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宮之原貞光君 ちょっと、
文部省が答える前に、私は先ほど与野党間でやはりこの問題は意向が大体同じ方向にあると、こう申し上げているのは、やはり
国会における
ところの
議論の、
質疑、答弁の中から、やはりそういうことを確信を持って申し上げておるんです。
それだけちょっと若干披露いたしますと、これ
昭和四十四年の四月二日ですよ、五年前です。これ衆議院の
文教委員会で、やはりこの名称の問題が
議論をされておるのです。その議事録によりますと、いわゆる
憲法「二十六条の
教育権は、
障害の有無によって差別されることのない厳粛な
国民の
権利であり、」、したがって
特殊教育、いわゆるスペシャル・エデュケーションではなく、エデュケーション・オブ・ハンディキャップの意味で、名は体をあらわすというが、この用語は適切でないと思われるが、どうかという
質問があった。これに対して当時の文部大臣の坂田さんは、
ヘレン・
ケラー女史の母校のパーキンス盲
学校の卒業生のミスター・スミスダスの例をあげながら、
人間の
可能性の偉大さをとうとうと述べておられると同時に、この
質問の趣旨に全面的に賛意を表して、ことばというものは、いろいろ誤解を招いたり、あるいは適切でなかったりしますので、今後十分検討したい旨答弁をしておるわけです。四十四年ですね。
それから六十五
国会で、これは参議院の内閣
委員会で、これは当時のたしか上田哲君からの
質問に対して、政務次官の西岡さんですね、これはいま自民党の文教部長ですけれ
ども、その当時でありますが、当時の坂田さんも病気で、秋田文相が代理であったときでありますが、そのときに、代理の文相の答弁も、これはそのことについて賛意を表しておられるのですよ、そのことについて。そして、むしろこれは「
障害児教育」ということばが適切じゃないだろうかと思いますという答弁を秋田さんもやっておられる。このころから
文部省は前向きに検討します、検討しますということばでずっと来ておる。
なお、四十七年の五月三十日、本院の
文教委員会で、私がこの間も同じ
説明いたしましたように、私の
質問に対しても、初中
局長のほうからは、検討さしてくださいと、こう言っております。そうしたら、一番私の
質問の最後の
ところに、与党の楠正俊君から
——当時の理事、いま通産政務次官ですね、彼から、「いま
宮之原委員の御
質問でございますが、先ほどの用語
——ことばのことですね、それは
文部省のほうでも
研究をするというお話でございましたが、それに関連いたしまして、ああいう欠陥を持たれた御両親の
気持ちというのは非常にデリケートなものがございまして、養護
学校というならまだいいんですけれ
ども、
学校の場合は養護と使っておいて、学級となるとわざわざ
特殊学級と、こう言っているんですね。一般の普通
教育とまざって
特殊学級という
ところに入れていられる御両親なんか、どうも、気がひけるというか、肩身が狭い」と、こう言っておられる。したがって、この
特殊学級ということばも含めて、この問題についてやはり検討し直してもらわなきゃ困るという、賛成の
意見が出ておるのであります。したがって、こういう私は、やはり
国会のこの問題に関する
ところのいろいろなやりとりの中から、すでに少なくとも、事この問題については、大かたのやはり意向というものは固まりつつあると思う。その点が、
文部省がまだ検討します、検討しますというのは、いろいろなまた審議
機関にかけられるかどうか知りませんけれ
ども、私は、やっぱり率直に言って、
一体こういう時期の中で、もう踏み切る段階であるだけに、踏み切るという意向でもって各層の皆さんの
意見を聞く
態度を持つものかどうか、そこの積極的な姿勢があるのかどうかという
ところに私はかかっているんじゃないかと思うのですよ、このことは。先ほど十年後、二十年後になれば、また、いま
指摘されたとおり、
障害児教育ということもどうなるかわからぬと、こういう向きの話があったんですけれ
どもね。少なくとも
特殊学級と、
特殊教育ということよりもいいということは明白なんですから、それを改めて、二十年、三十年後にまたことばが悪いというならば、その時世のまた
国民の要求に沿って改めるのには、これは何らかまわぬと思う。そのことによって私はお役所の権威が落ちるものとはさらさら思わない。それだけにこの問題は、先ほど来申し上げるように、この
障害児教育の
基本にかかる
ところの問題だけに、単に名前だけの問題じゃないと、こう申し上げておるわけです。