○小林武君 あなた出てくるときに、効果のことはよくわからぬとか、具体的なことはわからぬというんじゃだめですよ。重大な問題でしょう。二万人の
調査というものがどのぐらいの効果があるかというようなことがわかりませんという返事はないでしょう。大体いままでの
調査から——私はわりあいにあなた
たちの世論
調査というのはよく見てるんですよ。そしてわりあいに貴重なものだと思って信頼してやっておりますよ。これも
一つの見方です。しかしながら、なかなかそれだけではそう簡単にはいかぬものだということはあるわけです。私は、まあいろいろな歴史的な大きな変動期の
直前の
状況のあれなんかをちょっとこう何かないかと思って調べたことがあるわけです。そういう場合に、たとえばフランス革命というようなものの起こった
直前の
状況の世論というもののつかみ方というものは、なかなかつかめなかったように思うんですよ。明治維新にも、非常に大きな各所にいろいろなものが起こっておったけれ
ども、
国民全体としての世論というようなものは一体どんな
状況にあったか、一般の庶民の考え方はどうであったかというようなことは、的確なものはあまりないですよ。しかし、まとめた論文なんかを見るというと、まるで騒然としたというようなこともあるようでありますけれ
ども、ただし徳川幕府に対する、あるいは薩長とかなんとかというような、そういう雄藩に対する考え方というものは、庶民の心として、庶民の一部、二万人の人間に聞いたらすぐわかるというような
状況にはなかった。葵が枯れて菊が栄えるなんてことを考えた者はなかなかなかった。これがやっぱり世の中だと思います。だから私は、いまのように
情勢が変わってきて、もう二十
世紀も終わりに近づいたころだから、
調査というものに対してあなた方は正確なものを知るべきだと思う。そのことを総理府がやられてるということはたいへん大事なことだと思うんです。認めるけれ
ども、あなたがここへ出るからには、それについてどのぐらいな誤差が生ずるおそれがあるものだと、この表についてどういうやっぱり正確さを知るためには警戒度を要するとかということの
説明ができないことじゃいかぬですよ。
それからまあひとつ
文部大臣にお尋ねして——ここで議論する気持ちございません、いずれやらなきゃなりませんけれ
ども。私はまあ一問だけひとつ申し上げておきますが、法律できめられたということ——私はきめてもいいんですよ。フランスがきめられてるということは、フランスの国歌というものは、皆さんどういうことでできたか御案内だと思うんですけれ
ども。私は、法律できめられないところに
日本の場合には特殊なやっぱりものがある。しかし、法律以上の、あなたもその点についてはぼくらと違って法律のことはよく御存じだから、法律をもって
教育のことをやるなんというのは、これは戦後なんです。民主化された
一つの形なんです。勅令でやられておったでしょう。天皇の命令でやっておった、勅令で。法律に優先する形でやっておったでしょう。こういうことが
日本のためにいいのか悪いのか。法律でやられるということは、非常にこれは
国民がみんなが参加して法律をきめるという非常に民主的な形をとったということなんです。しかしながら、また一面見れば、法律でやるということは、権力の所在がかわればどうでもいろいろ変えられるということです。権力の所在がかわれば法律によってどんどん変えられるでしょう、多数の力によって。私は、そういうやり方というものはあまりりっぱではないと、こう思っているんですよ。むしろ国歌というものは、いまの場合なら一億の人間がみんなどんな場合になっても、ほんとうは世の中変わったら別だということにもなりますけれ
ども、まあまあまともな形で世の中がいったら、みんながやっぱり歌っていけるような、喜べるようなものをつくるということが必要じゃないか。そういう
意味で、この間、ややあまり具体的でございませんけれ
ども、国旗とか国歌とかいうようなことについては、この委員会の中でも、これは速記とってやったんじゃないけれ
ども、お互いにひとついろんな
立場で議論してみるということが必要じゃないか。
国民の総意によるようなものが新しく考えられるというようなこともあるだろうし、現在のあるものがいいというようなこともあり得る。そういうことを政党政派ひとつ抜きにしてみんなで自由に話し合えるというようなことならいいな
あという話を、これは内藤さんも大賛成だ。
委員長も大体賛成だった。私らもそれについて、君が代反対のほうですけれ
ども、それはそういう意見も出るし、私らもそういうことは前から望んでおったという話もしておる。ということを、ここで最後に申し述べて私はおきたいと思います。
それからもう
一つあります。これちょっと話別です。別だけれ
ども、先ほど実は
文部大臣のお耳に達するように内藤理事を通して申し上げた。いま私のところへ電話で連絡がございまして、もうどの
大臣もみんなとにかく会わないということにきめたそうです。そうと言うけれ
ども、
文部大臣が少しやっぱり相当掌握してやったんじゃないかと誤解しているんですけれ
どもね。(「誤解、誤解」と呼ぶ者あり)誤解かね。
政府の
態度としては私はまずいと見てるんですよ。これは私はわりあいによく知ってるんです。
文部大臣に会いたいというのは、自由主義国の中の教員です。これは二つありますから、大きく分ければ。いわゆる社会主義国のあれと自由主義のあれと二つある。この自由主義国圏のあれで、私がいたころの、私がやめるちょっと
直前ぐらいに両方とも入らないような形になったんですけれ
ども、それまではずっとそこに所属していて、いまでも非常に親近感が深いわけです。そういうところの人ですがね。それが来ても会わないということは、これ社会主義の——このごろでは
政府のやり方たいへんいいと思っているのは、社会主義であろうがなんであろうが、石油なんかでうまくいくかと思うと手のひら返すように仲よくしようなんていうような世の中だから、なかなかそろばんの高い国だということを私も非常に感心してるんだけれ
ども、そういうことを悪口言う国がよその国にあるそうだけれ
ども、私はいいと思っている、そういうことは。いろいろなところとね、国の利害だってあるわけですから、そんなことをおそれることはないと私は思っている。やはりぐあいが悪くなったと思ったらこれはね、仲よくするということにして、そして国際
関係は、尊敬されるように
大臣のやつは私よりかずっと次元が高いです。私はみんなに尊敬されるなんて思っていないけれ
ども、人と争ったり人を倒したりするというような考え方を抜きにしてやはり国際平和のために交わらなければいかぬというのだから、
文部大臣から見れば数等下のほうの現実的なにおいが強いんですけれ
ども、しかし、それからの者が来た場合、しかも彼らはやはり自由主義国の教員組合の場合、書記長が来ているわけですからね。書記長というのは大体最高責任者です。イギリスの教員組合なら、いまどうだか知らないけれ
ども、グールドというのはこれはサーの称号を持っている。彼はサーに入っているぐらいのあれだけれ
ども教員組合の書記長だ。そういう
一つのやはり国際的な地位を占めているような人であるならば、これはだれもがやはり各国において相当敬意を表すべき人間なんですよ。その人間にそろいもそろって運輸
大臣も、自治
大臣も何
大臣もみんなそろって会わぬというのは、これは田中内閣にとっては私はこれは重大な一体誤りじゃないか。しかし
文部大臣といたしましては、とにかく所信表明の中に冒頭にとにかく国際
関係、それこそ国際人を養成するというのを
教育の目標として掲げたんですから、ひとつ
文部大臣が先頭になって閣内をひとつまとめてお会いになるように、そうしてください。もう私はそうなったら誇りを持ってやはり文教の責任者は、意見が合わぬところは合わぬけれ
ども、合うところは合うというようにひとつ考えたいんです。その点申し上げておきます。