侮辱するもはなはだしいよ。
  65. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私が申し上げましたのは、一部の人の意見に引きずられて、教職員会議というものが全体の意思の反映にならないようなことがあっては、これはいけないということを申し上げたわけでございまして、まあこれは例外的なものでございましょうし、大部分の学校におきましては、正常な運営が行なわれているというふうに考えております。   〔理事内藤誉三郎君退席、委員長着席〕
  66. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 校長に学校経営の権限がある、どうだこうだというのは、私は、どうも地行法三十三条じゃなくて、学校教育法の二十八条の三項を、いわゆるそこを中心にしてこれは学校経営の責任というのは、校長がみんな全責任があるんだと、こういうものの考え方から発想して、職員会議もしたがって諮問機関なんだと、こういうものの考え方が根拠に入っているんじゃないですか、どうなんですか。法的な裏づけの根拠というのはそうじゃありませんか。
  67. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長の責任の場合には仰せのとおりでございまして、学校教育法の二十八条の三項に基本となる規定があるわけでございます。先ほど申し上げました地教行法の三十三条、これは職員会議というのを、教育委員会教育委員会の規則として規定をするというふうなことが、どこにもないというふうなお尋ねであろうと思いまして、そういうふうなお答えをしたわけでございます。
  68. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、その職員会議のいま初中局長なり文部大臣のあり方のものの考え方わかりましたですがね。これは安達健二さんですから、いまの文化庁長官ですかね、この人の著書に、「校長の職務と責任」という本がありますね。これを見ますと、校務処理の権限は校長にあり、職員会議は校長の補佐機関にすぎない云々と述べて、職員会議は校長の判断一つで開くもよし、開かざるもよしというように、きわめて職員会議のあり方ということは、この法律解釈をもとにして非常に軽く一貫してあの著書の中で扱っておるんです。それにまた輪をかけたのが、いまの社会局長ですかね、今村武俊著の「教育行政の基礎知識と法律関係」、これをこう見ますと、職員会議なるものは、いわば経営学のヒューマンリレーションの配慮からだ、こう言い切っておるんです。一体、こういうものなのかですね、いわゆるヒューマンリレーションとして、経営学上はちょっと職員に言わしておくぐらいのものなんだと、この軽いタッチですね。このものの考え方というのは、私は文部省の官僚の皆さんに一貫して流れておるんじゃないか。どうも、この著書からうかがえるものと、いま初中局長なり大臣答弁されたことからみると、だいぶ違いがあるんですがね。本音は一体どっちなんですかね、学校というこの運営の中におけるところの職員会議の性格、性格というか比重、意義というものは。これはやっぱり同意されますか。職員会議なるものは、いわば経営学のヒューマンリレーションの配慮からなんだというものの言い方なんだ、いかがですか。これはやっぱり大臣あたりの見解聞いたほうがいいでしょう。あなた同僚の人だから、はっきり言えぬとこがあると思いますが、どうですか、大臣
  69. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) おそらくいまの御指摘は、法律的な解釈論をやっているんだろうとこう思います。御指摘になりましたように、学校教育法で、「校長は、校務を掌り」と、こう書きまして、校長さんが責任者だということを明示しているわけでございます。校長さんがその責任を果たしていきますためには、自分の意図が先生方によく理解されていなきゃなりませんし、また、理解されますためには、先生方が何を考えているかということについて、校長さん自身が深く理解をしていかなきゃならない、こう考えるわけでございまして、適正な校務の運営をはかっていくためには、先生方全体の協力が必要だと、職員会議というような形が積極的に活用されてしかるべきものだろう、こう思っているわけでございます。御指摘になりましたのは、おそらく法律的な解釈論であって、実体的な運営論じゃないんじゃないだろうか、こう思っております。
  70. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、ここに今日のやはり文部行政の一つのやっぱり姿勢のあり方が、問題があると思うんです。ほんとうにやはり文部省のいろんな役人の皆さんといえども、いわゆる法律的には、たとえば、かりにこうなんだけれども職員会議の教育的な面あるいは学校経営のあり方からすれば、こういう点が大事なんだということで、それを常に教育ということが配慮されて、学校運営なり教育というものが、文部省としての行政指導というものが一貫して流れていればいいんですけれども、いま私が指摘したように、法律上の解釈論だけ先行してものをやっているだけに、いろんなものを、そこに不必要な摩擦を生じておるというのが学校の実態なんです。そこに非常に問題がある。そういう問題のところに、また一しずく出しておるのが、教頭の法制化という問題にやっぱりつながっていくんです。ここにあなた方が頭の中で考えておるところの問題と、学校現場の受け取り方が非常に違っている。だから、校長さんになれば——教育的な配慮のない、力量を欠いたところの校長さんになればなるほど法律論をたてに、今村さんのこれを金科玉条として、わんわん、わんわん職員にこう押しつけてくる、そこに一つの問題が出ておるということを、私は指摘しておかなきゃならぬのです。ここにやっぱり文部省教育行政のあり方の一つ問題点としてこれはやっぱり言わなきゃならぬ。  私はまず、この点明確に申し上げて、さらに申し上げたいんですが、そこでもう一つ職員会議の問題と関連して尋ねますけれども、いわゆる、現在の国立学校関係の問題、これは、まあ、筑波大学の法案の中には特別引き抜いて、教授会というのは実質骨抜きにされていますけれども、少なくとも、やはり現在の国立学校におけるものは、各部の教授会というものが相当やはり実質的にその学部運営についての権限を持ち、保障されておる、法律上は。この大学教育、高等教育におけるところの職員会議のあり方というものと——職員会議というのじゃない、教授会、これは教授会といっても、その教授会にいたしましても、その教授会そのものの、学部においてはそれは職員会議と普通言われてもいいぐらいの、構成員は、実際は同じでしょう。そういうものには、こういう保障を与えて、小中学校のほうは、あなた方は二十八条をたてにするところの、あれは諮問機関なんだと、特に先ほど申し上げたところの、この文部官僚の皆さん方の指導論から見れば、非常な違いがあるんですけれども、それはどこにやっぱりその根拠があるんですか。法律上の根拠じゃないんですよ、教育のものの考え方です。もちろん、対象が児童生徒という場合と、大学の学生というのは違いましょう。しかしながら、少なくとも常識論で考えれば、教授会なり、あるいは職員会議を構成しておるところの層というのは、やはり教育に見識を持ち、それぞれ小、中、高、大の違いはあろうとも、教育に対するところのものの考え方は大体同じだし、学校運営に対するところのものの考えも同じだと思うんですよ。あえて分けなきゃならぬという、法律上の違いというのはどこにあると考えられますか。
  71. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 端的に申しますと、やはり学問の自由というところに一番大きな根拠があるんだというふうに考えるわけでございまして、ただ、沿革的に申しまして、大学の教授ともなれば、これはものごとの判断等につきまして、的確な判断をするだけの素養を備えておるというふうな判断も、実質的にあったかもしれません。ともかく大学の運営というのは、大学人自体がやるんだと、これが学問の自由というものを保障する一番の基本になる考え方であろうというふうなことであろうと思います。
  72. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そういたしますと、今度変えたところの筑波大学法からすれば、もうそういう学問の自由というのは要らないから、大体、もう学長なり、あるいは副学長というのをたくさん置いて、実質的にそれに権限を移すということになったんですか。もし、第二の理由の、的確な判断云々ということが理由だとするならば、これは私は問題だと思うんですよ。小、中、高の先生方侮辱するもはなはだしいと言われたってしかたないじゃありませんか。そうでしょう。なるほど一つの学問なら学問に対する、深く研究しておる、そういうものは、それは大学の教授あるでしょう。しかしながら、事、学校なり、大学という、一つ学校というものの運営の中は、これはあんた、大学の教授であろうと、小・中学校の先生であろうと、教育という立場から考えて、学校運営をどうするか、学部運営をどうするかというものが考えられたはずなんです。それを的確な判断力があってということになると、裏を返せばないということになるんじゃないですか。これはあなた、小、中学校の先生方侮辱するもはなはだしいと言われてもしかたないじゃありませんか、どうなんですか、その点は。
  73. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私は沿革を申し上げたわけでございまして、新しい学制のもとに、明治以来大学ができました当時、そういうふうな考え方も基礎にあったんじゃないかということを申し上げたわけでございまして、別に法律上の解釈とかなんとか、そういうことを申し上げているわけじゃございません。
  74. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 関連。  ちょっと私、いま宮之原さんから御質問があったんですが、筋としては、私はごもっともな感じがするんですが、法制的には、私は、根本的に違うと思うのは、教育公務員特例法という法律があって、大学には私立と同じような理事会制度を置けと、いわゆる大学管理機関が、任免、その他をきめるということが第一条にあって、管理機関ができるまで、当分の間、これは教授会と読みかえたんです。教授会は法的保障があるわけなんです。ですから根本的な違いがあると思うんです。その辺のところ、大学のほうはおとなで、だいぶ、学問の自由と関連があるから、大学はけっこうです、高等学校以下の職員会議は違うんですというような、こういう説明のしかたでは、おそらく宮之原さん納得しないと思うんです。これは文部大臣から、はっきりとそこを答弁していただきたい。
  75. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 事務当局は、憲法上の学問の自由を保障するということが書かれている、そのことを、大学の中において実現をはかっていくというようなたてまえで御説明を申し上げたわけでございます。大学のあり方につきましては、いま内藤さんから御指摘になりました点、同時にまた、慣例、そういうことを通じて運営されているわけでございまして、できる限り学問の自由、これを保障していかなきゃならない、学問の自由、研究の自由、これを認める、そのかわり、研究の成果の発表、これもできる限り自由にしていくというようなことから、大学の自治ということが生まれてきたんだと、こう考えているわけでございます。学生側がどのような授業を取捨選択するか、これも学生側にゆだねられているわけでございます。しかし、高等学校以下になってまいりますと、児童生徒に取捨選択させるわけにもいかない、同時にまた、教育内容につきましても、反面、まかせきりにするというわけにもいかない、そういうようなところから、教育課程は、監督庁が定めるという規定学校教育法の中で定められてまいってきているわけでございます。大学生になりますと、学生も相当な年配になってまいるわけでございますので、研究の自由の成果、それをどう受けとめるかということについても学生に取捨させる、しかし、そういうようなことを、高等学校以下の児童生徒についてゆだねるというわけにはまいりませんので、国民教育として必要な内容、そういうものは法律の、定められている事項に従いまして、監督庁が定める、それに従って授業が行なわれていく、児童生徒は、その教育内容をそのとおりに受けとめていくということになっているんだと、かように考えているわけでございます。
  76. 内藤誉三郎

    内藤誉三郎君 ちょっと文部大臣、その点、私、納得できないのは、やっぱり教授会は学校教育法に必置の機関で、法制上確立されておる、同時に、教育公務員特例法によって、学校運営の中心機関として位置づけられているんですよ。いま、あなたのお話しの、大学の学問の自由を保障するためというのは、これは一つのお考えで、それも一つのお考えですけれども学校における職員会議、高等学校以下の職員会議と、大学における教授会とは法制的に根本的に違うということは、これは御認識いただかぬと、とても納得していただけないと、私、思うんですけれどもね。局長、その点はっきりしてください。
  77. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私が申しましたのは、国公私立を通じまして、大学になぜ、その教授会を置くのかというふうな御質問だろうと思ったものでございますから、それはただいま内藤先里御指摘になりましたように、学校教育法の五十九条に、教授会に関する規定があるわけでございます。まあそこに根拠を置いておる。しかし、なぜ、その大学にそういうような立法措置を講じたのかという理由を、さらにたどってみれば、その大もとは、学問の自由ということではなかろうかと、大学では研究・教育をやるわけでございますけれども、特に研究に関しましては、これは基礎研究は先生方の自発的な考え方、その自発性を生かす、その学問の自由を生かすというところに最もその国家、社会に貢献するような学問の発展があるのだ、そういう基本的な考え方に立ちまして学問の自由というものは認められる、それに基づいておそらく大学の運営というものは教授会にまかせる、教授会に権限を持たせるというふうな規定が置かれたのではなかろうか。そのもとを申し上げたわけでございます。あとの点は、内藤先生御指摘のとおりでございます。学校教育法に基づきまして教育公務員特例法等の規定があるという点は御指摘のとおりでございまして、そのもとにつきまして申し上げたわけでございます。
  78. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 何も私は法律上のことを聞いておるのではないですよ。内藤さんが言うように、法律上は法律を見ればわかるのだから。私が言ってるのは、片一方は法律上ちゃんと保障がされておるのに、いわゆる職員会議のほうはまるで校長の諮問機関あたりに位置するように非常に軽視をされておるのかと聞いておるわけなんです。その根拠は何かと言ったら、あなたは学問の自由や的確な判断力があるからだと、こう理由をあげるから、小中学校の先生の判断力がないというのは全く小中学校の先生を侮辱するのもはなはだしいじゃありませんかと、こう聞いているのです。そうでしょう。小中学校の先生方は判断力がないのですかと、こう聞いておるのです。あなたは、その点は取り消すか何かしなければたいへんな問題ですよ、どうなんです。
  79. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、大学につきましては、沿革的に学問の自由というものが非常に大事なものとして考えられてきた。というのは、中世ヨーロッパにおきまして教会が大学をつくるというふうなことで、教会の圧力と申しますか、意思というものがかなり強く大学の運営等に反映する。しかし、先ほど申し上げましたように、学問というのは、自由な雰囲気の中で学問の自由が保障されることによって初めて人類社会の進歩がある、そういうふうな考え方、それが学問の自由の基本になると思います。そういう考え方に基づきまして、大学におきまして大学の自治というものが認められる。大学の自治というのは、大学の先生方が大学の運営を処理していく、そういうふうな長い間の沿革があって大学の自治が認められ、さらに、教授会というものの存在が認められてきたということでございます。小中学校の場合は、学問研究というようなことではなくて、教育が主体でございます。そういう意味で、一番大学とは違うわけでございます。大学の運営というのは、やはり学問の自由ということに淵源を発する。小・中学校のほうは、学校という組織体、それが最も能率よく効果を発揮して住民に対して教育というサービスをする、そういうやり方でございますから、そこにおのずから差ができてくる。なお、扱っておりますものが、学生と児童、生徒という関係ももちろんあるわけでございます。
  80. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 何も私は、あなたが言った理由の学問の自由の歴史を聞こうなんて思っておりません。あなた、二つ理由をあげられているのです。一つは、大学の歴史的な過程から見て学問の自由があるから、一つは、的確な判断力の違いですとこう言っておるから、小・中学校の先生方じゃ、この面から見れば判断力がないとあなた方考えて校長にすべて権限があるのだというものの言い方、あるいは先ほど紹介いたしましたところのおたくの同僚の論文から見れば、味もそっけもない法律をたてにとったところのものの言い方でしょう。それは一番もとをただせば、的確な判断力がないから校長のすべて権限でやれるのだ、こういうものの解釈ですか、こう聞いておる。その点はどうなんですかということを私は聞いておるのです。
  81. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 御答弁といたしましてはいささかよけいなことを申したきらいがございましたので、取り消していただきます。(「そのとおり」と呼ぶ者あり)
  82. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そのとおりだというやじがあるので、初中局長を応援したということになると、やっぱり文教委員会における人でさえも、小中学校の先生というのを軽視しておるというところに、私はやっぱり教育の問題のあり方に対する考え方が足りないところがあると見ているのです。非常に嘆かわしいことだと思うのです。  そこで私は聞きますが、その対象であるところの大学の学生と小中学校の子供とのいろいろな違いということは私はわかるのです。だからといって、基本的にはあなた、小・中学校の先生も学問研究の自由というものが保障されなければ私は困ると思うのです、それは。その学問の研究というものが保障されておって、その中でどういうものをこうして教えていくかという内容についていろいろありますよ。指導要領にいろいろな規定が。しかし、基本的には、小・中学校の先生方にそれを保障されない限り、これはあなた、今日の初等教育あるいは中等教育はどうなるのかという問題に私はなると思うのですがね。そこが、どうも先ほどの答弁を聞いていると、小・中学校の先生方あたかも学問研究の自由がないみたいな言い方をされているということには、私はこれは納得がいかぬのですよ、それは少なくともね。その点を私はやはり皆さんにやっぱり明確にまずしておいてもらいたい。しかも、法律上を見たって、これは校長の権限という立場から見れば、これは大学の学長にしても、あるいは小・中学校の校長にしても同じでしょう、学校教育法規定されているところのものは。違いますか、どうですか。
  83. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 校長とそれから大学の学長とはもちろん同じような法律規定があるわけでございますけれども、しかし、小・中学校の目的、それから大学の目的、こういうものはかなり違っておるわけでございまして、先ほどお話がございました小・中学校の先生でも学問の自由があるのじゃないか、これは基本的人権として当然あるわけでございます。しかしながら、小・中学校は児童生徒の教育を行なうところでございますし、大学のほうは「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、」というふうなことでございまして、学問の研究、日本の基礎科学の水準の維持、向上、そういうものにつきまして大学というものが非常に大きな役割りを果たしているという点は、これは御承知のとおりでございまして、大学にはそれだけの小・中学校と違った責任があるわけでございます。学長もしたがいましてその責任者として、やはり実質的には小・中学校の校長先生とかなり違ったものがあるわけでございます。
  84. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうも的確に答えられてないですがね。それはあなた、学校教育の、大学教育、小・中学校教育、高等学校教育の目的が違うということは、これは法文を見ればはっきりしていますよ。しかし、事少なくとも、学校教育法規定をされているところの学長、校長の権限というのは全く同じでしょう。それならば、片一方が法律上教授会というものが保障されておるにしろ、片一方は保障されておらないにしろ、職員会議のこの意向というのは、学校運営の上にはきわめて重視されなければならないということだけははっきりしておるわけです、法律あろうとなかろうと。それが先ほど来言ったように、アクセサリー化しておるというところに私は問題がありませんかと、こういうことを言いたいがゆえに、ずっとこう聞いておるのですよ。  それなら続いて聞きますが、公選の場合はどうなりますか、それなら教授会は。これは法律上ありませんわね。けれども、実際運営はどうされているのですか。
  85. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 所管外のことで私的確なお答えができないかもしれませんが、実質的には学長先生とそれから教授、助教授、そういう方々との意思の疎通が行なわれているというふうに考えるわけでございます。
  86. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは実際上はやっぱり教授会が、大学に準じた教授会というもので内部運営がなされているということははっきりしていますよ。したがって、私が言いたいことは、いわゆる法律上の権限でいえば同じなんです。ただそれを、対象が違うからといって、その構成をするところの学校の先生まで、職員会議の比重の置き方が、いわゆる公選におけるところの教授会とか、あるいは大学におけるところの法律規定された教授会と実質同じくらい配慮されなければりっぱな学校運営ができないにもかかわらず、片一方にだけは校長の権限があるのだ、権限があるのだというこの押しつけのやはり教育行政のあり方というところに、私はやっぱり問題があると思うのです。だからその点は引き続き聞きますが、そんなに校長の権限を振り回すということになれば、戦前の学校におけるところの校長の権限、言うならば、国民学校時代の学校長の権限といまの権限とどうなっているんですか、法律上は。
  87. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 国民学校令では、「学校長ハ奏任官又ハ判任官ノ待遇トス地方長官ノ命ヲ承ケ校務ヲ掌理シ所属職員監督ス」とございますから、これは現在とそう変わっておらないというふうに考えるわけでございます。
  88. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それはあなたは全然みんな知らぬで言っておるのか、あえてごまかして言っておるのか、たいへんな違いですよ。見てごらんなさいよ。もしあなたほんとうに知らぬでやっているというならば、これは重大だし、知っておって答弁ごまかしておるというならば私はけしからぬと思うんですがね。これは国民学校令の十六条はなるほどあなたがおっしゃったように奏任待遇とかなんとかなんとか、十七条見てごらんなさいよ。「訓導ハ學校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」と、教育をつかさどることにさえも戦前の国民学校時代は命令権があるんですよ。ところがいまの学校教育法の二十八条にそういうのがありますか。ちゃんと校長の権限と教諭の権限は冷然と分けていますよ。「校長は、校務を掌り、所属職員監督する。」とあります。「教諭は、児童の教育を掌る。」と明確にある。これは国民学校令時代と戦後の教育のあり方の学校長の学校運営に対するところの基本的なものの考え方の違いというのを明確にしておるじゃありませんか。これ同じですか、重ねて聞きますけれども、これでも。
  89. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま御指摘になりましたように十七条には、「校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」ということでございますけれども、二十八条に校長の権限が書いてございますから、当然監督の関係にあることは、これは明らかになっているわけでございます。なお、地教行法の四十三条に、「県費負担教職員は、その職務を遂行するに当って、法令、当該市町村の条例及び規則並びに当該市町村委員会の定める教育委員会規則及び規程に従い、かつ、市町村委員会その他職務上の上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」というふうな規定もございますし、まあいずれにしましてもそういうふうな関係規定から見ますと、戦前の校長の命を受けたということは、現在の法律上も当然のことであるというふうに考えます。
  90. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、これは非常に重要な問題だと思っておるんですよ。少なくとも、戦前は学校教育なるものが勅令主義で、天皇、内閣、地方長官、校長、訓導といわゆる上命下服の統制というのが一本すっと通っている。一番学校教育の基本を掲げておるところの国民学校令を見ればね。しかし、戦後はそうじゃないでしょう。これを断ち切るために、わざわざ学校教育法は二十八条のように、校長の職務の権限というものを明確にしておるんですよ。それをあなたは補うように地教行法の三十三条を持ってきていますけれども、地教行法なるものは、先ほども議論したように、あれだけ議論があってできたもので、少なくとも、戦後教育の基本というのは、戦後教育の基本というものは、学校教育法の二十八条見れば、教諭の職務権限というのは、事少なくとも、児童の教育をもつかさどるという面についてはきちんとしたところの権限と義務というものを負わされておるんですよ。言うならば、校長の命によってやるんじゃないということがね。この違いというものはこれは明確なんですよ。それを後ほど加えられたものがあるからといって、みんな基本的な考え方は同じなんですという考え方自体が、戦後教育の、今日の学校教育法の基本を流れておるところのものの考え方をあなた自身相当逸脱しておるんじゃないだろうかと思いますが、その点どうなんですか。なるほどひん曲げられたとはいえ、地教行法によってです。しかし、基本的なものの考え方というのは私ははっきりしておると思うんですよ。たとえばあなた、三十三条をあげましたけれども、なるほど三十三条の、学校その他の機関の管理規則で、こういうことをきめろということをやっておりますけれどもね。これはあくまでも副次的なもので、少なくとも、教育体系の基本というのは、学校教育法でなきゃならぬのでしょうが。そういうことから見れば、このやはりものの考え方というのは、戦前の国民学校時代の教育と戦後の教育のあり方というのは、根本的に違うはずなんですけれどもね、それを全く同じとしてあなたやっぱり強弁されますか。
  91. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ちょっと条文は私が申し上げましたのは四十三条に「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」というふうな具体的な規定がございますので、それを御紹介したわけでございます。考え方につきましては、戦前の教育行政に対する考え方、それから戦後の教育行政に対する考え方、私は、相当大きく変わってきているということは言えると思います。また、学校が、先ほど大臣から申し上げましたように、潤いのある、活気のある、全員で一致して住民に対する教育を通じてのサービスというものを高めていこうというふうな考え方、そういう点から申しますと、ただ、その命令系統をはっきりしておけばよろしい、命令に従えばよろしいというふうなあり方とは、私はかなり考え方が変わってきているんじゃないかというふうな気がするわけでございます。
  92. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 あなた、先ほど地教行法四十三条だって、職務上の命令を校長はやることができるんだというかっこうで、それを拡大して学校教育法の基本にまでみんな戦前の国民学校時代と変わらないというものの解釈をしていますけれども、これはもうそこにはいまあなたも本質的な違いがあるということをお見せになったから、そのことはつついて言いませんけれども、それなら二十八条四項の「教諭は、児童の教育を掌る。」という意味は、どういうふうに理解されておるんですか。
  93. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 「教諭は、児童の教育を掌る。」というのは、そのとおりで、実際、学級を担任しあるいは持定の教科につきまして授業を担当するというふうなことであろうと思います。しかし、この規定の、もちろん三項の、「校長は、——所属職員監督する。」と、そういう一般的な監督のもとに行なわれるわけでございまして、先生が自分だけの意思で自分かってなことを教育するというふうなことはあり得ないことでございます。やはり学校全体として、住民に対するサービスを行なうということでございますから、教諭が独自にそういう権限を持っているというふうなことではございません。独立した職務がございますので、一人でそういうふうなことがやれるというふうなものではないことは当然でございます。
  94. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私は、何もかってに何でもやっていい、やれるんだとか言ってないんですよ。少なくとも、この二十八条四項の「教諭は、児童の教育を掌る。」ということは、これはやはり憲法二十六条の、子供の教育を受ける権利、これは、私はやっぱり内的事項を保障するための教師のやはり教育権として相当独立性を持ったところのものだと思っておるのですよ。現にそういう学説もあるでしょう。たとえば東大の兼子仁さんの「教育法」を見てごらんなさい。明確にやはりそういう点を彼は言っている。それは皆さんから見れば、それに異論があるかもしれないけれども、少なくとも、こう言えるのは、第三項でいうところの「校長の監督云々という、いわゆる指導主事、その教育上の専門的な事項については、やはり少なくともこれは教諭の自主性、自発性、創造性というものが認められて、それが法体系全体、学校運営全体の中での一つのワクの中であれば、それを自由にやるというものでなければ、これはそれも戦前の国民学校令のように、命によって教育をつかさどるというものの考え方と同じだとあなた方が解釈しているとすれば、大きな私は間違いがあると思うのです。その点、どうなんですか。
  95. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 戦前は先ほども申し上げましたように、命令系統と申しますか、天皇の命令によって教育を行なうというふうな考え方であったろうと思います。しかし、戦後は、これは国民に主権があるというふうに憲法も変わったわけでございまして、そういう意味で教育の考え方自体も変わったことは仰せのとおりでございます。しかし、「教諭は教育を掌る」というふうな権限、これは権利というよりは権限でございますが、権限がある。しかし、その権限も校長の監督に服し、また法令の規定に従って行なわれるということは、これは当然のことでございます。その範囲におきまして、創意くふうが期待される。活発な授業が期待されるということ。これもまた当然なことだと思います。
  96. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 私はやはり、少なくとも教育上の専門的な事項については教師にこれだけやはり「児童の教育を掌る。」という面が明確に出ている以上は、いわゆる自由濶達と申しますか、指導要領や教育課程の中で相当やはりやれるところのものがあると考える。それだけに一々校長がああ教えよ、こう教えよという指導上の助言は私はできると思いますが、それは法律上もあるというものの考え方に立つとするならば、これはやはり戦前のものの考え方と何ら変わらない、こう言ってもいいんじゃないだろうかと思う。  そこで、聞きますけれども、この二十八条の四項にいうことろの「教諭は教育を掌る。」というこのおおよその範囲職務権限の。これは一体どうお考えになっているのですか。
  97. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 「児童の教育を掌る。」という範囲でございますが、具体的に申し上げますと、現在学習指導要領によりまして、教育の基本がきめられているわけでございます。それを基礎にいたしまして、教科書が発行されておる。教科書は使用するということになっておりますが、教科書をそのままやるということではもちろんないと思いますが、教科書を使って児童に対して学校が定めました教育課程に従って教育を行なう、つまり学校で一年間の授業計画を立てる。その中で時間割りをつくってその順序に従いまして能率よく子供たちに最も効果的な教育が行なわれるような努力をする。しかし、実際の教育のやり方、進め方、教育方法——視聴覚教材を使うか、視聴覚教育、あるいはいわゆる教育工学といわれているような新しい方法によりまして、教育を進めるかというふうなやり方、それからあるいはグループ別にやるのかどうかという、そういうやり方はこれは実際の教諭がそういうものについての考え方に基づいて行なわれるということになると思います。
  98. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 非常に抽象的な答弁ですが、具体的に聞きますが、これは権限になりませんか。教育課程の編成実施権、教科書、教材の採択決定権、教育評価権——成績の、学級経営権、児童生徒に対する懲罰権といいますか、児童生徒をしつけること。それから、学習指導権と生活指導権、さらには研修権というものは、これはおおよそこの二十八条の四項の規定するところの、これはやはり先生方の職務権限の内容だ、こう思うのですが。その点、具体的にノーイエスをはっきりおっしゃってください。
  99. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 大体おっしゃったようなことは、担任の先生にやっていただかなければならないことだと思います。しかし、教育課程につきましては、これは教育課程の基準が学習指導要領に定められておる。それからそれに従いまして、学校が、つまりこれは権限としては校長に属するわけでございますが、学校が教育課程を編成する、時間割りをきめる、その範囲におきまして、学級の実際の指導を行なう。いまいろいろ例示されましたが、そういうふうな方法によりまして教育を進めていくというのは、教諭の職責であろうというふうに考えるところでございます。また、研究とはちょっとこれはここに書いてあるものとは別と、教育公務員特例法に規定があるわけでございまして、研修につとめなければならない。そういう責務を有しております。また、それを実際に研修の機会を与えられるという意味では、権利ということばは適当じゃございませんけれども、そういう機会が与えられるということは、これもまたそのとおりでございます。
  100. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 その研修権は、確かに教特法十九条、二十条に明確になっていますがね。しかし、私が列挙したのが原則的にはそうだとこの点はお認めになりますね。いろいろ何とかかんとか条件はつけられておりますが、それは学校運営の中のいろいろな職員との合議や、いろいろなものをせにゃなりませんからね。それはありましょうけれども、原則的にはやはりこういうものの考え方が理解できるというのは常識論として理解できるでしょう。どうですか。
  101. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 常識的には、そういうふうに理解するのが妥当ではないかというふうに考えます。
  102. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 それで、この「教育を掌る。」という教師のやはりいま原則的に認められたところのこの問題点等を考えてみますれば、事はやはり教育の実際上の問題、いろんな運営の問題については、私はやはり校長の監督権というのは、一般行政法上の指揮監督とか、命令とかというものは違って、少なくとも、やはり指導的、助言的な色彩を持つところのものだと、こう思うのです。したがって、そういう児童生徒の教育を責任をもって遂行するところの職員一つの集団がいろんなものについて相談をし、一つのものをきめる、それが職員会議となれば、その職員会議が一つの意思決定をしたというものが当然成立をしなければならないと思うのです。まあ大臣は事ごとに、それを日教組の機関紙に最高決議機関だ、こう言っているからけしからぬ、けしからぬというけれども学校教育のあり方から見れば、当然私はそこまでの、いま申し上げたところの点は出てくると思うのです。こういうことが、二十八条三項に裏づけられ、あるいは学校経営、学校教育のあり方、学級経営の。そういう点からして、たとえば学者の中にもこれはそうだ、それは最高の意思決定機関だと、こう言ったってそれに匹敵するくらいの値打ちがあるのだ、こう言われるところの学者もいるのです。けれども大臣は絶対にそれはまかりならぬというような話だが、そういういままでの議論を押し詰めてみても、私は、そういう所論も成り立つと思うのですがね。そういうことにも全然聞く耳を持たぬというのが大臣考え方ですが。どうですか。
  103. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 先生一人、一人が教育に当たりましては、あとう限り創意くふうを尽くしていかなければならない。先ほども申し上げましたように個人個人の能力、適性が違うわけでございますので、一人一人について特段の創意くふうを尽くしてやらなければならない。そう考えるわけでございまして、その点につきましては、宮之原さんとそう大きな考え方の違いはないだろうと思うのでございます。それと職員会議というものとは別問題、職員会議がきめて、個々の先生方の教育活動を拘束していいのか、こうなってくるわけでございまして、これはやはり別個のものじゃないか。職員会議は職員会議としてどういう性格のものであるかということは、先ほど来るる御議論をいただいたわけでございまして、そのとおりだと思います。先生方が教育をつかさどる、その場合に、先生方の活動の範囲というものは、非常に幅広いものだと思います。それと先生方が集まって相談をされる職員会議というものが最高決議機関であるとかあるいは個々の先生を拘束するのだ、こういうことになってまいりますと、話がまた逆になってくるのじゃないか、こう考えるわけであります。別個の範疇に属する議論ではなかろうか、こう思っております。
  104. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 どうして別個の範疇になりますか。だってあなた、職員会議というものはなるほどいろんなものを議論するでしょう。学校運営のあり方もやるでしょう。あるいは教育課程の編成のあり方、いろんな問題についても議論しましょう。教育の問題についてもね。そういう職員会議というのは、いろんな広範囲のものをきめるところなんの場ですね。議論するところの場なんです。そこで一つのやはり教育活動の今後のあり方についても研究会をこうしよう、ああしようといろんなものもきめる場合もありましょう。あるいは学校経営の中で学校経営のあり方としては、こうすべきだということをきめることもありましょう。そういうものは、すべてやはり学校の一人一人の先生から見れば子供たちの教育を発展をさせるためにはどうするかという立場からこれはやはりいろいろ議論をされるのですよ。そういうことと職員会議とは全然別なものだという大臣のそのものの考え方はわかりませんね。それはどういう意味ですか。
  105. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) 職員会議というものと個々の先生との関係ということにつきまして、個々の先生が教育をつかさどるという面からの御議論があったように思います。教育をつかさどるという面においては、幅広く先生方が創意くふうを尽くせる余地、これはもう尊重すべきではないか、それには異論がありません。先生方が集まったら、個々の先生方を拘束できるのかということになってきますと、それは別個の範疇の議論でしょうと、私はそうは思いませんよと、個々の先生一人一人について、できる限り創意くふうを尽くせる、幅広く活動を認めていく、このたてまえ、これはもう尊重していかなきゃならない、そう思うわけでございます。したがいまして、先生方が集まったら、また逆にその集まった機関から個々の先生方が拘束を受けるというふうなことがあっては、せっかくの御議論がまたむだになってしまうんじゃないだろうかと、こう思うわけでございます。いずれにいたしましても、先生方が自由濶達に御議論いただく、そして教育内容を高めるために、みんなの参考になるようなことを創造していく、これはもう非常に貴重なことだと、こう考えるわけでございます。しかし、それは、たとえばものをきめて押しつけるという性格のものではなくて、あくまでもみんなで研究し、努力し合う、くふうし合うという場ではなかろうかと、こう思っているわけでございます。
  106. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 だってあなた、学校というのは一つ組織体、運営体でしょう。だから、個々の先生方が、自分の学級経営、そういう面について、先ほどいろいろ議論をしてまいりましたところの一つの方向ですか、それは大体あまり異論なかった。そうすれば、その自分の学級経営というものを、学校経営全体の中でどう位置づけてもらうか、学校という一つ組織体ですから、位置づけてもらうか、あるいは学校運営全体の中では、どういう形で自分の学級経営の運営のしかたをするかということは、当然、これは一人一人があるわけでなく、一人一人の集まったところのやっぱり学校運営というものがあるわけなんですからね。そうすると、それの問題を相談するところの場というのは、やっぱり職員会議しかないじゃありませんか。しかし、それは校長の権限でぱっとやっていいというわけでもないでしょう。先ほど学校とは何ぞやというところの議論から始まったことから考えてみますれば、学校運営全体も、校長は職員意見を十分反映させながらここでやっていかなければならぬとするならば、職員会議というものが、やっぱり教師の教育活動を学校全体としてのバランスのとれたものとしていくためには、当然、議論になっていかなければならぬじゃありませんか。それとはやっぱり全然別でしょうか。
  107. 奥野誠亮

    国務大臣奥野誠亮君) お話しのように、私は別の範疇に属することだと、こう思っているわけでございます。法律上、校長さんは校務をつかさどる、先生方は教育をつかさどる、そう書いてあるわけでございまして、たとえば卒業式の行事をどう運営するか、これは校務に属することだろうと思います。校務に属することにつきましては校長さんが責任を負う、しかしながら、もちろん校長さんがきめる場合にも、皆さんたちと御意見の交換を大いにやってもらって、そして大体皆さんたちの御意見が合うような方向に進められる、これはもう望ましい方向だと、こう考えるわけでございます。しかし、あくまでも法律に書いてありますように、校長さんが校務をつかさどる、校務をつかさどることの運営にあたって、どういうふうなくふうが望ましいか、どういうような方向にもっていくことが望ましいかという問題と、法律上の権限の問題と、これは別のことではなかろうかと、こう考えているわけであります。権限的あるいは機関的に法律上の議論としてなされますと、それは別に職員会議はどういう責任を負っているのだ、どういう場合には、職員会議の意見に拘束されるのだというようなことにはならないんじゃないだろうか、かように思っているわけでございます。
  108. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 大臣は、学校というのを一体御存じだろうかと、いまお話を聞きながら私は感じるのですよ。先ほどは学校とはと、なかなかりっぱなことをおっしゃっていらっしゃったのですけれども学校の実態というのは、やっぱり学級の運営というのが一番基盤になって、組織体、運営体として動いていくわけなんですからね。それが当然やっぱり職員の総意をまとめるところのものに反映されなければ、これは意味ないんです。そうすると、その点になると、法律上どうだからといって、別のまた法律を持ってきてまたワクをはめられる。これは、先ほど私が紹介申し上げたところの文部省の局長の皆さんの持論と全くまたもとに同じように返っていくのです。学校教育というものが、法律の上からだけで片づけられるとするならば、そこに大きな問題が出てくるんです。それは間違いなんです。生きたところの子供を相手にしていくんだから、しかも、その主体が子供であるならば、その子供たちの教育をどう発展させるか、可能性を伸ばしていくかというところが主点とするならば、これは、当然学級というものが主体になっていきましょう。しかしながら、学校という運営体である限りは、その学級というものを学校運営の中にどう反映させていくかとなれば、これは全然別だというかっこうになるわけないんです。しかし、私は時間が来ましたから、きょうは、これで終わります。
  109. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 本案に対する質疑はこの程度にとどめ、午後二時五分再開とし、暫時休憩いたします。    午後一時六分休憩      —————・—————    午後二時十五分開会
  110. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  この際、委員異動について御報告いたします。  ただいま田中茂穂君が委員辞任され、その補欠として黒住忠行君が選任されました。     —————————————
  111. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 学校教育法の一部を改正する法律案(参第五号)、公立障害児教育学校学級編制及び教職員定数の標準に関する法律案(参第六号)及び公立障害児教育学校に係る経費の国庫負担に関する法律案(参第七号)、以上三案を便宜一括して議題といたします。  前回に引き続き、三案に対する質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  112. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 発議者の宮之原先生とは私は同意見立場でございますので、あえて厚生省の方にお伺いしたいと思います。  最近、養護学校の中にある難病の問題でございますけれども、四十八年度のこの資料を調べますと、厚生省は昨年度から、原因不明、治療方法も未確実で、しかも、後遺症を残すおそれのある。いわゆる難病に対する対策の確立に乗り出していると、四十九年度では調査研究の推進、医療費対策の問題、専門医療機関の整備の三本立てで難病対策をさらに大きく前進させる方針を固めている、特に四十九年度に国立療養所には難病の病床、三千七百八十五床を整備することにした、また、田中首相が患者家族の陳情に対して公約したといわれる進行性筋ジストロフィーなど精神神経発達障害センターの設立についてただいま調査をしているというような発表をなされているわけでございますが。難病のうちでも、筋ジストロフィーの場合に、現在国立療養所の中に養護学校があるわけでございますが、養護学校だけを切り離して考えることのできないような難病の状態がございまして、医学的な解決とか、肉体と精神、そして知能の問題について切り離せないから両方お聞きするわけでございますが、この病気について、現在進行中の研究はどうなっているのでございますか。
  113. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) ただいま御指摘言及されました研究所の問題は、本年度の予算でございますので、現在いろいろな先生方のお話を承りながら研究が進められている段階で、まだこれからいろいろ検討を、どういう研究所をつくっていくか研究する、検討するというような段階でございます。
  114. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 これから研究するということで、まだことばに出して言うこともできないような状態にあるわけでございますね。
  115. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 進行性筋萎縮症の研究につきましては、従来から研究費という形で毎年ほぼ一億の金を支出いたしまして専門の先生方に研究していただいているわけでございますが、それだけでは済まないのじゃないかということで、本年度初めて研究所の調査費がついたわけでございまして、四月から一生懸命いろいろな先生方にお集まりいただいたり、部内でも各局の意見を聞いたりということで、四十九年度年度当初でございますので、まだ固まっておらないという状況でございます。
  116. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 療養所の中に養護学校もあるわけでございます。私、埼玉県の国立療養所へ参りました。そこはおもには結核の療養所でございます。その中にある筋ジストロフィーの養護学校へ参りました。そして、そこで調べますところによりますと、四十床はいまだにあいているんでございます。そのベットと兼ねて養護学校があるものでございますから、病院の四十ベットあいているということは、看護婦さんが足りないということになっているんでございます。その辺のところはどうなっているんでございましょうか。
  117. 大谷藤郎

    説明員(大谷藤郎君) いま、先生お話しの東埼玉病院の筋ジス病棟につきましては、看護婦の確保ができませんために開棟がおくれているわけでございます。
  118. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 養護学校と、そういう難病を持った子供さん、からだはもう二十五歳ぐらいになると死んでしまうというようなこと。そして、医学的にも解決してなくて、現実の中でそういう状態が生まれているわけでございますね。その中での、子供自身は自分が「死ぬんだ」ということを知っているわけでございます。その知っている中で、子供の能力や知能やすべてのものが普通の一般小中学校の生徒に劣るのじゃなくて、まさる子供さんがいっぱいいるわけでございます。そういう肉体の問題とその能力、知能の問題を兼ねての問題は、文部省としては、どういうふうに養護学校の中でもお考えになっていらっしゃるでしょうか。
  119. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 筋ジストロフィーのお子さん方に対する教育、これはいま先生からもお話がございましたように、社会的な意味を持つようなやり方でやるということ、つまり将来の目的を設定して教育をするということにつきましては、いろいろ問題があるわけでございますけれども、私どもが聞いておるところによりますと、教育を実際に受けることによりまして、予定されました寿命がある程度延びる可能性もあるというふうなお話を聞いているわけでございます。これはおそらく生活に張り合いができて、そのために、そういうふうな結果が生じているんじゃないかというふうな気もするわけでございます。医学的に未知の分野でございますので、独断で判断を下すというわけにはまいりませんけれども、しかし、ともかく生きることに張り合いを持ってやっていただけるということが教育の効果としてあらわれるということでございましたら、私は、これにまさるものはないというふうな感じがするわけでございます。そういう意味からも、そういうふうな筋ジストロフィーのお子さん方というふうな方々に対する教育につきましては、それにふさわしいような、つまり教育を受けることに生きがいを見出せるような教育というものを与えていく必要があるんじゃないか、知能程度がかなり進んだ方につきましては、これは小学校、中学校、高等学校に準ずるような知的な教育というものが十分準備されてしかるべきじゃないか、そのように考えているわけでございます。
  120. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 全くそのとおりなんでございますけれど、からだが、特に足がきかなくなってしまう。子供さんが発病する年齢は、大体四歳から五歳のころから発病する。そして、いま現に二十五歳ぐらいになると死んでいくというような幾つかの例によって医学はまだ究明されていない。それなのに、子供の精神だけは、肉体とは関係なく他の健康な子供さんと同じような態度を持って子供に接する。子供自身が、自分が死んでいくんだということをわかりつつ生きている。健康な私たちに迫っている凝縮された問題があると思うのです。以上のような肉体とすばらしい知能を持った子供さんに、病院、学校がどのように用意されているか、ほんとうにやっぱり足りなくて、だから父兄の方たちが協会を持つことによって病院にまだはいれない人、養護学校にもはいれない子供さんたちを、一年に三回ばかり診療しているのでございますよ。診療している先生たちには、父兄がやっている協会からお金を払っているという実態。私は、そこにもいきましたのでよく調べて見ました。たとえば私が行きました埼玉県の療養所の筋ジストロフィーの場合には、東大の先生に父兄が一回の診療を一万五千円払う。そして一年に三回。病気はすぐにわからない、病院のベットは四十床あいている。そういう外来の子供さんがいる、潜在している患者、まだ病院内養護学校に受け入れられない患者さんだけでも三万人からいらっしゃる。養護学校に入り、病院に入りという、総合的な中にいる患者さんは、全国に千五百名しかいない。三万人から潜在している患者さんがいる。調べればもっと出る、これもはっきりしない状態です。事実いるわけです。そのおかあさんたちの協会が調べたところによりますと、三万人からいる。それを入院させ、そして養護学校に入れるには、入れる段階において、おかあさんたちの負担、一万五千円で医者を頼んで、そして診るだけじゃ間に合わないんじゃないか、そういうことを、厚生省の方はどうなっているんですか。潜在している三万人の患者さんを、どういうふうに調べ、どうしたらいいのだということについては、考えていらっしゃいますか。
  121. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) この筋ジストロフィーの調査は、非常にむずかしい面を持っているわけでございますが、私どもの調査では、大体千九百人、これは児童でございますが、二十歳未満までの児童の場合、約千九百人というような結果になっております。この数字は、もちろん全く正確なものだとは言えないかと存じますが、ほぼこれに近い、あるいはもうちょっとこれよりかも二千人か、その前後というふうな患者数だということで私ども考えております。もちろん、これが全く正確な数字だということは申し上げられませんが、三万人というふうなことにまでは数はないと私どもは想定しております。
  122. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 そういう方たちを養護学校に入れ、病院に入れ、総体的な二つの仕組みの中へ入っていただくということには、やはり診断しなければならない。そういうことに対して、やられていないわけですね。父兄が協会かち一万円から一万五千円出している。そして、埼玉県の場合でございますけれど、患者さんを診察をするその費用を、競輪の補助金からもらっている、そういう状態でございますね。さきほど四十九年度の予算が出たというのは。院長さんに聞いてみますと、二十病院がその予算内に入っているけれど、一軒の病院にその予算を割り当ててみますと、いまだ未知の病気ですから、病気研究のための機械を買うにしても、二百万円以上の金がかかる。その予算を割ってみますと、二百万円ぐらいにしかならない。だから診察を外でするときには、父兄が負担すると同時に、競輪の補助金を出してやる。養護学校はあるでしょうけれども、三万人の人数にして、満ち足りているということにはならない、それからまた、その人たちを、三万人外に潜在している人をどうにかして入れようとしても、父兄が診察する費用を出す。競輪の補助金だけではとても足りないわけです。その点について、どうにかしなければならないというお考えはございますか。
  123. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 国立療養所に入っていらっしゃる方につきましては、それぞれの療養所にお医者さんがおりまして、そこで診ていただいておるわけでございますが、何せいわば難病中の難病でございまして、親御さんの立場からしてみますと、たとえば日本で、まあ東京で一人、二人という指導的な先生がいらっしゃるわけでございますが、そういう方に是が非でも見ていただきたいというお気持ちがございまして、それでそれぞれの療養所のほうにそういった大学の先生をお呼びするというような事態、そういうようなお気持ちからお呼びしているのだろうと思いますが、できるだけそういった専門の先生方を各療養所のほうに行っていただきまして、まあいま医療上のきめ手はございませんけれども、できるだけ親御さんの気持ちにも沿うようにしなければいけないというふうに考えております。そういうことができるようにするために、研究費をさらにまた増額するというようなことを考えていかなければならないというふうに思っております。
  124. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 先日、新聞に出ておりました沖繩にも筋ジストロフィーの患者が出てきたと、このことを調べるのもやはり父兄が集まっている協会があちらへ行きまして、そうして、本年沖繩県にも難病患者がいたんだと、沖繩県全患者数からいいましても二百五十九人もいたんだと、沖繩県もまだ病気がわからないから、しかたがないということにはならないわけで、病院の中に養護学校がないということで、こちらの九州の熊本まで出て来たと、このぐらいにおかあさんや父兄の負担だけがたいへんにかかっているんじゃないか、そして子供さんたちは能力、それから知能についても他の健康な子供に劣っていない。肉体だけがだめになっていくということを子供が知っている。その状態の中で子供に希望を持たせるということについて、どうお考えになりますか。文部省の方にお伺いいたします。
  125. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先ほども申し上げましたように、知能のほうあるいは知的活動のほうはほかの方々と少しも異ならないと、また知的活動を行なうことによりまして生きがいを見出していかれると、そこでまあ余命も延びるというふうなことも言われておるわけでございます。そういう意味から申しますと、特にこういうお子さん方に対しましては知的な満足をあらゆる面で与えていくと、何も学校教育の面ばかりではなくて、一般に社会教育といわれる面におきましても、そういうものが必要だと思いますけれども、まあしかし、私どもは養護学校というふうな組織を通じまして、そういう方々に教育を与え、その教育に対する生きがいというものを見出していただくというふうな方向でまいりたいと考えております。御案内のとおり、私ども五十四年までに準備を整えまして、昭和五十四年から養護学校の義務制に踏み切ったわけでございます。まあ該当の年齢のお子さんばかりではなくて、私どもあわせまして幼稚部だとか、あるいは高等部につきましても、そういう対象になる方々につきましては、これはできるだけ義務制と一緒に歩調をそろえましてその充実をはかってまいりたいというふうに考えておるわけでございまして、そういう方々につきましては、特別な配慮が教育上特に必要であろうというふうに考えておるわけでございます。
  126. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 考えていらっしゃるのはけっこうでございますけれど、さっき言いましたように、競輪の売り上げから一年に三回診察して、入院をその場ですぐ認定されるわけじゃなく、そのあとに東大へ行ってまた調べられて、そのように潜在している三万人の患者を解決するということが第一の一番重要なことだと思うんでございます。考えていることをすぐにでも実行に移す、予算が九億出そうと十億出そうと、それが医学だけの研究費だけに使われて、肝心の子供さんたちの二十五年なら二十五年、生きてる間のどうやってしあわせにやったらいいんだということが抜けていると、子供さんはただ研究の材料になるだけだと、私は感じられるんでございますよ。だからその点について、一体養護学校というのは一体どういう学校なんだ、そのことについてもう一回聞きたいと思いますね。
  127. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どもは、教育の面でそういうお子様方に対処をするわけでございまして、したがいまして、治療の面につきましては、これは厚生省のほうで責任を持ってやっていただくという、そういうたてまえになっております。しかし、先ほど申し上げましたように、教育がやはり治療的効果もかね備えているというふうな実態があるといたしましたら、私どもも、そういう意味では、治療に参加をしているということが言えるわけでございますけれども、私どもの責任を持っております範囲はあくまでも教育でございますので、治療は治療として厚生省のほうで対処をしていただくということだろうと思います。具体的に申しますと、そういうお子様方につきましては、私どもは、そういう治療の施設がございました場合に、そこに養護学校の分校を設けまして、教育面でできる限りのことをいたす、そういうことであろうと思います。それを越えまして治療まで踏み込んでいくというふうなところまではまいっておらないわけであります。
  128. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 文部省意見として治療と教育が全然別に行政されてるとなると、養護学校というのは、一体何だろうということになるわけです。重症を負ってる子供さんが自分の肉体の中に、つまり厚生省と文部省が肉体の中に二つあるわけでございますね。省というのはおかしいですけれど。自分の肉体のほうはだめになるということを高度な能力によって自分が見詰めてるわけなんです。その見詰めてる肉体は厚生省の領域なんだ、見詰めてる自分に対する希望を持つ、二十五で死ぬということだけど、永遠として自分が生きたいという、生きようという、そういう希望を持つこの二つの操作が一緒になってるのがそういう難病を持った子供さんなんです。それを行政的に分けてしまうと、養護学校というものの内容や意味がどういう意味なんだろう、こう思わざるを得ない、そういう感じがいたします。いま文部省ではそうおっしゃいましたね。厚生省では、その一人の人間の中にあるその肉体的な問題と精神構造の中にあるものの一体になってるものを、厚生省ではどうおとらえになりますか。
  129. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 国立療養所で筋ジスのお子さんをお預かりしておるわけでございますが、もちろん、学齢期のお子さんにつきまして教育ということは大事なことでございます。文部省のほうもたいへん御協力いただきまして、全施設に小学校、中学校設けていただいているわけでございます。それから現場の先生方も病院と一致協力していただきまして、もちろん治療サイドと教育サイドと、それが分離することのないような、一体となってやるような、これは当然のことでございます。現場では私も幾つもの施設を拝見さしていただいておりますが、どこでも筋ジスのお子さんにつきましてはたいへん熱心に学校の先生もそれから看護婦さんあるいはお医者さんも、それぞれ一体となってやっていただいておるというふうに、私は考えております。
  130. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 現場では確かにそうでございました。おっしゃるとおりでございます。だけれども、もっとこまかく分類して言いますと、病院内で洗たくするところの人間が足りないとか、あるいは食事をつくる人が足りないんだと、それは全体にいえば病院の中の筋ジストロフィーの方たちだけじゃなくて、国立療養所全体の食事をするところをつくらなきゃならないと、それは五百人分をつくらなきゃならないと、こういうような病院の経過がございます。それを満たしてあげなければ、養護学校の満たし方にもならないということがあります。そういうことについては、看護婦さんが足りないからふやすということを性急にしなければ、養護学校の持っている子供さんたちの苦悩を解決することができないんだ、そういうものにつながってくるんでございます。国立埼玉療養所の院長さんにしましても、研究するよりは人事係のような立場に追いやられて、洗たく場や食事するところの人間が足りないから、こういうことを医者の立場から言わなきゃならない。養護学校というものの、そこだけゆうゆうと勉強することができないんだと、せめて死ぬまでしあわせになることができないんだということでございますね。その点について、看護婦さんを必要なだけふやす、厚生省では、この埼玉の国立病院では十八名看護婦さんが必要だと、こういうふうに言っているんでございます。いま現に足りないというだけでも百四十四名足りない、こういうふうに言っているんでございますよ。そして厚生省では十八名といいましても、現に足りないことを調べて、一日も早く解決しなければ、子供さんのしあわせ、しあわせとことばで言ってみても、どうにもならないんじゃないか。
  131. 大谷藤郎

    説明員(大谷藤郎君) 全く先生のおっしゃるとおりでございます。ただ、看護婦確保の問題は、これは筋ジスだけにとどまりませんで、わが国の医療全般の問題でございまして、厚生省としましては、看護婦養成という問題につきまして、非常に重点的施策として全体として力を入れておりまして、それによってこの筋ジスのほうの看護婦確保の問題にも、いま先生おっしゃいましたように、できるだけ早くそういったことで患者さんの収容がおくれているということのないように努力いたしたいと考えている次第でございます。
  132. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それから養護学校へ入らない、家庭に子供さんが三万人から潜在しているんですから、その中には親の力だけでやっていきたいという方もいるわけでございます。たまたまその方が通信教育によって他の子供さんたちと同じように、病名はわからない、死ぬかもしれぬけれども、生きている限りそうしたいという親御さんもいるわけでございます。国立大学では通信教育は受けられることができないんですか。それはどうなっているんでございましょうか。そういう希望の方がいらっしゃいましたので、伺います。
  133. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまのところ、国立大学で通信教育をやっているというところはないわけでございます。従来から文部省は各大学からの予算要求に基づきまして各大学の予算を要求するというふうな慣例で進んでまいりました。通信教育をどの大学からもやってほしいというようなことは従来言ってこなかったわけでございます。したがいまして、通信教育は私立の大学が中心になりまして行なわれているわけでございますが、また最近は、放送大学等の試みもあるわけでございまして、そういう意味では、教育の機会が拡大をされつつあるということはできると思います。しかしまだ、国立大学のほうでは通信教育はやっておらないのが現状でございます。
  134. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 それをやるお気持ちはございませんでしょうか。親御さんたちの戦いの中に、元気な子供と差別されないことを自分の心で乗り越えていくというお気持ちがあるから通信大学を、あればいいという希望だけじゃなくて、要求を持っていらっしゃるんですよ。おつくりになるお気持ちはございませんか。
  135. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ちょっとこれ所管が違いますもんですから、私から責任のあるお答えはできないわけでございますけれども、従来から国立大学の予算につきましては、国立大学の自主的な判断というものを尊重してましったといういきさつがございまして、いまにわかにどの大学にお願いをするかというふうなことにつきましてはまだ考えておらないわけでございます。しかし、私立の大学につきましてすでにそういうものが開設されておる、また、放送大学のそういうものが新しくいま設置されつつあるわけでございまして、そういう機会に、先生がおっしゃいましたような方々も対象にできるかどうか、そういう点につきましては、十分考えていく必要があるのではないかというふうに考えております。
  136. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 国立大学の通信教育問題についてはどうぞよろしくお願いしたいと思います。それは母親たちがおぶっていっても、車に乗せても、いまある養護学校という立場以外の対等な、平等な立場を死ぬまで子供に持たせたいという、そういう気持ちからだと思います。それは母親たちがそれぞれ自分の力で平等な立場を子供に持たすという力のあらわれでございますよ、私が会いましたそのおかあさんは、私立の大学、中央大学へ参りまして、そして通信教育を受けることになりました。養護学校の問題もさることながら、一般の母親が連れて一緒に努力しようと、そのことによって対等に子供をするんだという、そういうりっぱな考え文部省は母親の要求に従っていただきたいと思うんでございます。その点について、そういう思い方がおありでしたら答弁していただきたいと思うんです。
  137. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまのところ、そういう方々の御満足のいくような施策がとられておらないということはたいへん遺憾でございますから、今後そういう点に十分留意をしながら、施策を進めてまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
  138. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 その点についてはどうぞよろしくお願いします。いま、これだけしゃべっておりましても、三万人から潜在している患者さんに対する診療のしかたが、年二、三回ぐらい父兄の協会から一万円、一万五千円を出しながら若い講師の東大の先生が来て診察するんじゃ間に合わないじゃないかと思うんです。それをどうにかするという方法についてのお答えをいただきたいですね、厚生省の方に。
  139. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 先ほども申し上げましたように、数が三万人と申しますと、大体成人の方も含めてもそれだけの数は実はないかと思いますが、なおしかし在宅で、お宅におられて病気で寝ておられるということもあろうかと思いますので、何らかの方法で研究費の増額あるいはそのほかの在宅対策を進めることによりまして、そういった方々を早く把握しまして、必要な方は国立療養所に入っていただく、必要な治療をするようにするという方向でぜひ進めたいと考えております。  それからよけいなことかも存じませんが、私ども筋ジスの問題につきましては、一番難病中の難病というふうに考えておりまして、できることならば、何でも進めなければいかぬと、一番根本的な課題は、先ほど初中局長からもお話がございましたが、原因の探究あるいは治療方法の確立ということでございますが、それを急ぐことが一番のわれわれの課題でございますが、なお、経過的といいますか、やや二次的な対策とはなりますが、必要なホームヘルパーの派遣でございますとか、その他の在宅の方々に対する手当の支給でございますとか、こういったことを進めてまいりたいと思っておるわけでございます。
  140. 鈴木美枝子

    鈴木美枝子君 家庭に派遣するという人も、現実に聞いてみますというと、なり手がないというようなことを聞いております。それも一つずつチェックしておいてくださいませんか。厚生省ではいまおっしゃったような家庭にいる人には家庭に派遣してそうするということになっているんですけれども、家庭に派遣される協会の中になり手がない、そういうことを父兄から伺いました。そしてまた、東大なんかに子供を連れて診察にいきますと、二時間待たされて、診るのはたった一分か二分だと、それはどうしてもまだ研究が完成されてないから一分、二分になるでしょうが、母親、そして父親が子供さんを連れて、そして子供さん自身の能力はもう普通の一般の人よりもすばらしい能力を持っているんですから、二時間も待たされて、そして診るのが一分か二分で、それを年じゅう続けていくということはなかなか困難な状態にある。きのうも厚生省のどういう方法にしているのかということを見せていただきました。見せていただいた書類だけでは、やってるんだなあと思っちゃうんです。現実に私が調べて歩き回りましたところによりますと、私が申し上げたとおりなんで。ですから、そのことをお書きとめいただきたいと思いますね。厚生省、文部省は、至急にやると申しましても、いままででも予算が出たのが昭和三十九年からでございますから、昭和三十九年からと言いましても、父兄の協会が陳情したところから始まったんだと。それまでは厚生省もやっていない、こりいう難病でございましたんですから、やるのにしましても、急速いま私が言ったことでも、すぐあしたからでも実行していただきたい。そういう問題を一ぱい含んでいると思うんでございます。  そうして子供さんが、おかあさんたちのつくった協会を通して詩を書いたりしている。この詩をひとつ読ましていただきますよ。難病の子供さんが一般の健康の子供さんよりすばらしい能力を持っているということは、その子供さんが生きててほんとうにつらいんじゃないか、苦しいんじゃないか、そういうつまりその肉体自身が拷問にあっているような感じをいたしますけれど、そこを越えていこうとする。養護学校ではそういうことが必要なんじゃないか。肉体を越えさせる教育といいますか、先生方も、ほんとうに大変です。養護学校の先生御苦労していらっしゃるのを知っています。人手が足りない、ベッドが余っていても看護婦がいない。それを総合的に集めましたところに筋ジストロフィーの生徒さん、重病な患者さんである生徒さんがいるということでございますね。これは小学校の六年生に適当する子供さんの詩でございます。私は、この場所で読ましていただきます。題は「神でもないのに」こういう題でございます。  「もし僕が空をとべたら  光とあそぶだろう  虹とたわむれるだろう  天使でもない僕だけど  もし僕が太陽なら  泣いている君に  幸福のない君に  暖かい光をあげよう  神でもない僕だけど」  こんなすばらしい詩を書いていらっしゃる。全部の子供さんが、この詩を書いた生徒さんは、埼玉県ですけど、みんなすばらしい詩を書いていらっしゃる。一般の健康な子供さんと同じような。それ以上の詩です。それ以上の才能がある。自分のからだの肉体が二十五歳ぐらいになるとだめになるという自覚のもとに、もっと越えようとする、おとなよりすばらしいものを持っていらっしゃる。この子供さんたちを洗たく場の炊事場が足りない、炊事をする人間が足りないから四十ベッドが余ってても入れることができないんだとか、競輪の補助金で診察をすることによって潜在する三万人からの子供を診察しなきゃならないんだというようなことをいち早く解決しなければいけないんじゃないか。そして、こういう子供さんに対する政治といいますか、行政といいますか、そういうことができたときに初めて福祉も一歩からできるようになるんじゃないかと、こういうふうに、私は、この養護学校の問題について考えるわけでございます。  終わります。
  141. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 次に、順次御発言願います。
  142. 白木義一郎

    白木義一郎君 ただいま提案中の法案につきまして若干のお尋ねをいたしたいと思います。  従来「特殊教育」と言いならわしてきていますが、この「特殊教育」ということばは学校教育法では条文の中には使用されていなくて、第六章の章名として総括的に使用されてきています。さらに「特殊学級」ということばは同法の第七十五条及び百七条で使用されておりますが、提案者はこの特殊教育、特殊学級の「特殊」という用語を改めて「障害児教育」、「障害児学級」と改正をしようとしています。私も、この用語については改正することに賛成でございますので、その立場から二、三お伺いしたいと思います。  昭和四十四年の六月十七日、当参議院文教委員会において当時楠委員質問答えて坂田文部大臣は、特殊教育については改善したいという趣旨答弁をしております。その後、文部省としてはどのように考え、検討を加えてこられたか。またさらに、四十六年の五月十九日、参議院内閣委員会において上田委員質問答えて西岡政務次官及び秋田国務大臣が、同様の特殊教育について改善したいという答弁趣旨をされている記録がございますが、文部省は、その後どのように考え検討を加えてきたかお尋ねをいたします。
  143. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 用語の問題は、ただいま御指摘のとおりたいへん大事な問題でございますので、私どもも、その問題につきましては、部内及び公聴会その他に意見を聞いたりいろいろ考えてきたわけでございますけれども、ちょっとことばの問題につきましては、これは個人、個人の語感等もございまして、なかなかいいことばがないためにいままで私ども迷ってきたわけでございます。たとえば、御提案の法律案におきましては、「障害児教育」というふうなことばを使っておりまして、「障害児教育」ということばもかなり普及をしてまいったことは確かでございます。しかしながら、まだその「特殊教育」に比べましてどの程度普及しているのか、どの程度一般の方々の耳になれているのかという問題もあるわけでございます。  それから先般もちょっと申し上げたわけでございますけれども、現在学校のほうでは、たとえばろう学校というふうな名前も変えてほしいというふうな意見もございます。ろう学校を変えるとしますと、いまの障害児教育というふうな用語から申しますと、聴覚障害児教育学校というふうになるわけでございましょうけれども、そういうふうな用語がはたしてよろしいのかどうか、そういう点につきましてまだ私どものほうで結論が出ていないということでございます。  しかしながら、先般大臣もお約束いたしましたように、この問題につきましては、広く一般の方々の御意見を承り、それから内部で適当な機関を設けてこれに対して検討を加えるということにいたしたいと考えておる次第でございます。
  144. 白木義一郎

    白木義一郎君 そうしますと、再三大臣が「特殊教育」、「特殊学級」の呼び名について改善をしたいと、すでにいま申し上げたように、四十四年の委員会当時から言われておりながら、いまだにいい呼び名がないから検討中だと、こういうことですね。どうも、本件の改正案の「障害児学級」、「障害児教育」というのは適切でないと、こう文部省のほうでは、あなたのほうではお考えなわけですね。
  145. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 先ほど申し上げましたように、だいぶ一般の方々も「障害児教育」というふうなことばをお使いになってきておられます。したがいまして、決してこれが不適当なことばであるということを申し上げているわけではございません。たとえば「特殊学級」を「障害児学級」と改めるというふうなことでございましたら、それも一つの案かと思いますが、いま特殊教育と言われておりますものの中には、非常にいろいろな範囲が含まれております。養護学校につきましても、これを養護学校として残すのかどうか。同じように、その障害児学校というふうに改めるのかどうか、私は養護学校ということばはわりあいいいことばじゃないかと個人的には思うわけでございますけれども、それからろう学校をどういうふうに直すのか、盲学校をどういうふうに直すのかということになりますと、まだ問題があるような気がするわけでございます。皆さま方が、これがいいというふうな一致した適当な名前があれば、もちろんそれに変えるということはやぶさかではないわけでございますけれども、しかしながら、一つだけ直せばいいというふうなことではないような気がするわけでございます。全般的にどういうふうな用語がよろしいのか、この点につきましてはなお検討させていただきたいということを申し上げておるわけでございます。
  146. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまここに改正案で「障害児教育」、「障害児学級」と改めるべきだと、こういう改正案が出ているわけです。それについて文部省はその改正案に反対なのか賛成なのか。この「特殊学級」、「特殊教育」というその「特殊」というのを変えようというわけです。こういう理由で、この「障害児学級」という名前に、名称に変更しようということについては、文部省はこういう理由で消極的なんで、ほかにこんなような名称があるから検討中だとかというようなお答えならばわかりますけれども、あくまで何年も何年もずるずるずるずるこのままでいくというようなことでは、この改正案を提案した提案者に対しても非常に不親切だと、こういうように思うんですがね、いかがでしょうか。
  147. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいままで何回か国会でも意見を述べているところでございますので、先生から御指摘ございましたことはこれは当然のことだと思います。ただ、特殊ということばがよろしくないと、しからば、障害児というふうに直せばよろしいかということになりますと、別にその養護学校と重複はいたしますけれども、養護学級というふうなことばを使うのも、これは必ずしも不適当だと言えないわけでございます。したがって、用語の問題につきましては、これはそれぞれの方々の語感の問題などもあるわけでございます。これをまあ一番皆さま方がぴったりとしているというふうなことばに改めるということを考えてみたいということで、大臣からもお答え申し上げておりますように、今後一般の方々の御意見も聞いてみる。また、文部省内でも、そういうふうな組織をつくりまして、そこで検討するということにいたしたいということを申し上げているわけでございます。決してこれが不適当だということではないわけでございます。
  148. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 これは、白木さんのいまの質問とも関連しますけれども文部省もこれを誤解しておるんじゃないかと思いますけれども、提案者は、何も現在の盲学校、ろう学校あるいは養護学校の名前を変えろと、こう言っているんじゃないんですよ。言うならば、その特殊教育というそのものの考え方を改めなさいと、改めるのには障害児教育と総称したほうがよろしいでしょうと、こういう提起をしているんですよね。それを、その筋でいうと、初中局長は盲学校、ろう学校の名前をどう変えるかとか、あるいは養護学級、養護学校を障害児学校と変えなければならぬのじゃないかどうかと、こういう反問のしかたをされておりますけれども、これは私どもの法文を読んでいただけばおわかりのように、たとえば特殊教育諸学校というのを、私どもは障害児教育諸学校という範疇の中で、盲学校あり、ろう学校ありで養護学校というものを考えていくべきだというこの考え方が一貫をしておるわけですからね。それを何らか矮小化して、一つ一つのみんなの名前を変えなければいかぬのだというふうに、これは文部省当局が考えておるとするならば、それは誤りだという点を私は申し上げておきたい。ただ、なぜ、そうするかということは、何回も各委員の先生方の質問に対しても明確に申し上げているように、少なくとも、その子供は憲法二十六条によって教育を受けるところの権利をどういう子供でも持っている。しかも、教育基本法の三条の機会均等というならば、いわゆる心身に障害のある子供だから、それは特殊学級だ特殊教育だと。心身に障害がないから、それは普通教育なんだというこの分け方のものの根本に問題があると。したがって、やはりそれは障害児の全体を総称をするところの教育だとしたほうが、憲法二十六条の精神からいってもこれは妥当なんだと、こういうようなものの考え方でいま申し上げておるわけですから、それをその論法でいうと、いや盲学校もろう学校も変えるんですかとかどうだというのは、ちょっと私はためにするところの議論でしかないと、この点だけは明白に申し上げておきます。
  149. 白木義一郎

    白木義一郎君 いま、提案者にその点を実はお聞きしようと思っていたところが、先に御親切に御説明をいただきましたので、いまの説明について、文部当局はどのように、さらに、そのお考えを改め、前進的な考え方になっていかれるかどうか、ちょっとお尋ねします。
  150. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 現在の盲学校、ろう学校、養護学校については、これは変えるということではないんだというお話でございます。養護学校というふうなことばは、これは直接に、具体的に、そういう教育を受けられる方の障害を明らかにしているわけではございませんけれども、盲学校とか、ろう学校は直接にその教育を受けられる方々の障害をあらわしているわけでございまして、そういうふうな表示のしかたがいいのかどうか、これについてもやはり検討すべき問題ではないかというふうに考えているわけで、その点を申し上げたわけでございます。  それから、これはことばの問題でございますから、障害児というふうな、つまり欠陥のあるようなお子さん方というふうな表現のしかた、これもいいかどうか。たとえば特殊教育というのが、特殊という字がどうも耳ざわりだということでございました場合には、特別教育あるいは特別学級とかりに言いましたところでも、それでいいのかどうかという問題もあろうかと思います。こういう問題、特に語感という問題、これが日本民族としての感じ方としてどういうふうな用語が一番よろしいのか、こういう点につきましては、単に理論では割り切れない問題でございますから、そういう点を十分検討したいということを申し上げているわけでございます。
  151. 白木義一郎

    白木義一郎君 そうしますとまた繰り返しますが、この改正案には文部省は「障害児」という名前に変えるということには反対だと、こういうわけですか。
  152. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) こういうふうな行き方もあると思います。あると思いますが、もう少し総合的に検討さしていただきたいということを申し上げておるところでございます。
  153. 白木義一郎

    白木義一郎君 次に、義務教育の開始、養護学校の義務設置の問題について文部省にお伺いします。  先日、局長は、片岡委員質問答えて、昨年十一月二十日に制定した政令第三三九号によって昭和五十四年四月一日から養護学校における義務教育の開始、都道府県に対し養護学校設置の義務を課すことを説明されております。その際、片岡委員は、文部時報を引用して寒川前特殊教育課長の座談会での記録をもとに質問されましたが、その際、局長は、あれは課長の個人的見解であって、文部省としては、四十九年度から実施するという考えはなかったとお答えになっておりますけれども昭和四十四年の四月二日に、衆議院の文教委員会の速記録によりますと、当時の坂田文部大臣は、養護学校を四十八度までに各県に必置させる旨答弁しております。  さらに四十六年二月二十五日、本委員会において、わが党の内田委員質問に宮地初中局長は、四十八年度までに未設置県の解消をはかりたい旨を答弁しております。この大臣答弁と担当の特殊教育課長の座談会の発言とは全く符合しているわけです。  さらにその後、四十七年の五月三十日、第六十八通常国会参議院文教委員会において、宮之原委員質問に高見文部大臣は、十年計画を七年に詰めてやりたいと答弁しているわけでありますが、このことを考えてみますと、文部大臣答弁し、担当課長も大臣答弁の線に沿って努力をしたが、いろいろな事情があって五十四年度実施を延長しなければならなくなったのではないかと心配しているわけですが、率直なお答えを願いたいと思います。
  154. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 片岡先生に対する私のお答えが、初めちょっと片岡先生のお話を取り違えまして、少しあいまいな答弁をしたように思います。あとからそれを補うようなお答えをしたつもりでございますけれども、まだ十分じゃなかった点はおわびを申し上げます。  文部省といたしまして、四十九年度から各県に対しまして養護学校の設置義務を課するというふうな考え方があったことは事実でございます。しかし、養護学校は一県に一校あればそれで済むというものじゃございません。特に精神薄弱児の方が非常に多いわけでございますから、まあ各県で少なくとも、複数の養護学校が必要なわけでございます。盲学校やろう学校、これは一校各県でつくりますと、大体大きな県を除きましては、県内のそういうお子さん方を収容することができるわけでございます。したがいまして、設置義務を課すれば、就学義務も同時に充足できるというふうな関係にあるわけでございます。しかし、養護学校のほうは十校必要なところへ一校あるいは二校つくりましても、それで県がもう私のほうは設置義務がないんだ、もうすでに設置義務を果たしたんだというふうに言われますと、これは特殊教育の振興から申しまして非常に問題があるわけでございます。そこで、設置義務は義務教育と一緒に考えるべきじゃないかということで、高見文部大臣からお答え申し上げましたように、十年計画を七年計画に縮めまして、そうして五十四年度から義務制にするというふうに方針を改めたわけでございます。なお、当時の寒川課長は、設置義務を課すると同時に、学年進行で義務制を考えたらどうかというふうな考え方を持っていたことは確かでございますけれども、しかし、学年進行でやりますと非常に技術的にむずかしい問題がございます。たとえば、初年度に一校建てましてそこへ全部一年生が入ってしまうというような事態が生ずるわけでございます。そういたしますと、実際の義務教育の施行にも影響があるわけでございますから、設置義務とそれから義務教育、これをまあ一緒にやりたいということ、そういう方針に変えまして、五十四年度からこれを実施するということにしたわけでございます。
  155. 白木義一郎

    白木義一郎君 まあ、当局は、そのようないろいろな事情がおありでいま御答弁されたことと思いますけれども、今度は、それに該当する障害児やそれからその親の身になってみますと、四十九年度から大臣がそうすると言ったじゃないか、で、子供たちがぼくたちの権利もようやく認められたのだと、うちの子供も四十九年度から義務教育が受けられると、一日千秋の思いで親御さんたちも待っていた、もう大臣が何回も答弁をしている、間違いのないことだと思っていたところが、あと五年待て、延期になってしまった。当人たちの身になってみますと、何だか非常にやるせない思いをするのじゃないかと思います。特に、四十九年度に学校へ行けると、子供たちにとっては一生に一度の楽しみ、また入学式であったでしょうけれども、このささやかな喜びを悲しみに変えてしまったと、そういう行政といいますか、いま盛んに田中総理が知育よりも徳育なんて言っておりますけれども、その総理大臣の文部行政に対する考え方からいっても、こういうそれこそあわれな立場にいるような子供たち、その家族に対する、全く徳育どころじゃない、現実はですね、徳育に欠ける行政を平気でやっていいかどうか。もう四十九年に学校に行けるんだと、さあ勉強に行けるんだぞと言っている親子が、それを裏切られたというその悲しみが政治の中にあらわされてないとなると、何だか、総理大臣がずいぶんあっちこっちでこのごろ教育の問題を言っておりますけれども、こういう家族や子供たちの立場になってみますと、そういうことになるわけですね。その点、いまの御答弁は、まあいろいろな事情があって十年計画を七年に切り詰めているじゃないかと、それだけであっては、教育という問題は片づかないのじゃないかと、こう思うのですがね。まあ、あなたの立場であれば、行政的にこれは詰めて解決していけばいいのだというようなことになるでしょうけれども、それであってはならないと思うのですね。もう一度、被害者といいますかね、喜びを悲しみに変えられた障害児、家族の立場になってお考えをもう一度お聞かせ願いたいと思います。
  156. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま先生が御指摘になりましたように、期待されております障害児の方あるいは家族の方々に非常に不満を与えたということでございましたら、これはたいへん申しわけないことでございまして、この席をかりておわびをしたいと思います。しかし、坂田大臣がおっしゃっておることは、誤ったことを申し上げたわけではございませんで、義務教育には、都道府県の設置義務とそれから保護者の就学義務と二つあるわけでございまして、坂田大臣がおっしゃいましたのは、都道府県の設置義務につきまして申し上げたわけでございます。つまり、各都道府県がどこでも少なくとも、一校は養護学校をつくるという義務を四十九年度から施行したいんだと、そういう意味で申し上げたわけでございます。しかし、その一校だけで済めばよろしいんでございますけれども、それではとても済まない、大きな府県では二十校も、それ以上もつくらなければいけないというふうな事態の中で、設置義務を課すということは、これは保護者あるいはそういう障害児の方々にとりましてたいへん申しわけないことでございますけれども、設置義務とそれからいわゆる就学義務、これを一緒に施行する、その時期は五十四年度からということで、一応目標を与えまして、各都道府県がそれに間に合うように養護学校をつくっていただく。また、それに必要な財源的な措置を国のほうでする。そういたしますと、学校がふえるわけでございますから、障害児の方々もかなりの方々が、その計画の途中におきまして就学する機会がふえてくる。そういうふうな効果もねらって五年前から予告政令を出しておるわけでございます。そういう点もひとつお含みおきいただきたいと思います。
  157. 白木義一郎

    白木義一郎君 私から申し上げて、局長も子供たちの立場あるいは両親の立場になってみれば申しわけないというような御発言がありましたから、あれですけれども、私どもは、現在の文部行政にはたいへんあきたらないものを持っているわけで、できるだけ早急に三権分立から教育問題を、文部行政を切り離して、四権分立で子弟の教育をもっともっと充実しなければならない、そういう考え方を持っておりますけれども、それは、また日を改めることにします。  次に、寄宿舎の問題について、提案者にお尋ねをしたいと思います。  この改正案は、従来学校教育法施行規則第七十三条の三、第七十三条の四に定められていた寄宿舎及び舎監・寮母の問題を、障害児教育における寄宿舎教育の重要性にかんがみて、学校教育法規定して、これを重視しようとするものと考えてよろしいでしょうか、どうでしょうか。
  158. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そのとおりでございます。
  159. 白木義一郎

    白木義一郎君 私たちも、障害児教育においては、生活学習、生活指導を通じて障害を克服し、生きる力をほんとうに身につけさせる教育として寄宿舎教育を重視していかなければならないと思うものであります。  この改正案では、寮母の職務を「保育又は……教育に従事する」とあって、積極的に寄宿舎教育の方向性を打ち出したことはまことに同感であり、むしろ、文部省のこの方面における対策のおくれこそ指摘さるべきであろうと考えております。   〔委員長退席、理事斎藤十朗君着席〕  なるほど学校教育法改正の政府案を見ますと、若干この問題に触れておりますが、政府案については、その職務のあり方や身分確立に触れていないことなど多くの問題点もあり、この部分について、政府案に直ちに賛成するわけにはまいりません。これは後日、論議を尽くさなければならない問題ですから、触れないでおきますけれども、当改正案に賛成の立場から寄宿舎問題にしぼって二、三点お尋ねしておきます。  陳情に来られた寮母の代表からお聞きしたことでありますが、従来は寄宿舎というと、障害児を入舎させて、けがやまた事故もなく生活をさせればよいと、このように考えてきたけれども、そのような管理主義的な立場ではいけないのではないかという考えに立った。そして、寮母たちは、障害児の生活をもっと楽しいもの、豊かなものにしてあげなければならない。そして卒業していって、社会生活を営むときには、まごついたり、戸惑ったりしないように幅広い生活習慣を身につけ、またややもすると引っ込み思案になったり、独善的になったり、甘えたりしがちな障害児に、困難にぶつかってもくじけずに乗り越え、ねばり強く生き抜ける力を寄宿舎生活を通して育てていこうと、実践を彼女たちが始めた、こう言っております。この方面は、文部省の指導を待ってやったのではなくて、毎日その障害児とからだでぶつかり合っている寮母たちの自発的な研究と実践の積み上げで進められてきたものと言わなければなりません。  そこで、寄宿教育というのは、このような熱心な教育愛に燃えた寮母たちの自主的民主的な教育の積み上げによってつくり上げられなければならないということはだれ人も否定できない事実であると思います。ところが、このようなすばらしい教育を積み上げてきた寮母に対して、法律や行政はまことに冷たく冷遇をしてきたのではないかとしみじみ思うものであります。  で、第一、寮母という名称は、近代的な教育学の用語としてはふさわしくないように思います。で、本改正案は、何をさておいても、学校教育法上の位置づけをやろうという意味で提案されたものであろうと思うのでありますが、この改正案が通れば、文部当局として寮母の名称変更、身分の確立、待遇の改善、学働条件の改善等について引き続き早急に対策が出されなければならないと期待するものでありますが、提案者は、この辺をどのようにお考えになっているでしょうか。
  160. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 名称の問題は、とりあえず寄宿舎並びに寮母を必置をさせるというところに力点を置きまして、この法案を提出いたしたものですから、いま御指摘いただいたところの寮母ということばが適切であるかどうかというところまで実は検討をしなかったわけでございますので、とりあえずはやはり寄宿舎なり寮母を必置させるというところに力点を置きたいと、こういう考え方で出したわけです。  ただ、質問者が御指摘いただきましたように、実は教頭法案と称せられる例の法律の中にも、確かに文部省も寄宿舎寮母の必置案を出してきておるのです。その点については同じなんですが、ただ、私どもとしては、ものの考え方がやはり違うのです。これは名前は、これでいいかどうかという問題とも関連しますけれども、私は、少なくとも、障害児教育の中におけるところの寄宿舎における寮母のあり方というものはきわめて重要な役割りを持つ。言うならば、教育活動の一環として、この寮母の問題はやっぱり理解すべきじゃないだろうか。そういうことになりますと、政府案は「養育に従事する」という表現を使っている。これでは私は不十分じゃないだろうかと思うのです。もし、こういうふうに寮母というものの位置づけを「養育に従事する」ということになりますれば、障害児諸学校の施設、設備に従事をするところのたとえば技術職員とか、あるいは栄養士、あるいは看護婦、スクールバスの運転士、あるいは介助婦とどう違うかという問題と全く同列視されておるのじゃないだろうかという疑点さえわくのです。しかし少なくとも、やはり私は、二十四時間その恵まれないところの条件にあるところの子供たちが寄宿舎に入らなければならぬとするならば、それについて、教育の面でも母親がわりになってやるのだという点を考えるならば、やはり教育というところに力点を置いて、教育に従事をするのだという性格づけをまずきちんとこの寮母の問題についてやっていくということが大事じゃないだろうかと、こう考えまして、私どもの法案としては、そういたしたわけでございます。
  161. 白木義一郎

    白木義一郎君 私どもも、いまの提案者のお答えに大賛成をするものでありますけれども、この寮母のあり方について文部省のお考えを伺っておきたいと思います。
  162. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どもも、午前中御審議をいただきました学校教育法の一部改正の御提案の中で、同じような規定を設けることを述べているわけでございます。ただ違いますのは、この宮之原先生その他から御提案になっております学校教育法の一部改正の中では、「寄宿舎における幼児の保育又は児童若しくは生徒の教育に従事する。」というふうなことばを使っております。私どもは、「養育」ということばを使っておるわけでございます。その点だけが違うわけでございます。私どもは、寮母のお仕事はたいへん重要で、しかも、ただいま白木先生から御指摘ございましたように、いろいろくふう研究を積み重ねていただいているというふうなおことばがございましたが、私どもも、そういう点につきましてはたいへん高く評価しておるわけでございますけれども、しかし、学校教育法の中で申しております教育と申しますのは、これは一定のワクの中での用語でございまして、その教育に従事するためには、免許状がやっぱり必要であるというふうなことになっておるわけでございます。広い意味の教育に従事しておられるということ自体、そのことは別に否定をするわけではございませんけれども学校教育法上の教育に従事をするということになりますと、教員の職務等と重複いたすわけでございますし、免許法上のいろんな疑義も出てくるわけでございます。そこで、私どもは「養育」ということばを使っておるわけでございますが、これも広い意味の教育、養い、育てる、はぐくむというふうなことでございますから、広い意味の教育であることは間違いないと考えております。なお、寮母につきましては、後ほど参議院のほうで御審議を願う予定でございます教職員定数の標準に関する法律の一部改正でも、その増員をはかる、つまり、労働条件の改善をはかるというふうなことがございます。また、現在でも教育公務員特例法の規定を準用する職員に入っております。また給与上も、高等学校の助教諭の給与表が適用になると、その上に特殊教育の調整額が加わるというふうに、かなり私どもは、寮母というもののお仕事を高く評価をしているつもりでございます。この上とも、こういう方々の待遇改善、それから定数の充実等につきましては、努力をしてまいりたいというふうに考えている次第でございます。
  163. 白木義一郎

    白木義一郎君 提案者のおっしゃるのと文部省のいまのお考えとの開きですが、一般的に寄宿舎の寮母ということになると、そういうことになると思うんですが、やはりこうやって非常にハンディを背負った子供たちの生活については、もっともっとできる限りの配慮をするということになりますと、いわゆる一般的な寮母の性格をさらに乗り越えたものを子供たちは必要とし、また、与えられるんじゃないかと、こういうように思います。で、寮母は教育公務員特例法を見ますと、その施行令で準教員となっておりますが、また、賃金面を見ますと、教育職俸給表第二表第三等級となっております。で、最近短大卒等の学歴を持つ寮母がふえてきておりますが、三等級の頭打ちになりますと、同じ学歴の者が教員として採用されますと、二等級に格づけされ、一生の賃金を計算すれば相当な格差になると思います。これらの抜本的な改善について早急に対策を樹立しないと、児童福祉施設における保母の不足と同一現象が寄宿舎に発生しないという保証はないと思います。文部省は、抜本的改善について積極的な意見をお持ちかどうかお伺いをしたいと思います。いま、提案者のほうからのお考えをもとにしてお尋ねをしているわけです。
  164. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま先生からお話しになりましたように、短大出の方も寮母として就職していただいているという、たいへん私はありがたいことであるというふうに考えているわけでございます。しかしながら、資格の面で私どもは寮母の資格を規定をするというふうなことは考えないほうがよろしいんじゃないか、むしろ、こういう障害児の方々の養育に熱意を持ってやっていただける方、そういう方々に広くこういうお仕事をしていただくということが望ましいんじゃないか、また、それが先ほど鈴木先生からもお話がございました看護婦不足だとか、そういうような問題をある程度乗り越えていくようなことになるんじゃないかということを考えているわけでございます。しかし、それとそれから待遇の問題とは、これは別個に考えるべきことではないかという点でございまして、これはいま御指摘ございましたように、待遇の面それから身分保障の面、そういう点につきましては、私はできるならば教員と同じように、あるいは場合によりましてはそれ以上に厚遇するというふうな手段を考えてもよろしいんじゃないか。いずれにしましても、たいへんお世話を願っているわけでありますから、広く熱意のある方々にお仕事をしていただき、そういう方々の待遇は厚く保証するという方針でまいったらいかがかというふうに考えております。
  165. 白木義一郎

    白木義一郎君 次に、定数法改正について提案者に若干お伺いをいたします。  現行定数法によりますと、障害児教育諸学校においては、小学校、中学校は義務教育諸学校の定数法、高等部は高校の定数法と、二分して法適用を受けており、幼稚部については、定数法が定められていないのでありますが、改正案はこれらを統合して一本の法律にし、さらに、学級編制及び教員定数の基準を改正しようとしたものと考えてよろしいでしょうかどうかお伺いします。
  166. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 そのとおりでございます。若干ふえんをいたしますと、文部省は、先ほどの質疑の中で、五十四年を目標に義務制化をやってやるんだと。それに至るまでは一体どうしてくれるのかという面では、先ほどの説明である限りは、養護学校一つのところは二つ、二つのところは三つにどんどんどんどんふやしていくのだという説明がありましたけれども、同時に、この教育の条件整備の面をやっぱり積極的にやらなければだめだと思う。そういうような面から考えてみますれば、この障害児教育関係諸学校学級編制、並びに教職員の定数を拡充をしていくということは、これはきわめて重要な課題じゃないだろうかと、こういうように考えまして、いま白木先生の質問にもありましたように、小学部、中学部は義務教育学校法律のところに適用される、高等学校は違う、幼稚部はないということでは、いわゆる障害児教育の一貫したところのものができない、そのためには、やっぱり相互に緊密な連携のもとに、一貫したところの定数なりあるいは教職員の定員配置あるいは学級編制という方針を明示することが、私は幼稚部から一貫したところの障害児教育をより充実するために適切じゃないだろうか、このように考えまして、実は、この法案を提起をいたしたところの次第であります。
  167. 白木義一郎

    白木義一郎君 改正案によりますと、学級編制基準をあまり小さくすることなく教職員定数の基準に改善の重点を置いているように思われますが、それは一対一の教育をというよりも、多様な学習形態に幾人かの教員が幾人かの子供たちにという、いわゆるチームティーチングの形を重視しようとするものなのでしょうかどうでしょうか、その点をお伺いいたします。
  168. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 御指摘のように、私どもとしては、いわゆる障害児教育の実際の面を考慮いたしますと、普通教育の場合と違って、やはりその子供の置かれているところの身体的なあるいは精神的なやっぱり状態ということを考えていくならば、いま御指摘のあったような面で、定数のほうをより充実をして子供さんの可能性を育てていくということにこの重点を置いたほうが適切じゃないだろうかと、このように考えまして提案をした次第です。
  169. 白木義一郎

    白木義一郎君 御説明を伺いますと、ますます私たちは、提案者の趣旨に全く賛成をせねばならないように思います。で、子供たちは子供の中で、集団の中で育つというのが子供の生活そのものであろうと思いますが、子供たちの集団に手厚い教育をしようとすると、当然教員も一人ではどうしようもなくなります。特に、障害の重度の子供の教育ではもちろんのこと、障害児教育については、一学級に複数の教員が必要だということは実践的に実証されているように考えております。この点、文部省としてはどのようにお考えになるか、画一的に考えられているのかどうかお伺いしたいと思います。
  170. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どものほうは、まだ学級を基礎にいたしまして、それに対して必要な教員数を算出をするというふうな方法をとっております。その方法は小学校、中学校、高等学校等、まあ大体同じなわけでございます。この御提案によりますと、まあ複数の先生を学級に配置をするということになっておるわけでございますが、まだそういう考え方はとっておりません。一つは、こういうふうな考え方をとるにいたしましては教職員がふえ過ぎる。ふえ過ぎということは、そういうふうなつまり適格者が得られるかどうかという問題になるわけでございます。それがまあ一点でございますが、それからまあ現在の特殊教育につきましては、先ほど申し上げましたように養護学校の義務制というふうな問題、あるいは幼稚部の設置あるいは高等部の充実というふうな幾多の問題をかかえているわけでございます。まあ、いわば学校教育の最後の部分でございまして、非常にむずかしい点もございますけれども、いまのところは、私どもそういうふうな対象になる方々をできる限り早く学校に全員収容していくというふうなことを目安に進んでいるわけでございます。そういう意味から申しますと、まあ、普及のほうが内容の充実よりも先だと申しますと、ちょっと語弊がございますけれども、どちらにウエートを置くかと申しますと、やはり普及のほうにウエートを置いて、そういうふうな障害のある方々をできるだけ早い機会にすべて対象にしていくというふうな方針のもとに進んでいるわけでございます。そういう意味では、教職員の充実等につきましても、まだただいま先生が御指摘になりましたような、学級に二人の先生を配置するというふうなところまでまいらないわけでございまして、それが今後の課題としまして、残された問題ということになるわけでございます。
  171. 白木義一郎

    白木義一郎君 いまのお答えも、また、先ほどからの御答弁も、最初は伺っておりますと提案者の障害児並びに家族の立場に立った改正案に、局長は人間的な立場ですこぶる賛成のような答えをなすっておりますけれども、途中からいまのような設備が先かどうかなんていうふうにくずれていってしまうので、まことに残念なんですが、でき得れば、この改正案を全面的に文部省は採用をして、資格者が、適格者がなくてもそれを充足する努力の方向へ考えを進めるべきじゃないか、そういうように思います。自衛隊なんかは、応募者がなくてもどんどんワクを広げて予算を取って、一生懸命ねじりはち巻きでだましてまで隊員にしようなんという、自衛隊は非常に積極的ですが、その点は、局長は非常に途中から消極的になり、最初はもうほんとうに、提案者の説明を聞かれて、口にこそ出しませんけれども、ほんとうにそのとおりだと思いながらも、後半は全然至って官僚的になってしまう。まことに残念に思うんですが、やはり人間的な立場に立ってやっていかないと、なかなか恵まれない人たちは救われないと、こう思うわけであります。  最後に、公立障害児教育学校に係る経費の国庫負担に関する法律案について若干をお尋ねしておきます。  まず、提案者にお尋ねしますが、本法律案の骨子は、第一に、従来義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法によって教職員の給与費等につき二分の一の国庫負担を三分の二に改善しようとするものであること、第二は、栄養士、運転手などいわゆる現業職員の定数の標準を定めようとするものであること、第三は、教材費の国庫負担を三分の二に改めるものであることとなっていると思うのですが、それでよろしいでしょうか。なお、これらの問題点を積極的に取り上げた理由について、御説明をいただきたいと思います。
  172. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 質問者が指摘をされましたように、そのポイントは全くそのとおりでございます。御承知のように、その立法の趣旨というのは、若干指摘がありましたように、この公立の盲・ろう学校の小学部、中学部にかかわる教職員の給与費及び教材費は、義務教育費国庫負担法に現行はよっております。それから養護学校ののは、公立養護学校整備特別措置法によっている。そして、それぞれ二分の一という状態でございますけれども、先ほど来から質問者も指摘をされておったように、あるいはまた、障害児教育の実態からこう考えてまいりますと、普通のやはり小中学校の教育と違って、非常に障害児教育の場合は多様なんです。しかもかつ、先ほどこの教育の実態から見て、教職員もうんとふやさなければ十二分にやはりこの障害児教育の実があがらないというような問題等々をこう考えてみますれば、片一方では、法律のところでは、普通教育と違った特殊教育だとこう言いながら、いわゆるこの定数のところは小中学校の普通教育並みだということは、これは矛盾したところの話なんです。したがって、ほんとうにやはりこの教育の重要性ということを考えれば、いま申し上げたような実態に即して、国庫負担率を三分の二にやっぱり引き上げていくということは   〔理事斎藤十朗君退席、理事内藤誉三郎君着席〕 緊急を要する課題だと、このように考えまして、この法律案を提示をいたしたような次第でございます。
  173. 白木義一郎

    白木義一郎君 子供を持つ親の立場から、たとえば四人子供がいて、三人は普通の子供だと、一人だけいろいろできが悪いという家族で、普通の親は、まず、どの子もかわいいけれども、特にできの悪い子が一番いとおしいと、そこに強い愛情を他の三人の子供よりも注ぐのは、これは人情であり、人間性のしからしむるところだと思います。そういうことからいえば、二分の一の国庫負担を三分の二にという改正よりも、国をあげて至らぬ子供たちのめんどうは積極的に見ると、全額国庫負担にすべきだと、このように私は思っております。  で、まず養護学校の設立がおくれてる問題に、各都道府県における障害児教育に対する理解度の問題が大きな問題であろうと思いますが、何といっても、財政問題は重要なかかわりを持っておりますので、三分の二と控え目に提案されたと思うんですが、前進的な問題として賛成であります。  で、文部省としては先刻、養護学校設置、義務教育開始の問題でいろいろ問題点があると認めていらっしゃるわけですが、その最大の問題として、地方財政問題特に最近は学校用地の獲得、建築資材の暴騰、養護学校用地の獲得、設立に非常に障害になっている問題が起きております。いわゆる総需要抑制のあおり、あるいは公共投資の抑制のあおりで、そういう方向に行き悩んでいる現実であります。当然、物価を鎮静させ安定させる方策の一つとして総需要の抑制はこれはやむを得ませんけれども、現況の抑制は弱いほうへ弱いほうへとその波が押し寄せているが、したがいまして、同じ公共投資にしましても、こういったような小学校、中学校、あるいは下水道等の民間にぜひ必要な設備については、政府は積極的に財政措置をとらなければならない。その中でも、特にこういったような養護学校等の推進について——おそらく、その問題を理由に答弁をなさると思うんですけれども、さらに、積極的に推進するお考えを当局が持っているかどうかお尋ねして、私の質問を終わります。
  174. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、政府の方針といたしまして、五十四年度から義務教育を実施するということにいたしたわけでございますから、それに必要な二百校近くの養護学校というのはこれはぜひ現実に設置をしなければいけないというふうなことになっているわけでございます。また、都道府県は、そういう義務を負ったわけでございます。したがいまして、都道府県がそういうふうなことを実施いたします際に、支障になりますようなことがございました場合には、私どもも、積極的にそれにお手助けをするということは、これまた当然なことであろうと考えております。そういう意味で、ただいま先生からの御指摘のございました幾多の困難、そういうものを乗り越えて五十四年度からの義務制に支障のないようにいたしたいというふうに考えるわけでございます。
  175. 加藤進

    加藤進君 私は、ただいま提案されています障害児の教育をよりよくするための三法案に賛成する立場で若干の質問をしたいと思います。  養護学校を義務制にしてほしいというのは長年にわたる、障害児は言うまでもなく、その家族、いや全国民の切実な要望だったと思います。五十四年に義務化する、こういうのが文部省の方針として出されましたけれども、まだ五年も待たせるのか、というのが切実な障害児及び家族の声だと思います。  そこで、この義務制の実現を一日も早く行なうよう期待しながら質問をしたいと思いますけれども、この養護学校の義務制というのは、学齢に達した児童生徒を、その障害の種類のいかんにかかわらず、また、その重症であるかどうかという程度いかんにかかわらず、漏れなく教育を引き受ける、実施する、こういう趣旨であると、私は理解するものでございますけれども、その点、文部省はどのようにお考えでしょうか。
  176. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そういうふうな心がまえで進めてまいりたいということを、先般も小林先生に申し上げたわけでございますけれども、まあしかし例外的に、治療を優先するほうが御本人の将来のためによろしいというふうな方もおられましょうし、それから実際問題としてまだ医学的それから教育学的に見まして教育のしようがないという方もおられると思います。そういう方々をどういうふうに扱うか、これは義務制の施行までに十分検討しなければなりませんけれども、場合によっては、教育を行なうほうの側の限界ということも考えなければならないんじゃないかということを申し上げてるわけでございます。
  177. 加藤進

    加藤進君 そうしますと、義務制にはすると文部省は言われますけれども、実は内容としては例外がある、こういうことですね。たとえば、こういう例はどうでしょうか。寝たきりの重症の障害児がいらっしゃる、家族が付き添わなければとうてい生きることもできない、日々の生活にも困っている、こういう子供でありながら子供も親もぜひ学校で一緒に勉強さしてほしい、こういうことを強く願っておるような子供や家族に対しては、この義務制はどのように適用されるのか。
  178. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいまの先生のお話ですが、まあ程度とかその他、もう少し専門家の判断を仰がなければならないというふうな具体的な問題であろうと思いますけれども、たとえば、先ほど鈴木先生から御質問ございました筋ジストロフィーの子供たち、こういう人たちは医療施設に収容して、そこに養護学校の分校をつくって、そこで教育をするというふうな行き方をしているわけでございます。そういう形態もあろうと思います。それからお宅で療養をすると、家族もそれから本人もそのほうがよろしいというふうな方々につきましては、訪問指導というふうな方向で考えてみたい。ただ、そこまで至らないような、ほんとうに教育上対策のしようがないというふうな方々につきましては、これはまあ治療を優先にしていただくということもあり得ることでございます。しかし、あらゆる可能な方法を考えまして教育を施すことができるように私どもも努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  179. 加藤進

    加藤進君 その障害の程度あるいは環境の状況によっていろいろな方法を創意をこらして実施しなくてはならぬ、これは、私は今後の重要な課題だと思います。とりわけ医療に専心しなくてはならぬ、こういう障害の方たちにとって、いまお話を聞きますと、病院にこういう人たちは行ってもらう、教育というよりも医療のほうに優先、こういうような意見と受け取られますけれども、このような医療を要するような子供たちに対しても、学齢児に対して何らかの意味で義務教育を行なう、こういう決意は文部省としてはしっかりお持ちになっておるかどうか。そのような児童については例外というようなことで、判定の結果、そういう方たちの教育をいわば実質的には免除するということを今後とも考えておられるかどうか、その点の所信をお聞きしたい。
  180. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 教育の免除ということは、これは法律のたてまえとしては、そういう制度がやはり残っていくだろうというふうに考えるわけでございます。しかしながら、実際上教育をしたほうがよろしいというお子さん方につきましては、私はできるだけの教育を施すというふうな方向でいくのがよろしいのじゃないかと思うわけでございます。ただ、長い一生のことでございますから、これは三年や五年おくれても健康が回復する見込みがある、あるいは非常に障害の程度が重くて三年、五年たたないとある程度普通の人と同じようにやっていけないというふうな方々につきましては、そういうふうな医学上の配慮をするということは、これはむしろ当然のことじゃないかというふうに考えるわけでございます。たとえば、重症心身障害児、強度の精神薄弱児の方でも、ある程度の年齢までまいりますと急にその能力が高まるというふうな例もあるようでございます。まあそういう方々につきましては、むしろ、就学の始期を多少おくらせましても十八歳、まあ義務教育につきまして十五歳以上までお引き受けするという場合だってこれはあり得るのじゃないか。いろいろこういう障害を持っておられる方につきましては、個々の障害の程度あるいは個人の能力の開発の状況、そういうものにかんがみまして、具体的な方策を立てるというのが、これは現実的ではないかというように考えているわけでございます。
  181. 加藤進

    加藤進君 いろいろこの点ではもっとこまかく質問をしたいわけでございますけれども、念のために重ねてお聞きしますのは、障害のいろいろな条件や状態、そのために施すべき教育もきわめて困難なことは言うまでもないと思います。にもかかわらず、学齢期に達した子供たちの障害児にとっては、すべて文部省は、政府は責任をもって教育を行なう、こういう確固とした方針と立場をもってこれから障害児の教育の義務化に当たられるのかどうか、その点だけ一言はっきりお聞きしたいと思います。
  182. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そういう姿勢で対処したいというふうに考えております。ただ、現実問題としましては、先ほど来申し上げておりますように、個人個人のいろいろな事情、そういうものを考えながら、適切な方法をとるということはこれまた当然のことであろうというふうに思っております。
  183. 加藤進

    加藤進君 現実問題としては、やっぱりあるいは専門家の意見を聞くとか等々の措置をもってやはり教育の猶予や免除も今後もあり得ると、こういうことですね。
  184. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 保護者に対する義務を猶予しあるいは免除すると、そういう手続は、これは義務教育のたてまえから申しますと必要であろうというふうに考えております。
  185. 加藤進

    加藤進君 そのことは、お聞きしておくだけにしますけれども、重要な問題だと思います。  厚生省にお尋ねいたしますが、去る四月四日の厚生省通達によりまして、精薄児の通園施設への入所の条件として、従来は学齢児童について就学義務の猶予、免除を受けた者に限ると、こういうことがございましたね。この規定を今回通達によってはずされました。つまり就学義務の猶予、免除という手続を必要としないで、ここに社会福祉と教育とを統一して実施するということに私は踏み切られたと思いますが、その点で私はきわめて前進だと、こう考えております。ところが、精薄児について今回とられた措置は措置として私たちは評価しますけれども、同時に、重症の心身障害者について早急に同じような措置がとらるべきだと思いますけれども、その点の厚生省の見解はいかがでしょうか。
  186. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 重症心身障害児につきましては、特に就学の猶予あるいは免除というような要件を特に課しているわけではございません。ただ、実質的に精薄の重度の方よりもさらに受けにくい、教育の対象となかなかなりにくいという実態がございますが、特に通達等で就学猶予、免除を条件にしておるというようなことはございません。
  187. 加藤進

    加藤進君 そうすると、重症心身障害者については、従来も猶予、免除の措置はとらなかった、こういうことでございますか。
  188. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) 実質的には、就学の猶予あるいは免除を受けておられる方が多いかと思いますが、形式的に、それを要件にするというようなことはやっておりません。その考え方の背景には、実際問題としては、就学の猶予、従来の考え方でございますが、猶予あるいは免除を受けている方しか入らないであろうというような考え方がございまして、したがって、精薄施設のように特別にそういうことを明らかにする必要はないという考え方でやっているわけでございます。
  189. 加藤進

    加藤進君 そうしますと、精薄児については特別通達を出して、その就学の猶予、免除等々の措置はなくしても通園できる、入園できる、こういう措置をとられたけれども、重症の心身障害児の方についてはそういう猶予、免除の手続等々を従来も考慮しておらなかったわけであるから、特にこれを撤廃せよというようなことを措置としてしなくてもいい、こういうことですね。
  190. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) そういうことでございます。
  191. 加藤進

    加藤進君 ぜひ、そのような方向でひとつ差別的な教育の猶予、免除ということを早急に実際上取りはずしていただきたい、努力していただきたいということを要望しておきます。  また、社会福祉施設でございますけれども、それに教育を加えて実施していくという厚生省の前向きの態度については、私たちも敬意を表したいと考えております。  そこで、言うまでもなく憲法の第二十六条、教育基本法の第三条によれば、就学ということは、その子供に障害があるとなしとにかかわらず、すべてに保障される平等の権利であるということが明記されておると思います。また、学校教育法の第二十三条及び同施行規則の第四十二条には、保護者について就学義務を猶予、免除するということができるとは書いてありますけれども、これも子供自身の就学の猶予、免除をいっておるわけではないということは、文部省も認められると思います。だから、たとえ保護者がその子供の就学義務の猶予や免除を願い出たとしても、そのことによってその子供の教育を受ける権利が奪われることはないのであって、同時に、国や自治体などの学校を設置する義務を免除されるものではない、こういうふうに、私は理解するものでございますが、その点いかがでしょうか。
  192. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは、ただいまおっしゃったとおりだろうと思います。実際上憲法で就学義務、保護者がその子女を就学させる義務があるわけでございます。それをどういう場合に猶予、あるいは免除できるかというふうな手続、これはまあ憲法上の義務を課した——からには、そういうふうなものが当然必要になると思います。それを規定しているわけで、子供が教育を受けるという権利を侵すというふうなものではないわけでございます。
  193. 加藤進

    加藤進君 ですから今日、現に行なわれておる就学の猶予、免除ということは、その障害児の父母の願い出と申しますか、届け出による、願い出によるこういうことですね。
  194. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そのとおりでございまして、就学の義務が保護者に課せられておる。その義務を履行するような状態にない、そういう場合には、当然憲法の規定のもとにある国民といたしましては、そういうふうな手続をしていただけるものと、こういうふうなことを考えまして、そういう考えのもとにこういう規定があるわけでございます。
  195. 加藤進

    加藤進君 ですから就学の猶予、免除という措置は、保護者の願い出による以外にはとれない措置であるということが明確になったと思いますが、そこで、私はお尋ねしたいのは、一九六二年十月十八日に出されました文部省初中局長名での通達ですね。「学校教育法および同法施行令の一部改正に伴う教育上特別な取扱いを要する児童、生徒の教育的措置について」、こういうのでございますね。その中にこういう文言があります。「白痴、重症痴愚、重症の脳性小児及び現在進行中の精神疾患その他これらと同程度の高度の障害を有するか、または二つ以上の障害を有し総合するとその程度が高度になっているものなど」、この次でございます。「など盲学校、聾学校または養護学校における教育にたえることのできないと認められる者については、その障害の性質および程度に応じて就学の猶予または免除を考慮すること」、こういうのがございますね。これは教育を与えることのできないと認められる者について、就学猶予または免除を考慮することということが通達されています。憲法、教育基本法によりますと、すべての子供にその能力に応じた教育を保障しておりますし、学校教育法でもどんな重障者であろうと教育できないという規定一つもありません。実際には、どんな重障者にも教育は必要でありますし、また、教育は可能だというのが現在の認識であります。そのために、教育に耐えることができない、教育に耐えることができないと認定さえすれば、就学を免除して教育しなくてもいいと、こういうことになるんでしょうか。このような措置は、父母から、保護者からの申し出、願い出は何もないんです。教育委員会が、そう認定すれば、これによって就学を免除して教育をしなくてもいいということになる通達ですね、これは。どういうことでしょう。先ほど言われたことについては保護者が届け出、願い出をした場合に初めて就学の猶予、免除が行なえるというふうに言われました。ところがこれによりますと、教育委員会がそう認定すれば就学の猶予、免除をすることができる、せよとこういう行政指導じゃありませんか。このようなことの言える、また、このような通達の出せるような法的根拠というのは一体どの法にあるんでしょうか。
  196. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは、先生のお考え方がちょっと間違っているんじゃないかと思いますが、これは、父兄は理由がなくて自分が保護している子女に教育を受けさせないというふうなことはできないわけです。どういう場合に教育を受けさせなくてもいいかといえば、こういう場合にはやむを得ないから教育を受けさせなくてよろしい、そういうふうに解すべきであって、ここに書いてございますような方々につきまして教育の可能性があり、それだけの受け入れ態勢があれば、それは当然教育を施すということに努力をするということは、これは当然のことでございます。ただ、現実問題として、まだ医学的、教育的にも未開拓の分野でございますので、現実問題としてお預かりできない、お預かりして教育する自信がないというふうな方もそれはあると思います。そういうふうな方々につきましては、これは現実的なやっぱり処理をせざるを得ない。やはり能力の限界というものはあるわけでございますから、そういう場合には、私どものほうでも引き受けをするということができないという場合もそれはあろうかと思います。しかし、先ほど申し上げましたように、訪問指導その他の方法をできるだけ開拓いたしまして、そういう方々にも教育を受けるという機会を与える、それを拡大していくということ、これは行政の責任としては、当然であろうと思います。
  197. 加藤進

    加藤進君 私の聞いているのは、行政の立場からいうとそうせざるを得ないというようなことではなしに、こういう措置が、文部省として下部の教育委員会通達できる、行政指導ができるという、その行政指導上の法的根拠は、一体どの法に基づくかということを聞いているんです。
  198. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) それは、どういう場合に、憲法では保護者の義務を課しておる。義務を課しておるわけですから、それに対する猶予とか、免除とか、そういうふうな規定は当然必要になってくる。どういう場合に、猶予や免除ができるのか。保護者の都合によりまして、当然子供が教育を受けられる状態にあるにもかかわらず、その保護者の義務を履行しないというふうなことは、これは憲法上も、それから法律上も禁じられておるわけでございます。どういう場合に、それでは、猶予とか、免除を認めてよろしいかという基準というのは、これはそのときどきの状況によりまして、国のほうで、一定の基準をつくる、それを指導するということは、これは当然のことであると。だれが見ても、こういう方々について猶予とか免除とかをするということはやむを得ないというふうな判断、これを行政当局がやるということは、これは少しも差しつかえないことでございます。
  199. 加藤進

    加藤進君 そういうことで、父母、保護者がそういう願い出をするというよりも前に、教育委員会がこのような子供は教育し得ないと、教育に耐えないと、こう認定して、これを教育義務からはずすと、こういうことが、今日までとられてきた、私は重大な差別であり措置であると思います。この点を今回いよいよ五十四年度、おそ過ぎはしますけれども、義務化に踏み切られるという段階でございますから、こういう通達が今後とも生きて、その措置が今後とも続くというようなことになりますと、これは一体五十四年度にほんとうに義務化を実施する気があるのかどうか、このような行政態度を疑わざるを得ないわけでございまして、私は、この機会に、文部省の担当者にお願いしたいのは、このようないわば障害児を差別するような通達、届け出というようなことをもはずした、この差別を行なうような通達を一日も早く取りやめていただきたい、こういうふうに考えますが、その用意はあるでしょうか。
  200. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいまのところは、養護学校の義務制が敷かれてないわけでございますから、そういう意味で、保護者の就学義務を免除する、あるいは猶予するという範囲が広がったであろうということは当然考えられることであります。これが養護学校が整備をされてまいりまして、いよいよ義務制になるということでございましたら、その範囲もまたおのずから縮まってくるというふうなことであろうと思います。ただ、具体的に、どの程度のお子さんまで養護学校で実際に教育ができるのか、それがまた本人のためになるのかという問題、これは別途に真剣になって検討しなければならない。いま、そういうお子さん方をお預かりするような機関は、養護学校のほかに児童施設とか、福祉施設等もあるわけでございますから、どちらのほうでお預りしたほうがお子さまのためによろしいのかというふうな点、これは、個々具体的にまた真剣に検討しなければならない問題であろうかと、あくまでもお子さんを中心にそういうものを考えるという態度で臨んでまいりたいというふうに思います。
  201. 加藤進

    加藤進君 これは、もうすでに国会におきましても再三問題になった点ですね。これはわが党だけから言いましても、小笠原貞子委員が、文部省や厚生省の通達の中に不当な差別的な条項がある、これを撤回してほしいという要求を再三行なっております。そういえば、当時高見文部大臣は、これに対してこう答えています。通達は破棄せず、扱いとしては猶予はいたしましても、免除という扱いは特別の申請のない限り扱いません、このような姿勢で臨みたいと考えますというふうに、いまの初中局長の御答弁よりも前向きの答弁をすでにしておられるわけであります。  それから斎藤昇厚生大臣は、「厚生省のほうの通達につきましては、文部当局とも打ち合わせをいたしまして、私の考え、個人の考えといたしましては、撤回をいたしたい、かように考えております。」これも厚生大臣答弁であります。こういういわば通達の撤回を要望して国会論議して、そして、大臣もまたこれを固執するということはできにくいということはもうすでに明らかになっておるわけでございます。しかも、五十四年度に義務制にするという段階から言うなら、子供の立場考えてみて、ある子供たちは義務教育に耐えないだろうからといってこれを切り捨てるのではなしに、このような子供についてさえどのような配慮を行なっていくなら教育の上で十分にこれを守っていくことができるか、そのために、具体的にはどう措置をとるべきかという方向に、私は、文部省の行政あるいは厚生省の行政が進んでいかなくてはならぬ、こういうふうに考えておりますし、その立場からいって、もちろん外国にはさまざまな例はありますけれども、イギリスなどはすでに一九七二年就学免除の制度を全廃して、障害児を三歳から義務教育に入れておるというのが一つの国際的な趨勢をあらわしておると思うんです。そういう意味では、従来の考え方考え方として、これに固執しておれば五十四年度義務制の実施ということは現実的には不可能だ、こういうふうにわれわれは見ざるを得ないわけでございまして、一つ一つこの障害になるような通達等々はずして、そして前に明るい展望を切り開いていく、希望を持たしていく。   〔理事内藤誉三郎君退席、委員長着席〕 こういうことが私行政当局者の責任ある態度ではないか。しかも、法的根拠等々を追求していくなら、その法的な根拠というような法律は存在しない、こういう問題でございますから、私は、その点について重ねて文部当局の積極的な前向きの、やはりこの点についての御検討をいただきたいということをお願いしておきますけれども、その点は、厚生省もひとつお答え願いたいと思いますが、その厚生省、文部省文部省のお答えを願ったあとで、提案者にも、その点の御見解をひとつお聞きしたいと思います。
  202. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 障害児の教育というのはたいへんむずかしい、それからまた、配慮を要する教育でございますから、これは一面的にだけ考えるというのはどうかというふうな考え方もするわけでございます。そういう意味では、先生のお話、確かにまあ保護者の立場から申しますと、そういうふうなこともあるわけでございましょうけれども、また一方では、保護者の親権という点も考えなければいけない。つまり中には、たとえば知恵おくれのお子さん、そういう方には親御さんのほうから一年おくらせて学校へ入れたいのだというふうな御希望もあるわけでございます。そういう場合に、猶予をしてほしいというふうな御希望もあるわけでございます。そういう希望も、お子さんのためにはそうしてやったほうがよろしいというその親御さんの願い、それからわれわれもまた、そういうふうに判断する場合があると思います。そういう方々に猶予という制度が生かされるという方法もまた講じなければいけない。親の親権というもの、教育の権利と申しますか、教育を行なう権利、そういうものも認めなければならない。それから他方では、親御さんが自分の責任を放棄されるような事態が最近起こっております。子供をロッカーの中に入れてしまうとかいうふうな事件も起こるわけでございまして、単に親御さんがめんどうだから子供を預けたいというふうなことでもしあったとすれば、これはやはり問題があるわけでございまして、お子さんの立場を行政当局としても考える。そういうふうなことで、あくまでもお子さんを中心にもめごとを考えるという立場で、私どもはこの問題に臨みたいというふうに考えるわけでございます。
  203. 北郷勲夫

    説明員(北郷勲夫君) いまの初中局長からもお答えした考え方と私どもも同様でございますが、障害のあるお子さんを中心としまして医療、福祉、教育、こういった三つの側面からそれぞれのお子さんに合ったやり方で最も適したやり方がとられるということが私どもの目標でございまして、先ほどの御指摘のございました通達の廃止につきましても通達の改正につきましても、文部省の御当局とも御相談しまして、その積極的な御賛同を得て、文部省のほうの障害児に対する施設に入っておりますお子さんの教育についても御協力を得ると、こういうお話、御了解のもとに、私ども通達を改正いたしておるわけでございます。いずれにしましても、目標は子供にとって何が一番必要かと、福祉、教育、医療、こういった三つの側面かち、それぞれそのときどきに障害児に必要なことが行なわれるようにと、こういう考え方を目標にして進めていくと、これが私どもの基本的な考え方でございます。
  204. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 先ほど来、加藤さんから義務制化された場合の障害を持っているところの子供の教育の保障の問題について具体的に御指摘があったのでありますが、私は、基本的には全く加藤さんと同じ立場に立っております。少なくとも、憲法二十六条あるいは教育基本法の三条、受けるところの子供の権利という立場、教育を受ける、そうすれば、当然これは例外があってはならないと思う。いわゆる就学をするところの形態の相違はあっても、例外があってはならないと、こういう考え方を貫かなければならぬと思うのです。したがって、今日問題となっておりますところの就学猶予あるいは就学免除の問題にしても、これはもう原則的には、私はおかしいと思う。もし、こういうところの事情があるとするならば、その事情を早急にやっぱり排除をして、条件を早急にそろえていくということは私は行政当局、ことに教育行政を預かるものとしてはなさなければならないところの面じゃないだろうかと思う。そういうところの角度から今日の障害児教育を見れば、なるほど法律上就学猶予の問題というのが父兄につけられておりますけれども、これは実際はどうかというと、ほんとうは親御さんはやりたいのです。やりたくてもやれないような条件があるというところに、私はまず問題があるというところをお互いがやっぱり見抜かなきゃならぬ。それをその親御さんがいやそれは免除させてもらいたいと、あるいは猶予させてもらいたいという願いがあるから、それを聞かなきゃならないというのは、私は逆じゃないかと思う。その証拠には、文部省のこの統計表の四十八年度を見ましても、養護学校の様子見てごらんなさいよ、多いところは十六校も十八校もあるところの県があるけれども、一県一校しかないところの県が五つもあるんですよ。非常なアンバラなんだ。それならば、その一校しかないところの県の財政規模状況は、ほんとうにほかのところと比べて違うかというと違わない。たとえばこの中で大分の規模とあるいは三重などと対比をいたしますと、大分は養護学校が十四あるんです、十四。ところがまあ三重は、例をあげて悪いんですけれども、一校しかないんです。これはやはり地方教育を預かるところの行政の姿勢にも問題がある。あるいは文部省の姿勢にも問題があるんですよ。それをやりなさいやりなさいと言って、ただ口先で奨励したんじゃものにならぬ。これを少なくとも大分がやるところのこの財政の県の規模を見てごらんなさいや。十四もあるというところと一校しかないというところとある。この点を考えるならば、行政の姿勢としては、まずその条件をどんどんどんどんつくってやって、実質的に、この就学猶予という問題の事態が起きないようなやはりものをやって初めて、それでも父兄のほうが猶予してもらいたい、万やむを得ない云々というなら話もわかりますけれども、どうもその文部省答弁を聞いてみると、その父兄の願いというものに藉口して、自分たちのこの問題に対するところの私は行政指導、積極的な姿勢面で非常に立ちおくれがあるんじゃないだろうかと思う。まあ、これはよけいなことかもしれぬけれども田中さんはきのうの演説でいわゆる弱い者いじめはしないというものを十訓もつくるんだそうですけれども、ほんとうにそういう気持ちがあるならば、学校教育においてまずこれをやればいいんですよ。一番弱い条件にあるところの子供たちの教育にまずみんなつくってやるんだということを言うならば、あああの人の言うところの徳育はりっぱだとだれも言うでしょう。そういうことはたなに上げて、日常の教育の中でやるんだやるんだと言ってみたって、ここにやはり国民が実感として受けとめられぬところの私は問題があるんじゃないかと、こう思うだけに、この就学猶予の問題としては、まずそのものはやっぱりはっきりする必要があるんじゃないかと思うんです。  なお、それと関連をして、私はこの機会に申し上げておきたいことは、この就学猶予の子供に対するところの訪問教育の問題です。この訪問教育の問題も残念ながらいまの仕組みの中ではその就学が免除されているところのこの子供たちに対してはその手だてがないんです。猶予届けを出して猶予したところの子供にだけこの訪問教育のシステムができておる。まあ、文部省はこのために二億円もことしは予算を取ったと言って大いばりなんですけれども、これでは、ほんとうに子供たちの教育を受けるところの権利が保障されているかというとない。しかも、その訪問教育をするところのその訪問者がどうかというと、これは学校教育法に基づくところの学校の先生じゃないんですよ。言うならば退職などでやめられたところの学校の経験者の人をただ教育委員会が雇ってやっているにすぎない。ほんとうにこれを教育の一環としてやるんならば、これはやっぱり現職の先生でも定員をうんと取ってこれを積極的にやっていくと、こういうものの拡充がうんとされてこそ、この就学猶予の問題に立ったところの訪問教育というものも完成されなきゃならぬ。そういうような面から見れば、ましてやその免除云々という問題は、先ほどの問題から見るならば、これはやはり訪問教育という面をうんと拡大をしていくとするならば、これも私は解消されていくと思う。そういうような一つ一つの具体的なものの条件を積極的につくっていく、その姿勢のないところに私は障害児教育という問題が、——五十四年には義務化すると言いながら、いまのこの問題を解決することなしに、いたずらに年限だけそのときに至ってみた場合には、私は、また加藤さんがおっしゃるところの例外という条件がまたできてくるんじゃないだろうかと、これを憂えるがゆえに、いま一番になさなければならないのは、そういう行政のペースでもできるところの問題を積極的にやっていくことこそが、私が先ほど来、加藤さんが指摘するところの問題、あるいは答弁されているところの皆さんが、名実ともにこの実現することのできるところの私は要因になるんじゃないだろうかと、こういうことも強く考えておりますだけに、これはひとつ今後文部省もあるいは厚生省も、施設の充実という面ではいわゆる医療施設と教育施設とを一体化するということによっても解決されてくるわけですから、先ほど鈴木先生から筋ジストロフィーの問題が出ましたけれども、ほんとうに障害児の子供にも教育で生きがいをやるという先ほどの初中局長の話をそのまま真に受けるとするならば、いま申し上げたことをやってこそ、ほんとうの障害児教育ができるんじゃないでしょうか。したがって、そこのところをお互いがやはり明確にし、今後やっていただきたいものだと思いますし、提案者としては、それに至るところの道程の問題として、とりあえずこれだけは最小限度の問題として皆さん方の御協力をいただきたいと思って提案をいたしておるわけでございます。
  205. 加藤進

    加藤進君 全くわが意を得たような御答弁をしていただきまして、どうもありがとうございました。  まあ、戦前のことは言うまでもなく、ともかく長い間障害児がどんな状態のもとに置かれてきたか、重い障害児に教育など必要はない、大体教育などできない、これが通例としていわば学校教育から全く切り捨てられてきたというのが現状だと思います。しかし現在はどうか、もうそういう認識はいまは通りませんよ。いろいろな運動、いろいろな国民の要望、こういうことの結果、寝たきりの子供でもいまは教育を施すべきだと、提案者の言われたこれがいま現実の要求となり、問題になっています。障害は重ければ重いほどその子を生かしていくために、その子を発達さしていくためには、行き届いた教育をやらなければならぬし、その義務がある、こういう私は義務感に基づく取り組みこそ、今日求められているものだと思います。教育の要らない子供、できない子供はそういう観点から言うと一人もない、こういう立場に立ってこそ、私は障害児教育をほんとうに義務化するという精神が生きるのではないかと思います。したがって、そういう立場から言うけれども、教育はしたいが、あの子には教育よりも医療が必要なんだというような見方も起こってくる子供たちもあると思います。私は、その点では厚生省の方が言われましたように、何も教育は教育だけ、福祉は福祉の仕事、医療は医療だなどというような、いわば行政上の区分によってこの子供たちの処置を考えるなどということはもう今日通らない、通用しないと思うんです。そこで、私たちの願ういわば養護学校というもののあり方から言うなら、何も学校へ入れて教育をやるというだけの養護学校ではなしに、そこでは福祉の問題も手厚く、医療の問題まで十分に配慮していただけるような養護学校をつくってもらえるかどうか、私は、ここに問題がかかってくるべきであるし、学校に行けない子供は提案者の言われたように自宅で、在宅で、そしてこれに教育をする、世話をする、こういういわば制度を現実に打ち立ててつくっていく、国が率先していくというのが、私は、義務化に向かう文部省あるいは国の施策のあり方だというふうに考えるわけでございます。その点につきまして、私はここで愛知県の県知事に向かって重症の障害児を持った母親が訴えた訴えの手紙の一部がありますから、これをちょっと皆さんに御紹介したいと思います。  「知事さん、私たちにはほかに方法がありませんのでお手紙を差し上げるわけでございます。うちの子供は今年十歳、四月になると学校へ行っていれば五年生になる年齢ですが、重症の脳性マヒで、いまだに寝たまま、おすわりはおろか、寝返りもできない女の子でございます。  他の教育を受けることのできない重症者の人たちを見るにつれ、また、重症の子供でも教育によってはどんなに成長したかという例を聞くにつれて、どんな子供にも教育というものは必要なのだ、ほうっておいてはいけないと思うようになりました。  知事さん、こういう在宅重症児のために、新年度からぜひ訪問教育を実施していただきたいのでございますが、いかがでしょうか。」と、こう言っている。このおかあさんは、「そして初めは一週一回でもいい、近くの学校か幼稚園を借りてでも、近くの子供たち二、三人からでも、そこから一緒に教育をすることを始めていただいてもけっこうです。そして入学式とか一カ月、二カ月に一度くらいは養護学校に集まるようにしていただけたら子供たちはどんなに喜ぶでしょう、どんなに生きがい、励ましを受けるでしょう、知事さん、また来年まで就学猶予にならないようぜひお願いします。」、私は、これが重症障害児を持たれる母親は言うまでもなく、こういう障害児の教育に関心を持つすべての気持ちを私は代表している、こういうふうに言わざるを得ないと思うわけでございますけれども、こういう母親たちの願いにこたえて文部省は、重症の子供たちにとってもたとえどのような困難があろうとも教育を受ける権利については権利として存在するのだから子供たちにも教育の手を差し伸べるべきだ、まして、教育を受ける権利を奪うような就学猶予・免除の規定などは取りやめるべきだ、こういう立場に立っていただきたいと私は願うわけでございますけれども、その点はいかがでしょうか、あらためてお聞きしたいと思います。
  206. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) できるだけ多くの障害児の方々に教育の手を差し伸べるというふうなお気持ち、それには全く同感でございます。ただ、猶予・免除というのは、これは法律上の制度でございまして、これは法律上の制度として割り切って考えればよろしいことで、教育に関するお子さん方の権利、そういうものをできるだけ生かすようにあらゆる方策を考えるということは行政上私どもの義務であろう、責任であろうというふうに考えるものでございます。
  207. 加藤進

    加藤進君 私は、再三申し上げますけれども、五十四年度からともかく養護学校を義務化する、こういう大方針を出されたわけでございますから、この五十四年に至る五年間においてさえ、これらの養護を要する障害児に対して可能な限りの手を行政上差し伸べる、こういう立場に立って私は行政を進めていただかなくてはならぬ、こういうことを特に希望をいたします、今日は。残念ながら、私の希望に十分にこたえられ得ないよりな現状だと思いますけれども、希望だけは切実に私は文部省あるいは政府に申し上げておきたいと思います。  そこで、五十四年度に義務化を実施するということになれば、いま文部省としては、何に手をつけて何を準備しなくてはならぬかという問題が私はあると思います。  その第一には、一体、文部省は現在の全国に広範に存在する障害児の実態、現状どのような状態に置かれておるかということをしっかり把握しておられるのかどうか、私は、その点についてすでに文部省は七二年度に就学猶予免除などの調査を行なわれて、その結果を昨年の八月には発表されておるわけでございますけれども、この調査はどのようなものを対象とし、どういう方法でやられたんでしょうか。
  208. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは就学猶予・免除を受けておる者の中からサンプル調査で第一次の調査を行ないました。さらに、その中から選んだ児童生徒につきまして詳しい調査を行なったわけでございます。全体としては、就学猶予・免除の状態、それからどういう理由で就学の猶予・免除等が行なわれておるか、それから医療機関とかその他の判定あるいは診断をどのように受けているか、そういうふうな調査を第一次的に行ないまして、それからさらに、第二次的に詳しくそういうお子さん方の行動、それから言語その他の障害の現状、それがどの程度に重いのか、それから就学猶予・免除を受けました者がどの程度また学校へ復帰と申しますか、学校教育を受けるような状態になっているのか、そういうふうなことについて調査をしたわけでございます。引き続きまして、四十八年度に長欠の児童生徒につきましても現在調査を進めておるところでございます。しかし、先ほど申し上げましたように、これはサンプル調査でございまして、全体の状況と申しますか、大体の現状を把握するというふうなことが主眼でございまして、実際に義務制になるといたしましたら、これはほんとうに一人一人のお子さん方の全体につきまして調査を進める必要があるということで、私どもも、義務制の実施までには十分な調査ができますようにつとめてまいりたいというふうに存じます。
  209. 加藤進

    加藤進君 第一次の、いま申しました七二年度に行なわれた調査というのは六、七歳児に限ってやられたわけですね。そうして全体のとにかく就学猶予・免除者の名簿の中から大体七%程度の抽出でやられた調査だと、これですね。ですから、この調査でわかることは大づかみに大体どの程度なんだろうという概算ですね、これは。私は、このような状態ではほんとうに行き届いた障害者に対する義務教育に役立つかといえば、これはもう役立たないのは当然だと思います。しかも、就学猶予・免除者の名簿だけにいわば未就学児があるかというと、そうじゃない、御承知のとおりですね。広範な未就学児が存在する、こういう点で、文部省も若干注意を向けておられるようでございますから、私はここで福井県鯖江市で行なわれた不就学障害児の実態調査活動の中から指摘された点を簡単に御注意申し上げたいと思います。第一に、就学猶予・免除の名簿に載った子供だけでは全く不十分で、この就学猶予・免除の名簿には猶予免除を願い出た親、その願いを出さなかった子供たちの名前は名簿に当然のことながら載っていない。だから、願い出のなかった子供たちの存在と実態をどう把握するか。それからもう一つは、学齢期を過ぎた子供の名前もこの名簿からはすでに消されている。小学一年に一応就学したけれども、途中で長欠したりしておるような不就学の状態になった子もこの名簿には載っていない、こういうのがまず第一の指摘です。それから第二には、在宅障害児以外にいろいろな施設の中に不就学児が存在するということがわかったというのです。これは特に厚生省の施設にも関係しますけれども、第一に精神病院に存在している。小児科病院、ここには慢性疾患児などが収容されている。精神薄弱児、ろう児、肢体不自由施設に存在している。重症心身障害者医療所に存在している。少年院、特に医療少年院にはきわめて多い。教護院、そうして精神薄弱児、肢体不自由児通園施設に存在する。こういうところをいわば洗いざらしにして足で歩いて調査をするという努力をしなければ、これは私は現在の障害児の実態を正確に把握して、これに対応するような教育をどう施すかということは私は不可能だと、こういうふうに思うわけでございますけれども、こういう点で、すでにいろいろなところで努力もなされ、運動の中で成果をあげておる調査がありますから、こういう各地の調査活動等に十分学ばれながら障害児の全国的な実態把握のためにひとつせっかくの努力をまず第一にしていただかなくてはならぬと考えますけれども、重ねてその点についての御見解をお聞きしたい。
  210. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま御指摘になりましたように、いろいろなところに収容されているような子供たちがおるということ、これは私も容易に想像できるところでございますけれども「義務制を施行するといたしました場合には、これはそういう調査を行なうということはある意味では不可欠の要件でございまして、これは都道府県教育委員会あるいは市町村教育委員会と相協力をいたしまして、義務制の施行に遺憾のないようにつとめてまいりたいというふうに考えております。
  211. 加藤進

    加藤進君 大体いつまでをめどにしてその準備をやられるのでしょうか。
  212. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 五十四年度から義務教育が施行されるということになるわけでございますから、いまの考えでは、少なくとも一年前ぐらいにはそういうものがある程度把握できていなければこれは困るじゃないかということでございます。いろんな事務の問題もございまして、はたしてそのとおりいくかどうかはわかりませんけれども、私の心づもりとしましては、それぐらいをめどにして完備した調査が行なわれるようにつとめてまいりたいというふうに考えております。
  213. 加藤進

    加藤進君 五十三年度までにともかく障害児の全面的な調査を実施しますと、こういうことでございますね。  そこで、第二の問題でございますけれども、義務化への準備として、いま養護学校の設置がどの程度進行しておるのか、こういう問題について若干お聞きしたいと思いますけれども、養護学校は、肢体不自由児については大体すべての県にもう設置されておると思いますが、知恵おくれ、虚弱、病弱児の養護学校の施設がまだない県、これは一体どのくらいありましょうか。どこの県がそれに該当するでしょうか。
  214. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいまのところ、毎年三十八校ぐらい少なくとも養護学校の建設を進めております。そこで、この中で解消されたものもございますけれども、四十八年の五月一日の調査では、精神薄弱児の養護学校が未設置の県は、秋田、山形、福島、栃木、群馬、福井、山梨、岐阜、静岡、三重、滋賀、兵庫、鳥取、島根、広島、福岡、これは都道府県立の養護学校でございます。
  215. 加藤進

    加藤進君 何県になりましたか、総計は。
  216. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは十六県でございます。  それから、病弱、虚弱の養護学校の未設置の県は岩手、山形、富山、石川、岐阜、三重、滋賀、京都、奈良、和歌山、鳥取、岡山、徳島、香川、福岡、佐賀、宮崎、鹿児島、十八県でございます。四十八年度に三十八校以上の養護学校が設置をされておりますし、それから四十九年度にも同程度のものが設置をされる見込みでございます。したがいまして、こういう未設置県は、急速に解消されていくというふうに考えております。
  217. 加藤進

    加藤進君 いつまでに全部こういう未設置県が解消できるのでしょうか。
  218. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 私どものほうは、都道府県にできるだけ早くしてほしいということをお願いしているわけでございますけれども、もちろん、五十四年度から義務制が施行されるわけでございますから、その間に設置ができるものというふうに考えております。
  219. 加藤進

    加藤進君 そうしますと、いま設置されておらない県の教育委員会には、当然のことながら、設置計画を持っておると思いますけれども、そういう設置計画というのは、文部省は掌握しておられるのかどうか、その計画についての御検討はもうすでに済んでおられるかどうか。
  220. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 義務制を施行するにつきましては、各県から義務制を施行するについての意見及び義務制を施行する場合の計画につきまして、私ども、調査をいたしまして、各県の計画をとっております。しかし、そのときには、義務制をいつから施行するかというふうなことがまだ各県では未確定のまま調査をいたしたものでございますから、昨年の十一月に義務制を施行するというふうな政令を出しました以後、どういうふうにその計画が変更になっているか、これはあらためて調査をしたいと思います。
  221. 加藤進

    加藤進君 いま土地問題、あるいは建設資材の暴騰等に、非常に養護学校そのものについても、建設上困難な事態が私は起こっておると思うのですね。しかも、そういう中で義務制に向かって進んでいかなければならないということになれば、各県それぞれの条件に応じて、非常に困難な苦労をなめてきておると思うのです。私はその意味では、義務制を方針として出されておるというならば、こういう未設置県について実質的にこの設置が進行できるような、何らかの意味での政府、文部省の援助が必要ではないか。その援助につきましては、すでに四十四年の六月の国会において、定数法の審議をされたときに坂田元文部大臣は、四十九年度までに養護学校の整備拡充をして、各県に必置いたします。こういって言い切られておるわけでございまして、五十四年度はまさにこの公約に反するわけでございますから、それだけ私は文部省が現地現地の各県の現状に即して、何が必要なのか、何を援助したらそのような必要が可能であるかという点についてもっともっと真剣な取り組みをしていただかなければならぬと思いますけれども、その点についての御決意をあらためて聞きたい。
  222. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは、先ほどどなたからか御指摘がございましたように、都道府県の熱意というものも多少関係しておった面がございます。そういう意味で、五年先のことを考えまして、あらかじめ政令を出す。そこで各県に一つの目標が与えられたわけでございます。目標と同時に、義務が与えられたわけでございます。その意味で促進されるものというふうに考える面がひとつございます。  それから、建物につきましては、御案内のとおり、補助率を二分の一から三分の二に引き上げております。ただ、私どもとしましては、教職員の費用につきましても、給与費等につきましても、これは三分の二にという要求はいたしましたけれども、しかし、これは実現をいたしませんでした。  それから、土地の問題につきましては、これは起債でもって措置をしてもらうというふうな手はずを進めておるわけでございます。いずれにしましても、都道府県の場合には、市町村の場合と違いまして、そういう意味では小・中学校の場合よりも財政力の強い府県が当面の責任者でございますから、目標を明示して、建物等につきまして、そういうふうな措置を行なう、あとは起債その他につきまして適切な配慮を行なうということにいたしました場合には、給与費等については御案内のとおり、残りの半分について交付税の措置が行なわれておるわけでございますが、財源上はたいした問題はないんじゃないか、そういうふうに考えておるわけでございます。
  223. 加藤進

    加藤進君 そこで、ひとつお聞きをしたいのですけれども、盲・ろう学校の設置というのは、早く昭和二十二年の政令によって義務づけられましたね。ところが、養護学校については、なぜ政令が最近まで出されなかったのか、施行期日をなぜ明示されなかったのか、二十六年もその間があるわけですね。盲・ろうは早く設置義務がつけられたけれども、養護学校についてはこの間放任されてきておる、こういう私は行政上の問題があると思うんですけれども、その点についてはどういうことなんでしょうか。
  224. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 盲・ろう学校につきましては、これは戦前からの伝統もございますし、それから、それに必要な教育の技術の積み重ねというものもあったわけでございます。昭和二十三年には盲学校が七十校、ろう学校が六十三校すでにできておったわけでございまして、また盲の障害の方、ろうの障害の方、そういう方々の出現率が少なかった。したがって、一県に大体原則として一校あれば収容できたと、そういうふうな関係があったろうと思います。これは、多年のわれわれの先人の努力によりましてそこまで行けたと、行くことが可能であったというわけでございます。しかしながら、養護学校につきましては、昭和二十四年にやっと一校できた。現在では二百六十三校と、その間の関係者の御努力というものは私は非常なものであったろうというふうに考えるわけでございますけれども、出現率が多いために、非常にたくさんの方々を収容しなければならない。しかも、障害の程度、障害の種類、そういうものが非常に複雑多岐である。種類だけで六十種類ぐらいの組み合わせがあるというふうなことでございまして、まあ、そういう関係で、まず文部省としましては、比較的障害あるいは教育、そういうものについてわかりやすい肢体不自由児の養護学校をまず設置をしたいということで努力をしてまいった。先ほど先生からも御指摘ございましたように、ようやく全県に必置ができたということでございます。しかし、出現率がほんとうに多いのは精神薄弱の方々でございまして、そういう方々を全部収容して、それに対して適切な教育を行なうということ、これはまあいままで関係者のなみなみならぬ御努力があったと思いますけれども、全般としまして、まだ二百校近くの学校をつくらにゃならぬということで、実際には、五年後というのも私はなかなかたいへんなことじゃないかと思いますが、まあそこで踏み切らしていただくということでございます。
  225. 加藤進

    加藤進君 まあ、努力はしましたけれども、実は予算もついておらなくて思うとおりにいきませんでしたと、まあ一般的には、そういうお答えだと思うんです。しかし、ほんとうにこの障害児の教育を必要とすると、そのためには、あらゆる犠牲を忍んでも国が責任を持ってやるという気なら私はできたと思うんですよ。その証拠にわが党の岩間議員がこういう質問をしたことがあります。一体、養護学校のできない理由は何か。こう率直に聞いたわけでございますが、時の大臣はどう答えたかというと、金の問題もありますけれども、しかしそれよりも政府の心ここにあらざるがためでございますと率直に答えているんです。私は、これが真実な声だと思うんですよ。その気があるならできるんです。その気がなかったからできなかった。これが私はいまの政府の行政の関わるべき重要な責任問題だ、こういうふうに考えるわけですよ。これは私は笑いごとでもないと思う。やる気があるならできたと、できた証拠は先ほども自衛隊のどうのこうのという問題もありました。そんな例を引き合いに出すまでもなく、とにかくその気になっていけば、とにかく教育を施す責任が国にある、こういう立場から言うならば、自治体に対して十分な援助を行なって、その建設を積極的に進める、何カ年計画で大努力を払ってこれを行なうということは私は行政上当然できることだし、やらなかった責任はまさに行政上の怠慢にある、こういうふうに言わざるを得ないと思いますけれども、その点どうでしょうか。
  226. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまになって考えますと、先生のようなことも言えるわけでございますけれども、その当時まだその教育的な技術にいたしましても、それから医学的な問題にいたしましても、積み重ねのない、まだ解決のめども立たない、そういう中でここまできたということは、私は、ほんとうに関係者の方々の御努力によるものだということで、これは高く評価すべきであるというふうに考えるわけでございます。あとから振り返ってみますと、まあ登ってまいりました山もたいしたものではないように見えますけれども、これはほんとうに私はそういう方々の御努力というものを低く評価すべきではない、ほんとうに手さぐりで一歩一歩積み重ねてこられた、その貴重な経験がやっと義務制までこぎつけたというふうに私は理解すべきじゃないか、そう考えるわけでございます。
  227. 加藤進

    加藤進君 まあそれだけの心がけがあるなら、とにかくいま未設置県が十六県、十八県ともうあるわけでございますから、これは容易ならぬことだと思うんです。そのために、私は従来に増して、この点についての積極的な取り組みをぜひやっていただきたいし、そのために必要な予算については全力をあげて、国民の皆さまに訴えてでもよろしいから、全力をあげてひとつこれを実施してほしい、こういうことを特に養護学校の設置の問題については指摘を申し上げたいと思います。  そこで、私は、最近障害児教育の義務化に踏み切った東京都から、ぜひとも政府、文部省は経験を十分に学びなさい、こういうことを私は指摘したいと思うんです。  私の調査いたしましたところによりますと、東京都でこの四月から障害児の全員就学に踏み切ったわけでございますけれども、そこで、障害児の就学希望者はどれだけあったかというと、千七百八十六名でした。希望を募ったけれども千七百八十六名。希望を出さなかった人は少なく見ても六百五十人以上あると言われています。希望も出してくれないんですよ。それだけ信頼されておらぬのです。親は不安でしょうがないんです。そういう人たちまで含めると、六百五十人以上になる。  もう一つあります。こういう希望が出た。そこで、それぞれ学校に配置をきめた。きめたとたんに辞退した人が何と百三十三名出たといいます。これはどういうわけでしょうか、一体どういう原因がここにあるのか、こういう点でありますけれども、就学保障のための東京都がつくるのは三校と、そして七つの分校であります。こういう措置をとったにもかかわらず、このようないわば辞退者が出た、届け出もしなかった人が出たという理由は何かというと、自分たちの住まっておる近くに都合のいいところに養護学校がつくってもらえぬなということなんです。二十三区あります。二十三区にそれぞれつくりたい、こう努力しておりますけれども、努力してもなおかつこれが大きな障害にぶつかっている。  その障害は何でしょうか。これはもう私が聞くまでもなく、土地がないんです。土地が確保できないからです。土地が確保できなくして、養護学校の義務化を幾ら叫んだところでできますか。私は、全国の例はもっともっと広くそれぞれの条件があると思います。とりあえず政府が義務化に踏み切るということなら、今日東京都が努力し始めて実現の一歩を踏み出したわけでございますから、このような東京都の努力に報いるためにも、この養護学校の用地難の解決のために、私はもろはだを脱いででもひとつ文部省、政府は努力しなくてはならぬ、まあこういうふうに考えます。  とりあえず、私もある委員会指摘しましたように、とにかく教育大学の駒沢の農業関係の学校等々には国有地が存在する。文部省の腹一つでこれが何とでもできる。こういうようなところも多々ある。国有地をまず何らかの形で東京都の養護施設の拡充あるいは建設のために使うような努力をぜひとも私はやっていただきたい、等々の具体的な手をもって、私は少なくとも東京都をごらんください、こういう東京都の積極的な努力に対して国がこれだけの援助をいたしました、だからほかの県だって遠慮なく問題を出しなさい、因難があるならば、私たちはここから応援に行きます、こういう姿勢でなければ私はとうてい今日の状況のもとで、東京都さえできないところをどうしてほかの県ができるかと言わなくてはならなぬと思います。私は、これがまさに試金石に当たると思いますけれども、その点、ひとつ文部省見解をお聞きしたいと思います。
  228. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 東京都がまあいち早く義務制と申しますか、にもし得るように踏み切られたと、そういう決断に対しましては、私は敬意を表するものでございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、五年間の猶予をもってやるということは、それだけの周到な準備がなければ完全な義務制にはならないということを一面ではあらわしているようなことではないかと思います。土地の問題につきましてお話がございましたが、私どもが一番心配しておりますのは、やはり東京、大阪、それからいわゆる過密九県こういうところにおきます養護学校の設置でございます。養護学校の場合にはスクールバス、それから寄宿舎、そういうものの利用もできるわけでございますけれども、また、医療施設等、近くなければいけないというふうな制限もあるわけでございまして、いろいろな面からむずかしい問題が御指摘のように山ほどあるわけでございます。そこで、私ども事務当局としましては、これは少なくとも十年計画でなきゃ無理じゃないかというふうな気持ちでやったわけでございますけれども、これを七年計画に縮小して、五十四年に義務制にするということに踏み切ったわけでございますから、私どももいろんな問題点、その問題点につきましては、その解決に最善の努力を尽くしたいというふうに考えておるわけでございます。
  229. 加藤進

    加藤進君 ともかく、われわれの考えておるよりもあまりあせり過ぎたなどというようなことを東京都に言われては困ると思うんです。東京都がこういう状態で踏み切られたというのには、それなりの理由がある。障害児とその親たち、それからまた、周囲の都民の運動があったからこそ、これにこたえなくてはならぬというのが東京都の受けとめた政治姿勢だと思うんです。したがって、困難はあろうとも解決すると、こういう私は不動の決意を持って取り組んでおられるからこそ、この問題が起こってくると思うんです。そこの起こってきた問題について、やはり東京都だけでは解決できない点を国は責任をもってこれに当たっていく、援助していくという姿勢がなければ私は全国的な義務化ということは絵にかいたもちに終わる危険がある、こういうことを私は言わざるを得ないと考えております。いまも御指摘になりましたけれども、通学バスの問題があります。これは肢体不自由児に対しては全部通学バスが東京では使われておりますけれども、盲・ろう児についてはまだ一部しか利用されておりません。知恵おくれに至っては、通学バスは使っておりませんし、国も通学バスを配置しておらないのは御承知のとおりの現状です。こういういままで軽症の生徒しか入れなかったのが新たに重症の子供までも入れるというふうに踏み切ったわけでございますから、もう母親は家のこともそこそこにして学校までついていって、学校の帰りまで待たなくてはならぬ、こういう家族の労苦を考えていくならば、こういう知恵おくれの子供に対しては通学バスを直ちに配置するように、東京都も努力するでありましょうけれども、国もさらに適切に援助の手を差し伸べるべきだ、こういうふうに思いますけれども、その点についてはどうですか。
  230. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) いまも特殊教育学校のスクールバスにつきましては、国のほうから補助を出しております。私どもは通学可能で、しかも、スクールバスを使うことが適当なところにつきましてはその補助を拡大するというふうな方策で臨みたいと考えております。ただ、現実問題として、そういう方がそういうことが無理だという場合には、寄宿舎あるいは技能施設、医療施設、福祉施設、そういうものとの関連を考慮しながらやっていくと、あるいはどうしても通えない方々につきましては、先ほどお話のございました訪問指導、そういうような制度をあわせて考えていくと、いろんなやり方で、障害児に適した最善の教育ができますように努力をするというのが私どもの責任であるというふうに考えています。
  231. 加藤進

    加藤進君 それで、通学、通園のバスについて東京都からのいろいろ注文も出てきておると思いますけれども、そういう点については、従来以上に今後とも十分相談に乗って、この東京都の計画等々についても積極的にひとつ援助をしていただきたいということを要望いたしますが、その点はどうでしょうか。
  232. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 東京都から具体的なお話を聞いてないようでございますけれども、もちろん、各県からこの義務制の施行ということになりました場合にはすべての御計画を伺いまして、それに対応するような国の施策というものもとらなければいけないというふうに考えております。
  233. 加藤進

    加藤進君 ぜひとも、ひとつその点は切実な要望でございますから、とりあえず、東京都内において通園バス程度のことに対しては直ちに実施できるように、ひとつ積極的な努力をしていただきたいということを要望しておきます。  それからもう一つ、これは学童保育の問題でありますけれども、この学童保育の点につきまして、先般わが党の沓脱委員質問答えて、学童保育の制度を実施するというような決意を厚生省は出されたと思いますが、この学童保育についても障害児を除外しないで、障害児にも適用してほしい、これが強い要望になってきております。これは厚生省は、杉並、江戸川、大田等々十八カ所に児童学園というものをつくっておられますね。そこで就学猶予の子供を収容しておられております。これを免除でない子供も入れられるように最近なったというのは、私は現状の適切な措置だと思う。この児童学園は、各家庭を回って、子供を学校に送り届け、そして四時か五時になると、またバスで子供たちを家庭に送り届ける。こういうふうな配慮をしておられますけれども、私は、単にこれは厚生省だけがやれるべきものであって、文部省ではこれはできぬのだというような問題では私はないと思う。福祉施設でできることは、学校ででも当然やれることだ、こういう障害児に対する学童保育という点について、これは厚生省もその気で努力をしていただくことは当然でありますけれども文部省も積極的に保育は厚生省の担当だ、分担だというようなことではなしに、学童保育が今日やられなければ、実際上、障害児はどうにもならぬし、学校にも送り込めない、こういう状態で家族は障害児をかかえて苦労しておるわけでございますから、その点についての文部省の積極的な改善の努力をひとつお聞きしたい。
  234. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 学童保育というのを、学校でやれという意味が私よくわからないのでございますが、御案内のように、厚生省は保育に欠ける子供たちのごめんどうを見ているわけでございます。その限りにおきまして、厚生省でやっていただくと、これは当然のことであろうと思います。しかし、共かせぎ等で学校が終わったあと子供をどうやって預かるかという、いわゆるかぎっ子対策その他の面につきましては、これは学校学校開放というふうな立場から、いま社会教育局のほうで取り組んでいる、あるいは総理府の青少年対策本部のほうで、そういうものをまとめているという段階でございます。先生がおっしゃる障害児の学童保育という意味は私よく理解できないわけでございますけれども、そういう線に乗るものでございましたら、そちらのほうでもお預かりしていくということは考えられることでございますけれども、原則としましては、保育に欠ける子供たちは厚生省のほうでお預かりいただくということではなかろうかと思います。
  235. 加藤進

    加藤進君 私の趣旨がわからなかったかもしれませんが、とにかく低学年の障害児、これはもうお昼ごろに帰される。そうなると、あとどうしたらいいか、こういう具体的な問題が起こっているから、学童保育を障害児にもという要求が出てくるのは私は当然だと思う。所管はどこにするかということは、これは私は何も文部省だけとは申しません。厚生省で分担して担当してもらってもけっこうでございますけれども、そのことについて、文部省文部省なりに、これは障害児の教育上きわめて重要な措置だと、こういう立場に立って、私は行政上努力をしていただきたい、こういうつもりで申し上げたわけでございますけれども、その点は御理解いただけますか。
  236. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) そういう子供さんの方々の扱いにつきましては、いま社会局のほうで、先ほど申し上げましたように青少年対策本部が取りまとめ役になりまして、各省協力いたしまして、その対策を考えるという段階でございます。その中で障害児の問題についても、これは、そういうような中で考えられるものなのか、あるいは学校で昼までと言わずに夕方までお預かりするという方法が適切であるのか、そういう点をあわせて検討させていただきたいというふうに考えます。
  237. 加藤進

    加藤進君 その点は、ひとつ厚生省もよろしく御協力をいただきたいと思います。  そこで、重度の身障者のお子さんたちを預かるわけでございますから、一体、どんな施設がこういうお子さんたちの教育のために必要かという、私は、非常に新しい問題が出てきておると思います。いままでは学校をつくった、学校に合わせて子供たちを預かるという式でございましたけれども、義務化ということになれば、すべての子供たちに施設を提供しなくてはならない。それに適切な施設というのはどうあるべきかという、私は積極的な問題が今日提起されてきておると思いますが、その点について、こういうことを私は特に強く訴えとして聞くわけでございますけれども学校で教えてもらう。それからお医者さんには、ほかのところへ連れていかなくてはならない。それから寝泊まりはできない。こういうような状態では、預かっても心配で心配でならない。こういう重障者の子供たちがたくさんいらっしゃいます。だから、学校学校には寄宿舎、同時に病院、こういう三位一体の医療と福祉と同時に教育、こういうものが兼ね備わるような施設をぜひともほしいという声が強いんです。私は当然だと思います。これを全国に何百つくれなどと申し上げましても、これはすぐには実行不可能だとは思いますけれども、少なくとも、こういう三つのいわば機能の一体となったような養護学校を各府県に一校は必ずつくる。私は、こういう方向でぜひとも義務制を目ざして努力していただきたい、とこう思いますけれども、その点について文部省どう考えられましょうか。
  238. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 医療の関係と福祉施設の関係は、これは厚生省でお世話になっております。そういう関係の専門家の方々もおそろいでございますから、また、いままでの御経験もおありだと思いますから、そういうふうなことにつきましては、これは厚生省で御めんどう見ていただくと、そういうふうに考えるわけでございます。ただ、学校をつくります場合には、こういう施設との連携が、これは必要なわけでございまして、できましたら、同じ敷地の中でそういう施設があればいいわけでございます。ただ、私どものお預かりする方々は、これは年齢に制限がございますから、ある一定の年齢に達しまして、そういうふうな病院を兼ね備えたところから、もう年齢過ぎたからひとつ退所していただきたいというふうなことになりますと、また、新しい問題が生じてくるということがあるわけでございまして、そこで、そういう心身障害の方々につきましての総合的な、一生を通じての対策というものは、やはり厚生省が御専門でございますから、そこで計画を立てていただくと。その中での教育機能、それにつきましては、私どもが責任をもって分担をさしていただくということになろうと思います。
  239. 加藤進

    加藤進君 これは東京世田谷区の梅ケ丘病院ですけれども、ここに重度の自閉症の子供が入っております。病院のわきに学校がありませんので、病院内学級というものがつくられています。これで教育をやっています。こういう努力が現にやられておるという実例があります。また、北療育園、これは病院でございますけれども、肢体障害者の診療、手術をやっています。ここでも手術後の子供に、ベットで寝た切りの子供に対して、試みとしてベッドサイド学級というものをやっています。また、小平の整肢療護園というのでも同様ないわば試みをやり、努力をしています。私はこういう努力をほんとうに生かして、これを制度化していく、そういうことのために、最も理想的なのはやはり学校があり寄宿舎がある。そして、療養所があり病院がある。こういう形の医療をも伴った温い養護施設、こういうものが願わしいのであって、そのことを、各県で必置させるということのために自治体ももちろん努力してもらわなくてはなりませんけれども、これは自治体まかせでは不可能です。こういうことを国のいわば計画として、ぜひモデル的に各県に必置のためにやっていただきたい。私は、東京都の実例から見て希望するわけでございますけれども、その点の御努力は賜わることはできないでしょうか。御決意のほどをちょっとお聞きしたいと思います。
  240. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) これは私ども以外にも、たとえば自治省だとか、それから府県でもすでにそういう点に気がつかれてやっておられるところを私は承知をしているわけでございます。中央の政府だけが能力があって地方の政府が能力がないということではもちろんございませんで、むしろ、地方政府のほうが親身になって、そういう点については十分お考えをいただいておるというふうに考えておりますが、そこは、それぞれ地域の実情に応じましてただいま先生が御指摘になりましたことは、これは理想としてはそのとおりでございますから、指導が必要であれば、私ども指導はいたしますが、府県で十分御配慮いただけるようにというふうに考えております。
  241. 加藤進

    加藤進君 その点については、ぜひ強力な行政上の御指導を賜わりたいということをつけ加えておきます。  最後に、教職員の定数の問題に関係するわけでございまして、本法案におきましても、その点が十分指摘されてきておると思いますが、まず第一に、養護のために子供たちをめんどうを見るということは、一学級一名の先生ではとうてい足らぬ。こういう事態がもうひんぱんに起こっておるようですね。たとえば、一人の重障の子供がある。放っておけば暴れる——暴れるということばは悪いですけれども、非常に活発になる。そうして三階までかけ上がる。放っておけば飛びおりる。こういう子供を見て、先生はその子供についていかなくちゃならぬ。あとの子供はどうするか。放任という状態ではこれはおけない。こういう問題がありまして、定数をとにかく増加させるということ、あるいはその子供の定数を少なくして十分めんどうが見れるという措置も当然ですけれども、どうしても、複数の養護のための教職員が要る。寮母もまた同様寄宿舎においては必要だ。こういう点が今度の法案の提出の内容の中に私は入っておりますけれども、これはきわめて重要な問題であって、こういう点についてのやっぱり積極的な文部省当局の定数改正の努力をぜひお願いしたいということが第一。  第二には、現在養護学校等々で働いておられる先生たちがどのような困難をなめておられるか、こういう問題でございますけれども、これは介助員の問題ですが、これは夜間の生徒さんが昼間の養護学校の介助員をやっておられるそうですが、この方はスクールバスが着くとお子さんをおんぶして教室に運ばれる。授業になると、子供が表現したいようだという状態を見て鉛筆を差し出す。本のページをめくってやる。本の出し入れに手伝う。トイレにも行く。こういうことまで全部めんどうを見てやっているわけですね。そうすると、どういうことが起こるかというと、そういうめんどうを見てやっていただける介護員がおるときにはトイレでも便を催すそうです。ところが、ほかの先生が行かれても便が出ないそうです。こういう状態にまでなっている。こういうところに障害児の心と先生あるいは介助員の心とがほんとうに一つになって初めて子供たちのささえになっていく。教育もそういう方向でやられる。こういうことが現に起こっておるわけでございまして、これはもう無視できないような状態で、そのために、介助員の方たちもあるいは教職員の方たちもどれだけの重労働にいま苦しんでおられるか。腰痛症あるいはもう学校をやめなくてはならぬという先生が続出しておる。これは今日放置できないような重大な問題でございまして、定数法の改正という問題の中の最重点の問題として、各教室、クラスに少なくとも二人の担任を置く。寮母も二人ずつつける。こういう措置にあわせて定数の増加にぜひとも抜本的な踏み切りをやっていただきたい。改善をしていただきたいということをお願い申し上げますが、この点についてはどうでしょうか。
  242. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) ただいま御提出になっておられます法案に基づきますと、大体、現在の先生の倍ぐらいの先生が必要になるのであります。それから今後養護学校を新しくどんどん設置してまいります。それから、特殊学級をもう少し設置を進めてまいります。というふうなことで養護学校だけで今度の定数改善を含めますと二万人近くの先生が五年間に必要になってくる。そういう点から申しますと、いまの養成の状況、それから先生の確保の状況から申しまして、これはちょっと一学級に二人というふうなことは、私は実際上無理であると思います。また、そうすることによっていろいろなまあ逆の面のマイナスも出てくることが予想されるわけでございます。したがいまして、私どもは、いま考えられます範囲におきまして、組織の改善をはかると同時に養護学校の設置に伴う定数の確保をはかるという点に最重点を置きたいというふうに考えているわけでございます。その後の改善につきましては、これはもちろん義務教育が施行されまして、それが軌道に乗りました暁におきまして、さらに、検討を加えるということは必要であろうと思いますが、定数法上の問題は、そういう考えでいま御提案を申し上げているところでございます。  それから介助員の問題につきましては、これは今年度から新しく補助制度を設けることは御案内のとおりでございます。その点につきましては、今後、その拡大をはかっていくということについて努力することをお約束いたしたいと思います。
  243. 加藤進

    加藤進君 終わりますが、いままでお聞きしておるところによって文部省がともかく義務制に踏み切るということは明らかになりましたから、問題は、その義務制、五十四年度に向かってどのように具体的な準備と措置を進めるかということに私はかかると思うのです。したがって、東京都の例やその他の例をもって御指摘申し上げたのは、これはもう一つ一つあれをやればいいという問題ではないと思う。こういう一つ一つの事柄を計画的に進めていく、そのために、私は年次計画を立てなくてはならぬ、そういうことが私は義務制の実施に踏み切る前提条件だと、これなくしては、私はから念仏に終わる危険が十分にある、こういうふうに考えますが、以上、指摘しました諸点について、文部省が五十四年度を目ざして年次的な準備計画、こういうものをひとつ立てられる必要があると思いますけれども、その点についてはどうでしょうか。
  244. 岩間英太郎

    政府委員岩間英太郎君) 来年度の予算の要求をいたします段階等を通じまして、いままで一応七年計画はございますが、さらに、詳細に検討いたしまして、実施に支障がないように進めてまいりたいというふうに考えます。
  245. 加藤進

    加藤進君 最後に、提案者にひとつ御所見を承りたいと思います。
  246. 宮之原貞光

    宮之原貞光君 ここに提案をしておるところの第六号案、第七号法案も、いわゆる義務制化に踏み切っていくとするならば、早急にやはりふやしていただかなければならないことを私どもとしては最低限盛り込んだつもりなんです。したがって、加藤委員が御指摘されるように、五十四年になってぽっとやれるということは、これは絶対不可能ですから、とりあえずやっていくものにはどうすればいいかということから、特にやはり、この障害児教育に大事であるところの定数の問題、これをまあ重視をして第五号議案として、それがまた府県でやりやすいような条件をつくるために三分の二補助と、こういう方向性を打ち出しておるのも、私は、加藤さんが指摘されたところのその面を早急に進めなきゃならないからでございます。同時に、この法案の中にはありませんけれども、これはやはりそれに至るまでの、やはり準備段階としては、相当今日の障害児の教育の問題を発展をさせるために障害点になってるところのもろもろの点を早急にやっぱり対処していく必要があるんじゃないかと思う。たとえば、教員定数の問題について、初中局長のほうからこれをこのままやると二万人も要るんだと、こういう話だったわけでありますが、これは現在のままだったら、じゃ五十四年になった場合にすぐそういう人が得られるかとこうなった場合に、私は得られないと思う。そうなると、勢いいわゆる障害児教育を担当するところの教職員の養成制度はどうあるべきなのか、その現在の養成制度がいいのかどうか、ここのところにやはりメスを入れて、それをやっぱり改善をしていくという手だてがはかられない限り、幾ら定数法の中で教員を増してもそれを追っかける人がおらないという面が出てくると思うのです。御承知のようにいまの障害児教育に従事するところの教職員は普通教育の普通免許状を持っておる者にあわせてそれぞれの免許状を持っているという併用方式なんですが、一体それだけでいいのかどうか、あるいはまた各教科の免許状は中学部、高等部はありますけれども、障害児教育をほんとうにやっていくとするならば、いまのような現職教育じゃとても間に合っていかないんです。そうすればやっぱり養成機関におけるところのこの障害児教育のいわゆる課程を絶対数をふやしていく、定員をふやしていくと、こういう面も必要になってまいりましょうし、あるいは先ほど来問題になっているところの介助員とか、機能訓練士の養成という問題も、ただ希望者は来てくださいでは私はだめだと思う。したがって、やっぱり養成機関の中でこの介助員とか、あるいは機能訓練士をどういう形でやはり養成をしていくかという、このことも、私はこの障害児教育を発展をさせるためには相当やっぱり馬力をかけ、もう計画的にもし五十四年からやるというならば、その問題も同時に出されながら計画をされなけりゃならない問題じゃないだろうかと、こう思いますし、さらにまた、今日のその障害児教育の一つ問題点としておる社会復帰をするための、一体言われているところのこの問題点がどういうやっぱり状態になっているかと、こう申しますと、まだまだそれが不十分。言われておるところのリハビリテーションの問題にしても、まだまだ不十分な点があるわけでございますから、そういう面をやはり充実をしていくというような面等、もろもろのやはり手だてというのが私は必要じゃないだろうかと、そうでなければ、当然この父母負担を軽減をしていくという具体的な問題も必要になってきますから、したがって、ここで私どもは法案として提示をしておるところのこの三つさえできれば、それでいいものだとは決して思っていませんし、先ほど来加藤さんから指摘のあったところのものは総合的にやはりやっていく、あるいはたとえば学校の施設増強の問題にいたしましても、今日特に過密都市地域で問題になっておりますところの用地の取得という問題も、普通教育でさえも問題があるわけですから、特にこれを拡充をしていくとするならば、財政的な面、あるいは特典を与えていくというこの問題、あるいは自治体の問題になっておるところの超過負担をどれだけ積極的にやっていくかという問題点等もあります。私は、やはりそういう全体的な立場から見たところのほんとうに障害児教育を振興するというなら、一つ一つの問題じゃなくて、総合的な観点から施策をやっぱり出して、それをほんとうに文部省が五十四年から完全に特例を設けなくてやるということになれば、いまの段階から一つずつそれを除去できるような手だてというものを講ずるべきだし、私どもは、またそれを要求していかなければならないんじゃないだろうかと、このように考えております。
  247. 加藤進

    加藤進君 きょうの質疑、まだいろいろ私聞きたい点を用意しておりましたけれども、これで終わります。ただ最後に、一言申し上げたいのは、障害児やその障害児を持つ親たちが政治に望んでいるものから見るなら、今日義務化を五十四年から実施すると政府が言われても、本気で信頼してついていくことは不可能だと、まあこういう私は、非常に強い不信感が今日存在しておると、こういう不信感を取り除いて、ほんとうに障害児に対して政治はあたたかいものだと感じさせるためには何をなすべきかといえば、これは私は、文部省が率先して行政指導の面において十分な配慮を一人一人の障害児に行き届かせるような努力をしなくてはならぬ。その点について、私はきょうの答弁は不満ですけれども、しかし、努力を認めながら積極的にやっぱりその面の改善をはかっていただきたいということを要望して、私の質問を終わります。
  248. 世耕政隆

    委員長世耕政隆君) 三案に対する質疑は、本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後五時三十九分散会