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宮之原貞光君 先ほど来、
加藤さんから義務制化された場合の障害を持っているところの子供の教育の保障の問題について具体的に御
指摘があったのでありますが、私は、基本的には全く
加藤さんと同じ
立場に立っております。少なくとも、憲法二十六条あるいは教育基本法の三条、受けるところの子供の権利という
立場、教育を受ける、そうすれば、当然これは例外があってはならないと思う。いわゆる就学をするところの形態の相違はあっても、例外があってはならないと、こういう
考え方を貫かなければならぬと思うのです。したがって、今日問題となっておりますところの就学猶予あるいは就学免除の問題にしても、これはもう原則的には、私はおかしいと思う。もし、こういうところの事情があるとするならば、その事情を早急にやっぱり排除をして、条件を早急にそろえていくということは私は行政当局、ことに
教育行政を預かるものとしてはなさなければならないところの面じゃないだろうかと思う。そういうところの角度から今日の障害児教育を見れば、なるほど
法律上就学猶予の問題というのが父兄につけられておりますけれ
ども、これは実際はどうかというと、ほんとうは親御さんはやりたいのです。やりたくてもやれないような条件があるというところに、私はまず問題があるというところをお互いがやっぱり見抜かなきゃならぬ。それをその親御さんがいやそれは免除させてもらいたいと、あるいは猶予させてもらいたいという願いがあるから、それを聞かなきゃならないというのは、私は逆じゃないかと思う。その証拠には、
文部省のこの統計表の四十八年度を見ましても、養護
学校の様子見てごらんなさいよ、多いところは十六校も十八校もあるところの県があるけれ
ども、一県一校しかないところの県が五つもあるんですよ。非常なアンバラなんだ。それならば、その一校しかないところの県の財政規模状況は、ほんとうにほかのところと比べて違うかというと違わない。たとえばこの中で大分の規模とあるいは三重などと対比をいたしますと、大分は養護
学校が十四あるんです、十四。ところがまあ三重は、例をあげて悪いんですけれ
ども、一校しかないんです。これはやはり地方教育を預かるところの行政の姿勢にも問題がある。あるいは
文部省の姿勢にも問題があるんですよ。それをやりなさいやりなさいと言って、ただ口先で奨励したんじゃものにならぬ。これを少なくとも大分がやるところのこの財政の県の規模を見てごらんなさいや。十四もあるというところと一校しかないというところとある。この点を
考えるならば、行政の姿勢としては、まずその条件をどんどんどんどんつくってやって、実質的に、この就学猶予という問題の
事態が起きないようなやはりものをやって初めて、それでも父兄のほうが猶予してもらいたい、万やむを得ない
云々というなら話もわかりますけれ
ども、どうもその
文部省の
答弁を聞いてみると、その父兄の願いというものに藉口して、
自分たちのこの問題に対するところの私は行政指導、積極的な姿勢面で非常に立ちおくれがあるんじゃないだろうかと思う。まあ、これはよけいなことかもしれぬけれ
ども、
田中さんはきのうの演説でいわゆる弱い者いじめはしないというものを十訓もつくるんだそうですけれ
ども、ほんとうにそういう気持ちがあるならば、
学校教育においてまずこれをやればいいんですよ。一番弱い条件にあるところの子供たちの教育にまずみんなつくってやるんだということを言うならば、あああの人の言うところの徳育はりっぱだとだれも言うでしょう。そういうことはたなに上げて、日常の教育の中でやるんだやるんだと言ってみたって、ここにやはり国民が実感として受けとめられぬところの私は問題があるんじゃないかと、こう思うだけに、この就学猶予の問題としては、まずそのものはやっぱりはっきりする必要があるんじゃないかと思うんです。
なお、それと
関連をして、私はこの機会に申し上げておきたいことは、この就学猶予の子供に対するところの訪問教育の問題です。この訪問教育の問題も残念ながらいまの仕組みの中ではその就学が免除されているところのこの子供たちに対してはその手だてがないんです。猶予届けを出して猶予したところの子供にだけこの訪問教育のシステムができておる。まあ、
文部省はこのために二億円もことしは予算を取ったと言って大いばりなんですけれ
ども、これでは、ほんとうに子供たちの教育を受けるところの権利が保障されているかというとない。しかも、その訪問教育をするところのその訪問者がどうかというと、これは
学校教育法に基づくところの
学校の先生じゃないんですよ。言うならば退職などでやめられたところの
学校の経験者の人をただ
教育委員会が雇ってやっているにすぎない。ほんとうにこれを教育の一環としてやるんならば、これはやっぱり現職の先生でも定員をうんと取ってこれを積極的にやっていくと、こういうものの拡充がうんとされてこそ、この就学猶予の問題に立ったところの訪問教育というものも完成されなきゃならぬ。そういうような面から見れば、ましてやその免除
云々という問題は、先ほどの問題から見るならば、これはやはり訪問教育という面をうんと拡大をしていくとするならば、これも私は解消されていくと思う。そういうような
一つ一つの具体的なものの条件を積極的につくっていく、その姿勢のないところに私は障害児教育という問題が、
——五十四年には義務化すると言いながら、いまのこの問題を解決することなしに、いたずらに年限だけそのときに至ってみた場合には、私は、また
加藤さんがおっしゃるところの例外という条件がまたできてくるんじゃないだろうかと、これを憂えるがゆえに、いま一番になさなければならないのは、そういう行政のペースでもできるところの問題を積極的にやっていくことこそが、私が先ほど来、
加藤さんが
指摘するところの問題、あるいは
答弁されているところの皆さんが、名実ともにこの実現することのできるところの私は要因になるんじゃないだろうかと、こういうことも強く
考えておりますだけに、これはひとつ今後
文部省もあるいは厚生省も、施設の充実という面ではいわゆる医療施設と教育施設とを一体化するということによっても解決されてくるわけですから、先ほど鈴木先生から筋ジストロフィーの問題が出ましたけれ
ども、ほんとうに障害児の子供にも教育で生きがいをやるという先ほどの
初中局長の話をそのまま真に受けるとするならば、いま申し上げたことをやってこそ、ほんとうの障害児教育ができるんじゃないでしょうか。したがって、そこのところをお互いがやはり明確にし、今後やっていただきたいものだと思いますし、提案者としては、それに至るところの道程の問題として、とりあえずこれだけは最小限度の問題として皆さん方の御協力をいただきたいと思って提案をいたしておるわけでございます。